新唐書

巻九十二 列傳第十七 杜闞王李苑羅王

巻九十二 列傳第十七 杜闞王李苑羅王

杜伏威

原文杜伏威

杜伏威は、斉州章丘の人である。若い頃は豪放で、生業を営まず、同郷の輔公祏と刎頸の交わりを結んだ。公祏はしばしば叔母の家の羊を盗んで伏威に与え、県が追跡して捕らえようとしたので、共に逃亡して賊となった。時に年十六歳。伏威は狡猾で計略に長け、略奪するたびに、配下はその策を用いてことごとく成功した。かつて諸賊を保護し、出撃には先導し、退却には殿を務めたので、その仲間は彼を敬愛し、共に主に推戴した。

原文杜伏威,齊州章丘人。少豪蕩,不治生貲,與裏人輔公祏約刎頸交。公祏數盜姑家牧羊以饋伏威,縣跡捕急出《禮記·禮運》:「大道之行也,天下為公,選賢與能,講,乃相與亡命為盜,時年十六。伏威狡譎多算,每剽劫,眾用其策皆效。嘗營護諸盜,出為導,入為殿,故其黨愛服,共推為主。

隋の大業九年、長白山に入り、賊の左君行に依ったが、思うところなく、去って淮南を転々と略奪し、将軍を称した。下邳の賊苗海潮は徒党を擁して略奪暴行を働いていた。伏威は公祏を遣わして脅し諭して言った。「天下は共に隋を苦しめ、豪傑が相い義兵を起こしているが、力は弱く勢いは分散して統率されていない。もし合流して強くなれば、隋に従う必要はない。公が主となれるなら、我は従おう。そうでなければ、一戦して決しよう。」海潮は恐れ、直ちに配下を率いて降伏した。江都留守が校尉宋顥に兵を率いさせて捕らえ討たせた。伏威はこれと戦い、偽って敗走し、顥を葦や灌木の生い茂る沢地におびき寄せ、順風に火を放って迫り、歩兵騎兵はほとんど焼き殺された。海陵の賊趙破陣は伏威の兵が少ないと聞き、軽んじて、力を合わせるよう呼び寄せた。伏威は親衛の将十人を引き連れ、牛と酒を携えて謁見し、公祏に厳重に兵を整えさせて事変に備えさせた。破陣は伏威を陣幕の中に招き入れ、酒宴を設け、首領たちをことごとく呼び集めて盛大に会した。伏威は突然に破陣を斬り、一同は呆然として救うに及ばず、さらに数十人を殺したので、配下は皆畏服した。公祏の兵も到着し、遂にその軍勢を併せ、数万に至った。安宜を攻め、皆殺しにした。隋が虎牙郎将来整を遣わして黄花輪で戦わせると、伏威は大敗し、自身も重傷を負い、公祏と共にわずか数百の兵を残して逃げ去った。行く先で兵を集めて八千を得、虎牙郎将公孫上哲と塩城で戦い、その軍を壊滅させた。

原文隋大業九年,入長白山,依賊左君行,不得意,舍去,轉剽淮南,稱將軍。下邳賊苗海潮擁眾鈔暴,伏威遣公祏脅諭曰:「天下共苦隋,豪桀相與興義,然力弱勢分不相統,若合以為強,則無事隋矣。公能為主,吾且從,不然,一戰以決。」海潮懼,即以眾下之。江都留守遣校尉宋顥將兵捕擊,伏威與戰,偽北,誘顥墮葭榛澤中,順風縱火迫之,步騎燒死幾盡。海陵賊趙破陣聞伏威兵少,輕之,召使並力。伏威引親將十人操牛酒謁,勒公祏嚴兵待變。破陣引伏威入幕,置酒,悉召酋首高會。伏威突斬破陣,眾眙駭不及救,復殺數十人,下皆畏服,公祏兵亦至,遂並其眾,至數萬。攻安宜,屠之。隋遣虎牙郎將來整戰於黃花輪,伏威大敗,身重創,與公祏財有眾數百,亡去,行收卒得八千,與虎牙郎將公孫上哲戰鹽城,覆其軍。

煬帝は右禦衛将軍陳棱に精兵を率いさせて討伐させた。棱は戦おうとせず、伏威は婦人の服を贈り、手紙で「陳姥」と称して、その軍を怒らせた。棱は果たして全軍を率いて来襲した。伏威は出迎えて挑戦し、棱軍の放った矢がその額に当たった。伏威は怒って言った。「汝を殺さずして、この矢を抜かぬ。」 かくて棱の陣に馳せ入り、大声で叫びながら突撃し、敵兵は敗走した。矢を射た将を捕らえ、矢を抜かせた後、これを斬り、その首を携えて棱軍の中に入り示した。さらに数十人を殺し、遂に大いに潰走させ、棱は逃れて難を免れた。

原文煬帝遣右禦衛將軍陳棱以精兵討之,棱不敢戰,伏威遺以婦人服,書稱陳姥,怒其軍。棱果悉兵至,伏威迎出挑戰,棱軍射中其額,伏威怒曰:「不殺汝,矢不拔!」遂馳入棱陣,大呼沖擊,眾披靡,獲所射將,使拔箭已,斬之,攜其首入棱軍示之,又殺數十人,遂大潰,棱走而免。

