舊五代史

志二: 曆志

◎曆志

古の哲王、天命を受けて天下に帝たる者は、必ず先ず象を観て法を垂れ、曆を治めて時を明らかにし、万物をしてその化風に服せしめ、四海をしてその正朔を同じくせしめ、然る後に能く下土を允釐し、上天を欽若す。故に虞舜の唐堯を紹ぐに、先ず七政を斉しくし、武王の箕子を得るに、首に九疇を叙す。皇極ここよりして允に興り、人時これによりて忒せず。歴代已降、何ぞ斯れに由らざらんや。

軒轅より以来、天統を正すことを肇め、歳躔辛卯にして、曆法時に成る。故に黄帝は始めて『辛卯曆』を用い、顓頊は次いで『乙卯曆』を用い、虞は『戊午曆』を用い、夏は『丙寅曆』を用い、商は『甲寅曆』を用い、周は『丁巳曆』を用い、魯は『庚子曆』を用い、秦は『乙卯曆』を用く。漢は『太初曆』『四分曆』『三統曆』を用い、凡そ三本。魏は『黄初曆』『景初曆』を用い、凡そ二本。晉は『元始曆』『合元萬分曆』を用い、凡そ二本。宋は『大明曆』『元嘉曆』を用い、凡そ二本。齊は『天保曆』『同章曆』『正象曆』を用い、凡そ三本。後魏は『興和曆』『正光曆』『正元曆』を用い、凡そ三本。梁は『大同曆』『乾象曆』『永昌曆』を用い、凡そ三本。後周は『天和曆』『丙寅曆』『明元曆』を用い、凡そ三本。隋は『甲子曆』『開皇曆』『皇極曆』『大業曆』を用い、凡そ四本。唐は『戊寅曆』『麟德曆』『神龍曆』『大衍曆』『元和觀象曆』『長慶宣明曆』『寶應曆』『正元曆』『景福崇元曆』を用い、凡そ九本。

梁氏の運に応ずるに及びては、唐室の陵遲の後、黄巢の離亂の余を乗じ、衆職未だ修まらず、三辰誰か験せん。故に当時の歳曆は、猶『宣明』『崇元』の二法を用い、参じてこれを成す。

晉祖の位に肇まるに及び、司天監馬重績始めて新曆を造り、表を奉りてこれを上ぐ。云く、「臣聞く、国を為す者は、一気の元を正し、万邦の命を宣ぶるに、爰に曆を資りて章程を立つ。『長慶宣明』は、気朔渝らざれども、即ち星躔験うること罕なり。『景福崇元』は、五曆甚だ正しきを縦えども、年一日を差す。今『宣明』の気朔、『崇元』の星緯を以て、二曆相参じ、方に符合を得。古より諸曆は、皆天正十一月を以て歳首と為し、太古の甲子を循りて上元と為す。積歳弥く多きに、差闊甚だしきに至る。臣、法を改め元を定め、新曆一部二十一卷、七章上下経二巻、算草八巻、立成十二巻を創む。唐の天宝十四載乙未を取り、近元と立つ。雨水正月朔を以て歳首と為す。謹みて閣門に詣りて上進す」と。晉高祖こうそ、司天少監趙仁锜・張文皓、秋官正徐皓、天文参謀趙延乂・杜升・杜崇龜等に命じ、新曆を以て『宣明』『崇元』と得失を考核せしむ。有司をして奉じてこれを行わしめ、因りて号を『調元曆』と賜い、仍って翰林学士承旨和凝に序を撰せしむ。

その後数載、法度浸く差う。周の顕徳二年に至り、世宗、端明殿学士・左散騎常侍さんきじょうじ王樸の曆算に明るきを以て、乃ち樸に命じて考へてこれを正さしむ。樸詔を奉ること歳余、『欽天曆』十五巻を撰成し、これを上ぐ。表に云く、

臣聞く、聖人の作すや、天人の変を知るに在るなり。人情の動くは、則ち以て言ひて知るべく、天道の動くは、則ち当に数をもって知るべし。数の用を為すや、聖人はこれをもって天道を観る。歳月日時は、これによりて成り、陰陽寒暑は、これによりて節せられ、四方の政は、これによりて行わる。国を為す者は、端を履み極を立つるに、必ずその元を体し、政を布き績を考ふるに、必ずその歳に因り、礼動き楽挙がるるに、必ずその朔を正し、三農百工は、必ずその時に授け、五刑九伐は、必ずその気に順ひ、庶務有為は、必ずその日月に従ふ。六籍はこれを宗として大典と為し、百王はこれを執りて要道と為す。是を以て聖人、命を受くるは、必ず曆数を治む。故に五紀常度有り、庶征常応有り、正朔天下に行わるるを得るなり。

