舊五代史

梁書五: 太祖本紀五

梁書五: 太祖本紀五

開平三年九月癸巳朔、帝は崇勳殿に御し、群臣文武百官を宴す。張宗奭・楊師厚に白綾各三百匹、銀鞍轡馬を賜う。丁酉、帝は崇政院に幸して内臣を宴し、院使敬翔・直学士李班らに繒彩を差等ありて賜う。門下侍郎・平章事薛貽矩をして建昌宮事を判せしめ、延資庫使を兼ねしむ。制す、「内外の使臣復命の際、未だ見えずして便に私第に帰る者あり。朝廷命を下し、臣下これを行ふに、辞見の儀に於いてのみ、敬恭の道を守るべし。近時凡そ使を差し出すに、往復皆常規を越ゆ。或いは已に辞して尚ほ本家に在り、或いは未だ見えずして先づ私第に帰る。只だ己の便に従ひ、王程を稟する莫し。礼敬に於いて甚だ乖き、典章を置きて私に挙ぐ。宜しく御史台に令し、別に条流事件を具し、黜罰等を奏聞せしむべし」。庚子、殿直王唐福、襄城より走馬し、天軍の勝捷、逆将李洪の帰降の事を上聞す。唐福に絹銀を加へて賜ひ、宰臣百官表を上りて賀す。壬寅、開封府虞候李継業、襄州都指揮使程暉の奏状を齎し、今月五日、逆党千人を殺戮し、並びに都指揮使傅霸以下節級合わせて五百人を生擒し、襄州の人戸を収復して帰業せしむる事を上る。《通鑑》に云ふ、八月、陳暉軍襄州に至り、李洪逆戦し大敗し、王求死す。九月丁酉、其の城を抜き、叛兵千人を斬り、李洪・楊虔等を執へて洛陽らくように送り、之を斬る。癸卯、帝は文明殿に御し、襄漢を収復せしを以て、宰臣以下より賀を受けしむ。辛亥、侍中じちゅう韓建を罷めて太保を守らしめ、左僕射・同平章事楊涉を罷めて本官を守らしめ、太常卿趙光逢を以て中書侍郎・平章事と為し、翰林学士奉旨・工部侍郎・知制誥杜曉を尚書戸部侍郎・平章事と為す。詔して曰く、「秋冬の際、陰雨相仍ふ。所司日に択びて郊を拝せんとす。或は臨時に事を妨ぐるを慮ふ。宜しく別に更に日を択びて奏聞せしむべし」。是の月、礼儀使奏す、「司の択ぶ所に据るに、十月二日、円丘を祀らんとす。今参詳するに、十月十七日以後十一月節に入る。十一月二日冬至は一陽生の辰なり、親告の礼を行ふべし」。之に従ふ。河中より奏す、宣に准ひ、詔使に銅牌ある者は、至る所即ち騎を易へて遣はすと。

原文開平三年九月癸巳朔,御崇勳殿,宴群臣文武百官。賜張宗奭、楊師厚白綾各三百匹,銀鞍轡馬。丁酉,上幸崇政院宴內臣,賜院使敬翔、直學士李班等繒彩有差。以門下侍郎、平章事薛貽矩判建昌宮事,兼延資庫使。制:「內外使臣復命,未見便歸私第者,朝廷命使,臣下奉行,惟於辭見之儀,合守敬恭之道。近者凡差出使,往復皆越常規。或已辭而尚在本家,或未見而先歸私第,但從己便,莫稟王程。在禮敬而殊乖,置典章而私舉。宜令御史臺別具條流事件具黜罰等奏聞。」庚子,殿直王唐福自襄城走馬,以天軍勝捷逆將李洪歸降事上聞。賜唐福絹銀有加,宰臣百官上表稱賀。壬寅,開封府虞候李繼業齎襄州都指揮使程暉奏狀,以今月五日,殺戮逆黨千人,並生擒都指揮使傅霸以下節級共五百人,收復襄州人戶歸業事。《通鑒》:八月,陳暉軍至襄州,李洪逆戰,大敗,王求死。九月丁酉,拔其城,斬叛兵千人,執李洪、楊虔等送洛陽,斬之。癸卯,帝御文明殿,以收復襄漢,受宰臣以下稱賀。辛亥,侍中韓建罷守太保,左僕射、同平章事楊涉罷守本官,乙太常卿趙光逢為中書侍郎、平章事,翰林學士奉旨、工部侍郎、知制誥杜曉為尚書戶部侍郎、平章事。詔曰:「秋冬之際,陰雨相仍,所司擇日拜郊,或慮臨時妨事,宜令別更擇日奏聞。」是月,禮儀使奏:「據所司擇,十月二日,祀圓丘。今參詳十月十七日以後入十一月節,十一月二日冬至一陽生之辰,宜行親告之禮。」從之。河中奏,准宣,詔使有銅牌者,所至即易騎以遣。

