舊五代史

唐書四: 莊宗本紀二

天祐九年春正月庚辰朔、周德威らは飛狐より東下す。丙戌、鎮・定の師と会し祁溝に進みて営す。庚子、涿州に次ぐ。刺史劉知溫、城を以て帰順す。德威、幽州に迫り進む。守光、兵を出して拒戦す。燕将王行方ら、部下四百人を以て来奔す。

二月庚戌朔、梁祖、河南の衆を大挙して以て守光を援け、陝州節度使楊師厚を招討使と為し、河南李周彝を副とす。青州賀德倫を応接使と為し、鄆州袁象先を副とす。甲子、梁祖、洛陽らくようより魏州に趨く。楊師厚・李周彝を遣わし鎮州の棗強を攻めしめ、賀德倫に命じて蓚県を攻めしむ。

三月壬午、梁祖、自ら軍を督して棗強を攻む。甲申、城陥ち、之を屠る。時に李存審と史建瑭、三千騎を以て趙州に屯す。相与ひに謀りて曰く、「梁軍若し蓚城を攻めずんば、必ず西に深・冀を攻めん。吾が王方に北伐せんとす。南鄙の事を以て我輩に付す。豈に坐して其の弊を観んや」と。乃ち八百騎を以て冀州に趨き、下博橋を扼す。史建瑭・李都督ととくに命じ分道して生を擒えしむ。翌日、諸軍皆至る。芻牧者数百人を獲、尽く之を殺す。数人を逸らして去らしめ、且つ告げて曰く、「晉王至れり」と。建瑭と李都督、各々百余騎を領し、旗幟軍号梁軍に類し、芻牧者と雑行す。暮に賀德倫の営門に及び、守門者を殺し、火を放ち大呼し、俘斬して旋る。又た芻牧者を執へ、其の手を断ち、回らしむ。梁軍乃ち夜遁す。蓚人、鋤耰白梃を把りて之を追撃し、其の輜重を悉く獲たり。梁祖之を聞き大いに駭き、自ら棗強より馳せて貝州に帰る。其の将張正言・許従実・朱彦柔を殺す。蓚に於て師を亡はしし故なり。梁祖先づ痼疾を抱く、是に因りて愈甚だし。辛丑、滄州都將張万進、留後劉継威を殺し、自ら滄帥と為る。人を遣わし款を梁に送り、亦た帝に降るを乞う。戊申、周德威、李存暉を遣わし瓦橋関を攻め、之を下す。

四月丁巳、梁祖、魏より南帰す。疾篤き故なり。戊申、李嗣源、瀛州を攻め、之を抜く。五月乙卯朔、周德威、羊頭岡に於て燕軍を大破し、大将単廷珪を擒え、首五千余級を斬る。德威、涿州より幽州に進軍し、城下に営す。閏月己酉、其の西門を攻む。燕人出戦す、之を敗る。

六月戊寅、梁祖、其の子友珪に為りてしいせらる。友珪、僭りて帝位に即く洛陽に於て。秋八月、朱友珪、其の将韓勍・康懐英・牛存節を遣わし兵五万を率い、急に河中を攻む。朱友謙、使を遣わし来たり援を求む。帝、李存審に命じ師を率い之を救わしむ。

十月癸未、帝、自ら沢州路より河中に赴く。梁将康懐英に平陽に於て遇い、之を破り、首千余級を斬り、白径嶺に追う。朱友謙、帝に猗氏に於て会す。梁軍囲みを解きて去る。庚申、周德威報ず、劉守光三たび使を遣わし和を乞うも、報ぜずと。丁卯、燕将趙行実来奔す。

天祐十年春正月丁巳、周徳威、順州を攻め下し、刺史王在思を獲たり。二月甲戌朔、安遠軍を攻め下し、燕将一十八人を獲たり。庚寅、梁朱友珪、其の将袁象先に為りて殺さる。均王友貞、汴州に於て即位す。丙申、周徳威報ず、檀州刺史陳確、城を以て降ると。

