新唐書

巻二百二十三下 列傳第一百四十八下 姦臣下

巻二百二十三下 列傳第一百四十八下 姦臣下

盧杞

原文盧杞

盧杞、字あざなは子良。父の弈は『忠義傳』に見ゆ。杞は弁舌に優れ、容貌は甚だ醜く、鬼の如き面立ちに青黒き色、粗衣粗食を恥じず、人はその不自然さに気づかず、皆その祖父の風節有りと謂えり。蔭を藉りて清道率府兵曹参軍となり、仆固懐恩に辟せられて朔方府掌書記となるも、病にて免ず。鴻臚丞を補し、出でて忠州刺史となる。節度使せつどしの衛伯玉に謁すれど、伯玉喜ばず、乃ち謝して帰る。稍く吏部郎中に遷り、虢州刺史となる。虢州に官豕三千ありて民の患いとなすと奏す。徳宗曰く「沙苑に移せ」と。杞曰く「同州も亦た陛下の百姓なり、臣はこれを食らうに便なりと謂う」と。帝曰く「虢を守りて他州を憂う、宰相の材なり」と。詔して豕を貧民に賜う。遂に柄任の意有り。俄に召されて御史中丞となり、論奏すること合わざる無し。年を踰えて大夫に遷り、旬を閲ずして門下侍郎・同中書門下平章事に擢でらる。

原文盧杞,字子良。父弈,見《忠義傳》。杞有口才,體陋甚,鬼貌藍色,不恥惡衣菲食,人未悟其不情,咸謂有祖風節。藉蔭為清道率府兵曹參軍,仆固懷恩辟朔方府掌書記,病免。補鴻臚丞,出為忠州刺史。上謁節度府衛伯玉,伯玉不喜,乃謝歸。稍遷吏部郎中,為虢州刺史。奏言虢有官豕三千為民患。德宗曰:「徙之沙苑。」杞曰:「同州亦陛下百姓,臣謂食之便。」帝曰:「守虢而憂它州,宰相材也。」詔以豕賜貧民,遂有意柄任矣。俄召為御史中丞,論奏無不合。逾年遷大夫,不閱旬,擢門下侍郎、同中書門下平章事。

志を得てより、険賊の性次第に露わす。賢者は冒し、能者は忌み、小しく己に忤う者は、死地に傅えざるを止めず。将に大いに威を樹て、衆を脅し権を市いて自ら固めんとす。楊炎と杞俱に政を輔くも、炎は杞の才下るを鄙み、悦ばず、半歳ならずして炎を譖りて罷めしむ。時に大理卿厳郢は炎と隙有り、即ち郢を擢でて御史大夫とし以て自ら助け、炎遂に逐われて死す。張鎰は材裕にして忠懿、帝の倚愛する所、間うる所以無し。会に隴右兵を用う、杞乃ち帝に見え、偽りて行かんことを請う、帝許さず、即ち鎰を薦めて鳳翔を守らしむ。既にして又郢を悪む。時に幽州の朱滔は泚と違言有り、その軍司馬蔡廷玉が間鬩するを誣り、これを殺さんことを請う。俄にして滔反す、帝はこれを斥けて以て滔を悦ばしめんと欲し、御史鄭詹を下して状を按ぜしめ、柳州司戸参軍に貶し、吏を敕して護送せしむ。廷玉は滔の所に送らるるを疑い、因りて自ら河に沈む。杞奏して、泚が詔にて殺さるるを疑わんことを恐れ、願わくは詹を下して三司に雑治せしめ、並びに大夫郢を劾せんとす。初め、詹は張鎰に善し、毎に杞の隙を伺い、独り鎰に詣る、杞これを知る。他日詹の来るを伺い、即ち径ちに鎰の便坐に至る。詹は趨りて避く、杞遽に機事に及ぶ、鎰已むを得ずして曰く「鄭侍禦在り」と。杞陽に驚きて曰く「向に言える所は、外の得て聞くべきに非ず」と。是に至りて並びに按ず。詔有りて詹は杖死し、郢は費州に流さる。杜佑は度支を判ず、帝特に寵礼す。杞は短毀すること百緒、遂に蘇州刺史に貶ぜらる。李希烈反す、杞は素より顔真卿の挺正敢言を悪む、即ち令してその軍を宣慰せしめ、遂に賊に害せらる。故宰相李揆は雅望有り、復用を畏れ、遣わして吐蕃とばん会盟使と為し、行中に卒す。李洧は徐州を以て降り、経略する所有り、使人誤って先ず鎰に白す、杞怒り、これを沮解し、功を有からしめず。その狙害隠毒、天下痛憤せざる無く、杞が君を得たるを以て、故に敢えて言わず。

原文既得誌,險賊浸露。賢者冒,能者忌,小忤己,不傅死地不止。將大樹威,脅眾市權為自固者。楊炎與杞俱輔政,炎鄙杞才下,不悅,未半歲,譖罷炎。時大理卿嚴郢與炎有隙,即擢郢御史大夫以自助,炎卒逐死。張鎰材裕忠懿,帝所倚愛,未有以間。會隴右用兵,杞乃見帝,偽請行,帝不可,即薦鎰守鳳翔。既又惡郢。時幽州朱滔與泚有違言,誣其軍司馬蔡廷玉間鬩,請殺之。俄而滔反,帝欲斥之以悅滔,下御史鄭詹按狀,貶柳州司戶參軍,敕吏護送。廷玉疑送滔所,因自沈於河。杞奏,恐泚疑為詔所殺,願下詹三司雜治,並劾大夫郢。初,詹善張鎰,每伺杞間,獨詣鎰,杞知之。它日伺詹來,即徑至鎰便坐。詹趨避,杞遽及機事,鎰不得已,曰:「鄭侍禦在。」杞陽驚曰:「向所言,非外所得聞。」至是並按。有詔詹杖死,流郢費州。杜佑判度支,帝尤寵禮。杞短毀百緒,訖貶蘇州刺史。李希烈反,杞素惡顏真卿挺正敢言,即令宣慰其軍,卒為賊害。故宰相李揆有雅望,畏復用,遣為吐蕃會盟使,卒於行。李洧以徐州降,有所經略,使人誤先白鎰,杞怒,沮解之,不使有功。其狙害隱毒,天下無不痛憤,以杞得君,故不敢言。

