新唐書

巻二十四 志第十四 車服

唐初、天命を受くるとき、車と服は皆隋の旧制に因る。武徳四年、初めて車輿・衣服の令を著し、上は下を兼ね得るも、下は上に擬すること得ず。

凡そ天子の車は、

玉路と曰うは、祭祀・納后に乗ずる所なり、青質、玉を以て末を飾る。金路は、饗・射・祀還・飲至に乗ずる所なり、赤質、金を以て末を飾る。象路は、行道に乗ずる所なり、黄質、象牙を以て末を飾る。革路は、臨兵・巡守に乗ずる所なり、白質、革を以て鞔る。木路は、蒐田に乗ずる所なり、黒質、漆を塗る。五路は皆重輿、左に青龍、右に白虎、金鳳の翅、苣文の鳥獣を画き、黄屋左纛。金鳳一・鈴二は軾の前に在り、鸞十二は衡に在り、龍輈の前に鄣塵を設く。青蓋三層、繍を以て飾る。上に博山方鏡を設け、下に円鏡有り。羽を樹つ。輪は金根・朱班・重牙。左に旂を建て、十有二旒、升龍を画き、其の長さ地に曳き、青繍綢杠。右に闟戟を載せ、長さ四尺、広さ三尺、黻文。旂首に金龍、錦結の綬及び緌帯を銜み、鈴を垂る。金鍐方釳、翟尾五焦を挿し、鏤鍚、鞶纓十二就。旌旗・蓋・鞶纓は、皆路の質に従う、唯だ蓋の裏は皆黄を用う。五路は皆副有り。

耕根車は、耕藉に乗ずる所なり、青質、三重の蓋、余は玉路の如し。

安車は、臨幸に乗ずる所なり、金を以て重輿を飾り、曲壁、紫油纁、朱裏通幰、朱絲絡網、朱鞶纓、朱覆髮具絡、赤騮に駕す。副路・耕根車・安車は、皆八鸞。

四望車は、拜陵・臨弔に乗ずる所なり、制は安車の如く、青油纁、朱裏通幰、朱絲絡網。

又た属車十乗有り。一に曰く指南車、二に曰く記里鼓車、三に曰く白鷺車、四に曰く鸞旗車、五に曰く辟悪車、六に曰く皮軒車、七に曰く羊車、耕根車・四望車・安車と為して十乗とす。行幸には鹵簿に陳べて、則ち前後に分つ。大朝会には、則ち左右に分つ。

皇后の車六。

重翟車は、受冊・従祀・饗廟に乗ずる所なり、青質、青油纁、朱裏通幰、紫の絡帯及び帷に繍し、八鸞、鏤鍚、鞶纓十二就、金鍐方釳、翟羽を樹て、朱総。

厭翟車は、親桑に乗ずる所なり、赤質、紫油纁、朱裏通幰、紅錦の絡帯及び帷。

翟車は、帰寧に乗ずる所なり、黄油纁、黄裏通幰、白紅錦の絡帯及び帷。三車は皆末を金にて飾り、輪に朱牙を画き、箱に翟羽を飾り、朱絲絡網、鞶纓の色は皆車の質に従う。

安車は、臨幸に乗ずる所なり、制は金路の如く、紫油纁、朱裏通幰。

四望車は、拜陵・弔喪に乗ずる所なり、青油纁、朱裏通幰。

金根車は、常時行幸に乗るもので、紫の油纁ゆえんを掛け、朱の裏地で通幰つうけんとする。

夫人は厭翟車えんてきしゃに乗り、九嬪は翟車てきしゃに乗り、婕妤以下は安車あんしゃに乗る。外命婦・公主・王妃は厭翟車に乗る。一品は白銅で飾った犢車とくしゃに乗り、青油纁を掛け、朱裏通幰とし、朱の絲で絡網らくもうを施す。二品以下は油纁と絡網を省く。四品には青の偏幰へんけんがある。

皇太子の車は三種ある:

親王及び武職の一品には象路ぞうろがあり、青油纁を掛け、朱裏通幰とし、朱絲絡網を施す。二品・三品には革路かくろがあり、朱裏の青通幰とする。四品には木路もくろがあり、五品には軺車があり、いずれも碧裏の青偏幰とする。象路は末端を象で飾り、班輪はんりんとし、八鸞を付け、左に旂を建てて昇龍を画き、右に闟戟を載せる。革路・木路は、左にせんを建てる。軺車は、曲壁きょくへきとし、碧裏の青通幰とする。諸路は、朱質・朱蓋・朱旂・朱班輪とする。一品の旜は九旒、二品は八旒、三品は七旒、四品は六旒とし、鞶纓のしゅうもまたこれに同じ。三品以上は九子、四品は七子、五品は五子とし、六品以下は通幰及び珂を省く。

王公の車路は、太僕たいぼくに蔵し、制を受ける時、冊命を行なう時、巡陵する時、婚葬の時にこれを給する。その他はすべて騎をもって車に代える。

天子の服は十四種ある:

通天冠は、冬至に朝賀を受け、祭祀より還り、群臣を宴し、養老を行う際の服である。二十四梁あり、附蟬十二首を付け、珠翠・博山を施し、黒介幘を戴き、組纓に翠緌を垂らし、玉あるいは犀角の簪導を用い、絳紗袍に、朱裏の紅羅裳を着け、白紗中単を内にし、朱の領・褾・襈・裾を付け、白裙・襦を着け、絳紗蔽膝を垂らし、白羅の方心曲領を付け、白韈・黒舄を履く。白仮帯は、その制は二条の帛を垂らし、以て祭服の大帯に代える。天子が未だ元服を加えざる時は、空頂黒介幘を戴き、双童髻を結い、双玉導を加え、宝飾を施す。三品以上も亦宝飾を加え、五品以上は双玉導に金飾を施し、六品以下は飾り無し。

緇布冠は、始めて冠する時の服である。天子は五梁、三品以上は三梁、五品以上は二梁、九品以上は一梁。

武弁は、講武・出征・蒐狩・大射・禡祭・類祭・宜社・賞祖・罰社・纂厳の際の服である。金附蟬を有し、平巾幘を戴く。

弁服は、朔日に朝を受ける時の服である。鹿皮を以て作り、攀を以て髪を支え、十二𤪌あり、玉簪導を用い、絳紗衣に素裳を着ける。白玉双佩を佩き、革帯の後に鞶囊を付け、以て小双綬を盛り、白韈・烏皮履を履く。

黒介幘は、陵を拝する時の服である。飾り無く、白紗単衣に白裙・襦を着け、革帯を締め、素韈・烏皮履を履く。

白紗冒は、朝を視し、訟を聴き、賓客に宴見する時の服である。烏紗を以て作り、白裙・襦を着け、白韈・烏皮履を履く。

平巾幘は、馬に乗る時の服である。金飾を施し、玉簪導を用い、冠支を玉とし、紫褶に白袴を着け、玉具装を付け、珠宝鈿帯を締め、鞾を履く。

白帢は、喪に臨む時の服である。白紗単衣に烏皮履を履く。

皇后の服は三つあり。

褘衣は、冊を受け、祭を助け、朝会大事の際の服である。深青の織成を以て作り、翬を画き、赤質、五色、十二等なり。素紗中単を内にし、黼領を付け、朱羅縠の褾・襈を付け、蔽膝は裳の色に随い、緅領を以て縁とし、翟を以て章とし、三等なり。青衣に、革帯・大帯は衣の色に随い、裨・紐約・佩・綬は天子の如く、青韈を履き、舄に金飾を加う。

鞠衣は、親蚕の際の服である。黄羅を以て作り、画かず、蔽膝・大帯・革帯・舄は衣の色に随い、その余は褘衣と同じ。

鈿釵襢衣は、賓客に燕見する時の服である。十二鈿を付け、服用は雑色にして画かず、双佩小綬を加え、舄を去り履を加え、首飾りは大小華十二樹を付け、以て衮冕の旒に象り、又両博鬢有り。

皇太子の服は六つあり。

衮冕は、祀に従い、廟を謁し、元服を加え、妃を納れる際の服である。白珠九旒、紅絲組を以て纓とし、犀簪導を用い、青纊を以て耳を充つ。黑衣纁裳、凡そ九章:龍・山・華蟲・火・宗彝は衣に在り、藻・粉米・黼・黻は裳に在り。白紗中単を内にし、黼領を付け、青の褾・襈・裾を付く。革帯に金鉤䚢を付け、大帯を締め、瑜玉双佩を佩く。朱組双大綬、朱質、赤・白・縹・紺を以て純とし、長さ一丈八尺、広さ九寸、三百二十首。黻は裳の色に随い、火・山の二章有り。白韈・赤舄・朱履を履き、金塗銀釦の飾りを加う。鹿盧玉具剣は天子の如し。

遠遊冠は、廟を謁し、宮に還り、元日朔日に朝に入り、釈奠を行う際の服である。具服を以てし、遠遊冠三梁に、金博山を加え、附蟬九首を付け、珠翠を施し、黒介幘を戴き、髪纓に翠緌を垂らし、犀簪導を用い、絳紗袍に紅裳を着け、白紗中単を内にし、黒の領・褾・襈・裾を付け、白裙・襦を着け、白仮帯・方心曲領を付け、絳紗蔽膝を垂らし、白韈・黒舄を履く。朔日に朝に入る時は、通じて絝褶を服す。

公服とは、五日常朝および元日・冬至に朝を受ける際の服である。遠遊冠を戴き、絳紗の単衣、白い裙・襦、革帯に金の鉤䚢、仮帯、瑜玉の隻佩、方心、紛、金縷の鞶囊、純は長さ六尺四寸、幅二寸四分、色は大綬の如し。

烏紗の冒(帽)を戴くのは、政務を執り及び私的に賓客に会う際の服である。白い裙・襦、烏皮の履。

弁服とは、朔望(ついたちと十五日)に政務を執る際の服である。鹿皮で作り、犀の簪導、組纓に九つの𤪌(玉)、絳紗の衣、素の裳、革帯、鞶囊、小綬、双佩。具服以下は皆、白い韈、烏皮の履を用いる。

平巾幘を戴くのは、乗馬の際の服である。金で飾り、犀の簪導、紫の裙、白い袴、起梁の珠寶鈿帯、鞾。進徳冠を戴くのも、乗馬の際の服である。九つの𤪌、金飾りを加え、袴褶あり、常服には白い裙・襦を用いる。