三月甲辰朔、盧台軍を収む。乙丑、古北口を収む。時に居庸関使胡令珪らと諸戍将、相継ぎて族を挈き来奔す。丙寅、武州刺史高行珪、使を遣わし降を乞う。時に劉守光、愛将元行欽を遣わし山北に馬を収めしむ。行珪に変有るを聞き、戍兵を率い行珪を攻む。行珪、其の弟行温を質と為し遣わし、且つ応援を乞う。周徳威、李嗣源・李嗣本・安金全を遣わし兵を率い武州を救い、元行欽を降して帰す。

四月甲申、燕将李暉ら二十余人、挙族して来奔す。徳威、幽州南門を攻む。壬辰、劉守光、使王遵化を遣わし書幣を致し哀祈す徳威に。徳威、遵化に戯れて曰く、「大燕皇帝未だ郊天せず、何ぞ怯劣斯くの如きや」と。守光再び哀祈す。徳威乃ち状を以て聞す。己亥、劉光浚、平州を攻め下し、刺史張在吉を獲たり。

五月壬寅朔、光浚、進みて営州に迫る。刺史楊靖、城を以て降る。乙巳、梁将楊師厚、劉守奇と会し大軍を率い鎮州を侵す。時に帝の先鋒将史建瑭、趙州より五百騎を率い真定に入る。師厚、鎮・冀の属邑を大掠す。王熔、周徳威に急を告ぐ。徳威、兵を分かち赴援す。師厚、軍を移し滄州を寇す。張万進懼れ、遂に梁に降る。

六月壬申朔、帝、監軍張承業を遣わし幽州に至らしめ、周徳威と会して軍事を議す。秋七月、承業と徳威、千騎を率い幽州西に至る。守光、人を遣わし信箭一隻を持たしめ、和好を修むるを乞う。承業曰く、「燕帥当に子弟一人を令して質と為さば則ち可なり」と。是の日、燕将司全爽ら十一人、並びに挙族して来奔す。辛亥、徳威、諸城門を進攻す。壬子、賊将楊師貴ら五十人来降す。甲子、五院軍使李信、莫州を攻め下す。時に守光継ぎて人を遣わし降を乞い、将に帝の軍を緩めんとし、陰に其の将孟修・阮通に令し滄州節度使劉守奇と謀り、及び楊師厚に援を求めしむ。帝の遊騎、其の使を擒えて以て献ず。是の月、帝、王鎔と天長に会す。

九月、劉守光、衆を率い夜出し、遂に順州を陥す。冬十月己巳朔、守光、七百騎・歩軍五千を率い夜に檀州に入る。庚午、周徳威、涿州より兵を将いて之を躡う。壬申、守光、自ら檀州南山より遁る。徳威追い及び、之を大敗し、大将李劉・張景紹及び将吏八百五十人、馬一百五十匹を獲たり。守光百余騎を得て山谷に遁れ入る。徳威急馳し、其の城門を扼す。守光惟だ親将李小喜ら七騎と与に燕城に奔り入る。己丑、守光、牙将劉化修・周遵業らを遣わし書幣を以て哀祈す徳威に。庚寅、守光、城に乗り病を以て告ぐ。復た人をして自乗の馬玉鞍勒を献ぜしめ、徳威の乗馬と易えて去らしむ。俄にして劉光浚、守光の偽殿直二十五人を擒え軍門に送る。守光又た城に乗りて徳威に謂ひて曰く、「予は晉王の至るを俟ち、即ち泥首して命を俟たん」と。徳威に祈り即ち馳驛を以て聞せしむ。

十一月己亥朔、帝、令を下し親征して幽州を征す。甲辰、晉陽を発つ。己未、范陽に至る。辛酉、守光、礼幣を奉じて款を帝に帰す。帝、単騎城に臨みて守光を邀う。他日を以て辞す。蓋し其の親将李小喜に扼せらるるが為なり。是の夕、小喜来奔す。帝、諸軍に令を下し、詰旦城を攻めしむ。壬戌、梯童並びに進み、軍士畢く登る。帝、燕丹塚に登り以て之を観る。有頃、劉仁恭を擒えて以て献ず。癸亥、帝、燕城に入る。諸将畢く賀す。

