新唐書

巻四十六 志第三十六 百官一

唐の官制は、その名称と禄秩は時に応じて増減するが、おおむね隋の旧制を踏襲している。官司の区別としては、省・台・寺・監・衛・府があり、それぞれその属を統率し、職分を分かち地位を定める。貴賤を弁別し、労能を序列づけるには、品・爵・勲・階があり、時に応じて考覈し昇降させる。これをもって衆材を任用し、百事を治めるのである。その法たるや精緻にして綿密、事に施すときは簡便にして実行しやすい。その所以は、職には常に守るべきことがあり、位には常に定員があるからである。唐の盛んな時、その制度はこのようであった。そもそも初めは制度を立て、紀綱を明らかにして万世の法としようとしなかったわけではないが、常に互いに侵し合い紛乱に至ったのは、時の君主が慎んで守ることができず、一切の苟且に従ったためである。故にその事はますます煩雑となり、官はますます冗多となり、ついにはその職業を失い、遂には回復できなかった。

初め、太宗は内外の官を削減し、定制を七百三十員とし、「我はこれをもって天下の賢材を待つに足る」と言った。しかしこの時既に員外置があり、その後さらに特置、同正員があった。検校・兼・守・判・知の類に至っては、皆本来の制度ではない。また置使の名があり、事に因って置かれ、事が済めば罷免されるものもあれば、遂に置かれたまま廃されないものもあった。その名称と種類は繁多で、全てを挙げることはできない。中世以後、盗賊が起こり兵乱が興ると、さらに軍功の官があり、遂にはその濫れに耐えられなくなった。故にその綱目条理で後世の法とすべきもの、及び事は正しくなくとも後世が遵用し因襲して改めることができなかったものを採り、篇に著す。

宰相の職

宰相の職は、天子を補佐し百官を総べ、万事を治める。その任は重い。しかし漢以来、位号は同じでなく、唐の世の宰相は、名が特に正しくなかった。初め、唐は隋の制に因り、三省の長である中書令・侍中・尚書令しょうしょれいが共に国政を議する。これが宰相の職である。その後、太宗がかつて尚書令であったため、臣下はこれを避けて敢えてその職に就かず、ここにおいて僕射が尚書省の長官となり、侍中・中書令とともに宰相と号された。その品位が既に高いため、軽々しく人に授けることを欲せず、故に常に他の官が宰相の職に居り、他の名を仮り称した。太宗の時、杜淹は吏部尚書として参議朝政し、魏徴は秘書監として参預朝政した。その後、「参議得失」「参知政事」の類があり、その名は一様でなく、皆宰相の職である。貞観八年、僕射李靖が病を理由に辞任を願い出た。詔して病が少し癒えたら、三両日に一度中書門下に至り平章事せよとし、「平章事」の名はここに起こる。その後、李勣が太子詹事として同中書門下三品となり、侍中・中書令と同じであると言い、「同三品」の名はここに起こる。しかしこの二つの名は専用されず、他の官が職に居る者は依然として他の名を仮り称した。高宗以後、宰相となる者は必ず「同中書門下三品」を加え、品位が高い者も同様であった。ただ三公・三師・中書令はそうではなかった。その後、官名を改易し、張文瓘が東台侍郎として同東西台三品となり、「同三品」が官銜に入るのは文瓘に始まる。永淳元年、黄門侍郎郭待挙・兵部侍郎岑長倩らを同中書門下平章事とし、「平章事」が官銜に入るのは待挙らに始まる。これ以後、唐の終わりまで改めることができなかった。

初め、三省の長官は門下省の政事堂で議事した。その後、裴炎が侍中から中書令に遷ると、政事堂を中書省に移した。開元中、張説が宰相となると、また政事堂の号を「中書門下」と改め、その後に五房を列した。第一は吏房、第二は枢機房、第三は兵房、第四は戸房、第五は刑礼房であり、曹を分けて衆務を主管させた。

宰相は事ごとに統べないものはない。故に一つの職名で官としない。開元以後、常に他の職を領し、実はその事を重んじようとしたが、却って宰相の体面を軽んじた。故に時に兵を用いれば節度使となり、時に儒学を崇めれば大学士となり、時に財用を急げば塩鉄転運使となり、さらに甚だしいと延資庫使となった。国史・太清宮の類に至っては、その名は頗る多く、皆取るに足る法ではなく、故にその詳細を著さない。

学士の職

学士の職は、本来文学と言語をもって顧問を受け、出入りして侍従し、これに因って謀議に参与し、諫諍を納れる。その礼は特に寵遇される。翰林院とは、待詔の所である。

唐の制、乗輿の所在には必ず文詞・経学の士があり、下は卜・医・伎術の流れに至るまで、皆別院に直し、宴見に備える。文書詔令は、中書舎人がこれを掌る。太宗の時より、名儒学士を時々召して制を草させたが、まだ名号はなかった。乾封以後、初めて「北門学士」と号した。玄宗の初め、「翰林待詔」を置き、張説・陸堅・張九齢らをこれとし、四方の表疏の批答と応和の文章を掌らせた。既にして中書の事務が煩劇となり、文書が多く滞るようになると、文学の士を選び、「翰林供奉」と号し、集賢院学士と分かって制詔書勅を掌らせた。開元二十六年、また翰林供奉を学士と改め、別に学士院を置き、専ら内命を掌らせた。将相の任免、征伐の号令は、皆白麻を用いた。その後、選用はますます重んじられ、礼遇はますます親密となり、「内相」と号されるに至り、また天子の私人とされた。その職に充てる者は定員がなく、諸曹尚書から校書郎に至るまで、皆選ばれることができた。入院して一年経つと、知制誥に遷り、知制誥でない者は文書を作らない。班次はそれぞれその官に従い、内宴では宰相の下、一品の上に居る。憲宗の時、また「学士承旨」を置いた。唐の学士は、弘文・集賢は中書・門下省に分属するが、翰林学士だけは所属がなく、故にここに附して列す。

