新唐書

本紀第二 太宗

太宗文武大聖大廣孝皇帝、諱は世民、高祖こうその次子なり。母は太穆皇后竇氏と曰う。生まれて驚かず。四歳の時、書生有りて高祖に謁し曰く、「公は相法に在りて貴人なり、然れども必ず貴子有らん」と。太宗を見るに及んで曰く、「龍鳳の姿、天日の表、其の年幾ばくか冠に及ばん、必ず能く世を済い民を安んずべし」と。書生已に辞去し、高祖其の語の泄るるを懼れ、人をして追いて之を殺さしむるも、其の往く所を知らず、因りて神と為す。乃ち其の語を採り、之を名づけて世民と曰う。

大業中、突厥煬帝を鴈門に囲む。煬帝囲中より木に詔書を繫ぎ、汾水に投じて下し、兵を募りて赴援せしむ。太宗時に年十六、往きて応募し、將軍雲定興に隷す。定興に謂ひて曰く、「虜敢えて吾が天子を囲む者は、援無きを以ての故なり。今宜しく先ず吾が軍を前後して数十里と為し、其の晝に旌旗を見せ、夜に鉦鼓を聞かしめ、大いに至れると為さば、則ち撃たずして之を走らしむべし。然らずんば、我が虚実を知らば、則ち勝敗未だ知るべからず」と。定興之に従ふ。軍崞縣に至り、突厥の候騎其の軍の来りて絶えざるを見て、果たして馳せて始畢可汗に告げて曰く、「救兵大いに至れり」と。遂に引き去る。高祖歴山飛を撃ち、其の囲中に陷る。太宗軽騎を馳せて之を取りて出で、遂に奮撃し、大いに之を破る。

太宗人となり聰明英武にして、大志有り、而して能く節を屈して士に下る。時に天下已に乱れ、盗賊起り、隋必ず亡ぶるを知り、乃ち財を推して士を養ひ、豪傑を結納す。長孫順徳、劉弘基等、皆事に因りて亡命し、之を匿ふ。又晉陽令劉文靜と尤も善し、文靜李密の事に坐して獄に繫がる。太宗夜獄中に就きて之を見、大計を図る。時に百姓賊を避けて多く城に入る。城中幾ばくか万人、文靜令として久しく、其の豪傑を知る。因りて共に部署す。計已に定まり、乃ち裴寂に因りて高祖に告ぐ。高祖初め許さず、已にして之を許す。

高祖已に兵を起し、大將軍府を建つ。太宗兵を率ひて西河を徇ふ。其の郡丞高德儒を斬る。右領軍大都督ととくを拝し、燉煌郡公に封ぜらる。唐兵西し、将に霍邑に至らんとす。会に天久しく雨し、糧且に尽きんとす。高祖謀りて兵を還して太原に守らんと欲す。太宗諫めて曰く、「義師は天下の為に起これるなり。宜しく直ちに咸陽に入り、天下に号令すべし。今一城を還りて守るは、是れ賊と為るのみ」と。高祖納れず。太宗軍門に哭す。高祖驚き、召して之を問ふ。対へて曰く、「還らば則ち衆は前に散じ、而して敵は後に乗ず。死亡須臾なり、是を以て悲しむなり」と。高祖寤りて曰く、「事を起す者は汝なり、成敗惟汝に在り」と。時に左軍已に先に返る。即ち隴西公建成と分かちて之を追ふ。夜半、太宗道を失ひて山谷に入り、其の馬を棄て、歩して其の兵に及び、俱に還る。高祖乃ち将として前に進み、遅明に霍邑に至る。宋老生出でず。太宗数騎を従へて其の城に傅き、鞭を挙げて指麾し、将に之を囲まんとする者の如し。老生怒りて出で、城を背にして陣す。高祖建成を率ひて其の東に居り、太宗及び柴紹其の南に居る。老生の兵東陣に薄く、建成馬より墜つ。老生之に乗ず。高祖の軍却く。太宗南原より馳せて坂を下り、兵を分かちて其の軍を断ちて二と為し、而して其の陣後に出づ。老生の兵敗走し、遂に之を斬る。進みて涇陽に次ぎ、胡賊劉鷂子を撃ち、之を破る。唐兵長安ちょうあんを攻む。太宗金城坊に屯し、其の西北を攻め、遂に之を克つ。義寧元年、光祿大夫、唐國內史と為り、徙めて秦國公に封ぜられ、食邑萬戸。薛挙扶風を攻む。太宗之を撃ち敗り、首級萬餘を斬り、遂に地を略して隴右に至る。二年、右元帥と為り、徙めて趙國公に封ぜられ、兵十万を率ひて東都を攻む。克たずして還り、三王陵に三伏を設け、隋将段達の兵萬人を敗る。

