新唐書

巻一百五十 列傳第七十五 李揆 常袞 趙憬 崔造 齊映 盧邁

巻一百五十 列傳第七十五 李揆 常袞 趙憬 崔造 齊映 盧邁

李揆

原文李揆

李揆、字あざなは端卿、その系は隴西に発し、冠族たり。滎陽けいように客寓す。祖父の玄道は、文学館学士となれり。父の成裕は、秘書監なり。揆は性、警敏にして、文章を善くす。開元末、進士第に擢でられ、陳留尉を補す。闕下に書を献じ、中書を試みられ、右拾遺に遷り、再び起居郎に転じ、宗子の表疏を知り、考功郎中をもって制誥を知る。劍南に扈従し、中書舍人を拝す。

原文李揆,字端卿,系出隴西,為冠族,去客滎陽。祖玄道,為文學館學士。父成裕,秘書監。揆性警敏,善文章。開元末,擢進士第,補陳留尉。獻書闕下,試中書,遷右拾遺,再轉起居郎,知宗子表疏,以考功郎中知制誥。扈狩劍南,拜中書舍人。

乾元二年、宗室、皇后の号を「翊聖」と上ることを請う。肅宗、揆に問う。対えて曰く、「前代の後妃は、終わりて則ち謚有り。景龍(中宗)は君たらず、韋氏専恣す。乃ち翊聖と称す。今、陛下は動もすれば典礼に遵う。奈何ぞ其の乱を踵がんや」と。帝驚きて曰く、「幾くんぞ我が家事を誤らんや」と。遂に止む。后は即ち張氏、数歳の子有り、之を立てて太子と為さんと欲す。而して帝の意未だ決せず。時に代宗は成王に封ぜられたり。帝、従容として揆に語りて曰く、「成王は長く、功有り。将に太子を定めんとす。卿の意、何如」と。揆曰く、「陛下の此の言は、社稷の福なり」と。因りて再拝して賀す。帝曰く、「朕が計決せり」と。

原文乾元二年,宗室請上皇后號曰「翊聖」。肅宗問揆,對曰:「前代後妃,終則有謚,景龍不君,韋氏專恣,乃稱翊聖。今陛下動遵典禮,奈何踵其亂哉?」帝驚曰:「幾誤我家事。」遂止。後即張氏,有子數歲,欲立為太子,而帝意未決。時代宗以封成王,帝從容語揆曰:「成王長,有功,將定太子,卿意謂何?」揆曰:「陛下此言,社稷福也。」因再拜賀。帝曰:「朕計決矣。」

俄かに礼部侍郎を兼ぬ。揆、士を取るに実を考へざるを病み、徒らに挟帯を禁じて搜索するのみにて、迂闊なる学びの陋生は、図史を枕にし、且つ自ら詞に措くこと能はざるを。乃ち大いに書を廷中に陳べ、諸儒に進みて約して曰く、「上、士を選ぶに、才を得ることを務むのみ。尽く所欲言ふ可し」と。是より人人称美す。事未だ卒はざるに、中書侍郎・同中書門下平章事を拝し、国史を修め、姑臧県伯に封ぜらる。揆は風儀美くしく、奏対に善くし、帝嘆じて曰く、「卿の門地・人物・文学は皆な当世第一なり。信に朝廷の羽儀なるかな」と。故に時に三絶と称す。是に於て京師に盗多く、衢に至りて人を殺し、屍は溝中にあり、吏は気を褫かる。李輔国方に横はり、羽林騎五百を選び、僥倖の捕縛に備へんことを請ふ。揆曰く、「漢は南・北軍を以て相統摂せしむ。故に周勃、南軍に因りて北軍に入り、以て劉氏を安んず。本朝は南・北衙を置き、文武を区別し、更に相検伺す。今、羽林を以て金吾に代ふれば、忽ち非常有らば、何を以て之を制せんや」と。輔国の議格まる。

原文俄兼禮部侍郎。揆病取士不考實,徒露搜索禁所挾,而迂學陋生,葄枕圖史,且不能自措於詞。乃大陳書廷中,進諸儒約曰:「上選士,第務得才,可盡所欲言。」由是人人稱美。未卒事,拜中書侍郎、同中書門下平章事,修國史,封姑臧縣伯。揆美風儀,善奏對,帝嘆曰:「卿門地、人物、文學皆當世第一,信朝廷羽儀乎!」故時稱三絕。於是京師多盜,至驂衢殺人,屍溝中,吏褫氣。李輔國方橫,請選羽林騎五百,備僥捕。揆曰:「漢以南、北軍相統攝,故周勃因南軍入北軍,以安劉氏。本朝置南、北衙,文武區別,更相檢伺。今以羽林代金吾,忽有非常,何以制之!」輔國議格。

