旧唐書 志第二十二 職官一

旧唐書

志第二十二 職官一

【序】

高祖は太原より発跡し、官名と称位は皆隋の旧制に依った。即位の初めには、改作に遑なく、時宜に従って署置し、務めて省便に従った。

武徳七年に令を定む。太尉・司徒・司空を以て三公と為す。尚書・門下・中書・秘書・殿中・内侍を六省と為す。次に御史台。次に太常・光禄・衛尉・宗正・太僕・大理・鴻臚・司農・太府を九寺と為す。次に将作監。次に国子学。次に天策上将府。次に左右衛・左右驍衛・左右領軍・左右武候・左右監門・左右屯・左右領を十四衛府と為す。東宮に三師・三少・詹事府・門下典書両坊を置く。次に内坊。次に家令・率更・僕の三寺。次に左右衛率府・左右宗衛率府・左右虞候率府・左右監門率府・左右内率府を十率府と為す。王公以下に府佐国官を置く。公主に邑司以下を置く。並びに京職事官と為す。州県・鎮戍・岳瀆・関津を外職事官と為す。又、開府儀同三司(従一品)・特進(正二品)・左光禄大夫(従二品)・右光禄大夫(正三品)・散騎常侍(従三品)・太中大夫(正四品)・通直散騎常侍(正四品)・中大夫(従四品上)・員外散騎常侍(従四品下)・中散大夫(正五品上)・散騎侍郎(正五品下)・通直散騎侍郎(従五品上)・員外散騎侍郎(従五品下)・朝議郎・承議郎(正六品)・通議郎・通直郎(従六品)・朝請郎・宣徳郎(正七品)・朝散郎・宣義郎(従七品)・給事郎・征事郎(正八品)・承奉郎・承務郎(従八品)・儒林郎・登仕郎(正九品)・文林郎・将仕郎(従九品)を、並びに文散官と為す。輔国(正二品)・鎮軍(従二品)の二大将軍、冠軍(正三品)・雲麾(従三品)・忠武・壮武・宣威・明威・信遠・遊騎・遊撃(正四品上より従五品下まで)の十将軍を、散号将軍と為し、職事なき武士に加える。上開府儀同三司を上軽車都尉と改め、開府儀同三司を軽車都尉とし、儀同三司を騎都尉とす。秦王・斉王下の統軍を護軍とし、副統軍を副護軍とす。上大都督を驍騎尉とし、大都督を飛騎尉とし、帥都督を雲騎尉とし、都督を武騎尉とす。車騎将軍を遊騎将軍とす。親衛驃騎将軍を親衛中郎将とし、その勲衛驃騎は此に准ず。親衛車騎将軍を親衛郎将とし、その勲衛翊衛車騎は並びに此に准ず。監門府郎将を監門中郎将とし、領左右郎将は此に准ず。諸軍の驃騎将軍を統軍とし、その秦王・斉王下の三衛及び庫直・驅咥直・車騎は並びに此に准ず。諸軍の車騎将軍を別将とす。その散官の文騎尉を承議郎とし、屯騎尉を通直郎とし、雲騎尉を登仕郎とし、羽騎尉を将仕郎とす。

武徳九年、天策上将府を罷む。

貞観元年、国子学を国子監と改め、将作を分けて少府監と為し、将作を通じて三監と為す。八年七月、始めて雲麾将軍を従三品の階と為す。九月、統軍を正四品下とし、別将を正五品上とす。十一年、令を改めて太師・太傅・太保を置き三師と為す。その三公以下、六省・一台・九寺・三監・十二衛・東宮諸司は、並びに旧の定めに従う。又、光禄大夫を従二品と改め、金紫光禄大夫を正三品とし、銀青光禄大夫を従三品とし、正議大夫を正四品上とし、通議大夫を正四品下とし、太中大夫を従四品上とし、中大夫を従四品下とし、中散大夫を正五品上とし、朝議大夫を正五品下とし、朝請大夫を従五品上とし、朝散大夫を従五品下とす。その六品以下は、唯だ通議郎を奉議郎と改むるのみ、自余は旧に依る。更に驃騎大将軍を置き従一品の武散官と為す。輔国・鎮軍の二大将軍を従二品の武散官と為す。冠軍将軍に大字を加う。及び雲麾以下・遊撃以上を、五品以上の武散官と改む。又、昭武・振威・致果・翊麾・宣節・禦武・仁勇・陪戎の八校尉副尉(正六品より従九品まで、上階は校尉、下は副尉)を置き、六品以下の武散官と為す。

凡そ九品以上の職事は、皆散位を帯び、之を本品と謂う。職事は則ち才に随ひて録用し、或は閑より劇に入り、或は高きを去りて卑きに就き、遷転出入し、参差定まらず。散位は則ち一切門蔭を以て品を結び、然る後に労考に依り進叙す。『武徳令』には、職事高き者は散官を解き、一階欠けて到らざるを「兼」と為す。職事卑き者は、散官を解かず。『貞観令』には、職事高き者を「守」と為し、職事卑き者を「行」と為し、仍各散位を帯ぶ。その一階欠くる者は、旧に依り「兼」と為し、当階と為す者は、皆散官を解く。永徽以来、一階欠くる者は、或は兼と為し、或は散官を帯び、或は守と為し、参らせて之を用う。その両職事なる者も亦「兼」と為し、頗る錯乱す。(その一階欠くる「兼」は、古念反。その職事の兼は、古恬反。字同じくして音異なるのみ。)咸亨二年、始めて一切を「守」と為す。

高宗の後より、官名と品秩は、屡改易有り。今、永泰二年の官品を録す。その改易せる品秩は、官品の下に注す。若し官名を改め及び職員に加減有る者は、則ち各本職に附すと云う。