十月癸未、大明節、帝は文明殿に御し、僧道に斎を設け、宰臣・翰林学士を召して之に預からしむ。諸道節度・刺史及び内外諸司使咸に進献あり。寇盗未だ平らかならざるを以て詔し、凡そ諸の過所を給するに、並びに司門郎中・員外郎に出して給せしめ、以て奸詐を杜がんとす。

原文十月癸未,大明節,帝御文明殿,設齋僧道,召宰臣、翰林學士預之,諸道節度、刺史及內外諸司使咸有進獻。詔以寇盜未平,凡諸給過所,並令司門郎中、員外郎出給,以杜奸詐。

十一月癸巳朔、帝は内殿に斎し、朝を視ず。甲午、日長至、五更一点大内より出で、文明殿に於いて宰臣以下の起居を受け、五鳳楼より南郊に出づ。左右金吾きんご・太常・兵部等の司儀仗法駕鹵簿及び左右内直控鶴等引従して壇に赴く。文武百官太保韓建以下班を以て候す。帝壇に升り告謝す。司天臺奏す、冬至の日、夜半より後、祥風微かに扇ぎ、帝座澄明、暁に至り、黄雲日を捧ぐ。丙申、上東門外に畋す。戊戌、制して曰く、

原文十一月癸已朔,帝齋於內殿,不視朝。甲午,日長至,五更一點自大內出,于文明殿受宰臣以下起居,自五鳳樓出南郊,左右金吾、太常、兵部等司儀仗法駕鹵簿及左右內直控鶴等引從赴壇,文武百官太保韓建以下班以候,帝升壇告謝。司天臺奏:冬至日,自夜半後,祥風微扇,帝座澄明,至曉,黃雲捧日。丙申,畋於上東門外。戊戌,制曰:

夫れ厳親報本は、以て神明を通ずる所以なり。流沢覃休は、以て黎庶を恵ます所以なり。これ邦家不易の道、皇王昔よりの規なり。敢えて大猷を斁せんや、これ惟れ古義なり。粤に朕命を受けて、今に三年、何ぞ曾て寅畏晨興し、焦労夕惕せざらんや。唐・虞の典を師とし、上は則ち乾功に於いて、殷・夏の源を挹み、下は民極を涵す。万方をして裕ひ有らしめ、六辨をして愆無からしめんと欲す。然れども志未だ孚らざる所有り、理未だ達せざる所有りて、奸宄をして釁を作らしめ、旱霪をして災と為らしむ。驕将辺を守り、牙旗を擁して義に背き、積陰気を馭し、玉燭を陵して和を幹す。休征を載せ考へ、式に至警を昭らす。朕是を以て高を仰ぎ厚に俯し、責躬を惜しまず、薄に履み淵に臨み、元覧に昭らさんことを冀ふ。兢兢栗栗、夙夜寧からず。夫れ干戈を動かして必ず霊誅に契ひ、犠齋を陳べて克く善応を章すに及んで、苟も天の丕佑を垂れず、神の殊休を賛せずんば、則ち安んぞ凶渠を夷へ、戦はずの功を就け、沴戾気を変じ、有年の慶を作すことを致さむ。況んや霊旗北に指し、犬羊を喪はしむるは乱轍の間に在り、飛騎西に臨み、鄜・翟を下すは走丸の易きが若し。一隅の煙燧を息め、千里の封疆を復す。而して又左馮を掃蕩し、峴首を討除す。故に外戎内夏を得て、益々天命の帰する所を知り、喙息蚑行、共に皇基の永固なるを識る。昭応を仰ぎ懐ひ、報ゆるに階無し。爰に南至の辰に因り、親しく円丘の礼を展ぶ。これ惟れ大慶、必ず下民に及び、乃ち渙汗の私を宏め、以て疲羸の幸を錫ふ。冀ふ所は漸く蘇息を増し、亟に和平を致さんこと。噫、朕臨御以来、歳時尚ほ邇く、氛昏未だ殄らず、討伐猶ほ頻なり。甲兵は須らく饋糧に議し、飛挽は頻りに編戸に労す。事獲已むを得ざるに非ず、慮みは隍を納るるが若し。宜しく所在の長吏、倍に切に撫綏し、明らかに勉諭を加へ、官中に徭役を抽差する毎に、猾吏の広く斂め貪り求むるを禁じ、流散して依る靡くに至り、凋弊して済はざるを免れしむべし。宜しく河南府・開封府及び諸道観察使かんさつしに令し、切に鈴轄を加へ、刺史・県令は因縁して賦斂し、分外人を擾さしむること無からしむべし。凡そ庶獄に関るは、毎に軽刑を望む。只だ軍を用ふるを罷め候ふに、必ず当に便ち優給を議せん。徳音節文内に未だ該はらざる者は、宜しく所司に令し、類を列ね条件を奏聞せしむべし。