唐より下りて、凡そ曆数朝、乱日天を失ひ、将に百載に垂んとす。天の曆数、汩陳するのみ。今陛下、古道に順考し、上天を寅畏し、庶官に諮詢し、墜典を振挙す。臣の薄遊曲芸、嘗て旧史に渉るを以て、遂に述作の命を降し、迎推の要を俾究めしむ。能者に非ざれども、敢へて詔を奉らざらんや。乃ち万象を包して法を立つるに、七政を斉しくして元を立つるに、圭箭を測りて気を候ひ、朓朒を審らかにして朔を定め、九道を明らかにして月を歩み、遅疾を校して星を推し、黄道の斜正を考へ、天勢の升降を辨じ、而して交蝕詳かなり。

夫れ天の道を立つるは、陰と陽と曰ふ。陰陽各々数有り、合すれば則ち化成す。陽の策三十六、陰の策二十四、奇偶相命じ、両陽三陰、同じく七十二を得。同じければ則ち陰陽の数合す。七十二なる者は、化成の数なり。化成すれば則ちこれを五の之数と謂ふ。五の期の数を得、過ぐる者を気盈と謂ひ、及ばざるを朔虚と謂ふ。応変分用に至るまで、通ぜざる所無し。所謂万象を包むなり。故に七十二を以て経法と為す。経は常なり、常用の法なり。法は数の節なり、法に随ひて進退し、旧位を失はず。故にこれを通法と謂ふ。通法を以て経法に進め、七千二百を得。これを統法と謂ふ。元より経に入るに、先ず此法を用ふ。曆の諸法を統ぶるなり。通法を以て統法に進め、七十二百万を得。気朔の下、収分必ず尽く。これを全率と謂ふ。通法を以て全率に進め、七千二百万を得。これを大率と謂ひ、而して元紀生ず。元とは、歳月日時皆甲子、日月五星、子正の宿に合し、盈縮先後のうちに当る。所謂七政斉し。

古、陽城に圭を植うるは、その洛に近きが故なり。蓋し尚ほその中を慊とし、乃ち洛の東偏に在り。開元十二年、天下に使を遣わして影を候はしむ。南は林邑国に距り、北は横野軍に距り、中に浚儀の嶽台を得。南北の弦に応じ、地の中に居る。皇家、国を建て、梁に都を定む。今、圭を樹て箭を置き、嶽台の漏を測り、以て中数と為す。晷漏正しければ、則ち日の至る所、気の応ずる所得るなり。

日月皆盈縮有り。日盈み月縮まば、則ち中に後れて朔す。月盈み日縮まば、則ち中に先んじて朔す。古より朓肭の法、率ね皆平行の数、曆に入るに既に前次有り、而して又衰稍倫ならず。『皇極』の旧述は、則ち迂回にして用ひ難く、降りて諸曆に及べば、則ち疏遠にして失多し。今、月離の朓朒を以て、曆に随ひて較定し、日躔の朓朒を、用ふるに臨みて加減す。得る所は離定日に入るなり。一日の中、九限に分ち、逐限損益し、衰稍倫有り。朓朒の法、所謂審らかなり。

赤道とは、天の大帯である。その形状は円く平らであり、星宿の度数の常規を記すものである。黄道とは、太陽の軌道である。その半分は赤道の内側にあり、半分は赤道の外側にあり、赤道から最も遠く離れるところで二十四度である。赤道と交わる時は、その傾きは斜めであり、赤道から遠く離れる時は、その傾きは直線に近い。斜めの時は太陽の運行は遅くなるべきであり、直線の時は太陽の運行は速くなるべきである。故に春分・秋分の前後ではその度数を加え、夏至・冬至の前後ではその度数を減ずる。九道とは、月の軌道である。その半分は黄道の内側にあり、半分は黄道の外側にあり、黄道から最も遠く離れるところで六度である。黄道から出ることを正交と称し、黄道に入ることを中交と称する。もし正交が秋分点の星宿にあり、中交が春分点の星宿にあるならば、黄道よりも一層斜めになる。もし正交が春分点の星宿にあり、中交が秋分点の星宿にあるならば、黄道よりもかえって直線に近くなる。もし正交・中交が夏至・冬至の星宿にあるならば、その傾きはやや斜めである。故に夏至・冬至、春分・秋分からの遠近を較べ、斜正を考究して、初めて加減の数値を得るのである。古来より九道の説はあったが、おそらく知ってはいても詳しくはなく、祖述した文章があるばかりで、推算に用いられることは全くなかった。今、黄道一周を八節に分け、一節の中をさらに九道に分けて用い、七十二道を尽くして元に戻す。これにより日月の軌道の、斜正の勢いを隠すところがなくなる。九道の法は、ここに明らかとなったのである。

