常氏は姫姓に由来する。衛の康叔の支孫が常邑に封ぜられ、それによって氏とした。唐に新豊常氏がある。
| 緒,咸安令。 | 毅,𣏌王府司馬。 | 楚珪,雍王府文學。 | 無名,禮部員外郎。 | 著,侍御史。 | |||||||
| 曾,弘農令。 | |||||||||||
| 普,戶部郎中。 | |||||||||||
| 魯は渭南尉。 | |||||||||||
| 無為は三原丞。 | 皆は司農卿。 | 仲孺は諫議大夫。 | |||||||||
| 衮は代宗・徳宗の宰相。 | |||||||||||
| 無欲。 | |||||||||||
| 無求は右補闕。 |
常氏の宰相は一人。衮。
喬氏は姫姓から出ており、本来は橋氏であった。漢の太尉喬玄の六世孫の喬勤は、後魏の平原内史となり、孝武帝に従って関中に入り、同州に居住した。喬朗を生み、喬朗は喬達を生んだ。後周の文帝が橋氏に「木」を除くよう命じ、高遠の意味を取った。代々太原に居住した。
| 琳は徳宗の宰相。 | 彝。 | ||||||||||
| 琛。 |
喬氏の宰相は一人。喬琳。
関氏は商の大夫関龍逢の後裔から出ている。蜀の前将軍漢寿亭侯関羽は、侍中関興を生み、その子孫は代々信都に居住した。末裔の関播は、徳宗の宰相となった。関氏の宰相は一人。関播。
渾氏は匈奴の渾邪王から出ており、拓跋氏に従って河南に移住し、それによって氏とした。渾迥貴から渾瑊まで、代々皐蘭州都督を世襲した。
| 潭は、隋の左玉鈐衞大將軍であった。 | 迥貴は、豹韜衞大將軍・霊丘県伯であった。 | 元慶は、鎮国大將軍・検校礼部尚書であった。 | 大德は、左武衞大將軍であった。 | 澄之は、左領軍衞大將軍・検校司徒であった。 | 旻は、永王府参軍であった。 | 徵は、霊武節度判官であった。 | |||||
| 儉は、少府監であった。 | 特は、司農卿であった。 | 正元は、吏部員外郎であった。 | |||||||||
| 徽は潘州刺史。 | |||||||||||
| 宰は揚州司馬。 | |||||||||||
| 正孫は秦州司馬。 | |||||||||||
| 斐は檢校水部郎中。 | |||||||||||
| 景之は坊州刺史。 | |||||||||||
| 大壽は太僕丞。 | 釋之(字は釋之)は左武衞大將軍、寧朔郡王。 | 瓊は太子中允。 | |||||||||
| 瑊は徳宗に仕えて宰相となる。 | 鍊は左羽林將軍。 | ||||||||||
| 鎬は、義武軍節度使。 | |||||||||||
| 鉅は、雅州刺史。 | |||||||||||
| 鋼は、天德軍防禦使。 | |||||||||||
| 鐬は、振武軍節度使。 | |||||||||||
| 𤣱は、左領軍将軍、武当郡王。 | |||||||||||
| 大寧は、左衛率府率。 | |||||||||||
| 大封は、内八作使。 | |||||||||||
| 大猷は、左羽林大将軍、酒泉郡公。 | |||||||||||
| 大鼎は、尚衣奉御。 | |||||||||||
| 大義は、左金吾衛大将軍。 |
渾氏の宰相は一人。渾瑊。
斉氏は姜姓から出ている。炎帝の末裔孫の呂尚が後に斉に封ぜられ、それによって氏とした。漢には平敬侯斉受がおり、四代にわたって封ぜられ、高陽に居住した。晋には武邑侯斉琰がいた。
| 琰。 | 健。 | ||||||||||
| 澄。 | 肅暕、虞部郎中。 | 說、檢校員外郎。 | 猗。 | ||||||||
| 暢。 | |||||||||||
| 粹。 | 虔、光州刺史。 | 知玄、長山令。 | 澣は平陽太守。 | 䎖は信州刺史。 | |||||||
| 翧は左龍武倉曹参軍。 | 抗は遐挙の字で、徳宗の宰相。 | 餗は洛陽尉。 | |||||||||
| 珝は吏部郎中。 | 揔は衢州刺史。 | ||||||||||
| 䎗。 |
瀛州齊氏
| 𤣱。 | 昭は殿中侍御史。 | 孝若は、大理正。 | |||||||||
| 汶は、澤州刺史。 | |||||||||||
| 映は、徳宗に仕えて宰相。 | |||||||||||
| 暭は、京兆司錄參軍。 | |||||||||||
| 照は、池州刺史。 | |||||||||||
| 煦は、字を徳溫。 |
斉氏の宰相は二人。斉抗、斉映。
董氏は姫姓から出ている。黄帝の末裔孫に飂叔安がおり、董父を生んだ。舜が董氏の姓を賜った。末裔孫の辛有は、辛有の子孫が晋に分かれて移住し、董孤がいた。末裔孫の董翳は、項羽によって翟王に封ぜられ、高奴に都し、子孫は隴西に居住した。漢の江都相董仲舒の末子の孫が、広川から隴西に移り、末裔孫が河東に移った。
| 仁琬は、梁州博士。 | 大禮。 | 伯良は、新浦主簿。 | 晉は、字を混成、徳宗に仕えて宰相。 | 全道、殿中少監。 | |||||||
| 溪、商州刺史。 | 居中。 | ||||||||||
| 従直。 | |||||||||||
| 居敬。 | |||||||||||
| 全素、太子中舎人。 | |||||||||||
| 澥、太常寺太祝。 |
董氏の宰相は一人。董晋。
賈氏は姫姓から出ている。唐叔虞の末子の公明は、康王によって賈に封ぜられ、賈伯となった。河東臨汾に賈郷があり、その地である。晋に滅ぼされ、国を氏とした。晋の公族狐偃の子の射姑は晋の太師となり、賈に食邑され、字は季他、また賈季とも号した。漢には長沙王太傅賈誼がおり、賈璠を生み、尚書中兵郎となった。二人の子、賈嘉と賈惲を生んだ。賈嘉は宜春太守となり、賈敻を生み、游撃将軍となった。五人の子、賈洪、賈潤、賈汭、賈湘、賈注を生んだ。賈汭は軽騎将軍となり、賈曄を生み、下邳太守となった。二人の子、賈冰と賈淵を生んだ。賈淵は遼東太守となった。三人の子、賈納、賈邠、賈丕を生んだ。賈丕は賈沂を生み、祕書監となった。二人の子、賈廷玉と賈秀玉を生んだ。賈秀玉は武威太守となり、賈衍を生み、兗州刺史となった。賈龔を生み、軽騎将軍となり、武威に移住した。二人の子、賈綵と賈詡を生んだ。賈詡は魏の太尉・肅侯となり、賈璣を生み、駙馬都尉・関内侯となり、また長楽に移った。二人の子、賈通と賈延を生んだ。賈通は侍中・車騎大将軍となった。三人の子、賈仲安、賈仲謀、賈仲達を生んだ。賈仲達は潁川太守となった。賈疋を生み、字は彦度、軽車将軍・雍州刺史・酒泉郡公となった。二人の子、賈乂と賈康を生んだ。賈康は祕書監となった。二人の子、賈鍇と賈鈞を生んだ。賈鈞は賈弼を生み、散騎侍郎となった。二人の子、賈躬之と賈匪之を生んだ。賈躬之は宋の太宰参軍となった。四人の子、賈希鏡、賈希遠、賈希逸、賈希叟を生んだ。賈希鏡は南斉の外兵郎となり、賈梲を生み、義興郡太守となった。賈執を生み、梁の太府卿となった。二人の子、賈暹と賈肇を生んだ。賈肇は二人の子、賈寰と賈宏を生んだ。賈宏は後梁の中軍長史となった。賈勰を生み、北斉の青兗等州刺史・河東公となった。二人の子、賈𡼗と賈巘を生んだ。賈巘は殿中監となった。三人の子、賈懿、賈慤、賈憲を生んだ。賈憲は葛栄の難を避け、浮陽に避難した。