是の時兵は河南・北に屯し、挐えて解けず、財用日々急なり。ここにおいて度支は軍の仰給する所を条し、月費緡百余万、而して蔵銭纔かに三月を支うるのみ。杞乃ち戸部侍郎趙贊を以て度支を判ぜしめ、その党の韋都賓等建てて言う「商賈儲銭千万は、自業を聴くべし。千万を過ぐる者は、その贏を貣いて以て軍を済すべし。軍罷みて、約して官に償いを取らん」と。帝これを許す。京兆は暴にその期を責め、校吏は頸を大いに廛裏に捜し、占列尽さざるを疑えば、則ち笞掠す、人は冤に勝えず、自ら溝瀆に殞る者相望み、京師囂然として日を闕かず。然れども悉く田宅奴婢の直、緡止むところ八十万。又僦櫝・質舎・居貿粟する者、四つに其一を貣い、僅かに二百万に至る。而して長安は肆を閉じ、民皆宰相に邀えて祈訴す。杞諭すべき無く、駆りて去らしむ。帝民の愁忿を知り、而して得る所師に給するに足らず、これを罷む。贊術窮まり、ここにおいて間架・除陌の暴縱る。その法、屋二架を一間と為し、差してこれに税し、上は二千、中は千、下は五百、吏は籌を執りて第室に入りこれを計り、隠して尽さざれば、率いて二架を以て罪に抵い、告ぐる者には銭五万を畀う。凡そ公私貿易、旧法は率いて千銭に二十を算す、請う五十を加えん、主儈は售る所に註し、その算を有司に入る。その自ら相市するは、私籍を為して自ら言い、隠して尽さざれば、率いて千銭に二万を没し、告ぐる者には万銭を畀う。ここにおいて主儈はその私を操りて以て奸を為すを得、公上の入る所常に半を得ず、而して恨誹の声天下に満つ。及び涇師乱る、市に呼びて曰く「商人の僦質を奪わずんばあらず、間架・除陌を税せずんばあらず」と。その倡和造作して以て怨を召し乱を挻くは、皆杞の為す所なり。

原文是時兵屯河南、北,挐不解,財用日急。於是度支條軍所仰給,月費緡百餘萬,而藏錢才支三月。杞乃以戶部侍郎趙贊判度支,其黨韋都賓等建言:「商賈儲錢千萬,聽自業;過千萬者,貣其贏以濟軍。軍罷,約取償於官。」帝許之。京兆暴責其期,校吏頸大搜廛裏,疑占列不盡,則笞掠之,人不勝冤,自殞溝瀆者相望,京師囂然不闋日。然悉田宅奴婢之直,緡止八十萬。又僦櫝、質舍、居貿粟者,四貣其一,僅至二百萬。而長安為閉肆,民皆邀宰相祈訴。杞無以諭,驅而去。帝知民愁忿,而所得不足給師,罷之。贊術窮,於是間架、除陌之暴縱矣。其法:屋二架為間,差稅之,上者二千,中千,下五百,吏執籌入第室計之,隱不盡,率二架抵罪,告者以錢五萬畀之。凡公私貿易,舊法率千錢算二十,請加五十,主儈註所售,入其算有司;其自相市,為私籍自言,隱不盡,率千錢沒二萬,告者以萬錢畀之。由是主儈得操其私以為奸,公上所入常不得半,而恨誹之聲滿天下。及涇師亂,呼於市曰:「不奪而商人僦質矣,不稅而間架、除陌矣!」其倡和造作以召怨挻亂,皆杞為之。

帝奉天に出ず、杞と関播従う。後数日、崔寧賊中より来たり、播遷の事を指して杞に及ぶ、杞即ち寧の反を誣り、帝これを殺す。霊武の杜希全は塩・夏二州の士六千を率いて来赴す、帝議す所従うべき道を、杞は漠谷を道とせんことを請う。渾瑊曰く「然らず、彼は険多く、且つ賊に乗ぜられん、乾陵の北を道とし、雞子堆を踰えて屯するに如かず、これと掎角を為せば、賊破るべし」と。帝杞の議に従う、賊果たして隘に拒み、兵入るを得ず、奔りて邠州に還る。

原文帝出奉天,杞與關播從。後數日,崔寧自賊中來,以播遷事指杞,杞即誣寧反,帝殺之。靈武杜希全率鹽、夏二州士六千來赴,帝議所從道,杞請道漠谷。渾瑊曰:「不然,彼多險,且為賊乘,不如道乾陵北,逾雞子堆而屯,與為掎角,賊可破矣。」帝從杞議,賊果拒隘,兵不得入,奔還邠州。

李懐光河北より還り、数え賊を破り、泚解けて去る。或ひと王翃・趙讚に謂いて曰く「聞く懐光嘗て宰相の謀ること能わざるを斥け、度支の賦斂重く、而して京兆軍賜を刻損すと、宜しくこれを誅して以て天下に謝すべし。方に懐光功有り、上必ずその言を用いることを聴かん、公等殆うし」と。二人以て杞に白す。杞懼れ、即ち帝に譎して曰く「懐光の勲は宗社に在り、賊これに憚りて破胆す、今その威に因り、一挙にして定むべし。若し来朝を許さば、則ち犒賜留連し、賊は裒整残餘して完守の計を為すを得、これを図るは実に難し、席勝して京師を平げしむるに如かず、破竹の勢なり」と。帝これを然りとす。詔して懐光に朝すること無からしめ、進みて便橋に屯せしむ。懐光自ら千里勤難し、大功有り、奸臣に沮間せられ、一たびも天子に見えず、内に怏怏として発する所無く、遂に謀反し、因りて暴に杞等の罪悪を言う。士議嘩沸し、皆杞を指目す、帝始めて寤り、新州司馬に貶ず。

原文李懷光自河北還,數破賊,泚解去。或謂王翃、趙贊曰:「聞懷光嘗斥宰相不能謀,度支賦斂重,而京兆刻損軍賜,宜誅之以謝天下。方懷光有功,上必聽用其言,公等殆矣!」二人以白杞。杞懼,即譎帝曰:「懷光勛在宗社,賊憚之破膽,今因其威,可一舉而定。若許來朝,則犒賜留連,賊得裒整殘餘為完守計,圖之實難,不如席勝使平京師,破竹之勢也。」帝然之。詔懷光無朝,進屯便橋。懷光自以千里勤難,有大功,為奸臣沮間,不一見天子,內怏怏無所發,遂謀反,因暴言杞等罪惡。士議嘩沸,皆指目杞,帝始寤,貶為新州司馬。

