新唐書卷六十三 表第三 宰相下

表第三 宰相下
西暦   宰相 三師 三公
821 長慶元年 〈辛丑〉 正月壬戌、俛が罷免され尚書右僕射となる。二月壬午、文昌が検校刑部尚書・同平章事・西川節度使となり、戸部侍郎・翰林学士杜元穎が戸部侍郎・同中書門下平章事を守る。十月丙寅、諸道塩鉄転運使・刑部尚書王播が中書侍郎・同中書門下平章事を守る。
822 二年 〈壬寅〉 二月辛巳、植が罷免され刑部尚書となる。工部侍郎元稹が工部侍郎・同中書門下平章事を守り、元穎が中書侍郎となる。三月戊午、度が司空兼門下侍郎・平章事を守り、播が検校尚書右僕射・平章事・淮南節度使となる。六月甲子、度が罷免され尚書左僕射となり、稹が罷免され同州刺史となる。兵部尚書李逢吉が門下侍郎・同中書門下平章事を守る。戊寅、夷簡が東都に分司する。 三月戊午、度が司空を守る。十二月庚寅、弘が卒す。
823 三年 〈癸卯〉 三月壬戌、御史中丞牛僧孺が戸部侍郎・同中書門下平章事となる。丁卯、戸部を再び判る。十月己丑、元穎が検校礼部尚書・同平章事・西川節度使となる。庚寅、僧孺が中書侍郎となる。 八月癸卯、度が司空・山南西道節度使を守る。
824 四年 〈甲辰〉 五月乙卯、吏部侍郎李程と戸部侍郎・判度支竇易直がともに同中書門下平章事となる。六月丙申、度が同平章事となる。乙酉、逢吉が尚書左僕射となる。 六月丙申、横海軍節度使李光顔が司徒を守る。
825 宝暦元年 〈乙巳〉 正月乙卯、僧孺が検校礼部尚書・同平章事・武昌節度使となる。辛酉、程が中書侍郎を守り、易直が門下侍郎を守る。七月庚午、易直が度支を罷免される。 二月丁未、度が司空を守る。
826 二年 〈丙午〉 二月丁未、裴度が司空・同中書門下平章事を守る。八月丙申、度が度支を判る。九月壬午、程が検校兵部尚書・同平章事・河東節度使となる。十一月甲申、逢吉が検校司空・同平章事・山南東道節度使となる。十二月庚戌、兵部侍郎翰林学士韋処厚が中書侍郎・同中書門下平章事となる。庚申、度が門下侍郎を兼ね、易直が尚書右僕射となる。 九月戊寅、光顔が卒す。
827年 大和元年〈丁未〉 六月癸巳,淮南節度副大使王播が尚書左僕射・同中書門下平章事となる。十月丙寅,度が度支を罷免する。 正月癸未,天平軍節度使烏重胤が司徒を守る。丙寅,重胤が卒す。
828年 二年〈戊申〉 十月癸酉,易直が檢校尚書左僕射・平章事・山南東道節度使となる。十二月壬申,處厚が薨ず。戊寅,兵部侍郎・翰林學士路隋が中書侍郎・同中書門下平章事を守る。 九月甲午,武寧軍節度使王智興が司徒を守る。
829年 三年〈己酉〉 八月甲戌,吏部侍郎李宗閔が同中書門下平章事となる。十二月己酉,元穎が邵州刺史に貶せられる。 十一月乙巳,智興が太傅となる。
830年 四年〈庚戌〉 正月辛卯,牛僧孺が兵部尚書・同中書門下平章事となる。六月丁未,度が平章軍國重事となる。己酉,隋が門下侍郎となり,宗閔が中書侍郎となる。七月癸未,尚書右丞宋申錫が同中書門下平章事となる。九月壬午,度が司徒兼侍中・山南東道節度使となる。 六月己巳,檢校司徒・平章事李載義が太保を守る。 六月丁未,度が司徒を守る。九月壬午,度が司徒となる。
831年 五年〈辛亥〉 三月庚子,申錫が罷免されて太子右庶子となる。乙丑,僧孺が中書侍郎となる。
832年 六年〈壬子〉 十二月乙丑,僧孺が檢校尚書右僕射・平章事・淮南節度使となる。
833年 七年〈癸丑〉 二月丙戌,兵部尚書李德裕が本官を守り・同中書門下平章事となる。六月乙亥,宗閔が檢校禮部尚書・平章事・興元節度使となる。七月丁酉,德裕が中書侍郎となる。壬寅,尚書右僕射・諸道鹽鐵轉運使王涯が右僕射を守り・同中書門下平章事となる。是年,隋が太子太師となる。
