舊唐書

巻019下

巻019下

舊唐書

原文舊唐書

卷十九下

原文卷十九下

本紀第十九下 僖宗

原文本紀第十九下 僖宗

僖宗恵聖恭定孝皇帝の諱は儇、懿宗の第五子、母は恵安皇后王氏という。咸通三年五月八日に東内にて生まれる。初め普王に封ぜられ、名は儇。

原文僖宗惠聖恭定孝皇帝諱儇,懿宗第五子,母曰惠安皇后王氏。咸通三年五月八日生於東內。初封普王,名儼。

咸通十四年

原文咸通十四年

十四年七月、懿宗の病篤し。その月十八日、制して曰く、「朕は大器の重きを守り、兆人の上に居り、日一日と慎み、履くが如く臨むが如し。日暮れても労を懐い、寝起きしては治を思い、道に渉ること猶浅く、代を導くこと未だ信ぜられず。而して摂養方に乖き、寒暑癘を成し、実に闕政を慮うる有り、且つ怡神に暇あらず。恙少しも瘳えず、日に加えて浸く劇し、万務凡そ総べ、須らく主張有るべし。旧章を考思し、卿士に謀り、鴻業を闡さんと思い、式に皇儲を建てんとす。第五男普王儇は名を儇と改め、孝敬温恭、寛和博厚、日に新たなる令徳、天は英姿を仮し、言は皆規に中り、動は必ず礼に由る。邦本を崇げしめ、允に人心に協わん。宜しく皇太子に立て、権に軍国政事を勾当すべし。爾中外の卿士、及び腹心の臣に咨る、予が胤を敬い保ち、予が志を輔成し、各乃心を竭くして、以て黎庶を安んぜよ。中外に布告し、朕が意を知らしめよ」と。是の日、懿宗崩ず。二十日、柩前にて即皇帝位す。時に年十二。左軍中尉劉行深・右軍中尉韓文約、中に居て執政し、並びに国公に封ぜらる。

原文十四年七月,懿宗大漸。其月十八日,制曰:「朕守大器之重,居兆人之上,日慎一日,如履如臨。旰昃勞懷,寢興思理,涉道猶淺,導代未孚。而攝養乖方,寒暑成癘,實有慮于闕政,且無暇於怡神。恙未少瘳,日加浸劇,萬務凡總,須有主張。考思舊章,謀於卿士,思闡鴻業,式建皇儲。第五男普王儼改名儇,孝敬溫恭,寬和博厚,日新令德,天假英姿,言皆中規,動必由禮。俾崇邦本,允協人心,宜立為皇太子,權勾當軍國政事。咨爾中外卿士,洎於腹心之臣,敬保予胤,輔成予志,各竭乃心,以安黎庶。佈告中外,知朕意焉。」是日,懿宗崩。二十日,即皇帝位於柩前,時年十二。左軍中尉劉行深、右軍中尉韓文約居中執政,並封國公。

八月、皇帝は喪服を除く。聖母王氏を冊して皇太后と為す。河南大水、七月より雨止まず、喪服を除く後に方びて霽る。

原文八月,皇帝釋服。冊聖母王氏為皇太后。河南大水,自七月雨不止,至釋服後方霽。

九月、守司空しくう・門下侍郎・平章事韋保衡を賀州刺史に貶す。岳州刺史于琮を以て太子少傅と為し、琮に縁りて貶逐せられたる者並びに放還す。循州司戸崔沆復た中書舎人と為り、前戸部侍郎・知制誥・翰林学士承旨鄭畋を左散騎常侍さんきじょうじと為し、前兵部侍郎・知制誥・翰林学士張裼を太子賓客と為し、前諫議大夫高湘復た諫議大夫と為り、前宣歙観察使楊厳復た給事中と為る。

原文九月,守司空、門下侍郎、平章事韋保衡貶賀州刺史。以岳州刺史于琮為太子少傅,緣琮貶逐者並放還。循州司戶崔沆復為中書舍人,前戶部侍郎、知制誥、翰林學士承旨鄭畋為左散騎常侍,前兵部侍郎、知制誥、翰林學士張裼為太子賓客,前諫議大夫高湘復為諫議大夫,前宣歙觀察使楊嚴復為給事中。

十月、左僕射・門下侍郎・平章事劉鄴を検校左僕射・同平章事と為し、揚州大都督ととく府長史を兼ね、淮南節度観察副大使・知節度事を充てる。

原文十月,左僕射、門下侍郎、平章事劉鄴檢校左僕射、同平章事,兼揚州大都督府長史,充淮南節度觀察副大使、知節度事。

十一月、光禄大夫・守太子少傅・駙馬都尉于琮を以て検校尚書左僕射と為し、襄州刺史・御史大夫を兼ね、山南東道節度観察等使を充てる。

原文十一月,以光祿大夫、守太子少傅、駙馬都尉于琮檢校尚書左僕射,兼襄州刺史、御史大夫,充山南東道節度觀察等使。

十二月、雷震く。義成軍節度使・検校刑部尚書杜慆に就き兵部尚書を加う。

原文十二月,雷震。義成軍節度使、檢校刑部尚書杜慆就加兵部尚書。

乾符元年

原文乾符元年

二月、懿宗を簡陵に葬る。

原文二月,葬懿宗于簡陵。

三月、河東節度使・検校尚書右僕射崔彦昭を尚書兵部侍郎と為し、諸道塩鉄転運等使を充てる。銀青光禄大夫・京兆尹・上柱国・岐山郡開国公・食邑三千戸竇浣を検校戸部尚書・太原尹・北都留守・御史大夫と為し、河東節度管内観察処置等使を充てる。中書侍郎・刑部尚書・同平章事趙隠を検校吏部尚書・潤州刺史・浙江西道都団練観察等使と為す。四月、崔彦昭は本官のまま同平章事と為り、使を領すること旧の如し。前淮南節度使李蔚を吏部尚書と為す。天平軍節度使・検校尚書右僕射・鄆州刺史を兼ぬる高駢を検校司空と為し、成都尹を兼ね、剣南西川節度副大使・知節度事を充てる。右散騎常侍韋荷を吏部侍郎と為す。前同州刺史崔璞を右散騎常侍と為す。右領軍衛上将軍渾僖を検校吏部尚書・左千牛衛上将軍と為す。侍御史盧胤征を司封員外郎と為し、戸部案を判ず。

原文三月,以河東節度使、檢校尚書右僕射崔彥昭為尚書兵部侍即,充諸道鹽鐵轉運等使。以銀青光祿大夫、京兆尹、上柱國、岐山郡開國公、食邑三千戶竇浣檢校戶部尚書、太原尹、北都留守、御史大夫,充河東節度管內觀察處置等使。以中書侍郎、刑部尚書、同平章事趙隱檢校吏部尚書、潤州刺史、浙江西道都團練觀察等使。四月,崔彥昭本官同平章事,領使如故。以前淮南節度使李蔚為吏部尚書。以天平軍節度使、檢校尚書右僕射、兼鄆州刺史高駢檢校司空,兼成都尹,充劍南西川節度副大使、知節度事。以右散騎常侍韋荷為吏部侍郎。前同州刺史崔璞為右散騎常侍。右領軍衛上將軍渾僖檢校吏部尚書、左千牛衛上將軍。以侍御史盧胤征為司封員外郎,判戶部案。

五月、吏部侍郎鄭畋を兵部侍郎・同平章事と為し、戸部侍郎・知制誥・翰林学士・賜紫金魚袋盧攜を本官のまま同平章事と為す。太子右庶子李嶧を太僕卿と為し、侍御史裴渥を起居郎と為す。嶺南東道節度使・検校刑部尚書鄭従讜を刑部尚書と為し、吏部侍郎韋荷を検校礼部尚書・広州刺史・嶺南東道節度使と為す。

原文五月,以吏部侍郎鄭畋為兵部侍郎、同平章事,戶部侍郎、知制誥、翰林學士、賜紫金魚袋盧攜本官同平章事。太子右庶子李嶧為太僕卿,侍御史裴渥為起居郎。以嶺南東道節度使、檢校刑部尚書鄭從讜為刑部尚書,以吏部侍郎韋荷檢校禮部尚書、廣州刺史、嶺南東道節度使。

七月、礼部侍郎裴瓚を検校左散騎常侍・潭州刺史・御史大夫・湖南観察使とする。故湖南観察使李庾に礼部尚書を追贈する。

原文七月,以禮部侍郎裴瓚為檢校左散騎常侍、潭州刺史、御史大夫、湖南觀察使;故湖南觀察使李庾贈禮部尚書。

十月、中書舎人崔沆を中書侍郎とし、右諫議大夫崔胤を給事中とする。

原文十月,以中書舍人崔沆為中書侍郎,右諫議大夫崔胤為給事中。

十一月丙戌朔。庚寅、帝は宗廟に事あり、礼畢、丹鳳門に御し、大赦し、元を改めて乾符と為す。宰相蕭仿は司空・弘文館大学士・太清宮使を兼ね、兵部侍郎崔彦昭は中書侍郎と為り、兵部侍郎鄭畋は集賢殿大学士と為る。宣慰沙陀六州部落・検校兵部尚書李鈞を霊武節度使と為す。制に曰く、「朕は沙陀の驍ぎょう勇、重ねて戦功を累ね、六州の蕃・渾、王化を沐浴するを以てす。其の猜貳より出で、互いに傷殘有るを念ひ、而して克璋仇を報ふるも、其の意未だ已まず。我が君臨の徳に被り、吾が子育の心を軫る。爰に良能を択び、之をして宣撫せしむ。惟れ爾が先正、嘗て北門を鎮め、国昌を雄傑の才を以て待ち、国昌を済活の地に置く。既に奕葉の旧を藉り、又任土の観を懐く。是を用て封疆を付し、軍旅を委ぬ。必ずや王事を集め、家声を墜さざらん」と。初め鈞の父業は太原を鎮め、代北の部落を安集し能くす。時に李国昌父子は大同・振武に拠り、吐渾・契苾・幽州諸道の軍之を攻めて利あらず。故に鈞に霊武の節鉞を仮し、師を率いて招諭せしむ。長安ちょうあん令李壁を諫議大夫と為し、吏部員外郎徐彦若を長安令と為す。兵部郎中盧鄯を楚州刺史と為す。

原文十一月丙戌朔。庚寅,上有事於宗廟,禮畢,禦丹鳳門,大赦,改元為乾符。宰相蕭仿兼司空、弘文館大學士、太清宮使,兵部侍郎崔彥昭為中書侍郎,兵部侍郎鄭畋為集賢殿大學士。以宣慰沙陀六州部落、檢校兵部尚書李鈞為靈武節度,制曰:「朕以沙陀驍勇,重累戰功,六州蕃、渾,沐浴王化。念其出於猜貳,互有傷殘,而克璋報仇,其意未已。被我君臨之德,軫吾子育之心,爰擇良能,俾之宣撫。惟爾先正,嘗鎮北門,待國昌以雄傑之才,置國昌於濟活之地。既藉奕葉之舊,又懷任土之觀。是用付以封疆,委之軍旅,必集王事,無墜家聲。」初鈞父業鎮太原,能安集代北部落。時李國昌父子據大同、振武,吐渾、契苾、幽州諸道之軍攻之不利,故假鈞靈武節鉞,率師招諭之。以長安令李壁為諫議大夫,以吏部員外郎徐彥若為長安令。兵部郎中盧鄯為楚州刺史。

十二月、党項・回鶻辺を寇す。左司郎中崔原を兵部郎中と為し、江州刺史李可仁を右司郎中と為す。権知工部尚書牛蔚を礼部尚書と為し、太子賓客于浱を工部尚書と為す。是の冬、南詔蛮蜀しょくを寇す。詔して河西・河東・山南西道・東川に徴兵し赴援せしむ。西川節度使高駢奏す、「勅を奉じて長武・鄜州・河東等道の兵士を抽発し、剣南行営に赴かしむる者。伏して西川の新軍旧軍差到已に衆し、況んや蛮蜒の小丑、必ず枝梧す可しとす。今道路崎嶇、館駅窮困を以てし、更に軍頓有らば、立に流移を見ん。所謂一処の完全を望みて百処俱に破るるなり。且つ兵は衆に在らずして和に在り。其の左右神策長武鎮・鄜州・河東の抽する甲馬兵士、人数少なからず、況んや軍食を備辦し、費損尤も多し。又三道の藩鎮に縁り、尽く羌戎を扼す。辺鄙未だ寧からず、差発せざるを望む。如し已に道路に在らば、並びに勅を降して勒回せんことを請ふ」と。詔答して曰く、「蛮蜒如し尚ほ憑淩せば、固より倍兵を須ひて敵を禦ぐ。若し已に奔退せば、即ち力を並せて追擒すべし。方に北軍を藉り、南寇を平ぐるを助けんとす。其の三処の兵士は、宜しく高駢に委ね、蜀に到るの日に候ひ分布驅使せしむべし。具に務むるは多多の辦、寧ろ亂す可きか整整の師。其の河東一千二百人は、竇浣に差発せしむるなからんことを令す」と。時に駢は蛮を捍ぎ已に退く。長武の兵士竟に蜀に至りて還る。議者は其の労費を惜しみて虚しく出入の賞を邀ふるなり。右軍中尉韓文約疾を以て休致を乞ふ。之に従ふ。

原文十二月,党項、回鶻寇邊。以左司郎中崔原為兵部郎中,江州刺史李可仁為右司郎中。權知工部尚書牛蔚為禮部尚書,太子賓客于浱為工部尚書。是冬,南詔蠻寇蜀,詔河西、河東、山南西道、東川徵兵赴援。西川節度使高駢奏:「奉敕抽發長武、鄜州、河東等道兵士赴劍南行營者。伏以西川新軍舊軍差到已眾,況蠻蜒小丑,必可枝梧。今以道路崎嶇,館驛窮困,更有軍頓,立見流移,所謂望一處完全而百處俱破。且兵不在眾而在於和,其左右神策長武鎮、鄜州、河東所抽甲馬兵士,人數不少,況備辦軍食,費損尤多。又緣三道籓鎮,盡扼羌戎,邊鄙未寧,望不差發。如已在道路,並請降敕勒回。」詔答曰:「蠻蜒如尚憑淩,固須倍兵禦敵;若已奔退,即要並力追擒。方藉北軍,助平南寇,其三處兵士,宜委高駢候到蜀日分佈驅使。具務多多之辦,寧亂整整之師。其河東一千二百人,令竇浣不要差發。」時駢捍蠻已退,長武兵士竟至蜀而還,議者惜其勞費而虛邀出入之賞也。右軍中尉韓文約以疾乞休致,從之。

乾符二年

原文乾符二年

二年春正月乙酉朔。己丑、宰相崔彦昭文武百僚を率ひ尊號を上る。上正殿に御し冊を受く。知内枢密田令孜を右軍中尉と為す。南蛮驃信使を遣はし盟を乞ふ。之を許す。鳳州刺史郭弘業を左金吾衛将軍と為す。庫部郎中韋岫を泗州刺史と為し、都官員外郎李頻を建州刺史と為す。

原文二年春正月乙酉朔。己丑,宰相崔彥昭率文武百僚上尊號,上御正殿受冊。以知內樞密田令孜為右軍中尉。南蠻驃信遣使乞盟,許之。以鳳州刺史郭弘業為左金吾衛將軍。庫部郎中韋岫為泗州刺史,都官員外郎李頻為建州刺史。

二月、兵部侍郎・諸道塩鉄転運使を充てる王凝を秘書監と為す。補する所の吏職の罪を以てす。吏部侍郎裴坦を兵部侍郎と為し、諸道塩鉄転運使を充てる。翰林学士崔澹を中書舎人と為す。翰林学士徐仁嗣を司封郎中と為し、学士は故の如し。容管経略招討使高秦を検校戸部尚書と為し、太府卿李嶧を宗正卿と為し、湖州刺史張搏を盧州刺史と為し、庫部員外郎楊堪を吏部員外郎と為す。

原文二月,以兵部侍即、充諸道鹽鐵轉運使王凝為秘書監,以所補吏職罪也。以吏部侍郎裴坦為兵部侍郎,充諸道鹽鐵轉運使。以翰林學士崔澹為中書舍人;翰林學士徐仁嗣為司封郎中,學士如故。以容管經略招討使高秦檢校戶部尚書,太府卿李嶧為宗正卿,湖州刺史張搏為盧州刺史,庫部員外郎楊堪為吏部員外郎。

三月、右補闕鄭勤を起居郎と為し、度支推官牛徽を右補闕と為す。戸部郎中崔彦融を長安令と為し、都官郎中楊知退を戸部郎中と為す。左司員外郎唐嶠を刑部郎中と為し、刑部員外郎畢紹顔を左司員外郎と為し、侍御史鄭頊を刑部員外郎と為す。

原文三月,以右補闕鄭勤為起居郎,度支推官牛徽為右補闕。以戶部郎中崔彥融為長安令,都官郎中楊知退為戶部郎中。左司員外郎唐嶠為刑部郎中,刑部員外郎畢紹顏為左司員外郎,侍御史鄭頊為刑部員外郎。

四月、海賊王郢浙西の郡邑を攻剽す。殿中侍御史李燭を礼部員外郎と為す。太子賓客張裼を吏部侍郎と為す。前淮南節度使李蔚を太常卿と為し、成徳軍節度使王景崇に開府儀同三司を加ふ。秘書監蕭峴を国子祭酒と為す。汝州刺史崔彦沖を太子賓客分司と為す。新たに除する吏部侍郎張裼を京兆尹と為す。東川点検兵馬使呉行魯を金紫光禄大夫・検校兵部尚書、兼ねて梓州刺史・御史大夫、剣南東川節度等使を充てしむ可し。東川節度使・検校戸部尚書崔充を河南尹と為す。河南尹李晦を検校左散騎常侍、兼ねて福州刺史・福建都団練観察使と為す。鳳翔隴西節度使・検校司徒しと・同平章事・上柱国・涼国公・食邑三千戸令狐綯を進めて趙国公に封ず。

原文四月,海賊王郢攻剽浙西郡邑。以殿中侍御史李燭為禮部員外郎。以太子賓客張裼為吏部侍郎。前淮南節度使李蔚為太常卿,成德軍節度使王景崇加開府儀同三司。秘書監蕭峴為國子祭酒。汝州刺史崔彥沖為太子賓客分司。新除吏部侍郎張裼為京兆尹。東川點檢兵馬使吳行魯可金紫光祿大夫、檢校兵部尚書,兼梓州刺史、御史大夫,充劍南東川節度等使。以東川節度使、檢校戶部尚書崔充為河南尹;河南尹李晦檢校左散騎常侍,兼福州刺史、福建都團練觀察使。以鳳翔隴西節度使、檢校司徒、同平章事、上柱國、涼國公、食邑三千戶令狐綯進封趙國公。

