| 西暦 | 宰相 | 三師 | 三公 | |
|---|---|---|---|---|
| 713 | 開元元年 〈癸丑〉 | 正月乙亥、吏部尚書蕭至忠が中書令となる。六月丙辰、兵部尚書郭元振が同中書門下三品となる。七月甲子、至忠・羲が誅殺され、懷貞が自殺する。庚午、湜が竇州に流される。乙亥、説が檢校中書令となる。庚辰、象先が罷免され益州大都督府長史となる。八月癸巳、幽求が尚書右僕射となり、軍國重事を掌る。九月庚午、説が中書令となり、幽求が同三品となる。十月癸卯、元振が新州に流される。甲辰、同州刺史姚元之が兵部尚書・同中書門下三品となる。十一月乙丑、幽求が侍中を兼ねる。十二月壬寅、元之が紫微令を兼ねる。癸丑、幽求が罷免され太子少師となり、説が相州刺史に左遷される。甲寅、黃門侍郎盧懷慎が同紫微黃門平章事となる。 | 八月壬寅、宋王成器が太尉となり、申王撝が司徒となり、邠王守禮が司空となる。九月丙寅、宋王憲が罷免され開府儀同三司となる。 | |
| 714 | 二年 〈甲寅〉 | 正月己卯、懷慎が檢校黃門監となる。甲申、和戎・大武諸軍節度使薛訥が同紫微黃門三品となる。五月辛亥、知古が罷免され工部尚書を守る。七月、訥が除名される。 | ||
| 715 | 三年 〈乙卯〉 | 正月癸卯、懷慎が檢校吏部尚書兼黃門監となる。 | ||
| 716 | 四年 〈丙辰〉 | 正月丙申、懷慎が檢校吏部尚書となる。十一月己卯、懷慎が官を去り療養する。丙申、尚書左丞源乾曜が黃門侍郎・同紫微黃門平章事となる。閏十二月己亥、元之・幽求が罷免され開府儀同三司となり、乾曜が罷免され京兆尹となる。刑部尚書宋璟が吏部尚書兼黃門監となり、紫微侍郎蘇頲が同紫微黃門平章事となる。 | ||
| 717 | 五年 〈丁巳〉 | |||
| 718 | 六年 〈戊午〉 | |||
| 719 | 七年 〈己未〉 | |||
| 720 | 八年 〈庚申〉 | 正月辛巳、頲が罷免され禮部尚書となり、璟が罷免され開府儀同三司となる。京兆尹源乾曜が黃門侍郎・同中書門下平章事となり、并州大都督府長史張嘉貞が守中書侍郎・同中書門下平章事となる。五月丁卯、乾曜が侍中となり、嘉貞が中書令となる。 | ||
| 721 | 九年(辛酉) | 九月癸亥、天兵軍節度使張説が兵部尚書・同中書門下三品を守る。 | ||
| 722 | 十年(壬戌) | |||
| 723 | 十一年(癸亥) | 二月己酉、嘉貞が豳州刺史に貶される。癸亥、説が中書令を兼ねる。四月甲子、説が中書令となり、吏部尚書王晙が兵部尚書・同中書門下三品となる。五月己丑、晙が朔方節度使を持節し、河北・河東・隴右・河西兵馬使を兼ね知り、六月に辺境を巡る。十二月庚申、晙が蘄州刺史に貶される。 | ||
| 724 | 十二年(甲子) | 十一月辛巳、申王撝が薨去。 | ||
| 725 | 十三年(乙丑) | 十一月壬辰、説が尚書右丞相兼中書令となり、乾曜が尚書左丞相兼侍中となる。 | ||
| 726 | 十四年(丙寅) | 四月丁巳、戸部侍郎李元紘が中書侍郎・同中書門下平章事となる。四月庚申、説が尚書右丞相を罷免される。九月己丑、磧西節度使杜暹が検校黄門侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 727 | 十五年(丁卯) | |||
| 728 | 十六年(戊辰) | 十一月癸巳、河西節度使蕭嵩が兵部尚書・同中書門下平章事を守る。 | ||
| 729 | 十七年(己巳) | 六月甲戌、元紘が曹州刺史に罷免され、乾曜が左丞相に罷免され、暹が荊州大都督府長史に罷免され、嵩が中書令となる。兵部侍郎裴光庭が中書侍郎となり、戸部侍郎宇文融が黄門侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。八月己卯、光庭が御史大夫を兼ねる。九月壬子、融が汝州刺史に貶される。 | ||