武德元年、尚書令しょうしょれい、右翊えい大將軍と為り、進みて秦王に封ぜらる。薛挙涇州を寇す。太宗西討元帥と為り、位を進めて雍州牧と為る。七月、太宗疾有り、諸将挙に敗れらる。八月、太宗疾癒ゆ。復た高墌城に屯し、相持すること六十餘日。已にして挙死す。其の子仁杲其の衆を率ひて戦を求む。太宗軍を按じて動かず。久しくして仁杲糧尽き、衆稍く離叛す。太宗曰く、「可なり」と。乃ち行軍總管梁實を遣はして浅水原に柵せしむ。仁杲の将宗羅睺実を撃つ。太宗將軍龐玉を遣はして実を救はしむ。玉の軍幾ばくか敗れんとす。太宗兵を率ひて其の後に出づ。羅睺敗走す。太宗之を追ひ、其の城下に至る。仁杲乃ち出でて降る。師還る。高祖李密を遣はして伝駅を馳せて豳州に於て之を労はしむ。密太宗を見て、敢へて仰ぎ視ること能はず。退きて歎じて曰く、「真に英主なり」と。捷を太廟に献じ、右武候大將軍、太尉、使持節、陝東道大行臺尚書令を拝し、詔して蒲、陝、河北諸總管の兵皆其の節度を受くべしとす。

二年正月、長春宮を鎮め、進みて左武候大將軍、涼州總管を拝す。是の時、劉武周幷州に拠り、宋金剛澮州を陷し、王行本蒲州に拠り、而して夏縣の人呂崇茂縣令を殺して武周に応ず。高祖懼れ、詔して諸将に河東を棄てて関中を守らしむ。太宗以て棄つべからずと為し、願はくは兵三万を得て以て賊を破らんとす。高祖是に於て悉く関中の兵を発して之を益す。十一月、龍門関を出で、柏壁に屯す。

三年四月、宋金剛を柏壁に撃ち破る。金剛介州に走る。太宗之を追ふ。一日夜二百里を馳せ、雀鼠谷の西原に宿る。軍士皆饑ゆ。太宗食らざること二日、行きて浩州に至りて乃ち食を得。而して金剛の将尉遅敬徳、尋相等皆来降す。劉武周懼れ、突厥に奔る。其の将楊伏念幷州を挙げて降る。高祖蕭瑀を遣はして即ち軍中に於て太宗を益州道行臺尚書令に拝す。七月、王世充を討ち、之を北邙に敗る。

四年二月、竇建德兵十万を率ひて以て世充を援く。太宗建德を虎牢に敗り、之を執る。世充乃ち降る。六月、凱旋す。太宗金甲を被り、鉄騎一万、介士三万を陳べ、前後鼓吹し、俘を太廟に献ず。高祖以て太宗の功高しと謂ひ、古の官号以て称ふるに足らずとし、乃ち号を加えて天策上将とし、司徒しと、陝東道大行臺尚書令を領せしめ、位を王公の上にし、邑戸を増して三万に至らしめ、衮冕、金輅、双璧、黄金六千斤を賜ひ、前後鼓吹九部の楽、班劍四十人を賜ふ。

五年正月、劉黒闥を洺州に於て討ち、之を敗る。黒闥既に降り、已にして復た反す。高祖怒り、太子建成を命じて山東の男子十五以上を悉く阬し、其の小弱婦女を駆りて以て関中を実せしめんとす。太宗切に諫め、以て不可と為す。遂に已む。左右十二衞大將軍を加拝す。