高郵を陥落させ、兵を率いて淮水を渡り、歴陽を攻めてこれを占拠し、総管を称した。兵を分けて属県を攻略させ、ことごとく陥落させたので、江淮の群盗は争って帰順した。伏威は敢死の士五千を選び、「上募」と号し、厚く寵愛し、苦楽を共にした。攻撃するたびに必ず先鋒とし、戦いが終わると、背中に傷のある者を調べて殺した。捕虜や戦利品は必ず配下に分け与え、兵士が戦死すると、その妻を殉死させた。故に人は自ら奮戦し、無傷の敵はいなかった。宇文化及が歴陽太守に任じたが、受けなかった。丹陽に移り、自ら大行臺と称した。初めて士人を登用し、兵器を整え、税を軽くし、殉葬の法を廃し、民が盗みを働いたり、官吏が賄賂を受け取ったりした者は、たとえ軽微でも、皆殺して赦さなかった。越王侗に上表し、侗は彼を東南道大総管とし、楚王に封じた。

原文進破高郵,引兵度淮,攻歷陽,據之,稱總管。分兵徇屬縣,皆下,江淮群盜爭附。伏威選敢死士五千,號「上募」,寵厚之,與均甘苦,每攻取,必先登,戰罷,閱創在背者殺之。所虜獲必分與麾下,士有戰死,以其妻殉,故人自奮戰,無完敵。宇文化及以為歷陽太守,不受。徙丹陽,自稱大行臺。始進用士人,繕利兵械,薄賦斂,除殉葬法,民奸若盜及吏受賕,雖輕,皆殺無赦。上表越王侗,侗以為東南道大總管,封楚王。

この時、秦王(李世民)がちょうど王世充を討伐しており、使者を遣わして懐柔を図ったので、伏威は誠意を示して帰順した。高祖(李淵)は彼を東南道行臺尚書令・江淮安撫大使・上柱国・呉王に任じ、姓を賜り、宗室の籍に加え、その子の徳俊を山陽公とし、帛五千段、馬三百匹を賜った。伏威はその将の陳正通・徐紹宗に兵を率いさせて合流させ、世充の梁郡を奪取させた。また将の王雄誕を遣わして杭州で李子通を討伐させ、捕らえて献上させた。歙州で汪華を破った。江東・淮南の地をことごとく領有し、南は嶺に属し、東は海に至った。秦王がすでに劉黒闥を平定し、軍を曹州・兗州に駐屯させると、伏威は恐れ、朝廷に入朝した。詔により太子太保兼行臺尚書令に任じられ、京師に留め置かれ、斉王元吉の上位に位置づけられ、寵遇された。

原文是時,秦王方討王世充,遣使招懷,伏威乃獻款。高祖授以東南道行臺尚書令、江淮安撫大使、上柱國、吳王,賜姓,豫屬籍,以其子德俊為山陽公,賜帛五千段,馬三百匹。伏威遣其將陳正通、徐紹宗以兵會,取世充之梁郡。又遣將王雄誕討李子通於杭州,禽以獻。破汪華於歙州。盡有江東、淮南地,南屬嶺,東至於海。秦王已平劉黑闥,師次曹、兗,伏威懼,乃入朝。詔拜太子太保兼行臺尚書令,留京師,位在齊王元吉上,以寵之。

伏威は神仙長寿の術を好み、雲母を服用して中毒し、武徳七年二月、急死した。初め、公祏が反乱を起こした時、伏威の命令を偽って兵を欺いた。趙郡王孝恭が公祏を平定した後、反乱の書状を発見して上奏した。高祖は伏威の官爵を追奪し、宗室の籍から削除し、家産を没収した。貞観元年、太宗(李世民)はその冤罪を知り、詔を下して官爵を回復させ、公の礼をもって葬らせ、さらにその子の封を返還させた。

原文伏威好神仙長年術,餌雲母被毒,武德七年二月,暴卒。初,公祏反,矯伏威令以紿眾,趙郡王孝恭既平公祏,得反書以聞。高祖追其官,削屬籍,沒入家產。貞觀元年,太宗知其冤,詔復官爵,以公禮葬,仍還其子封。

伏威には養子三十人がおり、皆壮士で、兵を預け、衣食を共にしたが、闞棱・王雄誕のみが有名である。

原文伏威有養子三十人,皆壯士,屬以兵,與同衣食,唯闞棱、王雄誕知名。

闞棱

原文闞棱

闞棱は、伏威の同郷の人である。容貌は雄大で、両刃の刀を用いるのが巧みで、その長さは一丈いちじょう、名を「陌刀」といい、一振りで数人を殺し、前に堅固な敵はいなかった。伏威が江淮を占拠した時、戦功により顕著となり、左将軍に任じられた。配下の兵は皆群盗で、互いに横暴に侵害し合ったが、棱は罪を調べてこれを殺し、親しい旧知であっても逃れる者はなく、道に落とし物があっても拾わなかった。伏威に従って入朝し、左領軍将軍・越州都督に任じられた。公祏が反乱を起こすと、棱は南征に従い、青山の戦いで陳正通と遭遇した。陣がまさに接戦しようとした時、棱は兜を脱いで配下に言った。「我を識らぬのか。どうして戦おうとするのか。」その兵士の多くは棱の旧部であったので、士気はたちまち衰え、中には拝礼する者もいた。公祏が破れた後、棱の功績は多かったが、やや自ら誇った。公祏が捕らえられると、公祏は棱が自分と謀ったと誣告した。また、伏威・王雄誕および棱の丹陽にある資産は本来返還されるべきであったが、趙郡王孝恭がことごとく没収したので、棱が訴え出て、孝恭に逆らった。そこで謀反の罪で誅殺された。

