旧唐書
志第二十三 職官二
三師
太師、太傅、太保各一員。これを三師と謂い、並びに正一品。後漢の初め、太傅は府僚を置く。周・隋に至り、三師は府僚を置かず、初めて尚書省にて拝する。隋の煬帝、三師の官を廃す。武徳に復置し、隋の制の如し。三師は、訓導の官、天子の師法とするところ、大抵統べる職なく、然れども道徳崇重ならざれば、則ち其の位に居らず。其の人無ければ、則ち闕く。
三公
太尉、司徒、司空各一員。これを三公と謂い、並びに正一品。魏・晉より北斉に至るまで、三公は府僚を置く。隋の初めも亦た府僚を置くも、尋いで府僚を省き、初めて尚書省にて拝し、唐之に因る。武徳の初め、太宗之を為し、其の後親王三公を拝するも、皆事を視ず、祭祀に則ち摂者行う。三公は、道を論ずる官なり。蓋し以て天子を佐け陰陽を理め、邦国を平らげ、統べざる無きを以て、故に一職を以て其の官を名づけず。大祭祀に則ち、太尉は亜献を為し、司徒は俎を奉じ、司空は掃除す。
尚書省
尚書都省は、龍朔二年に中台と改め、光宅元年に文昌台と改め、神龍の初めに復す。
尚書省は二十四司を領す。六尚書、各四司を分領す。
尚書令
尚書令一員。正二品。武徳中、太宗之を為し、是より闕きて置かず。令は百官を総領し、儀刑端揆たり。其の属に六尚書有り:一に曰く吏部、二に曰く戸部、三に曰く礼部、四に曰く兵部、五に曰く刑部、六に曰く工部。凡そ庶務、皆会して之を決す。
尚書左右僕射
左右僕射各一員、従二品。龍朔二年に左右匡と改め、光宅元年に文昌左右相と改め、開元元年に左右丞相と改め、天宝元年に左右僕射に復す。六官を統理し、庶務を綱紀するを掌り、以て令の職を貳す。令を置かざるより、僕射は省事を総判す。御史の糾劾当たらずば、兼ねて之を弾するを得。
尚書左右丞
左右丞各一員。左丞、正四品上。右丞、正四品下。龍朔に左右肅機と改め、咸亨に復し、永昌元年に従三品に昇り、如意元年に四品に復す。左丞は諸司の管轄を掌り、省内を糾正し、吏部・戸部・礼部十二司を勾し、都省事を通判す。若し右丞闕くれば、則ち並びに行う。右丞は兵部・刑部・工部十二司を管す。若し左闕くれば、右丞兼ねて其の事を知る。御史の糾劾当たらずば、兼ねて之を弾するを得。
左右司郎中
左右司郎中各一員。並びに従五品上。隋に置き、武徳初年に省く。貞観初年、復た置く。龍朔二年、左右丞務と改め、咸亨に復す。左司郎中は、左丞の管する諸司の事を副い、省署の鈔目を省み、稽失を勘え、省内の宿直の事を知る。若し右司郎中闕くれば、則ち並びに行う。左右司員外郎各一員。天后永昌元年、左右司員外郎各一人を置く。神龍初年に省き、後に復た置く。左右司郎中・員外郎は各々十二司の事を副い掌り、以て正を挙げ違を稽え、符目を省署す。
凡そ都省は諸司の綱紀を挙げ、百僚の程式を掌り、以て邦理を正し、以て邦教を宣ぶ。凡そ上以て下に迨う所以のもの、其の制六有り、制・勅・冊・令・教・符と曰う。天子は制・勅・冊と曰い、皇太子は令と曰い、親王・公主は教と曰い、尚書省は州に下り、州は県に下り、県は郷に下る、皆符と曰う。凡そ下以て上に達する所以のもの、其の制亦六有り、表・状・箋・啓・辞・牒と曰う。表は天子に上る。其の近臣も亦状と為す。箋・啓は皇太子に上る、然れども其の長にも之を為し、公文の施す所に非ず。品已上の公文有れば、皆牒と曰う。庶人の言は辞と曰う。諸司自ら相質問する、其の義三有り、関・刺・移なり。関は、其の事を通ずるを謂い、刺は、之を挙げるを刺すを謂い、移は、其の事を他司に移すを謂う。移は則ち通判の官皆連署す。凡そ内外百司の受くる事、皆其の発する日を印し、之が程限と為す。凡そ尚書省制勅を施行し、案成れば則ち程を給して以て之を鈔す。若し急速の者は、其の日を出でず。若し諸州の計奏京師に達するは、事の大小と多少を量り、以て之が節と為す。凡そ京師諸司、符・移・関・牒を有して諸州に下る者は、必ず都省に由りて以て之を遣す。凡そ文案既に成り、勾司硃を行い施し訖れば、皆其の上端に書し、年月日を記し、諸庫に納む。凡そ公文を施行し印すべき者は、監印の官其の事目を考へ差無ければ、然る後に之を印し、必ず歴に書す。毎月終に諸庫に納む。凡そ尚書省の官、毎日一人宿直す。都司廃直簿を報じ、転じて以て次と為す。凡そ内外百僚、日出でて事を視、午に既にして退き、事有れば則ち直官之を省みる。其の務繁きは、此の例に在らず。凡そ天下の制勅計奏の数、省符宣告の節、率ね歳終を以て断と為す。京師諸司は、皆四月一日に都省に納む。其の天下諸州は、則ち本司推校し、以て勾官に授く。勾官之を審にす。連署封印し、計帳に附し、使して都省に納めしむ。常に六月一日に、都事諸司の令史を集めて対覆す。若し隠漏不同有れば、皆考課に附す。
主事
主事六人、従九品上。令史十八人、書令史三十六人、亭長六人、掌固十四人。凡そ令史は案文簿を掌り、亭長・掌固は省門戸倉庫庁事陳設の事を検校す。
吏部
吏部尚書
吏部尚書一員、正三品。龍朔二年、司列太常伯と改め、光宅元年、天官尚書と改め、神龍に吏部尚書に復す。侍郎二員。正四品上。隋の煬帝大業三年、尚書六曹、各侍郎一人を置き、以て尚書の職を貳し、並びに正四品。国家令を定め、諸曹の侍郎を降して正四品下と為し、唯だ吏部侍郎を正四品上と為す。龍朔に司列少常伯と改め、咸亨に復す。総章元年、吏部・兵部各侍郎一員を増置す。尚書・侍郎の職は、天下の官吏の選授・勲封・考課の政令を掌る。其の属四有り、一に吏部と曰い、二に司封と曰い、三に司勲と曰い、四に考功と曰う。其の職務を総べ、而して其の制命を行ふ。凡そ中外百司の事、所属に由るものは、皆質正す。凡そ選授の制、毎歳孟冬に集まる。王城を去ること五百里の内は上旬を以てし、千里の内は中旬を以てし、千里の外は下旬を以てす。尚書・侍郎、分かれて三銓と為す。尚書は尚書銓と為し、侍郎二人は分かれて中銓・東銓と為す。凡そ人を択ぶに四才を以てし、功を校ぶるに三実を以てす。四才は、身・言・書・判を謂う。其の優長なる者は、取るべき有り。三実は、德行・才用・労效を謂い、徳均しければ才を以てし、才均しければ労を以てし、労は必ず其の実を考へて之を進退す。較べて優劣を之れし、而して其の留放を定め、以て権衡を正し、与奪を明らかにし、貪冒を抑へ、賢能を進め、然る後に其の官資に拠り、其の注擬を量る。五品已上は、名を以て中書門下に上り、制を聴き其の官を授く。六品已下は、資任を量りて定む。其の才職頗る高く、擢て拾遺・補闕・監察御史と為すべき者は、亦名を以て中書門下に送り、勅を聴き授く。其の歴職清要にして、考第頗る深き者有れば、隔品して之を授くことを得、然らずんば即ち否なり。凡そ出身清流に非ざる者は、清資の官を注せず。凡そ官を注するに、若し官資未だ相当せず、及び以て便ならざると思はば、三注に至るを聴す。凡そ伎術の官は、皆本司定め、吏部に送りて甲に附す。凡そ同司聯事勾検の官は、皆大功已上の親を注すことを得ず。凡そ皇親諸親及び軍功は、兼ねて員外郎を注す。凡そ注擬は、必ず先ず官階団甲を具へ、門下に送りて以て聞かしむ。官を注するに、階高く卑きを擬すれば「行」と曰い、階卑しく高きを擬すれば「守」と曰う。三銓注擬訖れば、皆当に銓団甲し、左右僕射を過す。若し中銓・東銓なれば、則ち尚書を過し訖りて、乃ち門下省に上る。給事中読み、黄門侍郎省み、侍中審にし、然る後に甲を進めて以て聞かしめ、旨を聴き授けて施行す。若し左右僕射門下の官を批するに当らざれば、別に改めて注し、亦重ねて執りて上る者有り。凡そ大選は、季春の月に終る。若し選人身軍旅に在れば、則ち軍中に書判を試み、封じて吏部に送る。亦春中に解を下して後に集まる有り、之を春選と謂う。若し優労の人に、勅有れば則ち処分及び即ち官を与ふる者有り、並びに非時の選を聴し、百日の内に之を注擬す。以て九流の品格を定め、万方の闕政を補ひ、官人の道備はる。
吏部郎中
郎中二員は、ともに従五品上である。龍朔年間には司列大夫と称し、咸亨・光宅年間にはともに隋の曹制に改めた。員外郎二員は、ともに従六品上である。令史三十人、書令史六十人、亭長八人、掌固十二人を置く。郎中一人は、天下の文吏の班秩階品を考課することを掌る。凡そ叙階の法は二十九階あり、品は都序に在り、一品より九品に至り、品に上下あり、凡そ散官四品已下、九品已上は、並びに吏部において番上に当たる。その番上に当たるべきは四十五日である。もし都省が人を須いて符を送り、諸司が人を須いる場合は、並びに兵部・吏部の散官が上る。二番以上を経た者は、簡選に入ることを聴す。及第せざる者は、番名に依りて五六を過ぎざるなり。凡そ叙階の法は、封爵を以てする有り、親戚を以てする有り、勲庸を以てする有り、資蔭を以てする有り、秀孝を以てする有り、労考を以てする有り、除免して復た叙する者有り、皆法に循ってこれを申し、枉り冒すこと無からしむ。凡そ三品五品に入るべき者は、皆別制を待ってこれを進め、然らずんば則ち否とす。凡そ文武百僚の班序は、官同じき者は先ず爵を以てし、爵同じき者は先ず歯を以てす。凡そ京司に常参官有り、五品以上の職事官、八品已上の供奉官、員外郎、監察御史、太常博士を謂う。供奉官は、両省自ら侍中・中書令已下、尽く名を供奉官とす。諸司長官、清望官、四品已下八品已上の清官。毎日六品已上の清官二人を以て、衙に待制す。供奉官・宿衛官は此の例に在らず。凡そ四品已下の清望官を授くるは、才職相応じて、進讓すべからず。凡そ職事官は覲省及び移疾に応ずるも、程を過ぐるを得ず。年七十已上は致仕に応ず、若し歯力未だ衰えざれば、亦た厘務を聴す。凡そ官人の身及び同居の大功已上の親は、自ら工商を執り、家其の業を専らにし、及び風疾・使酒は、皆仕に入るを得ず。凡そ内外の官に清白著聞有るは、名を以て薦むべく、則ち中書門下これを改授し、五品已上は量りに升進を加え、六品已下は吏部に付して即ち量りに等第を以て遷転す。若し第二第三等人は、五品已上は日に改めて稍く之を優しゅうす。六品已下は秩満して選を聴し、放限に在らず。其の嶺南・黔中は、三年に一度選補使を置き、号して南選と為す。凡そ天下の官吏は、各々常員有り。凡そ諸司に直を置くは、皆定数有り。諸司諸色に品直官有り。内外の官吏には、則ち仮寧の節、行李の命有り。簿書の景跡、功賞の殿最、具員は皆員外郎と分ちて之を掌る。郎中一人は小銓を掌り、亦た九品に分かつ、通称して行署と謂う。其れ九流の外に在るを以て、故に之を流外銓と謂い、亦た小選と謂う。其の校試銓注は、流内銓と略同なり。其の吏部・兵部・礼部・考功・都省・御史台・中書・門下を、前八司と謂い、其の余は則ち後行と曰う。凡そ流外を択ぶは、書を工にし、計に兼ね、頗る時務を曉るを取る。三事の中に、一優長有れば、則ち叙限に在る。毎に三考を経て転選し、其の才能を量りて之を進め、然らずんば旧任に従う。小銓は、旧く郎中に委ねて専知せしむ。開元二十五年、又た勅して銓試訖り留放は、皆尚書侍郎之を定む。員外郎一人は南曹を判ずることを掌る。曹は選曹の南に在るを以て、故に之を南曹と謂う。毎歳選人は、解状・簿書・資歴・考課有り、必ず之に由りて其の実を核し、乃ち三銓に上る。其の三銓甲を進むれば則ち之に署す。員外郎一人は曹務を判ずることを掌る。凡そ太廟齋郎の帖試に預かるは、貢挙の制の如し。