三師三公

太師・太傅・太保、各一人、これが三師である。太尉・司徒しと司空しくう、各一人、これが三公である。皆正一品。三師は、天子が師法する所であり、総べる職はなく、その人でなければ欠員とする。三公は、天子を補佐し陰陽を理め、邦国を平らげ、統べないものはない。親王が拝する者は自ら事をせず、祭祀に欠員があればこれを摂行する。

尚書省

尚書令一人、正二品、百官を統率することを掌る。その属に六尚書あり。一に吏部、二に戸部、三に礼部、四に兵部、五に刑部、六に工部という。六尚書:兵部・吏部は前行とし、刑部・戸部は中行とし、工部・礼部は後行とする。行は総じて四司を管し、本行を頭司とし、余りを子司とする。庶務は皆ここで決裁される。凡そ上より下に及ぶもの、その制に六あり。一に制、二に勅、三に冊、これらは天子の用いるもの。四に令、皇太子の用いるもの。五に教、親王・公主の用いるもの。六に符、省より州に下し、州より県に下し、県より郷に下す。下より上に達するもの、その制に六あり。一に表、二に状、三に箋、四に啓、五に辞、六に牒。諸司が互いに質すもの、その制に三あり。一に関、二に刺、三に移。凡そ内外の百司に事を授けるには、皆その発送の日を印して期限とし、一に受、二に報という。諸州の計奏が京師に達するは、事の大小多少によってその節度を定める。凡そ符・移・関・牒は、必ず都省に遣わして下す。天下の大事で決し難きものは、皆尚書省に上る。凡そ制勅・計奏の数、省符宣告の節度は、歳末をもって断限とする。龍朔二年、尚書省を中台と改め、尚書令を廃す。尚書を太常伯と曰い、侍郎を少常伯と曰う。光宅元年、尚書省を文昌台と改め、まもなく文昌都省と曰う。垂拱元年に都台、長安ちょうあん三年に中台と曰う。

左右僕射、各一人。従二品、六官を統理することを掌り、令の次官たり。令が欠けるときは省事を総べ、御史の糾劾して当たらざるものを弾劾す。龍朔二年、左右僕射を左右匡政と改む。光宅元年に文昌左右相と曰い、開元元年に左・右丞相と曰い、天宝元年に復す。

左丞一人、正四品上。右丞一人、正四品下。六官の儀礼を弁じ、省内を糾正し、御史の挙劾して当たらざるものを弾劾することを掌る。吏部・戸部・礼部は左丞が総べ、兵部・刑部・工部は右丞が総ぶ。郎中各一人、従五品上。員外郎各一人、従六品上。諸司の事務を付され、稽違を挙げ、符目の署名をし、宿直を知り、丞の次官たり。都事は事の発辰を受け、稽失を察し、印を監し、紙筆を給するをもって掌る。主事・令史・書令史は文案を署覆し、符目を出すをもって掌る。亭長ていちょうは啓閉・伝達・禁約をもって掌る。掌固は倉庫を守当し、陳設するをもって掌る。諸司皆これに同じ。隋の尚書省は諸司郎及び承務郎各一人ありて、左右司を廃す。武徳三年、諸司郎を郎中と改め、承務郎を員外郎と改む。貞観元年、左右司郎中を復置す。龍朔元年、左右丞を左右肅機と改め、郎中を左右承務と改め、諸司郎中を大夫と曰う。永昌元年、員外郎を復置す。神龍元年に省き、明年に復置す。初め馹驛百人あり、乗伝して符を送ることを掌る。後に廃す。

都事各六人、従七品上。主事各六人、従八品下。吏部考功・礼部主書も皆これに同じ。諸司の主事は従九品上。令史各十八人、書令史各三十六人、亭長各六人、掌固各十四人あり。

吏部

尚書一人、正三品。侍郎二人、正四品上。郎中二人、正五品上。員外郎二人、従六品上。文選・勲封・考課の政を掌る。三銓の法をもって天下の材を量り、身・言・書・判、德行・才用・労効をもってその優劣を較べ、その留放を定め、これに注擬す。五品以上は名を上して制授を聴き、六品以下は資を量りてこれを任ず。その属に四あり。一に吏部、二に司封、三に司勲、四に考功。

