新唐書

卷三十六 志第二十六 五行三

五行傳に曰く、「宗廟を簡略にし、祠を禱らず、祭祀を廃し、天時に逆らえば、則ち水は下を潤さず」と。水がその性を失い、百川が逆流して溢れ、郷邑を壊し、人民を溺れしめて災いとなると謂うのである。また曰く、「聴くこと聡明ならざるは、是れを不謀と謂う。その咎は急、その罰は常に寒く、その極みは貧なり。時に則ち鼓妖有り、時に則ち豕禍有り、時に則ち耳痾有り、時に則ち雷電・霜・雪・雨・雹・黒眚黒祥有り、惟れ火水をそこなう」と。

水は下を潤さず。

貞観三年秋、貝・譙・鄆・泗・沂・徐・豪・蘇・隴の九州、水害あり。水は太陰の気なり。若し臣道が専断し、女謁じょえつ行われ、夷狄強く、小人の道長じ、厳刑を以て逞しうし、下民その憂いに堪えざれば、則ち陰類勝ち、その気応じて水至る。そのとがは天に見え、月及び辰星と列星の水を司る者為に変ず。若し七曜中道の北をめぐれば、皆水の祥なり。四年秋、許・戴・集の三州、水害あり。七年八月、山東・河南の州四十、大水。八年七月、山東・江淮、大水。十年、関東及び淮海の傍ら州二十八、大水。十一年七月癸未、黄気天に際し、大雨、穀水溢れ、洛陽らくよう宮に入り、深さ四尺、左掖門を壊し、官寺十九を毀つ。洛水六百餘家を漂す。九月丁亥、河溢れ、陝州の河北県及び太原倉を壊し、河陽中潬を毀つ。十六年秋、徐・戴の二州、大水。十八年秋、穀・襄・・荊・徐・梓・忠・緜・宋・亳の十州、大水。十九年秋、沁・易の二州、水害あり、稼を害す。二十一年八月、河北大水、泉州海溢れ、驩州水害あり。二十二年夏、瀘・越・徐・交・渝等州、水害あり。

永徽元年六月、新豊・渭南大雨、零口の山水暴出し、廬舎を漂す。宣・歙・饒・常等州大雨、水害あり、溺死者数百人。秋、齊・定等州十六、水害あり。二年秋、汴・定・濮・亳等州、水害あり。四年、杭・夔・果・忠等州、水害あり。五年五月丁丑夜、大雨、麟遊県の山水萬年宮玄武門を衝き、寝殿に入り、衛士に溺死者有り。六月、河北大水、滹沱溢れ、五千餘家を損ず。六年六月、商州大水。秋、冀・沂・密・兗・滑・汴・鄭・婺等州、水害あり、稼を害す。洛州大水、天津橋を毀つ。十月、齊州河溢る。

顕慶元年七月、宣州涇県の山水暴出し、平地四丈、溺死者二千餘人。九月、括州暴風雨、海水溢れ、安固・永嘉の二県を壊す。四年七月、連州の山水暴出し、七百餘家を漂す。

麟徳二年六月、鄜州大水、居人の廬舎を壊す。

総章二年六月、括州大風雨、海溢れ、永嘉・安固の二県を壊し、溺死者九千七十人。冀州大雨、水平地に深さ一丈、民居萬家を壊す。

咸亨元年五月丙戌、大雨、山水溢れ、溺死五千餘人。二年八月、徐州の山水百餘家を漂す。四年七月、婺州大雨、山水暴漲し、溺死五千餘人。

上元三年八月、青州大風、海溢れ、居人五千餘家を漂す。齊・淄等七州、大水。

永隆元年九月、河南・河北大水、溺死者甚だ衆し。二年八月、河南・河北大水、民居十萬餘家を壊す。

永淳元年五月丙午、東都連日澍雨。乙卯、洛水溢れ、天津橋及び中橋を壊し、居民千餘家を漂す。六月乙亥、京師大雨、水平地に深さ数尺。秋、山東大雨、水害あり、大饑。二年七月己巳、河溢れ、河陽橋を壊す。八月、恆州滹沱河及び山水暴溢し、稼を害す。

文明元年七月、温州大水、千餘家を漂す。括州の溪水暴漲し、溺死百餘人。

如意元年四月、洛水溢れ、永昌橋を壊し、居民四百餘家を漂す。七月、洛水溢れ、居民五千餘家を漂す。八月、河溢れ、河陽県を壊す。

長寿二年(693年)五月、棣州の黄河が氾濫し、二千余りの民家を損壊した。この年、河南の十一州で水害があった。

万歳通天元年(696年)八月、徐州で大水があり、農作物に被害が出た。

神功元年(697年)三月、括州で水害があり、七百余りの民家を損壊した。この年、河南の十九州で水害があった。

聖暦二年(699年)七月丙辰、神都で大雨が降り、洛水が天津橋を破壊した。秋、黄河が懐州で氾濫し、千余りの家屋を流出させた。三年(700年)三月辛亥、鴻州で水害があり、千余りの家屋を流出させ、四百余人が溺死した。

久視元年(700年)十月、洛州で水害があった。

長安ちょうあん三年(703年)六月、寧州で大雨と水害があり、二千余りの家屋を流出させ、千余人が溺死した。四年(704年)八月、瀛州で水害があり、数千の民家を損壊した。

神龍元年(705年)四月、雍州同官県で大雨と水害があり、五百余りの民家を流出させた。六月、河北の十七州で大水があった。七月甲辰、洛水が氾濫し、二千余りの民家を損壊した。二年(706年)四月辛丑、洛水が天津橋を破壊し、数百人が溺死した。八月、魏州で水害があった。