十二月庚午、墨製(天子の詔に代わる文書)により周徳威を幽州節度使に任ず。癸酉、檀州燕楽県の人が劉守光とその妻李氏・祝氏、子の継祚を捕らえて献上す。己卯、帝は班師を命じ、雲州・代州より凱旋す。時に鎮州の王鎔・定州の王処直は使者を遣わし、帝に井陘より西進することを請う。帝これを許す。庚辰、帝は幽州を発ち、仁恭父子を捕虜として連行す。甲申、定州に至り、関城に宿泊す。翌日、曲陽に至り、王処直とともに北嶽祠を拝謁す。この日、衡唐に至り、鎮州の王鎔が路上で迎え拝謁す。

天祐十一年春正月戊戌朔、王鎔は履新(新年を迎える)の日に当たり、その子昭祚・昭誨とともに杯を捧げて寿を祝し宴を設く。鎔啓して曰く、「燕主劉太師はかつて隣国たりしが、今その風儀を拝したい。可否あらんや」と。帝は直ちに主事者に命じて械を破り、仁恭・守光を引き出し、彼らとともに宴を同席せしむ。鎔は衣被・飲食を饋る。己亥、帝は鎮州を発ち、王鎔とともに衡唐の西で狩猟す。壬子、晋陽に至り、組練(絹紐)をもって仁恭・守光を縛し、号令して入城す。この日、守光を誅す。大将李存覇を遣わし、仁恭を代州に拘送せしめ、その心血を刺して武皇陵に奠告し、然る後に斬る。この月、鎮州王鎔・定州王処直は使者を遣わし、帝を推戴して尚書令しょうしょれいとす。初め、王鎔は梁に称藩し、梁は鎔を尚書令とせり。ここに至り、鎮・定の両州は帝が南に梁軍を破り、北に幽・薊を平定したるを以て、共に推戴す。使者三度至るも、帝は辞譲し、乃ち従う。遂に日を選んで冊を受け、府を開き、行台を建つ。武徳(唐高祖こうそ)の故事の如し。

秋七月、帝みずから将として黄沙嶺より東下し、鎮州の兵と会し、邢州・洺州に進軍す。梁将楊師厚は漳水の東に軍す。帝の軍は張公橋に駐屯す。既にして裨将曹進金が梁に奔る。帝の軍は利あらずして退却す。八月、晋陽に還る。

天祐十二年三月、梁の魏博節度使賀徳倫は使者を遣わし幣を奉り、盟を乞う。時に楊師厚は魏州に卒す。梁主は乃ち相・衛・澶の三州を割き別に一鎮と為し、徳倫を魏博節度使とし、張筠を相州節度使とす。魏人は従わず。この月二十九日夜、魏軍乱を起こし、徳倫を牙署に囚う。三軍大いに掠奪す。軍士に張彦という者あり、平素より凶暴を実とし、乱軍の首魁たり。徳倫を迫りて上章し、六州の地を却って復することを請わしむ。梁主従わず。遂に徳倫を迫りて帝に帰属せしめ、且つ師を乞いて援けとなす。帝は馬歩副総管李存審に命じ、趙州より師を率い臨清に屯せしむ。帝は晋陽より東下し、存審と会す。(《通鑑》に曰く、晋王は大軍を引き黄沢嶺より東下し、存審と臨清に会す。猶魏人の詐りを疑い、兵を按じて進まず。)賀徳倫は従事司空しくう頲を軍に遣わし、密かに張彦の狂暴なる状を啓し、且つ曰く、「若しこの乱階を剪らずんば、後悔を貽すを恐る」と。帝は黙然たり。遂に進軍して永済に至る。張彦謁見す。銀槍効節五百人を従え、皆甲を被り兵を持して自衛す。帝は楼に登りてこれを諭して曰く、「汝ら城に在りて、平人を濫殺し、その妻女を奪う。数日以来、訴えを迎うる者甚だ衆し。汝らを斬りて以て鄴人に謝すべし」と。遽かに彦及び同悪の者七人を斬ることを命ず。軍士は股栗す。帝みずから慰撫を加えて退かしむ。翌日、帝は軽裘緩策して進み、張彦の部下の軍士に甲を被り兵を持たせ、馬を巡らして従わしめ、帳前銀槍と命ず。衆心大いに服す。梁将劉鄩は帝の至るを聞き、精兵一万を以て洹水より魏県に趣く。帝は李存審に命じ師を率いてこれを防がしむ。帝は親軍を率い魏県の西北に於いて、河を挟んで柵を為す。

