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新唐書
巻三十七 志第二十七 地理一
秦が古制を変えてより、王者の制度は廃れ、初めて郡県を天下に置く。下って漢・晉を経て、分裂して南・北となる。隋が陳を滅ぼすに至り、天下は初めて一つに合わさり、そこで州を郡と改め、漢の制度に依って太守を置き、司隷・刺史をもって相統治せしめ、郡一百九十、県一千二百五十五、戸八百九十万七千五百三十六、口四千六百一万九千九百五十六となす。その地は、東西九千三百里、南北一万四千八百一十五里、東・南は皆海に至り、西は且末に至り、北は五原に至る。
唐が興り、高祖は郡を州と改め、太守を刺史とし、また都督府を置いてこれを治めしむ。然れども天下初めて定まり、権宜に州郡を置くこと頗る多し。太宗の元年、始めて併省を命じ、また山川の形便に因り、天下を十道に分かつ。一に曰く関内、二に曰く河南、三に曰く河東、四に曰く河北、五に曰く山南、六に曰く隴右、七に曰く淮南、八に曰く江南、九に曰く剣南、十に曰く嶺南。十三年に簿を定むるに至り、凡そ州府三百五十八、県一千五百五十一。明年、高昌を平らげ、また州二、県六を増す。その後、北は突厥の頡利を殄滅し、西は高昌を平定し、北は陰山を踰え、西は大漠に抵る。その地は、東は海を極め、西は焉耆に至り、南は林州の南境を尽くし、北は薛延陀の界に接す。東西九千五百一十一里、南北一万六千九百一十八里。景雲二年、天下の郡県を分かち、二十四都督府を置いてこれを統べしむ。既にしてその権重くして便ならざるを以て、これを罷む。開元二十一年、また十道に因り山南・江南を東・西道に分かち、黔中道及び京畿・都畿を増置し、十五採訪使を置き、漢の刺史の職の如く検察せしむ。天宝に盗賊起こり、中国兵を用うるも、河西・隴右守られず、吐蕃に陥る。大中・咸通に至り、始めて隴右を復す。乾符以後、天下大いに乱れ、唐の亡ぶるに至る。
然れども唐の盛時を挙ぐれば、開元・天宝の際、東は安東に至り、西は安西に至り、南は日南に至り、北は単于府に至る。蓋し南北は漢の盛時の如く、東は及ばずして西はこれを過ぐ。開元二十八年の戸部の帳によれば、凡そ郡府三百二十有八、県千五百七十三、戸八百四十一万二千八百七十一、口四千八百十四万三千六百九、応に受くべき田一千四百四十万三千八百六十二頃。
隋・唐の地理の広狭、戸口の盈耗とその州県の廃置を考うれば、その盛衰治乱興亡見るべし。蓋し古より天下を為す者は、務めて徳を広くし、地を広くするを務めず。徳足らざれば、地広しと雖も能く守ること莫し。嗚呼、盛極まれば必ず衰う。勢いこれを然らしむと曰うと雖も、殆ど忽ちに驕り満つるは、常に盛大に因る。戒めざるべけんや。
関内道
関内道は、蓋し古の雍州の域、漢の三輔・北地・安定・上郡及び弘農・隴西・五原・西河・雲中の境なり。京兆・華・同・鳳翔・邠・隴・涇・原・渭・武・寧・慶・鄜・坊・丹・延・霊・威・雄・会・塩・綏・宥は鶉首の分、麟・豊・勝・銀・夏・単于・安北は実沈の分、商は鶉火の分なり。府二、都護府二、州二十七、県百三十五を為す。その名山は、太白・九嵕・呉・岐・梁・華。その大川は、涇・渭・灞・滻。その賦は、絹・綿・布・麻。京兆・同・華・岐は綿を調とし、余の州は布・麻。開元二十五年、関輔に蚕寡なしと以て、詔して米粟を納めしむ。その河南・河北の漕通ぜざる州は、皆絹を調とし、以て関中に便ならしむ。その貢は、毛・羽・革・角・布・席・弓・刀。
上都
上都は、初め京城と曰い、天宝元年に西京と曰い、至徳二載に中京と曰い、上元二年に復た西京と曰い、粛宗元年に上都と曰う。皇城は長千九百十五歩、広千二百歩。宮城は北に在り、長千四百四十歩、広九百六十歩、周囲四千八百六十歩、その高さ三丈半。龍朔以後、皇帝常に大明宮に居す、乃ちこれを西内と謂う。神龍元年に太極宮と曰う。大明宮は禁苑の東南に在り、西は宮城の東北隅に接し、長千八百歩、広千八十歩、東内と曰う。本は永安宮、貞観八年に置き、九年に大明宮と曰い、以て太上皇の清暑に備う。百官は賛を献じて以て役を助く。高宗は風痺を以て、西内の湫湿を厭い、龍朔二年に始めて大いに修葺し、蓬莱宮と曰い、咸亨元年に含元宮と曰い、長安元年に復た大明宮と曰う。興慶宮は皇城の東南に在り、京城の東に距る。開元初めに置き、十四年に至り又これを増広し、南内と謂う。二十年、夾城を築きて芙蓉園に入る。京城は前に子午谷に直し、後に龍首山を枕にし、左は灞岸に臨み、右は灃水に抵る。その長さ六千六百六十五歩、広さ五千五百七十五歩、周囲二万四千百二十歩、その高さ一丈八尺。
京兆府
京兆府、京兆郡、本は雍州、開元元年に府と為す。その貢は、水土稲・麦・麰・紫稈粟・隔紗・粲席・鞾氈・蠟・酸棗仁・地骨皮・桜桃・藕粉。天宝元年に戸三十六万二千九百二十一を領し、口百九十六万百八十八。県二十を領す。府百三十一有り、真化・匡道・水衡・仲山・新城・竇泉・善信・鳳神・安業・平香・太清と曰い、余は皆逸す。
