唐は隋の旧制に因り、三省の長官を宰相としたが、後に他の官が参議し、称号は一様でなく臨時に出され、最後に同品・平章の名があり、その職務は同じである。宰相表を作る。
| 西暦 | 宰相 | 三師 | 三公 | |
|---|---|---|---|---|
| 618 | 武徳元年 〈戊寅〉 | 六月甲戌、趙国公世民が尚書令となり、相国長史裴寂が尚書右僕射に任じられ、政事を掌る。相国司馬劉文静が納言となる。隋の民部尚書宋国公蕭瑀、相国司録参軍竇威がともに内史令となる。庚辰、世民が秦王に封じられる。癸未、世民が西討元帥となる。壬辰、雍州牧となる。辛丑、威が薨去。将作大匠襲陳国公竇抗が本官のまま納言を兼ね、黄門侍郎陳叔達が納言を判る。八月己丑、世民が西討行軍元帥となる。戊申、文静が除名される。十月、抗が左武候大将軍に罷免される。 | 十二月壬申、秦王世民が太尉・陝東道行台尚書令となる。 | |
| 619 | 二年 〈己卯〉 | 正月甲子、叔達が納言を兼ねる。十月己亥、黄門侍郎・涼州総管楊恭仁が遥領で納言となる。 | ||
| 620 | 三年 〈庚辰〉 | 三月甲戌、中書侍郎封徳彝が中書令を兼ねる。 | 四月甲寅、世民が益州道行台尚書令となる。 | |
| 621 | 四年 〈辛巳〉 | 正月、徳彝が吏部尚書を判る。四月癸酉、寂が左僕射となる。 | 十月己丑、斉王元吉が司空となり、世民が司徒・天策上将を加えられる。 | |
| 622 | 五年 〈壬午〉 | 十月甲子、世民が左・右十二衛大将軍を領す。 | ||
| 623 | 六年 〈癸未〉 | 四月癸酉、徳彝が中書令となる。恭仁が入朝して吏部尚書兼中書令となり、涼州諸軍事を検校する。瑀が尚書右僕射となる。寂が左僕射となる。 | ||
| 624 | 七年 〈甲申〉 | 十二月庚午、太子詹事裴矩が侍中を検校する。 | ||
| 625年 | 八年〈乙酉〉 | 十一月辛卯、矩が黄門侍郎の判を罷免される。庚子、天策府司馬宇文士及が侍中を権検校し、太子詹事を兼ねる。癸卯、世民が中書令を加えられ、元吉が侍中を加えられる。 | ||
| 626年 | 九年〈丙戌〉 | 六月癸亥、世民が皇太子となる。七月辛卯、太子右庶子高士廉が侍中となり、左庶子房玄齢が中書令となり、蕭瑀が尚書左僕射となる。恭仁が罷免される。癸巳、士及が中書令となり、徳彝が尚書右僕射となる。十月庚辰、叔達・瑀が事に坐して免官される。 | 正月甲寅、裴寂が司空となる。二月庚申、元吉が司徒となる。六月庚申、元吉が誅殺される。 | |
| 627年 | 貞観元年〈丁亥〉 | 六月辛丑、徳彝が薨去する。壬辰、太子少師蕭瑀が尚書左僕射となる。七月壬子、吏部尚書長孫無忌が尚書右僕射となる。八月、士及が涼州都督を検校する。戊戌、士廉が安州大都督に貶される。九月辛酉、御史大夫杜淹が吏部尚書を検校し、朝政に参豫する。士及が罷免されて殿中監となる。十二月壬午、瑀が罷免される。 | ||
| 628年 | 二年〈戊子〉 | 正月辛亥、兵部尚書杜如晦が侍中を検校し、吏部尚書を摂り、引き続き東宮兵馬事を総監する。無忌が罷免される。庚午、刑部尚書李靖が中書令を検校する。三月壬戌、靖が関内道行軍大総管となる。七月戊申、玄齢が太子詹事を兼ねる。十月庚辰、淹が薨去する。十二月壬辰、黄門侍郎王珪が侍中を守る。 | ||
| 629年 | 三年〈己丑〉 | 二月戊寅、房玄齢が尚書左僕射となる。杜如晦が右僕射となる。尚書右丞魏徴が秘書監となり、朝政に参豫する。靖が兵部尚書となる。八月、靖が定襄道行軍大総督となる。十二月癸未、如晦が罷免される。 | 正月辛未、寂が免官される。 | |
| 630年 | 四年〈庚寅〉 | 二月甲寅、珪が侍中となる。太常卿蕭瑀が御史大夫となり、朝政に参議する。御史大夫温彦博が中書令となる。民部尚書戴冑が吏部尚書を検校し、朝政に参豫する。七月癸酉、瑀が罷免されて太子少傅となる。八月甲寅、靖が尚書右僕射となる。十一月壬戌、右衛大將軍侯君集が兵部尚書となり、朝政に参豫する。 | ||
| 631年 | 五年〈辛卯〉 | |||
| 632年 | 六年〈壬辰〉 | 三月、君集が喪のため罷免される。五月、徴が侍中を検校する。十月、君集が起復する。 | ||
| 633年 | 七年〈癸巳〉 | 三月戊子、珪が罷免されて同州刺史となる。庚寅、徴が侍中となる。六月辛亥、冑が薨去する。 | 十一月壬辰、開府儀同三司長孫無忌が司空となる。 | |
| 634年 | 八年(甲午) | 十月丙寅、詔により靖は三両日に一度門下・中書に至り、平章政事を務める。十一月辛未、靖は特進に罷免される。十二月辛丑、君集は積石道行軍総管となる。 | ||
| 635年 | 九年(乙未) | 七月辛巳、恭仁は雍州牧に罷免される。十一月壬戌、特進蕭瑀が朝政に参豫する。 | 二月、無忌は母の喪により罷免される。五月、復職する。 | |