| 730 | 十八年(庚午) | 正月辛卯、光庭が侍中となる。四月乙丑、吏部尚書を兼ねる。 | ||
| 731 | 十九年(辛未) | |||
| 732 | 二十年〈壬申〉 | 十二月壬申、嵩が兵部尚書となる。 | 六月丁丑、忠王浚が司徒となる。 | |
| 733 | 二十一年〈癸酉〉 | 三月乙巳、光庭が薨去。甲寅、尚書右丞韓休が黄門侍郎・同中書門下平章事となる。十二月丁巳、嵩が罷免されて右丞相となり、休が罷免されて検校工部尚書となる。京兆尹裴耀卿が黄門侍郎・同中書門下平章事を守り、前検校中書侍郎起復張九齢が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | 四月丁巳、宋王憲が太尉となり、薛王業が司徒となる。 | |
| 734 | 二十二年〈甲戌〉 | 五月戊子、耀卿が侍中となり、九齢が中書令となり、黄門侍郎李林甫が礼部尚書・同中書門下三品となる。七月甲申、九齢が河南開稻田使となる。八月、耀卿が江淮以南回造使となる。 | 七月己巳、薛王業が薨去。 | |
| 735 | 二十三年〈乙亥〉 | 十一月壬寅、林甫が戸部尚書となる。 | ||
| 736 | 二十四年〈丙子〉 | 七月庚子、林甫が兵部尚書となる。十一月壬寅、耀卿が罷免されて左丞相となり、九齢が罷免されて右丞相となる。林甫が中書令を兼ね、朔方節度使牛仙客が工部尚書・同中書門下三品を守る。十二月丙寅、仙客が門下省事を知る。 | 十二月戊申、慶王琮が司徒となる。 | |
| 737 | 二十五年〈丁丑〉 | |||
| 738 | 二十六年〈戊寅〉 | 正月乙亥、仙客が侍中を守る。正月壬辰、林甫が持節して隴右節度副大使を遙領し、節度事を知る。二月乙卯、仙客が河東節度使を遙領する。五月乙酉、林甫が河西節度副大使を遙領し、節度事を知り、なお涼州事を判ずる。 | 六月庚子、忠王浚が皇太子となる。 | |
| 739 | 二十七年〈己卯〉 | 四月己丑、林甫が吏部尚書となり、仙客が兵部尚書兼侍中となる。 | ||
| 740 | 二十八年〈庚辰〉 | 十一月、仙客が節度使を罷免される。 | ||
| 741年 | 二十九年〈辛巳〉 | 十一月庚戌、邠王守礼が薨去。辛未、宋王憲が薨去。 | ||
| 742年 | 天宝元年〈壬午〉 | 七月辛丑、仙客が薨去。八月丁丑、刑部侍郎李適之が左相となる。壬辰、林甫が尚書左僕射となり、適之が兵部尚書を兼ねる。 | ||
| 743年 | 二年〈癸未〉 | |||
| 744年 | 三載〈甲申〉 | |||
| 745年 | 四載〈乙酉〉 | |||
| 746年 | 五載〈丙戌〉 | 四月庚寅、適之が罷免され太子少保となる。丁酉、門下侍郎陳希烈が同中書門下平章事となる。 | ||
| 747年 | 六載〈丁亥〉 | 三月甲辰、希烈が左相兼兵部尚書となる。 | ||
| 748年 | 七載〈戊子〉 | |||
| 749年 | 八載〈己丑〉 | |||
| 750年 | 九載〈庚寅〉 | |||
| 751年 | 十載〈辛卯〉 | 正月丁酉、林甫が単於・安北副大都護を遙領し、朔方節度等使を充任。 | ||
| 752年 | 十一載〈壬辰〉 | 四月丙戌、林甫が都護を罷免。十一月乙卯、林甫が死去。庚申、御史大夫判度支事・剣南節度使楊国忠が右相兼文部尚書となる。 | 五月戊申、慶王琮が薨去。 | |
| 753年 | 十二載(癸巳) | 十二月戊子、希烈が祕書省図書使となる。 | ||
| 754年 | 十三載(甲午) | 八月丙戌、希烈が罷免され太子太師となる。文部侍郎韋見素が武部尚書・同中書門下平章事となり、門下省事を管掌。 | 二月丁丑、楊国忠が司空となる。 | |