万年、赤。本は大興、武徳元年に更めて名づく。二年に芷陽県を析置し、七年に省く。総章元年に明堂県を析置し、長安二年に省く。天宝七載に咸寧と曰い、至徳三載に復た故の名にす。南望春宮有り、滻水に臨み、西岸に北望春宮有り、宮の東に広運潭有り。福陵は東二十五里に在り、敬陵は東南四十里に在り。
長安、赤。総章元年に乾封県を析置し、長安二年に省く。大安宮有り、本は弘義、後に更めて名づく。南五十里太和谷に太和宮有り、武徳八年に置き、貞観十年に廃し、二十一年に復た置き、翠微宮と曰い、山を籠めて苑と為す。元和の中に翠微寺と為す。子午関有り。天宝二年、尹韓朝宗、渭水を引きて金光門に入れ、潭を西市に置き、以て材木を貯う。大暦元年、尹黎幹、南山より漕渠を開きて景風・延喜門に抵り、苑に入れて以て炭薪を漕ぐ。
咸陽、畿。武徳元年に涇陽・始平を析きて置く。望賢宮有り。便橋有り。興寧陵有り、また順陵有り、咸陽原に在り。
興平県(畿内)。本来は始平県。景龍二年(708年)、中宗が金城公主を吐蕃に降嫁させる際にここまで送り、金城と改称した。至徳二載(757年)に現在の名に改めた。西十八里に隋の仙林宮がある。
雲陽県(赤県)。武徳元年(618年)に分置して石門県を置き、三年に石門・温秀の二県をもって泉州を置いた。貞観元年(627年)に州が廃止され、温秀県を廃し、石門県を雲陽と改称し、旧雲陽県を池陽と改称した。八年に雲陽県を廃し、池陽県を雲陽と改称した。天授二年(691年)に雲陽・涇陽・醴泉・三原の四県をもって鼎州を置いたが、大足元年(701年)に州は廃止された。堯山・甘泉山があり、樵採を禁ずる場所はすべて志に記載されている。古い鄭国渠・白渠がある。崇陵は北十五里の嵯峨山に、貞陵は西北四十里にある。
涇陽県(畿内)。
三原県(次赤県)。武徳四年(621年)に池陽県と称し、六年に華池県と改称し、分置して三原県を置き、泉州に隷属させた。貞観元年(627年)に廃止され、華池県を再び三原と改称した。永康陵は北十八里に、献陵は東十八里に、荘陵は西北五里に、端陵は東十里にある。
渭南県(畿内)。武徳元年(618年)に華州に隷属し、五年に雍州に復帰した。天授二年(691年)に渭南・慶山の二県を分けて鴻門県を置き、渭南・慶山・鴻門・高陵・櫟陽の五県をもって鴻州を置いたが、まもなく鴻門県を廃し、大足元年(701年)に州は廃止された。西十里に遊龍宮があり、開元二十五年(737年)に改めて置かれた。東十五里に隋の崇業宮がある。
昭応県(次赤県)。本来は新豊県。垂拱二年(686年)に慶山県と称し、神龍元年(705年)に元の名に戻した。驪山の下に宮があり、貞観十八年(644年)に置かれ、咸亨二年(671年)に初めて温泉宮と名付けられた。天宝元年(742年)に驪山を会昌山と改称した。三載(744年)、県が宮から遠いため、新豊・万年の二県を分けて会昌県を置いた。六載(747年)、温泉宮を華清宮と改称し、宮は湯井を池とし、山をめぐらせて宮室を列ね、さらに羅城を築き、百官の役所や十王宅を置いた。七載(748年)に新豊県を廃し、会昌県および山の名を昭応と改めた。東三十五里に慶山があり、垂拱二年(686年)に涌出した。清虚原がある(本来は鳳凰原)、幽棲谷がある(本来は鸚鵡谷)、中宗が韋嗣立の居宅に因んで改名した。旌儒郷があり、廟がある(もと坑儒の地)、玄宗が改名した。斉陵は東十六里にある。
高陵県(畿内)。武徳元年(618年)に分置して鹿苑県を置いたが、貞観元年(627年)に廃止した。西四十里に龍躍宮があり、武徳六年(623年)、高祖が旧宅を以て置き、徳宗が脩真観とした。古い白渠があり、宝暦元年(825年)、県令劉仁師が水路の変更を請い、渠が完成して劉公渠、堰を彭城堰と名付けた。
同官県(畿内)。女迴山がある。
富平県(次赤県)。荊山があり、塩池沢がある。定陵は西北十五里の龍泉山に、元陵は西北二十五里の檀山に、豊陵は東三十三里の甕金山に、章陵は西北二十里に、簡陵は西北四十里にある。藍田県(畿内)。武徳二年(619年)に分置して白鹿県を置き、三年に寧民県と改称し、また藍田県を分けて玉山県を置いたが、貞観三年(629年)にいずれも廃止した。覆車山がある。藍田関がある(もと嶢関)。庫谷があり、谷に関がある。武徳六年(623年)、寧民県令顔昶が南山水を引いて京城に入れた。永淳元年(682年)に万全宮を造営したが、弘道元年(683年)に廃止した。
鄠県(畿内)。渼陂がある。東南三十里に隋の太平宮、西南二十二里に隋の甘泉宮がある。
奉天県(次赤県)。文明元年(684年)、醴泉・始平・好畤・武功の四県および豳州の永寿県を分けて置き、乾陵に奉じた(陵は北五里の梁山にある)。靖陵は東北十里にある。乾寧二年(895年)、県を以て乾州を置き、覃王が出鎮するに及び、さらに畿内の好畤・武功・盩厔・醴泉の四県をこれに隷属させた。
