新唐書

巻八十三 列傳第八 諸帝公主

巻八十三 列傳第八 諸帝公主

世祖

原文(段落全体)世祖

世祖の娘は一人。

原文(段落全体)世祖

同安公主は、高祖の同母妹である。隋州刺史の王裕に降嫁した。貞観の時、尊属として大長公主に進んだ。かつて病に罹った際、太宗自ら見舞い、縑五百匹を賜り、傅婢や侍従にも皆賜物があった。永徽初年、実封三百戸を賜った。薨去したのは八十六歳。王裕は、隋の司徒王柬の子で、開府儀同三司の官で終わった。

原文同安公主,高祖同母媦也。下嫁隋州刺史王裕。貞觀時,以屬尊進大長公主。嘗有疾,太宗躬省視,賜縑五百,姆侍皆有賚予。永徽初,賜實戶三百。薨年八十六。裕,隋司徒柬之子,終開府儀同三司。

高祖

原文高祖

高祖の娘は十九人。

原文高祖十九女。

長沙公主は、馮少師に降嫁した。

原文長沙公主,下嫁馮少師。

襄陽公主は、竇誕に降嫁した。

原文襄陽公主,下嫁竇誕。

平陽昭公主は、太穆皇后の生んだ娘で、柴紹に降嫁した。初め、高祖が挙兵した時、公主は長安に居た。柴紹が言うには、「尊公(高祖)が兵を挙げて京師を清めようとされています。私も行きたいのですが、一緒には行けそうにありません。どうしましょうか」と。公主は言った、「貴方は行きなさい。私は自分で考えます」と。柴紹は迂回して并州へ向かい、公主は鄠に奔り、家財を投じて南山の亡うしな命者を募り、数百人を得て帝(高祖)に応じた。この時、賊の首領何潘仁が司竹園に拠り、通行人を殺し、総管を称していた。公主は家奴の馬三宝を遣わして説得して降伏させ、共に鄠を攻めた。別部の賊である李仲文、向善誌、丘師利らもそれぞれ配下を率いて麾下に参集し、これにより盩厔、武功、始平の地を攻略し、これを陥落させた。そこで法を定めて衆に誓い、掠奪を禁じたので、遠近の者が皆帰附し、兵七万を統率して、威は関中に震うた。帝が河を渡ると、柴紹は数百騎を率いて南山に沿って来迎し、公主は精兵一万を率いて秦王と渭北で会した。柴紹と公主は幕府を並べて置き、京師平定に分かたれて功を立て、「娘子軍」と号された。帝が即位すると、功により賜物は際限がなかった。武徳六年に薨じ、葬儀には前後の羽葆、鼓吹、大路、麾幢、虎賁、甲卒、班劍が加えられた。太常が議して、「婦人の葬儀に鼓吹を用いることは、古来ありません」と言うと、帝は従わず、「鼓吹は軍楽である。かつて公主自ら金鼓を執り、天命に参画した。これに古例があるか?用いるのが妥当である」と言った。

原文平陽昭公主,太穆皇后所生,下嫁柴紹。初,高祖兵興,主居長安,紹曰:“尊公將以兵清京師,我欲往,恐不能偕,奈何?”主曰:“公行矣,我自為計。”紹詭道走并州,主奔鄠,發家貲招南山亡命,得數百人以應帝。於是,名賊何潘仁壁司竹園,殺行人,稱總管,主遣家奴馬三寶喻降之,共攻鄠阝。別部賊李仲文、向善誌、丘師利等各持所領會戲下,因略地盩厔、武功、始平,下之。乃申法誓眾,禁剽奪,遠近鹹附,勒兵七萬,威振關中。帝度河,紹以數百騎並南山來迎,主引精兵萬人與秦王會渭北。紹及主對置幕府,分定京師,號“娘子軍”。帝即位,以功給賚不涯。武德六年薨,葬加前後部羽葆、鼓吹、大路、麾幢、虎賁、甲卒、班劍。太常議:“婦人葬,古無鼓吹。”帝不從,曰:“鼓吹,軍樂也。往者主身執金鼓,參佐命,於古有邪?宜用之。”

高密公主は、長孫孝政に降嫁し、後にまた段綸に再嫁した。段綸は、隋の兵部尚書段文振の子で、工部尚書、杞国公となった。永徽六年に公主が薨じる際、遺言して、「私の墓は必ず東向きとし、献陵を望ませよ。孝を忘れぬことを願うからである」と言った。

原文高密公主,下嫁長孫孝政,又嫁段綸。綸,隋兵部尚書文振子,為工部尚書、杞國公。永徽六年主薨,遺命:“吾葬必令墓東向,以望獻陵,冀不忘孝也。”

長広公主は、初め桂陽に封ぜられた。趙慈景に降嫁した。趙慈景は隴西の人で、帝(高祖)はその風采を美として、娘を娶せた。帝が挙兵した時、或る者が逃亡を勧めたが、趙慈景は答えて、「母は私を命としております。どこへ行けばよいのでしょう」と言った。吏に捕らえられ獄に繋がれた。帝が京師を平定すると、召し出して開化郡公に封じ、相国府文学とした。兵部侍郎に進み、華州刺史となった。堯君素を討って戦死し、秦州刺史を追贈され、諡は忠といった。公主は更に楊師道に再嫁した。聡明で思慮深く、詩を作ることに巧みで、豪奢で勝手気儘であったが、晩年には少し行いを改め、長寿を全うして薨じた。

原文長廣公主,始封桂陽。下嫁趙慈景。慈景,隴西人,帝美其姿制,故妻之。帝起兵,或勸亡去,對曰:“母以我為命,且安往?”吏捕系於獄。帝平京師,引拜開化郡公,為相國府文學。進兵部侍郎。為華州刺史。討堯君素戰死、贈秦州刺史,謚曰忠。公主更嫁楊師道。聰悟有思,工為詩,豪侈自肆,晚稍折節,以壽薨。

長沙公主は、初め萬春に封ぜられた。豆盧寛の子、豆盧懐譲に降嫁した。

原文長沙公主,始封萬春。下嫁豆盧寬子懷讓。

房陵公主は、初め永嘉に封ぜられた。竇奉節に降嫁し、後にまた賀蘭僧伽に再嫁した。

原文房陵公主,始封永嘉。下嫁竇奉節,又嫁賀蘭僧伽。

九江公主は、執失思力に降嫁した。

原文九江公主,下嫁執失思力。

廬陵公主は、喬師望に降嫁し、喬師望は同州刺史となった。

原文廬陵公主,下嫁喬師望,為同州刺史。

南昌公主は、蘇勗に降嫁した。

原文南昌公主,下嫁蘇勖。

安平公主は、楊思敬に降嫁した。

原文安平公主,下嫁楊思敬。

淮南公主は、封道言に降嫁した。

原文淮南公主,下嫁封道言。

真定公主は、崔恭禮に降嫁した。

原文真定公主,下嫁崔恭禮。

衡陽公主は、阿史那社爾に降嫁した。

原文衡陽公主,下嫁阿史那社爾。

丹陽公主は、薛萬徹に降嫁した。萬徹は甚だ愚鈍であり、公主は恥じて、数ヶ月にわたり同席しなかった。太宗はこれを聞き、笑い、酒宴を設け、他の婿たちを悉く召し出して萬徹と悠々と語らわせ、握槊で佩刀を賭け、わざと勝たず、遂に解いてこれを賜った。公主は喜び、同車に乗せて帰ることを命じた。

原文丹陽公主,下嫁薛萬徹。萬徹蠢甚,公主羞,不與同席者數月。太宗聞,笑焉,為置酒,悉召它婿與萬徹從容語,握槊賭所佩刀,陽不勝,遂解賜之。主喜,命同載以歸。

臨海公主は、裴律師に降嫁した。

原文臨海公主,下嫁裴律師。

館陶公主は、崔宣慶に降嫁した。

原文館陶公主,下嫁崔宣慶。

安定公主は、初め千金と封ぜられた。溫挺に降嫁した。挺が死ぬと、また鄭敬玄に嫁いだ。

原文安定公主,始封千金。下嫁溫挺。挺死,又嫁鄭敬玄。

常樂公主は、趙瑰に降嫁した。娘を生み、周王妃となったが、武后に殺された。瑰を括州刺史に左遷し、寿州に移した。越王貞が挙兵せんとした時、瑰に書を送り道を借りようとすると、瑰はこれに応じようとした。公主は使者に進み出て言った、「我がために王に謝せよ。進むこととともにあり、退くこととともにあらず。もし諸王が皆丈夫ならば、かくも久しく覆われているべきではない。我は聞く、楊氏が周を簒した時、尉遲迥は周の出であるのに、なお突厥とっけつと連合し、天下を震動させたと。まして諸王は国の懿親、宗社の託する所、生を捨てて義を取らねば、尚ほ何を待つ必要があろうか。人臣は国患を同じくするを忠と為し、同じくせざるを逆と為す。王らは努めよ」と。王が敗れると、周興が瑰と公主が連謀したと弾劾し、皆誅殺された。

原文常樂公主,下嫁趙瑰。生女,為周王妃,武后殺之。逐瑰括州刺史,徙壽州。越王貞將舉兵,遺瑰書假道,瑰將應之。主進使者曰:“為我謝王,與其進,不與其退。若諸王皆丈夫,不應掩久至是。我聞楊氏篡周,尉遲迥乃周出,猶能連突厥,使天下響震,況諸王國懿親,宗社所托,不舍生取義,尚何須邪?人臣同國患為忠,不同為逆,王等勉之。”王敗,周興劾瑰與主連謀,皆被殺。

太宗

原文太宗

太宗の二十一女。

原文太宗二十一女。

襄城公主は、蕭銳に降嫁した。性は孝順で睦ましく、行動は矩法に循い、帝は諸公主に命じて師表と見なさせた。有司が別邸を営むことを告げると、辞して言った、「婦が舅姑に事えることは父母の如し、別宮では定省が欠ける」と。故第を修繕するにとどめ、門に双戟を列ねたのみであった。銳が卒すると、更に姜簡に嫁いだ。永徽二年に薨じ、高宗は命婦の朝堂で哀悼の礼を挙げ、工部侍郎丘行淹を駅馬で馳せさせて弔祭させ、昭陵に陪葬した。喪が故城に停まる時、帝は楼に登り、柩を送るために望み哭した。

原文襄城公主,下嫁蕭銳。性孝睦,動循矩法,帝敕諸公主視為師式。有司告營別第,辭曰:“婦事舅姑如父母,異宮則定省闕。”止葺故第,門列雙戟而已。銳卒,更嫁姜簡。永徽二年薨,高宗舉哀於命婦朝堂,遣工部侍郎丘行淹馳驛吊祭,陪葬昭陵。喪次故城,帝登樓望哭以送柩。

汝南公主は、早くに薨じた。

原文汝南公主,蚤薨。

南平公主は、王敬直に降嫁したが、連座して嶺南に斥けられ、更に劉玄意に嫁いだ。

原文南平公主,下嫁王敬直,以累斥嶺南,更嫁劉玄意。

遂安公主は、竇逵に降嫁した。逵が死ぬと、また王大禮に嫁いだ。

原文遂安公主,下嫁竇逵。逵死,又嫁王大禮。

長樂公主は、長孫沖に降嫁した。帝は長孫皇后の生んだ子であるゆえ、有司に命じて装賫(支度)を長公主の例に準じ、かつそれを倍にするよう勅した。魏徵が言うには、「昔、漢の明帝が諸王を封ずるに『朕の子がどうして先帝の子と同じであろうか』と言われました。そうであれば、長公主とは、公主を尊ぶものです。制度には等差があり、どうして越えることができましょうか」。帝がこの言葉を后に告げると、后は言った、「かつて陛下が魏徵を厚く礼遇しておられることは聞いておりましたが、その理由は知りませんでした。今その言葉を聞き、主(長樂公主)を義に納れさせようとなさるのは、社稷の臣でございます。妾は陛下に対し、夫婦の重きありて、何かを言おうとするにも、なお顔色をうかがいます。まして臣下は情隔てられ礼殊なるもの、敢えて厳顔を犯して忠言を陳べるなどできましょうか。どうかお許しになり、天下と公にされたく」。帝は大いに喜び、そこで帛四十匹・銭四十万を請い、ただちに魏徵の家に賜った。