| 636年 | 十年(丙申) | 六月壬申、彥博は尚書右僕射となり、太常卿楊師道は侍中となり、朝政に参豫する。魏徵は特進に罷免され、門下省事を管掌し、朝章国典の得失を参議する。十二月、瑀は岐州刺史に罷免される。 | ||
| 637年 | 十一年(丁酉) | 六月甲寅、彥博が薨去する。 | ||
| 638年 | 十二年(戊戌) | 七月癸酉、吏部尚書高士廉は尚書右僕射となる。八月戊寅、君集は吏部尚書となる。壬寅、当弥道行軍大総管となる。 | ||
| 639年 | 十三年(己亥) | 正月、玄齢は太子少師となる。十一月辛亥、師道は中書令となる。戊辰、尚書左丞劉洎は黄門侍郎となり、政事に参与する。十二月壬申、君集は交河道行軍大総管となる。 | ||
| 640年 | 十四年(庚子) | 十二月、君集が帰還する。 | ||
| 641年 | 十五年(辛丑) | |||
| 642年 | 十六年(壬寅) | 正月辛未、中書舍人兼侍郎岑文本は中書侍郎となり、機密を専管する。九月丁巳、徵は太子太師に罷免される。 | 七月戊午、無忌は司徒となり、玄齢は司空となる。 | |
| 643年 | 十七年(癸卯) | 四月乙酉、君集が誅殺された。丁亥、師道が吏部尚書に罷免された。己丑、特進蕭瑀が太子太保に、兵部尚書李世勣が特進・太子詹事に任じられ、ともに同中書門下三品となった。六月丁酉、士廉が開府儀同三司・同中書門下三品・平章政事となった。七月丁酉、玄齢が母の喪で罷免された。八月庚戌、工部尚書張亮が刑部尚書となり、朝政に参豫した。十月丁巳、玄齢が起復した。 | 七月丁酉、玄齢が母の喪で罷免された。十月丁巳、起復した。 | |
| 644年 | 十八年〈甲辰〉 | 八月丁卯、洎が侍中に、文本が中書令に、中書侍郎馬周が中書令を守った。九月、黄門侍郎褚遂良が朝政に参豫した。十一月甲子、世勣と周が遼東道行軍大総管となった。 | ||
| 645年 | 十九年〈乙巳〉 | 二月乙卯、士廉が太子太傅を摂り、劉洎・馬周・太子左庶子許敬宗・右庶子高季輔・少詹事張行成がともに機務を掌った。三月壬辰、楊師道が中書令を摂り、無忌が侍中を摂った。四月丁未、文本が薨去した。十一月丁亥、師道が工部尚書に貶された。十二月庚申、洎が賜死された。 | ||
| 646年 | 二十年〈丙午〉 | 三月己丑、亮が誅殺された。四月甲子、瑀が太子太保を罷免された。十月、商州刺史に貶された。 | ||
| 647年 | 二十一年〈丁未〉 | 正月壬辰、士廉が薨去した。三月戊子、世勣が遼東道行軍大総管となった。十月癸丑、遂良が父の喪で罷免された。 | ||
| 648年 | 二十二年〈戊申〉 | 正月庚寅、周が薨去した。己亥、中書舍人崔仁師が中書侍郎となり、機務に参知した。丙午、無忌が中書令を検校し、尚書・門下三省の事を知った。二月、遂良が起復した。己卯、仁師が除名され、連州に流された。九月己亥、遂良が中書令となった。 | 七月癸卯、玄齢が薨去した。 | |
| 649年 | 二十三年〈己酉〉 | 五月戊午、勣が疊州都督に貶された。庚午、行成が侍中を兼ね、検校刑部尚書季輔が中書令を兼ね、礼部尚書于志寧が侍中となった。癸巳、検校洛州刺史李勣が開府儀同三司・同中書門下参掌機密となった。九月乙卯、李勣が尚書左僕射・同中書門下三品となった。 | 六月癸未、無忌が太尉となった。九月甲寅、荊王元景が司徒に、呉王恪が司空となった。 | |
| 650年 | 永徽元年〈庚戌〉 | 正月丙午、行成が侍中となった。十月戊辰、勣が僕射を罷免された。十一月、遂良が同州刺史に貶された。 | ||
| 651年 | 二年〈辛亥〉 | 正月乙巳、黄門侍郎宇文節と中書侍郎柳奭がともに同中書門下三品となった。八月己巳、張行成が尚書右僕射・同中書門下三品に、高季輔が侍中に、志寧が尚書左僕射・同中書門下三品となった。 | ||
| 652年 | 三年〈壬子〉 | 正月己巳、褚遂良が吏部尚書・同中書門下三品となる。三月辛巳、節が侍中となり、奭が中書令を守り、兵部侍郎韓瑗が黄門侍郎・同中書門下三品を守る。七月乙丑、行成が太子少傅を兼ね、季輔が太子少保を兼ね、志寧が太子少師を兼ね、節が太子詹事を兼ねる。九月、中書侍郎来済が同中書門下三品となる。 | ||
| 653 | 四年〈癸丑〉 | 二月乙酉、節が桂州に流される。九月甲戌、遂良が尚書左僕射・同中書門下三品となり、選事を引き続き知る。壬戌、行成が薨去。十一月癸丑、兵部尚書崔敦禮が侍中となる。丁巳、奭が中書令となる。十二月庚子、季輔が薨去。 | 二月甲申、荊王元景・呉王恪が賜死される。己亥、開府儀同三司・同中書門下三品勣が司空となり、徐王元礼が司徒となる。 | |
| 654 | 五年〈甲寅〉 | 六月癸亥、奭が吏部尚書に罷免される。 | ||
| 655 | 六年〈乙卯〉 | 五月壬辰、瑗が侍中となり、済が中書令となる。七月乙酉、敦禮が中書令となる。中書舍人李義府が中書侍郎を守り、参知政事となる。九月庚午、遂良が潭洲都督に貶される。十月癸丑、敦禮が太子詹事を検校する。 | ||
