新唐書

巻九十四 列傳第十九 侯君集 張亮 薛萬均弟:萬徹 萬備 附:盛彥師 盧祖尚 劉世讓 劉蘭 李君羨

巻九十四 列傳第十九 侯君集 張亮 薛萬均弟:萬徹 萬備 附:盛彥師 盧祖尚 劉世讓 劉蘭 李君羨

侯君集

原文侯君集

侯君集は、豳州三水の人である。才幹雄大と称された。若くして秦王の幕府に仕え、征討に従って功を立て、累進して左虞候・車騎將軍となり、全椒縣子に封ぜられた。隠太子誅殺に参与して特に力を尽くした。王が即位すると、左衛將軍に任ぜられ、潞國公に進封され、邑千戸を賜った。貞観四年、兵部尚書に遷り、まもなく吏部尚書を檢校し、朝政に参議した。

原文侯君集,豳州三水人。以材雄稱。少事秦王幕府,從征討有功,擢累左虞候、車騎將軍,封全椒縣子。預誅隱太子尤力。王即位,拜左衛將軍,進封潞國公,邑千戶。貞觀四年,遷兵部尚書,俄檢校吏部尚書,參議朝政。

李靖が吐谷渾を討つにあたり、君集を積石道行軍總管とした。軍が鄯州に駐屯し、進路を議した。君集は言った、「王師がすでに到着したのに、賊が険阻な地に逃げ込まないのは、天が我らを助けているのである。もし精兵をもって不意を突けば、彼らは我らを警戒しておらず、必ず大きな利がある。もし山谷の険に逃げ込めば、これを打ち破るのは実に難しい」。靖はその計略をよしとし、精鋭の兵士を選び、軽装で深く侵入し、その軍勢を庫山で追い詰めて大戦し、これを破り、進んで大非川で合流し、その国を平定した。

原文李靖討吐谷渾,以君集為積石道行軍總管。師次鄯州,議所向。君集曰:「王師已至,而賊不走險,天贊我也。若以精兵掩不備,彼不我虞,必有大利。若遁岨山谷,克之實難。」靖然其計,簡銳士,約齎深入,追及其眾於庫山,大戰,破之,進會大非川,平其國。

功臣に世襲の封土を与える詔が下ると、陳州刺史を授けられ、さらに陳國公に封ぜられた。群臣が封を受けたがらなかったので、吏部尚書に進んだ。君集はもともと行伍から奮起した者で、学問を知らなかった。後に貴くなってからは、ますます自らを喜び、書物を好んだ。選挙を掌るに及んで、功績を明らかに区別し、当時に誉れがあった。

原文會詔世封功臣,授陳州刺史,更封陳;群臣不願封,進吏部尚書。君集本以行伍奮,不知學;後貴,益自喜,好書。及典選,分明課最,有譽于時。

吐蕃とばんが松州を包囲すると、當彌道行軍大總管を授けられてこれを撃った。高昌が臣従しないので、交河道行軍大總管に任ぜられて討伐に出た。王の麴文泰は笑って言った、「唐は我が国から七千里離れており、砂漠の塩鹹地二千里には水草もなく、冬の風は肌を裂き、夏の風は焼けるようである。行商で来る者も百に一つしかいない。どうして大軍を送り込めようか。仮に我が城下に一、二十日も留まることができたとしても、食糧が尽きれば潰走するであろう。我らは彼らを捕らえて虜にするであろう」。君集が磧口に駐屯すると、文泰が死に、子の智盛が位を継いだ。進んで柳穀に営を張ると、斥候が言うには、国中でちょうど先君の葬儀を行っているという。諸将はこれを襲撃するよう請うた。君集は言った、「いけない。天子は高昌の驕慢を以て、我らに天罰を行わせようとされている。今、人の墟墓の間に襲撃するのは、罪を問うことではない」。そこで進軍の太鼓を鳴らして前進した。賊は城に拠って守り、諭しても降らなかった。そこで木を伐って塹壕を埋め、撞車を引いて城壁を破壊し、飛石を雨のように降らせると、向かうところ敢えて当たる者なく、ついにその城を陥落させ、男女七千を捕虜とし、進んで都城を包囲した。初め、文泰は西突厥とっけつの欲穀設と約束し、危急の際は互いに援助するとしていた。この時、欲穀設はますます恐れて西に逃げ、智盛は援軍を失い、ついに降伏した。高昌が平定され、君集は石に功績を刻んで記念して帰還した。

原文吐蕃圍松州,授當彌道行軍大總管以擊之。高昌不臣,拜交河道行軍大總管出討。王曲文泰笑曰:「唐去我七千里,磧鹵二千里無水草,冬風裂肌,夏風如焚,行賈至者百之一,安能致大兵乎?使能頓吾城下一再旬,食盡當潰,吾且系而虜之。」君集次磧口,而文泰死,子智盛襲位。進營柳穀,候騎言國方葬死君,諸將請襲之。君集曰:「不可,天子以高昌驕慢,使吾龔行天罰,今襲人於墟墓間,非問罪也。」於是鼓而前。賊嬰城自守,遣諭之,不下。乃刊木塞塹,引撞車毀其堞,飛石如雨,所向無敢當,因拔其城,俘男女七千,進圍都城,初,文泰與西突厥欲穀設約,有急相援。及是,欲穀設益懼,西走,智盛失援,乃降。高昌平,君集刻石紀功還。

初め、君集は罪人を配流・没収する際に上奏せず、また私的に珍宝や婦女を取った。将兵もこれに乗じて盗みに入り、制止できなかった。京師に帰還すると、役人がこれを弾劾し、詔によって君集は獄に赴いて対質させられた。中書侍郎岑文本が諫めて言った、「高昌の罪については、議論する者はその遠隔を理由に、考慮の外に置こうとしました。ただ陛下が独見の明を奮い起こし、決勝の策略をお授けになり、君集は期日どおりに平定することができました。今、将帥の功労を推し量り、従征した者は皆、重賞に浴しています。数日も経たないうちに、さらに官吏に引き渡すとなれば、天下の者がこれを聞き、陛下が過失を記録して功績を忘れ、後を勧めるものがないと言うでしょう。かつて古の出師では、敵に勝てば重賞があり、勝たなければ明らかな誅罰を受けました。その功績がある時は、たとえ財を貪り欲をほしいままにしても、なお爵邑を蒙りました。その功績がない時は、たとえ身を勤めて己を清くしても、斧鉞を免れませんでした。故に言う、『人の功を記し、人の過を忘れるは、君たるに宜しき者なり』と。昔、李廣利は貪欲で兵卒を愛さず、陳湯は収めた康居の財物を盗みましたが、二主(武帝・元帝)は皆その罪を赦し、侯に封じ金を賜りました。将帥の臣たる者は、廉潔謹慎な者は少なく、貪欲で没収する者が多い。軍法に言う、『智を使い、勇を使い、貪を使い、愚を使う。故に智者はその功を立てることを楽しみ、勇者はその志を行うことを好み、貪る者はその利を求めて趨り、愚者はその死を計らない』と。これによって前聖は人を使うに、必ずその長所を収め、短所を棄てたのです。陛下は君集を赦し、朝列に復させて、功ある者を勧めるべきです」。帝は悟り、釈放して問わなかった。

