新唐書

巻六 本紀第六 肅宗 代宗

肅宗

肅宗文明武德大聖大宣孝皇帝の諱は亨、玄宗の第三子なり。母は元獻皇后楊氏と曰ふ。初め嗣昇と名づけ、陝王に封ぜらる。

開元四年、安西大都護となる。性仁孝にして学を好み、玄宗特に之を愛し、賀知章、潘肅、呂向、皇甫彬、邢璹等を遣はして左右に侍読せしむ。

十五年、名を浚と改め、忠王に徙封せられ、朔方節度大使・單于大都護となる。

十八年、奚・契丹辺を寇す。乃ち肅宗を以て河北道行軍元帥と為し、御史大夫李朝隱等八総管に兵十万を遣はして之を伐たしむ。二歳を居て、朝隱等奚・契丹を范陽の北に敗る。肅宗統帥の功を以て司徒しとに遷る。二十三年、又名を璵と改む。

二十五年、皇太子瑛廃死す。明年、皇太子に立てらる。有司冊礼を行ふ。其の儀に中厳・外辦有り、其の服は絳紗なり。太子曰く、「此れ天子の礼なり」と。乃ち公卿に下して議せしむ。太師蕭嵩・左丞相裴耀卿「外辦」を「外備」と改め、絳紗衣を朱明服と為すを請ふ。乃ち之に従ふ。二十八年、又名を紹と改む。天宝三載、又名を亨と改む。

安禄山朝に来る。太子其の反相有るを識り、罪を以て之を誅せんことを請ふ。玄宗聴かず。禄山反す。

十五載、玄宗賊を避け、行きて馬嵬に至る。父老道を遮りて太子を留め賊を討たしむるを請ふ。玄宗之を許し、寿王瑁及び内侍高力士を遣はして太子に諭す。太子乃ち還る。六月丁酉、渭北便橋に至る。橋絶ゆ。水濱の居民を募りて三千余人を得、渉りて済る。潼関の散卒に遇ひ、賊と為し、之と戦ふ。多く傷つく。既にして之を覚り、其の余を収めて以て渉る。後軍多く没する者有り。夕に永寿県に次す。吏民稍々牛酒を持ち来りて献ず。新平郡太守薛羽・保定郡太守徐瑴賊将到らんと聞き、皆城を棄てて走る。己亥、太子保定に次し、羽・瑴を捕へ得て、之を斬る。辛丑、平涼郡に次し、牧馬牛羊を得、兵始めて振ふ。朔方留後支度副使杜鴻漸・六城水陸運使魏少游・節度判官崔漪・支度判官崔簡金・関内塩池判官李涵・河西行軍司馬裴冕、太子を迎へて朔方に兵を治めしむ。庚戌、豊寧に次し、大河の険を見て、将に之を保たんとす。会に天大風、迴りて霊武に趨る。

七月辛酉、霊武に至る。壬戌、裴冕等皇太子の即皇帝位せんことを請ふ。甲子、皇帝の位に即くこと霊武に於てし、皇帝を尊びて上皇天帝と曰ひ、大赦し、元を至德と改む。文武の官に階・勲・爵を賜ひ、版を以て侍老の太守・県令を授く。裴冕を中書侍郎・同中書門下平章事と為す。甲戌、安禄山扶風を寇す。太守薛景仙之を敗る。

八月辛卯、張巡安禄山の将李廷望と雍丘に戦ひ、之を敗る。

十月辛巳朔、日食有り。癸未、彭原郡に次す。詔して御史諫官に事を論ずるに先づ大夫及び宰相に白すること勿からしむ。始めて爵を鬻ぎ、僧尼を度す。房琯を招討西京・防禦蒲潼両関兵馬元帥と為し、兵部尚書王思礼之を副ふ。南軍は宜寿に入り、中軍は武功に入り、北軍は奉天に入る。辛卯、河南節度副使張巡令狐潮と雍丘に戦ひ、之を敗る。辛丑、房琯中軍・北軍を以て安禄山の衆と陳濤斜に戦ひ、敗績す。癸卯、琯又南軍を以て戦ひ、敗績す。是の月、永王璘を遣はしてしょく郡に上皇天帝を朝せしむ。璘反す。丹徒郡太守閻敬之璘と伊婁埭に戦ひ、之に死す。

十一月辛亥、河西地震す。戊午、崔渙を江南宣慰使と為す。郭子儀回紇を率ひ安禄山と河上に戦ひ、之を敗る。史思明太原を寇す。

十二月、安禄山が魯・東平・済陰の三郡を陥落させる。戊子、彭原郡の租庸を二年間免除する。安禄山が潁川を陥落させ、太守薛愿及び長史龐堅を捕らえる。

この歳、吐蕃が巂州を陥落させ、嶺南の溪獠梁崇牽が容州を陥落させる。

二載正月、永王璘が鄱陽郡を陥落させる。乙卯、安慶緒がその父禄山をしいす。丙寅、河西兵馬使孟庭倫がその節度使周佖を殺し、武威郡を以て反する。乙亥、安慶緒の将尹子奇が睢陽郡を寇し、張巡これを破る。

二月戊子、鳳翔に次ぐ。李光弼が安慶緒の衆と太原において戦い、これを破る。丁酉、関西節度兵馬使郭英乂が安慶緒と武功において戦い、敗れる。慶緒が馮翊郡ひょうよくぐんを陥落させ、太守蕭賁これに死す。慶緒の将蔡希德が太原を寇す。戊戌、庶人璘誅せらる。庚子、郭子儀が安慶緒と潼関において戦い、これを破る。壬寅、河西判官崔偁が武威郡を克ち、孟庭倫誅せらる。甲辰、郭子儀が安慶緒と永豊倉において戦い、これを破る。大将李韶光・王祚これに死す。