唐初は隋の号に因る。武徳三年三月、納言を侍中と改め、内史令を中書令と改め、給事郎を給事中と改め、内書省を中書省と改む。

貞観二十三年六月、民部尚書を戸部尚書と改む。七月、治書侍御史を御史中丞と改め、諸州の治中を司馬と改め、別駕を長史と改め、治礼郎を奉礼郎と改む。

顕慶元年、戸部尚書を度支尚書と改め、侍郎を度支侍郎と改む。又、驃騎大将軍の員を置き、従一品とす。

龍朔二年二月甲子、百官及び官名を改む。尚書省を中台と改め、僕射を匡政と改め、左右丞を肅機と改め、左右司郎中を丞務と改め、吏部を司列と改め、主爵を司封と改め、考功を司績と改め、礼部を司礼と改め、祠部を司禋と改め、膳部を司膳と改め、主客を司蕃と改め、戸部を司元と改め、度支を司度と改め、倉部を司倉と改め、金部を司珍と改め、兵部を司戎と改め、職方を司域と改め、駕部を司輿と改め、庫部を司庫と改め、刑部を司刑と改め、都官を司僕と改め、比部を司計と改め、工部を司平と改め、屯田を司田と改め、虞部を司虞と改め、水部を司川と改め、その他の官署は旧に依る。尚書を太常伯と改め、侍郎を少常伯と改め、郎中を大夫と改む。中書門下を東西台と改む。侍中を左相と改め、黄門侍郎を東台侍郎と改め、給事中を東台舍人と改め、散騎常侍を左右侍極と改め、諫議大夫を正諫大夫と改む。中書令を右相と改め、侍郎を西台侍郎と改め、舍人を西台舍人と改む。秘書省を蘭台と改め、監を太史と改め、少監を侍郎と改め、丞を大夫と改む。著作郎を司文郎中と改め、太史令を秘閣郎中と改む。御史台を憲台と改め、御史大夫を大司憲と改め、御史中丞を司憲大夫と改む。殿中省を中禦府と改め、丞を大夫と改む。尚食を奉膳と改め、尚薬を奉医と改め、尚衣を奉冕と改め、尚舍を奉扆と改め、尚乗を奉駕と改め、尚輦を奉禦と改め、並びに大夫と為す。内侍省を内侍監と改む。太常を奉常と改め、光禄を司宰と改め、衛尉を司衛と改め、宗正を司宗と改め、太僕を司馭と改め、大理を詳刑と改め、正を大夫と改む。鴻臚を司文と改め、司農を司稼と改め、太府を外府と改め、卿並びに正卿と為す。少府監を内府監と改む。将作監を繕工監と改め、大匠を大監と改め、少匠を少監と改む。国子監を司成館と改め、国子祭酒を大司成と改め、司業を少司成と改め、博士を宣業と改む。都水を司津監と改む。左・右衛府、左・右驍衛府、左・右武衛府、並びに「府」の字を除く。左・右屯衛府を左右威衛と改め、左・右領軍衛を左右戎衛と改め、武候を金吾衛と改め、千牛を奉宸衛と改め、屯営を羽林軍と改む。詹事を端尹府と改め、門下・典書を左右春坊と改め、左右庶子を左右中護と改む。中允を左贊善大夫と改め、洗馬を司経大夫と改め、中舍人を右贊善大夫と改む。家令寺を宮府寺と改め、率更寺を司更寺と改め、僕寺を馭僕寺と改め、長官並びに大夫と為す。左・右衛率府を典戎衛と改め、左・右宗衛率府を司禦衛と改め、左右虞候率府を清道衛と改め、監門率府を崇掖衛と改め、内率府を奉裕衛と改む。七日、また制して尚書令を廃し、起居郎を左史と改め、起居舍人を右史と改め、著作佐郎を司文郎と改め、太史丞を秘閣郎と改め、左右千牛を奉宸と改め、司議郎を左司議郎と改め、太子舍人を右司議郎と改む。典膳・薬蔵・内直監・宮門大夫、並びに郎と改む。太子千牛を奉裕と改む。

総章二年、司列・司戎の少常伯を各二員置く。

咸亨元年十二月詔す、「龍朔二年に新たに改めた尚書省百官及び僕射以下の官名は、並びに旧に依れ。その東宮十率府は、上臺の諸衛と異なるあり、各宜しく旧に依って率府と為すべし。その左司議郎は「左」の字を除く。その左・右金吾、左・右威衛は、新たに改めたるに依れ」。永淳元年七月、州別駕を置く。

光宅元年九月、尚書省を文昌台と改め、左・右僕射を文昌左・右相と改む。吏部を天官と改め、戸部を地官と改め、礼部を春官と改め、兵部を夏官と改め、刑部を秋官と改め、工部を冬官と改む。門下省を鸞台と改め、中書省を鳳閣と改め、侍中を納言と改め、中書令を内史と改む。太常を司礼と改め、鴻臚を司賓と改め、宗正を司属と改め、光禄を司膳と改め、太府を司府と改め、太僕を司僕と改め、衛尉を司衛と改め、大理を司刑と改む。司農は旧に依る。左・右驍衛を左右威衛と改め、左・右武衛を左・右鷹揚衛と改め、左・右威衛を左右豹衛と改め、左・右領軍衛を左右玉鈴衛と改む。左・右金吾衛は旧に依る。御史台を左肅政台と改め、専ら京官百官を知り及び諸軍旅を監し、並びに詔を承けて出使す。更に右肅政台を置き、専ら諸州の案察を知る。

垂拱元年二月、黄門侍郎を鸞台侍郎と改め、文昌都省を都台と改め、主爵を司封と改め、秘書省を麟台と改め、内侍省を司宮台と改め、少府監を尚方監と改む。その左・右尚方両署は「方」の字を除く。将作監を営繕監と改め、国子監を成均監と改め、都水監を水衡監と改む。その詹事府を宮尹府と改め、詹事を太尹と改め、少詹事を少尹と改む。左・右内率府を左右奉裕率府と改め、千牛を左右奉裕と改め、左・右監門率府を左右控鶴禁率府と改め、諸衛の鎧曹を胄曹と改め、司膳寺の肴蔵署を珍羞署と改む。十月、天官侍郎二員を増置す。また左・右補闕・拾遺を各二員置く。三年、秋官侍郎一員を加う。

永昌元年、左・右司員外郎を各一員置く。

天授二年、左・右補闕・拾遺を各三員増置し、通じて満五員とす。

長寿二年、夏官侍郎三員を増す。

大足元年、営繕少匠一員を加え、左右羽林衛各々将軍一員を増置す。洛・雍・並・荊・揚・益の六州に、左・右司馬を各一員置く。

長安三年、司勲員外郎一員を増置し、地官は旧に依り侍郎一員を置き、洛・並及び三大都督府の司馬は宜しく旧に依り一員を置くべし。

神龍元年二月、台閣の官名は、並びに永淳以前の故事に依る。左・右司員外郎を廃す。左右千牛衛各々大将軍一員を置く。東都に太廟の官吏を置き、太常・大理少卿を各一員増置す。二年、また員外官凡そ二千余人を置く。閹官七品以上の員外を超授する者、また千余人。十二月、左右司員外郎を各一員復置す。

景雲二年、太子左・右諭徳、太子左・右贊善大夫を各二員復置す。雍・洛及び大都督府の長史を三品階に加え、別駕の致敬は前に依る。

太極元年、光禄・大理・鴻臚・太府・衛尉・宗正、各々少卿一員を増置す。秘書少監・国子司業・少府少監・将作少匠・左右台中丞、各々一員を増置す。雍・洛二州及び益・並・荊・揚の四大都督府、各々司馬一員を増置し、左・右司馬に分つ。