原文初,君集配沒罪人不以聞,又私取珍寶、婦女,將士因亦盜入,不能制。及還京師,有司劾之,詔君集詣獄簿對。中書侍郎岑文本諫曰:「高昌之罪,議者以其遐遠,欲置度外,唯陛下奮獨見之明,授決勝之略,君集得指期平殄。今推勞將帥,從征之人悉蒙重賞,未逾數日,更以屬吏,天下聞之,謂陛下錄過遺功,無以勸後。且古之出師,克敵有重賞,不勝蒙顯戮。當其有功也,雖貪財縱欲,尚蒙爵邑;其無功也,雖勤躬潔己,不免鈇鉞。故曰:'記人之功,忘人之過,宜為君者也。'昔李廣利貪不愛卒,陳湯盜所收康居財物,二主皆赦其罪,封侯賜金。夫將帥之臣,廉慎少而貪沒多。軍法曰:'使智,使勇,使貪,使愚。故智者樂立其功,勇者好行其志,貪者邀趨其利,愚者不計其死。'是以前聖使人,必收所長而棄所短。陛下宜申宥君集,俾復朝列,以勸有功。」帝寤,釋不問。

君集は自ら功績を恃み、別の罪で拘束され、心中快からず不平を抱いた。ちょうど張亮が洛州都督として出向することになり、君集はわざと激昂して言った、「なぜ排斥されるのか」。亮は言った、「貴公が私を排斥したのに、まだ誰を咎めるというのか」。君集は言った、「私は一国を平定して帰還したのに、天子の怒りに触れた。どうして貴君を排斥できようか」。そこで袖をまくって言った、「鬱々として生きられぬ。謀反はできぬか。貴公とともに謀反しよう」。亮は密かにこれを上聞した。帝は言った、「卿と君集は皆、功臣である。今、ただ二人だけで語り合っただけで、証拠がない。どうしようか」。秘密にしておいて表に出さず、以前と同様に君集を遇した。皇太子承乾はたびたび過失があり、廃位を憂慮し、君集が恨みを抱いていることを知り、その婿の賀蘭楚石が千牛であるのを利用して、密かに君集を引き入れ、自ら安泰となる計略を問うた。君集は手を挙げて言った、「この手は殿下のために使うべきものである」。また楚石を遣わして承乾に言わせた、「魏王が寵愛を得ている。陛下がもし詔を下して召されても、軽々しく入内しないよう願う」。承乾はこれを聞き入れた。しかし君集は常に謀議ぼうぎが漏れることを恐れ、ぼんやりとして自ら安らかでなく、時には夜中に驚いて叫んだ。妻が怪しんで言うと、「貴方は国の大臣である。どうしてそんなことをするのか。もし背くところがあるなら、自ら帰順すべきで、そうすれば首級はまだ保てよう」。従わなかった。

原文君集自恃有功,以它罪被系,居怏怏不平。會張亮出洛州都督,君集謬激說曰:「何為見排?」亮曰:「公排我,尚誰咎?」君集曰:「我平一國還,觸天子嗔,何能排君?」因攘袂曰:「鬱鬱不可活,能反乎?當與公反。」亮密以聞。帝曰:「卿與君集皆功臣,今獨相語而無左驗,奈何?」秘不發,待君集如初。皇太子承乾數有過,慮廢,知君集犯望,因其婿賀蘭楚石為千牛,私引君集入,問自安計。君集舉手謂曰:「此手當為殿下用之。」又遣楚石語承乾曰:「魏王得愛,陛下若有詔召,願毋輕入。」承乾納之。然君集常畏謀泄,忽忽不自安,或中夕驚吒,妻怪之,曰:「公,國大臣,何為爾?若有所負,宜自歸,首領尚可全。」不從。

承乾の事件が発覚し、君集を捕らえて獄に下した。楚石が罪状を告発した。帝は自ら臨んで問うた、「私は刀筆の吏に貴公を辱めさせたくない」。君集は言葉に窮して答えることができなかった。帝は群臣に言った、「君集は国に功績がある。朕は法に置くに忍びない。その命を助けようと思うが、公卿は私を許してくれるか」。君臣は皆言った、「君集の罪は大逆無道です。法の如く論ずるよう請います」。帝はそこで言った、「貴公と訣別する。今より後は、ただ貴公の遺像を見るのみだ」。そこで涙を流し、ついにこれを斬り、その家を没収した。君集は臨刑に際して顔色を変えず、監吏に言った、「私はどうして謀反者であろうか。過ちを犯してここに至った。しかしかつて将軍として二国を破った。もし陛下に申し上げることがあれば、一子を助けて祭祀を守らせてほしい」。帝はこれを聞き、その妻と一子を赦し、嶺表に移した。

原文承乾事覺,捕君集下獄。楚石告狀,帝自臨問,曰:「我不欲令刀筆吏辱公。君集辭窮不能對。帝語群臣曰:「君集于國有功,朕不忍置諸法,將丐其命,公卿其許我乎?」君臣皆曰:「君集罪大逆不道,請論如法。」帝乃謂曰:「與公訣矣,今而後,徒見公遺像已!」因泣下,遂斬之,籍其家。君集臨刑色不變,謂監吏曰:「我豈反者乎?蹉跌至此。然嘗為將,破二國,若言之陛下,丐一子以守祭祀。」帝聞,原其妻及一子,徙嶺表。

初め、帝は李靖に命じて君集に兵法を教えさせた。やがて君集が奏上した、「李靖はまさに謀反しようとしています。兵法の奥義を、臣に示しません」。帝はこれを以て靖を責めた。靖は言った、「今、中原に事がなく、臣が教えたものは、四夷を制するには十分です。それなのに臣の術を尽くそうと求めるのは、これは君集が謀反しようとしているのです」。靖が右僕射、君集が兵部尚書の時、ともに省に帰る途中、君集の馬が門を数歩過ぎてからようやく気づいた。靖は人に言った、「君集は異なる考えがあるのではないか」。後になって果たしてその言うとおりになった。