原文闞棱,伏威邑人也。貌魁雄,善用兩刃刀,其長丈,名曰「陌刀」,一揮殺數人,前無堅對。伏威據江淮,以戰功顯,署左將軍。部兵皆群盜,橫相侵牟,棱案罪殺之,雖親故無脫者,至道不舉遺。從伏威入朝,拜左領軍將軍、越州都督。公祏反,棱與南討,青山之戰,與陳正通遇,陣方接,棱脫兜鍪謂眾曰:「不識我邪?何敢戰!」其徒多棱舊部,氣遂索,至有拜者。公祏破,棱功多,然頗自伐。公祏被禽,乃誣與己謀;又伏威、王雄誕及棱貲產在丹陽者當原,而趙郡王孝恭悉籍入之,棱自訴,忤孝恭。遂以謀反誅。

王雄誕

原文王雄誕

王雄誕は、曹州済陰の人である。若い頃から強く果断で、膂力は人に絶していた。伏威が挙兵した時、その計略を用い、戦えば多く勝利し、驃騎将軍に任じられた。

原文王雄誕,曹州濟陰人。少強果,膂力絕人。伏威之起,用其計,戰多克,署驃騎將軍。

初め、伏威が淮水を渡って李子通と合流したが、後になって子通はその才能を恐れ、襲撃した。伏威は傷を負って落馬したが、雄誕が背負って葦の茂る沢地に逃れ、散り散りになった兵を呼び集めた。また隋の将来整に追い詰められ、兵は再び潰走した。別将の西門君儀の妻の王氏は勇猛果断で力強く、伏威を背負って逃げ、雄誕は配下の壮士十余人を率いてこれに従った。追手が至ると、雄誕は引き返して防戦し、幾度も傷を負ったが、気勢はますます激しく、伏威は遂に逃れることができた。闞棱は雄誕より年長であったので、軍中では棱を「大将軍」、雄誕を「小将軍」と呼んだ。

原文初,伏威度淮與李子通合,後子通憚其才,襲之,伏威被創墮馬,雄誕負逃葭澤中,裒嘯散亡,又為隋將來整所窘,眾復潰。別將西門君儀妻王勇決而力,負伏威走,雄誕總麾下壯士十余人從之。追兵至,雄誕還拒,數被創,氣彌厲,伏威遂脫。闞棱年長於雄誕,故軍中號棱「大將軍」,雄誕「小將軍」。

後に伏威が輔公祏に子通を撃たせた時、雄誕と棱を副将とした。溧水で戦い、子通は敗れた。公祏は勝ちに乗じて追撃したが、かえって押し返され、兵士は皆陣営に逃げ帰った。雄誕は言った。「子通は勝ちに慣れ、陣営を構えていない。今急襲すれば、必ず勝てる。」公祏は従わなかった。雄誕はただ一人で私兵数百を率い、枚を銜ませて夜襲し、風に乗じて火を放つと、子通は大敗して逃走し、太湖を渡った。武徳四年、子通と蘇州で戦い、これを退けた。子通は精兵を率いて独松嶺に拠った。雄誕は将の陳当に千の兵を率いさせて不意を突かせ、高みに登って山陰に隠れ、疑兵の旗を掲げ、夜に樹木に松明を縛り付け、山や沢一面に広げた。子通は恐れ、陣営を焼いて逃れ、余杭に拠った。雄誕は追撃してこれを捕らえた。

原文後伏威令輔公祏擊子通,以雄誕、棱為副,戰溧水,子通敗,公祏乘勝追之,反為所擠,士皆走壁。雄誕曰:「子通狃於勝,無營壘,今急擊之,必克。」公祏不從。雄誕獨提私卒數百,銜枚夜往,乘風火之,子通大敗走,度太湖。武德四年,與子通戰蘇州,卻之。子通以精兵保獨松嶺,雄誕遣將陳當率千兵出不意,乘高蔽崦,張疑幟,夜縛炬於樹,遍山澤。子通懼,燒營遁,保余杭,雄誕追禽之。

歙州の守将汪華は郡において王を称すること十年近く、雄誕は軍を返してこれを攻め、華は精鋭の兵を率いて新安洞より出でて防戦し、雄誕は山谷に伏兵を置き、弱卒数千をもって戦い、しばしば陣営に退き、華が攻めて来ると、陣営の中より必死に奮戦し、陥落させることができなかった。暮れに及んで帰還しようとしたところ、雄誕の伏兵は既に洞口を占拠しており、帰ることができず、急いで自ら縛られて降伏した。蘇州の賊徒聞人遂安は昆山に拠り、所属するところなく、伏威は討伐を命じたが、雄誕は城邑が険阻で堅固なため、攻めれば日数を要すると考え、遂に単騎で陣営の門に至り、国の威霊を述べ、禍福を諭し開導したところ、遂安は即時に降伏した。以前からの功績により歙州総管を授けられ、宜春郡公に封ぜられた。