開元元年十二月、尚書左右僕射を左右丞相と改め、中書省を紫微省とし、門下省を黄門省とし、侍中を監とした。雍州を京兆府とし、洛州を河南府とした。長史を尹とし、司馬を少尹とし、録事参軍を司録参軍とし、その他の司は司を曹と改めた。

五年九月、紫微省は旧に従い中書省とし、黄門省を門下省とし、黄門監を侍中とした。

二十四年九月、主爵を司封と改めた。

天宝元年二月、侍中を左相と改め、中書令を右相とし、左・右丞相は旧に従い僕射とし、黄門侍郎を門下侍郎とした。州を郡と改め、刺史を太守とした。

十一載正月、吏部を文部と改め、兵部を武部とし、刑部を憲部とした。行内の諸司で部を持つものは全て改めた。駕部を司駕と改め、庫部を司庫とし、金部を司金とし、倉部を司儲とし、比部を司計とし、祠部を司禋とし、膳部を司膳とし、虞部を司虞とし、水部を司水とした。将作大匠を監とし、少匠を少監とした。

至徳二載十二月の勅:「近ごろ改めた百官の官署名および郡名並びに官名は、一切旧制に従うこと。」ここにおいて侍中・中書令・兵部・吏部などは全て旧に復した。郡を廃して州とし、太守を刺史に復した。

正第一品

太師・太傅・太保・太尉・司徒・司空(以上職事官)・王(爵。《武徳令》には天策上将あり、九年に省く)

従第一品

開府儀同三司(文散官。開府儀同三司及び特進で職事官を帯びない者は、朝参・禄俸は全て職事官と同じくし、なお吏部に属す)・太子太師・太子太傅・太子太保(以上職事官)・驃騎大将軍(武散官)・嗣王・郡王・国公(爵)

正第二品

特進(文散官)・輔国大将軍(武散官)・開国郡公(爵。《武徳令》には公・侯・伯・子・男のみあり、貞観十一年に開国の称を加う)・上柱国(勲官。《武徳令》には尚書令あり、龍朔二年に省く。これより正第二品に職事官なし)

従第二品

尚書左右僕射・太子少師・太子少傅・太子少保・京兆・河南・太原等七府牧・大都督(揚・幽・潞・陝・霊)・大都護(単于・安西。以上職事官)・光禄大夫(文散官)・鎮軍大将軍(武散官)・開国県公(爵)・柱国(勲官)

正第三品

侍中、中書令、吏部尚書(旧制では左相の上に位し、『開元令』で下に移る)、門下侍郎、中書侍郎(旧制では正四品上、大暦二年に昇格)、左右衛、左右驍衛、左右武衛、左右威衛、左右領軍衛、左右金吾衛、左右監門衛、左右羽林軍、左右龍武、左右英武六軍大將軍、左右千牛衛大將軍(左右衛以下は、すべて武職事官である)、戸部、礼部、兵部、刑部、工部尚書(『武徳令』では、礼部は吏部の次、兵部はその次、民部はその次。貞観年間に改めて民部を礼部の次、兵部をその次とした。則天初年にまた戸部を吏部の次、礼部をその次、兵部をその次と改める)、太子賓客(旧制では兼職で品階がなく、『開元前令』で官品に定められた)、太常卿、宗正卿(天宝初年に昇格して正三品に入る)、太子詹事、左右散騎常侍(旧制では従三品に位し、広徳年間に昇格)、内侍監(唐初の旧制では、内侍省に三品官はなく、内侍四員、秩は四品であった。天宝十三年十二月、玄宗は中官の高力士・袁思藝が恩遇を受けたことを以て、特に内侍監二員を置き、秩を三品とし、これを授けた)、中都督、上都護(以上、八大将軍を除き、すべて文職事官である)、金紫光禄大夫(文散官)、冠軍大将軍(武散官)、懐化大将軍(顕慶三年に設置し、初めて帰附した首領に授け、なお諸衛に隷属させた)、上護軍(勲官)

従第三品

御史大夫(旧制では秘書監・九卿の下に位し、『開元令』で上に移る)、秘書監、光禄・衛尉・太僕・大理・鴻臚・司農・太府卿、国子祭酒、殿中監、少府監、将作監、諸衛羽林〔入正三品〕千牛龍武将軍、下都督、上州刺史、京兆・河南・太原等七尹(旧制では雍・洛長史は従四品上、景雲二年に秩を加えて従三品とした)、五大都督府長史(旧制では従四品上、景雲二年に秩を加えて従三品とした)、大都護府副都護(旧制では正四品上、『開元令』で従三品に加える)、親王傅(以上はすべて職事官である。諸衛羽林・千牛龍武将軍は武官、その他はすべて文官である)、銀青光禄大夫(文散官)、開国侯(爵)、雲麾将軍(武散官)、帰徳将軍(顕慶三年に設置し、初めて帰附した首領に授け、なお諸衛に隷属させた)、護軍(勲官。『武徳令』には天策上将府長史・司馬があったが、九年に省かれた)

正第四品上階

門下侍郎、中書侍郎(旧制では正四品下階、『開元令』で上階に加える)、尚書左丞(永昌元年に進めて正三品とし、如意元年に旧に復す)、吏部侍郎(武徳七年に諸司侍郎を省き、吏部郎中を正四品上とした。貞観三年に再び侍郎を置き、その吏部郎中は旧に復して五品下とした)、太常少卿、太子左庶子、太子少詹事、太子左右衛・左右司禦・左右清道・左右内率・左右監門率府率、中州刺史、軍器監(武徳初年は正三品、七年に省き、八年に復置し、九年にまた省き、十年に北都軍器監を復置する)、上都護府副都護、上府折沖都尉(『武徳令』では統軍は正四品下、後に折沖都尉と改める。『垂拱令』で初めて上中下府に分け、官品を改定する。以上職事官。率および折沖は武官、その他はすべて文官である)、正議大夫(文散官)、開国伯(爵)、忠武将軍(武散官)、上軽車都尉(勲官)

正第四品下階

尚書右丞(永昌元年に進めて従三品とし、如意元年に旧に復す)、諸司侍郎、太子右庶子、左右諭徳、左右千牛衛・左右監門衛中郎将、親勲翊衛羽林中郎将、下州刺史(『武徳令』では、中州刺史は正四品、下州刺史は従四品上。『貞観令』では、すべてを下州とし、正四品下に加える。以上職事官。中郎将は武官、その他はすべて文官である)、通議大夫(文散官)、壮武将軍(武散官)