| 656 | 顕慶元年〈丙辰〉 | 正月甲申、志寧が太子太傅となり、瑗・済がともに太子賓客を罷免される。三月丙戌、戸部侍郎杜正倫が黄門侍郎・同中書門下三品となる。七月癸未、敦禮が太子少師・同中書門下三品となる。八月丙申、敦禮が薨去。 | ||
| 657 | 二年〈丁巳〉 | 三月癸丑、義府が中書令を兼ね、検校御史大夫を兼ね、引き続き太子賓客となる。正倫が度支尚書を兼ねる。八月丁卯、瑗が振州刺史に貶され、済が台州刺史に貶される。辛未、衛尉卿許敬宗が侍中となる。九月庚寅、正倫が中書令を兼ねる。 | ||
| 658 | 三年〈戊午〉 | 十一月乙酉、正倫が横州刺史に貶され、義府が普州刺史に貶される。戊子、敬宗が中書令を権検校する。戊戌、敬宗が中書令となり、大理卿辛茂將が侍中を兼ねる。 | ||
| 659 | 四年〈己未〉 | 四月丙辰、志寧が太子太師・同中書門下三品となる。乙丑、黄門侍郎許圉師が左庶子を検校し、同中書門下三品を兼ねる。戊辰、志寧が免官される。五月己卯、圉師が中書侍郎同三品となる。丙申、兵部尚書任雅相が同中書門下三品となり、度支尚書盧承慶が参知政事となる。八月壬子、義府が吏部尚書・同中書門下三品を兼ねる。九月癸卯、茂將が左庶子を兼ねる。十月甲辰、圉師が右庶子を兼ねる。十一月丙午、圉師が左散騎常侍となり、侍中を検校する。戊午、茂將が薨去。癸亥、承慶が同中書門下三品となる。 | 四月戊辰、無忌が揚州都督となり、黔州に安置される。 | |
| 660 | 五年〈庚申〉 | 七月丁卯、承慶が免官される。 | ||
| 661 | 龍朔元年〈辛酉〉 | 四月庚辰、雅相が浿江道行軍総管となる。 | ||
| 662 | 二年(壬戌) | 二年甲戌,雅相去世。丙戌,敬宗任右相;圉師任左侍極,檢校左相。七月戊戌,義府因母喪罷職。八月壬寅,敬宗任太子少師、同東西臺三品,仍知西臺事。九月丁丑,義府復職。十月庚戌,西臺侍郎上官儀同東西臺三品。十一月辛未,圉師貶為虔州刺史。 | ||
| 663 | 三年(癸亥) | 正月乙丑,義府任右相。四月戊子,義府流放巂州。 | ||
| 664 | 麟德元年(甲子) | 八月丁亥,司列太常伯劉祥道兼右相;大司憲竇德玄任司元太常伯,檢校左相。十二月丙戌,儀被殺。戊子,祥道罷為司禮太常伯。太子右中護樂彥瑋檢校西臺侍郎,西臺侍郎孫處約,並同知軍國政事,尋同東西臺三品。 | ||
| 665 | 二年(乙丑) | 三月甲寅,司戎太常伯姜恪同東西臺三品。四月戊辰,彥瑋、處約並罷。左侍極陸敦信檢校右相。十月壬戌,帶方州刺史劉仁軌任大司憲兼知政事,檢校太子左中護。 | ||
| 666 | 乾封元年(丙寅) | 四月庚戌,敦信罷為大司成。七月庚午,仁軌兼右相,檢校右中護。八月辛丑,德玄去世。十二月癸酉,勣任遼東道行軍大總管。 | ||
| 667 | 二年(丁卯) | 六月乙卯,西臺侍郎楊武戴至德、東臺侍郎李安期、司列少常伯趙仁本並同東西臺三品。東臺舍人張文瓘參知政事。八月辛亥,安期罷為荊州大都督長史。 | ||
| 668 | 總章元年(戊辰) | 正月壬子,仁軌任遼東道行軍副總管兼安撫大使、浿江道行軍總管。四月辛巳,武去世。十二月甲戌,恪檢校左相,司平太常伯閻立本守右相。是歲,勣加太子太師。 | ||
| 669 | 二年(己巳) | 二月辛酉,文瓘任東臺侍郎,右肅機李敬玄任西臺侍郎,並同東西臺三品。三月丙戌,東臺侍郎郝處俊同東西臺三品。 | 十二月戊申,勣去世。 | |
| 670 | 咸亨元年(庚午) | 正月丁丑,仁軌以金紫光祿大夫致仕。三月壬辰,敬宗以特進致仕。四月己酉,敬玄以喪免。七月戊子,敬玄復職。閏九月甲寅,恪任涼州道行軍大總管。十月乙未,仁本罷為左肅機。 | ||
| 671 | 二年(辛未) | 恪が侍中となり、立本が中書令となった。 | 九月丙申、徐王元礼が薨去した。 | |
| 672年 | 三年(壬申) | 二月己卯、恪が薨去した。十月、文瓘が大理卿となった。乙亥、至德が戸部尚書、敬玄が吏部侍郎、処俊が中書侍郎となった。十二月、劉仁軌が太子左庶子・同中書門下三品となった。 | ||
| 673年 | 四年(癸酉) | 十月壬午、立本が薨去した。 | ||
| 674年 | 上元元年(甲戌) | 二月壬午、仁軌が鶏林道行軍大総管となった。 | ||
| 675年 | 二年(乙亥) | 八月庚子、文瓘が侍中、処俊が中書令となり、ともに同中書門下三品となった。仁軌が尚書左僕射、至德が右僕射、敬玄が吏部尚書となった。 | ||
| 676年 | 儀鳳元年(丙子) | 三月癸卯、黄門侍郎来恆と中書侍郎薛元超がともに同中書門下三品となった。四月甲寅、中書侍郎李義琰が同中書門下三品となった。六月癸亥、黄門侍郎高智周が同中書門下三品となった。十一月庚寅、敬玄が中書令となった。十二月丙午、恆が河南道大使、元超が河北道大使となった。 | ||
| 677年 | 二年(丁丑) | 三月癸亥、処俊と智周が太子左庶子、義琰が右庶子となった。四月、太子左庶子張大安が同中書門下三品となった。八月辛亥、仁軌が洮河軍鎮守使となった。 | ||