司封郎中
司封郎中一員は、従五品上である。隋では主爵郎と曰い、武徳年間之に因る。龍朔二年に司封大夫と改め、光宅年間に司封郎中と改む。司封員外郎一員は、従六品上である。主事二人は、従九品上である。令史四人、書令史九人、掌固四人を置く。司封郎中・員外郎の職は、国の封爵を掌り、凡そ九等有り。一に曰く王、正一品、食邑一万戸。二に曰く郡王、従一品、食邑五千戸。三に曰く国公、従一品、食邑三千戸。四に曰く郡公、正二品、食邑二千戸。五に曰く県公、従二品、食邑一千五百戸。六に曰く県侯、従三品、食邑一千戸。七に曰く県伯、正四品、食邑七百戸。八に曰く県子、正五品、食邑五百戸。九に曰く県男、従五品、食邑三百戸。凡そ名山大川及び畿内諸県は、皆以て封ぜず。郡公に至りて余爵有れば、子孫に回授するを聴す。其の国公は皆特封なり。凡そ天下の観は定数有り。毎観に三綱を立て、道德高き者を以て充つ。凡そ三元諸斎の日は、金録・明真等の斎を修す。凡そ道士・女道士の簿籍は、三年に一度造る。凡そ外命婦の制は、皇の姑は大長公主に封じ、皇の姊妹は長公主に封じ、皇女は公主に封じ、皆正一品に視す。皇太子の女は郡主に封じ、従一品に視す。王の女は県主に封じ、正二品に視す。王の母妻は妃と為す。一品及び国公の母妻は国夫人と為す。三品已上の母妻は郡夫人と為す。四品の母妻は郡君と為す。五品若しくは勲官、三品に封有るは、母妻を県君と為す。散官は並びに職事に同じ。勳官四品に封有るは、母妻を郷君と為す。其の母の邑号は、皆「太」の字を加え、各其の夫・子の品に視す。若し両に官爵有る者は、其の高きに従う。若し内命婦は、一品の母は正四品郡君と為し、二品の母は従四品郡君と為し、三品四品の母は並びに正五品県君と為す。凡そ婦人は、夫及び子に因らずして別に邑号を加うるは、夫人は某品夫人と雲い、郡君は某品郡君と為し、県君・郷君も亦然り。凡そ庶子は、五品已上の官有れば、皆嫡母を封ず。嫡母無ければ、生母を封ず。凡そ二王后の夫人は、職事五品已上、散官三品已上、王及び国公の母妻は、朝参各其の夫及び子の礼に視す。凡そ親王は、孺人二人を置き、正五品に視し、媵十人を置き、正六品に視す。嗣王・郡王及び一品は、媵十人を置き、従六品に視す。二品は、媵八人を置き、正七品に視す。三品及び国公は、媵六人を置き、従七品に視す。四品は、媵四人を置き、正八品に視す。五品は、媵三人を置き、従八品に視す。此れを降る外は皆妾と為す。凡そ皇家の五等親及び諸親三等は、存亡升降有れば、皆簿書籍を立て、毎三年に一度造る。除附の制は、並びに宗正寺に載す。
司勲郎中
司勲郎中は一員、従五品上。隋では司勲郎と称し、武徳の初年に「中」の字を加う。龍朔の時に司勲大夫と改め、咸亨の時に復す。司勲員外郎は二員、従六品上。主事は四人、従九品上。令史は三十三人、書令史は六十人、掌固は四人。郎中・員外郎の職は、邦国の官人の勲級を掌る。凡そ勲は、十二転を上柱国と為し、正二品に比す。十一転を柱国と為し、従二品に比す。十転を上護軍と為し、正三品に比す。九転を護軍と為し、従三品に比す。八転を上軽車都尉と為し、正四品に比す。七転を軽車都尉と為し、従四品に比す。六転を上騎都尉と為し、正五品に比す。五転を騎都尉と為し、従五品に比す。四転を驍騎尉と為し、正六品に比す。三転を飛騎尉と為し、従六品に比す。二転を雲騎尉と為し、正七品に比す。一転を武騎尉と為し、従七品に比す。凡そ功效有るの人、勲官を授くるに合する者は、皆之に委ねて覆定し、然る後に奏擬す。
考功郎中
考功郎中は一員、従五品上。龍朔二年に司績大夫と改め、咸亨の初年に復す。考功員外郎は一員、従六品上。龍朔の時に司績員外郎と改め、咸亨の時に復す。主事は三人、従八品上。令史は十三人、書令史は二十五人、掌固は四人。郎中・員外郎の職は、内外の文武官吏の考課を掌る。凡そ考に応ずべき官家は、当年の功過行能を具に録し、本司及び本州の長官、衆に対し読み、其の優劣を議し、九等の考第と定め、各おの由る所の司に於て額に准じて校定し、然る後に省に送る。内外の文武官は、遠近を量りて之に程するに差有り、朝集使に附して簿を省に送る。毎年別勅を以て京官の位望高き者二人を定め、其の一人は京官の考を校し、一人は外官の考を校す。又た給事中・中書舎人各一人を定め、其の一人は京官の考を監し、一人は外官の考を監す。郎中は京官の考を判じ、員外は外官の考を判ず。其の検覆同じき者は、皆功過を以て上使に上る。京官は則ち考に応ずる人を集めて対読し註定し、外官は朝集使に対し註定す。凡そ考課の法に、四善有り。一に曰く、徳義聞こゆる有り。二に曰く、清慎明らかに著る。三に曰く、公平称す可し。四に曰く、恪勤懈まず。善状の外に、二十七最有り。其の一に曰く、献可替否し、遺を拾い闕を補い、近侍の最と為す。其の二に曰く、人物を銓衡し、才良を擢ぎ尽くし、選司の最と為す。其の三に曰く、清を揚げ濁を激し、褒貶必ず当たり、考校の最と為す。其の四に曰く、礼制儀式、動きて経典に合し、礼官の最と為す。其の五に曰く、音律克く諧い、節奏を失わず、楽官の最と為す。其の六に曰く、決断滞らず、与奪理に合し、判事の最と為す。其の七に曰く、都統方有り、警守失い無く、宿衛の最と為す。其の八に曰く、兵士調習し、戎装充備し、督領の最と為す。其の九に曰く、推鞫情を得、処断平允、法官の最と為す。其の十に曰く、讎校精審、明らかに刊定と為し、校正の最と為す。其の十一に曰く、旨を承け敷奏し、吐納明敏、宣納の最と為す。其の十二に曰く、訓導方有り、生徒業に充つ、学官の最と為す。其の十三に曰く、賞罰厳明、攻戦必ず勝ち、将帥の最と為す。其の十四に曰く、礼義興行し、所部を肅清し、政教の最と為す。其の十五に曰く、詳録典正、辞理兼ね挙げ、文史の最と為す。其の十六に曰く、訪察精審、弾挙必ず当たり、糾正の最と為す。其の十七に曰く、勘覆に明らかにし、稽失隠す無く、勾検の最と為す。其の十八に曰く、職事修理し、供承強く済し、監掌の最と為す。其の十九に曰く、功課皆充ち、丁匠怨み無く、役使の最と為す。其の二十に曰く、耕耨時に以てし、収穫課を成し、屯官の最と為す。其の二十一に曰く、蓋蔵に謹み、出納に明らかにし、倉庫の最と為す。其の二十二に曰く、推歩盈虚、理を究めて精密、暦官の最と為す。其の二十三に曰く、占候医卜、効驗多く居り、方術の最と為す。其の二十四に曰く、譏察方有り、行旅壅ぐ無く、関津の最と為す。其の二十五に曰く、市廛擾さず、奸濫作さず、市司の最と為す。其の二十六に曰く、牧養肥碩、蕃息孳多く、牧官の最と為す。其の二十七に曰く、邊境肅清、城隍修理、鎮防の最と為す。一最以上有り、四善有れば、上上と為す。一最以上有り、三善有れば、或は最無くして四善有れば、上中と為す。一最以上有り、二善有れば、或は最無くして三善有れば、上下と為す。一最以上有り、而して一善有れば、或は最無くして二善有れば、中上と為す。一最以上有り、或は最無くして一善有れば、中中と為す。職事粗く理まり、善最聞こえざれば、中下と為す。愛憎情に任せ、処断理に乖けば、下上と為す。
公に背き私に向かい、職務廃闕すれば、下中と為す。官に居り諂詐、貪濁状有れば、下下と為す。若し善最の外に於て、別に尚ぶ可き有り、及び罪殿を成すと雖も、情状矜む可き有り、殿を成さずと雖も、而して情状責む可き有る者は、省校の日、皆考官の臨時に量定するを聴す。内外の官、見任より別官に改まる者は、其の年の考は日に従い申校し、百司は其の閑劇を量り、諸州は其の上下に拠る。進考の人には、皆定限有り、苟も其の功無ければ、数に充つるを要せず。功限を過ぐれば、亦た量進するを聴す。其の流外の官は、本司其の行能功過を量り、四等の考第を立てて之を勉進す。凡そ親勲翊衛は、皆考第有り。考第の中に、略三等有り。衛の主帥は、三衛の考の如し。其の監門・校尉・直長は、主帥の考の如し。凡そ諡議の法は、古の通典、皆其の事を審らかにし、以て旌別と為す。
戸部
戸部尚書
戸部尚書は一員、正三品。隋では民部尚書と為し、貞観二十三年に戸部と改む。明慶元年に度支と改め、龍朔二年に司元太常伯と改め、光宅元年に地官尚書と改め、神龍の時に戸部と復す。侍郎は二員。正四品下。隋已来名位を改易するに因るも、皆隋の尚書なり。尚書・侍郎の職は、天下の田戸・均輸・銭穀の政令を掌り、其の属に四有り。一に曰く戸部、二に曰く度支、三に曰く金部、四に曰く倉部。其の職務を総べ、而して其の制命を行ふ。凡そ中外百司の事、所属に由る者は、皆之を質正す。
戸部郎中
郎中二員は従五品上。員外郎二員は従六品上。郎中・員外郎は、隋代以来、担当する曹司に従って改易される。主事四人は従九品上。令史十五人、書令史三十四人、亭長六人、掌固十人。郎中・員外郎の職掌は、戸口・井田の事柄を分掌して処理することである。天下の十道において、その土地の産物に応じて、貢賦の等級を定める。天下の州府は三百十五あり、羈縻の州はおよそ八百に及ぶ。四万戸以上を上州とし、二万戸以上を中州とし、満たざるを下州とする。三都の県は、都城内を京県と称し、城外を畿県と称し、また望県は八十五ある。その他は六千戸以上を上県とし、二千戸以上を中県とし、一千戸以上を中下県とし、一千戸に満たざるは皆下県とする。天下の戸数は八百一万八千七百十、口数は四千六百二十八万五千百六十一。百戸を里とし、五里を郷とする。両京及び州県の城郭内は坊に分け、郊外は村とする。里及び坊・村には皆正を置き、監督巡察を司る。四家を鄰とし、五鄰を保とする。保には長を置き、互いに禁約させる。男女は、生まれてを黄とし、四歳を小とし、十六歳を中とし、二十一歳を丁とし、六十歳を老とする。毎年、計帳を作成する。三年ごとに戸籍を作成する。県は戸籍を州で完成させ、州は省で完成させ、戸部が総括して管轄する。天下の戸は、その資産を量って九等に定め、戸等を定めるのは仲年、戸籍を作成するのは季年とする。州県の戸籍は常に五比を留め、省の戸籍は九比を留める。戸が二箇所に籍を有する者は、まず辺州を定めとし、次に関内、次に軍府州とする。もし同等の場合は、それぞれその先に籍を置いた方に従う。楽住の制は、狭郷に居住する者は寛郷への移住を許し、遠方に居住する者は近隣への移住を許し、軽い役務の地に居住する者は重い役務の地への移住を許す。天下の四民を弁別し、それぞれその業に専念させる。