好畤県(畿内)。もとの上宜県。武徳二年(619年)に醴泉県を分けて好畤県を置いた。貞観八年(634年)に上宜県を岐陽県に併合して廃し、二十一年に好畤・岐陽の両県を廃し、再び上宜県を置いて上宜県を好畤と改称した。大横関がある。
武功県(畿内)。武徳三年(620年)、武功・好畤・盩厔の三県および郇州の郿・鳳泉の二県をもって稷州を置き、また始平県を分けて扶風県を置いた。四年に岐州の囲川県をこれに隷属させ、七年に郿県を岐州に隷属させた。貞観元年(627年)に州が廃止され、扶風県を廃し、囲川・鳳泉の両県を岐州に、盩厔・武功の両県を雍州に隷属させた。天授二年(691年)、再び武功・始平・奉天・盩厔・好畤の五県をもって稷州を置いたが、大足元年(701年)に州は廃止された。太一山がある。南十八里に慶善宮があり、渭水に臨む。武徳元年(618年)、高祖が旧宅を以て宮とし、後に廃して慈徳寺とした。西原は殤帝の葬地である。
醴泉県(次赤県)。武徳元年(618年)に分置して温秀県を置き、後に醴泉県を廃止した。貞観十年(636年)に昭陵を営み、雲陽・咸陽の二県を分けて再び置いた。芳山があり、九嵕山がある。昭陵は西北六十里の九嵕山にある。建陵は東北十八里の武將山(一名馮山)にある。
華原県(畿内)。義寧二年(618年)に華原・宜君・同官の三県をもって宜君郡を置き、併せて土門県を置いてこれに隷属させた。武徳元年(618年)に宜州と改称した。貞観十七年(643年)に州が廃止され、宜君・土門の両県を廃し、華原・同官の両県を雍州に隷属させた。垂拱二年(686年)に華原県を永安県と改称した。天授二年(691年)に再び永安・同官・富平・美原の四県をもって宜州を置いたが、大足元年(701年)に州は廃止された。永安宮があり、長安二年(702年)に置かれた。神龍元年(705年)に永安県を再び華原県と改称した。蒲萄園官がある。天祐三年(906年)、李茂貞が墨制をもって県を以て耀州を置いた。
美原。畿内。咸亨二年、富平・華原及び同州の蒲城を分けて、旧土門県の地に設置。天祐三年、李茂貞が墨制により県に鼎州を置く。
華州
華州、華陰郡、上輔。義寧元年に京兆郡の鄭・華陰を分けて置く。垂拱二年、武氏の諱を避けて太州と曰う。神龍元年に旧名に復す。上元二年また太州と更名す。宝応元年に旧名に復す。乾寧四年に興徳府と曰う。県は次畿・赤。光化三年に州に復す。土貢:鷂・烏鶻・伏苓・伏神・細辛。戸三万三千百八十七、口二十二万二千六百十三。県四。府二十有り、曰く普楽・豊原・義全・清義・万福・脩仁・神水・常興・義津・定城・延寿・羅文・鄭邑・宣義・相原・孝徳・温湯・宣化・懐徳・懐仁。鎮国軍有り、粛宗上元元年に置く。
鄭、望。少華山有り。東北三里に神台宮有り、本は隋の普徳宮、咸亨二年に更名す。西南二十三里に利俗渠有り、喬谷水を引き、東南十五里に羅文渠有り、小敷谷水を引き、支分して田を灌漑す。皆、開元四年に詔して陝州刺史姜師度に故渠を疏せしめ、又堤を立てて水害を防がしむ。
華陰、望。垂拱元年に仙掌と更名す。天授二年に潼津県を分置す、関口に在り、後に虢州に隷し、聖暦二年に来属し、長安年中に省く。神龍元年に復た華陰と曰う。上元二年に太陰と曰い、華山を太山と曰う。宝応元年に旧名に復す。岳祠有り。潼関有り。渭津関有り。漕渠有り、苑西より渭水を引き、古渠に因りて灞・滻を会し、広運潭を経て県に至り渭に入る。天宝三載に韋堅開く。又、永豊倉有り。臨渭倉有り。西十八里に瓊岳宮有り、故に隋の華陰宮、顕慶三年に更名す。東十三里に隋の金城宮有り、武徳三年に廃し、顕慶三年に復置す。西二十四里に敷水渠有り、開元二年、姜師度鑿きて水害を洩らす。五年、刺史樊忱復た之を鑿ちて渭漕を通ぜしむ。
下邽、望。本は同州に隷す。垂拱元年に来属す。東南二十里に金氏二陂有り、武徳二年に白渠を引いて之を灌ぎ、以て監屯を置く。
櫟陽。本は畿内。故に万年、雍州に隷す。武徳元年に更名し、又平陵県を分置す。二年に平陵を粟邑と更名す。貞観八年に省く。煮塩沢有り。天祐三年に来属す。
同州
同州、馮翊郡、上輔。武徳元年に諸郡を州と更む。其れ賊に没する者は、事平にして乃ち更む。天宝三載に州を以て郡と為す。乾元元年に復た郡を以て州と為す。凡そ州・郡・県、更置する所無き者は皆隋の旧を承く。土貢:鞾鞹二物・皺紋吉莫・麝・芑茨・龍莎・凝水石。戸六万九百二十八、口四十万八千七百五。県八。府二十六有り、曰く済北・唐安・秦城・太州・大亭・河東・興徳・連邑・伏龍・温湯・安遠・業善・南郷・臨高・瀵陽・襄城・崇道・淅谷・吉安・長春・華池・永大・洪泉・善福・司禦・効誠。
馮翊、望。武徳九年に臨沮県を分置す。貞観九年に省く。沙苑有り。南三十二里に興徳宮有り、志武里に在り、高祖長安に趨かんと将て次ぐ所。
朝邑、望。長春宮有り。武徳三年に河濱県を分置す。貞観元年に省く。北四里に通霊陂有り、開元七年、刺史姜師度洛を引き河を堰きて以て田百余頃を灌漑す。乾元三年に河西と曰い、河中府に隷す。大暦五年に復た朝邑と曰い、還って同州に隷す。河瀆祠・西海祠有り。小池に塩有り。