原文始,帝命李靖教君集兵法,既而奏:「靖且反,兵之隱微,不以示臣。」帝以讓靖,靖曰:「方中原無事,臣之所教,足以制四夷,而求盡臣術,此君集欲反耳。靖為右僕射,君集為兵部尚書,同還省,君集馬過門數步乃覺,靖語人曰:「君集其有異慮乎?」後果如言。

張亮

原文張亮

張亮は、鄭州滎陽けいようの人である。田畑から身を起こし、志趣は奇抜で、外見は篤厚であるが内心は誠実でなかった。隋の大業末、李密が滎・汴の地を攻略すると、亮はこれに従ったが、あまり評価されなかった。時に軍中に謀叛して去ろうとする者がいたが、亮はいつもこれを告げた。密はその誠実さを愛し、驃騎將軍に任じ、李勣に隷属させた。勣が黎陽を帰順させた時、亮は大いにこれを補佐し、鄭州刺史に抜擢された。ちょうど王世充が鄭を取ったので、亮は孤軍を率いて敢えて入らず、共城山に亡命した。まもなく定州別駕を檢校した。勣が劉黑闥を討つ時、亮に相州を守らせたが、賊の勢いが盛んであったので、城を棄てて逃げた。

原文張亮,鄭州滎陽人。起畎畝,志趣奇譎,雖外敦厚而內不情。隋大業末,李密略地滎、汴,亮從之,未甚甄識。時軍中有謀叛去者,亮輒以告,密愛其誠,乃署驃騎將軍,隸李勣。勣以黎陽歸,亮頗佐佑之,擢鄭州刺史。會王世充取鄭,亮提孤軍不敢入,亡命共城山。俄檢校定州別駕。勣討劉黑闥,使亮守相州,賊方盛,棄城遁。

房玄齢は張亮が沈着果断にして謀略あることを以て、秦王に申し上げ、車騎將軍に引き立てた。隠太子が乱を起こさんとするや、亮に命じて左右千人を統率させ洛陽に赴かせ、ひそかに山東の豪傑を結びつけて変事に備えさせた。斉王が亮の謀反を告げると、高祖はこれを獄吏に付して詰問させたが、終に言うところなく、釈放を得た。王が即位すると、右衛將軍に任じ、長平郡公に封ぜられた。累進して御史大夫となり、鄅國公に進封され、益州の五百戸を食邑とした。豳州・夏州・汭州・鄜州の三州都督・相州長史を歴任し、鄖國公に転じた。召されて工部尚書に任ぜられた。亮は政を行うに多く伺察し、微細な隠れた事柄を発露させ、神明の如きを示し、強きを抑え弱きを恤れみ、赴任する所全てに治績があった。太子詹事に任ぜられ、出て洛州都督となった。侯君集が既に誅せられた後、刑部尚書として朝政に参預した。

原文房玄齡以亮沈果有謀,白秦王,引為車騎將軍。隱太子將作難,命亮統左右千人之洛陽,陰結山東豪傑以備變。齊王告亮反,高祖以屬吏詰訊,終無所言,乃得釋。王即位,除右衛將軍,封長平郡公。累遷御史大夫,進封鄅國公,食益州戶五百。曆豳夏汭鄜三州都督、相州長史,徙鄖國。召拜工部尚書。亮為政多伺察,發F〗縹隱微,示神明,抑強恤弱,所至有績。拜太子詹事,出為洛州都督。侯君集已誅,以刑部尚書參預朝政。

時に茂州の俚童張仲文が自ら天子と称し、有司が乗輿を斥ける罪を論じて死に当たるとしたが、摂刑部尚書韋挺が奏上して言うには、「童は妖言に過ぎず、死罪に坐すべきではない」。帝は怒って言った、「お前が下に対して威福を行い、しかして虐を朕に帰するのか」。挺は拠り所を失って退出した。亮が挺のためにこれを正すと、帝は言った、「公は剛正の名を取りたいのか」。亮は謝罪せず、帝は悟って言った、「寧ろ我を屈して、公の請いを伸ばそう」。童は死を免れた。

原文時茂州俚童張仲文自稱天子,有司論斥乘輿有罪當死,攝刑部尚書韋挺奏:「童乃妖言,無死坐。」帝怒曰:「爾作威福於下,而歸虐朕耶!」挺失據趨出。亮為挺直之,帝曰:「公欲取剛正名乎?」亮不謝,帝寤曰:「甯屈我,以申公之請。」童免死。

帝が高麗を討たんとするや、亮は頻りに諫めたが、容れられず、自ら従軍を請うた。詔して平壤道行軍大総管とした。兵を率いて東萊より海を渡り、沙卑城を襲撃して破り、進んで建安に至った。営壁未だ立たざるに、賊が急に至り、亮は為す所を知らず、胡床に踞って直視し言う所なく、衆はその勇とし、自ら安んずるを得た。ここにおいて副将張金樹が軍中に鼓を鳴らし、士卒奮撃して、賊を破った。帝に従って還り、并州に至って、罪を得た。

原文帝將伐高麗,亮頻諫,不納,因自請行,詔為平壤道行軍大總管。引兵自東萊浮海,襲破沙卑城,進至建安,營壁未立,賊奄至,亮不知所為,踞胡床直視無所言,眾謂其勇,得自安。於是副將張金樹鼓於軍,士奮擊,因破賊。及從帝還,至并州,乃得罪。

初め、亮は故妻を棄て、更に李氏を娶った。李は嫉妬深く悍ましく、歌児と私通し、養子として、名を慎幾と付けた。亮の子の顗が数え諫めて止めたが、亮は容れなかった。李は左道を好み、巫覡と交わり、政事を撓乱した。亮が相州に在った時、仮子の公孫節が讖に「弓長の主、別都に当たる」とあると言い、亮は自ら相州が旧都であり、「弓長」はその姓であるとして、ひそかに怪しき謀りごとを抱いた。術家の程公穎という者、亮は平素より厚く交わり、ひそかに言った、「君が前に陛下こそ真の天下の主と言ったのは、何と神妙であったことか」。公穎は内心悟り、即ち亮が臥すこと龍の如しと称し、大いに貴ぶべきと述べた。亮は言った、「国家は危うく必ず乱れん、我が臂に龍鱗奮い起こる、慎幾は将に大いに貴ぶべし」。公孫常という者、節の兄なり、亮はこれに言った、「我に妾あり、相者云う必ず諸王の姬となると」。常は言った、「我が兄の子の大品が言うには、神が公の名が讖書にあると告げたと」。亮は悦んだ。時に陝人の常德がその謀りごとを発覚させ、併せて亮が仮子五百人を養っていると述べた。帝は馬周にこれを審理させた。亮は讕言して言った、「囚らは死を畏れ、誣告されたのみ」。因って自ら佐命の旧臣であることを陳べた。帝は言った、「亮が養子五百人を養うのは何を為さんとするのか。正に反逆せんとするのみ」。詔して百官に議させると、皆言う亮は誅すべきと。帝は長孫無忌・房玄齢を遣わして獄中に至り告げて言った、「法は天下の平なり、公と共にこれを為す。公自ら修めず、乃ち此に至る、将に奈何せん」。ここにおいて西市で斬り、その家を籍没した。

