その常祀にあらざるもの、天子時に之を行ふものあり、封禅・巡守・視学・耕藉・拜陵と曰ふ。
文中子曰く、「封禅は古に非ず、其れ秦・漢の侈心か」と。蓋し其れ曠世常に行はれず、而して礼に於いて本とすべき所なし、故に漢以来、儒生学官の論議同じからず、而して決すること能はざるに至れば、則ち時君の率意にして之を行ふに出づるのみ。隋の文帝嘗て牛弘・辛彦之等に命じて儀注を撰定せしめ、泰山の下に壇を為り、祭を設くること南郊の如きのみにして、未だ嘗て山に升ることなし。
唐の太宗、既に突厥を平げ、而して年穀屢豐なり、羣臣封禅を請ふ。太宗初め頗る之を非とす、已にして中書侍郎杜正倫を遣はして太山上の七十二君壇迹を行はしむ、是の歳両河大水あるを以て而して止む。其の後羣臣封禅を言ふ者多し、乃ち祕書少監顔師古・諫議大夫朱子奢等に命じて当時の名儒博士を集めて雑議せしむ、決すること能はず。是に於いて左僕射房玄齢・特進魏徴・中書令楊師道衆議を博採して之を奏上す、其の議に曰く、「泰山の下に壇を為り、昊天上帝を祀る。壇の廣さ十二丈、高さ丈二尺。玉牒の長さ一尺三寸、廣さ・厚さ五寸。玉檢之に如し、厚さ三寸を減ず。其の印齒璽の如く、金繩を以て五周に纏る。玉策四、皆長さ一尺三寸、廣さ一寸五分、厚さ五分、毎策皆五簡、金を以て聯ぬ。昊天上帝は太祖を以て配し、皇地祇は高祖を以て配す。已に祀りて帰りて廟に格し、金匱を以て盛る。匱の高さ六寸、廣さ之を容るるに足り、制は表函の如く、金繩を以て纏り、金泥を以て封じ、受命の璽を以て印す。而して玉牒は山上に藏し、方石三枚を以て再累と為し、金繩を以て纏り、石泥を以て封じ、受命の璽を以て印す。其の山上の圓壇、土は五色を以てし、高さ九尺、廣さ五丈、四面一階と為す。天子南階より升り、而して玉牒を封ず。已に封じ、而して土を加へ、封と為して築き、高さ一丈二尺、廣さ二丈。其の社首に禅するも亦之の如し。其の石檢は受命璽を以て封じ、而して玉檢は別に璽を製し、方一寸二分、文は受命璽の如し。石距は経に非ざるを以て、用ひず。又た告至壇を為り、方八十一尺、高さ三尺、四出陛、燔柴を以て至を告げ、望秩して羣神す」と。遂に礼に著す、其の他の降禅・朝覲は皆著さず。十五年に至り、将に東幸せんとし、行きて洛陽に至り、而して彗星見ゆるを以て、乃ち止む。
其の登山するや、中道に大次を為し、三刻を止休して後に升る。其の已に祭り燔燎するや、侍中前に跪きて稱す、「具官臣某言す、請ふ玉冊を封ぜんと。」皇帝南陛より升り、北に向ひて立つ。太尉進みて昊天上帝神座の前に至り、跪きて玉冊を取り、桉に置きて以て進む。皇帝玉冊を受け、跪きて之を玉匱に内し、金繩を以て纏ぎ、金泥を以て封ず。侍中受命寶を取り跪きて以て進む。皇帝寶を取りて以て玉匱に印し、侍中寶を受け、以て符寶郎に授く。太尉進み、皇帝跪きて玉匱を捧げて太尉に授け、太尉退き、位に復す。太常卿前に奏す、「請ふ再拜せんと。」皇帝再拜し、退きて次に入る。太尉玉匱の桉を奉じて石䃭の南に至り、北に向ひて立つ。執事者石蓋を發し、太尉玉匱を奉じ、跪きて石䃭の内に藏す。執事者石蓋を覆ひ、石檢を以て檢し、金繩を以て䃭し、石泥を以て封じ、玉寶を以て遍く印し、降りて位に復す。帥執事者石距を以て封固し、又五色土を以て圜封す。其の配座の玉牒は金匱に封ず、皆玉匱を封ずるが如し。太尉金匱を奉じて從ひ降り、俱に位に復す。金匱を以て太廟に内し、高祖神堯皇帝の石室に藏す。其の社首に禪するは、皆方丘の禮の如し。
