李揆
李揆、字は端卿、その系は隴西に発し、冠族たり。滎陽に客寓す。祖父の玄道は、文学館学士となれり。父の成裕は、秘書監なり。揆は性、警敏にして、文章を善くす。開元末、進士第に擢でられ、陳留尉を補す。闕下に書を献じ、中書を試みられ、右拾遺に遷り、再び起居郎に転じ、宗子の表疏を知り、考功郎中をもって制誥を知る。劍南に扈従し、中書舍人を拝す。
揆は事を決するに明当なり。然れども進むに鋭く、且つ名に近し。兄の楷は時に称有り、冗官に滞りて遷ることを得ず。呂諲の政事は揆より遠く甚だし。故に宰相として荊南に鎮し、治声尤だ高し。揆、復用せらるるを懼れ、吏を諲の所に遣はし、過失を構ひ抉り、諲密かに之を朝に訴ふ。帝怒り、揆を袁州長史に貶す。三日と経ずして、楷を司門員外郎と為す。揆累年にして乃ち歙州刺史に徙る。
初め、苗晉卿数へて元載を薦む。揆、載の地寒きを軽んじ、晉卿に謂ひて曰く、「龍章鳳姿の士は用ひられず、獐頭鼠目の子乃ち官を求むるか」と。載聞きて之を銜む。政を秉るに及び、揆を試みに秘書監とし、江淮に養疾せしむ。家百口、貧にして禄無く、食を丐ひて取給す。牧守稍々厭慁すれば、則ち之を去り、流落すること凡そ十六年。載誅され、始めて睦州刺史を拝す。入りて国子祭酒・礼部尚書と為る。
常袞
常袞、京兆の人、天宝末、進士第に及ぶ。性狷潔にして、妄りに交遊せず。太子正字より累ねて中書舍人と為る。文采贍蔚にして、応用に長じ、誉一時に重し。魚朝恩寵に頼り、国子監を兼ねて判ず。袞奏す、「成均の任は、当に名儒を用ふべし。宦臣を以て職を領せしむべからず」と。初め、回紇に戦功有る者は、京師に留まることを得たり。虜の性驕り易く、後乃ち邸第・佛祠を創り、或いは甲を其の中に伏せ、数へて中渭橋に出で、軍人と格闘し、含光門の魚契を奪ひて城外に走る。袞建言す、「今、西蕃境上に盤桓し、数へて寇入す。若し相連結し、以て無備に乗ぜば、其の変細ならず。請ふ早く之を図らん」と。又、天子の誕日、諸道争ひて侈麗を以て奉献す。然らざれば則ち老子・浮屠の為に解禱の事を為す。袞以為く、「漢文帝は千里馬を還して用ひず、晉武帝は雉頭裘を焚き、宋高祖は琥珀枕を碎けり。是の三主は、聰明大聖有りて以て治安を致すに非ず、謹みて身を率ひ下に及ぼすのみ。今、諸道の饋献は、皆な淫侈にして急ならず。而して節度使・刺史は能く男耕し女織する者に非ず、類く民に出づ。是れ怨を斂めて以て上に媚ぶるなり。請ふ皆な之を還さん。今、軍旅未だ寧からず、王畿の戸口十に一も在らず。而して諸祠寺は経を写し像を造り、幣を焚き玉を埋む。以て賞賚する所、比丘・道士・巫祝の流の若きは、歳巨万を計らす。陛下若し之を以て芻粟に易へ、貧民の賦を減ぜば、天下の福豈に量有らんや」と。代宗嘉納す。礼部侍郎に遷る。時に宦者劉忠翼権中外に震ひ、涇原節度使馬璘は帝の寵任を受け、幹請する所有り。袞皆な拒み却く。
元載死し、門下侍郎・同中書門下平章事、弘文・崇文館大学士を拝し、楊綰と同しく執政す。綰は長厚通可なるも、袞は苛細にして、清儉を以て自ら賢とす。帝内に綰を重くして顓に之を任じ、礼遇信愛すること、袞及ばず。毎に恨忌す。会に綰卒す。袞始めて国を当つ。
