新唐書

巻一百三 列傳第二十八 蘇世長子:良嗣 從孫:弁 韋雲起孫:方質 孫伏伽 張玄素

巻一百三 列傳第二十八 蘇世長子:良嗣 從孫:弁 韋雲起孫:方質 孫伏伽 張玄素

蘇世長

原文蘇世長

蘇世長は京兆武功の人である。祖父の彤は後魏に仕えて通直散騎常侍となった。父の振は周の宕州刺史、建威縣侯となった。世長は十余歳の時、周の武帝に上書した。帝はその幼さを異とし、何の書を読むかと問うと、「『孝経』と『論語』を治めております」と答えた。帝が「どの言葉が道とすべきか」と言うと、答えて「国を為す者は敢えて鰥寡を侮らず。政を為すには徳を以てす、でございます」と言った。帝は「善い」と言い、虎門館で学業を終わらせた。父が王事のために死ぬと、詔があって爵を襲ぐこととなったが、世長は号踊して自ら勝えず、帝は憮然として顔色を改めた。

原文蘇世長,京兆武功人。祖彤,仕後魏通直散騎常侍。父振,周宕州刺史,建威縣侯。世長十餘歲,上書周武帝,帝異其幼,問讀何書,對「治《孝經》、《論語》」。帝曰:「何言可道?」答曰:「為國者不敢侮於鰥寡。為政以德。」帝曰:「善。」使卒學虎門館。父死王事,有詔襲爵,世長號踴不自勝,帝奭然改容。

隋に入り、長安令となり、数度便宜を条上した。大業の末、都水少監となり、漕運を上江に督した。時に煬帝が弑されると、発喪し、慟哭の声は行路に聞こえた。更に王世充の太子太保・行台右僕射となり、世充の兄の子の弘烈及びその将の豆盧行褒と共に襄陽を戍った。高祖は彼と旧知であり、数度使者を遣わして降るよう諭したが、その都度殺した。

原文入隋,為長安令,數條上便宜。大業末,為都水少監,督漕上江。會煬帝被弑,發喪,慟聞行路。更為王世充太子太保、行台右僕射,與世充兄子弘烈及其將豆盧行褒戍襄陽,高祖與之舊,數遣使者諭降,輒殺之。

洛陽が平定されて初めて弘烈と共に帰順した。帝は行褒を誅し、世長を誚った。頓首して謝して言うには、「古の帝王が天命を受ける時は、これをもって鹿を逐い、一人が禽を得れば、万夫は手を斂める。どうして鹿を得た後に同獵者を忿り、肉を争う罪を問うことがありましょうか。今、陛下は天に応じ民に順い、どうして管仲や雍齒の故事を忘れられましょう。かつ武功の旧人たちは、乱離以来、死亡してほぼ尽き、ただ臣のみが太平を見ることができました。もしこれを殺すならば、その類を絶やすことになります」と。帝は笑ってこれを釈した。玉山屯監に任じた。玄武門に引見し、平生を語り合い、からかって言うには、「卿は自ら佞か、直かと言うか」と。答えて「愚かでかつ直でございます」と言う。帝が「もし直者ならば、どうして賊に背いて我に帰したのか」と言うと、答えて「洛陽が平定され、天下が一つとなり、臣の智は窮まり力は屈したので、陛下に帰したのでございます。もし世充が死なず、臣が漢南を拠していれば、なお勍敵でありました」と。帝は大笑し、嘲って言うには、「どうして名は長くして意は短く、口は正しくして心は邪なのか」と。世長は言う、「名長く意短きは、誠に聖旨の通りでございます。口正しく心邪なるは、敢えて詔を奉じません。昔、竇融は河西を以て漢に降り、十世侯とされました。臣は山南を挙げて帰したのに、ただ屯監を蒙るのみでございます」と。帝は悦び、諫議大夫に拝した。

原文洛陽平,始與弘烈歸,帝誅褒而誚世長,頓首謝曰:「古帝王受命,以此逐鹿,一人得禽,萬夫斂手。豈有獲鹿後忿同獵者,問爭肉罪邪?今陛下應天順民,安可忘管仲、雍齒事?且武功舊人,亂離以來,死亡略盡,唯臣得見太平。若殺之,是絕其類。」帝笑釋之。授玉山屯監。引見玄武門,與語平生,調之曰:「卿自謂佞邪,直邪?」對曰:「愚且直。」帝曰:「若直者,何為背賊歸我?」對曰:「洛陽平,天下為一,臣智窮力屈,乃歸陛下。使世充不死,臣據漢南,尚為勍敵。」帝大笑,嘲曰:「何名長而意之短,口正而心之邪?」世長曰:「名長意短,誠如聖旨。口正心邪,不敢奉詔。昔竇融以河西降漢,十世侯之;臣舉山南以歸,唯蒙屯監。」帝悅,拜諫議大夫。

涇陽に従獵し、大いに獲物を得た。帝が旌門に入り、左右に誇って言うには、「今日の畋は楽しんだか」と。世長は言う、「陛下が万機を廃し、遊獵に事とり、十旬に満たず、楽しみとは申せません」と。帝の色が変じたが、やがて笑って言うには、「狂態が発したか」と。答えて「臣の為に計れば狂、陛下の為に計れば忠でございます」と言った。時に武功・郿は新たに突厥とっけつの寇掠を受け、郷聚は凋虚していた。帝は遂に武功で狩猟しようとしたが、世長は諫めて言うには、「突厥が先般人を盗み劫い、陛下の救恤の言葉も未だ口に出さぬうちに、またその地で狩猟されれば、恐らく百姓はその求めに堪えられません」と。帝は聴かなかった。披香殿で侍宴し、酒酣の時、進み出て言うには、「これは煬帝の作られたものですか。どうしてこれほどまでに彫麗なのです」と。帝は言う、「卿は諫めるのが好きで直のようだが、実は詐りである。どうしてこの殿が私の営んだものだと知らず、わざと煬帝と言うのか」と。答えて言うには、「臣はただ傾宮や鹿台を見るのみで、天命を受けた聖人の為すところではないと存じます。陛下の武功の旧第は、風雨を蔽うだけで、当時は足りていると思われました。今、天下は隋の奢侈に厭き、有道に帰しております。陛下は奢淫を刈り、復た朴素にすべきです。今、その宮に即いて彫飾を加えられれば、その乱を易えようと欲しても、得られましょうか」と。帝はその言を重んじた。陝州長史・天策府軍諮祭酒を歴任し、学士に引かれた。貞観の初め、突厥に使いし、頡利と礼を争って屈せず、賂遺を拒み退けたので、朝廷はその壮挙を称えた。巴州刺史として出向し、舟が難破し、溺死した。