| 憲、字は元楷、後周の秘書監。 | 処静、隋の成州長史。 | 敬言、刑部郎中、滑州刺史。 | 令思、礼部員外郎。 | 晋、衛尉卿。 | |||||||
| 恒、司門員外郎、池州刺史。 | 元敏、澄城令。 | ||||||||||
| 元遜、殿中丞。 | |||||||||||
| 遠則、長河尉。 | 知義、沁源主簿。 | 元琰、沁水丞。 | 耽、字は敦詩、徳宗の宰相。 | 疇、司農寺主簿。 | |||||||
| 疄、少府監、魏國公を襲封。 | 侁、左武衞冑曹参軍。 | 惟慶、丹州刺史・河東縣男。 | 洮、西水令。 | 翔、検校尚書・水部員外郎。 | |||||||
| 翱。 | |||||||||||
| 漵、華原尉。 | |||||||||||
| 㽥、楚州刺史。 | |||||||||||
| 敬忠、帰州刺史。 | |||||||||||
| 処澄、涇陽令。 | 玄禕。 | ||||||||||
| 玄暐。 | 季良、奉天尉。 | 岌、検校員外郎。 | 稜、大理評事。 | ||||||||
| 穜、字は嘉穎。 | |||||||||||
| 季隣、長安主簿。 | 岧。 | ||||||||||
| 嶷。 |
賈氏から宰相は二人。賈耽、賈餗。
権氏は子姓から出る。商の武丁の裔孫が権に封ぜられ、その地は南郡当陽県の権城である。楚の武王が権を滅ぼし、那処に遷し、その孫がこれにより氏とした。秦が楚を滅ぼし、大姓を隴西に遷し、天水に住んだ。漢に左輔都尉の権忠、十四世孫の権翼、字は子良、前秦の右僕射・安丘敬公。子に宣吉・宣褒を生む。宣褒は後秦の黄門侍郎、六世孫に権栄。
| 栄、隋の儀同、鄜城公。 | 文誕,涪州と常州の刺史、平涼公。 | 崇嗣。 | 南仲。 | ||||||||
| 崇基,屯田員外郎。 | 上仁。 | 良史,沢州刺史。 | |||||||||
| 崇先,水部員外郎。 | |||||||||||
| 崇本,匡城令。 | 無待,成都尉。 | 倕。 | 皐は字を士繇といい、著作郎であった。 | 徳輿は字を載之といい、憲宗の宰相となった。 | 璩は字を大圭といい、鄭州刺史であった。 | ||||||
| 珏は字を大玉という。 | |||||||||||
| 伋は臨潁令であった。 | 隼は字を子鷙といい、華州司士参軍であった。 | 少成は桐廬尉であった。 | 頊は両当令であった。 | ||||||||
| 琯は華州参軍であった。 | |||||||||||
| 審は字を子詢という。 | |||||||||||
| 少清。 | |||||||||||
| 倬。 | |||||||||||
| 若訥、桂州・歙州・梓州の三州刺史。 | 倣、紫渓県令。 | 有方、蘄県令。 | 長孺、字は直卿。 | ||||||||
| 僎、安平県令。 | 達、字は達、咸陽県丞。 | 塤。 | |||||||||
| 恩。 | 絳。 | ||||||||||
| 無巳。 | 偉。 | 寅。 | |||||||||
| 儦。 | |||||||||||
| 同光。 | 儹。 | ||||||||||
| 侹。 |
権氏から宰相は一人。権徳輿。
皇甫氏は子姓から出る。宋の戴公白が公子充石を生み、字は皇父。皇父が季子来を生み、来が南雍𡙇を生み、王父の字を氏とした。𡙇の六世孫に孟之、孟之が遇を生み、避地して魯に奔る。裔孫の皇甫鸞、漢の興りに魯から茂陵に徙り、「父」を「甫」に改める。裔孫の晋の広魏太守皇甫固、皇甫柴を生み、襄陽に徙り、後にまた寿春に徙り、裔孫に皇甫珍義。
| 珍義,資建二州刺史。 | 文亮,高陵令。 | 鏡幾。 | 恂。 | 岳。 | |||||||
| 喦。 | |||||||||||
| 隣幾、太子洗馬。 | 憬。 | ||||||||||
| 悰。 | |||||||||||
| 愔。 | |||||||||||
| 愉。 | 鏞、字は龢卿、太子少保。 | 璥。 | |||||||||
| 珧。 | |||||||||||
| 鎛は憲宗の宰相を務めた。 | 珪、字は徳卿。 | 蘊、字は待価。 | |||||||||
| 知常は洛州・揚州の長史を務めた。 | 懌。 | ||||||||||
| 悟。 | |||||||||||
| 文房は黄門侍郎を務めた。 | 希莊は麟台郎を務めた。 | 翼は字を謀安といい、青州刺史であった。 | 准。 |
皇甫氏から宰相は一人。皇甫鎛。
程氏は風姓から出る。顓頊が称を生み、称が老童を生む。老童に二子:重・黎。重は火正となり、地を司り、その後世は天地を掌る官となる。裔孫が程に封ぜられ、程伯といい、雒陽に上程聚があり、その地である。周の宣王の時、程伯休父がその官守を失い、諸侯として王の司馬となり、また司馬氏がある。程氏は世に長安に住む。
| 思奉は利州刺史であった。 | 子珪は左贊善大夫であった。 | 献可は太子左諭徳であった。 | 异は字を師挙といい、憲宗の宰相であった。 | 巽。 |
程氏から宰相は一人。程异。
令狐氏は姫姓から出る。周の文王の子畢公高の裔孫畢万、晋の大夫となり、芒季を生む。芒季が武子魏犫を生む。犫が顆を生み、秦の将杜回を獲る功により、別に令狐に封ぜられ、文子頡を生み、これにより氏とし、世に太原に住む。秦に太原守五馬亭侯の令狐範、十四世孫の漢の建威将軍令狐邁、翟義と起兵して王莽を討ち、兵敗れて死す。三子:伯友・文公・称、皆燉煌に奔る。伯友は亀茲に入り、文公は疏勒に入り、称は故吏に匿われ、遂に効轂に住む。称に六子:扶・堅・由・羨・瑾・猛。由は字は仲平、後漢の伊吾都尉。六子:禹・霸・容・明・渙・淳。禹は字は巨先、博陵太守。四子:輝・洽・延・溥。溥は字は文悟、蒼梧太守。三子:璜・叡・瑒。溥の五世孫の晋の諫議大夫令狐馨、馨の孫の令狐亜、字は就胤、前涼の西海太守・安人亭侯。二子:𤧕・綏。亜の孫の令狐敏、字は永昌、前涼の鳴沙令。四子:達・忠・襲・越。敏の五世孫の令狐虬、字は恵献、後魏の燉煌郡太守・鸇陰県子。四子:元保・整・慶保・休。整は周の御正中大夫・彭陽襄公、宇文氏の姓を賜り、令狐熙を生む。
| 熙は隋の吏部尚書・武康公であった。 | 元超は撫寧令であった。 | 濬は上邽令であった。 | 崇亮は、昌明県令。 | 承簡は字を居易といい、太原府功曹参軍。 | 楚は字を殼士といい、憲宗の宰相。 | 緒は、河南少尹。 | |||||