従第四品上階

秘書少監、八寺少卿、殿中少監、太子左右衛・司禦・清道・内率・監門副率、太子親勲翊衛中郎将、太子家令、太子率更令、太子僕、内侍、大都護親王府長史(以上職事官。府率・中郎将は武官、その他はすべて文官)、太中大夫(文散官)、宣威将軍(武散官)、軽車都尉(勲官)

従第四品下階

国子司業、少府少監、将作少匠、京兆・河南・太原府少尹、大都督府・大都護府・親王府司馬、上州別駕(以上職事文官。『武徳令』では、上州別駕は正五品上。二十三年に長史とし、前上元年に、再び別駕を置き、従四品に定める)、中府折沖都尉(武職事官)、中大夫(文散官)、明威将軍(武散官。『武徳令』には天策上将府従事中郎があったが、九年に省かれた)

正第五品上階

諫議大夫、御史中丞(『武徳令』では従五品上。『貞観令』で正五品上に加え、五年にまた四品に加える。如意元年に旧に復す)、国子博士、給事中、中書舎人、太子中允、太子左右賛善大夫、都水使者、万年・長安・河南・洛陽・太原・晋陽・奉先・会昌県令(武徳元年の勅:万年・長安県令を正五品上とする。七年に令を定め、従五品に改む。貞観初年に旧に復す)、親勲翊衛羽林郎将、中都督府・上都護府長史、親王府諮議参軍事(『武徳令』では正五品下)、軍器少監、太史少監、親王府典軍(以上は職事官。郎将・典軍は武官、その他はすべて文官。『永徽令』では親王典軍は従四品下。『垂拱令』で五品に改めて入れる)、中散大夫(文散官)、開国子(爵)、定遠将軍(武散官)、上騎都尉(勲官)

正第五品下階

太子中舎人、尚食・尚薬奉御、太子親勲翊衛郎将、内常侍、中都督・上都護府司馬、中州別駕、下府折衝都尉(以上は職事官。郎将・折衝は武官、その他はすべて文官)、朝議大夫(文散官)、寧遠将軍(武散官。『武徳令』には天策上将軍諮祭酒あり、九年に省く)

従第五品上階

尚書左右諸司郎中(『武徳令』では吏部郎中は正四品上、諸司郎中は正五品上。貞観二年にすべて従五品上に改む)、秘書丞(『武徳令』では正五品上。『永徽令』で改む)、著作郎、太子洗馬、殿中丞、尚衣・尚舎・尚乗・尚輦奉御、献陵・昭陵・恭陵・橋陵の八陵令(『武徳令』では諸陵令は従七品下、永徽二年に献・昭二陵令を加えて従五品とする。以後の諸陵はすべて献・昭二陵に依って相承する)、親王府副典軍、下都督府・上州長史、下州別駕(以上は職事官。典軍は武官、その他はすべて文官)、朝請大夫(文散官)、開国男(爵)、遊撃将軍(武散官)、騎都尉(勲官。旧に太公廟令あり、武徳年間は七品下、永徽二年に従五品上に加え、開元二十四年に省く)

従第五品下階

大理正、太常丞、太史令、内給事・太子典内(旧は正六品上、『開元令』で改む)、下都督府・上州司馬(『武徳令』では上州治中は正五品下。貞観初年に改む)、親王友(『武徳令』では正五品下)、宮苑総監、上牧監、上府果毅都尉(以上は職事官。果毅は武散官、その他はすべて文官)、駙馬都尉、奉車都尉(ともに武散官。駙馬は近代以来、ただ公主を尚ぶ者にこれを授く。奉車は唐以来その人なし)、朝散大夫(文散官)、遊撃将軍(武散官。『武徳令』には天策上将府主簿・記室・参軍あり、九年に省く。『神龍令』には庫谷・斜谷監あり)

正第六品上階

太学博士(『武徳令』では従六品上、貞観年間に改む)、太子詹事府丞、太子司議郎、太子舎人、中郡長史(『武徳令』では中州別駕は従五品上、貞観年間に改む)、太子典膳・薬蔵郎、京兆・河南・太原府諸県令(武徳元年の勅、雍州諸県令の階は従五品上、七年に令を定めて改む)、親王府掾属(『武徳令』では従五品下)、武庫・中尚署令(『武徳令』では上署令に依り従七品下、太極年間に武庫令の階を改め、開元年間に中尚令の階を改む)、諸衛左右司階、中府果毅都尉、鎮軍兵満二万人以上の司馬(以上は職事官。司階・果毅は武官、その他はすべて文官)、親勲翊衛校尉(衛官)、朝議郎(文散官)、昭武校尉(武散官)、驍騎尉(勲官)

正第六品下階

千牛備身左右(衛官以上、王公以下の高品子孫が起家してこれとなる)、太子文学、下州長史(武徳年間、下州別駕は正六品、貞観二十三年に長史丞に改む。永淳元年、諸州に別駕官を置く。天宝八載に別駕を停め、下郡に長史を置く。後、上元二年に諸州に別駕を置き、下府長史を廃さず)、中州司馬(『武徳令』では中州治中は従五品下、『貞観令』で改む)、内謁者監、中牧監、上牧副監(以上は文職事官)、上鎮将(武職事官。『武徳令』では従四品下)、承議郎(文散官)、昭武副尉(武散官。『武徳令』には天策上将府諸曹参軍事あり、九年に省く)

従第六品上階

起居郎、起居舎人、尚書諸司員外郎(『武徳令』によれば、吏部員外郎は正六品上、諸司員外郎は正六品下。貞観二年に改定)、八寺丞、大理司直、国子助教(『武徳令』によれば、従七品上)、城門符宝郎、通事舎人、秘書郎(『武徳令』によれば、正七品上)、著作佐郎(『武徳令』によれば、正七品上)、侍御医(『武徳令』・『乾封令』によれば正七品上。『神龍令』によれば従六品下。開元に改定)、諸衛羽林長史、両京市署令(武徳四年に進めて従五品上とし、七年に令を定めて旧に復す)、下州司馬(『武徳令』によれば、中下州の治中は正六品下)、親王文学、主簿、記室、録事参軍(『武徳令』によれば、親王府文学以上は並びに正六品下)、諸州上県令(以上文職事官)、諸率府左右司階(武職事官)、鎮軍兵二万人に満たざる司馬(文職事官)、左右監門校尉、親勲翊衛旅帥(衛官)、奉議郎(文散官)、振威校尉(武散官)、飛騎尉(勲官)

従第六品下階

侍御史(旧は従七品上、『垂拱令』にて改定)、少府・将作・国子監丞、太子内直典設宮門郎、太公廟令、司農寺諸園苑監、沙苑監、下牧監、宮苑総監副、互市監、中牧副監(以上文職事官)、下府果毅都尉(武職事官)、親王府校尉(衛官)、通直郎(文散官)、振威副尉(武散官)