皇太子妃の服は三種ある。

褕翟とは、冊を受け、祭祀を助け、朝会などの大事に用いる服である。青く織成し、文様は搖翟、地は青色、五色九等。素紗の中単、黼の領、朱羅縠の褾・襈、蔽膝は裳の色に従い、緅を用いて領縁とし、翟を章として二等をなす。青衣、革帯・大帯は衣の色に従い、朱裏は用いず、青い韈、舄に金飾りを加え、佩・綬は皇太子に同じ。

鞠衣とは、蠶事に従う際の服である。黄羅で作り、制は褕翟の如く、雉(翟)の文様はなく、蔽膝・大帯は衣の色に従う。

鈿釵襢衣とは、私的に賓客に会う際の服である。九つの鈿、その服は雑色を用い、制は鞠衣の如く、双佩を加え、小綬を用い、舄を除き履とし、首飾りに花九樹、両博鬢あり。

群臣の服は二十一種ある。

衮冕とは、一品の服である。九旒、青𤪌を珠とし、三采の玉を貫き、組を纓とし、色はその綬の如し。青纊を耳に充て、寶飾の角簪導。青衣纁裳、九章:龍・山・華蟲・火・宗彝は衣にあり、藻・粉米・黼・黻は裳にあり、皆絳で繡し衣に遍くする。白紗の中単、黼の領、青い褾・襈・裾。朱い韈、赤い舄。革帯に鉤䚢、大帯、黻は裳の色に従う。金寶玉で劍の鏤首を飾り、山玄の玉佩。綠綟の綬、地は綠色、綠・紫・黄・赤を純とし、長さ一丈八尺、幅九寸、二百四十首。郊祀で太尉が事を摂る時もこれを服する。

鷩冕とは、二品の服である。八旒、青衣纁裳、七章:華蟲・火・宗彝は衣にあり、藻・粉米・黼・黻は裳にある。銀装の劍、水蒼玉を佩き、紫綬、地は紫色、紫・黄・赤を純とし、長さ一丈六尺、幅八寸、一百八十首。革帯の後に金鏤の鞶囊あり、金で劍を飾り、水蒼の玉佩、朱い韈、赤い舄。

毳冕とは、三品の服である。七旒、寶飾の角簪導、五章:宗彝・藻・粉米は衣にあり、黼・黻は裳にある。韍に二章:山・火。紫綬は二品に同じ、金銀鏤の鞶囊、金で劍を飾り、水蒼の玉佩、朱い韈、赤い舄。

絺冕とは、四品の服である。六旒、三章:粉米は衣にあり、黼・黻は裳にある。中単、青い領。韍に、山一章。銀鏤の鞶囊。三品以下は皆青綬、地は青色、青・白・紅を純とし、長さ一丈四尺、幅七寸、一百四十首、金で劍を飾り、水蒼の玉佩、朱い韈、赤い舄。

玄冕とは、五品の服である。羅で作り、五旒、衣・韍には章なく、裳に黻一章を刺繡する。角の簪導、青衣纁裳、その服用は紬。大帯及び裨は、外は黒、内は黄、黒綬は紺地、青紺を純とし、長さ一丈二尺、幅六寸、一百二十首。象笏、上は円く下は方、六品は竹木を用い、上は挫き下は方。金で劍を飾り、水蒼の玉佩、朱い韈、赤い舄。三品以下は私祭に皆これを服する。

平冕とは、郊廟の武舞郎の服である。黑衣絳裳、革帯、烏皮の履。

爵弁とは、六品以下九品以上の者が祭祀に従う際の服である。紬をもって作り、旒はなく、黒い纓、角の簪導、青衣に纁裳、白紗の中単、青い領・褾・襈・裾、革帯に鉤䚢、大帯及び裨の内外は皆緇色、爵韠、白韈、赤履を着用する。五品以上の者は私祭の際に皆これを着る。

武弁とは、武官の朝参、殿庭の武舞郎、堂下の鼓人、鼓吹の桉工の服である。平巾幘あり、武舞は緋色の絲布の大袖、白練の𧛾襠、螣蛇の起梁帯、豹文の大口絝、烏皮の鞾を着る。鼓人は朱褠衣、革帯、烏皮履を着る。鼓吹の桉工は白練の𧛾襠を加える。

弁服とは、文官九品の公事の服である。鹿皮をもって作り、通用は烏紗、牙の簪導を用いる。纓は、一品は九𤪌、二品は八𤪌、三品は七𤪌、四品は六𤪌、五品は五𤪌、犀の簪導、皆朱衣に素裳、革帯、鞶囊、小綬、双佩、白韈、烏皮履を着用する。六品以下は𤪌及び鞶囊・綬・佩を除く。六品・七品は緑衣、八品・九品は青衣を着る。

進賢冠とは、文官の朝参、三老五更の服である。黒介幘、青緌を着ける。紛は長さ六尺四寸、幅四寸、色はその綬の如し。三品以上は三梁、五品以上は両梁、九品以上及び国官は一梁、六品以下は私祭の際に皆これを着る。侍中・中書令・左右散騎常侍さんきじょうじには黄金の璫、附蟬、貂尾がある。侍左の者は左に珥し、侍右の者は右に珥す。諸州の大中正は一梁、絳紗の公服を着る。殿庭の文舞郎は、黄紗の袍、黒い領・襈、白練の𧛾襠、白布の大口絝、革帯、烏皮履を着る。