原文初,亮棄故妻,更娶李氏。李妒悍,私通歌兒,養為子,名慎幾。亮子顗數諫止,亮不納。李好左道,交通巫覡,橈政事。亮為相州,假子公孫節以讖有「弓長之主當別都」,亮自以相舊都,「弓長」其姓,陰有怪謀。術家程公穎者,亮素與厚,陰謂曰:「君前言陛下真天下主,何其神邪!」公穎內曉,即稱亮臥若龍,當大貴。亮曰:「國家殆必亂,吾臂龍鱗奮矣,慎幾且大貴。」公孫常者,節兄也,亮謂曰:「吾有妾,相者雲必為諸王姬。」常曰:「我兄子大品言,有神告公名在讖書。」亮悅。會陝人常德發其謀,並言亮養假子五百。帝使馬周案之,亮讕辭曰:「囚等畏死,見誣耳。」因自陳佐命舊臣。帝曰:「亮養子五百將何為?正欲反耳。」詔百官議,皆言亮當誅。帝遣長孫無忌、房玄齡就獄謂曰:「法者,天下平,與公共為之。公不自修,乃至此,將奈何?」於是斬西市,籍其家。

薛萬鈞

原文薛萬鈞

薛萬均は、本は燉煌の人、後に京兆咸陽に徙った。父は世雄、大業末年に涿郡太守となり、萬均は弟の萬徹と共に客として幽州にあり、材武を以て羅藝に厚く善遇された。藝と共に帰順し、高祖は萬均を上柱国・永安郡公に授けた。

原文薛萬均,本燉煌人,後徙京兆咸陽。父世雄,大業末為涿郡太守,萬均與弟萬徹因客幽州,以材武為羅藝所厚善。與藝歸款,高祖授萬均上柱國、永安郡公。

竇建德が衆十万を率いて范陽を寇すと、藝は迎え撃った。萬均は言った、「衆寡敵せず、計を以て勝つべし」。即ち藝に羸兵を教えて水を阻みてこれを誘わせ、萬均は自ら精騎百を率いて城の左に匿れた。建德の軍が水を渡り、半ば渡ったところを邀え撃ち、その衆を大いに破った。明年、建德が二十万騎を以て来攻し、兵は既に堞に縁った。萬均と萬徹は死士百人を率いて地道より出で、その背を掩撃し、衆は驚き潰走した。秦王が劉黒闥を平定するに及び、萬均を引き立てて右二護軍・北門長上とした。

原文竇建德帥眾十萬寇范陽,藝迎拒之。萬均曰:「眾寡不敵,宜以計勝。」即教藝羸兵阻水以誘之,萬均自以精騎百匿城左。建德師度水,邀半度擊之,大敗其眾。明年,建德以二十萬騎來攻,兵已緣堞,萬均與萬徹率死士百人出地道,掩擊其背,眾驚潰去。秦王平劉黑闥,引萬均為右二護軍,北門長上。

柴紹が梁師都を討つに当たり、萬均を副将とし、萬徹も従った。朔方より数十里のところで、突厥の兵が急に至り、王師は退いた。萬均兄弟は横撃し、その驍将を斬り、虜の陣は乱れ、これに乗じて、俘虜と殺戮は相枕した。突厥は走り、遂に師都を包囲した。諸将は城険にして下すべからずと言うが、萬均は言った、「城中の気死に、鼓声を上げず、破亡の兆なり」。既にして賊は果たして師都を斬って降った。左屯衛將軍に任ぜられた。

原文柴紹之討梁師都也,以萬均為副,萬徹亦從。距朔方數十里,突厥兵驟至,王師卻,萬均兄弟橫擊之,斬其驍將,虜陣歡,乘之,俘殺相藉。突厥走,遂圍師都。諸將以城險未可下,萬均曰:「城中氣死,鼓不能聲,破亡兆也。」既而賊果斬師都降。拜左屯衛將軍。

俄かに沃沮道行軍副総管となり、李靖に従って吐谷渾を討った。軍は青海に駐屯し、萬均・萬徹は各々百騎を以て前を行き、卒然として虜と遭遇した。萬均は単騎で馳せ突き、敢えて当たる者なし。還って諸将に語って言った、「賊は易く与す」。再び馳せ進んで撃ち、数千級を斬り、勇は三軍を蓋う。追撃して積石山に至り、大風旗を折る。萬均は言った、「虜将に来たらん」。乃ち兵を勒した。俄かに虜至り、萬均は直ちに前に進んでその将を斬り、衆は遂に潰走し、図倫磧に追撃して還り、靖と青海で会した。璽書を以て慰労し、本衛大將軍に遷った。また侯君集に副えて高昌を撃ち、曲智盛は堅守して下さず、萬均が軍を麾して進むと、智盛は懼れて降った。潞國公に進封された。

原文俄為沃沮道行軍副總管,從李靖討吐谷渾。軍次青海,萬均、萬徹各以百騎行前,卒與虜遇,萬均單騎馳突,無敢當者。還語諸將曰:「賊易與。」復馳進擊,斬數千級,勇蓋三軍。追奔至積石山,大風折旗,萬均曰:「虜且來!」乃勒兵。俄而虜至,萬均直前斬其將,眾遂潰,追至圖倫磧乃還,與靖會青海。璽書勉勞,遷本衛大將軍。又副侯君集擊高昌,曲智盛堅守未下,萬均麾軍進,智盛懼,乃降。進潞國公。

