丁部の集録、その類は三つ。一は楚辭類、二は別集類、三は総集類。凡そ著録八百一十八家、八百五十六部、一万一千九百二十三巻。著録せざるもの四百八家、五千八百二十五巻。
玄宗集
杜元志集十卷(字は道寧、開元の考功郎中、杭州刺史)
康國安集十卷(明経の高第をもって国子監に直し、三館の進士を教授し、右典戎衛録事参軍を授かり、太学崇文助教となり、博士に遷り、白獣門内供奉・崇文館学士となった)
苑咸集(卷は亡ぶ。京兆の人。開元末に上書し、司経校書・中書舎人に拝され、漢東郡司戸参軍に貶せられ、再び起用されて舎人・永陽太守となった)
嚴從集三卷(嚴從が卒すると、詔してその草稿を求め、呂向が集めて進上した)。
崔國輔集(卷は亡ぶ。県令挙に応じ、許昌令を授かり、集賢直学士・礼部員外郎。王鉷の近親に坐して竟陵郡司馬に貶せられる)。
張孝嵩集十巻(字は仲山、南陽の人。開元の河東節度使、南陽郡公。)
盧象集十二巻(字は緯卿、左拾遺・膳部員外郎、安祿山の偽官を授かり、永州司戸参軍に貶せられ、起用されて主客員外郎となる。)
劉長卿集十巻(字は文房。至徳の監察御史、検校祠部員外郎として転運使判官となり、淮西鄂岳転運留後・鄂岳観察使を兼ねる。呉仲孺に誣奏され、潘州南巴尉に貶せられる。後に弁明する者あり、睦州司馬に除され、随州刺史に終わる)
戎昱集五巻(衞伯玉の荊南鎮守に従事し、後に辰州・虔州の二州刺史となる)
竇叔向集七巻(字は遺直。常袞と親しく、袞が宰相となると左拾遺・内供奉に用いられ、袞が貶せられると、また溧水令に出された)
丘為集(巻数は亡ぶ。蘇州嘉興の人、継母に仕えて孝行し、かつて霊芝が堂下に生じた。累官して太子右庶子となり、時に年八十余り、母は無事で、俸禄の半分を給された。憂に服するに及んで、観察使韓滉は致仕官に禄を給するのは老臣を恵み養うためであり、喪中であることを以て異とすべからずとし、ただ春秋の羊酒を罷めたのみ。初めて郷里に帰った時、県令が謁見すると、丘為は門で恭しく待ち、県令が座ってから拝礼し、里胥は庭下に立ち、出てから敢えて座った。県の役所の前を通る時は、馬から降りて小走りした。卒す、年九十六)
張建封集二百三十篇
滕珦集(巻数は伝わらず。珦は東陽の人。茂王傅を歴任し、大和初年に右庶子を以て致仕し、四品に券を給して郷里に還るは珦より始まる。)
鄭諴集(卷數は亡ぶ。字は申虞、福州閩縣の人。大中年間に國子司業、郢・安二州刺史、江西節度副使)
袁皓碧池書三十卷(袁州宜春の人。龍紀年間に集賢殿圖書使、自ら碧池處士と稱す)
崔顥詩一巻(汴州の人、才俊にして行い無し、妻を娶りて愜わざれば即ちこれを去ること三四、司勲員外郎を歴任す。)
綦毋潜詩一巻(字は孝通。開元中、宜寿尉より集賢院待制に入り、右拾遺に遷り、終に著作郎。)
孟浩然詩集三巻(弟は洗然。宜城の王士源の編次する所、皆三巻なり。士源別に七類と為す。)
包融詩一巻(潤州延陵の人。大理司直を歴任す。二子何・佶は斉名し、世に「二包」と称す。何、字は幼嗣、大曆の起居舎人。融と儲光羲は皆延陵の人なり。曲阿に余杭尉丁仙芝・緱氏主簿蔡隠丘・監察御史蔡希周・渭南尉蔡希寂・処士張彦雄張潮・校書郎張暈・吏部常選周瑀・長洲尉談戭あり、句容に忠王府倉曹参軍殷遙・硤石主簿樊光・横陽主簿沈如筠あり、江寧に右拾遺孫処玄・処士徐延寿あり、丹徒に江都主簿馬挺・武進尉申堂構あり、十八人皆詩名あり。殷璠その詩を彙次し、丹楊集と為す者。)
皇甫冉詩集三巻(字は茂政、潤州丹楊の人、秘書少監・集賢院修撰彬の姪なり。天宝末無錫尉、難を避けて陽羨に居し、後に左金吾衛兵曹参軍・左補闕と為り、弟曾と斉名す。曾、字は孝常、侍御史を歴任し、事に坐して舒州司馬・陽翟令に貶徙す。)