原文夫嚴親報本,所以通神明;流澤覃休,所以惠黎庶。斯蓋邦家不易之道,皇王自昔之規,敢斁大猷,茲惟古義。粵朕受命,於今三年,何曾不寅畏晨興,焦勞夕惕。師唐、虞之典,上則於乾功,挹殷、夏之源,下涵於民極。欲使萬方有裕,六辨無愆。然而志有所未孚,理有所未達,致奸宄作釁,旱霪為災。驕將守邊,擁牙旗而背義;積陰馭氣,陵玉燭以幹和。載考休征,式昭至警。朕是以仰高俯厚,靡惜於責躬;履薄臨淵,冀昭於元覽。兢兢栗栗,夙夜匪寧。及夫動干戈而必契靈誅,陳犧齋而克章善應,苟非天垂丕佑,神贊殊休,則安可致夷凶渠,就不戰之功,變沴戾氣,作有年之慶。況靈旗北指,喪犬羊於亂轍之間,飛騎西臨,下鄜、翟若走丸之易。息一隅之煙燧,復千里之封疆。而又掃蕩左馮,討除峴首。故得外戎內夏,益知天命之攸歸,喙息蚑行,共識皇基之永固。仰懷昭應,欲報無階。爰因南至之辰,親展圓丘之禮。茲惟大慶,必及下民,乃宏渙汗之私,以錫疲羸之幸。所冀漸增蘇息,亟致和平。噫!朕自臨御以來,歲時尚邇,氛昏未殄,討伐猶頻。甲兵須議於饋糧,飛挽頻勞於編戶,事非獲已,慮若納隍。宜所在長吏,倍切撫綏,明加勉諭,每官中抽差徭役,禁猾吏廣斂貪求。免至流散靡依,凋弊不濟。宜令河南府、開封府及諸道觀察使切加鈴轄,刺史、縣令不得因緣賦斂,分外擾人。凡關庶獄,每望輕刑。只候才罷用軍,必當便議優給。德音節文內有未該者,宜令所司類列條件奏聞。

己亥、羅周韓を天雄軍節度副使と為し、府事を知府す。鄴王紹威の病請に従ふなり。辛丑、穀水に幸す。戊午、文明殿に御し、太傅たいふ張宗奭・太保韓建を冊す。冊を受け畢りて、金吾仗輅車に引升し、儀仗導きて太廟に謁し畢りて、尚書省に赴きて上る。榆林坡に幸して兵を閲し、諸都の馬歩兵を教ふ。勅して乾文院を文思院と改め、行殿を興安殿と改め、球場を興安球場と改め、又弓箭庫殿を宣武せんぶ殿と改む。霊州より奏す、鳳翔の賊将劉知俊、邠・岐・秦・涇の師を率ひ州城を侵迫すと。帝は陝州の康懐英・華州の寇彦卿に兵を率ひて邠・寧を攻め迫らしめ、以て朔方の寇を緩めしむ。《五代春秋》に云ふ、十一月、秦人来たりて霊州を侵す。陝州康懐英秦を侵し、甯・慶・衍の三州を克つ。秦人来たりて襲ひ、懐英の兵升平に敗る。