正第七品上階

四門博士、詹事司直、左右千牛衛長史、尚食尚薬直長、太子左右衛司禦清道率府長史、軍器監丞、諸州中県令、京兆河南太原府司録参軍事、大都督大都護府録事参軍事、親王府諸曹参軍(以上文職事官。『武徳令』によれば、親王府功曹・倉曹・戸曹・兵曹参軍事は従五品下、騎曹・鎧曹・田曹・士曹・水曹参軍事等は七品下)、中鎮将(武職事官。『武徳令』によれば従五品下)、太子千牛、親勲翊衛隊正・副隊正(以上衛官)、朝請郎(文散官)、致果校尉(武散官)、雲騎尉(勲官)

正第七品下階

尚衣尚舎尚乗尚輦直長、太子通事舎人、内寺伯、京兆河南太原府大都督大都護府諸曹参軍、中都督上都護府録事参軍事、諸倉諸冶司竹温湯監、諸衛左右中候、上府別将(『武徳令』によれば別将は正五品上、後に果毅と改む。聖暦三年に別将を復置)、上府長史(『武徳令』によれば統軍長史は正八品下)、上鎮副(『武徳令』によれば従五品下)、下鎮将(『武徳令』によれば正六品下)、下牧副監(以上職事官。中候・別将・鎮副・鎮将は武と為し、余は並びに文と為す)、宣徳郎(文散官)、致果副尉(武散官。『武徳令』にはまた天策上将府参軍事有り、九年に省く。また塩池塩井監・諸王百司問事謁者有り)

従第七品上階

殿中侍御史(『武徳』より『乾封令』に至るまで並びに正八品上、垂拱年に改定)、左右補闕、太常博士、太学助教(『武徳令』によれば従八品下)、門下録事、中書主書、尚書都事、九寺主簿、太子詹事主簿、太子左右内率監門率府長史、太子侍医、太子三寺丞、都水監丞、諸州中下県令、親王府東西閣祭酒(『武徳令』によれば正六品下)、京県丞(万年・長安・河南・洛陽・奉先・会昌・太原・晋陽)、下都督府上州録事参軍、中都督上都護府諸曹参軍事、中府別将長史、中鎮副(『武徳令』によれば正六品下。以上職事官。別将・鎮副は武と為し、余は並びに文と為す)、左右監門直長勲衛、太子親衛(以上衛官)、朝散郎(文散官)、翊麾校尉(武散官)、武騎尉(勲官)

従第七品下階

太史丞(監局同)、御史台少府将作国子監主簿(御史台・国子監主簿は旧正八品、《垂拱令》で改む)、掖庭令、宮闈令、上署令(郊社・太楽・鼓吹・太医・太官・左蔵令・乗黄・典客・上林・太倉・平准・常平・左尚・右尚・典牧。《武徳令》には太廟・諸陵・典農・中尚・都水・常平あり。左尚・典牧は本中署、右尚は本下署、開元初年にこれを改む)、諸州下県令(天宝五載、一切を中下県とす)、諸陵署丞(永徽二年に秩を加う。旧に太廟署丞あり、武徳は九品、永徽二年に秩を加え従七品上、開元年に省く)、司農寺諸園苑副監(《神龍令》に諸冶副監あり)、宮苑総監丞、下都督府諸曹参軍、太子内坊丞(旧正八品上、開元初年に改む)、親王国令(旧規、流内正九品、太極年に改む)、公主家令(旧規、流内正八品、太極年に改む)、上州諸参軍事、下府別将長史、下鎮副(《武徳令》、従六品下)、諸屯監(《武徳令》に芳醖監あり、《神龍令》に漆園監あり)、諸率府左右中候、鎮軍満二万人以上諸曹判司(已上職事官。別将・鎮副・中候は武と為し、余は並びに文と為す)、太子左右監門直長、親王府旅帥、諸折衝府校尉(已上衛官。《武徳令》、諸府校尉は正六品下なり)、宣議郎(文散官)、翊麾副尉(武散官)

正第八品上階

監察御史(旧従八品上、《垂拱令》で改む)、協律郎、諸衛羽林龍武軍録事参軍事、中署令(鉤盾・右蔵・職染・掌治、《武徳令》に衣冠署令あり)、中州録事参軍事、太医博士、太子典膳薬蔵丞、軍器監主簿、武庫署丞(旧従八品下、開元初年に改む)、両京市署丞、上牧監丞(《武徳令》、従八品下、《神龍令》に庫谷・斜谷・太陰・伊陽監丞あり)、鎮軍不満二万人以上諸曹判司(已上文職事官)、翊衛、太子勲衛、親王府執仗執乗親事(已上衛官)、給事郎(文散官)、宣節校尉(武散官。《武徳令》に天策上将府典籤あり、九年に省く)

正第八品下階

奚官内僕内府局令、下署令(太卜・廩犠・珍羞・良醖・掌醢・守宮・武器・車府・司儀・崇玄・導官・中右校・左校・甄官・河渠・弩坊・甲坊。《神龍令》に又幹・楫二署令あり)、諸衛羽林龍武諸曹参軍事、中州諸司参軍事、親王府京兆河南太原府大都督大都護府参軍事(《武徳令》、親王府参軍は従七品下、雍州行参軍は正八品上)、尚薬局司医、京兆河南太原府諸県丞、太子内直宮門丞、太公廟丞、諸宮農圃監、互市監丞、司竹副監、司農寺諸園苑監丞、霊台郎(已上文職事官)、諸衛左右司戈、上戍主(已上武職事官。《武徳令》に中鎮長史あり)、備身(衛官)、征事郎(文散官)、宣節副尉(武散官)

従第八品上階

左右拾遺、太医署針博士、四門助教(《武徳令》、従九品上)、左右千牛衛録事参軍、下州録事参軍(《武徳令》に中下州諸司参軍事あり)、諸州上県丞、中牧監丞(《武徳令》、正八品上)、京県主簿、太子左右衛司禦清道率府録事参軍、中都督府上都護府参軍、親王府行参軍(《武徳令》、正八品上)、京兆河南太原大都督府博士(《武徳令》、雍州博士は従八品下)、諸倉諸冶司竹温湯監丞(《武徳令》に塩池・塩井監丞あり、《神龍令》に太和監丞あり)、保章正(已上文職事官)、太子翊衛諸府旅帥(已上衛官。《武徳》《乾封令》、諸府旅帥は正七品下)、承奉郎(文散官)、禦侮校尉(武散官)