原文長樂公主,下嫁長孫沖。帝以長孫皇后所生,故敕有司裝賫視長公主而倍之。魏徵曰:“昔漢明帝封諸王曰:‘朕子安得同先帝子乎?’然則長公主者,尊公主矣。制有等差,渠可越也?”帝以語后,后曰:“嘗聞陛下厚禮徵而未知也,今聞其言,乃納主於義,社稷臣也。妾於陛下,夫婦之重,有所言,猶候顏色,況臣下情隔禮殊,而敢犯嚴顏陳忠言哉!願許之,與天下為公。”帝大悅,因請賫帛四十匹、錢四十萬即徵家賜之。

豫章公主は、唐義識に降嫁した。

原文豫章公主,下嫁唐義識。

北景公主は、初め巴陵に封ぜられた。柴令武に降嫁し、房遺愛と謀反を企てた罪に連座し、主も同じく賜死された。顕慶年中に追贈され、墓の傍に廟を立て、四時に少牢をもって祭祀した。

原文北景公主,始封巴陵。下嫁柴令武,坐與房遺愛謀反,同主賜死。顯慶中追贈,立廟於墓,四時祭以少牢。

普安公主は、史仁表に降嫁した。

原文普安公主,下嫁史仁表。

東陽公主は、高履行に降嫁した。高宗が即位すると、大長公主に進んだ。韋正矩が誅殺されたとき、主は婚家に連座し、斥けられて集州に徙された。また章懷太子の累に坐し、邑封を奪われた。長孫無忌の舅の一族であったゆえ、武后に憎まれ、垂拱年中、二人の子とともに巫州に徙置された。

原文東陽公主,下嫁高履行。高宗即位,進為大長公主。韋正矩之誅,主坐婚家,斥徙集州。又坐章懷太子累,奪邑封。以長孫無忌舅族也,故武后惡之,垂拱中,並二子徙置巫州。

臨川公主は、韋貴妃の生んだ子である。周道務に降嫁した。主は籀書・隷書に巧みで、文を綴ることができた。高宗が立つと、『孝徳頌』を上り、帝は詔を下して褒め答えた。永徽初め、長公主に進み、恩賞は卓異であった。永淳初めに薨じた。道務は、殿中大監・譙郡公周範の子である。初め、道務が幼い時、功臣の子として宮中で養われた。範が卒すると、邸に戻り、哀毀瘠せて成人のようであった。再び宮中に入れられ、十四歳になってようやく出ることができた。営州都督・検校右驍衛将軍を歴任した。諡して襄という。

原文臨川公主,韋貴妃所生。下嫁周道務。主工籀隸,能屬文。高宗立,上《孝德頌》,帝下詔褒答。永徽初,進長公主,恩賞卓異。永淳初薨。道務,殿中大監、譙郡公範之子。初,道務孺褓時,以功臣子養宮中。範卒,還第,毀瘠如成人。復內之,年十四乃得出。歷營州都督,檢校右驍衛將軍。謚曰襄。

清河公主は名を敬、字あざなを徳賢といい、程懷亮に降嫁し、麟徳の時に薨じ、昭陵に陪葬された。懷亮は、程知節の子であり、寧遠将軍で終わった。

原文清河公主名敬,字德賢,下嫁程懷亮,薨麟德時,陪葬昭陵。懷亮,知節子也,終寧遠將軍。

蘭陵公主は名を淑、字を麗貞といい、竇懷悊に降嫁し、顕慶の時に薨じた。懷悊は官は兗州都督であり、太穆皇后の族子である。

原文蘭陵公主名淑,字麗貞,下嫁竇懷悊,薨顯慶時。懷悊官兗州都督,太穆皇后之族子。

晉安公主は、韋思安に降嫁し、また楊仁輅に嫁いだ。

原文晉安公主,下嫁韋思安,又嫁楊仁輅。

安康公主は、獨孤謀に降嫁した。

原文安康公主,下嫁獨孤謀。

新興公主は、長孫曦に降嫁した。

原文新興公主,下嫁長孫曦。

城陽公主は、杜荷に降嫁し、太子承乾の事に坐して誅殺され、また薛瓘に嫁いだ。初め、主の婚姻に際し、帝が卜わせると、繇(占いの言葉)に言う、「二火皆食い、始めは同じく栄え、末は同じく憂う。昼に婚すれば吉なり」。馬周が諫めて言う、「朝謁は朝をもってし、互いに戒め思うためなり。講習は昼をもってし、互いに成し思うためなり。燕飲は昃(日が西に傾く時)をもってし、互いに歓び思うためなり。婚合は夜をもってし、互いに親しみ思うためなり。故に上下に成すところあり、内うち外そとに親しむところあり、動息には時あり、吉凶には儀あり。今その始めを先ず乱すは、なすべからざるなり。そもそも卜は疑いを決するためのもの、もし礼を黷けがし先(祖)を慢あなどるならば、聖人の用いざるところなり」。帝はやめた。麟徳初め、瓘は左奉宸衛将軍を歴任した。主は巫蠱に坐し、瓘は房州刺史に斥けられ、主はそれに従って任地に赴いた。咸亨年中、主が薨じ瓘も卒し、双柩(二つの棺)は京師に還った。子の薛顗は、河東県侯・済州刺史に封ぜられた。瑯邪王李沖が兵を起こすと、顗は弟の薛紹とともに所部の庸・調をもって兵を募り士を作り、かつこれに応じようとした。沖が敗れると、都吏を殺して口を滅ぼした。事が泄れ、獄に下されともに死んだ。

原文城陽公主,下嫁杜荷,坐太子承乾事誅,又嫁薛瓘。初,主之婚,帝使卜之,繇曰:“二火皆食,始同榮,末同戚,請晝昏則吉。”馬周諫曰:“朝謁以朝,思相戒也;講習以晝,思相成也;燕飲以昃,思相歡也;婚合以夜,思相親也。故上下有成,內外有親,動息有時,吉兇有儀。今先亂其始,不可為也。夫卜所以決疑,若黷禮慢先,聖人所不用。”帝乃止。麟德初,瓘歷左奉宸衛將軍。主坐巫蠱,斥瓘房州刺史,主從之官。咸亨中,主薨而瓘卒,雙柩還京師。子顗,封河東縣侯、濟州刺史。瑯邪王沖起兵,顗與弟紹以所部庸、調作兵募士,且應之。沖敗,殺都吏以滅口。事泄,下獄俱死。

合浦公主は、初め高陽に封ぜられた。房玄齡の子遺愛に降嫁した。主は帝の愛するところであり、ゆえに礼は他の婿と異なった。主は愛されることを恃んで驕った。房遺直は嫡子として銀青光禄大夫に拝されるべきところ、弟の遺愛に譲ろうとしたが、帝は許さなかった。玄齢が卒すると、主は遺愛を導いて財産を分けさせ、やがてかえって遺直を讒した。遺直が自ら訴えると、帝は主を痛く譴責し、やっと免じた。この時より次第に疎遠となり、主は怏怏とした。ちょうど御史が盗みを弾劾し、浮屠(僧)辯機の金宝の神枕を得たが、辯機は自ら主の賜わったものだと言った。初め、浮屠は主の封地に庵を結んでいた。主が遺愛と狩りをする際、これ(辯機)を見て悦び、その庵に帳を設け、これと乱を犯し、代わりに二人の女子を遺愛に従わせ、私に餉(贈り物)すること億を数えた。この時、浮屠は殊死しゅしに処せられ、奴婢十余りが殺された。主はますます怨望し、帝が崩じても哀しみの容色がなかった。また浮屠の智勖は禍福を占い、惠弘は鬼を見ることができ、道士の李晃は医術に優れ、皆ひそかに主に侍った。主は掖廷令の陳玄運に命じて宮省の禨祥(吉凶の兆し)を伺わせ、星の次を歩測させた。永徽年中、遺愛と謀反を企て、賜死された。顕慶の時に追贈された。

原文合浦公主,始封高陽。下嫁房玄齡子遺愛。主,帝所愛,故禮異它婿。主負所愛而驕。房遺直以嫡當拜銀青光祿大夫,讓弟遺愛,帝不許。玄齡卒,主導遺愛異貲,既而反譖之,遺直自言,帝痛讓主,乃免。自是稍疏外,主怏怏。會御史劾盜,得浮屠辯機金寶神枕,自言主所賜。初,浮屠廬主之封地,會主與遺愛獵,見而悅之,具帳其廬,與之亂,更以二女子從遺愛,私餉億計。至是,浮屠殊死,殺奴婢十余。主益望,帝崩無哀容。又浮屠智勖迎占禍福,惠弘能視鬼,道士李晃高醫,皆私侍主。主使掖廷令陳玄運伺宮省禨祥,步星次。永徽中,與遺愛謀反,賜死。顯慶時追贈。

金山公主は、早くに薨じた。

原文金山公主,蚤薨。

晉陽公主は字を明達といい、幼名は兕子、文徳皇后の生んだところである。喜びや怒りの色を見せたことがなかった。帝が怒って責めることがあると、必ず顔色をうかがって徐々に弁解したので、宮中では多くその恩恵を蒙り、誉めて愛さない者はなかった。后が崩じたとき、公主はまだ幼く、母を覚えていなかったが、五歳になって后がかつて遊んだ地を通ると、哀しみに堪えなかった。帝の諸子のうち、ただ晉王と公主が最も幼かったので、親しく養育された。王が宮門を出るたびに、公主は虔化門まで見送り、涙を流して別れた。王が成人して朝廷に列すると、公主は泣いて言った、「兄上は今や群臣と同じ列に並ばれるが、内にいることはできないのでしょうか」。帝もまた涙を流した。公主は帝の飛白書を臨書したが、下の者は見分けがつかなかった。十二歳で薨去した。帝は三十日間も常膳をとらず、日に数十回も悲しみ、そのために痩せ衰えた。群臣が進み慰めると、帝は言った、「朕はどうして悲しみ愛することが無益であるかを知らないことがあろうか。しかしやめることができない、朕もまたその所以を知らないのである」。そこで有司に命じて公主の湯沐邑の余財を調べさせ、墓の側に仏祠を営ませた。

原文晉陽公主字明達,幼字兕子,文德皇后所生。未嘗見喜慍色。帝有所怒責,必伺顏徐徐辯解,故省中多蒙其惠,莫不譽愛。后崩,時主始孩,不之識;及五歲,經后所遊地,哀不自勝。帝諸子,唯晉王及主最少,故親畜之。王每出閤,主送至虔化門;泣而別。王勝衣,班於朝,主泣曰:“兄今與群臣同列,不得在內乎?”帝亦為流涕。主臨帝飛白書,下不能辨。薨年十二。帝閱三旬不常膳,日數十哀,因以臒羸。群臣進勉,帝曰:“朕渠不知悲愛無益?而不能已,我亦不知其所以然。”因詔有司簿主湯沐余貲,營佛祠墓側。

常山公主は、降嫁するに及ばず、顕慶年間に薨じた。

原文常山公主,未及下嫁,薨顯慶時。

新城公主は、晉陽公主の同母妹である。長孫詮に降嫁したが、詮は罪を得て巂州に流された。さらに韋正矩に嫁ぎ、奉冕大夫となったが、公主を礼をもって遇さなかった。まもなく公主は急に薨じた。高宗は三司に命じて雑治させたが、正矩は弁明できず、誅殺された。皇后の礼をもって昭陵の傍らに葬った。