揆は事を決するに明当なり。然れども進むに鋭く、且つ名に近し。兄の楷は時に称有り、冗官に滞りて遷ることを得ず。呂諲の政事は揆より遠く甚だし。故に宰相として荊南に鎮し、治声尤だ高し。揆、復用せらるるを懼れ、吏を諲の所に遣はし、過失を構ひ抉り、諲密かに之を朝に訴ふ。帝怒り、揆を袁州長史に貶す。三日と経ずして、楷を司門員外郎と為す。揆累年にして乃ち歙州刺史に徙る。

原文揆決事明當,然銳於進,且近名。兄楷,有時稱,滯冗官不得遷。呂諲政事出揆遠甚,以故宰相鎮荊南,治聲尤高。揆懼復用,遣吏至諲所,構抉過失,諲密訴諸朝。帝怒,貶揆袁州長史。不三日,以楷為司門員外郎。揆累年乃徙歙州刺史。

初め、苗晉卿数へて元載を薦む。揆、載の地寒きを軽んじ、晉卿に謂ひて曰く、「龍章鳳姿の士は用ひられず、獐頭鼠目の子乃ち官を求むるか」と。載聞きて之を銜む。政を秉るに及び、揆を試みに秘書監とし、江淮に養疾せしむ。家百口、貧にして禄無く、食を丐ひて取給す。牧守稍々厭慁すれば、則ち之を去り、流落すること凡そ十六年。載誅され、始めて睦州刺史を拝す。入りて国子祭酒・礼部尚書と為る。

原文初,苗晉卿數薦元載,揆輕載地寒,謂晉卿曰:「龍章鳳姿士不見用,獐頭鼠目子乃求官邪?」載聞,銜之。及秉政,奏揆試秘書監,江淮養疾。家百口,貧無祿,丐食取給,牧守稍厭慁,則去之,流落凡十六年。載誅,始拜睦州刺史。入為國子祭酒、禮部尚書。

德宗、山南に幸す。揆、素より盧杞に悪まれる所あり、用ひられて入蕃会盟使と為り、尚書左仆射を拝す。揆、老いを辞し、道路に死して命を達すること能はざるを恐る。帝惻然たり。杞曰く、「戎を和する者は、当に朝廷の事を練るべし。揆に非ざれば不可なり。異時に揆より年少なる者は敢へて辞せざるべし」と。揆、蕃に至る。酋長曰く、「聞く唐に第一人李揆有りと。公は是れか」と。揆留めらるるを畏れ、因りて之を紿して曰く、「彼の李揆、安んぞ肯て来らんや」と。還る。鳳州に卒す。年七十四。司空を贈られ、謚して恭と曰ふ。

原文德宗幸山南,揆素為盧杞所惡,用為入蕃會盟使,拜尚書左仆射。揆辭老,恐死道路,不能達命,帝惻然。杞曰:「和戎者,當練朝廷事,非揆不可。異時年少揆者不敢辭。」揆至蕃,酋長曰:「聞唐有第一人李揆,公是否?」揆畏留,因紿之曰:「彼李揆,安肯來邪?」還。卒鳳州,年七十四,贈司空,謚曰恭。

常袞

原文常袞

常袞、京兆の人、天宝末、進士第に及ぶ。性狷潔にして、妄りに交遊せず。太子正字より累ねて中書舍人と為る。文采贍蔚にして、応用に長じ、誉一時に重し。魚朝恩寵に頼り、国子監を兼ねて判ず。袞奏す、「成均の任は、当に名儒を用ふべし。宦臣を以て職を領せしむべからず」と。初め、回紇かいこつに戦功有る者は、京師に留まることを得たり。虜の性驕り易く、後乃ち邸第・佛祠を創り、或いは甲を其の中に伏せ、数へて中渭橋に出で、軍人と格闘し、含光門の魚契を奪ひて城外に走る。袞建言す、「今、西蕃境上に盤桓し、数へて寇入す。若し相連結し、以て無備に乗ぜば、其の変細ならず。請ふ早く之を図らん」と。又、天子の誕日、諸道争ひて侈麗を以て奉献す。然らざれば則ち老子・浮屠の為に解禱の事を為す。袞以為く、「漢文帝は千里馬を還して用ひず、晉武帝は雉頭裘を焚き、宋高祖は琥珀枕を碎けり。是の三主は、聰明大聖有りて以て治安を致すに非ず、謹みて身を率ひ下に及ぼすのみ。今、諸道の饋献は、皆な淫侈にして急ならず。而して節度使せつどし・刺史は能く男耕し女織する者に非ず、類く民に出づ。是れ怨を斂めて以て上に媚ぶるなり。請ふ皆な之を還さん。今、軍旅未だ寧からず、王畿の戸口十に一も在らず。而して諸祠寺は経を写し像を造り、幣を焚き玉を埋む。以て賞賚する所、比丘・道士・巫祝の流の若きは、歳巨万を計らす。陛下若し之を以て芻粟に易へ、貧民の賦を減ぜば、天下の福豈に量有らんや」と。代宗嘉納す。礼部侍郎に遷る。時に宦者劉忠翼権中外に震ひ、涇原節度使馬璘は帝の寵任を受け、幹請する所有り。袞皆な拒み却く。