時に萬均が高昌の女子と淫乱したと訴える者あり、太宗は窮めて治めんとした。魏徴が言うには、「君は臣を使うに礼を以てす。もし訴えが実ならば、罪は尚軽し、虚ならば失う所重し」。詔して治めさせなかった。後に帝が芙蓉園に幸するに及び、清宮不謹の罪に坐して獄に下り、憂憤して卒した。帝は驚悼し、哀悼の礼を挙げ、詔して昭陵に陪葬させた。後に嘗て群臣に膜皮を賜うた時、萬徹に及んで誤って萬均と口にし、愴然として言った、「萬均は朕の勲旧なり、忽ちその名を口にする、豈に死者に知有りて、此の賜いを冀うや」。因って命じて取り焚かせ、座中の者皆感歎した。弟に萬徹・萬淑・萬備あり。

原文會有訴萬均與高昌女子亂,太宗欲窮治。魏徵曰:君使臣以禮,若所訴實,罪且輕,虛則所失重矣。」詔勿治。後帝幸芙蓉園,坐清宮不謹下獄,憂憤卒。帝驚悼,為舉哀,詔陪葬昭陵。後嘗賜群臣膜皮,及萬徹而誤呼萬均,愴然曰:「萬均朕勳舊,忽口其名,豈死者有知,冀此賜乎?」因命取焚之,舉坐感歎。弟萬徹、萬淑、萬備。

弟 萬徹

原文弟 萬徹

薛萬徹は薛萬均と共に高祖に帰順し、車騎將軍・武安縣公に任ぜられ、隠太子に仕えた。太子が誅殺されると、萬徹は宮中の兵を督いて玄武門で戦い、鬨の声をあげて秦王府に迫り、人々は顔色を失った。そこで太子の首を示すと、ようやく去り、数十騎を率いて南山に逃れた。秦王はたびたび使者を遣わして赦免を諭し、ようやく出て謝罪した。秦王は彼が主君に忠義を尽くしたことを認め、罪に問わなかった。李靖に従って突厥の頡利可汗を討ち、功により統軍に任ぜられ、郡公に爵位を進めた。右衛將軍・蒲州刺史を歴任した。李勣の副将として薛延陀を撃ち、磧南で虜と戦い、数百騎を率いて先鋒となり、陣の背後を迂回して攻撃した。虜が背後を見て恐慌に陥り、遂に潰走し、三千級を斬首し、一万五千匹の馬を獲て、一子を縣侯に封じた。左衛將軍に改め、丹陽公主を娶り、駙馬都尉を加えられた。代州都督・右武衛大將軍に遷った。太宗はかつて言った、「当今の名将は、李勣・江夏王李道宗・薛萬徹のみである。李勣と道宗は大勝はできないが、大敗もしない。萬徹に至っては、大勝でなければ大敗である」と。貞観二十二年、青丘道行軍総管として師三万を率いて高麗を伐ち、鴨緑水に駐屯し、奇兵をもって大行城を襲い、高麗の歩騎一万余と戦い、虜の将軍所夫孫を斬った。虜は皆震え恐れ、遂に泊汋城に迫った。虜の兵三万が来援したが、撃退し、その城を陥れた。萬徹は軍中にあって、気性が強く人に下ることを好まず、ある者が上書してその様子を言上したが、帝はその功を愛し、ただ譲り諭しただけで、直ちにその上書を焼いた。副将の裴行方もまた彼が不満を抱いていると上言した。李勣が言うには、「萬徹は大将軍の位にあり、主君の婿であるのに、内心不平を抱いている。罪は誅殺に当たる」と。そこで詔により官籍を削り辺境に流すこととなったが、赦令に会い、帰還した。高宗の永徽二年、甯州刺史に任ぜられた。朝廷に入り、房遺愛と非常に親密になり、そこで言った、「我は足を病んでいるが、京師に座しているだけで、連中はまだ動こうとはしない」と。遺愛は言った、「もし国に変事があれば、公と共に荊王を輔けよう」と。謀が漏れて獄に下され、誅殺された。刑に臨んで言った、「萬徹は大健児である。国に留まって死力を尽くすべきなのに、どうして遺愛の件に連座して殺されねばならないのか!」 そこで衣を解き、監刑者を顧みて言った、「早く我を斬れ!」 斬ったが死なず、叱って言った、「なぜ力を入れぬ!」 三度斬ってようやく絶命した。

原文萬徹與萬均歸高祖,授車騎將軍、武安縣公,事隱太子。太子誅,萬徹督宮兵戰武門,噪而趨秦府,眾失色;乃示以太子首,然後去,與數十騎亡之南山。秦王數使貸諭,乃出謝。王以其忠於所事,不之罪也。從李靖討突厥頡利可汗,以功授統軍,進爵郡公。曆右衛將軍、蒲州刺史。副李勣擊薛延陀,與虜戰磧南,率數百騎為先鋒,繞擊陣後。虜顧見,遂潰,斬首三千級,獲馬萬五千,封一子為縣侯。改左衛將軍,尚丹陽公主,加駙馬都尉。遷代州都督、右武衛大將軍。太宗嘗曰:「當今名將,唯李勣、江夏王道宗、萬徹而已。勣、道宗雖不能大勝,亦未嘗大敗;至萬徹,非大勝即大敗矣。」貞觀二十二年,以青丘道行軍總管帥師三萬伐高麗,次鴨淥水,以奇兵襲大行城,與高麗步騎萬余戰,斬虜將所夫孫。虜皆震恐,遂傅泊汋城。虜眾三萬來援,擊走之,拔其城。萬徹在軍中,任氣不能下人,或有上書言狀者,帝愛其功,直加讓勖而已,即為焚書。副將裴行方亦言其怨望。李勣曰:「萬徹位大將軍,親主婿,而內懷不平,罪當誅。」因詔除籍徙邊,會赦,還。高宗永徽二年,授甯州刺史。入朝,與房遺愛昵甚,因曰:「我雖病足,坐置京師,諸輩猶不敢動。」遺愛曰:「若國有變,當與公共輔荊王。」謀泄下獄,誅。臨刑曰:「萬徹大健兒,留為國效死,安得坐遺愛殺之!」遂解衣顧監刑者曰:「亟斬我!」斬之不殊,叱曰:「胡不力!」三斬乃絕。

弟の薛萬淑

原文弟 萬淑

薛萬淑もまた戦功で顕れた。右領軍將軍・梁郡公・暢武道行軍総管を歴任した。

原文萬淑亦以戰功顯。曆右領軍將軍、梁郡公、暢武道行軍總管。

弟の薛萬備

原文弟 萬備

薛萬備は至行があり、母の喪に服し、墓の前に廬を結んだ。太宗は詔を下してその門を表彰した。尚輦奉禦として高麗征伐に従軍した。李勣が白岩を包囲すると、虜は兵一万余を遣わして来援し、将軍契苾何力が八百騎で苦戦し、槊で重傷を負い、賊に窮地に陥れられた。萬備は単騎で進んで救い、何力は難を免れた。左衛將軍に至った。