原文新城公主,晉陽母弟也。下嫁長孫詮,詮以罪徙巂州。更嫁韋正矩,為奉冕大夫,遇主不以禮。俄而主暴薨,高宗詔三司雜治,正矩不能辯,伏誅。以皇后禮葬昭陵旁。

高宗

原文高宗

高宗の三女。

原文高宗三女。

義陽公主は、蕭淑妃の生んだところで、権毅に降嫁した。

原文義陽公主,蕭淑妃所生,下嫁權毅。

高安公主は、義陽公主の同母妹である。初め宣城と封ぜられた。潁州刺史王勖に降嫁した。天授年間、勖は武后に誅殺された。神龍初年、長公主に進冊され、実封千戸、開府して官属を置いた。睿宗が立つと、千戸を増封された。開元年間に薨じた。玄宗は暉政門で哭し、大鴻臚に節を持たせて弔問に赴かせ、京兆尹が鴻臚を代行して喪事を護った。

原文高安公主,義陽母弟也。始封宣城。下嫁潁州刺史王勖。天授中,勖為武后所誅。神龍初,進冊長公主,實封千戶,開府置官屬。睿宗立,增戶千。薨開元時,玄宗哭於暉政門,遣大鴻臚持節赴吊,京兆尹攝鴻臚護喪事。

太平公主は、則天皇后の生んだところで、后は諸女を差し置いてこれを愛した。栄国夫人が死ぬと、后は公主のために道士と為すことを請い、冥福を祈らせた。儀鳳年間、吐蕃とばんが公主の降嫁を請うたが、后はこれを夷狄に与えることを欲せず、そこで本当に宮を築き、方士の薰戒のようにして、和親の事を拒んだ。久しくして、公主は紫袍に玉帯、折上巾を着け、紛礪を具え、帝の前で歌舞した。帝と后は大笑して言った、「児は武官ではないのに、どうして急にそのような姿をしたのか」。公主は言った、「駙馬に賜うことはできますか」。帝はその意を知り、薛紹を選んで尚わせた。万年県を仮に婚館とし、門が狭くて翟車を通すことができなかったので、有司は垣を壊して入り、興安門から松明を連ねて道に設け、道の木は枯れた。紹が死ぬと、さらに武承嗣に嫁ごうとしたが、たまたま承嗣が小病にかかったので、婚姻は取りやめになった。后は武攸暨の妻を殺し、公主に配した。公主は額が広く頬が豊かで、陰謀多く、后は常に「我に似ている」と言った。そして公主は内では謀議ぼうぎに与かり、外では謹み畏れて、則天の後世まで他に非難されることはなかった。

原文太平公主,則天皇后所生,后愛之傾諸女。榮國夫人死,后丐主為道士,以幸冥福。儀鳳中,吐蕃請主下嫁,后不欲棄之夷,乃真築宮,如方士薰戒,以拒和親事。久之,主衣紫袍玉帶,折上巾,具紛礪,歌舞帝前。帝及后大笑曰:“兒不為武官,何遽爾?”主曰:“以賜駙馬可乎?”帝識其意,擇薛紹尚之。假萬年縣為婚館,門隘不能容翟車,有司毀垣以入,自興安門設燎相屬,道樾為枯。紹死,更嫁武承嗣,會承嗣小疾,罷昏。后殺武攸暨妻,以配主。主方額廣頤,多陰謀,后常謂“類我”。而主內與謀,外檢畏,終後世無它訾。

永淳以前は、親王の食実封は八百戸で、千戸に増えればそこで止まった。公主は三百戸を超えず、ただ公主のみ五十戸を加増された。聖暦の時に至り、三千戸に進んだ。二張誅殺の功に与り、鎮国の号を加えられ、相王と均しく五千戸に封ぜられ、薛・武二家の女も皆実封を食んだ。公主は相王・衛王・成王、長寧・安楽二公主とともに衛士を与えられ、邸宅を十歩ごとに一区画ずつ衛士が環し、兵を持って警護し、宮省に僣上した。神龍の時、長寧・安楽・宜城・新都・定安・金城の七公主とともに、皆開府して官属を置き、親王に準じた。安楽は戸数三千に至り、長寧は二千五百で、府には長史を置かなかった。宜城・定安は韋后の生んだところではないので、戸数は二千で止まった。公主の三子、崇簡・崇敏・崇行は、皆三品に拝された。

原文永淳之前,親王食實戶八百,增至千輒止;公主不過三百,而主獨加戶五十。及聖歷時,進及三千戶。預誅二張功,增號鎮國,與相王均封五千,而薛、武二家女皆食實封。主與相王衛王成王、長寧安樂二公主給衛士,環第十步一區,持兵呵衛,僣肖宮省。神龍時,與長寧、安樂、宜城、新都、定安、金城凡七公主,皆開府置官屬,視親王。安樂戶至三千,長寧二千五百,府不置長史。宜城、定安非韋后所生,戶止二千。主三子:崇簡、崇敏、崇行,皆拜三品。

韋后と上官昭容が権力を握り、自ら謀略が公主よりはるかに劣ると知り、これを畏れた。公主もまた自ら軋轢を生じさせて勝てると考えたので、ますます横暴になった。そこで天下の士を推挙進用し、儒者は多く貧しく狭量であると言って、厚く金帛を持たせて謝礼とし、大議を動かし、遠近これに呼応した。玄宗が韋氏を誅殺しようとしたとき、公主は密計に与かり、子の崇簡を従わせた。事が定まり、相王を立てようとしたが、その端緒を発する者がいなかった。公主は温王がまさに子供であるのを見て、これを脅して功とすることができると考え、そこで入って王に会い言った、「天下の事は相王に帰する、これは児の座すところではない」。そこで王を掖き下ろし、乗輿の服を取って睿宗に進めた。睿宗が即位すると、公主の権勢はこれによって天下を震わせ、実封は一万戸に加えられ、三子は王に封ぜられ、その他は皆祭酒・九卿となった。公主が奏事するたびに、漏刻が数回移ってようやく退くことができ、言うことは全て従われた。論薦する者がいると、あるいは寒微・冗官から侍従に躍進し、たちまち将相となった。朝廷の大政事は、公主に関わって決しなければ下されず、朝参しないと聞けば、宰相が邸に赴いて諮問判決し、天子はほとんど画可するのみであった。公主は武后に長く仕え、人主の微意を策するのに巧みで、事に先立って迎合し、当たらないことはなかった。田園は近郊に遍く、皆上等の肥沃な地である。呉・蜀・嶺嶠で器物を作らせて市し、州県が護送し、道に相望んだ。天下の珍味奇物が家に充ち、供帳・声伎は天子と等しかった。侍女で紈谷を曳く者は数百、奴僕・伯・嫗・監は千人、隴右の牧馬は一万匹に至った。長安の浮屠慧範は財貨千万を蓄え、権近と諧結し、もと張易之と親しかった。易之が誅殺されたとき、ある者はその謀議に与ったと言い、そこで上庸郡公に封ぜられ、月に俸稍を給された。公主の乳母と通じ、奏上して三品御史大夫に抜擢させた。御史魏伝弓がその奸贓四十万を弾劾し、死罪に論ずることを請うた。中宗はこれを赦そうとしたが、公主は進み言った、「刑賞は国の大事である。陛下は賞をすでに妄りに加えられた、また刑を廃そうとされる、天下は何と言うでしょうか」。帝は已むを得ず、銀青光禄大夫の階を削った。大夫薛謙光が慧範の不法を弾劾し、赦すべからずと上奏したが、公主がこれを申し立てたので、謙光らはかえって罪を得た。

原文韋后、上官昭容用事,自以謀出主下遠甚,憚之。主亦自以軋而可勝,故益橫。於是推進天下士,謂儒者多窶狹,厚持金帛謝之,以動大議,遠近翕然響之。玄宗將誅韋氏,主與秘計,遣子崇簡從。事定,將立相王,未有以發其端者。主顧溫王乃兒子,可劫以為功,乃入見王曰:“天下事歸相王,此非兒所坐。”乃掖王下,取乘輿服進睿宗。睿宗即位,主權由此震天下,加實封至萬戶,三子封王,余皆祭酒、九卿。主每奏事,漏數徙乃得退,所言皆從。有所論薦,或自寒冗躐進至侍從,旋踵將相。朝廷大政事非關決不下,聞不朝,則宰相就第咨判,天子殆畫可而已。主侍武后久,善策人主微指,先事逢合,無不中。田園遍近甸,皆上腴。吳、蜀、嶺嶠市作器用,州縣護送,道相望也。天下珍滋譎怪充於家,供帳聲伎與天子等。侍兒曳紈谷者數百,奴伯嫗監千人,隴右牧馬至萬匹。長安浮屠慧範畜貲千萬,諧結權近,本善張易之。及易之誅,或言其豫謀者,於是封上庸郡公,月給奉稍。主乳媼與通,奏擢三品御史大夫。御史魏傳弓劾其奸贓四十萬,請論死。中宗欲赦之,進曰:“刑賞,國大事,陛下賞已妄加矣,又欲廢刑,天下其謂何?”帝不得已,削銀青階。大夫薛謙光劾慧範不法,不可貸,主為申理,故謙光等反得罪。

玄宗が太子として国を監したとき、宋王・岐王に禁兵を総領させた。公主は権力が分かれるのを憤り、輦に乗って光範門に至り、宰相を召して太子を廃することを訴えた。そこで宋璟・姚元之が喜ばず、公主を東都に出させることを請うたが、帝は許さず、詔して公主を蒲州に居住させた。公主は大いに恨み、太子は恐れ、璟・元之を斥けて怨みの嫌疑を消し止めるよう奏上した。監察御史慕容珣がまた慧範の事を弾劾したので、帝は珣が骨肉を離間していると疑い、密州司馬に貶した。公主が外に居ること四月、太子が上表して京師に追還させた。

原文玄宗以太子監國,使宋王、岐王總禁兵。主恚權分,乘輦至光範門,召宰相白廢太子。於是宋璟、姚元之不悅,請出主東都,帝不許,詔主居蒲州。主大望,太子懼,奏斥璟、元之以銷戢怨嫌。監察御史慕容珣復劾慧範事,帝疑珣離間骨肉,貶密州司馬。主居外四月,太子表追還京師。

時に宰相七人あり、五人は主の門下より出づ。また左羽林大将軍常元楷、知羽林軍李慈は皆ひそかに主を謁す。主は内に太子の明を忌み、また宰相皆その党なり、乃ち逆謀有り。先天二年、尚書左僕射竇懷貞、侍中岑羲、中書令蕭至忠崔湜、太子少保薛稷、雍州長史李晉、右散騎常侍昭文館学士賈膺福、鴻臚卿唐晙及び元楷、慈、慧範等と謀りて太子を廃せんとし、元楷・慈に羽林兵を挙げて武徳殿に入り太子を殺さしめ、懷貞・羲・至忠に兵を挙げて南衙にて応ぜしめんとす。既に日有り、太子其の奸を得て、岐王・薛王・兵部尚書郭元振・将軍王毛仲・殿中少監姜晈・中書侍郎王琚・吏部侍郎崔日用を召して策を定む。前一日、毛仲に因りて内閑の馬三百を取らしめ、太僕少卿李令問王守一・内侍高力士・果毅李守徳を率いて虔化門を叩き、元楷・慈を北闕か下に梟し、膺福を内客省に縛し、羲・至忠を執へて朝堂に至り、之を斬る。因りて天下に大赦す。主変を聞き、南山に亡入り、三日出でず、第にて死を賜ふ。諸子及び党与死する者数十人。其の田貲を簿し、瑰宝山の若く、子貸を督し、凡そ三年にして尽くす能はず。崇簡素より主の謀を知り、苦諫す。主怒り、榜掠して尤も楚し、是に至り復た官爵を賜ひ、氏を李と賜ふ。初め、主観池を楽遊原に作し、以て盛集と為す。既に敗れ、寧・申・岐・薛の四王に賜ふ。都人は歳に祓禊を其の地にす。

