舊五代史

唐書十四: 明宗本紀四

天成二年春正月癸丑朔、帝は明堂殿に御して朝賀を受け、仗衛は常の儀の如し。制して曰く、「王者は宗廟を祗敬し、寰宇に臨むに、必ず体元の典に順い、特新に製義の文を新たにす。朕は眇躬を以て、丕構を承くことを獲、三百年の休運を襲い、二十聖の耿光を継ぐ。朽を馭し隍を納るるに、夕惕の心怠る無く、天に法り古に師い、日躋の道は惟勤なり。今則ち干戈を載戢し、書軌を渾同し、上穹の眷祐を荷い、兆庶の楽推に契う。玉を検め金を泥するは、敢えて薄徳に期せず、田を耕し井を鑿するは、誠に前王に慕う有り。将に享謁の儀を陳んとし、即ち郊丘の礼を備えんとす。宜しく称謂を更め、永く簡編を耀かすべし。今名を亶と改む。凡そ中外に在るは、宜しく朕が懐を体すべし。」と。制を宣し訖り、百僚賀し、有司は郊廟社稷に告ぐ。

丙辰、詔す、「端明殿学士の班位は宜しく翰林学士の上に在るべし。今後もし転改有らば、只だ翰林学士の内に於て選任すべし。」と。先ず是れ、端明殿学士の班は翰林学士の下に在り、又三館の例の如く、官は職の上に在り。趙鳳が侍郎に転ずる日、宰相府を諷して之を移さしむ。既にして禁林の序列に不可の言有り、安重誨奏して此の勅を行わしむ。時の論之を便とす。癸亥、宰臣鄭玨に特進・門下侍郎兼太微宮使を加う。崇文館大学士任圜に光禄大夫・門下侍郎・監修国史を加う。端明殿学士・尚書兵部侍郎馮道を以て中書侍郎・平章事・集賢殿大学士と為す。太常卿崔協を以て中書侍郎・平章事と為す。戊辰、前鄧州節度使劉玘卒するに因り、朝を廃す。左拾遺李同言上す、「天下の係囚は、長吏に委せ逐旬親しく引問し、其の罪状の真虚を質し、然る後に之を法を以て論ずべし。庶くは枉濫無からん。」と。之に従う。

辛未、皇子河中節度使従珂に同平章事を加う。鎮州留後・検校司徒しと王建立を以て鎮州節度使・検校太傅と為す。癸酉、第三子金紫光禄大夫・検校司徒従厚に検校太保・同平章事・河南尹を加え、六軍諸衛事を判ぜしむ。北面副招討房知温奏す、営州界の奚陀羅支内附すと。乙亥、監門衛大将軍傅璉を以て右武衛上将軍と為す。丙子、詔して曰く、「頃より本朝多難より、雅道中微し、皆浮華を尚び、廉譲を罕に持つ。其れ官を蘭省に除し、命秩を柏台する有るも、或いは人事を以て相疏んじ、或いは私讎を以て見訝れ、稍く敬奉に乖き、遽に棄捐に至る。蓋し司長の威を振うに処り、君恩を何の地にせん。今後応に新たに官を授けられ朝謝後の者は、例に準じて上事すべし。司長は輒て私事を以て阻滯すべからず。其の本官も亦た抑挫に遭うを因り、故に托けて請仮すべからず。」と。

戊寅、皇子従厚、河南府に於て事を領す。宰相鄭玨以下会送す。例に非ず。己卯、枢密使・光禄大夫・検校太保・行兵部尚書安重誨に開府儀同三司・検校太傅・兼侍中を加う。枢密使・検校太保・守秘書監孔循に検校太傅・同平章事を加う。詔して崇文館を旧に復して宏文館と為す。初め、同光中、宰相豆盧革、同列郭崇韜の父の名が宏なるを以て、其の意に希い奏して之を改む。今乃ち復す。辛巳、詔して曰く、「乱離斯久しく、法制多く隳つ。挙明有らざれば、何に従いて禁止せん。今後より起り、三京及び州使の職員名目、是れ押衙兵馬使は、騎馬に暖坐を得ることを得べし。諸都の軍将衙官使下に係名糧する者は、只だ衣紫皂を着るを得、庶人商旅は、只だ白衣を著すべし。此の後参雑すべからず。兼ねて富戸有り、或いは名を勢要に投じて以て影庇を求め、或いは仮するを摂貴に希いて以て丁徭を免れんとす。所在に仰せて禁勘し、以て奸欺を粛すべし。」と。

