新唐書

巻二百二十四下 列傳第一百四十九下 叛臣下

李忠臣

李忠臣、本名は董秦、幽州薊の人。若くして軍籍に入り、材力をもって奮い立ち、節度使薛楚玉・張守珪・安禄山らに仕え、功労を積んで折衝郎将に至る。平盧軍先鋒使劉正臣が偽節度呂知晦を殺すと、秦を兵馬使に抜擢し、長楊を攻め、独山で戦い、榆関・北平を襲い、賊将申子貢・栄先欽を殺し、周釗を捕らえて京師に送る。正臣に従って国難に赴き、また李帰仁・李咸・白秀芝らを破る。潼関が陥落すると、秦は軍を整えて北還す。奚王阿篤孤は初め兵を率いて正臣と合流したが、やがて偽って共に范陽を攻めると約し、後城に至り、夜に乗じて秦を襲う。秦は接戦してこれを破り、追撃して温泉山に至り、首領阿布離を生け捕りにし、斬って鼓の血祭りにす。至徳二載、節度使王玄志が秦に兵三千を率いさせ、雍奴より葦筏で海を渡り、賊将石帝廷・烏承洽を撃ち、転戦累日、魯城・河間・景城を抜き、糧食資財を収めて軍を充実す。また田神功とともに平原・楽安を下し、偽刺史を捕らえて献ず。ここにおいて防河招討使李銑が制を承り秦を徳州刺史に仮任す。

史思明が帰順した後、河南節度使張鎬が秦の軍を督して諸将とともに河南の州県を平定し、裨将陽恵元とともに舒舎において安慶緒の将王福德を破る。粛宗は詔を下して褒め諭し、濮州に屯させ、また韋城に移す。郭子儀に従って相州を囲むが、軍は潰え、秦は滎陽けいように至り、賊将敬釭を破り、糧船二百艘を奪って汴軍に供給す。まもなく濮州刺史を授けられ、杏園渡に屯す。許叔冀が汴を以て史思明に降ると、秦は力尽き、また降る。思明はその背を撫でて曰く「始め我に左手あり、公を得て今完し」と。ともに河陽を寇すが、秦は夜に五百人を率いて包囲を冒して李光弼に帰順す。詔して殿中監を加え、封戸二百、京師に召し、今の氏名を賜い、良馬・甲第を給す。時に陝西・神策両節度使郭英乂・衛伯玉が陝に屯していたので、忠臣を両軍兵馬使とし、永寧・莎柵で戦い、賊将李感義らと数十度遭遇し、皆これを破る。淮西節度使王仲升が賊に捕らえられたため、忠臣を汝・仙・蔡六州節度使とし、安州を兼ねる。諸軍と合して東都を平定し、御史大夫に進む。

回紇可汗が帰った後、その部下安恪・石帝廷を河陽に留めて資財倉庫を守らせたが、これにより亡命を招いて盗賊と化し、道路は危険を畏れた。詔して忠臣に討定させしむ。吐蕃が京師を犯すと、天子は兵を追徴す。秦は鞠場で宴をしていたが、使者が至ると、即ち師を整えて進発す。諸将が「吉日を待つべし」と申すと、忠臣は怒って曰く「君父が難に在るに、いま患を救う日に選ぶのか」と。時に兵を召したが、忠臣より先に至る者なし。代宗はこれを嘉し、本道観察使を加え、賜与は倍等なり。

周智光が帳下の者に殺されると、忠臣は兵を提げて華州に入り、過ぐる所大いに掠め、赤水より潼関に至る二百里に居住する者なし。大暦五年、蔡州刺史を加う。陝虢の李国清が部下に逐われ、府庫を掠め、国清は諸将に遍く拝してやっと免れる。時に忠臣が入朝し、陝に次ぐ。詔して衆に訊問せしむ。衆は忠臣を恐れ、敢えて動揺せず、即ち棘を囲み、兵士に掠めた物を囲みの中に投げ入れるよう約し、一日にして尽く獲る。

李霊耀を討つに、西梁固で戦い、これを破る。また馬燧の軍と合し、汴州において賊を破る。田悦が援兵三万を率いて汴の外城に屯す。忠臣は裨将李重倩に命じ、夜に百騎を率いてこれを襲わしめ、その営を貫いて還り、数十百人を殺す。悦は間道より逃げ、霊耀は城を開いて亡去し、軍は遂に潰える。忠臣を汴州刺史とし、検校司空しくう・同中書門下平章事を加え、西平郡王に封ず。

忠臣は資性貪婪で色を嗜み、将士の婦女を逼って乱す。至る所で人これを苦しむ。妹を張恵光に妻とし、牙将に用いる。恵光は勢いに恃んで残酷に搾取す。或る者が忠臣に白すも、信じず。また恵光の子を牙下に置くに及び、ますます横暴に肆す。十四年、大将李希烈が衆怒に因り、少将丁暠・賈子華らと共に恵光父子を斬り、兵を以て忠臣を脅迫して逐う。忠臣は跳んで京師に奔る。帝は平素より寵遇していたので、責めず。また検校司空・同中書門下平章事を授け、奉朝請とす。

徳宗が立つと、散騎常侍さんきじょうじ張涉が贓罪により罪を得、帝は怒って赦さず。張涉はかつて東宮の侍読であった。忠臣曰く「陛下は貴きこと天子たるに、先生が財乏しきを以て法に触るるは、過ちにあらず」と。帝の意解け、張涉を免じて田里に帰す。湖南観察使辛京杲が私怨により部曲を殺す。有司が劾して死に当たるとす。忠臣曰く「京杲は死すべきこと久し」と。帝が故を問うと、対えて曰く「京杲の諸父は某所で戦死し、兄弟は某所で戦死せり。彼のみ従行して独り存するをもって、故に知る」と。帝は凄然として悟り、これを釈し、王傅に除す。

忠臣は愚直にして書を通ぜず。帝嘗て曰く「卿の耳大なり、真に貴兆なり」と。対えて曰く「臣聞く、驢の耳は大なり、龍の耳は小なりと」と。帝はその野鄙にして誠実なるを喜ぶ。然れども既に兵を失い、怫鬱として顧みず。朱泚が反すと、偽って司空兼侍中に署す。泚が奉天を攻むるに、忠臣をして居守らしむ。泚敗れ、有司に繋がれ、その子とともに斬らる。

喬琳

喬琳、へい州太原の人。少くして孤苦、志学し、進士第に擢でる。性誕蕩にして礼儀を検せず。郭子儀が表して朔方府掌書記とす。同舎の畢曜と相掉訐し、巴州司戸参軍に貶せらる。果・綿・遂・懷の四州刺史を歴任し、治めは寛簡にして、事に親しまず。嘗て録事参軍任紹業に謂いて曰く「子は一州を綱紀す、能く刺史を劾すや」と。紹業は条としてその過失を示す。驚いて曰く「能く吾が失を知る、御史の材なり」と。

琳は平素より蒲人の張涉と善し。張涉は国子博士として太子に侍読し、太子即位すると、政事を訪ね召され、日を淹さず、詔して翰林に入り、散騎常侍に遷る。琳を宰相に任ずるを薦め、乃ち御史大夫・同中書門下平章事を拝す。天下愕然としてこれを駭る。琳は年高く且つ聵き、毎たび進封するに次を失い、言うところ帝の旨に厭わず、在位八十日を閲し、工部尚書を以て罷む。帝はここにおいて亦張涉を疎んず。