835年 九年〈己卯〉 四月丙申,隋が檢校尚書右僕射・平章事・鎮海軍節度使となる。戊戌,浙西觀察使賈餗が中書侍郎・同中書門下平章事を守る。六月壬寅,宗閔が明州刺史に貶せられる。七月辛亥,御史大夫李固言が門下侍郎・同中書門下平章事を守る。九月丁卯,固言が檢校兵部尚書・山南西道節度使となる。己巳,御史中丞舒元輿が刑部侍郎となり,兵部侍郎・翰林學士李訓が禮部侍郎となり,並びに同中書門下平章事となる。十月乙亥,涯が諸道鹽鐵榷茶使を兼ねる。庚子,度が中書令を兼ねる。十一月甲子,訓が昆明池で斬首される。尚書右僕射鄭覃が同中書門下平章事となる。乙丑,元輿・餗が仇士良に殺される。戶部侍郎・判度支李石が本官を守り・同中書門下平章事となる。 七月癸酉,智興が卒す。十一月癸丑,載義が太傅を守る。 五月辛未の日、涯が司空となった。十一月乙丑の日、仇士良が涯を殺した。
836年 開成元年〈丙辰〉 正月甲子の日、覃が門下侍郎を兼任し、石が中書侍郎となった。四月甲午の日、李固言が門下侍郎・同中書門下平章事を守り、石が塩鉄使を兼任した。丙申の日、固言が戸部を判った。五月己巳の日、罷免された。八月己酉の日、覃が国子祭酒を兼任した。石が度支を罷免された。
837年 二年〈丁巳〉 四月戊戌の日、翰林学士・工部侍郎陳夷行が本官で同中書門下平章事となった。十月戊申の日、固言が門下侍郎・同平章事・西川節度使となった。十一月壬戌の日、石が塩鉄使を罷免された。 四月庚申の日、載義が卒した。
838年 三年〈戊午〉 正月戊辰の日、戸部尚書・諸道塩鉄転運使楊嗣復と戸部侍郎・判戸部李玨がともに同中書門下平章事となった。丙子の日、石が中書侍郎・同中書門下平章事・荊南節度使となった。三月庚午の日、覃が太子太師となった。四月丙申の日、玨が戸部を罷免された。七月戊辰の日、嗣復が塩鉄使を罷免された。九月己巳の日、夷行が門下侍郎となり、玨と嗣復が中書侍郎となった。十二月辛丑の日、度が司徒兼中書令を守った。丙午の日、覃が太子太師を罷免され、五日ごとに中書に入った。 四月庚申の日、載義が卒した。
839年 四年〈己未〉 閏正月己亥の日、度が来朝した。五月丙申の日、覃が罷免されて尚書左僕射となり、夷行が罷免されて吏部侍郎となった。七月甲辰の日、太常卿崔鄲が同中書門下平章事となった。十一月壬午の日、嗣復が門下侍郎となり、鄲が中書侍郎となった。 三月丙戌の日、度が薨じた。
840年 五年〈庚申〉 二月癸丑の日、玨が戸部尚書を兼任し、嗣復が吏部尚書を兼任し、鄲が礼部尚書を兼任した。五月己卯の日、玨が門下侍郎となった。嗣復が罷免され、吏部尚書・刑部尚書を守った。諸道塩鉄転運使・刑部尚書崔珙が同中書門下平章事となった。八月庚午の日、玨が太常卿に貶された。九月丁丑の日、淮南節度副大使・検校右僕射李德裕が門下侍郎・同中書門下平章事となった。庚辰の日、珙が中書侍郎となった。
841年 会昌元年〈辛酉〉 三月甲戌の日、御史大夫陳夷行が門下侍郎・同中書門下平章事となった。十一月癸亥の日、鄲が検校吏部尚書・同平章事・剣南西川節度使となった。
842年 二年〈壬戌〉 正月己亥の日、夷行が尚書左僕射となり、珙が尚書右僕射となった。二月丁丑の日、検校尚書右僕射・淮南節度使李紳が中書侍郎・平章事となった。三月丙申の日、紳が度支を権判した。六月、夷行が罷免されて太子太保となった。七月、尚書左丞兼御史中丞李譲夷が中書侍郎・同中書門下平章事となった。 正月己亥の日、李德裕が司空となった。
843年 三年〈癸亥〉 二月辛未の日、珙が罷免されて尚書右僕射を守った。五月壬寅の日、紳が門下侍郎となった。戊申の日、翰林学士承旨・中書舎人崔鉉が中書侍郎・同中書門下平章事となった。庚戌の日、紳が尚書右僕射となった。 六月辛酉の日、德裕が司徒となった。
844年 四年(甲子) 閏七月壬戌、淮南節度使・検校尚書右僕射・駙馬都尉杜悰が尚書右僕射兼中書侍郎・同中書門下平章事・諸道塩鉄転運使となり、紳が検校尚書右僕射・同平章事・淮南節度使となる。八月庚戌、譲夷が検校尚書右僕射兼中書侍郎となり、鉉が戸部尚書を兼ね、悰が尚書左僕射兼門下侍郎となる。 八月戊申、徳裕が太尉を守る。
845年 五年(乙丑) 正月己未、徳裕に特進を加える。五月壬戌、鉉が戸部尚書に罷免され、悰が尚書右僕射に罷免される。乙丑、戸部侍郎判戸部李回が中書侍郎・同中書門下平章事となり、判戸部を兼ねる。七月、山南東道節度使・検校尚書右僕射鄭肅が本官で同中書門下平章事となる。