二月壬午朔、新羅使いを遣わして朝貢す。丁亥、北京皇城使李継朗を以て龍武大将軍と為し、北京都指揮使李従臻を左衛大将軍と為し、捧聖都指揮使李従璨を右監門衛大将軍と為す。戊子、前北面水陸転運招撫使・守冀州刺史烏震に宣州節度使を領せしむ。庚寅、陝州節度使・検校司徒石敬瑭に検校太傅兼六軍諸衛副使を加う。壬辰、西川節度使孟知祥奏す、泗州防禦使・充西川兵馬都監李嚴、軍衆を扇搖す。尋いで已に処斬せりと。潁州刺史孫嶽を以て耀州団練使と為す。丙申、従馬直指揮使郭従謙を以て景州刺史と為す。尋いで中使をして之を誅せしめ、其の族を夷す。其の首謀大逆を以て荘宗をしいせるを以てなり。尚書左丞崔沂を以て太子少保致仕と為す。壬寅、制す、荊南節度使・開府儀同三司・守太尉・兼尚書令しょうしょれい・南平王高季興は官爵を削奪すべく、仍て襄州節度使劉訓をして南面招討使・知荊南行府事を充てしめ、許州節度使夏魯奇を副招討使と為し、蕃漢馬歩四万人を統べて進討せしむ。其の叛くを以てなり。又命す、湖南節度使馬殷に湖南全軍を以て会合せしむ。東川節度使董璋を以て東南面招討使を充てしめ、新たに授く夔州刺史西方鄴を副招討使と為し、共に川軍を領して峡州を下らしめ、三面斉しく進ましむ。

甲辰、兗州節度使房知温に同平章事を加う。宋州節度使王晏球に検校太傅を加う。丁未、礼部尚書蕭頃を以て太常卿と為す。戊申、御史大夫李琪を以て右僕射と為し、太子賓客李鈴を以て戸部尚書と為し、吏部侍郎李徳休を以て礼部尚書と為し、前吏部侍郎崔貽孫を以て吏部侍郎と為し、端明殿学士・戸部侍郎趙鳳を以て兵部侍郎と為し、前の如く職を充つ。庚戌、詔す、諸道節度使の男及び親嫡骨肉恩命に沾らざる者は、特許して上聞を許す。河南府新安県は宜しく次赤と為すべし。雍陵其の界に在るを以てなり。辛亥、刑部侍郎帰藹を以て戸部侍郎と為す。

三月壬子朔(一日)、中書舍人馬縞を刑部侍郎とする。会節園に幸し、宰相・枢密使及び在京の節度使が共に銭絹を進め、宴を開くことを請う。癸丑(二日)、供奉官賈俊を遣わして淮南に使わす。甲寅(三日)、西川節度副使李敬周を遂州武信軍留後とする。乙卯(四日)、開府儀同三司・司徒致仕の趙光逢は太保致仕とすべく、なお斉国公に封ず。武信軍節度使李紹文の卒により朝を廃す。丙辰(五日)、宰臣判三司任圜奏す、「諸道の藩府は、天復三年以前に許されたごとく、綾絹金銀を貢し、その土産に随い馬の直を折進することを請う。また孳生馬を選び、監牧に分置することを請う」と。並びにこれに従う。太常丞段顒、国学において《五経》博士各々本経を講ぜしめ、以て横経歯冑の義を申べんことを請う。これに従う。庚申(九日)、前澤潞節度使・検校太傅・兼侍中の孔を河陽節度使とする。壬戌(十一日)、甘水亭に幸す。甲子(十三日)、青州節度使霍彦威に検校太尉・兼中書令を加う。大内皇城使・守饒州刺史李従璋を応州節度使とする。丁卯(十六日)、詔す、「所在の府県は牛を殺し肉を売ることを糾察し、犯者は条に準じ科断せよ。その自死牛は即ち売買を許し、肉一斤五銭を過ぐべからず。郷村の民家の死牛は、但だ本村の所由に報じ、例に準じ皮を官に輸すべし」と。癸酉(二十二日)、戸部郎中・知制誥盧詹を中書舍人とする。