六月庚寅朔、帝は魏州に入る。賀徳倫は符印を上り、帝の魏州兼領を請う。帝これに従う。墨製を以て徳倫を大同軍節度使に任じ、便路を取って赴任せしむ。帝は令を下し鄴人を撫諭す。軍城畏肅し、民心大いに服す。この時、貝州の張源徳が塁を拠りて命に拒む。南は劉鄩に通じ、また滄州と首尾相応ず。德州に備え無きを聞き、別将を遣わしてこれを襲い、遂にその城を抜く。遼州牙将馬通を徳州刺史と為し、以て滄・貝の路を扼せしむ。

秋七月、梁の澶州刺史王彦章は城を棄てて遁走す。帝の軍の逼迫を畏るるなり。故将李岩を澶州刺史と為す。帝は魏県に至り、百余騎を率いて梁軍の営を覘う。この日陰晦たり。劉鄩は五千の伏兵を河南の叢木の間に伏せす。帝至るや、伏兵忽ち起ち、大いに騒ぎて来たり、帝を数十重に囲む。帝は百余騎を以て馳突奮撃し、梁軍は辟易し、囲みを決して出づ。しばらくして援軍至り、乃ち解く。帝は顧みて軍士に謂いて曰く、「幾くんぞ賊に笑わるるに近からんや」と。

この月、劉鄩は潜かに師を率い黄沢より西に向かい晋陽に趨く。楽平に至りて還り、遂に宗城に軍す。初め、鄩は洹水に在りて、数日も出でず、寂として声跡無し。帝は騎を遣わしてこれを覘わしむ。斥候の者無く、城中にも煙火の状無し。但だ鳥が塁上に止まり、時に旗幟が堞に循いて往来するを見るのみ。帝曰く、「我聞く、劉鄩の用兵は一步百変なりと。必ず詭計を以て我を誤らんとす」と。城中を視させしむれば、乃ち旗を芻偶(藁人形)の上に縛り、驢に負わせて堞に循いて行かしむるなり。城中の羸老の者を得て詰むれば、軍去ること已に二日なりと云う。既にして鄩の軍より来る者あり、兵已に黄沢に趨くと言う。帝は遽かに騎を発してこれを追わしむ。時に霖雨積旬、鄩の軍は倍道兼行し、皆腹疾足腫す。加うるに山路険阻、崖谷泥滑にして、蘿に縁り葛を引きて、方に少しく進むを得たり。岩阪に顛墜し、泥淖に陥りて死者十二三。前軍楽平に至るも、糗糒(干し飯)将に竭きんとす。帝の軍が後より追躡し、太原の衆が前に在ると聞き、群情大いに駭く。鄩はその衆を収合して還り、邢州陳宋口より漳水を渡りて東し、宗城に駐る。時に魏の軍儲已に乏しく、臨清に積粟の所在するを以て、鄩は軍を引きてこれを占拠せんと欲す。周徳威は初め鄩軍の西するを聞き、幽州より千騎を率いて土門に至る。鄩軍の東下するに及び、急ぎ南宮に趨き、鄩軍の宗城に在るを知り、十余騎を遣わしてその営に迫り、斥候の者を擒え、その腕を断ちて還らしむ。徳威は臨清に至る。鄩は軍を起こし貝州に駐る。帝は親騎を率いて博州に次す。鄩は堂邑に軍す。周徳威は臨清より五百騎を率いてこれを躡う。この日、鄩は莘県に軍し、帝は莘西一舍(三十里)に営す。城壘相望み、日夕交闘す。