文・武を学ぶ者は士とし、耕作・養蚕に力を尽くす者は農とし、器物を作る巧みな者は工とし、屠畜・売酒・商売に従事する者は商とする。工商の家は士に参与することを得ず、俸禄を受ける者は下民の利益を奪うことを得ず。天下の田は、五尺を歩とし、歩二百四十を畝とし、畝百を頃とする。その肥沃・瘠薄・広狭を測り、それによって人を居住させる。田を給付する制度には差等があり、園宅の地もまたこれに同じ。口分田を給付するには、皆便利で近い所からとする。城郭に居住する者で本県に田がない者は、隣県を隔てて給付授与する。収授すべき田は、皆十月に始まり、十二月に終わる。田を授けるには、課役のある者を先にし、ない者を後にし、貧しい者を先にし、富める者を後にし、人口の多い者を先にし、少ない者を後にする。州県の管轄区域内で、受田がすべて充足している所を寛郷とし、不足している所を狭郷とする。官人及び勲功ある者には永業田を授ける。天下の諸州には公廨田があり、諸州及び都護府の官人には職分田がある。賦役の制度は四つある。一を租と曰い、二を調と曰い、三を役と曰い、四を雑徭と曰う。課戸の丁ごとに租として粟二石を納める。その調は、郷土の産物に従い綾・絹・絁を各二丈、布は五分の一を加える。綾・絹・絁を納める者は綿三両を、布を納める者は麻三斤を加える。皆、印を押して記す。丁は毎年二十日の役に服し、役事がなければその庸を徴収し、一日あたり三尺とする。役事があって加役する者は、十五日で調を免じ、三十日で租・調ともに免ずる。庸・調の物品は、仲秋に徴収し、季秋に州から発送する。租は州土の収穫の早晚に準じ、事情を量って徴収する。仲冬から輸送を始め、孟春に納入を終える。本州で納入する者は季冬に終える。諸国の蕃胡で内附した者も、九等に定める。嶺南諸州の税米及び天下諸州の税銭は、それぞれ一定の常例がある。丁戸には皆、優免・復除・蠲免の制度がある。孝子・順孫・義夫・節婦で志行が郷里に聞こえる者は、州県が省に申し上げて奏聞し、その門閭を表彰する。
同籍の者は全て課役を免ずる。精誠が天に通じて応験がある者は、さらに優れた賞を与える。京司の文武職事官には皆、防閣が付く。州県の官僚には皆、白直が付く。州県の官及び在外の監官には皆、執衣が付く。諸親王府の属官には、皆、士力を給し、その品数は白直と同じである。功績ある臣で実封を賜わる者は、皆、課戸をもって充てる。食封は皆、子孫に伝える。庶民で八十歳及び篤疾の者には侍丁一人を給し、九十歳には二人を、百歳には三人を給する。天下の朝集使は皆、十月二十五日に京師に至り、十一月一日に戸部が引見を終えた後、尚書省で群官と礼見し、それから考堂に集まり、考績の事に応ずる。元日には、その貢物を篚に入れて殿廷に陳列する。京都の諸県令は、毎季一度朝参する。
度支郎中
度支郎中一員は従五品上。龍朔年間に司度大夫と改称し、咸亨年間に復旧した。員外郎一員は従六品上。主事二人は従九品上。令史十六人、書令史三十三人、計史一人、掌固四人。郎中・員外郎の職掌は、天下の租賦の多少の数、物産の豊富・簡約の適宜、水陸の道途の利便を判決することである。毎年、その産出を計算してその費用を量り、転運・徴収・送納は皆、規定の行程に準じてその遅速を調節する。和糴・和市は皆、その価格の高低を量り、天下の貨物を均しくして、人々に利するようにする。金銀・宝貨・綾羅の類は、皆、庸・調を折納して造る。天下の舟車による水陸の運送は、皆、運賃を定め、軽重・貴賤・平坦・険阻によって制度を設ける。天下の辺軍には支度使を置き、軍資・糧食・兵器の費用を計算する。毎年の費用は皆、度支に申し出て会計し、長行旨を基準とする。
金部郎中
金部郎中は一員、従五品上。龍朔年間には司珍大夫と改称し、咸亨年間に復した。員外郎は一員、従六品上。主事は三人、従九品上。令史は八人、書令史は二十一人、計史は一人、掌固は四人。郎中・員外郎の職掌は、天下の庫蔵の銭帛出納の事を判じ、その節制を頒ち、その簿領を司る。凡そ度は、北方の秬黍の中者を以て一黍の広さを分とし、十分を寸とし、十寸を尺とし、一尺二寸を大尺とし、十尺を丈とする。凡そ量は、秬黍の中者を以て一千二百を容るるを龠とし、二龠を合とし、十合を升とし、十升を斗とし、三斗を大斗とし、十斗を斛とする。凡そ権衡は、秬黍の中者を以て百黍の重さを銖とし、二十四銖を両とし、三両を大両とし、十六両を斤とする。凡そ秬黍を積みて度量権衡となすものは、鐘律を調べ、晷景を測り、湯薬を合わせ、及び冠冕の制に用いる。内外の官私、悉く大者を用いる。凡そ庫蔵の出納は、皆文榜を行い、季終にこれを会する。若し命を承けて出納するは、則ち中書・門下省において覆してこれを行う。百司応に月俸を請う、符牒到れば、所由皆遞に覆してこれを行い、乃ち木契を置き、応に出づる物の司と相合わす。凡そ官私互市は、物数に制あり。凡そ縑帛の類は、長短・広狭・端疋・屯綟の差あり。凡そ十段を賜うは、その率は絹三疋、布三端、綿三屯。若し雑彩十段は、則ち絲布二疋、{{PUA|〓}}二疋、綾二疋、縵四疋。若し蕃客に錦彩を賜うは、率十段は則ち錦一張、綾二疋、縵三疋、綿四屯。凡そ使を遣わして囚を覆すは、則ち時服を給す。若し諸使二年を経て還らずは、亦たこれの如し。凡そ時服一具と称するは、全くこれを給し、一副と称するは、減じてこれを給す。正冬の会、束帛差ありと称するは、皆絹を賜い、五品已上は五疋、六品已下は三疋、命婦はその夫・子に視る。
倉部郎中
倉部郎中は一員、従五品上。龍朔年間には司度大夫と改称し、咸亨年間に復した。員外郎は一員、従六品上。主事は三人、従九品上。令史は九人、書令史は二十人、計史は一人、掌固は四人。郎中・員外郎の職掌は、天下の倉儲を判じ、租税を受納し、禄廩を出給する事を掌る。凡そ中外の文武官、品秩差あり、歳に再びこれを給す。乃ち木契一百枚を置き、以て出給の司と合わす。諸司の官人及び諸色の人食を給すべき者は、皆米を給す。凡そ致仕の官、五品已上及び官を解きて侍に充つる者は、各半禄を給す。即ち官を遷す者は、前禄を通計し、以て後の数に充つ。凡そ都の東の租は含嘉倉に納め、含嘉より転運して以て京の太倉を実たす。洛より陝に至るを陸運とし、陝より京に至るを水運とし、使を置き、監を以てこれに充つ。凡そ王公已下、毎歳の田苗、皆簿書あり。凡そ義倉は以て歳の不足に備え、常平倉は以て貴賤を均しうるなり。
禮部
禮部尚書
禮部尚書は一員、正三品。隋の旧制。龍朔年間に司禮太常伯と改め、光宅年間に春官尚書と改め、神龍年間に復した。侍郎は一員。正四品下。名は随曹の改易に因る。尚書・侍郎の職掌は、天下の禮儀・祭享・貢挙の政令を掌る。その属は四あり:一に禮部、二に祠部、三に膳部、四に主客。その職務を総べ、その制命を行く。凡そ中外百司の事、所属によるは、皆質正す。凡そ挙試の制、毎歳仲冬、率ね計偕とす。その科は六あり:一に秀才、方略策五条を試む。この科は人を取る稍峻し、貞觀已後遂に絶つ。二に明經、三に進士、四に明法、五に書、六に算。凡そこの六科、人を求むるの本は、必ず精に理実を究めて、第を升るを取る。その博綜兼学する有るは、須らく甄奨を加うべく、常科を以て限るべからず。その弘文・崇文館の学生は、明經・進士と同じくすと雖も、その資廕全く高きを以て、文義に粗通するを試み取る。その郊社齋郎の簡試は、太廟齋郎の如し。その国子監大成十二員は、明經及び第の人聰明灼然なる者を取り、日に千言を誦するを試み、並びに口試し、仍ち習う所の業を策し、十条七通して、然る後に補充す。各散官を授け、旧令に依り学内に習業せしめ、四経を通ずるを限とす。
禮部郎中
郎中一員は従五品上。員外郎一員は従六品上。隋では儀曹郎と称し、武徳に礼部郎中員外と改め、龍朔に司礼大夫・司礼員外とし、咸亨に復した。主事二人は従八品上。令史五人、書令史十一人、亭長六人、掌固八人。郎中・員外郎の職は、尚書・侍郎を補佐し、その儀制を挙げて名数(名目と数量)を弁ずることを掌る。凡そ五礼の儀は百五十有二。一に吉礼と曰い、その儀五十有五。二に賓礼と曰い、その儀六あり。三に軍礼と曰い、その儀二十有三。四に嘉礼と曰い、その儀五十。五に凶礼と曰い、その儀一十有八。凡そ元日には、含元殿に大陳設し、袞冕を服して軒に臨み、宮懸の楽を展べ、歴代の宝玉・輿輅を陳べ、黄麾仗を備え、二王の後及び百官・朝集使・皇親は、皆朝服を着て陪位す。大会の日は、陳設は初めの如し。凡そ冬至には、大陳設は元正の儀の如し。その異なる者は、諸州の表奏・祥瑞・貢献無きことなり。凡そ元正・冬至大会の明日には、百官・朝集使等は皆東宮に詣でて慶賀す。凡そ千秋節には、楼に御して九部の楽を設け、百官は袴褶を着て陪位す。凡そ京司の文武職事官、九品以上は、毎月朔・望に朝参す。五品以上及び供奉官・員外郎・監察御史・太常博士は、毎日参す。凡そ諸蕃国来朝するには、皆宮懸の楽及び黄麾仗を設く。もし蕃国の使ならば、則ち黄麾の半を減ず。凡そ皇后・太子・太子妃・諸王・諸王妃・公主を冊するには、皆軒に臨んで冊命し、陳設は冬・正の儀の如し。事畢われば、皆太廟に拝す。凡そ祥瑞は、皆その名物を弁ず。大瑞・上瑞・中瑞あり、皆等差あり。凡そ太陽虧けるには、所司預め奏し、その日五鼓・五兵を太社に置き、而して事を視ず。百官は各素服を着て本司を守り、事を聴かず。時を過ぎて乃ち罷む。月蝕すれば、則ち鼓を所司に於いて撃つ。もし五嶽・四鎮・四瀆崩竭すれば、皆三日事を視ず。凡そ二分の月には、三公山陵を巡行すれば、則ち太常卿之が副と為る。凡そ百官の拝礼は、各差あり。致敬の士にして、もし連属せず、応に敬うべき官相見ゆるか、或いは自ら親戚なる者は、各その私礼に従う。凡そ楽には、五声・八音・六律・六呂あり、四懸の度を陳べ、二舞の節を分ち、以て人倫を和し、以て節気を調え、以て鬼神を享け、以て賓客を序す。凡そ私家は鐘磬を設くることを得ず。三品以上は、女楽を備うることを得。五品の女楽は三人を過ぐること不得。大功以上の喪に居り、冊を受け及び官に之くには、鼓有りと雖も皆銅印を給し、魚符の制あり。並びに門下省より出づ。凡そ服飾は黄を尚び、旗幟は赤を尚ぶ。天子・皇后・太子以下の服は、事『輿服志』に在り。凡そ百僚の冠笏・傘幌・珂珮は、各差あり。常服も亦之の如し。凡そ凶服は、公門に入らず。凡そ都督・刺史を授くるに階未だ五品に入らざる者は、並びに緋を着け珮魚することを聴し、離任すれば則ち停む。凡そ文武官朝に赴き府に詣づるには、導従各差あり。凡そ職事官薨卒するには、賻贈・柳翣・碑碣あり、各制度あり。
祠部郎中