景龍三年(709年)七月、澧水が氾濫し、農作物に被害が出た。九月、密州で水害があり、数百の民家を損壊した。

開元三年(715年)、河南・河北で水害があった。四年(716年)七月丁酉、洛水が氾濫し、数百艘の船を沈没させた。五年(717年)六月甲申、瀍水が氾濫し、溺死者が千余人に上った。鞏県で大水があり、城邑を損壊し、数百の民家に被害が出た。河南で水害があり、農作物に被害が出た。八年(720年)夏、契丹が営州を侵し、関中の兵卒を派遣して救援させたが、澠池の缺門に宿営し、穀水のほとりに陣を張ったところ、夜半に山の水が急に押し寄せ、一万余人が皆溺死した。六月庚寅の夜、穀水・洛水が氾濫し、西上陽宮に流入し、宮人の死者は十のうち七、八に及び、畿内の諸県では田畑・作物・家屋がことごとく流され、掌閑衛兵の溺死者は千余人に上り、京師の興道坊は一夜にして池と化し、五百余りの民家が皆沈没して見えなくなった。この年、鄧州の三鴉口で大水が谷を塞ぎ、ある者が二人の童子が水を掛け合っているのを見た。しばらくして、十囲もある大蛇が現れ、口を開けて天を仰いだ。人がこれを斬ったり射たりすると、たちまち激しい雷雨となり、数百の家屋を流出・水没させた。十年(722年)五月辛酉、伊水が氾濫し、東都の城の東南隅を破壊し、平地に六尺の深さまで水がたまった。河南の許・仙・豫・陳・汝・唐・鄧などの州で大水があり、農作物に被害が出て、民家が流出・水没し、溺死者が非常に多かった。六月、博州・棣州で黄河が決壊した。十二年(724年)六月、豫州で大水があった。八月、兗州で大水があった。十四年(726年)秋、天下の五十州で水害があり、河南・河北が特に甚だしかった。黄河およびその支流が皆氾濫し、懐・衛・鄭・滑・汴・濮の民は、ある者は巣を作り、ある者は舟に住み、死者は千を数えた。潤州では東北からの大風により、海の波が瓜歩を水没させた。十五年(727年)五月、晉州で大水があった。七月、鄧州で大水があり、数千人が溺死した。洛水が氾濫し、鄜城に流入し、平地に一丈余りの水がたまり、死者は数え切れず、同州の市街および馮翊県を損壊し、二千余りの民家を流出させた。八月、澗水・穀水が氾濫し、澠池県を破壊した。この秋、天下の六十三州で大水があり、農作物および住民の家屋に被害が出て、河北が特に甚だしかった。十七年(729年)八月丙寅、越州で大水があり、州県の城を損壊した。十八年(730年)六月壬午、東都で瀍水が揚州・楚州などの租庸調を運ぶ船を水没させ、洛水が天津・永済の二橋および千余りの民家を損壊した。十九年(731年)秋、河南で水害があり、農作物に被害が出た。二十年(732年)秋、宋・滑・兗・鄆などの州で大水があった。二十二年(734年)秋、関輔・河南の十余州で水害があり、農作物に被害が出た。二十七年(739年)三月、澧・袁・江などの州で水害があった。二十八年(740年)十月、河南の十三郡で水害があった。二十九年(741年)七月、伊水・洛水およびその支流が皆氾濫し、農作物に被害が出て、天津橋および東西の漕運路・上陽宮の仗舍を破壊し、千余人が溺死した。この秋、河南・河北の二十四郡で水害があり、農作物に被害が出た。

天宝四載(745年)九月、河南・淮陽・睢陽・譙の四郡で水害があった。十載(751年)、広陵で大風が海潮を駆り立て、江口の船数千艘を沈没させた。十三載(754年)九月、東都で瀍水・洛水が氾濫し、十九坊を損壊した。

広徳元年(763年)九月、大雨が降り、平地に数尺の水がたまった。この時、吐蕃が京畿を侵したが、水害のために自ら退散した。二年(764年)五月、東都で大雨が降り、洛水が氾濫し、二十余りの坊を流出させた。河南の諸州で水害があった。

大暦元年(766年)七月、洛水が氾濫した。二年(767年)秋、湖南および河東・河南・淮南・浙東・浙西・福建などの道の五十五州で水害があった。七年(772年)二月、江州で長江が氾濫した。十年(775年)七月、杭州で海が氾濫した。十一年(776年)七月戊子、夜に大雨が降り、京師の平地に一尺余りの水がたまり、溝渠が増水して溢れ、千余りの民家を損壊した。十二年(777年)秋、京畿および宋・亳・滑の三州で大雨と水害があり、農作物に被害が出て、河南が特に甚だしく、平地に五尺の深さまで水がたまり、黄河が氾濫した。

建中元年(780年)、幽・鎮・魏・博で大雨が降り、易水・滹沱河が横流し、山から流れ下り、石を転がし木を折り、水の高さは一丈余りに及び、苗や作物がことごとく流された。

貞元二年(786年)六月丁酉、大風雨があり、京城の大通りには数尺の深さの水がたまり、溺死者が出た。東都・河南・荊南・淮南で江河が氾濫した。三年(787年)三月、東都・河南・江陵・汴・揚などの州で大水があった。四年(788年)八月、灞水が急に氾濫し、百余人を殺した。八年(792年)秋、江淮から荊・襄・陳・宋を経て河朔に至る四十余州で大水があり、農作物に被害が出て、二万余人が溺死し、城郭や家屋が流出・水没した。幽州では平地に二丈の水深があり、徐・鄭・涿・薊・檀・平などの州では、皆一丈余りの深さであった。八年(792年)六月、淮水が氾濫し、平地に七尺の水がたまり、泗州城を水没させた。十一年(795年)十月、朗・しょくの二州で長江が氾濫した。十二年(796年)四月、福・建の二州で大水があり、嵐州で暴雨が降り、水深は二丈に達した。十三年(797年)七月、淮水が亳州で氾濫した。十八年(802年)春、申・光・蔡などの州で大水があった。

永貞元年(805年)夏、朗州の熊・武五溪が氾濫した。秋、武陵・龍陽の二県で長江が氾濫し、一万余りの家屋を流出させた。京畿の長安など九県で山の水が農作物に被害を与えた。

元和元年夏、荊南及び壽・幽・徐等州に大水あり。二年六月、蔡州に大雨あり、水地を平らにして深さ数尺。四年十月丁未、渭南に暴水あり、民家二百餘家を漂う。六年七月、鄜坊・黔中に水あり。七年正月、振武の河溢れ、東受降城を毀つ。五月、饒・撫・虔・吉・信の五州に暴水あり、虔州特に甚だしく、平地に深さ四丈に至る者あり。八年五月、陳州・許州に大雨あり、大隗山摧け、水流出で、溺死者千餘人。六月庚寅、大風あり、屋を毀ち瓦を揚げ、多く人圧死す。京師に大水あり、城南深さ一丈餘、明徳門に入り、なお車輻を漸す。辛卯、渭水漲ぎ、渡しを絶つ。時に所在の百川発溢し、多く故道に由らず。滄州水潦し、塩山等四県を浸す。九年秋、淮南及び岳・安・宣・江・撫・袁等州に大水あり、稼を害す。十一年五月、京畿に大雨水あり、昭応特に甚だし。衢州に山水ありて稼を害し、深さ三丈、州郭を毀ち、溺死者百餘人。六月、密州に大風雨あり、海溢れ、城郭を毀つ。饒州浮梁・楽平の二県に暴雨あり、水ありて四千餘戸を漂没す。潤・常・潮・陳・許の五州及び京畿に水あり、稼を害す。八月甲午、渭水溢れ、中橋を毀つ。十二年六月乙酉、京師に大雨あり、水あり、含元殿の一柱傾き、市中水深さ三尺、民家二千餘家を毀つ。河南・河北に大水あり、洺・邢特に甚だしく、平地二丈。河中・江陵・幽沢潞晉隰蘇台越州に水あり、稼を害す。十三年六月辛未、淮水溢る。十五年秋、洪・吉・信・滄等州に水あり。