846年 六年(丙寅) 四月丙子、徳裕が検校司徒・同平章事・荊南節度使となる。辛卯、肅が検校尚書左僕射兼中書侍郎となり、譲夷が司空兼門下侍郎となる。五月乙巳、翰林学士承旨・兵部侍郎白敏中が本官で同中書門下平章事となる。九月、肅が本検校官・荊南節度使となる。兵部侍郎・判度支盧商が中書侍郎兼工部尚書・同中書門下平章事となり、回が門下侍郎となり、敏中が中書侍郎となる。 四月辛卯、譲夷が司空となる。七月、譲夷が検校司空・同平章事・淮南節度使となる。
847年 大中元年(丁卯) 三月、商が検校兵部尚書・武昌軍節度使となる。刑部尚書・判度支崔元式が門下侍郎兼刑部尚書となり、翰林学士承旨・戸部侍郎韋琮が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。八月丙申、回が検校吏部尚書・同平章事・剣南西川節度使となる。 四月辛卯、譲夷が司空となる。七月、譲夷が検校司空・同平章事・淮南節度使となる。
848年 二年(戊辰) 正月丙寅、敏中が刑部尚書を兼ね、元式が戸部尚書を兼ね、琮が礼部尚書を兼ねる。己卯、邢部侍郎・諸道塩鉄転運使馬植が同中書門下平章事となる。元式が刑部尚書に罷免される。兵部侍郎・判度支周墀が同中書門下平章事となる。六月庚戌、敏中・琮が門下侍郎となり、植・墀が中書侍郎となる。十一月壬午、琮が太子賓客に罷免され、分司東都となる。
849年 三年(己巳) 三月、墀が刑部尚書を兼ね、敏中が尚書右僕射となり、植が検校礼部尚書・天平軍節度使となる。四月乙酉、御史大夫崔鉉が中書侍郎・同中書門下平章事を守り、墀が検校刑部尚書・東川節度使となり、兵部侍郎・判戸部事魏扶が本官・同中書門下平章事を守る。
850年 四年(庚午) 六月戊申、扶が薨去する。戸部侍郎・判度支崔亀従が戸部尚書・同中書門下平章事を守り、判は従前通りとする。八月庚戌、判を罷免する。十月辛未、翰林学士承旨兵部侍郎令狐綯が本官・同中書門下平章事を守る。
851年 五年(辛未) 三月甲申、敏中が特進となり、司空兼門下侍郎・同平章事・招討南山・平夏党項行営兵馬都統制置使・並びに南北路供軍使兼邠寧慶等州節度使を守る。四月乙卯、鉉が尚書右僕射兼門下侍郎を守り、亀従が中書侍郎兼吏部尚書となり、綯が中書侍郎兼礼部尚書となる。十月戊辰、戸部侍郎判戸部魏謨が本官・同中書門下平章事を守り、判は従前通りとする。十一月庚寅、亀従が検校吏部尚書・同平章事・宣武節度使となる。 三月甲申、敏中が司空を守る。十月、敏中が司空・同中書門下平章事・兼邠寧慶等州節度使を守る。
852年 六年(壬申) 正月癸巳の日、綯が戸部尚書を兼任。八月、礼部尚書・諸道塩鉄転運使裴休が本官のまま同中書門下平章事となり、使職は従前通り。十二月壬午の日、謨が中書侍郎となる。 四月甲辰の日、敏中が検校司徒・平章事・西川節度使となる。
853年 七年〈癸酉〉
854年 八年〈甲戌〉 十一月乙酉の日、休が使職を罷免。十二月癸巳の日、謨が戸部を罷免。
855年 九年〈乙亥〉 二月甲戌の日、鉉が尚書左僕射となり、綯が門下侍郎となり、謨が礼部尚書を兼任し、休が中書侍郎兼戸部尚書となる。七月丙辰の日、鉉が検校尚書左僕射・同平章事・淮南節度使となる。
856年 十年〈丙子〉 正月丁巳の日、御史大夫鄭朗が工部尚書・同中書門下平章事を守る。十月戊子の日、休が検校戸部尚書・同平章事・宣武節度使となり、綯が尚書右僕射となり、謨が門下侍郎兼戸部尚書となり、朗が中書侍郎兼礼部尚書となる。十二月壬辰の日、戸部侍郎判戸部事崔慎由が工部尚書・同中書門下平章事となる。
857年 十一年〈丁丑〉 二月辛巳の日、謨が検校戸部尚書・平章事・西川節度使となる。七月庚子の日、兵部侍郎・判度支蕭鄴が本官のまま同中書門下平章事となり、判職は従前通り。十月、鄴が度支を罷免。壬申の日、朗が罷免され検校尚書右僕射・兼太子少師となる。十一月己未の日、慎由が中書侍郎・礼部尚書となり、鄴が工部尚書となる。
