新唐書

巻第一百六十八 列傳第九十三 韋執誼 王叔文附:王伾 陸質 劉禹錫 柳宗元 程异

巻第一百六十八 列傳第九十三 韋執誼 王叔文附:王伾 陸質 劉禹錫 柳宗元 程异

韋執誼

原文韋執誼

韋執誼は京兆の旧族である。幼くして才あり。進士に及第し、対策は異等、右拾遺に授けられる。冠を過ぎる年齢にて、翰林に入り学士となり、便敏にして側媚、徳宗の寵幸を得る。詩歌の属和に預からしめ、詔を被りて旨に称す。裴延齢・韋渠牟等と寵は相埒し、出入りして顧問に備わる。帝の誕生日に、皇太子が浮屠の画象を献ずるや、帝は執誼にこれを賛せしめ、太子は帛を賜う。詔して執誼をして東宮に詣でて謝せしむ。太子は卒然に見て言を藉る所なき者あり、乃ち曰く「君は王叔文を知るか。美才なり」と。執誼はここより叔文と善し。母喪により解く。喪終わりて、吏部郎中となり、数たび禁中に召し至らしむ。補闕張正一が上書により召見されしとき、その善しとする所の王仲舒・韋成季・劉伯芻・裴愬・常仲孺・呂洞、これに往きて賀す。或る者執誼に謂いて曰く「彼ら将に君と叔文の鉤党の事を論ぜんとす」と。執誼は即ち成季等の朋比し、窺望する所有るを白す。帝は金吾に伺わしめ、相過ぎて食飲する状を得、悉くこれを逐い出だす。

原文韋執誼,京兆舊族也。幼有才。及進士第,對策異等,授右拾遺。年逾冠,入翰林為學士,便敏側媚,得幸于德宗。使豫詩歌屬和,被詔稱旨。與裴延齡、韋渠牟等寵相埒,出入備顧問。帝誕日,皇太子獻畫浮屠象,帝使執誼贊之,太子賜以帛,詔執誼到東宮謝。太子卒見無所藉言者,乃曰:「君知王叔文乎?美才也。」執誼繇是與叔文善。以母喪解。終喪,為吏部郎中,數召至禁中。補闕張正一以上書召見,所善王仲舒、韋成季、劉伯芻、裴愬、常仲孺、呂洞往賀之,或謂執誼曰:「彼將論君與叔文鉤党事。」執誼即白成季等朋比,有所窺望。帝詔金吾伺,得相過食飲狀,悉逐出之。

順宗立ちて、疾を以て政に親しまず、叔文事を用うるや、乃ち執誼を擢て尚書左丞・同中書門下平章事とす。叔文と王伾は中に居て命を窃み、執誼に拠りて奉行せしめ、因りて朝権を迷奪せんと欲す。執誼既に引かれる所と為るも、然れども外は公議に迫られ、天下に党与に非ざるを示さんと欲し、乃ち時時異論を以て可否相い、密かに叔文に謝して曰く「敢えて約に負かず、共に国家の事を済さんと欲するのみ」と。叔文数たびその梗まれる所と為り、遂に詬怒し、反って仇怨を成す。憲宗内禅を受くるに及び、叔文・伾を流し、支党を分北し、執誼を貶して崖州司戸参軍とす。帝は宰相杜黄裳の婿なるを以て、故に最後に貶す。

原文順宗立,以疾不親政,叔文用事,乃擢執誼為尚書左丞、同中書門下平章事。叔文與王稻居中竊命,欲執誼據以奉行,因用迷奪朝權。執誼既為所引,然外迫公議,欲示天下非黨與者,乃時時異論相可否,而密謝叔文曰:「不敢負約,欲共濟國家事爾。」叔文數為所梗,遂詬怒,反成仇怨。及憲宗受內禪,流叔文、伾,分北支黨,貶執誼為崖州司戶參軍。帝以宰相杜黃裳之婿,故最後貶。

執誼は既に形勢を失い、禍将に及ばんとするを知り、尚在位するも、事に臨みて奄奄として気無く、人の足音を聞けば輒ち悸動し、敗るるに至る。始め未だ顕れざる時、嶺南の州県を言うを喜ばず。既に郎と為りて、嘗て職方に詣でて図を観るに、嶺南に至れば輒ち目を瞑い、左右に命じて徹去せしむ。相と為りてより、坐する堂に図有り、就いて省みず。既に旬を易え、試みにこれを観れば、崖州の図なり。不祥と以為い、これを悪む。果たして貶死す。

原文執誼已失形勢,知禍且及,雖尚在位,而臨事奄奄無氣,聞人足聲輒悸動,至於敗。始未顯時,不喜人言嶺南州縣。既為郎,嘗詣職方觀圖,至嶺南輒瞑目,命左右徹去。及為相,所坐堂有圖,不就省。既易旬,試觀之,崖州圖也,以為不祥,惡之。果貶死。

王叔文

原文王叔文

王叔文は越州山陰の人なり。棋を以て待詔と為る。頗る書を読み、班班として治道を言う。徳宗詔して東宮に直らしめ、太子これを引いて侍読と為し、因りて政を論じ宮市の弊に及ぶ。太子曰く「寡人上に見え、将に極めてこれを言わん」と。坐する者皆趣いて賛す。叔文独り嘿然たり。既に罷りて、太子曰く「向に君言無し、何ぞや」と。叔文曰く「太子の上に事うるは、膳を視り安んずるを問うに非ざれば与る無し。且つ陛下在位久しく、もし小人これに間せば、殿下の群情を収厭すと謂わん。則ち安んぞ解けんや」と。太子謝して曰く「先生に非ざればこの言を聞かず」と。ここよりこれを重んじ、宮中の事咸くこれと参訂す。

原文王叔文,越州山陰人。以棋待詔。頗讀書,班班言治道。德宗詔直東宮,太子引以侍讀,因論政及宮市之弊。太子曰:「寡人見上,將極言之。」坐皆趣贊,叔文獨嘿然。既罷,太子曰:「向君無言,何哉?」叔文曰:「太子之事上,非視膳問安無與也。且陛下在位久,有如小人間之,謂殿下收厭群情,則安解乎?」太子謝曰:「非先生不聞此言!」繇是重之,宮中事鹹與參訂。

叔文は浅中浮表にして、遂に言を肆にして疑わず、曰く「某は相と為るべく、某は将と為るべく、他日幸いにこれを用いよ」と。陰に天下の有名士を結び、而して速やかに進まんと欲する士は、率ね諧いてこれに附す。韋執誼・陸質・呂溫・李景儉・韓曄・韓泰・陳諫・柳宗元・劉禹錫を死友と為し、而して淩准・程又はその党に因りて進み、出入り詭秘、外その端を得る莫し。強藩劇帥は、或いは陰に相賂遺して以て自ら結ぶ。

原文叔文淺中浮表,遂肆言不疑,曰:「某可為相,某可為將,它日幸用之。」陰結天下有名士,而士之欲速進者,率諧附之,若韋執誼、陸質、呂溫、李景儉、韓曄、韓泰、陳諫、柳宗元、劉禹錫為死友,而淩准、程又因其黨進,出入詭秘,外莫得其端。強籓劇帥,或陰相賂遺以自結。

順宗立ちて、政を聴く能わず、深居して幄坐を施し、牛昭容・宦人李忠言を侍側せしめ、群臣の事を奏するに、幄中よりその奏を可す。王伾密かに諸黄門に語りて曰く「陛下素より叔文を厚くす」と。即ち蘇州司功参軍より起居郎・翰林学士に拝す。大抵叔文は伾に因り、伾は忠言に因り、忠言は昭容に因り、更に相依仗す。伾は伝受を主とし、叔文は裁可を主とし、乃ちこれを中書に授け、執誼詔文を作り施行す。時に景儉は親喪に居り、溫は吐蕃とばんに使す。惟だ質・泰・諫・准・畢・宗元・禹錫等これに倡譽し、以て伊・周・管・葛の復出と為し、憪然として天下に人無しと謂う。叔文毎に言う「銭穀は国の大本、その柄を操れば、因りて以て士を市うべし」と。乃ち白して杜佑を用いて度支・塩鉄使を領せしめ、己はこれに副い、実にその政を専らにす。淹時せずして、戸部侍郎に遷る。

原文順宗立,不能聽政,深居施幄坐,以牛昭容、宦人李忠言侍側,群臣奏事,從幄中可其奏。王伾密語諸黃門:「陛下素厚叔文。」即繇蘇州司功參軍拜起居郎、翰林學士。大抵叔文因伾,伾因忠言,忠言因昭容,更相依仗。伾主傳受,叔文主裁可,乃授之中書,執誼作詔文施行焉。時景儉居親喪,溫使吐蕃,惟質、泰、諫、准、畢、宗元、禹錫等倡譽之,以為伊、周、管、葛復出,憪然謂天下無人。叔文每言:「錢穀者,國大本,操其柄,可因以市士。」乃白用杜佑領度支、鹽鐵使,己副之,實專其政。不淹時,遷戶部侍郎。

宦人俱文珍その権を忌み、叔文の学士を罷む。詔出でて、駭悵して曰く「吾当に数たびここに至りて議事すべし。然らずんば、禁中に入る縁無し」と。伾復た力を請う。乃ち聴して三五日に一たび翰林に至らしむ。然れども旧職を得ず。省に在りてその職する所に事えず、日々その党を引きて神策の兵を取らんと謀り、天下の命を制せんとす。乃ち宿将范希朝を以て西北諸鎮行営兵馬使と為し、泰を司馬と為してこれに副わしむ。ここにおいて諸将中尉に移書し、将に去らんと告ぐ。宦人始めてその権を奪わるを悟り、大怒して曰く「吾属必ずその手に死せん」と。乃ち諸鎮に諭し、慎んで兵を以て人に属する無かれとす。希朝・泰奉天に到るも、諸将至らず、乃ち還る。

