新唐書

巻六十 志第五十 車服四

巻六十 志第五十 車服四

丁部の集録、その類は三つ。一は楚辭類、二は別集類、三は総集類。凡そ著録八百一十八家、八百五十六部、一万一千九百二十三巻。著録せざるもの四百八家、五千八百二十五巻。

原文丁部集錄,其類三:一曰楚辭類,二曰別集類,三曰總集類。凡著錄八百一十八家,八百五十六部,一萬一千九百二十三卷;不著錄四百八家,五千八百二十五卷。

 

 

玄宗集

原文玄宗集

杜元志集十卷(字あざなは道寧、開元の考功郎中、杭州刺史)

原文杜元志集十卷字道寧,開元考功郎中,杭州刺史。

康國安集十卷(明経の高第をもって国子監に直し、三館の進士を教授し、右典戎衛録事参軍を授かり、太学崇文助教となり、博士に遷り、白獣門内供奉・崇文館学士となった)

原文康國安集十卷以明經高第直國子監,教授三館進士,授右典戎衞錄事參軍,太學崇文助教,遷博士,白獸門內供奉、崇文館學士。

苑咸集(卷は亡ぶ。京兆の人。開元末に上書し、司経校書・中書舎人に拝され、漢東郡司戸参軍に貶せられ、再び起用されて舎人・永陽太守となった)

原文苑咸集卷亡。京兆人。開元末上書,拜司經校書、中書舍人,貶漢東郡司戶參軍,復起為舍人、永陽太守。

嚴從集三卷(嚴從が卒すると、詔してその草稿を求め、呂向が集めて進上した)。

原文嚴從集三卷從卒,詔求其稾,呂向集而進焉。

崔國輔集(卷は亡ぶ。県令挙に応じ、許昌令を授かり、集賢直学士・礼部員外郎。王鉷の近親に坐して竟陵郡司馬に貶せられる)。

原文崔國輔集卷亡。應縣令舉,授許昌令,集賢直學士、禮部員外郎。坐王鉷近親貶竟陵郡司馬。

張孝嵩集十巻(字は仲山、南陽の人。開元の河東節度使せつどし、南陽郡公。)

原文張孝嵩集十卷字仲山,南陽人。開元河東節度使,南陽郡公。

盧象集十二巻(字は緯卿、左拾遺・膳部員外郎、安祿山の偽官を授かり、永州司戸参軍に貶せられ、起用されて主客員外郎となる。)

原文盧象集十二卷字緯卿,左拾遺、膳部員外郎,授安祿山偽官,貶永州司戶參軍,起為主客員外郎。

劉長卿集十巻(字は文房。至徳の監察御史、検校祠部員外郎として転運使判官となり、淮西鄂岳転運留後・鄂岳観察使を兼ねる。呉仲孺に誣奏され、潘州南巴尉に貶せられる。後に弁明する者あり、睦州司馬に除され、随州刺史に終わる)

原文劉長卿集十卷字文房。至德監察御史,以檢校祠部員外郎為轉運使判官,知淮西鄂岳轉運留後、鄂岳觀察使。吳仲孺誣奏,貶潘州南巴尉。會有為辨之者,除睦州司馬,終隨州刺史。

戎昱集五巻(衞伯玉の荊南鎮守に従事し、後に辰州・虔州の二州刺史となる)

原文戎昱集五卷衞伯玉鎮荊南從事,後為辰州、虔州二刺史。

竇叔向集七巻(字は遺直。常袞と親しく、袞が宰相となると左拾遺・内供奉に用いられ、袞が貶せられると、また溧水令に出された)

原文竇叔向集七卷字遺直。與常衮善,衮為相,用為左拾遺、內供奉,及貶,亦出溧水令。

丘為集(巻数は亡ぶ。蘇州嘉興の人、継母に仕えて孝行し、かつて霊芝が堂下に生じた。累官して太子右庶子となり、時に年八十余り、母は無事で、俸禄の半分を給された。憂に服するに及んで、観察使韓滉は致仕官に禄を給するのは老臣を恵み養うためであり、喪中であることを以て異とすべからずとし、ただ春秋の羊酒を罷めたのみ。初めて郷里に帰った時、県令が謁見すると、丘為は門で恭しく待ち、県令が座ってから拝礼し、里胥は庭下に立ち、出てから敢えて座った。県の役所の前を通る時は、馬から降りて小走りした。卒す、年九十六)