858年 十二年〈戊寅〉 正月戊戌の日、戸部侍郎・判度支劉瑑が本官のまま同中書門下平章事となり、判職は従前通り。二月壬申の日、慎由が罷免され検校礼部尚書・剣南東川節度使となる。四月戊申の日、兵部侍郎・諸道塩鉄転運使夏侯孜が本官のまま同中書門下平章事となり、使職は従前通り。己酉の日、鄴が中書侍郎兼礼部尚書となり、瑑が工部尚書となる。五月丙寅の日、瑑が薨去。十月癸巳の日、孜が工部尚書となる。十一月己未の日、綯が尚書左僕射となる。十二月甲寅の日、兵部侍郎・判戸部蔣伸が本官のまま同中書門下平章事となり、判職は従前通り。
859年 十三年〈己卯〉 三月甲戌の日、伸が戸部を罷免。八月癸卯の日、鄴が門下侍郎となり、伸が中書侍郎となり、ともに兵部尚書を兼任。孜が中書侍郎兼刑部尚書となる。十一月戊午の日、鄴が検校尚書右僕射・同平章事・荊南節度使となる。十二月甲申の日、翰林学士承旨・兵部侍郎杜審権が本官のまま同中書門下平章事となる。丁酉の日、敏中が司徒兼門下侍郎・同中書門下平章事を守る。 八月癸卯の日、綯が司空となる。十二月丁酉の日、検校司徒兼太子太師・同平章事・荊南節度使白敏中が司徒を守り、綯が検校司徒・同平章事・河中節度使となる。
860年 咸通元年〈庚辰〉 九月癸酉の日、孜が門下侍郎兼兵部尚書となり、伸が刑部尚書を兼任し、審権が中書侍郎兼工部尚書となる。戊申の日、敏中が中書令となる。十月己亥の日、孜が検校尚書右僕射・同平章事・剣南西川節度使となり、戸部尚書・判度支畢諴が礼部尚書・同中書門下平章事となる。 十二月癸亥の日、福王綰が司空となる。
861年 二年〈辛巳〉 二月、尚書左僕射・判度支杜悰が本官のまま門下侍郎・同中書門下平章事を兼任し、判職は従前通り。庚戌の日、敏中が検校司徒兼中書令・鳳翔節度使となる。 二月庚戌の日、敏中が転任した。福王綰が薨去した。
862年 三年 〈壬午〉 正月己酉の日、伸が検校兵部尚書・同平章事・河中節度使となった。二月庚子の日、審権が門下侍郎兼吏部尚書となり、諴が中書侍郎兼兵部尚書となった。七月、夏侯孜が尚書左僕射兼門下侍郎・同中書門下平章事となった。 二月庚子の日、悰が司空を守った。十月丙申の日、悰が司徒となった。
863年 四年 〈癸未〉 四月癸巳の日、諴が罷免されて兵部尚書となった。五月己巳の日、翰林学士承旨・兵部侍郎楊收が本官を守り、同中書門下平章事となった。戊子の日、審権が検校吏部尚書・同平章事・鎮海軍節度使となった。閏六月、兵部侍郎・判度支曹確が本官で同中書門下平章事となり、悰が検校司徒・同平章事・鳳翔節度使となった。十月、収が中書侍郎となった。 正月庚辰の日、撫王紘が司空を守った。
864年 五年 〈甲申〉 三月己亥の日、確が中書侍郎となった。四月、兵部侍郎・判戸部蕭寘が本官で同中書門下平章事となった。五月戊戌の日、伸が太子少保となり、東都に分司した。八月乙卯の日、収が門下侍郎兼刑部尚書となり、確が工部尚書を兼ね、寘が中書侍郎となった。十一月壬寅の日、翰林学士承旨・兵部侍郎路巖が本官で同中書門下平章事となった。 八月丁卯の日、孜が司空となった。十一月戊戌の日、孜が検校尚書右僕射・同平章事・河中節度使となった。
865年 六年 〈乙酉〉 三月、寘が薨去した。四月、剣南東川節度使高璩が兵部侍郎・同中書門下平章事となった。六月、収が尚書右僕射兼門下侍郎となり、確が工部尚書を兼ね、巖が中書侍郎となった。庚戌の日、璩が薨去した。御史大夫徐商が兵部侍郎・同中書門下平章事となった。
866年 七年 〈丙戌〉 十月壬申の日、収が検校工部尚書・宣歙池観察使となった。十一月戊辰の日、確が門下侍郎となり、巖が刑部尚書を兼ね、商が中書侍郎兼工部尚書となった。
867年 八年 〈丁亥〉 七月甲子の日、兵部侍郎・諸道塩鉄転運使・駙馬都尉于琮が本官で同中書門下平章事となった。十月、確が吏部尚書を兼ね、巖が門下侍郎兼戸部尚書となり、商が刑部尚書を兼ねた。
868年 九年 〈戊子〉
869年 十年 〈己丑〉 六月癸卯の日、商が検校尚書右僕射・平章事・荊南節度使となり、翰林学士承旨・戸部侍郎劉瞻が本官で同中書門下平章事となった。九月、瞻が中書侍郎となった。