原文從獵涇陽,大獲。帝入旌門,詫左右曰:「今日畋,樂乎?」世長曰:「陛下廢萬機,事遊獵,不滿十旬,未為樂也。」帝色變,既而笑曰:「狂態發邪?」曰:「為臣計則狂,為陛下計忠矣。」時武功、郿新經突厥寇掠,鄉聚凋虛,帝將遂獵武功,世長諫曰:「突厥向盜劫人,陛下救恤之言未出口,又獵其地,殆百姓不堪所求。」帝不聽。侍宴披香殿,酒酣,進曰:「此煬帝作邪?何雕麗底此!」帝曰:「卿好諫似直,然詐也。豈不知此殿我所營,乃詭雲煬帝邪?」對曰:「臣但見傾宮、鹿台,非受命聖人所為者。陛下武功舊第,才蔽風雨,時以為足。今天下厭隋之侈,以歸有道,陛下宜刈奢淫,復樸素。今乃即其宮加雕飾焉,欲易其亂,得乎?」帝咨重其言。曆陝州長史、天策府軍諮祭酒,引為學士。貞觀初,使突厥,與頡利爭禮,不屈,拒卻賂遺,朝廷壯之。出為巴州刺史,舟敗,溺死。

世長は機弁があったが、学は浅く、酒を嗜み、簡率で威儀がなかった。初め陝に在った時、邑裏が法を犯しても禁じられず、引咎して自ら廛で撻たれた。五伯はその詭を疾み、鞭打って流血させた。世長は痛みに勝えず、呼びながら走り去ったので、人はその不情を笑った。

原文世長有機辯,淺於學,嗜酒,簡率無威儀。初在陝,邑裏犯法不能禁,乃引咎自撻於廛,五伯疾其詭,鞭之流血,世長不勝痛,呼而走,人笑其不情。

子 良嗣

原文子 良嗣

子の良嗣は、高宗の時に周王府司馬となり、王が年少で法に依らなかったので、良嗣は数度王を諫め、法を以て職を果たさぬ府官を糾したので、甚だ尊憚された。帝はこれを異とし、荊州長史に選んだ。帝が宦者を江南に遣わして怪竹を採らせ、上苑に蒔こうとした。宦者は過ぐる所で暴を恣にしたが、荊に至ると、良嗣はこれを囚え、上書して状を言上した。帝は詔を下して慰労し、竹を取って棄てた。雍州に転じた。時に関内は饑饉で、人相食む有様であったが、良嗣の政は厳正で、盗みが発する毎に、三日の内に必ず擒らえ、神明と号された。

原文子良嗣,高宗時為周王府司馬,王年少不法,良嗣數諫王,以法繩府官不職者,甚見尊憚。帝異之,選荊州長史。帝遣宦者采怪竹江南,將蒔上苑,宦者所過縱暴,至荊,良嗣囚之,上書言狀。帝下詔慰獎,取竹棄之。徙雍州。時關內饑,人相食,良嗣政上嚴,每盜發,三日內必擒,號稱神明。

垂拱の初め、冬官尚書に遷り、納言に拝され、溫國公に封ぜられ、西京を留守し、賞遇は特に厚かった。尚方監の裴匪躬が諸苑を巡察し、果蔬を売り、利を儲けて公上の助けとすべしと建言した。良嗣は言う、「公儀休は一諸侯の相であり、葵を抜き織を去ったが、未だ天子が果蔬を売り人と利を争うとは聞かない」と。遂に止めさせた。文昌左相・同鳳閣鸞台三品に遷った。朝で薛懷義に遇うと、懷義が傲慢であったので、良嗣は怒り、左右を叱してその頬を批り、曳き去らせた。武后はこれを聞き、戒めて言うには、「ただ北門を出入りせよ。彼は南衙の宰相が行き来する所、これを犯すな」と。載初元年、左相を罷め、特進を加えられ、なお政事を知った。韋方質と元より不和であり、方質が事に坐して誅されると、連座して逮えられた。後にその非を弁じたが、良嗣は悸え、謝して起ち上がれず、輿に乗せられて第に還り、卒した。八十五歳であった。詔して百官に往吊せしめ、開府儀同三司・益州都督を贈られた。

原文垂拱初,遷冬官尚書,拜納言,封溫國公,留守西京,賞遇尤渥。尚方監裴匪躬案諸苑,建言鬻果蔬,儲利佐公上。良嗣曰:「公儀休一諸侯相,拔葵去織,未聞天子賣果蔬與人爭利。」遂止。遷文昌左相、同鳳閣鸞台三品。遇薛懷義於朝,懷義偃蹇,良嗣怒,叱左右批其頰,曳去。武后聞之,戒曰:「第出入北門,彼南衙宰相行來,毋犯之。」載初元年,罷左相,加特進,仍知政事。與韋方質素不平,方質坐事誅,引逮之。後辨其非,良嗣悸,謝不能興,輿還第,卒,年八十五。詔百官往吊,贈開府儀同三司、益州都督。

初め、良嗣が洛州長史の時、僚婿の累に坐し、下って冀州刺史に徙された。その人が往って謝すると、良嗣の色は泰定で、言うには、「初め累があるとは聞かなかった」と。荊州に在った時、州に河東寺があった。もとは蕭詧が兄の河東王のために建てたものである。良嗣は言う、「江・漢の間にどうして河東と関係があろうか」と。奏上してこれを改めさせたが、当世はその学が少ないことを恨んだという。

原文始,良嗣為洛州長史,坐僚婿累,下徙冀州刺史。其人往謝,良嗣色泰定,曰:「初不聞有累。」在荊州時,州有河東寺,本蕭詧為兄河東王所建,良嗣曰:「江、漢間何與河東乎?」奏易之,而當世恨其少學雲。

子の踐言は太常丞に官し、酷吏に陥れられて嶺南で死に、父の爵を削られ、その家は没官された。神龍元年、復た司空を贈られ、踐言の子の務元に爵を襲がせた。終に邠王府長史に至った。

原文子踐言,官太常丞,為酷吏所陷,死嶺南,削父爵,沒其家。神龍元年,復贈司空,以踐言子務元襲爵,終邠王府長史。

從孫 弁

原文從孫 弁

従孫の弁、字あざなは元容、進士に擢でられ、奉天県の主簿に任ぜられた。徳宗が狩に出たとき、県令は府で事を計らっており、官属は皆恐れ慌て、遁走しようとした。弁曰く、「昔、粛宗が霊武に幸したとき、新平・安定に至り、二太守は伏匿の罪に坐し、斬られて徇らされた。諸君はこれを知っているか」と。衆は乃ち定まった。車駕が至ると、儲偫は悉く給され、帝はこれを嘉し、大理司直を試みさせた。硃泚が平らぎ、監察御史に進み、累擢して倉部郎中となり、度支案を判じた。裴延齢が死ぬと、帝は弁を召して延英殿に引見し、紫衣金魚を賜い、度支郎中として度支事を副知し、位は郎中の上に置かれた。度支に副知が置かれるのは弁より始まる。弁は学術に通じ、吏事に精明で、延齢の後を承け、賦を平らげ役を緩め、煩苛を略し、人はその寛大さに頼った。

原文從孫弁,字元容,擢進士,調奉天主簿。德宗出狩,而縣令計事在府,官屬皆惶恐,欲遁走。弁曰:「昔肅宗幸靈武,至新平、安定,二太守坐伏匿,斬以徇。諸君知之乎?」眾乃定。車駕至,儲偫畢給,帝嘉之,試大理司直。硃泚平,進監察御史,擢累倉部郎中,判度支案。裴延齡死,帝召弁見延英,賜紫衣金魚,以度支郎中副知度支事,位郎中上。知度支有副自弁始。弁通學術,吏事精明,承延齡後,平賦緩役,略煩苛,人賴其寬。