| 678年 | 三年(戊寅) | 正月丙子、敬玄が洮河道行軍大総管兼安撫大使となり、鄯州都督を検校した。九月癸亥、文瓘が薨去した。十一月壬子、恆が薨去した。 | ||
| 679年 | 調露元年(己卯) | 正月庚戌、至德が薨去した。四月辛酉、処俊が侍中となり、元超が太子左庶子を検校した。十一月戊寅、智周が罷免されて御史大夫となった。 | ||
| 680年 | 永隆元年(庚辰) | 四月戊辰、中書侍郎王德真、黄門侍郎裴炎、崔知溫がともに同中書門下三品となった。八月丁巳、敬玄が衡州刺史に左遷された。己巳、大安が普州刺史に左遷された。九月甲申、德真が罷免されて相王府長史となった。 | ||
| 681年 | 開耀元年 〈辛巳〉 | 三月辛卯、仁軌が太子少傅を兼務し、処俊が罷免されて太子少保となる。七月甲午、仁軌が左僕射を罷免され、太子少傅として同中書門下三品となる。閏七月丁未、元超と知温がともに中書令を守り、炎が侍中となる。 | ||
| 682 | 永淳元年 〈壬午〉 | 四月丙寅、仁軌が京副留守となり、元超と炎が皇太子を補佐するために留まる。丁亥、黄門侍郎郭待挙、兵部侍郎岑長倩、秘書員外少監郭正一、吏部侍郎魏玄同がともに中書門下と同承受進止平章事となる。十月丙寅、黄門侍郎劉景先が同中書門下平章事となる。 | ||
| 683 | 弘道元年 〈癸未〉 | 三月庚子、義琰が銀青光禄大夫で致仕する。癸丑、知温が薨去する。四月壬申、待挙が検校太子右庶子となり、正一が中書侍郎となり、ともに同中書門下平章事となる。七月甲辰、元超が罷免される。十一月戊申、炎、正一、景先が東宮で平章事を兼務する。十二月甲戌、仁軌が罷免されて左僕射・京師留守となる。炎が中書令となる。戊寅、景先が侍中を守り、長倩が兵部尚書、待挙が左散騎常侍、玄同が黄門侍郎となり、ともに同中書門下三品となる。癸未、正一が罷免されて国子祭酒となる。 | 十二月庚午、韓王元嘉が太尉となり、霍王元軌が司徒となり、舒王元名が司空となる。 | |
| 684 | 光宅元年 〈甲申〉 | 正月癸巳、左散騎常侍韋弘敏が太府卿・同中書門下三品となる。二月丁丑、検校豫王府長史・太常卿王德真が侍中となる。中書侍郎・豫王府司馬劉禕之が中書侍郎・同中書門下三品となる。閏五月甲子、礼部尚書武承嗣が太常卿・同中書門下三品となる。八月丙午、承嗣が罷免されて礼部尚書となる。十月丁亥、鳳閣舍人李景諶が同鳳閣鸞臺平章事となり、左粛政臺御史大夫騫味道が検校内史・同鳳閣鸞臺三品となる。丙申、炎が殺害される。丁酉、景先が辰州刺史に左遷され、弘敏が汾州刺史に左遷され、景諶が罷免されて司賓少卿を守る。守右史沈君諒、著作郎崔がともに正諫大夫・同鳳閣鸞臺平章事となる。十一月丁卯、待挙が罷免されて左庶子となる。鸞臺侍郎韋方質が鳳閣侍郎を守り、同鳳閣鸞臺平章事となる。 | ||
| 685 | 垂拱元年 〈乙酉〉 | 正月戊辰、仁軌が薨去する。庚戌、味道が内史を守り、同三品となる。二月乙巳、承嗣が同鳳閣鸞臺三品となる。君諒が罷免される。右粛政臺御史大夫韋思謙、秋官尚書裴居道がともに同鳳閣鸞臺三品となる。三月辛酉、承嗣が罷免され、が河北に派遣され、罷免される。四月丙子、味道が青州刺史に左遷される。五月丙午、居道が内史となる。丁未、德真が罷免されて同州刺史となり、その日に象州に流される。己酉、冬官尚書蘇良嗣が納言を守る。壬申、方質が同鳳閣鸞臺三品となる。六月、天官尚書韋待価が同鳳閣鸞臺三品となる。七月己酉、玄同が文昌左丞から鸞臺侍郎に遷る。十一月癸卯、待価が燕然道行軍大総管となる。 | 十一月丙辰、元嘉が自殺し、元軌が黔州に流される。 | |
| 686 | 二年 〈丙戌〉 | 三月丙辰、玄同が地官尚書となる。四月庚辰、長倩が内史となる。五月丙午、居道が納言となる。六月辛未、良嗣が文昌左相を守り、同鳳閣鸞臺三品となり、待価が文昌右相を守る。己卯、思謙が納言を守る。 | ||
| 687 | 三年 〈丁亥〉 | 三月乙丑、思謙が太中大夫で致仕する。四月壬戌、居道が納言となる。五月丙寅、夏官侍郎張光輔が鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。庚午、禕之が殺害される。八月壬子、玄同が検校納言を兼務する。十二月壬辰、待価が安息道行軍大総管となる。 | ||
| 688 | 四年 〈戊子〉 | 九月丁卯、左粛政臺御史大夫騫味道、夏官侍郎王本立がともに同鳳閣鸞臺平章事となる。丙辰、光輔が諸軍節度となり、長倩が後軍大総管となり、越王貞を討つ。十二月己亥、味道が殺害される。 | ||
| 689 | 載初元年 〈己丑〉 | 二月甲寅、方質が地官尚書を守る。三月甲寅、本立が左粛政臺御史大夫を守る。甲子、光輔が納言を守る。癸酉、天官尚書武承嗣が納言となり、光輔が内史を守る。五月丙辰、待価が安息道行軍総管となる。七月丙子、待価が繍州に流される。戊寅、本立が同鳳閣鸞臺三品となる。八月甲申、光輔が殺害される。閏九月甲午、玄同が殺害される。十月丁卯、春官尚書范履冰、鳳閣侍郎邢文偉がともに同鳳閣鸞臺平章事となる。 | 正月丁巳、元名が司徒となる。 | |