原文丘為集卷亡。蘇州嘉興人,事繼母孝,嘗有靈芝生堂下。累官太子右庶子,時年八十餘,而母無恙,給俸祿之半。及居憂,觀察使韓滉以致仕官給祿所以惠養老臣,不可在喪為異,唯罷春秋羊酒。初還鄉,縣令謁之,為候門磬折,令坐,乃拜,里胥立庭下,既出,乃敢坐。經縣署,降馬而趨。卒年九十六。

張建封集二百三十篇

原文張建封集二百三十篇

 

 

 

滕珦集(巻数は伝わらず。珦は東陽の人。茂王傅を歴任し、大和初年に右庶子を以て致仕し、四品に券を給して郷里に還るは珦より始まる。)

原文滕珦集卷亡。珦,東陽人。歷茂王傅,大和初以右庶子致仕,四品給券還鄉自珦始。

 

 

 

鄭諴集(卷數は亡ぶ。字は申虞、福州閩縣の人。大中年間に國子司業、郢・安二州刺史、江西節度副使)

原文鄭諴集卷亡。字申虞,福州閩縣人。大中國子司業,郢、安二州刺史,江西節度副使。

袁皓碧池書三十卷(袁州宜春の人。龍紀年間に集賢殿圖書使、自ら碧池處士と稱す)

原文袁皓碧池書三十卷袁州宜春人。龍紀集賢殿圖書使,自稱碧池處士。

 

 

崔顥詩一巻(汴州の人、才俊にして行い無し、妻を娶りて愜わざれば即ちこれを去ること三四、司勲員外郎を歴任す。)

原文崔顥詩一卷汴州人,才俊無行,娶妻不愜即去之者三四,歷司勳員外郎。

綦毋潜詩一巻(字は孝通。開元中、宜寿尉より集賢院待制に入り、右拾遺に遷り、終に著作郎。)

原文綦毋潛詩一卷字孝通。開元中,繇宜壽尉入集賢院待制,遷右拾遺,終著作郎。

孟浩然詩集三巻(弟は洗然。宜城の王士源の編次する所、皆三巻なり。士源別に七類と為す。)

原文孟浩然詩集三卷弟洗然。宜城王士源所次,皆三卷也。士源別為七類。

包融詩一巻(潤州延陵の人。大理司直を歴任す。二子何・佶は斉名し、世に「二包」と称す。何、字は幼嗣、大曆の起居舎人。融と儲光羲は皆延陵の人なり。曲阿に余杭尉丁仙芝・緱氏主簿蔡隠丘・監察御史蔡希周・渭南尉蔡希寂・処士張彦雄張潮・校書郎張暈・吏部常選周瑀・長洲尉談戭あり、句容に忠王府倉曹参軍殷遙・硤石主簿樊光・横陽主簿沈如筠あり、江寧に右拾遺孫処玄・処士徐延寿あり、丹徒に江都主簿馬挺・武進尉申堂構あり、十八人皆詩名あり。殷璠その詩を彙次し、丹楊集と為す者。)

原文包融詩一卷潤州延陵人。歷大理司直。二子何、佶齊名,世稱「二包」。何,字幼嗣,大曆起居舍人。融與儲光羲皆延陵人;曲阿有餘杭尉丁仙芝、緱氏主簿蔡隱丘、監察御史蔡希周、渭南尉蔡希寂、處士張彥雄張潮、校書郎張暈、吏部常選周瑀、長洲尉談戭,句容有忠王府倉曹參軍殷遙、硤石主簿樊光、橫陽主簿沈如筠,江寧有右拾遺孫處玄、處士徐延壽,丹徒有江都主簿馬挺、武進尉申堂構,十八人皆有詩名。殷璠彙次其詩,為丹楊集者。

皇甫冉詩集三巻(字は茂政、潤州丹楊の人、秘書少監・集賢院修撰彬の姪なり。天宝末無錫尉、難を避けて陽羨に居し、後に左金吾衛兵曹参軍・左補闕と為り、弟曾と斉名す。曾、字は孝常、侍御史を歴任し、事に坐して舒州司馬・陽翟令に貶徙す。)