天子將に巡狩せんとす、其の方の州に告げて曰く、「皇帝某月に某に巡狩す、各乃が守を脩め、乃が職事を考へよ。敢へて敬戒せざる有らば、國に常刑有り。」將に發せんとす、圓丘に告ぐ。前一日、皇帝齋し、郊祀の如く、昊天上帝に告げ、又太廟・社稷に告ぐ。大駕鹵簿を具す。過ぐる所の州・縣、刺史・令境に候ひ、通事舍人制を承けて高年を問ひ、古帝王・名臣・烈士を祭る。既に至れば、刺史・令皆先づ奉見す。將作告至の圓壇を嶽下に築き、四出陛し、昊天上帝・配帝の位を設く。
天子至れば、執事皆一日齋す。明日、嶽・鎮・海・瀆・山・川・林・澤・丘・陵・墳・衍・原・隰を望み、所司壇を為す。祭官の次を東壝門外の道南に設け、北向;饌幔を内壝東門外の道北に設け、南向;宮縣・登歌を設く;瘞埳を為す。祭官・執事皆一日齋す。嶽・鎮・海・瀆・山・川・林・澤・丘・陵・墳・衍・原・隰の尊は、壇上の南陛の東に在り、北向。玉篚及び洗を設け、神坐を壇上の北方に設く。獻官玉幣及び爵を嶽神に奠め、祝史鎮・海以下を助奠す。
明日、乃ち肆覲し、將作行宮の南に壝を為す。壝間の三分の二を南に在らしめ、北に壇を為し、廣さ九丈六尺、高さ九尺、四出陛す。宮縣を壇南に設け、御坐を壇上の北にし、解劍席を南陛の西にす。文・武官の次を門外の東・西にし、刺史・令の次を文官の南にし、蕃客の次を武官の南にし、輦路を壇南に列す。文官九品の位を壇の東南にし、武官を西南にし、相向ふ。刺史・令の位を壇南の庭の三分の一にし、蕃客の位を西にす。又門外の位を設け、牙旗を壝外に建て、黃麾大仗門に屯し、鈒戟壝中に陳ぶ。吏部主客戶部に命じ羣官・客使を贊して門外の位に就かしむ。刺史・令其の土の實を贄とし、錦・綺・繒・布・葛・越皆五兩を以て束と為し、錦は黃帊を以てし、常貢の物は皆篚とし、其の屬執列して令の後にす。文武九品先に入りて位に就く。皇帝輿に乘りて北壝門に入り、北陛より壇に升り、即ち坐し、南向。刺史・蕃客皆壝門に入り、位に至り、再拜し、贄を奠め、興り、贄を執つ。侍中降りて刺史の東北に至り、皆拜す。宣已り、又拜す。蕃客は舍人を以て制を稱するも之の如し。戶部貢物を導き入れて刺史の前に至らしめ、龜を首とし、金之に次ぎ、丹・漆・絲・纊四海九州の美物、重行に陳ぶ。執者退き、東西の文武の前に就き、側に立つ。通事舍人刺史一人を導き、劍を解き舄を脱ぎ、贄を執ちて前に升り、北向ひて跪きて奏す、「官封臣姓名等敢へて壤奠を獻ず。」遂に贄を奠む。舍人跪きて舉げて以て東に授け所司にす、刺史劍・舄を復位す。初め、刺史升りて贄を奠むるに、庭に在る者は次を以て位の前に奠め、皆再拜す。