五月、濮州の賊首王仙芝長垣県に聚まる。其の衆三千、閭井を剽掠し、進みて濮州を陥し、丁壮万人を俘ふ。鄆州節度使李種兵を出して之を撃つも、賊の為に敗る。殿中少監薛璫を衛州刺史と為し、国子司業裴拙を洋州刺史と為し、中書舎人崔沆を礼部侍郎と為し、兵部郎中裴虔余を太常少卿と為す。

原文五月,濮州賊首王仙芝聚於長垣縣,其眾三千,剽掠閭井,進陷濮州,俘丁壯萬人。鄆州節度使李種出兵擊之,為賊所敗。以殿中少監薛璫為衛州刺史,國子司業裴拙為洋州刺史,中書舍人崔沆為禮部侍郎,兵部郎中裴虔余為太常少卿。

六月、司勲員外郎薛邁を兵部郎中と為し、戸部員外郎鄭就を司勲員外郎と為し、倉部員外郎鄭綮を戸部員外郎と為し、主客員外郎王鐐を倉部員外郎と為す。

原文六月,以司勳員外郎薛邁為兵部郎中,戶部員外郎鄭就為司勳員外郎,倉部員外郎鄭綮為戶部員外郎,主客員外郎王鐐為倉部員外郎。

秋七月、大理卿蔡行を豊州刺史・天徳軍都防禦使と為し、大理卿張彦遠を大理卿と為す。京兆尹張裼を検校戸部尚書、兼ねて鄆州刺史・御史大夫、天平軍節度・鄆曹濮観察等使を充てしむ。左司勲員外郎杜貞符を都官郎中と為し、吏部員外郎牛循を金州刺史と為し、司封員外郎盧胤征を吏部員外郎と為す。

原文秋七月,以大理卿蔡行為豐州刺史、天德軍都防禦使,大理卿張彥遠為大理卿。以京兆尹張裼檢校戶部尚書,兼鄆州刺史、御史大夫,充天平軍節度、鄆曹濮觀察等使。以左司勳員外郎杜貞符為都官郎中,吏部員外郎牛循為金州刺史,司封員外郎盧胤征為吏部員外郎。

十月、秘書少監李貺を諫議大夫と為す。前大同軍及雲朔都防禦営田供軍等使李璫を検校左散騎常侍・豊州刺史、天徳軍豊州西城中城都防禦使・本管押蕃落等使を充てしむ。考功員外郎趙蘊を吏部員外郎と為し、戸部員外郎盧莊を起居員外郎と為し、礼部員外郎蕭遘を考功員外郎と為す。

原文十月,以秘書少監李貺為諫議大夫。以前大同軍及雲朔都防禦營田供軍等使李璫檢校左散騎常侍、豐州刺史,充天德軍豐州西城中城都防禦使、本管押蕃落等使。以考功員外郎趙蘊為吏部員外郎,戶部員外郎盧莊為起居員外郎,禮部員外郎蕭遘為考功員外郎。

十一月、起居郎劉崇龜を礼部員外郎と為し、殿中侍御史孔綸を戸部員外郎と為す。是の月、雷震電す。左僕射王鐸門下侍郎・同平章事を兼ね、復た政を輔ふ。

原文十一月,以起居郎劉崇龜為禮部員外郎,殿中侍御史孔綸為戶部員外郎。是月,雷震電。左僕射王鐸兼門下侍郎、同平章事,復輔政。

乾符三年

原文乾符三年

三年春正月己卯の朔、司空・門下侍郎・同平章事蕭仿は病を以て免を求め、罷めて太子太傅と為す。浙西、王郢の徒党を誅すと奏す。左金吾衛大将軍・右街使斉克譲を以て検校兵部尚書、兼ねて袞・兗・沂・海等州節度使と為す。

原文三年春正月己卯朔,司空、門下侍郎、同平章事蕭仿以病求免,罷為太子太傅。浙西奏誅王郢徒黨。以左金吾衛大將軍、右街使齊克讓檢校兵部尚書,兼袞兗沂海等州節度使。

三月、吏部尚書帰仁晦・吏部侍郎孔晦・吏部侍郎崔蕘を以て宏詞選人を試み、考功郎中崔庾・考功員外郎周仁挙を考官と為す。太常卿李蔚を本官のまま同平章事と為す。奉天鎮、金龍昼に現れ、河より昇天すと上言す。門下侍郎崔彦昭を太清宮使・弘文館大学士と為し、中書侍郎・刑部尚書・平章事鄭畋を監修国史と為す。右武衛大将軍墨沖謙を以て左金吾衛大将軍と為し、黎州刺史杜岡を以て雅州刺史と為す。

原文三月,以吏部尚書歸仁晦、吏部侍郎孔晦、吏部侍郎崔蕘試宏詞選人,考功郎中崔庾、考功員外郎周仁舉為考官。乙太常卿李蔚本官同平章事。奉天鎮上言金龍晝見,自河升天。門下侍郎崔彥昭太清宮使、弘文館大學士,中書侍郎、刑部尚書、平章事鄭畋監修國史。以右武衛大將軍墨沖謙為左金吾衛大將軍,以黎州刺史杜岡為雅州刺史。

五月、江西観察使独孤雲を以て太子少傅と為し、金州刺史束郷勵を以て嘉州刺史と為す。

原文五月,以江西觀察使獨孤雲為太子少傅,金州刺史束鄉勵為嘉州刺史。

六月、福建観察使李播・荊州刺史楊権古・蔚州刺史王亀範・璧州刺史張贄・濮州刺史韋浦・施州刺史婁傅会・刑州刺史王回・撫州刺史崔理・黄州刺史計信卿等に勅す:「刺史は人を親む官なり、苟も詳ならざれば、豈に除授すべきや。比朕が百姓を養ふ為にし、独り爾が一身を栄すに非ず、疲羸を念ふ毎に、実に傷歎す。李播等九人、官を授くるの時、衆詞不可なり;王回等三人、郡に到りて政無く、惟務貪求す。実に方州を汚し、並びに停任すべし。」検校右散騎常侍・衛尉卿李鐸を以て太府卿と為し、涼王傅分司裴思謙を以て衛尉卿と為し、撫王府長史劉允章を涼王傅と為す。主客郎中崔福を汾州刺史と為し、荊南節度副使王慥を主客郎中と為す。六月、門下侍郎・刑部尚書・平章事・太清宮使・弘文館大学士・判度支崔彦昭を以て左僕射を兼ね、中書侍郎鄭畋を以て門下侍郎を兼ね、太常卿・平章事李蔚を中書侍郎と為す。歙州刺史蕭騫を以て右司員外郎と為し、右司員外郎崔潼を歙州刺史と為す。

原文六月,敕福建觀察使李播、荊州刺史楊權古、蔚州刺史王龜范、璧州刺史張贄、濮州刺史韋浦、施州刺史婁傅會、刑州刺史王回、撫州刺史崔理、黃州刺史計信卿等:「刺史親人之官,苟不諳詳,豈宜除授。比為朕養百姓,非獨榮爾一身,每念疲羸,實所傷歎。李播等九人授官之時,眾詞不可;王回等三人到郡無政,惟務貪求。實汙方州,並宜停任。」以檢校右散騎常侍、衛尉卿李鐸為太府卿,以涼王傅分司裴思謙為衛尉卿,撫王府長史劉允章涼王傅。主客郎中崔福為汾州刺史,荊南節度副使王慥為主客郎中。六月,以門下侍郎、刑部尚書、平章事、太清宮使、弘文館大學士、判度支崔彥昭兼左僕射,中書侍郎鄭畋兼門下侍郎,太常卿、平章事李蔚為中書侍郎。以歙州刺史蕭騫為右司員外郎,右司員外郎崔潼為歙州刺史。

七月、草賊王仙芝、河南十五州を寇掠し、其の衆数万。是の月、賊潁・許に逼り、汝州を攻めて之を下し、刺史王鐐を虜ふ。刑部侍郎劉承雍郡に在りて、賊の害する所と為る。賊遂に南に唐・鄧・安・黄等州を攻む。時に関東諸州府の兵、賊を討つ能はず、但だ城を守るのみ。戸部郎中李節を以て駕部郎中と為し、金部郎中王慥を戸部郎中と為し、主客郎中鄭諴を金部郎中と為し、金部員外郎張譙を主客郎中と為し、屯田員外郎竇珝を金部員外郎と為し、京兆司録趙曄を屯田員外郎と為す。工部侍郎崔朗を同州刺史と為し、左軍擗仗使・左監門衛上将軍西門思恭を右威衛上将軍と為す。右諫議大夫・知制誥魏簹を以て中書舎人と為す。

原文七月,草賊王仙芝寇掠河南十五州,其眾數萬。是月,賊逼潁、許,攻汝州,下之,虜刺史王鐐。刑部侍郎劉承雍在郡,為賊所害。賊遂南攻唐、鄧、安、黃等州。時關東諸州府兵不能討賊,但守城而已。以戶部郎中李節為駕部郎中,金部郎中王慥為戶部郎中,主客郎中鄭諴為金部郎中,金部員外郎張譙為主客郎中,屯田員外郎竇珝為金部員外郎,京兆司錄趙曄為屯田員外郎。工部侍郎崔朗為同州刺史,左軍擗仗使、左監門衛上將軍西門思恭為右威衛上將軍。以右諫議大夫、知制誥魏簹為中書舍人。

九月、右丞崔蕘を以て権に吏部侍郎を知らしめ、礼部侍郎崔沆を尚書右丞と為し、中書舎人高湘を権に礼部侍郎を知らしめ、京兆尹楊知至を工部侍郎と為す。兵部尚書・兼太常卿李榼を検校尚書右僕射・太常と為す;衛尉卿蕭寛を鴻臚卿と為し、閑廄使を充てる。宰相崔彦昭の男保謙を以て秘書省校書郎と為す。右僕射・門下侍郎・平章事崔彦昭に特進を加ふ;門下侍郎・礼部尚書・平章事鄭畋を特進とす可し。太中大夫・平章事盧攜を銀青光禄大夫とす可し;銀青光禄大夫・平章事李蔚を金紫光禄大夫とす可し。太府卿李嶧を検校工部尚書・滑州刺史・御史大夫と為し、義成軍節度・鄭滑潁観察処置等使を充てる。雅州、六月より地震し七月に至るまで未だ止まず、人を圧傷すること頗る衆し。詔して河南藩鎮に兵を挙げて賊を討たしむ。刑部郎中李磎を以て戸部郎中と為し、分司東都;戸部郎中鄭諴を刑部郎中と為す。戸部郎中・知制誥・翰林学士王徽を中書舎人と為し、戸部員外郎・翰林学士蕭遘を戸部郎中と為し、学士並びに故の如し。諫議大夫趙蒙を給事中と為し、商州刺史張同を諫議大夫と為す。

原文九月,以右丞崔蕘權知吏部侍郎,禮部侍郎崔沆為尚書右丞,中書舍人高湘權知禮部侍郎,京兆尹楊知至為工部侍郎。兵部尚書、兼太常卿李榼檢校尚書右僕射、太常;衛尉卿蕭寬為鴻臚卿,充閑廄使。以宰相崔彥昭男保謙為秘書省校書郎。右僕射、門下侍郎、平章事崔彥昭加特進;門下侍郎、禮部尚書、平章事鄭畋可特進。太中大夫、平章事盧攜可銀青光祿大夫;銀青光祿大夫、平章事李蔚可金紫光祿大夫。乙太府卿李嶧檢校工部尚書、滑州刺史、御史大夫,充義成軍節度、鄭滑潁觀察處置等使。雅州自六月地震至七月未止,壓傷人頗眾。詔河南籓鎮舉兵討賊。以刑部郎中李磎為戶部郎中,分司東都;戶部郎中鄭諴為刑部郎中。戶部郎中、知制誥、翰林學士王徽為中書舍人,戶部員外郎、翰林學士蕭遘為戶部郎中,學士並如故。諫議大夫趙蒙為給事中,商州刺史張同為諫議大夫。

十一月、司門員外郎鄭蕘を以て池州刺史と為し、水部員外郎樊充を工部員外郎と為し、汴宋度支使杜孺休を水部員外郎と為す。太常少卿崔渾を康州刺史に貶し、揚州左司馬鄭祥を澧州刺史と為し、度支分巡院使李仲章を建州刺史と為す。

原文十一月,以司門員外郎鄭蕘為池州刺史,水部員外郎樊充為工部員外郎,汴宋度支使杜孺休為水部員外郎。太常少卿崔渾貶康州刺史,揚州左司馬鄭祥為澧州刺史,度支分巡院使李仲章為建州刺史。

十二月、右金吾衛将軍張簡会を以て左金吾大将軍と為し、右街使を充てる;右龍武将軍李弢を右金吾将軍と為す。前陝西虢観察使陸墉を太子賓客と為す。

原文十二月,以右金吾衛將軍張簡會為左金吾大將軍,充右街使;右龍武將軍李弢為右金吾將軍。前陝西虢觀察使陸墉為太子賓客。

乾符四年

原文乾符四年

四年春正月癸酉の朔。丁丑、制を降し天下の囚人及び徒流人を赦し放還す。諫議大夫李湯を以て給事中と為し、兵部郎中崔厚を以て諫議大夫と為す。大理少卿王承顔を塩州刺史と為し、明州刺史殷僧弁を大理卿と為す。吏部尚書鄭従讜・吏部侍郎孔晦・吏部侍郎崔蕘を以て宏詞選人を考ふ。

原文四年春正月癸酉朔。丁丑,降制赦天下系囚及徒流人放還。以諫議大夫李湯為給事中,以兵部郎中崔厚為諫議大夫。大理少卿王承顏為鹽州刺史,明州刺史殷僧辯為大理卿。以吏部尚書鄭從讜、吏部侍郎孔晦、吏部侍郎崔蕘考宏詞選人。

三月、開府・行内侍監致仕の劉行深を内侍省観軍容・守内侍監致仕とする。判塩鉄案・検校考功郎中の鄭溵を司封員外郎とし、転運判官を充てる。兵部員外郎の裴渥を蘄州刺史とし、職方員外郎の盧澄を兵部員外郎とする。草賊が大いに河南・山南を寇すに及び、詔して曰く、「常を乱し紀を干すは、天地の容れざる所なり。罪を伐ち人を吊うは、帝王の大典なり。歴代を観、前朝を遍く数うるに、其れ衆を恃みて兵を称し、凶に憑りて孽を構うる者有り。或いは郡県に疑迷し、或いは生霊を残害す。初めは狐鴟の如くに仮張り、自ら驍雄敵無しと謂い、旋っては鳥焚け魚爛し、破敗して終わるに非ざるは無し。蓋し逆順相懸け、幽明共に怒るに以るなり。近くは龐勳命に拒ぎ、王郢災を挻ぎ、聚を結び至って多く、倡狂頗る甚だしきも、尋いで則ち身は原野に膏し、家は誅夷を受く。亦た方に叛乱に従いて、能く自ら徊翔し、吉凶を反掌の間に移し、禍福を立談の際に変ずる者有り。則ち諸葛爽は今刺史たり、朱実は将軍として見存し、弘霸は郎は禁営に職を受け、宋再雄は淮海に名を策す。身名光顕せず、家族輝栄せざるは莫し。近く諸道の奏報に准うるに、草賊稍多し。江西・淮南、宋・亳・曹・潁、或いは郡県を攻め、或いは郷村を掠む。兵師を命ずるも、且つ招撫を令す。朕は寛弘を以て理と為し、慈湣を居心とし、毎に蒼生を念うこと、皆赤子に同じ。其の衣食を均しくし、荒饉に致すを得ざるを恨み、寧んぞ鋒芒を以て迫し、其の身首を断たんや。若し王仙芝及び諸賊の頭領能く心を洗い過ちを悔い、卒を散じ兵を休め、所在の州府に投降せば、便ち名を具して聞奏せしめ、朝廷当に議して獎升すべし。若し諸賊頑傲にして悛まず、凶強にして自ら恃むは、即ち宜しく諸道の兵師に令し、掎角して誅剪すべし。若し諸軍全く一火の草賊を捕え得て、数三百人以上に至る者は、超授して将軍とし、賞銭一千貫を賜う。若し郷材に幹勇才略有りて、能く義徒を率合し、草寇を駆除する者は、本处以って聞かしめ、亦た重賞を与う。鄭鎰・湯群の輩の如きは、已に刺史と為り、朝廷故に食言せず。勅到るや、宜しく諸道に明に行い宣諭せしめ、朕が意を知らしむべし」と。青州節度使宋威上表して、「歩騎五千を請い、特ち一使と為し、兼ねて本道の兵士を率い、所在に賊を討ち、必ず微功を立てて以て聖奨に酬いん」とす。優詔以て之を嘉し、乃ち威を諸道招討草賊使に授け、仍て禁兵三千、甲馬五百匹を与う。仍て河南方鎮に諭して曰く、「王仙芝本は塩賊たり、自ら草軍と号す。南は寿・盧に至り、北は曹・宋を経る。半年焼劫し、僅かに十五州。両火転鬥し、七千余衆に逾ゆ。諸道将士を発遣し、同共に討除す。日月漸く深く、煙塵未だ息まず。蓋し遞相に観望し、虚しく餱糧を費やし、州県は供承に罄き、郷材は侵暴に泣くに以るなり。今平盧軍節度使宋威深く萑蒲を憤り、誅討を行わんことを請う。朕は威が前時蜀部に在りて、南詔の全軍を破り、比歳徐州にて、龐勳の大陣を摧くを以てす。官階甚だ貴く、以て諸道の都頭を統ぶるに足り、驍勇素より彰れ、以て伏戎の草寇を破るに足る。今已に諸道兵馬招討草賊使の指揮を授く。侯宋威本道に到るの日、供給犒設は、並びに上供銭を取って支給す。仍て指揮都頭を命じ、凡そ攻討進退は、宋威の処分を取るべし」と。時に賊渠王仙芝・尚君長安州に在り、宋威青州より副使曹全晸と進軍して攻討し、所在に賊を破る。是の月、冤朐の賊黄巢万人を聚めて鄆州を攻め、之を陥とし、節度使薛崇を逐う。