初め、帝即位し、崔祐甫を以て相と為し、専ら道德を以て主意を導く、故に建中初め綱紀張設し、赫然として貞観の風有り。及び杞相たり、乃ち帝を諷して刑名を以て天下を縄せしめ、乱敗踵ぎて及ぶ。その陰害矯譎、国屯り主辱くるも、猶謷然として肆にこれを為す。後雖ち斥けらるれど、然れども帝これを念じて衰えず。及び興元赦令に、俄に吉州長史に徙す。杞乃ち曰く「上必ず復た我を用いん」と。貞元元年、詔して饒州刺史に拝す。給事中袁高詔書を行うに当たり、肯て草せず、宰相に白して曰く「杞は天常を反易し、万乗をして播遷せしめ、幸いに赦されて誅せられず、又大州を委ぬ、天下の望を失う」と。宰相悦ばず、乃ち他の舎人を召して制を作らしむ、高固く執して下ることを得ず。ここにおいて諫臣趙需・裴佶・宇文炫・盧景亮・張薦等衆対し、極めて言う杞の罪は四海共に棄つ、今復たこれを用いば、忠臣は膺を寒くし、良士は骨を痛め、必ず且つ禍の階と為らんと。その言懇到なり。帝宰相に語して曰く「杞に小州を授くるは可ならんや」と。李勉曰く「陛下大州を与うるも亦た難からず、四方の謗を如何」と。乃ち詔して澧州別駕と為す。後散騎常侍李泌見ゆ、帝曰く「高等杞の事を論ず、朕これを可とせり」と。泌頓首して賀して曰く「比日外は陛下を漢の桓・霊と謂う、今乃ち堯・舜の主なるを知る」と。帝喜ぶ。杞遂に澧州に死す。

原文始,帝即位,以崔祐甫為相,專以道德導主意,故建中初綱紀張設,赫然有貞觀風。及杞相,乃諷帝以刑名繩天下,亂敗踵及。其陰害矯譎,雖國屯主辱,猶謷然肆為之。後雖斥,然帝念之不衰。及興元赦令,俄徙吉州長史。杞乃曰:「上必復用我。」貞元元年,詔拜饒州刺史。給事中袁高當行詔書,不肯草,白宰相曰:「杞反易天常,使萬乘播遷,幸赦不誅,又委大州,失天下望。」宰相不悅,乃召它舍人作制,高固執不得下。於是諫臣趙需、裴佶、宇文炫、盧景亮、張薦等眾對,極言杞罪四海共棄,今復用之,忠臣寒膺,良士痛骨,必且階禍。其言懇到。帝語宰相曰:「授杞小州可乎?」李勉曰:「陛下與大州亦無難,如四方之謗何?」乃詔為澧州別駕。後散騎常侍李泌見,帝曰:「高等論杞事,朕可之矣!」泌頓首賀曰:「比日外謂陛下漢之桓、靈,今乃知堯、舜主也。」帝喜。杞遂死澧州。

初めに、尚父郭子儀が病篤く、百官が見舞いに訪れたが、侍女を退けなかった。盧杞が至ると、侍女を退け、机にもたれて待った。家人が怪しんでその故を問うと、子儀は言った、「彼は外見は醜いが内は険悪であり、左右の者が見れば必ず笑うであろう。後に権力を得させれば、我が一族は生き残れぬであろう」と。

原文初,尚父郭子儀病甚,百官造省,不屏姬侍。及杞至,則屏之,隱几而待。家人怪問其故,子儀曰:「彼外陋內險,左右見必笑,使後得權,吾族無類矣!」

崔胤

原文崔胤

崔胤、字は垂休、宰相崔慎由の子である。進士第に擢でられ、累遷して中書舎人・御史中丞となった。陰謀を好み、権勢ある者に附き従い、外見は自ら簡素で重厚に振る舞うが、内は険悪で詭譎、畏るべきものであった。崔昭緯が度々これを推薦し、戸部侍郎より同中書門下平章事となった。時に王珙兄弟が河中を争い、胤を節度使としたが、赴任できず、半年後、再び中書侍郎として留まり政務を補佐した。昭緯が罪により誅殺されると、罷免されて武安節度使となった。陸扆が国政を執る時、王室は振るわず、南司・北司がそれぞれ党派を立て藩鎮と結び、内で互いに脅し合った。胤は平素より朱全忠と厚く、心を委ねて結びついた。全忠が胤に功あり、外任に処すべからずと上言したため、再び宰相となり陸扆を追いやった。

原文崔胤,字垂休,宰相慎由子也。擢進士第,累遷中書舍人、御史中丞。喜陰計,附離權強,其外自處若簡重,而中險譎可畏。崔昭緯屢薦之,由戶部侍郎同中書門下平章事。方王珙兄弟爭河中,以胤為節度使,不得赴,半歲,復以中書侍郎留輔政。及昭緯以罪誅,罷為武安節度使。陸扆當國,時王室不競,南、北司各樹黨結藩鎮,內相淩脅。胤素厚朱全忠,委心結之。全忠為言胤有功,不宜處外,故還相而逐扆。

光化初め、昭宗が華州より帰還し、反逆者を安んじようとしたが、胤は密かに全忠のために地歩を築き、四方征討の兵権を専有させた。帝はその行いを醜とし、罷免して吏部尚書とし、再び陸扆を頼りに宰相とした。時に清海に帥が無く、そこで胤を清海節度使に拝した。初め、昭緯が死んだ時、皆王摶らがその奸を明るみに出し、胤はこれにより罷免を賜り、内心恨みを抱いた。摶と共に宰相となってから、胤は宦官を悉く除くことを議したが、摶は助けず、徐々に図るよう請うた。この時、外任を望まなかった胤は、直ちにその言葉を全忠に漏らし、摶が勅使と交わり共に国を危うくしたと上奏させ、誅殺に値する罪とした。胤が湖南に滞在する時、召還されて司空・門下侍郎・平章事を守り、度支・塩鉄・戸部使を兼ね、摶を賜死させ、中尉宋道弼・景務修を誅殺した。これにより権勢は天下に震い、宦官もまた息を殺した。ここに至り、四度宰相に拝され、世に「崔四入」と謂われた。

原文光化初,昭宗至自華,務安反側,而胤陰為全忠地,俾擅兵四討。帝醜其行,罷為吏部尚書,復倚扆以相。會清海無帥,因拜胤清海節度使。始,昭緯死,皆王摶等白髮其奸,胤坐是賜罷,內銜憾。既與摶同宰相,胤議悉去中官,摶不助,請徐圖之。及是不欲外除,即漏其語於全忠,令露劾摶交敕使共危國,罪當誅。胤次湖南,召還守司空、門下侍郎、平章事,兼領度支、鹽鐵、戶部使,而賜摶死,並誅中尉宋道弼、景務修,繇是權震天下,雖宦官亦累息。至是,四拜宰相,世謂「崔四入」。