三月辛酉、韋見素・裴冕罷免さる。憲部尚書致仕苗晋卿を左相とす。

四月戊寅、郭子儀を関内・河東副元帥とす。壬午、陣亡者を瘞む。庚寅、郭子儀が安慶緒の将李帰仁と劉運橋において戦い、これを破る。

五月癸丑、子儀が慶緒の将安守忠と清渠において戦い、敗れる。丁巳、房琯罷免さる。諫議大夫張鎬を中書侍郎・同中書門下平章事とす。

六月癸未、尹子奇が睢陽を寇す。丁酉、南充郡の民何滔がその太守楊齊曾を執りて反し、剣南節度使盧元裕これを破る。

七月己酉、太白天を経る。丁巳、安慶緒の将安武臣が陝郡を陥落させる。

八月丁丑、長春宮を焚く。甲申、崔渙罷免さる。張鎬が河南節度使を兼ね、淮南諸軍事を都統す。霊昌郡太守許叔冀が彭城に奔る。癸巳、大閲を行う。

閏月甲寅、安慶緒が好畤を寇し、渭北節度使李光進これを破る。丁卯、広平郡王俶を天下兵馬元帥とし、郭子儀をその副とし、朔方・安西・回紇・南蛮・大食の兵を以て安慶緒を討たしむ。辛未、京畿採訪宣慰使崔光遠が慶緒と駱谷において戦い、これを破る。行軍司馬王伯倫が苑北において戦い、これに死す。

九月丁丑、慶緒が上党郡を陥落させ、節度使程千里を捕らえる。壬寅、広平郡王俶が慶緒と灃水において戦い、これを破る。癸卯、京師を回復す。慶緒、陝郡に奔る。尚書左僕射裴冕、太清宮・郊廟・社稷・五陵に告げ、百姓を宣慰す。

十月戊申、広平郡王俶が安慶緒と新店において戦い、これを破り、陝郡を克つ。壬子、東京を回復す。慶緒、河北に奔る。興平軍兵馬使李奐が慶緒の衆と武関において戦い、これを破り、上洛郡を克つ。吐蕃が西平郡を陥落させる。癸丑、安慶緒が睢陽を陥落させ、太守許遠及び張巡・鄆州刺史姚誾・左金吾衛将軍南霽雲皆これに死す。癸亥、鳳翔の租庸を五年間免除し、父老に官を版授す。太子太師韋見素を蜀郡に遣わし、上皇天帝を迎えしむ。丁卯、霊武より至り、太廟に饗し、三日哭す。己巳、関内節度使王思礼が安慶緒と絳郡において戦い、これを破る。

十一月丙子、張鎬が四鎮伊西北庭行営兵馬使李嗣業・陝西節度使来瑱・河南都知兵馬使嗣呉王祗を率い、河南の郡県を克つ。庚子、九廟の神主を作り、長楽殿において告享す。

十二月丙午、上皇天帝が蜀郡より至る。甲寅、苗晋卿を中書侍郎・同中書門下平章事とす。戊午、大赦を行う。霊武の元従・蜀郡の扈従の官、三品以上は一子に官を与え、四品以下は一子に出身を与う。陣亡者を瘞み、これを致祭し、その家の租庸を二年間免除す。天下の租・庸を来年三分の一免ず。珠玉・宝鈿・平脱・金泥・刺繡を禁ず。諸州及び官名を旧に復す。蜀郡を南京とし、鳳翔郡を西京とし、西京を中京とす。潞州の租庸を五年間免除し、併せて鄧・許・滑・宋の五州及び雍丘・好畤・奉先の県の租庸を二年間免除し、益州の租庸を三年間免除す。文武の官に階・勲・爵を賜い、父老八十歳以上に官を版授し、緋衣・銀魚を加え、民に酺を五日賜う。広平郡王俶を太尉とし、楚王に進封す。苗晋卿を侍中とし、崔円を中書令とし、李麟を同中書門下三品とす。子の南陽郡王係を趙王に、新城郡王僅を彭王に、潁川郡王僩を兗王に、東陽郡王侹を涇王に進封す。子の僙を襄王に、倕を𣏌王に、偲を召王に、佋を興王に、侗を定王に封ず。乙丑、史思明降る。壬申、達奚珣等誅せらる。

乾元元年正月戊寅、上皇天帝は宣政殿に御し、皇帝に伝国璽・受命宝符を授け、冊号して光天文武大聖孝感皇帝と曰う。乙酉、宮女三千人を出す。庚寅、大いに閲兵す。

二月癸卯、安慶緒の将能元皓、淄・青を以て降る。元皓を河北招討使と為す。乙巳、上皇天帝に冊号を上りて聖皇天帝と曰う。丁未、大赦し、元を改む。死事及び偽命を拒みし者に官を贈る。成都・霊州の扈従に三品以上は一子に官を予け、五品以上は一子に出身を、六品以下は叙進す。賊に陥りし州の三歳の税を免ず。文武の官に階・爵を賜う。