原文常袞,京兆人,天寶末,及進士第。性狷潔,不妄交遊。由太子正字,累為中書舍人。文采贍蔚,長於應用,譽重一時。魚朝恩賴寵,兼判國子監。袞奏:「成均之任,當用名儒,不宜以宦臣領職。」始,回紇有戰功者,得留京師,虜性易驕,後乃創邸第、佛祠,或伏甲其間,數出中渭橋,與軍人格鬥,奪含光門魚契走城外。袞建言:「今西蕃盤桓境上,數入寇,若相連結,以乘無備,其變不細,請早圖之。」又天子誕日,諸道爭以侈麗奉獻,不則為老子、浮屠解禱事。袞以為:「漢文帝還千里馬不用,晉武帝焚雉頭裘,宋高祖碎琥珀枕,是三主者,非有聰明大聖以致治安,謹身率下而已。今諸道饋獻,皆淫侈不急,而節度使、刺史非能男耕而女織者,類出於民,是斂怨以媚上也,請皆還之。今軍旅未寧,王畿戶口十不一在,而諸祠寺寫經造像,焚幣埋玉,所以賞賚若比丘、道士、巫祝之流,歲巨萬計。陛下若以易芻粟,減貧民之賦,天下之福豈有量哉!」代宗嘉納。遷禮部侍郎。時宦者劉忠翼權震中外,涇原節度使馬璘為帝寵任,有所幹請,袞皆拒卻。

元載死し、門下侍郎・同中書門下平章事、弘文・崇文館大学士を拝し、楊綰と同しく執政す。綰は長厚通可なるも、袞は苛細にして、清儉を以て自ら賢とす。帝内に綰を重くして顓に之を任じ、礼遇信愛すること、袞及ばず。毎に恨忌す。会に綰卒す。袞始めて国を当つ。

原文元載死,拜門下侍郎、同中書門下平章事,弘文、崇文館大學士,與楊綰同執政。綰長厚通可,而袞苛細,以清儉自賢。帝內重綰而顓任之,禮遇信愛,袞弗及也,每所恨忌。會綰卒,袞始當國。

是に先立ち、百官の俸寡狹なり。議りて之に増給せんとす。時に韓滉度支を使ひ、袞と皆な任情に軽重す。滉は国子司業張参を悪み、袞は太子少詹事趙惎を悪む。皆な之に少く給す。太子文学は洗馬の副たり。袞の姻家にして文学に任ずる者は、其の給乃ち洗馬の上に在り。其の私を騁はし怨を崇むる、此の類の如し。故事、日出でて内厨の食を宰相の家に賜ふ。十人具するに足る。袞奏して之を罷む。又将に堂封を譲らんとす。他の宰相従はざれば、乃ち止む。政事堂の北門、異時に宰相、舍人院に過ぎて政事を咨逮す。袞に至りて乃ち之を塞ぎ、以て尊大を示す。元載の敗を懲り、売官の路を窒ぐ。然れども一切公議を以て之を格し、文詞に非ざる者は皆な擯ちて用ひず。故に世之を「濌伯」と謂ふ。其の濌々として賢不肖の辨無きを以てす。

原文先是,百官俸寡狹,議增給之。時韓滉使度支,與袞皆任情輕重。滉惡國子司業張參,袞惡太子少詹事趙惎,皆少給之。太子文學為洗馬副,袞姻家任文學者,其給乃在洗馬上。其騁私崇怨類此。故事,日出內廚食賜宰相家,可十人具,袞奏罷之。又將讓堂封,它宰相不從,乃止。政事堂北門,異時宰相過舍人院咨逮政事,至袞乃塞之,以示尊大。懲元載敗,窒賣官之路,然一切以公議格之,非文詞者皆擯不用,故世謂之「濌伯」,以其濌々無賢不肖之辨云。

袞相と為り、散官纔に朝議にて、封爵無し。郭子儀、帝に言ふ。遂に銀青光禄大夫を加へられ、河内郡公に封ぜらる。德宗即位す。袞奏して崔祐甫を河南少尹に貶す。帝怒り、祐甫と換秩せしめ、再び潮州刺史に貶す。

原文袞為相,散官才朝議,而無封爵,郭子儀言於帝,遂加銀青光祿大夫,封河內郡公。德宗即位,袞奏貶崔祐甫為河南少尹。帝怒,使與祐甫換秩,再貶潮州刺史。

建中初、楊炎政を輔け、起して福建観察使と為す。初め、閩人は未だ学を知らず。袞至り、為に郷校を設け、文章を作らしめ、親しく講導を加へ、客主の鈞礼を為し、観遊燕饗に与る。是より俗一変し、歳の貢士は内州と等し。官に卒す。年五十五。尚書左仆射を贈らる。其の後、閩人は春秋に学官に袞を配享すと云ふ。