原文己亥,以羅周韓為天雄軍節度副使,知府事,從鄴王紹威病請也。辛丑,幸穀水。戊午,禦文明殿,冊太傅張宗奭太保韓建受冊畢。金吾仗引升輅車,儀仗導謁太廟訖,赴尚書省上。幸榆林坡閱兵,教諸都馬步兵。敕改乾文院為文思院,行殿為興安殿,球場為興安球場,又改弓箭庫殿為宣武殿。靈州奏,鳳翔賊將劉知俊率邠、岐、秦、涇之師侵迫州城。帝遣陝州康懷英、華州寇彥卿率兵攻迫邠、寧,以緩朔方之寇。《五代春秋》:十一月,秦人來侵靈州。陝州康懷英侵秦,克甯、慶、衍三州。秦人來襲,懷英兵敗於升平。

十二月乙丑の臘(臘祭)に、甘泉驛において狩猟を競わせた。蒲州は創業の地であるため、また鄜州・延州を経略するついでに、数か月にわたり巡幸した。暇な日に遊覧して焦梨店に至り、往事を多く語り、王重榮の旧功を思い、詔を下して褒賞し封号を贈った。国子監が奏上した。「文宣王廟を創建し、なお朝廷に在る者及び天下の現任官僚の俸給から、毎貫ごとに毎月十五文を徴収し、土木の費用に充てたい。」これを許可した。この年、徴収した官僚の俸給で文宣王廟を修築した。福建節度使せつどし王審知が奏上し、私財を投じて寺を一宇建立したので、寺額を賜りたいと請うた。勅して大梁万歳寺と名付け、さらに僧四十九人の得度を許した。牢牆使王仁嗣に司空しくうを、故同州押衙史肇に右僕射を、押衙王彦洪・高漢詮・丘奉言・仇瓊に刑部尚書を、王筠に御史司憲を追贈した。初め、知俊が反逆を企てた時、諸将を集めて意見を求めたが、仁嗣らは正義を守って屈せず、皆その酷禍に遭ったので、この時に至り褒賞追贈したのである。劉守光が上言し、薊州の西で兄の守文と戦い、守文を生け捕りにしたと。

原文十二月乙丑臘,較獵於甘泉驛。以蒲州肇跡之地,且因經略鄜、延,於是巡幸數月。暇日游豫至焦梨店,頗述前事,念王重榮舊功,下詔褒獎而封崇之。國子監奏:「創造文宣王廟,仍請率在朝及天下現任官僚俸錢,每貫每月克一十五文,充土木之植。」允之。是歲,以所率官僚俸錢修文宣王廟。福建節度使王審知奏,舍錢造寺一所,請賜寺額。敕名大樑萬歲之寺,仍許度僧四十九人。贈牢牆使王仁嗣司空,故同州押衙史肇右僕射,押衙王彥洪、高漢詮、丘奉言、仇瓊並刑部尚書,王筠御史司憲。初,知俊將叛,謀會諸將詢所宜,仁嗣等持正不撓,悉罹其酷,至是褒贈之。劉守光上言,於薊州西與兄守文戰,擒守文。

開平四年正月壬辰朔、帝は朝元殿に御し、百官の祝賀を受け、初めて礼楽を用いた。勅した。「公事は遅滞させ難く、居宅は皆遠方にある。毎日当直する中書舎人及び吏部司封知印郎官・少府監並びに印文を篆刻し告身を書写する人吏らは、皆中書省の側近に順番に宿直すべきである。」乙未、帝は師子門を出て、榆林坡の下に至り教練を閲した。壬寅、保寧球場に行幸し、宰臣及び文武百官に宴を賜った。宰臣張宗奭以下に分賜する物品を増やし、広王に分賜物を与えた。また湖南開元寺の禅長老可復に恵光大師の号を賜い、さらに紫衣を賜った。

原文開平四年正月壬辰朔,帝御朝元殿,受百官稱賀,始用禮樂也。敕:「公事難於稽遲,居處悉皆遙遠。其逐日當直中書舍人及吏部司封知印郎官、少府監及篆印文兼書寫告身人吏等,並宜輪次於中書側近宿止。」乙未,帝出師子門,至榆林坡下閱教。壬寅,幸保寧球場,錫宴宰臣及文武百官。賜宰臣張宗奭已下分物有加,賜廣王分物。及湖南開元寺禪長老可復號惠光大師,仍賜紫衣。

二月乙丑、甘水亭に行幸した。師子門を出て、榆林の東北坡に行幸し、諸軍の兵事を教練した。潞州より帰順した軍使張行恭に錦服・銀帯並びに食料を賜った。戊辰、金鑾殿で宴を催した。甲戌、春時に事が無いため、たびたび宰臣・勲戚を命じて河南府の池亭で宴を開かせた。辛巳、楊師厚は陝州に赴任した。寒食の休暇に、諸道節度使・郡守・勲臣が競って春服を献上して賀した。また清明の宴が続き、鞍轡の馬及び金銀器・羅錦を進献する者が千万に及び、そこで宣威殿に御し、宰臣及び四品以上の文武官を宴した。己丑、光政門を出て、穀水に至り麦を見た。