原文宦人俱文珍忌其權,罷叔文學士。詔出,駭悵曰:「吾當數至此議事。不然,無繇入禁中。」伾復力請,乃聽三五日一至翰林,然不得舊職矣。在省不事所職,日引其黨謀取神策兵,制天下之命。乃以宿將范希朝為西北諸鎮行營兵馬使,泰為司馬副之。於是諸將移書中尉,告且去,宦人始悟奪其權,大怒曰:「吾屬必死其手!」乃諭諸鎮,慎毋以兵屬人。希朝、泰到奉天,諸將不至,乃還。

叔文の母死す。匿して発せず、酒を翰林に置き、忠言・文珍等皆在り。金を裒めて以て餉い、因りて揚言して曰く「天子適た兔苑中に射し、鞍に跨がること飛ぶが若し。敢えて異議する者は斬らん」と。又自ら陳す「親疾病、身を以て国の大事を任じ、朝夕侍するを得ず。今当に急を請うべく、聴く宜し。然れども向の心を悉くし力を戮し、難易避くる所亡くして、天子の異知に報いしのみ。今一たびここを去らば、則ち百謗至らん。孰か吾が助け為す者あらんや」と。又言う「羊士諤我を毀短す。我将に杖殺せんとす。而して執誼懦くして果たさず。劉辟来たりて韋皋の為に三川を求めしが、吾が生平辟を識らず。便ち前に吾が手を執らんと欲す。凶人に非ずや。木場を掃して将にこれを斬らんとす。而して執誼持して可とせず。毎にこの二賊を失いしを念うとき、人をして悵恨せしむ」と。又度支を領する所以の利を興し害を去る者を陳べて己が労と為す。文珍語に随いて詰折す。叔文対うるを得ず。左右窃かに語りて曰く「母死して已に腐れり。方にここに留まる、将に何を為さんとするか」と。明日、乃ち喪を発す。執誼益々その語を用いず。乃ち起復を謀り、執誼と己に附かざる者を斬らんとす。聞く者恟懼す。

原文叔文母死,匿不發,置酒翰林,忠言、文珍等皆在,裒金以餉,因揚言曰:「天子適射兔苑中,跨鞍若飛,敢異議者斬。」又自陳:「親疾病,以身任國大事,朝夕不得侍,今當請急,宜聽。然向之悉心戮力,難易亡所避,報天子異知爾。今一去此,則百謗至,孰為吾助者?」又言:「羊士諤毀短我,我將杖殺之,而執誼懦不果。劉辟來為韋皋求三川,吾生平不識辟,便欲前執吾手,非凶人邪?掃木場將斬之,而執誼持不可。每念失此二賊,令人悵恨。」又陳領度支所以興利去害者為己勞。文珍隨語詰折,叔文不得對。左右竊語曰:「母死已腐,方留此,將何為邪?」明日,乃發喪。執誼益不用其語,乃謀起復,斬執誼與不附己者,聞者恟懼。

広陵王太子と為る。群臣皆喜ぶ。独り叔文憂色有り。杜甫の諸葛祠の詩を誦して以て自ら況え、歔欷して泣下す。太子已に国を監すれば、渝州司戸参軍に貶す。明年、誅死す。

原文廣陵王為太子,群臣皆喜,獨叔文有憂色,誦杜甫諸葛祠詩以自況,歔欷泣下。太子已監國,貶渝州司戶參軍。明年,誅死。

附 王伾

原文附 王伾

王伾は杭州の人なり。始め書を以て翰林に待詔し、太子宮に入りて侍書す。順宗立ちて、左散騎常侍・待詔に遷る。伾は本より闒茸、貌陋く、楚語、他の大志無し。帝褻にこれを寵し、叔文の任気して事を言うを好むが如く、帝の礼せらるるに及ばず。至りて出処に及びては、又伾の間無きに及ばず。叔文は入りて止む翰林に、而して伾は柿林院に至り、牛昭容等に見ゆ。その党盛んなる当時、門は皆沸羹の若く、而して伾は尤も天下の賕謝に通じ、日月闋くること無し。巨櫝を為り、竅を裁ちて以て珍を受く。出だすべからざらしめ、則ちその上に寝る。

原文王伾者,杭州人。始以書待詔翰林,入太子宮侍書。順宗立,遷左散騎常侍、待詔。伾本闒茸,貌{{?}}陋,楚語,無它大志,帝褻寵之,不如叔文任氣好言事,為帝所禮。至出處,又不及伾之無間也,叔文入止翰林,而伾至柿林院,見牛昭容等。當其党盛,門皆若沸羹,而伾尤通天下賕謝,日月不闋。為巨櫝,裁竅以受珍,使不可出,則寢其上。

叔文が既に喪に服すや、王伾は日ごとに宦官及び杜佑に請いて、叔文を宰相に起用し、且つ北軍を総べしむるを求めしも、許さず。又、威遠軍使として同中書門下平章事たらしむるを請うしも、復た許さず。乃ち一日に三表を上るも、皆報いず。憂懼して、歩みては臥し、夕に至りて大呼して曰く、「吾が疾発す」と。輿にて第に帰る。開州司馬に貶せられ、其の所にて死す。支党は皆逐われ、惟だ李質は以前に死せしによりて免る。

原文叔文既居喪,伾日請中人及杜佑起叔文為宰相,且總北軍,不許;又請以威遠軍使同中書門下平章事,復不可。乃一日三表,皆不報。憂悸,行且臥。至夕,大呼曰:「吾疾作。」輿歸第。貶開州司馬,死其所。支黨皆逐,惟質以前死免。

附 韓曄

原文附 韓曄

曄は、韓滉の族子にして、俊才あり。司封郎中より饒州司馬に貶せらる。永州刺史に終わる。

原文曄者,滉族子,有俊才。以司封郎中貶饒州司馬。終永州刺史。

附 陳諫

原文附 陳諫

諫は警敏にして、嘗て染署の歳簿を覧るに、悉く其の尺寸を言う能う。治むる所は、一たび籍を閲すれば、終身忘れず。河中少尹より台州司馬に貶せられ、循州刺史に終わる。

原文諫警敏,嘗覽染署歲簿,悉能言其尺寸。所治,一閱籍,終身不忘。自河中少尹貶台州司馬,終循州刺史。

附 凌準

原文附 凌準

準は、字あざなは宗一、史學あり。翰林学士より連州司馬に貶せられ、貶所にて死す。

原文准,字宗一,有史學。自翰林學士貶連州司馬,死於貶。

附 韓泰

原文附 韓泰

泰は、字は安平、籌畫あり、王伾・王叔文の倚重する所となり、大事を決する能う。戸部郎中・神策行営節度司馬より虔州司馬に貶せらる。湖州刺史に終わる。

原文泰,字安平,有籌畫,伾、叔文所倚重,能決大事。以戶部郎中、神策行營節度司馬貶虔州司馬。終湖州刺史。

陸質

原文陸質

陸質は、字は伯沖。七代の祖澄は、梁に仕えて名儒と為る。世に吳に居る。『春秋』に明るく、趙匡に師事し、匡は啖助に師事す。質は二家の學を盡く傳う。陳少遊が淮南を鎮むるや、幕府に表して、朝に薦め、左拾遺を授く。累遷して左司郎中に至り、信・台二州刺史を歴任す。

原文陸質,字伯沖。七代祖澄,仕梁為名儒。世居吳。明《春秋》,師事趙匡,匡師啖助,質盡傳二家學。陳少遊鎮淮南,表在幕府,薦之朝,授左拾遺。累遷左司郎中,曆信、台二州刺史。

質は素より韋執誼に善し。時に執誼が叔文に附いて威柄を竊むるや、其の力を用いて給事中に召す。憲宗が太子たりし時、詔して侍読と為す。質は本名淳、太子の名を避けて、故に改む。時に執誼は太子が己の専を怒るを懼れ、故に質をして東宮に侍せしめ、陰に意を伺いて左右の者を解釈せしむ。質が間を伺いて言う所あるや、太子輒ち怒りて曰く、「陛下先生を命じて寡人の為に學を講ぜしむ、何ぞ它に及ぶべけんや」と。質は惶懼して出づ。

原文質素善韋執誼,方執誼附叔文竊威柄,用其力召為給事中。憲宗為太子,詔侍讀。質本名淳,避太子名,故改。時執誼懼太子怒己專,故以質侍東宮,陰伺意解釋左右之。質伺間有所言,太子輒怒曰:「陛下命先生為寡人講學,何可及它?」質惶懼出。

執誼未だ敗れざる時、質病甚だし。太子既に即位し、臨問して礼を加う。卒す。門人、質が聖人の書を能く文し、後世に通ずるを以て、私に共に諡して文通先生と曰う。著す所の書甚だ多し、世に行わる。

原文執誼未敗時,質病甚,太子已即位,為臨問加禮。卒,門人以質能文聖人書,通於後世,私共諡曰文通先生。所著書甚多,行於世。

劉禹錫

原文劉禹錫

劉禹錫は、字は夢得、自ら言う、系は中山に出づと。世儒と為る。進士第に擢でられ、博學宏辭科に登り、文章に工なり。淮南の杜佑、表して書記を管せしめ、入りて監察御史と為る。素より韋執誼に善し。時に王叔文太子の寵を得、禹錫は名一時に重きを以て、之と交わり、叔文每に宰相の器有りと称す。太子即位し、朝廷の大議秘策多く叔文より出で、禹錫及び柳宗元を引きて禁中に与に議せしめ、言う所必ず従わる。屯田員外郎に擢でられ、度支・鹽鐵案を判じ、頗る其の勢を馮藉し、多く士を中傷す。若し武元衡は柳宗元の喜ばざる所と為り、自ら御史中丞より下りて太子右庶子と為る。御史竇群、禹錫を劾して邪を挾み政を乱すとす。群は即日罷めらる。韓皋は素より貴く、肯て叔文等に親しまず、斥けられて湖南觀察使と為る。凡そ進退する所は、愛怒の重軽を視、人敢えて其の名を指さず、「二王・劉・柳」と号す。