原文歙守汪華在郡稱王且十年,雄誕還師攻之,華以勁甲出新安洞拒戰,雄誕伏兵山谷,以弱卒數千鬥,輒走壁,華來攻,壁中奮殊死,不可下。會暮還,雄誕伏兵已據洞口,不得歸,遽面縛降。蘇賊聞人遂安據昆山,無所屬,伏威使討之,雄誕以邑險而完,攻之引日,遂單騎造壘門,陳國威靈,因開曉禍福,遂安即降。以前後功授歙州總管,封宜春郡公。

伏威が朝廷に入ると、兵を雄誕に属させた。輔公祏が反逆を企てたが、彼が自分と異なることを憂い、反間の計を用い、偽って伏威の教えを得たと称し、雄誕が二心を抱いていると責めた。雄誕は元来質朴で率直であり、これを信じて、帰って臥病した。公祏はその兵権を奪い、西門君儀を遣わして計画を告げさせた。雄誕は初めて悔い悟り、言った、「天下はまさに平定され、王(伏威)は京師におられる。慎んで藩屏を守るべきである。どうして一族を滅ぼすようなことをなさるのか。雄誕はたとえ死すとも、義をもって従うことはできぬ」。公祏は遂に彼を絞殺した。

原文伏威入朝,以兵屬雄誕。輔公祏將反,患其異己,縱反間,陽言得伏威教,責雄誕貳。雄誕素質直,信之,乃歸臥疾。公祏奪其兵,遣西門君儀諭計,雄誕始悔寤,曰:「天下方靖,王在京師,當謹守籓,奈何為族夷事?雄誕雖死,誼不從!」公祏遂縊之。

雄誕は人を愛し、士卒をよく慰撫し、下の者をして死力を尽くさせることができた。城邑を破るごとに、軍勢を整えて山のように立ち、絲毫も犯すことがなかった。死んだ日、江南の士人庶民は涙を流した。高祖はその節義を嘉し、子の世果に宜春郡の封を襲封させた。太宗が立つと、優詔を下して左驍衛大将軍・越州都督を追贈し、諡して忠といった。世果は、垂拱初年に広州都督・安西大都護に至った。

原文雄誕愛人,善撫士,能致下死力,每破城邑,整眾山立,無絲毫犯。死之日,江南士庶為流涕。高祖嘉其節,以子世果襲宜春郡封。太宗立,優詔贈左驍衛大將軍、越州都督,謚曰忠。世果,垂拱初至廣州都督、安西大都護。

張士貴

原文張士貴

張士貴は、虢州盧氏の人で、本名は忽峍といった。弓を引きしぼること百五十斤、左右に射て空発することなし。隋の大業の末、蜂起ほうきして盗賊となり、城邑を攻め掠め、当時これを患い、「忽峍賊」と号した。高祖が檄を移して招くと、士貴は即時に降伏し、右光禄大夫を拝された。征伐に従って功績があり、新野県公の爵を賜った。また洛陽平定に従い、虢州刺史を授けられた。帝は言った、「卿に錦衣を着せて昼に遊ばせよう」。虢国公・右屯衛大将軍に進封された。貞観七年、龔州道行軍総管となり、反乱した獠を破って帰還すると、太宗は彼が矢石を冒して先登したと聞き、労って言った、「忠をもって国に報いる者は身を顧みないと聞くが、公においてそれを見た」。累遷して左領軍大将軍となった。顕慶初年に卒し、荊州都督を追贈され、昭陵に陪葬された。

原文張士貴,虢州盧氏人,本名忽峍。彎弓百五十斤,左右射無空發。隋大業末,起為盜,攻剽城邑,當時患之,號「忽峍賊」。高祖移檄招之,士貴即降,拜右光祿大夫。從征伐有功,賜爵新野縣公。又從平洛,授虢州刺史。帝曰:「顧令卿衣錦晝遊耳。」進封虢國公、右屯衛大將軍。貞觀七年,為龔州道行軍總管,破反獠還,太宗聞其冒矢石先登,勞之曰:「嘗聞以忠報國者不顧身,於公見之。」累遷左領軍大將軍。顯慶初,卒,贈荊州都督,陪葬昭陵。

李子和

原文李子和

李子和は、同州蒲城の人で、本来は郭氏であった。隋の左翊衛となり、罪により榆林に流された。大業の末、郡が飢饉に陥ると、子和は死士十八人とともに郡丞王才を捕らえ、下民を恤れまないことを数え上げて斬り、倉を開いて窮乏を賑済した。自ら永楽王と号し、元号を醜平と建て、その父を太公と称し、弟子の政を尚書令とし、子端・子升を左右僕射とし、騎兵二千を有した。南は梁師都と連絡し、北は突厥とっけつに仕え、弟を人質として納めた。始畢可汗は子和を平楊天子に冊立しようとしたが、敢えて受けず、更に屋利設に任じた。武徳元年に帰順を申し出て、霊州総管・金河郡公を授けられ、後に郕国公に徙封された。師都の寧朔城を襲撃し、これを陥落させた。また突厥の虚実を窺い、密かに上奏文を送ったが、虜の邏騎に捕らえられ、処羅可汗は怒って子升を囚えた。ここにおいて子和は危惧し、挙部して南に移り、詔により延州の故城に内附した。五年、劉黒闥平定に従って功績があり、姓を賜り、右武衛将軍を拝された。十一年、婺州刺史となり、後に夷国公に徙封された。顕慶初年、黔州都督に転じ、骸骨を乞うたのでこれを許し、金紫光禄大夫に進められ、卒した。

