新唐書卷七十五 表第十五下 宰相世系五下

常氏は姫姓に由来する。衛の康叔の支孫が常邑に封ぜられ、それによって氏とした。唐に新豊常氏がある。

緒,咸安令。 毅,𣏌王府司馬。 楚珪,雍王府文學。 無名,禮部員外郎。 著,侍御史。              
        曾,弘農令。              
        普,戶部郎中。              
        魯は渭南尉。              
      無為は三原丞。 皆は司農卿。 仲孺は諫議大夫。            
        衮は代宗・徳宗の宰相。              
      無欲。                
      無求は右補闕。                

常氏の宰相は一人。衮。

喬氏は姫姓から出ており、本来は橋氏であった。漢の太尉喬玄の六世孫の喬勤は、後魏の平原内史となり、孝武帝に従って関中に入り、同州に居住した。喬朗を生み、喬朗は喬達を生んだ。後周の文帝が橋氏に「木」を除くよう命じ、高遠の意味を取った。代々太原に居住した。

琳は徳宗の宰相。 彝。                    
琛。                      

喬氏の宰相は一人。喬琳。

関氏は商の大夫関龍逢の後裔から出ている。蜀の前将軍漢寿亭侯関羽は、侍中関興を生み、その子孫は代々信都に居住した。末裔の関播は、徳宗の宰相となった。関氏の宰相は一人。関播。

渾氏は匈奴の渾邪王から出ており、拓跋氏に従って河南に移住し、それによって氏とした。渾迥貴から渾瑊まで、代々皐蘭州都督を世襲した。

潭は、隋の左玉鈐衞大將軍であった。 迥貴は、豹韜衞大將軍・霊丘県伯であった。 元慶は、鎮国大將軍・検校礼部尚書であった。 大德は、左武衞大將軍であった。 澄之は、左領軍衞大將軍・検校司徒であった。 旻は、永王府参軍であった。 徵は、霊武節度判官であった。          
            儉は、少府監であった。 特は、司農卿であった。 正元は、吏部員外郎であった。      
            徽は潘州刺史。          
            宰は揚州司馬。          
            正孫は秦州司馬。          
          斐は檢校水部郎中。            
        景之は坊州刺史。              
      大壽は太僕丞。 釋之(字は釋之)は左武衞大將軍、寧朔郡王。 瓊は太子中允。            
          瑊は徳宗に仕えて宰相となる。 鍊は左羽林將軍。          
            鎬は、義武軍節度使。          
            鉅は、雅州刺史。          
            鋼は、天德軍防禦使。          
            鐬は、振武軍節度使。          
          𤣱は、左領軍将軍、武当郡王。            
      大寧は、左衛率府率。                
      大封は、内八作使。                
      大猷は、左羽林大将軍、酒泉郡公。                
      大鼎は、尚衣奉御。                
      大義は、左金吾衛大将軍。                

渾氏の宰相は一人。渾瑊。

斉氏は姜姓から出ている。炎帝の末裔孫の呂尚が後に斉に封ぜられ、それによって氏とした。漢には平敬侯斉受がおり、四代にわたって封ぜられ、高陽に居住した。晋には武邑侯斉琰がいた。

琰。 健。                    
  澄。           肅暕、虞部郎中。 說、檢校員外郎。 猗。    
                  暢。    
  粹。       虔、光州刺史。 知玄、長山令。 澣は平陽太守。 䎖は信州刺史。      
                翧は左龍武倉曹参軍。 抗は遐挙の字で、徳宗の宰相。 餗は洛陽尉。  
                珝は吏部郎中。 揔は衢州刺史。    
                䎗。      

瀛州齊氏

𤣱。 昭は殿中侍御史。 孝若は、大理正。                  
  汶は、澤州刺史。                    
  映は、徳宗に仕えて宰相。                    
  暭は、京兆司錄參軍。                    
  照は、池州刺史。                    
  煦は、字を徳溫。                    

斉氏の宰相は二人。斉抗、斉映。

董氏は姫姓から出ている。黄帝の末裔孫に飂叔安がおり、董父を生んだ。舜が董氏の姓を賜った。末裔孫の辛有は、辛有の子孫が晋に分かれて移住し、董孤がいた。末裔孫の董翳は、項羽によって翟王に封ぜられ、高奴に都し、子孫は隴西に居住した。漢の江都相董仲舒の末子の孫が、広川から隴西に移り、末裔孫が河東に移った。

仁琬は、梁州博士。 大禮。 伯良は、新浦主簿。 晉は、字を混成、徳宗に仕えて宰相。 全道、殿中少監。              
        溪、商州刺史。 居中。            
          従直。            
          居敬。            
        全素、太子中舎人。              
        澥、太常寺太祝。              

董氏の宰相は一人。董晋。

賈氏は姫姓から出ている。唐叔虞の末子の公明は、康王によって賈に封ぜられ、賈伯となった。河東臨汾に賈郷があり、その地である。晋に滅ぼされ、国を氏とした。晋の公族狐偃の子の射姑は晋の太師となり、賈に食邑され、字は季他、また賈季とも号した。漢には長沙王太傅賈誼がおり、賈璠を生み、尚書中兵郎となった。二人の子、賈嘉と賈惲を生んだ。賈嘉は宜春太守となり、賈敻を生み、游撃将軍となった。五人の子、賈洪、賈潤、賈汭、賈湘、賈注を生んだ。賈汭は軽騎将軍となり、賈曄を生み、下邳太守となった。二人の子、賈冰と賈淵を生んだ。賈淵は遼東太守となった。三人の子、賈納、賈邠、賈丕を生んだ。賈丕は賈沂を生み、祕書監となった。二人の子、賈廷玉と賈秀玉を生んだ。賈秀玉は武威太守となり、賈衍を生み、兗州刺史となった。賈龔を生み、軽騎将軍となり、武威に移住した。二人の子、賈綵と賈詡を生んだ。賈詡は魏の太尉・肅侯となり、賈璣を生み、駙馬都尉・関内侯となり、また長楽に移った。二人の子、賈通と賈延を生んだ。賈通は侍中・車騎大将軍となった。三人の子、賈仲安、賈仲謀、賈仲達を生んだ。賈仲達は潁川太守となった。賈疋を生み、字は彦度、軽車将軍・雍州刺史・酒泉郡公となった。二人の子、賈乂と賈康を生んだ。賈康は祕書監となった。二人の子、賈鍇と賈鈞を生んだ。賈鈞は賈弼を生み、散騎侍郎となった。二人の子、賈躬之と賈匪之を生んだ。賈躬之は宋の太宰参軍となった。四人の子、賈希鏡、賈希遠、賈希逸、賈希叟を生んだ。賈希鏡は南斉の外兵郎となり、賈梲を生み、義興郡太守となった。賈執を生み、梁の太府卿となった。二人の子、賈暹と賈肇を生んだ。賈肇は二人の子、賈寰と賈宏を生んだ。賈宏は後梁の中軍長史となった。賈勰を生み、北斉の青兗等州刺史・河東公となった。二人の子、賈𡼗と賈巘を生んだ。賈巘は殿中監となった。三人の子、賈懿、賈慤、賈憲を生んだ。賈憲は葛栄の難を避け、浮陽に避難した。