| 綯は字を子直といい、宣宗の宰相。 | 滈は、太常博士。 | ||||||||||
| 澄。 | |||||||||||
| 専。 | |||||||||||
| 渙は、中書舎人。 | |||||||||||
| 従は、検校膳部郎中。 | |||||||||||
| 定は字を履常といい、桂管観察使であった。 | 緘は字を識之という。 | 渢は字を中化という。 | |||||||||
| 湘。 | |||||||||||
| 徳棻は国子祭酒であった。 | 脩已。 | 伯陽。 | |||||||||
| 滔は丹楊郡司馬であった。 | 峴は刑部員外郎であった。 | ||||||||||
| 峘は秘書少監であった。 | 丕は太僕丞。 | ||||||||||
| 𡷛は和州刺史。 |
令狐氏から宰相は二人。令狐楚、令狐綯。
段氏は姫姓から出る。鄭の武公の子共叔段、その孫が王父の字を氏とした。漢に北地都尉の段卬、世に武威に住む。十四世孫の後魏の晋興太守段紛。五世孫の段偃師、河南に徙る。
| 偃師は太子家令。 | 志玄は右驍衞大將軍、褒國忠壯公。 | 瓚は右屯衞大將軍。 | 懷簡は坊州刺史。 | ||||||||
| 瓘は朝邑令。 | 懷昶は德州參軍。 | 諤は榮州刺史。 | 文昌は字を墨卿といい、穆宗の宰相。 | 成式、字は柯古。 | |||||||
| 懐晏。 | |||||||||||
| 懐皎。 | |||||||||||
| 珪、宣州長史。 | 懐本、礼部郎中。 |
段氏の宰相は一人。文昌。
元氏は拓跋氏に出自する。黄帝が昌意を生み、昌意の末子の悃が北方に居住し、十一代目が鮮卑の君長となった。平文皇帝鬱律の二子:什翼犍、烏孤。什翼犍は昭成皇帝で、初めて代王と号し、道武皇帝に至って魏と改号し、孝文帝に至って元氏となった。什翼犍の七子:一は寔君、二は翰、三は閼婆、四は寿鳩、五は紇根、六は力真、七は窟咄。寔君が道武皇帝珪を生み、珪が明元皇帝嗣を生み、嗣が太武皇帝燾を生み、燾が景穆皇帝晃を生んだ。景穆の諸子の中で、濬、新成、子推、天錫、雲、禎、胡児、休の八房の子孫のみが唐代に聞こえた。濬は文成皇帝である。文成の諸子の中で、弘、長楽の二房の子孫のみが唐代に聞こえた。弘は献文皇帝である。献文の諸子の中で、宏、幹、羽、勰の四房の子孫のみが唐代に聞こえた。宏は孝文帝である。七子:恂、恪、懐、愉、懌、悦。恪は宣武皇帝である。懐は広平文穆王で、広平文懿王悌を生み、悌が侍中・驃騎大将軍・広平王賛を生み、賛が謙を生んだ。
| 謙、後周の韓国公。 | 菩提、周の襲公。 | 宝琳、綏州刺史、襲公。 | 昭。 | 穎。 | 庭珍。 | 伯明,陳王府諮議參軍,襲韓公。 | 紹俊,襲公。 | 文贄,襲公。 | 応,襄城尉。 | ||
| 愻,汴州文学。 | |||||||||||
| 慇,新井令。 | |||||||||||
| 承裕,汧陽主簿。 | |||||||||||
| 顧道,明堂令。 |
什翼犍の第六子力真、力真の二子:意烈、意勁。意勁は彭城公。五世孫の敷州刺史禎、禎の二子:巌、成。
| 巌字君山,隋兵部尚書、平昌公。 | 琳。 | 義恭。 | 孝節、工部員外郎。 | 通理、給事中。 | 従、右司員外郎。 | ||||||
| 修、河南少尹。 | |||||||||||
| 希声、吏部侍郎。 | |||||||||||
| 弘、隋北平太守。 | 義端、魏州刺史。 | 延寿、睦州刺史。 | 愷は通州刺史。 | ||||||||
| 延福。 | 怡。 | 偕は帰州刺史。 | |||||||||
| 伾。 | |||||||||||
| 偉は平原尉。 | |||||||||||
| 延景は岐州参軍。 | 悱は南頓丞。 | 寛は比部郎中、舒王長史。 | 泝は汝陽尉。 | ||||||||
| 秬は、萬年尉。 | |||||||||||
| 積は、司農少卿。 | |||||||||||
| 稹は字を微之といい、穆宗の宰相。 | 道護。 | ||||||||||
| 宵は、侍御史。 | |||||||||||
| 延祚は、司議郎。 | 平叔は、綿州長史。 | 挹は、吏部員外郎。 | 注。 | ||||||||
| 洪は、饒州刺史。 | 晦。 | ||||||||||
| 錫は字を君貺といい、淄王傅。 | 繇。 | ||||||||||
| 復礼。 | |||||||||||
| 寿。 | |||||||||||
| 琯。 | |||||||||||
| 銑。 | |||||||||||
| 撝は太常博士。 | |||||||||||
| 持は都官郎中。 |
元氏の宰相は一人。稹。大暦の宰相元載は、本来は景氏であるため、ここには記載しない。
路氏は姫姓に出自する。帝摯の子玄元が、堯により中路に封ぜられ、虞・夏の時代に侯と称し、子孫が国を氏とした。漢の符離侯博徳が初めて平陽に居住した。裔孫の嘉、字は君賓、晋の安東太守。孫の藻、藻の二子:纂、建。
| 纂。 | 濤は、後魏の青州刺史。 | 寄奴。 | 恃慶は、安州刺史。 | ||||||||
| 思令。 | 君儒は、北齊の員外郎。 | 徳惟は、相州刺史。 | 励業。 | ||||||||
| 励言は、曹州刺史。 | 欽正。 | ||||||||||
| 欽古。 | |||||||||||
| 励節、華州刺史。 | 欽訓。 | ||||||||||
| 励行、鞏県令。 | |||||||||||
| 神亀、恒州刺史。 | 文逸、申州司馬。 | 敬淳、太常博士。 | |||||||||
| 敬澄。 | |||||||||||
| 敬湛、雍州司馬。 | 暢。 | ||||||||||
| 敬潜、中書舎人。 | 広心、大理司直。 | 常、兼監察御史。 | |||||||||
| 建。 | 建の曾孫慶、後魏の太常卿。 | 彩、後周の夏州刺史。 | 兗、隋の兵部侍郎・閺郷公。 | 文昇、字は文昇、平・愛・秦三州刺史・宣城県公。 | 元叡、勲吏二郎中・広州都尉。 | 幼玉、監察御史。 | 斉暉、徐・宋二州刺史。 | 畿、監察御史。 | 長輿。 | ||
| 季登、諫議大夫。 | 羣、字は正大。 | 嶽、字は周翰。 | 招隱、字は希龍。 | ||||||||
| 巖、字は魯瞻、懿宗の宰相。 | 德延、字は昌遠。 | ||||||||||
| 延規、字は希聖。 | |||||||||||
| 庠。 | |||||||||||
| 晩金、果州刺史。 | |||||||||||