原文建中初,楊炎輔政,起為福建觀察使。始,閩人未知學,袞至,為設鄉校,使作為文章,親加講導,與為客主鈞禮,觀遊燕饗與焉,由是俗一變,歲貢士與內州等。卒於官,年五十五,贈尚書左仆射。其後閩人春秋配享袞於學官云。

趙憬

原文趙憬

趙憬、字は退翁、渭州隴西の人。曾祖は仁本、吏部侍郎・同東西臺三品に仕う。憬は志操行い峻潔にして、自ら誇示せず。宝応年中、泰・建二陵を営むに当たり、費用広く、また吐蕃とばん辺境を侵し、天下飢饉頻発す。憬は褐衣を着て上疏し、礼を殺して倹に従うことを請う。士林これを嘆美す。江夏尉を試み、諸使府を佐け、太子舎人に進む。母喪にて免ぜられし時、芝が墳墓の土に生ず。建中初め、水部員外郎に抜擢さる。湖南観察使李承、憬を自らの副使とすべく上表す。承卒すや、遂にその後を継ぐ。召還さるや、門を閉ざして人と交わらず。李泌これを推薦す。殿中にて対し、奏上明弁、古今に通じ、徳宗欽悦し、給事中に拝す。

原文趙憬,字退翁,渭州隴西人。曾祖仁本,仕為吏部侍郎、同東西臺三品。憬誌行峻潔,不自衒賈。寶應中,方營泰、建二陵,用度廣,又吐蕃盜邊,天下薦饑,憬褐衣上疏,請殺禮從儉,士林嘆美。試江夏尉,佐諸使府,進太子舍人。母喪免,有芝生壤樹。建中初,擢水部員外郎。湖南觀察使李承表憬自副。承卒,遂代之。召還,闔門不與人交。李泌薦之,對殿中,占奏明辯,通古今,德宗欽悅,拜給事中。

貞元年中、咸安公主回紇に降嫁す。詔して関播を使者とし、憬は御史中丞としてこれを副う。往時の使者多く私に賫し、馬を市い利を規して入る。憬のみは然らず。使い未だ還らざるに、尚書左丞欠く。帝曰く「趙憬この任に堪えん」と。遂にこれを命ず。考功の歳終、至徳の故事の如く殿最を課すことを請う。憬自ら言す、果州刺史韋證を推薦せしも、貪に敗れたり、考課を降すことを請う、と。校考使劉滋、憬の過ちを知るを謂い、改めて考を以て昇進せしむ。

原文貞元中,鹹安公主降回紇,詔關播為使,而憬以御史中丞副之。異時使者多私賫,以市馬規利入,獨憬不然。使未還,尚書左丞缺,帝曰:「趙憬堪此。」遂以命之。考功歲終,請如至德故事課殿最,憬自言薦果州刺史韋證,以貪敗,請降考。校考使劉滋謂憬知過,更以考升。

竇参国政を執るや、憬を抑えて刺史とせんとす。帝許さず。参罷免せられ、憬は中書侍郎・同中書門下平章事に進み、陸贄と共に政を輔く。贄は裁決に於いて譲る所少なく、また憬を門下侍郎に転ず。ここより不平を懐く。自ら職に任じずとし、数え疾と称す。時に杜黄裳は奄人の讒詆に遭い、穆贊・韋武・李宣・盧雲等は裴延齢に構えられて擯斥せられ、勢い甚だ危うし。憬救護し申し解き、皆免る。初め、贄は共に延齢を退かんことを約す。対すや、贄は極めてその奸を言う。帝色変ず。憬は助けず。遂に贄を罷め、乃ち始めて国政を執る。

原文竇參當國,欲抑為刺史,帝不許。參罷,進中書侍郎、同中書門下平章事,與陸贄同輔政。贄於裁決少所讓,又徙憬門下侍郎,繇是不平。自以不任職,數稱疾。時杜黃裳遭奄人讒詆,穆贊、韋武、李宣、盧雲等為裴延齡構擯,勢危甚,憬救護申解,皆得免。初,贄約共執退延齡,既對,贄極言其奸,帝色變,憬不為助,遂罷贄,乃始當國。