七年、突厥辺を寇す。太宗之と豳州に遇ひ、百騎を従へて其の可汗と語り、乃ち盟して去る。

八年、位を進めて中書令と為る。初め、高祖太原に起るは、其の本意に非ざれども、事は太宗に出づ。及び天下を取り、宋金剛、王世充、竇建德等を破るに及び、太宗の功益々高し。而して高祖屡く以て太子と為さんことを許す。太子建成廃せらるるを懼れ、齊王元吉と謀りて太宗を害せんとす。未だ発せず。

九年六月、太宗兵を以て玄武門に入り、太子建成及び齊王元吉を殺す。高祖大いに驚き、乃ち太宗を皇太子と為す。

八月甲子、帝位に即く、東宮の顯德殿にて。裴寂を遣わして南郊に告げしむ。大赦し、武德の流人を還す。文武の官に勳・爵を賜う。關内及び蒲・芮・虞・泰・陝・鼎の六州の二年の租を免じ、天下に一年の復を給す。民八十以上に粟帛を賜い、百歳に版授を加う。潼關以東の河に瀕する諸關を廃す。癸酉、宮女三千餘人を放つ。丙子、妃長孫氏を立てて皇后と為す。癸未、突厥便橋を寇す。乙酉、突厥の頡利と便橋に盟す。

九月壬子、私家の妖神淫祀及び龜易五兆に非ざる占卜を禁ず。

十月丙辰朔、日食あり。癸亥、中山郡王承乾を立てて皇太子と為す。庚辰、蕭瑀・陳叔達罷む。

十一月庚寅、宗室の郡王にして功なき者の爵を降し縣公と為す。

十二月癸酉、囚を慮す。

是歳、子の長沙郡王恪を進めて漢王と為し、宜陽郡王祐を楚王と為す。

貞觀元年正月乙酉、元を改む。辛丑、燕郡王李藝涇州にて反し、誅せらる。

二月丁巳、詔す、民の男二十・女十五以上にして夫家なき者は、州縣礼を以て聘娶すべし。貧しくして自ら行う能わざる者は、鄉里の富人及び親戚資を送るべし。鰥夫六十・寡婦五十・婦人に子有り若しくは節を守る者は強うること勿れ。

三月癸巳、皇后親しく蠶す。丙午、詔す、「齊の僕射崔季舒・黃門侍郎郭遵・尚書右丞封孝琰は極言を以て難に蒙り、季舒の子剛・遵の子雲・孝琰の子君遵並びに淫刑に及びぬ。内侍を免じ、官を以て褒め敍すべし」。

閏月癸丑朔、日食あり。

四月癸巳、涼州都督・長樂郡王幼良罪有り、誅せらる。

五月癸丑、勅す、中書令・侍中は朝堂にて訟辭を受け、事を陳うる者有らば悉く封を上らしむべし。

六月辛丑、封德彝薨ず。甲辰、太子少師蕭瑀を尚書左僕射と為す。

是夏、山東旱し、今歳の租を免ず。

七月壬子、吏部尚書長孫无忌を尚書右僕射と為す。

八月、河南・隴右の辺州に霜が降りる。宇文士及が涼州都督を検校す。戊戌、高士廉を貶して安州大都督とす。

九月庚戌朔、日に食あり。辛酉、使者を諸州に遣わし損田を行い、下戸を賑問す。御史大夫杜淹が吏部尚書を検校し、朝政に参議す。宇文士及罷免さる。辛未、幽州都督王君廓、突厥に奔る。

十月丁酉、歳饑を以て膳を減ず。

十一月己未、子弟年十九以下、父兄の官所に随うことを許す。

十二月壬午、蕭瑀罷免さる。戊申、利州都督李孝常・右武衞将軍劉徳裕、謀反し、誅せらる。

二年正月辛亥、長孫无忌罷免さる。兵部尚書杜如晦が侍中を検校し、東宮兵馬事を総監す。癸丑、吐谷渾岷州を寇し、都督李道彦之を敗る。丁巳、恪を徙封してしょく王とし、泰を越王とし、祐を燕王とす。庚午、刑部尚書李靖が中書令を検校す。