星辰の運行は、太陽に近づけば速く、太陽から遠ざかれば遅く、太陽から極めて遠ざかると、勢いが尽きて留まる。古来の諸暦法は、分段が実態を失い、昇降に基準がなく、今日の運行分がまだ多いのに、翌日にはすぐに留まり、留まった後は退行するのに、ただ平行運行を用い、なおかつ分段に入った運行度数を入暦の数値とする。いずれも根本の理に非ず、ついに乖離錯乱に至った。今、逐日の運行分を校定し、積み重ねた逐日の運行分をもって変段とする。これにより、速い状態から次第に遅くなり、勢いが尽きて留まり、留まった後から運行し、また微少なものが積もって後に多くなる。別に諸段の変暦を立て、変差を推算する。諸段の変差が際会して相合うようにし、星辰の遅速を知ることができるようにしたのである。

古来より相伝されて、皆、交点から十五度以下であれば、日月に蝕があると言うが、日月が互いに掩うことと、暗虚(地球の影)が射すこととは、その理が異なることを深く知らない。今、日月の径度の大小をもって、交点からの遠近を較べ、黄道の斜正、天勢の昇降、仰視と旁視の分度数を考慮すれば、交蝕と虧蝕はその実態を得ることができる。

そこで一篇をもって太陽の運行を推歩し、一篇をもって月の運行を推歩し、一篇をもって星辰の運行を推歩し、卦候と没滅をもってその下篇とし、合わせて四篇とし、これを歴経一卷、暦十一巻、草三巻、『顕徳三年七政細行暦』一巻とした。

臣が先代の図籍と古今の暦書を検討したところ、いずれも蝕神の首尾に関する記述はなく、これは天竺の胡僧の祆教的な説である。近頃、司天監の卜祝のような小術が、その大要を挙げることができず、等接の法を用いるに至った。おそらく仮の用法によって径路の捷便を求めたため、ここに交点に逆行の数値が生じたのである。後世の学者は詳しく知ることができず、便りに暦法に九道があると言い、暦に注記する恒例の様式とした。今、これらを全て削除して除去する。

昔、唐堯の時代に、昊天を敬って順った。陛下はみずから聖なる御謀略を下され、暦象と日月星辰を考究された。これは唐堯の道であり、この暦は謹んで「顕徳欽天」と名付ける。天道は玄遠であり、微臣の知り尽くすところではないが、両端(始めと終わり、あるいは事理の両面)を尽くして、明詔に奉じる。疏略で乖謬があれば、甘んじて罪を待つ。

世宗はこれをご覧になり、みずから序文を撰され、なお司天監に付して施行させ、来年の正月一日を始期とし、以前の諸暦は全て廃止された。(『玉海』によれば、『欽天暦』は朔分の下に小分を立て、これを杪と称した。論者は、前代の暦法で朔余に杪を用いたものはないと言う。もし杪が使えるなら、なぜ日法を求めて朔分を整える必要があろうか。)その歴経一卷を、今ここに聊か記録して後世に留め、太史氏が広く閲覧するのに備える。

『顕徳欽天暦経』

演紀の上元甲子から、現在の顕徳三年丙辰まで、積算七千二百六十九万八千四百五十二年。『欽天』統法:七千二百。『欽天』経法:七十二。

『欽天』通法:一百。『欽天』歩日躔術の歳率:二百六十二万九千七百六十(四十)。軌率:二百六十二万九千八百四十四(八十)。

朔率:二十一万二千六百二十二(十八)。歳策:三百六十五、一千七百六十(四十)。軌策:三百六十五、一千八百四十四(八十)。歳中:一百八十三、四千四百八十(二十)。

軌中:一百八十二、四千五百二十二(四十)。朔策:二十九、三千八百二十(二十八)。気策:一十五、一千五百七十三(三十五)。

象策:七、二千七百五十五(七)。周紀:六十。歳差:八十四(四十)。辰則:六百八刻二十四分。

『欽天』歩月離術の離率:一十九万八千三百九十三(九)。交率:一十九万五千九百三十七(九十七、五十六)。離策:一十七、三千九百九十三(九)。

交策:二十七、一千五百二十七(九十七、五十六)。望策:一十四、五千五百一十一(十四)。交中:一十三、四千三百六十三(九十八、七十八)。

離朔:一千七百二十七(一十九)交朔、二千二百九十二(三十四十四)中準:一千七百三十六中限:四千七百八十

平離:九百六十三程節:八百

『欽天』五星歩行術◎歳星周率:二百八十七万一千九百七十六(六)変率:二十四万二千二百一十五(六十六)

暦率:二百六十二万九千七百六十一(七十八)周策:三百九十八六千三百七十六(六)暦中:百八十二四千四百八十(九十六)

晨見十七三(三十七)二(二十四)順遅二十五二(九)一(二十九)退遅十四一(一十二)空(二十八)

退疾二十七四(三十八)一(三十七)後留二十六(三十二)