原文李子和,同州蒲城人,本郭氏。為隋左翊衛,以罪徙榆林。大業末,郡饑,子和與死士十八人執丞王才,數以不恤下,斬之,開倉賑窮乏。自號永樂王,建元醜平,號其父為太公,以弟子政為尚書令,子端、子升為左右僕射,有騎兵二千。南連梁師都,北事突厥,納弟為質。始畢可汗冊子和為平楊天子,不敢當,乃更署為屋利設。武德元年獻款,授靈州總管、金河郡公,徙郕國公。襲師都寧朔城,克之。又伺突厥虛實,陰以章聞,為虜邏騎所獲,處羅可汗怒,囚子升,於是子和危畏,舉部南徙,詔內延州故城。五年,從平劉黑闥有功,賜姓,拜右武衛將軍。十一年,為婺州刺史,徙夷國公。顯慶初,轉黔州都督,乞骸骨,許之,進金紫光祿大夫,卒。

苑君璋

原文苑君璋

苑君璋は、馬邑の豪族で、敏捷で雄健なことを以って自ら奮い立った。劉武周が兵を率いて侵入しようとすると、君璋は言った、「唐は一州の兵をもって三輔を奪取し、向かうところ風靡する。これは恐らく天命であって、人の謀りごとではない。争うべからず。太原より南は険阻が多い。今、甲を束ねて深く入り、後続の軍もなく、もし失えば償うことができない。突厥と連合して唐と合従し、南面して孤を称するのが上策である」。武周は聞き入れず、君璋に朔州を守らせ、衆を率いて内侵したが、間もなく敗れ、泣いて言った、「君の言を廃したために、ここに至ったのだ」。即座に共に突厥へと奔った。

原文苑君璋,馬邑豪也,以趫雄自奮。劉武周以兵入寇,君璋曰:「唐以一州兵掇取三輔,所向風靡,此殆天命,非人謀,不可爭也。太原而南多巖阻,今束甲深入,無踵軍,有失不可償,不如連突厥與唐合從,南面稱孤,上策也。」武周不聽,使君璋守朔州,引眾內侵,未幾敗,泣曰:「廢君言,乃至此!」即與共趨突厥。

武周が死ぬと、突厥は君璋を大行臺とし、武周の部曲ぶきょくを統率させ、郁射設に兵を監視させた。旧将の高満政とともに夜襲して代州を攻めたが、陥落させられなかった。高祖は使者を遣わして招き、鉄券を賜い、死なないことを約束した。君璋は命を拒み、進んで代州を寇し、刺史王孝德が防ぎ退けた。満政は君璋を諫めて言った、「夷狄は礼儀なく、どうして北面して臣とすることができようか。請う、その衆を尽く殺して唐に帰順せよ」。君璋は従わなかった。しかし馬邑は兵乱に苦しみ、人は乱を厭い、満政は衆の忍びざるに乗じ、夜に君璋を脅迫した。君璋は突厥に奔った。満政は城を以って帰順し、詔により朔州総管を拝し、栄国公に封ぜられた。君璋は突厥を引き連れて馬邑を攻め落とし、満政を殺し、その党与を誅戮して去り、恒安に退いて守った。その部衆は皆中国人であり、多くが叛いて去った。君璋は窮し、乃ち降伏し、自ら虜を防いで罪を贖うことを請うた。

原文武周死,突厥以君璋為大行臺,統武周部曲,使郁射設監兵,與舊將高滿政夜襲代州,不克。高祖遣使招之,賜鐵券,約不死。君璋拒命,進寇代州,刺史王孝德拒卻之。滿政勸君璋曰:「夷狄無禮,豈可北面臣之?請盡殺其眾以歸唐。」君璋不從。而馬邑困於兵,人厭亂,滿政因眾不忍,夜脅君璋,君璋奔突厥。滿政以城歸,詔拜朔州總管,封榮國公。君璋引突厥攻陷馬邑,殺滿政,夷其黨,乃去,退保恒安。其部皆中國人,多叛去,君璋窮,乃降,自請鄣虜贖罪。