二月戊戌、外官上考者に禄を給す。

三月戊申朔、日に食あり。壬子、中書門下五品以上及び尚書に命じ死罪を議決せしむ。壬戌、李靖を関内道行軍大総管とし、以て薛延陀に備う。己巳、使者を関内に巡らし、金宝を出して饑民の子を鬻ぐ者を贖い還す。庚午、旱蝗を以て躬を責め、大赦す。癸酉、雨降る。

四月己卯、隋人の暴骸を瘞む。壬寅、朔方人梁洛仁、梁師都を殺して降る。

六月甲申、詔して出使官に其の家に稟食せしむ。庚寅、子治の生まるるを以て、是の日に子を生める者に粟を賜う。辛卯、辰州刺史裴虔通、隋の煬帝をしいせるを以て爵を削り、驩州に流す。

七月戊申、萊州刺史牛方裕・絳州刺史薛世良・広州長史唐奉義・虎牙郎将高元礼、宇文化及の党を以て、皆除名し、辺に徙す。

八月甲戌、朝堂に冤獄を省みる。辛丑、二王の後廟を立て、国官を置く。

九月壬子、有年を以て、酺を賜うこと三日。

十月庚辰、杜淹薨ず。戊子、瀛州刺史盧祖尚を殺す。

十一月辛酉、南郊に事あり。

十二月壬辰、黄門侍郎王珪を守侍中とす。癸巳、五品以上の者に市を過ぐることを禁ず。

三年正月丙午、ひでりのため正殿を避く。癸丑、官に上下考を得る者、禄を給すること一年。戊午、太廟にまつる。癸亥、藉田を耕す。辛未、裴寂罷む。

二月戊寅、房玄齢を尚書左僕射とし、杜如晦を右僕射とし、尚書右丞魏徴を祕書監とし、朝政に参預せしむ。

三月己酉、囚をしらぶ。

四月乙亥、太上皇大安宮に徙居す。甲午、始めて太極殿に御す。戊戌、孝義の家に粟五斛を賜い、八十以上には二斛、九十以上には三斛、百歳には絹二匹を加え、婦人正月以来子を産む者には粟一斛を賜う。

五月乙丑、周王元方薨ず。

六月戊寅、旱のため囚を慮ぶ。己卯、大風木を抜く。壬午、文武の官に事を言わしむることを詔す。

八月己巳朔、日食あり。丁亥、李靖を定襄道行軍大総管とし、もって突厥を伐たしむ。

九月丁巳、華州刺史柴紹を勝州道行軍総管とし、もって突厥を伐たしむ。

十一月庚申、幷州都督李世勣を通漠道行軍総管とし、華州刺史柴紹を金河道行軍総管とし、任城郡王道宗を大同道行軍総管とし、幽州都督衞孝節を恆安道行軍総管とし、営州都督薛万淑を暢武道行軍総管とし、もって突厥を伐たしむ。

十二月癸未、杜如晦罷む。

閏月癸丑、死せる兵の者のために浮屠祠を立つ。辛酉、囚を慮ぶ。

是歳、塞外より帰る中国人及び四夷を開きて州県となす者、百二十余万人。

四年正月丁卯朔、日食あり。癸巳、武徳殿北院火災あり。

二月己亥、温湯に幸す。甲辰、李靖突厥と陰山に戦い、これを敗る。丙午、温湯より至る。甲寅、大赦し、酺を賜うこと五日。御史大夫温彦博を中書令とし、王珪を侍中とす。民部尚書戴冑を検校吏部尚書とし、朝政に参せしむ。太常卿蕭瑀を御史大夫とし、宰臣と朝政を参議せしむ。丁巳、旱のため公卿に事を言わしむることを詔す。