憲、字は元楷、後周の秘書監。 処静、隋の成州長史。 敬言、刑部郎中、滑州刺史。 令思、礼部員外郎。 晋、衛尉卿。              
        恒、司門員外郎、池州刺史。 元敏、澄城令。            
          元遜、殿中丞。            
      遠則、長河尉。 知義、沁源主簿。 元琰、沁水丞。 耽、字は敦詩、徳宗の宰相。 疇、司農寺主簿。        
              疄、少府監、魏國公を襲封。 侁、左武衞冑曹参軍。 惟慶、丹州刺史・河東縣男。 洮、西水令。 翔、検校尚書・水部員外郎。
                      翱。
                    漵、華原尉。  
              㽥、楚州刺史。        
    敬忠、帰州刺史。                  
  処澄、涇陽令。 玄禕。                  
    玄暐。 季良、奉天尉。 岌、検校員外郎。 稜、大理評事。            
          穜、字は嘉穎。            
      季隣、長安主簿。 岧。              
        嶷。              

賈氏から宰相は二人。賈耽、賈餗。

権氏は子姓から出る。商の武丁の裔孫が権に封ぜられ、その地は南郡当陽県の権城である。楚の武王が権を滅ぼし、那処に遷し、その孫がこれにより氏とした。秦が楚を滅ぼし、大姓を隴西に遷し、天水に住んだ。漢に左輔都尉の権忠、十四世孫の権翼、字は子良、前秦の右僕射・安丘敬公。子に宣吉・宣褒を生む。宣褒は後秦の黄門侍郎、六世孫に権栄。

栄、隋の儀同、鄜城公。 文誕,涪州と常州の刺史、平涼公。 崇嗣。       南仲。          
    崇基,屯田員外郎。 上仁。 良史,沢州刺史。              
    崇先,水部員外郎。                  
    崇本,匡城令。 無待,成都尉。 倕。 皐は字を士繇といい、著作郎であった。 徳輿は字を載之といい、憲宗の宰相となった。 璩は字を大圭といい、鄭州刺史であった。        
              珏は字を大玉という。        
        伋は臨潁令であった。 隼は字を子鷙といい、華州司士参軍であった。 少成は桐廬尉であった。 頊は両当令であった。        
              琯は華州参軍であった。        
              審は字を子詢という。        
            少清。          
        倬。              
      若訥、桂州・歙州・梓州の三州刺史。 倣、紫渓県令。 有方、蘄県令。 長孺、字は直卿。          
        僎、安平県令。 達、字は達、咸陽県丞。 塤。          
      恩。     絳。          
      無巳。 偉。 寅。            
        儦。              
      同光。 儹。              
        侹。              

権氏から宰相は一人。権徳輿。

皇甫

皇甫氏は子姓から出る。宋の戴公白が公子充石を生み、字は皇父。皇父が季子来を生み、来が南雍𡙇を生み、王父の字を氏とした。𡙇の六世孫に孟之、孟之が遇を生み、避地して魯に奔る。裔孫の皇甫鸞、漢の興りに魯から茂陵に徙り、「父」を「甫」に改める。裔孫の晋の広魏太守皇甫固、皇甫柴を生み、襄陽に徙り、後にまた寿春に徙り、裔孫に皇甫珍義。

珍義,資建二州刺史。 文亮,高陵令。 鏡幾。 恂。 岳。              
        喦。              
    隣幾、太子洗馬。 憬。                
      悰。                
      愔。                
      愉。 鏞、字は龢卿、太子少保。 璥。            
          珧。            
        鎛は憲宗の宰相を務めた。 珪、字は徳卿。 蘊、字は待価。          
    知常は洛州・揚州の長史を務めた。 懌。                
      悟。                
  文房は黄門侍郎を務めた。 希莊は麟台郎を務めた。 翼は字を謀安といい、青州刺史であった。 准。              

皇甫氏から宰相は一人。皇甫鎛。

程氏は風姓から出る。顓頊が称を生み、称が老童を生む。老童に二子:重・黎。重は火正となり、地を司り、その後世は天地を掌る官となる。裔孫が程に封ぜられ、程伯といい、雒陽に上程聚があり、その地である。周の宣王の時、程伯休父がその官守を失い、諸侯として王の司馬となり、また司馬氏がある。程氏は世に長安に住む。

思奉は利州刺史であった。 子珪は左贊善大夫であった。 献可は太子左諭徳であった。 异は字を師挙といい、憲宗の宰相であった。 巽。              

程氏から宰相は一人。程异。

令狐

令狐氏は姫姓から出る。周の文王の子畢公高の裔孫畢万、晋の大夫となり、芒季を生む。芒季が武子魏犫を生む。犫が顆を生み、秦の将杜回を獲る功により、別に令狐に封ぜられ、文子頡を生み、これにより氏とし、世に太原に住む。秦に太原守五馬亭侯の令狐範、十四世孫の漢の建威将軍令狐邁、翟義と起兵して王莽を討ち、兵敗れて死す。三子:伯友・文公・称、皆燉煌に奔る。伯友は亀茲に入り、文公は疏勒に入り、称は故吏に匿われ、遂に効轂に住む。称に六子:扶・堅・由・羨・瑾・猛。由は字は仲平、後漢の伊吾都尉。六子:禹・霸・容・明・渙・淳。禹は字は巨先、博陵太守。四子:輝・洽・延・溥。溥は字は文悟、蒼梧太守。三子:璜・叡・瑒。溥の五世孫の晋の諫議大夫令狐馨、馨の孫の令狐亜、字は就胤、前涼の西海太守・安人亭侯。二子:𤧕・綏。亜の孫の令狐敏、字は永昌、前涼の鳴沙令。四子:達・忠・襲・越。敏の五世孫の令狐虬、字は恵献、後魏の燉煌郡太守・鸇陰県子。四子:元保・整・慶保・休。整は周の御正中大夫・彭陽襄公、宇文氏の姓を賜り、令狐熙を生む。