三月甲戌、俶を徙封して成王と為す。戊寅、淑妃張氏を立てて皇后と為す。

四月辛亥、神主を太廟に祔す。甲寅、太廟に朝享し、南郊に事有り。乙卯、大赦し、文武の官に階・勲・爵を賜い、天下に租・庸に非ざれば輒ち役使すること毋く、貧窮を賑わす能う者は官爵を以て寵し、京官九品以上は事を言わしめ、二王・三恪に一子に官を予く。史思明、范陽節度副使烏承恩を殺して以て反す。

五月戊子、張鎬罷む。乙未、崔圓・李麟罷む。太常少卿王璵を中書侍郎・同中書門下平章事と為す。

七月、党項羌、辺を寇す。

九月丙子、招討党項使王仲昇、拓拔戎德を殺す。庚寅、郭子儀、李光弼・李嗣業・王思礼・淮西節度使魯炅・興平軍節度使李奐・滑濮節度使許叔冀・平盧兵馬使董秦・鄭蔡節度使季広琛を率いて安慶緒を討つ。癸巳、大食・波斯、広州を寇す。

十月甲辰、成王俶を立てて皇太子と為す。大赦す。文武の官に階・爵を賜い、五品以上にして子父の後を為す者に勲両転を賜う。忠正孝友にして東宮官に堪うる者を挙げしむ。

十一月壬申、王思礼、安慶緒と相州に戦い、之を敗る。

十二月庚戌、戸部尚書李峴を都統とし淮南・江東・江西節度使と為す。丁卯、史思明、魏州を陥す。

二年正月己巳、群臣、尊号を上りて乾元大聖光天文武孝感皇帝と曰う。郭子儀、安慶緒と愁思岡に戦い、之を敗る。丁丑、九宮貴神を祠る。戊寅、籍田を耕す。

二月壬戌、中書門下、囚を慮す。

三月己巳、皇后、親しく蠶す。壬申、九節度の師、滏水に潰ゆ。史思明、安慶緒を殺す。東京留守崔圓・河南尹蘇震・汝州刺史賈至、襄・鄧に奔る。郭子儀、東京に屯す。丁亥、旱に因りて死罪を降し、流以下は之を原ゆ。流民還る者に復を三年給す。甲午、兵部侍郎呂諲を同中書門下平章事と為す。乙未、苗晋卿・王璵罷む。京兆尹李峴を吏部尚書と為し、中書舎人李揆を中書侍郎と為し、戸部侍郎第五琦を同中書門下平章事と為す。丙申、郭子儀を東畿・山南東・河南等道諸節度防禦兵馬元帥と為す。

四月庚子、王思礼、史思明と直千嶺に戦い、之を敗る。壬寅、詔して常膳服御を減じ、武徳中の尚作坊にて蕃客に賜い、戎祀の須うる所に非ざる者は皆罷む。

五月辛巳、李峴を貶して蜀州刺史と為す。

七月辛巳、趙王李係を天下兵馬元帥とし、李光弼をその副とす。辛卯、呂諲罷免。

八月乙巳、襄州防禦将康楚元・張嘉延反し、その刺史王政を逐う。

九月甲子、張嘉延荊州を陥とす。丁亥、太子少保崔光遠を荊襄招討・山南東道処置兵馬使とす。庚寅、史思明東京及び齊・汝・鄭・滑の四州を陥とす。

十月乙巳、李光弼史思明と河陽に戦い、これを破る。壬戌、呂諲起復。

十一月庚午、第五琦を貶して忠州刺史とす。

十二月乙巳、康楚元誅せらる。史思明陝州を寇し、神策軍将えい伯玉これを破る。

上元元年三月丙子、死罪を降し、流罪以下これを原す。

四月戊申、山南東道将張維瑾反し、その節度使史翽を殺す。丁巳、彗星婁・胃に出づ。己未、來瑱を山南東道節度使とし、もって張維瑾を討たしむ。

閏月辛酉、彗星西方に出づ。甲戌、係を徙封して越王とす。己卯、大赦し、元号を改め、文武の官に爵を賜う。太公たいこう望を追封して武成王とす。死刑の三覆奏を復す。是の月、大いに饑う。張維瑾降る。

五月丙午、太子太傅苗晉卿を侍中とす。壬子、呂諲罷免。

六月乙丑、鳳翔節度使崔光遠羌・渾・党項と涇・隴に戦い、これを破る。乙酉、また普潤においてこれを破る。李光弼史思明と懐州に戦い、これを破る。

七月丁未、聖皇天帝西内に遷る。

十一月甲午、揚州長史劉展反し、潤州を陥とす。丙申、昇州を陥とす。壬子、李峘・淮南節度使鄧景山劉展と淮上に戦い、敗績す。

是歳、吐蕃廓州を陥とす。西原蠻辺を寇し、桂州経略使邢濟これを破る。

二年正月甲寅、死罪を降し、流罪以下これを原す。乙卯、劉展誅せらる。

二月己未、奴剌・党項羌が宝鶏を寇し、大散関を焼き、鳳州を寇して、刺史蕭𢘽はこれに死し、鳳翔尹李鼎はこれを破る。戊寅、李光弼が史思明と北邙において戦い、敗れる。思明は河陽を陥れる。癸未、李揆を袁州長史に貶す。河中節度使蕭華を中書侍郎・同中書門下平章事とする。乙酉、来瑱が史思明と魯山において戦い、これを破る。