870年 十一年 〈庚寅〉 正月戊午の日、確が尚書左僕射を加えられ、巖が右僕射を加えられ、瞻が刑部尚書を兼ねた。三月、確が検校司徒・同平章事・鎮海軍節度使となった。四月丙午の日、翰林学士承旨・兵部侍郎・駙馬都尉韋保衡が本官で同中書門下平章事となった。九月丙辰の日、瞻が検校刑部尚書・同平章事・荊南節度使となった。十一月辛亥の日、礼部尚書・判度支王鐸が本官で同中書門下平章事となった。
871年 十二年(辛卯) 四月癸卯、巖が検校司徒・平章事・剣南西川節度使となり、鐸が中書侍郎兼刑部尚書となる。十月、兵部侍郎・諸道塩鉄転運使劉鄴が礼部尚書・同中書門下平章事となり、使職は従前通り。鐸が門下侍郎兼吏部尚書となる。
872年 十三年(壬辰) 二月丁巳、琮が検校尚書左僕射・山南東道節度使となり、保衡が右僕射、鐸が尚書左僕射、鄴が中書侍郎となる。刑部侍郎・判戸部趙隠が戸部侍郎・同中書門下平章事となる。十月、保衡が門下侍郎兼兵部尚書となる。十一月庚辰、鄴が戸部尚書を兼ね、まもなく門下侍郎となる。隠が中書侍郎となる。 十一月、保衡が司空となり、鐸が司徒となる。
873年 十四年(癸巳) 六月、鐸が検校尚書左僕射・同平章事・宣武軍節度使となる。八月乙卯、鄴が吏部尚書を兼ね、隠が礼部尚書を兼ねる。十月乙未、鄴が尚書左僕射となり、隠が戸部尚書を兼ねる。尚書左僕射蕭倣が中書侍郎兼兵部尚書・同中書門下平章事となる。 八月乙卯、保衡が司徒となる。九月癸亥、保衡が賀州刺史に左遷される。
874年 乾符元年(甲午) 二月癸丑、隠が検校兵部尚書・鎮海軍節度使となる。検校戸部尚書兼華州刺史裴坦が中書侍郎・同中書門下平章事となる。五月乙未、坦が薨去。刑部尚書劉瞻が中書侍郎・同中書門下平章事となる。八月辛未、瞻が薨去。兵部侍郎・判度支崔彦昭が中書侍郎・同中書門下平章事となる。十月丙辰、鄴が検校尚書左僕射・同平章事・淮南節度使となる。吏部侍郎鄭畋が兵部侍郎となり、翰林学士承旨・戸部侍郎盧攜がともに同中書門下平章事となる。十一月、彦昭が門下侍郎兼刑部尚書となり、畋が中書侍郎兼礼部尚書となり、攜が中書侍郎となる。 十一月、倣が司空となる。
875年 二年(乙未) 六月、吏部尚書李蔚が中書侍郎・同中書門下平章事となる。彦昭が尚書右僕射兼門下侍郎となり、畋が門下侍郎となり、攜が工部尚書を兼ねる。 五月、倣が薨去。
876年 三年(丙申) 六月乙丑、撫王紘が太尉となり、まもなく紘が薨去。
877年 四年(丁酉) 正月、畋が兵部尚書を兼ね、攜が刑部尚書を兼ねる。閏二月、彦昭が罷免されて太子太傅となる。王鐸が検校司徒兼門下侍郎・同中書門下平章事となる。九月、攜が戸部尚書を兼ねる。 正月丁丑、彦昭が司空となる。六月癸酉、鐸が司徒となる。
878年 五年(戊戌) 五月丁酉、畋と攜がともに罷免されて太子賓客となり、分司東都となる。翰林学士承旨・戸部侍郎豆盧瑑が兵部侍郎となり、吏部侍郎崔沆が戸部侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。九月、吏部尚書鄭従讜が中書侍郎兼礼部尚書・同中書門下平章事となる。蔚が検校司空となり、判東都尚書省・都畿汝防禦使を務める。
879年 六年(己亥) 四月、鐸は司空を検校し侍中を兼ね、荊南節度使・南面行営招討都統となり、従讜は礼部尚書を兼ねた。十二月、兵部尚書盧攜が門下侍郎・同中書門下平章事となり、瑑は中書侍郎兼戸部尚書、沆は中書侍郎兼工部尚書、従讜は門下侍郎兼兵部尚書となった。鐸は太子賓客に左遷され、東都に分司した。
880 広明元年(庚子) 二月壬子、従讜は司空を検校し平章事・河東節度行営招討等使を兼ねた。六月丙午、攜は兵部尚書を兼ねた。十二月甲申、攜は太子賓客に左遷され、東都に分司した。翰林学士承旨・尚書左丞王徽が戸部侍郎となり、翰林学士・戸部侍郎裴澈が工部侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。庚子、黄巢が瑑と沆を殺害した。 八月、栄王が司空を守り、この月にが薨去した。