琳は従って奉天に幸し、再び太子少師に遷る。進んで梁州に幸するに及び、盩厔に次ぎ、詭りて馬が疲れて進まずと曰う。帝は平素より旧老として礼し、乗輿の馬を給すも、病力と辞す。帝はその執る策に賜いて曰く「勉めて良図せよ、卿と別る」と。数日を経ず、髯を祝い仙遊の仏廬に発つ。泚聞き、数十騎を遣わしてこれを取り、吏部尚書に署し、姻家の源休に命じて朝服を衣せしめ、肉を食わしむ。琳もまた辞せず。士に官の便ならざるを訴うる者有り。琳曰く「子はこの選が便なりと謂うか」と。京師を収むるに及び、李晟その老を憫れみ、表して死を赦さんことを請う。帝曰く「琳は故宰相、節を失い義に背く、赦すべからず」と。臨刑に嘆じて曰く「我は七月七日に生まる、この日に死する、命にあらざるか」と。

時にまた蔣鎮という者あり、蔣洌の子なり、兄の蔣鏈とともに文辞を以て顕る。賢良方正科に擢でられ、累転して諫議大夫となる。大暦年中、淫雨にて河中の鹽池を壞し、味苦く惡し。韓滉、度支を判じ、常賦の減ずるを慮り、妄りに池に瑞鹽生ず、王者の德の美祥なりと云ふ。代宗、然らずと疑ひ、鎮をして驛を馳せて按視せしむ。鎮、内に滉と結ばんと欲し、故に其の事を實とし、祠房を置くを表し、池を號して「寶應靈慶」と曰ふと云ふ。再び工部侍郎に進む。妹婿の源溥は、源休の弟なり、故に鎮は休と交はる。朱泚叛き、鄠に竄る、足を傷ひて進む能はず。泚先づ鏈を得、而して鎮の左右逃げ歸り、在る所を語る、源休聞き、泚に白し、二百騎を以て之を求得つ。免れざるを知り、刃を懷ひ將に自ら刺さんとす、鏈之を止む。復た出奔を謀るも、懦くして決せず。中朝の臣遁伏する者、休多く誅殺す、鎮の救ひ原ふに賴りて十五人あり。初め、洌と弟の渙、安史の時に在りて皆偽官に汚れ、鏈兄弟復た賊に屈節すと云ふ。

高駢

高駢、字は千里、南平郡王高崇文の孫なり。家世禁衛にあり、幼より頗る修飭し、節を折りて文學を爲し、諸儒と交はり、硁硁として治道を譚じ、兩軍の中人更に之を稱譽す。朱叔明に事へて司馬と爲る。二雕並び飛ぶ有り、駢曰く「我且に貴く、當に之を中てん」と。一發して二雕を貫く、眾大いに驚き、「落雕侍御」と號す。後に歷て右神策軍都虞候と爲る。党項叛き、禁兵萬人を率ひて長武に戍る。是の時諸將功無く、唯だ駢數へて奇を用ひ、殺獲甚だ多し。懿宗之を嘉し、秦州に徙り屯し、即ち刺史兼防禦使を拜す。河・渭二州を取り、鳳林關を略定し、虜萬餘人を降す。

咸通年中、帝將に安南を復せんとし、駢を都護と爲し、召して還し京師に、靈臺殿に見ゆ。是に於て容管經略使張茵賊を討たず、更に茵の兵を駢に授く。駢江を過ぎ、監軍李維周に繼ぎ進むを約す。維周眾を擁して海門に壁し、駢峰州に次ぎ、大いに南詔蠻を破り、獲る所を收めて軍を贍ふ。維周之を忌み、捷書を匿して奏せず。朝廷駢の問ふこと百餘日を知らず、詔して狀を問ふ。維周駢の敵を玩び進まずと劾し、更に右武衛將軍王晏權を命じて往きて駢に代はしむ。俄にして駢安南を拔き、蠻帥段酋遷を斬り、降附する諸洞二萬計。晏權方に維周を挾みて海門を發し、駢に檄して北歸せしむ。而して駢王惠贊を遣はし酋遷の首を京師に傳へしむ、艟艫甚だ盛んなるを見れば、乃ち晏權等なり、惠贊其の書を奪はるるを懼れ、島中に匿れ、間關して京師に至る。天子書を覽し、宣政殿に御し、群臣皆賀し、大赦天下す。駢を進めて檢校刑部尚書と爲し、仍く安南に鎮し、都護府を以て靜海軍と爲し、駢に節度を授け、諸道行營招討使を兼ぬ。始めて安南城を築く。安南より廣州に至るまで、江漕梗險にして、巨石多し、駢工を募りて刂治せしむ、是に由りて舟濟安行し、儲餉畢く給す。又使者歲至る、乃ち道五所を鑿ち、兵を置きて護送す。其の徑青石なる者は、或ひは傳ふ馬援の治むる能はざる所と。既に之を攻むるに、其の石を震碎する有り、乃ち通ずるを得、因りて道を名づけて「天威」と曰ふと云ふ。檢校尚書右僕射を加ふ。

駢の戰ふに、其の從孫の高潯常に先鋒として矢石を冒し以て士を勸む。駢天平に徙り節し、潯を薦めて自ら代はらしむ、詔して交州節度使を拜す。僖宗立ち、即ち其の軍に同中書門下平章事を加ふ。

南詔巂州を寇し、成都を掠め、駢を徙めて劍南西川節度と爲し、傳に乘じて軍に詣らしむ。劍門に及び、城を開くを下令し、民を縱ち出入せしむ。左右諫めて曰く「寇近くに在り、脱ひ大いに掠めば、悔ひむ可からず」と。駢曰く「吾が安南に在りて賊三十萬を破りしに屬り、驃信我が至るを聞けば、尚ほ敢へてせんや」と。是の時に當りて、蠻雅州を攻め、廬山に壁す、駢の至るを聞き、亟に解き去る。駢即ち驃信に檄を移し、兵を勒して之に從ふ。驃信大いに懼れ、質子を送りて朝に入り、寇さざるを約す。

蜀の土惡しく、成都城歲に壞る、駢磚甓を以て之に易へ、陴堞完く新たにし、城に負ふ丘陵悉く墾き平らげ之を以て農桑に便す。功を訖へ、之を筮るに《大畜》を得たり。駢曰く「畜は養なり。剛健篤實を以て濟ひ、輝光日新たなり、吉孰か大なるか是れに大ならん。文宜しく下を去り上を存すべし」と。因りて大玄城と名づく。檢校司徒しとに進み、燕國公に封ぜられ、荊南節度に徙る。

梁纘は、本昭義の兵を以て西に戍りし者、駢表して麾下に隷せしむ。王仙芝の敗れ、殘黨江を過ぐ、帝駢の鄆を治むるに威化大に行はれ、且つ仙芝の黨皆鄆人なるを以てし、故に駢に鎮海節度使を授く。駢將張潾を遣はし纘と分兵して窮討せしめ、其のぎょう帥畢師鐸數十人を降し、賊嶺表に走る。帝其の功を美し、諸道行營都統・鹽鐵轉運等使を加ふ。又詔して駢に官軍義營鄉團を料せしめ、其の老弱傷夷を歸し、軍食を裁制せしめ、刺史以下小罪は輒ち罰し、大罪は以て聞かしむ。賊更に黃巢を推して南に廣州を陷す、駢建てて潾を遣はし兵五千を以て郴に屯し賊の西路を扼せしめ、留後王重任をして兵八千を以て海に並び進み循・潮を援はしめ、自ら萬人を將ひ大庾を繇りて賊を廣州に擊たしめ、且つ荊南王鐸の兵三萬を起し桂・永に壁せしめ、邕管の兵五千を以て端州に壁せしめば、則ち賊遺類無からんことを請ふ。帝其の策を納るれども、而して駢卒に行はず。