原文皇甫冉詩集三卷字茂政,潤州丹楊人,祕書少監、集賢院脩撰彬姪也。天寶末無錫尉,避難居陽羨,後為左金吾衞兵曹參軍、左補闕,與弟曾齊名。曾,字孝常,歷侍御史,坐事貶徙舒州司馬,陽翟令。

張継詩一巻(字は懿孫、襄州の人。大曆末、検校祠部員外郎、洪州に於いて財賦を分掌す。)

原文張繼詩一卷字懿孫,襄州人。大曆末,檢校祠部員外郎,分掌財賦於洪州。

郎士元詩一巻(字は君冑、中山の人。宝応元年、畿県官を選び、詔して中書に試し、渭南尉を補し、拾遺・郢州えいしゅう刺史を歴任す。)

原文郎士元詩一卷字君冑,中山人。寶應元年,選畿縣官,詔試中書,補渭南尉,歷拾遺、郢州刺史。

張南史詩一巻(字は季直、幽州の人。試参軍を以て乱を避け揚州楊子に居し、再びこれを召すも、未だ赴かず、卒す。)

原文張南史詩一卷字季直,幽州人。以試參軍避亂居揚州楊子,再召之,未赴,卒。

蘇渙の詩一卷(渙は若き頃剽盗を好み、白弩を用いることを善くし、巴蜀の商人はこれを苦しめ、白跖と号し、以て莊蹻に比す。後に節を折りて書を読み、進士及第す。湖南の崔瓘、従事に辟す。瓘害に遇うや、渙は交広に走り、哥舒晃とともに反し、誅せらる。)

原文蘇渙詩一卷渙少喜剽盜,善用白弩,巴蜀商人苦之,號白跖,以比莊蹻。後折節讀書,進士及第。湖南崔瓘辟從事,瓘遇害,渙走交廣,與哥舒晃反,伏誅。

吉中孚の詩一卷(楚州の人、初め道士となり、後に官は校書郎、宏辞に登り、諫議大夫・翰林学士・戸部侍郎、度支を判す。貞元初年に卒す。)

原文吉中孚詩一卷楚州人,始為道士,後官校書郎,登宏辭,諫議大夫、翰林學士、戶部侍郎,判度支。貞元初卒。

朱放の詩一卷(字は長通、襄州の人、剡溪に隠居す。嗣曹王皋、江西を鎮むるや、節度参謀に辟す。貞元初年に拾遺として召さるれど、就かず。)

原文朱放詩一卷字長通,襄州人,隱居剡溪。嗣曹王皋鎮江西,辟節度參謀,貞元初召為拾遺,不就。

 

 

 

 

 

許渾の『丁卯集』二巻(字は用晦、許圉師の後裔、大中年間に睦州刺史・郢州刺史を歴任)

原文許渾丁卯集二卷字用晦,圉師之後,大中睦州、郢州二刺史。

雍陶の詩集十巻(字は國鈞、大中八年に国子監毛詩博士より出て簡州刺史となる)

原文雍陶詩集十卷字國鈞,大中八年自國子毛詩博士出為簡州刺史。

後集五巻(字は文山、澧州の人。裴休が湖南を観察した時、厚く招き致し、及び宰相となって、詩をもって論薦し、校書郎を授かる)

原文後集五卷字文山,澧州人。裴休觀察湖南,厚延致之,及為相,以詩論薦,授校書郎。

郁渾の『百篇集』一卷(郁渾は常に百篇挙に応じ、寿州刺史李紳が百題を命じてこれを試す)

原文郁渾百篇集一卷渾常應百篇舉,壽州刺史李紳命百題試之。

顧非熊の詩一卷(顧況の子、大中年間に盱眙の主簿となり、官を棄てて茅山に隠棲す)。

原文顧非熊詩一卷況之子,大中盱眙簿,棄官隱茅山。

また宜陽集三卷(字は守愚、袁州の人、右拾遺となる。乾寧年間に、都官郎中として家で卒す)。

原文又宜陽集三卷字守愚,袁州人,為右拾遺。乾寧中,以都官郎中卒于家。

 

鄭良士の白巖集十卷(字は君夢。昭宗の時に詩五百篇を献じ、補闕に任ぜられた。)