原文三月,以開府、行內侍監致仕劉行深為內侍省觀軍容、守內侍監致仕。以判鹽鐵案、檢校考功郎中鄭溵為司封員外郎,充轉運判官。兵部員外郎裴渥為蘄州刺史,職方員外郎盧澄為兵部員外郎。以草賊大寇河南、山南,詔曰:「亂常幹紀,天地所不容;伐罪吊人,帝王之大典。曆觀往代,遍數前朝,其有怙眾稱兵,憑凶構孽,或疑迷於郡縣,或殘害於生靈。初則狐假鴟張,自謂驍雄莫敵;旋則鳥焚魚爛,無非破敗而終。蓋以逆順相懸,幽明共怒。近者龐勳拒命,王郢挻災,結聚至多,倡狂頗甚,尋則身膏原野,家受誅夷。亦有方從叛亂,能自徊翔,移吉凶於反掌之間,變禍福于立談之際。則諸葛爽今為刺史,硃實見存將軍,弘霸郎受職于禁營,宋再雄策名于淮海,莫不身名光顯,家族輝榮。近准諸道奏報,草賊稍多,江西、淮南,宋、亳、曹、潁,或攻郡縣,或掠鄉村。雖命兵師,且令招撫。朕以寬弘為理,慈湣居心,每念蒼生,皆同赤子。恨不能均其衣食,令致荒饑,寧忍迫以鋒芒,斷其身首。如王仙芝及諸賊頭領能洗心悔過,散卒休兵,所在州府投降,便令具名聞奏,朝廷當議獎升。如諸賊頑傲不悛,凶強自恃,即宜令諸道兵師掎角誅剪。若諸軍全捕得一火草賊數至三百人已上者,超授將軍,賞錢一千貫。如鄉材有幹勇才略,而能率合義徒,驅除草寇者,本處以聞,亦與重賞。如鄭鎰、湯群之輩,已為刺史,朝廷故不食言。敕到,宜令諸道明行宣諭,令知朕意。」青州節度使宋威上表:「請步騎五千,特為一使,兼率本道兵士,所在討賊,必立微功以酬聖獎。」優詔嘉之,乃授威諸道招討草賊使,仍給禁兵三千,甲馬五百匹。仍諭河南方鎮曰:「王仙芝本為鹽賊,自號草軍,南至壽、盧,北經曹、宋。半年燒劫,僅十五州;兩火轉鬥,逾七千眾。諸道發遣將士,同共討除,日月漸深,煙塵未息。蓋以遞相觀望,虛費餱糧,州縣罄於供承,鄉材泣於侵暴。今平盧軍節度使宋威深憤萑蒲,請行誅討。朕以威前時蜀部,破南詔之全軍;比歲徐州,摧龐勳之大陣。官階甚貴,可以統諸道之都頭;驍勇素彰,足以破伏戎之草寇。今已授指揮諸道兵馬招討草賊使,侯宋威到本道日,供給犒設,並取上供錢支給。仍命指揮都頭,凡攻討進退,取宋威處分。」時賊渠王仙芝、尚君長在安州,宋威自青州與副使曹全晸進軍攻討,所在破賊。是月,冤朐賊黃巢聚萬人攻鄆州,陷之,逐節度使薛崇。

五月、幽州節度使李茂勳上表して致仕を乞う。其の男可挙に権に兵馬事を知らしむ。制して寿王傑を開府儀同三司・幽州経略盧龍等軍節度観察押奚契丹等使とす。幽州節度副使・権知兵馬事李可挙を検校左散騎常侍・幽州大都督府左司馬とし、幽州兵馬留後を充てる。制して幽州盧龍節度使・検校工部尚書李茂勳を尚書左僕射致仕に守らしむ。前綿州刺史皇甫鏞を秘書少監とし、陳州刺史許珂を睦州刺史とし、右衛将軍程可復を左衛大将軍とする。黄巢賊沂州を陥す。

原文五月,幽州節度使李茂勳上表乞致仕,以其男可舉權知兵馬事。制以壽王傑為開府儀同三司、幽州經略盧龍等軍節度觀察押奚契丹等使;以幽州節度副使、權知兵馬事李可舉檢校左散騎常侍、幽州大都督府左司馬,充幽州兵馬留後。制以幽州盧龍節度使、檢校工部尚書李茂勳守尚書左僕射致仕。以前綿州刺史皇甫鏞為秘書少監,以陳州刺史許珂為睦州刺史,以右衛將軍程可復為左衛大將軍。黃巢賊陷沂州。

六月、宣歙観察使高駢を検校司空とし、潤州刺史・鎮海軍節度・蘇常杭潤観察処置・江淮塩鉄転運・江西招討等使を兼ねる。汝州防禦使李鈞を検校尚書右僕射・潞州大都督府長史とし、昭義軍節度・潞刑洺磁観察等使を充てる。幽州留後李可挙本軍を以て沙陀三部落を討たんことを請う。之に従う。七月、黄巢沂・海より、其の徒数万、潁・蔡に趨き、査牙山に入り、遂に王仙芝と合す。

原文六月,以宣歙觀察使高駢檢校司空,兼潤州刺史、鎮海軍節度、蘇常杭潤觀察處置、江淮鹽鐵轉運、江西招討等使。以汝州防禦使李鈞檢校尚書右僕射、潞州大都督府長史,充昭義軍節度、潞刑洺磁觀察等使。幽州留後李可舉請以本軍討沙陀三部落,從之。七月,黃巢自沂、海,其徒數萬,趨潁、蔡,入查牙山,遂與王仙芝合。

八月、賊随州を陥とし、刺史崔休征を執る。群賊白洑に屯す。是の月、江州賊首柳彦璋徒を聚めて江州を陥とし、刺史陶祥を殺す。

原文八月,賊陷隨州,執刺史崔休征。群賊屯于白洑。是月,江州賊首柳彥璋聚徒陷江州,殺刺史陶祥。

九月、中書舎人崔澹に権に貢挙を知らしむ。沙陀大いに雲・朔を寇す。

原文九月,以中書舍人崔澹權知貢舉。沙陀大寇雲、朔。

十月、詔して昭義節度李鈞・幽州李可挙・吐渾赫連鐸白義誠・沙陀安慶薛葛部落に兵を合して蔚州に於いて李国昌父子を討たしむ。

原文十月,詔昭義節度李鈞、幽州李可舉、吐渾赫連鐸白義誠、沙陀安慶薛葛部落合兵討李國昌父子于蔚州。

十一月、賊王仙芝衆を率いて漢を渡り、江陵を攻む。節度使楊知温城に嬰りて拒守す。知温本より禦侮の才に非ず、城に宿備無く、賊急ぎ之を攻む。

原文十一月,賊王仙芝率眾渡漢,攻江陵,節度使楊知溫嬰城拒守。知溫本非禦侮之才,城無宿備,賊急攻之。

十二月、賊江陵の郛を陥とす。知温窮蹙し、襄陽に援を求め、山南東道節度使李福其の師を悉くして之を援く。時に沙陀軍五百騎襄陽に在り、軍荊門に次す。騎軍賊を撃ち、之を敗る。賊尽く荊南の郛郭を焚きて去る。

原文十二月,賊陷江陵之郛,知溫窮蹙,求援於襄陽,山南東道節度使李福悉其師援之。時沙陀軍五百騎在襄陽,軍次荊門,騎軍擊賊,敗之。賊盡焚荊南郛郭而去。

乾符五年

原文乾符五年

五年春正月丁酉朔、沙陀首領李尽忠遮虜軍を陥す。太原節度使竇浣都押衙康伝圭を遣わし、河東土団二千人を率いて代州に屯せしむ。将に発せんとし、賞を求めて呼噪し、馬歩軍使鄧虔を殺す。竇浣自ら軍中に入りて安慰し、仍て富戸の銭五万貫を借り率いて以て之を賞す。朝廷浣を以て禦侮の才に非ずとし、前昭義節度使曹翔を検校尚書右僕射とし、太原尹・北都留守・河東節度使を兼ねる。又左散騎常侍支謨を河東節度副使とす。

原文五年春正月丁酉朔,沙陀首領李盡忠陷遮虜軍。太原節度使竇浣遣都押衙康傳圭率河東土團二千人屯代州,將發,求賞呼噪,殺馬步軍使鄧虔。竇浣自入軍中安慰,仍借率富戶錢五萬貫以賞之。朝廷以浣非禦侮才,以前昭義節度使曹翔檢校尚書右僕射,兼太原尹、北都留守、河東節度使;又以左散騎常侍支謨為河東節度副使。

二月、王仙芝の余党江西を攻む。招討使宋威軍を出して屡々之を敗り、仍て詔書を宣べて仙芝を諭す。仙芝威に書を致し、節鉞を求む。威偽りて之を許す。仙芝其の大将尚君長・蔡温玉に令し表を奉じて入朝せしむ。威乃ち君長・温玉を斬りて以て徇す。仙芝怒り、急ぎ洪州を攻め、其の郛を陥す。宋威赴援し、賊と戦い、大いに之を敗り、仙芝を殺し、首を伝えて京師に至らしむ。尚君長の弟尚讓黄巢の党と為り、兄遇害するを以て、乃ち大いに河南・山南の民を駆り、其の衆十万、大いに淮南を掠め、其の鋒甚だ鋭し。侍中・晋国公王鐸自ら衆を督して賊を討たんことを請う。天子宋威の失策にて君長を殺すを以て、乃ち王鐸を検校司徒・兼侍中・門下侍郎・江陵尹・荊南節度使とし、諸道兵馬都統を充てる。

原文二月,王仙芝餘黨攻江西,招討使宋威出軍屢敗之,仍宣詔書諭仙芝。仙芝致書於威,求節鉞,威偽許之。仙芝令其大將尚君長、蔡溫玉奉表入朝,威乃斬君長、溫玉以徇。仙芝怒,急攻洪州,陷其郛。宋威赴援,與賊戰,大敗之,殺仙芝,傳首京師。尚君長弟尚讓為黃巢党,以兄遇害,乃大驅河南、山南之民,其眾十萬,大掠淮南,其鋒甚銳。侍中、晉國公王鐸請自督眾討賊,天子以宋威失策殺君長,乃以王鐸檢校司徒、兼侍中、門下侍郎、江陵尹、荊南節度使,充諸道兵馬都統。

三月、王鐸が奏上して、兗州節度使李系を統府左司馬とし、潭州刺史を兼ねさせ、湖南都團練觀察使を充てた。黄巢の軍勢が再び江西を攻撃し、虔州・吉州・饒州・信州などを陥落させ、宣州から長江を渡り、浙東を経て福建へ向かおうとしたが、舟船がなかったため、五百里の山洞を開鑿し、陸路で建州へ向かい、遂に閩中の諸州を陥落させた。吏部尚書鄭從讜・吏部侍郎崔沆に宏詞科の選人を試験させた。

原文三月,王鐸奏兗州節度使李系為統府左司馬,兼潭州刺史,充湖南都團練觀察使。黃巢之眾再攻江西,陷虔、吉、饒、信等州,自宣州渡江,由浙東欲趨福建,以無舟船,乃開山洞五百里,由陸趨建州,遂陷閩中諸州。以吏部尚書鄭從讜、吏部侍郎崔沆考宏詞選人。

七月、滑州・忠武・昭義の諸道の軍が太原に会合し、大同軍副使支謨が前鋒となり、先に行営へ向かった。

原文七月,滑州、忠武、昭義諸道之師會於太原,大同軍副使支謨為前鋒,先趨行營。

八月、沙陀が岢嵐軍を陥落させ、曹翔は自ら軍を率いて忻州へ赴いた。翔が軍中に到着すると、中風を起こして卒去し、諸軍は皆退却した。太原は大いに恐れ、城門を閉ざし、昭義の兵士が乱を起こし、坊市を掠奪した。

原文八月,沙陀陷岢嵐軍,曹翔自率軍赴忻州。翔至軍,中風而卒,諸軍皆退。太原大懼,閉城門,昭義兵士為亂,劫坊市。

九月、門下侍郎・吏部尚書・平章事李蔚を検校尚書左僕射とし、東都留守を充てた。吏部尚書鄭從讜を本官のまま同平章事とした。

原文九月,門下侍郎、吏部尚書、平章事李蔚檢校尚書左僕射,充東都留守;以吏部尚書鄭從讜本官同平章事。

十月、司空・平章事崔彥昭を罷免して太子太傅とした。

原文十月,司空、平章事崔彥昭罷為太子太傅。

十一月、詔を下して、河東宣尉使・権知代北行営招討崔季康を検校戸部尚書とし、太原尹・北都留守を兼ねさせ、河東節度・代北行営招討使を充てた。沙陀が右州を攻撃したので、崔季康がこれを救援した。

原文十一月,制以河東宣尉使、權知代北行營招討崔季康檢校戶部尚書,兼太原尹、北都留守,充河東節度、代北行營招討使。沙陀攻右州,崔季康救之。

十二月、季康は北面行営招討使李鈞とともに、沙陀の李克用と岢嵐軍の洪谷で戦い、官軍は大敗し、鈞は流れ矢に当たって卒去した。戊戌の日、代州に至ると、昭義軍が乱を起こし、代州の百姓によってほとんど殺し尽くされた。中書舍人張読に礼部貢挙を権知させた。

原文十二月,季康與北面行營招討使李鈞,與沙陀李克用戰於岢嵐軍之洪谷,王師大敗,鈞中流矢而卒。戊戌,至代州,昭義軍亂,為代州百姓所殺殆盡。以中書舍人張讀權知禮部貢舉。

乾符六年

原文乾符六年

六年春正月辛卯の朔日、河東節度使崔季康が静楽県から余衆を収拾して軍を返したところ、軍中で乱が起こり、孔目官石裕を殺害した。季康は衆を捨てて行営へ逃げ帰り、衙将張鍇・郭朏がその衆を率いて太原に帰還したが、兵士が騒ぎ立て、東陽門を攻撃し、使衙に入り、季康父子は皆殺害された。

原文六年春正月辛卯朔,河東節度使崔季康自靜樂縣收合餘眾回軍,軍亂,殺孔目官石裕。季康委眾遁歸行營,衙將張鍇、郭朏率其眾歸太原,兵士鼓噪,攻東陽門,入使衙,季康父子皆被害。

三月、吏部侍郎崔沆・崔澹に宏詞科の選人を試験させ、駕部郎中盧蕰・刑部郎中鄭頊を考官とした。詔を下して、邠甯節度使李偘を検校戸部尚書とし、太原尹・北都留守を兼ねさせ、河東節度等使を充てた。四月、黄巢が桂管を陥落させた。

原文三月,以吏部侍郎崔沆、崔澹試宏詞選人,駕部郎中盧蕰、刑部郎中鄭頊為考官。制以邠甯節度使李偘檢校戶部尚書,兼太原尹、北都留守,充河東節度等使。四月,黃巢陷桂管。

五月、賊は広州を包囲し、さらに広南節度使李岩・浙東観察使崔璆に書を送り、保薦を求め、天平節度使の節鉞を乞うた。璆と岩は上表してこれを論じたので、詔して公卿にその可否を議させた。宰相鄭畋と盧攜が中書省で争論し、言葉が不遜であったため、共に罷免されて太子賓客とし、東都に分司させた。吏部侍郎崔沆を戸部侍郎とし、戸部侍郎・翰林学士豆盧彖を兵部侍郎とし、ともに本官のまま同平章事とした。黄巢が広州を陥落させ、嶺南の郡邑を大いに掠奪した。

原文五月,賊圍廣州,仍與廣南節度使李岩、浙東觀察使崔璆書,求保薦,乞天平節鉞。璆岩上表論之,詔公卿議其可否。宰相鄭畋、盧攜爭論於中書,詞語不遜,俱罷為太子賓客,分司東都。以吏部侍郎崔沆為戶部侍郎,戶部侍郎、翰林學士豆盧〓彖為兵部侍郎,並本官同平章事。黃巢陷廣州,大掠嶺南郡邑。

八月、詔を下して、特進・検校司空・東都留守李蔚を検校司徒・同平章事とし、太原尹・北都留守・河東節度観察、兼代北行営招討供軍等使を兼ねさせた。

原文八月,制以特進、檢校司空、東都留守李蔚為檢校司徒、同平章事,兼太原尹、北都留守、河東節度觀察,兼代北行營招討供軍等使。

十月、詔を下して、鎮海軍節度・浙江西道観察処置等使高駢を検校司徒・同平章事・揚州大都督府長史とし、淮南節度副大使・知節度事・江淮塩鉄転運・江南行営招討等使を充て、燕国公に進封し、食邑三千戸を与えた。初め、駢が浙西にいた時、大将張璘・梁績らを遣わして浙東で黄巢を大破し、賊は福建に進んで寇し、嶺表を越えたので、鎮を揚州に移したのである。時に賊は北へ大庾嶺を越え、朝廷は駢に諸道行営兵馬都統を授けた。太原節度使李蔚が卒去した。礼部侍郎張読に左丞事を権知させた。

原文十月,制以鎮海軍節度、浙江西道觀察處置等使高駢檢校司徒、同平章事、揚州大都督府長史,充淮南節度副大使、知節度事、江淮鹽鐵轉運、江南行營招討等使,進封燕國公,食邑三千戶。初,駢在浙西,遣大將張璘、梁績等大破黃巢於浙東,賊進寇福建,逾嶺表,故移鎮揚州。時賊北逾大庾嶺,朝廷授駢諸道行營兵馬都統。太原節度使李蔚卒。以禮部侍郎張讀權知左丞事。

十一月、詔を下して、銀青光禄大夫・検校右散騎常侍・河東行軍司馬・雁門代北制置等使・石嶺鎮北兵馬・代北軍等使・上柱国康傳圭を検校工部尚書とし、太原尹・北都留守・河東節度使を兼ねさせた。時に傳圭は既に兵を率いて代州におり、この月に行営から任地へ赴いたが、両都虞候張鍇・郭朏が鳥城駅で迎え、共にこれを殺害したので、軍中は震え恐れた。また詔を下して、神策大将軍周宝を検校尚書左僕射とし、潤州刺史・鎮海軍節度・浙江西道観察等使を兼ねさせた。定州已来制置内閑廄宮苑等使・金紫光禄大夫・検校刑部尚書・上柱国・太原県開国伯・食邑七百戸王処存を検校戸部尚書とし、定州刺史を兼ねさせ、義武軍節度・易定観察処置・北平軍等使を充てた。