原文二月乙丑,幸甘水亭。出師子門,幸榆林東北坡,教諸軍兵事。賜潞州投歸軍使張行恭錦服銀帶並食。戊辰,宴于金鑾殿。甲戌,以春時無事,頻命宰臣勳戚宴于河南府池亭。辛巳,楊師厚赴鎮於陝。寒食假,諸道節度使、郡守、勳臣競以春服賀。又連清明宴,以鞍轡馬及金銀器、羅錦進者迨千萬,乃禦宣威殿,宴宰臣及文武官四品已上。己丑,出光政門,至穀水觀麥。

三月壬辰、崇政院に行幸し勲臣を宴した。己亥、天驥院に行幸し侍臣を宴した。壬寅、甘水亭に行幸し宰臣・勲戚・翰林学士を宴した。辛亥、内殿で宰臣を宴した。丙辰、興安球場において六軍を大いに饗応し、春の時節を楽しんだ。

原文三月壬辰,幸崇政院宴勳臣。己亥,幸天驥院宴侍臣。壬寅,幸甘水亭宴宰臣、勳戚、翰林學士。辛亥,宴宰臣於內殿。丙辰,于興安球場大饗六軍,樂春時也。

四月壬戌、詔して曰く。「禄をもって追養することは、王者の厚きに帰する恩を推し及ぼすものなり。静かならんと欲して風の吹くは、人子の終身の感を抱くところなり。刑部尚書致仕の張策及び三品・四品常参官二十二人の先世を、各々一等を追贈する。」乙丑、崇政院で宴を催した。帝は藩鎮にあった時及び即位後、励精して治を求め、逸楽を深く戒め、堂上で歌舞を命じたことはなかった。この日は、ただ内妓に階を昇らせ、鼓を打ち曲を弄ばせて甚だ歓び、正午に終わった。丁卯、宋州節度使・衡王友諒が瑞麦を献上した。一茎に三穂あるもの。《通鑑》によれば、友諒が瑞麦を献上すると、帝は言った。「豊年こそが上瑞である。今宋州は大水であるのに、何ぞこれを用いんや!」詔して本県令の名を除き、使者を遣わして友諒を詰責させた。丙戌、建春門に行幸して新楼を閲し、七里屯に至り麦を見、従官を楼に召して食を賜った。河南の張昌孫及び蒲州・同州の主事吏に賜物をそれぞれ差等をつけた。帝が朝邑を通り過ぎた時、鎮将の位が県令の上にあるのを見て、左右に問うと、ある者が答えて曰く。「宿官は官秩が高いからです。」帝は言った。「令長は民を治める者であり、鎮使は盗賊を捕らえる者である。しかも鎮将は多くはその邑の民である。どうして民の父母の上に居ることができようか。これは礼に外れる。」ここに至り、天下の鎮使に勅し、官秩の高低に関わらず、位は邑令の下とする。葉県鎮遏使馮徳武が蔡州西平県の境界で山賊を殺戮し、首領張濆ら七人を生け捕りにして献上した。鎮海軍節度使銭鏐が湖州において高澧を撃ち、これを大いに破り、斬り殺し生け捕りにした者が万人に及び、その郡を抜き、湖州は平定された。先に、澧が州を挙げて淮南に叛したため、詔して鏐に討たせたのである。

原文四月壬戌,詔曰:「追養以祿,王者推歸厚之恩;欲靜而風,人子抱終身之感。其以刑部尚書致仕張策及三品、四品常參官二十二人先世,各追贈一等。」乙丑,宴崇政院。帝在籓及踐阼,勵精求理,深戒逸樂,未嘗命堂上歌舞。是日,止令內妓升階,擊鼓弄曲甚歡,至午而罷。丁卯,宋州節度使、衡王友諒進瑞麥,一莖三穗。《通鑒》:友諒獻瑞麥,帝曰:「豐年為上瑞,今宋州大水,安用此為!」詔除本縣令名,遣使詰責友諒。丙戌,幸建春門閱新樓,至七里屯觀麥,召從官食于樓。河南張昌孫及蒲、同主事吏賜物各有差。帝過朝邑,見鎮將位在縣令上,問左右,或對曰:「宿官秩高。」帝曰:「令長字人也,鎮使捕盜耳。且鎮將多是邑民,奈何得居民父母上,是無禮也。」至是,敕天下鎮使,官秩無高卑,位在邑令下。葉縣鎮遏使馮德武于蔡州西平縣界殺戮山賊,擒首領張濆等七人以獻。鎮海軍節度使錢鏐擊高灃於湖州,大敗之,梟夷擒殺萬人,拔其郡,湖州平。先是,灃以州叛入淮南,故詔鏐討之也。