熙は隋の吏部尚書・武康公であった。     元超は撫寧令であった。 濬は上邽令であった。 崇亮は、昌明県令。 承簡は字を居易といい、太原府功曹参軍。 楚は字を殼士といい、憲宗の宰相。 緒は、河南少尹。      
                綯は字を子直といい、宣宗の宰相。 滈は、太常博士。    
                  澄。    
                  専。    
                  渙は、中書舎人。    
              従は、検校膳部郎中。        
              定は字を履常といい、桂管観察使であった。 緘は字を識之という。 渢は字を中化という。    
                  湘。    
  徳棻は国子祭酒であった。 脩已。 伯陽。                
        滔は丹楊郡司馬であった。 峴は刑部員外郎であった。            
          峘は秘書少監であった。 丕は太僕丞。          
          𡷛は和州刺史。            

令狐氏から宰相は二人。令狐楚、令狐綯。

段氏は姫姓から出る。鄭の武公の子共叔段、その孫が王父の字を氏とした。漢に北地都尉の段卬、世に武威に住む。十四世孫の後魏の晋興太守段紛。五世孫の段偃師、河南に徙る。

偃師は太子家令。 志玄は右驍衞大將軍、褒國忠壯公。 瓚は右屯衞大將軍。 懷簡は坊州刺史。                
    瓘は朝邑令。 懷昶は德州參軍。 諤は榮州刺史。 文昌は字を墨卿といい、穆宗の宰相。 成式、字は柯古。          
      懐晏。                
      懐皎。                
    珪、宣州長史。 懐本、礼部郎中。                

段氏の宰相は一人。文昌。

元氏は拓跋氏に出自する。黄帝が昌意を生み、昌意の末子の悃が北方に居住し、十一代目が鮮卑の君長となった。平文皇帝鬱律の二子:什翼犍、烏孤。什翼犍は昭成皇帝で、初めて代王と号し、道武皇帝に至って魏と改号し、孝文帝に至って元氏となった。什翼犍の七子:一は寔君、二は翰、三は閼婆、四は寿鳩、五は紇根、六は力真、七は窟咄。寔君が道武皇帝珪を生み、珪が明元皇帝嗣を生み、嗣が太武皇帝燾を生み、燾が景穆皇帝晃を生んだ。景穆の諸子の中で、濬、新成、子推、天錫、雲、禎、胡児、休の八房の子孫のみが唐代に聞こえた。濬は文成皇帝である。文成の諸子の中で、弘、長楽の二房の子孫のみが唐代に聞こえた。弘は献文皇帝である。献文の諸子の中で、宏、幹、羽、勰の四房の子孫のみが唐代に聞こえた。宏は孝文帝である。七子:恂、恪、懐、愉、懌、悦。恪は宣武皇帝である。懐は広平文穆王で、広平文懿王悌を生み、悌が侍中・驃騎大将軍・広平王賛を生み、賛が謙を生んだ。

謙、後周の韓国公。 菩提、周の襲公。 宝琳、綏州刺史、襲公。 昭。 穎。 庭珍。 伯明,陳王府諮議參軍,襲韓公。 紹俊,襲公。 文贄,襲公。 応,襄城尉。    
                  愻,汴州文学。    
                  慇,新井令。    
                  承裕,汧陽主簿。    
      顧道,明堂令。                

什翼犍の第六子力真、力真の二子:意烈、意勁。意勁は彭城公。五世孫の敷州刺史禎、禎の二子:巌、成。

巌字君山,隋兵部尚書、平昌公。 琳。 義恭。 孝節、工部員外郎。 通理、給事中。 従、右司員外郎。            
          修、河南少尹。            
        希声、吏部侍郎。              
  弘、隋北平太守。 義端、魏州刺史。 延寿、睦州刺史。 愷は通州刺史。              
      延福。 怡。 偕は帰州刺史。            
          伾。            
          偉は平原尉。            
      延景は岐州参軍。 悱は南頓丞。 寛は比部郎中、舒王長史。 泝は汝陽尉。          
            秬は、萬年尉。          
            積は、司農少卿。          
            稹は字を微之といい、穆宗の宰相。 道護。        
          宵は、侍御史。            
      延祚は、司議郎。 平叔は、綿州長史。 挹は、吏部員外郎。 注。          
            洪は、饒州刺史。 晦。        
            錫は字を君貺といい、淄王傅。 繇。        
              復礼。        
              寿。        
              琯。        
            銑。          
          撝は太常博士。            
          持は都官郎中。            

元氏の宰相は一人。稹。大暦の宰相元載は、本来は景氏であるため、ここには記載しない。

路氏は姫姓に出自する。帝摯の子玄元が、堯により中路に封ぜられ、虞・夏の時代に侯と称し、子孫が国を氏とした。漢の符離侯博徳が初めて平陽に居住した。裔孫の嘉、字は君賓、晋の安東太守。孫の藻、藻の二子:纂、建。

纂。 濤は、後魏の青州刺史。 寄奴。 恃慶は、安州刺史。                
      思令。 君儒は、北齊の員外郎。 徳惟は、相州刺史。 励業。          
            励言は、曹州刺史。 欽正。        
              欽古。        
            励節、華州刺史。 欽訓。        
            励行、鞏県令。          
  神亀、恒州刺史。           文逸、申州司馬。 敬淳、太常博士。      
                敬澄。      
                敬湛、雍州司馬。 暢。    
                敬潜、中書舎人。 広心、大理司直。 常、兼監察御史。  
建。 建の曾孫慶、後魏の太常卿。 彩、後周の夏州刺史。 兗、隋の兵部侍郎・閺郷公。 文昇、字は文昇、平・愛・秦三州刺史・宣城県公。 元叡、勲吏二郎中・広州都尉。 幼玉、監察御史。 斉暉、徐・宋二州刺史。 畿、監察御史。 長輿。    
                季登、諫議大夫。 羣、字は正大。 嶽、字は周翰。 招隱、字は希龍。
                    巖、字は魯瞻、懿宗の宰相。 德延、字は昌遠。
                      延規、字は希聖。
                  庠。    
            晩金、果州刺史。          
          元哲、榆次令。 太一、太原令。 果客。 怤、岳州刺史。 黄中。    
              嗣恭、字は懿範、初名は剣客、広州都督、冀国公。 応、宣州観察使。      
                恕、太子詹事、鄜坊節度使。 異、兗州刺史。 楷は司農卿。  
                憑は侍御史。      