原文時宰相七人,五出主門下。又左羽林大將軍常元楷、知羽林軍李慈皆私謁主。主內忌太子明,又宰相皆其黨,乃有逆謀。先天二年,與尚書左僕射竇懷貞、侍中岑羲、中書令蕭至忠崔湜、太子少保薛稷、雍州長史李晉、右散騎常侍昭文館學士賈膺福、鴻臚卿唐晙及元楷、慈、慧範等謀廢太子,使元楷、慈舉羽林兵入武德殿殺太子,懷貞、羲、至忠舉兵南衙為應。既有日矣,太子得其奸,召岐王、薛王、兵部尚書郭元振、將軍王毛仲、殿中少監姜晈、中書侍郎王琚、吏部侍郎崔日用定策。前一日,因毛仲取內閑馬三百,率太仆少卿李令問王守一、內侍高力士、果毅李守德叩虔化門,梟元楷、慈於北闕下,縛膺福內客省,執羲、至忠至朝堂,斬之,因大赦天下。主聞變,亡入南山,三日不出,賜死於第。諸子及黨與死者數十人。簿其田貲,瑰寶若山,督子貸,凡三年不能盡。崇簡素知主謀,苦諫,主怒,榜掠尤楚,至是復官爵,賜氏李。始,主作觀池樂遊原,以為盛集,既敗,賜寧、申、岐、薛四王,都人歲祓禊其地。

中宗

原文中宗

中宗八女

原文中宗八女。

新都公主、武延暉に下嫁す。

原文新都公主,下嫁武延暉。

宜城公主、初め義安郡主に封ぜらる。裴巽に下嫁す。巽に寵愛する妾有り、主恚り、耳を刖ぎ鼻を劓ぎ、且つ巽の髪を断つ。帝怒り、斥して県主と為し、巽は左遷せらる。久しくして、故の封に復す。神龍元年、長寧・新寧・義安・安楽・新平の五郡主と皆進みて封ぜらる。

原文宜城公主,始封義安郡主。下嫁裴巽。巽有嬖姝,主恚,刖耳劓鼻,且斷巽發。帝怒,斥為縣主,巽左遷。久之,復故封。神龍元年,與長寧、新寧、義安、安樂、新平五郡主皆進封。

定安公主、初め新寧郡に封ぜらる。王同皎に下嫁す。同皎罪を得、神龍の時、又韋濯に嫁す。濯は即ち韋皇后の従祖弟、衛尉少卿を以て誅せらる。更に太府卿崔銑に嫁す。主薨ず。王同皎の子、父と合葬せんことを請ふ。給事中夏侯銛曰く「主の義は王廟を絶ち、恩は崔室を成す。逝く者知有らば、同皎将に諸泉に拒まん」と。銑或いは帝に訴ふ、乃ち止む。銛是に坐して瀘州都督に貶せらる。

原文定安公主,始封新寧郡。下嫁王同皎。同皎得罪,神龍時,又嫁韋濯。濯即韋皇后從祖弟,以衛尉少卿誅,更嫁太府卿崔銑。主薨,王同皎子請與父合葬,給事中夏侯銛曰:“主義絕王廟,恩成崔室,逝者有知,同皎將拒諸泉。”銑或訴於帝,乃止。銛坐是貶瀘州都督。

長寧公主、韋庶人の生む所、楊慎交に下嫁す。第を東都に造り、楊務廉をして総べて営ましむ。第成りて、府財幾くんぞ竭きんとす。乃ち務廉を擢て将作大匠と為す。又西京の高士廉の第・左金吾衛の故営を取って合せて宅と為し、右は都城に属し、左は大道に頫し、三重の楼を作して以て観に馮り、山を築き池を浚ふ。帝及び后数たび臨幸し、酒を置き詩を賦す。又坊西の隙地を併せて鞠場を広む。東都永昌県を廃す。主其の治を丐ひて府と為し、地洛に瀕するを以て、之に鄣を築き、崇臺・蜚観相聯属す。慮る無く費す二十万。魏王泰の故第、東西一坊を尽くし、瀦沼三百畝、泰薨じ、以て民に与ふ。是に至り、主丐ひて之を得、亭閣華詭にして西京に捋る。内に母愛に倚り、寵一朝に傾き、安楽・宜城の二主、後<王胃>郕国崇国夫人と事に任ずるを争ひ、賕謁紛紜たり。東都の第成りて、居るに及ばず、韋氏敗る。慎交を斥して絳州別駕と為し、主偕に往く。乃ち東都の第を以て景雲祠と為さんことを請ひ、而して西京の第を鬻ぎ、木石の直を評し、銭二十億万と為す。開元十六年、慎交死す。主更に蘇彦伯に嫁す。務廉卒に贓数十万に坐し、終身を廃せらる。

原文長寧公主,韋庶人所生,下嫁楊慎交。造第東都,使楊務廉營總。第成,府財幾竭,乃擢務廉將作大匠。又取西京高士廉第、左金吾衛故營合為宅,右屬都城,左頫大道,作三重樓以馮觀,築山浚池。帝及后數臨幸,置酒賦詩。又並坊西隙地廣鞠場。東都廢永昌縣,主丐其治為府,以地瀕洛,築鄣之,崇臺、蜚觀相聯屬。無慮費二十萬。魏王泰故第,東西盡一坊,瀦沼三百畝,泰薨,以與民。至是,主丐得之,亭閣華詭捋西京。內倚母愛,寵傾一朝,與安樂宜城二主、後郕國崇國夫人爭任事,賕謁紛紜。東都第成,不及居,韋氏敗,斥慎交絳州別駕,主偕往,乃請以東都第為景雲祠,而西京鬻第,評木石直,為錢二十億萬。開元十六年,慎交死,主更嫁蘇彥伯。務廉卒坐贓數十萬,廢終身。

永寿公主、韋鐬に下嫁す。早く薨ず。長安初め追贈せらる。

原文永壽公主,下嫁韋鐬。蚤薨,長安初追贈。

永泰公主、郡主を以て武延基に下嫁す。大足中、張易之に忤ひ、武后の為に殺さる。帝追贈し、礼を以て改葬し、墓を号して陵と為す。

原文永泰公主,以郡主下嫁武延基。大足中,忤張易之,為武后所殺。帝追贈,以禮改葬,號墓為陵。

安楽公主、最も幼き女。帝房陵に遷りて主生まる。衣を解きて以て之を褓す。名づけて裹児と曰ふ。姝秀弁敏、后特に之を愛す。武崇訓に下嫁す。帝位に復し、光艷天下を動かし、侯王柄臣多く其の門より出づ。嘗て詔を作り、其の前を箝し、帝に署可を請ふ。帝笑ひて之に従ふ。又皇太女と為らんことを請ふ。左僕射魏元忠諫めて不可とす。主曰く「元忠は山東の木強、烏ぞ国事を論ずるに足らん。阿武子尚ほ天子と為る。天子の女に不可有らんや」と。太平ら七公主と皆開府し、而して主の府官属尤も濫り、皆屠販より出で、訾を納れ官を售り、墨敕を降し斜封して之を授く。故に「斜封官」と号す。主第及び安楽仏廬を営み、皆宮省を憲写し、而して工緻之に過ぐ。嘗て昆明池を請ひて私沼と為さんとす。帝曰く「先帝未だ以て人に与ふる者有らず」と。主悦ばず、自ら定昆池を鑿ち、延袤数里。定は、抗訂す可きを言ふなり。司農卿趙履温為に繕治し、石を累ねて華山に肖り、隥彴横邪に、回淵九折し、石を以て水を瀵す。又宝炉を為し、怪獣神禽を鏤み、璖貝珊瑚を間はし、涯計す可からず。崇訓死す。主素より武延秀と乱る。即ち之に嫁す。是の日、后の車輅を仮り、宮より自ら第に送る。帝と后と安福門に禦して臨観し、詔して雍州長史竇懷貞を礼会使と為し、弘文学士を儐と為し、相王車を障ぎ、金帛を捐賜して貲せず。翌日、群臣を太極殿に大会す。主翠服を被りて出で、天子に向ひ再拝し、南面して公卿を拝す。公卿皆地に伏し稽首す。武攸暨と太平公主と偶舞して帝寿を為す。群臣に帛数十万を賜ふ。帝承天門に禦し、大赦し、因りて民に酺三日を賜ひ、内外官に勲を賜ひ、礼に縁る官属に階・爵を兼ぬ。臨川長公主の宅を奪ひて以て第と為し、旁ら民廬を徹す。怨声囂然たり。第成りて、禁蔵空しく殫く。万騎の仗・内音楽を仮りて主を送りて第に還らしむ。天子親しく幸し、近臣を宴す。崇訓の子方に数歳、太常卿を拝し、鎬国公に封ぜられ、実封戸五百。公主満孺月、帝・后復た第に幸し、天下に大赦す。時に主と長寧・定安の三家、廝臺をして民の子女を掠めて奴婢と為さしむ。左台侍御史袁従一之を縛して獄に送る。主入り訴ふ。帝為に手詔して免するを諭す。従一曰く「陛下主の訴を納れ、奴騶を縦して平民を掠めしむ。何を以て天下を治めん。臣奴を放てば則ち禍を免れ、奴を劾すれば則ち主に罪を得るを知る。然れども陛下の法を屈し、自ら生を偸むるを忍びず」と。納れず。臨淄王庶人を誅す。主方に鏡を覧みて眉を作る。乱を聞き、走りて右延明門に至る。兵及び、其の首を斬る。追貶して「悖逆庶人」と為す。睿宗即位し、詔して二品の礼を以て之を葬らしむ。趙履温諂ひて主に事へ、嘗て朝服を褫ぎ、項を以て車を挽く。庶人死し、蹈舞して承天門に万歳を呼ぶ。臨淄王之を斬る。父子同じく刑せらる。百姓其の役を興すを疾み、肉を割き取り去る。

原文安樂公主,最幼女。帝遷房陵而主生,解衣以褓之,名曰裹兒。姝秀辯敏,后尤愛之。下嫁武崇訓。帝復位,光艷動天下,侯王柄臣多出其門。嘗作詔,箝其前,請帝署可,帝笑從之。又請為皇太女,左僕射魏元忠諫不可,主曰:“元忠,山東木強,烏足論國事?阿武子尚為天子,天子女有不可乎?”與太平等七公主皆開府,而主府官屬尤濫,皆出屠販,納訾售官,降墨敕斜封授之,故號“斜封官”。主營第及安樂佛廬,皆憲寫宮省,而工緻過之。嘗請昆明池為私沼,帝曰:“先帝未有以與人者。”主不悅,自鑿定昆池,延袤數里。定,言可抗訂之也。司農卿趙履溫為繕治,累石肖華山,隥彴橫邪,回淵九折,以石瀵水。又為寶爐,鏤怪獸神禽,間以璖貝珊瑚,不可涯計。崇訓死,主素與武延秀亂,即嫁之。是日,假后車輅,自宮送至第,帝與后為禦安福門臨觀,詔雍州長史竇懷貞為禮會使,弘文學士為儐,相王障車,捐賜金帛不貲。翌日,大會群臣太極殿,主被翠服出,向天子再拜,南面拜公卿,公卿皆伏地稽首。武攸暨與太平公主偶舞為帝壽。賜群臣帛數十萬。帝禦承天門,大赦,因賜民酺三日,內外官賜勛,緣禮官屬兼階、爵。奪臨川長公主宅以為第,旁徹民廬,怨聲囂然。第成,禁藏空殫,假萬騎仗、內音樂送主還第,天子親幸,宴近臣。崇訓子方數歲,拜太常卿,封鎬國公,實封戶五百。公主滿孺月,帝、后復幸第,大赦天下。時主與長寧、定安三家廝臺掠民子女為奴婢,左臺侍御史袁從一縛送獄,主入訴,帝為手詔喻免。從一曰:“陛下納主訴,縱奴騶掠平民,何以治天下?臣知放奴則免禍,劾奴則得罪於主,然不忍屈陛下法,自偷生也。”不納。臨淄王誅庶人,主方覽鏡作眉,聞亂,走至右延明門,兵及,斬其首。追貶為“悖逆庶人”。睿宗即位,詔以二品禮葬之。趙履溫諂事主,嘗褫朝服,以項挽車。庶人死,蹈舞承天門呼萬歲,臨淄王斬之,父子同刑。百姓疾其興役,割取肉去。