五月己丑朔、長雨が止まないため、壬辰に至り文明殿に御し、宰臣に命じて祠廟を分拝させた。朔日の朝から癸巳まで、内外より端午の日に巨万を奉献し、馬三千蹄を数え、その他もこれに相当し、また相率いて内塁の修築を助けた。甲辰、詔して曰く。「奇邪が正を乱し、偽りが真を奪うは、既に刑典の容れざるところであり、違犯する者は赦すべからず。応に東・西両京及び諸道州府において、偽りの犀玉真珠の腰帯・璧珥並びに諸色の売買用の品などを創造することを一切禁断し、再び造作してはならない。もし公私の人家に先に既にあるものは、所在の長吏に送納し、対面して破棄せよ。もし勅の後も敢えて違反する者あれば、必ず極刑に処す。なお所在の州府に委ねて人を差し検査収捕し、明らかに処断せしめよ。」魏博節度使・守太師・兼中書令ちゅうしょれい・鄴王羅紹威が薨じた。帝は哀慟して曰く。「天は我に四海を一にさせず、何ぞ忠臣を奪うことの速きや!」詔して尚書令を追贈した。六月己未朔、詔して軍鎮に土木工事を起こすことを禁じた。

原文五月己丑朔,以連雨不止,至壬辰,禦文明殿,命宰臣分拜祠廟。自朔旦至癸巳,內外以午日奉獻巨萬,計馬三千蹄,餘稱是,復相率助修內壘。甲辰,詔曰:「奇邪亂正,假偽奪真,既刑典之不容,宜違犯而勿赦。應東、西兩京及諸道州府,創造假犀玉真珠腰帶、璧珥並諸色售用等,一切禁斷,不得更造作。如公私人家先已有者,所在送納長吏,對面毀棄;如行敕後有人故違,必當極法。仍委所在州府差人檢察收捕,明行處斷。」魏博節度使、守太師、兼中書令、鄴王羅紹威薨,帝哀慟曰:「天不使我一海內,何奪忠臣之速也!」詔贈尚書令。六月己未朔,詔軍鎮勿起土功。

七月壬子、宰臣・河南尹・翰林学士・両街使を甘水亭で宴した。丙辰、群臣を宣威殿で宴し、賜物に差等をつけた。劉知俊が夏州を攻め逼った。《通鑑》によれば、七月、岐王と邠・涇の二帥が各々使者を遣わし晋に告げ、合兵して定難節度使李仁福を攻めることを請うた。晋王は振武節度使周徳威に兵を率いさせてこれに会わせ、五万の衆を合わせて夏州を包囲した。宣化軍留後李思安を東北面行営都指揮使とし、陝州節度使楊師厚を西路行営招討使とした。福州が方物を貢ぎ、桐皮扇を献じ、広州が犀玉を貢ぎ、舶来の薔薇水を献じた。時に陳・許・汝・蔡・潁の五州の境内に蝗の子(蝝)が災いとなったが、やがて許州が上言し、野禽が群れをなして飛び空を蔽い、十日ほどの間に蝗の子を食い尽くしたので、この年は大いに豊作となった。

原文七月壬子,宴宰臣、河南尹、翰林學士、兩街使于甘水亭。丙辰,宴群臣于宣威殿,賜物有差。劉知俊攻逼夏州。《通鑒》:七月,岐王與邠涇二帥各遣使告晉,請合兵攻定難節度使李仁福,晉王遣振武節度使周德威將兵會之,合五萬眾,圍夏州。以宣化軍留後李思安為東北面行營都指揮使,陝州節度使楊師厚為西路行營招討使。福州貢方物,獻桐皮扇,廣州貢犀玉,獻舶上薔薇水。時陳、許、汝、蔡、潁五州境內有蝝為災,俄而許州上言,有野禽群飛蔽空,旬日之間,食蝝皆盡,是歲乃大有秋。