| 690 | 天授元年(庚寅) | 一月戊子,承嗣が文昌左相に、長倩が文昌右相に任じられ、ともに同鳳閣鸞臺三品となる。良嗣は特進に、本立は罷免されて地官尚書に、文偉は内史を守り、鳳閣侍郎武攸寧は納言に、居道は太子少保となる。甲午、方質は儋州に流される。三月丁亥、良嗣が薨去。四月丁巳、履冰が殺害される。八月甲寅、居道が獄中で死去。九月丙戌、給事中傅游藝が鸞臺侍郎・同鳳閣鸞臺平章事に、司賓卿史務滋が納言を守り、鳳閣侍郎宗秦客が検校納言となる。十月甲子、秦客が遵化尉に貶される。辛未、文偉が珍州刺史に貶される。 | 七月辛巳、元名が和州に流される。 | |
| 691 | 二年(辛卯) | 一月庚子、務滋が自殺。五月丁亥、長倩が武威道行軍大総管となる。六月庚戌、鸞臺侍郎楽思晦、鳳閣侍郎任知古、左粛政臺御史大夫格輔元が地官尚書に、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。癸卯、長倩が輔国大将軍となる。八月戊申、攸寧が罷免されて左羽林衛大将軍となる。夏官尚書欧陽通が司礼卿に、兼ねて納言事を判る。九月壬辰、游藝が自殺。癸巳、攸寧が納言を守り、冬官侍郎裴行本、洛州司馬狄仁傑が地官侍郎を守り、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。十月己酉、長倩、輔元、通が殺害される。壬戌、思晦が殺害される。 | ||
| 692 | 長寿元年(壬辰) | 一月戊辰、夏官尚書楊執柔が同鳳閣鸞臺平章事となる。庚午、知古が江夏令に貶され、行本が嶺南に流され、仁傑が彭沢令に貶される。庚辰、司刑卿李游道が冬官尚書・同鳳閣鸞臺平章事となる。二月戊午、秋官尚書袁智弘が同鳳閣鸞臺平章事となる。八月戊寅、承嗣が罷免されて特進に、攸寧が罷免されて冬官尚書に、執柔が罷免されて地官尚書を守る。司賓卿崔神基、秋官侍郎崔元綜、夏官侍郎李昭徳、権検校天官侍郎姚璹、守容州都督検校地官侍郎李元素がともに同鳳閣鸞臺平章事となる。辛巳、営繕大匠王璿が夏官尚書を守り、同鳳閣鸞臺平章事となる。九月辛丑、璹が罷免されて司賓少卿となる。癸丑、游道、智弘、神基、元素、璿がともに嶺南に流される。 | ||
| 693 | 二年(癸巳) | 一月庚子、夏官侍郎婁師徳が同鳳閣鸞臺平章事となる。乙卯、昭徳が夏官侍郎となる。九月癸丑、文昌右丞韋巨源、秋官侍郎陸元方が鸞臺侍郎に、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。司賓卿豆盧欽望が内史を守る。 | ||
| 694 | 延載元年(甲午) | 二月甲午、師徳が秋官尚書となり、河源・積石・懐遠等軍営田大使を充てる。三月甲申、昭徳が検校内史となり、鳳閣舎人蘇味道が鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。昭徳が朔方道行軍長史に、味道が司馬となる。四月壬戌、夏官尚書・武威道大総管王孝傑が同鳳閣鸞臺三品となる。七月癸未、嵩岳山人武什方が正諫大夫・同鳳閣鸞臺平章事となる。八月、什方が帰山を乞い、遣わされる。戊辰、孝傑が瀚海道行軍総管となる。己巳、姚璹が納言を守り、左粛政臺御史大夫楊再思が鸞臺侍郎に、洛州司馬杜景佺が検校鳳閣侍郎に、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。戊寅、元綜が振州に流される。九月壬寅、昭徳が南賓尉に貶される。十月壬申、文昌右丞李元素が鳳閣侍郎を守り、右粛政臺御史中丞周允元が検校鳳閣侍郎に、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。 | ||
| 695 | 万歳登封元年(乙未) | 正月戊子、欽望が趙州刺史に貶され、巨源が鄜州刺史に、景佺が溱州刺史に、味道が集州刺史に、元方が綏州刺史に貶される。丙午、孝傑が朔方道行軍総管となる。二月丙辰、允元が薨去。七月辛酉、孝傑が粛辺道行軍大総管となる。 | ||
| 696 | 万歳通天元年(丙申) | 一月甲寅、師徳が左粛政臺御史大夫・粛辺道行軍総管となる。三月壬寅、孝傑が免官。四月癸酉、検校夏官侍郎孫元亨が同鳳閣鸞臺平章事となる。庚子、師徳が原州司馬に貶される。七月辛亥、璹が榆関道安撫副大使となる。九月庚申、并州長史王方慶が鸞臺侍郎に、殿中監李道広が、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。十月己卯、方慶が鳳閣侍郎となる。 | ||