| 755年 | 十四載(乙未) | |||
| 756年 | 至徳元載(丙申) | 六月丙午、剣南節度使崔円が中書侍郎・同中書門下平章事となる。七月甲子、憲部侍郎房琯が文部尚書となり、河西行軍司馬裴冕が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。庚午、見素が左相となり、蜀郡太守崔渙が門下侍郎・同中書門下平章事となる。八月庚子、見素・琯・渙が霊武へ赴く。十一月甲寅、憲部尚書李麟が同中書門下平章事となる。戊午、渙が江南宣慰使となる。 | 六月丙申、国忠が死去。 | |
| 757年 | 二載(丁酉) | 正月甲寅、円が蜀より来る。三月辛酉、見素が罷免され左僕射となり、冕が罷免され右僕射となる。憲部尚書致仕苗晋卿が左相となる。五月丁巳、琯が罷免され太子少師となる。諫議大夫兼侍御史張鎬が中書侍郎・同中書門下平章事となる。八月甲申、渙が罷免され左散騎常侍・余杭郡太守となる。鎬が河南節度使を兼務し、淮南諸軍事を都統する。十二月甲寅、晋卿が中書侍郎・同中書門下平章事となる。戊午、円が中書令となり、麟が同中書門下三品となり、晋卿が侍中を代行する。 | 四月戊寅、朔方節度使・同平章事郭子儀が司空となる。五月甲子、子儀が司空を罷免される。十二月戊午、河東節度使・同平章事李光弼が司空を守り、子儀が司徒となり、広平郡王俶が太尉となり、楚王に進封される。 | |
| 758年 | 乾元元年(戊戌) | 五月戊子、鎬が罷免され荊州大都督府長史となる。乙未、円が罷免され太子少師となり、麟が罷免され太子少傅となる。太常少卿王嶼が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | 三月甲戌、楚王俶が成王に封ぜられる。五月庚寅、俶が皇太子となる。八月丙辰、光弼が侍中となり、子儀が中書令を兼務する。 | |
| 759年 | 二年(己亥) | 三月甲午、兵部侍郎呂諲が同中書門下平章事となり、度支を管掌する。乙未、晋卿が罷免され太子太傅となり、嶼が罷免され刑部尚書となる。御史大夫・京兆尹李峴が吏部尚書となり、中書舎人李揆が中書侍郎となり、戸部侍郎第五琦がともに同中書門下平章事となる。五月辛巳、峴が蜀州刺史に左遷される。七月辛卯、諲が母の喪により罷免される。十月壬戌、復職する。十一月庚午、琦が忠州刺史に左遷される。十二月甲午、諲が勾当度支使を充てられる。丙午、黄門侍郎となる。 | ||
| 760年 | 上元元年(庚子) | 五月丙午、晋卿が侍中となる。壬子、諲が罷免され太子賓客となる。 | 正月辛巳、光弼が太尉兼中書令を加えられる。閏四月丁卯、河東節度副大使王思礼が司空となる。 | |
| 761年 | 二年(辛丑) | 二月癸未、揆が袁州長史に左遷される。河中節度使蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となる。四月己未、吏部侍郎裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となる。 | 三月戊戌、光弼が太尉を罷免され、再び侍中を兼ねる。五月庚子、光弼が再び太尉となる。思礼が薨去。 | |
| 762 | 宝応元年(壬寅) | 建辰月戊申、華が礼部尚書に罷免される。戸部侍郎元載が同中書門下平章事となる。五月丙寅、載が中書侍郎を務め、転運租庸支度使を勾当する。 | 正月壬午、李輔国が司空となる。十月壬戌、死去。 | |
| 763 | 広徳元年(癸卯) | 正月癸未、京兆尹劉晏が吏部尚書・同中書門下平章事となる。七月壬子、雍王適が中書令を兼ねる。十月壬辰、載が元帥行軍司馬を判る。十二月乙未、晋卿が太子太保に罷免される。検校礼部尚書李峴が黄門侍郎・同中書門下平章事となる。遵慶が太子少傅に罷免される。 | 六月癸未、沢潞節度使李抱玉が司空兼兵部尚書となる。 | |