戶部尚書壇間北向ひて跪き、請ふ貢物を以て所司に付せんと、侍中制を承けて曰く、「可なり。」所司贄を受け出でて東門す。中書侍郎州鎮の表方一桉を以て西門外に俟ち、給事中瑞桉を以て東門外に俟ち、乃ち侍臣の位に就く。初め、刺史將に入らんとす、乃ち各桉を引いて分かれて東・西の陛下に進む。刺史將に升らんとす、中書令・黃門侍郎降りて立ち、既に升れば、乃ち表を取りて升る。尚書既に受贄を請ひ、中書令乃ち前に跪きて讀み、黃門侍郎・給事中進み跪きて瑞を奏し、侍郎・給事中桉を導きて退き、文武・刺史・國客皆再拜す。北向の位の者出でて門外の位に就く。皇帝北陛より降りて以て入り、東・西の位の者出づ。會を設くること正・至の如く、刺史・蕃客門に入れば、皆樂を奏すること上公の如し。
会盟の翌日、制度を考査する。太常卿は詩を採集してこれを陳列し、以て風俗を観る。市に命じて価格を納めさせ、以て民の好悪を観る。典礼を司る者は時を考へ日を定め、律を同じくし、礼・楽・制度・衣服を正す。山川の神祇に祭祀を挙げざるは不恭と為し、宗廟に慎まざるは不孝と為し、皆爵位を削る。制度・衣服を革めるは叛と為し、討伐有り。百姓に功徳有る者は、爵を以てこれを賞す。
皇帝学を視るに当たり、大次を学堂の後に設け、皇太子の次を大次の東に設く。御座を堂上に設け、講榻は北向。皇太子の座は御座の東南に在り、西向。文臣三品以上は太子の南に座し、稍々退く。武臣三品以上は講榻の西南に在り。執読は前楹に座し、北向。侍講は執読者の西北、武官の前に座す。論義は講榻の前に座し、北向。如意を執る者は侍講の東に立ち、北向。三館の学官は武官の後に座す。堂下の版位を設け、履を脱ぐ席を西階の下に置く。皇太子の位は東階の東南に在り、執経は西階の西南に在り、文・武三品以上は南に分かれて位し、如意を執る者一人は執経者の後に在り、学生は文・武の後に位す。
その日、皇帝馬に乗り、祭酒は監官・学生を率いて道左に迎ふ。皇帝次に入り、執経・侍講・如意を執る者と文武・学生皆堂下の位に就く。皇太子は学堂の門外に立ち、西向。侍中「外辦」と奏す。皇帝北階を升り、即座に就く。皇太子乃ち入りて位に就き、在位の者皆再拝す。侍中、皇太子・王公の升るを勅し、皆再拝して乃ち坐す。執読・執経、義を釈す。如意を執る者、以て侍講に授け、如意を秉りて論義の座に詣り、疑ふ所を問ひ、退き、如意を執る者に授けて還り坐し、乃ち皆降る。若し会を賜はば、則ち侍中制を宣し、皇帝次に返る。群官既に会し、皇帝還るに、監官・学生道左に辞す。
皇帝孟春の吉亥に先農を享け、遂に耕藉を行ふ。享の前一日、奉礼は御座を壇の東に設け、西向。望瘞の位を壇の西南に設け、北向。従官の位は内壝の東門の内、道の南に在り、執事者は後に居る。奉礼の位は楽県の東北に在り、賛者は南に在る。又、御耕藉の位を外壝の南門の外十歩所に設け、南向。耕に従ふ三公・諸王・尚書・卿の位は御座の東南に在り、重行して西向、其の推数の列に依る。其三公・諸王・尚書・卿等の耕さざる者の位は耕者の東に在り、重行し、西向、北上。介公・酅公は御位の西南に在り、東向、北上。尚舍は御耒の席を三公の北、少しく西に設け、南向。奉礼は又、司農卿の位を南に設け、稍々退く。諸の耒耜を執る者の位は公卿の耕者の後、非耕者の前に在り、西向。(御耒耜一具、三公耒耜三具、諸王・尚書・卿各三人合せて耒耜九具。以下の耒耜は、太常各々藉田の農人に執らしむ。)