久しくして、戸部侍郎に遷り、度支を判じ、太子詹事に改めた。旧制では、詹事の位は太常・宗正卿の下にあったが、御史中丞の竇參がこれを卑しみ、班を河南・太原尹の下に徙した。弁が朝に造ると、輒ち旧の著に就き、有司が疑い詰めると、紿いて曰く、「我已に宰相に白し、旧班に復した」と。殿中侍御史の鄒儒立が劾奏し、金吾に待罪したが、詔ありて罪を原した。前に腐粟を以て辺に給した罪に坐し、汀州司戸参軍に貶せられた。是の時、兄の袞は賛善大夫、冕は京兆士曹参軍であったが、弁の故を以て、袞は永州に、冕は信州司戸参軍に貶せられた。袞は年老いて、瞑して視ることができず、帝これを閔み、還ることを聴した。又、冕の才を称する者あり、帝は用いなかったことを悔い、而して袞は老いて先に還ったので、重ねて冕を追い求めようとした。更に大臣の昆弟で任ずべき者を問うと、左右が王紹の兄の紓、韓皋の兄の群を以て対えた。帝は乃ち紓を右補闕に、群を考功員外郎に擢で、冕は遂に用いられなかった。数年して、弁を起して滁州刺史とし、卒した。

原文久之,遷戶部侍郎,判度支,改太子詹事。舊制,詹事位在太常宗正卿下,御史中丞竇參卑之,徙班河南、太原尹下。弁造朝,輒就舊著,有司疑詰,紿曰:「我已白宰相,復舊班。」殿中侍御史鄒儒立劾奏,待罪金吾,有詔原罪。坐前以腐粟給邊,貶汀州司戶參軍。是時,兄袞為贊善大夫,冕京兆士曹參軍,以弁故,貶袞永州,冕信州司戶參軍。袞年老,瞑不能視,帝閔之,聽還。又有稱冕才者,帝悔不用,而袞以老先還,重追冕。更問大臣昆弟可任者,左右以王紹之兄紓、韓皋之兄群對。帝乃擢紓右補闕,群考功員外郎,冕遂不復用。數年,起弁為滁州刺史,卒。

弁は書を聚めて二万巻に至り、手ずから讎定し、当時に秘府と将ぶと称された。弁が度支を判じたとき、大旱が続き、州県に逋米があり、貞元八年以前を断じて、凡そ三百八十万斛こく、人の亡き数が在った。弁は奏請してこれを出し貧民に貸し、秋に至って償わせることを請うた。詔して可とした。当時、その君を罔くすを譏ったという。

原文弁聚書至二萬卷,手自讎定,當時稱與秘府將。弁之判度支,方大旱,州縣有逋米,斷貞元八年以前,凡三百八十萬斛,人亡數在,弁奏請出以貸貧民,至秋而償,詔可。當時譏其罔君雲。

韋雲起

原文韋雲起

韋雲起、京兆万年の人。隋の開皇年中、明経を以て符璽直長を補った。嘗て文帝の前に事を奏す。帝曰く、「外事に不便あれば、言うべし」と。時に兵部侍郎の柳述が侍していた。雲起は即ち奏して曰く、「述は性豪侈にして、未だ事を更めず、ただ主婿の私に縁り、兵要を握る。議者は陛下が官に賢を択ばずと謂う。これ不便の者なり」と。帝は述を顧みて曰く、「雲起の言は、而して薬石なり。これを師とすべし」と。仁寿初め、詔して百官に知る所を挙げしめ、述は雲起を挙げて通事舎人とした。大業初め、謁者に改む。建言して曰く、「今、朝廷に山東の人多く、自ら門戸を作り、下に附き上を罔き、朋党を為す。その端を抑えざれば、必ず政を乱さん」と。因って奸状を条陳す。煬帝は大理に属して推究せしめ、ここにおいて左丞の郎蔚之・司隸別駕の郎楚之等は皆坐して免ぜられた。

原文韋雲起,京兆萬年人。隋開皇中,以明經補符璽直長。嘗奏事文帝前,帝曰:「外事不便,可言之。」時兵部侍郎柳述侍,雲起即奏:「述性豪侈,未嘗更事,特緣主婿私,握兵要,議者謂陛下官不擇賢,此不便者。」帝顧述曰:「雲起言,而藥石也,可師之。」仁壽初,詔百官舉所知,述舉雲起通事舍人。大業初,改謁者。建言:「今朝廷多山東人,自作門戶,附下罔上,為朋黨。不抑其端,必亂政。」因條陳奸狀。煬帝屬大理推究,於是左丞郎蔚之、司隸別駕郎楚之等皆坐免。

会に契丹きったんが営州を寇す。詔して雲起に突厥兵を護りてこれを討たしむ。啓民可汗は二万騎を以て節度を受く。雲起はこれを離して二十屯と為し、屯は相連絡し、四道並びに引き、令して曰く、「鼓して行き、角して止まり、公使に非ざれば、走馬す毋れ」と。三たび諭し五たび復す。既にして紇斤一人が令を犯せば、即ち斬りて以て徇らす。ここにおいて突厥の酋長で入謁する者は、皆膝いて進み、敢えて仰ぎ視る者なし。初め、契丹は突厥に事えて間隙なく、且つ雲起の至らんことを虞わず。既に境に入り、突厥を使いて紿きて柳城に詣で高麗と市易せしめ、敢えて隋使の在るを言う者は斬ると言わしむ。契丹は疑わず。因って引きて南し、賊の営を百里過ぎ、夜還りて陣し、遅明を以て掩撃す。契丹の男女四万を獲、女子及び畜産の半を以て突厥に賜い、男子は悉く殺し、余衆を以て還る。帝大いに喜び、百官を廷に会して曰く、「雲起は突厥兵を将いて契丹を平らげ、奇を以て師を用い、文武の才あり。朕自らこれを挙ぐ」と。治書御史に拝す。因って劾奏して曰く、「内史侍郎の虞世基・御史大夫の裴蘊は寵に怙りて命を妨げ、四方に変あれば以て聞かず、聞くも実を以てせず。朝議は賊を少なしとし、多く兵を発せず、官兵少なく、賊衆く、数たび敗北を見、賊気日を逐うて張る。請う、有司に付して案罪せしめよ」と。大理卿の鄭善果奏して曰く、「雲起は大臣を訾り、朝政を毀り、言う所情ならず」と。大理司直に貶す。帝が江都に幸するに及び、告げて帰ることを請う。

原文會契丹寇營州,詔雲起護突厥兵討之,啟民可汗以二萬騎受節度。雲起使離為二十屯,屯相聯絡,四道並引,令曰:「鼓而行,角而止,非公使,毋走馬。」三喻五復之。既而紇斤一人犯令,即斬以徇。於是突厥酋長入謁者,皆膝而進,莫敢仰視。始,契丹事突厥無間,且不虞雲起至。既入境,使突厥紿雲詣柳城與高麗市易,敢言有隋使在者斬。契丹不疑。因引而南,過賊營百里,夜還陣,以遲明掩擊之,獲契丹男女四萬,以女子及畜產半賜突厥,男子悉殺之,以餘眾還。帝大喜,會百官於廷,曰:「雲起將突厥兵平契丹,以奇用師,有文武才,朕自舉之。」拜治書御史。因劾奏:「內史侍郎虞世基、御史大夫裴蘊怙寵妨命,四方有變不以聞,聞不以實。朝議少賊,不多發兵,官兵少,賊眾,數見敗北,賊氣日張。請付有司案罪。」大理卿鄭善果奏:「雲起訾大臣,毀朝政,所言不情。」貶大理司直。帝幸江都,請告歸。