夏四月辛巳朔(一日)、房知温奏す、「去月二十一日、盧台戍の軍乱し、副招討寧国軍節度使烏震を害す。尋で安審通と共に乱兵を斬殺し畢れり」と。帝これを聞き、一日朝を廃し、震に太傅を贈る。新羅国、使いを遣わして方物を貢す。丁亥(七日)、華州留後劉彦琮を本州節度使とする。この日、会節園に幸し近臣を宴す。己丑(九日)、兵部侍郎崔居儉を以て尚書左丞を権知せしめ、戸部侍郎王権を兵部侍郎とし、礼部侍郎裴皞を戸部侍郎とし、翰林承旨・守中書舍人李愚を礼部侍郎として職を充てしむ。庚寅(十日)、御史台奏す、「今月三日廊下の餐に、百官坐定し、両省官方に来たり、五品以下より輒ち起つ」と。詔して曰く、「毎に廊餐に赴くは、禦宴に対するが如し。若し私礼を行わば、是れ朝儀を失うなり。各々半月の俸を罰す」と。

詔す、「盧台の乱軍龍晊の所部たる鄴都奉節等九指揮三千五百人の在営家口骨肉は、並びに全家を処斬すべし」と。龍晊の所部の衆は、即ち梁の故魏博節度使楊師厚の招置する所なり。皆天下の雄勇の士にして、その都を目して銀槍効節とす、僅かに八千人。師厚卒し、賀徳倫制すること能わず、西に迎えて荘宗を魏に入れ、河上に従征し、向う所功有り。荘宗一統の後、数たび頒賚すと雖も、驕縦厭くこと無し。同光末、貝州より趙在礼を劫し、魏博を拠有す。及び帝位を纘ぐに及び、在礼その禍を脱さんことを冀い、潜かに奏して朝覲に赴かんことを願う。遂に皇子従栄を帥と為し、乃ち北に契丹を禦がしむ。この行、甲冄を支えず、惟だ長竿に幟して隊伍を表すのみ。故に俯首して遄征す。途に在りて李厳が孟知祥に害せられたるを聞き、以て剣南阻絶せりと為し、互いに煽動す。及び盧台に屯すに及び、烏震房知温に代わりて帥と為るに会い、転じて浮説を増す。震と房知温東寨にて博す。日亭午、大いに営外にて噪く。知温馬に上り門を出づるに、甲士に擁せられ、且つ曰く、「児郎の為に主せずんば、更に何れの処にか去らん」と。知温これを紿して曰く、「馬軍は皆河西に在り。歩卒独り何を為さんや」と。遂に馬を躍らせて舟に登り、西岸に済ることを得たり。安審通騎軍を戢えて動かず。知温審通と謀り、便を伺いてこれを攻め、乱兵に甲を巻きて南行せしむ。騎軍徐に進み、部伍厳整なり。叛する者相顧いて色を失い、炬を列ねて宵行し、荒沢に疲る。遅明、潜かに外州軍をして別に行かしむ。知温等遂に乱軍を撃ち、屍を野に横たう。余衆復た旧寨に趨るも、至れば則ち已にこれを焚けり。翌日、尽くこれを戮す。叢草溝塍に脱する者十に二三無く、迨う夜山谷に竄け、稍く定州に奔る。及び王都の敗るるに及び、乃ち噍類無し。癸巳(十三日)、兗州節度使房知温に侍中を加え、斉州防禦使安審通に検校太傅を加う。並びに盧台の功を賞するなり。