長慶二年七月、河南の陳・許・蔡等州に大水あり。好畤に山水ありて民家三百餘家を漂う。処州に大雨あり、水あり、平地深さ八尺、城邑・桑田の大半を壊す。四年夏、蘇・湖の二州に大雨あり、水あり、太湖決溢す。睦州及び寿州の霍山に山水暴出す。鄆・曹・濮の三州に雨あり、水ありて州城・民居・田稼を略尽くす。襄・均・復・郢の四州に漢水溢れ決す。秋、河南及び陳・許の二州に水あり、稼を害す。

宝暦元年秋、鄜・坊の二州に暴水あり。兗・海・華の三州及び京畿奉天等六県に水あり、稼を害す。

大和二年夏、京畿及び陳・滑の二州に水あり、稼を害す。河陽に水あり、平地五尺。河決し、棣州城を壊す。越州に大風あり、海溢る。河南の鄆・曹・濮・淄・青・齊・德・兗・海等州並びに大水あり。三年四月、同官県に暴水あり、三百餘家を漂没す。宋・亳・徐等州に大水あり、稼を害す。四年夏、江水溢れ、舒州太湖・宿松・望江の三県の民田数百戸を没す。鄜・坊に水あり、三百餘家を漂う。浙西・浙東・宣歙・江西・鄜坊・山南東道・淮南・京畿・河南・江南・荊襄・鄂岳・湖南に大水あり、皆稼を害す。五年六月、玄武江漲ぎ、高さ二丈、梓州羅城に溢れ入る。淮西・浙東・浙西・荊襄・岳鄂・東川に大水あり、稼を害す。六年二月、蘇・湖の二州に大水あり。六月、徐州に大雨あり、民家九百餘家を壊す。七年秋、浙西及び揚・楚・舒・廬・寿・滁・和・宣等州に大水あり、稼を害す。八年秋、江西及び襄州に水あり、稼を害す。蘄州に湖水溢る。滁州に大水あり、萬餘戸を溺す。

開成元年夏、鳳翔麟遊県に暴雨あり、水あり、九成宮を毀ち、民舎数百家を壊し、死者百餘人。七月、鎮州の滹沱河溢れ、稼を害す。三年夏、河決し、鄭・滑の外城を浸す。陳・許・鄜・坊・鄂・曹・濮・襄・魏・博等州に大水あり。江・漢漲ぎ溢れ、房・均・荊・襄等州の民居及び田産殆ど尽くす。蘇・湖・処等州に水溢れて城に入り、処州平地八尺。四年秋、西川・滄景・淄青に大雨あり、水あり、稼及び民廬舎を害し、德州特に甚だしく、平地水深さ八尺。五年七月、鎮州及び江南に水あり。

会昌元年七月、江南に大水あり、漢水襄・均等州の民居を壊すこと甚だ衆し。

大中十二年八月、魏・博・幽・鎮・兗・鄆・滑・汴・宋・舒・寿・和・潤等州に水あり、稼を害す。徐・泗等州水深さ五丈、数萬家を漂没す。十三年夏、大水あり。

咸通元年、潁州に大水あり。四年閏六月、東都に暴水あり、龍門より定鼎・長夏等の門を毀ち、居人を漂溺す。七月、東都・許汝徐泗等州に大水あり、稼を傷つく。九月、孝義に山水深さ三丈、武牢関金城門汜水橋を破る。六年六月、東都に大水あり、十二坊を漂壊し、溺死者甚だ衆し。七年夏、江淮に大水あり。秋、河南に大水あり、稼を害す。十四年八月、関東・河南に大水あり。

乾符三年、関東に大水あり。

光化三年九月、浙江溢れ、民居を壊すこと甚だ衆し。

乾寧三年四月、河滑州において圮つ。朱全忠その堤を決し、因って二河と為し、千餘里に散漫す。

常に寒し。

顕慶四年二月壬子、大いに雨雪ふる。方に春なり、少陽用事すべきに、而して寒気之を脅かす。古占以て人君の刑法暴濫の象と為す。近き常寒なり。

咸亨元年十月癸酉、大雪あり、平地三尺、多く人凍死す。

儀鳳三年五月丙寅、高宗九成宮に在り、霖雨し、大寒く、兵えいに凍死者あり。

開耀元年(六八一年)冬、大いに寒し。

久視元年(七〇〇年)三月、大雪。

神龍元年(七〇五年)三月乙酉、睦州に暴寒あり、且つ氷る。

開元二十九年(七四一年)九月丁卯、大雨雪、大木偃折す。

大曆四年(七六九年)六月の伏日、寒し。

貞元元年(七八五年)正月戊戌、大風雪、寒し。丙午、また大風雪、寒し。民飢え、凍死者多し。十二年(七九六年)十二月、大雪甚だ寒く、竹柏柿樹多く死す。占いに曰く、「徳有るも険に遭う、その災いは暴寒なり」と。十九年(八〇三年)三月、大雪。二十年(八〇四年)二月庚戌、始めて雷鳴り、大雨雹、震電し、大雨雪。既に雷すれば則ち雪すべからず、陰陽を脅かすなり、魯の隠公の九年の如し。

元和六年(八一一年)十二月、大寒。八年(八一三年)十月、東都大いに寒し、霜厚さ数寸、雀鼠多く死す。十二年(八一七年)九月己丑、雨雪、人に凍死者有り。十五年(八二〇年)八月己卯、同州に雨雪、稼を害す。