韓城、上。武徳八年に西韓州を徙置す。貞観八年に州廃し、韓城・河西・郃陽を以て来属す。天祐二年に韓原と更名す。鉄有り。梁山有り。龍門山有り、関有り。武徳七年、治中雲得臣、龍門より自ら河を引いて田六千余頃を灌漑す。
郃陽、望。陽班湫有り、貞元四年に洿谷水を堰きて成る。
夏陽、本は河西、武徳三年に郃陽を分けて置く。又、河西・郃陽・韓城を以て西韓州を置く。乾元三年に河西を夏陽と更め、河中に隷す。後に復た来属す。
白水、望。
澄城県、望県。武徳三年に長寧県を分置し、貞観八年に廃止。
奉先県。本は次赤県。旧蒲城県、開元四年に改名し、京兆府に隷属。橋陵は西北三十里の豊山に、泰陵は東北二十里の金粟山に、景陵は西北二十里の金熾山に、光陵は北十五里の堯山に、惠陵は西北十里にある。鹵池が二つあり、大中二年にその一つが塩を生じた。天祐三年に当府に来属。
商州
商州、上洛郡、望。土貢は麝香・弓材。洛源監の銭官がある。貞元七年、刺史李西華が藍田から内郷まで新道七百余里を開き、山を迂回して道を取ったため、人は渡渉に苦しまず、これを偏路と称し、行旅に便であった。戸八千九百二十六、口五万三千八十。県六。府が二つあり、洵水・玉京という。興平軍があり、初めは郿県の東原にあり、至徳年中に移転。
上洛県、緊県。熊耳山がある。
豊陽県、上県。
洛南県、上県。金・銅・鉄がある。
商洛県、望県。東に武関がある。
上津県、上県。義寧二年、上津・豊利・黄土の地に上津郡を置き、併せて長利県を置く。武徳元年に上州と称す。貞観元年に長利県を廃止。八年に州を廃し、黄土県を金州に、豊利県を均州に隷属させ、上津県は当州に来属。
乾元県。中下県。本は安業県、万歳通天元年に豊陽県を分置し、景龍三年に雍州に隷属、景雲元年に当州に来属、乾元元年に改名し、京兆府に隷属、まもなく復た還属。
鳳翔府
鳳翔府、扶風郡、赤上輔。本は岐州、至徳元載に郡名を鳳翔と改め、二載に復た旧郡名に戻し、西京と号し、府とする。上元二年に京を廃し、元年に西都と称す、まもなく都を復た廃す。土貢は榛実・龍鬚席・蠟燭。戸五万八千四百八十六、口三十八万四百六十三。県九。府が十三あり、岐山・雍北・道清・洛邑・留谷・岐陽・文城・𨙸邑・三交・鳳泉・望苑・邵吉・山泉という。
天興県、次赤県。本は雍県、至徳二載に鳳翔県と称し、併せて天興県を分置、宝応元年に鳳翔県を廃して天興県に併入。
岐山県、次畿県。貞観七年、扶風県・岐山県及び京兆府の上宜県を分けて岐陽県を置き、八年に上宜県を廃して岐山県に併入、永徽五年に復置、元和三年に廃止。岐山がある。
扶風県、次畿県。本は湋川県、武徳三年に岐山県を分置し、湋水に因んで名付け、貞観八年に改名。
麟遊県(次畿)。義寧元年に設置し、麟遊及び京兆府の上宜県、扶風郡の普潤県を以て鳳棲郡を置く。二年、仁寿宮中に白麟を獲たるにより、郡名を麟遊と改む。また安定郡の鶉觚県を併せ、分置して霊台県を立ててこれに隷属せしむ。武徳元年、麟州と曰う。貞観元年、州廃止。霊台を廃して麟遊に併せ、麟遊・普潤を以て当州に来属せしめ、上宜は雍州に還属せしめ、鶉觚は涇州に還属せしむ。西五里に九成宮あり。もと隋の仁寿宮なり。義寧元年廃止、貞観五年復置し、名を改む。永徽二年、万年宮と曰い、乾封二年復た九成宮と曰う。周垣千八百歩、併せて禁苑及び府庫官寺等を置く。また西三十里に永安宮あり、貞観八年に置く。
普潤県(次畿)。隴右軍あり、貞元十年に置く。十一年、県を以て隴右経略使に隷属せしむ。元和元年、保義軍と改名す。
宝鶏県(次畿)。本は陳倉、至徳二載に改名す。東に渠あり、渭水を引きて昇原渠に入れ、長安故城に通ず。咸通三年に開く。西南に大散関あり。宝鶏山あり。
虢県(次畿)。貞観八年、岐山県に併合され廃止。天授二年復置す。東北十里に高泉渠あり、如意元年に開き、水を引いて県城に入る。また西北に昇原渠あり、汧水を引いて咸陽に至る。垂拱初年、岐・隴の水を京城に運ぶ。
郿県(次畿)。義寧二年、郿城郡を置き、また分置して鳳泉県を立てる。武徳元年、郇州と曰う。鳳泉県を以て来属せしむ。三年、州廃止。郿県を稷州に隷属せしむ。七年、当州に来属す。貞観八年、鳳泉県を廃す。大暦五年、暫く京兆府に隷属す。太白山あり。鳳泉湯あり。
盩厔県(本畿、雍州に隷属)。武徳二年、分置して終南県を立てる。貞観八年廃止。天宝元年、宜寿と改名。至徳二載、旧名に復す。乾寧年中、乾州に隷属。天復元年、当州に来属す。駱谷関あり、武徳七年に置く。司竹園あり。東南三十二里に隋の宜寿宮あり。楼観、老子祠あり。
邠州
邠州、新平郡、緊。義寧二年、北地郡の新平・三水の二県を分けて置く。邠は、もと「豳」と作る。開元十三年、「幽」の字に類するを以て改む。土貢:剪刀、火筯、蓽豆、澡豆、白蜜、地胆。戸二万二千九百七十七、口十二万五千二百五十。県四。府十あり、嘉陽・宜祿・公劉・良社・胡陵・蜯川・万敵・金池・舜城・宜山と曰う。