原文劉禹錫,字夢得,自言系出中山。世為儒。擢進士第,登博學宏辭科,工文章。淮南杜佑表管書記,入為監察御史。素善韋執誼。時王叔文得幸太子,禹錫以名重一時,與之交,叔文每稱有宰相器。太子即位,朝廷大議秘策多出叔文,引禹錫及柳宗元與議禁中,所言必從。擢屯田員外郎,判度支、鹽鐵案,頗馮藉其勢,多中傷士。若武元衡不為柳宗元所喜,自御史中丞下除太子右庶子;御史竇群劾禹錫挾邪亂政,群即日罷;韓皋素貴,不肯親叔文等,斥為湖南觀察使。凡所進退,視愛怒重輕,人不敢指其名,號「二王、劉、柳」。

憲宗が即位し、叔文らが敗れると、禹錫は連州刺史に貶せられたが、未だ到着せず、朗州司馬に斥けられた。州は夜郎の諸夷に接し、風俗は甚だ陋しく、家々は巫鬼を喜び、毎度祭祀の際には、『竹枝』を歌い、鼓吹して徘徊し、その声は傖佇であった。禹錫は、屈原が沅・湘の間に居て『九歌』を作り、楚人に神を迎え送らせたと謂い、乃ちその声に倚り、『竹枝辞』十餘篇を作った。ここにおいて武陵の夷俚は悉くこれを歌った。

原文憲宗立,叔文等敗,禹錫貶連州刺史,未至,斥朗州司馬。州接夜郎諸夷,風俗陋甚,家喜巫鬼,每祠,歌《竹枝》,鼓吹裴回,其聲傖佇。禹錫謂屈原居沅、湘間作《九歌》,使楚人以迎送神,乃倚其聲,作《竹枝辭》十餘篇。於是武陵夷俚悉歌之。

初め、叔文に坐して貶せられた者は八人、憲宗は終に斥けて復用せざることを欲し、乃ち詔して後に更に赦令有りと雖も原宥すべからずとす。然れども宰相其の才を哀れみ且つ困窮するを、将に澡濯して用いんとし、会に程异復た起きて運務を領するに及び、乃ち詔して禹錫らに悉く遠州刺史を補せしむ。而して元衡方に政を執り、諫官頗る用うべからずと言う、遂に罷む。

原文始,坐叔文貶者八人,憲宗欲終斥不復,乃詔雖後更赦令不得原。然宰相哀其才且困,將澡濯用之,會程异復起領運務,乃詔禹錫等悉補遠州刺史。而元衡方執政,諫官頗言不可用,遂罷。

禹錫久しく落魄し、鬱鬱として自ら聊かすこと能わず、其の吐く辞多く諷托幽遠にして、『問大鈞』・『謫九年』等の賦数篇を作る。又叙して曰く、「張九齢が宰相たりし時、建言して放臣は善地と与すべからずとし、悉く五溪の不毛の処に徙す。然れども九齢自ら内職より出でて始安に至り、瘴癘の歎有り;政事を罷めて荊州を守り、拘囚の思有り。身は遐陬より出で、一たび失意すれば能く堪えず、況んや華人の士族、必ず醜地に致して、然る後に快意ならんや!議者開元の良臣と為すも、而して卒に嗣無し、豈に忮心恕を失い、陰責最大にして、他の美を以てすら贖うこと莫きか!」権近に感諷せんと欲するも、而して憾み釋れず。久しくして、召し還さる。宰相南省郎に任ぜんと欲するも、而して禹錫『玄都観看花君子』の詩を作り、語譏忿にして、当路者喜ばず、播州刺史として出づ。詔下るや、御史中丞裴度言う、「播は極めて遠く、猿狖の宅する所、禹錫の母八十餘、往くこと能わず、其の子と死訣せんとす、恐らくは陛下の孝治を傷らん、請う稍く内遷せしめよ。」帝曰く、「人子たる者は宜しく事を慎み、親に憂いを貽すこと無かるべし。若し禹錫他人を望まば、尤も赦すべからず。」度敢えて対せず、帝容を改めて曰く、「朕の言う所は、人子の事を責むるなり、終に其の親を傷らんと欲せず。」乃ち連州に易え、又夔州刺史に徙す。

原文禹錫久落魄,鬱鬱不自聊,其吐辭多諷托幽遠,作《問大鈞》、《謫九年》等賦數篇。又敘:「張九齡為宰相,建言放臣不宜與善地,悉徙五溪不毛處。然九齡自內職出始安,有瘴癘之歎;罷政事守荊州,有拘囚之思。身出遐陬,一失意不能堪,矧華人士族必致醜地,然後快意哉!議者以為開元良臣,而卒無嗣,豈忮心失恕,陰責最大,雖它美莫贖邪!」欲感諷權近,而憾不釋。久之,召還。宰相欲任南省郎,而禹錫作《玄都觀看花君子》詩,語譏忿,當路者不喜,出為播州刺史。詔下,御史中丞裴度為言:「播極遠,猿狖所宅,禹錫母八十餘,不能往,當與其子死訣,恐傷陛下孝治,請稍內遷。」帝曰:「為人子者宜慎事,不貽親憂。若禹錫望它人,尤不可赦。」度不敢對,帝改容曰:「朕所言,責人子事,終不欲傷其親。」乃易連州,又徙夔州刺史。

禹錫嘗て天下の学校廃れるを歎き、乃ち宰相に奏記して曰く、

原文禹錫嘗歎天下學校廢,乃奏記宰相曰:

言う者は天下に士少なしと謂うも、而して材を養うの道を知らず、鬱堙して揚がらず、天の材を生ぜざるに非ざるなり。是れ耕さずして廩庾の餘無きを歎くが若く、可ならんや?貞観の時、学舍千二百区、生徒三千餘、外夷子弟を遣わして入附する者五国。今室廩廃れ、生徒衰少す、学官振わざるに非ず、資無きを病として以て給するなり。

原文言者謂天下少士,而不知養材之道,鬱堙不揚,非天不生材也。是不耕而歎廩庾之無餘,可乎?貞觀時,學舍千二百區,生徒三千餘,外夷遣子弟入附者五國。今室廬圮廢,生徒衰少,非學官不振,病無貲以給也。

凡そ学官、春秋に先師に釈奠す、是れ辟雍・頖宮に止まり、天下に及ばず。今州縣咸に春秋上丁を以て孔子廟に事有り、其の礼古に応ぜず、甚だ孔子の意に非ず。漢初群臣屠販より起り、故に孝惠・高後の間郡国に原廟を置く、元帝の時に逮び、韋玄成遂に議して之を罷む。夫子孫尚お礼を違えて其の祖を饗うことを敢えず、況んや後学先聖の道に師いて而して之を違えんと欲するや。『伝』に曰く、「祭は数うるを欲せず。」又曰く、「神を祭るには神在ますが如し。」其の薦饗に煩するに与りては、孰か其の教を行わん。今教頽靡し、而して非礼の祀を以て之に媚びる、儒者の宜しく疾む所なり。窃かに歴代を観るに是の事有ること無し。

原文凡學官,春秋釋奠于先師,斯止辟雍、頖宮,非及天下。今州縣鹹以春秋上丁有事孔子廟,其禮不應古,甚非孔子意。漢初群臣起屠販,故孝惠、高後間置原廟于郡國,逮元帝時,韋玄成遂議罷之。夫子孫尚不敢違禮饗其祖,況後學師先聖道而欲違之。《傳》曰:「祭不欲數。」又曰:「祭神如神在。」與其煩於薦饗,孰若行其教?今教頹靡,而以非禮之祀媚之,儒者所宜疾。竊觀歷代無有是事。

武徳初、詔して国学に周公・孔子の廟を立て、四時に祭らしむ。貞観中、詔して孔子廟を兗州に修めしむ。後許敬宗等奏して天下州縣に三献官を置き、其他社を立つるが如し。玄宗儒臣と議し、釈奠の牲牢を罷め、酒脯を薦む。時に王孫林甫宰相たり、学に渉らず、御史中丞王敬従をして明衣牲牢を令に著わさしむ、遂に之を非とすること無き者有り。今夔四県歳に釈奠の費十六万、天下州縣の歳凡そ費す所四千万、適に三献官の衣裳を飾り、妻子に飴するを資とし、学に補うこと無し。

原文武德初,詔國學立周公、孔子廟,四時祭。貞觀中,詔修孔子廟兗州。後許敬宗等奏天下州縣置三獻官,其他如立社。玄宗與儒臣議,罷釋奠牲牢,薦酒脯。時王孫林甫為宰相,不涉學,使御史中丞王敬從以明衣牲牢著為令,遂無有非之者。今夔四縣歲釋奠費十六萬,舉天下州縣歲凡費四千萬,適資三獻官飾衣裳,飴妻子,于學無補也。

請う礼官博士を下して議せしめ、天下州縣の牲牢衣幣を罷め、春秋の祭り開元の時の如くし、其の資を籍して半ばを隷する州に畀え、学校を増さしめ、半ばを挙げて太学に帰せしめよ、猶お万計に下らざるべく、以て学室を営み、器用を具え、饌食を豊かにし、掌故を増し、以て使令に備え、儒官各お稍食を加え、州縣の進士皆程督を立てしめよ、則ち貞観の風、粲然として復すべし。

原文請下禮官博士議,罷天下州縣牲牢衣幣,春秋祭如開元時,籍其資半畀所隸州,使增學校,舉半歸太學,猶不下萬計,可以營學室,具器用,豐饌食,增掌故,以備使令,儒官各加稍食,州縣進士皆立程督,則貞觀之風,粲然可復。