成安公主、字は季姜。初め新平に封ぜらる。韋捷に下嫁す。捷は韋后の従子を以て誅せらる。主後ち薨ず。

原文成安公主,字季姜。始封新平。下嫁韋捷。捷以韋后從子誅,主後薨。

睿宗

原文睿宗

睿宗十一女

原文睿宗十一女。

寿昌公主、崔真に下嫁す。

原文壽昌公主,下嫁崔真。

安興昭懐公主、早く薨ず。

原文安興昭懷公主,蚤薨。

荊山公主は、薛伯陽に降嫁した。

原文荊山公主,下嫁薛伯陽。

淮陽公主は、王承慶に降嫁した。

原文淮陽公主,下嫁王承慶。

代國公主は名を華、字を華婉といい、劉皇后の生みし所なり。鄭萬鈞に降嫁した。

原文代國公主名華,字華婉,劉皇后所生。下嫁鄭萬鈞。

涼國公主は字を華莊といい、初め仙源と封ぜらる。薛伯陽に降嫁した。

原文涼國公主字華莊,始封仙源。下嫁薛伯陽。

薛國公主は、初め清陽と封ぜらる。王守一に降嫁す。守一誅せられし後、更に裴巽に嫁す。

原文薛國公主,始封清陽。下嫁王守一。守一誅,更嫁裴巽。

鄎國公主は、崔貴妃の生みし所なり。三歳にして妃薨じ、三日間泣きて食わず、成人の如し。初め荊山と封ぜらる。薛儆に降嫁し、また鄭孝義に嫁す。開元初年、封邑千四百戸に至る。

原文鄎國公主,崔貴妃所生。三歲而妃薨,哭泣不食三日,如成人。始封荊山。下嫁薛儆,又嫁鄭孝義。開元初,封邑至千四百戶。

金仙公主は、初め西城縣主と封ぜらる。景雲初年に進封さる。太極元年、玉真公主とともに道士となり、京師に観を築き、また方士史崇玄を師とす。崇玄は元来寒人にして、太平公主に事え、禁中に出入するを得、鴻臚卿に拝され、聲勢光重なり。観の造営始まるや、詔して崇玄に作事を護らしむ、日ごとに萬人を動員す。群浮屠これに疾み、銭数十萬を以て狂人段謙を賂い、承天門に冒入せしめ、太極殿に昇り、自ら天子と称せしむ。有司これを執るに、辞して曰く「崇玄我を使わしむ」と。詔して嶺南に流し、かつ浮屠・方士に両競なからしむるを敕す。太平敗れ、崇玄誅せらる。

原文金仙公主,始封西城縣主。景雲初進封。太極元年,與玉真公主皆為道士,築觀京師,又方士史崇玄為師。崇玄本寒人,事太平公主,得出入禁中,拜鴻臚卿,聲勢光重。觀始興,詔崇玄護作,日萬人。群浮屠疾之,以錢數十萬賂狂人段謙冒入承天門,升太極殿,自稱天子。有司執之,辭曰:“崇玄使我來。”詔流嶺南,且敕浮屠、方士無兩競。太平敗,崇玄伏誅。

玉真公主は字を持盈といい、初め崇昌縣主と封ぜらる。俄かに上清玄都大洞三景師の号を進めらる。天寶三載、上言して曰く「先帝妾が家を捨つるを許したまえり。今なお叨りに主第を主ち、租賦を食む。誠に願わくは公主の号を去り、邑司を罷め、之を王府に帰さん」と。玄宗許さず。また言う「妾は高宗の孫、睿宗の女、陛下の女弟なり。天下に於いて賤しからず。何ぞ必ずしも名を主号に系ぎ、湯沐を資し、然る後に貴しと為さんや。請う、数百家の産に入り、十年の命を延べん」と。帝その至意を知り、乃ちこれを許す。寶應の時に薨ず。

原文玉真公主字持盈,始封崇昌縣主。俄進號上清玄都大洞三景師。天寶三載,上言曰:“先帝許妾舍家,今仍叨主第,食租賦,誠願去公主號,罷邑司,歸之王府。”玄宗不許。又言:“妾,高宗之孫,睿宗之女,陛下之女弟,於天下不為賤,何必名系主號、資湯沐,然後為貴、?請入數百家之產,延十年之命。”帝知至意,乃許之。薨寶應時。

霍國公主は、裴虛己に降嫁した。

原文霍國公主,下嫁裴虛己。

玄宗

原文玄宗

玄宗二十九女。

原文玄宗二十九女。

永穆公主は、王繇に降嫁した。

原文永穆公主,下嫁王繇。

常芬公主は、張去奢に降嫁した。

原文常芬公主,下嫁張去奢。

孝昌公主は、早くに薨ず。

原文孝昌公主,蚤薨。

唐昌公主は、薛銹に降嫁した。

原文唐昌公主,下嫁薛銹。

霊昌公主は早くに薨去した。

原文靈昌公主,蚤薨。

常山公主は薛譚に降嫁し、後に竇澤に再嫁した。

原文常山公主,下嫁薛譚,又嫁竇澤。

萬安公主は天寶の時に道士となった。

原文萬安公主,天寶時為道士。

開元の新制によれば、長公主は封戸二千、皇帝の妹は戸千とし、おおよそ三丁を限度とする。皇子の王は戸二千、公主はその半分である。左右の者がこれを薄いと考えると、帝は言った、「百姓の租賦は我が有する所にあらず、士卒は万死を出でて、賞は束帛を過ぎず、女子は何の功あって多く戸を享けんや。倹嗇を知らしめることは、また良からずや」と。ここにおいて、公主の受ける所は殆ど車服を給するに足らず。後に咸宜公主は母の寵愛により封を増して千戸に至り、諸公主も皆増加され、これより令として定着した。公主が降嫁しない場合も、千戸を封じ、官司は奴婢を令の如く給する。

原文開元新制:長公主封戶二千,帝妹戶千,率以三丁為限;皇子王戶二千,主半之。左右以為薄。帝曰:“百姓租賦非我有,士出萬死,賞不過束帛,女何功而享多戶邪?使知儉嗇,不亦可乎?”於是,公主所稟殆不給車服。後咸宜以母愛益封至千戶,諸主皆增,自是著於令。主不下嫁,亦封千戶,有司給奴婢如令。

上仙公主は早くに薨去した。

原文上仙公主,蚤薨。

懐思公主は早くに薨去し、墓に台を築き、登真と号した。

原文懷思公主,蚤薨,葬築臺,號登真。

晉國公主は初め高都に封ぜられた。崔惠童に降嫁した。貞元元年、衛・楚・宋・齊・宿・蕭・鄧・紀・郜国の九公主とともに封を改めた。

原文晉國公主,始封高都。下嫁崔惠童。貞元元年,與衛、楚、宋、齊、宿、蕭、鄧、紀、郜國九公主同徙封。

新昌公主は蕭衡に降嫁した。

原文新昌公主,下嫁蕭衡。

臨晉公主は皇甫淑妃の生みし所なり。郭潛曜に降嫁した。大暦の時に薨去した。

原文臨晉公主,皇甫淑妃所生。下嫁郭潛曜。薨大歷時。

衛國公主は初め建平に封ぜられた。豆盧建に降嫁し、後に楊説に再嫁した。貞元の時に薨去した。

原文衛國公主,始封建平。下嫁豆盧建,又嫁楊說。薨貞元時。

真陽公主は源清に降嫁し、後に蘇震に再嫁した。

原文真陽公主,下嫁源清,又嫁蘇震。

信成公主は獨孤明に降嫁した。

原文信成公主,下嫁獨孤明。

楚國公主は初め壽春に封ぜられた。呉澄江に降嫁した。上皇が西宮に居られた時、ただこの公主のみが入侍することを得た。興元元年、

原文楚國公主,始封壽春。下嫁吳澄江。上皇居西宮,獨主得入侍。興元元年,

道士となることを請うた。詔してこれを許し、上善の名を賜うた。

原文請為道士,詔可,賜名上善。

普康公主は早くに薨去した。咸通九年に追封された。

原文普康公主,蚤薨。咸通九年追封。

昌樂公主は、高才人の生みしところなり。竇鍔に降嫁す。大暦の時に薨ず。

原文昌樂公主,高才人所生。下嫁竇鍔。薨大歷時。

永寧公主は、裴齊丘に降嫁す。

原文永寧公主,下嫁裴齊丘。

宋國公主は、初め平昌と封ぜらる。溫西華に降嫁し、また楊徽に嫁す。元和の時に薨ず。

原文宋國公主,始封平昌。下嫁溫西華,又嫁楊徽。薨元和時。

齊國公主は、初め興信と封ぜられ、寧親に徙封さる。張垍に降嫁し、また裴潁に嫁し、末に楊敷に嫁す。貞元の時に薨ず。

原文齊國公主,始封興信,徙封寧親。下嫁張垍,又嫁裴潁,末嫁楊敷。薨貞元時。

鹹直公主は、貞順皇后の生みしところなり。楊洄に降嫁し、また崔嵩に嫁す。興元の時に薨ず。

原文鹹直公主,貞順皇后所生。下嫁楊洄,又嫁崔嵩。薨興元時。

宜春公主は、早くに薨ず。

原文宜春公主,蚤薨。

廣寧公主は、董芳儀の生みしところなり。程昌胤に降嫁し、また蘇克貞に嫁す。大暦の時に薨ず。

原文廣寧公主,董芳儀所生。下嫁程昌胤,又嫁蘇克貞。薨大歷時。

萬春公主は、杜美人の生みしところなり。楊朏に降嫁し、また楊锜に嫁す。大暦の時に薨ず。

原文萬春公主,杜美人所生。下嫁楊朏,又嫁楊锜。薨大歷時。

太華公主は、貞順皇后の生みしところなり。楊锜に降嫁す。天寶の時に薨ず。

原文太華公主,貞順皇后所生。下嫁楊锜。薨天寶時。

壽光公主は、郭液に降嫁す。

原文壽光公主,下嫁郭液。

樂城公主は、薛履謙に降嫁す。嗣ぎし岐王珍の事に坐して誅さる。

原文樂城公主,下嫁薛履謙,坐嗣岐王珍事誅。

新平公主は、常才人の生みしところなり。幼くして智敏にして、圖訓を習ひ知り、帝賢とす。裴玪に降嫁し、また姜慶初に嫁す。慶初罪を得て、主は禁中に幽せらる。大暦の時に薨ず。

原文新平公主,常才人所生。幼智敏,習知圖訓,帝賢之。下嫁裴玪,又嫁姜慶初。慶初得罪,主幽禁中。薨大歷時。

壽安公主は、曹野那姬の生みしところなり。孕むこと九月にして育つ。帝これを悪み、詔して羽人の服を衣せしむ。代宗、廣平王として入謁するに及び、帝、主を字して呼びて曰く、「蟲娘、汝後ち名王とともに霊州に在りて封を請うべし」と。蘇發に降嫁す。