新平県(望)。永定塁二つあり、太宗薛挙を討つに際し置く。
三水県(緊)。石門山あり。北二十里に万寿湫あり、大暦八年、風雷に因りて成る。
永寿県(上)。武徳二年、新平県を分けて置く。神龍元年、雍州に隷属。唐隆元年、当州に来属す。
宜祿県(中)。貞観二年、新平県及び涇州の保定県・霊台県を分けて置く。浅水原あり。長武城あり。
右京畿採訪使、京城内に治す。
隴州
隴州、汧陽郡、上。本は隴東郡。義寧二年、扶風郡の汧源・汧陽・南由の三県及び安定郡の華亭県を分けて置く。天宝元年、郡名を汧陽と改む。土貢:榛実、龍鬚席。戸二万四千六百五十二、口十万百四十八。県三。府四あり、大堆・龍盤・開川・臨汧と曰う。
汧源(上県)。垂拱二年、華亭を亭川と改称し、神龍元年に旧名に復し、元和三年に廃止されて汧源に併合された。西に安戎関あり、隴山にある。もとは大震関といい、大中六年、防禦使薛逵が移築して改名した。鉄を産す。五節堰あり、隴川の水を引いて水運を通じた。武徳八年、水部郎中姜行本が開削し、後に廃止された。華亭には義寧軍があり、大暦八年に設置された。貞元十三年、平戎川に永信城を築いた。
汧陽(上県)。臨汧城あり、大和元年に築かれた。
呉山(中県)。もとは長蛇といい、義寧二年に設置され、貞観元年に改名し、上元二年に華山と称し、まもなく呉山に復した。武徳元年、南由県を以て含州を置き、四年に州が廃止され、元和三年に当県に併合された。西鎮呉山祠あり、紫塠山あり。西に安夷関あり。
涇州
涇州、保定郡、上州。もとは安定郡、至徳元載に改名。土貢:龍鬚席。戸三万一千三百六十五、口十八万六千八百四十九。県五。府六あり、涇陽・四門・興教・純徳・粛清・仁賢という。
保定(上県)。もとは安定、至徳元載に改名し、広徳元年に吐蕃に陥落し、大暦三年に再設置された。折墌故城あり。
霊台(上県)。もとは鶉觚、天宝元年に改名。
臨涇(中県)。
良原(上県)。興元二年に吐蕃に陥落し、貞元四年に再設置された。
潘原(中県)。もとは陰盤、天宝元年に改名し、後に廃止されて彰信堡となり、貞元十一年に再設置された。
原州
原州平涼郡、中都督府、望。広徳元年に吐蕃に陥落し、節度使馬璘が霊台の百里城に行原州を設置することを上表した。貞元十九年に平涼に治所を移した。元和三年にまた臨涇に治所を移した。大中三年に関・隴を回復し、平高に帰治した。広明の後ふたたび吐蕃に陥落し、また臨涇に僑治した。土貢:氈・覆鞍氈・龍鬚席。戸七千三百四十九、口三万三千百四十六。県二。府二あり、彭陽・安善という。
平高(望県)。崆峒山あり。西南に木峡関あり。州境内にはまた石門・驛蔵・制勝・石峡・木崝等の関があり、木峡・六盤と合わせて七関となる。また南に瓦亭故関あり。
百泉(上県)。
渭州
渭州は、元和四年に原州の平涼県を以て行渭州を置き、廣明元年に吐蕃に破られ、中和四年、涇原節度使張鈞が表を上って置いた。凡そ乾元の後に置かれた州は、皆郡名が無く、その末世に至り、置かれた州縣は、また上・中・下の等級を列ねない。縣一。
平涼。上縣。廣德元年に吐蕃に陥落し、貞元四年に復置した。行渭州となった時、その民は皆州自らがこれを領した。西南の隴山に六盤關がある。銀あり、銅あり、鐵あり。西北五里に吐蕃會盟壇があり、貞元三年に築いた。
武州
武州は、中州。大中五年に原州の蕭關を以て置く。中和四年に潘原に僑治した。縣一。
蕭關。中縣。貞觀六年に突厥の降戶を以て緣州を置き、平高の他樓城に治した。高宗が他樓縣を置き、原州に隷し、神龍元年に省き、更に蕭關縣を置いた。白草軍は蔚茹水の西にあり、至德の後に吐蕃に陥落した。
寧州
寧州は、彭原郡、望。本は北地郡、天寶元年に更名す。土貢:五色覆鞍氈、龍鬚席、芫青、亭長、菴䕡、假蘇。戶三萬七千一百二十一、口二十二萬四千八百三十七。縣五。府十一あり、曰く彭池、高望、靜難、驎寶、天固、蒲川、東原、三會、大延、和泉、永寧。
定安、望縣。義寧二年に析置して歸義縣とし、十七年に省きて定平に入る。定安故關あり。
真寧、緊縣。本は羅川。要冊湫あり。天寶元年に玉真人像二十七を獲たるを以て、因りて更名す。
襄樂、緊縣。
彭原、緊縣。武德元年に縣を以て彭州を置き、二年に析置して豐義縣とす。貞觀元年に州廢し、彭原・豐義を以て來屬す。開元八年に豐義を涇州に隷せしめ、尋いで復た還屬し、唐末に省く。
定平。上縣。武德二年に定安を析置し、後に邠州に隷す。元和三年に復た來屬し、四年に左神策軍に隷す。高摭城あり。唐末に縣を以て衍州を置く。
慶州
慶州は、順化郡、中都督府。本は弘化郡、天寶元年に安化と曰い、至德元載に更名す。土貢:胡女布、牛酥、麝、蠟。戶二萬三千九百四十九、口十二萬四千二百三十六。縣十。府八あり、曰く龍息、交水、同川、永清、蟠交、永業、樂蟠、永安。
順化、中縣。本は弘化、天寶元年に安化と曰い、至德元載に更名す。