丁酉(十七日)、偽呉の楊溥、移署右威衛将軍雷現を遣わして端午の礼幣を貢す。辛丑(二十一日)、前利州節度使張敬詢を雲州節度使とする。枢密使孔循を荊南城下に赴かしむ。時に招討使劉訓疾有る故なり。甲辰(二十四日)、戸部侍郎韓彦惲を秘書監とする。この日、石敬瑭・安重誨の第に幸す。丙午(二十六日)、故振武節度使李嗣恩に太尉を贈る。司封郎中・充枢密院直学士閻至を左諫議大夫として職を充てしむ。右諫議大夫梁文矩上言す、しょくを平げて以来、軍人の西川に剽略する所の人口甚だ多く、骨肉阻隔し、和気を傷つくるを恐る。収認を許すことを請う、と。帝仁慈素より深く、文矩の奏に因り、詔す、河南・河北の旧に兵火に因り擄隔せられたる者は、並びに識認に従うべし、と。この日、郢州白鵲を進む。

五月癸丑、福建留後・検校太傅・舒州刺史王延鈞を検校太師・守中書令とし、福建節度使・琅邪郡王を充てる。太常卿蕭頃を吏部尚書とする。この日、懐州より白鵲を進上す。戊午、三司副使・守太子賓客張格の卒により朝を廃す。翰林学士・駕部郎中・知制誥竇夢征を中書舎人とし、職を充てる。癸亥、宣徽使張延朗を遣わし郡県の糧運を発して荊南城下に赴かしめ、なお軍法に従って事を行わしむ。右龍武統軍崔公実を左龍武統軍とし、前復州刺史高行周を右龍武統軍とする。果州を割きて属郡とす。乙丑、偽呉の楊溥、新茶を貢す。滄州より白鶴を進上す。庚午、詔して荊南の師を罷めしむ。既にして軍士に令して散らばり居民を掠めしめて回らしむ。詔す、「文武の臣僚及び諸道の節度使・刺史に、父母存する者あらば、各恩沢を与うべし。」宰臣任圜、表を上りて三司の事を辞す。乃ち枢密院承旨孟鵠を以て三司副使とし、権判せしむ。

六月壬午、華州・邢州より両岐の麦を進上し、兗州より三足の烏を進上す。丙戌、宰相任圜、平章事を落とし、守太子少保とす。丁亥、詔して天下に並びに無名額の寺院を除かしむ。宣徽北院使張延朗を右武衛大将軍・判三司とし、前の如く宣徽使・検校司徒を依す。辛卯、大理少卿王鬱上言す、「凡そ極刑を決するに、勅に準じて三覆奏に合すべきなり。近年已来、全くこの法を隳す。伏して乞う、今後決する前一日に一覆奏を許さんことを。」これに従う。壬辰、南面招討使・知荊南行府事・襄州節度使・検校太傅劉訓を責授して検校右僕射・守澶州刺史とす。訓、南征して功無し。故に是の譴有り。詔す、喪葬の家、送終の礼は過度すべからず。乙未、戸部尚書李鈴上言す、「朝班四品已上の官より各令録二人を薦むることを許し、五品官は各簿尉二人を薦め、功過の賞罰は挙者とこれを同じくせんことを請う。」詔してこれに従う。その挙ぐる人は、なお官告の中に挙ぐる姓名を標し、もし不公あらば挙主と連坐す。なお三品已上に令して各両使判官に堪え任ずる者を挙げしむ。丙申、天策上将軍・湖南節度使・開府儀同三司・検校太師・守尚書令・楚王馬殷を守太師・尚書令とし、楚国王に封ず。庚子、白司馬陂に幸し、突厥神を祭る。北俗の礼に従うなり。