順疾九十一十六(六十三)一十一(一十三)

順疾九十一十六(六十三)一十一(一十三)前留二十六(三十二)退疾二十七四(三十八)一(三十七)

退遅十四一(一十二)空(二十八)順遅二十五二(九)一(二十九)

夕伏十七三(三十七)二(二十四)◎熒惑周率:五百六十一万五千四百二十二(一十一)変率:二百九十八万五千六百六十一(七十一)

暦率:二百六十二万九千七百六十周策:七百七十九六千六百二十二一(十一)暦中:百八十二四千四百八十変段変日変度変暦

晨見七十三五十三(六十八)五十(五十八)順疾七十三五十一(一)四十八(三)次疾七十一四十六(六十九)四十四(一十七)

次遅七十一四十五(三十三)四十二(五十八)順遅六十二一十九(二十九)一十八(二十)前留八(六十九)

退遅一十一(五十八)空(四十四)退疾二十一七(四十六)二(四十)退疾二十一七(四十六)二(四十)

退遅一十一(五十八)空(四十四)後留八(六十九)順遅六十二一十九(二十九)一十八(二十)次遅七十一四十五(三十三)四十二(五十八)

次疾七十一日、四十六度(六十九分)、四十四度(一十七分)。順疾七十三日、五十一度(一分)、四十八度(三分)。

夕伏七十三日、五十三度(六十八分)、五十度(五十八分)。◎鎮星の周率:二百七十二萬二千一百七十六(九十分)。變率:九萬二千四百一十六(五十分)。

曆率:二百六十二萬九千七百五十九(八十分)。周策:三百七十八日、五百七十六分(九十分)。曆中:一百八十二日、四千四百七十九分(九十分)。變段、變日、變度、變曆。

晨見一十九日、二度(七分)、一度(一十四分)。順疾六十五日、六度(三十八分)、三度(五十一分)。順遲一十九日、零度(六十三分)、零度(三十五分)。

前留三十七日(三分)。退遲一十六日、零度(四十三分)、零度(一十四分)。退疾三十三日、二度(三十五分)、零度(六十分)。退疾三十三日、二度(三十五分)、零度(六十分)。

退遲一十六日、零度(四十三分)、零度(一十四分)。後留三十七日(三分)。順遲一十九日、零度(六十三分)、零度(三十五分)。順疾六十五日、六度(三十八分)、三度(五十一分)。

夕伏一十九日、二度(七分)、一度(一十四分)。◎太白の周率:四百二十萬四千一百四十三(九十六分)。變率:四百二十萬四千一百四十三(九十六分)。

曆率:二百六十二萬九千七百五十(五十六分)。周策:五百八十三日、六千五百四十三分(九十六分)。曆中:一百八十二日、四千四百七十五分(二十八分)。

變段、變日、變度、變曆。

夕見四十二日、五十三度(四十分)、五十一度(一十七分)。

順疾九十六日、一百二十一度(五十分)、一百一十六度(三十九分)。次疾七十三日、八十度(三十七分)、七十七度(一分)。

次遲三十三日、三十四度(一分)、三十二度(四十分)。

順遲二十四日、一十一度(六十一分)、一十一度(二十四分)。前留六日(六十九分)。退遲四日、一度(二十二分)、零度(三十一分)。

退疾六日、三度(六十五分)、一度(二十二分)。夕伏七日、四度(四十分)、一度(三十七分)。晨見七日、四度(四十分)、一度(三十七分)。

退疾六日、三度(六十五分)、一度(二十二分)。退遲四日、一度(二十二分)、零度(三十一分)。後留六日(六十九分)。

順遅:二十四度一十一分(六十一秒)、一十一分(二十四秒)

次遅:三十三度三十四分(一秒)、三十二分(四十秒)

順疾:九十六度、一百二十一度(五十七秒)、一百一十六分(三十九秒)

晨伏:四十二度五十三分(四十秒)、五十一分(一十七秒)◎辰星周率:八十三万四千三百三十五(五十二) 変率:八十三万四千三百三十五(五十二)

暦率:二百六十二万九千七百六十(四十四) 周策:一百一十五・六千三百三十五(五十二) 暦中:一百八十二・四千四百八十(二十二)

変段・変日・変度・変暦

夕見:一十七日、三十四度(一分)、二十九分(五十四秒)

順疾:一十一日、一十八度(二十四分)、一十六度(四分)

順遅:一十六日、一十一度(四十三分)、一十度(一十分) 前留:二日(六十八分) 夕伏:一十一日、六度二分 晨見:一十一日、六度二分

後留:二日(六十八分)

順遅:一十六日、一十一度(四十三分)、一十度(一十分)

順疾:一十一日、一十八度(二十四分)、一十六度(四分)

晨伏:一十七日、三十四度(一分)、二十九分(五十四秒)