| 元哲、榆次令。 | 太一、太原令。 | 果客。 | 怤、岳州刺史。 | 黄中。 | |||||||
| 嗣恭、字は懿範、初名は剣客、広州都督、冀国公。 | 応、宣州観察使。 | ||||||||||
| 恕、太子詹事、鄜坊節度使。 | 異、兗州刺史。 | 楷は司農卿。 | |||||||||
| 憑は侍御史。 |
また、越王府東閣史祭酒の節がおり、惟恕を生んだ。
| 惟恕は睦州刺史。 | 俊之は太子通事舍人。 | 泌は字を安期といい、副元帥判官・検校戸部郎中。 | 隋は字を南式といい、文宗の宰相。 |
路氏の宰相は二人。巌、隋。
舒氏は偃姓に出自する。皐陶の後裔が蓼に封ぜられ、安豊蓼県がその地である。春秋魯文公五年、楚に滅ぼされ、その後再び楚の属国となり、舒とも、群舒とも、舒蓼とも、舒庸とも、舒鳩とも呼ばれ、一国に五つの名がある。春秋魯襄公二十五年、楚が再び滅ぼし、子孫が国を氏とし、代々廬江に居住した。
| 恒は武昌軍将校。 | 元輿は文宗の宰相。 | ||||||||||
| 元肱は字を良哉という。 | |||||||||||
| 元迥は字を子穎といい、山南東道従事。 | |||||||||||
| 元褒、司封員外郎。 |
舒氏の宰相は一人。元輿。
白氏は姫姓に出自する。周の太王の五世孫虞仲が虞に封ぜられ、晋に滅ぼされた。虞の公族の井伯奚が伯姫を秦に媵し、百里に邑を受けて、百里奚と号した。奚が視を生み、字は孟明、古人は皆先に字を後に名を称するため、孟明視と呼ばれた。孟明視の二子:一は西乞術、二は白乞丙、その後を氏とした。裔孫の武安君起が杜郵で賜死し、始皇がその功を思い、その子仲を太原に封じたため、子孫は代々太原の人となった。二十三世孫の後魏太原太守邕、邕の五世孫建。
| 建、字は彦挙、後周の弘農郡守、邵陵県男。 | 君恕、倉部郎中。 | 大威、梓州刺史。 | |||||||||
| 君慜、牢州別駕。 | 知慎、戸部郎中。 | ||||||||||
| 知節。 | |||||||||||
| 士通、利州都督。 | 志善、尚衣奉御。 | 温、検校都官郎中。 | 鍠は、鞏県令。 | 季庚は、襄州別駕。 | 幼文は、浮梁主簿。 | ||||||
| 居易、字は楽天、刑部尚書。 | 景受は、孟懐観察支使、従子として継ぐ。 | 邦翰は、司封郎中。 | 思斉は、鄭州録事参軍。 | ||||||||
| 行簡、字は退之、膳部郎中。 | 味道は、成都少尹。 | ||||||||||
| 季軫は、許昌県令。 | |||||||||||
| 潾は、揚州録事参軍。 | 季康は、溧水令。 | 敏中は字を用晦、宣宗の宰相。 | 順求は字を幾聖。 | ||||||||
| 崇嗣は字を光祚。 | |||||||||||
| 傅規は字を慶餘。 | |||||||||||
| 季平は、河南主簿。 |
白氏の宰相は一人。敏中。
夏侯氏は姒姓から出る。夏の禹の末裔の孫である東楼公が𣏌侯に封ぜられ、簡公の時に楚に滅ぼされ、弟の他が魯に逃れた。魯の悼公は彼が夏の禹の後裔であるため、采地を与えて侯とし、これにより氏とした。後に魯を去って沛に移り、沛を分けて譙とし、遂に郡人となった。唐に駕部郎中の審封がいる。
| 審封。 | 敏。 | ||||||||||
| 敬。 | |||||||||||
| 孜は字を好學といい、宣宗・懿宗に仕えた。 | 潭は字を虛中といい、禮部侍郎であった。 | 坦。 | 映は字を光文という。 | ||||||||
| 澤は字を表中という。 | |||||||||||
| 斐。 | |||||||||||
| 敖。 | 藻は字を司文という。 |
夏侯氏の宰相は一人。孜。
蔣氏は姒姓から出る。周公の第三子伯齢が蔣に封ぜられ、その地は光州仙居県であり、宋が楽安と改めた。蔣は彊国に滅ぼされ、子孫はこれにより氏とした。漢に蔣詡がおり、十世孫の休が楽安から義興陽羨県に移った。十一世孫の元遜は、陳の左衞将軍。その族に太子洗馬、弘文館学士の瓌がおり、将明を生んだ。
| 將明は、國子司業・集賢殿學士・副知院使であった。 | 乂は字を德源といい、祕書監・義興懿公であった。 | 係は、検校左僕射・淮陽公である。 | 兆。 | 承初は字を昌遠という。 | |||||||
| 曙は字を耀之という。 | 延翰。 | ||||||||||
| 庸は字を台臣という。 | |||||||||||
| 伸は字を大直といい、宣宗・懿宗の宰相を務めた。 | 泳は字を越之という。 | ||||||||||
| 偕は、左補闕である。 | |||||||||||
| 仙。 | |||||||||||
| 佶。 | 琛、字は献之。 |
蔣氏の宰相は一人。伸。
畢氏は姒姓から出る。周の文王の第十五子高が畢に封ぜられ、国を以て氏とした。後漢の兗州別駕諶は、代々東平に住んだ。五世孫の衆慶は、宋の本州大中正。五世孫の憬。
| 憬、司衛少卿・許州刺史。 | 構、戸部尚書・魏景公。 | 抗、兵部員外郎・呉郡太守・江南採訪使。 | 埛、王屋尉。 | 鎬。 | |||||||
| 鉟。 | |||||||||||
| 銶。 | |||||||||||
| 鋭。 | |||||||||||
| 増加。 | |||||||||||
| 栩、豊王府司馬。 | 浚、汾州長史。 | 勻、協律郎。 | 諴、字は存之、懿宗の宰相。 | 紹顏、渭南尉、直史館。 | |||||||
| 知顏、千牛備身。 | |||||||||||
| 曜、侍御史。 |
畢氏の宰相は一人。諴。
曹姓は顓頊から出る。五世孫の陸終の第五子安が曹姓となり、曹挾に至り、邾に封ぜられ、楚に滅ぼされ、再び曹姓となった。唐に河南の曹氏がいる。
| 周。 | 景伯。 | 確は字を剛中といい、懿宗の宰相となった。 | 希甫は字を嵩臣という。 | ||||||||
| 汾は字を道謙といい、戸部侍郎を務めた。 | 希幹は字を荷臣という。 |
曹氏の宰相は一人。確。