秋七月庚戌朔、宋州節度使王晏球を以て北面行営副招討使を充てる。癸丑、左金吾将軍烏昭遠を左衛上将軍とし、入蛮国信使を充てる。中書奏す、「馬殷を楚国王に封ずるに、礼文に国王の制を載せず。三公の儀に約し、竹冊を用いんことを請う。」これに従う。壬戌、西川節度副大使・知節度事孟知祥に検校太尉・兼侍中を加え、東川の董璋に爵邑を加う。左効義指揮使元習を資州刺史とし、右効義指揮使盧密を雅州刺史とする。癸亥、冷泉宮に幸す。甲子、検校工部尚書謝洪を宿州団練使とする。夔州刺史西方鄴奏す、荊南の賊軍を殺敗し、峡内三州を収むと。丙寅、夔州を升めて寧江軍とし、鄴を節度使とする。戊辰、詔して曰く、「頃に本朝の親王、遥かに方鎮を領するに因り、遂に副大使知節度事有り。年代已に深く、相沿いて未だ改めず。その東川・西川は今後副大使を落とし、只節度使と云うべし。」庚午、遂州留後李敬周・鄜州留後劉仲殷並びに本州節度使を正授す。壬申、兗州節度使房知温は鎮を移して徐州とし、徐州節度使安元信は鎮を移して襄州とし、滄州節度使趙在礼は鎮を移して兗州とする。斉州防禦使安審通を滄州節度使とする。この日、詔す、陵州・合州に長流の百姓豆盧革・韋説等は、宜しく逐処の刺史に監せしめて自尽を賜い、その骨肉は並びに放逐して便にせしむべし。この日、段凝を遼州に逐い、劉訓を濮州に逐い、温韜を德州に逐う。甲戌、太子少保任圜、表を上りて致仕を乞い、なお外地に医を尋ねんことを請う。詔してこれに従う。丁丑、左金吾大将軍曹廷隠を斉州防禦使とする。

八月己卯朔、日食有り。辛巳、右諫議大夫孔昭序を給事中とし、秘書少監崔憓を右諫議大夫とする。壬午、右ぎょう衛大将軍劉衡を左領衛上将軍とし、鄴都副留守趙敬怡を右衛上将軍とし、興唐府事を判せしむ。乙酉、昆明大鬼主羅殿王・普露静王九部落、各使いを差し牂牁清州八郡刺史宋朝化等一百五十三人に随いて来朝し、方物を進め、各官告・繒采・銀器を賜いて蕃に還す。丙戌、御史中丞盧文紀を工部尚書とし、左諫議大夫梁文矩を御史中丞とする。鄧州留後陶玘を貶して嵐州司馬とす。その内郷県令盛帰仁に訟えられ、税外科率の故なり。なお帰仁に緋袍魚袋を賜う。癸巳、皇子従栄の第に幸し、禁中の伎楽を宣して観宴す。従栄、馬及び器幣を進む。帝、因りて伎楽を以てこれを賜う。華州上言す、渭河氾濫し稼を害すと。丁酉、吏部郎中・襲文宣公孔邈を左諫議大夫とする。史館修撰趙熙上言す、「応に内中の公事及び詔書奏対、応に中書に到らざる者は、内臣一人に委ねて抄録せしめ、月終に史館に送らしめんことを請う。」詔して枢密直学士を差して録送せしむ。青州より芝草を進上す。新州奏す、契丹、互市を置くことを乞うと。癸卯、汴州節度使朱守殷に兼侍中を加え、鄆州節度使符習に検校太尉を加う。甲辰、皇子従栄、鄜州節度使劉仲殷の女を娶る。この夕礼会し、百僚表を上りて賀す。

九月辛亥、義武軍節度使・検校太尉・兼中書令王都に食邑実封を加える。幽州節度使趙徳鈞に検校太尉を加え、鎮州節度使王建立に同平章事を加える。偽呉の楊溥、使者を遣わして応聖節の貢献を奉る。己未、前雲州節度使高行珪を鄧州節度使とする。この日、御札を出して曰く、「歴代帝王、時に巡狩す。一には礼制に遵い、一には方区を按察す。況んや彼の夷門は、茲の東夏を控う。先帝の戡平の始めに当たり、眇躬の殿守の邦たり。俗は貞純を尚び、兵は忠勇を懐う。元臣鎮静してより、庶事康和し、兆民咸に有年を楽み、闔境弥く幸を望むに堅し。事衆に違い難く、議は省方に在り。朕は十月七日を取って親しく汴州に幸す」と。庚申、衛尉卿李延光を大理卿とする。北京留守李彦超上言す、「先父存審、本姓は符氏、武皇に蒙りて姓を賜う。乞うらくは却って本姓に還さんことを」と。これに従う。乙丑、夏州節度使李仁福・鳳翔節度使李従厳・朔方節度使韓洙、並びに食邑を加え、功臣を改めて賜う。汝州防禦使趙延寿を河陽節度使とし、比部郎中・知制誥劉讚を中書舎人とし、河陽掌書記程遜を比部員外郎・知制誥とし、代州刺史李徳充を蔚州刺史とする。