原文萬備有至行,居母喪,廬墓前,太宗詔表異其門。以尚輦奉禦從伐高麗。李勣圍白岩,虜遣兵萬餘來援,將軍契苾何力以八百騎苦戰,中槊創甚,為賊所窘,萬備單馬進救,何力獲免。仕至左衛將軍。

武德・貞観の時代には、また盛彥師・盧祖尚・劉世讓・劉蘭・李君羨らがおり、多くは功労・武力で顕れたが、皆終わりを全うせず、左に附す。

原文在武德、貞觀時,又有盛彥師、盧祖尚、劉世讓、劉蘭、李君羨等,頗以功力顯,而皆不終,附于左。

附 盛彥師

原文附 盛彥師

盛彥師は、宋州虞城の人である。若くして任侠を好んだ。隋の大業末、澄城長となった。高祖の兵が汾陰に至ると、彥師は賓客を率いて謁見し、行軍総管に任ぜられ、京師平定に従い、史萬寶と共に宜陽を鎮守した。李密が叛き、山南に出ようと謀ると、萬寶は恐れ、彥師に言った、「李密は驍勇な賊であり、王伯當がこれを補佐し、東帰を願う兵士を抱えている。万全の計でなければ動かないだろう。おそらく当たることはできない」と。彥師は笑って言った、「数千の兵をもって公のためにその首を梟にすることを請う」と。萬寶が計略を問うと、答えて言った、「兵は詭道なり。あらかじめ言うことは難しい」と。直ちに衆を率いて洛水を渡り、熊耳山に入り、兵士に弓を引き絞らせて道の両側に伏せさせ、短兵を溪谷の間に潜ませ、命令して言った、「賊が半分渡ったところで撃て」と。配下の者は皆笑って言った、「賊は洛州に向かうというのに、なぜここを備えるのか」と。彥師は言った、「李密は洛に入ると声言しているが、実は襄城に走って張善相に就こうとしている。我がその要衝を押さえれば、必ず捕らえることができる」と。李密が果たして到着し、彥師が横から撃ち、首尾相救うことができず、遂に李密と王伯當を斬った。功により葛國公に封ぜられ、武衛將軍に任ぜられ、熊州を鎮守した。

原文盛彥師者,宋州虞城人。少任俠。隋大業末,為澄城長。高祖兵至汾陰,彥師率賓客上謁,授行軍總管,從平京師,與史萬寶鎮宜陽。李密叛,謀出山南,萬寶懼,謂彥師曰:「密,驍賊也,以王伯當輔之,挾思東歸之士,非計出萬全不為也,殆不可當。」彥師笑曰:「請以數千兵為公梟其首。」萬寶問計,答曰:「兵詭道也,難豫言。」即引眾逾洛水,入熊耳山,命士持滿夾道,伏短兵溪穀間,令曰:「賊半度乃擊。」所部皆笑曰:「賊趨洛州,何為備此?」彥師曰:「密聲言入洛,其實走襄城就張善相,我據其要,必禽之。」密果至,彥師橫擊,首尾不相救,遂斬密及伯當。以功封葛國公,授武衛將軍,鎮熊州。

王世充を討った時、彥師は史萬寶と伊闕に軍し、山南路を遮断した。王世充が平定されると、宋州総管となった。初め、彥師が関中に入った時、王世充は陳寶遇を宋州刺史とし、その家族を礼をもって遇さなかった。この時、彥師は事に因って彼を殺し、また平生憎んでいた数十家を殺した。州人は震え恐れ、皆重ね足して立つばかりであった。

原文討王世充也,彥師與萬寶軍伊闕,絕山南路。世充平,為宋州總管。始,彥師入關,世充以陳寶遇為宋州刺史,待其家不以禮。及是,彥師因事殺之,又殺平生所惡數十家,州人震駭,皆重足立。

徐圓朗が反乱すると、詔により安撫大使となり、戦いに敗れ、賊に捕らえられた。圓朗は彼を厚く遇し、手紙を書いて弟を招き、虞城を挙げて叛くよう命じた。彥師は手紙を書いて言った、「我は使命を果たせず、賊に捕らえられた。誓って死して国に報いん。お前は宜しく母に仕え、我を気にかけるな」と。圓朗は笑って言った、「将軍は壮士なり」と。放置した。武徳六年、圓朗が平定され、彥師は帰還できた。高祖は罪により彼を誅殺した。

原文徐圓朗反,詔為安撫大使,戰敗,為賊所執。圓朗待之厚,命作書招其弟,使舉虞城叛。彥師為書曰:「吾奉使無狀,為賊禽,誓死報國。若宜善侍毋,勿以我為念。」圓朗笑曰:「將軍,壯士也。」置之。武德六年,圓朗平,彥師得還。高祖以罪誅之。

附 盧祖尚

原文附 盧祖尚

盧祖尚は、字あざなを季良といい、光州楽安の人である。家は財に富み、施しを好み、任侠で知られた。隋の大業末、壮士を募って盗賊を捕らえ、当時十九歳で、衆を統御するのに長け、向かうところ功があり、盗賊は恐れて境内に入らなかった。宇文化及の乱の時、州を拠りて刺史を称し、血をすすって衆に誓うと、兵士は皆感激して泣いた。越王楊侗が立つと、使者を遣わして帰順し、そこで本州総管に任ぜられ、沈國公に封ぜられた。

原文盧祖尚,字季良,光州樂安人。家饒財,好施,以俠聞。隋大業末,募壯士捕盜,時年十九,善禦眾,所向有功,盜畏,不入境。宇文化及之亂,據州稱刺史,歃血誓眾,士皆感泣。越王侗立,遣使歸地,因署本州總管,封沈國公。

王世充が僭位すると、州を挙げて高祖に帰順し、刺史に任ぜられ、弋陽郡公に封ぜられた。趙郡王李孝恭に従って輔公祏を討ち、前軍総管となり、宣州・歙州を陥とし、進んで賊帥の馮惠亮・陳正通を撃ち破った。蔣州刺史・寿州都督・瀛州刺史を歴任し、有能の名声があった。

原文王世充僭位,以州歸高祖,授刺史,封弋陽郡公。從趙郡王孝恭討輔公祏,為前軍總管,下宣、歙,進擊賊帥馮惠亮、陳正通,破之。曆蔣州刺史、壽州都督、瀛州刺史,有能名。