八月、車駕は西征した。己巳、陝府に駐輦した。この時は雨を憂い、かつ宰臣・従官に命じて霊跡を分拝させたところ、正午に雨が降り、翌日には止んだので、帝は大いに喜んだ。辛未、老人星が現れた。この日、行宮において本府節度使楊師厚及び扈従官を宴し、師厚に帛千匹を賜い、なお西路行営招討使に任じた。丙子、文武の従官軍使以下を宴し、亀茲楽を設け、賜物に差等をつけた。

原文八月,車駕西征。己巳,次陝府。是時憫雨,且命宰臣從官分禱靈跡,日中而雨,翼日止,帝大悅。辛未,老人星見。是日,宴本府節度使楊師厚及扈從官於行宮,賜師厚帛千匹,仍授西路行營招討使。丙子,宴文武從官軍使已下,設龜茲樂,賜物有差。

九月丁亥朔、宰臣于兢を西都に赴かせ、円丘において昊天上帝を祀らせた。甲午、西京に至った。詔を下して曰く。

原文九月丁亥朔,命宰臣於兢赴西都,祀昊天上帝於圓丘。甲午,至西京。下詔曰:

朕聞く、歴代の帝王、首に推すは堯・舜、人たる父母、誰か禹・湯に比すべき。叡謀は古先より高く出で、聖徳は天下に普く聞こゆ。尚ほ或いは卑躬して士を待ち、己を屈して賢を求む。星雲を俯仰し、一民の遺逸を慮い、岩穴を網羅し、片善の韜蔵を恐る。爵禄を延べて徴求し、丹青を設けて訪召し、其れをして政を為さしめ、賢を進むるを楽しましむ。蓋し国に万機有り、朝に百揆と称す。才無くば治まらず、士を得れば則ち昌えるによる。朕中区に光宅してより、今に三載に及ぶ。宵分に寐を輟め、日旰に餐を忘れ、廟謀に力を共にするを思い、王道に永清ならんことを庶う。然るに朝廷の内、未だ昌言に尽くさざる有り、軍旅の間、亦奇策を聞くこと罕なり。言を眷みて方嶽より、下は山林に及び、豈に英奇無からんや、我が延佇に副わん。諸道の都督・観察防禦使等、或いは勲高くして世を翊たすけ、或いは才号して人を知る。必ずや途巷の賢、芻蕘の士を備え察すべし。詔到る、精しく郡邑を捜し、博く賢良を訪い、之を喩するに千載一時を以てし、之を約するに高官美秩を以てす。求備無きを諒とし、惟だ人を得るに在り。もし卓犖不羈、沈潜自負し、霸王の上略に通じ、文武の大綱に達し、古今の刑政の源を究め、礼楽の質文の変を識る者有らば、朕は則ち次を待たずして之を委ね、非常を以てし、経綸を佐けしめん。豈に階級を労せんや。もし或いは一言俗を抜き、一事群を出す者有らば、亦た当に短を捨て長に従い、才に随い授任すべし。大小方円の器、寧んぞ九流を限らん、温良恭倹の人、十室を誣うこと難し。薦挙を勉め思い、因循に至ること無かれ。爾の発揚を俟ち、予が翹渇を慰めよ。仍って別勅に従い処分す。

原文朕聞歷代帝王,首推堯、舜;為人父母,孰比禹、湯。睿謀高出於古先,聖德普聞于天下,尚或卑躬待士,屈己求賢。俯仰星雲,慮一民之遺逸;網羅岩穴,恐片善之韜藏。延爵祿以徵求,設丹青而訪召,使其為政,樂在進賢,蓋由國有萬幾,朝稱百揆,非才不治,得士則昌。自朕光宅中區,迄今三載,宵分輟寐,日旰忘餐,思共力於廟謀,庶永清于王道。而乃朝廷之內,或未盡於昌言;軍旅之間,亦罕聞於奇策。眷言方嶽,下及山林,豈無英奇,副我延佇。諸道都督、觀察防禦使等,或勳高翊世,或才號知人,必於途巷之賢,備察芻蕘之士。詔到,可精搜郡邑,博訪賢良,喻之以千載一時,約之以高官美秩,諒無求備,惟在得人。如有卓犖不羈,沉潛自負,通霸王之上略,達文武之大綱,究古今刑政之源,識禮樂質文之變,朕則待之不次,委以非常,用佐經綸,豈勞階級。如或一言拔俗,一事出群,亦當舍短從長,隨才授任。大小方圓之器,寧限九流,溫良恭儉之人,難誣十室。勉思薦舉,勿至因循,俟爾發揚,慰予翹渴。仍從別敕處分。