原文十一月,制以銀青光祿大夫、檢校右散騎常侍、河東行軍司馬、雁門代北制置等使、石嶺鎮北兵馬、代北軍等使、上柱國康傳圭檢校工部尚書,兼太原尹、北都留守、河東節度使。時傳圭已率兵在代州,是月自行營赴任,兩都虞候張鍇、郭朏迎於鳥城驛,並殺之,軍中震悚。又制以神策大將軍周寶檢校尚書左僕射,兼潤州刺史、鎮海軍節度、浙江西道觀察等使。以定州已來制置內閑廄宮苑等使、金紫光祿大夫、檢校刑部尚書、上柱國、太原縣開國伯、食邑七百戶王處存檢校戶部尚書,兼定州刺史,充義武軍節度、易定觀察處置、北平軍等使。

十二月、詔を下して、河東馬歩軍都虞候朱玫を代州刺史とした。太子賓客分司盧攜を兵部尚書・同平章事とした。太子賓客鄭畋を検校左僕射・鳳翔尹とし、鳳翔節度使を充てた。

原文十二月,制以河東馬步軍都虞候朱玫為代州刺史。以太子賓客分司盧攜為兵部尚書、同平章事;太子賓客鄭畋檢校左僕射、鳳翔尹,充鳳翔節度使。

廣明元年

原文廣明元年

二月、沙陀が太原に迫り、大穀を陥落させる。康傳圭は大将伊釗・張彦球・蘇弘軫を遣わし、秦城驛において分兵してこれを防ぐが、沙陀に敗れる。傳圭は怒り、蘇弘軫を斬る。張彦球の部下の兵士が乱を起こし、戈を倒して太原を攻め、傳圭を殺す。監軍使周従寓が慰撫してようやく定まる。この月、詔して開府儀同三司・門下侍郎・兼兵部尚書・同平章事・充太清宮使・弘文館大学士・延資庫使・上柱國・滎陽けいよう郡開國公・食邑三千戸鄭従讜を以て検校司空・同平章事とし、兼ねて太原尹・北都留守を加え、河東節度・管内観察処置兼行営招討供軍等使を充てる。黄巢の賊軍は衡州・永州より下り、頻りに湖南・江西の属郡を陥落させる。時に都統王鐸の前鋒都將李系が潭州を守り、兵五万あり、諸団結軍と合わせて十万と号す。賊は桂陽において木を編み筏数千とし、その衆は暴水に乗り湘水を沿って下り、径ちに潭州に至り、急にその城を攻め、一日にして陥落す。李系は僅かに身をもって免れ、兵士五万は皆賊に殺され、流屍江を塞ぐ。賊将尚譲は勝に乗じて流れに沿って下り、江陵に進んで逼る。王鐸は李系の軍敗れたるを聞き、乃ち城を棄てて襄陽に奔る。別将劉漢宏は江陵の民を大いに掠め、剽掠その酷きに勝えず、士民は山谷に亡竄し、江陵は焚剽殆ど尽きる。半月余りして、賊衆ようやく江陵に至る。

原文二月,沙陀逼太原,陷大穀。康傳圭遣大將伊釗、張彥球、蘇弘軫分兵拒之于秦城驛,為沙陀所敗。傳圭怒,斬蘇弘軫。張彥球部下兵士為亂,倒戈攻太原,殺傳圭,監軍使周從寓安慰方定。是月,制以開府儀同三司、門下侍郎、兼兵部尚書、同平章事、充太清宮使、弘文館大學士、延資庫使、上柱國、滎陽郡開國公、食邑三千戶鄭從讜檢校司空、同平章事,兼太原尹、北都留守,充河東節度、管內觀察處置兼行營招討供軍等使。黃巢賊軍自衡、永州下,頻陷湖南、江西屬郡。時都統王鐸前鋒都將李系守潭州,有眾五萬,並諸團結軍號十萬。賊自桂陽編木為筏數千,其眾乘暴水沿湘而下,徑至潭州,急攻其城,一日而陷。李系僅以身免,兵士五萬皆為賊所殺,流屍塞江。賊將尚讓乘勝沿流而下,進逼江陵。王鐸聞系軍敗,乃棄城奔襄陽。別將劉漢宏大掠江陵之民,剽肅不勝其酷,士民亡竄山谷,江陵焚剽殆盡。半月余,賊眾方至江陵。

三月、賊は衆を悉くして襄陽を寇掠せんと欲し、江西招討使曹全晸と襄陽節度使劉巨容と謀りてこれを防ぐ。時に荊門に営し、賊軍一万は団林驛に屯す。全晸は巨容に命じ、精甲を悉くして林薄の中に陣せしめ、自ら騎軍を以て挑戦し、偽りて勝たずして遁る。賊大いにこれを乗じ、荊門に至るに及んで、その徒列を成さず、巨容は伏兵を発してこれを撃ち、賊大いに潰えて走る。全晸の鉄騎急ぎこれを追い、江陵に至るに及んで、十のうち七八を俘虜とす。黄巢・尚譲は余衆を以て徒ちに江を渡る。全晸方に江を渡り賊を襲わんとす、遽かに詔至り、段彦謨を以て江西節度使とす。全晸乃ち還る。賊遂に舟軍を率いて東下し、鄂州を攻め、その郭を陥落す。全晸の救い至り、賊遂に転戦して江西に至り、江西の饒・信・杭・衢・宣・歙・池など十五州を陥落す。全晸は江西に在り。朝廷は王鐸が衆を統べて功無きを以て、乃ち淮南節度使高駢を授けて諸道兵馬行営都統とす。駢は大将張璘に命じ江を渡り賊を討たしめ、屡々捷つ。賊衆に疫癘起こり、その将李罕之は一軍を率いて淮南に投ず。その衆稍々沮む。この月、沙陀が忻州・代州を寇す。詔して汝州防禦使諸葛爽を以て北面行営副招討とし、東都防禦兵士を率いて代州に赴かしむ。

原文三月,賊悉眾欲寇襄陽,江西招討使曹全晸與襄陽節度使劉巨容謀拒之。時營于荊門,賊軍一萬屯于團林驛。全晸命巨容悉以精甲陣于林薄之中,自以騎軍挑戰,偽不勝而遁。賊大乘之,比至荊門,其徒不成列,巨容發伏擊之,賊大潰而走。全晸鐵騎急追之,比至江陵,十俘七八。黃巢、尚讓以餘眾徒濟江。全晸方渡江襲賊,遽詔至,以段彥謨為江西節度使,全晸乃還。賊遂率舟軍東下,攻鄂州,陷其郛。全晸救至,賊遂轉戰江西,陷江西饒、信、杭、衢、宣、歙、池等十五州。全晸在江西。朝廷以王鐸統眾無功,乃授淮南節度使高駢為諸道兵馬行營都統。駢令大將張璘渡江討賊,屢捷。賊眾疫癘,其將李罕之以一軍投淮南,其眾稍沮。是月,沙陀寇忻、代,詔以汝州防禦使諸葛爽為北面行營副招討,率東都防禦兵士赴代州。

四月甲申朔、大雨雹あり、大風両京の街樹十二三を抜き、東都長夏門内の古槐十のうち七八を抜き、宮殿の鴟尾皆落つ。丁酉、詔して検校吏部尚書・前太常卿・上柱國・隴西郡開國公・食邑三千戸李琢を以て光禄大夫・検校尚書右僕射・御史大夫とし、蔚朔等州諸道行営都招討使を充てる。応に東北面行営李孝昌・李元禮・諸葛爽・王重盈・朱玫等の兵馬及び忻・代州の土団は、並びに琢の処分を取るべし。内常侍張存礼を以て都糧料使を充て、判官崔鋋を以て制置副使を充てる。

原文四月甲申朔,大雨雹,大風拔兩京街樹十二三,東都長夏門內古槐十拔七八,宮殿鴟尾皆落。丁酉,制以檢校吏部尚書、前太常卿、上柱國、隴西郡開國公、食邑三千戶李琢為光祿大夫、檢校尚書右僕射、御史大夫,充蔚朔等州諸道行營都招討使;應東北面行營李孝昌、李元禮、諸葛爽、王重盈、朱玫等兵馬及忻、代州土團,並取琢處分。以內常侍張存禮充都糧料使,判官崔鋋充制置副使。

六月、代北行営招討使李琢・幽州節度使李可挙・吐渾首領赫連鐸等の軍、雲州において李克用を討つ。時に克用はその大将軍傅文達をして蔚州を守らしめ、高文集をして朔州を守らしむ。吐渾赫連鐸は人を遣わし高文集を説き帰国せしむ。文集は沙陀首領李友金・薩葛都督米海万・安慶都督史敬存とともに前蔚州を以て李琢に帰款す。時に克用は衆を率いて雄武軍において燕軍を防ぐ。

原文六月,代北行營招討使李琢、幽州節度使李可舉、吐渾首領赫連鐸等軍討李克用於雲州。時克用令其大將軍傅文達守蔚州,高文集守朔州。吐渾赫連鐸遣人說高文集令歸國,文集與沙陀首領李友金、薩葛都督米海萬、安慶都督史敬存以前蔚州歸款于李琢。時克用率眾禦燕軍于雄武軍。

七月、沙陀三部落李友金等は門を開き大軍を迎う。克用これを聞き、急ぎ来たりて赴援すれども、李可挙の追撃を受け、薬児嶺において大敗す。李琢・赫連鐸また蔚州においてこれを撃ち破り、文達を降す。李克用の部下皆潰え、独り国昌及び諸兄弟とともに北に達靼部に入る。乃ち吐渾都督赫連鐸を以て雲州刺史・大同軍防禦使とし、吐渾白義誠を蔚州刺史とし、薩葛米海万を朔州刺史とし、李可挙に検校司徒・同平章事を加う。

原文七月,沙陀三部落李友金等開門迎大軍,克用聞之,亟來赴援,為李可舉之追擊,大敗於藥兒嶺。李琢、赫連鐸又擊敗於蔚州,降文達,李克用部下皆潰,獨與國昌及諸兄弟北入達靼部。乃以吐渾都督赫連鐸為雲州刺史、大同軍防禦使,吐渾白義誠為蔚州刺史,薩葛米海萬為朔州刺史,加李可舉檢校司徒、同平章事。

八月、黄巢の衆は江を渡り淮南を寇す。この歳春末、賊は信州に在りて疫癘起こり、その徒多く喪う。淮南の将張璘急ぎこれを撃つ。賊懼れ、金を以て璘を啖い、仍て書を高駢に致し命を保ち帰国せんことを乞う。駢これを信じ、その使を厚く遇し、節鉞を求むることを許す。時に昭義・武寧・義武等の軍兵馬数万淮南に赴く。駢は功を己に収めんと欲し、乃ち賊既に将に殄滅せんとす、諸道の師を仮るに及ばずと奏し、並びに還って北に遣わす。賊諸軍既に退くを知り、節鉞を求め得ざるに及び、暴怒し、駢と絶ち、戦を請う。駢怒り、張璘に命じ軍を整えてこれを撃たしむるも、賊に敗れ、陣に臨んで璘を殺さる。賊遂に勝に乗じて江を渡り、天長・六合等の県を攻め、駢拒む能わず、ただ陳登水を決して自らを固むるのみ。朝廷賊復た振るうを聞き、大いに恐れ、詔して河南諸道の師を溵水に屯せしむ。官軍大いに集まるも、賊未だ北に渡らず。時に兗州節度使齊克讓は汝州に屯す。

原文八月,黃巢之眾渡江寇淮南。是歲春末,賊在信州疫癘,其徒多喪。淮南將張璘急擊之,賊懼,以金啖璘,仍致書高駢乞保命歸國。駢信之,厚待其使,許求節鉞。時昭義、武甯、義武等軍兵馬數萬赴淮南,駢欲收功於己,乃奏賊已將殄,不假諸道之師,並遣還北。賊知諸軍已退,以求節鉞不獲,暴怒,與駢絕,請戰。駢怒,令張璘整軍擊之,為賊所敗,臨陣殺璘。賊遂乘勝渡江,攻天長、六合等縣,駢不能拒,但決陳登水自固而已。朝廷聞賊復振,大恐,詔河南諸道之師屯于溵水。官軍大集,賊未北渡。時兗州節度使齊克讓屯汝州。

九月、徐州の兵三千人溵水に赴く。途許州を経る。許州節度使薛能は前に徐帥たりしより、軍民の情を得たり。徐軍の吏至り、館を請う。能は徐軍の恵を懐くを以て、州内に館せしむ。許軍は徐人の襲撃を見んことを懼れ、許州の大将周岌は溵水よりその戍卒を以て還り、薛能を逐い、自らその城を拠る。徐軍は既に河陰に至る。許軍の乱を聞き、徐将時溥もまた戍兵を以て徐に還り、節度使支詳を逐う。齊克讓は兵の襲撃を見んことを懼れ、また兗州に還る。溵水の諸軍皆散ず。賊これを聞き、十月、乃ち衆を悉くして淮を渡る。黄巢自ら率土大将軍と号す。その衆富足し、淮より已北より衆を整えて行き、財貨を剽掠せず、ただ丁壮を駆りて兵と為すのみ。

原文九月,徐州兵三千人赴溵水,途經許。許州節度使薛能前為徐帥,得軍民情。徐軍吏至,請館,能以徐軍懷惠,令館於州內。許軍懼徐人見襲,許州大將周岌自溵水以其戍卒還,逐薛能,自據其城。徐軍已至河陰,聞許軍亂,徐將時溥亦以戍兵還徐,逐節度使支詳。齊克讓懼兵見襲,亦還兗州。溵水諸軍皆散。賊聞之,十月,乃悉眾渡淮。黃巢自號率土大將軍,其眾富足,自淮已北整眾而行,不剽財貨,惟驅丁壯為兵耳。

十一月辛亥朔。己巳、賊は東都を陥落し、留守劉允章は分司の官属を率いて迎謁す。賊は供頓して去り、坊市晏然たり。壬申、虢州を陥落す。丙子、潼関を攻め、関を守る諸将風望んで自ら潰ゆ。

原文十一月辛亥朔。己巳,賊陷東都,留守劉允章率分司官屬迎謁之,賊供頓而去,坊市晏然。壬申,陷虢州。丙子,攻潼關,守關諸將望風自潰。

十二月庚辰朔。辛巳、賊は潼関を占拠す。時に左軍中尉田令孜は政を専らにし、宰相盧攜は曲げてこれに事え、相与に謀りを誤り、以て傾敗に至る。令孜は衆の罪己に加わるを恐れ、攜の官を貶するを請い、学士王徽・裴徹をして相たらしむ。甲申、制を宣して戸部侍郎・翰林学士王徽・裴徹を本官を以て同平章事とす。右僕射・門下侍郎・平章事盧攜を貶して太子賓客とす。攜は賊の至るを聞き、仰薬して死す。是の日、上は諸王・妃・后数百騎と、子城より含光殿金光門を由り出でて山南に幸す。文武百官僚はこれを知らず、並びに従行する者無く、京城は晏然たり。是の日晡晚、賊は京城に入る。時に右驍衛大将張直方は武官十余を率い、黄巢を坡頭に迎う。壬辰、黄巢は大内を占拠し、大斉と僭号し、年号を金統と称す。悉く文物を陳べ、丹鳳門に拠り偽赦す。太常博士皮日休・進士沈雲翔を学士と為す。偽赦書に云く、「揖譲の儀、廃すること已久し、竄遁の跡、良に用て憮然たり。朝臣三品已上は並びに現任を停め、四品已下は宜しく旧位に復すべし」と。趙章を以て中書令と為し、尚譲を太尉と為し、崔璆を中書侍郎・平章事と為す。時に宰相豆盧瑑・崔沆、故相左僕射劉鄴、太子少師裴諗、御史中丞趙蒙、刑部侍郎李溥、故相於琮は皆駕に従いて及ばず、閭裏に匿るも、賊に捕えられ、皆遇害す。将作監鄭綦・庫部郎中鄭系は賊に臣せざるを義とし、挙家雉経して死す。

原文十二月庚辰朔。辛巳,賊據潼關。時左軍中尉田令孜專政,宰相盧攜曲事之,相與誤謀,以至傾敗。令孜恐眾罪加己,請貶攜官,命學士王徽、裴徹為相。甲申,宣制以戶部侍郎、翰林學士王徽、裴徹本官同平章事。貶右僕射、門下侍郎、平章事盧攜為太子賓客。攜聞賊至,仰藥而死。是日,上與諸王、妃、後數百騎,自子城由含光殿金光門出幸山南,文武百官僚不之知,並無從行者,京城晏然。是日晡晚,賊入京城,時右驍衛大將張直方率武官十余迎黃巢於坡頭。壬辰,黃巢據大內,僭號大齊,稱年號金統。悉陳文物,據丹鳳門偽赦。乙太常博士皮日休、進士沈雲翔為學士。為偽赦書云:「揖讓之儀,廢已久矣,竄遁之跡,良用憮然。朝臣三品已上並停見任,四品已下宜復舊位。」以趙章為中書令,尚讓為太尉,崔璆為中書侍郎、平章事。時宰相豆盧〓彖崔沆、故相左僕射劉鄴、太子少師裴諗、御史中丞趙蒙、刑部侍郎李溥、故相於琮皆從駕不及,匿於閭裏,為賊所捕,皆遇害。將作監鄭綦、庫部郎中鄭系義不臣賊,舉家雉經而死。

中和元年

原文中和元年

二月、代州北面行営都監押陳景思は沙陀・薩葛・安慶等の三部落と吐渾の衆三万を率い、関中に赴援し、絳州に次ぐ。沙陀の首領翟稽は絳州を俘掠し叛きて還る。景思は用いるべからざるを知り、使を行在に詣らせ、李国昌父子を赦し、賊を討たしめて以て罪を贖わしむるを請う。之に従う。

原文二月,代州北面行營都監押陳景思率沙陀、薩葛、安慶等三部落與吐渾之眾三萬赴援關中,次絳州。沙陀首領翟稽俘掠絳州叛還,景思知不可用,遣使詣行在,請赦李國昌父子,令討賊以贖罪,從之。

三月、陳景思は詔を齎して達靼に入り、李克用を召して軍を蔚州に屯せしむ。克用は因りて大いに雁門已北の軍鎮を掠む。鳳翔節度使鄭畋を以て司空・門下侍郎・同平章事を守らしめ、京西諸道行営都統を充てしむ。涇原節度使程宗楚・秦州経略使仇公遇・鄜延節度使李孝昌・夏州節度使拓拔思恭等と同盟して兵を起こし、檄を天下に伝う。黄巢は大将林言・尚譲を遣わし、衆数万を率いて鳳翔を寇す。鄭畋は師を率いて逆撃し、賊衆を龍尾陂に大破す。