徐氏は嬴姓から出る。皐陶が伯益を生み、伯益が若木を生んだ。夏后氏が彼を徐に封じ、その地は下邳僮県である。偃王の時に三十二世で周に滅ぼされ、再びその子宗を徐子に封じた。宗の十一世孫の章禹が呉に滅ぼされ、子孫は国を以て氏とした。章禹の十三世孫の詵は、秦の荘襄王の相となった。仲を生み、仲は字を景伯という。延を生み、延は字を方遠という。由を生み、由は字を智卿という。該を生み、該は字を昌言という。光を生み、光は字を子暉といい、漢の下邳太守。大司農の靜を生み、靜は字を君安という。益州刺史の萬秋を生み、萬秋は字を蘭卿という。左曹給事の充を生み、充は字を彥通という。諫議大夫の安仁を生んだ。二子:豐、霸。豐は北祖、霸は南祖。北祖上房徐氏:豐は字を仲都といい、司空掾。明を生み、明は字を玄通といい、侍中。遷を生み、遷は字を少卿といい、侍中。宣を生み、宣は字を休璥という。二子:琳、瑞。瑞は字を元珪といい、下邳太守。二子:謨、師儉。師儉は字を世節といい、京兆尹。二子:述、超。超は字を彥孫といい、魏の散騎常侍。二子:崇、統。統は字を耀卿といい、晉の江陽太守。三子:瓌、璣、台。台は字を叔衡といい、丹楊令。三子:禕、祑、禇。禇は字を萬秋といい、太子洗馬。二子:寧、恭。寧は字を安期といい、吏部侍郎。五子:豐之、實之、仁之、祚之、育之。祚之は字を興民といい、祕書監。三子:尚之、羨之、欽之。欽之は字を真宇といい、宋の丞相、東莞公。三子:逵之、佩之、邁之。逵之は字を幼道といい、中書侍郎。二子:淳之、湛之。湛之は字を孝源といい、丞相、枝江忠烈侯。二子:恒之、聿之。恒之は字を景方といい、工部郎中、侯を襲ぐ。二子:孝規、孝嗣。孝嗣は字を始昌といい、齊の太尉、文忠公。六子:況、戭、碏、会、嘉、緄。
| 緄は字を仲文といい、斉の侍中を務めた。 | 君敷は字を懐真といい、陳の常侍を務めた。 | 栄は字を子徳といい、隋の通事舎人を務めた。 | 恕は字を克己といい、尚食直長を務めた。 | 筠は字を南美といい、春官尚書・枝江郡公となった。 | 皎は字を景融といい、左驍衛兵曹参軍を務めた。 | 詡は字を擇賢といい、許州司馬を務め、枝江男を襲封した。 | 儀は字を行甫といい、祠部員外郎を務めた。 | 雅。 | |||
| 粲は字を宜遠といい、檢校戶部郎中を務めた。 | 㝡は海陵令を務めた。 | 鄑は光・處・齊・淄・明・泗の六州刺史を務めた。 | |||||||||
| 持。 | |||||||||||
| 向は字を文伯といい、衢・江・陳・潁・鄭・宋の六州刺史を務めた。 | 嚴は字を景肅といい、麻城令を務めた。 | 敦復。 | 輦。 | ||||||||
| 練、字は元白、校書郎。 | 臣質。 | 公閔。 | 爽は景調を生み、景調は巽を生み、巽は侃之を生む。 | ||||||||
| 峻之。 | |||||||||||
| 諤。 | |||||||||||
| 䛑。 | |||||||||||
| 譔。 | |||||||||||
| 訥。 | |||||||||||
| 諡号。 | 摯。 | ||||||||||
| 昭、字は徳光、虞部郎中。 | 孟嘗、字は允義、安州都督。 | ||||||||||
| 昕、字は光烈、また字は景韻、字は脩文、洛州長史。 | 琇、冀州長史。 | 縯、虢州別駕。 | 縝。 | ||||||||
| 弘毅、大理評事。 | 綜、江陵参軍。 | 玭。 | |||||||||
| 晦。 | |||||||||||
| 晧。 | |||||||||||
| 君賓、字は客卿、梁の五兵尚書。 | 澈、字は甘泉、一名は澄、陳の祕書監。 | 文遠、字は廣義、國子博士。 | 士安、字は奉衆、王屋令。 | 有功、字は弘敏、秋官侍郎。 | 倫、字は堅、岐慶二王司馬。 | 瑴、字は和玉、東莞男を襲封、安定太守。 | 濤は字を浚源といい、侍御史であった。 | 杜。 | |||
| 宰は字を舜鈞といい、大理評事であった。 | 商は字を義聲といい、懿宗の宰相であった。 | 彥若は字を俞之といい、昭宗の宰相であった。綰を生み、兵部郎中となった。 | |||||||||
| 仁嗣。 | |||||||||||
| 仁矩は字を廣裕という。 | |||||||||||
| 仁範。 | |||||||||||
| 仁勗は字を道誨という。 | |||||||||||
| 宮は字を應黃といい、濮州刺史であった。 | 仁規。 | ||||||||||
| 単。 | |||||||||||
| 殷。 | |||||||||||
| 毅。 | |||||||||||
| 恂、字は固行、越州司法参軍。 | 寵、字は知方、臨洪丞。 | 液、字は既済、金華令。 | 義立、字は道彰、襄州別駕。 | 有慶、字は廟栄、濠州従事。 | 弘嗣、字は致君、宣武行営判官、彦休を生む。 | ||||||
| 密は字を梁萬といい、義烏尉。 | 汶は字を涵光といい、殿中侍御史。 | 鋌は字を周器といい、王府長史。 | 審は字を遠知といい、明州司戸参軍。 | 曹は字を司之といい、越州司馬。 | |||||||
| 濯は字を海康といい、金吾衛倉曹参軍。 | |||||||||||
| 寷は字を居方といい、武進丞。 | |||||||||||
| 憬は字を元士といい、揚州法曹参軍。 | 殼は字を良孺といい、天長尉。 | 湜は、大理司直。 | |||||||||
| 愃は字を徳美といい、金華令を務めた。 | 毅は句容尉を務めた。 | 澄は字を瀛都といい、淮南従事を務めた。 | |||||||||
| 有道は字を弘度といい、鞏丞を務めた。 | 惲は字を揖といい、河内採訪使を務めた。 | ||||||||||
| 有業がいる。 | 徴は少監を務めた。 | 漢は字を淵寧といい、水部員外郎を務めた。 | 鸞は祠部員外郎を務めた。 | 次彭は字を寿卿といい、洪州別駕を務めた。 | 魯苗。 | ||||||
| 禹苗。 | |||||||||||
| 頊は雲陽令。 | 次聃。 | ||||||||||
| 鷹は武陟令。 | |||||||||||
| 士会。 | 弘礼。 | ||||||||||
| 士雅。 | 有慶は塩城令。 | 忱。 | |||||||||
| 士師。 | 弘仁、揚州司馬。 | ||||||||||
| 弘信、太原府戸曹参軍。 | |||||||||||
| 弘度。 | |||||||||||
| 文達、字は幼通、金山令。 | 奉誠。 | ||||||||||
| 奉信。 | |||||||||||
| 昌時、天長令。 | 有隣、字は善之、金壇令。 | 悦、字は泰之、廬陵令。 | 収は字を蔵之といい、鳳翔府司録参軍であった。 | 宝符は字を霊通といい、杭州録事参軍であった。 | 瑾は字を徳玉といい、徐州司法参軍であった。 | 摶。 |