祠部郎中一員は従五品上。龍朔に司禋大夫と為り、咸亨に復す。員外郎一員は従六品上。主事二人は従九品上。令史五人、書令史十一人、亭長六人、掌固八人。郎中・員外郎の職は、祠祀・享祭・天文・漏刻・国忌・廟諱・卜筮・医薬・僧尼の事を掌る。凡そ祭祀の名四あり。一に天神を祀ると曰い、二に地祇を祭ると曰い、三に人鬼を享けると曰い、四に先聖先師に釈奠すと曰う。その差三あり。若し昊天上帝・皇地祇・州・宗廟は大祀と為す。天地を祀るには皆祖宗を以て配享す。日月星辰・社稷・先代帝王・嶽鎮海瀆・帝社・先蠶・孔宣父・斉太公・諸太子廟は中祀と為す。司中・司命・風師・雨師・衆星・山林・川沢・五龍祠等、及び州県の社稷・釈奠は小祀と為す。大祀には、皇帝親祭すれば、則ち太尉は亜献と為り、光禄卿は終献と為る。もし有司事を摂すれば、則ち太尉は初献と為り、太常卿は亜献と為る。凡そ大祀には、散斎四日、致斎二日。小祀には、散斎二日、致斎一日。皆祀前に礼を習い、沐浴し、並びに明衣を給す。凡そ官爵二品以上は、四廟を祠る。五品以上は、三廟を祠る。六品以下庶人に達するは、祖禰を祭るのみ。凡そ国に封禅の礼あれば、則ち円丘方沢の神位に依る。凡そ天下の寺は定数あり、毎寺三綱を立て、行業高き者を以て充つ。諸州の寺総五千三百五十八所、三千二百三十五所は僧、二千一百二十二所は尼。毎寺上座一人、寺主一人、都維那一人。凡そ僧の簿籍は、三年に一たび造る。凡そ別勅にて斎を設くるには、応に行道し並びに官料を給す。凡そ国忌日には、両京の大寺各二、以て僧尼を散斎す。文武五品以上、清官七品以上は皆集まり、行香して退く。天下の州府も亦然り。凡そ遠忌日には、雖も務を廃せず、然れども軍務急迫ならざれば、亦事を挙げず。余は常式の如し。
膳部郎中
膳部郎中一員は従五品上。龍朔に司膳大夫と為り、咸亨に復す。員外郎一員は従六品上。主事二人は従九品上。令史四人、書令史九人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、邦の祭器・牲豆・酒膳を掌り、その品数を弁じ、及び蔵冰・食料の事を掌る。
主客郎中
主客郎中一員は従五品上。隋では司蕃郎と曰い、武徳に主客郎中と改め、龍朔に司蕃大夫と為り、咸亨に復す。員外郎一員は従六品上。主事二人は従九品上。令史四人、書令史九人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、二王の後及び諸蕃の朝聘の事を掌る。二王の後は、酅公・介公。凡そ四蕃の国。朝貢を経た後に、自ら相誅絶し、及び罪有りて滅ぶ者、凡そ三百余国。今存する所は、七十余蕃。その朝貢の儀、享宴の数、高下の等、往来の命は、皆鴻臚の職に載す。
兵部
兵部尚書
兵部尚書は一員、正三品。南朝ではこれを五兵尚書と謂い、隋では兵部尚書と曰う。龍朔年間に司戎太常伯と改め、咸亨年間に復した。侍郎は二員。正四品下。龍朔年間に司戎少常伯と為し、咸亨年間に復した。尚書・侍郎の職は、天下の武官の選授及び地図と甲仗の政令を掌る。その属するもの四あり。一は兵部、二は職方、三は駕部、四は庫部。その職務を総べ、その制命を行ふ。凡そ中外百官の事、所属によるものは、皆質正す。凡そ選授の制は、毎年孟冬に集まる。王城より五百里以上は上旬、千里の内は中旬、千里の外は下旬。尚書・侍郎は三銓に分かる。尚書は中銓と為し、侍郎は東西に分つ。凡そ試能に五あり。五とは長垛・馬歩射・馬槍・歩射・応対を謂ふ。互いに優長あれば、即ちこれを取るべし。較異に三あり。三とは驍勇・材芸及び統領の用と為すべきを謂ふ。その功能を審らかにして、その留放を定む。以て才芸を録し、軍国に備へ、虚冒を弁じ、勲労を叙する所以なり。然る後にその資労に拠り、量りて注擬す。五品已上は中書門下に送り、六品已下は資を量りて註定す。その軍鎮の要籍に在る者は、選に赴くことを得ず、節度使に委ねてその等第を銓試し省に申す。凡そ官階の注擬・団甲・進甲は、皆吏部の制の如し。凡そ大選は、季春の月に終る。以て資叙の浅深を約し、才略の優劣を審らかにす。軍国の用、此に在り。
兵部郎中
郎中は二員、従五品上。龍朔年間に司戎大夫と為し、咸亨年間に復す。員外郎二人、従六品上。主事四人、従八品下。令史三十人、書令史六十人、亭長八人、掌固十二人。郎中一員は帳を判じ及び天下の武官の階品、衛府の名数を掌る。凡そ階を叙すること二十九あり。将軍の階。叙目に具す。凡そ階を叙するの法は、一に文散官の制の如し。凡そ天下の府、五百九十有四、上中下あり、並びに諸衛の職に載す。凡そ宿衛官に応ずる者は、各番第に従ふ。凡そ千牛備身左右及び太子千牛備身は、皆三品已上職事官の子孫、四品清官の子、儀容端正、武芸称すべき者を取りて充つ。五考、本司文武に随ひ簡試し選を聴す。四品とは、諸司の侍郎・左右庶子を謂ふ。凡そ殿中省の進馬は、左右衛の三衛及び高廕を取り、儀容観るべき者を簡びて補充し、簡試は千牛の例に同じ。僕寺の進馬も亦之の如し。五品已下、七品已上は、五年、多きは八年に至り、年満ちて簡びて吏部に送る。第せざる者は、初めの如し。文無き者は、武選を以てするを聴す。凡そ左右衛の親衛・勲衛・翊衛、及び左右率府の親勲翊衛、及び諸衛の翊衛を通じて三衛と謂ふ。その資廕高き者を択びて親衛と為し、その次ぎの者を勲衛及び率府の親衛と為し、又その次ぎの者を翊衛及び率府の勲衛と為し、又その次ぎの者を諸衛及び率府の翊衛と為し、又その次ぎの者を親王府の執仗乗と為す。遠近を量りてその番第を定む。補ふに応ずる人、周親已上に刑戮を犯す者有れば、兵部の上下に配す。凡そ諸衛及び率府の三衛、京兆・河南・蒲・同・華・岐・陝・懷・汝・鄭等州に貫く者は、皆番上を令す。余州は皆資を納む。凡そ左右衛の三衛は、五仗に分かる。凡そ王公已下は、皆親事帳内有り、年十八已下に限り、諸州の率を挙げて万人を以て之を充つ。皆十周年に限り、則ちその簡試を聴す。文理高き者は吏部に送り、その余は本司に留め、全く下る者は本色に退還す。凡そ兵士衛に隷するものは、各その名有り。左・右衛は驍騎と曰ひ、左・右驍衛は豹騎と曰ひ、左・右武衛は熊渠と曰ひ、左・右威衛は羽林と曰ひ、左・右領軍衛は射声と曰ひ、左・右金吾衛は佽飛と曰ふ。東宮左・右衛率府は超乗と曰ひ、左・右司禦率府は旅賁と曰ひ、左・右清道率府は直蕩と曰ふ。総名して衛士と曰ふ。皆六品已下の子孫、及び白丁にして職役無き者を取りて点充す。凡そ三年に一たび簡点し、成丁して入り、六十にして免ず。その遠近を量りて番第を定む。凡そ衛士は、各名簿を立てる。その三年已来の征防差遣に就き、仍優劣を定めて三第と為す。毎年正月十日に本府に送り印記し、仍一道を録して本衛府に送る。若し差行上番有らば、折衝府は簿に拠りて之を発す。凡そ衛士を差して征戍鎮防するも、亦団伍有り。その弓馬に善き者を越騎団と為し、余を歩兵団と為し、主帥已下之を統領す。火十人に、六馱馬有り。若し父兄子弟は、並びに之を遣さず。若し祖父母老疾にして、家に兼丁無くば、征行及び番上を免ず。その居常には則ち皆射を習ひ、大角歌を唱ふ。番集の日には、府官率ひて課試す。凡そ左・右金吾衛には角手有り、諸衛には駑手有り、左・右羽林軍には飛騎及び左右万騎・彍騎有り。天下の諸軍には健児有り。皆その名籍を定め、毎季中書・門下に上る。凡そ関内には団結兵有り、秦・成・岷・渭・河・蘭の六州には高麗羌兵有り。黎・雅・邛・翼・茂の五州には鎮防団結兵有り。天下
諸州の差失を募り、戸殷にして丁多く、人材驍勇なる者を取り、前資官・勳官のうち部分強明にして統攝に堪える者を選び、節級を以て擢補して主帥とし、以て之を領せしむ。其の義征する者は、別に行伍を為し、募人の營に入れず。凡そ軍行の器物は、皆當州に於いて分けて之を給す。如し足らざれば、以て自備せしめ、貧富必ず以て均しからしむ。凡そ諸州軍府の行兵に應ずる名簿、器物の多少は、皆兵部に申す。軍散の日も亦其の存亡多少を錄し、以て申して而して之を勘會す。凡そ諸道の回兵糧Яの物、衣資の費は、皆所在の州縣に令して分けて之を給せしむ。郎中一人は簿を判じ、以て軍戎差遣の名數を總ぶ。凡そ天下の節度使八有り、若し諸州節度内に在る者は、皆節度を受く。其の福州經略使、登平州海軍は、則ち節度の内に在らず。節度の名と管する所の軍鎮の名は、並びに『地理志』に見ゆ。凡そ親王戎を總ぶるを、元帥と曰ひ、文武官總統する者は、則ち總管と曰ふ。奉使を以て之を言へば、則ち節度使と曰ひ、大使・副使・判官有り。若し大使旌節を加へて以て軍を統べ、木契を置きて以て行はしむ。凡そ將帥出行し、兵一萬人已上滿つれば、長史・司馬・倉曹兵曹胄曹等參軍各一人を置く。五千人已上は、司馬を減ず。諸軍各使一人を置き、五千人已上は副使一人を置き、一萬人已上は營田副使一人を置く。每軍各倉・兵・胄の三參軍有り。其の橫海・高陽・唐興・恆陽・北平の五軍は、皆本州刺史を以て使と為す。凡そ鎮には、皆使一人、副使一人有り。萬人已上は、司馬・倉兵二曹參軍を置く。五千人已下は、司馬を減ず。凡そ諸軍鎮は、每五百人に押官一人を置き、千人に子總官一人を置き、五千人に總管一人を置く。凡そ諸軍鎮使・副使已上は、皆四年一替;總管已下は、二年一替;押官は兵に隨ひて交替す。凡そ諸軍鎮大使・副使已下は、皆傔人・別奏有り、以て之に從ふ。凡そ三京に幸するに、即ち東都南・北衛に、皆左・右屯營を置き、別に使を立てて以て之を統ぶ。若し都に在らば、則ち京城も亦之の如し。凡そ大將出征するは、皆廟に告げて鉞を授け、齊太公廟に辭し訖りて、家に宿せず。軍に臨み寇に對し、士卒命を用ひざれば、並びに其の罰を專行するを得。既に捷し、及び軍未だ散ぜざるに、皆眾を會して勞を書し其の費用と與にし、乃ち太廟に告ぐ。元帥凱旋の日は、皆郊勞せしむ。有司先づ太廟に捷を獻じ、又齊太公廟に告ぐ。員外郎一人は貢舉及び雜請の事を掌る。凡そ貢舉は、每歲孟春、亦計偕と與にする。二科有り:一に平射と曰ひ、二に武舉と曰ふ。凡そ科の優劣、勳獲の等級は、皆其の實を審にして敘を受く。員外郎一人は南曹を判ずるを掌る。每歲選人に、解狀・簿書・資歷・考課有り。必ず之に由りて其の實を核し、乃ち三銓に上る。甲を進むれば則ち之に署す。
職方郎中
職方郎中一員、從五品上。龍朔に司域大夫と為す。員外郎一員、正六品上。主事二人、從九品上。令史四人、書令史九人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、天下の地圖及び城隍・鎮戍・烽堠の數を掌り、其の邦國都鄙の遠近を辨じ、及び四夷の歸化を辨ず。凡そ五方の區域、都邑の廢置、疆埸の爭訟する者は、舉げて之を正す。凡そ天下の上鎮二十、中鎮九十、下鎮一百三十五。上戍十有一、中戍八十六、下戍二百四十五。凡そ烽堠の置く所は、大率相去ること三十里。其の邊境に逼る者は、城を築きて之を置く。每烽に帥一人、副一人を置く。凡そ州縣の城門及び倉庫の門は、須らく備守有るべし。
駕部郎中
