舊五代史

漢書かんじょ六: 后妃列傳一

◎后妃列傳

高祖こうその皇后李氏は、晉陽の人である。高祖が微賤の時、嘗て晉陽の別墅で馬を牧し、夜に乗じて其の家に入り、劫略して之を娶った。高祖が藩鎮を領するに及び、累ねて魏國夫人に封ぜられた。高祖が太原にて義兵を挙げ、軍士に頒賚を行わんと欲し、公帑の不足を以て、井邑に率いるを議し、以て其の事を助成せんとした。后聞きて諫めて曰く、「晉高祖の義兵を挙げしより、国家の興運に至るまで、天意に出づるとは雖も、亦た土地人民の福力の同じく致す所なり。未だ其の衆に恵むこと能わずして、其の財を奪わんと欲するは、新天子の民を恤れみ隠すの理に非ず。今、後宮の積む所は、宜しく悉く以て之を散ずべし。設い厚からずとも、人怨言無からん」と。高祖、容色を改めて曰く、「命を敬いて聞く」と。遂に斂貸の議を停む。后、内府を傾けて以て之を助け、中外聞く者、感悦せざるは無し。天福十二年、冊立てられて皇后と為る。隱帝即位し、尊びて皇太后と為す。

周太祖京に入る。凡そ軍国の大事は、皆な后に請いて教令を発し以て之を行わしむ。是の歳、徐州節度使劉赟を立てて帝と為さんことを議し、迎奉未だ至らざるを以て、周太祖乃ち群臣を率いて章を奉り、后に権りに臨朝聴政せんことを請う。后是に於いて誥を称す。周太祖六軍に推戴せられ、章を上りて具に其の事を述べ、且つ言う、願わくは后に事えて慈母と為らんと。后誥を下して答えて曰く、「侍中功烈崇高、徳声昭著、禍乱を翦除し、乾坤を安定す。謳歌帰する有り、歴数属する所なり。以て軍民推戴し、億兆同じく歓ぶ。老身未だ残年を終えず、茲に多難に属す。惟だ衰朽を以て、終始に托す。来箋を省みるに、母の如く見待するに、深意を感念し、涕泗横流す」と云う。仍て戎衣・玉帯を出だして以て周太祖に賜う。周太祖即位し、上尊号して徳聖皇太后と曰い、太平宮に居す。周顕徳元年春薨ず。