憬は治道に精しく、常に国の根本は賢を選び、用を節し、賦斂を薄くし、刑罰を寛にするに在りとし、懇々として天子にこれを言う。また前世の損益、当時の変を陳べ、『審官六議』を献ず。一に相臣を議す。曰く「中外その賢を知る者はこれを用い、能ある者はこれに任じ、材の備わるを責むるは、得べからざるなり」。二に庶官を議す。曰く「臣嘗て十を抜きて五を得れば、賢愚なお半ばなりと謂う。陛下曰く『何ぞ必ずしも五ならん、十二も可なり』と。故に任用を広くし、殿最を明らかにし、大節を挙げ、小瑕を略し、能に随い事を試みるは、人を用うるの大要なり」。三に京司の闕官を議す。曰く「今要官は闕多く、閑官は員多し。要官は材行を以てし、閑官は恩沢を以てす。是れ選抜少なく、優容衆し。宜しく缺員を補い、以て人材を育すべし」。四に考課を議す。曰く「今内は庶僚、外は刺史、課最尤なる者は、次を俟たずして擢ぐ。善し。臣謂う、黜陟は宜しく歳限を責むべし。若し要重を任じて未だ遷すに当たらずんば、爵または秩を加うべし。その余の進退は、宜しく遅速の常を示すべし。若し課中に在り、考限の如き者は、平転して歴試すべし。即ち苟且の心、滞淹の慮無からん」。五に遺滯を議す。曰く「陛下は宰輔に委ねて才を挙げしむ。遍く知らざれば、則ち庶僚に訪う。また遍く知らざれば、衆人に訪う。衆声囂然たり。十に誉むるも未だ信ぜず、一に毀るも疑わし。臣謂う、宜しく士論を採り、誉多き者を先に用うべし。大故あるにあらざれば棄つるなかれ」。六に藩府の官属を議す。曰く「諸使の辟署は、務めて才を得て以て府望を重くす。能否已に試みられば、則ち引きてこれを朝に置き、久しく滞らしむるなかれ」。帝皆然りとし、詔を下して褒め答う。輔政五年、卒す。年六十一。その息、卒時の稿奏を上る。帝悼惜す。太子太傅を贈り、謚して貞憲と曰う。

原文憬精治道,常以國本在選賢、節用、薄賦斂、寬刑罰,懇懇為天子言之。又陳前世損益、當時之變,獻《審官六議》。一議相臣,曰:「中外知其賢者用之,能者任之,責材之備,為不可得。」二議庶官,曰:「臣嘗謂拔十得五,賢愚猶半。陛下曰:『何必五也,十二可矣。』故廣任用,明殿最,舉大節,略小瑕,隨能試事,用人之大要也。」三議京司闕官,曰:「今要官闕多,閑官員多。要官以材行,閑官以恩澤,是選拔少,優容眾也。宜補缺員,以育人材。」四議考課,曰:「今內庶僚,外刺史,課最尤者,擢以不次,善矣。臣謂黜陟宜責歲限,若任要重未當遷者,加爵或秩。其餘進退,宜示遲速之常。若課在中、考如限者,平轉而歷試之,即無茍且之心、滯淹之慮。」五議遺滯,曰:「陛下委宰輔舉才,不遍知也,則訪之庶僚;又不遍知也,訪之眾人,眾聲囂然,十譽之未信,一毀之可疑。臣謂宜采士論,以譽多者先用,非大故者勿棄。」六議藩府官屬,曰:「諸使辟署,務得才以重府望,能否已試,則引而置之朝,無俾久滯。」帝皆然之,下詔褒答。輔政五年,卒,年六十一。其息上卒時稿奏,帝悼惜之。贈太子太傅,謚曰貞憲。

憬の性清約。台宰の位にありながら、第宅の童僕は猶儒先生の家の如し。稟入を得れば、先ず家廟を建て、而して竟に産を営まず。湖南を鎮むる時、令孤亙・崔儆並びに部刺史たり。法を守らず。憬は正を以てこれを弾治す。皆客を遣わし憬の失を朝に暴かしむ。相となるに及び、乃ち儆を大理卿より尚書右丞に擢げ、亙は方に衢州別駕に貶せられしを、吉州刺史に引き抜く。人これを賢とす。

原文憬性清約,位臺宰,而第室童獲猶儒先生家也。得稟入,先建家廟,而竟不營產。其鎮湖南也,令孤亙、崔儆並為部刺史,不守法,憬以正彈治之,皆遣客暴憬失於朝。及為相,乃擢儆自大理卿為尚書右丞,亙方貶衢州別駕,引為吉州刺史,人以為賢。

崔造

原文崔造

崔造、字は玄宰、深州安平の人。永泰年中、韓会・盧東美・張正則の三人と友善し、上元に居り、当世の事を言うを好む。皆自ら王佐の才と謂う。故に「四夔」と号す。

原文崔造,字玄宰,深州安平人。永泰中,與韓會、盧東美、張正則三人友善,居上元,好言當世事,皆自謂王佐才,故號「四夔」。

浙西観察使李棲筠、判官に辟く。累遷して左司員外郎となる。劉晏と善し。晏罪を得て、造は信州長史に貶ぜらる。建州刺史に徙す。朱泚乱に際し、造は直ちに檄を馳せて隣州に比し、配下の兵二千を発して命を待つ。徳宗これを嘉す。京師平らぎ、召還さる。藍田に至り、舅の源休が賊と同逆したるを以て、上疏して罪を請う。帝礼有りと為し、詔して慰勉し、給事中に擢ぐ。