881 中和元年(辛丑) 正月壬申、兵部侍郎・判度支蕭遘が工部侍郎・同中書門下平章事となった。二月、澈は礼部尚書を兼ねた。己卯、太子少師王鐸が司徒兼門下侍郎・同中書門下平章事となった。三月、徽は罷免されて兵部尚書となった。四月戊寅、澈は門下侍郎兼兵部尚書、遘は中書侍郎兼礼部尚書、鐸は侍中を兼ねた。六月戊戌、司空を検校し平章事・京城西面行営都統鄭畋が司空を守り門下侍郎・同中書門下平章事・京城四面行営都統となり、鐸は司徒を守り太子太保を兼ねた。七月庚申、翰林学士承旨・兵部侍郎韋昭度が本官で同中書門下平章事となった。十一月、畋は罷免されて太子少傅となり、東都に分司した。澈は兵部尚書を検校し鄂岳観察使となり、遘は戸部尚書を兼ね、昭度は中書侍郎兼礼部尚書となった。 二月己卯、鐸が司徒となり、駢が太尉となった。六月丁丑、鐸は司徒を守り、畋が司空となった。十一月、畋は太子少傅となり、東都に分司した。
882 二年(壬寅) 正月辛亥、鐸が諸道行営都都統となり、諸軍兵馬を指揮して京城を収復し諸道の租庸等使を兼ね、義成軍節度使を権知した。二月、遘が度支を判り、鐸は戸部を兼判した。己卯、鄭畋が司空兼門下侍郎・同中書門下平章事となった。四月、遘は門下侍郎兼吏部尚書となった。五月、昭度は吏部尚書を兼ね、遘は尚書左僕射となった。 二月己卯、畋が司空となった。
883 三年(癸卯) 正月乙亥、鐸は司徒を検校し中書令・義成軍節度使を兼ねた。五月、東都留守・司空を検校し侍中を兼ねる鄭従讜が司空となり、門下侍郎・同中書門下平章事を兼ねた。七月、昭度は門下侍郎となり、兵部尚書を検校し度支を判る裴澈が中書侍郎・同中書門下平章事となった。 二月、建王震が太保を守った。 五月、畋が司徒となり、従讜が司空となった。七月、畋は罷免されて司徒を検校し、太子太保を守った。
884 四年(甲辰) 十月、澈は尚書右僕射を加えられ、昭度は左僕射を加えられ、ともに門下侍郎を兼ねた。 二月、建王震が太保を守った。 十月、遘が司空となった。
885 光啓元年(乙巳) 三月、澈が尚書左僕射となった。 二月、遘が司徒となり、昭度が司空となった。
886 二年(丙午) 三月戊戌、御史大夫孔緯と翰林學士承旨・兵部尚書杜讓能がともに兵部侍郎・同中書門下平章事となる。四月、緯は中書侍郎、讓能は工部尚書となる。 二月、從讜が太傅兼侍中となる。
887年 三年(丁未) 三月癸未、澈が誅殺される。緯は門下侍郎、讓能は中書侍郎となる。六月、緯は吏部尚書を兼ね、諸道鹽鐵轉運等使を充てる。讓能は兵部尚書を兼ね、昭度は侍中を兼ねる。九月、戶部侍郎・判度支張濬が兵部侍郎・同中書門下平章事となる。 八月、昭度が太保兼侍中となる。 三月、從讜が太子太保となる。癸未、遘が誅殺される。壬辰、昭度が司徒となる。
888年 文德元年(戊申) 二月、讓能が尚書右僕射、緯が左僕射、濬が中書侍郎となる。四月、昭度が中書令を守り、讓能が尚書左僕射、濬が戶部尚書を守る。六月、昭度が檢校太尉兼中書令・劍南西川節度兼兩川招撫制置等使となる。九月、緯が國子祭酒を兼ねる。 二月、昭度が中書令を兼ねる。四月、昭度が中書令を守る。 四月、緯が司空となる。
889年 龍紀元年(己酉) 正月、翰林學士承旨・兵部侍郎劉崇望が本官で同中書門下平章事となる。三月、濬が吏部尚書を兼ね、崇望が中書侍郎、讓能が門下侍郎を兼ねる。十一月己酉、崇望が吏部尚書を兼ねる。 十一月戊午、緯が太保となる。 三月、緯が司徒、讓能が司空となる。十二月戊午、讓能が司徒となる。
890年 大順元年(庚戌) 五月、濬が河東行營都招討制置宣慰使となる。
891年 二年(辛亥) 正月庚申、緯が檢校太保兼御史大夫・荊南節度使となり、濬が罷免されて檢校尚書右僕射・鄂岳觀察使となる。翰林學士承旨・兵部侍郎崔昭緯と御史中丞徐彥若が戶部侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。崇望が判度支となる。二月、崇望が門下侍郎、昭緯と彥若がともに中書侍郎となる。十月、崇望が尚書右僕射となる。十二月、昭緯が吏部尚書を兼ね、彥若が兵部尚書を兼ねる。 正月庚申、緯が遷任する。