まもなく淮南節度副大使に転ず。駢は城壘を修繕し、軍及び土客を募り、鋭士七万を得て、乃ち檄を伝えて天下の兵を召し、共に賊を討たんとし、威は一時に震い、天子は倚りて以て重しと為す。広明初、潾は賊の大雲倉を破り、詐りて巢に降る。巢は其の襲撃を意にせず、遂に大いに奔り、残党を率いて上饒に壁す、然れども衆は幾ばくも亡し。疫癘の起こるに会し、人死亡し、潾進みて之を撃つ、巢大いに懼れ、金を以て潾を啖い、駢に書を騰して、帰命を丐う。駢之を信じ、節度を求むるを許す。此の時に当たり、昭義・武寧・義武の兵数万淮南に赴く、駢は己が功を専らにせんと欲し、即ち奏して賊已に破れ、大兵を須いずとす。詔有りて班師す。巢兵罷まるを知り、即ち駢の請戦を絶ち、潾を撃殺し、勝に乗じて江を度り天長を攻む。

初め、巢広州に在り、天平節度を求めしに、宰相廬攜は駢を善しとし、討賊の功有るを以て、肯て巢を赦さず、鄭畋と朝に争う、故に巢は節度を得ざるを怨む。而して駢は議の一ならざるを聞き、亦平らかならず、是に至りて賊を縦たんと欲して以て朝廷を聳えしめ、然る後に功を立てんとす。畢師鐸諫めて曰く、「朝廷の恃む所、誰か公に易き有らん。賊を制する要害、淮南に先んずる莫し。今要津に拠らずして賊を滅さず、北度せしむれば、必ず中原を乱らん」と。駢矍然として、将に出師せんと下令す。嬖将呂用之は師鐸の功有るを畏れ、諫めて曰く、「公の勲業極まれり、賊未だ殄らず、朝廷且つ口語有らん。況んや賊平らぎ、震主の威を挟み、安くにか税駕せん。釁を観て福を求むるに如かず、不朽の資と為さん」と。駢其の計に入り、疾を托して未だ出屯すべからずとし、兵を厳にして境を保つ。巢は滁・和を据え、広陵を去ること纔か数百里、乃ち陳許に援を求む。

巢揚州に逼り、衆十五万。駢の将曹全晸は兵五千を以て戦い利あらず、泗州に壁して援を待つ、駢の兵終に出でず。賊北に河洛に趨る、天子は使者を遣わして駢を促して賊を討たしむ、冠蓋相望む。俄にして両京陥つ、天子猶駢の功を立てんことを冀い、眷寄未だ衰えず、詔して刺史若しくは諸将功有らば、監察御史より常侍に至るまで、墨制を許して除授す。尋いで進みて検校太尉、東面都統、京西・京北神策軍諸道兵馬等使と為す。会に二雉署寢に雊く、占者曰く、「軍府将に空しからん」と。駢之を悪み、悉く兵を出して東塘に営し、舟二千艘、戈鎧完銳にして、日々金鼓を討ち、以て士の志を侈らす。浙西節度使周寶と檄を交わし、連和して西せんと欲す、寶大いに喜ぶ。寶に謂う者有り、「彼は江東を併せて孫策の三分の計と為さんと欲す」と。寶未だ之を信ぜず。俄にして駢は寶を請うて軍に至り事を議せんとす、寶怒り、疾を辞して出でず、釁隙遂に構う。駢は東塘に百日屯し、寶及び浙東の劉漢宏将に不利を為さんと托し、乃ち還り、以て其の変に応ず。

帝は駢に出兵の意無きを知り、天下益々殆し。乃ち王鐸を以て代わりに都統と為し、崔安潛を以て之を副えしむ。詔して韋昭度に諸道塩鉄転運使を領せしめ、駢に侍中を加え、実戸一百を増し、渤海郡王に封ず。駢は兵柄利権を失い、袂を攘げて大いに詬い、即ち上書して謾言恭しからず、鐸を詆して乃ち敗軍の将とし、而して安潛は狼貪なり、橈敗する有ること有らば、千古の悔を詒すと。又更始の刮席、子嬰の軹道の事を引きて以て帝を激す。帝怒り、詔を下して切責す。此の時に当たり、王室微にして、帯の如く絶えず。駢都統たりしこと三年、尺寸の功無く、国が顛はいするを幸い、大いに兵を料り、陰に割拠を図るも、一旦勢を失い、威望頓に尽き、故に醜悖を肆にして、天子を脅邀し、冀くは故の権を復せんとす。而して呉人の顧雲は文辞を以て縁りて其の奸を沢し、偃然として忌畏する所無し。又帝に請うて南幸江淮せんとす。会に賊平らぐ、駢聞き、気を縮めて悵恨し、部下多く叛き去り、郁郁として聊か無く、乃ち篤意神仙を求め、軍事を用之に属す。

用之は、鄱陽の人、世々商儈を為し、往来広陵し、諸賈に得たり。既に孤となり、舅の家に依り、其の室を盗み私し、九華山に亡命し、方士牛弘徽に事え、鬼を役する術を得、広陵の市に薬を売る。始め駢の親将俞公楚に詣り、其の術を験し、因りて駢に見え、幕府に署し、稍く右職を補す。用之は既に少賤にして、閭裏の利病・吏の得失を具に知り、頗る班班として政事を言い、左道を将うるを以て、駢愈々之を器す。乃ち広く朋党を樹て、駢の動息を刺知し、金帛を持ちて還り左右を結び、日々誕妄を為して以て駢を動かす。又狂人諸葛殷・張守一を薦めて長年の方と為し、並びに牙将に署す。初め、殷将に見えんとするに、用之紿いて曰く、「上帝は公を以て人臣と為し、機事の廢るるを慮い、神人をして来たりて羽翼を備えしめ、且つ職を以て之を縻すべし」と。明日、殷は褐衣を以て見え、辯詐窮まり無く、駢大いに驚き、「葛将軍」と号す。其の陰狡は用之を過ぐること遠し。大賈有りて居第華壯なるを、殷之を求めて得ず、駢に謂いて曰く、「城中且つ妖有らん、壇を築きて之を禳卻すべし」と。因りて賈の居を指す。駢は吏に敕して即日駆徙せしめ、殷入りて之に居す。