劉季述が帝を東内に幽閉し、徳王を立てて国事を監させたが、全忠の強勢を恐れ、胤を深く怨んでも殺さず、政事を罷めるに止めた。胤は全忠に西進を促し、帝を幽閉した事情を問うた。全忠は張存敬に河中を攻撃させ、晋・絳を掠め取った。神策軍大将孫徳昭は常に宦官が天子を廃し辱めることを憤り、胤は判官石戩をして交遊させ、隙を窺わせた。徳昭は酒に酔えば必ず泣いたので、胤はその心情を推し量り、戩をして説かせた、「季述が天子を廃して以来、天下の人は未だ忘れず、武夫義臣は手を搏って憤慨している。今謀反した者はただ季述・仲先のみであり、他の者は威に脅かされただけで関与していない。君がこの機に乗じて二豎を誅し、天子を復位させ、功名を取らんか。即ち早く計らねば、これを行う者が現れよう」と。徳昭は感覚し、胤の謀り事を告げた。徳昭は承諾し、胤は帯を斬って誓った。間もなく季述・仲先が誅殺され、功により司徒に進んだが就かず、再び政務を補佐し、使職も全て還された。帝はその功に報い、引見して名を呼ばず、字で呼び、寵遇は比類無かった。

原文劉季述幽帝東內,奉德王監國,畏全忠強,雖深怨胤,不敢殺,止罷政事。胤趣全忠以師西,問所以幽帝狀。全忠乃使張存敬攻河中,掠晉、絳。神策軍大將孫德昭常忿閹尹廢辱天子,胤令判官石戩與遊,乘間伺察。德昭飲酣必泣,胤揣得其情,乃使戩說曰:「自季述廢天子,天下之人未嘗忘,武夫義臣搏手憤惋。今謀反者特季述、仲先耳,它人劫於威,無與也。君能乘此誅二豎,復天子,取功名乎?即不早計,將有無之者。」德昭感寤,乃告以胤謀。德昭許諾,胤斬帶為誓。俄而季述、仲先誅,以功進司徒,不就,復輔政,並還使領。帝德之,延見或不名,以字呼之,寵遇無比。

天復元年、全忠は既に河中を取ると、同州・華州に進逼した。中尉韓全誨は胤が全忠と親しいため、君側を除くよう導くことを恐れ、政事を罷めるよう上奏したが、免じられる前に、慌てて帝を奉じて鳳翔に幸した。胤は帝に見捨てられたことを怨み、従わず、全忠を召して兵で天子を迎えさせ、太子太師盧渥に群臣を率いさせて全忠を迎えさせた。初め、全忠が華州に至り、幕府裴鑄に奏上させた。帝は已む無く、来朝を許した。この時、胤がその謀を為し、兵で行在所を迫らせた。帝は詔を下して鎮に還るよう促し、併せて詔して盧渥らを共に西に向かわせた。全忠は上表して詳しく述べた、「以前の詔書は皆宰相より出で、今や陛下の意に非ざるを知り、誤らせられた。軍は既に関に入り、李茂貞と憾みを解き乗輿を迎える約を為さんことを請う」と。茂貞は劾奏した、「胤は死士を養い、度支使の利権を用い、親信陳班に京兆府と兵を募らせて自らの居る坊を守らせた。天子が出御され、使者五度往きて召したが、安らかに臥して動かず、ただ一度表を奉り陳謝したのみ」と。時に帝は全忠の表を見て、また大いに怒り、詔を下して顕にこれを責め、工部尚書として政事を知ることを罷め、胤は出て華州に居した。

原文天復元年,全忠已取河中,進逼同、華。中尉韓全誨以胤與全忠善,恐導之翦除君側,乃白罷政事,未及免,倉卒挾帝幸鳳翔。胤怨帝見廢,不肯從,召全忠以兵迎天子,令太子太師盧渥率群臣迎全忠。始,全忠至華,遣幕府裴鑄奏事。帝不得已,聽來朝。至是胤為之謀,乃以兵迫行在。帝下詔趣還鎮,因詔遣渥等俱西。全忠上表具言:「向書詔皆出宰相,乃今知非陛下意,為所詿誤。師業入關,請得與李茂貞約釋憾以迎乘輿。」茂貞劾奏:「胤畜死士,用度支使榷利,令親信陳班與京兆府募兵保所居坊。天子出次,遣使者五輩往召,安臥不動,一奉表陳謝。」時帝見全忠表,亦大恚,因下詔顯責之,以工部尚書罷知政事,胤出居華州。

初め、天復の後、宦官は特に胤に屈して事え、事ごとに諮らなかったことは無かった。毎度禁中で政を議する時、燭を継ぐまで及び、宦官を尽く誅し、宮人に内司の事を掌らせるよう請うた。韓全誨らは密かにこれを知り、共に帝の前で哀願した。そこで詔して胤に以後は密封すべく、口陳せざるよう命じた。宦官は益々恐れ、その謀り事を得ようと、知書の美人宗柔らを内左右に置いて陰事を探らせた。胤の計略は次第に露見し、宦官は或いは相泣き頼る所無く、自ら安んぜず、帝を劫いて幸わせる謀は固まった。

原文初,天復後宦官尤屈事胤,事無不咨。每議政禁中,至繼以燭,請盡誅中官,以宮人掌內司事。韓全誨等密知之,共於帝前求哀。乃詔胤後當密封,無口陳。中官益恐,滋欲得其謀,乃求知書美人宗柔等內左右以刺陰事。胤計稍露,宦者或相泣無憀,不自安,劫幸之謀固矣。

華州に居た時、全忠のために数々の醜計を画策した。全忠が兵を引いて河中に屯すると、胤は渭橋で迎え謁し、觴を奉って全忠の寿を祝い、自ら歌って酒を釂した。時に茂貞が全誨らを殺し、全忠と和を約した。帝は急ぎこれを召し、墨詔四度、朱劄三度もあったが、皆病気を理由に辞した。帝が鳳翔を出で、全忠の軍に幸した時、道で迎え謁し、再び平章事に拝され、司徒に進み、六軍諸衛事を判じ、詔して家を右軍に移し、帷帳器用十車を賜った。胤は遂に奏上した、「高祖・太宗の時は内侍が軍を典せず、天宝の後宦官が次第に盛んとなり、徳宗は羽林衛を左右神策軍に分け、宦官にこれを主とさせ、二千人を率とした。その後機密に参与し、内務百司悉く中人に帰し、共に相い不法を縫い、朝廷微弱となり、禍はここに始まった。左右神策・内諸司使・諸道監軍を罷めんことを請う」と。ここにおいて中外の宦官は悉く誅殺され、天子の詔命を伝導するには、只宮人寵顔らを用いたのみであった。