従第八品下階

大理評事、律学博士、太医署丞、医監、太子左右春坊録事、左右千牛衛諸曹参軍、内謁者、太子左右衛司禦清道率府諸曹参軍事、太子諸署令、掖庭宮圍局丞、太史都水監主簿(太史を局と為すときは則ち主簿を省く)、中書門下尚書都省兵吏部考功礼部主事(旧従九品上、開元二十四年に七司を八品に改め入る、其の省内諸司は旧に依る)、上署丞(《武徳令》に芳醖監丞あり)、下都督府上州参軍事、中都督府上州博士、諸州中県丞、諸王府典籤(《武徳令》、正八品下)、京県尉、親王国大司農(旧規、流内正第七品、開元初年に改む)、公主家丞(旧規、流内正第九品、開元初年に改む)、諸屯監丞、上関令、上府兵曹、上鎮倉曹兵曹参軍事(《武徳令》に下鎮長史あり)、挈壺正(已上文職事官)、中戍主、上戌副、率府左右司戈(已上武職事官)、太子備身、親王府隊正(已上衛官)、承務郎(文散官)、禦侮副尉(武散官)

正第九品上階

校書郎(『永徽令』では従八品下に加えられ、『垂拱令』で旧に復す)、太祝、太子左右内率監門府録事参軍、太子内方典直、中署丞、典客署掌客、親勳翊衛府羽林兵曹参軍事、嶽瀆令、諸津令、下牧監丞(『武徳令』では正八品下。『神龍令』には漆園丞あり、『開元前令』には沙苑丞あり)、諸州中下丞、中郡博士(『武徳令』では正九品下)、京兆河南太原府諸県主簿、武庫署監事(以上並びに文職事官。『武徳令』には天策上将府録事あり。その武庫監事は従九品下、太極年に改む)、儒林郎(文散官)、仁勇校尉(武散官)

正第九品下階

正字(『永徽令』では上階に改めて入る、『垂拱令』で旧に復す)、太子校書(『永徽令』では上階に改めて入る、『垂拱令』で旧に復す)、奚官内僕内府局丞、下署丞、尚食局食医、尚薬局医佐、尚乗局奉乗司庫司廩、太史局司辰、典廄署主乗、太子左右内率監門率府諸曹参軍事、太子三寺主簿、詹事府録事(龍朔年に桂坊録事を置き、咸亨年に省く)、太子親勳翊府兵曹参軍事、諸州下県丞、諸州上県中県主簿、中州参軍事(『武徳令』では正九品上)、下州博士(『武徳令』では中下州博士は従九品上、下州博士は従九品下)、京兆河南太原府諸県尉、上牧主簿、諸宮農圃監丞、中関令、中府兵曹、親王国尉(旧規、流内正八品、開元初年に改む。『武徳令』には親王府鎮事及び司閣あり)、上関丞(『武徳令』には上津尉あり)、諸衛左右執戟、中鎮兵曹参軍、下戍主(以上職事官。執戟、戍主は武と為し、余は並びに文と為す)、諸折衝府隊正(衛官)、登仕郎(文散官)、仁勇副尉(武散官)

従第九品上階

尚書諸司御史台秘書省殿中省主事、奉礼郎、律学助教、太子正字、弘文館校書、太史司暦、太医署医助教、京兆河南太原府九寺少府将作監録事、都督都護府上州録事市令、宮匹総監主簿、中牧監主簿(『永徽令』には監漕あり)、諸州中下県主簿、上県中県尉、下府兵曹(以上並びに職事文官)、文林郎(文散官)、陪戎校尉(武散官)

従第九品下階

内侍省主事、国子監親王府録事、太子左右春坊主事、崇文館校書、書学博士、算学博士、門下典儀、太医署按摩呪禁博士、太卜署博士、太医署針助教、太医署医正、太卜署卜正、太史局監候、親王国丞(旧規、流内正第九品、開元初年に流内正より改む)、掖庭局宮教博士、太子諸署丞、太子典食署丞、太子廄牧署典乗、諸監作諸監事計官、太官署監膳、太楽鼓吹署楽正、大理寺獄丞、下州参軍事(『武徳令』では中下州行参軍は正九品、下州参軍は従九品上)、中州下州医博士、諸州中県下県尉、京県録事、下牧監主簿、下関令、中関丞、諸衛羽林長上、公主邑司録事、諸津丞、下鎮兵曹参軍(『武徳令』には諸橋諸堰丞あり)、諸率府左右執戟(以上職事官。長上、執戟は武と為し、余は並びに文と為す)、親王府隊副、諸折衝府隊副(以上衛官)、将仕郎(文散官)、陪戎副尉(武散官)

流内九品三十階の内に、また視流内起居あり、五品より従九品に至る。初めは薩宝府、親王国官及び三師、三公、開府、嗣郡王、上柱国已下護軍勲官に職事を帯びる者の府官等の品を以てす。開元初年、一切之を罷む。今は唯だ薩宝、祅正の二官のみ有り。また流外は勲品より九品に至り、諸司令史、賛者、典謁、亭長、掌固等の品と為す。視流外も亦た勲品より九品に至る。開元初年、唯だ薩宝、祅祝及び府史を留め、余も亦た之を罷む。

職事は、諸の曹事を統領し、王命に供し、上下相い摂し、以て庶績を保つ。近代已来、又た文武の二職に分かれ、曹を分ち員を置き、各其の掌る所を理す。五品已上は、旧制吏部尚書進用す。隋已後よりは、則ち中書門下知政事官訪択し聞奏し、然る後に制を下して之を授く。三品已上は、徳高く委重き者も、亦た臨軒冊授有り。神龍の後より、冊礼廃れて用いず、朝廷官を命ずるは、制勅のみ。六品已上は、吏部選擬し録奏し、書旨を以て之を授く。

唐已来、出身して仕に入る者は、令に著す所に秀才、明経、進士、明法、書算有り。其の次は流外より流に入る。若し門資を以て仕に入らば、則ち先ず親勲翊衛六番を授け、文武の簡入に随う。選例に又た斎郎、品子、勲官及び五等封爵、屯官の属有り、亦た番第有り、同じく揀選するを許す。天宝三載、又た崇玄学を置き、『道徳』等の経を習わしめ、明経の例に同じ。自余は或いは臨時に勅を聴く、尽く載すべからず。其の秀才は、唐已来人無し。