原文壽安公主,曹野那姬所生。孕九月而育,帝惡之,詔衣羽人服。代宗以廣平王入謁,帝字呼主曰:“蟲娘,汝後可與名王在靈州請封。”下嫁蘇發。

肅宗

原文肅宗

肅宗七女。

原文肅宗七女。

宿國公主は、初め長樂公主に封ぜられた。豆盧湛に降嫁した。

原文宿國公主,始封長樂。下嫁豆盧湛。

蕭國公主は、初め寧國公主に封ぜられた。鄭巽に降嫁し、また薛康衡に嫁した。乾元元年、回紇かいこつの英武威遠可汗に降嫁し、ここに公主府を置いた。二年、朝廷に還った。貞元年中、府属を譲り、改めて邑司を置いた。

原文蕭國公主,始封寧國。下嫁鄭巽,又嫁薛康衡。乾元元年,降回紇英武威遠可汗,乃置府。二年,還朝。貞元中,讓府屬,更置邑司。

和政公主は、章敬太后の生んだところである。生後三歳にして后が崩じ、韋妃に養育された。性質は聡明で、韋妃に仕えて孝行の称があった。柳潭に降嫁した。安祿山が京師を陥落させたとき、寧國公主がちょうど寡居していたので、主は三子を棄て、潭の馬を奪って寧國を載せ、自らは潭とともに徒歩し、一日に百里を行き、潭は自ら水と薪を汲み、主は弓を射て炊事をし、もって寧國に奉じた。初め、潭の兄澄の妻は、楊貴妃の姉であり、勢威は朝廷を傾けるほどであったが、公主はかつて私事を干渉しなかった。その死後、その子を撫育すること己が子の如くした。玄宗に従って蜀に至り、初めて封ぜられ、潭を駙馬都尉に遷した。郭千仞が反逆したとき、玄宗は玄英樓に臨んで降伏を諭したが、聞き入れなかった。潭は折衝張義童らを率いて決死の戦いをし、主は弓を引きしぼって潭に授け、潭は手ずから賊五十級を斬り、これを平定した。肅宗が病むと、主は左右に侍して勤労し、詔して田を賜わろうとしたが、妹の寶章公主には未だ賜わるところがないとして、固く辞して敢えて受けなかった。阿布思の妻が掖廷に隷属していたが、帝が宴するとき、緑衣を着せて倡優とさせた。主は諫めて言うには、「布思は確かに逆人ですが、その妻を至尊の近くに置くことはできません。無罪であるならば、群倡とともに処することはできません」と。帝はこれを免じて出した。兵乱が起こって以来、財用は消耗し、主は貿易によって千万の利を得て軍に供給した。帝の山陵のとき、また邑入千万を進めた。代宗が初めて即位すると、しばしば民間の利害、国家の盛衰の事を陳べ、天子はこれを納れた。吐蕃が京師を犯すと、主は南奔して避難し、商於に宿ったとき、群盗に遇ったが、主が禍福を諭すと、皆額を地にすりつけて奴となることを願った。代宗は主が貧しいとして、諸節度に供給を命じたが、主は一つも取らなかった。自ら衣を縫い繕い、諸子に紈絺を着せなかった。廣德のとき、吐蕃が再び寇してきたが、主はちょうど妊娠しており、備辺の計を奏上しようとして内殿に入ろうとした。潭が固く止めたが、主は言うには、「君に兄はおられないのか」と。内殿に入って謁見した。翌日、出産して薨じた。

原文和政公主,章敬太后所生。生三歲,后崩,養於韋妃。性敏惠,事妃有孝稱。下嫁柳潭。安祿山陷京師,寧國公主方嫠居,主棄三子,奪潭馬以載寧國,身與潭步,日百里,潭躬水薪,主射爨,以奉寧國。初,潭兄澄之妻,楊貴妃姊也,勢幸傾朝,公主未嘗幹以私;及死,撫其子如所生。從玄宗至蜀,始封,遷潭駙馬都尉。郭千仞反,玄宗禦玄英樓諭降之,不聽。潭率折沖張義童等殊死鬥,主彀弓授潭,潭手斬賊五十級,平之。肅宗有疾,主侍左右勤勞,詔賜田,以女弟寶章主未有賜,固讓不敢當。阿布思之妻隸掖廷,帝宴,使衣綠衣為倡。主諫曰:“布思誠逆人,妻不容近至尊;無罪,不可與群倡處。”帝為免出之。自兵興,財用耗,主以貿易取奇贏千萬淡軍。及帝山陵,又進邑入千萬。代宗初立,屢陳人間利病、國家盛衰事,天子鄉納。吐蕃犯京師,主避地南奔,次商於,遇群盜,主諭以禍福,皆稽顙願為奴。代宗以主貧,詔諸節度餉億,主一不取。親紉綻裳衣,諸子不服紈絺。廣德時,吐蕃再入寇,主方妊,入語備邊計,潭固止,主曰:“君獨無兄乎?”入見內殿。翌日,免乳而薨。

郯國公主は、初め大寧公主に封ぜられた。張清に降嫁した。貞元の時に薨じた。

原文郯國公主,始封大寧。下嫁張清。薨貞元時。

紀國公主は、初め宜寧公主に封ぜられた。鄭沛に降嫁した。元和の時に薨じた。

原文紀國公主,始封宜寧。下嫁鄭沛。薨元和時。

永和公主は、韋妃の生んだところである。初め寶章公主に封ぜられた。王詮に降嫁した。大歷の時に薨じた。

原文永和公主,韋妃所生。始封寶章。下嫁王詮。薨大歷時。

郜國公主は、初め延光公主に封ぜられた。裴徽に降嫁し、また蕭升に嫁した。升が卒すると、主は彭州司馬李萬と淫乱し、また蜀州別駕蕭鼎、澧陽令韋惲、太子詹事李弁が皆密かに主の家に侍した。久しくして、姦通が聞こえた。德宗は怒り、主を他の邸に幽閉し、萬を杖殺し、鼎、惲、弁を嶺表に斥けた。貞元四年、また厭蠱のため廃された。六年に薨じた。子の位は、蠱祝を行った罪に坐し、端州に囚われ、佩、儒、偲は房州に囚われ、前夫の子で駙馬都尉の裴液は錦州に囚われた。主の娘は皇太子妃であったが、帝は妃が怨望することを恐れ、これを殺そうとしたが、未だ発せず、ちょうど主が薨じ、太子が病に罹ったので、災いを鎮めるために妃を殺し、謚して惠といった。

原文郜國公主,始封延光。下嫁裴徽,又嫁蕭升。升卒,主與彭州司馬李萬亂,而蜀州別駕蕭鼎、澧陽令韋惲、太子詹事李皆私侍主家。久之,奸聞。德宗怒,幽主它第,杖殺萬,斥鼎、惲、弁嶺表。貞元四年,又以厭蠱廢。六年薨。子位,坐為蠱祝,囚端州,佩、儒、偲囚房州,前生子駙馬都尉裴液囚錦州。主女為皇太子妃,帝畏妃怨望,將殺之,未發,會主薨,太子屬疾,乃殺妃以厭災,謚曰惠。

代宗

原文代宗

代宗十八女

原文代宗十八女。

靈仙公主は、早くに薨じ、追封された。

原文靈仙公主,蚤薨,追封。

真定公主は、早くに薨じ、追封された。

原文真定公主,蚤薨,追封。

永清公主は、裴仿に降嫁した。

原文永清公主,下嫁裴仿。

齊國昭懿公主は、崔貴妃の生んだところである。初め升平公主に封ぜられた。郭曖に降嫁した。大歷末、天下の民が涇水が水硙で塞がれて田を灌漑できないと訴え、京兆尹黎幹がこれを請うたので、詔して硙を撤去し、水を民に与えた。時に主及び曖の家には皆硙があったが、留めることを乞うた。帝は言うには、「朕は蒼生のためである。諸戚の先導となれ」と。即日これを毀ち、これにより廃されたもの八十所。憲宗が即位すると、女伎を献上したが、帝は言うには、「太上皇は献を受けられなかった。朕どうして敢えて違えようか」と。これを返した。元和の時に薨じ、號國公主を贈られ、謚を賜わった。穆宗が立つと、また封を贈られた。

原文齊國昭懿公主,崔貴妃所生。始封升平。下嫁郭曖。大歷末,寰內民訴涇水為硙壅不得溉田,京兆尹黎幹以請,詔撤硙以水與民。時主及曖家皆有硙,丐留,帝曰:“吾為蒼生,若可為諸戚唱!”即日毀,由是廢者八十所。憲宗即位,獻女伎,帝曰:“太上皇不受獻,朕何敢違?”還之。薨元和時,贈號國,賜謚。穆宗立,復贈封。

華陽公主は、貞懿皇后の生んだところである。聡明で人に勝り、帝はこれを愛した。帝の喜ぶところを見れば、必ず善く遇し、悪むところは曲げて全うした。大歷七年、病のために道士となることを乞い、瓊華真人と号した。病が甚だしくなり、帝の指を嚙んで傷つけた。薨じ、追封された。玉清公主は、早くに薨じ、追封された。

原文華陽公主,貞懿皇后所生。韶悟過人,帝愛之。視帝所喜,必善遇;所惡,曲全之。大歷七年,以病丐為道士,號瓊華真人。病甚,嚙帝指傷。薨,追封。玉清公主,蚤薨,追封。

嘉豐公主は、高怡に降嫁した。普寧公主と同時に降嫁し、有司が光順門で冊礼の儀を準備したが、雨のため果たせず、取りやめた。建中の時に薨じた。

原文嘉豐公主,下嫁高怡。與普寧公主同降,有司具冊禮光順門,以雨不克,罷。薨建中時。

長林公主は、衛尉少卿沈明に降嫁した。貞元二年に冊礼を整えたが、徳宗は正殿に臨まず、音楽を設けず、これが故事となった。元和の時に薨去した。

原文長林公主,下嫁衛尉少卿沈明。貞元二年具冊禮,德宗不禦正殿,不設樂,遂為故事。薨元和時。

太和公主は、早くに薨じ、追封された。

原文太和公主,蚤薨,追封。

趙国荘懿公主は、初め武清に封ぜられた。貞元元年、嘉誠に改封された。魏博節度使せつどし田緒に降嫁し、徳宗は望春亭に幸して餞別した。厭翟車が破損して乗れず、金根車で代えた。公主の降嫁に金根車を用いるのは、この公主から始まった。元和の時に薨じ、封号と諡号を追贈された。

原文趙國莊懿公主,始封武清。貞元元年,徙封嘉誠。下嫁魏博節度使田緒,德宗幸望春亭臨餞。厭翟敝不可乘,以金根代之。公主出降,乘金根車,自主始。薨元和時,贈封及謚。

玉虚公主は、早くに薨じた。

原文玉虛公主,蚤薨。

普寧公主は、呉士広に降嫁した。

原文普寧公主,下嫁吳士廣。

晋陽公主は、太常少卿裴液に降嫁した。大和の時に薨じた。

原文晉陽公主,下嫁太常少卿裴液。薨大和時。

義清公主は、秘書少監柳杲に降嫁した。

原文義清公主,下嫁秘書少監柳杲。

寿昌公主は、光禄少卿竇克良に降嫁した。貞元の時に薨じた。

原文壽昌公主,下嫁光祿少卿竇克良。薨貞元時。

新都公主は、貞元十二年に田華に降嫁し、光順門で礼を整えたが、五礼はこれにより廃された。

原文新都公主,貞元十二年下嫁田華,具禮光順門,五禮由是廢。

西平公主は、早くに薨じた。

原文西平公主,蚤薨。

章寧公主は、早くに薨じた。

原文章寧公主,蚤薨。

徳宗

原文德宗

徳宗十一女。

原文德宗十一女。

韓国貞穆公主は、昭徳皇后の生んだ子である。幼少より謹み孝行で、帝に愛された。初め唐安に封ぜられた。秘書少監韋宥に降嫁せんとしたが、果たさぬうちに朱泚の乱が起こり、帝に従って城固に至り薨じ、封号と諡号を加えられた。