駢は迎仙等の楼を造り、皆広高八十尺、金珠渠玉を以て飾り、侍女は羽衣を衣、新声に曲を度し、以て鈞天に擬え、其上に薰齋して、仙と接せんことを祈る。用之は自ら仙真と通ずと謂い、駢に対し風雨を叱咤し、或いは空を望みて顧揖再拜し、言語俚近にして、左右或いは窃に議すれば、輒ち之を殺し、後敢えて口を出す者無し。蕭勝は用之に賄を納め、塩城監を求めしに、駢肯わず。用之曰く、「仙人言う、塩城に宝剣有り、須らく真人之を取るべし、唯だ勝のみ往くべし」と。駢許諾す。数月、勝は銅の匕首を献ず、用之曰く、「此れ北帝の佩く所なり、之を得る者は兵敢えて犯さず」と。駢之を宝秘し、常に持して坐起す。用之は其の術窮まり且つ詰めらるるを憚り、乃ち青石の手板を刻みて龍蛇隠起せしめ、文に曰く「帝駢に賜う」と。人をして潜かに機上に植えしむ、駢之を得て大いに喜ぶ。鵠を廷中に寓し、機関を設け、人に触れば則ち飛動し、駢は羽服を衣、之に乗じて仙去する状を為す。用之は其の奸を擿く者有らんことを懼れ、乃ち曰く、「仙人当に下るべし、但だ学者の真気虧沮するを患うるのみ」と。駢始めて人間の事を棄て、妾媵を絶ち、将吏と雖も見ることを得ず。客至れば、先づ薰濯を遣わし、方士に詣りて祓除せしめ、之を解穢と謂い、少選して即ち引去す。是より内外敢えて言う者無く、惟だ梁纘のみ屢駢に為に言うも、駢聴かず。纘懼れ、領する所の兵を解き、駢は其の軍を昭義に還し、纘復た事えず。

用之事既に自ら任ずるや、淫刑重賦にして、人々乱を思う。乃ち廃吏百余を擢げて、「察子」と号し、厚く稟食を与え、衢哄の間に居らしめ、凡そ民の私鬩隠語知らざる莫く、道路口を箝す。悪む所の者数百族を誅す。又卒二万を募りて、左・右「鏌邪軍」と為し、守一と分ち総べ、官属を置くこと駢の府の如し。用之の出入する毎に、騶禦千人に至る;大第を建て、軍胥営署皆備わる。百尺楼を建て、雲に托して星を占うと称し、実は城中の変有る者を窺伺す。左右の姫侍百余、皆娟秀光麗にして、歌舞に善くし、巾を束帯して以て侍す。月二十宴、其の費民に仰ぎ、足らざれば、度支の運物を苛留するに至る。人を誘いて上変せしめ、則ち貲産を入れて罪を贖うことを許す。俞公楚数回其の失を規戒す、聴かず。姚帰礼之を謀殺せんとす、克たず。用之因りて二人を駢に譖え、驍雄兵三千を以て外に盗を督めしめ、密かに兵をして之を襲わしめ、挙師殲せしむ。駢の従子澞密かに用之の罪を疏し、駢を諫めて曰く、「之を除かざれば、高氏将に種無からん。」駢怒り、左右を命じて扶出せしめ、状を以て用之に授く。用之澞を誣いて貣貰満たす能わず、故に妄言すと。因りて澞の筆を出して之を験す、駢吏を敕して澞の出入を禁ぜしむ。俄に舒州刺史を署し、未幾下に逐われ、用之の之を構うるなり。駢人をして澞を殺さしむ。

嗣襄王煴の乱、駢上書して進むを勧め、偽り駢を中書令・諸道兵馬都統・江淮塩鉄転運使に仮し、用之を嶺南節度使と為す。駢久しく觖望す、此に至りて大いに喜び、貢賦絶えず。用之始めて府を開き官属を置き、礼駢と均し。鄭杞・董僅・吳邁を以て腹心と為し、駢の親信皆偪して己に附かしめ、政事未だ嘗て駢に関決せず。駢内に悔い、其の権を収めんと欲す、能わず。用之杞・僅に計を問う、謀りて駢を請いて其の第に斎せしめ、密かに之を縊り、升天と紿す、事克たず。

光啓三年、蔡賊孫儒兵定遠を略し、声言して淮を渉ると。寿州刺史張翺奔りて駢に告ぐ、畢師鐸を命じて騎三百を率い高郵に戍らしむ。師鐸は、故に仙芝の党、善騎射を以て称せらる。駢浙西に於いて巣を敗り、其の力を用う、故に寵待絶等。用之厚く利を以て啖い、其の諧附せんと欲す、然れども情を肯ぜず。師鐸妾美有り、用之請いて見んとす、不可、其の出づるを狙い、観る、怒りて之を棄つ;内に忿懼し、子を為して高郵将張神劍に結婚し、陰に倚りて援と為す。朱全忠方に秦宗権を攻む、駢其の奔突を慮り、師鐸をして兵を率い都梁山を踰えしむ、賊を見ずして還る。師鐸駢府の宿将多く以て讒死するを見、甚だ憂う。用之益々礼を加う、師鐸愈々恐れ、神劍に謀る。神劍其の言を然らず、而して猜嫌日を結ぶ。用之亦其の変を慮り、内に之を除かんと欲し、亟に屯を罷めんと請う。其の母密かに師鐸を擿して去らしめ、曰く、「家室を顧みる毋れ。」師鐸憂え、出づる所を知らず。而して駢の子用之の専恣を怒り、師鐸と諸将の其の奸を発するを覬い、使を遣わして師鐸に謂いて曰く、「用之此の行を因りて君を図らんと欲し、既に書を神劍に授けたり、君其れ之を備えよ!」師鐸驚き、軍中稍稍伝言す。諸将介して見え、神劍を殺し、並びに其の軍を請い、市人を駆りて以て乱を済さんとす。師鐸曰く、「不可、我若し重ねて百姓を擾さば、復た一の用之なり。鄭漢璋素より我と善くし、兵精士強く、用の用事を以て、常に平らかならず。今若し之に謀を告げば、彼必ず喜ばん、則ち事済まん。」衆之を然りとす。神劍未だ知らず、方に牛を椎き酒を釃し、且つ将に師を犒わんとす。師鐸潜師夜に出づ、士皆絳繒を以て首を抹し、且つ行き且つ掠む。漢璋聞き、麾下を以て出迎え、師鐸計を以て諗す、大いに喜ぶ。其の妻を留めて淮口を守らしめ、兵及び亡命数千を帥いて高郵に至り、神劍を見、其の変を詰む、神劍辞して知らずとす。師鐸語稍々侵す、神劍目を瞋して曰く、「大夫何ぞ計の晚きや!彼一の妖人、前に嶺南節を仮すも、行かず、誌は淮海を図り、令君既に魄を奪わる、彼一日志を得ば、吾能く刀頭を握りて北面して之に事えんや!吾前に君の意を量らず、故に口に出さず、尚何ぞ疑わん?」漢璋喜び、酒を取り臂の血を割いて盟し、師鐸を推して大丞相と為し、誓を作りて神に告げ、乃ち檄を州県に移し、以て呂用之・張守一・諸葛殷を誅するを名とす。神劍高郵の兵諸校倪詳・褾並びに天長の子弟を以て会し、唐宏を先鋒と為し、駱玄真騎を主り、趙簡徒を主り、王朗殿と為し、勝兵三千を得。将に発せんとす、神劍中に悔い、繆りて曰く、「公の兵精なれども、然れども城堅く、旬日下らざれば則ち糧乏しく、衆心揺らがん。神劍請う軍を高郵に按じ、公の為に声援し而して糧道を督えん。」師鐸曰く、「民稟尚ほ多し、何ぞ資儲を患えん?城中携離して闘志無く、何事ぞ声援を為さん?君の意行わずんば、孰か敢て違わん?」漢璋内に神劍を忌み、恐らくは己が下に為らざらんと、計を許すを勧め、城破れて玉帛子女を共にするを約す。