当時其の言を用いず。

原文當時不用其言。

和州刺史より入りて主客郎中と為り、復た『游玄都』の詩を作り、且つ言う、「初め謫せられて十年、京師に還りし時、道士桃を植う、其の盛んなること霞の若し。又十四年を過ぎて之を過ぐるに、復た一も存せず、唯だ兔葵・燕麥春風に動揺するのみ。」以て権近を詆し、聞く者益々其の行を薄しむ。俄に東都に分司す。宰相裴度集賢殿大学士を兼ね、雅く禹錫を知り、礼部郎中・集賢直学士に薦む。度罷むるや、蘇州刺史として出づ。政最を以て、金紫服を賜う。汝・同二州に徙す。太子賓客に遷り、復た分司す。

原文由和州刺史入為主客郎中,復作《游玄都》詩,且言:「始謫十年,還京師,道士植桃,其盛若霞。又十四年過之,無復一存,唯兔葵、燕麥動搖春風耳。」以詆權近,聞者益薄其行。俄分司東都。宰相裴度兼集賢殿大學士,雅知禹錫,薦為禮部郎中、集賢直學士。度罷,出為蘇州刺史。以政最,賜金紫服。徙汝、同二州。遷太子賓客,復分司。

禹錫才を恃みて廢せられ、褊心怨望無きこと能わず、年益々晏く、偃蹇として合う所寡く、乃ち文章を以て自ら適す。素より詩を善くし、晚節尤も精しく、白居易と酬復頗る多し。居易詩を以て自ら名とすと雖も、嘗て「詩豪」と推し、又言う、「其の詩在る処、応に神物の護持有るべし。」

原文禹錫恃才而廢,褊心不能無怨望,年益晏,偃蹇寡所合,乃以文章自適。素善詩,晚節尤精,與白居易酬復頗多。居易以詩自名者,嘗推為「詩豪」,又言:「其詩在處,應有神物護持。」

会昌の時、検校礼部尚書を加う。卒す、年七十二、戸部尚書を贈らる。初め疾病に罹り、自ら『子劉子伝』を作り、称して曰く、「漢景帝の子勝、中山に封ぜられ、子孫中山人と為る。七代祖亮、元魏の冀州刺史、洛陽に遷り、北部都昌人と為り、墳墓洛北山に在り、後其の地狭くして依るべからず、乃ち滎陽けいよう檀山原に葬る。徳宗天下を棄て、太子立つ、時に王叔文善弈を以て通籍を得、因りて間言事し、積久しくして、衆未だ知らず。蘇州掾より起き、超えて起居舍人・翰林学士に拝され、陰に丞相杜佑を薦めて度支・塩鉄使と為す。翌日、自ら副と為り、貴震一時。叔文、北海の人、自ら猛の後と言い、遠祖の風有り、東平呂溫・隴西李景儉・河東柳宗元以て信然と為す。三子者皆予厚く善くし、日夕過ぎ、其の能を言う。叔文実に治道を言うに工く、口辯を以て人を移すこと能く、既に用いらるるを得、施為する所人以為えず当らずと。太上久しく疾み、宰臣及び用事者対うことを得ず、宮掖の事秘かにして、桓を建て順を立つるも、功貴臣に帰す、是れ由りて及びて貶せらる。」其の自ら弁解する所大略此の如し。

原文會昌時,加檢校禮部尚書。卒,年七十二,贈戶部尚書。始疾病,自為《子劉子傳》,稱:「漢景帝子勝,封中山,子孫為中山人。七代祖亮,元魏冀州刺史,遷洛陽,為北部都昌人,墳墓在洛北山,後其地狹不可依,乃葬滎陽檀山原。德宗棄天下,太子立,時王叔文以善弈得通籍,因間言事,積久,眾未知。至起蘇州掾,超拜起居舍人、翰林學士,陰薦丞相杜佑為度支、鹽鐵使。翌日,自為副,貴震一時。叔文,北海人,自言猛之後,有遠祖風,東平呂溫、隴西李景儉、河東柳宗元以為信然。三子者皆予厚善,日夕過,言其能。叔文實工言治道,能以口辯移人,既得用,所施為人不以為當。太上久疾,宰臣及用事者不得對,宮掖事秘,建桓立順,功歸貴臣,由是及貶。」其自辯解大略如此。

柳宗元

原文柳宗元

柳宗元、字は子厚、其の先蓋し河東の人。從曾祖奭中書令と為り、武后に得罪し、高宗の時に死す。父鎮、天宝末乱に遇い、母を奉じて王屋山に隠れ、常に間行して養いを求め、後吳に徙る。肅宗賊を平げ、鎮上書して事を言い、左衛率府兵曹参軍に擢げらる。郭子儀の朔方府を佐け、三遷して殿中侍御史と為る。事を以て竇参に触れ、夔州司馬に貶せらる。還り、終に侍御史と為る。

原文柳宗元,字子厚,其先蓋河東人。從曾祖奭為中書令,得罪武后,死高宗時。父鎮,天寶末遇亂,奉母隱王屋山,常間行求養,後徙于吳。肅宗平賊,鎮上書言事,擢左衛率府兵曹參軍。佐郭子儀朔方府,三遷殿中侍御史。以事觸竇參,貶夔州司馬。還,終侍御史。

宗元少しくして精敏絶倫、文章を為すに卓偉精緻、一時の輩行推仰す。進士・博学宏辞科に第し、校書郎を授かり、藍田尉に調う。貞元十九年、監察御史裏行と為る。王叔文・韋執誼に善くし、二人者其の才を奇とす。政を得るに及び、内禁近に引き入れ、計事に与り、礼部員外郎に擢げ、大いに進用せんと欲す。

原文宗元少精敏絕倫,為文章卓偉精緻,一時輩行推仰。第進士、博學宏辭科,授校書郎,調藍田尉。貞元十九年,為監察御史裏行。善王叔文、韋執誼,二人者奇其才。及得政,引內禁近,與計事,擢禮部員外郎,欲大進用。

やがて叔文が敗れると、邵州刺史に貶せられ、半道にも至らぬうちに、永州司馬に貶せられた。既に流謫の身となり、土地もまた荒れて瘴癘の地であるため、自ら山沢の間に放浪し、その鬱屈した感情をすべて文章に託し、『離騷』に倣って数十篇を著した。読む者は皆、悲しみ哀しんだ。平素より蕭俛と親しく、書を贈って心情を述べて言うには、

原文俄而叔文敗,貶邵州刺史,不半道,貶永州司馬。既竄斥,地又荒癘,因自放山澤間,其堙厄感鬱,一寓諸文,仿《離騷》數十篇,讀者咸悲惻。雅善蕭俛,詒書言情曰:

私は以前、進退不安の情勢に当たり、平素は門を閉ざし、口舌の争いは数知れず、また久しく遊説の徒と交わり、危うくその間に身を置いた。進んで退かんとする者は皆、集まって仇怨となり、粉飾を造作し、蔓延してますます甚だしくなった。明らかに自ら内に断じなければ、誰が私を冥々たる中で理解できようか。私は当時三十三歳、御史裏行から礼部員外郎に抜擢され、顕著な美職を得た。世の求進の者の怪しみ怒り嫉み憎むことを免れようとして、得られるであろうか。罪人と交わり十年、官はこれによって進み、辱は附会に在り。聖朝は寛大で、貶黜は甚だ軽く、衆人の怒りを塞がず、誹謗の言葉はますます広がり、囂囂嗷嗷として、次第に怪人と成り下がった。智を飾って仕官を求める者は、さらに私を罵って仇人の心を喜ばせ、日々新奇を為し、互いに喜ばせんと務め、自ら援引の道を速めんとした。我々はますます困辱に陥り、万の罪が横生し、その端緒を知らず、悲しいことよ。人生七十古来稀なり、今や三十七歳、年を経て日月のますます促きを覚え、年々一層甚だしく、多くは数十の寒暑を過ぎず、この身は無くなる。是非栄辱など、また何を足して言わん。云々と止まず、ただ罪を増すのみ。

原文僕向者進當臲卼不安之勢,平居閉門,口舌無數,又久興遊者,岌岌而操其間。其求進而退者,皆聚為仇怨,造作粉飾,蔓延益肆。非的然昭晰、自斷於內,孰能了僕於冥冥間哉?僕當時年三十三,自御史裏行得禮部員外郎,超取顯美,欲免世之求進者怪怒媢疾,可得乎?與罪人交十年,官以是進,辱在附會。聖朝寬大,貶黜甚薄,不塞眾人之怒,謗語轉侈,囂囂嗷嗷,漸成怪人。飾智求仕者,更詈僕以悅仇人之心,日為新奇,務相悅可,自以速援引之路。僕輩坐益困辱,萬罪橫生,不知其端,悲夫!人生少六七十者,今三十七矣,長來覺日月益促,歲歲更甚,大都不過數十寒暑,無此身矣。是非榮辱,又何足道!云云不已,祗益為罪。

蛮夷の中に久しく居り、炎毒に慣れ、目は昏く足は重く腫れ、これを常と思いなしていた。突然北風に遇い朝起き、薄寒が体に中ると、肌膚は惨懍とし、毛髪は蕭條として、瞿然として注視し、怵惕として異候と思い、意緒はほとんど中国人ではないようだ。楚・越の間の声音は特に異なり、鴂舌啅噪であるが、今これを聞いて恬然として怪しまず、すでに彼らと同類となった。家に生まれた小童は皆、自然に嘵嘵とし、昼夜耳に満ちる。北人の言を聞けば、啼き呼び走り匿れ、病夫ですらも怛然として驚く。門を出て州閭市井に適う者を見れば、その十八九は杖にすがって起き上がる。自ら料るに、ここに居るのもまた幾何ほどか、さらに止まることを知らず、長短を言説し、重ねて一世の非笑を受けようか。『易』の「困卦」を読み「有言不信、尚口乃窮」に至り、往復してますます喜び、言うには「ああ、我が家に一喙を置いて自ら称道しても、辱はますます甚だしいのみ」。これによってさらに喑黙を楽しみ、木石を徒とし、再び意を致さない。