三月甲午、史朝義が陝州を寇し、神策軍節度使衛伯玉はこれを破る。戊戌、史朝義がその父思明を弑す。李光弼の副元帥を罷む。

四月己未、吏部侍郎裴遵慶を黄門侍郎・同中書門下平章事とする。乙亥、青密節度使尚衡が史朝義と戦い、これを破る。丁丑、兗鄆節度使能元皓またこれを破る。壬午、剣南東川節度兵馬使段子璋が反し、綿州を陥れ、遂州刺史嗣虢王巨はこれに死し、節度使李奐は成都に奔る。

五月甲午、史朝義の将令狐彰が滑州を以て降る。戊戌、平盧軍節度使侯希逸が史朝義と幽州において戦い、これを破る。庚子、李光弼を河南道副元帥とする。剣南節度使崔光遠が東川を克ち、段子璋は誅せらる。

七月癸未朔、日食あり。

八月辛巳、殿中監李国貞を朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使の都統とす。

九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、元年と称し、十一月を以て歳首とし、月は斗の建つる辰を以て名とす。文武の官に階・勲・爵を賜い、侍老の官を版授し、先に授けられたる者はこれを叙進す。四京の号を停む。

元年建子月癸巳、曹州刺史常休明が史朝義の将薛㟧と戦い、これを破る。己亥、西内に朝聖皇天帝す。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧において戦い、これを破る。己酉、太清宮に朝献す。庚戌、太廟及び元献皇后廟に朝享す。

建丑月辛亥、南郊に事あり。己未、来瑱が史朝義と汝州において戦い、これを破る。乙亥、侯希逸が朝義の将李懐仙と范陽において戦い、これを破る。

宝応元年建寅月甲申、靖徳太子琮を追冊して皇帝とし、妃竇氏を皇后とす。乙酉、害せられたる王公妃主を葬る。丙戌、盗、敬陵・恵陵を発す。甲辰、李光弼が許州を克つ。吐蕃、和を請う。戊申、史朝義が営州を陥る。

建卯月辛亥、大赦す。文武の官に階・爵を賜う。五品以上の清望及び郎官・御史に流人に行業あり情矜るべき者を薦めしむ。鷹・鷂・狗・豹の貢を停む。京兆府を以て上都とし、河南府を東都とし、鳳翔府を西都とし、江陵府を南都とし、太原府を北都とす。壬子、羌・渾・奴剌が梁州を寇す。癸丑、河東軍乱れ、その節度使鄧景山を殺し、都知兵馬使辛雲京自ら節度使を称す。乙丑、河中軍乱れ、李国貞及びその節度使荔非元礼を殺す。戊辰、淮西節度使王仲昇が史朝義の将謝欽譲と申州において戦い、敗れる。庚午、郭子儀に朔方・河中・北庭・潞儀沢沁節度行営、興平・定国軍兵馬副元帥を知らしむ。壬申、鄜州刺史成公意が党項と戦い、これを破る。

建辰月壬午、大赦し、官吏の贓を納れて罪を免ぜしむることを聴し、左降官及び流人にして罰せられて鎮に効力する者を還す。甲午、奴剌が梁州を寇す。戊申、蕭華罷む。戸部侍郎元載を同中書門下平章事とする。

建巳月庚戌、史朝義が沢州を寇し、刺史李抱玉はこれを破る。壬子、楚州、定国の宝玉十有三を献ず。甲寅、聖皇天帝崩ず。乙丑、皇太子、国を監す。大赦し、元年を改めて宝応元年とし、復た正月を以て歳首とし、建巳月を四月とす。丙寅、閑廄使李輔国・飛龍廄副使程元振、皇后を別殿に遷し、越王係・兗王僩を殺す。この夜、皇帝、長生殿にて崩ず。年五十二。

代宗

代宗睿文孝武皇帝、諱は、肅宗の長子なり。母は章敬皇后呉氏と曰う。玄宗の諸孫百余人、代宗最も長く、嫡皇孫と為る。聡明寛厚にして、喜慍色に形せず、而して学を好み記に強く、易象に通ず。初め名は俶、広平郡王に封ぜらる。

安禄山が反乱を起こし、玄宗は蜀に幸し、粛宗は賊討伐のため留まり、代宗は常に軍中に従った。

粛宗が即位した後、郭子儀らの軍が安慶緒を討ったが、未だに勝利を得られなかった。粛宗は岐におり、至徳二載九月、広平郡王を天下兵馬元帥とし、朔方・安西・回紇・南蛮・大食などの兵二十万を率いて進軍討伐させ、百官は朝堂で見送り、宮門を過ぎて下馬し、歩いて木馬門を出て、その後再び騎乗した。安西・北庭行営節度使李嗣業を前軍とし、朔方・河西・隴右節度使郭子儀を中軍とし、関内行営節度使王思礼を後軍とし、香積寺に駐屯させた。賊将安守忠を破り、六万級を斬首した。賊将張通儒は長安ちょうあんを守っていたが、守忠の敗北を聞き、城を棄てて逃走した。そこで京城を攻克し、思礼を苑中に駐屯させて留め置き、代宗は大軍を率いて東進した。安慶緒はその将厳荘を陝州に派遣して防がせたが、代宗および子儀・嗣業が陝西で戦い、これを大破した。慶緒は河北に奔り、東都を攻克した。粛宗は京師に還った。十二月、楚王に進封された。