| 764 | 二年(甲辰) | 正月乙卯、雍王適が皇太子となる。癸亥、峴が太子詹事に罷免され、晏が太子賓客に罷免される。右散騎常侍王縉が黄門侍郎、太常卿杜鴻漸が兵部侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。丁卯、鴻漸に庄宅使を加える。四月甲午、中書侍郎となる。八月丙寅、縉が侍中となり、節を持ち河南・淮南・淮西・山南東道行営節度事を都統する。壬申、縉が侍中を罷免される。甲午、東都留守を兼ねる。 | 四月壬午、朔方行営節度使・尚書左僕射・同平章事兼太保僕固懐恩が太保となる。 | 七月乙酉、光弼が薨去。九月辛亥、子儀が太尉となり、抱玉が司徒となる。甲寅、子儀が辞退し、罷免される。十二月乙丑、子儀が尚書令となる。辛未、子儀が辞退し、罷免される。 |
| 765 | 永泰元年(乙巳) | 八月庚辰、縉が河南副元帥となる。 | 九月丁酉、懐恩が死去。 | 三月丙午、抱玉が司徒を辞退。 |
| 766 | 大暦元年(丙午) | 二月壬子、鴻漸が黄門侍郎・同中書門下平章事となり、成都尹を兼ね、節を持ち山南西道・剣南東川西川・邛南・西山等道副元帥となり、なお剣南西川節度副大使を充てる。 | ||
| 767 | 二年(丁未) | 六月丙戌、鴻漸が剣南から追い至る。 | ||
| 768 | 三年(戊申) | 閏六月庚午、縉が幽州盧龍節度使を兼ねる。八月庚午、河東節度使を兼ねる。 | 閏六月己酉、子儀が司徒となる。庚午、魏博節度使田承嗣が司空となり、兼ねて検校尚書左僕射を務める。 | |
| 769 | 四年〈己酉〉 | 二月乙卯、鴻漸が山・剣副元帥を辞任。六月戊申、縉が副元帥・都統行営節度事を罷免される。十一月壬申、鴻漸が罷免される。癸酉、載が門下省事を権知する。丙子、尚書左僕射裴冕が同中書門下平章事となる。十二月戊戌、冕が薨去。 | ||
| 770 | 五年〈庚午〉 | 四月庚申、縉が太原より到着。 | ||
| 771 | 六年〈辛亥〉 | |||
| 772 | 七年〈壬子〉 | |||
| 773 | 八年〈癸丑〉 | 二月戊申、承嗣が太尉となる。 | ||
| 774 | 九年〈甲寅〉 | |||
| 775 | 十年〈乙卯〉 | |||
| 776 | 十一年〈丙辰〉 | |||
| 777 | 十二年〈丁巳〉 | 三月辛巳、載が誅殺され、縉が括州刺史に左遷される。四月壬午、太常卿楊綰が中書侍郎となり、礼部侍郎常袞が門下侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。七月己巳、綰が薨去。 | ||
| 778 | 十三年〈戊午〉 | |||
| 779 | 十四年〈己未〉 | 三月丁未、前淮西節度使・検校司空・同平章事李忠臣が本官で同平章事となる。閏五月甲戌、袞が河南少尹に左遷される。河南少尹崔祐甫が門下侍郎・同中書門下平章事となる。八月甲辰、懐州刺史喬琳が御史大夫となり、道州司馬楊炎が門下侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。十一月壬午、琳が罷免され工部尚書となる。 | 二月癸未、承嗣が死去。閏五月甲申、子儀が尚父を加えられ、太尉・中書令を兼ねる。六月己亥、平盧淄青節度使・検校司空・同平章事李正己が司徒となり、成徳軍節度使・検校司空・同平章事李宝臣が司空となる。 | |
| 780 | 建中元年〈庚辰〉 | 六月甲午、祐甫が薨去。 | ||