是に先立ち、百官の俸寡狹なり。議りて之に増給せんとす。時に韓滉度支を使ひ、袞と皆な任情に軽重す。滉は国子司業張参を悪み、袞は太子少詹事趙惎を悪む。皆な之に少く給す。太子文学は洗馬の副たり。袞の姻家にして文学に任ずる者は、其の給乃ち洗馬の上に在り。其の私を騁はし怨を崇むる、此の類の如し。故事、日出でて内厨の食を宰相の家に賜ふ。十人具するに足る。袞奏して之を罷む。又将に堂封を譲らんとす。他の宰相従はざれば、乃ち止む。政事堂の北門、異時に宰相、舍人院に過ぎて政事を咨逮す。袞に至りて乃ち之を塞ぎ、以て尊大を示す。元載の敗を懲り、売官の路を窒ぐ。然れども一切公議を以て之を格し、文詞に非ざる者は皆な擯ちて用ひず。故に世之を「濌伯」と謂ふ。其の濌々として賢不肖の辨無きを以てす。
袞相と為り、散官纔に朝議にて、封爵無し。郭子儀、帝に言ふ。遂に銀青光禄大夫を加へられ、河内郡公に封ぜらる。德宗即位す。袞奏して崔祐甫を河南少尹に貶す。帝怒り、祐甫と換秩せしめ、再び潮州刺史に貶す。
建中初、楊炎政を輔け、起して福建観察使と為す。初め、閩人は未だ学を知らず。袞至り、為に郷校を設け、文章を作らしめ、親しく講導を加へ、客主の鈞礼を為し、観遊燕饗に与る。是より俗一変し、歳の貢士は内州と等し。官に卒す。年五十五。尚書左仆射を贈らる。其の後、閩人は春秋に学官に袞を配享すと云ふ。
趙憬
趙憬、字は退翁、渭州隴西の人。曾祖は仁本、吏部侍郎・同東西臺三品に仕う。憬は志操行い峻潔にして、自ら誇示せず。宝応年中、泰・建二陵を営むに当たり、費用広く、また吐蕃辺境を侵し、天下飢饉頻発す。憬は褐衣を着て上疏し、礼を殺して倹に従うことを請う。士林これを嘆美す。江夏尉を試み、諸使府を佐け、太子舎人に進む。母喪にて免ぜられし時、芝が墳墓の土に生ず。建中初め、水部員外郎に抜擢さる。湖南観察使李承、憬を自らの副使とすべく上表す。承卒すや、遂にその後を継ぐ。召還さるや、門を閉ざして人と交わらず。李泌これを推薦す。殿中にて対し、奏上明弁、古今に通じ、徳宗欽悦し、給事中に拝す。
竇参国政を執るや、憬を抑えて刺史とせんとす。帝許さず。参罷免せられ、憬は中書侍郎・同中書門下平章事に進み、陸贄と共に政を輔く。贄は裁決に於いて譲る所少なく、また憬を門下侍郎に転ず。ここより不平を懐く。自ら職に任じずとし、数え疾と称す。時に杜黄裳は奄人の讒詆に遭い、穆贊・韋武・李宣・盧雲等は裴延齢に構えられて擯斥せられ、勢い甚だ危うし。憬救護し申し解き、皆免る。初め、贄は共に延齢を退かんことを約す。対すや、贄は極めてその奸を言う。帝色変ず。憬は助けず。遂に贄を罷め、乃ち始めて国政を執る。
憬は治道に精しく、常に国の根本は賢を選び、用を節し、賦斂を薄くし、刑罰を寛にするに在りとし、懇々として天子にこれを言う。また前世の損益、当時の変を陳べ、『審官六議』を献ず。一に相臣を議す。曰く「中外その賢を知る者はこれを用い、能ある者はこれに任じ、材の備わるを責むるは、得べからざるなり」。二に庶官を議す。曰く「臣嘗て十を抜きて五を得れば、賢愚なお半ばなりと謂う。陛下曰く『何ぞ必ずしも五ならん、十二も可なり』と。故に任用を広くし、殿最を明らかにし、大節を挙げ、小瑕を略し、能に随い事を試みるは、人を用うるの大要なり」。