原文居蠻夷中久,慣習炎毒,昏眊重膇,意以為常。忽遇北風晨起,薄寒中體,則肌革慘懍,毛髮蕭條,瞿然注視,怵惕以為異候,意緒殆非中國人也。楚、越間聲音特異,鴂舌啅噪,今聽之恬然不怪,已與為類矣。家生小童,皆自然嘵嘵,晝夜滿耳;聞北人言,則啼呼走匿,雖病夫亦怛然駭之。出門見適州閭市井者,其十八九杖而後興。自料居此,尚復幾何,豈可更不知止,言說長短,重為一世非笑哉?讀《易·困卦》至「有言不信,尚口乃窮」,往復益喜,曰:「嗟乎!餘雖家置一喙以自稱道,詬益甚耳。」用是更樂喑默,與木石為徒,不復致意。

今天子は教化を興し、邪正を定め、海内は皆欣欣として怡愉であるが、私と四、五人の者はこのように淪陷している。これ命ではなかろうか。命は天なり、云々する者の制する所ではなく、また何を恨まん。しかし治平の世に居りながら、終身頑人の類となるは、なお少しの恥あり、未だ尽く忘れることができない。もし賊平の慶賞の際に因り、以て白状せしめられ、天沢の余潤を受けることができれば、朽枿敗腐して生植できずとも、なお芝菌を蒸し出して瑞物と為すに足る。一度廃錮を解かれ、数県の地に移されれば、世は必ず罪少し解けたと言うであろう。その後魂魄を収め召し、土一廛を買って耕氓と為し、朝夕歌謠して文章を成し、庶幾くば木鐸者がこれを採取し、法宮に献じて聖唐大雅の什を増し、位を得ずとも、また虚しく太平の人と為らざらん。

原文今天子興教化,定邪正,海內皆欣欣怡愉,而僕與四五子者,淪陷如此,豈非命歟?命乃天也,非云云者所制,又何恨?然居治平之世,終身為頑人之類,猶有少恥,未能盡忘。儻因賊平慶賞之際,得以見白,使受天澤餘潤,雖朽枿敗腐不能生植,猶足蒸出芝菌,以為瑞物。一釋廢錮,移數縣之地,則世必曰罪稍解矣。然後收召魂魄,買土一廛為耕氓,朝夕歌謠,使成文章,庶木鐸者採取,獻之法宮,增聖唐大雅之什,雖不得位,亦不虛為太平人矣。

また京兆尹許孟容に贈って言うには、

原文又詒京兆尹許孟容曰:

宗元は早くより罪を負う者と親善し、初めその才能を奇として、以て共に仁義を立て教化を裨益すべしと謂う。過ちて自ら料らず、勤勤勉勵し、ただ忠正信義を志とし、堯・舜・孔子の道を興し、元元を利安するを務めとし、愚陋にして強うべからざるを知らず、その素意はかくの如し。末路に厄塞臲卼し、事既に壅隔し、貴近に很忤し、狂疏繆戾にして、不測の辜を蹈む。今、党与は幸いに寬貸を得、各々善地を得、公事無く、坐して奉祿を食む、德至って渥し。なお何ぞ敢えて更に除棄廢痼を俟ち、外の澤を望まん。年少気鋭、幾微を識らず、当否を知らず、ただ一心に直遂せんと欲し、果たして刑法に陷る、皆自ら求め取る所、また何を怪しまん。

原文宗元早歲與負罪者親善,始奇其能,謂可以共立仁義,裨教化。過不自料,勤勤勉勵,唯以忠正信義為志,興堯、舜、孔子道,利安元元為務,不知愚陋不可以強,其素意如此也。末路厄塞臲卼,事既壅隔,很忤貴近,狂疏繆戾,蹈不測之辜。今黨與幸獲寬貸,各得善地,無公事,坐食奉祿,德至渥也。尚何敢更俟除棄廢痼,希望外之澤哉?年少氣銳,不識幾微,不知當否,但欲一心直遂,果陷刑法,皆自所求取,又何怪也?

宗元は衆党人の中にて、罪状最も甚だしく、神理の罰降り、また即死せず、なお人に対し語言し、飲食して自ら活き、迷いて恥を知らず、日を重ねる。然れどもまた大故有り。姓を得て以来二千五百年、代々塚嗣たりしが、今、非常の罪を抱き、夷獠の郷に居り、卑湿昏霧、一日に溝壑に填委し、先緒を曠墜するを恐れ、以て怛然として痛恨し、心骨沸熱す。煢煢として孤立し、子息無く、荒陬の中に士人女子少なく、婚する者無く、世もまた罪人と親昵するを肯ぜず、以て嗣續の重き、縷の如く絶えず。春秋の時饗毎に、孑立して奠を捧げ、顧眄するに後継する者無く、懍懍然として欷歔惴惕し、この事便ち已むを恐れ、心を摧き骨を傷み、鋒刃を受けるが若し。これは誠に丈人の共に閔惜する所なり。先墓は城南に在り、異なる子弟主と為る者無く、独り村鄰に托す。譴逐されて以来、消息存亡一至せず、郷閭の主守固より益々怠る。昼夜哀憤し、松柏を毀傷し、芻牧禁ぜられず、以て大戾を成すを懼る。近世礼は拜掃を重んず、今闕くこと四年なり。寒食に遇う毎に、則ち北に向かって長號し、以て首を地に頓つ。田野道路を想うに、士女遍満し、皁隸庸丐も皆父母の丘墓に上ることを得、馬医・夏畦の鬼も子孫の追養を受からざるは無し。然れどもこれは已に望みを息め、また何を以てか雲わん。城西に数頃の田有り、樹果数百株、多く先人の手自ら封植する所、今已に荒穢し、便ち斬伐せられ、再び愛惜無からんことを恐る。家に賜書三千卷有り、尚ほ善和裏の旧宅に在り、宅は今三たび主を易え、書の存亡知る可からず。皆付受の重き所、常に心腑に系る、然れども為す可き者無し。立身一たび敗れば、万事瓦裂し、身は殘り家は破れ、世の大僇と為る。是を以て食に当たりて辛鹹節適を知らず、洗沐盥漱、動もすれば歳時を踰え、一たび皮膚を搔けば、塵垢爪に満つ、誠に憂恐悲傷し、告訴する所無く、以て此に至る。

原文宗元于眾党人中,罪狀最甚,神理降罰,又不能即死,猶對人語言,飲食自活,迷不知恥,日復一日。然亦有大故。自以得姓來二千五百年,代為塚嗣,今抱非常之罪,居夷獠之鄉,卑濕昏霧,恐一日填委溝壑,曠墜先緒,以是怛然痛恨,心骨沸熱。煢煢孤立,未有子息,荒陬中少士人女子,無與為婚,世亦不肯與罪人親昵,以是嗣續之重,不絕如縷。每春秋時饗,孑立捧奠,顧眄無後繼者,懍懍然欷歔惴惕,恐此事便已,摧心傷骨,若受鋒刃。此誠丈人所共閔惜也。先墓在城南,無異子弟為主,獨托村鄰。自譴逐來,消息存亡不一至,鄉閭主守固以益怠。晝夜哀憤,懼便毀傷松柏,芻牧不禁,以成大戾。近世禮重拜掃,今闕者四年矣。每遇寒食,則北向長號,以首頓地。想田野道路,士女遍滿,皁隸庸丐,皆得上父母丘墓;馬醫、夏畦之鬼,無不受子孫追養者。然此已息望,又何以雲哉?城西有數頃田,樹果數百株,多先人手自封植,今已荒穢,恐便斬伐,無復愛惜。家有賜書三千卷,尚在善和裏舊宅,宅今三易主,書存亡不可知。皆付受所重,常系心腑,然無可為者。立身一敗,萬事瓦裂,身殘家破,為世大僇。是以當食不知辛鹹節適,洗沐盥漱,動逾歲時,一搔皮膚,塵垢滿爪,誠憂恐悲傷,無所告訴,以至此也。

古より賢人才士、志を秉り分を遵び、謗議を被りて自ら明らかにすること能わざる者、百数を以て数う。故に兄無くして嫂を盗み、孤女を娶りて婦翁を撾つ者有り。然れども当世の豪傑に頼りて分明に辨列し、卒に史冊を光らす。管仲は盗に遇い、升って功臣と為り、匡章は不孝の名を被り、孟子之に礼す。今は已に古人の実為有るも無くして詬有り、世人の己を明らかにするを望むは、得べからず。直不疑は金を買いて以て同舎に償い、劉寬は下車して、牛を郷人に帰す。これは誠に疑似の辯うべからざるを知り、口舌の能く勝つ所に非ざるなり。鄭詹は晉に束縛せられ、終に死せず、鐘儀は南音、卒に國に返ることを獲、叔向は囚虜、自ら必ず免かるを期し、范痤は危に騎り、以て生を死に易え、蒯通は鼎耳に據り、齊の上客と為り、張蒼・韓信は斧鑕に伏し、終に將相を取る。鄒陽は獄中に在り、以て書自ら治め、賈生は斥逐せられ、復た宣室に召され、兒寬は擯厄せられ、後御史大夫に至り、董仲舒・劉向は獄に下り誅に當たり、漢の儒宗と為る。これらは皆瑰偉博辯奇壯の士、能く自ら解脫す。今、恇怯淟涊、下才末伎、また痼病を嬰り、慷慨攘臂せんと欲すとも、自ら昔人に同ぜんとすれば、愈よ疏闊なり。

原文自古賢人才士,秉志遵分,被謗議不能自明者,以百數。故有無兄盜嫂,娶孤女撾婦翁者。然賴當世豪傑分明辨列,卒光史冊。管仲遇盜,升為功臣;匡章被不孝名,孟子禮之。今已無古人之實為而有詬,欲望世人之明己,不可得也。直不疑買金以償同舍;劉寬下車,歸牛鄉人。此誠知疑似之不可辯,非口舌所能勝也。鄭詹束縛于晉,終以無死;鐘儀南音,卒獲返國;叔向囚虜,自期必免;范痤騎危,以生易死;蒯通據鼎耳,為齊上客;張蒼、韓信伏斧鑕,終取將相;鄒陽獄中,以書自治;賈生斥逐,復召宣室;兒寬擯厄,後至御史大夫;董仲舒、劉向下獄當誅,為漢儒宗。此皆瑰偉博辯奇壯之士,能自解脫。今以恇怯淟涊,下才末伎,又嬰痼病,雖欲慷慨攘臂,自同昔人,愈疏闊矣。