吏部郎中は文官の階品・朝集・禄賜を掌り、その告身・仮使を給し、一人は流外官の選補を掌る。員外郎二人、従六品上、一人は南曹を判ず。皆尚書・侍郎の次官たり。凡そ文官九品、正・従あり。正四品以下より上下あり、三十等となる。凡そ文散階二十九。従一品は開府儀同三司、正二品は特進、従二品は光禄大夫、正三品は金紫光禄大夫、従三品は銀青光禄大夫、正四品上は正議大夫、正四品下は通議大夫、従四品上は太中大夫、従四品下は中大夫、正五品上は中散大夫、正五品下は朝議大夫、従五品上は朝請大夫、従五品下は朝散大夫、正六品上は朝議郎、正六品下は承議郎、従六品上は奉議郎、従六品下は通直郎、正七品上は朝請郎、正七品下は宣徳郎、従七品上は朝散郎、従七品下は宣義郎、正八品上は給事郎、正八品下は徴事郎、従八品上は承奉郎、従八品下は承務郎、正九品上は儒林郎、正九品下は登仕郎、従九品上は文林郎、従九品下は将仕郎という。四品より皆吏部に番上す。上らざる者は歳ごとに資銭を輸す。三品以上六百、六品以下一千、水・旱・虫・霜のときは資半減す。文芸ありて京上を楽む者は、毎州七人。六十にして簡選を楽しまざる者は、輸を罷む。勲官もまたこれに同じ。征鎮の功によりて護軍以上を得たる者は、資を納むること三分の一を減ず。凡そ流外九品は、その書・計・時務を取り、その校試・銓注は流内と略同しく、これを小選と謂う。

吏部主事四人、司封主事二人、司勲主事四人、考功主事三人。武徳五年、選部を吏部と改む。七年、侍郎を省く。貞観二年に復置す。龍朔元年、吏部を司列と改め、主爵を司封と改め、考功を司績と改む。武后光宅元年、吏部を天官と改む。垂拱元年、主爵を司封と改む。天宝十一載、吏部を文部と改め、至徳二載に旧に復す。吏部令史三十人、書令史六十人、制書令史十四人、甲庫令史十三人、亭長八人、掌固十二人あり。司封令史四人、書令史九人、掌固四人あり。司勲令史三十三人、書令史六十七人、掌固四人あり。考功令史十五人、書令史三十人、掌固四人あり。

司封郎中一人、従五品上に位す。員外郎一人、従六品上に位す。諸々の郎中・員外郎の品階は皆これに同じ。封命・朝会・賜与の等級を掌る。凡そ爵は九等あり。一を王と曰い、食邑一万戸、正一品。二を嗣王・郡王と曰い、食邑五千戸、従一品。三を国公と曰い、食邑三千戸、従一品。四を開国郡公と曰い、食邑二千戸、正二品。五を開国県公と曰い、食邑千五百戸、従二品。六を開国県侯と曰い、食邑千戸、従三品。七を開国県伯と曰い、食邑七百戸、正四品上。八を開国県子と曰い、食邑五百戸、正五品上。九を開国県男と曰い、食邑三百戸、従五品上。皇兄弟・皇子は、皆国に封ぜられて親王と為す。皇太子の子は、郡王と為す。親王の子、嫡を承ぐ者は嗣王と為し、諸子は郡公と為す。恩により進む者は郡王に封ぜらる。郡王・嗣王を襲ぐ者は、国公に封ぜらる。皇姑は大長公主と為し、正一品。姉妹は長公主と為し、女は公主と為し、皆一品に視す。皇太子の女は郡主と為し、従一品。親王の女は県主と為し、従二品。凡そ王・公十五歳以上は、朝集に預かる。宗親の女婦・諸王の長女は月に二度参内す。内命婦、一品の母は正四品郡君と為し、二品の母は従四品郡君と為し、三品・四品の母は正五品県君と為す。凡そ諸王・公主・外戚の家には、卜・祝・占・相は門に入らしめず。王妃・公主・郡県主で寡居し子ある者は、再嫁せず。凡そ外命婦に六あり。王・嗣王・郡王の母・妻は妃と為し、文武官一品・国公の母・妻は国夫人と為し、三品以上の母・妻は郡夫人と為し、四品の母・妻は郡君と為し、五品の母・妻は県君と為し、勲官四品で封ある者の母・妻は郷君と為す。凡そ外命婦の朝参は、夫・子の品に視す。諸蕃三品以上の母・妻は制により封を授く。流外の技術官は、母・妻を封ぜず。親王は孺人二人、正五品に視し、媵十人、従六品に視す。二品は媵八人、正七品に視す。国公及び三品は媵六人、従七品に視す。四品は媵四人、正八品に視す。五品は媵三人、従八品に視す。凡そ媵を置くには、その数を上申し、告身を以て補う。散官三品以上は、皆媵を置く。凡そ封戸は、三丁以上を率とし、歳租の三分の一を朝廷に入る。実封を食む者は、真戸を得て、諸州に分ち食む。皇后・諸王・公主の食邑は、皆課戸あり。名山・大川・畿内の地は、皆以て封ぜず。