原文三月,陳景思齎詔入達靼,召李克用軍屯蔚州,克用因大掠雁門已北軍鎮。以鳳翔節度使鄭畋守司空、門下侍郎、同平章事,充京西諸道行營都統,與涇原節度使程宗楚、秦州經略使仇公遇、鄜延節度使李孝昌、夏州節度使拓拔思恭等同盟起兵,傳檄天下。黃巢遣大將林言、尚讓率眾數萬寇鳳翔,鄭畋率師逆擊,大敗賊眾于龍尾陂。

四月、前大同軍防禦使李克用を以て検校工部尚書、兼代州刺史・雁門已北行営兵馬節度等使とす。

原文四月,以前大同軍防禦使李克用檢校工部尚書,兼代州刺史、雁門已北行營兵馬節度等使。

五月、李克用は代州に赴き、遂に蕃・漢兵一万を率いて南に石嶺関を出で、詔に准じて長安に難に赴くを称す。丁巳、沙陀軍は太原に至る。鄭従讜は糧料を供給す。辛酉、沙陀は軍賞銭の発給を求む。従讜は銭千貫・米千石を与う。克用怒り、兵を縦して大掠す。従讜は振武に援を求む。契苾通は自ら兵を率いて来赴し、沙陀と晉王嶺に戦う。沙陀敗走し、榆次・陽曲を陥れて退く。是の日大風、天土を雨らす。特進・尚書右僕射趙隱卒す。司空を贈る。

原文五月,李克用赴代州,遂率蕃、漢兵萬人南出石嶺關,稱准詔赴難長安。丁巳,沙陀軍至太原,鄭從讜供給糧料。辛酉,沙陀求發軍賞錢,從讜與錢千貫,米千石。克用怒,縱兵大掠。從讜求援于振武,契苾通自率兵來赴,與沙陀戰于晉王嶺。沙陀敗走,陷榆次、陽曲而退。是日大風,天雨土。特進、尚書右僕射趙隱卒,贈司空。

六月、沙陀は代州に退き還る。車駕は成都府に幸す。西川節度使陳敬瑄は自ら来り迎え奉る。

原文六月,沙陀退還代州。車駕幸成都府,西川節度使陣敬瑄自來迎奉。

七月丁未朔。乙卯、車駕は西蜀に至る。丁巳、成都府廨に禦し、広明二年を改めて中和元年と為し、大赦天下す。兵部侍郎・判度支韋昭度を以て本官を以て同平章事とす。侍中王鐸を以て検校太尉・中書令、兼滑州刺史・義成軍節度・鄭滑観察処置、兼ねて充てるに京城四面行営都統を以てす。太子太保崔安潜を以て副と為す。観軍容使西門思恭を以て天下行営兵馬都監押と為す。中書侍郎・平章事・諸道塩鉄転運等使韋昭度を以て供軍使と為す。時に淮南節度使高駢は諸道行営都統たり。車駕の出幸より、中使相継ぎて駢に軍を起すを促すも、駢は周宝・劉漢宏の己に利あらざるを托し、遷延すること半歳、竟に軍を出さず。乃ち鐸を以て都統と為す。河中節度使王重栄を以て京城北面都統と為し、義武軍節度使王処存を以て京城東面都統と為し、鄜延節度使李孝昌を以て京城西面都統と為し、朔方軍節度使拓拔思恭を以て京城南面都統と為す。忠武監軍使楊復光を以て天下行営兵馬都監と為し、西門思恭に代わる。王鐸に便宜従事を許す。郎官・御史を遣わして天下を行き分かち、兵を徴して関内に赴かしむ。

原文七月丁未朔。乙卯,車駕至西蜀。丁巳,禦成都府廨,改廣明二年為中和元年,大赦天下。以兵部侍郎、判度支韋昭度本官同平章事。以侍中王鐸檢校太尉、中書令,兼滑州刺史、義成軍節度、鄭滑觀察處置,兼充京城四面行營都統;以太子太保崔安潛為副。觀軍容使西門思恭為天下行營兵馬都監押;中書侍郎、平章事、諸道鹽鐵轉運等使韋昭度為供軍使。時淮南節度使高駢為諸道行營都統,自車駕出幸,中使相繼促駢起軍,駢托以周寶、劉漢宏不利於己,遷延半歲,竟不出軍,乃以鐸為都統。以河中節度使王重榮為京城北面都統,義武軍節度使王處存為京城東面都統,鄜延節度使李孝昌為京城西面都統,朔方軍節度使拓拔思恭為京城南面都統。以忠武監軍使楊復光為天下行營兵馬都監,代西門思恭。許王鐸以便宜從事。遣郎官、御史分行天下,徵兵赴關內。

八月、代北行営兵馬使諸葛爽・朱玫・拓拔思恭等の軍は渭橋に屯す。朱玫は興平に屯すも、賊将王璠に撃たれ、奉天に退き保つ。諸葛爽は賊に降り、偽に爽を署して河陽節度使と為す。許州牙将秦宗権は汝州に於いて賊を破るを奏す。乃ち宗権に蔡州防禦使を授く。昭義節度使高潯は賊将李詳と石橋に戦い、賊に敗られ、河中に退き帰る。賊は勝に乗じて同州を陥す。

原文八月,代北行營兵馬使諸葛爽、朱玫、拓拔思恭等軍屯渭橋。朱玫屯興平,為賊將王璠所擊,退保奉天。諸葛爽降賊,偽署爽河陽節度使。許州牙將秦宗權奏破賊於汝州,乃授宗權察州防禦使。昭義節度使高潯與賊將李詳戰于石橋,為賊所敗,退歸河中。賊乘勝陷同州。

九月、沢潞高潯の牙将劉広は擅に還り潞州を拠る。是の月、潯の天井関戍将孟方立は戍卒を率いて劉広を攻め、之を殺す。方立は遂に自ら留後を称し、仍く軍鎮を邢州に移す。制して京城四面催陣使・守兵部尚書王徽を検校左僕射、兼潞州大都督府長史・昭義節度・潞邢洺磁観察等使と為す。高潯を貶して端州刺史と為す。楊復光・王重栄は河西・昭義・忠武・義成の師を率いて武功に屯す。鳳翔節度使鄭畋は病を以て行在に徴還さる。鳳翔大将李昌言を以て畋に代わり節度使と為し、兼ねて京城西面行営都統と為す。

原文九月,澤潞高潯牙將劉廣擅還據潞州。是月,潯天井關戍將孟方立率戍卒攻劉廣,殺之。方立遂自稱留後,仍移軍鎮于邢州。制以京城四面催陣使、守兵部尚書王徽檢校左僕射,兼潞州大都督府長史、昭義節度、潞邢洺磁觀察等使。貶高潯端州刺史。楊復光、王重榮以河西、昭義、忠武、義成之師屯武功。鳳翔節度使鄭畋以病徵還行在,以鳳翔大將李昌言代畋為節度使,兼京城西面行營都統。

十月、青州軍乱れ、節度使安師儒を逐い、其の行営将王敬武を立てて留後と為す。

原文十月,青州軍亂,逐節度使安師儒,立其行營將王敬武為留後。

十二月、行営都統王鐸は禁軍・山南東川の師三万を率いて京畿に至り、盩厔に屯す。

原文十二月,行營都統王鐸率禁軍、山南東川之師三萬至京畿,屯於盩厔。

中和二年

原文中和二年

二年春正月甲辰朔、天下の勤王の師、雲のごとく京畿に会し、京師は食尽く。賊は樹皮を食い、金玉を以て行営の師に人を買う。人数百万を獲る。山谷に避乱する百姓、多くは諸軍の執いて売る所と為る。

原文二年春正月甲辰朔,天下勤王之師,雲會京畿,京師食盡。賊食樹皮,以金玉買人于行營之師,人獲數百萬。山谷避亂百姓,多為諸軍之所執賣。

二月、涇原の大将唐弘夫は賊将林言を興平に大破し、俘斬万計。王処存は軍二万を率い、径ちに京城に入る。賊は偽り遁去す。京師の百姓は処存を迎え、歓呼叫噪す。是の日軍士は部伍無く、分かち第宅を占め、妓妾を俘掠す。賊は灞上より分門して復た入る。処存の衆は蒼黄潰乱し、賊に敗られる。黄巢は百姓の処存を歓迎するを怒り、凡そ丁壮は皆之を殺す。坊市之が為に流血す。是より諸軍は退舍し、賊鋒愈々熾なり。

原文二月,涇原大將唐弘夫大敗賊將林言于興平,俘斬萬計。王處存率軍二萬,徑入京城,賊偽遁去。京師百姓迎處存,歡呼叫噪。是日軍士無部伍,分占第宅,俘掠妓妾。賊自灞上分門復入,處存之眾蒼黃潰亂,為賊所敗。黃巢怒百姓歡迎處存,凡丁壯皆殺之,坊市為之流血。自是諸軍退舍,賊鋒愈熾。

三月、前蔚州刺史の蘇祐は沙陀に敗れ、郡を棄てて鎮州に投ぜんとし、霊寿に至り、部人が盗賊となり、祐は王景崇に殺された。

原文三月,前蔚州刺史蘇祐為沙陀所敗,棄郡投鎮州,至靈壽,部人為盜,祐為王景崇所殺。

七月辛丑朔。丙午の夜、西北方に赤気あり、絳虹のごとく天に竟く。賊将尚譲が宜君砦を攻め、雨雪一尺を盈ち、甚だ寒く、賊兵凍死すること十二三。

原文七月辛丑朔。丙午夜,西北方赤氣,如絳虹竟天。賊將尚讓攻宜君砦,雨雪盈尺,甚寒,賊兵凍死者十二三。

八月庚子、賊の同州防禦使朱温はその監軍厳実を殺し、大将胡真・謝瞳らとともに来降す。王鐸は制を承けて華州刺史・潼関防禦・鎮国軍等使に拝す。魏博節度韓簡は自ら軍三万を率いて河陽を攻め、偽署節度使諸葛爽は城を棄てて去る。簡は大将を遣わして河橋を守らせて還る。

原文八月庚子,賊同州防禦使朱溫殺其監軍嚴實,與大將胡真、謝瞳等來降,王鐸承制拜華州刺史、潼關防禦、鎮國軍等使。魏博節度韓簡自率軍三萬攻河陽,偽署節度使諸葛爽棄城而去,簡遣大將守河橋而還。

九月、賊は黄鄴を華州刺史とす。初め、賊は李詳に華州を守らせしが、詳は朱温と素より善し。温が河中に帰するに及び、黄巢は宦官後冗を遣わし功臣馬千匹を率いて華州に至り詳を殺し、鄴を以て代えて帰らしむ。太原諸山の桃杏に花実あり。

原文九月,賊以黃鄴為華州刺史。初,賊以李詳守華州,詳與朱溫素善,及溫歸河中,黃巢遣閹官後冗率功臣馬千匹至華殺詳,以鄴代歸。太原諸山桃杏有花實。

十月、西北方雲無くして雷鳴す、名づけて「天狗墜」という。嵐州刺史湯群を以て懐州刺史とす。時に群は沙陀を倚りて援と為すを、朝廷疑いてこれを易う。鄭従讜は人を遣わし官告を伝え群に授く。群怒り、使者を殺し、城を拠り、沙陀に内通す。魏博節度使韓簡は兵を以て鄆州を攻む。節度使曹全晸これを拒ぐも、簡に敗れ、執られて殺さる。全晸の大将朱瑄は余衆を以て鄆州を保ち、簡に和を乞う。簡これを捨てて去る。

原文十月,西北方無雲而雷,名「天狗墜」。以嵐州刺史湯群為懷州刺史,時群倚沙陀為援,朝廷疑而易之。鄭從讜遣人傳官告授群,群怒,殺使者,據城,內沙陀。魏博節度使韓簡以兵攻鄆州,節度使曹全晸拒之,為簡所敗,執而殺之。全晸大將朱瑄以餘眾保鄆州,乞和于簡,簡舍之而去。

十一月、沙陀李克用の監軍陳景思は部落の衆一万七千騎を率いて嵐石州の路より河中に赴く。賊将李詳の下牙隊が華州守将を斬り帰明す。王鐸はその部将王遇を用いて華州刺史とす。

原文十一月,沙陀李克用監軍陳景思以部落之眾一萬七千騎自嵐石州路赴河中。賊將李詳下牙隊斬華州守將歸明,王鐸用其部將王遇為華州刺史。

十二月己亥朔。庚戌、成徳軍節度・鎮冀深趙観察処置等使・開府儀同三司・検校太尉・中書令・上柱国・常山郡王・食邑六千戸王景崇卒す。太傅を贈り、諡して忠穆という。遺表して子の鎔に戎事を纘継せしむるを請う。遂に鎔を兵馬留後とす。

原文十二月己亥朔。庚戌,成德軍節度、鎮冀深趙觀察處置等使、開府儀同三司、檢校太尉、中書令、上柱國、常山郡王、食邑六千戶王景崇卒,贈太傅,諡曰忠穆。遺表請以子鎔纘繼戎事,遂以鎔為兵馬留後。

中和三年

原文中和三年

三年春正月戊辰朔、車駕は成都府に在り。雁門節度使・検校工部尚書李克用は師を率いて河中に至る。己巳、沙陀軍は進みて沙苑の乾坑に屯す。

原文三年春正月戊辰朔,車駕在成都府。雁門節度使、檢校工部尚書李克用率師至河中。己巳,沙陀軍進屯沙苑之乾坑。

二月、沙陀は華州を攻む。刺史黄鄴は出奔して石堤谷に至るも、追い擒えらる。魏博節度使韓簡は再び兵を興して河陽を討つ。諸葛爽は大将李罕之を遣わし武陟においてこれを拒ぎ、逆撃して魏軍大敗して還る。大将楽彦禎は先に魏州を拠る。韓簡は部下に殺され、彦禎を推して留後とす。就いて李克用に検校尚書左僕射・忻代雲蔚等州観察処置等使を加う。

原文二月,沙陀攻華州,刺史黃鄴出奔至石堤穀,追擒之。魏博節度使韓簡再興兵討河陽,諸葛爽遣大將李罕之拒之于武陟,逆擊之,魏軍大敗而還。大將樂彥禎先據魏州,韓簡為部下所殺,推彥禎為留後。就加李克用檢校尚書左僕射、忻代雲蔚等州觀察處置等使。

三月丁卯朔。壬申、沙陀軍は賊将趙章・尚譲と成店において戦い、賊軍大敗し、良天坡まで追奔し、横屍三十里。王重栄は屍を築きて京観と為す。

原文三月丁卯朔。壬申,沙陀軍與賊將趙章、尚讓戰于成店,賊軍大敗,追奔至良天坡,橫屍三十里;王重榮築屍為京觀。

四月丁酉朔。庚子、沙陀・忠武・義成・義武等の軍は長安に趨る。賊は悉く衆をして渭橋においてこれを拒がしむも、大敗して還る。李克用は勝に乗じてこれを追う。己卯、黄巢はその残衆を収め、藍田関より遁る。庚辰、京城を収復す。天下行営兵馬都監楊復光は行在に章を上し捷を告ぐ。曰く、「頃者妖霧市に興り、叢祠に嘯聚す。而るに岳牧藩侯、盗を備えること謹まず。大同の運は常に奸を容るべく、無事の秋はその悪を長ずるを縦すと謂えり。賊首黄巢、因って窟穴を充盈し、萑蒲に蔓延し、我が蒸黎を駆り、その凶逆に徇う。鉏鶴を展じて鋒刃と成し、耕牛を殺して燔砲を恣にす。魑魅は昼行し、虺蜴は夜噬ぜいす。南海失守より以来、湖外師を喪い、虎を養いて災深く、梟を馴らして逆大なり。物害さざる無く、悪為さざる無し。豺狼は朝市の憂いを貽し、瘡磐は腹心の痛みに及ぶ。遂に毒万姓に流れ、盗両京を汚し、衣冠は塗炭の悲しみを銜み、郡邑は丘墟の歎きを起こす。万方共に怒り、十道斉しく攻む。九廟の威霊に仗り、積年の凶醜を殄う。河中節度使王重栄は神資壮烈、天賦機謀、功名を立てんことを誓い、家国を安んぜんことを志す。屯田して敵を待ち、率土して衝に当たり、百姓十万余家を収め、賊党三万余人を降すに至る。法は持重を能くし、功は遂に晩成す。久しく原野の刑を稽え、未だ雷霆の怒りを決せず。同・華を収むるより以来、京師に進逼し、夕烽は国門に高く照り、遊騎は頻りに灞岸に臨む。既に四隅断絶し、百計奔衝するを知るや、窮鳥籠に触るるが如く、飛蛾焰に赴くに似たり。雁門節度使李克用は将略を神伝し、忠貞を天付され、機謀と武藝皆優れ、臣節と本心相称す。賊を殺すこと手刃に非ざる無く、陣に入ること率い以身を先にす。雄才と謂うべく、飛将の名を得たり。本軍を統領して南下し、臣と同力前駆す。寢興に在りと雖も、寇孽を忘れず。今月八日、衙隊将前鋒楊守宗・河中騎将白志遷・横野軍使満存・躡雲都将丁行存・朝邑鎮将康師貞・忠武黄頭軍使龐従等三十二都を遣わし、李克用に随い光泰門より先ず京師に入り、凶逆を力摧す。又、河中将劉譲・王瓌・冀君武・孫珙、忠武大将喬従遇、鄭滑将韓従威、荊南大将申屠忭、滄州大将賈滔、易定大将張仲慶、寿州大将張行方、天徳大将顧彦朗、左神策弩手甄君楚・公孫佐、横沖軍使楊守亮、躡雲都将高周彝、忠順都将胡貞、絳州監軍毛宣伯・聶弘裕等七十都を遣わし継いで進ます。賊尚ほ堅陣を為し、来たりて官軍に抗す。李克用は驍雄を率励し、金革を整斉し、叫噪して声将に瓦を動かし、喑嗚して気沙を吞まんと欲す。戈矛を寛く列ね、軍を麾して夾撃す。卯より申に至り、凶徒大敗す。望春宮より蹙殺し、升陽殿に至り合囲す。戈濫りに揮わず、矢虚しく発すること無し。その賊即時に奔遁し、商山に散入す。徒らに漏刃の生を延ばし、佇みて飲頭の器と作らんとす。伏して京国を収平するより以来、三面皆大功を立て、若し敵を破り鋒を摧くは、雁門実にその首に居る。その余の将佐、同じく駆馳に効し、兼ねて臣の部する所二万余人、数歳櫛風沐雨し、既に茲に蕩定す。並びに録して以て聞かす。」報至り、従官賀す。