賢者が今の世に志を得られぬならば、必ず後世に貴ばれることになる、古の著書者は皆これである。宗元近ごろこれを務めようとするが、しかし力は薄く志は劣り、並外れた才能もなく、筆を執って詳しく述べようとすれば、精神は荒れ果て衰え、前後を忘れ失い、ついに文章を成すことができない。かつて書を読んだ時は、自ら滞りに至らないと思っていたが、今は皆頑なになって再び省みて記録することもない。古人の一つの伝を読み、数枚の後には、再三巻物を伸ばし、また姓氏を観ては、たちまちまた失ってしまう。仮に万一刑部の囚人籍から除かれ、再び士人の列に加わることがあっても、やはり当世の用に堪えることはできぬであろう。

原文賢者不得志於今,必取貴于後,古之著書者皆是也。宗元近欲務此,然力薄志劣,無異能解,欲秉筆覙縷,神志荒耗,前後遺忘,終不能成章。往時讀書,自以不至牴滯,今皆頑然無復省錄。讀古人一傳,數紙後,則再三伸卷,復觀姓氏,旋又廢失。假令萬一除刑部囚籍,復為士列,亦不堪當世用矣!

ひたすら思うに、無用の地において哀れみを起こし、報いられぬ所に徳を垂れ、一族の宗祀を通じさせることを念とし、心を動かすことのできるものがあれば、それを執り行って失うことなきように。たとえ墓域に帰って掃除し、先人の廬に退いて託り、残りの命を尽くすことを望むことは敢えてせずとも、少しばかり北に移り、ますます瘴癘を軽くし、婚娶を遂げ、子孫を求め、託すべきものがあれば、すなわち冥然として長く別れ、甘い眠りを得るがごとく、再び恨みはないであろう。

原文伏惟興哀於無用之地,垂德於不報之所,以通家宗祀為念,有可動心者操之勿失。雖不敢望歸掃塋域,退托先人之廬,以盡餘齒,姑遂少北,益輕瘴癘,就婚娶,求胄嗣,有可付託,即冥然長辭,如得甘寢,無復恨矣!

しかし人々はその才の高さを畏れ、懲らしめて再び進用されることを戒めたので、力を尽くす者はいなかった。

原文然眾畏其才高,懲刈復進,故無用力者。

宗元は長く沈んでいたが振るい立ち、その文章を為すに、思惟はますます深くなった。かつて書一篇を著し、『貞符』と号して、曰く。

原文宗元久汩振,其為文,思益深。嘗著書一篇,號《貞符》,曰:

臣の貶された州の流人である呉武陵が臣に言う、「董仲舒が三代の受命の符について答えたことは、誠に然るか、否か」と。臣は曰く、「否である。何ぞ仲舒のみならんや、司馬相如・劉向・揚雄・班彪・彪の子の固らは皆、嗤嗤たるものを沿襲し、古の瑞物を推して受命に配し、その言は淫巫や瞽史の類いであり、後代を誑かし乱し、聖人の極を立てる根本を知るに足らず、至徳を顕わし、大功を揚げることを、甚だしくその趣旨を失っている」。臣が尚書郎であった時、かつて『貞符』を著し、唐家の正徳が生民の意によって命を受けたこと、累積して厚く久しく、無極の義を享くべきことを言い、本末は広大であった。貶逐に遭い中絶し、備えて究めることができなかった。武陵はすなわち頭を叩いて臣に請う、「これは大事である。辱められた故をもって休み欠くべからず、聖王の典を立てずしては、詭類を抑え、正道を抜き、万代に表し核とすることはできない」と。臣は奮い立つに堪えず、すなわち詳しく書を為した。蛮夷の地に終に泯没し、時に聞こえぬことを思えば、ただ為さないわけにはいかない。苟も一たび大道を明らかにし、人世に施すことができれば、死して憾みなし、これをもって自ら決した。臣宗元、稽首拜手して以て聞かせんとす、曰く。

原文臣所貶州流人吳武陵為臣言:「董仲舒對三代受命之符,誠然?非邪?」臣曰:「非也。何獨仲舒爾,司馬相如、劉向、揚雄、班彪、彪子固皆沿襲嗤嗤,推古瑞物以配受命,其言類淫巫瞽史,誑亂後代,不足以知聖人立極之本,顯至德,揚大功,甚失厥趣。臣為尚書郎時,嘗著《貞符》,言唐家正德受命于生人之意、累積厚久宜享無極之義,本末閎闊。會貶逐中輟,不克備究。」武陵即叩頭邀臣:「此大事,不宜以辱故休缺,使聖王之典不立,無以抑詭類、拔正道、表核萬代。」臣不勝奮激,即具為書。念終泯沒蠻夷,不聞于時,獨不為也。苟一明大道,施于人世,死無所憾,用是自決。臣宗元稽首拜手以聞曰:

誰が古の初めを称えて、朴蒙として空侗として争いがなく、その流れが訛り、ついに奮い奪い、闘い怒り振動し、専ら肆に淫威を為したと言うか。曰く、これは道を知らぬのである。人の初めには、総総として生まれ、林林として群れる。雪霜風雨雷雹が外に暴れ、ここにおいてすなわち巣を架け穴を空け、草木を引き、皮革を取ることを知る。飢渇牝牡の欲が内に駆り立て、ここにおいてすなわち禽獣を噬み、果穀を咀む。合偶して居り、交われば争い、睽てば闘い、力大なる者は搏ち、歯利き者は齧み、爪剛き者は決し、群衆なる者は軋し、兵良き者は殺し、披披藉藉として、草野は血に塗れる。後に強く有力なる者が出てこれを治め、往々にして険阻な陰に曹を為し、号令を用いて起こし、君臣什伍の法が立つ。徳を継ぐ者は嗣ぎ、道を怠る者は奪わる。ここにおいて聖人あり、黄帝と曰い、その兵車を遊ばせ、内に交貫させ、一たび類を統べ、制量を斉しくしたが、なお大公の道を建てることはできなかった。ここにおいて聖人あり、堯と曰い、州牧四嶽を置き、持してこれを綱とし、徳有り功有り能ある者を立て、参じてこれを維とし、臂を運び指を率い、屈伸把握して、統率せざるはなかった。年老いて、聖人を挙げてこれに禅し、大公がすなわち建つことができた。これによって観れば、その初めは極乱でないものはなく、後に漸く為すべきものとなったのである。しかして徳なくしては樹てられない。故に仲尼が『書』を叙して、堯については「克く俊徳を明らかにす」と曰い、舜については「濬哲文明」と曰い、禹については「文命祗承於帝」と曰い、湯については「克く寬克く仁、信を章らかにして兆民にす」と曰い、武王については「有道の曾孫」と曰った。典誓を稽え揆うに、貞なるかな惟れこの徳、実に受命の符であり、以て永祀を奠むるものである。後の祅淫囂昏にして怪を好むの徒は、すなわち始めて大電・大虹・玄鳥・巨跡・白狼・白魚・流火の烏などを陳べて符と為し、これらは皆詭譎闊誕であり、その恥ずべきこと、その貞に本づくことを知る者はない。

原文孰稱古初,朴蒙空侗而無爭,厥流以訛,越乃奮奪,鬥怒振動,專肆為淫威?曰:是不知道。惟人之初,總總而生,林林而群。雪霜風雨雷雹暴其外,於是乃知架巢空穴,挽草木,取皮革;饑渴牝牡之欲驅其內,於是乃噬禽獸,咀果穀。合偶而居,交焉而爭,睽焉而鬥,力大者搏,齒利者齧,爪剛者決,群眾者軋,兵良者殺,披披藉藉,草野塗血。在後強有力者出而治之,往往為曹于險陰,用號令起,而君臣什伍之法立。德紹者嗣,道怠者奪。於是有聖人焉,曰黃帝,游其兵車,交貫乎其內,一統類,齊制量,然猶大公之道不克建。於是有聖人焉,曰堯,置州牧四嶽,持而綱之,立有德有功有能者,參而維之,運臂率指,屈伸把握,莫不統率;年老,舉聖人而禪焉,大公乃克建。由是觀之,厥初罔匪極亂,而後稍可為也。而非德不樹,故仲尼敘《書》,於堯曰「克明俊德」,於舜曰「濬哲文明」,于禹曰「文命祗承於帝」,于湯曰「克寬克仁,章信兆民」,于武王曰「有道曾孫」。稽揆典誓,貞哉惟茲德,實受命之符,以奠永祀。後之祅淫囂昏好怪之徒,乃始陳大電、大虹、玄鳥、巨跡、白狼、白魚、流火之烏以為符,斯皆詭譎闊誕,其可羞也,莫知本於厥貞。

漢は大度を用い、能く有氓を懐き、能を登用し賢を庸い、痍を濯ぎ寒を煦み、以て瘳え以て熙えしめた。これがその符である。しかるにその妄臣は、すなわち下は虺蛇を取り、上は天光を引き、類を推して休と号し、無知の氓に誇誣するために用い、騶虞・神鼎を加え、脅かし駆り立てて縦に踴らせ、東の泰山・石閭に之かせ、大号を作ってこれを「封禅」と謂い、皆『尚書』に無いものである。王莽・公孫述がこれを承け效い、ついに奮い驁逆した。その後、賢帝ありて光武と曰い、能く天下を綏め、旧物を復た承けたが、なお『赤伏』を崇め、以てその徳を玷した。魏・晋以下、尨乱鉤裂し、その符は貞ならず、邦用は靖まらず、また能く久しからず、駁乎として議うるに足りない。