駕部郎中一員、從五品上。龍朔に司輿大夫と為す。員外郎一人、從六品上。主事三人、從九品上。令史十人、書令史二十人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、邦國の輿輦・車乘・傳驛・廄牧・官私の馬牛雜畜の簿籍を掌り、其の出入を辨じ、其の名數を司る。凡そ三十里に一驛、天下の驛凡そ一千六百三十九、而して監牧六十有五、皆分使して之を統ぶ。若し畜養の宜、孳生の數は、皆太僕の職に載す。凡そ諸衛に承直の馬有り、凡そ諸司に備運の牛有り、皆其の制を審にして以て數を定む。
庫部郎中
庫部郎中一員、從五品上。龍朔に司庫大夫と為す。員外郎一員、從六品上。主事二人、從九品上。令史七人、書令史十五人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、邦國軍州の戎器・儀仗を掌る。凡そ元正・冬至の陳設、並びに祠祭喪葬の貢する所の物は、皆其の出入の數を辨じ、其の繕造の功を量り、以て分けて給す。
刑部
刑部尚書
刑部尚書一員、正三品。隋初に都官尚書と改め、又刑部と改む。龍朔に司刑太常伯と改め、光宅に秋官尚書と改め、神龍に復す。侍郎一員。正四品下。龍朔に司刑少常伯と為す。尚書・侍郎の職は、天下の刑法及び徒隸・勾覆・關禁の政令を掌る。其の屬四有り:一に刑部と曰ひ、二に都官と曰ひ、三に比部と曰ひ、四に司門と曰ふ。其の職務を總べ、而して其の制命を行ふ。凡そ中外百司の事、屬する所に由る者は、皆質正す。
刑部郎中
郎中二員、従五品上。隋では憲部郎と称し、武徳年間に刑部郎中と為し、龍朔年間に司刑大夫と改む。員外郎二員、従六品上。主事四人、従九品上。令史十九人、書令史三十八人、亭長六人、掌固十人。郎中・員外郎の職は、尚書・侍郎を貳け、その典憲を挙げ、その軽重を弁ずるを掌る。凡そ文法の名に四つ有り。一に律と曰い、二に令と曰い、三に格と曰い、四に式と曰う。凡そ律は、十有二章有り。一は名例、二は禁衛、三は職制、四は戸婚、五は廐庫、六は擅興、七は賊盗、八は斗訟、九は詐偽、十は雑律、十一は捕亡、十二は断獄、而して大凡そ五百条。令は、二十有七篇有り、三十巻に分つ。第一より第七までを官品職員と曰い、八は祠、九は戸、十は選挙、十一は考課、十二は宮衛、十三は軍防、十四は衣服、十五は儀制、十六は鹵簿、十七は公式、十八は田、十九は賦役、二十は倉庫、二十一は廐牧、二十二は関市、二十三は医疾、二十四は獄官、二十五は営繕、二十六は喪葬、二十七は雑令、而して大凡そ一千五百四十六条。凡そ格は、二十四篇。式は、三十三篇。尚書・御史台・九寺・三監・諸軍を目と為す。凡そ律は、以て刑を正し罪を定む。令は、以て範を設け制を立つ。格は、以て違を禁じ邪を正す。式は、以て物を軌し事を程す。乃ち刑名の制五つを立つ。一に笞、二に杖、三に徒、四に流、五に死。笞刑五、杖刑五、徒刑五、流刑三、死刑二。而して断獄の大典に、十悪・八議・五聴・六贓有り。贖配の典は、具に『刑法志』に在り。凡そ死刑を決するは、皆中書門下に於いて詳覆す。凡そ死罪は、枷にして杻す。婦人及び流徒は、枷にして杻さず。官品及び勲散の階第七已上は、鎖にして枷せず。在京の諸司は、則ち徒已上は大理に送り、杖已下は当司之を断ず。若し金吾糾獲するも、亦大理に送る。凡そ大辟罪を決するは、在京の者は、行決の司、皆五覆奏す。在外の者は、刑部三覆奏す。若し悪逆已上を犯し、及び部曲奴婢主を殺す者は、一覆奏す。凡そ京城囚を決するの日は、膳を減じ楽を徹す。毎歳立春後より秋分に至るまで、死刑を決するを得ず。大祭祀及び致斎・朔望・上下弦・二十四気・雨未だ晴れず・夜未だ明けず・断屠月日及び休假も、亦之の如し。凡そ流罪已下を犯し、官を除免すべき者。未だ奏せざるに当たり、身死する者は、其の追奪を免ず。流移の人は、皆妻妾を棄放し、及び私に遁れて郷に還ることを得ず。六載に至り、然る後に仕を聴す。即ち本犯流すべからずして特めに配流する者は、三載已後に仕を聴す。其の徒に応ずる者は則ち皆配して居作せしむ。凡そ囚を禁ずるは、五日に一たび慮す。凡そ獄を鞫る官と被鞫人と親属仇嫌有る者は、皆更えしむるを聴す。凡そ在京諸司見禁の囚は、毎月二十五日已前に、本司其の犯す所及び禁時の月日を録し、以て刑部に報ず。凡そ国に赦宥の事有れば、先ず囚徒を闕下に集め、衛尉をして金鶏を樹てしめ、制を宣するを待ち訖りて、乃ち之を釈す。
都官郎中
都官郎中一員、従五品上。龍朔年間に司僕大夫と改め、咸亨年間に復す。員外郎一員、従六品上。主事二人、従九品上。令史発人、書令史十二人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、役隸を配し、隸俘囚の簿を以て衣糧薬療を給し、以て訴競を理し冤を雪ぐを掌る。凡そ公私良賤は、必ず周く之を知る。凡そ反逆相坐するは、其の家を没して官奴婢と為す。一たび免れて蕃戸と為し、再び免れて雑戸と為し、三たび免れて良民と為す。皆赦宥の及ぶ所に因りて則ち之を免ず。年六十及び廃疾は、赦令該らずと雖も、亦並びに免れて蕃戸と為し、七十は則ち免れて良人と為し、楽む所の処に任せて之を編附す。凡そ初めに没せられて伎藝有る者は、各其の能に従い、而して諸司に配す。婦人工巧なる者は、掖庭に入る。其の余無能なるは、皆司農に隸す。
比部郎中
比部郎中一員、従五品上。龍朔年間に司計大夫と為す。員外郎一員、従六品上。主事二人、従九品上。令史十四人。書令史二十七人、計史一人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、諸司百僚の俸料・公廨・贓贖・調斂・徒役・課程・逋懸の数物を勾し、内外の経費を周知し、而して総べて之を勾するを掌る。凡そ内外官の料俸は、品第高下を以て差と為す。外官は州県府の上中下を以て差と為す。凡そ天下の戸銭を税し、以て州県官の月料に充つるは、皆公廨本銭の利を分つ。羈縻州の補する漢官は、当土の物を以て給す。関監の官は、品第を以て差と為す。其の給するは年支の軽貨を以てす。鎮軍司馬・判官の俸禄は、京官に同じ。鎮戍の官は、鎮戍の上中下を以て差と為す。凡そ京師に別に食本を借る有れば、毎季一たび省に申し、諸州は歳終に省に申し、比部総べて之を勾覆す。凡そ倉庫・出内・営造・傭市・丁匠・功程・贓贖・賦斂・勲賞・賜与・軍資・器仗・和糴・屯牧も、亦之を勾覆す。
司門郎中
司門郎中一員、従五品上。龍朔に司門大夫と曰う。員外郎一員、従六品上。主事二人、従九品上。令史六人、書令史十三人、掌固四人。郎中・員外郎の職は、天下諸門及び関の出入往来の籍賦を掌り、而して其の政を審にする。凡そ関二十有六有り、上中下の差と為す。京城四面の関に驛道有る者は、上関と為す。余の関に驛道有り及び四面驛道無き者は、中関と為す。他は皆下関と為す。関は以て中外を限り、華夷を隔て、険を設け固を作し、邪を閑り正を禁ずる所以なり。凡そ関は呵して征せず、貨賄の出入を司り、其の禁を犯す者は、其の貨を挙げ、其の人を罰す。凡そ関を度る者は、先ず本部本司に経て過所を請い、京に在れば則ち省之を給し、外に在れば則ち州之を給す。而して其の部に非ざると雖も、来文有る者は、所在亦之を給す。
工部
工部尚書
工部尚書一員、正三品。南朝に之を起部と謂う。営造有るは、則ち起部尚書を置き、畢れば則ち之を省す。隋初めに改めて工部尚書を置く。龍朔年間に司平太常伯と為し、光宅年間に冬官尚書と改め、神龍年間に旧に復す。侍郎一員。正四品下。龍朔年間に司平少常伯と為す。尚書・侍郎の職は、天下の百工・屯田・山澤の政令を掌る。其の属に四つ有り。一に工部、二に屯田、三に虞部、四に水部と曰う。其の職務を総べ、而して其の制命を行ふ。凡そ中外百司の事、所属に由るは、皆之を質正す。
工部郎中
郎中一員は従五品上である。龍朔年間に司平大夫と改称された。員外郎一員は従六品上である。主事二人は従九品上である。令史十二人、書令史二十一人、亭長六人、掌固八人を置く。郎中・員外郎の職掌は、営造・建設の諸務を掌ることである。凡そ城池の修浚、土木の繕葺、工匠の程式は、皆これを経度する。凡そ京師・東都に営繕あるときは、少府・将作に下して、以て其事を供せしむ。
屯田郎中
屯田郎中一員は従五品上である。龍朔年間に司田大夫と改称された。員外郎一員は従六品上である。主事二人は従九品上である。令史七人、書令史十二人、計史一人、掌固四人を置く。郎中・員外郎の職掌は、天下の屯田の政令を掌ることである。凡そ辺防鎮守にて転運給せざるときは、則ち屯田を設けて、以て軍儲を益す。其の水陸の腴瘠、播種の地宜、功庸の煩省、収率の等級は、皆これを取決す。諸屯田の役力は、各々程数有り。凡そ天下の諸軍州管る屯は、総て九百九十有二なり。大なる者は五十頃、小なる者は二十頃なり。凡そ当屯の中にて、地に良薄有り、歳に豊儉有り、各々三等と定む。凡そ屯には皆屯官・屯副有り。凡そ京の文武職事官は、職分田有り。京兆・河南府及び京県の官も、亦此に准ず。凡そ在京の諸司は、公廨田有り、皆其の品命を視て其の分給を審にす。
虞部郎中
虞部郎中一員は従五品上である。龍朔年間に司虞大夫と改称された。員外郎一員は従六品上である。主事二人は従九品上である。令史四人、書令史九人、掌固四人を置く。郎中・員外郎の職掌は、京城の街巷の種植、山沢苑囿、草木薪炭、供頓田獵の事を掌ることである。凡そ採捕漁獵は、必ず其の時を以てす。凡そ京兆・河南の二都、其の近きを四郊と為し、三百里内は皆弋獵採捕することを得ず。殿中・太僕の管る閑廄馬は、両都皆五百里内に其の芻槁を供す。其の関内・隴右・西使・南使の諸牧監の馬牛駝羊は、皆槁及び茭草を貯う。其の柴炭木橦、内に進め及び百官蕃客に供するは、並びに農隙を以て之を納む。
水部郎中
水部郎中一員は従五品上である。龍朔年間に司川大夫と改称された。員外郎一員は従六品上である。主事二人は従九品上である。令史四人、書令史九人、掌固四人を置く。郎中・員外郎の職掌は、天下の川瀆陂池の政令を掌り、以て溝洫を導達し、河渠を堰決することである。凡そ舟楫溉灌の利は、皆総べて之を挙ぐ。凡そ天下の水泉は、三億二万三千五百五十九なり。其の遐荒絶域に在るは、迨うべくして知る可からざるなり。其の江・河は、西極より東溟に達する、中国の大川なる者なり。其の余の百三十五水は、是れ中川と為す。其の又千二百五十二水は、斯れ小川と為す。若し渭・洛・汾・済・漳・淇・淮・漢の如きは、皆方域に互いに達し、舳艫を通済し、有るより無きに従い、生人に利する者なり。凡そ天下に造舟の梁四、河は則ち蒲津・大陽・河陽、洛は則ち孝義なり。石柱の梁四、洛は則ち天津・永済・中橋、灞は則ち灞橋なり。木柱の梁三、皆渭川にて、便橋・中渭橋・東渭橋なり。巨梁十有一、皆国工之を修む。其の余は皆管する州県の随時に営葺する所なり。其の大津に梁無きは、皆船人に給し、其の大小難易を量り、以て其の差を定む。