また、越王府東閣史祭酒の節がおり、惟恕を生んだ。

惟恕は睦州刺史。 俊之は太子通事舍人。 泌は字を安期といい、副元帥判官・検校戸部郎中。 隋は字を南式といい、文宗の宰相。                

路氏の宰相は二人。巌、隋。

舒氏は偃姓に出自する。皐陶の後裔が蓼に封ぜられ、安豊蓼県がその地である。春秋魯文公五年、楚に滅ぼされ、その後再び楚の属国となり、舒とも、群舒とも、舒蓼とも、舒庸とも、舒鳩とも呼ばれ、一国に五つの名がある。春秋魯襄公二十五年、楚が再び滅ぼし、子孫が国を氏とし、代々廬江に居住した。

恒は武昌軍将校。 元輿は文宗の宰相。                    
  元肱は字を良哉という。                    
  元迥は字を子穎といい、山南東道従事。                    
  元褒、司封員外郎。                    

舒氏の宰相は一人。元輿。

白氏は姫姓に出自する。周の太王の五世孫虞仲が虞に封ぜられ、晋に滅ぼされた。虞の公族の井伯奚が伯姫を秦に媵し、百里に邑を受けて、百里奚と号した。奚が視を生み、字は孟明、古人は皆先に字を後に名を称するため、孟明視と呼ばれた。孟明視の二子:一は西乞術、二は白乞丙、その後を氏とした。裔孫の武安君起が杜郵で賜死し、始皇がその功を思い、その子仲を太原に封じたため、子孫は代々太原の人となった。二十三世孫の後魏太原太守邕、邕の五世孫建。

建、字は彦挙、後周の弘農郡守、邵陵県男。 君恕、倉部郎中。 大威、梓州刺史。                  
  君慜、牢州別駕。   知慎、戸部郎中。                
      知節。                
  士通、利州都督。 志善、尚衣奉御。 温、検校都官郎中。 鍠は、鞏県令。 季庚は、襄州別駕。 幼文は、浮梁主簿。          
            居易、字は楽天、刑部尚書。 景受は、孟懐観察支使、従子として継ぐ。 邦翰は、司封郎中。 思斉は、鄭州録事参軍。    
            行簡、字は退之、膳部郎中。 味道は、成都少尹。        
          季軫は、許昌県令。            
        潾は、揚州録事参軍。 季康は、溧水令。 敏中は字を用晦、宣宗の宰相。 順求は字を幾聖。        
              崇嗣は字を光祚。        
              傅規は字を慶餘。        
          季平は、河南主簿。            

白氏の宰相は一人。敏中。

夏侯

夏侯氏は姒姓から出る。夏の禹の末裔の孫である東楼公が𣏌侯に封ぜられ、簡公の時に楚に滅ぼされ、弟の他が魯に逃れた。魯の悼公は彼が夏の禹の後裔であるため、采地を与えて侯とし、これにより氏とした。後に魯を去って沛に移り、沛を分けて譙とし、遂に郡人となった。唐に駕部郎中の審封がいる。

審封。 敏。                    
  敬。                    
  孜は字を好學といい、宣宗・懿宗に仕えた。 潭は字を虛中といい、禮部侍郎であった。 坦。 映は字を光文という。              
    澤は字を表中という。                  
  斐。                    
  敖。 藻は字を司文という。                  

夏侯氏の宰相は一人。孜。

蔣氏は姒姓から出る。周公の第三子伯齢が蔣に封ぜられ、その地は光州仙居県であり、宋が楽安と改めた。蔣は彊国に滅ぼされ、子孫はこれにより氏とした。漢に蔣詡がおり、十世孫の休が楽安から義興陽羨県に移った。十一世孫の元遜は、陳の左衞将軍。その族に太子洗馬、弘文館学士の瓌がおり、将明を生んだ。

將明は、國子司業・集賢殿學士・副知院使であった。 乂は字を德源といい、祕書監・義興懿公であった。 係は、検校左僕射・淮陽公である。 兆。 承初は字を昌遠という。              
      曙は字を耀之という。 延翰。              
      庸は字を台臣という。                
    伸は字を大直といい、宣宗・懿宗の宰相を務めた。 泳は字を越之という。                
    偕は、左補闕である。                  
    仙。                  
    佶。 琛、字は献之。                

蔣氏の宰相は一人。伸。

畢氏は姒姓から出る。周の文王の第十五子高が畢に封ぜられ、国を以て氏とした。後漢の兗州別駕諶は、代々東平に住んだ。五世孫の衆慶は、宋の本州大中正。五世孫の憬。

憬、司衛少卿・許州刺史。 構、戸部尚書・魏景公。 抗、兵部員外郎・呉郡太守・江南採訪使。 埛、王屋尉。 鎬。              
        鉟。              
        銶。              
        鋭。              
      増加。                
  栩、豊王府司馬。 浚、汾州長史。 勻、協律郎。 諴、字は存之、懿宗の宰相。 紹顏、渭南尉、直史館。            
          知顏、千牛備身。            
    曜、侍御史。                  

畢氏の宰相は一人。諴。

曹姓は顓頊から出る。五世孫の陸終の第五子安が曹姓となり、曹挾に至り、邾に封ぜられ、楚に滅ぼされ、再び曹姓となった。唐に河南の曹氏がいる。

周。 景伯。 確は字を剛中といい、懿宗の宰相となった。 希甫は字を嵩臣という。                
    汾は字を道謙といい、戸部侍郎を務めた。 希幹は字を荷臣という。                

