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舊五代史
志一: 天文志
◎天文志
日食
梁の太祖乾化元年、正月丙戌の朔、日に蝕あり。時に事を言う諸臣、多く漢の高祖の末年、歳首に日蝕ありしを引き、太祖は甚だこれを悪み、ここに素服して正殿を避け、百官は各々本司を守る。この日、有司奏す:「雲初めて陰晦にして、事蝕せざるに同じ。」百僚表を奉りて賀を称す。
末帝寵徳三年、十月辛未の朔、日に蝕あり。
唐の荘宗同光三年、四月癸亥の朔、時に有司奏す:「日蝕卯に在り、歳の大旱を主る。」
明宗天成元年、八月乙酉の朔、日に蝕あり。二年、八月己卯の朔、日に蝕あり。三年、二月丁丑の朔、日蝕す。その日陰雲に見えず、百官賀を称す。
長興元年、六月癸巳の朔、日蝕す。その日陰冥にして見えず、夕に至りて大雨。二年、十一月甲申の朔、先だち、司天奏す:「朔日二分を食するに合す、伏して縁るに、蝕する所微少にして、太陽の光影相い鑠く、伏して恐らくは虧闕を弁ぜず、請うらくはその日閣に入らず。百官司を守らん。」これに従う。
晉の高祖天福二年、正月乙卯、先だち、司天奏す:「正月二日、太陽虧蝕す、宜しく正殿を避け、諸営の門を開き、兵器を蓋蔵し、半月軍を用うるに宜しからず。」この日太陽虧れ、十分内三分を食し、尾宿十七度に在り。日出でて東方、帯蝕三分を以てし、漸く生じ、卯時に至りて復た満つ。三年、正月戊申の朔、司天先だち奏す、その日日蝕す。この日に至りて蝕せず、内外賀を称す。四年、七月庚子の朔、時に中書門下奏す:「謹んで旧礼に按ずるに:日に変有れば、天子素服して正殿を避け、太史以て所司に社に日を救わしめ、五兵・五鼓・五麾を陳べ、東に戟、西に矛、南に弩、北に楯、中央に鼓を置き、服その位に従い、百職務を廃し、素服して司を守り、重ねて庭に列し、毎等位を異にし、日に向いて立ち、明らかに復して止む。今、所司の法物、咸な具うること能わず、去歳の正旦の日食、唯だ兵仗を謹み蔵し、皇帝正殿を避け素食し、百官司を守る。今且つ近礼に依り施行せんと欲す。」これに従う。七年、四月甲寅の朔、この日百官司を守るも、太陽蝕せず、表を上りて賀を称す。八年、四月戊申の朔、日に蝕あり。
少帝開運元年、九月庚午の朔、日に蝕あり。二年、八月甲子の朔、日に蝕あり。三年、二月壬戌の朔、日に蝕あり。漢の隠帝乾祐三年、十一月甲子の朔、日に蝕あり。
周の太祖広順二年、四月丙戌の朔、日に蝕あり。月食
梁の太祖開平四年、十二月十四日夜、先だち、司天奏す:「この日月蝕す、兵を用うるに宜しからず。」時に王景仁方に大軍を総べて北伐し、これを追うも及ばず。五年正月二日に至り、果たして後唐の荘宗に大敗せらるることを柏郷に於いて。
唐の荘宗同光三年、三月戊申、月蝕す。九月甲辰、月蝕す。
明宗天成三年、十二月乙卯、月蝕す。四年、六月癸丑の望、月食す。十二月庚戌、月蝕す。
晉の高祖天福二年(937年)七月丙寅、月蝕あり。五年(940年)十一月丁丑、月蝕鶉首の分にあり。少帝開運元年(944年)三月戊子、月蝕あり。九月丙戌、月蝕あり。漢の高祖天福十二年(947年)十二月乙未、月食あり。
周の世宗顕徳三年(956年)正月戊申、月蝕あり。五年(958年)十一月辛未、月蝕あり。◎月暈
唐の明宗天成元年(926年)十一月、月暈火・木を匝く。◎彗孛 梁の太祖乾化二年(912年)四月甲戌の夜、彗星霊台の西に見ゆ。
唐の明宗天成三年(928年)十月庚午の夜、西南に孛星あり、長さ丈余、東南を指し、牛宿五度に在り。
末帝清泰三年(936年)九月己丑、彗星虚・危より出で、長さ尺余、形細微にして、天壘・哭星を経る。
晉の高祖天福六年(941年)九月、彗星あり長さ丈余。八年(943年)十月庚戌の夜、彗星東方に見え、西を指し、尾長さ一丈、角宿九度に在り。
周の太祖顕徳三年(956年)正月壬戌の夜、星孛す参・角に、其の芒東南を指す。◎五星淩犯 梁の太祖開平二年(908年)正月乙亥、歳星月を犯す。
乾化二年(912年)五月壬戌、熒惑心の大星を犯し、心を去ること四度、順行す。占いに曰く「心は帝王の星なり」と。其の年六月五日、帝崩ず。