原文四月丁酉朔。庚子,沙陀、忠武、義成、義武等軍趨長安,賊悉眾拒之於渭橋,大敗而還;李克用乘勝追之。己卯,黃巢收其殘眾,由藍田關而遁。庚辰,收復京城。天下行營兵馬都監楊復光上章告捷行在,曰:「頃者妖興霧市,嘯聚叢祠,而岳牧籓侯,備盜不謹。謂大同之運,常可容奸;謂無事之秋,縱其長惡。賊首黃巢,因得充盈窟穴,蔓延萑蒲,驅我蒸黎,徇其凶逆。展鉏鶴以成鋒刃,殺耕牛以恣燔砲,魑魅晝行,虺蜴夜噬。自南海失守,湖外喪師,養虎災深,馴梟逆大。物無不害,惡靡不為,豺狼貽朝市之憂,瘡磐及腹心之痛。遂至毒流萬姓,盜汙兩京,衣冠銜塗炭之悲,郡邑起丘墟之歎。萬方共怒,十道齊攻,仗九廟之威靈,殄積年之凶醜。河中節度使王重榮神資壯烈,天賦機謀,誓立功名,志安家國。至於屯田待敵,率士當沖,收百姓十萬余家,降賊党三萬餘眾。法能持重,功遂晚成,久稽原野之刑,未決雷霆之怒。自收同、華,進逼京師,夕烽高照于國門,遊騎頻臨於灞岸。既知四隅斷絕,百計奔沖,如窮鳥觸籠,似飛蛾赴焰。雁門節度使李克用神傳將略,天付忠貞,機謀與武藝皆優,臣節共本心相稱。殺賊無非手刃,入陣率以身先,可謂雄才,得名飛將。統領本軍南下,與臣同力前驅,雖在寢興,不忘寇孽。今月八日,遣衙隊將前鋒楊守宗、河中騎將白志遷、橫野軍使滿存、躡雲都將丁行存、朝邑鎮將康師貞、忠武黃頭軍使龐從等三十二都,隨李克用自光泰門先入京師,力摧凶逆。又遣河中將劉讓王瑰冀君武孫珙、忠武大將喬從遇、鄭滑將韓從威、荊南大將申屠忭、滄州大將賈滔、易定大將張仲慶、壽州大將張行方、天德大將顧彥朗、左神策弩手甄君楚公孫佐、橫沖軍使楊守亮、躡雲都將高周彝、忠順都將胡貞、絳州監軍毛宣伯聶弘裕等七十都繼進。賊尚為堅陣,來抗官軍。李克用率勵驍雄,整齊金革,叫噪而聲將動瓦,喑嗚而氣欲吞沙。寬列戈矛,麾軍夾擊,自卯至申,凶徒大敗。自望春宮蹙殺,至升陽殿合圍,戈不濫揮,矢無虛發。其賊即時奔遁,散入商山,徒延漏刃之生,佇作飲頭之器。伏自收平京國,三面皆立大功,若破敵摧鋒,雁門實居其首。其餘將佐,同效驅馳,兼臣所部二萬餘人,數歲櫛風沐雨,既茲蕩定,並錄以聞。」報至,從官稱賀。

五月、制を以て河中節度使・検校尚書右僕射王重栄を検校司空・同平章事とし、余は故の如し。雁門以北行営節度・忻代蔚朔等州観察処置等使・検校尚書左僕射・代州刺史・上柱国・食邑七百戸李克用を検校司空・同平章事とし、兼ねて太原尹・北京留守とし、河東節度・管内観察処置等使を充てる。義武軍節度使・検校司空王処存を検校司徒・同平章事とし、余は故の如し。検校尚書右僕射・華州刺史・潼関防禦等使朱温を検校司空とし、汴州刺史・御史大夫を兼ね、宣武節度観察等使を充て、仍って名を全忠と賜う。京城西北面行営都統・金紫光禄大夫・検校司空・邠寧節度使朱玫に就いて同平章事を加え、呉興県侯に進封し、食邑一千戸。鄜坊節度使・金紫光禄大夫・検校尚書右僕射東方逵に就いて同平章事を加う。王鐸を行営都統より罷め、前の如く検校太師・中書令とし、晋国公に進封し、食邑二千戸を加え、節度観察使は故の如し。時に中尉田令孜事を用い、帷幄の功を自ら負い、鐸の兵を用いて功無きを以て、而して楊復光の沙陀を召して賊を破るの効を建てる策に由り、権を北司に帰せんと欲し、乃ち王を黜きて復光を悦ばすなり。諸道行営兵馬都監楊復光に就いて開府儀同三司・弘農郡開国公を加え、食邑三千戸、同華等州管内制置使を充て、仍って号を「資忠耀武匡国平難功臣」と賜う。六月乙未朔。甲子、楊復光河中に卒す。其の部下忠武八都都頭鹿晏弘・晋暉・王建・韓建等各其の衆を以て散去す。時に復光の兄復恭内枢密を知り、田令孜復光の賊を破る功を立てるを以て、憚りて之を悪み、故に賊平ぎて賞薄し。復光の死を聞くに及び、甚だ悦び、復た復恭を擯け、枢密を罷めて飛龍使と為す。是の月、黄巢陳州を囲み、州北五里に営す。初め、賊藍田関を出で、前鋒将孟楷を遣わして蔡州を攻めしに、刺史秦宗権兵を以て逆戦し、楷の為に敗られ、宗権勢窘し、賊と通和す。孟楷兵を移して陳州を攻む。刺史趙犨弱きを示し、伏兵を以て之を撃ち、陣に臨みて楷を斬る。楷は賊の愛将なり、深く之を惜しむ。黄巢怒り、衆を悉くして陳州を攻む。時に黄巢と宗権合従し、兵を縦して四掠し、遠近皆其の酷に罹る。時に仍歳大饑し、民積聚無く、賊人を俘えて食と為し、其の砲炙する処を「舂磨寨」と謂い、白骨山積し、喪乱の極み、斯に甚しきは無し。賊城を攻むること急なり。徐州節度使時溥・許州周岌・汴州朱全忠皆師を出して之を護援す。

原文五月,制以河中節度使、檢校尚書右僕射王重榮檢校司空、同平章事,餘如故。雁門已北行營節度、忻代蔚朔等州觀察處置等使、檢校尚書左僕射、代州刺史、上柱國、食邑七百戶李克用檢校司空、同平章事,兼太原尹、北京留守,充河東節度、管內觀察處置等使。義武軍節度使、檢校司空王處存檢校司徒、同平章事,餘如故。以檢校尚書右僕射、華州刺史、潼關防禦等使朱溫檢校司空,兼汴州刺史、御史大夫,充宣武節度觀察等使,仍賜名全忠。京城西北面行營都統、金紫光祿大夫、檢校司空、邠甯節度使朱玫就加同平章事,進封吳興縣侯,食邑一千戶。鄜坊節度使、金紫光祿大夫、檢校尚書右僕射東方逵就加同平章事。王鐸罷行營都統,依前檢校太師、中書令,進封晉國公,加食邑二千戶,節度觀察使如故。時中尉田令孜用事,自負帷幄之功,以鐸用兵無功,而由楊復光建策召沙陀成破賊之效,欲權歸北司,乃黜王而悅復光也。就加諸道行營兵馬都監楊復光開府儀同三司、弘農郡開國公,食邑三千戶,充同華等州管內制置使,仍賜號「資忠耀武匡國平難功臣。」六月乙未朔。甲子,楊復光卒於河中,其部下忠武八都都頭鹿晏弘、晉暉、王建、韓建等各以其眾散去。時復光兄復恭知內樞密,田令孜以復光立破賊功,憚而惡之,故賊平賞薄。及聞復光死,甚悅,復擯復恭,罷樞密為飛龍使。是月,黃巢圍陳州,營於州北五里。初,賊出藍田關,遣前鋒將孟楷攻蔡州,刺史秦宗權以兵逆戰,為楷所敗,宗權勢窘,與賊通和。孟楷移兵攻陳州,刺史趙犨示弱,伏兵擊之,臨陣斬楷。楷,賊之愛將,深惜之。黃巢怒,悉眾攻陳州。時黃巢與宗權合從,縱兵四掠,遠近皆罹其酷。時仍歲大饑,民無積聚,賊俘人為食,其砲炙處謂之「舂磨寨」,白骨山積,喪亂之極,無甚於斯。賊攻城急,徐州節度使時溥、許州周岌、汴州朱全忠皆出師護援之。

七月、制を以て西川節度使・開府儀同三司・守太尉・同平章事・成都尹・上柱國・潁川郡王・食邑三千戶・實封四百戶の陳敬瑄に鉄券を賜う。詔して鄭従讜に行在に赴かしむ。

原文七月,制以西川節度使、開府儀同三司、守太尉、同平章事、成都尹、上柱國、潁川郡王、食邑三千戶、實封四百戶陳敬瑄賜鐵券。詔鄭從讜赴行在。

八月、李克用は太原に赴き鎮守す。制を以て、前振武節度使・檢校司空・兼單于都護・御史大夫李國昌を檢校司徒・代州刺史・雁門以北行營節度使・蔚朔等州觀察等使と為す。十月、李國昌卒す。

原文八月,李克用赴鎮太原。制以前振武節度、檢校司空、兼單于都護、御史大夫李國昌為檢校司徒、代州刺史、雁門已北行營節度、蔚朔等州觀察等使。十月,李國昌卒。

十一月、蔡州の賊秦宗權が許州を囲む。

原文十一月,蔡賊秦宗權圍許州。

十二月、詔して河東の李克用に陳許の救援に赴かしむ。忠武の大将鹿晏弘、興元を陥とし、節度使牛勖を逐ひ、自ら留後と為る。

原文十二月,詔河東李克用赴援陳許。忠武大將鹿晏弘陷興元,逐節度使牛勖,自為留後。

中和四年

原文中和四年

四年の春正月癸亥朔、車駕は成都府に在り。

原文四年春正月癸亥朔,車駕在成都府。

二月、河東節度使李克用將に師を出だして陳許を援けんとし、河陽節度使諸葛爽兵を以て澤州に屯して之を拒ぐ。

原文二月,河東節度使李克用將出師援陳許,河陽節度使諸葛爽以兵屯澤州拒之。

三月壬戌朔。甲戌、克用は軍を移して河中南より渡り、東下して洛陽らくように至る。

原文三月壬戌朔。甲戌,克用移軍自河中南渡,東下洛陽。

四月辛卯朔。甲寅、沙陀軍は許州に至り、節度使周岌・監軍田從異が兵を率いて合流して戦う。賊将尚讓は太康に屯し、黃鄴は西華に屯し、少し芻粟を有す。己未、沙陀は兵を分けて太康・西華の賊の砦を攻む。庚申、尚讓・黃鄴は遁走し、官軍はその芻粟を得、黃巢もまた退き郾城を保つ。兵部侍郎・判度支鄭昌圖を以て本官のまま同平章事と為す。

原文四月辛卯朔。甲寅,沙陀軍次許州,節度使周岌、監軍田從異以兵會戰。賊將尚讓屯太康,黃鄴屯西華,稍有芻粟。己未,沙陀分兵攻太康、西華賊砦。庚申,尚讓、黃鄴遁去,官軍得其芻粟,黃巢亦退保郾城。以兵部侍郎、判度支鄭昌圖以本官同平章事。

庚辰、徐州の将李師悦・陳景思、兵一万を率いて黄巢を兗州に追う。

原文五月辛酉朔。癸亥,沙陀追黃巢而北。丁卯,次尉氏。戊辰,大雨,平地水深三尺,溝河漲溢。賊至中牟,臨汴河欲渡,沙陀遽至,賊大駭,其黨分潰,殺傷溺死殆半。尚讓一軍降時溥,別將楊能、李讜、霍存、葛從周、張歸霸等降朱全忠,李周、楊景彪以殘眾走封丘。己巳,沙陀渡汴河,趨封丘,黃巢兄弟悉力拒戰,李克用擊敗之。獲所俘男女五萬口,牛馬萬餘,並偽乘輿、法物、符印、寶貨、戎仗等三萬計。得巢幼子,年六歲。黃巢既敗,以其殘眾東走。庚午,李克用急躡黃巢,一日夜行二百里,馬疲乏死者殆半。宿冤朐,糧運不及,騎軍至寡,乃與忠武監軍田從異班師。甲戌,次汴州,節度使朱全忠館克用於上源驛。全忠以克用兵力寡弱,大軍在遠,乃圖之。是夜,置酒郵舍,克用既醉,全忠以兵圍驛,縱火燒之。雷雨驟作,平地水深尺餘,克用逾垣僅免。其部下三百余人及監軍使史敬思、書記任珪皆被害。丙子,克用至許州,率本軍還太原。庚辰,徐州將李師悅、陳景思率兵萬人追黃巢於兗州。

六月、鄆州節度使朱瑄、合郷にて賊を大破せりと奏す。

原文六月,鄆州節度使朱瑄奏大敗賊於合鄉。

秋七月己未朔。癸酉、賊將林言は黃巢・黃揆・黃秉の三人の首級を斬り、時溥に降る。初め、徐將李師悅は賊と瑕丘にて戦い、賊は必死に戦い、その衆は殆ど尽きる。林言は巢と共に太山狼虎谷の襄王村に走り至り、追い至らんことを懼れ、併せて命を失わんとし、乃ち賊を斬りて師悅に降る。壬午、捷書が行在に至り、從官賀す。河東節度使李克用累表して屈を訴え、汴州を討たんことを請う。天子優詔を以て之を和解し、就いて克用の階を特進に加え、隴西郡王に封じて之を悦ばしむ。是より全忠・克用に尋戈の怨み有り。

原文秋七月己未朔。癸酉,賊將林言斬黃巢、黃揆、黃秉三人首級降時溥。初,徐將李師悅與賊戰於瑕丘,賊殊死戰,其眾殆盡。林言與巢走至太山狼虎谷之襄王村,懼追至並命,乃斬賊降師悅。壬午,捷書至行在,從官稱賀。河東節度使李克用累表訴屈,請討汴州。天子優詔和解之,就加克用階特進,封隴西郡王以悅之。自是全忠、克用有尋戈之怨。

九月、山南西道節度使鹿晏弘は禁軍に討たれ、城を棄てて衆を擁し東に出でて襄・鄧に至り、許州を大いに掠る。晏弘の大將王建・韓建・張造・晉暉・李師泰は各々本軍を率いて朝に歸す。田令孜は建等が楊復光の故將なるを以て、これを薄くし、皆諸衛將軍を授くるも、惟だ王建を以て壁州刺史となす。

原文九月,山南西道節度使鹿晏弘為禁軍所討,棄城擁眾東出襄、鄧,大掠許州。晏弘大將王建、韓建、張造、晉暉、李師泰各率本軍歸朝,田令孜以建等楊復光故將,薄之,皆授諸衛將軍,惟以王建為壁州刺史。

十月、關東の諸鎮が上章して車駕の京に還ることを請う。

原文十月,關東諸鎮上章請車駕還京。

十一月、鹿晏弘が許州を陥落させ、周岌を殺害し、自ら留後を称したが、まもなく秦宗権に攻撃された。詔により、義成軍節度使・検校太師・中書令・上柱国・晋国公王鐸を滄州刺史・義昌軍節度使・滄徳観察処置等使に任じた。

原文十一月,鹿晏弘陷許州,殺周岌,自稱留後,尋為秦宗權所攻。制以義成軍節度、檢校太師、中書令、上柱國、晉國公王鐸為滄州刺史、義昌軍節度、滄德觀察處置等使。

十二月丁亥朔、大明宮留守・権知京兆尹・御史大夫・京畿制置等使王徽が留司百官とともに上表し、車駕の還宮を請うた。詔して来年正月に京師に還るとした。新たに任じられた滄徳節度使王鐸は、魏博節度使楽彦禎に漳南県の高鶏泊で害され、従者三百余人も皆殺害された。

原文十二月丁亥朔,大明宮留守、權知京兆尹、御史大夫、京畿制置等使王徽與留司百官上表,請車駕還宮。詔以來年正月還京。新除滄德節度使王鐸,為魏博節度使樂彥禎害之于漳南縣之高雞泊,行從三百餘人皆遇害。

光啓元年

原文光啟元年

二月丁亥朔。丙申、車駕は鳳翔に滞在した。

原文二月丁亥朔。丙申,車駕次鳳翔。

三月丙辰朔。丁卯、車駕は京師に到着した。己巳、宣政殿に臨み、大赦を行い、元号を光啓と改めた。当時、李昌符は鳳翔を、王重栄は蒲・陝を、諸葛爽は河陽・洛陽を、孟方立は邢・洺を、李克用は太原・上党を、朱全忠は汴・滑を、秦宗権は許・蔡を、時溥は徐・泗を、朱瑄は鄆・斉・曹・濮を、王敬武は淄・青を、高駢は淮南八州を、秦彦は宣・歙を、劉漢宏は浙東をそれぞれ占拠し、みな勝手に兵と賦税を掌握し、互いに併呑し合い、朝廷はこれを制することができなかった。江淮からの転運路は絶え、両河・江淮の賦税は上供せず、ただ歳時に献上するのみであった。国命の及ぶところは、河西・山南・剣南・嶺南の四道数十州に過ぎなかった。およそ郡将は勝手に振る舞い、常賦はほとんど絶え、藩侯の廃立は朝廷によらず、王業はここに蕩然として失われた。蔡賊秦宗権が近隣の藩鎮を侵寇したため、詔により徐州節度使時溥を鉅鹿王とし、蔡州四面行営兵馬都統を兼任させた。宗権の将秦賢が汴・鄭を攻撃してやまないため、汴州刺史朱全忠を沛はい郡王とし、蔡州西北面行営都統を兼任させた。杭州刺史董昌が劉漢宏の軍勢を大破し、越・婺・台・明等州を攻撃してこれを陥落させた。そこで董昌を越州刺史・鎮東軍節度使・浙江東道観察等使とし、杭州の大将銭鏐を杭州刺史とした。

原文三月丙辰朔。丁卯,車駕至京師。己巳,禦宣政殿,大赦,改元光啟。時李昌符據鳳翔,王重榮據蒲、陝,諸葛爽據河陽、洛陽,孟方立據邢、洺,李克用據太原、上党,朱全忠據汴、滑,秦宗權據許、蔡,時溥據徐、泗,朱瑄據鄆、齊、曹、濮,王敬武據淄、青,高駢據淮南八州,秦彥據宣、歙,劉漢宏據浙東,皆自擅兵賦,迭相吞噬,朝廷不能制。江淮轉運路絕,兩河、江淮賦不上供,但歲時獻奉而已。國命所能制者,河西、山南、劍南、嶺南四道數十州。大約郡將自擅,常賦殆絕,籓侯廢置,不自朝廷,王業於是蕩然。蔡賊秦宗權侵寇籓鄰,制以徐州節度使時溥為钜鹿王,充蔡州四面行營兵馬都統。宗權將秦賢攻汴、鄭不已,以汴州刺史朱全忠為沛郡王,充蔡州西北面行營都統。杭州刺史董昌大敗劉漢宏之眾,進攻越、婺、台、明等州,下之。遂以昌為越州刺史、鎮東軍節度、浙江東道觀察等使,以杭州大將錢鏐為杭州刺史。