司勲郎中一人、員外郎二人、官吏の勲級を掌る。凡そ十二転を上柱国と為し、正二品に視す。十一転を柱国と為し、従二品に視す。十転を上護軍と為し、正三品に視す。九転を護軍と為し、従三品に視す。八転を上軽車都尉と為し、正四品に視す。七転を軽車都尉と為し、従四品に視す。六転を上騎都尉と為し、正五品に視す。五転を騎都尉と為し、従五品に視す。四転をぎょう騎尉と為し、正六品に視す。三転を飛騎尉と為し、従六品に視す。二転を雲騎尉と為し、正七品に視す。一転を武騎尉と為し、従七品に視す。凡そ功を以て授くる者は、実を覆して然る後奏擬す。戦功は則ち殺獲の数を計る。堅城苦戦し、功第一の者は、三転す。少を出でて多を撃つを上陣と曰い、兵数相応うるを中陣と曰い、多を出でて少を撃つを下陣と曰う。矢石未だ交わらずして、堅を陥れ衆を突き、敵これによりて敗るるを跳盪と曰う。殺獲十の四を上獲と曰い、十の二を中獲と曰い、十の一を下獲と曰う。凡そ功に酬いるの等、現任・前資・常選を上資と曰い、文武散官・衛官・勲官五品以上を次資と曰い、五品以上の子孫・上柱国・柱国の子・勲官六品以下を下資と曰い、白丁・衛士を無資と曰う。跳盪の人、上資は二階を加え、次資・下資・無資は次第に降す。凡そ上陣、上獲は五転、中獲は四転、下獲は三転、第二・第三等はこれに次第に降す。中陣の上獲は上陣の中獲に視し、中獲は上陣の下獲に視し、下獲は両転す。下陣の上獲は中陣の中獲に視し、中獲は中陣の下獲に視し、下獲は一転す。蛮・獠を破るは、上陣上獲、両番に比し二転を降す。凡そ勲官九百人、職任なき者は、兵部に番上し、遠近を視て十二番と為し、強幹なる者を番頭と為し、宿衛に留まる者は番と為し、月上す。外州は五番に分ち、城門・倉庫を主り、刀を執る。上柱国以下は四年番上し、驍騎尉以下は五年番上し、兵部に簡び、散官を授く。第せざる者は、五品以上はまた四年番上し、六品以下は五年番上し、初めの如く簡ぶ。再び中らざる者は、十二年は則ち六年番上し、八年は則ち四年番上す。勲上柱国に至り余りあれば、則ち周以上の親に授け、無き者は物を賜う。太常音声人、五品以上の勲を得るも、征討の功に非ざれば簿を除かず。諸州勲を授くる人、歳毎に勲の高下を第し、三月毎に一度戸部に報ず。蠲免あるは必ず験す。

考功郎中・員外郎は各一人、文武百官の功過・善悪を考課する法とその行状を掌る。もし死して史官に伝え、太常において諡を賜る場合には、その行状をもってその当否を質す。碑に銘せんとする者は、百官を会してその述ぶべき事を議し、聞こえさせ、その家に報ずる。その考課の法は、凡そ百司の長は、毎年その属僚の功過を較べ、九等に差し、大いに衆を合わせてこれを読み上げる。流内の官は、四善をもって叙す。一に徳義聞こゆるあり、二に清慎明らかに著る、三に公平称すべきあり、四に恪勤懈ることなし。善状の外に二十七最あり。一に献可替否し、遺を拾い闕を補い、近侍の最と為す。二に人物を銓衡し、才良を擢き尽くし、選司の最と為す。三に清を揚げ濁を激し、褒貶必ず当たり、考校の最と為す。四に礼制儀式、動きて経典に合い、礼官の最と為す。五に音律克く諧い、節奏を失わず、楽官の最と為す。六に決断滞らず、与奪理に合い、判事の最と為す。七に部統方あり、警守失い無く、宿衛の最と為す。八に兵士調習し、戎装充備し、督領の最と為す。九に推鞫情を得、処断平允にして、法官の最と為す。十に讎校精審にして、刊定に明らかに、校正の最と為す。十一に旨を承け敷奏し、吐納明敏にして、宣納の最と為す。十二に訓導方あり、生徒業に充ち、学官の最と為す。十三に賞罰厳明にして、攻戦必ず勝ち、軍将の最と為す。十四に礼義興行し、その部を肅清し、政教の最と為す。十五に詳録典正にして、詞理兼ね挙げ、文史の最と為す。十六に訪察精審にして、弾挙必ず当たり、糾正の最と為す。十七に勘覆に明らかにして、稽失隠すこと無く、句検の最と為す。十八に職事修理し、供承強く済み、監掌の最と為す。十九に功課皆充ち、丁匠怨み無く、役使の最と為す。二十に耕耨時に以てし、収穫課を成し、屯官の最と為す。二十一に蓋蔵に謹み、出納に明らかにして、倉庫の最と為す。二十二に推歩盈虚し、理を究めて精密にして、暦官の最と為す。二十三に占候医卜、効験多きを以て、方術の最と為す。二十四に検察方あり、行旅壅がれ無く、関津の最と為す。二十五に市廛擾わず、姦濱行わず、市司の最と為す。二十六に牧養肥碩にして、蕃息孳多く、牧官の最と為す。二十七に辺境清肅にして、城隍修理し、鎮防の最と為す。一最四善は上上と為し、一最三善は上中と為し、一最二善は上下と為す。最無くして二善有れば中上と為し、最無くして一善有れば中中と為し、職事粗く理まり、善最聞こえざるは中下と為す。愛憎情に任せ、処断理に乖くは下上と為す。公に背き私に向かい、職務廃闕するは下中と為す。官に居り諂詐にして、貪濁状有るは下下と為す。凡そ考を定むるには、皆尚書省に集まり、第を唱えて然る後に奏す。親王及び中書・門下・京官三品以上・都督ととく・刺史・都護・節度・観察使は、則ち功過状を奏し、以って考行の上下を覈す。毎歳、尚書省諸司は州牧・刺史・県令の殊功異行、災蝗祥瑞、戸口賦役の増減、盗賊の多少を具えて、皆考司に上る。監領の官は、能く撫養役使するを以て功と為す。耗亡有る者は、十分を率とし、一分を一殿と為す。博士・助教は、講授の多少を計りて差と為す。親・勲・翊衛は、行能功過を以て三等と為す。親・勲・翊衛備身、東宮親・勲・翊衛備身、王府執仗親事・執乗親事及び親勲翊衛主帥・校尉こうい・直長・品子・雑任・飛騎は、皆上・中・下考とし、二上第有る者は階を加う。番考は別に簿を為し、侍郎を以って専らこれを掌らしむ。流外官は、行能功過を以て四等と為す。清謹勤公は上と為し、執事私無きは中と為し、その職に勤めざるは下と為し、貪濁状有るは下下と為す。凡そ考、中上以上は、毎に一等進むごとに、禄一季を加う。中中は本禄を守る。中下以下は、毎に一等退くごとに、禄一季を奪う。中品以下、四考皆中中なる者は一階進む。一中上考は復た一階進む。一上下考は二階進む。当に進むべく計りて参に下考有る者は、一中上を以って一中下を覆い、一上下を以って二中下を覆う。上中以上は、下考有りと雖も、上第に従う。下下考有る者は任を解く。凡そ制勅便ならず、執奏する者有れば、その考を進む。貞観初年、毎年京官の望高き者二人を定め、京官・外官の考を分校せしめ、給事中・中書舎人各一人これを涖し、監中外官考使と号す。考功郎中は京官の考を判じ、員外郎は外官の考を判ず。その後屡々監考・校考・知考使を置く。故事、考簿は朱書す。吏これに縁りて姦を為す。咸通十四年、始めて墨を以ってす。