唐の荘宗同光二年(924年)八月戊子、熒惑星を犯す。三年(925年)三月丙申、熒惑上相を犯す。四月甲申、熒惑左執法を犯す。六月丙寅、歳星右執法を犯す。九月己亥、熒惑江東に在りて第一星を犯す。{{*|(案ずるに《歐陽史》に云う:九月丙辰、太白・歳星相い犯す。薛書に載せず、闕文有るを疑う。)}}
明宗天成元年(926年)八月癸卯、太白心の大星を犯す。辛亥、熒惑上將を犯す。
九月庚午、熒惑右執法を犯す。己卯、熒惑左執法を犯す。十月戊子、熒惑上相を犯す。十二月、熒惑氐を犯す。二年(927年)正月甲戌、熒惑・歳星相い犯す。二月辛卯、熒惑鍵閉を犯す。三月、熒惑上相を犯す。六月辛丑、熒惑房を犯す。九月壬子、歳星房を犯す。
三年(928年)正月壬申、太白・熒惑奎に合す。閏八月癸卯、熒惑上將を犯す。乙卯、熒惑右執法を犯す。庚午、太白左執法を犯す。九月庚辰、鎮星・歳星箕に合す。辛巳、太白・熒惑軫に合す。十二月壬寅、熒惑房を犯し、太白・歳星鬥において相い犯す。四年(929年)三月壬辰、歳星牛を犯す。九月丙子、熒惑哭星に入る。
長興元年(930年)六月乙卯、太白天樽を犯す。十一月壬戌、熒惑氐を犯す。十二月丙辰、熒惑天江を犯す。二年(931年)正月乙亥、太白羽林を犯す。四月甲寅、熒惑羽林を犯す。八月、辰星端門を犯す。十一月丙戌、太白鍵閉を犯す。三年(932年)四月庚辰、熒惑積屍を犯す。九月庚寅、太白哭星を犯す。十一月己亥、太白壁壘を犯す。四年(933年)八月己未、五鼓三籌、熒惑天高星に近く、歳星司怪に近く、太白軒轅の大星に近し。{{*|(案ずるに《歐陽史》に云う:九月辛巳、太白右執法を犯す。《薛書》に載せず。)}}
末帝清泰元年(934年)六月甲戌、太白右執法を犯す。
晉の天福元年(936年)三月壬子、熒惑積屍を犯す。四年(939年)四月辛巳、太白東井の北轅を犯す。甲申、太白五諸侯を犯す。五月丁未、太白輿鬼の中星を犯す。六年(941年)八月辛卯、太白軒轅を犯す。九月己卯、熒惑上將を犯す。八年(943年)八月丙子、熒惑右掖を犯す。十月丙辰、熒惑進賢を犯す。
開運元年(944年)二月壬戌、太白(金星)が昴宿を犯す。己巳、熒惑(火星)が天鑰星を犯す。四月丁巳、太白が五諸侯星を犯す。七月甲申、太白が東井宿を犯す。八月甲辰、熒惑が南斗宿に入る。十月壬戌、熒惑が哭星を犯す。{{*|(案:この条は『歐陽史』に載せられていない。)}}十二月、太白が辰星を犯す。二年(945年)八月甲戌、歳星(木星)が東井宿を犯す。九月甲寅、太白が南斗宿の魁を犯す。十一月甲午朔、太白が哭星を犯す。
漢(後漢)天福十二年(947年)十月己丑、太白が亢宿の距星を犯す。
乾祐元年(948年)八月己丑、鎮星(土星)が太微垣の西垣に入る。戊戌、歳星が右執法星を犯す。十月丁丑、歳星が左執法星を犯す。二年(949年)九月壬寅、太白が右執法星を犯す。庚戌、太白が鎮星を犯す。丁卯、太白が歳星を犯す。十一月、鎮星が初めて太微垣の左掖門から出る。元年八月己丑より、鎮星が太微垣に入り、上将星・左右執法星・内屏星・謁者星を犯し、勾己の軌道を往来すること凡そ四百四十三日にしてようやく左掖門より出る。三年(950年)六月乙卯、鎮星が左掖星を犯す。七月甲申、熒惑が司怪星を犯す。八月癸卯、太白が房宿を犯す。庚戌、太白が心宿の大星を犯す。十月辛酉、太白が歳星を犯す。
周(後周)廣順元年(951年)二月丁巳、歳星が鹹池星を犯す。己未、熒惑が五諸侯星を犯す。三月甲子、歳星が心宿を守る。己卯、熒惑が鬼宿を犯す。壬午、熒惑が天戸星を犯す。四月甲午、歳星が鉤鈐星を犯す。二年(952年)七月、熒惑が井宿の鉞星を犯す。八月乙未、熒惑が天樽星を犯す。九月辛酉、熒惑が鬼宿を犯す。庚辰、熒惑が右執法星を掩蔽す。十月壬辰、太白が進賢星を犯す。三年(953年)四月乙丑、熒惑が霊臺星を犯す。五月辛巳、熒惑が上将星を犯す。
顕徳六年(959年)六月庚子、熒惑と心宿の大星が同じ経度に合し、光芒が互いに射る。先に、熒惑が房宿・心宿の間で勾己の軌道をとること数ヶ月、ここに至って心宿の大星と合度し、この夜順行に転ず。{{*|(案:この条は『歐陽史』に載せられていない。)}}