長慶元年(八二一年)二月、海州の海水氷る、南北二百里、東を望めば際限無し。

大和六年(八三二年)正月、雨雪月を踰え、寒さ甚だし。九年(八三五年)十二月、京師寒さに苦しむ。

會昌三年(八四三年)、春寒く、大雪、江左特に甚だしく、民に凍死者有り。

咸通五年(八六四年)冬、隰州・石州・汾州等に大雨雪、平地深さ五尺。

景福二年(八九三年)二月辛巳、曹州に大雪、平地二尺。

天復三年(九〇三年)三月、浙西に大雪、平地三尺餘、その気煙の如く、その味苦し。十二月、また大雪、江海氷る。

天祐元年(九〇四年)九月壬戌朔、大風、寒さ仲冬の如し。是の冬、浙東・浙西大雪。吳・越の地気は常に燠かしきに積雪す、常寒に近し。

鼓妖。

武德三年二月丁丑、京師の西南に山の崩るるが如き声あり。鼓妖に近し。説く者は以爲く、人君聡明ならず、衆に惑はされば、則ち声有りて形無く、何よりか生ずるかを知らずと。

天授元年九月、檢校內史宗秦客の拝日に、雲無くして雷震す。鼓妖に近し。

貞元十三年六月丙寅、天晦み、街鼓鳴らず。

中和二年十月、西北方に雲無くして雷す。

天復三年十月甲午、大聲宣武節度使の廳事より出づ。鼓妖に近し。

魚孽。

如意年中、濟源の路敬淳が家の水碾の柱將に壞れんとし、之を薪に易ふるに、中に鮎魚長さ尺餘有り、猶ほ生く。魚孽に近し。

開元四年、安南都護府の江中に大蛇有り、首尾兩岸に横出し、日を經て腐り、寸寸自ら斷つ。數日、江魚盡く死に、江を蔽ひて下り、十十五五相附著し、江水臭し。

神龍年中、渭水に蝦蟆鼎の如く大なる有り、里人聚觀し、數日にして失す。是歲大水す。

元和十四年二月、晝、魚長さ尺餘有り、鄆州市に墜ち、良久にして乃ち死す。魚水を失ひて市に墜つは、敗滅の象なり。

開成二年三月壬申、大魚長さ六丈有り、海より淮に入り、濠州招義に至り、民之を殺す。魚孽に近し。

乾符六年、汜水河の魚逆流に上り、垣曲・平陸の界に至る。魚は民の象、逆流に上るは、民君令に從はざるなり。

光啓二年、揚州に魚を雨ふ。占ふに元和十四年の如し。

蝗。

武德六年、夏州に蝗す。蝗の民を殘すは、功無くして祿を食む者の若し、皆貪撓の生ずる所なり。先儒以爲く、人主禮を失ひ煩苛なれば則ち旱し、魚螺蟲蝗に變ず、故に以て魚孽に屬すと。

貞観二年六月、京畿に旱魃と蝗害あり。太宗苑中に在りて蝗を掇みて之を祝して曰く、「人は穀を以て命と為す、百姓に過有れば、予一人に在り、但だ我を蝕むべし、百姓を害する無かれ」と。将に之を吞まんとす、侍臣帝の疾を致すを懼れ、遂に諫む。帝曰く、「冀ふ所は災を朕躬に移すに在り、何の疾をか避けん」と。遂に之を吞む。是の歳、蝗災と為らず。三年五月、徐州に蝗あり。秋、徳・戴・廓等州に蝗あり。四年秋、観・兗・遼等州に蝗あり。二十一年秋、渠・泉二州に蝗あり。

永徽元年、夔・絳・雍・同等州に蝗あり。

永淳元年三月、京畿に蝗あり、麦苗無し。六月、雍・岐・隴等州に蝗あり。

長寿二年、台・建等州に蝗あり。

開元三年七月、河南・河北に蝗あり。四年夏、山東に蝗あり、稼を蝕み、声風雨の如し。二十五年、貝州に蝗あり、白鳥数千万有り、群飛して之を食ひ、一夕にして尽き、禾稼傷つかず。

広徳二年秋、蝗あり、関輔尤甚しく、米一斗千銭。

興元元年秋、螟蝗山より東して海に際し、天を晦まし野を蔽ひ、草木の葉皆尽きる。

貞元元年夏、蝗あり、東は海より、西は河・隴に尽き、群飛して天を蔽ひ、旬日止まず、至る所草木の葉及び畜の毛に孑遺有ること靡く、餓殣道に枕し、民蝗を蒸し、曝し、翅足を颺げ去りて之を食ふ。

永貞元年秋、陳州に蝗あり。

元和元年夏、鎮・冀等州に蝗あり。

長慶三年秋、洪州螟蝗稼を害すること八万頃。

開成元年夏、鎮州・河中に蝗あり、稼を害す。二年六月、魏博・昭義・淄青・滄州・兗海・河南に蝗あり。三年秋、河南・河北鎮定等州に蝗あり、草木の葉皆尽きる。五年夏、幽・魏・博・鄆・曹・濮・滄・齊・德・淄・青・兗・海・河陽・淮南・虢・陳・許・汝等州螟蝗稼を害す。占に曰く、「国に邪人多く、朝に忠臣無く、位に居り禄を食むこと、虫の民と食を争ふが如き、故に比年虫蝗有り」と。

会昌元年七月、関東・山南鄧唐等州に蝗あり。

大中八年七月、剣南東川に蝗あり。

咸通三年六月、淮南・河南に蝗あり。六年八月、東都・同華陝虢等州に蝗あり。七年夏、東都・同・華・陝・虢及び京畿に蝗あり。九年、江淮・関内及び東都に蝗あり。十年夏、陝・虢等州に蝗あり。徳無きを絀まず、民に虐取するの罰なり。

乾符二年、蝗は東より西へ飛来し、天を蔽う。

光啓元年秋、蝗あり、東方より来たり、群れ飛びて天を蔽う。二年、荊・襄に蝗あり、米一斗銭三千、人相食らう。淮南に蝗あり、西より来たり、行くも飛ばず、水に浮かび城に沿いて揚州府署に入り、竹樹の幢節、一夕にして剪られたるが如く、幡幟の画像、皆その首を齧り去られ、撲滅すること能わず。旬日にして、自ら相食らい尽くす。

豕禍。

貞観十七年六月、司農寺の豕が子を生み、一首八足、頸より分かれて二となる。

貞元四年二月、京師の民家に豕が子を生み、両首四足。首の多きは、上に一ならざるなり。是の歳、宣州に大雨震電あり、物地に堕ちて猪の如く、手足各両指あり、赤班蛇を執りてこれを食らう。頃くして、雲合して復見えず。近き豕禍なり。