| 781年 | 二年〈辛酉〉 | 二月乙巳、炎が中書侍郎となり、御史大夫の盧杞が門下侍郎・同中書門下平章事となる。七月庚申、永平軍節度使の張鎰が中書侍郎・平章事となる。炎が左僕射に罷免される。 | 正月戊辰、宝臣が死去。六月辛丑、子儀が薨去。七月庚申、検校右僕射の侯希逸が司空となり、同日に卒去。壬午、幽州隴右兼四鎮北庭行軍涇原節度使・検校司空兼中書令の朱泚が太尉となる。八月辛卯、正己が死去。 | |
| 782年 | 三年〈壬戌〉 | 四月戊寅、鎰が鳳翔節度使に罷免される。十月丙辰、吏部侍郎の関播が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 783年 | 四年〈癸亥〉 | 十月丁巳、戸部尚書の蕭復が吏部尚書となり、吏部郎中の劉従一が刑部侍郎となり、京兆府戸曹参軍・翰林学士の姜公輔が諫議大夫となり、いずれも同中書門下平章事となる。十一月癸巳、朔方節度使の李懐光が中書令・朔方邠寧同華陝虢河中晋絳慈隰行営兵馬副元帥となる。十二月壬戌、杞が新州司馬に貶謫される。 | ||
| 784年 | 興元元年〈甲子〉 | 正月癸酉、播が刑部尚書に罷免される。丙戌、吏部侍郎の盧翰が兵部侍郎・同中書門下平章事となる。戊子、復が山南東西・荊湖・淮南・江西・鄂岳・浙江東西・福建・嶺南宣慰安撫使となる。四月甲寅、公輔が左庶子に罷免される。六月己酉、李晟が中書令となる。癸丑、従一が中書侍郎となり、翰が門下侍郎となる。甲寅、朔方節度使・邠寧振武永平奉天行営兵馬副元帥・検校尚書右僕射・同平章事の渾瑊が侍中となる。丙辰、忠臣が誅殺される。八月癸卯、瑊が河中・同絳・陝虢諸軍行営兵馬副元帥となる。丙午、瑊が朔方行営兵馬副元帥を兼任する。十月辛丑、検校司徒の李勉が本官で同中書門下平章事となる。十一月乙丑、復が左庶子に罷免される。十二月己卯、勉が太清宮使を加えられ、翰が太微宮使を加えられ、従一が集賢殿大学士となる。 | 二月甲子、李懐光が太尉となるが拝受せず。六月己酉、京畿・渭北・商華兵馬副元帥の李晟が司徒・中書令となる。八月癸卯、晟が鳳翔隴右諸軍・涇原四鎮北庭行営兵馬元帥となる。 | |
| 785年 | 貞元元年〈乙丑〉 | 四月丙戌、瑊が河中招撫使となる。六月辛卯、西川節度使・同平章事の張延賞が中書侍郎・同中書門下平章事となる。八月己卯、河東節度使・検校司徒・同平章事の馬燧が侍中を兼任する。延賞が左僕射に罷免される。九月辛亥、従一が戸部尚書に罷免される。 | 八月甲戌、懐光が伏誅される。 | |
| 786年 | 二年〈丙寅〉 | 正月壬寅、翰が太子賓客に罷免される。吏部侍郎の劉滋が左散騎常侍となり、給事中の崔造、中書舎人の斉映がいずれも同中書門下平章事となる。癸丑、映が兵部を判り、勉が刑部を判り、滋が吏部・礼部を判り、造が戸部・工部を判る。十二月丁巳、燧が綏銀麟勝招討使となる。庚申、造が右庶子に罷免される。 | ||
| 787年 | 三年〈丁卯〉 | 正月壬寅、尚書左僕射の張延賞が同中書門下平章事となる。壬子、滋が左散騎常侍を守り罷免され、映が夔州刺史に貶謫される。兵部侍郎の柳渾が同中書門下平章事となる。三月辛亥、燧が副元帥を罷免される。六月丙戌、陝虢観察使の李泌が中書侍郎・同中書門下平章事となる。七月壬申、延賞が薨去。八月己丑、渾が散騎常侍に罷免される。 | 三月丁未、晟が太尉となる。六月丙戌、馬燧が司徒兼侍中となる。 | |
| 788年 | 四年〈戊辰〉 | 七月庚戌、瑊が邠寧慶副元帥となる。 | ||
| 789年 | 五年(己巳) | 二月庚子、御史大夫竇參が中書侍郎となり、大理卿董晉が門下侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。三月甲辰、泌が薨去。 | ||
| 790年 | 六年(庚午) | |||
| 791年 | 七年(辛未) | |||