高祖は雁門の人元普を遣わして金券を賜わったが、ちょうど頡利可汗も彼を召したので、心は躊躇した。子の孝政が諫めて言った、「大人は唐に降ると約束しながら、また頡利に二心を抱くのは、自ら滅亡を招くものです。今、糧食は尽き、衆は離反しています。即座に決断しなければ、恐らく肘腋の変が生じましょう。孝政は禍の酷さを見るに忍びません」。即座に単騎で南に奔ろうとしたが、君璋は諭して返させ、衆を召し集めて議した。恒安の人郭子威は言った、「恒安はかつて王者の都であり、山川自らを固めるに足ります。突厥は今まさに強盛であり、我らがこれに援けられれば、天下の変を観ることができます。どうして急いで降伏なさいますか」。君璋はこれを然りとし、元普を捕らえて突厥に送った。頡利はこれを徳とし、錦の裘や羊馬を贈った。その部下は怨み、門に投書して言った、「早く唐に附かねば、父子ともに誅せられる」。孝政は恐れ、自ら帰順しようとしたが、君璋に拘束された。突厥とともに馬邑を寇し、太原を犯し、辺境の民はこれを苦しめた。頡利の政が乱れ、将に亡ぶことを知ると、遂に率いる部衆を以って降伏した。頡利が追撃し、その兵を撃ち走らせた。

原文高祖遣雁門人元普賜金券,會頡利亦召之,意猶豫。子孝政諫曰:「大人許唐降,又貳頡利,自取亡也。今糧盡眾攜,不即決,恐衿肘變生,孝政不忍見禍之酷也!」即單騎南奔,君璋喻返之,召眾與議。恒安人郭子威曰:「恒安故王者都,山川足以自固,突厥方強,我援之,可觀天下變,何遽降?」君璋然之,執元普送突厥,頡利德之,遣以錦裘羊馬。其下怨,投書於門曰:「不早附唐,父子誅。」孝政懼,欲自歸,為君璋所拘。與突厥寇馬邑,犯太原,邊人苦之。見頡利政亂,知將亡,遂率所部降,頡利追,擊走其兵。

朝廷に入り、安州都督を拝し、芮国公に封ぜられ、五百戸を食み、帛四千匹を賜わった。君璋は書物に通じなかったが、天資として事に習熟し、職を歴任して慈恵ある称があった。貞観年間に卒した。

原文入朝,拜安州都督,封芮國公,食五百戶,賜帛四千匹。君璋不曉書,然天資習事,歷職有惠稱。貞觀中,卒。

羅藝

原文羅藝

羅藝は、字あざなを子廷といい、襄州襄陽の人で、家は京兆の雲陽にあった。父の栄は、隋の監門将軍であった。藝は剛愎で仁愛なく、攻戦に勇み、槊を用いることに長けていた。大業年間、戦功により虎賁郎将に補せられた。遼東の役に、李景が武衛大将軍として北平で糧秣を監督し、詔により藝に兵を属させ、部署を分けて厳しく統制した。しかし気性を任せ、かつて李景を慢侮し、頻りに景に辱められた。

原文羅藝,字子廷,襄州襄陽人,家京兆之雲陽。父榮,隋監門將軍。藝剛愎不仁,勇攻戰,善用槊。大業中,以戰力補虎賁郎將。遼東之役,李景以武衛大將軍督饟北平,詔藝以兵屬,分部嚴一。然任氣,嘗慢侮景,頻為景辱。

天下に盗賊が蜂起すると、涿郡は富饒と号され、遼東征伐の兵仗が多くあり、倉庫は満ち溢れ、また臨朔宮には珍宝が多く、駐屯する軍は数万に及び、盗賊の侵掠に苦しんだが、留守の将趙什住・賀蘭誼・晋文衍らは支えることができなかった。藝は寇を防ぎ、数度撃破して退け、勇気常に諸軍の冠たり、諸将に忌み畏れられた。藝は密かに考え、出師の機に乗じ、詭計をもって衆に説いて言った、「我が軍は賊を討って数々の功績があるのに、食糧が乏しい。官の粟は山の如くあるのに、留守は賑恤しない。どうして民を安んじ衆を強くするという意図があろうか」。士卒は皆怨んだ。帰還すると、郡丞が郊外に出て謁したので、藝はこれを捕らえ、兵を陳べて入城した。什住らは恐れ、争って命令を聴いた。藝は即座に庫の財を発して戦士に賜い、倉粟を窮民に与え、境内は大いに喜んだ。異己の者である渤海太守唐祎らを殺し、威勢は北辺を動かし、柳城・懐遠は共に帰附した。柳城太守楊林甫を罷免し、郡を営州と改め、襄平太守鄧皓を総管とし、藝は自ら幽州総管と称した。

原文天下盜起,涿郡號富饒,伐遼兵仗多在,而倉{廣寺}盈羨,又臨朔宮多珍寶,屯師且數萬,苦盜賊侵掠,留守將趙什住、賀蘭誼、晉文衍等不能支。藝捍寇,數破卻之,勇常冠軍,為諸將忌畏。藝陰自計,因出師,詭說眾曰:「吾軍討賊數有功,而食乏。官粟若山,而留守不賑恤,豈安人強眾意邪?」士皆怨。既還,郡丞出郊謁,藝執之,陳兵入,什住等懼,爭聽命。藝即發庫貲賜戰士,倉粟給窮人,境內大悅。殺異己者渤海太守唐祎等,威動北邊,柳城、懷遠並歸附。黜柳城太守楊林甫,改郡曰營州,以襄平太守鄧皓為總管,藝自稱幽州總管。