原文鄭良士白巖集十卷字君夢。昭宗時獻詩五百篇,授補闕。

皎然の詩集十巻(字は清昼、姓は謝、湖州の人、霊運の十世孫、杼山に住む。顔真卿が刺史の時、文士を集めて韻海鏡源を撰し、その論著に参与す。貞元年中、集賢御書院その集を取ってこれを蔵し、刺史于頔序を為す)

原文皎然詩集十卷字清晝,姓謝,湖州人,靈運十世孫,居杼山。顏真卿為刺史,集文士撰韻海鏡源,預其論著。貞元中,集賢御書院取其集以藏之,刺史于頔為序。

崔嘏制誥集十巻(字は乾錫、邢州刺史。劉稹の反に遭い、朝に帰り、考功郎中・中書舍人を授かる。李徳裕が貶謫された時、嘏が草した制書はその過失を尽くし書かず、端州刺史に貶せられる。)

原文崔嘏制誥集十卷字乾錫,邢州刺史。會劉稹反,歸朝,授考功郎中、中書舍人。李德裕之謫,嘏草制不盡書其過,貶端州刺史。

集遺具録十巻(顧雲、字は垂象、池州の人。虞部郎中、高駢の淮南従事たり。)

原文集遺具錄十卷顧雲,字垂象,池州人。虞部郎中,高駢淮南從事。

 

 

 

 

 

 

右は別集類七百三十六家、七百五十部、七千六百六十八卷(姓名を失うもの一家、玄宗以下著錄せざるもの四百六家、五千一十二卷)

原文右別集類七百三十六家,七百五十部,七千六百六十八卷。失姓名一家,玄宗以下不著錄四百六家,五千一十二卷。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『芳林要覧』三百巻(許敬宗・顧胤・許圉師・上官儀・楊思儉・孟利貞・姚璹・竇徳玄・郭瑜・董思恭・元思敬が編集す)。

原文芳林要覽三百卷許敬宗、顧胤、許圉師、上官儀、楊思儉、孟利貞、姚璹、竇德玄、郭瑜、董思恭、元思敬集。

 

 

 

 

 

 

 

五臣注『文選』三十巻(衢州常山尉呂延済・都水使者劉承祖の子良・処士張銑・呂向・李周翰注す。開元六年、工部侍郎呂延祚これを上る)。

原文五臣注文選三十卷衢州常山尉呂延濟、都水使者劉承祖男良、處士張銑呂向李周翰注,開元六年,工部侍郎呂延祚上之。

 

 

 

 

『朝英集』三巻(開元中、張孝嵩出塞の際、張九齢・韓休・崔沔・王翰・胡皓・賀知章の撰せる送行歌詩)

原文朝英集三卷開元中張孝嵩出塞,張九齡、韓休、崔沔、王翰、胡皓、賀知章所撰送行歌詩。

 

 

徐堅『文府』二十巻(開元中、詔して張説に文選外の文章を括せしむ、乃ち堅と賀知章・趙冬曦に命じて分討せしむ、会に詔して之を促す、堅乃ち先づ詩賦二韻を集めて文府と為し之を上る。余は就く能はずして罷む)

原文徐堅文府二十卷開元中,詔張說括文選外文章,乃命堅與賀知章、趙冬曦分討,會詔促之,堅乃先集詩賦二韻為文府上之。餘不能就而罷。

 

 

 

 

『珠英学士集』五巻(崔融、武后の時に三教珠英を修する学士李嶠・張説等の詩を集む)

原文珠英學士集五卷崔融集武后時脩三教珠英學士李嶠、張說等詩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劉松宜陽集六卷(松は字を嵇美といい、袁州の人である。その州の天寶以後の詩四百七十篇を集む)。

原文劉松宜陽集六卷松,字嵇美,袁州人。集其州天寶以後詩四百七十篇。

 

 

 

 

 

凡そ文史の類四家、四部、十八巻。劉子玄以下著録せず二十二家、二十三部、百七十九巻。

原文凡文史類四家,四部,十八卷。劉子玄以下不著錄二十二家,二十三部,一百七十九卷。

 

 

 

 

 

 

 

 

右は総集類七十五家、九十九部、四千二百二十三巻。李淳風以下、著録せざる七十八家、八百一十三巻。総じて七十九家、一百七部。

原文右總集類七十五家,九十九部,四千二百二十三卷。李淳風以下不著錄七十八家,八百一十三卷。總七十九家,一百七部。