高祖が関に入ると、長楽宮に上謁し、司農卿・陽城県公を授かる。武徳初め、上開府儀同三司に進み、農圃監を判ず。時に王世充を討つことを議す。雲起上言して曰く、「京師初めて平らぎ、人未だ堅く附かず、百姓流離し、仍歳年無し。盩厔の司竹・藍田の谷口には、盗賊群屯す。京都では椎剽し、夜に乗じて窃発す。重ねて梁師都が情を北胡に嫁ぎ、陰計内に鈔し、腹心の患と為る。これを釈きて図らずして、兵を函・洛に窺わば、奸人虚に乗じ、一旦変あれば、禍且つ細ならず。臣愚、以為らくは、兵を戢え農を務め、関中の妥安を須ち、士気余飽して、然る後に討伐を議し、一挙して定むべし」と。これに従う。

原文高祖入關,上謁長樂宮,授司農卿、陽城縣公。武德初,進上開府儀同三司,判農圃監。時議討王世充,雲起上言:「京師初平,人未堅附,百姓流離,仍歲無年。盩厔〗司竹、藍田谷口,盜賊群屯。京都椎剽,乘夜竊發。重以梁師都嫁情北胡,陰計內鈔,為腹心患。釋此不圖,而窺兵函、洛,奸人乘虛,一旦有變,禍且不細。臣愚以為不若戢兵務農,須關中妥安,士氣餘飽,然議討伐,一舉可定。」從之。

会に突厥入寇す。詔して総べて豳・寧以北九洲の兵を以てこれを禦がしめ、一切便宜を得しむ。遂州都督・益州行台兵部尚書に改む。時に僕射の竇軌は数たび生獠の反を奏し、冀くは兵を集めて以て衆を威せんとす。雲起は数たび掣き持ち、軌は宣言して雲起が賊に通じ私を営むとす。ここより始めて隙あり。雲起の弟の慶儉・慶嗣は隠太子に事う。太子死す。詔して軌に息せしめて馳驛して報ぜしむ。軌は雲起に変あるを疑い、陰に設備し、乃ちこれに告ぐ。雲起信ぜずして曰く、「詔は安在か」と。軌曰く、「公は建成の党なり。今詔を奉ぜざれば、反明らかなり」と。遂にこれを殺す。初め、雲起は太学博士の王頗に師事し、王頗は毎に歎じて曰く、「韋生は識悟あり、富貴は自ら致すべし。然れども疾悪甚だしく、恐らくは死を得ざらん」と。言の如くに訖る。

原文會突厥入寇,詔總豳、寧以北九洲兵禦之,得一切便宜。改遂州都督、益州行台兵部尚書。時僕射竇軌數奏生獠反,冀得集兵以威眾,雲起數持掣,軌宣言雲起通賊營私,由是始隙。雲起弟慶儉、慶嗣事隱太子。太子死,詔軌息馳驛報。軌疑雲起有變,陰設備,乃告之。雲起不信,曰:「詔安在?」軌曰:「公建成黨,今不奉詔,反明矣。」遂殺之。初,雲起師太學博士王頗,每歎曰:「韋生識悟,富貴可自致;然疾惡甚,恐不得死。」訖如言。

孫の方質、光宅初めに鳳閣侍郎・同鳳閣鸞台平章事となり、地官尚書に遷る。嘗て疾に属す。武承嗣兄弟往きて候う。方質は床に拠りて自若たり。或る人曰く、「権貴に倨して見え、且つ禍を速めん」と。答えて曰く、「吉凶は命なり。丈夫豈に節を折りて近戚に近づき以て苟くも免れんや」と。俄にして酷吏に陥れられ、儋州に流死し、その家を没す。神龍初め、官爵を復す。

原文孫方質,光宅初為鳳閣侍郎、同鳳閣鸞台平章事,遷地官尚書。嘗屬疾,武承嗣兄弟往候,方質據床自若。或曰:「倨見權貴,且速禍。」答曰:「吉凶命也,丈夫豈能折節近戚以苟免邪?」俄為酷吏所陷,流死儋州,沒其家。神龍初,復官爵。

孫伏伽

原文孫伏伽

孫伏伽、貝州武城の人。隋に仕え、小史より累労して万年県法曹を補う。高祖武徳初め、三事を上言す。

原文孫伏伽,貝州武城人。仕隋,以小史累勞補萬年縣法曹。高祖武德初,上言三事。

第一に、臣は聞く、「天子に諫争の臣あれば、たとえ無道なりとも天下を失わず」と。隋が天下を失ったのは何故か。その過ちを聞かざるが故なり。自ら功徳は五帝に盛ん、三王を超えたりと謂い、奢侈を極め欲望を尽くし、天下の士をして肝脳を地に塗らしめ、戸口は尽き耗え、盗賊日々に増す。当時直言の臣無きに非ざるも、遂に悟らしむるを聞かず。君諫を受けず、臣敢えて告げざるなり。向使ひに不諱いみなの路を開き、賢を官にし能に授け、賞罰時宜に当たり、人々業を楽しめば、誰か能く乱を揺るがさんや。陛下晋陽を挙げしとき、天下呼応し、計跬を旋たずして、大業以て成る。天下を得ることの易きを以て、隋の失うことの難からざるを忘るるなかれ。天子動けば則ち左史之を書き、言えば則ち右史之を書く。凡そ搜狩は四時に順うべく、妄りに動くべからず。且つ陛下即位の明日、鷂を献ずる者有り、退けずして受けしは、此れ前世の弊事なり、奈何ぞ之を行わん。相国参軍事盧牟子琵琶を献じ、長安丞張安道弓矢を献じ、並びに賚賞せらる。率土の富を以てすれば、何の索めか至らざる、豈に此の物を少なからんや。

原文其一:臣聞「天子有爭臣,雖無道不失其天下」。隋失天下者何?不聞其過也。方自謂功德盛五帝、邁三王,窮侈極欲,使天下士肝腦塗地,戶口殫耗、盜賊日滋。當時非無直言之臣,卒不聞悟者,君不受諫,而臣不敢告之也。向使開不諱之路,官賢授能,賞罰時當,人人樂業,誰能搖亂者乎?陛下舉晉陽,天下回應,計不旋跬,大業以成。勿以得天下之易,而忘隋失之不難也。天子動則左史書之,言則右史書之。凡搜狩當順四時,不可妄動。且陛下即位之明日,有獻鷂者,不卻而受,此前世弊事,奈何行之?相國參軍事盧牟子獻琵琶,長安丞張安道獻弓矢,並被賚賞。以率土之富,何索不致,豈少此物哉?