| 697 | 神功元年(丁酉) | 正月壬戌、元素、元亨が殺害される。甲子、師徳が鳳閣侍郎を守り、同鳳閣鸞臺平章事となる。四月癸酉、前益州大都督府長史王及善が内史となる。五月癸卯、師徳が清辺道行軍副大総管となる。六月己卯、尚方少監宗楚客が検校夏官侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。戊子、承嗣、春官尚書武三思がともに同鳳閣鸞臺三品となる。道広が兼ねて検校洛州長史となる。辛卯、師徳が河北を安撫。七月丁酉、承嗣、三思がともに罷免。八月丙戌、璹が罷免されて益州長史となる。庚子、仁傑が兼ねて納言となり、三思が検校内史に、欽望が太子宮尹から文昌右相・同鳳閣鸞臺三品となる。九月甲子、攸寧が同鳳閣鸞臺三品となる。戊寅、仁傑が河北道副元帥、検校納言となる。庚戌、師徳が納言を守る。十月癸卯、仁傑が河北道安撫大使となる。閏十月甲寅、仁傑が鸞臺侍郎に、景佺が鳳閣侍郎に、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。 | ||
| 698 | 聖暦元年(戊戌) | 正月丙寅、楚客が罷免されて文昌左丞となる。丁亥、道広が罷免されて汴州刺史となる。二月乙未、欽望が罷免されて太子賓客となる。三月甲戌、師徳が納言となる。四月辛丑、師徳が隴右諸軍大使となり、なお河西営田事を検校する。七月辛未、景佺が罷免されて秋官尚書となる。八月甲午、方慶が罷免されて麟台監、国史を修める。庚子、三思が検校内史に、仁傑が兼ねて納言となる。九月甲子、夏官尚書武攸寧が同鳳閣鸞臺三品となる。戊寅、仁傑が河北道行軍副元帥、検校納言となる。辛巳、試天官侍郎蘇味道が鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。十月癸卯、狄仁傑が河北道安撫大使となる。夏官侍郎姚元崇、麟台少監監修国史・知鳳閣侍郎李嶠が、同鳳閣鸞臺平章事となる。 | ||
| 699 | 二年(己亥) | 臘月戊子、検校左粛政臺御史中丞吉頊が天官侍郎に、右台魏元忠が鳳閣侍郎に、ともに同鳳閣鸞臺平章事となる。二月庚申、武攸寧が罷免されて冬官尚書となる。三月甲戌、師徳が納言となる。四月壬辰、魏元忠が検校并州大都督府長史・天兵軍大総管となり、師徳が副となる。壬寅、師徳が隴右諸軍大使を充てる。八月庚子、再思が罷免されて左粛政臺御史大夫となる。及善が文昌左相・同鳳閣鸞臺平章事に、太子宮尹欽望が文昌右相・同鳳閣鸞臺三品となる。丁未、師徳が薨去。試天官侍郎陸元方が鸞臺侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。戊申、三思が内史となる。九月庚辰、及善が薨去。 | ||
| 700 | 久視元年〈庚子〉 | 正月戊午、頊が琰川尉に左遷される。壬申、三思が特進・太子少保に罷免される。丁酉、狄仁傑が内史となる。庚子、文昌左相韋巨源が納言となる。二月乙未、欽望が太子賓客に罷免される。三月癸丑、元忠が洛州長史を兼任する。辛未、嶠が鸞臺侍郎兼修国史を守る。甲戌、頊が左控鶴内供奉を加えられる。六月丁亥、元忠が左肅政臺御史大夫となる。閏七月己丑、嶠が成均祭酒に罷免される。守天官侍郎張錫が鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。八月庚戌、元忠が隴右諸軍州大総管となる。九月辛丑、仁傑が薨去する。十月辛亥、元忠が蕭関道行軍大総管となる。丁巳、巨源が地官尚書に罷免される。文昌右丞韋安石が鸞臺侍郎・同鳳閣鸞臺平章事を守る。 | ||
| 701 | 長安元年〈辛丑〉 | 二月己酉、鸞臺侍郎李懷遠が同鳳閣鸞臺平章事となる。三月己卯、元崇が鳳閣侍郎となる。丙申、錫が循州に流される。四月癸丑、元崇が并州以北の諸軍州兵馬を検校するため赴く。五月丁丑、元忠が霊武道行軍大総管となる。丙申、天官侍郎顧琮が同鳳閣鸞臺平章事となる。六月庚申、元崇が夏官尚書事を兼知し、夏官侍郎となる。右奉宸内供奉李迥秀が同鳳閣鸞臺平章事となる。七月壬午、味道が幽・平等州の兵馬を按察するため使節として赴く。甲申、懷遠が秋官尚書に罷免される。十月丙寅、元忠が同鳳閣鸞臺三品となり、群牧大使を兼任する。十一月壬申、三思が特進・太子少保に罷免される。甲午、元崇に相王府長史を加え、安石に検校太子左庶子を加える。 | ||
| 702 | 二年〈壬寅〉 | 三月丙戌、迥秀が山東諸州の軍馬を安置し武騎兵を検校するため使節となる。五月、元忠が安北道行軍副元帥となり、まもなく并州道行軍大総管兼宣労使・左肅政臺御史大夫・同鳳閣鸞臺三品に任じられ、并州事を兼知する。十月甲辰、琮が薨去する。甲寅、元崇が同鳳閣鸞臺平章事となり、味道・迥秀・安石がともに同鳳閣鸞臺三品となる。十二月甲午、元忠が安東道安撫使となる。 | 十一月甲子、相王旦が司徒となる。 | |
| 703 | 三年〈癸卯〉 | 閏四月庚午、嶠が左丞を兼任し、同鳳閣鸞臺平章事となる。丁丑、安石が神都留守となり、天官・秋官二尚書事を判る。己卯、嶠が納言事を知る。五月戊戌、元忠が左庶子を兼任する。七月壬寅、正諫大夫朱敬則が同鳳閣鸞臺平章事となる。庚戌、検校涼州都督唐休璟が夏官尚書・同鳳閣鸞臺平章事となる。九月丁酉、元忠が高要尉に左遷される。 | 四月庚子、相王旦が罷免される。 | |