曹氏の宰相は一人。確。

徐氏は嬴姓から出る。皐陶が伯益を生み、伯益が若木を生んだ。夏后氏が彼を徐に封じ、その地は下邳僮県である。偃王の時に三十二世で周に滅ぼされ、再びその子宗を徐子に封じた。宗の十一世孫の章禹が呉に滅ぼされ、子孫は国を以て氏とした。章禹の十三世孫の詵は、秦の荘襄王の相となった。仲を生み、仲は字を景伯という。延を生み、延は字を方遠という。由を生み、由は字を智卿という。該を生み、該は字を昌言という。光を生み、光は字を子暉といい、漢の下邳太守。大司農の靜を生み、靜は字を君安という。益州刺史の萬秋を生み、萬秋は字を蘭卿という。左曹給事の充を生み、充は字を彥通という。諫議大夫の安仁を生んだ。二子:豐、霸。豐は北祖、霸は南祖。北祖上房徐氏:豐は字を仲都といい、司空掾。明を生み、明は字を玄通といい、侍中。遷を生み、遷は字を少卿といい、侍中。宣を生み、宣は字を休璥という。二子:琳、瑞。瑞は字を元珪といい、下邳太守。二子:謨、師儉。師儉は字を世節といい、京兆尹。二子:述、超。超は字を彥孫といい、魏の散騎常侍。二子:崇、統。統は字を耀卿といい、晉の江陽太守。三子:瓌、璣、台。台は字を叔衡といい、丹楊令。三子:禕、祑、禇。禇は字を萬秋といい、太子洗馬。二子:寧、恭。寧は字を安期といい、吏部侍郎。五子:豐之、實之、仁之、祚之、育之。祚之は字を興民といい、祕書監。三子:尚之、羨之、欽之。欽之は字を真宇といい、宋の丞相、東莞公。三子:逵之、佩之、邁之。逵之は字を幼道といい、中書侍郎。二子:淳之、湛之。湛之は字を孝源といい、丞相、枝江忠烈侯。二子:恒之、聿之。恒之は字を景方といい、工部郎中、侯を襲ぐ。二子:孝規、孝嗣。孝嗣は字を始昌といい、齊の太尉、文忠公。六子:況、戭、碏、会、嘉、緄。

緄は字を仲文といい、斉の侍中を務めた。 君敷は字を懐真といい、陳の常侍を務めた。 栄は字を子徳といい、隋の通事舎人を務めた。 恕は字を克己といい、尚食直長を務めた。 筠は字を南美といい、春官尚書・枝江郡公となった。 皎は字を景融といい、左驍衛兵曹参軍を務めた。 詡は字を擇賢といい、許州司馬を務め、枝江男を襲封した。 儀は字を行甫といい、祠部員外郎を務めた。 雅。      
                粲は字を宜遠といい、檢校戶部郎中を務めた。 㝡は海陵令を務めた。 鄑は光・處・齊・淄・明・泗の六州刺史を務めた。  
                    持。  
              向は字を文伯といい、衢・江・陳・潁・鄭・宋の六州刺史を務めた。 嚴は字を景肅といい、麻城令を務めた。 敦復。 輦。  
                練、字は元白、校書郎。 臣質。 公閔。 爽は景調を生み、景調は巽を生み、巽は侃之を生む。
                  峻之。    
            諤。          
            䛑。          
            譔。          
            訥。          
            諡号。   摯。      
          昭、字は徳光、虞部郎中。 孟嘗、字は允義、安州都督。          
          昕、字は光烈、また字は景韻、字は脩文、洛州長史。 琇、冀州長史。 縯、虢州別駕。 縝。      
                弘毅、大理評事。 綜、江陵参軍。 玭。  
          晦。            
          晧。            
    君賓、字は客卿、梁の五兵尚書。 澈、字は甘泉、一名は澄、陳の祕書監。 文遠、字は廣義、國子博士。 士安、字は奉衆、王屋令。 有功、字は弘敏、秋官侍郎。 倫、字は堅、岐慶二王司馬。 瑴、字は和玉、東莞男を襲封、安定太守。 濤は字を浚源といい、侍御史であった。 杜。  
                  宰は字を舜鈞といい、大理評事であった。 商は字を義聲といい、懿宗の宰相であった。 彥若は字を俞之といい、昭宗の宰相であった。綰を生み、兵部郎中となった。
                      仁嗣。
                      仁矩は字を廣裕という。
                      仁範。
                      仁勗は字を道誨という。
                    宮は字を應黃といい、濮州刺史であった。 仁規。
                  単。    
              殷。        
              毅。        
            恂、字は固行、越州司法参軍。 寵、字は知方、臨洪丞。 液、字は既済、金華令。 義立、字は道彰、襄州別駕。 有慶、字は廟栄、濠州従事。 弘嗣、字は致君、宣武行営判官、彦休を生む。
              密は字を梁萬といい、義烏尉。 汶は字を涵光といい、殿中侍御史。 鋌は字を周器といい、王府長史。 審は字を遠知といい、明州司戸参軍。 曹は字を司之といい、越州司馬。
                濯は字を海康といい、金吾衛倉曹参軍。      
                寷は字を居方といい、武進丞。      
            憬は字を元士といい、揚州法曹参軍。 殼は字を良孺といい、天長尉。 湜は、大理司直。      
            愃は字を徳美といい、金華令を務めた。 毅は句容尉を務めた。 澄は字を瀛都といい、淮南従事を務めた。      
          有道は字を弘度といい、鞏丞を務めた。 惲は字を揖といい、河内採訪使を務めた。          
          有業がいる。 徴は少監を務めた。 漢は字を淵寧といい、水部員外郎を務めた。 鸞は祠部員外郎を務めた。 次彭は字を寿卿といい、洪州別駕を務めた。 魯苗。  
                    禹苗。  
                頊は雲陽令。 次聃。    
                鷹は武陟令。      
        士会。 弘礼。            
        士雅。 有慶は塩城令。 忱。          
        士師。 弘仁、揚州司馬。            
          弘信、太原府戸曹参軍。            
          弘度。            
      文達、字は幼通、金山令。 奉誠。              
        奉信。              
        昌時、天長令。 有隣、字は善之、金壇令。 悦、字は泰之、廬陵令。 収は字を蔵之といい、鳳翔府司録参軍であった。 宝符は字を霊通といい、杭州録事参軍であった。 瑾は字を徳玉といい、徐州司法参軍であった。 摶。  

高平北祖上房徐氏:詵の次子矩、矩は字を弘深といい、邕を生む。邕は字を文和といい、廉を生む。廉は字を元平といい、則を生む。則は字を元度といい、尚を生む。尚は字を光漢といい、大司農となり、費を生む。費は字を子文といい、金威将軍・東莞侯となり、升を生む。升は字を玄明といい、司空掾となり、東莞侯を襲爵し、珪を生む。珪は字を少玉といい、姑熟令となり、欽を生む。欽は字を思祖といい、大中大夫となり、長卿を生む。長卿は字を徳師という。二子:萬・僉。萬は字を士諧といい、平原太守となり、続を生む。続は字を承先といい、城門校尉となる。二子:寵・恵。恵は字を士安といい、司空掾となり、胄を生む。胄は字を彦光といい、本郡主簿功曹となる。二子:允・訓。允は字を仲和といい、鄙を生む。鄙は字を子頑という。二子:訪・隆。訪は字を公謀といい、魏の鎮北将軍となる。二子暢は字を彦春といい、晋の隴西内史となる。四子:沇・胤・敷・蘭。蘭は字を石侯といい、侍御史となり、澹を生む。澹は字を洛川といい、長寿令となり、乾を生む。乾は字を文祚といい、給事中となり、道娯を生む。道娯は字を道福といい、員外郎となり、道祖を生む。道祖は字を弘業といい、宋の車騎行将軍となり、玄英を生む。玄英は字を智仁といい、奉朝請となる。景初を生み、尚書正員外郎となる。二子:弘師・弘道、世々曹州離狐に住み、隋末に滑州衞南に移る。世勣に至り、属籍に預かって李氏と為り、武后の世に旧姓に復す。