原文韓國貞穆公主,昭德皇后所生。幼謹孝,帝愛之。始封唐安。將下嫁秘書少監韋宥,未克而朱泚亂,從至城固薨,加封謚。

魏国憲穆公主は、初め義陽に封ぜられた。王士平に降嫁した。公主は恣に横暴で法を守らず、帝は彼女を禁中に幽閉した。士平を邸に拘禁し、久しくして安州刺史に拝したが、宦官と交わりを結んだ罪で賀州司戸参軍に貶せられた。門下の客蔡南史・独孤申叔が公主のために『団雪散雪辞』を作り、離別の思いを描いた。帝がこれを聞いて怒り、南史らを捕らえて追放し、時の進士科を廃止せんとした。薨じた後、封号と諡号を追贈された。

原文魏國憲穆公主,始封義陽。下嫁王士平。主恣橫不法,帝幽之禁中;錮士平於第,久之,拜安州刺史,坐交中人貶賀州司戶參軍。門下客蔡南史、獨孤申叔為主作《團雪散雪辭》狀離曠意。帝聞,怒,捕南史等逐之,幾廢時士科。薨,追封及謚。

鄭國莊穆公主は、初め義章と封ぜられた。張孝忠の子茂宗に降嫁した。薨じ、加贈及び謚を賜う。

原文鄭國莊穆公主,始封義章。下嫁張孝忠子茂宗。薨,加贈及謚。

臨真公主は、秘書少監薛釗に降嫁した。元和の時に薨ず。

原文臨真公主,下嫁秘書少監薛釗。薨元和時。

永陽公主は、殿中少監崔諲に降嫁した。

原文永陽公主,下嫁殿中少監崔諲。

普寧公主は、早くに薨ず。

原文普寧公主,蚤薨。

文安公主は、道士となることを請うた。大和の時に薨ず。

原文文安公主,丐為道士。薨大和時。

燕國襄穆公主は、初め鹹安と封ぜられた。回紇の武義成功可汗に降嫁し、府を置く。元和の時に薨じ、追封及び謚を賜う。

原文燕國襄穆公主,始封鹹安。下降回紇武義成功可汗,置府。薨元和時,追封及謚。

義川公主は、早くに薨ず。

原文義川公主,蚤薨。

宜都公主は、殿中少監柳昱に降嫁した。貞元の時に薨ず。

原文宜都公主,下嫁殿中少監柳昱。薨貞元時。

晉平公主は、早くに薨ず。

原文晉平公主,蚤薨。

順宗

原文順宗

順宗十一女。

原文順宗十一女。

漢陽公主、名は暢、莊憲皇后の生みし所なり。初め徳陽郡主と封ぜらる。郭鏦に降嫁す。辞して第に帰らんとし、涕泣して自ら勝えず、徳宗曰く「児に不足有りや」と。対えて曰く「相離るるを思うのみ、他に恨み無し」と。帝も亦泣き、太子を顧みて曰く「真に汝が子なり」と。

原文漢陽公主名暢,莊憲皇后所生。始封德陽郡主。下嫁郭鏦。辭歸第,涕泣不自勝,德宗曰:“兒有不足邪?”對曰:“思相離,無他恨也。”帝亦泣,顧太子曰:“真而子也。”

永貞元年、諸公主と皆進封せらる。時に戚近奢詡の事を争いて為すも、主独り儉を以てし、常に鉄簪を用いて壁に画き、田租の入る所を記す。文宗は尤も世の流れの侈を悪み、主の入るに因りて問うて曰く「姑の服する所は、何れの年の法ぞ。今の弊は、何れの代にして然るか」と。対えて曰く「妾貞元の時に宮を辞してより、服する所は皆当時の賜い、未だ嘗て改変せず。元和の後、数えず兵を用い、悉く禁蔵の繊麗の物を出だして戦士を賞す、是に由りて人間に散じ、内外相矜り、忸として風を成す。若し陛下好む所を下に示さば、誰か敢えて変えざらん」と。帝悦び、詔して宮人に主の衣の制の広狭を視せしめ、遍く諸主に諭し、且つ京兆尹に浮靡を禁切せしむ。主嘗て諸女を誨えて曰く「先姑言有り、吾と若は皆帝子なり、驕盈貴侈は、戒むべく恃むべからず」と。開成五年に薨ず。

原文永貞元年,與諸公主皆進封。時戚近爭為奢詡事,主獨以儉,常用鐵簪畫壁,記田租所入。文宗尤惡世流侈,因主入,問曰:“姑所服,何年法也?今之弊,何代而然?”對曰:“妾自貞元時辭宮,所服皆當時賜,未嘗改變。元和後,數用兵,悉出禁藏纖麗物賞戰士,由是散於人間,內外相矜,忸以成風。若陛下示所好於下,誰敢不變?”帝悅,詔宮人視主衣制廣狹,遍諭諸主,且敕京兆尹禁切浮靡。主嘗誨諸女曰:“先姑有言,吾與若皆帝子,驕盈貴侈,可戒不可恃。”開成五年薨。

梁國恭靖公主は、漢陽と同生なり。初め鹹寧郡主と封ぜられ、普安に徙る。鄭何に降嫁す。薨じ、追封及び謚を賜う。

原文梁國恭靖公主,與漢陽同生。始封鹹寧郡主,徙普安。下嫁鄭何。薨,追封及謚。

東陽公主は、初め信安郡主と封ぜられた。崔杞に降嫁す。

原文東陽公主,始封信安郡主。下嫁崔杞。

西河公主は、初め武陵郡主に封ぜられた。沈翚に降嫁した。咸通年間に薨去した。

原文西河公主,始封武陵郡主。下嫁沈翚。薨咸通時。

雲安公主は、漢陽公主と同母である。劉士涇に降嫁した。

原文雲安公主,亦漢陽同生。下嫁劉士涇。

襄陽公主は、初め晉康縣主に封ぜられた。張孝忠の子克禮に降嫁した。公主は放縱で、常に微行して市街を歩いた。薛樞・薛渾・李元本らが皆私に侍することができ、中でも薛渾を殊に愛し、ついには薛渾の母を姑として謁見するに至った。官が詰問しようとすると、多く金を与えて発覚しないようにした。克禮がこれを上聞すると、穆宗は公主を禁中に幽閉した。元本は功臣李惟簡の子であるため、死罪を赦し、象州に流した。薛樞・薛渾は崖州に流した。

原文襄陽公主,始封晉康縣主。下嫁張孝忠子克禮。主縱恣,常微行市裏。有薛樞、薛渾、李元本皆得私侍,而渾尤愛,至謁渾母如姑。有司欲致詰,多與金,使不得發。克禮以聞,穆宗幽主禁中。元本乃功臣惟簡子,故貸死,流象州,樞、渾崖州。

潯陽公主は、崔昭儀の生んだ子である。大和三年、平恩・邵陽の二公主と共に道士となり、毎年封物七百匹を賜った。

原文潯陽公主,崔昭儀所生。大和三年,與平恩、邵陽二公主並為道士,歲賜封物七百匹。

臨汝公主は、崔昭訓の生んだ子である。早くに薨去した。

原文臨汝公主,崔昭訓所生。蚤薨。

虢國公主は、初め清源郡主に封ぜられ、陽安に改封された。王承系に降嫁した。薨去し、追封された。

原文虢國公主,始封清源郡主,徙陽安。下嫁王承系。薨,追封。

平恩公主は、早くに薨去した。

原文平恩公主,蚤薨。

邵陽公主は、早くに薨去した。

原文邵陽公主,蚤薨。

憲宗

原文憲宗

憲宗十八女。

原文憲宗十八女。

梁國惠康公主は、初め普寧に封ぜられた。帝は特にこれを愛した。於季友に降嫁した。元和年間、永昌に改封された。薨去し、詔して追封及び謚を贈った。葬送に際し、度支が義陽・義章両公主の葬儀には銭四千万を用いたと奏上したが、詔して千万を減じた。

原文梁國惠康公主,始封普寧。帝特愛之。下嫁於季友。元和中,徙永昌。薨,詔追封及謚。將葬,度支奏義陽、義章公主葬用錢四千萬,有詔減千萬。

永嘉公主は、道士となった。

原文永嘉公主,為道士。

衡陽公主は、早くに薨去した。

原文衡陽公主,蚤薨。

宣城公主は、沈〓に降嫁した。

原文宣城公主,下嫁沈〓。

鄭國溫儀公主は、初め汾陽に封ぜられた。韋讓に降嫁した。薨去し、追封及び謚を贈った。

原文鄭國溫儀公主,始封汾陽。下嫁韋讓。薨,追封及謚。

岐陽荘淑公主は、懿安皇后の生みしところなり。杜悰に下嫁し、帝は正殿に御して臨みて遣わし、西朝堂より出でしより、また延喜門に御して、主の車を止め、賓従に金銭を大いに賜う。昌化裏に第を開き、龍首池を疏きて沼となす。後に上尚父の大通裏亭を家とし、主の別館となす。貴顕、当世に震う。然れども主は舅姑に事うるに礼を以て聞こえ、賜わしところの奴婢の偃蹇たるは、皆上還し、直を丐いて自ら市う。悰が澧州刺史たりしとき、主はこれと偕にし、従う者二十人の婢に満たず、驢に乗り、肉食せず、州県の供具は、受けず。姑の寝疾するや、主は衣を解かず、薬糜は嘗めざれば進まず。開成中、悰が忠武より入朝するに、主の疾侵え、曰く、「願わくは興慶宮に朝せん、道に死すとも恨みなし」と。道にて薨ず。

原文岐陽莊淑公主,懿安皇后所生。下嫁杜悰,帝為禦正殿臨遣,繇西朝堂出,復禦延喜門,止主車,大賜賓從金錢。開第昌化裏,疏龍首池為沼。後家上尚父大通裏亭為主別館。貴震當世。然主事舅姑以禮聞,所賜奴婢偃蹇,皆上還,丐直自市。悰為澧州刺史,主與偕,從者不二十婢,乘驢,不肉食,州縣供具,拒不受。姑寢疾,主不解衣,藥糜不嘗不進。開成中,悰自忠武入朝,主疾侵,曰:“願朝興慶宮,雖死於道,不恨。”道薨。

陳留公主は、裴損に下嫁す。損は太子諭徳となれり。

原文陳留公主,下嫁裴損。損為太子諭德。

真寧公主は、薛翃に下嫁す。

原文真寧公主,下嫁薛翃。

南康公主は、沈汾に下嫁す。咸通の時に薨ず。

原文南康公主,下嫁沈汾。薨咸通時。

臨真公主は、始め襄城と封ぜらる。衛洙に下嫁す。咸通の時に薨ず。

原文臨真公主,始封襄城。下嫁衛洙。薨咸通時。

普康公主は、早く薨ず。

原文普康公主,蚤薨。

真源公主は、始め安陵と封ぜらる。杜中立に下嫁す。

原文真源公主,始封安陵。下嫁杜中立。

永順公主は、劉弘景に下嫁す。

原文永順公主,下嫁劉弘景。

安平公主は、劉異に下嫁す。宣宗即位のとき、宰相、異を以て平盧節度使とせんとす。帝曰く、「朕唯一の妹、時にこれを見んと欲す」と。乃ち止む。後に異に随いて外に居り、歳時には輒ち驛に乗りて入朝す。乾符の時に薨ず。

原文安平公主,下嫁劉異。宣宗即位,宰相以異為平盧節度使,帝曰:“朕唯一妹,欲時見之。”乃止。後隨異居外,歲時輒乘驲入朝。薨乾符時。

永安公主は、長慶初、回鶻の保義可汗に下嫁せんと許すも、会に可汗死し、止みて行かず。太和中、道士たらんことを丐い、詔して邑印を賜い、尋陽公主の故事の如くし、かつ婚資を帰す。