| 704 | 四年〈甲辰〉 | 正月壬子、天官侍郎韋嗣立が鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺三品となる。二月癸亥、迥秀が廬州刺史に左遷される。壬申、敬則が致仕する。三月己丑、嗣立が汴州刺史を検校する。己亥、味道が坊州刺史に左遷される。夏官侍郎宗楚客が同鳳閣鸞臺平章事となり、休璟が右庶子を行く。四月壬戌、安石が納言事を知り、嶠が内史事を知る。六月辛酉、元崇が相王府長史に罷免され、一事以上はともに三品となる。乙丑、天官侍郎崔玄暐が鸞臺侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。嗣立が宮所に追赴される。丁丑、嶠が成均祭酒・同鳳閣鸞臺三品となる。壬午、元崇が夏官尚書を兼知し、同鳳閣鸞臺三品となる。七月丙戌、左肅政臺御史大夫楊再思が内史を守る。甲午、楚客が原州都督に左遷される。八月甲寅、安石が揚州長史を検校兼任する。庚申、休璟が幽・営二州都督・安東都護を兼任する。辛酉、元崇が春官尚書を兼知する。庚辰、元崇が司僕卿となる。九月壬子、元之が群牧使を知り、右肅政臺御史大夫・霊武道行軍大総管を兼摂する。十月辛酉、元之が霊武道安撫大使となり、権検校左臺大夫となる。甲戌、判秋官侍郎張柬之が同鳳閣鸞臺平章事となる。乙亥、嗣立が魏州刺史を検校する。壬午、懐州長史房融が正諫大夫・同鳳閣鸞臺平章事となる。十一月丁亥、天官侍郎韋承慶が鳳閣侍郎を行き、同鳳閣鸞臺平章事となり、柬之が鳳閣侍郎を守る。癸卯、嶠が地官尚書に罷免され、監修国史となる。丁未、玄暐が検校太子右庶子を兼任する。十二月丙辰、嗣立が成均祭酒に罷免される。 | ||
| 705 | 神龍元年〈乙巳〉 | 正月甲辰、司刑少卿袁恕己が鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺平章事となる。丙午、安国相王が太尉・同鳳閣鸞臺三品となる。庚戌、玄暐が内史を守る。左羽林将軍敬暉・検校左羽林将軍桓彦範がともに納言となる。柬之が天官尚書となり、恕己が鳳閣侍郎となり、ともに同鳳閣鸞臺三品となる。二月甲寅、再思が戸部尚書・同中書門下三品となる。元之が豪州刺史に罷免され、韋承慶が高要尉に左遷され、融が除名され高州に流される。甲戌、太子少詹事祝欽明が同中書門下三品となり、安石が守刑部尚書に罷免される。三月己丑、恕己が中書令を守る。四月辛亥、恕己が中書令となり、彦範が侍中となり、柬之が天官尚書となる。丁卯、元忠が衛尉卿・同中書門下平章事となる。辛未、暉が侍中となる。甲戌、元忠が兵部尚書となり、安石が吏部尚書となり、懷遠が左散騎常侍となり、休璟が涼州から入り輔国大将軍となり、ともに同中書門下三品となる。再思が揚州大都督を検校する。玄暐が特進となり、検校益州大都督府長史・同中書門下三品となる。欽明が刑部尚書を守る。乙亥、柬之が中書令・同中書門下三品となる。五月甲午、安石が検校中書令を兼任する。玄暐が博陵郡王に罷免され、柬之が漢陽郡王に罷免され、恕己が南陽郡王に罷免され、暉が平陽郡王に罷免され、彦範が扶陽郡王に罷免され、元忠が侍中を兼任する。庚子、懷遠が左散騎常侍となる。甲辰、休璟が尚書左僕射となり、欽望が特進から右僕射・同中書門下平章事となる。六月癸亥、欽望が軍国重事中書門下平章となり、安石が中書令となり、元忠が侍中となり、再思が検校中書令となる。七月辛巳、太子賓客韋巨源が同中書門下三品となる。八月、欽望が検校安国相王府長史を兼任する。九月癸巳、巨源が礼部尚書に罷免される。十月丁未、休璟が京留守となり、なお尚書省事を判る。辛未、元忠が中書令となり、再思が侍中を行く。 | 正月丙午、安国相王が太尉となる。二月丙寅、梁王武三思が司空・同中書門下三品となる。丁卯、右散騎常侍武攸暨が司徒となる。辛未、安国相王が太尉・同三品を譲る。丁丑、三思・攸暨が罷免される。 | |
| 706 | 二年〈丙午〉 | 正月戊戌、守吏部尚書李嶠が同中書門下三品となり、中書侍郎于惟謙が同中書門下平章事となる。二月乙未、礼部尚書韋巨源が刑部尚書を守り、同中書門下三品となる。三月甲辰、安石が戸部尚書に罷免される。戸部尚書蘇瑰が侍中を守る。戊申、休璟が致仕する。四月己丑、懷遠が致仕する。六月戊寅、暉が崖州司馬に左遷され、彦範が瀧州司馬に左遷され、恕己が竇州司馬に左遷され、玄暐が白州司馬に左遷され、柬之が新州司馬に左遷される。七月丙寅、元忠が尚書右僕射・兼中書令となり、なお兵部事を知る。嶠が中書令を守る。辛未、懷遠が同中書門下三品に復する。暉が嘉州に流され、彦範が瀼州に流され、恕己が環州に流され、玄暐が古州に流され、柬之が瀧州に流される。八月丙子、欽明が申州刺史に左遷される。九月戊午、懷遠が薨去する。十月癸巳、瑰が侍中となる。十二月丙申、欽望が開府儀同三司となり、平章軍国重事を旧に依る。元忠が尚書左僕射となる。 | ||