三月甲午、李靖が突厥の頡利可汗を捕虜として献上した。

四月戊戌、西北の君長が上に「天可汗」の号を奉ることを請うた。

六月乙卯、卒を発して洛陽らくよう宮を修治せしむ。

七月甲子朔、日食あり。癸酉、蕭瑀罷む。甲戌、太上皇御不豫、朝を廃す。辛卯、疾癒ゆ。都督・刺史・文武の官及び民の八十歳以上、孝子で門閭を表する者に差等ありて賜う。

八月甲寅、李靖を尚書右僕射と為す。

九月庚午、長城南の隋人の暴骨を瘞む。己卯、隴州に如く。壬午、古の明君・賢臣・烈士の墓に於て芻牧することを禁ず。

十月壬辰、岐・隴二州を赦し、今年の租賦を免じ、咸陽・始平・武功の死罪以下を降す。辛丑、貴泉谷にて狩す。甲辰、魚龍川にて狩し、獲物を大安宮に献ず。乙卯、武功の今年の租賦を免ず。

十一月壬戌、右衞大将軍侯君集を兵部尚書と為し、朝政に参議せしむ。甲子、隴州より至る。戊寅、鞭背の刑を除く。

十二月甲辰、鹿苑にて狩す。乙巳、鹿苑より至る。

是歳、天下に死罪を断ずる者二十九人。

五年正月癸酉、昆明池にて狩す。丙子、昆明池より至り、獲物を大安宮に献ず。

二月己酉、弟元裕を鄶王に、元名を譙王に、霊夔を魏王に、元祥を許王に、元暁を密王に封ず。庚戌、子愔を梁王に、貞を漢王に、惲を郯王に、治を晉王に、慎を申王に、囂を江王に、簡を代王に封ず。

四月壬辰、代王簡薨ず。

五月乙丑、金帛を以て突厥に没したる隋人を購い、その家に還す。

八月甲辰、使を高麗に遣わし、戦没したる隋人を祭らしむ。戊申、大理丞張蘊古を殺す。

十一月丙子、南郊にて祭祀を行う。

十二月丁亥、詔す。「死刑を決するには、京師では五度覆奏し、諸州では三度覆奏せよ。その日は尚食は酒肉を進めるなかれ」と。壬寅、温湯に行幸す。癸卯、山にて狩猟し、新豊の高年に帛を賜う。戊申、温湯より至る。癸丑、関内を赦す。