892年 景福元年(壬子) 二月、崇望が罷免されて檢校司徒・同中書門下平章事・武寧軍節度使となる。三月、戶部尚書鄭延昌が中書侍郎・同中書門下平章事となる。八月、昭緯が門下侍郎となる。 四月、讓能が太尉を守る。
893年 二年(癸丑) 正月、彦若が検校尚書左僕射・同平章事・鳳翔節度使となる。六月、昭緯が尚書左僕射となり、延昌が刑部尚書を兼ねる。九月壬辰、検校司徒・東都留守の韋昭度が司徒兼門下侍郎となり、御史中丞の崔胤が戸部侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。十月、昭緯が諸道塩鉄転運使を充任する。 十二月、昭度が太傅となる。 九月、譲能が梧州刺史に左遷され、さらに雷州司戸参軍に左遷される。昭度が司徒を守る。十月、譲能に賜死が下される。
894年 乾寧元年〈甲寅〉 二月、延昌が尚書右僕射兼門下侍郎となり、右散騎常侍の鄭綮が礼部侍郎・同中書門下平章事となる。五月、延昌が罷免されて尚書右僕射となる。六月、胤が中書侍郎となる。戊午、翰林学士承旨・礼部尚書の李磎が本官で同中書門下平章事となる。庚申、磎が罷免されて太子少傅となる。御史大夫の徐彦若が中書侍郎兼吏部尚書・同中書門下平章事となる。七月、綮が太子少保で致仕する。 二月、昭度が太傅を守る。
895年 二年〈乙卯〉 正月己巳、給事中の陸希声が戸部侍郎・同中書門下平章事となる。二月乙未、李磎が戸部侍郎・同中書門下平章事となり、度支を判る。三月、胤が検校尚書右僕射・同平章事・護国節度使となる。磎が罷免されて検校吏部尚書となり、太子少師を守る。戸部侍郎判戸部の王摶が中書侍郎・同中書門下平章事となる。四月、希声が罷免されて太子少師となり、昭度が太保で致仕する。六月癸巳、吏部尚書の孔緯が司空兼門下侍郎・同中書門下平章事となり、彦若が尚書左僕射兼門下侍郎となる。七月庚申、京兆尹・検校司徒兼戸部尚書・判度支・諸道塩鉄転運使の嗣薛王知柔が権知中書事及び随駕置頓使となる。甲子、崔胤が中書侍郎兼礼部尚書・同中書門下平章事となる。辛未、知柔が清海軍節度使・同平章事となり、引き続き権知京兆尹・判度支を務め、諸道塩鉄転運等使を充任する。八月壬子、昭緯が罷免されて尚書左僕射となる。摶が門下侍郎兼戸部尚書・判度支・諸道塩鉄転運使となる。九月、胤が戸部を判る。十月、京兆尹の孫偓が戸部侍郎・同中書門下平章事となり、戸部を判る。 八月辛丑、河東節度使・検校太傅・同平章事の李克用が太師兼中書令を守り、邠寧四面諸軍行営都統を充任する。 六月癸巳、孔緯が司空となる。九月丙辰、彦若が司空となる。癸亥、緯が薨去する。
896年 三年〈丙辰〉 五月、偓が兵部侍郎となる。七月乙巳、胤が検校礼部尚書・同平章事・武安軍節度使となる。偓が中書侍郎となる。丙午、翰林学士承旨・尚書左丞の陸扆が戸部侍郎・同中書門下平章事となる。八月甲寅、摶が検校戸部尚書・同平章事・威勝軍節度使となる。戊午、扆が中書侍郎となり、戸部を判る。乙丑、国子監毛詩博士の朱樸が左諫議大夫・同中書門下平章事となる。九月乙未、崔胤が中書侍郎兼戸部尚書・同中書門下平章事となり、翰林学士承旨・兵部侍郎の崔遠が本官で同中書門下平章事となる。丁酉、扆が峡州刺史に左遷される。己亥、樸が戸部を判る。戊申、偓が門下侍郎兼諸道塩鉄転運使となり、度支を判る。十月壬子、偓が礼部尚書を兼ね、持節鳳翔四面行営節度諸軍都統・招討・処置等使となる。戊午、王摶が吏部尚書・同中書門下平章事となる。十一月癸卯、樸が中書侍郎となる。 三月、彦若が侍中・大明宮留守・京畿安撫制置使を兼ねる。
897年 四年〈丁巳〉 正月巳亥、偓が都統招討使を罷免される。二月乙亥、偓が罷免されて礼部尚書を守り、樸が罷免されて秘書監を守る。三月、遠が戸部を判る。四月、摶が門下侍郎兼吏部尚書・諸道転運等使となり、遠が兵部尚書となる。六月乙巳、遠が中書侍郎となり、胤が戸部尚書を兼ねる。