閏三月、鎮冀節度使王鎔が耕牛千頭、農具九千、兵器十万を献上した。

原文閏三月,鎮冀節度使王鎔獻耕牛千頭,農具九千,兵仗十萬。

四月乙卯朔、開府儀同三司・右金吾衛上将軍・左街功徳使・斉国公田令孜を左右神策十軍使に任じた。当時、蜀中より護駕して以来、令孜は新軍五十四都を募集し、一都は千人、左右神策各二十七都とし、五軍に分け、令孜がその権を総領した。当時、軍旅がすでに多く、南衙北司の官属は万余、三司の転運には調発する場所がなく、度支は関畿の税賦のみで、支給は充足せず、賞労は時宜を得ず、軍情は怨嗟した。旧来、安邑・解県の両池の塩専売税は、塩鉄使が特に塩官を置いてその事を総轄していた。黄巢の乱以来、河中節度使王重栄が専売事務を兼ね、毎年課塩三千車を朝廷に献上していた。この時、令孜は親軍の供給が欠乏し、方策の出る所がなかったため、広明以前の旧事を挙げて、両池の専売事務を塩鉄使に帰属させ、その利益を禁軍の給養に充てることを請うた。詔が下ると、重栄は上章して訴え、言うには、河中は地が貧しく、塩税に悉く頼って軍を供給していると。

原文四月乙卯朔,以開府儀同三司、右金吾衛上將軍、左街功德使、齊國公田令孜為左右神策十軍使。時自蜀中護駕,令孜招募新軍五十四都,都千人,左右神策各二十七都,分為五軍,令孜總領其權。時軍旅既眾,南衙北司官屬萬余,三司轉運無調發之所,度支惟以關畿稅賦,支給不充,賞勞不時,軍情咨怨。舊日安邑、解縣兩池榷鹽稅課,鹽鐵使特置鹽官以總其事。自黃巢亂離,河中節度使王重榮兼領榷務,歲出課鹽三千車以獻朝廷。至是令孜以親軍闕供,計無從出,乃舉廣明前舊事,請以兩池榷務歸鹽鐵使,收利以贍禁軍。詔下,重榮上章論訴,言河中地窘,悉籍鹽課供軍。

五月、詔により河中節度使・検校司徒・同平章事・河中尹・上柱国・琅邪郡王王重栄を検校太傅・同平章事、兼兗州刺史・兗沂海節度観察処置等使とし、斉克譲の後任とした。克譲を検校司徒、兼定州刺史御史大夫とし、義武節度観察・北平軍等使を充て、王処存の後任とした。処存を前の如く検校太傅・同平章事・河中尹・河中晋慈隰節度観察等使とした。この月、宰臣蕭遘が文武百官を率いて徽号「至徳光烈孝皇帝」を上り、宣政殿に臨んで冊を受け、大赦を行った。

原文五月,制以河中節度使、檢校司徒、同平章事、河中尹、上柱國、琅邪郡王王重榮為檢校太傅、同平章事,兼兗州刺史、兗沂海節度觀察處置等使,代齊克讓。以克讓檢校司徒,兼定州刺史御史大夫,充義武節度觀察、北平軍等使,代王處存。以處存依前檢校太傅、同平章事、河中尹、河中晉慈隰節度觀察等使。是月,宰臣蕭遘率文武百僚上徽號曰至德光烈孝皇帝,禦宣政殿受冊,大赦。

六月甲寅朔。丙辰、定州の王処存が上奏した:「幽州節度使李可挙・鎮州節度使王鎔がそれぞれ大将をして兵士を率いさせ、当道を侵攻させましたが、臣はすでに皆撃退しました。」当時、李可挙は天子が播遷し、中原が大乱しているのに乗じ、河朔三鎮は休戚を同じくする事として、ただ易・定の二郡のみが朝廷の所有するところであるため、ともに議して処存を攻撃しその地を分かち取ろうとした。たまたま燕の将李全忠に帥を奪おうとする志があり、軍情は互いに疑った。全忠が易州を包囲している時、処存は奇兵を出してこれを撃ち、燕軍は大敗した。この月、全忠は残った兵を収め合わせて幽州を攻撃し、李可挙は一族を挙げて楼に登り自焚して死に、全忠は自ら留後を称した。滄州で軍が乱を起こし、その帥楊全玫を追放し、衙将盧彦威を立てて留後とした。詔により保鑾都将・検校司徒、兼黔州刺史・黔中節度観察等使曹誠を検校太保、兼滄州刺史とし、義昌軍節度・滄徳観察等使を充てた。河中の王重栄が累表して論じ、しばしば令孜が方鎮を離間していると述べたため、令孜は邠寧節度使朱玫を遣わし、鄜・延・霊・夏の軍を合わせて河中を討伐させた。

原文六月甲寅朔。丙辰,定州王處存奏:「幽州節度使李可舉、鎮州節度使王鎔各令大將率領兵士侵攻當道,臣並已殺退。」時李可舉乘天子播越,中原大亂,以河朔三鎮,休戚事同,惟易、定二郡為朝廷所有,乃同議攻處存以分其地。會燕將李全忠有奪帥之志,軍情相疑。全忠方圍易州,處存出奇騎以擊之,燕軍大敗。是月,全忠收合殘眾攻幽州,李可舉舉室登樓自焚而死,全忠自稱留後。滄州軍亂,逐其帥楊全玫,立衙將盧彥威為留後。制以保鑾都將、檢校司徒,兼黔州刺史、黔中節度觀察等使曹誠檢校太保,兼滄州刺史,充義昌軍節度、滄德觀察等使。河中王重榮累表論列,數令孜離間方鎮,令孜遣邠甯節度使硃玫會合鄜、延、靈、夏之師討河中。

九月、朱玫は沙苑に駐屯した。王重栄は太原に援軍を求めた。

原文九月,朱玫屯沙苑。王重榮求援於太原。

十月、李克用が太原軍を率いて南に出て陰地関を通過した。

原文十月,李克用率太原軍南出陰地關。

十一月、河中・太原の軍と禁軍が沙苑に対陣した。

原文十一月,河中、太原之師與禁軍對壘于沙苑。

十二月辛亥朔。癸酉、官軍が合戦し、沙陀に敗れ、朱玫は邠州に逃げ帰った。神策軍は潰散し、ついに京師に入って掠奪をほしいままにした。乙亥、沙陀が京師に迫り、田令孜は僖宗を奉じて鳳翔に出幸させた。初め、黄巢が京師を占拠した時、九衢三内の宮室はもとのままであった。諸道の兵が賊を破ると、財貨を争って互いに攻撃し、火を放って焼き掠め、宮室や市街・里巷の十分の六七を焼いた。賊が平定された後、京兆尹王徽に命じて長年補修させ、ようやく安堵が回復した。この時、乱兵が再び焼き、宮闕は蕭条として、茂った草の生い茂る所となった。

原文十二月辛亥朔。癸酉,官軍合戰,為沙陀所敗,朱玫走還邠州。神策軍潰散,遂入京師肆掠。乙亥,沙陀逼京師,田令孜奉僖宗出幸鳳翔。初,黃巢據京師,九衢三內,宮室宛然。及諸道兵破賊,爭貨相攻,縱火焚剽,宮室居市閭裏,十焚六七。賊平之後,令京兆尹王徽經年補葺,僅復安堵。至是,亂兵復焚,宮闕蕭條,鞠為茂草矣。

光啓二年

原文光啟二年

二年春正月辛巳朔、車駕は鳳翔にあった。李克用は軍を返して河中に至り、朱玫・王重栄とともに上表し、車駕の鳳翔駐蹕を請うとともに、田令孜の罪を数え上げた。そこで飛龍使楊復恭をして再び内枢密事を知らしめた。戊子、田令孜が乗輿を迫って興元への行幸を請うた。庚寅、車駕は宝鶏に滞在した。刑部尚書孔緯を兼御史大夫とし、従官を率いて行在所に赴かせた。当時、車駕は夜に出発したため、宰相蕭遘・裴徹・鄭昌図および文武百官はこれを知らず、扈従に及ばなかったので、孔緯に命じてこれを促させた。蕭遘は令孜が権を弄し、再び京国を乱すことを憎み、邠州の奏事判官李松年が鳳翔に来たのに因り、朱玫を急ぎ召して迎え奉らせた。癸巳、朱玫が歩騎五千を率いて鳳翔に至った。令孜は邠州軍の到来を聞き、帝を奉じて散関に入り、禁軍に霊璧を守らせた。朱玫が到着すると、禁軍は潰散し、ついに長駆して車駕を追い、尊途駅に至った。嗣襄王李煴は病気で、朱玫に捕らえられた。当時、興元節度使石君涉は車駕の関入を聞き、棧道を破壊し撤去し、険要な所に柵を設けて遮断したため、車駕は他の道を経て辛うじて到達し、邠州軍に後を追われ、数度にわたり崎嶇として危殆に陥った。

原文二年春正月辛巳朔,車駕在鳳翔。李克用旋師河中,與朱玫、王重榮同上表,請駕駐蹕鳳翔,仍數田令孜之罪。乃以飛龍使楊復恭復知內樞密事。戊子,田令孜迫乘輿請幸興元。庚寅,車駕次寶雞。授刑部尚書孔緯兼御史大夫,令率從官赴行在。時車駕夜出,宰相蕭遘、裴徹、鄭昌圖及文武百僚不之知,扈從不及,故令孔緯促之。蕭遘惡令孜弄權,再亂京國,因邠州奏事判官李松年至鳳翔,乃令亟召朱玫迎奉。癸巳,朱玫引步騎五千至鳳翔。令孜聞邠州軍至,奉帝入散關,令禁軍守靈璧。玫至,禁軍潰散,遂長驅追駕至尊途驛。嗣襄王煴疾,為玫所得。時興元節度使石君涉聞車駕入關,乃毀徹棧道,柵絕險要,車駕由他道僅達,為邠州軍踵後,崎嶇危殆者數四。

二月辛亥朔、十軍観軍容使・開府田令孜を剣南西川節度監軍とし、内枢密使楊復恭を神策左軍中尉とする。

原文二月辛亥朔,以十軍觀軍容使、開府田令孜為劍南西川節度監軍,以內樞密使楊復恭為神策左軍中尉。

三月庚辰朔。壬午、興元李度使石君涉は城を棄てて硃玫の軍内に入る。丙申、車駕は興元に至る。戊辰、翰林学士承旨・兵部尚書・知制誥杜譲能を兵部侍郎とし、刑部尚書・御史大夫孔緯を兵部侍郎とし、諸道塩鉄転運等使を充てる。ともに本官をもって同平章事とする。保鑾都將李鋋・楊守亮・楊守宗らが邠州軍を鳳州において破る。四月庚戌朔、この夜熒惑が月角を犯す。壬子、朱玫・李昌符は宰相蕭遘らを鳳翔の駅舎において迫り、嗣襄王煴に軍国事を権監することを請う。玫は自ら大丞相となり、左右神策十軍使を兼ねる。ついに文武の百僚を駆り立てて襄王を奉じて京師に還る。

原文三月庚辰朔。壬午,興元李度使石君涉棄城入硃玫軍內。丙申,車駕至興元。戊辰,以翰林學士承旨、兵部尚書、知制誥杜讓能為兵部侍郎;刑部尚書、禦只大夫孔緯為兵部侍郎,充諸道鹽鐵轉運等使:並以本官同平章事。保鑾都將李鋋、楊守亮、楊守宗等敗邠州軍於鳳州。四月庚戌朔,是夜熒惑犯月角。壬子,朱玫、李昌符迫宰相蕭遘等於鳳翔驛舍,請嗣襄王煴權監軍國事。玫自為大丞相,兼左右神策十軍使。遂驅率文武百僚奉襄王還京師。

五月己卯朔。庚辰、襄王は僭位して皇帝の位に即き、年号を建貞とする。蕭遘は初め襄王の監国の命を沮んだため、知政事を罷められて太子少師となる。朱玫を侍中・諸道塩鉄転運使とする。裴徹を門下侍郎・右僕射・同平章事・判度支とする。中書侍郎・刑部尚書・平章事鄭昌図は戸部事を判る。蕭遘は病を移して河中の永楽に帰る。偽制をもって諸侯の官爵を加える。淮南節度使・検校太尉・兼侍中高駢を太師・中書令・江淮塩鉄転運・諸道行営兵馬都統とする。また淮南右都押衙・和州刺史呂用之を検校兵部尚書とし、広州刺史・嶺南東道節度使を兼ねる。戸部侍郎柳涉を江淮に遣わして宣諭せしめ、戸部侍郎夏侯潭を河北に宣諭せしむ。諸藩の節将は多くその偽署を受けるが、ただ定州・太原・宣武・河中のみは拒んで受けず。この月、星は箕尾に孛し、北斗摂提を歴る。荊南・襄陽はなおも蝗旱が続き、米一斗三十千、人多く相食う。楊復恭兄弟は河中・太原において賊を破り連衡した旧縁あり、すなわち諫議大夫劉崇望を遣わし詔を齎して宣諭せしめ、復恭の旨を達せしむ。王重栄・李克用は欣然として命を聴き、まもなく使いを遣わして貢奉し、縑十万匹を献じ、朱玫を殺して自ら贖わんことを願う。崇望は使いを還し、君臣相賀す。

原文五月己卯朔。庚辰,襄王僭即皇帝位,年號建貞。以蕭遘初沮襄王監國之命,罷知政事,為太子少師。以朱玫為侍中、諸道鹽鐵轉運使。以裴徹為門下侍郎、右僕射、同平章事、判度支。中書侍郎、刑部尚書、平章事鄭昌圖判戶部事。蕭遘移疾歸河中之永樂。偽制加諸侯官爵。以淮南節度使、檢校太尉、兼侍中高駢為太師、中書令、江淮鹽鐵轉運、諸道行營兵馬都統。又以淮南右都押衙、和州刺史呂用之檢校兵部尚書,兼廣州刺史、嶺南東道節度使。令戶部侍郎柳涉往江淮宣諭,戶部侍郎夏侯潭河北宣諭,諸籓節將多授其偽署,惟定州、太原、宣武、河中拒而不受。是月,星孛於箕尾,曆北斗攝提。荊南、襄陽仍歲蝗旱,米鬥三十千,人多相食。楊復恭兄弟于河中、太原有破賊連衡之舊,乃奏遣諫議大夫劉崇望齎詔宣諭,達復恭之旨。王重榮、李克用欣然聽命,尋遣使貢奉,獻縑十萬匹,願殺朱玫自贖。崇望使還,君臣相賀。

六月己酉朔、扈蹕都將楊守亮を金州刺史・金商節度・京畿制置使とする。守亮は師二万を率いて金州に趨り、王重栄・李克用と掎角して進軍す。時に朱玫は将王行瑜を遣わし、邠寧・河西の師五万を率いて鳳州に屯し、保鑾都將李鋋・李茂貞・陳珮らがこれに大唐峰において抗す。

原文六月己酉朔,以扈蹕都將楊守亮為金州刺史、金商節度、京畿制置使。守亮率師二萬趨金州,與王重榮、李克用掎角進軍。時朱玫遣將王行瑜率邠寧、河西之師五萬屯鳳州,保鑾都將李鋋、李茂貞、陳珮等抗之于大唐峰。

七月戊寅朔、蔡賊秦宗権は許州を陥とし、鹿晏弘を殺す。金商節度使楊守亮を検校司徒とし、興元尹を兼ね、山南西道節度等使を充てる。王行瑜は急に興州を攻め、守亮は師を出してこれを撃破す。

原文七月戊寅朔,蔡賊秦宗權陷許州,殺鹿晏弘。以金商節度使楊守亮檢校司徒,兼興元尹,充山南西道節度等使。王行瑜急攻興州,守亮出師擊敗之。

八月、幽州節度使李全忠卒す。三軍その子匡威を立てて留後とす。

原文八月,幽州節度使李全忠卒,三軍立其子匡威為留後。

九月、楊守亮はまた邠州軍を鳳州において破る。軍容楊復恭は密かに人を遣わして王行瑜を説き、帰国を謀らしむ。十月壬子朔、滑州軍乱れ、その帥安師儒を逐い、衙将張驍を推して留後の軍務を主とす。師儒は汴州に奔る。朱全忠これを殺し、すなわち兵をもって滑を攻め、張驍を斬って行在に告ぐ。朝廷は汴帥全忠に義成軍節度使を兼領せしむ。壬辰夜、白虹西方に見ゆ。

原文九月,楊守亮復敗邠州軍於鳳州,軍容楊復恭密遣人說王行瑜,令謀歸國。十月壬子朔,滑州軍亂,逐其帥安師儒,推衙將張驍主留後軍務。師儒奔汴州,朱全忠殺之,遂以兵攻滑,斬張驍以告行在,朝廷以汴帥全忠兼領義成軍節度使。壬辰夜,白虹見西方。

十一月、蔡賊孫儒は鄭州を陥とし、刺史李璠は遁れて免る。儒は軍を引いて河陽を攻む。十二月乙巳朔。この月、朱玫の愛将王行瑜は密詔を受け、鳳州より衆を率いて長安に還る。辛酉、行瑜は朱玫およびその党与数百人を斬り、兵を放って大いに掠る。この冬は寒さ苦しく、九衢に積雪あり、兵の入りし夜は寒冽特に甚だしく、民吏は剽剝の後、凍えて死に地を蔽う。裴徹・鄭昌図および百官は襄王を奉じて河中に奔る。王重栄は迎奉と称して紿し、李煴を執って斬り、裴徹・鄭昌図を獄に械す。文武官僚戮せられる者半ばに及ぶ。重栄は襄王の首を函にして行在に赴く。刑部は興元城南門に御し、俘馘を閲し賀を受けんことを奏請し、礼院に下して儀注を定めしむ。博士殷盈孫奏して曰く、