| 792年 | 八年(壬申) | 三月丁丑、參が吏部尚書を兼ね、選事を知る。四月乙未、參が郴州別駕に貶される。尚書左丞趙憬、兵部侍郎陸贄がともに中書侍郎、同中書門下平章事となる。 | ||
| 793年 | 九年(癸酉) | 五月甲辰、憬が門下侍郎となり、義成軍節度使賈耽が尚書右僕射となり、尚書右丞盧邁がともに同中書門下平章事となる。五月丙午、晉が罷免され礼部尚書となる。 | 正月己亥、抱真が司徒を譲り、検校左僕射となる。六月壬寅、抱真が卒去。八月庚戌、晟が薨去。 | |
| 794年 | 十年(甲戌) | 十二月壬戌、贄が罷免され太子賓客となる。 | ||
| 795年 | 十一年(乙亥) | 正月乙亥、邁が中書侍郎となる。 | 八月辛亥、燧が薨去。 | |
| 796年 | 十二年(丙子) | 二月乙丑、瑊が中書令を兼ねる。八月丙戌、憬が薨去。十月甲戌、右諫議大夫崔損、給事中趙宗儒がともに同中書門下平章事となる。 | ||
| 797年 | 十三年(丁丑) | 九月己丑、邁が罷免され太子賓客となる。 | ||
| 798年 | 十四年(戊寅) | 四月丁丑、損が脩八陵使となる。七月壬申、宗儒が罷免され太子右庶子となる。工部侍郎鄭餘慶が中書侍郎、同中書門下平章事となる。損が門下侍郎となる。 | ||
| 799年 | 十五年(己卯) | 十二月辛未、瑊が薨去。 | ||
| 800年 | 十六年(庚辰) | 九月庚戌、餘慶が郴州司馬に左遷される。庚申、太常卿の齊抗が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 801年 | 十七年(辛巳) | |||
| 802年 | 十八年(壬午) | |||
| 803年 | 十九年(癸未) | 三月壬子、淮南節度使・檢校尚書左僕射・同平章事の杜佑が檢校司空・同中書門下平章事となる。七月己未、抗が太子賓客に罷免される。閏十一月丁巳、損が薨去。十二月庚申、太常卿の高郢が中書侍郎に、吏部侍郎の鄭珣瑜が門下侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。 | ||
| 804年 | 二十年(甲申) | |||
| 805年 | 永貞元年(乙酉) | 二月辛亥、吏部侍郎の韋執誼が尚書右丞・同中書門下平章事となる。三月丙戌、佑が檢校司徒となる。庚寅、郢が刑部尚書に、珣瑜が吏部尚書に、執誼が中書侍郎となる。七月乙未、郢が刑部尚書を罷免され、珣瑜が吏部尚書を罷免される。太常卿の杜黃裳が門下侍郎に、左金吾衛大將軍の袁滋が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。八月己未、滋が劍南東西川・山南西道安撫大使となる。癸亥、尚書左丞の鄭餘慶が同中書門下平章事となる。十月丁酉、耽が薨去。戊戌、滋が檢校吏部尚書・同平章事・西川節度使に罷免される。十一月壬申、執誼が崖州司馬に左遷される。十二月壬戌、中書舍人の鄭絪が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 806年 | 元和元年(丙戌) | 十一月庚戌、餘慶が河南尹に罷免される。 | 四月丁未、佑が司徒となる。 | |
| 807年 | 二年(丁亥) | 正月乙巳、黃裳が檢校司空・同平章事・河中節度使に罷免される。己酉、御史中丞の武元衡が門下侍郎に、中書舍人の李吉甫が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。八月辛酉、元衡が戸部を兼ねる。十月丁卯、檢校吏部尚書兼門下侍郎・同平章事・西川節度使となる。 | ||