戸部

尚書一人、正三品。侍郎二人、正四品下。天下の土地・人民・銭穀の政、貢賦の差を掌る。その属に四あり。一に戸部、二に度支、三に金部、四に倉部。

戸部郎中・員外郎は、戸口・土田・賦役・貢獻・蠲免・優復・姻婚・継嗣の事を掌り、男女の黄・小・中・丁・老を以ってその帳籍と為し、永業・口分・園宅を以ってその土田を均し、租・庸・調を以ってその物を斂め、九等を以って天下の戸を定め、尚書・侍郎の貳と為す。その後諸行の郎官を以って銭穀を判じ、戸部・度支の郎官その職を失う。会昌二年に令を著し、本行の郎官を以って、銭穀を分判せしむ。

戸部巡官二人、主事四人。度支主事二人。金部主事三人。倉部主事三人。(高宗即位し、民部を改めて戸部と曰う。龍朔二年、戸部を改めて司元と曰い、度支を改めて司度と曰い、金部を改めて司珍と曰い、倉部を改めて司庾と曰う。光宅元年、戸部を改めて地官と曰う。天宝十一載、金部を改めて司金と曰い、倉部を改めて司儲と曰う。戸部令史十七人、書令史三十四人、計史一人、亭長六人、掌固十人有り。度支令史十六人、書令史三十三人、計史一人、掌固四人有り。金部令史十人、書令史二十一人、計史一人、掌固四人有り。倉部令史十二人、書令史二十三人、計史一人、掌固四人有り。)

度支郎中・員外郎は各一人、天下の租賦・物産の豊約の宜、水陸道途の利を掌り、歳計の出す所に従ってこれを支調し、近きより及び遠く、中書門下と議定して乃ち奏す。

金部郎中・員外郎は各一人、天下の庫蔵出納・権衡度量の数、両京の市・互市・和市・宮市の交易の事、百官・軍鎮・蕃客の賜、及び宮人・王妃・官奴婢の衣服を給することを掌る。

倉部郎中・員外郎は各一人、天下の倉庫の貯蔵、租税・禄糧・倉廩の出納のことを掌る。木契百枚をもって諸司の出給の数を合わせ、義倉・常平倉をもって凶年に備え、穀価を平らかにする。

禮部

尚書一人、正三品。侍郎一人、正四品下。礼儀・祭享・貢挙の政を掌る。その属は四つあり、一は禮部、二は祠部、三は膳部、四は主客である。

禮部郎中・員外郎は、礼楽・学校・衣冠・符印・表疏・図書・冊命・祥瑞・鋪設、及び百官・宮人の喪葬贈賻の数を掌り、尚書・侍郎の次官となる。五礼の儀は、一は吉礼、二は賓礼、三は軍礼、四は嘉礼、五は凶礼である。斉衰心喪以上の者は奪情して職に従い、及び周喪で練祭を経ず、大功で未葬の者は、皆宴に預からない。大功以上の喪にある者は、冊を受け官に臨むとき、鼓吹は従うが作らず、戎事の場合はそうではない。朝参において、遅参・失儀があれば、御史が名を記録して俸を奪い、三度奪われた者は奏上して弾劾する。蕃国に出向して冊授・弔贈する者には、衣冠を給する。皇帝が巡幸するとき、両京の文武官で職事五品以上の者は、月朔に表をもって起居を参じる。近州刺史は、使者を遣わして一度参じる。留守は、月ごとに使者を遣わして起居する。北都の場合は、四時に使者を遣わして起居する。諸司で大事を奏する者は、三日前に状を具し、長官が自ら署名し、対仗して伏奏し、仗下の後、中書門下が臨んで読む。河南・太原府の父老は、毎年上表して行幸を願い、使者を遣わして聞かせる。駕が都にあるときは、京兆府もまた同様とする。景雲・慶雲は大瑞とし、その名物は六十四。白狼・赤兎は上瑞とし、その名物は三十八。蒼烏・朱雁は中瑞とし、その名物は三十二。嘉禾・芝草・木連理は下瑞とし、その名物は十四。大瑞のときは、百官が闕に詣でて奉賀する。その他の瑞は、歳終に員外郎が聞かせ、有司が廟に告げる。喪については、三品以上は薨と称し、五品以上は卒と称し、六品より庶人に至るまでは死と称する。皇親三等以上の喪には、挙哀し、有司が帳具を設け食を給する。諸蕃の首領の喪には、主客・鴻臚が月ごとに奏する。