乾元元年三月、成王に転封された。四月、皇太子に立てられた。初め、太子が生まれた年、豫州が嘉禾を献じたため、これを祥瑞とし、名を豫と改めた。

粛宗は上元三年の年号を廃し、ただ元年と称し、月は斗の建てる辰を以て名とした。元年建巳月、粛宗が病臥し、詔して皇太子に国事を監させた。その時、楚州が定国宝十三を献じたため、言うには、「楚は太子の封ぜられた所である。今、天が宝を楚に降すのは、年号を建てるに宜しい」と。そこで元年を宝応元年とした。

粛宗の張皇后は李輔国を憎み、これを除こうと図り、太子を召して問うたが、太子は許さず、そこで越王係と謀った。粛宗の病状が重篤となった。四月丁卯、皇后と係は太子を宮中に召し入れようとしたが、飛龍副使程元振がその謀り事を得て、輔国に告げた。輔国は太子を止めて入らせず、兵を率いて入り、係および兗王僩を殺し、皇后を別殿に幽閉した。この夜、粛宗が崩御し、そこで太子を迎えて九仙門で群臣に謁見させた。翌日、発喪した。己巳、柩前で皇帝の位に即いた。癸酉、初めて政務を聴いた。甲戌、奉節郡王适を天下兵馬元帥とし、郭子儀の副元帥を罷免した。乙亥、适を魯王に進封した。

五月壬午、李輔国を司空しくうとした。庚寅、母を追尊して皇太后とした。丙申、李光弼が史朝義と宋州で戦い、これを破った。丁酉、大赦を行った。刺史には一子に官を与え、文武の官に階・爵を賜い、父の後を継ぐ子には勲官一転を加えた。民の未納租税と旧債を免除した。子の益昌郡王邈を鄭王に、延慶郡王迥を韓王に進封した。庶人王氏を追復して皇后とし、瑛・瑤・琚も皆その封号を回復させた。

六月辛亥、皇后張氏・越王係・兗王僩を追廃して皆庶人とした。

七月乙酉、山南東道節度使裴茙を殺した。癸巳、剣南西川兵馬使徐知道が反した。

八月己未、知道は誅殺された。辛未、台州の人袁鼂が反した。乙亥、适を雍王に転封した。

九月戊子、鳳州刺史呂日将が党項羌と三嗟谷で戦い、これを破った。丙申、回紇が戦いを助けることを請うた。壬寅、大閲兵を行った。癸卯、袁鼂が信州を陥とした。

十月乙卯、温州・明州を陥とした。詔して浙江の水旱により百姓が困窮しているので、州県はみだりに賦課徴発せず、疫病で死んで葬れない民はこれを埋葬させよ、とした。辛酉、雍王适が史朝義を討った。壬戌、賊が李輔国を殺した。癸酉、雍王适が懐州を攻克した。甲戌、横水で史朝義を破り、河陽・東都を攻克し、史朝義の将張献誠が汴州を以て降った。

十一月丁亥、朝義の将薛嵩が相・衛・洺・邢の四州を以て降った。丁酉、朝義の将張忠志が趙・定・深・恆・易の五州を以て降った。己亥、朔方行営節度使僕固懐恩を朔方・河北副元帥とした。

十二月己酉、太府左蔵庫で火災があった。戊辰、京城内外の曝露した骸骨を埋葬した。甲戌、李光弼が袁鼂と衢州で戦い、これを破った。

この年、舒州の人楊昭が反し、その刺史劉秋子を殺した。西原蛮が叛いた。吐蕃が秦・成・渭の三州を寇した。

広徳元年正月癸未、京兆尹劉晏を吏部尚書・同中書門下平章事とした。甲申、史朝義が自殺し、その将李懐仙が幽州を以て降り、田承嗣が魏州を以て降った。壬寅、山陵使・山南東道節度使来瑱が罪有り、誅殺された。

三月甲辰、山南東道兵馬使梁崇義が南陽より襄州に入る。丁未、李光弼が袁鼂と戦い、これを破る。辛酉、至道大聖大明孝皇帝を泰陵に葬る。甲子、党項羌が同州を寇す。郭子儀が黄堆山においてこれを破る。庚午、文明武德大聖大宣孝皇帝を建陵に葬る。

六月、同華節度使李懷讓自殺す。

七月壬寅、羣臣尊號を上りて寶應元聖文武孝皇帝と曰う。壬子、大赦し、元を改む。民の逋負を免じ、戸三丁の内一丁の庸・調を免ず。河北に三年の復を給す。回紇の行営の経る所、今歳の租を免ず。内外の官に階・勲・爵を賜う。功臣に鉄券を給し、名を太廟に蔵し、形を凌煙閣に図す。吐蕃、隴右諸州を陥す。

八月、僕固懷恩反す。

九月壬寅、裴遵慶、汾州において僕固懷恩を宣慰す。乙丑、涇州刺史高暉叛きて吐蕃に附す。

十月庚午、吐蕃、邠州を陥す。辛未、奉天・武功を寇し、京師戒厳す。壬申、雍王适を関内兵馬元帥と為し、郭子儀これを副う。癸酉、渭北行営兵馬使呂日將、盩厔において吐蕃と戦い、これを破る。乙亥、また盩厔において戦い、敗績す。丙子、陝州に如く。丁丑、華陰に次ぐ。豊王珙罪有りて誅せらる。戊寅、吐蕃京師を陥し、広武郡王承宏を立てて皇帝と為す。辛巳、陝州に次ぐ。癸巳、吐蕃潰え、郭子儀京師を復す。南山五谷人高玉反す。