張継詩一巻(字は懿孫、襄州の人。大曆末、検校祠部員外郎、洪州に於いて財賦を分掌す。)
郎士元詩一巻(字は君冑、中山の人。宝応元年、畿県官を選び、詔して中書に試し、渭南尉を補し、拾遺・郢州刺史を歴任す。)
張南史詩一巻(字は季直、幽州の人。試参軍を以て乱を避け揚州楊子に居し、再びこれを召すも、未だ赴かず、卒す。)
蘇渙の詩一卷(渙は若き頃剽盗を好み、白弩を用いることを善くし、巴蜀の商人はこれを苦しめ、白跖と号し、以て莊蹻に比す。後に節を折りて書を読み、進士及第す。湖南の崔瓘、従事に辟す。瓘害に遇うや、渙は交広に走り、哥舒晃とともに反し、誅せらる。)
吉中孚の詩一卷(楚州の人、初め道士となり、後に官は校書郎、宏辞に登り、諫議大夫・翰林学士・戸部侍郎、度支を判す。貞元初年に卒す。)
朱放の詩一卷(字は長通、襄州の人、剡溪に隠居す。嗣曹王皋、江西を鎮むるや、節度参謀に辟す。貞元初年に拾遺として召さるれど、就かず。)
許渾の『丁卯集』二巻(字は用晦、許圉師の後裔、大中年間に睦州刺史・郢州刺史を歴任)
雍陶の詩集十巻(字は國鈞、大中八年に国子監毛詩博士より出て簡州刺史となる)
後集五巻(字は文山、澧州の人。裴休が湖南を観察した時、厚く招き致し、及び宰相となって、詩をもって論薦し、校書郎を授かる)
郁渾の『百篇集』一卷(郁渾は常に百篇挙に応じ、寿州刺史李紳が百題を命じてこれを試す)
顧非熊の詩一卷(顧況の子、大中年間に盱眙の主簿となり、官を棄てて茅山に隠棲す)。
また宜陽集三卷(字は守愚、袁州の人、右拾遺となる。乾寧年間に、都官郎中として家で卒す)。
鄭良士の白巖集十卷(字は君夢。昭宗の時に詩五百篇を献じ、補闕に任ぜられた。)
皎然の詩集十巻(字は清昼、姓は謝、湖州の人、霊運の十世孫、杼山に住む。顔真卿が刺史の時、文士を集めて韻海鏡源を撰し、その論著に参与す。貞元年中、集賢御書院その集を取ってこれを蔵し、刺史于頔序を為す)
崔嘏制誥集十巻(字は乾錫、邢州刺史。劉稹の反に遭い、朝に帰り、考功郎中・中書舍人を授かる。李徳裕が貶謫された時、嘏が草した制書はその過失を尽くし書かず、端州刺史に貶せられる。)
集遺具録十巻(顧雲、字は垂象、池州の人。虞部郎中、高駢の淮南従事たり。)
右は別集類七百三十六家、七百五十部、七千六百六十八卷(姓名を失うもの一家、玄宗以下著錄せざるもの四百六家、五千一十二卷)
『芳林要覧』三百巻(許敬宗・顧胤・許圉師・上官儀・楊思儉・孟利貞・姚璹・竇徳玄・郭瑜・董思恭・元思敬が編集す)。
五臣注『文選』三十巻(衢州常山尉呂延済・都水使者劉承祖の子良・処士張銑・呂向・李周翰注す。開元六年、工部侍郎呂延祚これを上る)。
『朝英集』三巻(開元中、張孝嵩出塞の際、張九齢・韓休・崔沔・王翰・胡皓・賀知章の撰せる送行歌詩)
徐堅『文府』二十巻(開元中、詔して張説に文選外の文章を括せしむ、乃ち堅と賀知章・趙冬曦に命じて分討せしむ、会に詔して之を促す、堅乃ち先づ詩賦二韻を集めて文府と為し之を上る。余は就く能はずして罷む)
『珠英学士集』五巻(崔融、武后の時に三教珠英を修する学士李嶠・張説等の詩を集む)
劉松宜陽集六卷(松は字を嵇美といい、袁州の人である。その州の天寶以後の詩四百七十篇を集む)。
凡そ文史の類四家、四部、十八巻。劉子玄以下著録せず二十二家、二十三部、百七十九巻。
右は総集類七十五家、九十九部、四千二百二十三巻。李淳風以下、著録せざる七十八家、八百一十三巻。総じて七十九家、一百七部。