元和八年四月、長安西市に豕が子を生み、三耳八足、尾より分かれて二となる。足の多きは、下に一ならざるなり。

咸通七年、徐州蕭県の民家の豕が圂より出でて舞い、また牡豕多く隣里の群豕を将いて行き、復た自ら相ぜい齧す。

乾符六年、越州山陰の民家に豕が室内に入り、器用を壊し、桉缶を銜んで水次に置く。

広明元年、絳州稷山県の民家の豕が人の状の如く生まる、眉目耳髮なし。占いて邑に乱有りとす。

雷電。

貞観十一年四月甲子、乾元殿前の槐樹を震う。震耀は、天の威怒にして、殺戮を象る。槐は、古より三公の植うる所なり。

証聖元年正月丁酉、雷す。雷は陽声なり、その時に出でざるは、臣が君柄を窃むの象なり。

長安四年五月丁亥、雷を震わし、大風木を抜き、人震死する者有り。

延和元年六月、河南偃師県李材村に震電ありて民家に入り、地震裂け、闊さ丈余、長さ十五里、深さ測るべからず、裂けたる処は井廁相通じ、或いは冢墓を衝き、柩平地に出でて損なわず。李は国姓なり。震電は威刑の象なり。地は陰類なり。

永泰元年二月甲子夜、震霆す。是より雷無く、六月甲申に至りて乃ち雷す。

大暦十年四月甲申、雷電あり、暴風木を抜き瓦を飄わし、震死する者あり、京畿に稼を害する者七県。

建中元年九月己卯、雷。四年四月丙子、東都畿汝節度使哥舒曜、李希烈を攻め、進軍して潁橋に至り、大雨震電あり、言うこと能わざる者十三四、馬驢多く死す。

貞元十四年五月己酉夏至、始めて雷す。

元和十一年冬、雷す。

長慶二年六月乙丑、大風震電あり、太廟の鴟尾を落とし、御史臺の樹を破る。

大和八年七月辛酉、定陵臺大雨、震え、廡下の地裂くこと二十有六歩。占いに曰く、「士庶分離し、大臣專恣す、救わざれば大敗す」と。

会昌三年五月甲午、始めて雷す。

咸通四年十二月、震雷す。

乾符二年十二月、震雷し、雹を雨らす。

乾寧四年、李茂貞、将符道昭を遣わして成都を攻めしむ、広漢に至り、震雷あり、石有りて帳前に隕つ。

霜。

貞観元年秋、霜稼を殺す。京房易伝に曰く、「人君刑罰妄行すれば、則ち天応じて之に霜を隕す」と。三年、北辺霜稼を殺す。

永徽二年、綏・延等州霜稼を殺す。

調露元年八月、邠・涇・寧・慶・原の五州霜す。

証聖元年六月、睦州霜を隕し、草を殺す。呉・越の地は燠にして盛夏に霜を隕す、昔より未だ有らざる所なり。四年四月、延州霜草を殺す。四月は純陽用事す、人君天下に恵を布くべきを象るに、而して反って霜を隕す、是れ陽無きなり。

開元十二年八月、潞州・綏州等の州に霜が降り、禾稼を殺す。十五年、天下十七の州に霜が降り、禾稼を殺す。

元和二年七月、邠州・寧州等の州に霜が降り、禾稼を殺す。九年三月丁卯、霜が降り、桑を殺す。十四年四月、淄州・青州に霜が降り、悪草及び荊棘を殺すも、嘉穀を害さず。

寶曆元年八月、邠州に霜が降り、禾稼を殺す。

大和三年秋、京畿奉先等八県に早霜が降り、禾稼を殺す。

大中三年春、霜が降り、桑を殺す。

中和元年春、霜が降る。秋、河東に早霜が降り、禾稼を殺す。

雹。

貞観四年秋、丹州・延州・北永州等の州に雹が降る。

顕慶二年五月、滄州に大いなる雨雹あり、中人に死者あり。

咸亨元年四月庚午、雍州に大いなる雨雹あり。二年四月戊子、大いなる雨雹あり、雷電し、大風木を折り、則天門の鴟尾三つを落とす。先儒以為く「雹は、陰の陽を脅かすなり」と。又曰く「人君其の過を悪み聞き、賢を抑え邪を用うれば、則ち雹と雨と倶に降る。讒を信じ無罪を殺せば、則ち雹下り瓦を毀ち、車を破り、牛馬を殺す」と。

永淳元年五月壬寅、定州に大いなる雨雹あり、麦禾及び桑を害す。

天授二年六月庚戌、許州に大いなる雨雹あり。

証聖元年二月癸卯、滑州に大いなる雨雹あり、燕雀を殺す。

神功元年、媯州・綏州の二州に雹が降る。

聖暦元年六月甲午、曹州に大いなる雨雹あり。

久視元年(700年)六月丁亥、曹州に大雨雹あり。

長安三年(703年)八月、京師に大雨雹あり、人畜に凍死者あり。

神龍元年(705年)四月壬子、雍州同官県に大雨雹あり、鳥獣を殺す。

景龍元年(707年)四月己巳、曹州に大雨雹あり。二年(708年)正月己卯、滄州に雨雹あり、鶏卵の如し。

開元八年(720年)十二月丁未、滑州に大雨雹あり。二十二年(734年)五月戊辰、京畿渭南等六県に大風雹あり、麦を傷つく。

大暦七年(772年)五月乙酉、雨雹あり。

貞元二年(786年)六月丙子、大雨雹あり。十七年(801年)二月丁酉、雨雹あり。己亥、霜あり。戊申、夜、震霆あり、雨雹あり。庚戌、大雪にして雹あり。五月戊寅、好畤県に風雹あり、麦を害す。十八年(802年)七月癸酉、大雨雹あり。

元和元年(806年)、鄜州・坊州等の州に雹あり。十年(815年)秋、鄜州・坊州等の州に風雹あり、稼を害す。十二年(817年)夏、河南に雨雹あり、中人に死者あり。十五年(820年)三月、京畿興平・醴泉等の県に雹あり、麦を傷つく。