十一月壬寅、広州市舶使呂太一反し、其の節度使張休を逐う。

十二月辛未、劉晏上都を宣慰す。甲午、陝州より至る。乙未、苗晉卿・裴遵慶罷む。検校礼部尚書李峴を黄門侍郎・同中書門下平章事と為す。丙申、承宏を華州に放つ。吐蕃、松・維二州を陥す。西原蠻、道州を陥す。

二年正月丙午、詔して御史・諫官・刺史・縣令に堪ふる者を挙げしむ。乙卯、雍王适を立てて皇太子と為す。癸亥、劉晏・李峴罷む。右散騎常侍さんきじょうじ王縉を黄門侍郎と為し、太常卿杜鴻漸を兵部侍郎と為す:ともに同中書門下平章事。郭子儀、河東副元帥を兼ぬ。

二月辛未、僕固懷恩、朔方軍節度留後渾釋之を殺す。癸酉、太清宮に朝献す。甲戌、太廟に朝享す。乙亥、南郊に事有り。己丑、大赦す。内外の官に階・爵を賜う。武德功臣の子孫に一人に官を予う。成都・靈武の元従で三品以上の者には爵一級を加賜し、その余は一階を加う。宝応功臣で三品以上の者は一子に官を授け、なお爵一級を賜い、その余は階・勲両転を加う。五品以上で父の後を継ぐ者には勲両転を加う。

三月辛丑、河南府に二年の復を給す。甲子、盛王琦薨ず。

四月甲午、鈿作の珠翠を禁ず。

五月、洛水溢る。

六月丁卯、星有りて汾州に隕つ。

七月庚子、初めて青苗に税す。己酉、李光弼薨ず。

八月丙寅、王縉を侍中とし、河南・淮南・山南東道節度行營事を都統せしむ。壬申、王縉の侍中を罷む。癸巳、吐蕃邠州を寇す。邠寧節度使白孝德之を宜祿にて破る。

九月己未、劍南節度使嚴武吐蕃と當狗城に戦い、之を破る。

是の秋、蜮有り。

十月丙寅、吐蕃邠州を寇す。丁卯、奉天を寇し、京師戒厳す。庚午、嚴武吐蕃の鹽川城を克つ。辛未、朔方兵馬使郭晞吐蕃と邠西に戦い、之を破る。是の月、突厥豊州を寇す。守将馬望之に死す。

十一月乙未、吐蕃軍潰え、京師戒厳を解く。河西節度使楊志烈僕固懷恩と霊州に戦い、敗績す。癸丑、袁鼂誅せらる。越州の今年の田租の半を免じ、温・台・明の三州に一年の復除を与う。

十二月乙丑、高玉誅せらる。丙寅、衆星隕つ。

是歳、西原蠻邵州を陥す。

永泰元年正月癸巳、大赦し、改元す。是の月、歙州人其の刺史龐濬を殺す。

二月戊寅、党項羌富平を寇す。庚辰、儀王璲薨ず。

三月庚子、木氷を雨らす。庚戌、吐蕃和を請う。辛亥、大風木を抜く。

四月己巳、春より雨らず、是に至りて雨る。

是の夏、盩厔に穭麥生ず。

七月辛卯、平盧・淄青兵馬使李懷玉其の節度使侯希逸を逐う。

八月庚辰、王縉を河南副元帥とす。僕固懷恩及び吐蕃・回紇・党項羌・渾・奴剌辺を寇す。

九月庚寅、百官をして光順門に浮屠の像を観ぜしむ。辛卯、太白天を経る。甲辰、吐蕃醴泉・奉天を寇し、党項羌同州を寇し、渾・奴剌盩厔を寇し、京師戒厳す。己酉、苑に屯し、郭子儀涇陽に屯す。丁巳、同華節度使周智光吐蕃と澄城に戦い、之を破る。智光鄜州に入り、其の刺史張麟を殺し、遂に坊州を焚く。

十月、沙陀が楊志烈を殺す。己未、吐蕃が邠州に至り、回紇とともに辺境を寇す。辛酉、奉天を寇す。癸亥、同州を寇す。乙丑、興平を寇す。丁卯、回紇・党項羌が降伏を請う。癸酉、郭子儀が吐蕃と霊臺で戦い、これを破る。京師の戒厳を解く。

閏月辛卯、朔方副将の李懐光が霊州を克つ。辛亥、剣南西山兵馬使の崔旰が反し、成都を寇し、節度使の郭英乂は霊池に奔り、普州刺史の韓澄がこれを殺す。癸丑、民の資を斂めて浮屠の供養に充てる。

大暦元年二月、吐蕃が使いを遣わして来朝す。壬子、杜鴻漸を山南西道・剣南東西川・邛南・西山等道副元帥となす。

三月癸未、剣南東川節度使の張献誠が崔旰と梓州で戦い、敗績す。

七月癸酉、洛水溢る。

九月辛巳、吐蕃原州を陥とす。

十一月甲子、大赦を行い、元号を改め、流民で帰業する者に三年の復除を与う。

十二月己亥、彗星瓠瓜より出づ。癸卯、周智光反し、虢州刺史の龐充を殺す。

この冬、雪なし。鄭王邈を天下兵馬元帥となす。

二年正月丁巳、郭子儀周智光を討つ。己未、同華の将李漢恵、同州を以て降る。甲子、周智光誅せらる。淮西節度使の李忠臣、華州に入る。戊寅、同・華二州に二年の復除を与う。