合水県、中県。本来は合川県、武徳元年に設置、同年、また分置して蟠交県を置く。貞観元年に合川県を廃して弘化県に併入。天宝元年に蟠交県を改めて合水県と称す。
楽蟠県、中県。義寧元年に合水県を分置して置く。
馬嶺県、中県。
華池県、下県。武徳四年に設置、県をもって林州を置く、貞観元年に州を廃す。
同川県、中下県。本来は三泉県、義寧二年に彭原郡の彭原県を分置して置く、武徳三年に改名す。
洛源県、中県。貞観三年に設置、四年に北永州に隷属、五年に州を移してここに治す、八年に州を廃し、当州に属す。
延慶県、中県。本来は白馬県、武徳六年に旧豊州の民を移し合水県を分置して置く、天宝元年に改名す。
方渠県、中下県。神龍三年に馬嶺県を分置して置く。
懐安県。下県。開元十一年に逃亡戸を検括し党項蕃落を連ねて置く。
鄜州
鄜州、洛交郡、上。本来は上郡、天宝元年に改名す。土貢:龍鬚席。戸二万三千四百八十四、口十五万三千七百十四。県五。府十一あり、洛昌・龍交・葦川・五交・大同・安光・洛安・銀方・杏林・脩武・安吉と曰う。肅戎軍あり、大暦六年に置く、鄜城に在り。
洛交県、緊県。
洛川県、上県。
三川県、中県。華池水・黒水・洛水の合流する所。
直羅県、中県。武徳三年に三川県・洛交県を分け古い直羅城によりて置く、羅水城下を過ぎ、地は平直なり、故に名づく。
甘泉(中県。もと伏陸県。武徳元年(六一八)に洛交県を分割して設置。天宝元年(七四二)に改名)。
坊州
坊州(中部郡、上州。武徳二年(六一九)に鄜州の中部・鄜城の二県を分割して設置。土貢は龍鬚席・枲・弦麻。戸二万二千四百五十八、口十二万二百八。県四。府五あり、杏城・仁里・思臣・永平・安臺という)。
中部(上県。もと内部県、武徳二年に改名。北周の天和年間、元皇帝(李虎)が敷州刺史であった時、馬坊を設置した。高祖(李淵)はこれに因んで州名とした。鉄を産す。州城には水がなく、東北七里に上善泉あり。開成二年(八三七)、刺史張怡が水を架して城内に引き入れ、遠くから汲む労を緩和した。四年、刺史崔駢がさらにこれを増修し、民はその利を得た。後にこれを思い、祠を立てた)。
宜君(上県。もと宜州に隷属。仁智宮あり、武徳七年(六二四)に設置。貞観十七年(六四三)に州が廃止され、県も廃された。二十年(六四六)に玉華宮を設置し、再び県を置き、雍州に隷属させた。宮は県北四里の鳳凰谷にある。永徽二年(六五一)に宮を廃して玉華寺とし、県はまた廃された。龍朔三年(六六三)に中部・同官の二県を分割して再設置し、当州に属させた。鉄を産す)。
昇平(上県。天宝十二載(七五三)に宜君県を分割して設置。宝応元年(七六二)に廃止、後に再設置)。
鄜城(上県。唐末に県を以て翟州を置く)。
丹州
丹州(咸寧郡、上州。もと丹陽郡。義寧元年(六一七)に延安郡の義川・汾川・咸寧の三県を分割して設置。天宝元年に改名。土貢は龍鬚席・麝香・蠟燭。戸一万五千百五、口八万七千六百二十五。県四。府五あり、宜城・通天・同化・丹陽・長松という)。
義川(上県)。
雲巖(中県。武徳元年に義川県を分割して設置)。
汾川(上県。烏仁関あり)。咸寧(中県)。
延州
延州(延安郡、中都督府。土貢は樺皮・麝香・蠟。戸一万八千九百五十四、口十万四十。県十。府七あり、敦化・延川・寧戎・因城・塞門・延安・金明。また儀鳳年間(六七六-六七九)に、吐谷渾部落が涼州から内附し、金明県西境に二府を置く。羌部落・閤門という)。
膚施(上県。牢山鎮城あり)。
延長、中県。本来は延安と称し、武徳二年に設置され、県に北連州を置き、併せて義郷・斉明の二県を設置してこれに隷属させた。貞観二年に州が廃止され、義郷・斉明を廃して延安に併合し、当州に属した。広徳二年に名を改む。
臨真、中県。武徳元年に東夏州に隷属し、貞観二年に州が廃止されて当州に属した。
金明、中県。武徳二年に膚施県を分割して設置し、県に北武州を置き、併せて開遠・全義・崇徳・永安・定義の五県を設置した。貞観二年に州が廃止され、開遠・全義・崇徳・永安・定義を廃して金明に併合し、当州に属した。
豊林、中県。武徳四年に雲州及び雲中・楡林・竜泉の三県を僑置し、八年に州が廃止され、竜泉を臨真に併合し、雲中・楡林を豊林に併合した。東北に合嶺関あり。
延川、中県。武徳二年に稽胡を招慰して基州を設置し、また安撫使段徳操が上表して義門県を設置し、義門県に南平州を置いた。三年に綏州の城平県を分割して魏平県を設置した。四年に南平州を廃止し、義門・魏平を廃した。五年に基州を北基州と改称した。貞観八年に州が廃止され、当州に属した。
敷政、中下県。本来は因城と称し、武徳二年に治所を金城鎮に移し、金城と改称した。また東境に永州を置き、併せて洛盤・新昌・土塠の三県を設置した。貞観四年に州の治所を洛源に移した。州が廃止されるに及び、洛盤・新昌・土塠を廃して金城に併合した。天宝元年に敷政と称す。