其の四月、兵城に傅き、其の下に営す。城中駭乱し、用之分兵して守り、且つ自ら戦を督う。令して曰く、「一級を斬れば、金一餅を賞す。」士多く山東の人、堅悍頗る命を用う。師鐸懼れ、退きて舎し自ら固む。用之稍々諸門を堙塞す。駢延和閣に登り、囂しき甚だしきを聞き、左右其の故を告ぐ、大いに驚き、用之を召して状を問う、徐に曰く、「師鐸の衆帰を思い、門衛に軋せられしのみ、随に已に処置せり、爾らざれば、玄女の一符を煩わさん!」駢曰く、「吾爾の誕の多きを覚ゆ、善く自ら之を為せ、吾をして周宝と為さしむる勿れ!」時に宝已に下に逐われ出奔して雲に在り。用之慚じ、復た言有ること無し。師鐸城未だ下らざるを見、頗る懼れ、宣州秦彦に求救し、事平らかにして以て駢に代えんを迎うるを約す。

駢数回用之を責めて曰く、「始め吾心腹を以て君を任ず、君下を禦するに方無く、卒に我を誤る。今百姓饑饉す、虐用す可からず、当に大将を遣わし吾が書を賫いて之を諭し、兵を罷めしむべし。」用之諸将用いられざるを疑い、其の党許戡を以て書を奉じて往かしむ。始め師鐸駢の宿将を令して軍を労する意、因りて口を以て用之の罪を陳ずるを得んとす。及び戡至るや、大いに怒りて曰く、「梁纘・韓問安在にか?若何ぞ庸より来る!」即ち之を斬る。乃ち書を系して城内に射る、用之発せず、即ち之を火す。它日甲士百人を以て入謁す、駢驚き内寢に匿れ、少選して乃ち出で、叱して曰く、「反に非ざるを得んや?」左右を命じて駆出す。用の南門に至るや、策を挙げて曰く、「吾復た是に入らず!」始めて駢と貳す。

師鐸揚子に壁し、民の廬舎を発して攻具を治む。用之大いに居人の馬及び丁壮を索め、驍将長刀を以て擁脅して城に乗じ、昼夜休息を得ず。又間と為すを疑い、数回区処を易え、家に饌餉有るも、皆相失い、饑死する者相枕藉するに至る。駢大将古鍔を召し師鐸の母の書及び其の子を賫いて出で諭さしむ、師鐸子を遣わして還し曰く、「敢えて恩に負かず、朝に兇人を斬り、夕に屯に還らん、妻子を以て質と為さんことを願う。」駢用の其の家を屠るを恐れ、乃ち収めて署中に置く。会う秦彦秦稠を遣わし兵を率いて師鐸と合わし、攻め益々急なり、陴を守る者夜南柵を焚きて以て外に応ず、師鐸入る、守将張全乃ち戦死し、用の三橋に距り、殺傷相当す。駢の従子傑牙兵を率いて将に用のを執りて師鐸に畀えんとす、左鏌邪兵復た其の後を断つ、用の懼れ、乃ち出奔す。

駢は梁纘を召して謝して曰く、「初め子の計を用いざるによりて此に及ぶ、何ぞ追わんや」と。兵を授けて、子城を守らしむ。遅明に師鐸は火を放ち大いに掠奪し、駢は乃ち備えを撤し、服を改めて其の入るを待つ。師鐸は延和閣に至り、駢は之を賓客の如く待遇し、即ち師鐸を節度副使に署し、漢璋・神劍は次第に官職を授けられ、秦稠は府庫を封じて待ち、師鐸は丞相の号を去る。時に何衛未だ謹まず、駢の愛将申及、駢に説いて曰く、「逆人の兵少しく弛む、願わくは公に奉じて夜に出で、諸鎮の兵を発し、還って大恥を刷さん。賊は平らぐに足らず。若し決せざれば、則ち及は将に公に侍ることを得ざらん」と。因りて涙下る。駢は恇怯にして其の策を用いる能わず、及は乃ち匿れて去る。

師鐸は用之の支党数十人を誅し、孫約をして秦彥を迎えしむ。彥は、徐州の人、本名は立、伍籍に隷す。乾符中、盗みを以て獄に繋がれ且つ死せんとす。夢に呼ばれて曰く、「秦彥、而して我に従いて去れ」と。覚めて械を視るに破れ、因りて亡命を得、即ち彥と名乗る。徒百人を聚め、下邳の令を殺し、其の資を取って、黄巢の党に入る。既に敗れ、許して駢に降り、累表和州刺史。中和初、宣歙観察使竇潏病み、彥は襲いて之に代わる。師鐸の彥を召すや、或る計りて曰く、「足下向に妖人を誅す、故に下民楽しんで従う。今軍府已に安んず、宜しく政を高公に還すべし。足下は身兵を典とし、権は掌握に在り、四隣之を聞けば、大義を失わず、諸将未だ敢て謀らざらん。若し彥をして帥たらしめば、兵は足下に有るに非ざるなり。且つ秦稠は府庫を封ず、勢已に相疑う。足下彥に厚徳あらんと欲せば、宜しく金玉子女を以て之に報い、江を渡るを聴く勿れ。仮令足下能く彥を下すとも、楊行密夕に聞きて朝には必ず至らん」と。師鐸決せず、以て漢璋に告ぐ。漢璋曰く、「善し」と。

師鐸は駢を出だし、南第に囚う。稠の麾下は求むるに厭きず、貢奉楼数十楹を焼き、珍宝を取る。初め駢は乾符以来、貢献天子に入らず、資貨山の如く積み、私に郊祀・元会の供帳什器を置き、功巧を殫極す。至是に至り乱兵の為に剽略略尽される。師鐸は駢を東第に徙す。諸葛殷を禽え、腰下に金数斤を得、百姓交々唾し、須髪を抜きて遺す所無く、再び縊りて乃ち絶ゆ。仇家其の目を抉り、市人は瓦礫を投げて屍を撃ち、俄かにして冢を成す。駢は金を出だして守者に遺す。師鐸之を知り、兵を加えて苛く督し、復た囚署中に入れ、子弟十余人同じく之を幽す。顧雲入見す。駢猶自若として曰く、「吾復た此に居る、天時人事必ず在り」と。意は師鐸の復た推立するに在り。

用之既に出で、兵を以て淮口を攻むるも未だ下らず、鄭漢璋之を撃ち、遂に天長に奔る。初め、用之は駢の書を詐り、廬・寿に兵を召す。城陥ち、而して楊行密の兵一万天長に次す。用之自ら帰す。

張神劍、師鐸に賂を求む。彥未だ至らざるを以て辞す。神劍怒り、別将高と将に師鐸を攻めんとす。彥の来るや、池州刺史趙锽を召して宣を守らしめ、自ら将いて揚州に入り、節度使を称し、師鐸を行軍司馬と為し、用之の第に居らしめ、牙中に在ることを得ざらしむ。師鐸怏怏として志を失う。行密は神劍等と連和し、江北より槐家橋に至り、柵壘相聯る。彥城に登りて之を望み、色沮み、乃ち鄭漢璋・唐宏等に兵を授けて門に屯し、樵蘇の道絶え、食且に乏し。稠及び師鐸は勁卒八千を以て出戦す。大いに敗れ、稠死す。士奔溺して死する者十の八。彥大いに金を出だして張雄に求救む。雄兵を引いて東塘に至り、金を得て、戦わずして去る。彥は師鐸に兵二万を率いしめて城下に陣せしめ、漢璋を前鋒と為し、宏之に次ぎ、駱玄真・樊約又之に次ぎ、師鐸・王朗は騎を以て左右翼と為す。既に列を成し、久しくして、行密乃ち出で、輜重を壁に委ね、羸兵を以て之を守り、精卒数千を其の旁に伏す。行密先ず玄真を犯し、短兵接し、偽りて北す。師鐸諸軍其の壁に奔り、争って金玉資糧を取る。伏兵噪きて出で、行密は軽兵を引いて其の尾を躡い、俘殺旁午し、横屍十里。師鐸等奔還し、玄真戦死す。師鐸は雅に玄真の驍敢にして能く敵を拒ぐを倚りて恃み、既に之を失い、惋沮弥日、復た出戦を議せず。