遠遊冠とは、親王の服である。黒介幘、三梁、青緌、金鉤䚢の大帯、金宝で飾った剣、玉の鏢首、纁朱の綬、朱質、赤・黄・縹・紺を純とし、長さ一丈八尺、幅九寸、二百四十首。黄金の璫、附蟬あり、諸王にはこれがない。

法冠とは、御史大夫・中丞・御史の服である。一名を解廌冠という。

高山冠とは、内侍省内謁者・親王司閤・謁者の服である。

委貌冠とは、郊廟の文舞郎の服である。黒絲布の大袖、白練の領・褾、絳布の大口絝、革帯、烏皮履を着る。

却非冠とは、亭長ていちょう・門僕の服である。

平巾幘とは、武官・衛官の公事の服である。金飾り、五品以上は兼ねて玉を用い、大口絝、烏皮鞾、白練の裙・襦、起梁帯を着る。大仗に陪する際は、裲襠・螣蛇あり。朝集従事・州県佐史・岳瀆祝史・外州品子・庶民で掌事を任ずる者はこれを着、緋褶・大口絝、紫附褠あり。文武官が騎馬の際に着る時は、裲襠・螣蛇を除く。袴褶の制は、五品以上は細綾及び羅をもって作り、六品以下は小綾をもって作り、三品以上は紫、五品以上は緋、七品以上は緑、九品以上は碧とする。裲襠の制は、一を当胸に、一を当背に、短袖で膊を覆う。螣蛇の制は、錦をもって表とし、長さ八尺、中を綿で実らせ、蛇の形に象る。起梁帯の制は、三品以上は玉梁宝鈿、五品以上は金梁宝鈿、六品以下は金飾りで隠然と隆起させるのみである。

黒介幘とは、国官の視品・府佐の謁府・国子大学四門生俊士の参見の服である。簪導、白紗の単衣、青い襟・褾・領、革帯、烏皮履を着る。未冠者は、冠する時は空頂の黒介幘、双童髻、革帯を除く。書算律学生・州県学生の朝参は、烏紗の冒、白裙・襦、青領を着る。未冠者は童子髻とする。

介幘とは、流外官・行署三品以下・登歌工人の服である。絳公服、縵緋をもって作り、制は絳紗単衣の如く、方心曲領、革帯鉤䚢、仮帯、韈、烏皮履を着る。九品以上は則ち絳褠衣、制は絳公服の如くして狭く、袖形は直くして溝の如く、垂れず、緋褶大口絝、紫附褠、方心曲領・仮帯を除く。登歌工人は、朱連裳、革帯、烏皮履を着る。殿庭では白練の𧛾襠を加える。

平巾緑幘とは、尚食局主膳、典膳局典食、太官署・食官署の供膳・奉觶の服である。青絲布の絝褶を着る。羊車小史は、五辮髻、紫碧の腰襻、青耳屩を着ける。漏刻生・漏童は、総角髻、皆青絲布の絝褶を着る。

具服とは、五品以上の者が祭祀に陪し、朝饗、拜表、大事の際の服であり、亦た朝服という。冠幘、簪導、絳紗単衣、白紗中単、黒い領・袖、黒い褾・襈・裾、白裙・襦、革帯金鉤䚢、仮帯、曲領方心、絳紗蔽膝、白韈、烏皮舄、剣、紛、鞶囊、双佩、双綬を着用する。六品以下は剣・佩・綬を除き、七品以上は白筆をもって簪に代え、八品・九品は白筆を除き、白紗中単、履をもって舄に代える。

従省服とは、五品以上の者の公事、朔望朝謁、東宮謁見の服であり、亦た公服という。冠幘纓、簪導、絳紗単衣、白裙・襦、革帯鉤䚢、仮帯、方心、韈、履、紛、鞶囊、双佩、烏皮履を着用する。六品以下は紛・鞶囊・双佩を除く。三品以上で公爵ある者の嫡子の婚礼は、絺冕を仮する。五品以上の子孫、九品以上の子は、爵弁を着る。庶人の婚礼は、絳公服を仮する。

命婦の服は六種あり。

翟衣は、内命婦が冊を受けるとき、養蚕に従事するとき、朝会に臨むとき、また外命婦が嫁ぐとき、冊を受けるとき、養蚕に従事するとき、大朝会に臨むときの服である。青色を地とし、翟を刺繍し、衣と裳に編次して重ね、九等を重ねる。青紗の中単、黼領、朱縠の褾・襈・裾、蔽膝は裳の色に従い、緅色で領縁とし、文繡を加え、重ねた雉を章として二等とする。大帯は衣の色に従い、青衣を用い、革帯、青の韈、舄、佩、綬、両博鬢を宝鈿で飾る。一品は翟九等、花釵九樹。二品は翟八等、花釵八樹。三品は翟七等、花釵七樹。四品は翟六等、花釵六樹。五品は翟五等、花釵五樹。宝鈿は花樹の数に準ずる。