高平北祖上房徐氏:詵の次子矩、矩は字を弘深といい、邕を生む。邕は字を文和といい、廉を生む。廉は字を元平といい、則を生む。則は字を元度といい、尚を生む。尚は字を光漢といい、大司農となり、費を生む。費は字を子文といい、金威将軍・東莞侯となり、升を生む。升は字を玄明といい、司空掾となり、東莞侯を襲爵し、珪を生む。珪は字を少玉といい、姑熟令となり、欽を生む。欽は字を思祖といい、大中大夫となり、長卿を生む。長卿は字を徳師という。二子:萬・僉。萬は字を士諧といい、平原太守となり、続を生む。続は字を承先といい、城門校尉となる。二子:寵・恵。恵は字を士安といい、司空掾となり、胄を生む。胄は字を彦光といい、本郡主簿功曹となる。二子:允・訓。允は字を仲和といい、鄙を生む。鄙は字を子頑という。二子:訪・隆。訪は字を公謀といい、魏の鎮北将軍となる。二子暢は字を彦春といい、晋の隴西内史となる。四子:沇・胤・敷・蘭。蘭は字を石侯といい、侍御史となり、澹を生む。澹は字を洛川といい、長寿令となり、乾を生む。乾は字を文祚といい、給事中となり、道娯を生む。道娯は字を道福といい、員外郎となり、道祖を生む。道祖は字を弘業といい、宋の車騎行将軍となり、玄英を生む。玄英は字を智仁といい、奉朝請となる。景初を生み、尚書正員外郎となる。二子:弘師・弘道、世々曹州離狐に住み、隋末に滑州衞南に移る。世勣に至り、属籍に預かって李氏と為り、武后の世に旧姓に復す。
| 弘師は字を徳令といい、南斉の直閤舎人であった。 | 琛は侍御史であった。 | 懋は梁の荊州刺史であった。 | 元起は字を山立といい、隋の濮陽太守であった。 | 蓋は字を広済といい、陵州刺史・舒国公であった。 | 世勣は字を茂功といい、太宗・高宗の宰相であった。 | 震は梓州刺史。 | 敬業は柳州司馬。 | ||||
| 敬猷は盩厔令。 | |||||||||||
| 思順は字が知通で、鴻臚卿。 | 湘は字が漢津で、壽州刺史。 | 弘光は字が大明で、岐王傅。 | |||||||||
| 康は字が徳栄で、譙郡太守。 | 弼は司衞正卿。 | ||||||||||
| 弘道は字が太玄で、陳太常卿。 | 珍は字が大器で、隋閤下舍人。 | 元隠は字を巌客といい、彭沢県令を務めた。 | 唐は字を景明といい、沛県令を務めた。 | 羌は字を景方といい、鄭州長史を務めた。 |
徐氏の宰相三人。商・彦若・世勣。
孔氏は子姓より出づ。商の帝乙の長子微子啓は宋に封ぜられ、弟微仲衍の曾孫湣公捷は弗父何を生む。何は宋父周を生み、周は世父勝を生み、勝は正考父を生み、父は嘉を生み、字を孔父という。孔父は木金父を生み、金父は睪夷父を生み、王父の字を以て氏と為す。防叔を生み、華父督の難を避けて魯に奔り、大夫と為る。伯夏を生み、夏は鄒の大夫叔梁紇を生む。紇二子:孟皮・仲尼。仲尼は魯の司寇となり、相事を摂す。鯉を生み、字を伯魚という。伯魚は伋を生み、字を子思といい、魯穆公の師と為る。白を生み、字を子上といい、斉威王の相となる。白は求を生み、字を子家という。求は箕を生み、字を子京といい、魏の相となる。箕は穿を生み、字を子高という。穿は斌を生み、字を子慎といい、一名は胤、魏の文侯の相文信君となる。三子:鮒・騰・樹。騰は字を子襄といい、漢の孝恵博士・長沙太傅となる。忠を生み、字を子貞といい、博士となる。忠二子:武・安国。武は延年を生み、大将軍・太傅となる。延年は覇を生み、字を次孺といい、給事中・高密相・褒成烈君となる。四子:福・振・喜・光。福は関内侯となる。房を生み、房は均を生み、字を長平といい、尚書郎となる。大司馬元成侯志を生み、志は損を生む。均より皆世襲して襃成侯となり、損に至り、徙封して襃亭侯と為る。曜を生み、曜は完を生む、子無く、弟子の魏の奉議郎羨を以て嗣と為す。羨は晋の太常卿・黄門侍郎震を生み、震は嶷を生み、嶷は豫章太守撫を生み、撫は従事中郎懿を生む。羨以下襲いて奉聖侯と為る。宋の崇聖侯鮮を生み、鮮は後魏の崇聖大夫乗を生み、乗は秘書郎霊珍を生み、霊珍は文泰を生む。霊珍以下襲いて崇聖侯と為る。文泰は渠を生む。
| 渠は後周の鄒国公であった。 | 長孫は公位を継承した。 | 嗣哲は隋の呉郡主簿・紹聖侯であった。 | 徳倫は褒聖侯であった。 | 崇基は侯位を継承した。 | 璲之は字を蔵輝といい、都水使者を務め、文宣公を継承した。 | 萱は泗水県令を務めた。 | 斉卿、青州司兵参軍。 | 惟晊、兗州参軍。 | 策。 | 振、字は国文、刑部員外郎。 | 昭儉、秘書郎、曲阜令。 |
| 拯、字は弘済。 | |||||||||||
| 郁。 | 述、字は彰聖。 |
下博孔氏は関内侯福の七世孫郁より出づ、後漢の冀州刺史。揚を生み、下博亭侯となり、子孫因ってここに居る。七世孫霊亀、後魏の国子博士。碩を生む。
| 碩、後魏の治書侍御史。 | 安、北斉の青州法曹参軍。 | 穎達は字を冲遠といい、国子祭酒・曲阜憲公であった。 | 志玄は国子司業であった。 | 恵元は国子司業であった。 | 立言は祠部郎中であった。 | ||||||
| 眘言は黄州刺史であった。 | |||||||||||
| 志約は礼部郎中であった。 | 琮は洪州都督であった。 | ||||||||||
| 志亮は中書舎人であった。 |
曲阜憲公穎達の族孫務本。孔子より是に至るまで三十五世。
| 務本は東光令であった。 | 如珪は海州司戸参軍であった。 | 岑父は、著作佐郎であった。 | 載。 | ||||||||
| 戣は、給事中であった。 | 溫質。 | 絢は字を延休という。 | |||||||||
| 綸は字を昌言という。 | |||||||||||
| 纁は字を徵夫という。 | |||||||||||
| 溫孺。 | 緯は字を化文といい、僖宗・昭宗に仕えて宰相となった。 | 昌弼は字を佐化という。 | |||||||||
| 絳は字を受文という。 | |||||||||||
| 緘。 | 昌広。 | ||||||||||
| 温憲。 | |||||||||||
| 温裕。 | 紓は字を特卿という。 | ||||||||||
| 続は字を胤脩という。 | |||||||||||
| 戡は字を君勝といい、昭義節度判官。 | |||||||||||
| 戢は、庫部員外郎。 | 温業は字を遜志という。 | 晦、字は文為。 | 昌序、字は昭挙。 | ||||||||
| 炅、字は済美、萊州刺史。 | 昌庶、字は幾聖、虞部郎中。 | 莊、字は文愿。 | 承恭。 | ||||||||
| 温諒。 | 繢。 | 昌明、字は昭儀。 | |||||||||
| 戵。 | |||||||||||
| 威。 | |||||||||||
| 巢父は給事中。 |
孔氏の宰相一人。緯。
独狐氏は劉氏より出づ。後漢の世祖は沛献王輔を生み、輔は釐王定を生み、定は節王丐を生む。丐二子:広・廙。廙は洛陽令となる。穆を生み、穆は度遼将軍進伯を生み、匈奴を撃ち、兵敗れて執られ、孤山下に囚わる。尸利を生み、単于以て谷蠡王と為し、号して独狐部という。尸利は烏利を生む。二子:去卑・猛。猛は副論を生む。副論は路孤を生み、路孤は眷を生み、眷は羅辰を生み、後魏の孝文に従って洛陽に徙り、河南人と為り、初め其の部を以て氏と為し、位は定州刺史・永安公となる。廷尉貞公万齢を生む。万齢は稽を生み、字を延平といい、鎮東将軍・文公となる。稽は鎮東将軍帰を生み、帰は冀を生む。