原文漢用大度,克懷於有氓,登能庸賢,濯痍煦寒,以瘳以熙,茲其為符也。而其妄臣,乃下取虺蛇,上引天光,推類號休,用誇誣於無知氓,增以騶虞、神鼎,脅驅縱踴,俾東之泰山、石閭,作大號謂之「封禪」,皆《尚書》所無有。莽、述承效,卒奮驁逆。其後有賢帝曰光武,克綏天下,復承舊物,猶崇《赤伏》,以玷厥德。魏、晉而下,尨亂鉤裂,厥符不貞,邦用不靖,亦罔克久,駁乎無以議為也。

大乱が積もり積もって隋氏に至り、四海を環らして鼎と為し、九垠を跨いで炉と為し、毒燎を爨とし、虐焰を煽り、その人は沸湧灼爛し、号呼騰蹈して、救い止むる者なし。ここにおいて大聖すなわち起こり、丕かに霖雨を降らし、濬滌蕩沃し、蒸して清氛と為し、疏けて泠風と為す。人はすなわち漻然として休然とし、相い晞いて生まれ、相い持して成り、相い弥めて寧んず。琢斮屠剔して膏流節離の禍は作らず、人はすなわち能く完平舒愉し、その肌膚を屍とし、以て夷途に達する。焚坼抵掎して奔走転死の害は起こらず、人はすなわち能く類を鳩め族を集め、歌舞悦懌し、用いて元徳に抵る。徒に袒を奮い呼び、義旅を犒迎し、歓動六合、麾下に至る。大盗豪据して、命を阻み徳を遏むも、義威殄戮し、皆その緒を墜す。虐に劉ることなく、人はすなわち並びに休嘉を受け、隋氏を去り、能く唐に帰し、躑躅謳歌し、灝灝として和寧なり。帝は威栗を用い、惟れ人の為すところなり。敬ってその賦を奠め、積蔵すること下にあり、これを豊国と謂う。郷に義廩を為し、斂発謹飭し、歳に大侵に丁り、人以て有年あり。その刑に簡にして、残さずして懲らしむ、これを厳威と謂う。小は属して支え、大は生んで孥し、愷悌祗敬して、用いて治に底る。凡そその欲する所は、謁せずして獲、凡そその悪む所は、祈らずして息む。四夷稽服し、兵革を作さず、貨力を竭さず。丕かに後嗣に揚げ、用いて帝式に垂る。十聖その治を済し、孝仁平寬、惟れ祖の則なり。沢久しくして逾深く、仁増して益高く、人の唐を戴くこと、永永として窮まりなし。

原文積大亂至於隋氏,環四海以為鼎,跨九垠以為爐,爨以毒燎,煽以虐焰,其人沸湧灼爛,號呼騰蹈,莫有救止。於是大聖乃起,丕降霖雨,濬滌蕩沃,蒸為清氛,疏為泠風,人乃漻然休然,相晞以生,相持以成,相彌以寧。琢斮屠剔膏流節離之禍不作,而人乃克完平舒愉,屍其肌膚,以達於夷途。焚坼抵掎奔走轉死之害不起,而人乃克鳩類集族,歌舞悅懌,用抵於元德。徒奮袒呼,犒迎義旅,歡動六合,至於麾下。大盜豪據,阻命遏德,義威殄戮,鹹墜厥緒。無劉於虐,人乃並受休嘉,去隋氏,克歸於唐,躑躅謳歌,灝灝和寧。帝庸威栗,惟人之為。敬奠厥賦,積藏於下,是謂豐國。鄉為義廩,斂發謹飭,歲丁大侵,人以有年。簡于厥刑,不殘而懲,是謂嚴威。小屬而支,大生而孥,愷悌祗敬,用底於治。凡其所欲,不謁而獲;凡其所惡,不祈而息。四夷稽服,不作兵革,不竭貨力。丕揚於後嗣,用垂於帝式,十聖濟厥治,孝仁平寬,惟祖之則。澤久而逾深,仁增而益高,人之戴唐,永永無窮。

故に受命は天に在らず、その人に在り。休符は祥に在らず、その仁に在り。惟れ人の仁、天に祥ならず。天に祥ならず、これ惟れ貞符なるかな。仁を喪って久しき者は未だあらず、祥に恃んで寿なる者は未だあらず。商の王は桑穀を以て昌え、雉鴝を以て大いにし、宋の君は法星を以て寿し、鄭は龍を以て衰え、魯は麟を以て弱く、白雉は漢を亡ぼし、黄犀は莽を死なしむ。その符たるや、何の在るか。唐徳の代に勝えず、光紹明濬、深鴻尨大、人を保つこと斯に疆なし。宜しく郊廟に薦け、雅詩に文らし、祗かに徳の休を告ぐべし。帝曰く諶なるかな。すなわち休祥の奏を黜け、貞符の奥を究め、徳の未だ大ならざる所を思い、仁の未だ備わらざる所を求め、以て邦治に極め、以て人事を敬う。その詩に曰く。

原文是故受命不于天,於其人;休符不于祥,於其仁。惟人之仁,匪祥於天。匪祥於天,茲惟貞符哉!未有喪仁而久者也,未有恃祥而壽者也。商之王以桑穀昌,以雉鴝大,宋之君以法星壽,鄭以龍衰,魯以麟弱,白雉亡漢,黃犀死莽,惡在其為符也?不勝唐德之代,光紹明濬,深鴻尨大,保人斯無疆,宜薦於郊廟,文之雅詩,祗告於德之休。帝曰諶哉!乃黜休祥之奏,究貞符之奧,思德之所未大,求仁之所未備,以極於邦治,以敬於人事。其詩曰:

ああ、敬虔なる徳よ、民はこれを尊ぶ。その符瑞はただ貞正にして、広大にこれを推し進む。仁は肌膚に含まれ、刃をもって屠り尽くすこと能わず。恩沢は炊事の火のように熱く、炎を潤して洗い清む。凶悪なる徳を勃発させ、これを駆逐し平定す。美しき善政の風は、暖かく吹き育む。父子は和やかに、安らぎ遊ぶ。租税を収めて蔵し、我が食糧を豊かにする。刑罰は軽く清く、我が身は傷つかず。子孫に遺す、百代の安泰。十聖の治世を継ぎ、仁君の子なり。子は孝を思い、父は患いを己に易う。これを戴き奉り、神よ汝に相応しくあれ。雅にこれを揚げ、天の福を承く。天は誠に神なり、仁を照覧すべし。神の依りどころは何か、仁に帰すべきなり。濮鉅公は北に、祝栗は南に、東西の幅員、ただ一心を尽くす。唐の紀元を祝い、後天に墜つることなし。皇帝の寿を祝い、地とともに久遠ならん。ただ祝うのみにあらず、心誠にこれを厚くす。神は人と協同し、道をもってこれを告ぐ。億万年を満たし、震わず危うからず。我が代の延長、永遠にこれを輔け。仁を増して崇め、何ぞ汝を思わざるや。天に号して、皆嗚呼と言う。ああ、皇霊よ、その符瑞を替えることなかれ。

原文于穆敬德,黎人皇之。惟貞厥符,浩浩將之。仁函于膚,刃莫畢屠。澤熯於爨,灊炎以澣。勃厥凶德,乃驅乃夷。懿其休風,是煦是吹。父子熙熙,相寧以嬉。賦徹而藏,厚我糗粻。刑輕以清,我完靡傷。貽我子孫,百代是康。十聖嗣於治,仁后之子。子思孝父,易患於己。拱之戴之,神其爾宜。載揚於雅,承天之嘏。天之誠神,宜鑒於仁。神之曷依?宜仁之歸。濮钅公于北,祝栗于南,幅員西東,祗一乃心。祝唐之紀,後天罔墜;祝皇之壽,與地咸久。曷徒祝之,心誠篤之。神協人同,道以告之。俾彌億萬年,不震不危。我代之延,永永毘之。仁增以崇,曷不爾思?有號於天,僉曰嗚呼,咨爾皇靈,無替厥符!

宗元は召されず、内に悼み、往時の過ちを悔い、自らを戒める賦を作りて曰く。

原文宗元不得召,內閔悼,悔念往吝,作賦自儆曰:

咎と過ちを懲らしめてその本源に遡れば、いずれも我が心の求めざる所にあらずや。卑賤の身に処して世を憂うれば、固より前志の過ちと為す。初め我学びて古を観るに、今昔の謀りの異なるを怪しむ。ただ聡明なるを以て考うべく、駿足を追って遠く遊ぶ。潔き誠実は既に信直にして、仁ある友は藹然として集う。日に施し陳べて繋がれ、堯舜禹を邀えんとす。上は睢盱として混茫、下は駁詭として私を懐く。旁ら羅列して交貫し、大中なる所宜を求む。

原文懲咎愆以本始兮,孰非餘心之所求?處卑污以閔世兮,固前志之為尤。始余學而觀古兮,怪今昔之異謀。惟聰明為可考兮,追駿步而遐遊。絜誠之既信直兮,仁友藹而萃之。日施陳以系縻兮,邀堯舜禹之為。上睢盱而混茫兮,下駁詭而懷私。旁羅列以交貫兮,求大中之所宜。

道は象ありと曰えども、その形なし。変を推し時を乗じて、志と相い迎う。及ばざれば則ち危うく、過ぐれば則ち貞を失う。謹んで守りて中にあり、時とともに行く。万類は芸芸として、率いて以て寧し。剛柔は弛張し、出入は綸経す。能を登げ枉を抑え、白黒濁清す。大方に蹈みて、物能く嬰うること莫し。

原文曰道有象兮,而無其形。推變乘時兮,與志相迎。不及則殆兮,過則失貞。謹守而中兮,與時偕行。萬類芸芸兮,率由以寧。剛柔弛張兮,出入綸經。登能抑枉兮,白黑濁清。蹈乎大方兮,物莫能嬰。