原文居華時,為全忠數畫醜計。全忠引兵還屯河中,胤迎謁渭橋,奉觴為全忠壽,自歌以釂酒。會茂貞殺全誨等,與全忠約和。帝急召之,墨詔者四、朱劄三,皆辭疾。及帝出鳳翔,幸全忠軍,乃迎謁於道,復拜平章事,進位司徒,兼判六軍諸衛事,詔徙家舍右軍,賜帷帳器用十車。胤遂奏:「高祖、太宗無內侍典軍,天寶後宦人浸盛,德宗分羽林衛為左右神策軍,令宦者主之,以二千人為率。其後參掌機密,至內務百司悉歸中人,共相彌縫為不法,朝廷微弱,禍始於此。請罷左右神策、內諸司使、諸道監軍。」於是中外宦官悉誅,天子傳導詔命,只用宮人寵顏等。

帝が鳳翔に在った時、廬光啓・蘇検を宰相としたが、胤は皆これを逐い殺し、従幸の近臣陸扆ら三十余人を分けて斥け、ただ裴贄のみ孤立して制し得るとして留め、共に政を執らせた。帝の動静は一に胤に決し、敢えて言う者は無かった。胤は皇子を元帥とし、全忠を副とすべく議し、その功を褒め崇めることを示した。全忠は内に輝王の幼少を利とし、故に胤はこれに藉りて請うた。帝は言った、「濮王は年長であるが、如何に」と。禁中に還り、翰林学士韓偓を召して謀った。偓は陰に胤を佐けたが、遂に退けることはできなかった。全忠が東に還り、長楽に到ると、群臣は班を列ねて辞したが、胤のみは霸橋に至り酒宴を設け、乙夜になってようやく還った。帝は即ち召して問うた、「全忠は安否や」と。飲ませ、宮人に舞剣曲を命じ、戊夜になってようやく出で、二宮人を賜ったが、固く辞してようやく許された。この時、天子は孤危で、威令は尽く去り、胤の劫持する様はこの如きものであった。侍中・魏国公に進んだ。

原文帝之在鳳翔,以廬光啟、蘇檢為相,胤皆逐殺之,分斥從幸近臣陸扆等三十餘人,惟裴贄孤立可制,留與偕秉政。帝動靜一決於胤,無敢言者。胤議以皇子為元帥,全忠副之,示褒崇其功。全忠內利輝王沖幼,故胤藉以請。帝曰:「濮王長,若何?」還禁中,召翰林學士韓偓以謀。偓陰佐胤,卒不能卻。全忠還東,到長樂,群臣班辭,胤獨至霸橋置酒,乙夜乃還。帝即召問:「全忠安否?」與飲,命宮人為舞劍曲,戊夜乃出,賜二宮人,固讓乃許。是時天子孤危,威令盡去,胤之劫持類如此。進侍中、魏國公。

鳳翔より還り、全忠の簒奪せんとするを揣り、己が宰相たるを顧み、一日禍に及ぶを恐れ、兵を握りて自ら固めんと欲し、謬りに全忠に謂ひて曰く、「京師は茂貞に迫り、備無きべからず、軍を募りて守らしむべし。今左右龍武・羽林・神策は、播幸の餘り、見兵無し。請ふらくは軍に四歩将を置き、将毎に二百五十人、一騎将を置き、将百人。番休して遞に侍らしめん」と。京兆尹鄭元規を以て六軍諸衛副使と為し、陳班を威遠軍使と為し、市に於て卒を募る。全忠其の意を知り、陽に然りと相許す。胤乃ち浮図を毀ち、銅鉄を取て兵仗と為す。全忠陰に汴人数百をして応募せしめ、其の子友倫を以て宿衛に入らしむ。会ひて球戯を為すに、馬より墜ちて死す。全忠胤の陰計を疑ひ、大いに怒る。時に胤の将に帝を挟みて荊・襄に幸せんとすと伝ふ。而して全忠方に乗輿を脅し洛に都せんと謀り、其の異議を懼れ、密に表して胤の権を専らにし国を乱すとし、誅するを請ふ。即ち罷めて太子少傅と為す。全忠其の子友諒をして兵を以て開化坊の第を囲ましめ、胤を殺す。汴士皆突出し、市人争ひて瓦礫を投げて其の屍を撃つ。年五十一。元規・陳班等皆死す。実に天復四年正月なり。

原文自鳳翔還,揣全忠將篡奪,顧己宰相,恐一日及禍,欲握兵自固,謬謂全忠曰:「京師迫茂貞,不可無備,須募軍以守。今左右龍武、羽林、神策,播幸之餘,無見兵。請軍置四步將,將二百五十人;一騎將,將百人。使番休遞侍。」以京兆尹鄭元規為六軍諸衛副使,陳班為威遠軍使,募卒於市。全忠知其意,陽相然許。胤乃毀浮圖,取銅鐵為兵仗。全忠陰令汴人數百應募,以其子友倫入宿衛。會為球戲,墜馬死,全忠疑胤陰計,大怒。時傳胤將挾帝幸荊、襄,而全忠方謀脅乘輿都洛,懼其異議,密表胤專權亂國,請誅之。即罷為太子少傅。全忠令其子友諒以兵圍開化坊第,殺胤,汴士皆突出,市人爭投瓦礫擊其屍,年五十一,元規、陳班等皆死,實天復四年正月。

胤の罷むるより凡そ三日にして死し、死して十日、全忠帝を脅し洛に遷す。長安の居人を発して悉く東せしめ、屋木を徹して渭に循ひ河を下る。老幼路に係り、啼號絶えず、皆大罵して曰く、「国賊崔胤、全忠を導きて社稷を売り、我をして此に及ばしむ」と。是に先だち、全忠は河南に拠るといへども、強き諸侯の相持するを顧み、未だ敢へて国を移すを決せず。胤の内隙を間するに及び、相結び、其の禍に梯りて、朝権を取りて強大を成し、終に天下を亡ぼす。胤は身屠り宗滅す。世に言ふ、慎由晩年に子無く、異なる浮屠に遇ひ、術を以て求めしに、乃ち胤を生む、字は緇郎。相と為るに及び、其の季父安潜唶して曰く、「吾が父兄刻苦して門戸を持す、終に緇郎の為に之を壊さる」と。