貞観二年、交州都督が賄賂で失脚し、太宗は人を選んで任じようとし、皆が祖尚は文武の才を備え、任用できると認めた。内殿に召見し、言った、「交州は朝廷から遠く、前の都督は職にふさわしくなかった。公が我のために行ってくれ。道遠しと辞するな」と。祖尚は頓首して詔を奉じたが、後に病気と称して辞退した。帝は杜如晦らを遣わして意を諭させて言った、「匹夫ですら然諾に背かぬ。公は既に朕に許したのに、どうして悔いることができよう。三年で必ず召還する。我が言葉を食らわぬ」と。答えて言った、「嶺南は瘴癘の地であり、臣は酒が飲めません。おそらく帰還の理はないでしょう」と。遂に固く辞した。帝は怒って言った、「我が人を使うのに従わぬなら、どうして天下を治められようか」と。朝堂で斬ることを命じた。後にこれを悔い、詔を下してその官を復した。

原文貞觀二年,交州都督以賄敗,太宗方擇人任之,咸以祖尚才備文武,可用也。召見內殿,謂曰:「交州去朝廷遠,前都督不稱職,公為我行,無以道遠辭也。」祖尚頓首奉詔,既而托疾自解,帝遣杜如晦等諭意曰:「匹夫不負然諾,公既許朕矣,豈得悔?三年當召,不食吾言。」對曰:「嶺南瘴癘,而臣不能飲,當無還理。」遂固辭。帝怒曰:「我使人不從,何以為天下!」命斬朝堂。既而悔之,詔復其官。

附 劉世讓

原文附 劉世讓

劉世讓、字は元欽、京兆醴泉の人なり。隋に仕えて徴仕郎となる。高祖が長安に入ると、湋川を以て帰順し、通議大夫を授かる。時に唐弼の余党が扶風を寇す、世讓自ら安輯を請い、これを許され、その衆数千を得、因って安定道行軍総管を授かり、兵二万を率いて薛挙を拒ぐも、戦い勝たず、弟の宝と共に賊に没す。挙は城下に至らしめ、降るよう偽り説かしむ。世讓は陽にこれを許し、至れば則ち守者に告げて曰く、「賊兵は此に極まれり、善く自ら固めよ」と。挙はその節を重んじ、害を加えず。秦王方に高墌に屯す、世讓密かに宝を遣わし間道より王に走らしめ、賊の虚実を言わしむ。高祖悦び、その家に帛千匹を賜う。挙平らぎ、彭州刺史を授かる。俄かに陝東道行軍総管を領し、永安王孝基に従い夏県にて呂崇茂を討つも、軍敗れ、賊の囚と為る。独孤懐恩に逆謀有るを聞き、唐儉世讓に語りて曰く、「懐恩の謀行はば、則ち国難未だ息まず、亡帰すべく、これを白すべし」と。世讓逃げ還る、高祖方に河を済いて懐恩の営に幸せんとす、驚きて曰く、「世讓の来る、天なり」と。因って弘農郡公に封じ、田百畝・銭百万を賜う。母喪にて免ぜられ、起きて検校并州総管と為る。竇建德の王世充を援くるや、世讓万騎を率いて黄沙嶺より出で、洛州を襲う。会に突厥入寇す、又詔して兵を以て雁門に屯せしむ、世讓騎八百を馳せてこれに赴く、而して可汗の軍大いに至る、乃ち武州を保つ。可汗高開道・苑君璋と合衆してこれを攻む、城数たび壊る;輒ち柵を立てて完く拒ぐ。鄭元璹先ず可汗に使し、可汗使いをして説かしむ、世讓叱して曰く、「丈夫何ぞ夷狄の為に説客たらんや」と。久しくして、虜引き去る。元璹還り、具にその忠を道い、良馬・金帯を賜う。襄邑王神符并州に鎮す、世讓数たび気を以てこれを凌ぐ、これに坐して籍を削り康州に徙す。未だ幾ばくもせず、召して広州総管を授く。帝備辺の策を以て問う、答えて曰く、「突厥数たび南寇するは、馬邑を恃みて地と為すに依るのみ。もし勇将をして崞城に屯せしめ、厚く金帛を儲けて降る者を招き、数たび奇兵を出して城下を略し、禾稼を践まば、歳を踰えずして、馬邑図るべし」と。帝曰く、「公に非ざれば任に堪うる者無し」と。乃ち馳駅して経略せしむ、ここに於いて世讓馬邑に至る。高満政地を以て来降す、突厥これを患い、反間を放ちて云く、「世讓可汗と乱を為す」と。帝これを察せず、因ってこれを誅し、その家を籍す。貞観初め、突厥降る者世讓に逆謀無きを言い、乃ちその妻子を原う。

原文劉世讓,字元欽,京兆醴泉人。仕隋為徵仕郎。高祖入長安,以湋川歸,授通議大夫。時唐弼餘黨寇扶風,世讓自請安輯,許之,得其眾數千,因授安定道行軍總管,率兵二萬拒薛舉,戰不勝,與弟寶皆沒於賊。舉令至城下,紿說使降。世讓陽許之,至則告守者曰:「賊兵極於此矣,善自固!」舉重其節,不加害。秦王方屯高墌,世讓密遣寶間走王,言賊虛實。高祖悅,賜其家帛千匹。舉平,授彭州刺史。俄領陝東道行軍總管,從永安王孝基討呂崇茂于夏縣,軍敗,為賊所囚。聞獨孤懷恩有逆謀,唐儉語世讓曰:「懷恩謀行,則國難未息,可亡歸,白髮之。」世讓逃還,高祖方濟河幸懷恩營,驚曰:「世讓之來,天也!」因封為弘農郡公,賜田百畝、錢百萬。母喪免,起為檢校并州總管。竇建德之援王世充也,世讓率萬騎出黃沙嶺,襲洛州。會突厥入寇,又詔以兵屯雁門,世讓馳騎八百赴之,而可汗軍大至,乃保武州。可汗與高開道、苑君璋合眾攻之,城數壞;輒立柵完拒。鄭元〓先使可汗,可汗使來說,世讓叱曰:「丈夫奈何為夷狄作說客邪?」久之,虜引去。元〓還,具道其忠,賜良馬、金帶。襄邑王神符鎮并州,世讓數以氣淩之,坐是削籍徙康州。未幾,召授廣州總管。帝問以備邊策,答曰:「突厥數南寇者,恃有馬邑為地耳。如使勇將屯崞城,厚儲金帛以招降者,數出奇兵略城下,踐禾稼,不逾歲,馬邑可圖也。」帝曰:「非公無可任者。」乃使馳驛經略,於是世讓至馬邑。高滿政以地來降,突厥患之,縱反間,云:「世讓與可汗為亂。」帝不之察,因誅之,籍其家。貞觀初,突厥降者言世讓無逆謀,乃原其妻子。