延昌、武徳二年に北仁州を設置し、貞観三年に州が廃止され、十年にその地に罷交県を設置し、天宝元年に名を改む。その北に蘆子関あり。
延水、中下県。本来は安民と称し、武徳二年に延川県を分割して設置し、県に西和州を置き、併せて修文・桑原の二県を設置した。貞観二年に州が廃止され、修文・桑原を廃して安民に併合し、北基州に隷属させた。州が廃止され、当州に属した。二十三年に弘風と称し、神龍元年に名を改む。
門山。上県。武徳三年に汾川県を分割して設置し、丹州に隷属し、広徳二年に当州に属した。
霊州
霊州、霊武郡、大都督府。土貢は、紅藍、甘草、花蓯蓉、代赭、白膠、青虫、鵰、鶻、白羽、麝、野馬・鹿革、野猪黄、吉莫鞾、鞹、氈、庫利、赤檉、馬策、印塩、黄牛臆。戸一万一千四百五十六、口五万三千一百六十三。県四。府五あり、武略・河間・静城・鳴沙・万春と曰う。朔方経略軍あり。黄河の外に豊安・定遠・新昌等の軍、豊寧・保寧等の城あり。
回楽、望県。武徳四年に分割して豊安県を設置した。貞観四年に回楽県の境内に回州を置き、豊安を回州に隷属させた。十三年に州が廃止され、豊安を廃した。温泉塩池あり。特進渠あり、田六百頃を灌漑し、長慶四年に詔して開かしむ。
霊武、上県。
懐遠、緊県。武徳六年に豊州を廃止し、九原・永豊の二県を廃してこれに併合した。隋の九原郡なり。塩池三あり、紅桃・武平・河池と曰う。
保静。上県。本来は弘静と称し、神龍元年に安静と称し、至徳元載に名を改む。
威州
威州(郡名は欠く)、中州。本来は安樂州である。初め、吐谷渾の部落が涼州より鄯州に移り、その地に安住せず、また霊州の境に移った。咸亨三年、霊州の故鳴沙県の地に州を置き、彼らを居住させた。至徳の後、吐蕃に陥ちる。大中三年にこれを収復し、名を改む。光啓三年、涼州鎮に治所を移し、行州となす。県二。
鳴沙は、上県なり。武徳二年に会州を置き、貞観六年に州を廃し、更に環州を置く。大河の環曲するを以て名と為す。九年に州を廃し、還って霊州に隷す。神龍年中、默啜に寇せられ、故の豊安城に治を移す。咸亨三年、故県を復得す。
溫池。上。もと靈州に隷し、神龍元年に置き、大中四年に來屬す。鹽池有り。
雄州
雄州は、霊州の西南百八十里に在り。中和元年に治所を承天堡に移し、行州とした。
警州
警州は、もと定遠城であり、霊州の東北二百里にあり、先天二年に、朔方大総管郭元振が置いた。その後、上県となり、霊州に隷属した。景福元年、霊威節度使韓遵が上表して州とした。
會州
會州は會寧郡、上州。もとは西會州、武德二年に平涼郡の會寧鎮を以て置く。貞觀八年、食糧を充足させる故に粟州と更名し、是の年また更名す。土貢:駝毛褐、野馬革、覆鞍氈、鹿舌、鹿尾。戸四千五百九十四、口二萬六千六百六十。縣二。會寧、烏蘭。
鹽州
鹽州は、五原郡、下都督府である。本来は鹽川郡であった。唐の初めに梁師都に陥落した。武徳元年に霊州に僑治した。貞観元年に州は廃止され、県は霊州に隷属した。二年に師都が平定され、再び州を置いた。天宝元年に郡を五原と改称した。貞元三年に吐蕃に陥落し、九年に再び城を築いた。土貢は、鹽山、木瓜、𤕠牛である。戸二千九百二十九、口一万六千六百六十五。県二。
五原は、上県である。烏池・白池・細項池・瓦窰池の塩がある。
白池。上。本は興寧と称す。貞觀元年に州とともに廃止され、二年に再び設置される。景龍三年に改名す。
夏州
夏州は、朔方郡、中都督府である。土貢は、氈・角弓・酥・拒霜薺。戸九千二百一十三、口五万三千一十四。県三。府二あり、寧朔・順化という。
朔方県。上県。本は嵓錄、貞観三年に名を改む。貞元七年に延化渠を開き、烏水を引いて庫狄沢に入れ、田二百頃を灌漑す。塩池二あり。天柱軍あり、天宝十四載に置き、宝応元年に廃す。長慶四年、節度使李祐、烏延・宥州・臨塞・陰河・陶子等の城を蘆子関の北に築き、以て塞外を護る。木瓜嶺あり。
徳静県。中下県。貞観七年、北開州に隷す。八年、化州と曰う。十三年、州廃す。
寧朔県。中下県。武徳六年、南夏州を置く。貞観二年、州廃し、県は朔方に省併さる。五年、復置し、来属す。長安二年、省く。開元四年また置き、九年に省く。その後また置く。
綏州
綏州は、上郡、下州。本は雕陰郡の地。唐初、梁師都に没す。武徳三年、帰民を以て延州豊林県に僑置す。六年、治を延川の境に徙す。七年、治を魏平に徙す。貞観二年、師都平らぎ、治を上県に帰す。天宝元年、郡名を改む。土貢は、胡女布・蠟燭。戸一万八百六十七、口八万九千百十二。県五。府四あり、伏洛・義合・万古・大斌という。
龍泉県。中県。本は上県、天宝元年に名を改む。
延福県。中下県。武徳六年、析置して北吉州とし、併せて帰義・洛陽の二県を置く。また析置して羅州とし、併せて石羅・関善・万福の三県を置く。また析置して匡州とし、併せて安定・源泉の二県を置く。貞観二年、州・県皆廃す。
綏徳県。中下県。武徳二年に置く。六年、析置して雲州とし、併せて信義・淳義の二県を置く。また析置して龍州とし、併せて風郷・義良の二県を置く。貞観二年、州・県皆廃す。