六年正月乙卯朔、日食あり。癸酉、静州の山獠反す、右武衛将軍李子和これを破る。

三月、侯君集罷免さる。戊辰、九成宮に至る。丁丑、雍・岐・豳の三州の死罪以下の刑を降し、民八十歳以上に粟帛を賜う。

五月、魏徴、侍中を検校す。

六月己亥、酆王元亨薨ず。辛亥、江王囂薨ず。

七月己巳、詔して天下に郷飲酒を行わしむ。

九月己酉、慶善宮に行幸す。

十月、侯君集起復す。乙卯、慶善宮より至る。

十二月辛未、囚を慮し、死罪の者をその家に帰らしむ。

是歳、諸羌内属する者三十万人。

七年正月戊子、宇文化及の党人の子孫を斥けて歯すべからず。辛丑、京城に酺三日を賜う。

二月丁卯、土雨ふる。

三月戊子、王珪罷免さる。庚寅、魏徴、侍中となる。

五月癸未、九成宮に至る。

六月辛亥(の日)、戴冑薨ず。

八月辛未(の日)、東西洞の獠、辺境を寇す。右屯衞大將軍張士貴を龔州道行軍総管と為して、これを討たしむ。

九月、囚を放ちて来帰せしめ、皆これを赦す。

十月庚申(の日)、九成宮より至る。乙丑(の日)、京師地震す。

十一月壬辰(の日)、開府儀同三司長孫无忌を司空しくうと為す。

十二月甲寅(の日)、芙蓉園に幸す。丙辰(の日)、少陵原に狩す。戊午(の日)、少陵原より至る。

八年正月辛丑(の日)、張士貴、獠と戦い、これを破る。壬寅(の日)、使いを遣わして天下を循省せしむ。

二月乙巳(の日)、皇太子元服を加う。丙午(の日)、死罪以下を降し、五品以上の子にして父の後を継ぐ者に爵一級を賜い、民に酺三日を賜う。

三月庚辰(の日)、九成宮に如く。

五月辛未朔(の日)、日食あり。

この夏、吐谷渾、涼州を寇す。左ぎょう衞大將軍段志玄を西海道行軍総管と為し、左驍衞將軍樊興を赤水道行軍総管と為して、これを伐たしむ。

七月、隴右山崩る。

八月甲子(の日)、星、虚・危に孛す。

十月、永安宮を作る。甲子(の日)、九成宮より至る。

十一月辛未(の日)、李靖罷む。己丑(の日)、吐谷渾、涼州を寇し、行人鴻臚丞趙德楷を執る。

十二月辛丑、特進李靖を西海道行軍大総管とし、侯君集を積石道行軍総管とし、任城郡王李道宗を鄯善道行軍総管とし、膠東郡公李道彦を赤水道行軍総管とし、涼州都督李大亮を且末道行軍総管とし、利州刺史高甑生を塩沢道行軍総管として、吐谷渾を討伐させた。丁卯、太上皇に従い城西で閲兵を行った。

九年正月、党項羌が叛いた。

二月、長孫无忌が罷免された。

三月庚辰、洮州の羌が刺史孔長秀を殺し、吐谷渾に附いた。壬午、大赦を行った。乙酉、高甑生が羌人と戦い、これを破った。

閏四月丙寅朔、日食があった。

五月、長孫无忌が起復した。庚子、太上皇が崩御し、皇太子が政務を聴いた。壬子、李靖が吐谷渾と戦い、これを破った。

七月庚子、塩沢道行軍副総管劉德敏が羌人と戦い、これを破った。

十月庚寅、太武皇帝を献陵に葬った。

十一月壬戌、特進蕭瑀に朝政への参豫を許した。

十年正月甲午、再び政務を聴いた。癸丑、元景を徙封して荊王とし、元昌を漢王とし、元礼を徐王とし、元嘉を韓王とし、元則を彭王とし、元懿を鄭王とし、元軌を霍王とし、元鳳を虢王とし、元慶を道王とし、霊夔を燕王とし、恪を呉王とし、泰を魏王とし、祐を斉王とし、愔を蜀王とし、惲を蔣王とし、貞を越王とし、慎を紀王とした。

三月癸丑、諸王を都督として出させた。

六月壬申、温彦博を尚書右僕射とし、太常卿楊師道を侍中とした。魏徴を罷めて特進とし、門下省事を知らしめ、朝章国典の参議をさせた。己卯、皇后が崩御した。

十一月庚寅、文徳皇后を昭陵に葬った。

十二月、蕭瑀が罷免された。庚辰、囚徒を慮した(審理した)。

十一年正月丁亥、元裕を徙封して鄧王とし、元名を舒王とした。庚子、飛山宮を造営した。乙卯、雍州の当年の租賦を免じた。

二月丁巳(丁巳の日)、九嵏山に陵を営み、功臣・密戚に陪塋の地及び祕器を賜う。甲子(甲子の日)、洛陽宮に行幸す。乙丑(乙丑の日)、民の百歳以上なる者に侍者五人を給す。壬午(壬午の日)、鹿臺嶺にて狩猟す。

三月丙戌朔(丙戌の朔日)、日食あり。癸卯(癸卯の日)、洛州の囚人及び現に徒刑に服する者を降赦し、一年分の租・調を免ず。辛亥(辛亥の日)、広成沢にて狩猟す。癸丑(癸丑の日)、洛陽宮に行幸す。

六月甲寅(甲寅の日)、温彦博薨ず。丁巳(丁巳の日)、明徳宮に幸す。己未(己未の日)、諸王を以て世封の刺史と為す。戊辰(戊辰の日)、功臣を以て世封の刺史と為す。己巳(己巳の日)、元祥を徙封して江王と為す。