第二に、百戯散楽は、本正声に非ず、隋末始めて崇用を見る。此れ淫風と謂うべく、変ぜざるを得ず。近く太常民の裙襦五百称を仮り、以て妓工に衣せしめ、玄武門の遊戯を待つ。臣以為らく、子孫に詒るの謀に非ずと。伝に曰く、「鄭声を放ち、佞人を遠ざけよ」と。今散妓なるものは、『韶』に非ず『夏』に非ず、請う並びに之を廃し、以て雅正に復せん。

原文其二:百戲散樂,本非正聲,隋末始見崇用,此謂淫風,不得不變。近太常假民裙襦五百稱,以衣妓工,待玄武門遊戲。臣以為非詒子孫之謀。傳曰:「放鄭聲,遠佞人。」今散妓者,匪《韶》匪《夏》,請並廢之,以復雅正。

第三に、臣は聞く、「性相近く、習相遠し」と。今皇太子諸王の左右執事は、択ばざるべからず。大抵不義無頼及び馳騁射獵歌舞声色慢遊の人は、ただ耳目を悦ばしめ、駆馳に備うるに止まり、拾遺補闕に至っては、決して能わざるなり。広く前世を観るに、子姓孝を克さず、兄弟友を克さざるは、左右の之を乱すに由らざるは莫し。願わくは賢才を選び、僚友の選を澄まさん。

原文其三:臣聞「性相近,習相遠」。今皇太子諸王左右執事,不可不擇。大抵不義無賴及馳騁射獵歌舞聲色慢遊之人,止可悅耳目,備驅馳,至拾遺補闕,決不能也。泛觀前世,子姓不克孝,兄弟不克友,莫不由左右亂之。願選賢才,澄僚友之選。

帝大いに悦び、即ち詔して曰く、「周・隋の晩年、忠臣舌を結び、是れ一言邦を喪う者と謂う。朕惟れ寡徳、性と天道とを能わず、然れども弼諧を冀ひ以て逮わざるを輔けんとす。而るに群公卿士、直言を進むるに罕なり。伏伽至誠慷慨、義に拠り懇切、朕が失を指すに諱る所無し。其れ伏伽を以て治書侍御史と為し、帛三百匹を賜え」と。初め、帝禅を受くるとき、伏伽最も先に諫め、帝情を下に尽くさんと欲し、故に次を俟たずして抜擢し、以て群臣に示す。

原文帝大悅,即詔:「周、隋之晚,忠臣結舌,是謂一言喪邦者。朕惟寡德,不能性與天道,然冀弼諧以輔不逮,而群公卿士罕進直言。伏伽至誠慷慨,據義懇切,指朕失無所諱。其以伏伽為治書侍御史,賜帛三百匹。」初,帝受禪,伏伽最先諫,帝欲盡下情,故不次見拔,以示群臣。

是の時、軍興にて賦斂重く、伏伽数回厘損を請う。帝裴寂に語りて曰く、「隋無道たりしは、主上に驕り、臣下に諂い、下上蔽蒙し、身匹夫の手に死するに至る。寧ろ痛ましからずや。我今然らず、乱を平ぐるは武臣を責め、成を守るは儒臣を責め、能を程し事に付し、以て逮わざるを佐けしむ。虚心下に尽くし、嘉言を聞かんことを冀う。李綱・孫伏伽の如きは、誼臣と謂うべし。首を俯して黙するは、豈に朕の望む所ならんや」と。

原文是時,軍興賦斂重,伏伽數請厘損。帝語裴寂曰:「隋為無道,主驕於上,臣諂於下,下上蔽蒙,至身死匹夫手,寧不痛哉!我今不然,平亂責武臣,守成責儒臣,程能付事,以佐不逮;虛心盡下,冀聞嘉言。若李綱、孫伏伽,可謂誼臣矣。俯首噤默,豈朕所望哉?」

東都平らぎ、天下に大赦し、又賊の支党を責め、悉く悪地に流徙せんと欲す。伏伽諫めて曰く、「臣聞く、王者に戯言無しと。『書』に『爾信無からば、朕食言せず』と称す。言の慎まざるべからざる所以なり。陛下の制詔に曰く、『常赦に免れざるも、皆之を原す』と。此れ直ちに罪を赦すのみに非ず、是れ亦天下と新たに辞するなり。世充・建德の所部、赦後に乃ち流徙せんと欲す。『書』に曰く、『其の渠魁を殲し、脅従は罔治』と。渠魁尚お免る。脅従何の辜ぞ。且つ蹠の狗堯に吠ゆるは、其の主に吠ゆるに非ざるなり。今陛下と結髪の雅故、往きて賊臣と為りし者、彼豈に陛下を忘れんや、壅隔の故なり。至って疎なる者、安んぞ能く之を罪せん。古より以来、何れの始めに君無からんや、然れどもただ堯・舜と称するは、何ぞや。直ちに善名得難きに由るなり。昔天下未だ平らがざりしとき、容応機に制変すべし。今四方已に定まれり、法を設くるは須らく人と之を共にすべし。法は陛下自ら作る所、須らく自ら之を守り、天下の百姓をして信じて畏れしむべし。自ら信無くして、人の信ぜんことを欲するは、豈に得べけんや。賞罰の行わるるは、貴賤親疎無く、惟だ義の在る所に在り。臣愚かに以為らく、賊党の赦に当たりて免るべき者は、甚だ無状なりと雖も、宜しく一切加えて原すべし。則ち天下幸甚なり」と。又表して諫官を置かんことを請う。帝皆欽んで納る。

原文東都平,大赦天下,又欲責賊支黨,悉流徙惡地。伏伽諫曰:「臣聞王者無戲言,《書》稱'爾無不信,朕不食言',言之不可不慎也。陛下制詔曰:'常赦不免,皆原之。'此非直赦有罪,是亦與天下更新辭也。世充、建德所部,赦後乃欲流徙。《書》曰:'殲厥渠魁,忄辦從罔治。'渠魁尚免,忄辦從何辜?且蹠狗吠堯,吠非其主。今與陛下結髮雅故,往為賊臣,彼豈忘陛下哉,壅隔故也。至疏者安得而罪之?由古以來,何始無君,然止稱堯、舜者,何也?直由善名難得也。昔天下未平,容應機制變。今四方已定,設法須與人共之。法者陛下自作,須自守之,使天下百姓信而畏也。自為無信,欲人之信,豈可得哉?賞罰之行,無貴賤親疏,惟義所在。臣愚以為賊党於赦當免者,雖甚無狀,宜一切加原,則天下幸甚。」又表置諫官。帝皆欽納。

太宗即位し、楽安県男に封じ、大理少卿に遷る。帝数え出でて馳射す。伏伽諫めて曰く、「臣聞く、天子の居る所は、禁衛九重、出ずれば警し、入れば蹕す。直ちに其の居処を尊ぶのみに非ず、社稷生人の為に計るなり。比来陛下の馬を走らせ帖を射るを聞く。群臣を娛悦せしむ。殆ど聖躬を導養し、後代に憲を垂るる所以に非ず。此れ直ちに少年諸王の務むる所なり。安んぞ既に天子と為りて、尚お之を行わんや。窃かに陛下の取らざる所と為す」と。帝悦びて曰く、「卿能く朕が失を言う。朕能く之を改めば、天下庶幾く瘳えんか」と。後ち囚を奏するに失するに坐し、官を免ぜらる。起きて刑部郎中と為る。累遷して大理卿に至る。時司農木橦を市うに、倍直を以て民に与う。右丞韋悰吏の隠没を劾す。事下りて大理に訊鞫せしむ。伏伽曰く、「官市貴きに縁り、故に民直賤し。臣司農の大體を識るを見るも、其の罪を見ず」と。帝悟り、顧みて悰に曰く、「卿伏伽に遠く逮わず」と。久しくして出でて陝州刺史と為り、致仕す。顕慶三年卒す。