原文胤罷凡三日死,死十日,全忠脅帝遷洛,發長安居人悉東,徹屋木自渭循河下。老幼系路,啼號不絕,皆大罵曰:「國賊崔胤導全忠賣社稷,使我及此!」先是,全忠雖據河南,顧強諸侯相持,未敢決移國。及胤間內隙,與相結,得梯其禍,取朝權以成強大,終亡天下,胤身屠宗滅。世言慎由晚無子,遇異浮屠,以術求,乃生胤,字緇郎。及為相,其季父安潛唶曰:「吾父兄刻苦以持門戶,終為緇郎壞之!」

崔昭緯

原文崔昭緯

崔昭緯、字は蘊曜、其の先は清河の人なり。進士第に及ぶ。昭宗の時に至り仕へ浸く顕れ、戸部侍郎同中書門下平章事を以て、位に居ること凡そ八年、累進して尚書右僕射と為る。性険刻にして、密かに中人と結び、外には強き諸侯に連なり、内には天子を制して以て其の権を固む。族人鋋をして王行瑜の邠寧幕府に事へしむ。毎に他の宰相建議し、或は詔令己に便ならざる有れば、必ず鋋をして密に行瑜に告げしめ、上書して訾訐せしめ、己は則ち陰に阿りて之を助く。是の時に方り、帝室微なり。人主贅斿の若し。初め、帝杜讓能に委ねて兵食を調へて鳳翔を討たしむ。昭緯方に李茂貞・行瑜を重しと為して倚り、陰に其の計を得れば、則ち走りて之に告げ、激して兵を称して闕に向はしめ、遂に讓能を殺す。後又三鎮の兵を導きて韋昭度等を殺す。帝の性剛明にして、忍ぶに堪へず。会ひて行瑜を誅し、乃ち昭緯を罷めて右僕射と為す。復た朱全忠に己を薦めしむるを請ひ、又諸王に厚く賂り、為に奏せられ、梧州司馬に貶せらる。詔を下し其の五罪を条し、死を賜ふ。行きて江陵に次ぐに、使者至り、之を斬る。鋋も亦誅せらる。

原文崔昭緯字蘊曜,其先清河人。及進士第。至昭宗時仕浸顯,以戶部侍郎同中書門下平章事,居位凡八年,累進尚書右仆射。性險刻,密結中人,外連強諸侯,內制天子以固其權。令族人鋋事王行瑜邠寧幕府。每它宰相建議,或詔令有不便於己,必使鋋密告行瑜,使上書訾訐,己則陰阿助之。方是時,帝室微,人主若贅斿然。始,帝委杜讓能調兵食以討鳳翔,昭緯方倚李茂貞、行瑜為重,陰得其計,則走告之,激使稱兵向闕,遂殺讓能。後又導三鎮兵殺韋昭度等。帝性剛明,不堪忍,會誅行瑜,乃罷昭緯為右仆射。復請朱全忠薦己,又厚賂諸王,為所奏,貶梧州司馬,下詔條其五罪,賜死。行次江陵,使者至,斬之。鋋亦誅。

柳璨

原文柳璨

柳璨、字は炤之、公綽の族孫なり。人と為り鄙野にして、其の家諸柳を以て歯せず。少く孤貧にして、学を好み、晝は薪を採りて費を給し、夜は葉を然して書を照し、強記にして、通渉する所多し。劉子玄の『史通』を譏訶し、『析微』を著す。時に或は之を称す。顏蕘史館を判じ、直学士に引く。是に由りて益く知名と為る。左拾遺に遷る。昭宗文を好み、李磎を待つこと最も厚し。磎死し、内常に磎に似たる者を求む。或は璨の才高きを薦む。文を試みしに、帝善しと称し、翰林学士に擢す。

原文柳璨字炤之,公綽族孫也。為人鄙野,其家不以諸柳齒。少孤貧,好學,晝采薪給費,夜然葉照書,強記,多所通涉。譏訶劉子玄《史通》,著《析微》,時或稱之。顏蕘判史館,引為直學士,由是益知名。遷左拾遺。昭宗好文,待李磎最厚,磎死,內常求似磎者。或薦璨才高,試文,帝稱善,擢翰林學士。

崔胤死し、昭宗密かに璨を宰相とするを許す。外知る者無し。日暮れ禁中より出づるに、騶士伝呼して宰相とす。人皆大驚す。明日、帝学士承旨張文蔚に謂ひて曰く、「璨の材用ふべし。今擢して相と為す。応に何の官を授くべけんや」と。対へて曰く、「賢を用ふるに資を計らざるなり」と。帝曰く、「諫議大夫は可ならんや」と。曰く、「唯唯」と。遂に諫議大夫同中書門下平章事を以てす。布衣より起り、是に至るまで四歳ならず。其の暴貴すること近世未だ有らざる所なり。裴樞・獨孤損・崔遠は皆宿望の旧臣、同位とす。頗る之を軽んず。璨内に怨みと為す。朱全忠簒殺を図る。宿衛士は皆汴人なり。璨一に厚く之を結び、蔣玄暉・張廷範と尤も相得る。既に全忠を挟む。故に朝権皆之に帰す。中書侍郎・判戸部に進み、河東県男に封ぜらる。

原文崔胤死,昭宗密許璨宰相,外無知者。日暮自禁中出,騶士傳呼宰相,人皆大驚。明日,帝謂學士承旨張文蔚曰:「璨材可用,今擢為相,應授何官?」對曰:「用賢不計資。」帝曰:「諫議大夫可乎?」曰:「唯唯。」遂以諫議大夫同中書門下平章事。起布衣,至是不四歲,其暴貴近世所未有。裴樞、獨孤損、崔遠皆宿望舊臣,與同位,頗輕之,璨內以為怨。朱全忠圖篡殺,宿衛士皆汴人,璨一厚結之,與蔣玄暉、張廷範尤相得。既挾全忠,故朝權皆歸之。進中書侍郎、判戶部,封河東縣男。

天祐二年、長星太微・文昌の間に出づ。占者曰く、「君臣皆利からず。宜しく多く殺し以て天変を塞ぐべし」と。玄暉・廷範乃ち璨と謀りて大臣に宿に望有る者を殺す。璨手疏して仇み冒す所の者、獨孤損等三十余人、皆誅死す。天下以て冤と為す。全忠之を聞き、善しとせず。其の後九錫に急なり。宣徽北院使王殷なる者、璨等を構へ、其の貳有るを言ふ。故に礼至らず。玄暉懼れ、自ら往きて辨解す。全忠怒罵して曰く、「爾柳璨の輩我を沮む。九錫に由らずして、天子と為るを得ざらんや」と。璨懼れ、即ち哀帝を脅して曰く、「人望元帥に帰す。陛下宜しく揖讓を以て終を授くべし」と。璨自ら行かんことを請ふ。司空に進み、冊礼使と為り、即日道を進む。玄暉の死するに及び、全忠璨の己に背くを恚り、登州刺史に貶し、俄に名を除きて民と為し、崖州に流し、尋ねて之を斬る。刑に臨み悔咤して曰く、「国に負ける賊柳璨、死する宜なり」と。弟瑀・瑊皆榜死す。