| 冀は字を希顔といい、定州刺史・武安烈公。 | 永業は字を世基といい、周の大司寇・臨川郡王。 | 子佳は隋の淮州刺史、武安公。 | 義恭。 | ||||||||
| 義盛。 | 士約。 | 冊は戸部郎中。 | |||||||||
| 恩。 | 華は、兵部郎中。 | ||||||||||
| 叔徳。 | 文恵は、明威将軍。 | 楷は、潁川郡長史。 | 憕。 | ||||||||
| 丕は字を山甫といい、剡主簿。 | |||||||||||
| 万。 | |||||||||||
| 峻は、越州都督・左金吾大将軍。 | |||||||||||
| 嶼は、大理少卿。 | |||||||||||
| 義順は字を偉悌といい、虞・杭・簡の三州刺史、洛南郡公。 | 元愷、給事中。 | 思莊、右金吾大將軍。 | |||||||||
| 思行、洋州刺史。 | |||||||||||
| 元康。 | 明、駙馬都尉。 | ||||||||||
| 元慶。 | 思暕、鄠令。 | 賓庭、左補闕。 | |||||||||
| 含章、左金吾兵曹參軍。 | 問俗、鄂州刺史。 | 勉,揚子県令。 | |||||||||
| 勛。 | |||||||||||
| 助,太子舎人。 | 申叔,校書郎。 | ||||||||||
| 遐叔。 | |||||||||||
| 勸。 | |||||||||||
| 易知。 | |||||||||||
| 通理,殿中侍御史、潁川郡長史。 | 汜,睦州刺史。 | ||||||||||
| 巨,右驍衞兵曹参軍。 | |||||||||||
| 及は字を至之といい、常州刺史で、謚は文といった。 | 朗は協律郎。 | ||||||||||
| 郁は字を古風といい、祕書少監。 | 庠は字を賢府という。 | ||||||||||
| 正は真定尉。 | |||||||||||
| 道済は導江丞。 | 𢘽。 | ||||||||||
| 愐は左司郎中。 | 寔は兼殿中侍御史。 | ||||||||||
| 寂。 | |||||||||||
| 密は雲州刺史。 | 蒙。 | ||||||||||
| 雲は字を公遠といい、吏部侍郎。 | 回。 | ||||||||||
| 損は字を又損といい、昭宗の宰相。 | |||||||||||
| 遅は字を後已という。 | |||||||||||
| 憲は字を正風という。 | |||||||||||
| 霖は祕書監。 |
独狐氏の宰相一人。損。
柳城李氏、世々契丹の酋長と為り、後に京兆万年に徙る。
| 令節は左威衛大将軍・幽州経略軍副使。 | 重英は鴻臚卿兼檀州刺史。 | 楷洛、左羽林大將軍、朔方節度副使、薊郡公。 | 遵宜、將軍。 | ||||||||
| 遵行、將軍。 | |||||||||||
| 光弼、太尉兼侍中、臨淮武穆王。 | 義忠、太僕卿。 | ||||||||||
| 象、太僕卿。 | |||||||||||
| 彙、宿州刺史。 | |||||||||||
| 黯、景州刺史。 | |||||||||||
| 光琰。 | |||||||||||
| 光顏、鴻臚卿。 | |||||||||||
| 光進は字を太應といい、刑部尚書・武威郡王であった。 | 元弈。 | ||||||||||
| 元憑。 |
武威李氏、本は安氏、姫姓より出づ。黄帝は昌意を生み、昌意の次子安は西方に居り、自ら安息国と号す。後漢末、子世高を遣わして朝に入り、因って洛陽に居る。晋・魏の間、安定に家し、後に遼左に徙り、乱を避けて又武威に徙る。後魏に難陀孫婆羅有り、周・隋の間、涼州武威に居て薩宝と為る。興貴・脩仁を生む。抱玉に至り姓を李と賜う。
| 興貴は、左武候大將軍・歸國宜公であった。 | 恒安。 | 文成。 | 忠敬は、松鄯会三州都督であった。 | 抱玉は、初名を重璋といい、守司徒・平章事・涼國昭武公であった。 | 自正は字を尚貞といい、少府少監で、公を襲った。 | 緒は、京兆府参軍であった。 | |||||
| 縦、宝鼎主簿。 | |||||||||||
| 綜、河中参軍。 | |||||||||||
| 絳。 | |||||||||||
| 元表。 | |||||||||||
| 脩仁、左驍衛大将軍・郳国公。 | 永寿、右領軍将軍。 | ||||||||||
| 永達。 | 懐恪、陳州司馬。 | 斉管。 | 抱真、検校司空・平章事・義陽郡王。 | 緘は少府監。 | |||||||
| 幼成。 | |||||||||||
| 幼清。 | |||||||||||
| 永昌。 | 玄暉は殿中侍御史、貝州刺史。 | 羲仲は閤門府果毅。 | |||||||||
| 羲穆。 | |||||||||||
| 季明。 |
高麗李氏:
| 正已は本名を懷玉といい、平盧節度使、守司空、饒陽郡王。 | 納は平盧節度使、檢校司空。 | 承務。 | |||||||||
| 師古、平盧節度使、検校司徒兼侍中。 | 明安、閬州司戸参軍。 | ||||||||||
| 師道、平盧節度使、検校尚書右僕射。 | 弘方。 | ||||||||||
| 師賢。 | |||||||||||
| 師智。 | |||||||||||
| 経。 | |||||||||||
| 洧、正己の従父兄、徐海観察使、検校戸部尚書。 | |||||||||||
| 澹、徐州団練副使。 |
柳城の李氏は、もともと奚族で、何氏かはわからない。宝臣の代に張鏁高の養子となり、張氏を名乗り、後に李氏の姓を賜った。
| 素,左驍衛大將軍。 | 越,左金吾衛大將軍。 | 佶,左武衛大將軍。 | 寶臣,字為輔,成德節度使、守司空、清河郡王。 | 惟誠,濮州刺史。 | |||||||
| 惟岳,成德軍司馬。 | |||||||||||
| 惟簡,鳳翔節度使,檢校戶部尚書、武安郡王。 | 元孫,三原尉。 | ||||||||||
| 元質,濛陽尉。 | |||||||||||
| 元立,興平尉。 | |||||||||||
| 元本、河南府参軍。 | |||||||||||
| 銖。 | |||||||||||
| 宝正。 |
鶏田の李氏は、もともと河曲部落の稽阿跌の一族で、光進の代に李氏の姓を賜った。
| 良臣、鶏田州刺史を襲う。 | 光進、振武節度使。 | ||||||||||
| 光顔、河東節度使、守司徒兼侍中。 |
范陽の李氏は、自ら常山愍王の子孫であると称する。