原文太宗即位,封樂安縣男,遷大理少卿。帝數出馳射,伏伽諫曰:「臣聞天子之居,禁衛九重,出也警,入也蹕,非直尊其居處,為社稷生人計也。比聞陛下走馬射帖,娛悅群臣,殆非所以導養聖躬、垂憲後代,此直少年諸王務耳,安得既為天子,尚行之乎?竊為陛下不取。」帝悅曰:「卿能言朕失,朕能改之,天下庶有瘳乎!」後坐奏囚失,免官。起為刑部郎中。累遷大理卿。時司農市木橦,倍直與民,右丞韋悰劾吏隱沒,事下大理訊鞫。伏伽曰:「緣官市貴,故民直賤。臣見司農識大體,不見其罪。」帝悟,顧悰曰:「卿不逮伏伽遠矣。」久之,出為陝州刺史,致仕。顯慶三年卒。

初め、伏伽御史に拝せらるる時、先ず内旨を受けしも、制未だ出でず、帰りて家に臥すに、喜色無し。頃くして御史門に造る。子弟驚きて白す。伏伽徐ろに起きて之を見る。時に人其の量有るを称し、顧雍に比す。

原文始,伏伽拜御史時,先被內旨,而制未出,歸臥於家,無喜色。頃之,御史造門,子弟驚白,伏伽徐起見之。時人稱其有量,以比顧雍雲。

張玄素

原文張玄素

張玄素は、蒲州虞郷の人なり。隋に仕え、景城県戸曹と為る。竇建德景城を陥とし、執えて殺さんとす。邑人千余号泣して代わるを請い曰く、「此れ清吏なり。之を殺すは是れ天無きなり。大王即ち天下を定むるも、善人をして解体せしむる無かれ」と。建德命じて縛を解かしめ、治書侍御史に署すも拝せず。江都已に弑せられしを聞き、始めて建德の黄門侍郎と為る。賊平らぎ、景州録事参軍を授く。

原文張玄素,蒲州虞鄉人。仕隋,為景城縣戶曹。竇建德陷景城,執將殺之,邑人千餘號泣請代,曰:「此清吏,殺之是無天也。大王即定天下,無使善人解體。」建德命釋縛,署治書侍御史,不拜。聞江都已弑,始為建德黃門侍郎。賊平,授景州錄事參軍。

太宗即位し、政を以て問う。対えて曰く、「古より隋の如く乱るる者無し。君自ら専らにし、法日々に乱るるに非ずや。且つ万乗の尊、身を以て庶務を決し、日に十事を断つも、五は中らず。中る者は信じて善しとす。中らざる者有るは如何。一日万機、其の失を積めば、亡びずして何をか待たん。若し上賢右能し、百司をして職を善くせしめば、則ち高居深拱し、誰か敢えて之を犯さん。隋末盗起こり、天下を争う者十数に満たず。余は皆城邑を保ち以て有道の命を聴くを須う。是れ背きて乱に怙う者果たして鮮なし。特だ人君能く之を安んぜずして、乱に挻えしむるなり。陛下の聖神を以てし、危うき所以の跡を跡とし、亡ぶ所以を鑒とし、日一日に慎めば、堯・舜と雖も何を以てか加えん」と。帝曰く、「善し」と。侍御史に拝し、給事中に遷る。

原文太宗即位,問以政,對曰:「自古未有如隋亂者,得非君自專、法日亂乎?且萬乘之尊,身決庶務,日斷十事,五不中,中者信善,有如不中者何?一日萬機,積其失,不亡何待?若上賢右能,使百司善職,則高居深拱,疇敢犯之?隋末盜起,爭天下者不十數,餘皆保城邑以須有道聽命,是欲背上怙亂者果鮮,特人君不能安之而挻之亂也。以陛下聖神,跡所以危,鑒所以亡,日慎一日,雖堯、舜何以加!」帝曰:「善。」拜侍御史,遷給事中。

貞観四年、詔して卒を発し洛陽宮乾陽殿を治めしめ、且つ東幸せんとす。玄素上書して曰く、

原文貞觀四年,詔發卒治洛陽宮乾陽殿,且東幸。玄素上書曰:

臣惟うに、秦始皇帝周の余を藉り、六国を夷し、尊を統壹し、将に之を万世に貽さんとす。及んで子に至りて亡ぶは、嗜を殫くし欲に奔り、以て天に逆らい人を害するなり。天下は力を以て勝つべからず。唯当に儉約を務め、賦斂を薄くし、身を以て之に先んずべし。乃ち能く大いに安んず。

原文臣惟秦始皇帝藉周之餘,夷六國,統壹尊,將貽之萬世,及子而亡者,殫嗜奔欲,以逆天害人也。天下不可以力勝,唯當務儉約,薄賦斂,以身先之,乃能大安。

今、東都には行幸の期が未だ定まらず、先には土木を事とし、戚王が藩に出るに当たり、また営構を為さねばならず、科調は繁仍にして、疲弊せる民の望みを失う、これ一に不可なり。陛下が先に東都を平定せし時、広殿を観覧し、皆これを撤毀せしめ、天下翕然として、一口に頌歌せり。豈に初めは侈靡を悪みて後には彫麗を好むことあらんや、これ二に不可なり。陛下は常に巡幸を不急の務と為し、徒に虚費するのみと謂えり。今、国儲は兼年に及ばず、また別都の役を興して、怨讟を産まんとす、これ三に不可なり。百姓は乱離の後に承け、財賦は殫空し、更生を蒙るといえども、意は未だ完定せず、奈何ぞ未だ幸せざる都を営み、其の力を重ねて耗さんや、これ四に不可なり。漢祖が洛陽に都せんとせし時、婁敬の一言にて、即日に西駕せり。地土の中にして道裏の均しきを知らざるに非ず、但だ形勝は関内に及ばず、敢えて康ならざるなり。伏して惟うに、陛下が凋弊の俗を化するは、日尚浅し、詎ぞ東巡して以て人心を揺がすべけんや、これ五に不可なり。

原文今東都未有幸期,前事土木,戚王出籓,又當營構,科調繁仍,失疲人望,一不可也。陛下向平東都,曾觀廣殿,皆撤毀之,天下翕然,一口頌歌。豈有初惡侈靡而後好雕麗哉?二不可也。陛下每言巡幸者不急之務,徒焉虛費。今國儲無兼年,又興別都之役,以產怨讟,三不可也。百姓承亂離之後,財賦殫空,雖蒙更生,意未完定,奈何營未幸之都,重耗其力,四不可也。漢祖將都洛陽,婁敬一言,即日西駕。非不知地土中,道裏所均,但形勝不及關內,弗敢康也。伏惟陛下化凋弊之俗,為日尚淺,詎可東巡以搖人心?五不可也。

臣嘗て隋家の殿を造るを見るに、豫章にて木を伐り、二千人して一材を挽かしめ、鉄を以て轂と為す。行くこと数里ならずして、轂輒ち壞れ、別に数百人をして轂を齎して自ら随わしめ、終日行くこと三十里に及ばず。一材の費や、已に数十万工に及び、其の余を揆うれば知るべし。昔、阿房成りて秦人散じ、章華就きて楚衆離れ、乾陽功を畢えて隋人解體せり。今、民力は隋の日に及ばずして、残創の人を役し、亡国の弊を襲う。臣は陛下の過ち、煬帝に甚だしきを恐る。