原文浙西觀察使李棲筠辟為判官,累遷左司員外郎。與劉晏善,晏得罪,貶信州長史。徙建州刺史。朱泚亂,造輒馳檄比州,發所部兵二千以待命,德宗嘉之。京師平,召還,至藍田,自以舅源休與賊同逆,上疏請罪。帝以為有禮,下詔慰勉,擢給事中。

貞元二年、給事中を以て同中書門下平章事となる。帝、造の敢言を以て、事を立つる能きと為し、故に次を俟たずしてこれを用う。造久しく江左に在り、銭穀諸使の上を罔くし、或いは幹没して私するを疾む。乃ち建言す「天下の両税は、本道観察使・刺史に委ねて官を選び部送して京師に致すことを請う。諸道の水陸転運使・度支巡院・江淮転運使は、悉く停め、度支塩鉄の務を尚書省に還し、六曹皆宰相に分領せしむることを請う」。ここにおいて斉映は兵部を判じ、李勉は刑部を、劉滋は吏・礼二部を、造は戸・工二部を判ず。また戸部侍郎元琇を以て諸道塩鉄・榷酒事を判じ、吉中孚を以て度支諸道両税事を判ぜしむ。而して浙江東・西は歳に米七十五万石を入る。時に歳饑、更に両税を準じて米百万、豪・寿・洪・潭二十万とし、韓滉・杜亞に漕送して東渭橋に致すことを責む。諸道塩鉄ある処には、仍お巡院を置く。歳尽くれば、宰相最殿を計りて聞かしむ。造は元琇を厚くす。故に首めてこれを命ず。時に滉は方に転運を領し、帝の寵有り。朝廷その需を仰ぐ。滉は改むべからずと堅持す。帝重ねてこれに違うを重んじ、復た滉を江淮転運使と為し、余は造の請う如し。この秋、江淮の米大いに集まる。帝滉の功を美し、滉を以て専ら度支諸道塩鉄・転運等使を領せしむ。造懼れ、始めて疾を托して位を辞す。乃ち罷めて太子右庶子と為し、琇を雷州司戸参軍に貶す。ここにおいて造の請う所悉く罷む。憂愧して卒す。年五十一。議者曰く、造の挙は時に適わず、方に用いるに乏しき時、能く権めて大事を済ますこと能わず。旧典に拠ると雖も、奚ぞ一切の制に抗せんや、と。

原文貞元二年,以給事中同中書門下平章事。帝謂造敢言,為能立事,故不次用之。造久在江左,疾錢穀諸使罔上,或幹沒自私,乃建言:「天下兩稅,請委本道觀察使、刺史選官部送京師。諸道水陸轉運使、度支巡院、江淮轉運使,請悉停,以度支鹽鐵務還尚書省,六曹皆宰相分領。」於是齊映判兵部,李勉刑部,劉滋吏、禮二部,造戶、工二部;又以戶部侍郎元琇判諸道鹽鐵、榷酒事,吉中孚度支諸道兩稅事。而浙江東、西歲入米七十五萬石,方歲饑,更以兩稅準米百萬,豪、壽、洪、潭二十萬,責韓滉杜亞漕送東渭橋。諸道有鹽鐵處,仍置巡院。歲盡,宰相計最殿以聞。造厚元琇,故首命之。時滉方領轉運,有寵於帝,朝廷仰其須。滉持不可改,帝重違之,復以滉滉為江淮轉運使,余如造請。是秋,江淮米大集,帝美滉功,以滉專領度支諸道鹽鐵、轉運等使。造懼,始托疾辭位,乃罷為太子右庶子,貶琇雷州司戶參軍。於是造所請悉罷,以憂愧卒,年五十一。議者謂造舉不適時,方用之乏,不能權濟大事,雖據舊典,奚能抗一切之制云。

斉映

原文齊映

斉映、瀛州高陽の人。進士に挙げられ、博学宏詞科に中り、河南府参軍事を補う。滑亳節度使令狐彰、掌書記に署す。彰疾甚だ篤く、映を引き後事を托す。映因りて彰を説き節を納れ、諸子を京師に帰らしむ。彰これに従う。即ち女を以て映に妻せしむ。彰卒す。軍乱す。映間隙を縫って東都に帰る。

原文齊映,瀛州高陽人。舉進士,博學宏詞,中之,補河南府參軍事。滑亳節度使令狐彰署掌書記,彰疾甚,引映托後事。映因說彰納節,歸諸子京師。彰從之,即以女妻映。彰卒,軍亂,映間歸東都。