八月壬寅、駙馬都尉の姜慶初を殺す。

九月甲寅、吐蕃霊州を寇す。乙卯、邠州を寇す。郭子儀涇陽に屯し、京師戒厳す。乙丑、昼に星南方に流る。

この秋、桂州の山獠反す。

十月戊寅、朔方軍節度使の路嗣恭が吐蕃と霊州で戦い、これを破る。京師の戒厳を解く。

十一月辛未、木氷(樹氷)降る。壬申、京師地震す。

三年二月癸巳、商州兵馬使劉洽がその刺史殷仲卿を殺す。

三月乙巳朔、日に食あり。

五月乙卯、斉王倓を追号して皇帝と為し、興信公主の女張氏を皇后と為す。癸亥、地震あり。

六月壬寅、幽州兵馬使朱希彩がその節度使李懐仙を殺し、自ら留後と称す。

閏月庚午、王縉が幽州盧龍軍節度使を兼ねる。

七月壬申、瀘州刺史楊子琳反し、成都を陥とす。剣南節度留後崔寛これを破り、成都を克つ。子琳、夔州別駕張忠を殺す。戊寅、吐蕃使いを遣わして来朝す。

八月己酉、吐蕃霊州を寇す。丁卯、邠州を寇し、京師戒厳す。戊辰、邠寧節度使馬璘、吐蕃と戦い、これを破る。庚午、王縉が河東節度使を兼ねる。

九月丁丑、済王環薨ず。壬午、吐蕃霊州を寇す。朔方将白元光これを破る。壬辰、またこれを霊武に破る。戊戌、京師戒厳を解く。

十二月辛酉、涇原兵馬使王童之謀反し、誅せらる。

四年正月甲戌、潁州刺史李岵を殺す。

二月乙卯、杜鴻漸副元帥を罷む。丙辰、京師地震あり。

三月、御史を遣わして商銭を税す。甲戌、京兆の今年の税を免ず。

五月丙戌、京師地震あり。

六月戊申、王縉副元帥・都統を罷む。

七月癸未、死罪を降し、流罪以下これを原ゆ。

十月丁巳、大霧が立ち込めた。

十一月辛未、畿内での弋猟を禁ず。壬申、杜鴻漸を罷免す。癸酉、元載を権知門下省事とす。甲戌、吐蕃が霊州を寇し、朔方軍節度留後常謙光これを破る。丙子、左僕射裴冕を同中書門下平章事とす。癸巳、裴冕に河南・淮西・山南東道副元帥を兼ねさせる。

十二月戊戌、裴冕薨去す。

この年、広州の人馮崇道・桂州の人朱済時が反し、容管経略使王翃これを破る。

五年正月辛卯、鳳翔節度使李抱玉を河西・隴右・山南西道副元帥とす。

三月癸酉、内侍監魚朝恩罪ありて自殺す。丙戌、昭陵の皇堂に光ありしを以て、京兆・関輔を赦す。

四月庚子、湖南兵馬使臧玠その団練使崔灌を殺す。己未、彗星五車より出づ。

五月己卯、彗星北方より出づ。六月己未、彗星消滅したるを以て、死罪を減じ、流罪以下これを原す。魏徴・王珪・李靖・李勣・房玄齢・杜如晦の後を録す。

この年、湖南の将王国良反し、及び西原蛮州県を寇す。

六年二月壬寅、李抱玉山南西道副元帥を罷む。

三月、王翃梁崇牽を破り、古容州を復す。

四月戊寅、藍田西原地陥る。大𦅘・竭鑿六破錦及び文紗呉綾に龍・鳳・麒麟・天馬・辟邪を織るを禁ず。

五月戊申、殿中侍御史陸珽・成都府司録参軍事李少良・大理評事韋頌を誅す。

七年二月庚午、江州にて江水溢る。

五月乙酉、大雨雹あり、大風木を抜く。乙未、旱魃のため大赦し、膳を減じ、楽を徹す。

この秋、幽州盧龍の将李懷瑗がその節度使朱希彩を殺し、経略軍副使朱泚が自ら留後と称す。

十月乙亥、淮南の旱魃により、租・庸の三分の二を免ず。

十一月庚辰、巴・蓬・渠・集・壁・充・通・開の八州の二年分の租・庸を免ず。

十二月丙寅、雨土、長星参宿より出づ。

八年正月甲辰、詔して京官三品以上及び郎官・御史に、毎年刺史・県令一人を挙げしむ。

五月辛卯、鄭王邈薨ず。壬辰、京師を赦す。癸卯、死罪を降し、流罪以下これを原す。

八月己未、吐蕃霊州を寇す。郭子儀これを七級渠にて破る。甲子、華州の屯田を廃し貧民に給す。

九月壬午、循州刺史哥舒晃反し、嶺南節度使呂崇賁を殺す。戊子、詔して京官五品以上・両省供奉官・郎官・御史に事を言わしむ。

十月庚申、吐蕃涇・邠を寇す。丙寅、朔方兵馬使渾瑊及び吐蕃と宜祿に戦い、敗績す。涇原節度使馬璘及び吐蕃と潘原に戦い、これを破る。

九年二月辛未、徐州兵乱し、その刺史梁乗を逐う。

四月壬辰、大赦す。

十月壬申、信王瑝薨ず。乙亥、涼王璿薨ず。壬辰、京師の死罪を降し、流罪以下これを原す。

十年正月丁酉、昭義軍兵馬使裴志清その節度使薛㟧を逐い、田承嗣に叛き附く。壬寅、寿王瑁薨ず。戊申、田承嗣反す。癸丑、承嗣洺州を陥す。乙卯、剣南西川節度使崔寧及び吐蕃と西山に戦い、これを破る。