駢久しく囚拘され、供億窘狹、群奴は延和閣の闌楯を徹して薪と為し、革帯を煮て以て食す。駢は幕府盧涚を召して曰く、「予粗く功を立て、比来清浄を求め、此の世と利害を争うに非ず。今而して此に及ぶ、神道何をか望まんや」と。涕下りて已む能わず。師鐸既に敗れ、駢の内応を慮る。女巫王奉仙有りて師鐸に謂いて曰く、「揚州に災有り、大人死すべし、以て厭う可し」と。彥曰く、「高公に非ざるや」と。左右陳賞等を命じて往きて之を殺さしむ。侍者賊有りと白す。駢曰く、「此れ必ず秦彥の来るなり」と。正色して之を須つ。衆入る。駢罵して曰く、「軍事には監軍及び諸将有り、何ぞ遽爾なる」と。衆辟易す。奮いて駢を撃つ者有り、廷下に曳きて之を数えて曰く、「公は天子の恩を負い、人を塗炭に陷る。罪多し。尚何をか雲わん」と。駢未だ答うる暇無く、首を仰ぎて何か伺う所有るが如し。即ち之を斬る。左右の奴客遁れて行密に帰す。行密は挙軍縞素し、大いに臨みて祭り、独り用之のみ縗服して三日哭す。

彥屡敗し、軍気摧喪し、師鐸と膝を抱いて相視みて他略無く、更に奉仙に問う。賞罰軽重皆自ら出づ。彥は漢璋を遣わして神劍を撃たしめ、之を破る。神劍は高郵に奔る。漢璋窮追せんと欲す。会うこと大雨、還る。行密は城尚ほ堅く、師且に老ゆと以て、解去を議す。用之の裨将、晨に兵を四壕に伏せ、守者の休代を伺い、引いて登り、数十人を門に於いて殺し、以て外兵を招く。守軍も亦厭苦し、皆兵を委ねて潰ゆ。師鐸は其の家及び彥と東塘に奔る。人争い出で、相騰藉して死し、壕塹幾ば満つ。王朗踣れて殞る。行密既に入り、梁纘を牙門に於いて殺し、高氏の難に死せざるを以てす。韓問之を聞き、井に赴きて死す。居人は臒惙奄奄たり。兵は暴を加うるに忍びず、反って余糧を斥けて之を救う。

彥・師鐸は唐宏・倪詳と白砂を焚き、将に江を渡らんとす。会うこと秦宗權、孫儒をして兵三万を引きて揚州を襲わしむ。天長に次す。彥等之と合し、還って行密を攻め、行密の輜重牛羊数千を計りて取る。儒は食乏しきを以て、乃ち高郵を屠り、之を据う。張神劍奔還す。行密之に館を授く。而して高郵の戍兵七百潰えて来る。行密は謀有りと責め、悉く撃ち殺し、因りて神劍を殺す。用之初め行密に詐りて曰く、「廡下に瘞金五千斤有り、事平らぎて願わくは一日の乏しきを備えん」と。行密地を掘るも埋金無く、但だ銅人三尺を得るのみ。身は桎梏し、釘其の口を刺し、駢の名を背に刻む。蓋し用いて蠱を以て駢を厭わしむるなり。行密其の罪を責め、並びに張守一を三橋に斬り、妻子皆死す。其の罪を路に著す。

儒は城を攻めて未だ志を得ず、彦・師鐸に異謀あるを慮り、徐々に其の兵を併せんとす。唐宏は免れ難からんと度り、即ち儒に告げて曰く、「師鐸密かに人を汴に遣わす」と。儒大いに恐る。明日、彦・師鐸・漢璋を召して軍中に会せしむ。彦・師鐸先づ至る。壮士之を捽ちて儒の所に至らしむ。儒は彦に駢に反する罪を質し、之を斬る。師鐸に至りては、呼びて曰く、「丈夫成れば則ち王、敗れば則ち虜、君何ぞ多く責めんとするや。吾嘗て数万の兵を将たり、常人の手に死せず、公の剣を得ば、瞑目す」と。儒罵して曰く、「庸賊我が手を汚さんと欲するか」と。趣いて之を斬らしむ。漢璋至りて、臂を奮って数人を撃殺し、乃ち死す。身首糜散す。儒は宏をして騎兵を主らしめ、厚く之に賜う。文徳元年、儒は行密の糧乏しきを行間し、高郵より之を襲う。行密は其の衆を抜きて廬州に還る。儒遂に揚州を拠る。

駢の死するや、故氈を以て裹み、子弟七人と一坎に而して瘞す。行密は駢の孫愈を擢げて副使と為し、喪事を主らしむるを令す。未だ葬るに克たず、愈暴死す。是に至りて故吏鄺師虔之を収葬す。

揚州は雄富天下に冠たり。師鐸・行密・儒より送り攻め送り守り、市落を焚き、民人を剽し、兵饋相仍い、其の地遂に空し。

朱玫

朱玫は邠州の人なり。少にして材武を以て州の戍将と為る。黄巢長安ちょうあんを盗む。王玫と為る者有りて偽節度使と為り、方に兵を調う。玫陽に之に事え、間を乗じて王玫を斬り、留後を李重古に譲り、兵を合して討たんことを約す。広明二年、玫賊を襲い、開遠門に戦い、槍咽を洞し、死せず。多きを以て晋州刺史に擢げられ、進みて邠寧節度使と為り、涇・原・岐・隴の兵八万を合して興平に屯し、定国砦と号す。澇上に戦い、敗走して邠に至る。詔して霊・塩の軍を益し、河南都統を拝す。兵を引き中橋に屯し、五壁を列ね、進みて西北面都統と為る。賊平ぎ、同中書門下平章事を授けられ、呉興侯に封ぜらる。

田令孜王重栄を討たんことを議し、兵を玫に属し、鄜・延・霊・夏の軍三万を合して沙苑を保たしむ。重栄上疏して玫・令孜の誅を乞う。既に戦い、玫輒ち北し、因って軍を縦して還り掠めしむ。僖宗蒼黄として鳳翔に幸し其の鋒を避く。玫反って重栄・李克用と連和し、令孜の誅を請う。宰相蕭遘密かに玫を召して帝を迎えしむ。玫鳳翔に趨る。令孜乗輿を劫して陳倉に走り、遂に興元に至る。玫追いて及ばず、嗣襄王煴を劫し、奉じて帝と為す。玫自ら大丞相と号し、専ら万機を決す。