三に京司の闕官を議す。曰く「今要官は闕多く、閑官は員多し。要官は材行を以てし、閑官は恩沢を以てす。是れ選抜少なく、優容衆し。宜しく缺員を補い、以て人材を育すべし」。四に考課を議す。曰く「今内は庶僚、外は刺史、課最尤なる者は、次を俟たずして擢ぐ。善し。臣謂う、黜陟は宜しく歳限を責むべし。若し要重を任じて未だ遷すに当たらずんば、爵または秩を加うべし。その余の進退は、宜しく遅速の常を示すべし。若し課中に在り、考限の如き者は、平転して歴試すべし。即ち苟且の心、滞淹の慮無からん」。五に遺滯を議す。曰く「陛下は宰輔に委ねて才を挙げしむ。遍く知らざれば、則ち庶僚に訪う。また遍く知らざれば、衆人に訪う。衆声囂然たり。十に誉むるも未だ信ぜず、一に毀るも疑わし。臣謂う、宜しく士論を採り、誉多き者を先に用うべし。大故あるにあらざれば棄つるなかれ」。六に藩府の官属を議す。曰く「諸使の辟署は、務めて才を得て以て府望を重くす。能否已に試みられば、則ち引きてこれを朝に置き、久しく滞らしむるなかれ」。帝皆然りとし、詔を下して褒め答う。輔政五年、卒す。年六十一。その息、卒時の稿奏を上る。帝悼惜す。太子太傅を贈り、謚して貞憲と曰う。
憬の性清約。台宰の位にありながら、第宅の童僕は猶儒先生の家の如し。稟入を得れば、先ず家廟を建て、而して竟に産を営まず。湖南を鎮むる時、令孤亙・崔儆並びに部刺史たり。法を守らず。憬は正を以てこれを弾治す。皆客を遣わし憬の失を朝に暴かしむ。相となるに及び、乃ち儆を大理卿より尚書右丞に擢げ、亙は方に衢州別駕に貶せられしを、吉州刺史に引き抜く。人これを賢とす。
崔造
崔造、字は玄宰、深州安平の人。永泰年中、韓会・盧東美・張正則の三人と友善し、上元に居り、当世の事を言うを好む。皆自ら王佐の才と謂う。故に「四夔」と号す。
浙西観察使李棲筠、判官に辟く。累遷して左司員外郎となる。劉晏と善し。晏罪を得て、造は信州長史に貶ぜらる。建州刺史に徙す。朱泚乱に際し、造は直ちに檄を馳せて隣州に比し、配下の兵二千を発して命を待つ。徳宗これを嘉す。京師平らぎ、召還さる。藍田に至り、舅の源休が賊と同逆したるを以て、上疏して罪を請う。帝礼有りと為し、詔して慰勉し、給事中に擢ぐ。
斉映
斉映、瀛州高陽の人。進士に挙げられ、博学宏詞科に中り、河南府参軍事を補う。滑亳節度使令狐彰、掌書記に署す。彰疾甚だ篤く、映を引き後事を托す。映因りて彰を説き節を納れ、諸子を京師に帰らしむ。彰これに従う。即ち女を以て映に妻せしむ。彰卒す。軍乱す。映間隙を縫って東都に帰る。
三城使馬燧、判官に辟く。盧杞推薦して刑部員外郎を授く。また鳳翔の張鎰の判官となる。映軍事を練り、論奏数え旨に称す。行軍司馬に進む。時に徳宗奉天に出ず。鎰儒緩にして兵を知らず。部将李楚琳なる者、素より慓悍にして、賊を介して乱を為さんと欲す。映と斉抗、先んずる事を請いてこれを誅せんとす。鎰用いず、更に寛大を示し、徐ろに楚琳に謂いて曰く「君をして外に使わんと欲す。若何」と。楚琳恐れ、夜に鎰を殺して賊に応ず。映雅より軍中に慕頼せらる。故に免る。奉天に奔り、御史中丞を授かる。