禮部主事二人、祠部主事二人、膳部主事二人、主客主事二人。武徳三年、儀曹郎を改めて禮部郎中と曰い、司藩郎を改めて主客郎中と曰う。龍朔二年、禮部を改めて司礼と曰い、祠部を改めて司禋と曰い、膳部を改めて司膳と曰う。光宅元年、禮部を改めて春官と曰う。禮部に令史五人、書令史十一人、亭長六人、掌固八人あり。祠部に令史六人、書令史十三人、掌固四人あり。主客に令史四人、書令史九人、掌固四人あり。

祠部郎中・員外郎は各一人、祠祀・享祭・天文・漏刻・国忌・廟諱・卜筮・医薬・僧尼のことを掌る。珠玉珍宝で供祭するものは、市に求めない。駕部・比部は歳ごとに犠牲の死亡を会計し、皮を太府に輸送する。郊祭の酒醴・脯醢・黍稷・果実は、所司の長官が封署して供する。両京及び磧西諸州の火祆(拝火教)は、年に二度祀り、民の祈祭を禁ずる。巡幸の際、路次の名山・大川・聖帝明王名臣の墓には、州県が官をもって告祭する。二王の後裔が廟を享けるときは、牲牢・祭器を給し、その帷帟・几案を完備させ、主客が四時に省問する。国忌で務めを廃する日には、内教・太常は楽の習練を停め、両京の文武官五品以上及び清官七品以上は、寺観において行香する。名医の子弟は療病を試み、長官が臨んで覆勘し、三年間験のある者は名を聞かせる。

膳部郎中・員外郎は各一人、陵廟の牲豆酒膳を掌る。諸司が供奉する口味は、自らその輿に鐍を施してから遣わし、進胙もまた同様とする。大礼・大慶でなければ食を献ぜず、口味を進めない。羊で、厨に至って乳を出すものは放して長生とする。大斎の日には、尚食が蔬食を進め、殺すはずの羊を放して長生として供奉する。食を献じ、口味を進める際は、犢を殺さない。尚食が急に別に索めるものがあれば、必ず奏覆し、月終に会計する。尚食が食を進める際は、種をもって取り分けて別に嘗める。殿中省の主膳は諸陵に上食し、番上をもってし、四時に食医・主食各一人を遣わして臨ませる。

主客郎中・員外郎は各一人、二王の後裔・諸蕃の朝見のことを掌る。二王の後裔の子孫は正三品に準じ、酅公には歳ごとに絹三百匹を賜い、米粟もまた同様とし、介公は三分の一を減ずる。殊俗の入朝者は、初めて至る州において牒を与え、その人数を覆勘し、これを辺牒と謂う。蕃州の都督・刺史が朝集する日には、品に準じて衣冠・袴褶を給する。伝馬に乗る者は一日に四駅、駅馬に乗る者は六駅とする。客の食料を供するには、四時に鴻臚に輸送し、季終に句会する。客が初めて至るとき及び辞去する際に会を設けるには、第一等は三品に準じ、第二等は四品に準じ、第三等は五品に準じる。蕃望高くない者は、散官に準じて半減し、三日目に食を設ける。路が大海に由る者には、祈りの羊豕を各一頭給する。西南蕃の使者で還る者には、入海の程糧を給し、西北諸蕃には、磧を度る程糧を給する。蕃客で宿衛を請う者は、その状貌年齢を奏する。突厥の使者には市坊を置き、貿易があれば記録して奏し、その軽重を質とし、太府丞一人が臨む。蕃王・首領が死んだとき、子孫が初授の官を襲ぐ場合は、兄弟の子は一品を降とし、兄弟の子が代わりに摂る場合は、嫡子が十五歳になれば政を還す。絶域に使して還った者は、見聞及び風俗の宜しきこと、供饋贈貺の数を上聞する。

兵部

尚書一人、正三品。侍郎二人、正四品下。武選・地図・車馬・甲械の政を掌る。その属は四つあり、一は兵部、二は職方、三は駕部、四は庫部である。将が出征するときは、廟に告げ、斧鉞を授ける。軍が令に従わなければ、大将が専決し、還った日に、その罪を具して上奏する。兵を発するときは、尚書に勅書を降し、尚書が文符を下す。十人を放ち、十馬を発し、軍器を十出すことは、皆勅を待たない。衛士の番直は、一人以上を発するときは、必ず覆奏する。諸蕃の首領が至れば、威儀を備え郊導する。俘馘には絹をもって酬い、入鈔した俘虜は司農に帰属させる。