| 808年 | 三年(戊子) | 九月庚寅、山南東道節度使・檢校尚書左僕射の于頔が司空・同中書門下平章事となる。丙申、戶部侍郎の裴垍が中書侍郎・同中書門下平章事となり、絪が門下侍郎となる。戊戌、吉甫が檢校兵部尚書兼中書侍郎・同平章事・淮南節度使となる。 | 九月庚寅、頔が司空となる。 | |
| 809年 | 四年(己丑) | 二月丁卯、絪が罷免されて太子賓客となる。給事中李藩が門下侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 810 | 五年(庚寅) | 九月丙寅、太常卿権徳輿が礼部尚書・同中書門下平章事となる。十一月庚申、□が罷免されて兵部尚書となる。 | ||
| 811 | 六年(辛卯) | 正月庚申、李吉甫が中書侍郎・同中書門下平章事となる。二月壬申、藩が罷免されて太子詹事となる。十一月己丑、戸部侍郎李絳が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 812 | 七年(壬辰) | 六月癸巳、佑が太保として致仕する。 | ||
| 813 | 八年(癸巳) | 正月辛未、徳輿が罷免されて礼部尚書となる。三月甲子、武元衡が門下侍郎・平章事となる。己巳、西川より至る。 | 二月丁酉、頔が恩王傅に貶される。 | |
| 814 | 九年(甲午) | 二月癸卯、絳が罷免されて礼部尚書となる。六月壬寅、河中節度使張弘靖が刑部尚書・同中書門下平章事となる。十月丙午、吉甫が薨去。十二月庚戌、弘靖が中書侍郎を守る。戊辰、尚書右丞韋貫之が同中書門下平章事となる。 | ||
| 815 | 十年(乙未) | 六月癸卯、元衡が盗賊に殺害される。乙丑、御史中丞裴度が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | 正月乙酉、宣武軍節度使韓弘が司徒を守る。 | |
| 816 | 十一年(丙申) | 正月己巳、弘靖が罷免されて検校吏部尚書・河東節度使となる。二月乙巳、中書舍人李逢吉が門下侍郎・同中書門下平章事となり、貫之が中書侍郎となる。八月壬寅、貫之が罷免されて吏部侍郎となる。十二月丁未、翰林学士・工部侍郎王涯が中書侍郎・同中書門下平章事となる。 | ||
| 817 | 十二年(丁酉) | 七月丙辰、度が門下侍郎・同平章事・彰義節度・淮西宣慰処置使を守り、戸部侍郎崔群が中書侍郎・同中書門下平章事となる。九月丁未、逢吉が罷免されて剣南東川節度使となる。十月甲戌、淮南節度使・検校尚書右僕射李鄘が門下侍郎・同中書門下平章事となる。十二月戊寅、鄘が至る。 | ||
| 818 | 十三年(戊戌) | 三月戊戌に鄘が戸部尚書を罷免される。御史大夫李夷簡が門下侍郎・同中書門下平章事となる。七月辛丑に夷簡が検校左僕射・同平章事・淮南節度使となる。八月壬子に涯が兵部侍郎を罷免される。九月甲辰に戸部侍郎・判度支皇甫鎛と工部侍郎・諸道塩鉄転運使程異がともに同中書門下平章事となり、判使はそれぞれ従前の通りとなる。 | ||
| 819年 | 十四年〈己亥〉 | 四月辛未に異が薨去。丙子に度が検校左僕射・兼門下侍郎・同平章事・河東節度使となる。七月丁酉に鎛が門下侍郎を守り、河陽節度使令狐楚が中書侍郎・同中書門下平章事を守る。八月己酉に宣武節度使・守司徒兼侍中・同平章事韓弘が中書令を兼ねる。十二月己卯に群が湖南観察使を罷免される。 | ||
| 820年 | 十五年〈庚子〉 | 正月壬午に鎛が度支を罷免される。閏月丁未に鎛が崖州司戸参軍に貶される。辛亥に楚が門下侍郎となり、御史中丞蕭俛と中書舍人翰林学士段文昌がともに中書侍郎・同中書門下平章事を守る。七月丁卯に楚が宣歙観察使を罷免される。八月戊戌に俛が門下侍郎となり、御史中丞崔植が中書侍郎・同中書門下平章事を守る。 | 九月戊午に検校左僕射・河東節度使裴度が司空を守る。 |