長慶四年(824年)六月庚寅、京師に雨雹あり、弾丸の如し。

大和四年(830年)秋、鄜州・坊州等の州に雹あり。五年(831年)夏、京畿奉先・渭南等の県に雨雹あり。

開成二年(837年)秋、河南に雹あり、稼を害す。四年(839年)七月、鄭州・滑州等の州に風雹あり。五年(840年)六月、濮州に雨雹あり、拳の如し、人三十六を殺し、牛馬甚だ衆し。

会昌元年(841年)秋、登州に雨雹あり、文登県は特に甚だしく、瓦を破り稼を害す。四年(844年)夏、雨雹あり、弾丸の如し。

乾符六年(879年)五月丁酉、宰臣豆盧瑑・崔沆に宣授の制を下すに当たり、殿庭に氛霧四塞し、及び百官が政事堂に班賀するに、雨雹あり、鳧卵の如し、大風雷雨にて樹木を抜く。

広明元年(880年)四月甲申朔、汝州に大風雨あり、街衢の樹の十二三を抜く。東都に西北より雲起こり、大風これに随い、長夏門内の表道の古槐樹、自ら抜くるもの十五六、宮殿の鴟尾皆落つ。雨雹大さ杯の如く、鳥獣川沢に殪る。

黒眚黒祥。

大暦二年十二月戊戌、黒気塵の如く、北方に瀰漫す。黒気は陰沴なり。

貞元四年七月、陝より河陰に至るまで、河水黒く、汴に流入し、汴州城下に至り、一宿にして復す。黒祥に近し。占いに曰く、「法厳しく刑酷なり、水性を傷つく。五行節を変じ、陰陽相い干し、気色繆乱す、皆敗乱の象なり」と。十四年、潤州に黒気堤の如き有り、海門山より江中に横亙し、北固山と相い峙ち、又白気虹の如き金山より出で、黒気と交わり、将に旦せんとして没す。

大和四年正月壬寅、黒気帯の如く、東西天に際す。

咸通十四年七月、僖宗即位す、是の日、黒気盤の如く、天より含元殿庭に属す。

火水に沴す。

武徳九年二月、蒲州河清む。襄楷以爲く、「河は諸侯の象、清は陽明の效なり」と。

貞観十四年二月、陝州・泰州河清む。十六年正月、懷州河清む。十七年十二月、鄭州・滑州河清む。二十三年四月、靈州河清む。

永徽元年正月、濟州河清む。二年十二月、衞州河清む。五年六月、濟州河十六里清む。

調露二年夏、豐州河清む。

長安初、醴泉坊太平公主第の井水溢れて流る。又幷州文水縣猷水竭き、武氏の井溢る。

神龍二年三月壬子、洛陽城東七里、地色水の如く、樹木車馬、歴歴として影を見、漸次都に移り、月餘にして乃ち滅す。長安街中、往々にして水影を見る。昔苻堅の将に死せんとするや、長安嘗て是れ有り。

景龍四年三月庚申、京師井水溢る。占いに曰く、「君凶なり」と。又曰く、「兵将に起らん」と。

開元二十二年八月、清夷軍黄帝祠の古井湧浪す。二十五年五月、淄州・棣州河清む。二十九年、亳州老子祠の九井涸れて復た湧く。

乾元二年七月、嵐州合河關の河三十里清くして井水の如く、四日にして變ず。

寶應元年九月甲午、太州より陝州に至る二百餘里河清み、澄澈として底を見る。

大暦の末、深州束鹿県の中に水影長さ七八尺あり、遥かに望めば人馬往来す、水中に在るが如く、前に至れば則ち水を見ず。

建中四年五月乙巳、滑州・濮州の河清む。

貞元十四年閏五月乙丑、滑州の河清む。二十一年夏、越州鏡湖竭く。是の歳、朗州熊・武五溪の水鬬ふ。占に曰く「山崩れ川竭くれば、国必ず亡ぶ」と。又曰く「方伯力政す、厥の異水鬬ふ」と。

開成二年夏、旱り、揚州運河竭く。

大中八年正月、陝州の河清む。

咸通八年七月、泗州下邳に湯を雨す、鳥雀を殺す。水沸すること火に於いては、則ち以て物を傷つくべし、火に近きは水を沴すなり。雨する者は、上より降る。鳥雀は民の象なり。

中和三年秋、汴水淮水に入りて鬬い、船数艘を壊す。

広明元年夏、汝州峴陽峯の龍池涸る。川竭くるに近し。

五行伝に曰く「皇の極まらざるは、是れ建たざると謂ふ。厥の咎眊、厥の罰常に陰、厥の極弱。時に則ち射妖有り、時に則ち龍蛇の孽有り、時に則ち馬禍有り、時に則ち下人上を伐つ痾有り、時に則ち日月乱行し、星辰逆行す」と。木金火水土天を沴すを謂ふなり。

常に陰。

長安四年、九月より霖雨陰晦、神龍元年正月に至る。

貞元二十一年秋、連月陰霪す。

元和十五年正月庚辰より丙申に至るまで、昼常に陰晦し、微かに雨雪し、夜は則ち晴霽す。占に曰く「昼霧夜晴るれば、臣の志申し得る」と。

咸通十四年七月、霊州陰晦す。

乾符六年秋、多く雲霧晦冥し、旦より禺中に及びて乃ち解く。

光啓元年秋、河東に大雲霧あり。明年夏、昼陰六十日を積む。二年十一月、淮南陰晦雨雪、明年二月に至るも解けず。

景福二年夏、連陰四十余日。

霧。

長寿元年九月戊戌、黄霧四塞す。霧は百邪の気、陰陽を冒するもの、地に本づきて天に応ず。黄は土、土は中宮なり。

神龍二年三月乙巳、黄霧四塞す。

景龍二年八月甲戌、黄霧昏濁して雨降らず。二年正月丁卯、黄霧四塞す。十一月甲寅、日入後、昏霧四塞し、二日を経て乃ち止む。占いに曰く、「霧連日解けず、其の国昏乱す」と。