郎中一人は帳簿及び武官の階品、衛府の多寡、校考、告身の給与を掌り、一人は簿籍及び軍戎の調遣の名数、朝集、禄賜、仮告の常務を掌る。員外郎一人は貢挙及び雑請を掌り、一人は南曹を掌り、歳選の解状を審査し、簿書、資歴、考課を核する。皆、尚書、侍郎の補佐である。武散階は四十五あり、従一品は驃騎大將軍、正二品は輔國大將軍、従二品は鎮軍大將軍、正三品上は冠軍大將軍・懷化大將軍、正三品下は懷化將軍、従三品上は雲麾將軍・歸德大將軍、従三品下は歸德將軍、正四品上は忠武將軍、正四品下は壯武將軍・懷化中郎將、従四品上は宣威將軍、従四品下は明威將軍・歸德中郎將、正五品上は定遠將軍、正五品下は寧遠將軍・懷化郎將、従五品上は游騎將軍、従五品下は游擊將軍・歸德郎將、正六品上は昭武校尉、正六品下は昭武副尉・懷化司階、従六品上は振威校尉、従六品下は振威副尉・歸德司階、正七品上は致果校尉、正七品下は致果副尉・懷化中候、従七品上は翊麾校尉、従七品下は翊麾副尉・歸德中候、正八品上は宣節校尉、正八品下は宣節副尉・懷化司戈、従八品上は禦侮校尉、従八品下は禦侮副尉・歸德司戈、正九品上は仁勇校尉、正九品下は仁勇副尉・懷化執戟長上、従九品上は陪戎校尉、従九品下は陪戎副尉・歸德執戟長上。四品以下は皆、兵部に番上し、遠近により八番とし、三月に一度上番する。三千里外の者は番を免じ、文散官の如く資を輸納し、追集ある時のみ上番する。六品以下は、尚書省が符を送る。懷化大將軍・歸德大將軍は諸衛の上下に配し、その余は諸衛に直して十二番とし、皆、月上する。忠武將軍以下、游擊將軍以上は、毎番、強毅なる者を選び諸衛に直し、番満の後、将略ある者は名を以て聞す。

兵部主事四人、職方主事二人、駕部主事二人、庫部主事二人。龍朔二年、兵部を司戎と改め、職方を司城と改め、駕部を司輿と改め、庫部を司庫と改む。光宅元年、兵部を夏官と改め、天寶十一載に武部と改め、駕部を司駕と改む。兵部令史三十人、書令史六十人、制書令史十三人、甲庫令史十二人、亭長八人、掌固十二人有り。職方令史四人、書令史九人、掌固四人有り。駕部令史十人、書令史二十四人、掌固四人有り。庫部令史七人、書令史十五人、掌固四人有り。

職方郎中・員外郎各一人、地図・城隍・鎮戍・烽候・防人の道路の遠近及び四夷の帰化の事を掌る。凡そ図経は、州県の増減廃置がなければ、五年にして初めて修め、毎年版籍と共に上る。凡そ蕃客至れば、鴻臚寺は其の国の山川・風土を訊問し、図を以て奏し、副本を職方に上る。殊俗の入朝する者は、其の容状・衣服を図して聞す。

駕部郎中・員外郎各一人、輿輦・車乗・伝駅・厩牧の馬牛雑畜の籍を掌る。凡そ馬を給するは、一品八匹、二品六匹、三品五匹、四品・五品四匹、六品三匹、七品以下二匹。伝乗を給するは、一品十馬、二品九馬、三品八馬、四品・五品四馬、六品・七品二馬、八品・九品一馬。三品以上で勅召ある者は四馬を給し、五品は三馬、六品以下は差等有り。凡そ駅馬には、地四頃を給し、苜蓿を植う。凡そ三十里に駅有り、駅に長有り、天下四方の達する所を挙げて駅千六百三十九有り。阻険にして水草無き鎮戍は、路の要衝に官馬を置く。水駅には舟有り。凡そ伝駅の馬驢は、毎年其の死損・肥瘠の数を上る。

庫部郎中・員外郎各一人、戎器・鹵簿儀仗を掌る。元日冬至の陳設・祠祀・喪葬に、其の名数を辨じて供給す。凡そ戎器は、色別に異なる処に置き、衛尉の幕士を以て曝涼す。京衛の旗は蹲獣・立禽を画き、行幸には飛走旗を給す。凡そ諸衛の儀仗は、御史が其の保管を監し、武庫の器仗は、兵部長官が其の修繕を監す。京官五品以上で征行する者は、甲・纛・旗・幡・矟を仮し、諸衛には弓を給し、千牛には甲を給す。

刑部

尚書一人、正三品。侍郎一人、正四品下。律令・刑法・徒隷・按覆讞禁の政を掌る。其の属は四有り、一は刑部、二は都官、三は比部、四は司門。

刑部郎中・員外郎は律法を掌り、大理寺及び天下の奏讞を按覆し、尚書・侍郎の補佐である。凡そ刑法の書は四有り、一は律、二は令、三は格、四は式。凡そ大獄を鞫するには、尚書侍郎と御史中丞・大理卿を以て三司使と為す。凡そ国に大赦有れば、囚徒を闕下に集めて聴かしむ。

刑部主事四人、都官主事二人、比部主事四人、司門主事二人。龍朔二年、刑部を司刑と改め、都官を司僕と改め、比部を司計と改め、司門を司関と改む。光宅元年、刑部を秋官と改む。天寶十一載、刑部を司憲と改め、比部を司計と改む。刑部令史十九人、書令史三十八人、亭長六人、掌固十人有り。都官令史九人、書令史十二人、掌固四人有り。比部令史十四人、書令史二十七人、計史一人、掌固四人有り。司門令史六人、書令史十三人、掌固四人有り。