三城使馬燧、判官に辟く。盧杞推薦して刑部員外郎を授く。また鳳翔の張鎰の判官となる。映軍事を練り、論奏数え旨に称す。行軍司馬に進む。時に徳宗奉天に出ず。鎰儒緩にして兵を知らず。部将李楚琳なる者、素より慓悍にして、賊を介して乱を為さんと欲す。映と斉抗、先んずる事を請いてこれを誅せんとす。鎰用いず、更に寛大を示し、徐ろに楚琳に謂いて曰く「君をして外に使わんと欲す。若何」と。楚琳恐れ、夜に鎰を殺して賊に応ず。映雅より軍中に慕頼せらる。故に免る。奉天に奔り、御史中丞を授かる。

原文三城使馬燧辟為判官。盧杞薦授刑部員外郎。又為鳳翔張鎰判官。映練軍事,論奏數稱旨,進行軍司馬。會德宗出奉天,鎰儒緩不知兵,部將李楚琳者,素慓悍,欲介賊為亂。映與齊抗請先事誅之,鎰不用,更示寬大,徐謂楚琳曰:「欲以君使外,若何?」楚琳恐,夜殺鎰以應賊,映雅為軍中慕賴,故得免。奔奉天,授御史中丞。

帝に従って梁に幸し、道険しく澁み、常に帝の御車を御した。時に馬が驚いて突進し、帝は映が傷つくことを恐れ、手綱を放すよう詔したが、固より去らず、曰く、「馬が奔り蹴るは、臣を傷つけるに過ぎず。これを放せば、或いは清蹕を犯すことあらん。臣たとえ死すとも責に償うに中らず」と。帝嘉賞して嘆じ、給事中に擢でた。映は人となり白晰にして長大、言音鴻爽、故に帝常に左右に侍せしめ、或いは前馬として詔旨を臚傳せしむ。中書舍人に進む。貞元二年、舍人を以て同中書門下平章事と為り、俄かに中書侍郎に改め、河間縣男に封ぜられ、崔造・劉滋と並び輔政す。滋は端重にして寡言、映は謙りて肯て事の可否をせず、一に造に顓す。時に造疾に會ひ、映乃ち國を當つ。

原文從幸梁,道險澀,常為帝禦。會馬駭突,帝恐傷映,詔舍轡,固不去,曰:「馬奔踶,不過傷臣;舍之,或犯清蹕,臣雖死不中償責。」帝嘉嘆,擢給事中。映為人白晰長大,言音鴻爽,故帝常令侍左右,或前馬臚傳詔旨。進中書舍人。貞元二年,以舍人同中書門下平章事,俄改中書侍郎,封河間縣男,與崔造、劉滋並輔政。滋端重寡言,映謙不肯事否可,一顓於造。會造疾,映乃當國。

吐蕃數たび寇に入り、關輔震騷ぎ、咸に帝の狄を避けんと欲すと謂ふ。映入りて諫めて曰く、「戎狄を懲らさざるは、臣の罪なり。然れども内外恟恟として、陛下の糗糧を具へ、行を治めんと欲すと謂ふ。夫れ大幸は再びせず、奈何ぞ臣等と計らざるや」と。因りて俯伏して流涕す。天子之を感寤す。

原文吐蕃數入寇,關輔震騷,鹹言帝欲避狄。映入諫曰:「戎狄不懲,臣之罪也。然內外恟恟,謂陛下具糗糧,欲治行。夫大幸不再,奈何不與臣等計乎?」因俯伏流涕,天子為感寤。

後に給事中袁高帝の旨に忤ふ。而して映は尚書左丞・御史大夫と為す。初め、映微時、張延賞之に遇ふこと善し。映相と為るに及び、而して延賞は左仆射と為り、數たび映の為に事を畫き、又親しき者の為に官を求めしも、映答えず。延賞恚る。既に復用せられて、即ち映を劾して宰相の器に非ずとす。明年、夔州刺史に貶せられ、衡州に徙す。久しくして、桂管・江西兩觀察使と為る。初め、映罷むるも罪を以てせず、復進せんことを冀ひ、乃ち掊斂して獻貢し、以て帝の欲を中つ。初め、諸藩の銀大瓶は五尺に止まる。李兼江西に為りて、始めて六尺瓶を獻ず。映に至りて乃ち八尺と云ふ。卒す。年四十八。禮部尚書を贈られ、謚して忠と曰ふ。

原文後給事中袁高忤帝旨,而映以為尚書左丞、御史大夫。始,映微時,張延賞遇之善。及映相,而延賞為左仆射,數為映畫事,又為所親求官,映不答,延賞恚。既復用,即劾映非宰相器。明年,貶夔州刺史,徙衡州。久之,為桂管、江西兩觀察使。始,映罷不以罪,冀復進,乃掊斂獻貢,以中帝欲。初,諸藩銀大瓶止五尺,李兼為江西,始獻六尺瓶,至映乃八尺雲。卒,年四十八,贈禮部尚書,謚曰忠。