始め李昌符と共に煴を挟まんことを謀る。是に至りて反って讎と為る。昌符乃ち自ら天子に帰す。人心浸く離る。王行瑜の大唐峰に敗るるに及び、帰りて且に殺さるるを懼れ、又聞く、能く玫を得る者に邠寧節度を以て之に畀うと。行瑜其の下に謂ひて曰く、「今敗れて帰らば必ず功無きを以て死せん。若し玫を斬り、北軍と天子を迎へ、富貴を取らば、可ならんや」と。衆曰く、「諾」と。即ち兵を勒し道を倍して長安に趨る。玫孔緯の第に居り、方に几に据りて事を署す。兵入るを聞き、趣いて行瑜を召し叱して曰く、「公擅に帰る、反か」と。行瑜声を厲して曰く、「我は反する者に非ず、将に君が首を得て邠寧節度と為らんとするのみ」と。玫遽かに起つ。左右之を斬り、其の徒数百を殺す。諸軍遂に大乱し、京師を焼く。時に盛寒なり。吏民剽兌攵せられ、僵死の屍相藉す。即ち首を興元に伝う。帝為に俘馘を受く。宦者偽樞密使王能著等皆坐して誅さる。

王行瑜

王行瑜は邠州の人なり。少にして軍に隷し、朱玫に従いて列校と為り、黄巢を討うこと数功有り。煴即位し、行瑜に天平節度使を授け、兵を率いて大散関を守らしむるを令す。李鋋に破られ、即ち行在に款を奉じ、還りて玫の首を取り以て献じ、邠寧節度使に擢げらる。

景福元年、李茂貞・韓建及び弟同州節度使行実と共に山南に於て楊守亮を討たんことを請い、且つ敢えて度支の費を仰がず、只茂貞に招討の一節を仮せんことを請う。宦官之を難じ、昭宗も亦茂貞等山南を得ば則ち益々横なるを顧み、許さず。行瑜等因って擅に軍を興し之を撃ち取る。

後、茂貞覃王を拒ぎ、宰相を殺す。行瑜参じて力有り、鉄券を賜わる。稍々兵に憑りて跋扈し、尚書令しょうしょれいと為らんことを求む。宰相韋昭度執りて可ならず、但だ尚父の号を加う。行瑜望み甚だし。会に河中王重栄喪有り。李克用其の子珂を以て節度を嗣がしめんことを請う。而して行瑜・建・茂貞は王珙を授けんことを請う。因って各兵を以て闕下に陳べ、天子を廃せんと欲す。克たず、即ち昭度・李磎を殺し、弟行約を留めて宿衛せしむ。克用悉く兵を河に度して行瑜等の罪を問う。行実同州を棄てて長安に趨り、行約と謀りて乗輿を劫せんとす。又克たず、皆邠州に奔る。行瑜梨園に屯す。克用之と戦い、行実等の軍を破り、其の母及び行瑜の子を執り、大校を俘う。帝詔を下して行瑜の官爵を削る。行瑜鋭卒五千を以て龍泉に営す。茂貞其の西に壁す。克用夜精騎を発して餉道を擾す。岐軍走る。行瑜邠州に帰り、城に嬰りて守る。厚く克用に賂して自ら帰らんことを求む。克用軍其の城を環す。行瑜窮し、城に登りて哭きて克用に語りて曰く、「我に罪無し。昨大臣を殺し、天子を脅すは、岐人なり。行実は只宿衛を止む。而して有司妄りに劫遷の罪を以て之に帰す。今公乱を討つ者は、当に茂貞に問うべし。願わくは束身して帰り、天子の命を聴かん」と。克用曰く、「尚父何ぞ自ら卑しむや。吾命を受けて三賊を討つ。公其の一なり。国に帰らんとする者は、当に中より決すべし。老夫敢えて之を専にせんや」と。行瑜免れ難きを度り、悉く族を挙げて慶州に奔る。麾下の為に路に於て斬られ、首を京師に伝う。帝延喜門に禦して之を納る。是に於て乾寧二年なり。其の属二百人、克用朝に献ず。

始め、行瑜乱る。宗正卿李涪盛んに其の忠を陳べ、必ず過ちを悔いんとす。是に至りて帝怒り、嶺南に放死せしむ。

陳敬瑄

陳敬瑄は田令孜の兄なり。少く賤しく、餅師と為り、左神策軍に隷するを得。令孜護軍中尉と為る。敬瑄縁藉して左金吾衛将軍・検校尚書右僕射・西川節度使に擢げらる。性畏慎にして、善く士を撫す。

黄巢乱れ、僖宗奉天に幸す。敬瑄夜監軍梁処厚を召し、号慟して表を奉じて帝を迎え、行宮を繕治す。令孜も亦西幸を倡う。敬瑄兵三千を以て乗輿を護る。冗従内苑の小児先づ至る。敬瑄素より暴横なるを知り、邏士を遣わして之を伺わしむ。諸児臂を連ねて歓咋行宮中す。士之を捕え係ぐ。謼いて曰く、「我は天子に事うる者なり」と。敬瑄五十人を殺し、屍諸衢す。是に由りて道路嘩せず。帝綿州に次ぐ。敬瑄道に於て謁し、酒を進む。帝三たび觴を挙ぐ。進みて検校左僕射・同中書門下平章事と為る。時に雲南叛く。使を遣わして和親せんことを請う。乃ち命を聴く。敬瑄行在の百官諸吏に奉じて乏する者敢えて無し。帝判度支を命ぜんと欲す。固く譲る。再び検校司徒兼侍中を加えられ、梁国公に封ぜらる。弟敬珣を以て閬州刺史と為す。邛州の首望阡能・涪州の叛校韓秀升を討定し、再び進みて兼中書令と為り、潁川郡王に封ぜられ、実封四百戸、一歳の上輸銭及び上都の田宅邸硙各十区を賜い、鉄券十死を恕す。巢平ぎ、潁川王に進み、実戸二百を増す。車駕東す。敬瑄供億豊余し、又進みて検校太師と為る。

俄にして令孜罪を得、敬瑄は端州に流される。時に昭宗立つ、敬瑄は詔を拒み、帝は召して左龍武統軍と為し、宰相韋昭度に代わって節度を領せしむ。使者至る、敬瑄は百姓をして道を遮り耳を剺きて己が功を訴えしめ、且つ鉄券に死を恕すと言わしむ。使者馳せて還る。令孜は敬瑄を勧めて黄頭軍を募り自守の計と為す。

時に王建は閬・利を盗み拠す、故に令孜は建を召す。建は綿州に至り、兵を発して之を拒み、建を激して諸州を攻めしめ、以て朝廷を限らしむ。或る人言う「建は鴟視狼顧、惟だ利を頼みとす、公何ぞ之を用いん」と。聴かず。建は顧彥朗に書を詒ちて曰く「十軍阿父我を召し、太師に依りて一大州を丐わんと欲す」と。即ち孥を梓州に寄せ、身は兵を引きて鹿頭関に入る。敬瑄は納れず、漢州刺史張頊は逆戦し、敗れ、建は漢州に入る。成都は厳しく守り、建は城下に走りて遙かに令孜に謝して曰く「父我を召し、門に及んで我を拒む、尚た誰に容れられん」と。諸将と断髪再拝して辞し曰く「今賊と作らん」と。因りて彦朗に兵を請い、成都を攻め、州県を残掠す。彦朗も亦建を畏れ、表して大臣を請い敬瑄に代わらしむ。建は自ら敬瑄を討ちて罪を贖わんことを請い、詔して永平軍を立て、建に節度使を授け、昭度を行営招討使と為し、山南西道節度使楊守亮之を副え、彦朗を行軍司馬と為す。詔有りて敬瑄の孟昭図を殺せる罪を暴き、官爵を削る。昭度は建をして学射山に屯せしむ、敬瑄は迎戦して克たず、又た蚕厓に戦い、大いに敗る。