| 707 | 景龍元年〈丁未〉 | 七月壬戌、嶠が中書令となり、巨源が吏部尚書となり、元忠に特進を加える。八月丙戌、元忠が特進で致仕する。九月丁酉、惟謙が国子祭酒に罷免される。行兵部尚書宗楚客が左衛将軍となり、兼太府卿紀処訥が太僕卿となり、吏部侍郎蕭至忠が黄門侍郎となり、ともに同中書門下三品となる。丙辰、至忠が中書侍郎を行く。辛亥、再思が中書令となり、巨源・処訥が侍中となる。瑰が行吏部尚書に罷免される。 | ||
| 708 | 二年〈戊申〉 | 七月癸巳、左屯衛大将軍・朔方道行軍大総管張仁亶が同中書門下三品となる。 | ||
| 709 | 三年(己酉) | 二月壬寅、巨源が尚書左僕射となり、再思が右僕射となり、ともに中書門下三品となる。三月戊午、楚客が中書令となり、至忠が侍中を守り、太府卿韋嗣立が兵部尚書を守り、ともに中書門下三品となる。中書侍郎兼検校吏部侍郎崔湜、守兵部侍郎趙彥昭が中書侍郎となり、ともに中書門下平章事となる。戊寅、礼部尚書韋温が太子少保・同中書門下三品となり、太常少卿鄭愔が吏部侍郎を守り、同中書門下平章事となる。五月丙戌、湜が襄州刺史に左遷され、愔が江州司馬に左遷される。六月癸卯、再思が薨去。八月乙酉、嶠が兵部尚書を守り、同中書門下三品となり、安石が特進から侍中となり、至忠が中書令となる。九月、巨源が都留守となる。戊辰、瑰が右僕射・同中書門下三品となる。十一月甲戌、欽望が薨去。十二月壬辰、前右僕射・同三品・宋国公致仕唐休璟が太子少師・同中書門下三品となる。 | ||
| 710 | 景雲元年(庚戌) | 六月壬午、工部尚書張錫・刑部尚書裴談がともに中書門下三品となり、吏部侍郎崔湜・中書侍郎岑羲・吏部尚書張嘉福がともに中書門下平章事となり、温が内外兵馬を総知する。甲申、相王が政事に参謀する。壬辰、嘉福が河北道巡撫を節を持って行い、羲が河南道巡撫を節を持って行い、処訥が関内道巡撫を節を持って行う。庚子、巨源が誅殺される。辛丑、朝邑尉劉幽求が中書舎人となり、苑総監鍾紹京が中書侍郎となり、ともに機務に参豫する。壬寅、紹京・黄門侍郎李日知・殿中監平王隆基がともに中書門下三品となる。至忠が許州刺史に左遷され、嗣立が宋州刺史に左遷され、彥昭が絳州刺史に左遷され、湜が華州刺史に左遷される。処訥・楚客・温が誅殺される。癸卯、隆基が同中書門下三品となる。紹京が中書令を行う。嘉福が誅殺される。乙巳、紹京が戸部尚書に罷免される。丙午、太常少卿薛稷が黄門侍郎となり、機務に参豫する。丁未、隆基が皇太子となる。戊申、許州刺史姚元之が兵部尚書・同中書門下三品となり、嗣立・至忠が中書令となり、彥昭が中書侍郎となり、湜が吏部侍郎・同中書門下平章事となる。七月癸丑、兵部尚書崔日用が黄門侍郎を行い、機務に参知し、稷が中書侍郎となる。丁巳、洛州長史宋璟が検校吏部尚書同中書門下三品となり、元之が太子左庶子を兼ね、璟が右庶子を兼ねる。羲が右散騎常侍に罷免される。壬戌、湜が尚書左丞に罷免され、錫が絳州刺史に左遷され、至忠が晋州刺史となり、彥昭が宋州刺史となり、嗣立が許州刺史となる。丙寅、元之が中書令を兼ね、瑰が尚書左僕射となる。嶠が懐州刺史に左遷される。丁卯、休璟が致仕し、仁亶が左衛大将軍に罷免される。己巳、日用が雍州刺史に罷免され、稷が左散騎常侍に罷免される。八月癸巳、談が蒲州刺史に罷免される。十一月戊申、元崇が中書令兼兵部尚書となる。壬子、安石が太子少保に罷免され、瑰が少傅に罷免される。宋王成器が尚書左僕射となる。 | 六月甲申、安国相王が参謀政事を罷免され、太尉を加えられる。十一月己巳、宋王成器が司徒兼揚州大都督となる。 | |
| 711 | 二年(辛亥) | 正月己未、太僕卿郭元振・中書侍郎張説がともに中書門下平章事となる。二月甲申、璟が楚州刺史に左遷され、元之が申州刺史に左遷される。丙戌、韋安石が侍中となり、幽求が戸部尚書に罷免される。四月甲申、安石が中書令となる。辛卯、日知が侍中を守る。庚戌、安石に開府儀同三司が加えられる。壬戌、殿中監竇懐貞が左台御史大夫・同中書門下平章事となる。八月庚午、安石が尚書左僕射・同中書門下三品となる。九月乙亥、懐貞が侍中を守る。十月甲辰、日知が戸部尚書に罷免され、元振が吏部尚書に罷免され、説が尚書左丞に罷免され、懐貞が左台御史大夫に罷免され、安石が特進に罷免される。中書侍郎陸象先が同中書門下平章事となる。吏部尚書劉幽求が侍中となり、右散騎常侍魏知古・太子詹事崔湜が中書侍郎となり、ともに中書門下三品となる。 | 四月甲申、宋王憲が司徒を譲り太子賓客となる。 | |
| 712 | 先天元年(壬子) | 正月壬辰、象先が同中書門下三品となる。乙未、竇懐貞・戸部尚書岑羲がともに同中書門下三品となる。六月癸丑、羲が侍中となる。壬戌、知古が戸部尚書・同中書門下三品となる。七月乙亥、懐貞が尚書右僕射となり、軍国重事は共に平章する。八月庚戌、湜が検校中書令となり、幽求が尚書右僕射を守り、懐貞が左僕射を守り、ともに同三品となり、知古が侍中を守る。戊午、幽求が封州に流される。 | 八月己酉、宋王成器が司空となる。 |