丙寅、枢密使孔循に東都留守を兼ねさせる。襄州の夏魯奇上言す、荊南の高季興、使者を遣わし書を持たせて貢奉を修めんことを乞うと。詔して魯奇に納れざらしむ。詔して諸州の録事参軍は、使府の賓職を兼ねることを得ずとす。己巳、鄧州節度使史敬鎔に検校太保を加え、同州節度使盧質に検校司徒を加える。御史台奏す、「毎に入閣に遇う、旧例は隻に一員の侍御史を龍墀の辺に祗候せしめ、公事を弾奏す。或いは南班の失儀ありて、点検及ばず。今、常朝の例に依い、殿中侍御史二員を差し、鍾鼓楼の位を押さしめ、仍各供奉班に綴りて出入せしめんと欲す」と。これに従う。青州節度副使淳于晏を亳州団練使とする。契丹、使者梅老没古以下を遣わして朝貢す。戊寅、西川奏す、黎州の状に拠れば、雲南の使趙和、大渡河の南に於いて舎一間を起し、信物十五籠並びに雑箋詩一卷を留め、闕下に遞せしむと。

冬十月己卯朔、帝、文明殿に御して朝を視る。癸未、亳州刺史李鄴を郴州司戸に貶し、又崖州長流百姓に貶し、所在に自尽を賜う。判官楽文紀を祁州に配す。その法に違い貨を黷するを責むるなり。乙酉、駕は西京を発つ。詔して宰相崔協を留めて祠祭を奉ぜしむ。丁亥、帝、滎陽けいように宿る。汴州の朱守殷奏す、都指揮使馬彦超、乱を謀る。已に処斬訖りと。戊子、京水に次ぐ。朱守殷の反するを知り、帝親しく禁軍を統べ倍程して前進す。翌日、汴州に至り、其の城を攻め、これを抜く。守殷誅せらる。丙申、磁州刺史薬縦之上言す、今月十二日、供奉官王仁鎬至り、制を称して致仕太子少保任圜を殺すと。契丹、使者を遣わし書を持たせて碑石を求め、其の父の為に其の葬所を表さんと欲す。戊戌、詔して曰く、「諸道州府、同光三年已前に欠く所の秋夏税租並びに主持務局の敗闕課利、並びに沿河の舟船の折欠、天成元年の残欠夏税、並びに特ちに除放せん」と。時に重海既に任圜の禍を構う。人の之を非とするを恐れ、衆に恩をはいふして以て己が過ちを掩わんとす。乃ち奏して曰く、「三司の積欠約二百万貫、虚しく帳額に係る。請うらくは並びに蠲放せんことを」と。帝重ねて其の意に違い難く、故に是の詔有り。時に議する者、隔年の賦を蠲するは猶或は民を恵むも、場院の課利を一概に之を除くは、奸幸の門を啓かざるを得んやと。

己亥、詔して曰く、「致仕太子少保任圜、早く勲旧を推し、曾て重難を委ぬ。既に劇権を退免し、優閑を外地に俾す。而るに乃ち礼分を遵わず、潜かに守殷に附し、緘題嫌疑を避けず、情旨頗る怨望に彰る。汴壘を収むるより、備みて蹤由を見る。若し含宏を務めば、是れ典憲を孤にするなり。尚お大体を全うし、止だ一身を罪す。已に本州の私第に自尽せしむ。其の骨肉親情仆使等並びに皆罪を放つ」と。辛丑、詔して曰く、「後来其れ蘇らん。動必ず人欲に従う。天其の徳を監る。静宜く国恩を布くべし。近くは浚郊に幸すを言う。暫く洛邑を離る。歳稔に逢い、共に時康を楽しまんとす。謂わざらん、奸臣遽かに逆状を彰わし、厲の階既に甚だしく、宗を覆すの禍自ら貽す。以て近輔の生靈、此の多端紛擾に遭わしむ。永く言うに軫惻、寐興を輟む無し。宜しく雨露の恩を覃うし、式に雲雷の沢を表すべし。応に汴州城内の百姓は、既に驚動を経たり。宜しく二年の屋税を放つべし。諸処に曾て逆人の文字を受くる者有らば、随処に焚毀せしむべし。応に天下の見禁囚徒は、十悪五逆・殺人放火・劫盗・合造毒薬・官典犯贓・偽行印信・屠牛を除く外、罪の軽重無く、並びに従って釈放すべし。応に民年八十已上及び家長に廃疾有る者は、一丁の差役を免ず」云云と。山南西道節度使張筠を西京留守・行京兆尹とする。青州節度使霍彦威、人を差し走馬して箭一対を進め、朱守殷を誅するを賀す。帝却って彦威に箭一対を賜う。箭を伝うるは、番家の符信なり。軍を起し衆を令すれば則ち之を使う。彦威本より蕃将に非ず。臣以て箭を君に伝うるは、礼に非ざるなり。癸卯、権知汴州事・陝州節度使石敬瑭を汴州節度使・兼六軍諸衛副使・侍衛親軍馬歩都指揮使とする。鳳翔奏す、地震有りと。丙午、威武軍節度副使・検校太尉・守建州刺史王延亶を同平章事・守建州刺史とし、奉国軍節度副使・兼威武軍節度副使を充てしむることを可とす。詔して施州を割き却って黔南に属せしむ。