◎星の昼見 唐(後唐)同光三年(925年)六月己巳、太白が昼に見ゆ。天成元年(926年)七月庚申、太白が昼に見ゆ。
長興二年(931年)五月己亥、歳星が昼に見ゆ。閏五月己巳、歳星が昼に見ゆ。八月戊子、太白が昼に見ゆ。三年(932年)十月壬申、太白が昼に見ゆ。四年(933年)五月癸卯、太白が昼に見ゆ。清泰元年(934年)五月己未、太白が昼に見ゆ。
漢(後漢)天福十三年(948年)四月丙子、太白が昼に見ゆ。乾祐二年(949年)四月壬午、太白が昼に見ゆ。
周(後周)廣順二年(952年)二月庚寅、太白が天を経る。◎流星
梁(後梁)乾化元年(911年)十一月甲辰、東方に数升の器の如き流星あり、畢宿の口より出で、光を三丈余り曳き、雷の如き声あり。
唐(後唐)長興二年(931年)九月丙戌の夜、二鼓の初め、東北方に小流星あり北斗の魁に入りて滅ぶ。五鼓の初めに至り、西北方次いで北に流星あり、状は半升の器の如く、初め小さく後大きく、速やかに流れて奎宿に至りて滅ぶ。尾跡は天に凝り、屈曲して雲の如くして散じ、光明地を燭す。また東北に大桃の如き流星あり、下臺星より出で、西北に速やかに流れ、斗柄の第三星の傍らに至りて滅ぶ。五鼓後より明け方まで、中天及び四方に小流星百余あり、流れ注ぎ交錯す。
応順元年(934年)春二月辛未の夜、五升の器の如き大星あり、東北に流れ、雷の如き声あり。
清泰元年(934年)九月辛丑の夜、五鼓の初め、五斗の器の如き大星ありて南に流れ、尾跡長さ数丈、亦赤色なり、しばらくして盤屈して龍の形の如く、蹙縮して二つの鏵の如く、相い闘って散ず。また一星稍小、東に流れ、尾跡あり、白気に凝成し、食頃にして方に散ず。
晉(後晉)天福三年(938年)三月壬申の夜、四鼓後、東方に大流星あり、状は三升の器の如く、その色白く、長さ尺余、屈曲して河鼓星の東三尺より流出し、一丈余り流れて滅ぶ。
周(後周)顕徳元年(954年)正月庚寅、子夜後、東北に大星墜つ、雷の如き声あり、牛馬震駭し、六街の鼓人が眠りより驚き、暁の鼓と思い、乃ち斉しく鼓を伐ちてこれに応じ、曙に至りて方にこれを知る。三月、高平の役、戦の前夜、日の如き大流星あり、数丈を流行し、賊営のところに墜つ。
◎雲気
梁の開平二年(908年)三月丁丑の夜、月に蒼白の暈あり、また白気ありて人形のごときもの十余り、皆東に向かい、暈の内より出づ。九月乙酉、平旦(夜明け)、西方に気ありて人形のごときもの甚だ衆く、皆俯伏せるが如き状、刻を経て乃ち散ず。
唐の同光三年(925年)、日に背気あり、凡そ十二。三年(925年)、九月丁未の夜、天に陰雲遍く、北方に声あり雷の如く、四面の鶏雉皆雊く、俗にこれを「天狗落つ」と謂う。是の歳、日に背気あり、凡そ十三。是の月、司天監奏す:「七月三日より陰雲大雨、九月十八日後に至りて方めて晴る。三辰(日月星)の行度災祥、数日見えず」と。閏十二月庚午、日に黒気あり、日の如く、交錯し磨るがごとし、測るに室十度に在り。
天成二年(927年)、十二月壬辰、西方に赤気あり、火焰の焰の如く、約二千里。占う者云う「二年を出でず、其の下に大兵有るべし」と。
長興三年(932年)、六月、司天監奏す:「月初より月終わりに至るまで、毎夜陰雲天を蔽い、星月を弁えず」と。応順元年(934年)、四月九日、白虹日を貫く、是の時閔帝害に遇う。
晋の天福初め、高祖(石敬瑭)将に太原に義を建てんとす、日の傍に五色の雲多し、蓮芰(はすの実)の状の如し。二年(937年)、正月丙辰、一鼓(初更)の初め、北方に赤気あり、西に向かい戌亥の地に至り、東北より丑の地已来北に向かい、闊三丈余、火光の状の如し。赤気の内に紫微宮及び北斗諸星を見る、其の気乍ち明らかに乍ち暗し。三点(三更)後に至り、後に白気数条あり、相次いで西に行き、直に三鼓(三更)の後に至りて散ず。
漢の乾祐二年(949年)十二月、日暈三重あり、上に背気あり。
周の顕徳三年(956年)、十二月庚午、白虹日を貫き、気暈勾環す。