| 凝、検校太子賓客兼侍御史。 | 庭弼、澶州刺史。 | 休祥、薊州刺史。 | 載義、字は方穀、守太保兼侍中、河東節度使、武威郡王。 | 正源、右羽林将軍兼御史大夫。 | |||||||
| 弘源、太子左諭徳。 |
代北の李氏は、もともと沙陀部落で、朱邪氏を姓とした。国昌の代に李氏の姓を賜り、鄭王の属籍に加えられた。
| 執宜、代北行営招撫使・蔚州刺史。 | 国昌(本名は赤心)、代北節度使・検校太尉。 | 克恭。 | |||||||||
| 克倹。 | |||||||||||
| 克用、河東節度使・守太師・中書令・晋王。 | 存勗、隰州刺史・検校司空。 | ||||||||||
| 存覇。 | |||||||||||
| 存渥。 | |||||||||||
| 存紀。 | |||||||||||
| 存乂。 | |||||||||||
| 存美。 | |||||||||||
| 存確。 | |||||||||||
| 存禮。 | |||||||||||
| 克柔、代州刺史。 | |||||||||||
| 赤忠。 | |||||||||||
| 奉國。 |
李氏の三公は七人、三師は二人。柳城の李氏には光弼がいる。武威の李氏には抱玉がいる。高麗の李氏には正己がいる。また、柳城の李氏には宝臣がいる。鶏田の李氏には光顔がいる。范陽の李氏には載義がいる。代北の李氏には克用がいる。
営州の王氏は、もともと高麗の一族である。
| 虔威、朔方軍將。 | 思禮、司空、霍國武烈公。 |
太原の王氏は、代々祁県に住み、後に平州に移り、縉の代に侯希逸に従って南遷し、河内の温県に住んだ。
| 靖は、右武衛大将軍。 | 瓌は、左金吾衛大将軍。 | 縉は、太子詹事。 | 智興は字を匡諫といい、宣武節度使・守太傅・雁門郡王。 | 晏平は、永州司戸参軍。 | |||||||
| 宰は、太原節度使。 | |||||||||||
| 晏皐は、左威衛将軍。 | |||||||||||
| 晏宝。 | |||||||||||
| 晏恭。 | |||||||||||
| 晏逸。 | |||||||||||
| 晏深。 | |||||||||||
| 晏斌。 | |||||||||||
| 晏韜。 |
安東の王氏は、もともと阿布思の一族で、代々安東都護府に属し、五哥之といい、左武衛将軍となり、末怛活を生んだ。
| 末怛活、左金吾衛大將軍。 | 升朝、檢校太子賓客・樂安郡王。 | 廷湊、成德節度使。 | 元逵、檢校司徒・同平章事・成德節度使。 | 紹鼎、檢校尚書左僕射・成德節度使。 | 景胤、深州刺史。 | ||||||
| 景崇、檢校太傅・中書令・成德節度使・常山郡王。 | 鎔、太尉中書令、成徳節度使。 | 昭祚。 | |||||||||
| 景萼。 | |||||||||||
| 紹懿、検校司空、成徳節度使。 |
王氏の三公は二人、三師は一人。営州の王氏には思礼がいる。河内の王氏には智興がいる。安東の王氏には鎔がいる。
田氏は媯姓から出た。陳の厲公の子の完は、字を敬仲といい、斉に仕え、初めに采地があり、それによって田氏と号した。また、「陳」と「田」は音が近いともいう。田和の代に斉を簒奪して諸侯となり、九世で王建に至り、秦に滅ぼされた。漢が興ると、諸田は陽陵に移され、後に北平に移った。魏の議郎の田疇は、字を子泰という。二十二世の孫に璟がいる。
| 璟、鄭州司馬。 | 守義、安東副都護。 | 承嗣、魏博節度使、太尉、鴈門郡王。 | 維、魏州刺史。 | ||||||||
| 朝、神武将軍。 | |||||||||||
| 華、太常少卿、駙馬都尉。 | |||||||||||
| 繹。 | |||||||||||
| 綸。 | |||||||||||
| 綰。 | |||||||||||
| 緒、魏博節度使、検校左僕射同平章事、駙馬都尉、常山郡王。 | 季和、澶州刺史。 | ||||||||||
| 季安、字は夔、魏博節度使、検校司徒。 | 懐諫、右監門衛将軍。 | ||||||||||
| 懐礼。 | |||||||||||
| 懐詢。 | |||||||||||
| 懐譲。 | |||||||||||
| 季直は、魏博の衙将である。 | |||||||||||
| 繪。 | |||||||||||
| 純。 | |||||||||||
| 紳。 | |||||||||||
| 縉は字を雲長といい、右領軍将軍・扶風郡公である。 | 季宗は、監察御史である。 | ||||||||||
| 季昌は、福王府の参軍である。 | |||||||||||
| 季皐。 | |||||||||||
| 季鷹。 | |||||||||||
| 季卿。 | |||||||||||
| 季黄 | |||||||||||
| 季芳 | |||||||||||
| 庭琳 | |||||||||||
| 延惲、安東都護府司馬 | 庭玠、相州刺史 | 弘正、字は安道、成徳節度使、検校司徒兼中書令、沂忠愍公 | 早、安南都護 | ||||||||
| 牟、天平節度使 | |||||||||||
| 布、字は執礼、魏博節度使、検校工部尚書、孝公 | 鐬、天平節度使、検校尚書左僕射 | ||||||||||
| 在宥は、安南都護。 | |||||||||||
| 章は、洛陽令。 | 在賓。 | 鶚は、盱眙令。 |
田氏から三公が一人出た。田承嗣。
烏氏は姫姓から出た。黄帝の後裔で、少昊氏が烏鳥に因んで官名とし、世功によって氏とした。斉に烏之餘がおり、その子孫は代々北方に住み、烏洛侯と号し、後に張掖に移った。
| 察は、左武衞大將軍。 | 令望は、左領軍大將軍。 | 蒙は、左武衞中郎將。 | 承恩。 | ||||||||
| 承玭は、右威衞將軍、檢校殿中監、昌化郡王。 | 重胤は字を保君といい、天平節度使、守司徒、邠國公。 | 漢弘、左羽林将軍。 | |||||||||
| 行専、密州刺史。 | |||||||||||
| 漢貞、左金吾将軍。 | |||||||||||
| 行方、河南丞。 | |||||||||||
| 漢封、衛尉寺丞。 | |||||||||||
| 漢章、右驍衛倉曹参軍。 | |||||||||||
| 行思、左衛倉曹参軍。 | |||||||||||
| 重元。 |
烏氏から三公が一人出た。烏重胤。
唐代の宰相は三百六十九人で、合わせて九十八の氏族から出た。
三公三師は七十一人:
全ては宰相世系に通じて見える。別に田氏、烏氏の二族を記す。希逸は、その世系が失われている。輔国は宦官である;懐恩は叛臣である;朱泚、王建、韓建、朱全忠は、唐の盗賊である、皆削除して記さない。