龍紀元年、昭度軍中に至り、節を持ちて人を諭し、門を開くことを約す。陴を守る者詬りて曰く「鉄券在り、安んぞ先帝の意に違えんや」と。今孜は城中の戸籍を調べ一人をして城に乗せ、夜は循行し、昼は濠を浚い薪を伐つ。敬瑄は弥牟・徳陽に屯し、二つの壁を樹てて建を拒ぐ。富人をして自ら貲の多少を占めしめ、巨梃を布き、実ならざる者を搒つ、三日とせずして銭を輸すること市の如し。建・昭度は城に傅いて壘を為し、簡州刺史張造は笮橋を攻め、大いに敗れ、之に死す。

大順元年、建は稍々諸州を撃ち降す。邛州刺史毛湘は本より令孜の孔目官、其の下に謂いて曰く「吾は軍容に負くるを忍びず、頭を以て建に見ゆる可し」と。乃ち沐浴して須つ、吏其の首を斬りて降る。敬瑄は浣花に戦い、勝たず、明日又た戦い、将士皆建の俘と為る。城中謀りて降らんとする者、令孜は支解して以て衆を怖しむ。時に大疫有り、死人相藉く。

明年三月、詔して敬瑄の官爵を還し、昭度を召し還し、建に兵を罷むるを諭す、建は詔を奉ぜず。帝は更に建を西川行営招討制置使と為す。建は敬瑄の禽す可きを知り、遂に蜀地を有さんと欲し、即ち脅し説きて昭度に曰く「公数万の衆を以て賊を討つも、糧数属せず、関東諸節度相吞ぜいし、朝廷危うきこと贅斿の若し、其れ師を労して遠方をせんよりは、先ず中国をせん、公宜く還りて天子の為に之を謀るべし」と。昭度未だ決せず。時に吏諸軍の稟食を盗み減らす、建其の衆に怒りて曰く「招討の吏の謀なり」と。士を縦ちて之を執らしめ、軍中に醢として食わしむ。昭度大いに駭き、是の日建に符節を授け、跳ち馳せて剣門を出づ。建は棧梯を絶ち、東道通ぜず。因りて急に敬瑄を撃ち、親騎を分かち十団と為し、当たる所輒ち披靡し、烽塹相望むこと幾百里、諜を縦ちて城に入らしめ、以て衆心を揺がす。建好んで軍中に謂いて曰く「成都は『花錦城』と号し、玉帛子女、諸児自ら取る可し」と。票将韓武等に謂いて「城破れん、吾と公と遞に節度使と為ること一日」と。下之を聞き、戦い愈よ力む。囲むこと凡そ三歳、城中糧尽き、筒を以て米を容れ、率ね一寸に銭二百を鬻ぐ。敬瑄は家貲を出だして民に給し、士を募り出でて麦を剽ぎ、其の半を収む。民も亦夜に建の壘に至り塩を市い、禁ず可からず、吏殺さんことを請う。敬瑄曰く「民飢えて恤うるに以て無く、生を求めしむる可し」と。人至りて相暴きて以て相啖うに及び、敬瑄止むること能わず、乃ち斬・劈の二法を行い、亦戢まらず。敬瑄自ら将いて犀浦に出で、二営を列ねて建を邀う。建軍偽りて遁り、伏に遇い、敬瑄敗れ、建は斜橋・昝街の二屯を破る。明日戦い、又た一壁を破り、其の将を降す。建は七里亭に屯し、敬瑄之を攻む。建の将張武は馳せて城に入り、子城の下に戦い、陴を守る者皆噪ぎ、克たず。張は浣花営を破り、敬瑄の諸将或いは死し或いは降りて且つ尽く。凡そ五十戦、敬瑄皆北し、乃ち表を上りて病を以て京師に還ることを丐う。令孜は素服して建の軍に至る。建は西門より入り、張を斬斫使と為し、建は軍に徇いて曰く「而等と累年鬥死し、今日志の如し。若し横恣して犯す者有らば、吾能く之を全うせん。即ち為に斬らるれば、吾救うこと得ず」と。軍中粛然たり。敬瑄・令孜を囚え、建は自ら留後と称し、朝に表す。詔して建を西川節度副大使と為し、節度事を知らしむ。

建は敬瑄をして新津に居らしめ、其の租賦を食わしめ、累表して誅することを請うも、報ぜず。景福二年、陰に左右をして告げしめ、敬瑄・令孜の死士を養い、楊晟等と約して反すと、是に於いて敬瑄を家に斬る。初め、敬瑄免れ難きを知り、嘗て薬を帯に置く、刑に就くに至り、帯を視るに、薬已に亡せり。是より建は尽く両川・黔中の地を有す。

李巨川

李巨川、字は下己、逢吉の従曾孫。乾符中進士に挙げらる。方に天下崩騷す、乃ち京師を去り、河中の王重栄に辟せられて掌書記と為る。重栄黄巢を討つ、書檄奏請日紛沓し、報を須いて発を趣むるも、皆巨川に属す。神安く思敏く、言えば輒ち理に中る、鄰藩皆驚く。時に賊関を走出し、京師を収む、人言う巨川助力有りと。重栄乱に死し、貶せられて興元参軍と為り、節度使楊守亮喜びて曰く「天生を以て我に遺すか」と。復た管記室と為す。守亮韓建に禽せられ、巨川は械して従い、木葉に題して建に遺し哀を祈る。建動容し、因りて縛を解き、幕府に置く。昭宗華に幸す、建は一州の供億済まざるを患え、巨川をして檄を天下に伝えしめ、転餉を督めしむ。

初め、帝石門に在り、数え遣わす嗣延王・通王将として親軍、大いに安聖・奉宸・保寧・安化の四軍を選び、又た殿後軍を置き、合せて士二万。建は衛兵の強きを悪み、己に利せず、巨川と謀り、即ち上に飛変し、八王の帝を脅して河中に幸せんと欲すを告げ、因りて十六宅を囚え、厳師傅を選び督教し、麾下の兵を尽く散ぜんことを請う。書再び上る、帝已むを得ず、詔して可とす。又た殿後軍を廃し、且つ言う「天下に広からざるを示す無かれ」と。詔して三十人を留めて控鶴排馬官と為し、飛龍坊に隷す。是より天子の爪牙尽く。建初め帝の聴かざるを懼れ、兵を以て宮を環し、定州行営将李筠を誅せんことを請う。帝懼れ、筠を斬り、兵乃ち解く。又た言う「七国漢に災いし、八王晋を乱し、永王江左に帥いて軌に不ならんと謀り、吐蕃・朱玫乱れ、首に宗支を立てて人望を揺がす。今王室多故、渠か諸王をして命を四方に将せしめ、征鎮を惑わさんことを得んや」と。是に於いて詔す諸王使者を奉ずる者、悉く行在に赴かしむ。巨川日夜建を導きて不臣ならしめ、乃ち徳王を立て皇太子と為さんことを請い、文其の悪を掩う。帝京に還り、諫議大夫に拝す。

光化初め、朱全忠河中を陥し、将に潼関を攻めんとす、建懼れ、巨川をして詣で軍に往きて款を納れしめ、因りて当世の利害を言わしむ。全忠の属官敬翔は文翰を以て左右に事え、巨川用いられば則ち全忠の己を待つこと或いは衰えんことを疑い、乃ち詭り説いて曰く「巨川誠に奇才、顧みるに主人に利せず、若何」と。是の日、全忠之を殺す。