門下省
秦・漢初、侍中を置き、曾て台省の名無し。晋より始めて門下省を置き、南北朝皆之に因る。龍朔に東台と改め、光宅に鸞台と改め、神龍に復す。
侍中
侍中二員。隋は納言と曰い、又侍内と名づく。武徳は納言と為し、又侍中と改む。龍朔に東台左相と改め、光宅元年に納言と改め、神龍に侍中に復す。開元元年に黄門監と改め、五年に侍中に復す。天宝二年に左相と改む。至徳二年に復た侍中と改む。武徳令を定め、侍中は正三品、大暦二年十一月九日、正二品に昇る。旧制、宰相常に門下省に於いて事を議し、之を政事堂と謂う。永淳二年七月、中書令裴炎、中書の政事筆を執るを以て、遂に政事堂を中書省に移す。開元十一年、中書令張説、政事堂を中書門下と改め、其の政事印を、中書門下の印と改む。侍中の職掌は、帝命の出納を掌り、皇極を緝熙し、吏職を総典し、礼儀を賛相し、以て万邦を和し、以て庶務を弼け、所謂天子を佐けて大政を統ぶる者なり。凡そ軍国の務は、中書令と参じて之を総べ、坐して之を論じ、挙げて之を行ふ、此れ其の大較なり。凡そ下の上に通ずる、其の制六有り:一に曰く奏抄、二に曰く奏弾、三に曰く露布、四に曰く議、五に曰く表、六に曰く状;皆審署申覆して施行す。凡そ法駕行幸するときは、則ち宝を負いて従ふ。大朝会・大祭祀には、則ち板を以て中厳外辦を奏し、以て出入の節と為す。輿駕宮に還れば、則ち解厳を請ひ、以て礼の成るを告ぐ。凡そ大祭祀、皇帝斎に致り、既に朝すれば、則ち斎室に就くを請ふ。奠せんと将れば、則ち玉及び幣を奉りて進む。手を盥ぐときは、則ち匜を取って以て沃す。爵を洗ふときは、則ち罍水を酌みて以て奉る。及び泛斉を酌むを賛し、福酒を進めて以て其の礼を成す。若し宗廟を享すれば、則ち瓚を進めて鬱酒を酌みて稞するを賛す。既に稞すれば、則ち醴斉を酌むを賛す。其の余は神祇を饗するの礼の如し。藉田には、則ち耒を奉りて以て事を賛す。凡そ諸侯王及び四夷の君長朝見するときは、則ち詔を承けて之を労問す。軒に臨みて使を命じ、后及び太子を冊するときは、則ち詔を承けて以て之を命ず。凡そ制勅を以て外方の臣を慰問し及び徴召するときは、則ち其の封題を監す。若し駅を発して使を遣はせば、則ち其の伝符を給し、以て天下の信を通ぜしむ。凡そ官爵の廃置、刑政の損益は、皆之を記事の官に授く。既に策に書すれば、則ち其の記注を監す。凡そ文武職事六品已下、司進擬する所は、則ち其の階資を量り、其の才用を校へ、以て之を審定す。若し職を擬するに当らざれば、其の優屈に随ひ、退けて量る。
門下侍郎
門下侍郎二員。隋は黄門侍郎と曰ふ。龍朔に東台侍郎と為し、咸亨に黄門侍郎と改め、垂拱に鸞台侍郎と改め、天宝二年に門下侍郎と改め、乾元元年に黄門侍郎と改め、大暦二年四月に門下侍郎に復す。武徳令を定め、中書門下侍郎は、尚書侍郎と同じく、正四品上。大暦二年九月勅にて正三品に昇る。門下侍郎は侍中の職を貳ることを掌る。凡そ政の弛張、事の与奪は、皆参議す。若し大祭祀あれば、則ち壇に従ひ昇りて以て礼に陪す。皇帝手を盥ぐときは、則ち巾を奉りて進む。既に帨すれば、則ち巾を篚に奠め、瓠爵を奉りて以て献を賛す。凡そ元正・冬至に天子朝を視るときは、則ち天下の祥瑞を以て奏聞す。
給事中
給事中は四員。正五品上。隋では給事郎と称し、四員を置き、位は門下侍郎の次にあった。武徳年間に令を定めて、給事中と称した。龍朔年間に東台舎人と改め、咸亨年間に復した。給事中は左右に陪侍し、省の事務を分掌して判決することを掌る。凡そ百司の奏抄は、侍中が審定し、則ち先ずこれを読み署し、以て違失を駁正する。凡そ制勅を宣行するに、大事は則ち徳沢を称揚し、功業を褒美し、覆奏して施行を請う。小事は則ち署してこれを頒つ。凡そ国の大獄は、三司が詳決し、若し刑名が当たらず、軽重或いは失するときは、則ち法例を援りて退きてこれを裁断する。凡そ駅を発し使を遣わすときは、則ちその事の宜しきを審らかにし、黄門侍郎とともにこれを給す。その緩やかなるものには伝馬を給し、即ち給すべからざるものは、これを罷む。凡そ文武六品以下に職官を授くるに、所司が奏擬すれば、則ちその仕歴の浅深、功状の殿最を校べ、その德行を訪い、その才芸を量る。若し官その人に非ず、事を失う理あらば、則ち侍中に白して退きて量る。若し弘文館の図書の繕写・讎校も、また課してこれを察する。凡そ天下に冤滞申さず及び官吏刻害する者あれば、必ずその訟を聴き、御史・中書舎人とともにその事の宜しきを計りて、申理する。
録事
録事四人、従七品上。主事四人、従八品下。令史十一人、書令史二十二人、甲庫令史七人、伝制八人、亭長六人、掌固十人、修補制勅匠五人。
左散騎常侍
左散騎常侍二人。従三品。魏・晋に散騎常侍・侍郎を置き、侍中・黄門侍郎とともに尚書の奏事を平らげた。その後、用人或いは雑なり、江左はこの官を重んぜず、或いは省し或いは置く。隋の初めに散騎侍郎を省き、常侍四人を置き、従三品、朝直に陪従することを掌った。煬帝またこれを省く。武徳初年、加官と為す。貞観初年、常侍二人を置き、門下省に隷す。明慶二年、また二員を置き、中書省に隷し、始めて左右の号あり、ともに金蟬珥貂。左常侍は侍中と左貂、右常侍は中書令と右貂、これを八貂と謂う。龍朔年間に左侍極と為し、咸亨年間に復す。広徳二年五月、正三品に昇り、四員を加置。興元元年正月、左右各一員を加う。貞元四年正月の勅、旧に依り四員なり。常侍は規諷を侍奉し、顧問応対に備えることを掌る。宝応二年の勅、左右散騎常侍各参官二人を置き、自ら揀択して聞奏せしめ、参典もまた二人を置く、後に省く。
諫議大夫
諫議大夫四員。秦・漢は諫大夫と曰い、光武議の字を加う。隋は門下省に諫議大夫七員を置き、従四品下。武徳四年の勅に四員を置き、正五品上。龍朔年間に正諫大夫と改め、神龍年間に復す。大暦四年の勅に只四員、正五品上。龍朔七年三月の勅、その諫議四員、内供奉は正員と為すべからず。貞元四年五月十五日の勅に至り、諫議を左右に分ち、八員を加置し、四員門下に隷して左と為す。会昌二年十一月、中書の奏上:隋は門下省に諫議大夫七員を置き、従四品下。今は正五品上。大暦二年より門下中書侍郎が正三品に昇り、両省遂に四品官を闕く。その諫議大夫は正四品下に昇ることを望み、左右に分ち、以て両省の四品の闕を備う。向後は丞郎と出入り迭用し、以てその選を重んず。勅これを可とす。諫議大夫は侍従贊相、規諫諷諭を掌る。凡そ諫に五あり:一に諷諫、二に順諫、三に規諫、四に致諫、五に直諫と曰う。
起居郎
起居郎二員、従六品上。古にその名無し、隋始めて起居舎人二員を置く。貞観二年に起居舎人を省き、その職を門下に移し、起居郎二員を置く。明慶年中また起居舎人を置き、始めて起居郎と分かれて左右に在る。龍朔二年に左史と改め、咸亨年間に復す。天授元年また左史と改め、神龍年間に復す。楷書手三人。起居郎は起居注を掌り、天子の言動法度を録し、以て記事の史を修む。凡そ記事の制は、事を以て日に繫ぎ、日を以て月に繫ぎ、月を以て時に繫ぎ、時を以て年に繫ぐ。必ずその朔日甲乙を書き、以て歴数を紀し、典禮文物を以て制度を考へ、遷拜旌賞を以て善を勧め、誅伐黜免を以て悪を懲らす。季終れば則ちこれを国史に授く。漢の献帝の後より、歴代の帝王に起居注あり、著作これを編み、毎季巻を為し、史館に送る。
左補闕、左拾遺
左補闕二員、従七品上。左拾遺二員。従八品上。古にこの官名無し。天后垂拱元年二月二十九日の勅:「言を記し事を書くは、毎に旁求に切なり。闕を補ひ遺を拾ふは、未だ注選に弘まらず。言を瞻み共に理むるは、必ず衆才に藉り、登賢に寄せ、進善を期す。宜しく左右補闕各二員、従七品上、左右拾遺各二員、従八品上を置き、供奉諷諫を掌り、行立は左右史の次にす。仍って令に附すべし。」天授二年二月、三員を加置し、前に通じて五員とす。大暦四年、補闕・拾遺、各内供奉両員を置く。七年五月十一日の勅、補闕・拾遺、宜しく各両員を置くべし。補闕・拾遺の職は、供奉訥諫を掌り、乗輿に扈従す。凡そ令を発し事を挙ぐるに、時に便せず、道に合わざるあれば、大は則ち廷議し、小は則ち上封す。若し賢良の下に遺滞し、忠孝の上に聞こえざれば、則ちその事状を条してこれを薦言す。
典儀
典儀二員。従九品。南斉に典儀録事一員あり、梁に典儀の官あり、後に省く。皇朝また典儀二人を置き、門下省に隷す。初め用人皆軽し、貞観末、李義府これ為り、ここより士人を以てこれ為す。賛者十二人。隋の太常・鴻臚二寺、皆賛者あり、皇朝これに因りて置き、門下省に隷し、賛唱を掌り、行事の節と為す。番を分ちて上下し、これを番官と謂う。典儀は殿上の賛唱の節、及び殿廷の版位の次を掌る。凡そ国に大礼あれば、侍中行事し、及び中厳外辦の版を進むるに、皆これを賛相す。
城門郎
城門郎四員。従六品上。漢に城門校尉あり、京城諸門の啓閉の節を掌る。隋は校尉を城門郎と改め、四員を置き、従六品、皇朝これに因る。令史一人、書令史二人、門僕八百人。門僕は晋代にこれあり。皇朝は城門局に隷し、番を分ちて上下し、管鑰の送りを掌る。城門郎は京城・皇城・宮殿諸門の啓閉の節を掌り、管鑰の出納を奉ず。開くときは則ち先ず外にして後に内、合するときは則ち先ず内にして後に外、以て中禁を重んじ、皇居を尊ぶ所以なり。その晨昏の鼓を撃つ節を候ってこれを啓閉す。凡そ皇城・宮城の合門の鑰は、先ず酉に出で、後に戌に入る。開門の鑰は、後に丑に出で、夜尽きて入る。京城の合門の鑰は、後に申に出で、先ず子に入る。開門の鑰は、後に子に出で、先ず卯に入る。若しその時に非ずして命ありて啓閉せば、則ち閣に詣りて覆奏す。
符寶郎