都官郎中・員外郎は各一人、捕虜や隷属者の帳簿記録を掌り、衣服・食糧・医薬を給し、その訴えや免賤の処理を行う。凡そ謀反・叛逆に連座して、その家を没収し官曹に配する者は、長期の労役に服する官奴婢となる。一度免賤されると、一年に三度の番役に就く。再び免賤されると雑戸となり、官戸とも称し、二年に五度の番役に就く。毎回の番役は皆一月である。三度免賤されると良人となる。六十歳以上及び廃疾の者は官戸とし、七十歳になると良人とする。毎年孟春にその籍を上申し、黄口(幼児)以上は臂に印を捺し、仲冬に都官に送り、その増減を条記して調査・比較する。楽工・獣医・騙馬・調馬・群頭・栽接の者は皆ここから取る。州県に附貫する者は、平民と同様に調査・比較し、番上はせず、毎年丁資を督め、その額は銭一千五百とする。丁婢・中男は、五つに一つを輸納する。侍丁・障害者は半額を輸納する。凡そ居作(居宅労役)に服する者は、三等に差別する。四歳以上を小とし、十一歳以上を中とし、二十歳以上を丁とする。丁奴は、三人で二役に充当する。中奴・丁婢は、二人で一役に充当する。中婢は、三人で一役に充当する。

比部郎中・員外郎は各一人、内外の賦斂・経費・俸祿・公廨・勲賜・贓贖・徒役課程・逋欠の物、及び軍資・械器・和糴・屯収の収入を句勘・会計する。京師の倉庫は、三月ごとに比較する。諸司・諸使・京都は、四季ごとに尚書省で句会し、後季で前季を句勘する。諸州は、歳末に総括して句勘する。

司門郎中・員外郎は各一人、門関の出入りの籍及び闌遺(遺失物)の物を掌る。凡そ籍に登録する者は、毎月一度改める。流内は官爵・姓名を記し、流外は年齢・容貌・形状を記す。転任・解任でなければ除かない。凡そ召喚があるときは、墨勅を降し、銅魚・木契を勘合してから入れる。監門校尉は巡日の際に平安を送る。凡そ奏事する者は、官を遣わして送り、昼は時刻を題し、夜は更籌を題する。命婦・諸親の朝参者は、内侍監の校尉が臨んで検索する。凡そ葦軬車は、宮門に入れない。闌遺の物は、門外に掲示し、物色を榜示し、一年を期して没官する。天下の関は二十六あり、上・中・下の差がある。渡関する者は、本司が過所を給する。塞を出て一月を超える者は、行牒を給する。猟手の通過する所は、長籍を給し、三月ごとに改める。蕃客の往来には、その装載の重さを検閲し、一関に入れば、他の関は詰問しない。

工部

尚書一人、正三品。侍郎一人、正四品下。山沢・屯田・工匠・諸司公廨の紙墨の事を掌る。その属は四つあり、一は工部、二は屯田、三は虞部、四は水部である。

工部郎中・員外郎は各一人、城池・土木の工役の程式を掌り、尚書・侍郎の次官となる。凡そ京都の営繕は、皆少府・将作に下してその用を供させ、役千功に及ぶものは先に奏上する。凡そ工匠は、州県を団とし、五人を火とし、五火に長一人を置く。四月から七月を長功とし、二月・三月・八月・九月を中功とし、十月から正月を短功とする。雇役の者は、一日あたり絹三尺とし、内中の尚巧匠は、作務がなければ資を納める。凡そ津梁・道路は、九月に治める。

工部主事三人、屯田主事二人、虞部主事二人、水部主事二人。(武徳三年、起部を改めて工部と曰う。龍朔二年、司平と曰い、屯田は司田と曰い、虞部は司虞と曰い、水部は司川と曰う。光宅元年、工部を改めて冬官と曰う。天宝十一載、虞部を改めて司虞と曰い、水部は司水と曰う。工部には令史十二人、書令史二十一人、計史一人、亭長六人、掌固八人あり。屯田には令史七人、書令史十二人、計史一人、掌固四人あり。虞部には令史四人、書令史九人、掌固四人あり。水部には令史四人、書令史九人、掌固四人あり。)

屯田郎中・員外郎は各一人、天下の屯田及び京の文武職田・諸司公廨田を掌り、品に応じて給する。

虞部郎中・員外郎は各一人、京都の衢閧・苑囿・山沢の草木及び百官・蕃客の時蔬・薪炭の供頓・畋獵の事を掌る。毎年春、戸小児・戸婢を以て仗内に蒔種・溉灌させ、冬はその蒙覆を謹む。凡そ郊祠の神壇・五岳名山では、樵採・芻牧は皆禁じ、壝より三十歩外で耕種することができ、春夏は伐木しない。京兆・河南府の三百里内では、正月・五月・九月に弋獵を禁ずる。山沢に用に供し得る宝があるときは、奏聞する。

水部郎中・員外郎は各一人、津済・船艫・渠梁・堤堰・溝洫・漁捕・運漕・碾磑の事を掌る。凡そ坑陷・井穴には皆標識を設ける。京畿には渠長・斗門長がある。諸州の堤堰は、刺史・県令が時を以て巡行点検し、その決壊・修築に臨む。埭があるときは、下戸を分けて牽引させ、利を争う者を禁ずる。