宇文化及が山東に至り、使者を遣わして羅藝を招いた。藝は言う、「我は隋の旧臣なり、今大行(煬帝)が顛覆せられ、義をもって賊に辱しめられず」と。使者を斬り、煬帝のために発喪すること三日。時に竇建德・高開道もまた使者を藝のもとに遣わした。藝は官属に謂う、「建德らは皆な劇賊にして、功名を共にするに足らず、唐公(李淵)は兵を起こして関中を拠とし、民望の係る所、王業必ず成るべし、吾は決してこれに帰せん。敢えて異議を唱うる者は戮す」と。会うに張道源が山東を撫輯し、また藝に降ることを諭す。武徳二年、乃ち表を奉じて地を以て帰順す。詔して燕王に封じ、姓を賜い、属籍に豫あらかじめしむ。数たび建德と戦い、多く禽馘す。秦王(李世民)が劉黒闥を撃つに、高祖は詔して藝の弟監門将軍寿に兵を以て従わしむ。藝自ら衆数万を率いて劉什善・張君立を徐河に破る。黒闥が突厥を引き入れて寇すと、藝また兵を以て皇太子建成と洺州に会し、遂に朝に入ることを請う。帝は厚く礼し、左翊衛大将軍に拝す。

原文宇文化及至山東,遣使招藝,藝曰:「我隋舊臣,今大行顛覆,義不辱於賊。」斬使者,為煬帝發喪三日。時竇建德、高開道亦遣使於藝,藝謂官屬曰:「建德等皆劇賊,不足共功名,唐公起兵據關中,民望所系,王業必成,吾決歸之。敢異議者戮!」會張道源撫輯山東,亦諭藝降,武德二年,乃奉表以地歸。詔封燕王,賜姓,豫屬籍。數與建德戰,多所禽馘。秦王擊劉黑闥,高祖詔藝弟監門將軍壽以兵從,藝自率眾數萬破劉什善、張君立於徐河。黑闥引突厥入寇,藝復以兵與皇太子建成會洺州,遂請入朝。帝厚禮之,拜左翊衛大將軍。

藝はその功を負い、且つ貴重にして少も屈せず、秦王の左右嘗てその営に至るや、藝はこれを{疒只}辱す。高祖怒り、吏に属す。久しくして乃ち釈す。時に突厥放横し、藝の威名を藉りて虜を憚らしめんと欲し、詔して本官を以て天節軍将を領し、涇州に鎮せしむ。

原文藝負其功,且貴重不少屈,秦王左右嘗至其營,藝{疒只}辱之。高祖怒,以屬吏,久乃釋。時突厥放橫,藉藝威名欲憚虜,詔以本官領天節軍將,鎮涇州。

太宗即位し、開府儀同三司に進む。藝は内に懼れ、乃ち反を図り、詭りて武を閲すと言う。兵既に集まり、密詔を被りて朝に入ると称す。軍、豳に至り、治中趙慈皓出でて謁す。遂に州を拠す。帝は長孫無忌・尉遅敬徳にこれを撃たしむ。未だ至らざるに、慈皓と統軍楊岌と謀りて藝を誅せんとす。藝覚り、慈皓を執る。岌は外に居り、即ちこれを攻む。藝敗れ、妻子を棄て、数百騎を従えて突厥に奔る。寧州に抵るも、騎稍々亡び、左右これを斬り、首を伝え、都市に梟す。寿は時に利州都督たり、亦た誅に及ぶ。

原文太宗即位,進開府儀同三司。藝內懼,乃圖反,詭言閱武。兵既集,稱被密詔入朝,軍至豳,治中趙慈皓出謁,遂據州。帝命長孫無忌、尉遲敬德擊之,未至,慈皓與統軍楊岌謀誅藝,藝覺,執慈皓。岌居外,即攻之,藝敗,棄妻子,從數百騎奔突厥。抵寧州,騎稍亡,左右斬之,傳首,梟於都市。壽時為利州都督,亦及誅。

先だって、済陰の女子李、自ら鬼道に通じ、疾を愈やす能うと称し、四方これを惑わす。詔して京師に致す。嘗て藝の家に往来し、藝の妻孟に謂う、「妃の相は貴く、天下の母たるべし」と。孟して藝を視せしむ。又曰く、「妃の貴は王に由り、貴色且つ発せん」と。藝の妻これを信じ、亦た反を賛す。既に敗れ、李と皆な斬らる。

原文先是,濟陰女子李,自言通鬼道,能愈疾,四方惑之,詔取致京師。嘗往來藝家,謂藝妻孟曰:「妃相貴,當母天下。」孟令視藝,又曰:「妃之貴由於王,貴色且發。」藝妻信之,亦贊以反,既敗,與李皆斬。

王君廓

原文王君廓

王君廓は、并州石艾の人なり。少くして孤貧、駔儈(仲買人)となり、行い無く、盗を善くす。嘗て竹笱を負うこと魚具の如く、内に逆刺を置く。繒を鬻ぐ者を見ては、笱を以てその頭を囊つつみ、脱する能わず、乃ち繒を奪いて去る。而して主は弁ぜず。郷里これを患う。