盧邁

原文盧邁

盧邁、字は子玄、河南河南の人。性孝友。明經に挙げられて第に入り、太子正字を補す。拔萃に以て調はれて河南主簿・集賢校理と為る。公卿交はりて之を薦ぐ。右補闕に擢でらる。三遷して吏部員外郎。族屬江介に客するを以て、出でて滁州刺史と為る。召し還されて、再遷して諫議大夫。數たび當世の病利を條す。給事中に進む。俄かに考課に會ふ。邁は歳に滿たざるを以て、固より上考を辭し、薦紳其の譲を高しとす。尚書右丞に改む。

原文盧邁,字子玄,河南河南人。性孝友。舉明經入第,補太子正字。以拔萃調河南主簿、集賢校理。公卿交薦之,擢右補闕。三遷吏部員外郎。以族屬客江介,出為滁州刺史。召還,再遷諫議大夫。數條當世病利,進給事中。俄會考課,邁以不滿歲,固辭上考,薦紳高其讓。改尚書右丞。

將作監元亙祠を攝り、私忌を以て誓を聽かず。御史之を劾す。帝其の罰を疑ひ、尚書省に下して議せしむ。邁曰く、「按ずるに大夫士公に祭らんとし、既に濯を視て父母死すれば、猶ほ祭を奉ず。禮に、散齊に大功喪有り、致齊に期喪有り、齊に疾病有れば、還り舍するを聽し、祭を奉ぜず。忌日無くして誓を受けざる者なし。令に忌日と告と與すと雖も、且つ『春秋』は家事を以て王事を辭せず。今攝祭は特命なり。亙常令を以て特命を拒むは、執れか宜しからざる所に非ざらん」と。遂に罪に抵る。

原文將作監元亙攝祠,以私忌不聽誓,御史劾之。帝疑其罰,下尚書省議。邁曰:「按大夫士將祭於公,既視濯而父母死,猶奉祭。禮,散齊有大功喪,致齊有期喪,齊有疾病,聽還舍,不奉祭。無忌日不受誓者。雖令忌日與告,且《春秋》不以家事辭王事,今攝祭特命也,亙以常令拒特命,執非所宜。」遂抵罪。

本官を以て同中書門下平章事と為る。中書侍郎に進む。時に陸贄・趙憬大政を專らにす。邁中に居り、身を治め法に循りて他過無し。久しくして、暴眩省中にし、輿にて第に還る。詔して大臣即ち問はしむ。固より骸骨を乞ひ、罷めて太子賓客と為る。卒す。年六十。太子太傅を贈らる。

原文以本官同中書門下平章事。進中書侍郎。時陸贄、趙憬專大政,邁居中,治身循法無它過。久之,暴眩省中,輿還第。詔大臣即問,固乞骸骨,罷為太子賓客。卒,年六十,贈太子太傅。

邁每たび功・緦の喪有れば、必ず容其の服に稱し、而して情加ふる有り。叔下邽令休沐して家に過ぐるに、邁終日群子姓と均しく指使し、位貌の異無し。再娶して子無し。或ひは姬媵を畜ふるを勸むるも、對へて曰く、「兄弟の子は猶ほ子なり、以て後を主つべし」と。得る所の稟賜は、皆姻舊の乏を賑ふ。其の從父弟禋喪して洛陽に還り、都を過ぐ。邁奏請して往きて之を哭し、哀を盡す。時に執政自ら宰相の尊を以てし、五服皆從ひ問吊せず。而して邁獨り時に徇はず。議者其の仁を重しとし亮と云ふ。

原文邁每有功、緦喪,必容稱其服,而情有加焉。叔下邽令休沐過家,邁終日與群子姓均指使,無位貌之異。再娶無子,或勸畜姬媵,對曰:「兄弟之子,猶子也,可以主後。」所得稟賜,皆賑姻舊之乏。其從父弟禋喪還洛陽,過都,邁奏請往哭之,盡哀。時執政自以宰相尊,五服皆不過從問吊,而邁獨不徇時,議者重其仁而亮云。

贊

原文贊

贊して曰く、楊綰の德、陸贄の賢にして、袞・憬之を憎と為すは、何ぞや。士固より娼前に蔽はる。然れども主聽一ならず、故に乘じて以て奸を為す。昔齊桓・秦堅管仲・王猛を任じ、區區を興し、天下に霸たり。蓋し不肖者を以て之に參せしめざるなり。君臣相諒るは、果たして難きかな。

原文贊曰:楊綰之德,陸贄之賢,而袞、憬以為憎,何哉?士固蔽於娼前,然主聽不一,故乘以為奸。昔齊桓、秦堅任管仲、王猛,興區區,霸天下,蓋不以不肖者參之。君臣相諒,果難哉!