辛丑、久雨を以て、命す宰臣薛貽矩に定鼎門を抃せしめ、趙光逢に嵩嶽を祠らしむ。勅す、「魏博管内の刺史、比来州務並びに督郵に委ぬ。遂に曹官に其の威権を擅にせしめ、州牧を閑冗に同じからしむ。通制に循わしめ、宜しく異端を塞ぐべし。並びに河南諸州の例に依り、刺史専達を得しむ。」壬寅、奪馬令を頒つ。先ず是れ、王師賊を撃ち、馬を獲ること多く上献す。是に至り尽く之を止む。蓋し其の奮撃の功を邀えんと欲するなり。乙巳、王師蕃寇を夏州に敗る。初め、劉知俊沙陀さだ振武の賊帥周徳威・涇原の賊帥李継鸞を誘い歩騎五万を合し大挙し、俯して夏台を拾わんと欲す。節度使李仁福兵力俱に乏しく、急を以て来告す。先ず是れ、供奉官張漢玫宣諭して壁に在り、国礼使杜廷隠幣を夏に賜い、及び石堡寨に至り、賊の至るを聞き、防卒三百人を以て馳せて州に入る。既にして大兵囲み合す。廷隠・漢玫と指揮使張初・李君用州民防卒を率い、仁福と部分し固守し、昼夜戮力して月を逾ゆ。及び鄜・延の援至り、大軍奮撃し、之を敗る。河東・邠・岐の賊分路逃遁し、夏州の囲解く。『通鑑』に曰く、甲申、夾馬指揮使李遇・劉綰を遣わし鄜・延より銀・夏に趨らしむ。李遇等夏州に至り、岐・晋の兵皆解き去る。丙午、詔して曰く、「劉知俊貴くして方伯と為り、尊極まりて郡王と為る。而るに乃ち朝恩に背誕し、賊壘に竄投す。固より神人の共に怒る所、諒らく天地の容れざる所なり。雖も討除を命ずるも、尚ほ擒戮を稽えたり。宜しく爵賞を懸け、以て功名を大にすべし。必ず忠貞有り、咸思ひ憤発せん。劉知俊を生擒する者有らば、銭千万を賞し、節度使を授け、首級は之に次ぐ。孟審登を得る者は、銭百万、刺史を除く。孫亢・卓環・劉儒・張鄰等を得る者は、賞差有り。」乙卯、群臣を宣威殿に宴會す。

原文辛丑,以久雨,命宰臣薛貽矩抃定鼎門,趙光逢祠嵩嶽。敕:「魏博管內刺史,比來州務,並委督郵。遂使曹官擅其威權,州牧同於閑冗,俾循通制,宜塞異端。並依河南諸州例,刺史得以專達。」壬寅,頒奪馬令。先是,王師擊賊,獲馬多上獻,至是盡止之,蓋欲邀其奮擊之功也。乙巳,王師敗蕃寇于夏州。初,劉知俊誘沙陀振武賊帥周德威、涇原賊帥李繼鸞合步騎五萬大舉,欲俯拾夏台,節度使李仁福兵力俱乏,以急來告。先是,供奉官張漢玫宣諭在壁,國禮使杜廷隱賜幣于夏,及石堡寨,聞賊至,以防卒三百人馳入州。既而大兵圍合,廷隱、漢玫與指揮使張初、李君用率州民防卒,與仁福部分固守,晝夜戮力逾月。及鄜、延援至,大軍奮擊,敗之。河東、邠、岐賊分路逃遁,夏州圍解。《通鑒》:甲申,遣夾馬指揮使李遇、劉綰自鄜、延趨銀、夏。李遇等至夏州,岐、晉兵皆解去。丙午,詔曰:「劉知俊貴為方伯,尊極郡王,而乃背誕朝恩,竄投賊壘,固神人之共怒,諒天地所不容。雖命討除,尚稽擒戮,宜懸爵賞,以大功名,必有忠貞,咸思憤發。有生擒劉知俊者,賞錢千萬,授節度使,首級次之;得孟審登者,錢百萬,除刺史;得孫亢、卓環、劉儒、張鄰等,賞有差。」乙卯,宴會群臣于宣威殿。