原文王君廓,并州石艾人。少孤貧,為駔儈,無行,善盜。嘗負竹笱如魚具,內置逆刺,見鬻繒者,以笱囊其頭,不可脫,乃奪繒去,而主不辨也,鄉里患之。

大業末、兵を聚めて盗たらんと欲し、叔と俱にすることを請う。従わず。乃ち隣人の叔母を通ずる者を誣い、叔と共にこれを殺し、遂に皆な亡命す。衆稍々集まり、夏・長平を掠む。河東丞丁栄これを拒ぎ、且つ使者を遣わして慰め召す。君廓は使者を見て、謬りて帰首せんと欲する者と為す。栄これを軽んじ、因りて兵を陳べて山に登る。君廓は悉く甲を山谷中に伏す。栄の軍還るや、掩撃してこれを破る。又た賊の韋宝・鄧豹等と虞郷を掠め、宋老生と戦う。君廓利あらず、方山に保つ。老生は営を列ねてこれを迫る。君廓糧尽き、詐りて降を請い、老生と澗を隔てて語り、祈請哀切なり。老生感動せられ、稍々これを緩む。君廓一昔にして遁れ去る。

原文大業末,欲聚兵為盜,請與叔俱,不從,乃誣鄰人通叔母者,與叔共殺之,遂皆亡命。眾稍集,掠夏、長平。河東丞丁榮拒之,且遣使慰召。君廓見使,謬為欲歸首者。榮輕之,因陳兵登山,君廓悉伏甲山谷中。榮軍還,掩擊,破之。又與賊韋寶、鄧豹等掠虞鄉,宋老生與戰,君廓不利,保方山,老生列營迫之。君郭糧盡,詐請降,與老生隔澗語,祈請哀到。老生為感動,稍緩之,君廓一昔遁去。

高祖兵を起こし、これを召す。従わず。李密に帰す。密は甚だ礼せず。乃ち国に帰す。上柱国・仮の河内太守・常山郡公を授け、遼州刺史に遷り、上谷に封を徙す。東都に従い戦いて功有り、右武衛将軍と為る。詔してこれを労うに曰く、「爾十三人を以て賊一万を破る、古より少を以て衆を制する、これ有ること無し」と。雑彩百段を賜う。別に軒轅・羅川の二県を下し、世充の将魏隠を破り、糧道の緱氏を撃ち、米艘三十柁を沈む。

原文高祖兵起,召之,不從。歸李密,密不甚禮,乃歸國。授上柱國、假河內太守、常山郡公,遷遼州刺史,徙封上谷,從戰東都有功,為右武衛將軍。詔勞之曰:「爾以十三人破賊萬,自古以少制眾,無有也!」賜雜彩百段。別下軒轅、羅川二縣,破世充將魏隱,擊糧道緱氏,沈米艘三十柁。

爵を進めて彭国公と為し、幽州に鎮す。突厥を撃ち、二千を俘斬し、馬五千匹を獲る。朝に入る。帝は乗する馬を賜い、廷中より自ら乗じて出づるを令す。侍臣に謂う、「昔、藺相如が秦王を叱り、目眥皆な烈し。君廓往きて建徳を撃つに、李勣これを遏む。至って発憤大呼し、鼻耳皆な流血す。その勇何ぞ古人に特なるのみならんや。朕は例を以て賞せざるべし」と。乃ち錦袍金帯を賜い、幽州に還す。

原文進爵彭國公,鎮幽州。擊突厥,俘斬二千,獲馬五千匹。入朝,帝賜所乘馬,令自廷中乘以出,謂侍臣曰:「昔藺相如叱秦王,目眥皆烈。君廓往擊建德,李勣遏之,至發憤大呼,鼻耳皆流血,其勇何特古人哉!朕當不以例賞。」乃賜錦袍金帶,還幽州。

会うに大都督廬江王瑗反し、君廓の兵を奪いて王詵に委ねんと欲す。君廓は本より瑗を紿して乱を起こさせ、己が功と為さんとす。乃ち数騎を従えて詵を候う。騎を外に留め、曰く、「呼聲を聞けば則ち入れ」と。乃ち独り詵に款き、詐りて曰く、「急変有り、白すべし」と。詵方に沐し、髪を握りて出づ。即ちこれを斬り、因りて瑗を執る。功を以て幽州都督を授け、瑗の家口悉くこれを賜う。左光禄大夫に進み、帛千段を賜う。

原文會大都督廬江王瑗反,欲奪君廓兵以委王詵。君廓本紿瑗使亂為己功,乃從數騎候詵,留騎於外,曰:「聞呼聲則入。」乃獨款詵,詐曰:「有急變,當白!」詵方沐,握發出,即斬之,因執瑗。以功授幽州都督,瑗家口悉賜之,進左光祿大夫,賜帛千段。

職に居りて法度を守らず、長史李玄道数たび法を以てこれを繩督す。猜惑して自ら安からず。会うに召され、渭南に至り、驛史を殺し、亡れて突厥に奔る。野人これを斬る。太宗は前功を顧み、為に収葬し、その家を待つこと初めの如し。御史大夫温彦博奏す、「君廓は叛臣なり。封邑を食むに宜しからず。有司は言うべき所を失う」と。乃ち庶人に貶す。

原文居職不守法度,長史李玄道數以法繩督,猜惑不自安。會被召,至渭南,殺驛史,亡奔突厥,野人斬之。太宗顧前功,為收葬,待其家如初。御史大夫溫彥博奏:「君廓叛臣,不宜食封邑,有司失所宜言。」乃貶為庶人。