原文十一月,蔡賊孫儒陷鄭州,刺史李璠遁免。儒引軍攻河陽。十二月乙巳朔。是月,朱玫愛將王行瑜受密詔,自鳳州率眾還長安。辛酉,行瑜斬朱玫及其黨與數百人,縱兵大掠。是冬苦寒,九衢積雪,兵入之夜,寒冽尤劇,民吏剽剝之後,僵凍而死蔽地。裴徹、鄭昌圖及百官奉襄王奔河中,王重榮紿稱迎奉,執李煴斬之,械裴徹、鄭昌圖于獄,文武官僚遭戮者殆半。重榮函襄王首赴行在。刑部奏請禦興元城南門,閱俘馘受賀,下禮院定儀注。博士殷盈孫奏曰:

伏して偽煴は宗社に背き、乗輿を僭窃し、天を欺くの禍既に盈ち、国を盗むの罪斯に重し、果たして覆敗に至り、誅夷に就く。九重の妖既に除かれ、万国の生霊共に慶す。賀礼を陳べて皇猷を顕すべし。然れども物議の間、允ならざる所あり。臣礼経を按ずるに、公族罪有り、獄既に具わり、有司公に聞えて曰く「某の罪は大辟に在り」と。君曰く「これを赦せ」と。是の如き者三たびす。有司走出して刑を致さんとす。君復たこれに謂いて曰く「然りと雖も、固より当にこれを赦すべし」と。有司曰く「及ばず」と。君これが為に素服して三月楽しまず。『左伝』に、衛君晋に在り、衛臣元咺は衛君の弟叔武を立て、衛君国に入り、叔武は前駆に殺さる。衛君これに哭す。左氏これを書す。今偽煴は皇族なり。殊死の罪を犯すと雖も、屠戮に就くべし。それ朝群臣して賀を受けんことを得んや。臣以為うらく、煴は胤系金枝、名は玉牒に標し、迫脅の際、節を守り死に効うること能わず、而して乃ち甘心して逆謀す。罪実に天に滔き、刑赦すべからず。既に軍前に処置せられ、宜しく即ち庶人に黜し、その属籍を絶ち、その首級は仍お所在に委ねて庶礼をもって収葬すべし。大捷の慶は、硃玫の首級到る日に当たり賀を称するをもって、その宜しきを得ん。上は宸衷に軫せず、下は物体を傷けず、礼経の旨に協い、中外の疑を祛くべし。

原文伏以偽煴違背宗社,僭竊乘輿,欺天之禍既盈,盜國之罪斯重,果至覆敗,以就誅夷。九重之妖既除,萬國之生靈共慶,宜陳賀禮,以顯皇猷。然物議之間,有所未允。臣按禮經,公族有罪,獄既具,有司聞於公曰:「某之罪在大辟。」君曰:「赦之。」如是者三,有司走出致刑,君復使謂之曰:「雖然,固當赦之。」有司曰:「不及矣!」君為之素服不樂三月。《左傳》:衛君在晉,衛臣元咺立衛君之弟叔武,衛君入國,叔武為前驅所殺,衛君哭之,左氏書焉。今偽煴,皇族也,雖犯殊死之罪,宜就屠戮,其可以朝群臣而受賀乎?臣以為煴胤系金枝,名標玉牒,迫脅之際,不能守節效死,而乃甘心逆謀,罪實滔天,刑不可赦。已為軍前處置,宜即黜為庶人,絕其屬籍,其首級仍委所在以庶禮收葬。大捷之慶,當以硃玫首級到日稱賀,為得其宜。上不軫於宸衷,下無傷於物體,協禮經之旨,祛中外之疑。

すなわち賀礼を罷む。及び朱玫の伝首至るに及び、乃ち楼に御して俘馘を受く。この月、蔡賊孫儒は河陽を陥とし、諸葛仲方は汴州に奔り帰る。別将李罕之は出て沢州を拠り、張全義は懐州を拠る。

原文遂罷賀禮。及朱玫傳首至,乃禦樓受俘馘。是月,蔡賊孫儒陷河陽,諸葛仲方奔歸汴州,別將李罕之出據澤州,張全義據懷州。

光啓三年

原文光啟三年

三年春正月乙亥朔、車駕は興元府に在り。制して邠州都將王行瑜を検校刑部尚書・邠州刺史・邠寧慶節度使とし、保鑾都將李鋋を検校司空・黔州刺史・黔中節度観察使とし、扈蹕都頭李茂貞を検校尚書左僕射・洋州刺史・武定軍節度使とし、扈蹕都頭楊守宗を金州刺史・金商節度等使とし、保鑾都將陳珮を検校尚書右僕射とし、宣州刺史・宣歙観察使とする。兵部侍郎・諸道租庸使張浚は本官をもって同平章事とする。

原文三年春正月乙亥朔,車駕在興元府。制以邠州都將王行瑜檢校刑部尚書,兼邠州刺史、邠甯慶節度使。保鑾都將李鋋檢校司空、黔州刺史、黔中節度觀察使;扈蹕都頭李茂貞為檢校尚書左僕射、洋州刺史、武定軍節度使;扈蹕都頭楊守宗為金州刺史、金商節度等使;保鑾都將陳珮檢校尚書右僕射,為宣州刺史、宣歙觀察使。兵部侍郎、諸道租庸使張浚本官同平章事。

二月乙巳朔、潤州牙将劉浩・度支使薛朗は同謀してその帥周宝を逐い、劉浩自ら留後と称す。

原文二月乙巳朔,潤州牙將劉浩、度支使薛朗同謀逐其帥周寶,劉浩自稱留後。

三月乙亥朔。甲申、車駕は京に還り、鳳翔に次ぐ。宮室未だ完からざるを以て、節度使李昌符は駐蹕を請い、工の畢わるを俟つ。河中より偽宰相裴徹・鄭昌図を械送し、岐山県においてこれを斬ることを命ず。太子少師致仕蕭遘は永楽県において賜死す。特進・監修国史・門下侍郎・吏部尚書・平章事孔緯に諸道塩鉄転運使を領せしむ。集賢殿大学士・中書侍郎・兵部尚書・平章事杜譲能を進めて襄陽郡公に封じ、食邑三千戸を増す。

原文三月乙亥朔。甲申,車駕還京,次鳳翔。以宮室未完,節度使李昌符請駐蹕,以俟畢工。河中械送偽宰相裴徹、鄭昌圖,命斬之於岐山縣。太子少師致仕蕭遘賜死於永樂縣。以特進、監修國史、門下侍郎、吏部尚書、平章事孔緯領諸道鹽鐵轉運使。以集賢殿大學士、中書侍郎、兵部尚書、平章事杜讓能進封襄陽郡公,增食邑三千戶。

四月甲辰朔ついたち、揚州の牙将畢師鐸が高郵より戍兵を率いて揚州を攻め、これを陥落させ、高駢を別室に囚禁し、自ら軍政を総べる。蔡賊の秦賢が汴州を攻め、周囲に三十六の砦を列ねる。朱全忠が兗鄆に援軍を乞うと、朱瑾が軍を率いて来援し、封禅寺に屯し、朱瑄は静戎鎮に屯す。

原文四月甲辰朔,揚州牙將畢師鐸自高郵率戍兵攻揚州,下之,囚高駢於別室,自總軍政。蔡賊秦賢攻汴州,周列三十六砦。朱全忠乞師於兗鄆,朱瑾率師來赴,屯封禪寺,朱瑄屯靜戎鎮。

五月甲戌朔。乙亥、秦宗権が自ら衆を率いて秦賢に応ずる。壬午、鄆・兗・汴三鎮の師が辺孝村において蔡賊を大破し、宗権は退走す。孫儒は秦賢の敗北を聞き、河陽の人々をことごとく駆り出して殺し、屍を河に投じ、閭井を焼き払って去る。王師は孟・洛・許・汝・懷・鄭・陝・虢等の州を収む。詔して扈駕都頭楊守宗に許州事を権知させ、汴将孟従益に鄭州事を権知せしむ。諸葛爽の旧将李罕之は沢州より河陽を収め、懐州刺史張全義は洛陽を収む。揚州牙将畢師鐸は宣州観察使秦彦を揚州に召し入れ、推して節度使となす。

原文五月甲戌朔。乙亥,秦宗權自率眾來應秦賢。壬午,鄆、兗、汴三鎮之師大破蔡賊于邊孝村,宗權退走。孫儒聞秦賢敗,盡驅河陽之人殺之,投屍於河,焚燒閭井而去。王師收孟、洛、許、汝、懷、鄭、陝、虢等州。詔以扈駕都頭楊守宗權知許州事,汴將孟從益權知鄭州事。諸葛爽舊將李罕之自澤州收河陽,懷州刺史張全義收洛陽。揚州牙將畢師鐸召宣州觀察使秦彥入揚州,推為節度使。

六月癸卯朔。戊申、天威軍都頭楊守立と李昌符が道を争い、麾下が相殴る。上は中使をしてこれを諭させたが止まず、この夜厳兵して備えをなす。己酉、守立は兵をもって昌符を攻め、通衢に戦う。昌符の兵敗れ、出て隴州に保つ。扈駕都將李茂貞をしてこれを攻めしむ。甲寅、河中牙将常行儒がその帥王重栄を殺し、重栄の兄重盈を推して兵馬留後となす。丙辰、太常礼院が奏す、「太廟十一室、ならびに祧廟八室、孝明太后等の別廟三室は、車駕が再び山南に幸してより、ことごとく焚毀を経て、神主は失墜せり。今大駕還京す。まさに先ず宗廟の神主を葺き、然る後に還宮すべし。」ここにおいて詔して修奉太廟使宰相鄭延昌に修奉せしむ。この時、宮室未だ完からず、国力まさに困窮す。旧制を行なう暇なく、延昌は権かりに少府監の大庁を以て太廟となすことを請う。太廟は凡そ十一室、二十三間、間ごとに十一架なり。今監は五間なり。十一間に添造成して、十一室の数を備えんことを請う。勅す、「典禮に敬つつしんで依よれ。」

原文六月癸卯朔。戊申,天威軍都頭楊守立與李昌符爭道,麾下相歐。上命中使諭之,不止,是夜嚴兵為備。己酉,守立以兵攻昌符,戰於通衢。昌符兵敗,出保隴州,命扈駕都將李茂貞攻之。甲寅,河中牙將常行儒殺其帥王重榮,推重榮兄重盈為兵馬留後。丙辰,太常禮院奏:「太廟十一室,並祧廟八室,孝明太后等別廟三室,自車駕再幸山南,並經焚毀,神主失墜。今大駕還京,宜先葺宗廟神主,然後還宮。」遂詔修奉太廟使宰相鄭延昌修奉。是時,宮室未完,國力方困,未暇舉行舊制,延昌請權以少府監大廳為太廟。太廟凡十一室,二十三間,間十一架,今監五間,請添造成十一間,以備十一室之數。敕曰:「敬依典禮。」

七月壬申朔、隴州刺史薛知籌が城を以て李茂貞に降り、ここにおいて隴州を抜き、李昌符・昌仁等を斬り、首を伝えて行在に献ず。丙子、制して武定軍節度使・検校尚書左僕射、兼洋州刺史・御史大夫・上柱国・隴西郡公・食邑一千五百戸李茂貞を検校司空・同平章事、兼鳳翔尹・鳳翔隴右節度等使となす。

原文七月壬申朔,隴州刺史薛知籌以城降李茂貞,遂拔隴州,斬李昌符、昌仁等,傳首獻於行在。丙子,制以武定軍節度使、檢校尚書左僕射,兼洋州刺史、御史大夫、上柱國、隴西郡公、食邑一千五百戶李茂貞檢校司空、同平章事,兼鳳翔尹、鳳翔隴右節度等使。

九月辛未朔、淮南節度使高駢がその牙将畢師鐸のために殺さる。楊行密は急ぎ広陵を攻め、蔡賊秦宗権はその将孫儒に兵三万を将ひきいて淮を渡らせ、揚州を争わしむ。城中食尽く。

原文九月辛未朔,淮南節度使高駢為其牙將畢師鐸所殺。楊行密急攻廣陵,蔡賊秦宗權遣其將孫儒將兵三萬渡淮,爭揚州,城中食盡。

十一月、秦彦・畢師鐸は囲みを潰いて孫儒の軍に奔る。行密は入りて揚州を拠す。秦彦は孫儒の兵を引きいて広陵を攻む。行密は使いを遣わして朱全忠に救援を求む。制して全忠を検校太尉・侍中、兼揚州大都督府長史、充淮南節度観察等使・行営兵馬都統に授く。汴将李璠が師を率いて淮口に至り、これを援く。

原文十一月,秦彥、畢師鐸潰圍奔于孫儒軍,行密入據揚州。秦彥引孫儒之兵攻廣陵,行密遣使求援于朱全忠。制授全忠檢校太尉、侍中,兼揚州大都督府長史,充淮南節度觀察等使、行營兵馬都統。汴將李璠率師至淮口以援之。

十二月己巳朔、東川節度使顧彦朗・壁州刺史王建が兵五万を連ねて成都を攻む。陳敬瑄は朝に難を告ぐ。詔して中使をしてこれを諭せしむ。

原文十二月己巳朔,東川節度使顧彥朗、壁州刺史王建連兵五萬攻成都,陳敬瑄告難於朝,詔中使諭之。

文徳元年

原文文德元年

二月己巳朔。壬午、車駕は鳳翔より京師に至る。魏博軍乱る。その帥楽彦禎を逐う。彦禎の子相州刺史従訓が衆を率いて魏州を攻む。牙軍はその小校羅宗弁を立てて留後とし、兵を出してこれを拒ぐ。従訓は汴に救援を求め、朱全忠は将朱珍を遣わして河を渡りてこれに赴かしむ。戊子、上は承天門に御し、大赦し、元を改めて文徳とす。宰相韋昭度は司空を兼ね、孔緯・杜譲能は左右僕射を加えられ、階を進めて開府儀同三司とされ、並びに「持危啓運保乂功臣」の号を賜う。張浚は兵部尚書を兼ね、階を進めて開府儀同三司とす。左右神策十軍観軍容使・左金吾衛上将軍・左右街功徳使・上柱国・弘農郡開国公楊復恭は魏国公に進封され、食邑七千戸を加えられ、「忠貞啓聖定国功臣」の号を賜う。保鑾都將・黔中節度使李鋋を検校司徒・平章事とし、保鑾都將陳珮を検校司空・広州刺史・嶺南東道節度使となす。藩鎮諸侯は進秩等差あり。宰臣韋昭度が文武百僚を率いて上徽号して聖文睿徳光武弘孝皇帝と曰う。

原文二月己巳朔。壬午,車駕在鳳翔至京師。魏博軍亂。逐其帥樂彥禎。彥禎子相州刺史從訓率眾攻魏州,牙軍立其小校羅宗弁為留後,出兵拒之。從訓求援於汴,朱全忠遣將朱珍渡河赴之。戊子,上御承天門,大赦,改元文德。宰相韋昭度兼司空,孔緯、杜讓能加左右僕射,進階開府儀同三司,並賜號「持危啟運保乂功臣」。張浚兼兵部尚書,進階開府儀同三司。左右神策十軍觀軍容使、左金吾衛上將軍、左右街功德使、上柱國、弘農郡開國公楊復恭進封魏國公,加食邑七千戶,賜號「忠貞啟聖定國功臣。」以保鑾都將、黔中節度使李鋋檢校司徒、平章事,保鑾都將陳珮檢校司空、廣州刺史、嶺南東道節度使。籓鎮諸侯,進秩有差。宰臣韋昭度率文武百僚上徽號曰聖文睿德光武弘孝皇帝。

三月戊戌朔、正殿にて冊を受けしむ。庚子、上は暴疾に罹る。壬寅、大漸す。癸卯、制を宣して弟寿王傑を立てて皇太弟とし、軍国事を勾当せしむ。この夕、武徳殿にて崩ず。聖寿二十七。群臣は諡を上たてまつりて恵聖恭定孝皇帝と曰い、廟号を僖宗とす。その年十二月、靖陵に葬る。

原文三月戊戌朔,正殿受冊。庚子,上暴疾。壬寅,大漸。癸卯,宣制立弟壽王傑為皇太弟,勾當軍國事。是夕,崩于武德殿,聖壽二十七,群臣上諡曰惠聖恭定孝皇帝,廟號僖宗。其年十二月,葬於靖陵。

【論】

原文【論】

史臣曰く、恭帝(僖宗)は沖年(幼年)にして曆(帝位)を纘つぎ、政は宦臣に在り。惕勵虔恭つつしみはげみうやうやしくし、殷憂重慎(深く憂え慎み)す。世道の交喪(ともに喪われる)に属し、海県(天下)横流す。赤眉(賊徒)は中原に揺蕩し、黄屋(天子の車)は遐徼(遠方の辺境)に流離す。黔黎(民)は塗炭に陥り、宗社(朝廷)は丘墟と化す。而るに猶お藩垣(藩鎮)には多さわに仗義の臣有り、心腹には尽忠の輔たすけ有りて、豪傑を駆駕し、軍戎に号令し、終に伏莽(草むらに潜む賊)の徒を誅し、大いに失邦の恥を雪ぐ。然るに令孜(田令孜)一たび謬計を為すや、幾ほとんど丕図(大業)を喪うしなわんとす。線の如く僅かに存するも、固より棼絲(乱れた糸)の救い莫きなり。茫茫たる禹跡(夏の遺跡)、空しく文命(禹)の艱難を悲しみ、赫赫たる宗周(周王朝)、竟ついに文王の基業を墜つ。僖皇の失道の過ちに非ずや、その土運の窮まりなるか。悲しいかな。

原文史臣曰:恭帝沖年纘曆,政在宦臣,惕勵虔恭,殷憂重慎。屬世道交喪,海縣橫流,赤眉搖盪于中原,黃屋流離於遐徼,黔黎塗炭,宗社丘墟。而猶籓垣多仗義之臣,心腹有盡忠之輔,驅駕豪傑,號令軍戎,終誅伏莽之徒,大雪失邦之恥。而令孜一為謬計,幾喪丕圖,雖如線之僅存,固棼絲之莫救。茫茫禹跡,空悲文命之艱難;赫赫宗周,竟墜文王之基業。非僖皇失道之過,其土運之窮歟?悲夫!

贊に曰く、運曆将に窮まらんとし、人君幼沖なり。塵は巨盗に飛び、波は群雄に駭おどろく。天既に喪を降し、人忠を輸おさむること罕まれなり。鑾(天子の車)を回し正まつりごとに返すは、禁旅(天子直轄の軍)の功なり。

原文贊曰:運曆將窮,人君幼沖。塵飛巨盜,波駭群雄。天既降喪,人罕輸忠。回鑾返正,禁旅之功。