符寶郎は四員、従六品上である。周には典瑞の職があり、秦には符璽令があり、漢では符璽郎といった。両漢は秦の六璽及び伝国璽を得て、後代に伝えた。隋は符璽郎二員を置き、従六品とした。天后は璽の字を嫌い、宝と改めた。その受命・伝国等の八璽の文は、ともに宝の字に彫り改めた。神龍の初め、ふたたび符璽郎とした。開元の初め、また符寶と改めたのは、璽の文に従ったのである。令史二人、書令史三人、主寶六人、主符三十人、主節十八人。符寶郎は天子の八宝及び国の符節を掌り、その用いる所を弁ずる。事あるときは内に請い、事が済めば奉じてこれを蔵す。八宝とは、第一を神宝といい、もって百王を承け、万国を鎮める所以である。第二を受命宝といい、もって封禅を修め、神祇を礼する所以である。第三を皇帝行宝といい、王公に対する答疏に用いる。第四を皇帝之宝といい、勲賢を労来するに用いる。第五を皇帝信宝といい、臣下を徴召するに用いる。第六を天子行宝といい、四夷の書に答えるに用いる。第七を天子之宝といい、蛮夷を慰撫するに用いる。第八を天子信宝といい、番国の兵を発するに用いる。凡そ大朝会には、宝を捧げて御座に進む。車駕が行幸すれば、宝を奉じて黄鉞の内に従う。凡そ国に大事あるときは、符節を出納し、その左右の異を弁じ、その左を蔵しその右を班ち、もって中外の契を合わす。第一を銅魚符といい、もって軍旅を起こし、守長を易える所以である。第二を伝符といい、もって郵驛に給し、制命を通ずる所以である。第三を随身魚符といい、もって貴賤を明らかにし、徴召に応ずる所以である。第四を木契といい、もって鎮守を重んじ、出納を慎む所以である。第五を旌節といい、もって良能を委ね、賞罰を仮す所以である。魚符の制は、王畿の内は左三右一、王畿の外は左五右一。左は内に在り、右は外に在る。行用の日は、第一より首と為し、後事用いるを須い、次第にこれを発し、周りて復た始まる。大事は兼ねて勅書を以てし、小事はただ符を降し、函封して使いを遣わし、合わせてこれを行なう。伝符の制は、太子が国を監するを双龍の符といい、左右各十。京都留守を麟符といい、左二十、その右十九。東方を青龍の符といい、西方を騶虞の符といい、南方を朱雀の符といい、北方を玄武の符といい、左四右三。左は内に進め、右は外に付す。随身魚符の制は、左二右一、太子は玉を以てし、親王は金を以てし、庶官は銅を以てし、佩いて飾りと為す。姓名を刻むものは、官を去りてこれを納め、刻まざるものは、伝えてこれを佩く。木契の制は、太子が国を監すれば、王畿の内は左右各三、王畿の外は左右各五、庶官が鎮守すれば、左右各十。旌節の制は、大将帥を命じ及び四方に使いを遣わすときは、請いてこれを佩く。旌はもって賞を専らにし、節はもって殺を専らにする。《周礼》の制では、山国は虎節を用い、土国は人節を用い、沢国は龍節を用い、皆金なり。また云う、道路は旌節を用いる、すなわち漢の使の持つ所のものこれなり。
弘文館
弘文館:後漢に東観あり、魏に崇文館あり、宋に玄・史の二館あり、南斉に総明館あり、梁に士林館あり、北斉に文林館あり、後周に崇文館あり、皆文史を撰述し、学徒を鳩聚する所なり。武徳の初め修文館を置き、後に弘文館と改む。後に太子の諱を避け、昭文館と改む。開元七年、ふたたび弘文館と為し、門下省に隷す。
学士。学士は員数なく、武徳以来、皆賢良を妙簡して学士と為す。故事、五品以上は学士と称し、六品以下は直学士と為し、また文学直館学士有り、員数定まらず。館中に四部の書及び図籍有り、垂拱以後より、皆宰相兼領し、館主と号し、常に給事中一人に館事を判せしむ。学生三十人、校書郎二人、従九品上。令史二人、楷書手三十人、典書二人、拓書手三人、筆匠三人、熟紙装潢匠九人、亭長二人、掌固四人。弘文館学士は図籍を詳正し、生徒を教授することを掌る。凡そ朝廷に制度の沿革、礼儀の軽重有れば、参議するを得。校書郎は典籍を校理し、錯謬を刊正することを掌る。その学生の教授・試験は、国子学の制の如し。
中書省
中書省は秦に始めて中書謁者を置き、漢元帝は「謁者」の二字を去る。歴代ただ中書と云う。後周は内史省と謂い、隋は内史省に因り、内史監・令各一員を置く。煬帝は内書省と改む。武徳はふたたび内史省と為し、三年中書省と改む。龍朔は西台と改め、光宅は鳳閣と改め、神龍はふたたび中書省と為す。開元元年は紫微省と改め、五年旧に復す。
中書令
中書令は二員である。漢・魏の時代には品階は低かったが委任は重かった。魏では監・令を各一員置き、南朝を経ても改まらなかった。隋では監を廃し、令二人を置き、正三品とした。隋の文帝は三公の府僚を廃し、中書令と侍中に政事を知らしめたので、遂に宰相の職となった。隋では内書令といった。武徳年間は内史令といい、まもなく中書令に改めた。龍朔年間は西台右相となり、咸亨年間に中書令に復した。光宅年間は鳳閣令となった。開元元年に紫微令に改め、五年に中書令に復した。天宝年間は右相に改め、至徳二年に中書令に復した。本来は正三品であったが、大暦二年十一月九日、侍中とともに正二品に昇り、以後改まらなかった。中書令の職掌は、軍国の政令を掌り、帝業を明らかにし、天人を統和することである。内にあってはこれを告げ、外にあってはこれを奉じ、もって万邦を治め、百揆を律する。すなわち天子を補佐して大政を執るのである。王言の制に七つある。第一を冊書といい、第二を制書といい、第三を慰労制書といい、第四を発勅といい、第五を勅旨といい、第六を論事勅書といい、第七を勅牒という。いずれも宣署し申覆して施行する。大祭祀で群神を祀る時は、従って壇に昇り礼を相する。宗廟を享ける時は、従って阼階に昇る。親征して厳に纂する時、百僚を戒勅する時、親賢を冊命する時、臨軒する時は、冊を読ませる。もし朝で命ずる時は、宣べてこれを授ける。太子を冊する時は、璽を授ける。制詔を宣伝し、文章を献納する時は、いずれもこれを記事の官に授ける。武徳・貞観の故事では、尚書省の左右僕射各一人および侍中・中書令各二人を、知政事官とした。その時、他官で国政の議に預かる者は、宰相と参議して朝政にあたるとか、国計を平章するとか、機密を専ら典するとか、政事に参議すると称した。貞観十七年、李勣が太子詹事となった時、特詔して政事を知らしめ、初めて同中書門下三品といった。これより、僕射は常にこの称を帯びるようになった。その他、両省の長官でなくて政事を知る者は、皆これをもって名とした。永淳年間、初めて郭正一・郭待挙・魏玄同らに詔し、中書門下とともに進旨を承受して平章事にあたらせた。天后以後、両省の長官および同中書門下三品並びに平章事が、宰相となった。僕射で同中書門下三品を帯びない者は、ただ尚書省を治めるのみである。総章二年、東台侍郎の張文瓘、西台侍郎の戴至徳らが、初めて同中書門下三品を官銜に著した。これより相承して今日に至る。永淳二年、黄門侍郎の劉斉賢が政事を知り、同中書門下平章事と称した。以後、両省の長官および他官で執政し侍中・中書令に至らない者は、皆同中書門下平章事と称するようになった。
中書侍郎
中書侍郎は二員である。漢では中書を置き、密詔を掌り、令・僕・丞・郎の四官があった。魏では中書郎といい、晋で「侍」の字を加えた。隋では内書省を置き、内書侍郎と改め、正四品とした。武徳初年は内史侍郎といい、三年に中書侍郎に改めた。龍朔・光宅・開元の時、曹司に随って号を改めた。至徳年間に中書侍郎に復した。武徳の令で定めると、尚書侍郎とともに第四品であった。大暦二年九月、門下侍郎とともに正三品に昇った。中書侍郎は令の職を補佐することを掌る。邦国の庶務、朝廷の大政は、皆これに参議する。臨軒して大臣を冊命する時、令がその使となれば、冊書を持ってこれを授ける。四夷が来朝し、軒に監すればその表疏を受け、西階に昇って奏上する。もし贄幣を献ずれば、これを受けて所司に授ける。
中書舍人
中書舍人は六員である。正五品上。曹魏では中書に通事一人を置き、奏案の呈上を掌った。高貴郷公は通事の下に「舍人」の二字を加えた。晋では中書に舍人・通事を各一人置いた。魏・晋・斉・梁以来、詔誥は皆中書令・中書侍郎より出で、中書通事舍人はただ奏案の呈上を掌るのみであった。あるいは通事で文筆ある者には、別勅で詔誥を知らしめた。梁の武帝に至り、制誥を専ら舍人に掌らしめ、兼ねて「通事」の二字を去り、ただ中書舍人といった。隋では内史舍人といい、八員を置き、制誥を掌り、品は第六であった。まもなく五品上に昇った。煬帝は内書舍人に改め、四員を置いた。武徳初年は内史舍人といい、三年に中書舍人に改めた。龍朔・光宅・開元の時、曹司に随って改易した。
舍人は侍奉進奏を掌り、表章に参議する。凡そ詔旨勅制および璽書冊命は、皆典故に按じて起草し進画する。下れば、これに署して行う。その禁が四つある。第一は漏泄、第二は稽緩、第三は違失、第四は忘誤である。王命を重んずる所以である。制勅が既に行われ、誤りあれば奏してこれを正す。大朝会で諸方が起居する時は、その表状を受けて奏上する。国に大事あり、大勝や大祥瑞があって百僚が表賀する時もまた同様である。朝で大臣を冊命する時は、節を持って冊命を読ませる。将帥に功あり、あるいは大賓客ある時は、皆これを使わして労問させる。天下の冤滞を察し、給事中および御史と三司をなしてその事を鞫する。百司の奏議、文武の考課は、皆これに預かり裁断する。
主書
主書は四人、従七品上。主事は四人、従八品下。令史は二十五人、書令史は五十人、伝制は十人、亭長は十八人、修補勅匠は五十人。
右散騎常侍、右補闕、右拾遺、起居舍人
右散騎常侍は二員、従三品。右補闕は二員、従七品上。右拾遺は二員、従八品上。起居舍人は二員、従六品上。右常侍・補闕・拾遺は、掌る事は左省と同じ。起居舍人は、記言の史を修め、天子の制誥徳音を録する。記事の制の如く、時政の損益を記す。季末には、これを国史に授ける。
通事舍人
通事舍人は十六人、従六品上。通事舍人は、奏謁者の官である。賓客の接遇、事の受付を掌り、光禄勲に隷属した。晋では舍人・通事を各一人置き、中書に隷属した。東晋では通事舍人といった。隋は晋の制に因り、十六人を置き、従六品上とし、また通事謁者とした。武徳初年、謁者台を廃し、通事謁者を通事舍人に改め、四方館に隷属させ、中書省に属させた。通事舍人は、朝見の引納および辞謝する者を掌り、殿廷において通奏する。近臣が入侍し、文武が就列する時、これを導き進退させ、その拜起出入の節を告げる。四方の通表、華夷の納貢は、皆これを受けて進上する。軍旅が出る時は、命を受けて慰労し遣わす。既に行けば、毎月将士の家を存問し、その疾苦を視る。凱旋すれば、郊外でこれを迎え、皆復命する。致仕の臣および国の耋老に対し、時々巡問するのもまた同様である。
令史は十人、亭長は十八人、掌固は二十四人。
集賢殿書院