附 劉蘭

原文附 劉蘭

劉蘭、字は文郁、青州北海の人なり。隋に仕えて鄱陽郡書佐となる。図史に渉り、成敗の事を言う能う。性陰狡にして、天下将に乱れんとするを以て、北海の完富なるを見、潜かに賊に介してその郷を破り、子女玉帛を取る。淮安王神通山東を安撫し、宗党を率いて帰順す。貞観初め、梁師都未だ平らがず、蘭上書して方略を陳ぶ、太宗これを以て夏州都督府司馬と為す。師都突厥の兵を以て城下に頓す、蘭旗を僕し鼓を息め、賊疑いて敢えて迫らず、夜引き去る。蘭追撃し、これを破り、遂に軍を進めて夏州に至る。師都平らぎ、豊州刺史に遷り、召されて右領軍衛将軍と為る。十一年、夏州都督長史と為る。時に突厥携貳す、郁射設阿史那摸末属帳を率いて河南に居す、蘭反間を放ちてこれを離し、頡利果たして疑う。摸末懼れ、来降す、頡利急ぎ追う、蘭逆に拒ぎ、その衆を却く。平原郡公に封ぜられ、俄かに検校代州都督と為る。初め、長社の許絢讖記を解し、蘭に謂いて曰く、「天下に長年する者有り、咸く劉将軍当に天下の主と為るべしと言う」と。蘭の子昭また曰く、「讖に海北天子を出すと言う、吾が家北海なり」と。会に鄠県尉游文芝罪を以て獄に繫がれ当に死すべく、因ってその謀を発す、蘭及び党与皆誅に伏す。

原文劉蘭字文郁,青州北海人。仕隋鄱陽郡書佐。涉圖史,能言成敗事。性陰狡,以天下將亂,見北海完富,潛介賊破其鄉,取子女玉帛。淮安王神通安撫山東,率宗黨歸順。貞觀初,梁師都未平,蘭上書陳方略,太宗以為夏州都督府司馬。師都以突厥兵頓城下,蘭僕旗息鼓,賊疑不敢迫,夜引去。蘭追擊,破之,遂進軍夏州。師都平,遷豐州刺史,召為右領軍衛將軍。十一年,為夏州都督長史。時突厥攜貳,郁射設阿史那摸末率屬帳居河南,蘭縱反間離之,頡利果疑。摸末懼,來降,頡利急追,蘭逆拒,卻其眾。封平原郡公,俄檢校代州都督。初,長社許絢解讖記,謂蘭曰:「天下有長年者,咸言劉將軍當為天下主。」蘭子昭又曰:「讖言海北出天子,吾家北海也。」會鄠縣尉游文芝以罪繫獄當死,因發其謀,蘭及黨與皆伏誅。

附 李君羨

原文附 李君羨

李君羨、洛州武安の人なり。初め李密に事え、後王世充の驃騎と為る。世充の人たるを悪み、その属を率いて高祖に帰す、上軽車都尉を授かる。秦王これを引き左右に置き、介休にて宋金剛を破るに従い、驃騎将軍を加えられ、宮人・繒帛を以て賜う。王世充を討つに従い、馬軍副総管と為る。世充の子玄応武牢より糧を転じて洛に入る、君羨その軍を俘え、玄応走る。竇建徳・劉黒闥を破るに従い、向かう所必ず先登してその鋒を摧き、累ねて左衛府中郎将を授かる。突厥渭橋に至る、君羨尉遅敬徳とこれを撃ち破る。太宗曰く、「皆し君羨の如からしめば、虜何ぞ憂うるに足らんや」と。左武候中郎将に改め、武連県公に封ぜられ、北門長上と為る。仗に在りて読書止まず、帝嘉み労う。蘭州都督・左監門衛将軍を歴る。是に先立ち、貞観初め、太白数たび昼に見ゆ、太史占いて曰く、「女主昌なり」と。又謡言「当に女武王有るべし」と。会に内宴有り、酒令と為し、各々小字を言う、君羨自ら陳べて曰く「五娘子」と。帝愕然たり、因って笑いて曰く、「何の物の女子ぞ、乃ち此く健やかなるや」と。又君羨の官邑属県皆「武」なり、これを忌む。未だ幾ばくもせず、出でて華州刺史と為る。会に御史劾奏して君羨狂人と妖言を為し、軌に謀らざる有りと、詔を下してこれを誅す。天授中、家属闕に詣で冤を訴う、武后また自ら詫ばんと欲し、詔してその官爵を復し、礼を以て改葬す。

原文李君羨,洛州武安人。初事李密,後為王世充驃騎。惡世充為人,率其屬歸高祖,授上輕車都尉。秦王引置左右,從破宋金剛於介休,加驃騎將軍,賜以宮人、繒帛。從討王世充,為馬軍副總管。世充子玄應自武牢轉糧入洛,君羨俘其軍,玄應走。從破竇建德、劉黑闥,所向必先登摧其鋒,累授左衛府中郎將。突厥至渭橋,君羨與尉遲敬德擊破之。太宗曰:「使皆如君羨者,虜何足憂!」改左武候中郎將,封武連縣公,北門長上。在仗讀書不休,帝嘉勞。曆蘭州都督、左監門衛將軍。先是,貞觀初,太白數晝見,太史占曰:「女主昌。」又謠言「當有女武王者」。會內宴,為酒令,各言小字,君羨自陳曰「五娘子」。帝愕然,因笑曰:「何物女子,乃此健邪!」又君羨官邑屬縣皆「武」也,忌之。未幾,出為華州刺史。會御史劾奏君羨與狂人為妖言,謀不軌,下詔誅之。天授中,家屬詣闕訴冤,武后亦欲自詫,詔復其官爵,以禮改葬。

賛して曰く、侯君集位将相にして太子に私謁し、張亮養子五百人を養い、薛万徹狂豎と謀り、皆死して責め余り有り、又何ぞ咎めんや?乙太宗の明徳、謡讖に蔽われ、君羨の誅を濫りにし、徒に孽後をして引きて自ら神と為らしむ、顧みて哀しまざらんや!

原文贊曰:侯君集位將相私謁太子,張亮養子五百人,薛萬徹與狂豎謀,皆死有餘責,又何咎哉?乙太宗之明德,蔽於謠讖,濫君羨之誅,徒使孽後引以自神,顧不哀哉!