原文天祐二年,長星出太微、文昌間,占者曰:「君臣皆不利,宜多殺以塞天變。」玄暉、廷範乃與璨謀殺大臣宿有望者。璨手疏所仇冒若獨孤損等三十餘人,皆誅死,天下以為冤。全忠聞之,不善也。其後急於九錫,宣徽北院使王殷者構璨等,言其有貳,故禮不至。玄暉懼,自往辨解。全忠怒罵曰:「爾與柳璨輩沮我,不由九錫,作天子不得邪?」璨懼,即脅哀帝曰:「人望歸元帥矣,陛下宜揖讓以授終。」璨請自行,進拜司空,為冊禮使,即日進道。及玄暉死,而全忠恚璨背己,貶登州刺史,俄除名為民,流崖州,尋斬之。臨刑悔咤曰:「負國賊柳璨,死宜矣!」弟瑀、瑊皆榜死。

玄暉は、少く賤しく、其の系著を得ず。朱全忠に事へて腹心と為る。昭宗東遷するに、玄暉枢密使と為る。帝陜州に駐まる。術家星緯常ならず、且つ大変有らんと言ふ。宜しく須らく冬を待ちて洛に幸すべしと。帝全忠必ず簒せんと度り、衛官高瑰に帛詔を持たしめて王建に賜ひ、脅遷を告げ、且つ言ふ、「全忠兵二万を以て洛陽を治め、将に我が左右を尽く去らんとす。君宜しく茂貞・克用・行密と同盟し、檄を襄・魏・幽・鎮に伝へ、各軍を以て我を迎へ還し京師にせしむべし」と。又全忠に詔して、「后方娠す。須らく十月にして乃ち東すべし」と。全忠帝謀有るを知り、寇彦卿をして趣き迫らしむ。天子已むを得ず、遂に行く。谷水に抵る。全忠左右の黄門・内園小児五百人を尽く殺し、悉く汴兵を以て衛と為す。初め、全忠鳳翔に至り、邠州を侵す。節度使楊崇本降り、其の家を質とす。崇本の妻美し。全忠之と乱る。故に崇本怒る。是に至り使者を遣はして克用・茂貞と会し、南に趙匡凝及び建に告げ、兵を同く挙げて劫遷の状を問はしむ。全忠大いに懼る。

原文玄暉者,少賤,不得其系著。事朱全忠為腹心。昭宗東遷,玄暉為樞密使。帝駐陜州,術家言星緯不常,且有大變,宜須冬幸洛。帝度全忠必篡,命衛官高瑰持帛詔賜王建,告以脅遷,且言:「全忠以兵二萬治洛陽,將盡去我左右,君宜與茂貞、克用、行密同盟,傳檄襄、魏、幽、鎮,使各以軍迎我還京師。」又詔全忠:「後方娠,須十月乃東。」全忠知帝有謀,遣寇彥卿趣迫。天子不得已,遂行。抵谷水,全忠盡殺左右黃門、內園小兒五百人,悉以汴兵為衛。初,全忠至鳳翔,侵邠州,節度使楊崇本降,質其家。崇本妻美,全忠與亂,故崇本怒。至是遣使者會克用、茂貞,南告趙匡凝及建,同舉兵問劫遷狀,全忠大懼。

帝は自ら関を出て、不測を畏れ、常に黙坐して涙を流した。玄暉と張廷範は内情を探り、必ず全忠に告げた。全忠は帝に伝禅の意なきを恨み、乃ち弑して人望を絶つことを謀り、因って其の属李振をして玄暉に諭させた。玄暉は龍武統軍朱友恭・氏叔琮と夜に勇士百人を選び行在を叩き、急奏有りと称し、帝に謁見を請うた。宮門開き、門に十人の士を留めて守らしむ。椒蘭院中に至り、夫人裴貞一が関を啓くや、之を殺し、乃ち殿下に趨る。玄暉曰く「上は安在か」と。昭儀季漸榮曰く「院使、宅家を傷つける毋れ、寧ろ我を殺せ」と。士剣を持ちて入る。帝聞き、遽かに単衣を着て走り、柱を環り、遂に弑せらる。漸榮身を以て帝を蔽い、亦死す。復た后を執る。后哀を求む。玄暉、全忠の弑する者は帝なりと為し、乃ち后を釈す。明日、宰相対請うも、日晏れども出でず。玄暉遺詔を矯り、帝夜に昭儀と博し、貞一・漸栄に弑せらると言い、二人の首を出す。全忠河中より来朝す。振曰く「晋文帝高貴郷公を殺し、罪を成済に帰す。今宜しく友恭等を誅し、天下の謗を解くべし」と。全忠西内に趨り臨み、嗣天子に対し自ら弑逆は本謀に非ざるを言い、皆友恭等の罪なりとし、因りて泣下し、罪人を討たんことを請う。是時洛城旱し、米一斗直ち銭六百、軍に糴を掠むる者有り、都人の怨み有り、故に因りて以て衆を悦ばしめ、友恭・叔琮を執りて斬る。全忠九錫を邀う。玄暉自ら詔を持ち汴に趨り之を言う。洛に還りて日を淹めず、全忠詔を矯りて収め有司に付し車裂に処し、兇逆百姓に貶し、屍を都門外に焚く。

原文帝自出關,畏不測,常默坐流涕。玄暉與張廷範內诇,必以告全忠。全忠恨帝無傳禪意,乃謀弒以絕人望,因令其屬李振諭玄暉。玄暉與龍武統軍朱友恭、氏叔琮夜選勇士百人叩行在,言有急奏,請見帝。宮門開,門留十士以守。至椒蘭院中,夫人裴貞一啟關,殺之,乃趨殿下。玄暉曰:「上安在?」昭儀季漸榮曰:「院使毋傷宅家,寧殺我!」士持劍入,帝聞,遽單衣走,環柱,遂弒之。漸榮以身蔽帝,亦死。復執後,後求哀。玄暉以全忠所弒者帝也,乃釋後。明日,宰相請對,日晏不出。玄暉矯遺詔,言帝夜與昭儀博,為貞一、漸榮所弒,出二人首。全忠自河中來朝,振曰:「晉文帝殺高貴鄉公,歸罪成濟。今宜誅友恭等,解天下謗。」全忠趨西內臨,對嗣天子自言弒逆非本謀,皆友恭等罪,因泣下,請討罪人。是時洛城旱,米鬥直錢六百,軍有掠糴者,都人怨,故因以悅眾,執友恭、叔琮斬之。全忠邀九錫,玄暉自持詔趨汴言之。還洛不淹日,全忠矯詔收付有司車裂之,貶為兇逆百姓,焚屍都門外。