鈿釵礼衣は、内命婦が常参するとき、外命婦が朝参・辞見・礼会するときの服である。制は翟衣と同じで、双佩・小綬を加え、舄を除き履を加える。一品は九鈿、二品は八鈿、三品は七鈿、四品は六鈿、五品は五鈿。

礼衣は、六尚・宝林・御女・采女・女官七品以上の大事の服である。雑色を通用し、制は鈿釵礼衣のようであるが、ただ首飾・佩・綬がない。

公服は、常に供奉するときの服である。中単・蔽膝・大帯を除く。九品以上の大事、常の供奉もまたこれに同じ。半袖裙襦は、東宮の女史が常に供奉するときの服である。公主・王妃の佩・綬は諸王と同じ。

花釵礼衣は、親王が妃を納れるときに給する服である。

大袖連裳は、六品以下の妻、九品以上の女が嫁ぐときの服である。青色を地とし、素紗の中単、蔽膝・大帯・革帯、韈・履は裳の色と同じ、花釵、覆笄、両博鬢を金銀雑宝で飾る。庶人の女が嫁ぐときは花釵があり、金銀琉璃で塗飾する。連裳は青色を地とし、青衣、革帯、韈・履は裳の色と同じ。

婦人の燕服は夫に準ずる。百官の女が嫁ぎ、廟見するときは母の服を摂する。五品以上の媵は妻より一等降り、妾は媵より一等降り、六品以下の妾は妻より一等降る。

天子には伝国璽および八璽があり、皆玉で作る。神璽は中国を鎮めるために用い、蔵して用いない。受命璽は封禅して神を礼するときに用い、皇帝行璽は王公に書を報ずるときに用い、皇帝之璽は王公を労うときに用い、皇帝信璽は王公を召すときに用い、天子行璽は四夷に書を報ずるときに用い、天子之璽は四夷を労うときに用い、天子信璽は四夷に兵を召すときに用い、皆泥封する。大朝会では符璽郎が神璽・受命璽を御座に進め、行幸では八璽を合わせて五輿とし、函に封じて黄鉞の内に従わせる。

太皇太后・皇太后・皇后・皇太子および妃の璽は皆金で作り、蔵して用いない。太皇太后・皇太后の封令書は宮官の印でし、皇后は内侍省の印でし、皇太子は左春坊の印でし、妃は内坊の印でする。

初め、太宗は受命玄璽を刻し、白玉を以て螭首とし、文に「皇天景命、有德者昌」と曰う。武后に至り諸璽を皆宝と改む。中宗即位し、復た璽と為す。開元六年、復た宝と為す。天宝初め、璽書を宝書と改む。十載、伝国宝を承天大宝と改む。

初め、高祖こうそ長安ちょうあんに入り、隋の竹使符を罷め、銀菟符を班ち、その後銅魚符に改め、軍旅を起こし、守長を易え、京都留守・折衝府・捉兵鎮守の所および左右金吾・宮苑総監・牧監に皆これを給す。畿内では左三右一、畿外では左五右一とし、左は内に進め、右は外に在り、用いるに第一より始め、周りて復た始む。宮殿門・城門には、交魚符・巡魚符を給す。左廂・右廂には開門符・閉門符を給す。亦左符を内に進め、右符を監門に掌らしむ。蕃国にも亦これを給し、雄雌各十二とし、国名を銘し、雄は内に進め、雌はその国に付す。朝貢使は各その月魚を齎して至り、合わざる者は劾奏す。

伝信符は、郵驛に給して制命を通ぜしむるに用いる。皇太子監国には双龍符を給し、左右皆十とす。両京・北都留守には麟符を給し、左二十、右十九とす。東方諸州には青龍符を、南方諸州には朱雀符を、西方諸州には騶虞符を、北方諸州には玄武符を給し、皆左四右三とす。左は内に進め、右は外に付す。行軍の所にも亦これを給す。

随身魚符は、貴賤を明らかにし、召命に応ずるに用いる。左二右一とし、左は内に進め、右は随身する。皇太子は玉契を以て召し、勘合して乃ち赴く。親王は金を以てし、庶官は銅を以てし、皆某位姓名を題す。官に貳ある者は左右を加え、皆魚袋に盛り、三品以上は金で飾り、五品以上は銀で飾る。姓名を刻する者は、官を去ればこれを納め、刻さざる者は伝佩して相付す。

伝符・銅魚符ある者は、封符印を給し、駅を発し、符を封じ、及び魚函を封ずるに用いる。銅魚符ありて伝符なき者は、封函を給し、符を還し、函を封ずるに用いる。

天子が巡幸するときは、京師・東都の留守には留守の印を給し、諸司で従行する者には行従の印を給す。

木契符は、鎮守を重んじ出納を慎むため、畿内では左右ともに三つ、畿外では左右ともに五つを用いる。皇帝が巡幸し、太子が国を監するとき、軍旅の事があればこれを用い、王公が征討するときも皆これを与える。左右各十九。太極殿前の刻漏所にも左契を与え、右契は承天門監門に授け、昼夜勘合して後に鼓を鳴らす。玄武門苑内の諸門には人を喚ぶ木契があり、左は内に進め、右は監門に授け、勅をもって召すときに用いる。魚契が下される時は、皆勅書がある。尚書省の符が左契と同じならば用いる。