十一月己酉、帝、郊外に於いて蕃神を祭る。庚戌、皇城使・行袁州刺史李従敏を陝州節度使とする。乙卯、青州の霍彦威・鄆州の符習来朝す。太子詹事温輦を吏部侍郎とする。徐州の房知温来朝す。戊午、黔南節度使李紹義に検校太保を加える。庚申、皇子河中節度使・検校太保・同平章事従珂、鄴都留守・検校太保・同平章事従栄、河南尹・判六軍諸衛事・検校太保・同平章事従厚、並びに検校太傅を加え、爵邑を進む。貝州刺史竇廷琬上言す、慶州青白両池を製置し、逐年に絹十万匹・米万石を出さんことを請う。詔して慶州を防禦所に昇め、廷琬を以て使とす。壬申、詔して霍彦威等に藩に帰らしむ。詔して太宗朝の左僕射李靖を冊贈して太保とすべく、鄭州の僕射陂を改めて太保陂とすべし。時に議する者、僕射陂は後魏の孝文帝が僕射李衝に賜う、故に因りて以て名と為す。及び是の命に至り降って以て李靖と為すは、蓋し誤りなり。契丹、使者梅老等を遣わし来たりて通和を乞う。

十二月戊寅のついたち、以前の鳳翔留後高允貞を右監門上將軍とする。詔して施州を夔州の属郡とせしむ、その便近なるが故なり。飛勝指揮使を契丹に遣わし、契丹主に錦綺・銀器等を賜い、兼ねてその母に繍被纓珞を賜う。己卯、蔚州刺史周令武が代をえて闕に帰る、帝北州の事を問う、令武奏して曰く「山北は甚だ安んじ、諸蕃侵擾せず。雁門より以北、東西数千里、斗粟十銭を過ぎず」と。帝悦び、左右を顧みて曰く「善事を行いて、以て天道に副うべし」と。数日を居て、帝宰臣を元徳殿に延き、民事に言及す、馮道奏して曰く「莊宗の末年、軍民を撫せず、声楽に惑い、遂に人怨国乱を致せり。陛下自ら人望を膺け、歳時豊稔、亦淳化の致す所なり。更に願わくは安に居りて危を思わんことを」と。帝之を然りとす。許州地震す。庚辰、皇子鄴都留守従栄、鎮を移して太原に至る。北京留守符彦超を潞州節度使とす。乙酉、彰国軍節度使李従璋、政理に暗きを以て、詔して闕に帰らしむ。勅して新及第進士に聞喜宴有るを、逐年に銭四十万を賜う。己丑、兗州節度使趙在礼来朝す。詔して潜龍宅の米を出だして以て百官を賑わす。壬辰、太傅致仕斉国公趙光逢卒すに因り朝を輟む。丙申、許州節度使夏魯奇、鎮を移して遂州に至る。庚子、石敬瑭の公署及び康義誠の私第に幸す。甲辰、東郊に狩す、臘なり。丙午、四廟を追尊し、応州の旧宅を以て廟となす。