廷範は、優人として全忠に愛せられ、東遷に扈従して禦営使と為り、進みて金吾衛将軍・河南尹と為る。全忠之を以て太常卿と為さんと欲す。宰相裴樞之を不可とし持す。繇りて樞罷め去る。柳璨旨に希い詔を下し、中外妄りに流品の清濁を言うを得ざるを責め、卒に廷範を用いて太常卿と為す。天子将に郊祀せんとすに会い、之を以て楽県を修める使と為し、又蘇楷等と昭宗の謚を駁す。全忠九錫の緩きを恚る。王殷其の璨等と天を祀り唐の祚を延ばさんとすと譖る。玄暉死し・璨誅せらるるに及び、即ち廷範を萊州司戸参軍に貶し、河南市にて轘す。

原文廷範者,以優人為全忠所愛,扈東遷為禦營使,進金吾衛將軍、河南尹。全忠欲以為太常卿,宰相裴樞持不可,繇是樞罷去。柳璨希旨下詔,責中外不得妄言流品清濁,卒用廷範太常卿。會天子將郊,以為修樂縣使,又與蘇楷等駁昭宗謚。全忠恚九錫緩也,王殷譖其與璨等祀天祁延唐祚,及玄暉死、璨誅,即貶廷範萊州司戶參軍,軒於河南市。

叔琮も亦汴州の人、中和の末感化軍に隷し、騎士として奮い、性沈壮にして胆力有り。全忠に従い黄巢を陳・許の間に撃ち、名諸将に右し、親校と為るを得たり。時溥・朱宣と戦い、以て多きに累ねて表し検校尚書右仆射と為り、宿州刺史と為る。趙匡凝を襄陽に攻むるも克たず。又李克用と洹水に戦い、曹州刺史に遷る。天復初、澤・潞を抜き、太原を撃ち、晋慈観察使を授かる。全忠鳳翔に屯す。克用絳州を襲い、臨汾を攻む。叔琮沙陀に類する二壮士を以て原に馬を牧し、克用軍と偕に行き、隙を伺い各々一虜を禽えて還る。克用大いに驚き、伏有りやと疑い、遂に蒲に退き屯す。朱友寧兵三万を以て来援すに会う。叔琮曰く「賊遁く矣、以て功を立つる無し」と。乃ち潜師して夜に遊騎を獵し、数百を殺し、進みて其の壘を破り、俘斬万級し、馬三千を収め、遂に長駆して汾州を取り、転戦して太原に薄きて還る。検校司空に遷り、再び進みて保大軍節度使と為る。

原文叔琮亦汴州人,中和末隸感化軍,以騎士奮,性沈壯有膽力。從全忠擊黃巢陳、許間,名右諸將,得為親校。與時溥、朱宣戰,以多累表檢校尚書右仆射,為宿州刺史。攻趙匡凝於襄陽,不克。又與李克用戰洹水,遷曹州刺史。天復初,拔澤、潞,擊太原,授晉慈觀察使。全忠屯鳳翔,克用襲絳州,攻臨汾,叔琮以二壯士類沙陀者牧馬於原,與克用軍偕行,伺隙各禽一虜還。克用大驚,疑有伏,遂退屯蒲。會朱友寧以兵三萬來援,叔琮曰:「賊遁矣,無以立功。」乃潛師夜獵遊騎,殺數百,進破其壘,俘斬萬級,收馬三千,遂長驅取汾州,轉戰薄太原而還。遷檢校司空,再進為保大軍節度使。

全忠帝を洛に遷さんと欲し、表して右龍武統軍と為す。帝を弑するに与る。故に全忠請うて白州司戸参軍に貶し、之を斬る。叔琮将に死せんとして呼びて曰く「朱溫我を売りて以て天下の容を取る、神理何を謂うや」と。

原文全忠欲遷帝於洛,表為右龍武統軍。與弒帝,故全忠請貶白州司戶參軍,斬之。叔琮將死,呼曰:「朱溫賣我以取容天下,神理謂何?」

友恭は、本は李彥威なり。寿州の人、汴州に客す。財を殖し任侠す。全忠愛して子の如く畜う。長剣都を領し、功を積み、表して検校尚書左仆射と為す。乾寧中、汝州刺史を授かり、検校司空と為る。楊行密鄂州を侵す。友恭兵万余を将いて杜洪を援け、江州に至り、還りて黄州を攻め、之に入り、行密の将を獲、俘斬万計す。又安州を襲い、守将を殺す。潁州刺史・感化軍節度留後に遷る。帝東遷す、左龍武統軍と為り、崖州司戸参軍に貶せらる。刑に臨みて曰く「溫我を殺す、当に亦族を滅すべし」と。又張廷範に語りて曰く「公行きて此に及ぶ」と云う。

原文友恭者,本李彥威也。壽州人,客汴州。殖財任俠,全忠愛而子畜之。領長劍都,積功,表為檢校尚書左仆射。乾寧中,授汝州刺史,檢校司空。楊行密侵鄂州,友恭將兵萬餘援杜洪,至江州,還攻黃州,入之,獲行密將,俘斬萬計。又襲安州,殺守將。遷潁州刺史、感化軍節度留後。帝東遷,為左龍武統軍,貶崖州司戶參軍。臨刑曰:「溫殺我,當亦滅族!」又語張廷範曰:「公行及此」雲。

【贊】

原文【贊】

贊に曰く、木将に壞せんとすれば、蟲実に之を生じ、国将に亡ばんとすれば、妖実に之を産す。故に三宰兇を嘯き牝辰を奪い、林甫蕃を将いて黄屋奔り、鬼質謀を敗りて元興蹙り、崔・柳倒れに持ちて李宗覆る。嗚呼、国家有る者は、戒めざるべけんや。

原文贊曰:木將壞,蟲實生之;國將亡,妖實產之。故三宰嘯兇牝奪辰,林甫將蕃黃屋奔,鬼質敗謀興元蹙,崔、柳倒持李宗覆。嗚呼,有國家者,可不戒哉!