集賢殿書院は、開元十三年に設置された。漢・魏以来、その職務は秘書にあった。梁は文徳殿内に群書を蔵聚し、北斉には文林館学士があり、後周には麟趾殿学士があり、いずれも著述を掌った。隋は陳を平定した後、群書の正副二本を写し、宮中に蔵し、その余は秘書外閣を充実させた。煬帝は東都の観文殿東西廂に書を貯蔵した。漢の延熹から隋に至るまで、いずれも秘書が国の図籍を掌り、禁中の書は時に存在した。太宗が藩府に在った時、秦府学士十八人があった。その後、弘文・崇文の二館にも皆あった。玄宗が即位し、群書を大いに校訂した。開元五年、乾元殿東廊下で四部の書を写し、内庫を充実させ、校定官四人を置いた。七年、帝が東都に在り、麗正殿に修書使を置いた。十二年、帝が東都に在り、十三年に学士張説らと集仙殿で宴し、これにより集賢と改名し、修書使を集賢書院学士と改めた。その大明宮に置かれた書院は、もとは命婦院であり、屋宇は宏敞であった。永泰元年三月、詔して僕射裴冕ら十三人に、毎日集賢書院で待詔せしめた。集賢学士。初め定制として五品以上の官を学士とし、六品以下を直学士とした。宰相が学士となる者毎に、知院事とした。常侍一人を副知院事とした。学士知院事一人、開元初め、褚無量・馬懷素・元行沖が相次いで乾元殿写書を掌り、麗正殿に在っては使の名があった。張説が元行沖に代わり、院を集賢と改め、張説を大学士・知院事としたが、張説が大学の字を懇ろに辞したので、詔してこれを許した。これより、毎に宰相一人を以て知院事とした。副知院事一人、初め宰相張説が知院事となり、左常侍徐堅を副知院事としたため、故事となった。判院一人、初め乾元殿に在り、刊正官一人が事を判じ、その後これに因った。押院中使一人。乾元殿写書より、出入を掌り、宣進奏し、兼ねて中官を頒ち、院門を監守し、掌ることは宮禁と同じくした。侍講学士、開元初め、褚無量・馬懷素が禁中で侍講し、名を侍読といった。その後康子元が侍講学士となった。修撰官、校理官、共に常員なく、官人がこれを兼ねた。待制官、古の待詔金馬門これである。留院官、検討官。皆学士を以て別勅で留めた。孔目官一人、専知御書典四人、共に開元五年に置かれた。知書官八人、開元五年に置かれ、四庫の書を分掌した。書直・写御書一百人、拓書六人、書直八人、装書直十四人、造筆直四人。共に開元六年に置かれた。集賢学士の職は、古今の経籍を刊緝し、以て邦国の大典を辨明することを掌る。凡そ天下の図書の遺逸、賢才の隠滞あれば、則ち旨を承けてこれを徴求する。その時に施すべき籌策、代に行うべき著述ある者は、その才芸を較べ学術を考へ、以てこれを申表する。凡そ旨を承けて文章を撰集し、経籍を校理するは、月終には則ち内に課を進め、歳終には則ち外に最を考うる。
史館
史館は、歴代の史官は秘書省著作局に隷属し、皆著作郎が国史の修撰を掌った。武徳は隋の旧制に因った。貞観三年閏十二月、初めて史館を禁中に移し、門下省の北に在り、宰相が国史を監修し、ここより著作郎は初めて史職を罷めた。大明宮が初めて成ると、史館を門下省の南に置いた。館門下東西に棗樹七十四株あり、雑樹は無し。開元二十五年三月、右相李林甫は中書の地が枢密に近く、記事の官は宜しく附近すべきとし、史官尹愔が奏して史館を中書省の北に移し、旧尚薬院を以て館に充てた。史官。古より天子諸侯は、皆史官あり、以て言動・歴数の事を紀した。後漢明帝に至り、当時の名士を東観に入れ、『光武紀』を撰し、史官はこれにより他官を以てこれを兼ねた。魏明帝が初めて著作郎を置き、専ら国史を掌り、中書に隷属した。晋は秘書省に改めて隷属させ、因って改めず。貞観年間に『五代史』を修し、史館を禁中に移した。史官は常員なく、もし修撰の大事あれば、則ち他官を以てこれを兼ね、事の畢る日に停める。監修国史。貞観以後、多く宰相を以て国史を監修し、遂に故事となった。修撰直館。天宝以後、他官が史職を兼領する者を、史館修撰と謂い、初入は直館である。元和六年、宰相裴垍が奏して「登朝官で史職を領する者は、並びに修撰とし、未だ登朝せざる官で館に入る者は、並びに直館とする。修撰中に一人官高き者を以て館事を判じ、その余の名目は、並びに置かざることを請う」と。これに従った。楷書手二十五人、典書四人、亭長二人、掌固六人、装潢直一人、熟紙匠六人。史官は国史の修撰を掌り、虚美せず、悪を隠さず、直く其事を書く。凡そ天地日月の祥、山川封域の分、昭穆継代の序、礼楽師旅の事、誅賞廃興の政は、皆起居注・時政記に本づき、以て実録と為し、然る後に編年の体を立て、褒貶を為す。既に終わりて府に蔵す。
知匭使
知匭使。天后垂拱二年、匭を置き以て冤滞を通達せしめた。その制は、一房四面、各々方色に依り、東を延恩と曰い、西を申冤と曰い、南を招諫と曰い、北を通玄と曰う。以て天下の冤滞を申し、万人の情状を通達する。蓋し古の善旌・誹謗木の意である。天宝九年、匭を献納と改む。乾元元年、復た匭と名づく。垂拱以来、常に諫議大夫及び補闕・拾遺一人を以て使に充て、訴状を受納す。毎日暮に内に進め、而して晨に出づるなり。
翰林院
翰林院。天子が大明宮に在す時は、その院は右銀台門の内に在り。興慶宮に在す時は、院は金明門の内に在り。若し西内に在らば、院は顕福門に在り。若し東都・華清宮に在らば、皆待詔の所有り。その待詔する者は、詞学・経術・合煉・僧道・卜祝・術芸・書奕有り、各別院を以てこれを稟け、日晩くして退く。その重んずる所は詞学なり。武徳・貞観の時、温大雅・魏徴・李百薬・岑文本・許敬宗・褚遂良有り。永徽の後、許敬宗・上官儀有り、皆禁中に召し入れ駆使すれども、名目未だ有らず。乾封の中、劉懿之・劉禕之兄弟・周思茂・元万頃・範履冰、皆文詞を以て召し入れられて待詔し、常に北門に於いて進止を候い、時に北門学士と号す。天后の時、蘇味道・韋承慶、皆禁中に待詔す。中宗の時、上官昭容独り書詔の任に当たる。睿宗の時、薛稷・賈膺福・崔湜、又その任に代わる。玄宗即位し、張説・陸堅・張九齢・徐安貞・張垍等、禁中に召し入れられ、これを翰林待詔と謂う。王者尊極にして、一日万機、四方の進奏・中外の表疏の批答、或いは詔は中より出づ。宸翰の揮う所も、亦その検討を資け、これを視草と謂う。故に嘗て当代の士人を簡び、以て顧問に備う。至徳已後、天下兵を用い、軍国の務多し。深謀密詔、皆中より出づ。尤も名士を択び、翰林学士選に充たるを得る者は、文士栄と為す。亦中書舎人の例の如く学士六人を置き、内に年深く徳重き者一人を択びて承旨と為す。是れ独り密命を承くる所以なり。徳宗文を好み、尤もその選を難しむ。貞元已後、学士承旨と為る者、多く宰相に至る。
内教坊
内教坊。武徳已来、禁中に置き、以て雅楽を按習せしめ、中官人を以て使に充つ。則天雲韶府と改め、神龍に教坊に復す。
習芸館
習芸館。本の名は内文学館、宮人に儒学有る者一人を選びて学士と為し、宮人を教習す。則天習芸館と改め、又翰林内教坊と改む。事禁中に在るを以ての故なり。
秘書省
秘書省。中書の下に隷す。漢代蔵書の所、延閣・広内・石渠の蔵有り。又御史中丞、殿内に在り、蘭台秘書図籍を掌る。後漢桓帝延熹二年、始めて秘書監を置き、太常寺に属し、禁中の図書秘文を掌る。後中書に併入す。晋恵帝に至り、別に秘書寺を置き、中外の二閣の図書を掌る。梁の武帝寺を改めて省と為す。龍朔に蘭台と改め、光宅に麟台と改め、神龍に秘書省に復す。
秘書監
秘書監一員、従三品。監の名は、後漢桓帝の置く所、魏・晋改めず。後周これを外史下大夫と謂う。隋秘書監に復し、従第三品。煬帝秘書令と改め、武徳監に復す。龍朔に蘭台太史と改め、天授に麟台監と改め、神龍に秘書監に復す。少監二員、従四品上。少監は、隋煬帝の置く所。龍朔に蘭台侍郎と改め、天授に麟台少監と為し、神龍に秘書少監に復す。比に一員を置く、太極の初め一員を増置す。丞一員。従五品上。魏武帝の置く所、丞二人。隋一人を置く、正第五品なり。秘書監の職は、邦国の経籍図書の事を掌る。二局有り:一は著作と曰い、二は太史と曰う。皆その属を率いてその職を修む。少監これが貳たり、丞は省事を判掌す。
秘書郎
秘書郎四員。従六品上。校書郎八人、正九品上。正字四人、正九品下。主事一人、従九品上。令史四人、書令史九人、典書八人、楷書手八十人、亭長六人。掌固八人。秘書郎は甲乙丙丁四部の図籍を掌る。これを四庫と謂う。経庫類十、史庫類十三、子庫類十四、集庫類三。事は『経籍志』に在り。
著作局
著作局:龍朔に司文局と為す。著作郎二人、従五品上。龍朔に司文郎中と為し、咸亨に復す。佐郎四人、従六品上。校書郎二人、正九品上。正字二人、正九品下。楷書手五人、掌固四人。著作郎・佐郎は碑誌・祝文・祭文の修撰を掌り、佐郎と局事を分判す。
司天臺
司天臺:旧くは太史局、秘書監に隷属す。龍朔二年に秘閣局と改め、久視元年に渾儀監と改む。景雲元年に太史監と改め、再び太史局となり、秘書に隷す。乾元元年三月十九日勅、太史監を司天臺と改め、官属を改置す。旧くは子城内秘書省の西に置く、今は永寧坊の東南角に在り。監一人、従三品。本は太史局令、従五品下。乾元元年に監と改め、従三品に昇る、殿中秘書の品秩に一如なり。少監二人。本は太史丞と曰い、従七品下。乾元に少監に昇り、諸司の少監卿と同品なり。太史令は天文を観察し、暦数を稽定することを掌る。凡そ日月星辰の変、風雲気色の異、其の属を率いて占候す。其の属に司曆二人有り、暦を造ることを掌る。保章正一人、教えを掌る。曆生四十一人。監候五人、天文を候うことを掌る。観生九十人、昼夜天文気色を司候することを掌る。霊台郎二人、天文気色を教習することを掌る。天文生六十人。挈壺正二人。漏刻を知ることを掌る。司辰七十人、漏刻典事二十二人、漏刻博士九人、漏刻生三百六十人、典鐘一百十二人、典鼓八十八人、楷書手二人、亭長・掌固各四人。乾元元年より別に司天臺を置く。官吏を改置し、太史局の旧数に同じからず、今は司天の職掌に拠りて之を書すなり。凡そ玄象器物・天文図書、苟も其の任に非ざれば、預かることを得ず。毎季見る所の災祥を録し、門下中書省に送り、起居注に入る。歳終に総録し、封じて史館に送る。毎年来年の暦を預め造り、天下に頒つ。五官正五員、正五品。乾元元年に五官を置く、春・夏・秋・冬・中の五官の名有り。丞二員、正七品。主簿二員、正七品。定額直五人、五官霊台郎五員、正七品。旧くは霊台郎、正八品下、天文の変を観て之を占候することを掌る。凡そ二十八宿、十二次に分つ、事は『天文志』に具はるなり。五官保章正五員、正七品。五官司曆五員、正八品。旧くは司曆二人、従九品上、国の暦法を掌り、暦を造りて四方に頒つ。其の暦に『戊寅暦』・『麟徳暦』・『神龍暦』・『大衍暦』有り。天下の測量の処、分至表准、其の詳は載すべく、故に星度を参考し、晷影を稽験し、各々典章有り。五官監候五員、正八品。五官挈壺正五員、正九品。五官司辰十五員。正九品。旧くは挈壺正二員、従八品下。司辰十七人、正九品下。皆漏刻を知ることを掌る。孔壺を漏と為し、浮箭を刻と為し、以て中星昏明の候を告ぐるなり。五官礼生十五人、五官楷書手五人、令史五人、漏刻博士二十人、漏刻の法、孔壺を漏と為し、浮箭を刻と為す。其の箭四十有八、昼夜共に百刻。冬夏の間、長短有り。冬至の日、昼漏四十刻、夜漏六十刻。夏至、昼漏六十刻夜漏四十刻。春分秋分の時、昼夜各五十刻。秋分の後、昼を減じ夜を益し、凡そ九日に一刻を加う。春分已後、夜を減じ昼を益し、九日に一刻を減ず。二至の前後、加減遅く、用いる日多し。二分の間、加減速く、用いる日少なし。夜を候ひて以て更点の節と為す。毎夜五更に分ち、毎更五点に分つ。更は鼓を撃つを以て節と為し、点は鐘を撃つを以て節と為すなり。典鐘・典鼓三百五十人、天文観生九十人、天文生五十人、曆生五十五人、漏生四十人、視品十人。已上の官吏、皆乾元元年監司に随ひ新たに置くなり。