大将が出征するときは、旌を賜って賞を専らにし、節を賜って殺を専らにする。旌は絳帛五丈に虎を粉画し、銅龍一つあり、首に緋幡を纏い、紫縑を袋とし、油囊を表とする。節は、木盤三つに画を懸け、数寸隔て、隅に赤麻を垂らし、その他は旌と同じ。

高宗は五品以上に随身の魚袋(銀袋)を与え、召命の詐りを防ぎ、出入には必ず合わせしめた。三品以上は金で飾った袋。垂拱年中、都督ととく・刺史に初めて魚袋を賜う。天授二年、佩魚を全て亀に改める。その後、三品以上は亀袋を金で飾り、四品は銀、五品は銅。中宗の初め、亀袋を廃し、再び魚袋を与える。郡王・嗣王も金魚袋を佩く。景龍年中、特進に魚袋を佩かせ、散官の佩魚はここに始まる。しかし員外・試・検校官は、なお魚袋を佩かず。景雲年中、詔して紫衣を着る者は魚袋を金で飾り、緋衣を着る者は銀で飾らしむ。開元初め、駙馬都尉で従五品の者は紫・金魚袋を仮に授かり、都督・刺史で品の卑しい者は緋・魚袋を仮に授かり、五品以上の検校・試・判官は皆魚袋を佩く。中書令張嘉貞が奏し、致仕する者は終身魚袋を佩くこととし、ここより百官が緋・紫を賞賜される時は必ず魚袋を兼ね、これを章服と謂う。当時、朱紫を服し魚袋を佩く者は衆多であった。

初め、隋の文帝の聴朝の服は、赭黄文綾の袍、烏紗の冒、折上巾、六合鞾を用い、貴臣と通じて服した。ただ天子の帯のみ十三の鐶あり、文官にはまた平頭小様巾があり、百官の常服は庶人と同じ。

唐の高祖に至り、赭黄袍・巾帯を常服とする。腰帯は、搢して垂頭を下にし、名付けて䤩尾とし、下に順う義を取る。一品・二品は銙に金を用い、六品以上は犀、九品以上は銀、庶人は鉄を用いる。やがて天子の袍衫は稍々赤・黄を用いるようになり、臣民の服することを禁ずる。親王及び三品・二王の後は、大科綾羅を服し、色は紫を用い、玉で飾る。五品以上は小科綾羅を服し、色は朱を用い、金で飾る。六品以上は絲布交梭雙紃綾を服し、色は黄を用いる。六品・七品は緑を服し、銀で飾る。八品・九品は青を服し、鍮石で飾る。勲官の服は、その品に随って佩刀・礪・紛・帨を加える。流外官・庶人・部曲・奴婢は、紬絹絁布を服し、色は黄白を用い、鉄・銅で飾る。

太宗の時、また七品に亀甲雙巨十花綾を服させ、色は緑を用い、九品に絲布雑綾を服させ、色は青を用いしむ。この時、士人は棠苧襴衫を上服とし、女功の始めを貴ぶ。一命は黄、再命は黒、三命は纁、四命は緑、五命は紫。士は短褐を服し、庶人は白。中書令馬周が上議して曰く、「礼に衫を服するの文なく、三代の制に深衣あり。請う、襴・袖・褾・襈を加え、士人の上服と為さん。骻を開く者を名付けて缺骻衫とし、庶人これを服せしむ。」また請うて曰く、「頭を裹む者は、左右各三襵を以て三才に象り、前脚を重ねて繫ぎて二儀に象らしむ。」詔して皆これに従う。太尉長孫无忌また議して曰く、「袍を服する者は下に襴を加え、緋・紫・緑は皆その品に視い、庶人は白とせよ。」

太宗嘗て幞頭が後周に起こり、武事に便なるものと為す。天下兵を偃ぐるに方り、古制を採りて翼善冠を為し、自らこれを服す。また進徳冠を製して貴臣に賜い、玉𤪌、制は弁服の如く、梁を金で飾り、花趺、三品以上は金絡を加え、五品以上は山雲を附す。ここより元日・冬至・朔・望の視朝には、翼善冠を服し、白練の裙襦を衣る。常服には則ち袴褶と平巾幘あり、翼善冠を通じて用いる。進徳冠の制は幞頭の如く、皇太子が馬に乗る時は進徳冠を服し、九𤪌、金飾を加え、犀簪導、また絝褶あり、燕服には紫を用いる。その後、朔・望の視朝には、仍って弁服を用いる。