大謀を奉じて内に植え、我が志の獲る所あるを欣ぶ。再び策書に明信し、耿然として惑わざるを謂う。愚者は自用に果たし、ただ誠の一ならざるを懼る。顧慮せずして周図を図らず、専らこの道を以て服と為す。讒妒は構えて戒めず、なお断断として執る所にあり。我が党の淑からざるを哀しみ、任用の遇いの卒迫に遭う。勢いは危疑にして詐多く、天地の否隔に逢う。退きて己を保たんと図れば、曩昔の乖期を悼む。術を操りて忠を致さんとすれば、衆は呀然として互いに嚇す。進退我に帰する所なく、甘んじて脂潤を鼎鑊にす。幸いに皇鑒の明宥にて、郡印を累ねて南に適す。ただ罪大にして寵厚なれば、宜しく夫れ重ねて禍謫に仍うべし。既に天討を懼れて明らかに、又鬼責を幽かに慄く。惶惶として夜は寤き昼は駭き、麋鹿の奔るが如く息まず。

原文奉訏謨以植內兮,欣餘志之有獲。再明信乎策書兮,謂耿然而不惑。愚者果于自用兮,惟懼夫誠之不一。不顧慮以周圖兮,專茲道以為服。讒妒構而不戒兮,猶斷斷於所執。哀吾黨之不淑兮,遭任遇之卒迫。勢危疑而多詐兮,逢天地之否隔。欲圖退而保己兮,悼乖期乎曩昔。欲操術以致忠兮,眾呀然而互嚇。進與退吾無歸兮,甘脂潤兮鼎鑊。幸皇鑒之明宥兮,累郡印而南適。惟罪大而寵厚兮,宜夫重仍乎禍謫。既明懼乎天討兮,又幽忄栗乎鬼責。惶惶乎夜寤而晝駭兮,類鹿濩秬之不息。

洞庭の洋洋たるを凌ぎ、湘流の沄沄たるを溯る。飄風は撃ちて波を揚げ、舟は摧抑されて回邅す。日は霾曀として幽昧に、黝雲は湧き上がりて屯す。暮れは屑窣として淫雨、嗷嗷たる哀猿の声を聴く。衆鳥は萃まりて啾号し、洲渚より連山に沸く。漂遙として逐うこと詎でか止まん、逝くに我が形魂の属する所莫し。巒を攒えて奔り紆委し、洶湧の崩湍を束ぬ。畔は尺進みて尋退し、洄汩として淪漣に蕩う。窮冬に際して止居し、羈累は棼として縈纏す。

原文淩洞庭之洋洋兮,溯湘流之沄沄。飄風擊以揚波兮,舟摧抑而回邅。日霾曀以昧幽兮,黝雲湧而上屯。暮屑窣以淫雨兮,聽嗷嗷之哀猿。眾鳥萃而啾號兮,沸洲渚以連山。漂遙逐其詎止兮,逝莫屬餘之形魂。攢巒奔以紆委兮,束洶湧之崩湍。畔尺進而尋退兮,蕩洄汩乎淪漣。際窮冬而止居兮,羈累棼以縈纏。

我が生の甚だ艱しきを哀しみ、『凱風』の悲詩に循う。罪は天に通じて酷を降し、急ぎ死なずして生くを為す。再歳の寒暑を逾え、なお貿貿として自ら持す。淵に沈みて命を隕さんとすれど、詎でか罪を蔽い禍を塞がん。ただ身を滅ぼして後無きも、顧みるに前志なお未だ可ならず。進路は呀として劃絶し、退き伏匿するも又果たさず。孤囚を以て終世し、長く拘攣して轗軻す。

原文哀吾生之孔艱兮,循《凱風》之悲詩。罪通天而降酷兮,不亟死而生為!逾再歲之寒暑兮,猶貿貿而自持。將沈淵而隕命兮,詎蔽罪以塞禍?惟滅身而無後兮,顧前志猶未可。進路呀以劃絕兮,退伏匿又不果。為孤囚以終世兮,長拘攣而轗軻。

曩に我が志の脩蹇たるや、今何ぞこの戾りを為す。豈に食を貪り名を盗みて、世に混同せざらんや。身を顕して直遂せんとすれど、衆の宜しく蔽う所なり。言を択ばずして危肆なれば、固より群禍の際なり。

原文曩余志之脩蹇兮,今何為此戾也?豈貪食而盜名兮,不混同於世也。將顯身以直遂兮,眾之所宜蔽也。不擇言以危肆兮,固群禍之際也。

長轅の橈め無きを禦え、九折の峨峨たるを行く。却って驚棹を以て江に横たわり、淩天の騰波を溯る。幸いに我が死の已に緩きを以て、形軀の既に多きを完うす。苟くも我が歯に懲る有らば、前烈に蹈みて頗らず。蛮夷に死するは固より我が所、顕寵と雖も何ぞ加えん。大中を配して偶と為し、諒らく天命の何を謂うや。

原文禦長轅之無橈兮,行九折之峨峨。卻驚棹以橫江兮,溯淩天之騰波。幸餘死之已緩兮,完形軀之既多。苟餘齒之有懲兮,蹈前烈而不頗。死蠻夷固吾所兮,雖顯寵其焉加?配大中以為偶兮,諒天命之謂何!

柳州の民は男女を質に銭を借り、期限過ぎて贖わざれば、元利均しくなれば奴婢に没す。宗元は方計を設け、悉くこれを贖い帰す。特に貧しき者は、庸を書かせ、その直相当するを見て、質を還す。既に没せられたる者は、己が銭を出して贖いを助く。南方に進士を為さんとする者、数千里を走りて宗元に従い遊び、指授を経る者は、文辞みな法有り。世は「柳柳州」と号す。十四年に卒す。年四十七。

原文柳人以男女質錢,過期不贖,子本均,則沒為奴婢。宗元設方計,悉贖歸之。尤貧者,令書庸,視直足相當,還其質。已沒者,出己錢助贖。南方為進士者,走數千里從宗元遊,經指授者,為文辭皆有法。世號「柳柳州」。十四年卒,年四十七。

宗元は少時進取を嗜み、功業の成る可きを謂う。既に廃せられ坐すに及び、遂に振わず。然れどもその才実に高く、名は一時を蓋う。韓愈その文を評して曰く、「雄深雅健、司馬子長に似て、崔・蔡は多とするに足らず」と。既に没し、柳人はこれを懐い、州の堂に降りたると言い託し、人に慢る者有れば輒ち死す。羅池に廟し、愈は因りて碑を以てこれを実とすと云う。

原文宗元少時嗜進,謂功業可就。既坐廢,遂不振。然其才實高,名蓋一時。韓愈評其文曰:「雄深雅健,似司馬子長,崔、蔡不足多也。」既沒,柳人懷之,托言降於州之堂,人有慢者輒死。廟于羅池,愈因碑以實之云。

程异

原文程异

程异、字は師挙、京兆長安の人。郷に居て孝を以て称せらる。明経に及第し、再び鄭尉を補す。吏治に精しく、叔文に引かれ、監察御史より塩鉄揚子院留後と為る。叔文敗れ、郴州司馬に貶せらる。

原文程异,字師舉,京兆長安人。居鄉以孝稱。第明經,再補鄭尉。精吏治,為叔文所引,由監察御史為鹽鐵揚子院留後。叔文敗,貶郴州司馬。

李巽塩鉄を領し、异の心計任用に堪うるを薦め、抜擢用いるを請う。乃ち侍御史を授け、復た揚子留後と為す。稍く遷り淮南等道両税使と為る。异は退廃より起り、能く己を励み節を竭くし、悉く征利の旧弊を矯革す。入り遷り累ねて衛尉卿・塩鉄転運副使と為る。時に蔡を討たんとし、异は江表に使して財用を調え、因りて行き諸帥府を諭し、羨贏を以て貢がしむ。故に异の至る所、下を剥かず、斂を加えず、経用以て饒う。遂に御史大夫を兼ねて塩鉄使と為る。元和十三年、工部侍郎として同中書門下平章事と為り、猶塩鉄を領す。异は銭穀を以て奮いて宰相に至る。自ら人望に非ざるを以て、久しく印を当て筆を秉るを敢えず。明年、西北の軍政治まらず、巡辺使を置くを議す。憲宗孰れか可なるかを問う。乃ち自ら行くを請う。会いて卒す。尚書左僕射を贈られ、諡して恭と曰う。身は官第に歿し、留むる貲無し。世その廉を重んずと云う。

原文李巽領鹽鐵,薦异心計可任,請拔擢用之,乃授侍御史,復為揚子留後。稍遷淮南等道兩稅使。异起退廢,能厲己竭節,悉矯革征利舊弊。入遷累衛尉卿、鹽鐵轉運副使。方討蔡,异使江表調財用,因行諭諸帥府,以羨贏貢。故异所至,不剝下,不加斂,經用以饒。遂兼御史大夫為鹽鐵使。元和十三年,以工部侍郎同中書門下平章事,猶領鹽鐵。异以錢穀奮而至宰相,自以非人望,久不敢當印秉筆。明年,西北軍政不治,議置巡邊使,憲宗問孰可者,乃自請行。會卒,贈尚書左僕射,諡曰恭。身歿官第,無留貲,世重其廉雲。

賛して曰く、叔文は沾沾たる小人、天下の権柄を窃み、陽虎の大弓を取るがごとく、『春秋』に盗と書くも以て異ならず。宗元等は節を橈げてこれに従い、一時を徼幸し、帝の病昏を貪り、太子の明を抑え、権を規りて私を遂ぐ。故に賢者は疾み、不肖者は媢み、一たび僨れて復せず、宜なるかな。彼若し匪人に傅せず、自ら材猷を励まば、明卿才大夫を失わざるも、惜しいかな。

原文贊曰:叔文沾沾小人,竊天下柄,與陽虎取大弓《春秋》書為盜無以異。宗元等橈節從之,徼幸一時,貪帝病昏,抑太子之明,規權遂私。故賢者疾,不肖者媢,一僨而不復,宜哉!彼若不傅匪人,自勵材猷,不失為明卿才大夫,惜哉!