城平県。中下県。武徳三年、魏州を置き、併せて安故・安泉の二県を置く。貞観二年、州廃し、安故・安泉を省く。西南に魏平関あり。
大斌県。中下県。武徳七年、治を魏平城に徙す。「稽胡、化を懐き、文武雑半」を取って名とす。
銀州
銀州は、銀川郡、下州。貞観二年、綏州の儒林・真郷を析いて置く。土貢は、女稽布。戸七千六百二、口四万五千五百二十七。県四。
儒林県。中県。東北に無定河あり。
真郷県。中下県。西北に茹盧水あり。
開光(中県)。本来は綏州に隷属し、貞観二年に設置され、八年に柘州に隷属し、十三年に州が廃止され、当州に帰属した。
撫寧(中下県)。本来は綏州に隷属し、貞観八年に当州に帰属した。
宥州
宥州、寧朔郡、上州。調露元年、霊州・夏州の南境において降伏した突厥を以て魯州・麗州・含州・塞州・依州・契州を設置し、唐人を刺史とし、これを六胡州と謂う。長安四年に匡州・長州の二州に併合す。神龍三年に蘭池都督府を設置し、六州を分けて県と為す。開元十年に再び魯州・麗州・契州・塞州を設置す。十年、康待賓を平定し、その民を河南及び江・淮に移す。十八年に再び匡州・長州の二州を設置す。二十六年に移した胡戸を還して宥州及び延恩等の県を設置し、その後は経略軍に僑治す。至徳二載に郡名を改めて懷德と曰う。乾元元年に旧名に復す。宝応以後廃止。元和九年に経略軍において再設置し、故州の東北三百里に在り。十五年、治所を長澤に移すも、吐蕃に破られる。長慶四年、節度使李祐が再び奏上して設置す。土貢:氈。戸七千八十三、口三万二千六百五十二。県二。
延恩(中県)。開元二十六年に故匡州の地を以て設置す。また故塞門県の地を以て懷德県を、故蘭州の長泉県の地を以て歸仁県を設置す。宝応以後は皆廃止。元和九年に延恩を再設置す。経略軍有り、榆多勒城に在り、天宝中に王忠嗣が奏上して設置す。
長澤(中下県)。本来は夏州に隷属し、貞観七年に長州を設置し、十三年に州が廃止され、夏州に隷属し、元和十五年当州に帰属す。胡洛塩池有り。
麟州
麟州、新秦郡、下都督府。開元十二年に勝州の連谷・銀城を分けて設置し、十四年に廃止、天宝元年に再設置す。土貢:青他鹿角。戸二千四百二十八、口一万九百三。県三。
新秦(中県)。開元二年に設置し、七年にまた鐵麟県を設置す。十四年に州が廃止され、皆廃止。天宝元年に新秦を再設置す。
連谷(中下県)。貞観八年に隋の連谷戍を以て設置す。
銀城(中下県)。貞観二年に設置し、四年に銀州に隷属し、八年に勝州に隷属す。
勝州
勝州、榆林郡、下都督府。武徳中に梁師都に陥没す。師都平定後、再設置す。土貢:胡布、青他鹿角、芍薬、徐長卿。戸四千百八十七、口二万九百五十二。県二。(義勇軍有り。)
榆林(中下県)。隋の故榆林宮有り。東に榆林関有り、貞観十三年に設置す。
河濱(中下県)。貞観三年に設置し、県を以て雲州を置く。四年に威州と曰い、八年に州が廃止され、当州に帰属す。東北に河濱関有り、貞観七年に設置す。
豐州
豐州は、九原郡、下都督府である。貞観四年に降伏した突厥の戸を以て設置し、県を領さず。十一年に州は廃止され、その地は霊州に編入された。二十三年に再び設置する。土貢は、白麥、印鹽、野馬胯革、駝毛褐、氈である。戸二千八百一十三、口九千六百四十一。県二。
九原、中下。永徽四年に設置。陵陽渠あり、建中三年に浚渫して田を灌漑し、屯を置くも、まもなく廃棄す。咸應、永清の二渠あり、貞元中、刺史李景略が開鑿し、数百頃の田を灌漑す。
永豐。中下。永徽元年に設置。麟德元年に別に豐安縣を置くも、天寶末に廃止。東受降城、景雲三年、朔方軍総管張仁愿が三受降城を築く。寶曆元年、振武節度使張惟清は東城が河に臨むを以て、綏遠烽の南に移転設置す。中受降城、拂雲堆祠あり。霊州境に接して関あり、元和九年に設置。また横塞軍あり、本は可敦城、天寶八載に設置、十二載に廃止。西二百里大同川に天徳軍あり、大同川の西に天安軍あり、皆天寶十二載に設置。天徳軍は、乾元後に永済柵に移転屯し、もと大同城なり。元和九年、宰相李吉甫が旧城の修復を奏す。北に安楽戍あり。西受降城。開元初めに河に毀たれ、十年、総管張説が城東に別に新城を置く。北三百里に鷿鵜泉あり。
単于大都護府、本は雲中都護府、龍朔三年に設置、麟徳元年に改名す。土貢は、胡女布、野馬胯革。戸二千一百五十五、口六千八百七十七。県一。金河。中。天寶四年に設置。本は後魏の道武帝の都とせし所なり。雲伽関あり、後に廃止、大和四年に再び設置。
安北大都護府、本は燕然都護府。龍朔三年に瀚海都督府と曰う。総章二年に改名す。開元二年に中受降城に治し、十年に豐・勝二州の境に治を移し、十二年に天徳軍に治を移す。土貢は、野馬胯革。戸二千六、口七千四百九十八。県二。陰山、上。天寶元年に設置。通濟。上。
鎮北大都護府。土貢は、犛牛尾。県二。大同、上。長寧。上。
右は関内採訪使、京官を以て領す。