開元五年正月戊辰、昏霧四塞す。

天宝十四載冬三月、常に霧起こりて昏暗し、十歩外人を見ず、是れを昼昏と謂う。占いに曰く、「国を破る有り」と。

至徳二載四月、賊将武令珣南陽を囲み、白霧四塞す。

上元元年閏四月、大霧。占いに曰く、「兵起る」と。

貞元十年三月乙亥、黄霧四塞し、日光無し。

咸通九年十一月、龐勛徐州を囲み、甲辰、大霧昏塞し、丙午に至る。

光化四年冬、昭宗東内に在り、武徳門内煙霧四塞し、門外日色皎然たり。

虹蜺。

武徳初、隋の将堯君素蒲州を守り、白虹城中に下る有り。

唐隆元年六月戊子、虹蜺が天に亘る。蜺は、斗の精なり。占いに曰く、「后妃、陰に王者を脅す」と。又曰く、「五色迭り至り、宮殿を照らせば、兵有り」と。

延和元年六月、幽州都督ととく孫佺、兵を帥いて奚を襲わんとし、将に賊の境に入らんとするに、白虹有りて軍門に頭を垂る。占いに曰く、「其の下、血を流す」と。

至徳二載正月丙子、南陽に夜、白虹四有り、上りて百余丈に亘る。

元和十三年十二月丙辰、白虹有り、闊五尺、東西天に亘る。

会昌四年正月己酉、西方に白虹有り。

咸通元年七月己酉朔、白虹西方に横亘す。九年七月戊戌、白虹西方に横亘す。

光啓二年九月、白虹西方に見ゆ。十月壬辰夜、又之の如し。

天復三年三月庚申、曲虹有りて日の東北に在り。

龍蛇の孽

貞観八年七月、隴右に大蛇屡見す。蛇は、女子の祥なり。大なる者は、象る所有り。又、汾州に青龍見え、物を空中に吐き、光明火の如く、地に堕ちて地陷る。之を掘れば玄金を得、広さ尺、長さ七寸。

顕慶二年五月庚寅、五龍岐州の皇后泉に見ゆ。

先天二年六月、京師朝堂の塼の下より大蛇出づ、長さ丈余、大蝦蟆盤の如く有りて、目赤く火の如く、相与に鬬う。俄にして蛇は大樹に入り、蝦蟆は草に入る。蛇・蝦蟆は、皆陰類なり。朝堂に出づるは、其の所に非ざるなり。

開元四年六月、郴州馬嶺山の下に白蛇と黒蛇と鬬う有り。白蛇長さ六七尺、黒蛇を吞み、腹に至り、口眼血を流す。黒蛇長さ丈余、頭白蛇の腹を穿ちて出づ、倶に死す。

天宝中、洛陽に巨蛇有り、高さ丈余、長さ百尺、芒山の下より出づ。胡僧無畏之を見て曰く、「此れ水を決して洛城を瀦さんと欲す」と。即ち天竺の法を以て之を呪す。数日にして蛇死す。十四載七月、二龍南陽城西に鬬う。易の坤に曰く、「上六、野に龍戦う」と。文言に曰く、「陰、陽を疑わば必ず戦う」と。

至徳元載八月朔、成都丈人廟に肉角の蛇見ゆ。二載三月、蛇南陽門の外に鬬う有り。一蛇死し、一蛇城に上る。

建中二年(七八一)夏、趙州寧晉県の沙河北に、棠樹が甚だ茂り、民はこれを祠って神と為す。蛇数百千匹が東西より来たり、北岸に趨く者は棠樹の下に聚まり、二つの積みと為り、南岸に留まる者は一つの積みと為る。俄かに径一寸の亀三匹有り、繞り行き、積み蛇尽く死に、而して後各其の積みに登る。野人、以て告ぐ。蛇の腹には皆瘡有り、矢の射中つるが若し。刺史康日知、其の事を図し、三亀を奉じて来たりて献ず。四年(七八三)九月戊寅、龍汝州の城壕に見ゆ。龍は大人の象なり、其の潜くは淵、其の飛ぶは天なり。城壕は其の所を失うなり。

貞元(七八五―八〇五)の末、資州に龍一丈余を得、西川節度使韋臯匣に収めて之を献じ、百姓縱観す、三日、煙に薰らされて死す。

大和二年(八二八)六月丁丑、西北に龍鬬う。三年(八二九)、成都の門外に龍と牛と鬬う。

開成元年(八三六)、宮中に衆蛇相與に鬬う。

光化三年(九〇〇)九月、杭州に龍浙江に鬬い、水溢れ、民の廬舍を壊す。占いは天宝十四載(七五五)と同じ。

光啓二年(八八六)冬、鄜州洛交に蛇県署に見え、復た州署に見ゆ。蛇は冬には則ち蟄す、易に曰く「龍蛇の蟄は、以て身を存するなり」と。

馬の禍。

義寧二年(六一八)五月戊申、馬角を生ず、長さ二寸、末に肉有り。角は兵の象なり。

武德三年(六二〇)十月、王世充の偽左僕射韋霽の馬角を生ず、項に当たる。

永隆二年(六八一)、監牧の馬大いに死す、凡そ十八万匹。馬は国の武備なり、天其の備を去れば、国将に危亡せんとす。

文明(六八四)の初、新豊に馬駒を生ず、二首同じ項に有り、各口鼻有り、生じて而して死す。又咸陽の牝馬石を生ず、大さ升の如く、上微かに緑毛有り。皆馬の禍なり。

開元十二年(七二四)五月、太原異なる馬駒を献ず、両肋各十六、肉尾毛無し。二十五年(七三七)、濮州に馬駒を生じ、肉角有り。二十九年(七四一)三月、滑州刺史李邕馬を献ず、肉鬉鱗臆、嘶くこと馬に類せず、日三百里を行く。

建中四年(七八三)五月、滑州の馬角を生ず。

大和九年(八三五)八月、易定の馬水を飲み、因って珠一を吐き、以て献ず。

開成元年(八三六)六月、揚州の民明齊が家の馬角を生ず、長さ一寸三分。

會昌元年四月、桂州に馬が駒を産み、三足あり、群れに随って牧場を歩くことができた。

咸通三年、郴州に馬が角を生じた。十一年、沁州綿上及び和川に牡馬が子を産み、皆死んだ。京房易傳に曰く、「方伯威を分つ、厥れ妖は牡馬子を生ず」。

乾符二年、河北に馬が人を生じた。

中和元年九月、長安に馬が人を生じた。京房易傳に曰く、「諸侯相伐つ、厥れ妖は馬人を生ず」。一に曰く、「人流亡す」。二年二月、蘇州嘉興に馬が角を生じた。

光啟二年夏四月、僖宗鳳翔に在り、馬尾皆咤蓬して篲の如し。咤は怒の象なり。

文德元年、李克用馬二頭を献ず、肘膝に皆鬣あり、長さ五寸許、蹄の大さ七寸の甌の如し。

人痾。

武德四年、太原の尼志覚死に、十日にして蘇る。

貞觀十九年、衞州の人劉道安頭に肉角を生じ、隠見常ならず、因って衆を惑わし、誅せらる。角は兵の象、肉は触るべからざるものなり。

永徽六年、淄州高苑の民吳威の妻、嘉州の民辛道護の妻皆一産にして四男を生ず。凡そ物反常すれば則ち妖と為り、亦陰気盛んなれば則ち母道壮んなるなり。

顯慶三年、普州に人虎に化す。虎は猛く噬みて仁ならず。

儀鳳三年四月、涇州二小児を献ず、心を連ねて体を異にす。初め、鶉觚県の衛士胡万年の妻呉が一男一女を生む、其の胸相連なり、余は各体を異にす、乃ちこれを析くも、則ち皆死す。又産す、復た然り、俱に男なり、遂にこれを育つ。是に至りて四歳、以て朝に献ず。