吐蕃數たび寇に入り、關輔震騷ぎ、咸に帝の狄を避けんと欲すと謂ふ。映入りて諫めて曰く、「戎狄を懲らさざるは、臣の罪なり。然れども内外恟恟として、陛下の糗糧を具へ、行を治めんと欲すと謂ふ。夫れ大幸は再びせず、奈何ぞ臣等と計らざるや」と。因りて俯伏して流涕す。天子之を感寤す。
後に給事中袁高帝の旨に忤ふ。而して映は尚書左丞・御史大夫と為す。初め、映微時、張延賞之に遇ふこと善し。映相と為るに及び、而して延賞は左仆射と為り、數たび映の為に事を畫き、又親しき者の為に官を求めしも、映答えず。延賞恚る。既に復用せられて、即ち映を劾して宰相の器に非ずとす。明年、夔州刺史に貶せられ、衡州に徙す。久しくして、桂管・江西兩觀察使と為る。初め、映罷むるも罪を以てせず、復進せんことを冀ひ、乃ち掊斂して獻貢し、以て帝の欲を中つ。初め、諸藩の銀大瓶は五尺に止まる。李兼江西に為りて、始めて六尺瓶を獻ず。映に至りて乃ち八尺と云ふ。卒す。年四十八。禮部尚書を贈られ、謚して忠と曰ふ。
盧邁
盧邁、字は子玄、河南河南の人。性孝友。明經に挙げられて第に入り、太子正字を補す。拔萃に以て調はれて河南主簿・集賢校理と為る。公卿交はりて之を薦ぐ。右補闕に擢でらる。三遷して吏部員外郎。族屬江介に客するを以て、出でて滁州刺史と為る。召し還されて、再遷して諫議大夫。數たび當世の病利を條す。給事中に進む。俄かに考課に會ふ。邁は歳に滿たざるを以て、固より上考を辭し、薦紳其の譲を高しとす。尚書右丞に改む。
將作監元亙祠を攝り、私忌を以て誓を聽かず。御史之を劾す。帝其の罰を疑ひ、尚書省に下して議せしむ。邁曰く、「按ずるに大夫士公に祭らんとし、既に濯を視て父母死すれば、猶ほ祭を奉ず。禮に、散齊に大功喪有り、致齊に期喪有り、齊に疾病有れば、還り舍するを聽し、祭を奉ぜず。忌日無くして誓を受けざる者なし。令に忌日と告と與すと雖も、且つ『春秋』は家事を以て王事を辭せず。今攝祭は特命なり。亙常令を以て特命を拒むは、執れか宜しからざる所に非ざらん」と。遂に罪に抵る。
本官を以て同中書門下平章事と為る。中書侍郎に進む。時に陸贄・趙憬大政を專らにす。邁中に居り、身を治め法に循りて他過無し。久しくして、暴眩省中にし、輿にて第に還る。詔して大臣即ち問はしむ。固より骸骨を乞ひ、罷めて太子賓客と為る。卒す。年六十。太子太傅を贈らる。
邁每たび功・緦の喪有れば、必ず容其の服に稱し、而して情加ふる有り。叔下邽令休沐して家に過ぐるに、邁終日群子姓と均しく指使し、位貌の異無し。再娶して子無し。或ひは姬媵を畜ふるを勸むるも、對へて曰く、「兄弟の子は猶ほ子なり、以て後を主つべし」と。得る所の稟賜は、皆姻舊の乏を賑ふ。其の從父弟禋喪して洛陽に還り、都を過ぐ。邁奏請して往きて之を哭し、哀を盡す。時に執政自ら宰相の尊を以てし、五服皆從ひ問吊せず。而して邁獨り時に徇はず。議者其の仁を重しとし亮と云ふ。
贊
贊して曰く、楊綰の德、陸贄の賢にして、袞・憬之を憎と為すは、何ぞや。士固より娼前に蔽はる。然れども主聽一ならず、故に乘じて以て奸を為す。昔齊桓・秦堅管仲・王猛を任じ、區區を興し、天下に霸たり。蓋し不肖者を以て之に參せしめざるなり。君臣相諒るは、果たして難きかな。