八月、梁将賀瑰は澶州を襲い取りぬ。帝は李存審に兵五千を率いさせ貝州を攻め、塹を因りてこれを囲む。冬十月、軍士の鄩の軍より来奔する者あり。帝はこれを善く遇す。乃ち劉鄩が密かに命じて鴆を持たせ帝の膳夫を賄い、食中に毒を置かんと欲するなり。告ぐる者あるに会い、その党を索めて誅す。

天祐十三年春二月、帝は劉鄩が速戦を謀らんとするを知り、乃ち晋陽に帰ると声言してこれを誘い、実は貝州に於いて軍を労うるなり。李存審に命じてその営を守らしむ。劉鄩は帝が既に晋陽に臨めりと謂い、虚に乗じて鄴を襲わんとす。三月、劉鄩はその将楊延直を遣わし、澶州より兵万人を率い、城下に会せしむ。夜半、南門の外に至る。城中より潜かに壮士五百人を出だし、延直の軍に突入し、噪声地を動かし、梁軍自ら乱る。遅明、劉鄩は莘より軍を引きて城東に至り、延直の兵と会す。劉鄩の来るや、李存審は兵を率いてその後に踵き、李嗣源は魏城より出でて戦う。俄にして帝は貝州より至り、劉鄩の卒は帝を見て驚きて曰く、「晋王なるか」と。因って軍を引きて漸く退き、故元城の西に至る。李存審の大軍は既に列を成せり。軍は前後方陣と為し、梁軍はその間に円陣と為し、四面敵を受く。両軍初めて合し、梁軍稍く衄る。再び合し、劉鄩は騎軍を引きて西南を突きて走る。帝は騎軍を以てこれを追撃し、梁の歩兵は合戦し、短兵既に接す。帝の軍は鼓噪し、これを数重に囲み、埃塵天に漲る。李嗣源は千騎を以てその間に突入し、衆皆披靡し、相躪むこと積むが如し。帝の軍は四面斬撃し、甲を棄つるの声、数十里に聞こゆ。衆既に奔潰し、帝の騎軍は河上に追い及び、十百群を為し、水に赴いて死す。梁の歩兵七万は殲亡殆んど尽きたり。劉鄩は黎陽より済り、滑州に奔る。是の月、梁主は別将王檀を遣わし、兵五万を率い、陰地関より晋陽に趨き、急にその城を攻む。昭義の李嗣昭は将石嘉才を遣わし、騎三百を率いて赴援せしむ。時に安金全・張承業は内に堅守し、嘉才は外に救援す。王檀懼れ、乃ち営を焼きて遁り、陰地関に至るまで追撃す。時に劉鄩は莘県に敗れ、王檀は晋陽に遁る。梁主これを聞きて曰く、「吾が事去れり」と。三月乙卯朔、兵を分かちて以て衛州を攻む。壬戌、刺史米昭は城を以て降る。夏四月、洺州を攻め、これを下す。

五月、帝は晋陽に還る。六月、偏師を命じて邢州に於ける閻宝を攻めしむ。梁主は捉生都将張温を遣わし、歩騎五百を率いて援と為し、内黄に至る。張温は衆を率いて来奔す。秋七月甲寅朔、帝は晋陽より魏州に至る。

八月、大いに師徒を閲し、進みて邢州を攻む。相州節度使張筠は城を棄てて遁り去る。袁建豊を以て相州刺史と為し、旧に依りて魏州に隷せしむ。邢州節度使閻宝は城を以て降らんことを請う。忻州刺史・蕃漢副総管李存審を以て邢州節度使と為し、閻宝を以て西南面招討使と為し、遥かに天平軍節度使を領せしむ。是の月、契丹は蔚州に入り、振武節度使李嗣本は契丹に陥る。