職事官の資位は、清濁を区別し、順次補任する。また三品以下の官、及び門下侍郎・中書侍郎・尚書左右丞・諸司侍郎・太常少卿・太子少詹事・左右庶子・秘書少監・國子司業を清望官とする。太子左右諭徳・左右衛・左右千牛衛中郎将・太子左右率府・左右内率府率及び副・太子左右衛率府中郎将(以上四品)・諫議大夫・御史中丞・給事中・中書舎人・太子中允・中舎人・左右賛善大夫・洗馬・國子博士・尚書諸司郎中・秘書丞・著作郎・太常丞・左右衛郎将・左右衛率府郎将(以上五品)・起居郎・起居舎人・太子司議郎・尚書諸司員外郎・太子舎人・侍御史・秘書郎・著作佐郎・太学博士・詹事丞・太子文学・國子助教(以上六品)・左右補闕・殿中侍御史・太常博士・四門博士・詹事司直・太学助教(以上七品)・左右拾遺・監察御史・四門助教(以上八品)を清官とする。これ以外は各々資位の順次により遷任する。開元中、裴光庭が吏部尚書となり、始めて循資格を用いて六品以下の選人を注擬した。その後毎年多少の変更はあるが、相承して今日まで用いられている。

武散官は、旧くは散位と称し、職務を扱わず、加官に過ぎなかった。後魏及び梁では、皆散号将軍をもってその本階を記した。隋より開府儀同三司以下に改めた。貞観年間、また文武を分け、入仕する者は皆散位を帯び、これを本品と称した。

門資をもって出身する者は、諸嗣王・郡王の出身は従四品下、親王の諸子で郡公に封ぜられた者は従五品上、國公は正六品上、郡公は正六品下、縣公は従六品上、侯は正七品上、伯は正七品下、子は従七品上、男は従七品下である。皇帝の緦麻以上の親・皇太后の周親の出身は六品上。皇太后の大功親・皇后の周親は従六品上。皇帝の袒免親・皇太后の小功緦麻親・皇后の大功親は正七品上。皇后の小功緦麻親・皇太子妃の周親は従七品上。その外戚は各々服属に依り宗親より二階を降して叙する。諸郡主を娶る者は出身六品上、縣主を娶る者は正七品上、郡主の子は出身従七品上。縣主の子は従八品上。一品の子は正七品上、二品の子は正七品下、三品の子は従七品上、従三品の子は従七品下、正四品の子は正八品上、従四品の子は正八品下、正五品の子は従八品上、従五品及び國公の子は従八品下。三品以上は曾孫を廕し、五品以上は孫を廕す。孫は子より一等を降し、曾孫は孫より一等を降す。

諸秀才の出身は、上上第は正八品上、上中第は正八品下、上下第は従九品上。明経の出身は、上上第は従八品下、上中第は従九品上。進士・明法の出身は、甲第は従九品上、乙第は従九品下。もし二経を通じた以外は、一経ごとに一等を加える。

勲官で文武選に預かる者は、上柱國は正六品上に叙し、以下一階ずつ降る。凡そ入仕の後、遷代は四考を限りとする。四考が中中であれば、年労を進めて一階を叙する。一考が中上であれば、一階を進め、一考が上下であれば、二階を進める。五品以上は恩制により加えられるのでなければ、更に進める令はない。

武徳より乾封に至るまで、泛階の恩はなかった。三品に入るべき者は、皆恩旧により特拝し、五品に入る者は多く選叙に依り、階が朝散大夫以上に計至すれば、奏して進止を取り、毎年多少を量って進叙した。余は並びに本品に依り官を授けた。もし満三計至に至れば、即ち一切入ることを聴した。乾封元年に至り、文武普く二階を加えた。永淳元年二月の勅:「文武官の累積した労効は、五品に計至する。一計至の者は、多く未だ甄擢されず。再計至の者は、例に随い必ず升り、賢愚一貫である。今より以後、一計至以上で、在官清慎、状跡灼然、材能応務に堪える者は、所司が状を具して録奏し、当に階を進めん。もし公正無聞、循黙自守、及び未だ州県官を任ぜざる者は、頻りに計至するも、加階の限りに在らず。即ち恒例と為す。」弘道元年、また普く一階を加えた。乃ち九品職事及び三衛で階高き者あり、並びに五品に入った。則天朝、泛階漸く多く、始めて仕えて八考を経、職事六品の者を入ることを許した。萬歳通天元年の勅:「今より以後、文武官の加階で五品に入るべき者は、並びに出身を取り、已に十二考以上を歴し、進階の時、見居六品官なる者。三品に入るべき人は、出身已に二十五考以上、進階の時見居三品官なる者。」間もなく、五品に入る者は又十六考に加えられた。神功元年の制「勲官・品子・流外国官の出身は、清資要官に任ずるを得ず。三品に入るべき者は、進階するを得ず」。開元以来、伎術者は二十考を経、三省都事及び主事・録事は十八考を経て、亦叙することを聴す。吏部は歴任の階考を検し、判成して録奏する。毎制の日、三品五品に入るべき者は、皆人をして参趁せしむ。或は遠方の牧宰・諸司の閑職、金帛を齎持して主典に贈遺し、加階の令史を知り、乃ち万数を受納する者有り。台省の要職は、位を加えることを以て栄と為し、亦主典に銭帛を遣わす者有り。

旧例、開府及び特進は、職事せざるも、皆俸祿を給し、朝会に預かり、行立は本品の次に在り。光禄大夫以下、朝散大夫以上は、衣服は本品に依るも、禄俸無く、朝会に預からず。朝議郎以下は、黄衣に笏を執り、吏部に於いて番を分けて上下し、承使及び親しく駆使され、甚だ猥賤なり。毎上る時に当たり、主事令史の為に扃鑰を守り鞭帽を執る者に至る。両番以上に至れば、則ち番に随い簡を許し、時務に通ずる者を始めて選に参することを令す。一旦職事に登った後は、官に代満有りと雖も、即ち復た番上せず。

勲官とは、周と斉が交戦した時期に起こったものである。本来は戦士に報いるものであったが、その後次第に朝廷の流れに及んだ。階級と爵位の外に、さらに等級を設けた。周は上開府儀同三司、開府儀同三司、上儀同三司、儀同三司など十一の称号を置いた。隋の文帝は周の旧制に因り、さらに増減した。上柱国、柱国、上大将軍、大将軍、上開府儀同三司、開府儀同三司、上儀同三司、儀同三司、大都督、帥都督、都督があり、正二品から七品に至り、総じて十一等とし、勲労を賞するのに用いた。よう帝はまた左光禄大夫、右光禄大夫、金紫光禄大夫、銀青光禄大夫、正議大夫、朝請大夫、朝散大夫、建節奮武尉、宣恵尉の十一等に改め、都督以上の代わりとした。また綏徳、懐仁、守義、奉誠、立信などの五尉を増置し、従九品に至った。武徳初年、隋の制度を雑用し、七年に令を頒布し、上柱国、柱国、上大将軍、大将軍、上軽車都尉、軽車都尉、上騎都尉、騎都尉、驍騎尉、飛騎尉、雲騎尉、武騎尉を用いることを定め、凡そ十二等とし、正二品より始まり、従七品に至った。貞観十一年、上大将軍を上護軍と改め、大将軍を護軍と改め、その外は改めず、今日まで行われている。