898年 光化元年〈戊午〉 正月、摶が尚書右僕射兼門下侍郎となり、胤が吏部尚書を兼ね、遠が工部尚書を兼ねる。 九月、鎮国匡国軍節度使・検校太尉兼侍中の韓建が太傅兼中書令を守る。 正月、彦若が司徒となる。
899年 二年〈己未〉 正月丁未、胤が罷免されて吏部尚書を守る。兵部尚書の陸扆が本官で同中書門下平章事となり、間もなく中書侍郎兼戸部尚書・平章事となる。彦若が門下侍郎を兼ねる。 十一月、彦若が太保となる。 十一月、摶が司空となる。
900年 三年(庚申) 四月,崔遠が吏部尚書を兼任。六月丁卯,崔胤が尚書左僕射兼門下侍郎、同中書門下平章事、諸道塩鉄転運等使となる。九月乙巳,彦若が検校太尉、同平章事、清海軍節度使となる。丙午,崔遠が罷免されて兵部尚書となる。戊申,刑部尚書裴贄が中書侍郎兼刑部尚書、同中書門下平章事となり、扆が門下侍郎兼戸部尚書となる。 六月,摶が罷免されて工部侍郎となる。
901 天復元年(辛酉) 二月,翰林学士・戸部侍郎王溥が中書侍郎となり,吏部侍郎裴樞が戸部侍郎となり,ともに同中書門下平章事となる。五月,扆が兵部尚書を兼任し,裴贄が戸部尚書を兼任。十一月辛酉,兵部侍郎盧光啓が権句当中書事となり,三司を兼判。丁卯,盧光啓が右諫議大夫となり,参知機務となる。甲戌,崔胤・裴樞が罷免され,ともに工部尚書を守る。 正月,崔胤が司空となる。
902 二年(壬戌) 正月丁卯,給事中韋貽範が工部侍郎・同中書門下平章事・判度支となる。四月,盧光啓が罷免されて太子少保となる。五月庚午,韋貽範が母の喪で罷免。六月丙子,中書舎人蘇検が工部侍郎・同中書門下平章事となる。八月己亥,韋貽範が起復し,戸部侍郎・同中書門下平章事を守り,従前のまま諸道塩鉄転運等使を充て,判度支となる。十一月丙辰,韋貽範が薨去。
903 三年(癸亥) 正月壬子,崔胤が司空兼門下侍郎・同中書門下平章事を守り,判使は従前のまま;辛未,六軍十二衛事を兼判。二月甲戌,扆が沂王傅に貶され,東都に分司。丙子,崔胤が侍中を兼任。蘇検が朱全忠に害される。王溥が罷免されて戸部侍郎となる。乙未,清海軍節度使・検校尚書右僕射・同平章事裴樞が門下侍郎・同中書門下平章事となる。十二月,裴贄が罷免されて尚書左僕射となる。辛巳,礼部尚書獨孤損が兵部侍郎・同中書門下平章事となる。 二月庚辰,崔胤が司徒を守る。宣武宣義天平護国軍節度・晋絳慈隰観察処置安邑解県両池榷塩制置等使・検校太師兼中書令梁王朱全忠が太尉・中書令を守り,諸道兵馬副元帥を充てる;四月己卯,元帥府事を判る。八月庚辰,剣南東西川節度使・検校太師王建が司徒を守る。
904 天祐元年(甲子) 正月乙巳,崔胤が罷免されて太子少傅となり,東都に分司。兵部尚書崔遠が中書侍郎となり,翰林学士・左拾遺柳璨が右諫議大夫となり,ともに同中書門下平章事となる。裴樞が左三軍事・諸道塩鉄転運等使を判り,獨孤損が右三軍事・判度支を判る。閏四月乙卯,獨孤損が門下侍郎兼戸部尚書となり,崔遠が兵部尚書を兼任し,裴樞が尚書右僕射となる。 三月丁未,朱全忠が左右神策及び六軍諸衛事を兼判。
905 二年(乙丑) 三月甲子,裴樞が罷免されて尚書左僕射となる。戊寅,獨孤損が検校尚書左僕射・同平章事・静海軍節度使となり,礼部侍郎張文蔚が同中書門下平章事となる。甲申,吏部侍郎楊渉が同中書門下平章事・判戸部となり,張文蔚が中書侍郎・判度支となり,柳璨が門下侍郎兼戸部尚書となる。崔遠が罷免されて尚書右僕射となる。十二月癸卯,柳璨が司空・諸道塩鉄転運使となる;癸丑,登州刺史に貶される。 十一月辛巳,朱全忠が魏王に進封され,相国を授かり,百揆を総る。十二月丁酉,朱全忠が天下兵馬元帥となる。癸卯,柳璨が司空となる。癸丑,柳璨が登州刺史に貶される。
906 三年(丙寅) 三月戊寅,朱全忠が諸道塩鉄等使となり,判度支戸部事となり,三司都制置使を充てる。閏十二月丙寅,王建が官爵を削奪される。
907 四年(丁卯)

原本を確認する(ウィキソース):新唐書 巻063