皇帝享け畢りて、乃ち耕根車に耒耜を載せて御者の間に置き、皇帝車に乗り行宮より大次に降る。乗黄令、耒耜を以て廩犧令に授け、横にこれを執り、左耜を席に置き、遂にこれを守る。皇帝将に瘞を望まんとす、謁者、三公及び耕に従ひ侍耕する者・司農卿と耒耜を執る者を引いて皆位に就かしむ。皇帝出でて耕位に就き、南向に立つ。廩犧令、耒席の南に進み、北向し、韜を解きて耒を出だし、執りて興り、稍々退き、北向に立つ。司農卿進みてこれを受け、以て侍中に授け、奉じて進む。皇帝これを受け、三推耕す。侍中前に進みて耒耜を受け、これを司農卿に返し、卿これを廩犧令に返し、令耒を韜に復し、執りて興り、位に復す。皇帝初めて耕すや、耒を執る者皆耒耜を以て侍耕者に授く。皇帝耕を止む。三公・諸王は五推耕し、尚書・卿は九推耕す。耒を執る者前に進みてこれを受く。皇帝還り、南門より入り、内壝の東門より出で、大次に入る。享官・従享者出づ、太常卿其の属を帥いて千畝に耕す。
皇帝宮に還り、明日、労酒を太極殿に班し、元会の如くす。賀せず、寿を為さず。藉田の穀は、斂めてこれを神倉に鍾し、以て粢盛及び五斉・三酒に擬へ、穰槀は以て牲に食はしむ。
憲宗元和五年、詔して来歳正月に藉田す。太常脩撰韋公肅言う、「藉田の礼廃れて久しく、有司に考うる無し」。乃ち礼経に拠り開元・乾元の故事を参采し、先農壇を藉田に為す。皇帝は夾侍二人・正衣二人、侍中一人耒耜を奉じ、中書令一人・礼部尚書一人侍従し、司農卿一人耒耜を侍中に授け、太僕卿一人牛を執り、左・右衛将軍各一人侍衛す。三公は宰相を以て摂し、九卿は左右僕射・尚書・御史大夫を以て摂し、三諸侯は正員一品官及び嗣王を以て摂す。推数は一に古制を用う。礼儀使一人・太常卿一人礼を賛す。三公・九卿・諸侯、牛を執ること三十人、六品以下の官を用い、皆袴褶を服す。御耒耜二、幷せて韜は皆青を以てす。其の制度は農用に合するを取り、雕飾せず、畢る日之を収む。藉耒耜丈席二。先農壇高さ五尺、広さ五丈、四出陛、其の色青。三公・九卿・諸侯の耒十有五。御耒の牛四、其の二は副なり。幷せて牛衣。毎牛各一人、絳衣介幘、閑農務を取る者、礼司人を以て之を賛導す。耒を持ち耜を執るは、高品の中官二人、袴褶せず。皇帝望耕位に詣る、通事舎人分かち導き文・武を耕所に就かしむ。太常其の属を帥い庶人二十八を用い、郊社令一人を以て之を押す。太常少卿一人、庶人を率いて耕所に趨る。博士六人、分かち耕礼を賛す。司農少卿一人、庶人を督視して千畝を終わらしむ。廩犠令二人、間一人耒耜を奉じて司農卿に授け、五品・六品の清官を以て摂す。一人耒耜を掌り、太常寺は本官を用う。三公・九卿・諸侯の耕牛四十、其の十は副なり、牛各一人。庶人の耕牛四十、各二牛一人。庶人の耒耜二十具・鍤二具、木を以て刃と為す。主藉田県令一人、朝服を具し、耕する時に当たりて田側に立ち、畢りて乃ち退く。畿甸諸県令は期を先だって集い、常服を以て耕所に陪す。耆艾二十人、庶人の耕位の南に陪す。三公の従者各三人、九卿・諸侯の従者各一人、以て耕を助く。皆絳服介幘、其の本司の隷を用う。是の時に雖も其の儀を草具すること此の如し、水旱・用兵を以て止む。