原文臣嘗見隋家造殿,伐木于豫章,二千人挽一材,以鐵為轂,行不數里,轂輒壞,別數百人齎轂自隨,終日行不三十里。一材之費,已數十萬工,揆其餘可知已。昔阿房成,秦人散;章華就,楚眾離;乾陽畢功,隋人解體。今民力未及隋日,而役殘創之人,襲亡國弊,臣恐陛下之過,甚於煬帝。

帝曰く、「卿、我を煬帝に如かずと謂うは、桀・紂に如何」と。対えて曰く、「若し此の殿卒興すれば、乱に帰するを同じくす。臣聞く、東都始めて平らぎし時、太上皇詔して宮室の過度なる者を焚かしめ、陛下は瓦木の用いる可きを謂い、貧人に賜わんことを請う。事は従わざりしも、天下は盛徳と称せり。今また度を復して之を宮せんとす、是れ隋の役また興らんとす。五六年の間にあらずして、一たび捨て一たび取る、天下何と謂わんや」と。帝、房玄齢を顧みて曰く、「洛陽は朝貢天下の中にあり、朕之を営むは、意四方の百姓を便にせんと欲するなり。今、玄素の言此の如し、後必ず往かしむるに、露坐するも、庸ぞ苦しむことあらんや」と。即ち詔して役を罷め、彩二百匹を賜う。魏征は名だ梗挺たり、玄素の言を聞きて歎じて曰く、「張公の事を論ずる、天を回らすの力有り、仁人の言と謂うべし」と。太子少詹事を歴て、右庶子に遷る。時に太子承乾は遊畋を事とし、学を悦ばず。玄素上書して曰く、

原文帝曰:「卿謂我不如煬帝,何如桀、紂?」對曰:「若此殿卒興,同歸於亂。臣聞東都始平,太上皇詔宮室過度者焚之,陛下謂瓦木可用,請賜貧人,事雖不從,天下稱為盛德,今復度而宮之,是隋役又興。不五六年間,一舍一取,天下謂何?」帝顧房玄齡曰:「洛陽朝貢天下中,朕營之,意欲便四方百姓。今玄素言如此,使後必往,雖露坐,庸何苦?」即詔罷役,賜彩二百匹。魏征名梗挺,聞玄秦言,歎曰:「張公論事,有回天之力,可謂仁人之言哉。」曆太子少詹事,遷右庶子。時太子承乾事遊畋,不悅學。玄素上書曰:

天道は親無く、惟だ徳を輔く。苟も天道に違わば、人神之を棄つ。古者は田に三驅す、殺を教うるに非ず、民の害を除くなり。今反って獵を以て娛と為し、之を行うに常無く、盛徳を損わざらんや。『伝』に曰く、「事古に師せずんば、匪れ説の聞く所なり」と。然らば則ち道を探るは古を学ぶに在り、古を学ぶは師訓に在り。孔穎達は詔を奉じて講勸す、宜しく数たび逮問し、万を裨すべし。賢傑を博選し、朝夕左右に侍らしめ、相い規摩せしむ。日に亡き所を知り、月に能う所を忘れざらしむ、此れ則ち善美なり。

原文天道無親,惟德是輔。苟違天道,人神棄之。古者田三驅,非以教殺,除民害也。今反以獵為娛,行之無常,不損盛德哉?《傳》曰:「事不師古,匪說攸聞。」然則探道在學古,學古在師訓。孔潁達奉詔講勸,宜數逮問,裨萬分。博選賢傑,朝夕侍左右,與相規摩。日知所亡,月無忘所能,此則善美矣。

人の上に在る者は常に善を為さんことを求む、然れども性は情に勝たず、耽惑して乱を成す。下に諛言有れば、君道乃ち虧く。古人に云う有り、「悪小なるを以て去らず、善小なるを以て為さずと勿れ」と。禍福の来るは、皆初に根ざす。終わりを護ること始めの若くするも、猶其の替わるを懼る。始めを護らざれば、終わり将に安くにか帰せん。

原文夫在人上者常求為善也,然性不勝情,耽惑成亂,下有諛言,君道乃虧。古人有云:「勿以惡小不去,善小不為。」禍福之來,皆根于初,護終若始,猶懼其替,始不護焉,終將安歸?

太子納れず。又上書して曰く、

原文太子不納。又上書曰:

周公は聖人を資とし、而も沐を握り飧を吐き、白屋に下る。況や周公に下周る人をや。殿下は睿質天に就けり、尚学を以て之を表飾すべし。孔穎達・趙弘智は皆宿徳の巨髦にして、兼ねて政機を識る。望むらくは数たび召見し、古今を述べて、懿明の徳を増さしめよ。彫蟲の小技は、正に間たび召して、博弈に代うべく、屡なるに宜しからず。騎射畋遊、褻戲酣歌は、耳目を悦ばしめ、情靈を移す、以て禦うべからず。夫れ心は万事の主たり、動いて節無ければ則ち乱る。徳を敗るの原、実に此に在り。

原文周公資聖人,而握沐吐飧,下白屋,況下周公之人哉?殿下睿質天就,尚須學以表飾之。孔穎達、趙弘智皆宿德钜髦,兼識政機,望數召見,述古今,增懿明德。雕蟲小技,正可間召,代博弈,不宜屢也。騎射畋遊,褻戲酣歌,悅耳目,移情靈,不可以禦。夫心為萬事主,動而無節則亂,敗德之原,實在於此。

帝、数たび財を正して太子に諫むるを知り、頻りに擢でて銀青光禄大夫・行左庶子に至らしむ。

原文帝知數財正太子,頻擢至銀青光祿大夫,行左庶子。

太子久しく賓友を見ず。玄素曰く、「宮中に見る所は婦人に止まり、樊姬等の如き聖徳に益する可き者幾何ぞや知らん。若し之無ければ、即ち便ち詖豔の嬖、何ぞ顧みるに足らんや。上惟だ東宮の重きを以て、高く賢才を署して寮佐と為す。今乃ち進見を得ず、将に何を以て朝に誨を納れ、夕に遺を補わんや」と。太子其の切なるを諱み、夜戸奴を遣わして騎楇を以て狙撃せしむ。危うく死を脱す。嘗て宮中に鼓を撃つを聞き、閤を叩いて正言す。太子鼓を出だし、玄素に対して之を破る。既に悛わず、醜徳日々に聞こゆ。玄素已む能わず、上書して曰く、

原文太子久不見賓友,玄素曰:「宮中所見止婦人,不知如樊姬等可與益聖德者幾何?若無之,即便詖豔嬖,何足顧哉!上惟東宮之重,高署賢才為寮佐,今乃不得進見,將何以朝納誨、夕補遺哉?太子諱其切,夜遣戶奴以騎楇狙擊,危脫死。嘗聞宮中擊鼓,叩閤正言,太子出鼓,對玄素破之。既不悛,醜德日聞。玄素不能已,上書曰:

孔子曰く、「能く近きを取りて譬うるは、仁の方と謂う可し」と。書伝の載する所或いは過ぎたり。臣請う、近き事を以て之を喩えん。周武帝山東を平らげ、庳宮陋食を以て海内を安んず。而るに太子贇に穢徳有り、烏丸軌以て聞こゆ。帝慈仁にして廃するに忍びず。践祚するに及び、狂暴日々に熾え、宗祀以て亡ぶ。隋文帝の代わる所是れなり。文帝は周の衰に因り、女の資を藉る。人に大功無きといえども、然れども徳を布き恵を行い、上下安んじて頼る。勇太子と為り、驕肆にして度を敗る。今の宮中の山池、殿下の親しく見る所の者なり。当の時、自ら泰山の安き有りと謂えり。詎ぞ壬臣の敢えて其の説を進むるを知らんや。向使ひ動静常有り、進止度有り、君子に親しみ小人を疎んじ、浮華を黜け恭儉を守らば、離間有りと雖も、烏ぞ能く慈父の隙を致さんや。蓋し積徳純ならず、令問著わさず、一たび讒に遭いて、遂に其の禍を成す。

原文孔子曰:「能近取譬,可謂仁之方也。」書傳所載或過,臣請以近事喻之。周武帝平山東,庳宮陋食以安海內,而太子贇有穢德,烏丸軌以聞,帝慈仁不忍廢。及踐祚,狂暴日熾,宗祀以亡,隋文帝所代是也。文帝因周衰,藉女資,雖無大功於人,然布德行惠,上下安賴。勇為太子,驕肆敗度,今宮中山池,殿下所親見者也。當是時,自謂有太山之安,詎知壬臣敢進其說哉?向使動靜有常,進止有度,親君子,疏小人,黜浮華,守恭儉,雖有離間,烏能致慈父之隙哉?蓋積德弗純,令問不著,一遭讒,遂成其禍。

今、上は殿下父子の親しきを以て、故に資用する所を限節せず。然れども詔未だ六旬ならずして、用いること七万を逾ゆ。驕奢藝無く、孰か此に過ぐる者有らん。龍楼・望苑は工匠の肆と為り、既に視膳問安の宜を闕き、又悦学好道の実無し。上は君父慈訓の方に違ひ、下は因縁戮辱の罪有り。施与する所の者は、遊手雑色ならざれば則ち図画彫鏤の人なり。外の瞻仰する所、此の失已に暴なり。内に隠密なる者は、尚お勝ちて計うべけんや。右庶子趙弘智は経明行脩たり。臣謂う、宜しく数たび進召して以て徽美を広むべし。今反って猜嫌し、妄りに相推引すと謂う。善に従うこと流るるが若くするも、尚お逮わざるを恐る。非を飾り諫を拒めば、禍既にせんこと可けんや。

原文今上以殿下父子親,故所資用不為限節,然詔未六旬,而用逾七萬,驕奢亡藝,孰有過此?龍樓、望苑,為工匠之肆,既闕視膳問安之宜,又無悅學好道之實。上違君父慈訓之方,下有因緣戮辱之罪。所施與者,不遊手雜色,則圖畫雕鏤之人。外所瞻仰,此失已暴,內隱密者,尚可勝計哉?右庶子趙弘智經明行脩,臣謂宜數進召,以廣徽美;今反猜嫌,謂妄相推引。從善若流,尚恐不逮,飾非拒諫,禍可既乎?

書入る。太子怒り、刺客を遣わして之を伺わしむ。会うに宮廃せらる。玄素坐して名を除かれて民と為る。頃くして、召して潮州刺史を授け、鄧州に徙る。訖るまで復た親近せられず。高宗の時、老を以て致仕す。麟德初年に卒す。

原文書入,太子怒,遣刺客伺之。會宮廢,玄素坐除名為民。頃之,召授潮州刺史,徙鄧州,訖不復親近。高宗時,以老致仕。麟德初卒。

初め、玄素と孫伏伽は隋に在りて皆令史たり。太宗嘗て玄素に宦立の来る所を問う。深く自ら羞汗す。褚遂良、帝に見えて曰く、「君子は人に言を失わず、明主は戯れに言を失わず。故に言えば則ち史之を書し、礼之を成し、楽之を歌う。上に居りて能く其の臣を礼すれば、乃ち力を尽くして以て其の上に奉ず。近世、宋武帝は朝臣を侮靳し、其の門戸を攻め、恥懼狼狽に至る。前史以て非と為す。陛下昨玄素に隋に在りて何の官に任ぜしやと問う。対えて曰く『県尉』と。又尉に未だ為らざる時を問う。曰く『流外』と。又何の曹司ぞと問う。玄素出でて徒歩する能わず、顔此の灰の若く、精爽頓ち尽き、見る者咸共に驚怪す。唐家創業し、官を任ずるに才を以てし、卜祝庸保も量能して並びに用う。陛下玄素を以て三品に擢任し、皇儲を佐けしむ。豈に復た群臣に対して辞窮し恥を負わしめ、其の伏節死義を責めんと欲して、安んぞ得べけんや」と。帝曰く、「朕も亦之を悔ゆ」と。伏伽は広坐と雖も、往事を陳説して、少も隠すこと無し。

原文始,玄素與孫伏伽在隋皆為令史,太宗嘗問玄素宦立所來,深自羞汗。褚遂良見帝曰:「君子不失言于人,明主不失言於戲。故言則史書之,禮成之,樂歌之。居上能禮其臣,乃盡力以奉其上。近世宋武帝侮靳朝臣,攻其門戶,至恥懼狼狽,前史以為非。陛下昨問玄素在隋任何官,對曰:'縣尉。'又問未為尉時,曰:'流外。'又問何曹司,玄素出不能徙步,顏若此灰,精爽頓盡,見者鹹共驚怪。唐家創業,任官以才,卜祝庸保,量能並用。陛下以玄素擢任三品,佐皇儲,豈宜復對群臣使辭窮負恥,欲責其伏節死義,安可得乎?」帝曰:「朕亦悔之。」伏伽雖廣坐,陳說往事,無少隱焉。

賛して曰く、初め唐が天下を有するや、隋の弊を懲り刈り、内に讜言を敷き、而して世長等仇然として忠を献ぐ。時に主方に褒めて聴き、以て天下を勧むるに藉る。禁忌に触るるも、而も忤ふる情無し。禍乱已に平ぎ、君位尊く安んずるに及び、後者は前人の為すを視て、猶ほ鯁論を以て栄を期す。故に時時に斥讓に遭ひ、厭はれ苦しめらる。言に巧拙有るに非ず、遭ふ所の時異なるなり。夫れ性は移すべからざる有り、堯・舜と雖も訓ふる能はざるなり。承乾の悪は、心に根著し、而して玄素に責を帰す、其れ何ぞ救はんや。此れ士亹の辞、太子を傅ふる能はざる、諒なり。

原文贊曰:始唐有天下,懲刈隋敝,敷內讜言,而世長等仇然獻忠,時主方褒聽,藉以勸天下,雖觸禁忌,而無忤情。及禍亂已平,君位尊安,後者視前人之為,猶以鯁論期榮,故時時遭斥讓,為所厭苦。非言有巧拙,所遭之時異也。夫性有不可移,雖堯、舜弗能訓。承乾之惡,根著於心,而歸責玄素,其何救哉?此士亹辭不能傅太子,諒矣。