九月、帝は晋陽に還る。梁の滄州節度使戴思遠は城を棄てて遁り去り、旧将毛璋入りてその城を拠る。李嗣源は師を帥いて招撫し、毛璋は城を以て降る。乃ち李存審を以て滄州節度使と為し、李嗣源を以て邢州節度使と為す。時に契丹は塞を犯す。帝は親軍を領して北征し、代州の北に至り、蔚州の陥落を聞き、乃ち師を班す。(『遼史・太祖紀』に曰く、十一月、蔚・新・武・媯・儒の五州を攻め、代北より河曲に至り、陰山を逾え、尽くその地を有す。その蔚州を囲むや、敵楼故なくして自ら壊れ、衆軍大いに噪き、これに乗じ、時を逾えずして破る。)是の月、貝州平ぐ。滄州降将毛璋を以て貝州刺史と為す。ここに至りて、河朔悉く帝の所有と為る。帝は晋陽より復た魏州に至る。

天祐十四年二月、帝は劉鄩が復た残兵を収めて黎陽を保守すと聞き、遂に師を率いてこれを攻む。克たずして還る。是の月甲午、新州の将盧文進は節度使李存矩を殺し、叛きて契丹に入り、遂に契丹の衆を引きて新州を寇す。存矩は帝の諸弟なり。民を治むるに政を失い、下を禦ぐに恩無く、故に禍に及ぶ。帝は契丹主安巴堅が武皇と雲中に屢盟し、既に又兄弟と約し、急難相救うを以て、ここに至りて叛将を容納し、盟に違いて塞を犯すを以て、乃ち書を馳せて以てこれを譲る。契丹は新州を攻むること甚だ急なり。刺史安金全は城を棄てて遁る。契丹は文進の部将劉殷を以て刺史と為す。帝は周徳威に命じ、兵三万を率いてこれを攻めしむ。城東に営す。俄にして文進は契丹を引きて大いに至る。徳威は営を抜きて帰り、因って契丹に追躡せられ、師徒多く喪う。契丹は勝に乗じて幽州を寇す。是の時、契丹を言う者、或いは五十万、或いは百万と云う。漁陽以北、山谷の間に、氈車・毳幕、羊馬彌漫たり。盧文進は幽州の亡命の人を招誘し、契丹に攻城の具を教う。飛梯・衝車の類、畢く城下に陳ぶ。地道を鑿ち、土山を起し、四面より城を攻む。半月の間、機変百端、城中は機に随いて以てこれに応じ、僅かに保全を得る。軍民困弊し、上下恐懼す。徳威は間道より使を馳せて以て聞かしむ。帝は憂い色に形り、諸将を召して会議す。時に李存審は急に燕・薊を救わんことを請い、且つ曰く、「我若し猶して未だ行かずんば、但だ城中の事を生ずるを恐る」と。李嗣源曰く、「臣に突騎五千を仮せられんことを願い、以て契丹を破らん」と。閻宝曰く、「但だ鋭兵を搜選し、山険を控製し、強弓勁弩し、伏を設けてこれを待つべし」と。帝曰く、「吾に三将あり、復た憂うること無し」と。

夏四月、李嗣源に命じて師を率いて赴援せしめ、淶水に次ぐ。又た閻宝を遣わし、師を率いて夜に祁溝を過ぎしめ、俘擒して還らしむ。周徳威は人を遣わして李嗣源に告げて曰く、「契丹三十万、馬牛その数を知らず。近日食する所の羊馬過半す。阿保機は盧文進を責譲し、深くその来るを悔ゆ。契丹の勝兵は散布して射獵す。安巴堅の帳前万に満たず。宜しく夜に奇兵を出だし、その不備を掩うべし」と。嗣源は具に事を以て聞かしむ。(『遼史・太祖紀』に曰く、四月、幽州を囲み、克たず。六月乙巳、城中に気有りて煙火の状の如きを望む。上曰く、「未だ攻むべからず」と。大暑霖潦を以て、師を班し、盧国用を留めてこれを守らしむ。是れ契丹主は既に六月に師を退けり。)