弘師は字を徳令といい、南斉の直閤舎人であった。 琛は侍御史であった。 懋は梁の荊州刺史であった。 元起は字を山立といい、隋の濮陽太守であった。 蓋は字を広済といい、陵州刺史・舒国公であった。 世勣は字を茂功といい、太宗・高宗の宰相であった。 震は梓州刺史。 敬業は柳州司馬。        
              敬猷は盩厔令。        
              思順は字が知通で、鴻臚卿。 湘は字が漢津で、壽州刺史。 弘光は字が大明で、岐王傅。    
        康は字が徳栄で、譙郡太守。 弼は司衞正卿。            
弘道は字が太玄で、陳太常卿。 珍は字が大器で、隋閤下舍人。 元隠は字を巌客といい、彭沢県令を務めた。 唐は字を景明といい、沛県令を務めた。 羌は字を景方といい、鄭州長史を務めた。            

徐氏の宰相三人。商・彦若・世勣。

孔氏は子姓より出づ。商の帝乙の長子微子啓は宋に封ぜられ、弟微仲衍の曾孫湣公捷は弗父何を生む。何は宋父周を生み、周は世父勝を生み、勝は正考父を生み、父は嘉を生み、字を孔父という。孔父は木金父を生み、金父は睪夷父を生み、王父の字を以て氏と為す。防叔を生み、華父督の難を避けて魯に奔り、大夫と為る。伯夏を生み、夏は鄒の大夫叔梁紇を生む。紇二子:孟皮・仲尼。仲尼は魯の司寇となり、相事を摂す。鯉を生み、字を伯魚という。伯魚は伋を生み、字を子思といい、魯穆公の師と為る。白を生み、字を子上といい、斉威王の相となる。白は求を生み、字を子家という。求は箕を生み、字を子京といい、魏の相となる。箕は穿を生み、字を子高という。穿は斌を生み、字を子慎といい、一名は胤、魏の文侯の相文信君となる。三子:鮒・騰・樹。騰は字を子襄といい、漢の孝恵博士・長沙太傅となる。忠を生み、字を子貞といい、博士となる。忠二子:武・安国。武は延年を生み、大将軍・太傅となる。延年は覇を生み、字を次孺といい、給事中・高密相・褒成烈君となる。四子:福・振・喜・光。福は関内侯となる。房を生み、房は均を生み、字を長平といい、尚書郎となる。大司馬元成侯志を生み、志は損を生む。均より皆世襲して襃成侯となり、損に至り、徙封して襃亭侯と為る。曜を生み、曜は完を生む、子無く、弟子の魏の奉議郎羨を以て嗣と為す。羨は晋の太常卿・黄門侍郎震を生み、震は嶷を生み、嶷は豫章太守撫を生み、撫は従事中郎懿を生む。羨以下襲いて奉聖侯と為る。宋の崇聖侯鮮を生み、鮮は後魏の崇聖大夫乗を生み、乗は秘書郎霊珍を生み、霊珍は文泰を生む。霊珍以下襲いて崇聖侯と為る。文泰は渠を生む。

渠は後周の鄒国公であった。 長孫は公位を継承した。 嗣哲は隋の呉郡主簿・紹聖侯であった。 徳倫は褒聖侯であった。 崇基は侯位を継承した。 璲之は字を蔵輝といい、都水使者を務め、文宣公を継承した。 萱は泗水県令を務めた。 斉卿、青州司兵参軍。 惟晊、兗州参軍。 策。 振、字は国文、刑部員外郎。 昭儉、秘書郎、曲阜令。
                    拯、字は弘済。  
                    郁。 述、字は彰聖。

下博孔氏は関内侯福の七世孫郁より出づ、後漢の冀州刺史。揚を生み、下博亭侯となり、子孫因ってここに居る。七世孫霊亀、後魏の国子博士。碩を生む。

碩、後魏の治書侍御史。 安、北斉の青州法曹参軍。 穎達は字を冲遠といい、国子祭酒・曲阜憲公であった。 志玄は国子司業であった。 恵元は国子司業であった。 立言は祠部郎中であった。            
          眘言は黄州刺史であった。            
      志約は礼部郎中であった。 琮は洪州都督であった。              
      志亮は中書舎人であった。                

曲阜憲公穎達の族孫務本。孔子より是に至るまで三十五世。

務本は東光令であった。 如珪は海州司戸参軍であった。 岑父は、著作佐郎であった。 載。                
      戣は、給事中であった。 溫質。 絢は字を延休という。            
          綸は字を昌言という。            
          纁は字を徵夫という。            
        溫孺。 緯は字を化文といい、僖宗・昭宗に仕えて宰相となった。 昌弼は字を佐化という。          
          絳は字を受文という。            
          緘。 昌広。          
        温憲。              
        温裕。 紓は字を特卿という。            
          続は字を胤脩という。            
      戡は字を君勝といい、昭義節度判官。                
      戢は、庫部員外郎。 温業は字を遜志という。 晦、字は文為。 昌序、字は昭挙。          
          炅、字は済美、萊州刺史。 昌庶、字は幾聖、虞部郎中。 莊、字は文愿。 承恭。      
        温諒。 繢。 昌明、字は昭儀。          
      戵。                
      威。                
    巢父は給事中。                  

孔氏の宰相一人。緯。

獨孤

独狐氏は劉氏より出づ。後漢の世祖は沛献王輔を生み、輔は釐王定を生み、定は節王丐を生む。丐二子:広・廙。廙は洛陽令となる。穆を生み、穆は度遼将軍進伯を生み、匈奴を撃ち、兵敗れて執られ、孤山下に囚わる。尸利を生み、単于以て谷蠡王と為し、号して独狐部という。尸利は烏利を生む。二子:去卑・猛。猛は副論を生む。副論は路孤を生み、路孤は眷を生み、眷は羅辰を生み、後魏の孝文に従って洛陽に徙り、河南人と為り、初め其の部を以て氏と為し、位は定州刺史・永安公となる。廷尉貞公万齢を生む。万齢は稽を生み、字を延平といい、鎮東将軍・文公となる。稽は鎮東将軍帰を生み、帰は冀を生む。