永徽以後、国初の勲名と散官名が同じであったため、年月が久しくなるにつれ、次第に錯乱した。咸亨五年三月、さらに詔を下して明らかにし、各々類によって比した。武徳初年の光禄大夫は今日の上柱国に比し、左光禄大夫は柱国に比し、右光禄大夫及び上大将軍は上護軍に比し、金紫光禄大夫及び将軍は護軍に比し、銀青光禄大夫及び上開府は上軽車都尉に比し、正議大夫及び開府は軽車都尉に比し、通議大夫及び上儀同三司は上騎都尉に比し、朝請大夫及び儀同は騎都尉に比した。勲を授かる者は動いて万を数え、毎年課を納め、また兵部及び本郡の当上省司に分番した。また諸曹に分かれ、身をもって役使に応じ、僮僕の類のようであり、令によれば公卿と班を同じくするが、論ずるに実は胥吏の下にある。その猥多であり、また兵卒より出るが故に、そうなったのである。

武徳初年、諸道の軍務が事繁雑であるため、行台尚書省を分置した。その陝東道大行台尚書省は、令一人(正第二品)、管内の軍人を管掌し、省事を総判する。僕射一人(従第二品、三品の任に置く)、令の事を貳ることを掌る。左丞一人(正第四品下)、右丞一人(正第四品下)、分司して省内を糾正することを掌る。都事一人(従第七品上)、主事四人(従第九品上、諸司の主事は皆同じ)、並びに京省と同じく掌る。兵部尚書一人(正第四品、諸尚書は皆同じ)、吏部の事を兼掌する。司勲郎中一人(正第五品上、諸郎中は皆同じ)。主事一人。考功郎中一人、主事一人。兵部郎中一人、主事二人。駕部郎中一人、主事二人。民部尚書一人、礼部の事を兼掌する。礼部郎中一人、主事一人。膳部郎中一人、主事一人。度支郎中一人、主事二人。倉部郎中一人、主事二人。工部郎中一人、主事一人。屯田郎中一人、主事一人。毎郎中は京省の二司を兼ねる(各々令史、書令史及び掌固あり、並びに流外)。食貨監一人(正第八品下、諸監同じ)、膳羞、財物、賓客、鋪設、音楽、医薬の事を掌り、丞二人(正第九品下、諸監丞同じ)。農圃監一人、倉廩、園圃、柴炭、芻槁、運漕の事を掌り、丞四人。武器監一人、兵仗、廄牧の事を掌り、丞二人。百工監一人、舟車及び営造雑作の事を掌り、丞四人(各々録事及び府史、典事、掌固等あり、並びに流外)。諸道行台尚書省(益州道、襄州道、東南道、河東道、河北道)令一人(従第二品)、陝東道大行台と同じく掌る。僕射一人(正第三品、左右任置)、丞一人(左右任置。左丞従四品上、右丞従四品下)、都事二人(正第八品上)、主事二人。兵部尚書一人(従第三品、諸尚書同じ)、吏部、礼部の事を兼掌する。考功郎中一人(従第五品上、諸郎中並びに同じ)。主事二人(従第九品下、諸主事同じ)。膳部郎中一人、主事二人。兵部郎中二人、主事二人。民部尚書一人、刑部、工部を兼掌する。倉部郎中二人、主事二人。刑部郎中一人、主事二人。屯田郎中一人、主事二人(毎郎中は京省の三司を兼掌し、各々令史、書令史、掌固あり、並びに流外なり)。食貨監一人(従八品上、武器監同じ)、農圃監の事を兼掌し、丞一人。百工監の事を兼掌し、丞二人。(両監は各々録事、府史、典事、掌固等あり、並びに流外)

当時、秦王(李世民)と斉王(李元吉)の王府の官職のほかに、それぞれ左右六護軍府および左右親事帳内府を設置した。その左一・右一護軍府には護軍各一人(正四品下)を置き、統軍以下の者を率いて侍衛・陪従することを掌った。副護軍各二人(従四品下)。長史各一人(従七品下)。録事参軍各一人(従八品、録事および府史があり、いずれも流外官)。倉曹参軍事各一人、兵曹参軍事各一人、鎧曹参軍事各一人(いずれも正九品下、それぞれ府史があり、いずれも流外官)。統軍各五人、別将各十人を置き、それぞれ親勲衛および外軍を率いることを分掌した。左二・右二護軍府、左三・右三護軍府は、それぞれ統軍を三人、別将を六人減らした。その他の職員は左一・右一府と同じである。その左右親事府には統軍各一人(正四品下)を置き、左右別将を率いて侍衛・陪従することを掌った。長史一人(正八品下)。録事参軍事各一人(正九品上、録事および府史があり、いずれも流外官)。兵曹参軍事各一人、鎧曹参軍事各一人(いずれも正九品下、それぞれ府史があり、いずれも流外官)。左別将各一人、右別将各一人(正五品下)を置き、親事以上の者を率いて侍衛・陪従することを掌った。その帳内府の職員の品秩は、統軍府と同じである。また、庫直および駆咥直があった(庫直は親事府に隷属し、駆咥直は帳内府に隷属する)。それぞれ左右の中から才能に堪える者を選び、事に応じて量ってこれを置いた。

武徳四年、太宗が洛陽を平定した後、さらに天策上将府の官員を設置した。天策上将一人、国の征討を掌り、府事を総判した。長史・司馬各一人、従事中郎二人を置き、いずれも府事を通判することを掌った。軍諮祭酒二人、軍事を謀り、礼儀を賛相し、賓客を宴接した。典籤四人、宣伝・導引の事を掌った。主簿二人、教命を省復することを掌った。録事二人、記室参軍事二人、書疏・表啓を掌り、教命を宣行した。功曹参軍事二人、官員の仮使・儀式・医薬・選挙・考課・禄恤・鋪設などの事を掌った。倉曹参軍二人、糧廩・公廨・田園・厨膳・過所などの事を掌った。兵曹参軍事二人、兵士の簿帳・差点などの事を掌った。騎曹参軍事二人、馬・驢・雑畜の簿帳および牧養・支料・草粟などの事を掌った。鎧曹参軍事二人、戎仗の事を掌った。士曹参軍事二人、営造および罪罰の事を掌った(六曹にはいずれも令史・書令史があった)。参軍事六人、出使および雑な検校の事を掌った。その陝東道大行台尚書令および天策上将は、太宗が藩王であった時にこれを務めた。そして皇太子に昇ると、ともにこれを省いた。山東道行台は、武徳五年に省いた。その他の道の行台は九年に省いた。