秋七月辛未、帝は李存審に軍を領せしめ、嗣源と易州に会せしむ。歩騎凡そ七万。ここに於いて三将同謀し、枚を銜み甲を束ね、澗穀を尋ねて行き、直ちに幽州に抵る。八月甲午、易州より北に循り山を行く。李嗣源は三千騎を率いて前鋒と為す。庚子、大房嶺に循りて東し、幽州を距ること六十里。契丹の万騎遽かに至る。存審・嗣源は極力以てこれを拒ぎ、契丹大いに敗れ、委棄する毳幕・氈廬・弓矢・羊馬数え勝げず。進軍して追討し、俘斬万を数う。辛丑、大軍幽州に入る。徳威は諸将を見て、手を握り涕を流す。翌日、鄴に捷を献ず。九月、師を班す。帝は存審に検校太傅を授け、嗣源に検校太保を授け、閻宝は同平章事を加う。

十月、帝は魏州より晋陽に還る。十一月、復た魏州に至る。十二月、帝は河上に兵を観る。時に梁人は楊劉城に拠り、柵を列ねて相望む。帝は軍を率いて河氷を履きて渡り、諸柵を尽く平らげ、進みて楊劉城を攻む。城中の守兵三千人、帝は騎軍を率いて城を環り馳射し、又た歩兵に命じて斧を持ちてその鹿角を斬らしめ、葭葦を負いて以て塹を堙めしむ。帝自ら一囲を負いて進み、諸軍鼓噪して登る。遂にその壘を抜き、守将安彦之を獲る。是の夕、帝は楊劉に宿す。

天祐十五年(九一八年)春正月、帝(李存勗)の軍は地を巡って鄆州・濮州に至る。時に梁主(朱友貞)は洛陽に在り、郊祀の礼を修めんとしていたが、楊劉が陥落したと聞き、狼狽して帰還した。二月、梁の将謝彦章が数万の兵を率いて楊劉に迫り、塁を築いて自らを固め、また黄河の水を決壊させ、数里にわたって水を溢れさせ、帝の軍を阻まんとした。六月壬戌、帝は魏州より再び楊劉に至る。甲子、諸軍を率いて水を渡り進軍す。梁軍は水辺に臨んで防戦し、帝軍は少し退く。やがて鬨の声を上げて再び進み、梁軍は次第に退き、これに乗じて撃つ。中流で交戦し、梁軍は大敗し、殺傷甚だ多く、河水は絳(深紅)の如し。謝彦章は辛うじて免れて去る。この月、淮南の楊溥が使者を遣わして来たり、兵を合わせ、梁を討たんとす。

秋八月辛丑朔、魏州の郊外で大閲兵を行う。河東・魏博・幽州・滄州・鎮定・邢洺・麟州・勝州・雲州・朔州の十鎮の軍、及び奚・契丹・室韋・吐渾の衆十余万、部陣厳粛、旌旗と甲冑は照り輝き、師旅の盛んなるは近代において最もなり。己酉、梁の兗州節度使張万進が使者を遣わして帰順を申し出る。帝は魏州より師を率いて楊劉に駐屯し、地を略して鄆州・濮州に至りて還る。遂に麻家渡に営し、諸陣は十数か所に列営す。梁の将賀瑰・謝彦章は軍を以て濮州行台村に屯し、塁を結んで相持すること百余日に及ぶ。帝は嘗て数百騎を以て塁に迫り戦を求めしことあり。謝彦章は精兵五千を率いて堤の下に伏せしむ。帝は十余騎を以て堤に登る。伏兵発し、帝を十数重に囲む。やがて帝の騎軍続き至り、囲みの外より攻む。帝は囲みの中に在りて馬を躍らせ奮撃し、囲みを決して出づ。李存審の兵至りて、梁軍初めて退く。是の時、帝は接戦に鋭く、毎に騎を馳せて営を出づれば、存審は必ず馬にひかえて諫む。帝は存審に隙あるを窺い、即ち馬を策って出で、左右を顧みて曰く、「老子(老いぼれ)我が戯れを妨ぐるのみ」と。是に至りてほとんど危うきに及び、初めて存審の言を以て忠なりとす。