顕慶元年、長孫无忌等曰く、「武徳初め、衣服令を撰し、天子が天地を祀るに大裘冕を服す。按ずるに周の郊では衮を被りて天に象り、冕を戴きて藻十有二旒、大裘と異なり。月令に、孟冬、天子始めて裘を以て寒を禦ぐ。もし啓蟄祈穀・冬至報天には、裘を服するも可なり。季夏迎気、龍見て雩うには、如何にしてか服せん。故に歴代唯だ衮章を服す。漢の明帝始めて周官・礼記を採りて天地を祀るの服を制し、天子は十二章を備え、後魏・周・隋皆これに如し。伏して請う、郊祀天地には衮冕を服し、大裘を罷めん。また新礼に、皇帝が社稷を祭るに絺冕を服し、四旒、三章;日月を祭るに玄冕を服し、三旒、衣に章無し。按ずるに令文は、四品・五品の服なり。三公の亜献は皆衮を服し、孤卿は毳・鷩を服す。是れ天子を大夫に同じくし、君少なく臣多く、礼の中に非ず。且つ天子は十二を節として天に法る、豈に四旒三章の服あらんや。もし諸臣助祭するに、冕を王に同じくせば、是れ貴賤分無し。もし王を一等降せば、則ち王は玄冕を服し、羣臣は爵弁を服し、既に天子を屈し、又た公卿を貶す。周礼のこの文、久しく用いざるなり、猶お祭祀に尸侑有るが如く、君親を以て臣子に拝せしむ。硩蔟・蟈氏の職、通行せざる者は蓋し多し、故に漢魏は衮冕を承用す。今新礼に親しく日月を祭り、五品の服を服す。請う、歴代の故事に循い、諸祭皆衮冕を用いん。」制して曰く「可。」无忌等また曰く、「礼に、皇帝が諸臣及び五服親のために挙哀するには、素服す。今は白袷を服し、礼令乖舛す。且つ白袷は近代に出づ、用うべからず。」乃ち改めて素服と為す。ここより鷩冕以下、天子は復た用いず、而して白袷は廃す。

その後、紫を三品の服と為し、金玉帯銙十三;緋を四品の服と為し、金帯銙十一;浅緋を五品の服と為し、金帯銙十;深緋を六品の服と為し、浅緋を七品の服と為し、皆銀帯銙九;深青を八品の服と為し、浅青を九品の服と為し、皆鍮石帯銙八;黄を流外官及び庶人の服と為し、銅鉄帯銙七。

武后が政を擅にし、多く羣臣に巾子・繡袍を賜い、回文の銘を勒して以てす。皆法度無く、紀するに足らず。中宗に至り又た百官に英王踣様巾を賜う。その製高くして踣れり、帝が藩に在りし時の冠なり。その後、文官は紫黒絁を以て巾と為し、供奉官及び諸司長官に賜う;則ち羅巾・円頭巾子有り、後遂に改めず。

初め、職事官三品以上には金装の刀と礪石を賜い、一品以下には手巾・算袋・佩刀・礪石があった。睿宗の時に至り、佩刀・礪石を廃し、武官五品以上には䪓韘七事を佩かせた。佩刀・刀子・礪石・契苾真・噦厥針筒・火石がこれである。

時に皇太子が釈奠を行わんとし、有司が儀注を草案した。従臣は皆、馬に乗り衣冠を着けることとされた。左庶子劉子玄が議して言うには、「古の大夫は車に乗り、馬を騑服とした。魏・晋の朝士は牛車を駕した。李広が北征した時は鞍を解いて憩い、馬援が南伐した時は鞍に据わって顧みた。すなわち鞍馬は軍旅に行われ、戎服に便であった。江左では尚書郎が馬に乗れば、御史がこれを糾した。顔延年が官を罷めて後、馬に乗って出入りし、世に放誕と称された。近古では専車ならば朝服を着け、単馬ならば褻服を着けた。皇家が陵廟を巡謁し、王公を冊命する時は、盛服に冠履し、路車に乗る。士庶で衣冠を着けて親迎する者もあり、また時として服箱を用いた。その他の貴賤は皆、騎乗をもって車に代えた。近ごろ、法駕の行幸する所では、侍臣は朝服を着けて馬に乗る。今や既に車を捨てながら、冠履を変えないのは何故か。褒衣・博帯・革履・高冠は、車中の服である。韈を履き鐙に掛け、跣足で乗るのは、古に背くのみならず、自ら驚蹶を招く。議者が秘閣の梁の南郊図に、衣冠を着けて馬に乗る者がいるとするが、この図は後人の為したものである。古今の図画は多い。例えば群公が二疏を見送る図に、芒屩を曳く者がおり、昭君が匈奴に入る図に、帷冒を施した婦人がいる。芒屩は水郷の産で、京華の所有する所ではなく、帷冒は隋代に創られ、漢宮の用いる所ではない。どうして二つの画によって故実と為すことができようか。馬に乗り衣冠を着けることは省くべきであるという。」太子はこれに従い、令に編入した。

開元の初め、南郊の祭祀を行わんとし、中書令張説が古制に従って大裘を用いることを請うた。そこで有司に命じて二冕を製させた。玄宗は大裘が質朴簡略で、寒暑を通じ得ないとして、廃して服用しなかった。これより元正の朝会には袞冕・通天冠を用い、百官の朔望の朝参、外官の衙日には算袋を佩かせ、その余の日には佩かせなかった。玄宗が五陵を謁する時、初めは素服を用い、朔望の朝には専ら常服を用いた。弁服・翼善冠は皆廃された。

唐初、朱紫を賜る者は軍中で服用した。その後、軍将にも仮の緋紫を賜り、戎役に従う者は缺骻の服を着け、軍に在らざる者は長袍を着け、あるいは官なくして緑衣を冒用する者があった。詔して殿中侍御史に糾察させた。諸衛の大将軍・中郎将以下で袍を給される者は、皆その繍文を改めた。千牛衛は瑞牛、左右衛は瑞馬、ぎょう衛は虎、武衛は鷹、威衛は豹、領軍衛は白沢、金吾衛は辟邪とした。行六品の者は、冠から𤪌珠を除き、五品は鞶囊・双佩を除き、幞頭には羅縠を用いた。