永隆元年、長安に女魃を獲たり、長さ尺二寸あり、其の状怪異なり。詩に曰く、「旱魃虐を為す、炎の如く焚の如し」。是の歳秋、雨降らず、明年正月に至る。

永隆二年九月、萬年県の女子劉凝靜白衣を着し、従者数人、太史令の廳に升り、比来何の災異有りやと問う。令これを執えて以て聞かしむ。是の夜、彗星見ゆ。太史は天文・暦候を司どり、王者の以て天道を奉若し、民時に恭授する所以の者、女子の当に問うべき所に非ず。

載初中、涪州の民范端虎に化す。

神功元年(六九七年)一月庚子の日、ある者が端門に走り入り、さらに則天門に入り、通天宮に至ったが、門番や仗衞はそれに気づかなかった。時に来俊臣の婢が肉塊を産んだ、二升の器の如く、これを剖くと赤い虫があり、須臾にして蜂と化し、人を刺して去った。

久視二年(七〇一年)正月、成州に大人の足跡が見えた。

長安年間(七〇一―七〇四年)、郴州の佐史が病により虎と化し、その嫂を食わんとしたが、これを擒らえると、人であった。未だ全く化してはいなかったが、虎の毛が生えていた。

太極元年(七一二年)、狂人段萬謙が承天門に潜入し、太極殿に登り、御牀に昇り、自ら天子と称し、且つ言うには、「我は李安国なり、人相を見るに我は年三十二にして天子となるべし」と。

開元二十三年(七三五年)四月、冀州より長人李家寵を献ず、八尺五寸あり。

大曆十年(七七五年)二月、昭応の婦人張氏が一男二女を産んだ。

貞元八年(七九二年)正月丁亥、許州の人李狗児が杖を持って含元殿に上り欄檻を撃つ。伏誅せらる。十年四月、恆州に巨人の足跡が見えた。十五年正月戊申、狂人劉忠が銀台に詣で、白起が命じて上表せしむ、天下に火災有りと称す。十七年十一月、翰林待詔戴少平死すこと十六日にして蘇る。是の歳、宣州南陵県丞李嶷死す、既に殯すること三十日にして蘇る。

元和二年(八〇七年)、商州洪崖冶の役夫、将に虎と化せんとす。衆水を以てこれに沃すも、果たして化せず。

長慶四年(八二四年)三月、民徐忠信が浴堂門に潜入す。

寶曆二年(八二六年)十二月、延州の人賀文の妻が一産に四男を生む。

大和二年(八二八年)十月、狂人劉德広が含元殿に入る。

咸通七年(八六六年)、渭州に人あり角を生ず、一寸許り。占いに曰く、「天下に兵有り」と。十三年四月、太原晋陽の民家に嬰児あり、両頭にして頸を異にし、四手にして足を聯ねる。此れ天下の一ならざるの妖なり。是の歳、民皇甫及年十四、暴かに七尺余りに長じ、長啜大嚼し、三倍すること初めの如し。歳余にして死す。

乾符六年(八七九年)秋、蜀郡の婦人尹氏が子を生む、首は豕の如く、目は脽の下に在り。占いに曰く、「君道を失う」と。

光啓元年(八八五年)、隰州温泉の民家に死者有り、既に葬り且つ半月、行人声を聞く地下に呼ぶ。其の家これを発つと、則ち復た生く。歳余にして乃ち死す。二年春、鳳翔郿県の女子未だ齓せざるが丈夫に化す。旬日にして死す。京房易伝に曰く、「茲に陰昌なるを謂う、賊人王と為る」と。

大順元年(八九〇年)六月、資州の兵王全義の妻孕むが如く、物の漸く下りて股に入り、足の大拇に至り、痛み甚だしく、坼けて珠を生むこと弾丸の如し。漸く長大して杯の如し。

天祐二年五月、潁州汝陰の民彭文の妻が一産して三男を生む。

疫病。

貞観十年、関内・河東に大疫。十五年三月、沢州に疫。十六年夏、穀・涇・徐・戴・虢の五州に疫。十七年夏、潭・濠・廬の三州に疫。十八年、廬・濠・巴・普・郴の五州に疫。二十二年、卿州に大疫。

永徽六年三月、楚州に大疫。

永淳元年冬、大疫、両京の死者は路上に枕を並べるが如し。占いに曰く、「国に憂い事あらんとすれば、則ち邪乱の気、先ず民に被る。故に疫あり」と。

景龍元年夏、京師より山東・河北に至るまで疫、死者数千。

宝応元年、江東に大疫、死者過半。

貞元六年夏、淮南・浙西・福建道に疫。

元和元年夏、浙東に大疫、死者大半。

大和六年春、剣南より浙西に至るまで大疫。

開成五年夏、福・建・台・明の四州に疫。

咸通十年、宣・歙・両浙に疫。

大順二年春、淮南に疫、死者十の三四。

天鳴。

天宝十四載五月、天鳴く、声雷の如し。占いに曰く、「人君に憂いあり」と。

貞元二十一年八月、天鳴く、西北に在り。

中和三年三月、浙西に天鳴く、声は磨きを転ずるが如し。

雲無くして雨降る。

元和十二年正月乙酉、星現れて雨降る。占ひて曰く、「雲無くして雨降る、是れを天泣と謂ふ」。

隕石。

永徽四年八月己亥、同州馮翊に隕石十八、光耀き、声有り雷の如し。星隕ちて化するに近し。庶民は星なり、上より隕つ、民其の上を去るの象なり。一に曰く、「人君詐妄に蔽はるれば則ち然る」。