十二月庚子朔、帝は進軍し、梁軍の柵より十里の所に止まる。時に梁の将賀瑰が騎将謝彦章を軍中に殺す。帝これを聞きて曰く、「賊の帥自ら魚肉と為す、安んぞ亡びざらんや」と。戊午、軍中の老幼に令し、魏州に帰らしめ、悉く兵を以て汴(汴州)に向かわしむ。庚申、大軍は営を毀ちて進む。辛酉、臨濮に駐屯す。梁軍は営を捨てて後を追う。癸亥、胡柳陂に駐屯す。夜明け近く、梁軍も亦至る。帝は親軍を率いて出でて視、諸軍これに従う。梁軍は既に陣を成し、横に数十里に亘る。帝も亦横陣を以てこれに抗す。時に帝と李存審は河東・魏博の衆を総べて其中に居り、周徳威は幽州・薊州の師を以て其の西に当たり、鎮州・定州の師は其の東に当たる。梁の将賀瑰・王彦章は全軍を挙げて接戦す。帝は銀槍軍を以て梁軍の陣中に突入し、十余里を斬撃す。賀瑰・王彦章は単騎にて濮陽に走る。帝軍の輜重は陣の西に在り、梁軍の旗幟を見るや、皆驚き走り、自ら相蹈みみ、禁止すること能わず。帝の一軍先ず敗れ、周徳威戦死す。是の時、陂中に土山あり、梁軍数万先んじてこれを占む。帝は中軍を帥いて山下に至る。梁軍は厳整として動かず、旗幟甚だ盛んなり。帝は諸軍に呼びて曰く、「今日の戦、山を得る者は勝つ。賊は既に山を占む。吾と爾等各々一騎を馳せてこれを奪わん」と。帝は軍を率いて先んじて登り、銀槍の歩兵続き進み、遂に其の山を奪う。梁軍は紛紜として下り、復た土山の西に於いて数里に陣を結ぶ。時に日は既にゆうべなり。或いは曰く、「諸軍未だ揃わず、還営するに如かず。詰朝あした再戦を図るべし」と。閻宝曰く、「賊境に深入し、其の大敵に逢う。期すらくは尽く鋭を以て雌雄を決せんとす。況んや賊の帥は奔亡し、衆心方に恐るるに、今高きに乗じて下を撃てば、其の勢いは破竹の如し」と。銀槍都の将王建及は甲を被り槊を横たえて進みて曰く、「賊将先んじて既に奔亡す。王の騎軍は一も損なう所無し。賊衆は晡晚ゆうぐれに及び、大半は帰らんと思う。これを撃てば必ず破れん。王は但だ山に登りて縱観し、臣に賊を破るの効を責めよ」と。ここにおいて李嗣昭は騎軍を領いて土山の北より梁軍に逼り、王建及は土衆に呼びて曰く、「今日失える所の輜重は、並びに山下に在り」と。乃ち大呼して奮撃し、諸軍これに継ぐ。梁軍大敗す。時に元城県令呉瓊・貴郷県令胡装は各々役徒万人を部し、山下に於いて柴を曳き塵を揚げ、鬨の声を上げて其の勢いを助く。梁軍はこれを測らず、自ら相騰あがき籍み、棄つる甲冑山の如く積む。甲子、戦場を行き、鎧仗を収獲するに其の数を知らず。時に帝の軍士に先んじて大梁に入り其の舎次(しゃし、宿舎)を問う者有り。梁人大いに恐れ、市人を駆りて守らしむ。其の残衆汴に奔り帰る者千人に満たず。帝軍は遂に濮陽を抜く。