冀は字を希顔といい、定州刺史・武安烈公。 永業は字を世基といい、周の大司寇・臨川郡王。 子佳は隋の淮州刺史、武安公。 義恭。                
      義盛。 士約。   冊は戸部郎中。          
            恩。 華は、兵部郎中。        
      叔徳。 文恵は、明威将軍。 楷は、潁川郡長史。 憕。          
            丕は字を山甫といい、剡主簿。          
            万。          
          峻は、越州都督・左金吾大将軍。            
          嶼は、大理少卿。            
      義順は字を偉悌といい、虞・杭・簡の三州刺史、洛南郡公。 元愷、給事中。 思莊、右金吾大將軍。            
          思行、洋州刺史。            
        元康。     明、駙馬都尉。        
        元慶。 思暕、鄠令。 賓庭、左補闕。          
            含章、左金吾兵曹參軍。 問俗、鄂州刺史。 勉,揚子県令。      
                勛。      
                助,太子舎人。 申叔,校書郎。    
                  遐叔。    
                勸。      
            易知。          
            通理,殿中侍御史、潁川郡長史。 汜,睦州刺史。        
              巨,右驍衞兵曹参軍。        
              及は字を至之といい、常州刺史で、謚は文といった。 朗は協律郎。      
                郁は字を古風といい、祕書少監。 庠は字を賢府という。    
              正は真定尉。        
            道済は導江丞。 𢘽。        
              愐は左司郎中。 寔は兼殿中侍御史。      
                寂。      
                密は雲州刺史。 蒙。    
                  雲は字を公遠といい、吏部侍郎。 回。  
                    損は字を又損といい、昭宗の宰相。  
                    遅は字を後已という。  
                    憲は字を正風という。  
                  霖は祕書監。    

独狐氏の宰相一人。損。

三公三師

柳城李氏、世々契丹の酋長と為り、後に京兆万年に徙る。

令節は左威衛大将軍・幽州経略軍副使。 重英は鴻臚卿兼檀州刺史。 楷洛、左羽林大將軍、朔方節度副使、薊郡公。 遵宜、將軍。                
      遵行、將軍。                
      光弼、太尉兼侍中、臨淮武穆王。 義忠、太僕卿。              
        象、太僕卿。              
        彙、宿州刺史。              
          黯、景州刺史。            
      光琰。                
      光顏、鴻臚卿。                
      光進は字を太應といい、刑部尚書・武威郡王であった。 元弈。              
        元憑。              

武威李氏、本は安氏、姫姓より出づ。黄帝は昌意を生み、昌意の次子安は西方に居り、自ら安息国と号す。後漢末、子世高を遣わして朝に入り、因って洛陽に居る。晋・魏の間、安定に家し、後に遼左に徙り、乱を避けて又武威に徙る。後魏に難陀孫婆羅有り、周・隋の間、涼州武威に居て薩宝と為る。興貴・脩仁を生む。抱玉に至り姓を李と賜う。

興貴は、左武候大將軍・歸國宜公であった。 恒安。 文成。 忠敬は、松鄯会三州都督であった。 抱玉は、初名を重璋といい、守司徒・平章事・涼國昭武公であった。 自正は字を尚貞といい、少府少監で、公を襲った。 緒は、京兆府参軍であった。          
            縦、宝鼎主簿。          
            綜、河中参軍。          
            絳。          
  元表。                    
脩仁、左驍衛大将軍・郳国公。 永寿、右領軍将軍。                    
  永達。 懐恪、陳州司馬。 斉管。 抱真、検校司空・平章事・義陽郡王。 緘は少府監。            
          幼成。            
          幼清。            
  永昌。 玄暉は殿中侍御史、貝州刺史。 羲仲は閤門府果毅。                
      羲穆。                
      季明。                

高麗李氏:

正已は本名を懷玉といい、平盧節度使、守司空、饒陽郡王。 納は平盧節度使、檢校司空。 承務。                  
    師古、平盧節度使、検校司徒兼侍中。 明安、閬州司戸参軍。                
    師道、平盧節度使、検校尚書右僕射。 弘方。                
    師賢。                  
    師智。                  
  経。                    
洧、正己の従父兄、徐海観察使、検校戸部尚書。                      
澹、徐州団練副使。                      

柳城の李氏は、もともと奚族で、何氏かはわからない。宝臣の代に張鏁高の養子となり、張氏を名乗り、後に李氏の姓を賜った。

素,左驍衛大將軍。 越,左金吾衛大將軍。 佶,左武衛大將軍。 寶臣,字為輔,成德節度使、守司空、清河郡王。 惟誠,濮州刺史。              
        惟岳,成德軍司馬。              
        惟簡,鳳翔節度使,檢校戶部尚書、武安郡王。 元孫,三原尉。            
          元質,濛陽尉。            
          元立,興平尉。            
          元本、河南府参軍。            
          銖。            
      宝正。                

鶏田の李氏は、もともと河曲部落の稽阿跌の一族で、光進の代に李氏の姓を賜った。

良臣、鶏田州刺史を襲う。 光進、振武節度使。                    
  光顔、河東節度使、守司徒兼侍中。                    

范陽の李氏は、自ら常山愍王の子孫であると称する。

凝、検校太子賓客兼侍御史。 庭弼、澶州刺史。 休祥、薊州刺史。 載義、字は方穀、守太保兼侍中、河東節度使、武威郡王。 正源、右羽林将軍兼御史大夫。              
        弘源、太子左諭徳。              

代北の李氏は、もともと沙陀部落で、朱邪氏を姓とした。国昌の代に李氏の姓を賜り、鄭王の属籍に加えられた。

執宜、代北行営招撫使・蔚州刺史。 国昌(本名は赤心)、代北節度使・検校太尉。 克恭。                  
    克倹。                  
    克用、河東節度使・守太師・中書令・晋王。 存勗、隰州刺史・検校司空。                
      存覇。                
      存渥。                
      存紀。                
      存乂。                
      存美。                
      存確。                
      存禮。                
    克柔、代州刺史。                  
  赤忠。                    
  奉國。                    

李氏の三公は七人、三師は二人。柳城の李氏には光弼がいる。武威の李氏には抱玉がいる。高麗の李氏には正己がいる。また、柳城の李氏には宝臣がいる。鶏田の李氏には光顔がいる。范陽の李氏には載義がいる。代北の李氏には克用がいる。