皇帝陵を謁す、行宮は陵より十里を距て、坐を斎室に設け、小次を陵所の道の西南に設く。大次を寝の西南に設く。侍臣の次を大次の西南に設け、陪位者の次又た西南に設け、皆東向。文官は北に、武官は南に、朝集使又た其の南に設け、皆相地の宜に従う。
前行すること二日、太尉を遣わして廟に告ぐ。皇帝行宮に至り、即ち斎室す。陵令、玉冊を進めて署す。御位を陵の東南隅に設け、西向、岡麓の閡有れば、則ち地の宜に随う。又、位を寝宮の殿の東陛の東南に設け、西向。尊坫を堂戸の東南に陳ぶ。百官・行従・宗室・客使の位は神道の左右、寝宮に於いては則ち方に分かち序を立てて大次の前に立つ。
その日、未明の五刻に、黄麾の大仗を陵寢に陳列す。三刻に、行事官及び宗室の親五等・諸親三等以上並びに客使で陪するに当たる者は位に就く。皇帝は素服にて馬に乗り、華蓋・繖・扇を備え、侍臣は騎従し、小次に詣づ。次より歩み出で、位に至り、再拝し、また再拝す。在位の者皆再拝し、また再拝す。少選して、太常卿が辞を請う、皇帝は再拝し、また再拝す。奉禮が「奉辞」と告ぐ。在位の者再拝す。皇帝は小次に還り、馬に乗りて大次に詣づ、仗衞は列立して行を俟つ。百官・宗室・諸親・客使は次前に序立す。皇帝は歩みて寢宮の南門に至り、仗衞は止む。乃ち入り、東序より進み殿陛の東南の位に立ち、再拝す。東階より升り、北に向かい、再拝し、また再拝す。入りて服玩を省み、帳簀を抆拭し、太牢の饌を進め、珍羞を加う。皇帝は尊所に出で、酒を酌み、入りて三たび爵を奠し、北に向かいて立つ。太祝二人、玉冊を戸外に持ち、東に向かいて跪きて読む。皇帝は再拝し、また再拝し、乃ち戸を出で、当前に北に向かいて立つ。太常卿が辞を請う、皇帝は再拝し、東門を出で、大次に還り、行宮に宿す。
もし太子・諸王・公主で柏城に陪葬する者は、皆寢殿の東廡を祭り、功臣で陪葬する者は、東序を祭る。位を設けて饌を奠し、有司を以て事を行わしむ。
或いは皇后が従謁するときは、則ち大次を寢宮の東に設け、先朝の妃嬪の次は大次の南に、大長公主・諸親命婦の次は又その南に設け、皆東に向かう。行帷を以て謁所を具え障ぎ、内謁者が皇后の位を寢宮の東、大次の前、少しく東に設く。先朝の妃嬪の位は西南、各次を東にし、司贊の位は妃嬪の東北に設け、皆東に向かう。皇帝が既に行宮を発した後、皇后は四望車に乗りて大次に至り、仮髻に改服し、白練の単衣を着す。内典引が妃嬪以下を導きて位に就かしむ。皇后は再拝し、陪する者皆拝す。少選して、遂に辞し、又拝し、陪する者皆拝す。皇后は寢東の大次に還り、陪する者は退く。皇后は鈿釵礼衣を着し、輿に乗りて寢宮に詣づ、先朝の妃嬪・大長公主以下従う。