婦人の服は夫・子に従う。五等以上の親及び五品以上の母・妻は紫衣を着け、腰襻褾縁に錦繍を用いる。九品以上の母・妻は朱衣を着ける。流外及び庶人は綾・羅・縠・五色線の鞾・履を着けない。凡そ襇色衣は十二破を過ぎず、渾色衣は六破を過ぎない。

二十五年、御史大夫李適之が建議した。「冬至・元日の大礼において、朝参官及び六品の清官は朱衣を着け、六品以下は通じて絝褶を着けるべきである。」天宝中、御史中丞吉温が建議した。「京官の朔望の朝参には、朱の絝褶を着け、五品以上には珂傘を持つべきである。」徳宗は嘗て節度使に時服を賜い、鵰が綬帯を銜む文様とし、その行列に序があり、牧人に威儀があると謂った。元和十二年、太子少師鄭餘慶が言う。「百官で朝服を着ける者の多くは誤りがある。今よりは唯、職事官五品で六品以上の散官を兼ねる者のみ、佩・剣・綬を持ち、その他は皆省くべきである。」

初め、婦人は羃䍦を施して身を蔽った。永徽中、帷冒を用いることを始め、裙を頸まで施し、檐に坐して車に乗るに代えた。命婦が朝謁する時は、駝に車を駕させた。数度詔を下して禁じたが止まなかった。武后の時、帷冒は益々盛んとなり、中宗の後には再び羃䍦は無くなった。宮人が従駕する時は、皆胡冒を着けて馬に乗り、海内これに倣い、遂には髻を露わにして馳騁するに至り、帷冒もまた廃れた。男子の衣を着けて鞾を履く者があり、奚・契丹の服の如かった。武徳年間、婦人は履及び線鞾を曳いた。開元中、初めて線鞋が有り、侍児は履を着け、奴婢は襴衫を着け、士女は胡服を着けた。その後、安禄山が反し、当時これを服妖の応と為した。

巴・しょくの婦人は出入りに兜籠を用いた。乾元の初め、蕃将がまた兜籠を負うに易きものと為し、遂に車に代えた。

文宗が即位し、四方の車服が僭越奢侈であることを以て、詔を下して儀制令に準じ、品秩勲労を等級と為した。職事官は緑・青・碧を着け、勲官諸司は刀・礪・紛・帨を佩く。諸親の朝賀宴会の服は、一品・二品は玉及び通犀を着け、三品は花犀・班犀を着ける。車馬は金銀で飾らない。衣の曳く地は二寸を過ぎず、袖は一尺三寸を過ぎない。婦人の裙は五幅を過ぎず、曳く地は三寸を過ぎず、襦袖は一尺五寸を過ぎない。袍襖の制は、三品以上は綾を着け、鶻が瑞草を銜み、鴈が綬帯を銜み及び双孔雀の文様とする。四品・五品は綾を着け、地黄交枝の文様とする。六品以下は綾を着け、小窠無文及び隔織・独織とする。一品の導従は七騎、二品・三品は五騎、四品は三騎、五品は二騎、六品は一騎とする。五品以上及び節度使の冊拜・婚会には、車に幰を設ける。外命婦一品・二品・三品は金銅飾の犢車に乗り、檐は八人で舁ぎ、三品は六人で舁ぐ。四品・五品は白銅飾の犢車に乗り、檐は四人で舁ぐ。胥吏・商賈の妻で老いた者は葦軬車に乗り、兜籠は二人で舁ぐ。度支・戸部・塩鉄の門官等は細葛布、紋無しの綾を着け、緑の闇銀藍鉄帯を締め、鞍・轡・銜・鐙は鍮石とする。未だ官無き者は、粗葛布・官絁を着け、緑の銅鉄帯を締め、蜀馬に乗り、鉄鐙を用いる。行官は紫の粗布・絁を着け、藍鉄帯を締める。中官は紗縠綾羅を着けず、諸司の小児は大巾を着けず、商賈・庶人・僧・道士は馬に乗らない。婦人は青碧纈、平頭小花草履、彩帛縵成履を着け、高髻・険妝・眉を去ること・額を開くこと及び呉越の高頭草履を禁ずる。王公の居宅には、重栱・藻井を施さない。三品の堂は五間九架、門は三間五架。五品の堂は五間七架、門は三間両架。六品・七品の堂は三間五架、庶人は四架とし、門は皆一間両架とする。常参官には懸魚・対鳳・瓦獣・通栿乳梁を施す。詔が下され、人多く怨む者あり。京兆尹杜悰が実行し易き条項を挙げて寛限と為し、事遂に行われず。唯、淮南観察使李徳裕が管内の婦人で衣袖四尺のものを一尺五寸に闊げ、裙の曳く地四五寸のものを三寸減じさせた。

開成末、定制を定む。宰相・三公・師保・尚書令しょうしょれい・僕射・諸司長官及び致仕官は、疾病の時は檐に乗ることを許し、漢・魏の載輿・歩輿の制の如くする。三品以上の官及び刺史は、疾病の時は暫く乗ることを許すが、駅舎を離れてはならない。