営州の王氏は、もともと高麗の一族である。

虔威、朔方軍將。 思禮、司空、霍國武烈公。                    

太原の王氏は、代々祁県に住み、後に平州に移り、縉の代に侯希逸に従って南遷し、河内の温県に住んだ。

靖は、右武衛大将軍。 瓌は、左金吾衛大将軍。 縉は、太子詹事。 智興は字を匡諫といい、宣武節度使・守太傅・雁門郡王。 晏平は、永州司戸参軍。              
        宰は、太原節度使。              
        晏皐は、左威衛将軍。              
        晏宝。              
        晏恭。              
        晏逸。              
        晏深。              
        晏斌。              
        晏韜。              

安東の王氏は、もともと阿布思の一族で、代々安東都護府に属し、五哥之といい、左武衛将軍となり、末怛活を生んだ。

末怛活、左金吾衛大將軍。 升朝、檢校太子賓客・樂安郡王。 廷湊、成德節度使。 元逵、檢校司徒・同平章事・成德節度使。 紹鼎、檢校尚書左僕射・成德節度使。 景胤、深州刺史。            
          景崇、檢校太傅・中書令・成德節度使・常山郡王。 鎔、太尉中書令、成徳節度使。 昭祚。        
          景萼。            
        紹懿、検校司空、成徳節度使。              

王氏の三公は二人、三師は一人。営州の王氏には思礼がいる。河内の王氏には智興がいる。安東の王氏には鎔がいる。

田氏は媯姓から出た。陳の厲公の子の完は、字を敬仲といい、斉に仕え、初めに采地があり、それによって田氏と号した。また、「陳」と「田」は音が近いともいう。田和の代に斉を簒奪して諸侯となり、九世で王建に至り、秦に滅ぼされた。漢が興ると、諸田は陽陵に移され、後に北平に移った。魏の議郎の田疇は、字を子泰という。二十二世の孫に璟がいる。

璟、鄭州司馬。 守義、安東副都護。 承嗣、魏博節度使、太尉、鴈門郡王。 維、魏州刺史。                
      朝、神武将軍。                
      華、太常少卿、駙馬都尉。                
      繹。                
      綸。                
      綰。                
      緒、魏博節度使、検校左僕射同平章事、駙馬都尉、常山郡王。 季和、澶州刺史。              
        季安、字は夔、魏博節度使、検校司徒。 懐諫、右監門衛将軍。            
          懐礼。            
          懐詢。            
          懐譲。            
        季直は、魏博の衙将である。              
      繪。                
      純。                
      紳。                
      縉は字を雲長といい、右領軍将軍・扶風郡公である。 季宗は、監察御史である。              
        季昌は、福王府の参軍である。              
        季皐。              
        季鷹。              
        季卿。              
        季黄              
        季芳              
    庭琳                  
  延惲、安東都護府司馬 庭玠、相州刺史 弘正、字は安道、成徳節度使、検校司徒兼中書令、沂忠愍公 早、安南都護              
        牟、天平節度使              
        布、字は執礼、魏博節度使、検校工部尚書、孝公 鐬、天平節度使、検校尚書左僕射            
          在宥は、安南都護。            
        章は、洛陽令。 在賓。 鶚は、盱眙令。          

田氏から三公が一人出た。田承嗣。

烏氏は姫姓から出た。黄帝の後裔で、少昊氏が烏鳥に因んで官名とし、世功によって氏とした。斉に烏之餘がおり、その子孫は代々北方に住み、烏洛侯と号し、後に張掖に移った。

察は、左武衞大將軍。 令望は、左領軍大將軍。 蒙は、左武衞中郎將。 承恩。                
      承玭は、右威衞將軍、檢校殿中監、昌化郡王。 重胤は字を保君といい、天平節度使、守司徒、邠國公。 漢弘、左羽林将軍。            
          行専、密州刺史。            
          漢貞、左金吾将軍。            
          行方、河南丞。            
          漢封、衛尉寺丞。            
          漢章、右驍衛倉曹参軍。            
          行思、左衛倉曹参軍。            
        重元。              

烏氏から三公が一人出た。烏重胤。

【結】

唐代の宰相は三百六十九人で、合わせて九十八の氏族から出た。

再入五十七人:長孫无忌、楊師道、李勣、褚遂良、李義府、劉仁軌、騫味道、狄仁傑、姚璹、李元素、婁師德、陸元方、蘇味道、楊再思、杜景佺、宗楚客、魏元忠、張錫、唐休璟、韋嗣立、蘇瓌、蕭至忠、岑羲、宋璟、郭元振、竇懷貞、源乾曜、苗晉卿、李峴、杜鴻漸、李勉、鄭餘慶、武元衡、李吉甫、張弘靖、李逢吉、王涯、王播、牛僧孺、李宗閔、李德裕、崔鉉、杜悰、白敏中、劉瞻、盧攜、鄭從讜、裴澈、蕭遘、韋昭度、孔緯、徐彥若、李谿、王摶、陸扆、崔遠、裴樞。
三入十二人:武承嗣、武攸寧、豆盧欽望、武三思、李嶠、李懷遠、崔湜、劉幽求、張說、張延賞、王鐸、鄭畋。
四入三人:韋巨源、姚元之、韋安石。
五入三人:蕭瑀、裴度、崔胤。

三公三師は七十一人:

宗室親王二十人:秦王世民、齊王元吉、荊王元景、吳王恪、徐王元禮、韓王元嘉、霍王元軌、舒王元名、相王旦、宋王憲、申王撝、邠王守禮、忠王浚、薛王業、慶王琮、廣平郡王俶、福王綰、撫王紘、榮王㥽、建王震。
以宰相及前宰相遷者二十七人:裴寂、房玄齡、長孫无忌、李勣、武三思、楊國忠、杜佑、裴度、王涯、李德裕、李讓夷、杜悰、白敏中、令狐綯、夏侯孜、韋保衡、王鐸、鄭畋、鄭從讜、蕭遘、韋昭度、孔緯、杜讓能、徐彥若、崔胤、王摶、柳璨。
以軍功進者二十人:李光弼、郭子儀、王思禮、僕固懷恩、李抱玉、田承嗣、李正已、朱泚、李寶臣、侯希逸、馬燧、李晟、李光顏、烏重胤、王智興、李載義、李克用、王建、韓建、朱全忠。
以恩澤進者四人:武攸暨、李輔國、于頔、韓弘。

全ては宰相世系に通じて見える。別に田氏、烏氏の二族を記す。希逸は、その世系が失われている。輔国は宦官である;懐恩は叛臣である;朱泚、王建、韓建、朱全忠は、唐の盗賊である、皆削除して記さない。

原本を確認する(ウィキソース):新唐書 巻075下