二月乙丑、田承嗣衞州を陥し、刺史薛雄これに死す。辛未、子述を睦王に封じ、逾を郴王に、連を恩王に、遘を鄜王に、造を忻王に、暹を韶王に、運を嘉王に、遇を端王に、遹を循王に、通を恭王に、逵を原王に、逸を雅王にす。丙子、河陽軍乱し、三城使常休明を逐う。

三月甲午、陝州軍乱し、その観察使李国清を逐う。

四月癸未、河東節度使薛兼訓らが田承嗣を討つ。昭義五州の租税を二年間免除す。甲申、大雨雹、大風木を抜く。

五月乙未、魏博の将霍栄國、礠州を以て降る。甲寅、大雨雹、大風木を抜き、闕門を震わす。

六月甲戌、成徳軍節度使李寶臣、田承嗣と冀州にて戦い、これを破る。

七月己未、杭州に海溢す。

八月己丑、田承嗣、礠州を寇す。

九月壬寅、京師の死罪を降し、流罪以下これを原す。壬子、吐蕃、臨涇を寇す。癸丑、隴州を寇す。丙辰、李抱玉、これを義寧にて破る。丁巳、馬璘またこれを百里城にて破る。

十月辛酉朔、日食あり。甲子、昭義軍節度使李承昭、田承嗣と清水にて戦い、これを破る。丙寅、貴妃獨孤氏薨ず。丁卯、追冊して皇后とす。

十一月丁酉、魏博の将吳希光、瀛州を以て降る。丁未、嶺南節度使路嗣恭、広州を克ち、哥舒晃誅せらる。

十一年正月庚寅、田承嗣降る。辛亥、崔寧、吐蕃と戦い、これを破る。

五月、汴宋都虞候李霊耀反し、濮州刺史孟鑒を殺す。

七月庚寅、田承嗣、滑州を寇し、永平軍節度使李勉敗績す。

八月甲申、淮西節度使李忠臣・河陽三城使馬燧及び李勉、李霊耀を討つ。

閏月丁酉、太白昼に見ゆ。

九月乙丑、李忠臣・馬燧及び李霊耀、鄭州にて戦い、敗績す。

十月乙酉、中牟にて戦い、これを破る。壬辰、忠臣またこれを西梁固にて破る。壬寅、淮南節度使陳少遊及び李霊耀、汴州にて戦い、これを破る。丙午、田承嗣兵を以て霊耀を援け、李忠臣これを匡城にて破る。甲寅、霊耀誅せらる。

十二年三月庚午、田承嗣を赦す。辛巳、元載罪有りて誅に伏す。王縉を貶して括州刺史とす。

四月壬午、太常卿楊綰を中書侍郎とし、禮部侍郎常衮を門下侍郎とす:同中書門下平章事。癸巳、詔して諫官に封事を献ずるに時を限らしめず、側門にて事を論ずる者は状に随ひ面奏せしめ、六品以上の官事を言ひ匭に投ずる者は副章を勒せざらしむ。丁酉、吐蕃黎・雅二州を寇す、崔寧之を敗る。是の月、金州人卓英璘反す。

六月乙巳、英璘誅に伏す。金州に復を給すること二年。丁未、旱を以て京師の死罪を降し、流以下之を原す。

七月己巳、楊綰薨ず。丙子、詔して尚書・御史大夫・左右丞・侍郎に刺史に任ずべき者を挙げしむ。

九月庚午、吐蕃坊州を寇す。

是の秋、河溢る。

十一月壬子、山南西道節度使張獻恭吐蕃と岷州に戰ひ、之を敗る。

十二月丁亥、崔寧吐蕃と西山に戰ひ、之を敗る。

是歲、恆・定・趙三州地震す。冬、雪無し。

十三年正月戊辰、回紇幷州を寇す。癸酉、河東節度留後鮑防回紇と陽曲に戰ひ、敗績す。

二月庚辰、代州刺史張光晟回紇と羊虎谷に戰ひ、之を敗る。

四月甲辰、吐蕃靈州を寇す、常謙光之を敗る。

十月己丑、京畿の兵器を持ちて捕獵することを禁ず。

是歲、郴州黃芩山崩る。

十四年二月癸未、魏博節度使田承嗣卒す、其の兄の子悅自ら留後と稱す。

三月丁未、汴宋の将李希烈が其の節度使李忠臣を逐い、自ら留後と称す。

五月辛酉、不豫、詔して皇太子に国を監せしむ。是の夕、皇帝紫宸内殿に崩ず、年五十三。

【贊】

贊して曰く、天宝の乱、大盗遽かに起こり、天子出奔す。是の時に当たり、肅宗皇太子として兵を治め賊を討つ、真に其の職を得たりと謂うべし。然れども僖宗の時を以てすれば、唐の威徳人に在り、紀綱未だ壊れず、孰れか天宝の際と与にせん。而るに僖宗蜀に在り、諸鎮の兵糺合して力を戮し、遂に黄巢を破りて京師を復す。是れを以て言えば、肅宗即ち尊位に即かずと雖も、亦賊を破るべかりしなり。蓋し高祖こうそ以来、三たび位を遜りて其の子に授く、而して独り睿宗上天戒を畏れ、誠心より発す、高祖・玄宗の若きは、豈其の志ならんや。代宗の時、余孽猶お在り、乱を平げ成を守る、蓋し亦中材の主なり。