原文永安公主,長慶初,許下嫁回鶻保義可汗,會可汗死,止不行。太和中,丐為道士,詔賜邑印,如尋陽公主故事,且歸婚貲。

義寧公主は、未だ下嫁せずして薨ず。

原文義寧公主,未及下嫁薨。

定安公主は、始め太和と封ぜらる。回鶻の崇徳可汗に下嫁す。会昌三年に来帰し、詔して宗正卿李仍叔・秘書監李踐方等をして景陵に告げしむ。主、太原に次ぐ。詔して使を遣わし、塗に係りて労問し、黠戛斯の献ずる白貂皮・玉指環を以て往きて賜う。京師に至り、詔して百官をして迎謁再拝せしむ。故事、邑司官は命を承けて答拝す。有司議す、「邑司官卑く、当つべからず」と。群臣、主の左右の上媵に戴鬢帛をして拝を承けしめ、両襠に命を持たしめんことを請う。また詔して神策軍四百に鹵簿を具えしめ、群臣班をなして迓う。主、輅に乗りて憲・穆の二室を謁し、欷歔流涕し、退きて光順門に詣りて服を易え、冠䥖を褫ぎて罪を待つ。自ら和親状無きを言う。帝、中人をして労慰せしめ、また冠钅奠を復して乃ち入らしむ。群臣、天子を賀す。また興慶宮に詣る。明日、主、太皇太后を謁す。長公主に進封せられ、遂に太和府を廃す。主の始めて至るや、宣城以下七主出で迎えず。武宗怒る。封絹を差奪して罪を贖わしむ。宰相建言す、「礼は中壺に始まり、天下に行わる、王化の美なり。史に載せ、後世に示さんことを請う」と。詔して可とす。

原文定安公主,始封太和。下嫁回鶻崇德可汗。會昌三年來歸,詔宗正卿李仍叔、秘書監李踐方等告景陵。主次太原,詔使勞問系塗,以黠戛斯所獻白貂皮、玉指環往賜。至京師,詔百官迎謁再拜。故事:邑司官承命答拜,有司議:“邑司官卑,不可當。”群臣請以主左右上媵戴鬢帛承拜,兩襠持命。又詔神策軍四百具鹵簿,群臣班迓。主乘輅謁憲、穆二室,欷歔流涕,退詣光順門易服、褫冠䥖待罪,自言和親無狀。帝使中人勞慰,復冠钅奠乃入,群臣賀天子。又詣興慶宮。明日,主謁太皇太后。進封長公主,遂廢太和府。主始至,宣城以下七主不出迎,武宗怒。差奪封絹贖罪。宰相建言:“禮始中壺,行天下,王化之美也,請載於史,示後世。”詔可。

貴郷公主は、早く薨ず。

原文貴鄉公主,蚤薨。

穆宗

原文穆宗

穆宗八女。

原文穆宗八女。

義豐公主は、武貴妃の生みし者なり。韋處仁に下嫁す。咸通の時に薨ず。

原文義豐公主,武貴妃所生。下嫁韋處仁。薨咸通時。

淮陽公主は、張昭儀の生みし者なり。柳正元に下嫁す。

原文淮陽公主,張昭儀所生。下嫁柳正元。

延安公主は、竇浣に下嫁す。

原文延安公主,下嫁竇浣。

金堂公主は、初め晉陵に封ぜらる。郭仲恭に下嫁す。乾符の時に薨ず。

原文金堂公主,始封晉陵。下嫁郭仲恭。薨乾符時。

清源公主は、太和の時に薨ず。

原文清源公主,薨太和時。

饒陽公主は、郭仲詞に下嫁す。

原文饒陽公主,下嫁郭仲詞。

義昌公主は、道士となる。咸通の時に薨ず。

原文義昌公主,為道士。薨咸通時。

安康公主は、道士となる。乾符四年、主が外に在りて人を頗る擾すを以て、詔して永興・天長・寧国、

原文安康公主,為道士。乾符四年,以主在外頗擾人,詔與永興、天長、寧國、

興唐の四主と共に南内に還らしむ。

原文興唐四主還南內。

敬宗

原文敬宗

敬宗の三女。

原文敬宗三女。

永興公主。

原文永興公主。

天長公主。

原文天長公主。

寧国公主は、廣明の時に薨ず。

原文寧國公主,薨廣明時。

文宗

原文(段落全体)文宗

文宗の娘は四人。

原文(段落全体)文宗

興唐公主。

原文興唐公主。

西平公主。

原文西平公主。

郎寧公主、咸通年間に薨去。

原文郎寧公主,薨咸通時。

光化公主、広明年間に薨去。

原文光化公主,薨廣明時。

武宗

原文(段落全体)武宗

武宗の娘は七人。

原文(段落全体)武宗

昌楽公主。

原文昌樂公主。

寿春公主。

原文壽春公主。

長寧公主、大中年間に薨去。

原文長寧公主,薨大中時。

延慶公主。

原文延慶公主。

静楽公主、咸通年間に薨去。

原文靜樂公主,薨咸通時。

楽温公主。

原文樂溫公主。

永清公主、咸通年間に薨去。

原文永清公主,薨咸通時。

宣宗

原文宣宗

宣宗の娘は十一人。

原文宣宗十一女。

萬壽公主は鄭顥に降嫁した。公主は帝の寵愛を受けており、これより先に詔を下して、「先王は礼を制定し、貴賤ともにこれを共有す。萬壽公主が舅姑に仕えるには、士人の法に従うべし」とした。旧制では、車輿は鐐金の釦で飾る。帝は言った、「朕は倹約をもって天下を率いんとす。宜しく近きより始むべし。銅に換えよ」と。公主が進見するたび、帝は必ず諄々と勉め篤く誨えて、「夫の家を卑しむることなかれ、時事に干渉することなかれ」と言った。また、「太平・安楽の禍は、戒めざるべからず」と言った。故に諸公主は慎み畏れ、こぞって喜ばしい行いを競った。帝は遂に詔して、「夫婦は教化の端なり。公主・県主で子がありながら寡となった者は、再び嫁ぐことを得ず」とした。

原文萬壽公主,下嫁鄭顥。主,帝所愛,前此下詔:“先王制禮,貴賤共之。萬壽公主奉舅姑,宜從士人法。”舊制:車輿以鐐金釦飾。帝曰:“我以儉率天下,宜自近始,易以銅。”主每進見,帝必諄勉篤誨,曰:“無鄙夫家,無幹時事。”又曰:“太平、安樂之禍,不可不戒!”故諸主祗畏,爭為可喜事。帝遂詔:“夫婦,教化之端。其公主、縣主有子而寡,不得復嫁。”

永福公主。

原文永福公主。

齊國恭懷公主は、初め西華と封ぜられた。嚴祁に降嫁した。祁は刑部侍郎となった。公主は大中年間に薨じ、追贈および謚が贈られた。

原文齊國恭懷公主,始封西華。下嫁嚴祁。祁為刑部侍郎。主薨大中時,追贈及謚。

廣德公主は於琮に降嫁した。初め、琮は永福公主を尚うことになっていたが、公主が帝と食事をしているとき、怒って匕箸を折った。帝は「これで士人の妻とすることができようか」と言い、改めて琮にこの公主を尚わせた。琮は黄巢に害されたとき、公主は泣いて言った、「今日は義として独り生きるべからず。賊は我を殺すべし」と。黄巢は許さず、公主は室中で縊死した。公主は家を治めるに礼法あり、かつて琮に従って韶州に貶せられたとき、侍者はわずか数人で、州県からの饋遺を退けた。内外の冠・婚・喪・祭の礼すべてにおいて、公主はみずから労を答え、疎遠な者も親戚も皆その心を得、世に聞こえた婦人となった。

原文廣德公主,下嫁於琮。初,琮尚永福公主,主與帝食,怒折匕箸,帝曰:“此可為士人妻乎?”更許琮尚主。琮為黃巢所害,主泣曰:“今日誼不獨存,賊宜殺我!”巢不許,乃縊室中。主治家有禮法,嘗從琮貶韶州,侍者才數人,卻州縣饋遺。凡內外冠、婚、喪、祭,主皆身答勞,疏戚鹹得其心,為世聞婦。

義和公主。

原文義和公主。

饒安公主。

原文饒安公主。

盛唐公主。

原文盛唐公主。

平原公主は咸通年間に薨じ、後に追封された。

原文平原公主,薨咸通時,已而追封。

唐陽公主。

原文唐陽公主。

許昌莊肅公主は柳陟に降嫁した。中和年間に薨じた。

原文許昌莊肅公主,下嫁柳陟。薨中和時。

豐陽公主。

原文豐陽公主。

懿宗

原文(段落全体)懿宗

懿宗の娘は八人。

原文(段落全体)懿宗

衛國文懿公主は、郭淑妃の生んだ子である。初め同昌と封ぜられた。韋保衡に降嫁した。咸通十年に薨じた。帝はもとより寵愛していたため、みずから挽歌を作り、群臣は皆これに和した。また百官に金貝・寓車・廞服をもって祭ることを許し、これを焼いたので、民は争ってその灰を取って宝を選り分けた。葬送のとき、帝と妃は延興門に坐し、柩を過ぎるに泣き、仗衛は数十里に満ち、金を熔かして俑とし、怪しき宝を千計も墓中に満たし、乳母・保母とともに葬った。追封および謚が贈られた。

原文衛國文懿公主,郭淑妃所生。始封同昌。下嫁韋保衡。咸通十年薨。帝既素所愛,自制挽歌,群臣畢和。又許百官祭以金貝、寓車、廞服,火之,民爭取煨以汰寶。及葬,帝與妃坐延興門,哭以過柩,仗衛彌數十里,冶金為俑,怪寶千計實墓中,與乳保同葬。追封及謚。

安化公主。

原文安化公主。

普康公主。

原文普康公主。

昌元公主、咸通の時に薨ず。

原文昌元公主,薨咸通時。

昌寧公主。

原文昌寧公主。

金華公主。

原文金華公主。

仁壽公主。

原文仁壽公主。

永壽公主。

原文永壽公主。

僖宗

原文僖宗

僖宗の二女。

原文僖宗二女。

唐興公主。

原文唐興公主。

永平公主。

原文永平公主。

昭宗

原文昭宗

昭宗の十一女。

原文昭宗十一女。

新安公主。

原文新安公主。

平原公主、積善皇后の生む所なり。帝鳳翔に在りし時、主を以て李茂貞の子継偘に下嫁せしむ。后は不可と謂ふ。帝曰く、「然らずば、我安き所無からん」と。是の日、内殿に宴し、茂貞は帝の東南に坐し、主は殿上に拝す。継偘の族兄弟皆西に向ひて立ち、主は遍く之を拝す。帝還るに及び、朱全忠茂貞に書を移し、主を取つて京師に還す。

原文平原公主,積善皇后所生。帝在鳳翔,以主下嫁李茂貞子繼偘,后謂不可。帝曰:“不爾,我無安所!”是日,宴內殿,茂貞坐帝東南,主拜殿上。繼偘族兄弟皆西向立,主遍拜之。及帝還,朱全忠移茂貞書,取主還京師。

信都公主。

原文信都公主。

益昌公主。

原文益昌公主。

唐興公主。

原文唐興公主。

德清公主。

原文德清公主。

太康公主。

原文太康公主。

永明公主、早く薨ず。

原文永明公主,蚤薨。

新興公主。

原文新興公主。

普安公主。

原文普安公主。

樂平公主。

原文樂平公主。

【贊】

原文【贊】

贊に曰く、婦人は内は夫の家にあり、天姬(てんき、皇女)の貴きといえども、史官は猶お外にして詳つまびらかにせず。又た僖宗・昭宗の乱、典策(てんさく、記録)埃滅あいめつす、故に諸帝の公主の降嫁の日・薨年のこと、粗ほぼ其の概がいを得るのみ、亡はれたる者は闕けて書かず。

原文贊曰:婦人內夫家,雖天姬之貴,史官猶外而不詳。又僖、昭之亂,典策埃滅,故諸帝公主降日、薨年,粗得其概,亡者闕而不書。