北門に至り、輿を降り、大次に入り、寢殿前の西階の西に詣づ。妃嬪・公主の位は西に、司贊の位は妃嬪の東北に設け、皆東に向かう。皇后は再拝し、在位の者皆拝す。皇后は西階より室に入り、先帝の前に詣で再拝し、復た先后の前に詣で再拝し、進みて先后の服玩を省み、退きて西廂に東に向かいて立ち、食を進む。皇帝が出づるを俟ち、乃ち西階の位に降りる。辞し、再拝し、妃嬪皆拝す。大次に詣でて更衣し、皇帝が過ぎるを俟ち、乃ち寢宮の北門を出で、車に乗りて還る。
天子が躬謁せざるときは、則ち太常卿をして陵を行わしむ。所司は日を撰び、車府令は軺車一馬を具え清道し、青衣・団扇・曲蓋繖を備え、太常寺の門に列して俟つ。次を陵の南百歩の道東に設け、西に向かう。右校令は薙器を具えて汛掃に備う。太常卿は公服にて車に乗り、奉禮郎以下従う。次に至り、卿の位を兆門外の左に設け、陵官の位は卿の東南に、執事は又その南に設け、皆西に向かう。奉禮郎の位は陵官の西に、贊引二人は南に居る。太常卿以下再拝し、在位の者皆拝す。謁者が卿を導き、贊引が衆官を導き入り、奉行・復位皆拝す。出で、車に乗りて他の陵に至る。芟治すべきあれば、則ち之を命ず。
凡そ國陵の制、皇祖以上より太祖陵に至るまで、皆朔望に上食し、元日・冬至・寒食・伏・臘・社に各一祭す。皇考陵は、朔望及び節祭し、而して日々食を進む。又諸陵に新を薦む、其の物五十有六品。始めて将に進御せんとするに、所司は必ず先ず之を太常と尚食に送り、滋味を薦めしむること、宗廟の如し。
開元十五年勅す、「宣皇帝・光皇帝の陵は、県令を以て検校せしめ、州長官は歳に一巡すべし」と。又た勅す、「歳に春・秋陵を巡るに、公卿は具に仗を出城し、陵に至る十里に復すべし」と。
十七年、玄宗橋陵に謁し、壖垣西闕に至り下馬し、陵を望み涕泗し、行きて神午門に及び、号慟して再拝す。且つ三府の兵馬を以て供衞せしめ、遂に定陵・献陵・昭陵・乾陵を謁して乃ち還る。
陵司旧は署と曰ふ、十三載献・昭・乾・定・橋の五陵署を改めて臺と為し、令を臺令と為し、旧より一階を陞す。是より後諸陵署は皆臺と称す。
大暦十四年、礼儀使顔真卿奏す、「今元陵は請ふらくは朔・望・節祭し、日に薦め、故事の如くすべし。泰陵は惟だ朔・望・歳冬至・寒食・伏・臘・社に一祭し、而して日食を罷めん」と。制して曰く、「可なり」と。貞元四年、国子祭酒包佶言ふ、「歳二月・八月、公卿諸陵を朝拝す、陵臺の所由陵下に導くも、礼略にして以て恭を尽くすこと無し」と。是に於て太常旧礼に約して草定して曰く、「所司先づ吉日を撰び、公卿は輅車・鹵簿を以て太常寺に就き発し、陵南道の東に抵り次を設け、西向き北上す。公卿既に次に至れば、奉礼郎は位を北門外の左に設け、陵官は其の東南に位し、執事官は又た其の南に在り。謁者は公卿を導き、典引は衆官を導きて位に就かしめ、皆拝す。公卿・衆官は次を以て奉行し、拝して還る」と。
故事、陵に朝する公卿発つに、天子は視事を廃せず。十六年、陵を拝する官発つに、会ひて董晋卒す、朝を廃す。是より後公卿発つに、乃ち之に因りて視事せず。