七月癸未(癸未の日)、大雨、洪水、穀水・洛水溢る。乙未(乙未の日)、詔して百官に事を言わしむ。壬寅(壬寅の日)、明徳宮の玄圃院を廃し、水害に遭いし家に賜う。丙午(丙午の日)、亳州の老子廟・兗州の孔子廟に各二十戸を給し以て祭祀を奉ぜしめ、涼武昭王の近墓の戸二十を復し以て守衛せしむ。

九月丁亥(丁亥の日)、黄河溢れ、陝州河北県を壊し、河陽中潬を毀つ。白司馬坂に幸し之を観、河に瀕して水害に遭いし家に粟帛を賜う。

十月癸丑(癸丑の日)、先朝の謀臣・武将及び親戚にして亡き者の塋を献陵に陪す。

十一月辛卯(辛卯の日)、懐州に行幸す。乙未(乙未の日)、済源の麦山にて狩猟す。丙午(丙午の日)、洛陽宮に行幸す。

十二年正月乙未(乙未の日)、叢州地震す。癸卯(癸卯の日)、松州地震す。

二月癸亥(癸亥の日)、河北県に行幸し、底柱を観る。甲子(甲子の日)、巫州の獠反し、夔州都督斉善行之を敗る。乙丑(乙丑の日)、陝州に行幸す。丁卯(丁卯の日)、塩池を観る。庚午(庚午の日)、蒲州に行幸す。甲戌(甲戌の日)、長春宮に行幸す。朝邑の今年の租賦を免じ、囚人の罪を降す。乙亥(乙亥の日)、河濱にて狩猟す。

閏月庚辰朔(庚辰の朔日)、日食あり。丙戌(丙戌の日)、長春宮より至る。

七月癸酉(癸酉の日)、吏部尚書高士廉を尚書右僕射と為す。

八月壬寅(壬寅の日)、吐蕃松州を寇す。侯君集を当弥道行軍大総管と為し、三総管の兵を率いて之を伐つ。

九月辛亥(辛亥の日)、闊水道行軍総管牛進達、吐蕃と松州にて戦い、之を敗る。

十月己卯(己卯の日)、始平にて狩猟し、高年者に粟帛を賜う。乙未(乙未の日)、始平より至る。鈞州の山獠反し、桂州都督張宝德之を敗る。

十一月己巳(己巳の日)、明州の山獠反し、交州都督李道彦之を敗る。

十二月辛巳(の日)、壁州の山獠が反乱を起こし、右武候将軍上官懐仁がこれを討伐した。

この年、滁州と豪州において野蚕が繭を作った。

十三年正月乙巳(の日)、献陵に拝謁し、三原県および行従の者を赦免し、県民の当年の租賦を免除し、宿衛の陵邑郎将と三原県令に爵位一級を賜った。丁未(の日)、献陵より帰還した。

二月庚子(の日)、世襲の刺史を停止した。

三月乙丑(の日)、星が畢宿と昴宿に孛(彗星)した。

四月戊寅(の日)、九成宮に行幸した。甲申(の日)、中郎将阿史那結社率が反乱を起こし、誅殺された。壬寅(の日)、雲陽で石が燃えた。

五月甲寅(の日)、旱魃のため正殿を避け、五品以上の者に時事を上言するよう詔し、食事を減らし、労役を停止し、囚人を審理し、困窮者を救済したところ、雨が降った。

六月丙申(の日)、弟の元嬰を滕王に封じた。

八月辛未朔(の日)、日食があった。

十月甲申(の日)、九成宮より帰還した。

十一月辛亥(の日)、楊師道を中書令とした。戊辰(の日)、尚書左丞劉洎を黄門侍郎とし、政事に参与させた。

十二月壬申(の日)、侯君集を交河道行軍大総管とし、高昌を討伐させた。乙亥(の日)、子の福を趙王に封じた。壬辰(の日)、咸陽で狩猟を行った。癸巳(の日)、咸陽より帰還した。

この年、滁州において野蚕が繭を作った。

十四年正月庚子(の日)、有司が時令を読んだ。甲寅(の日)、魏王李泰の邸宅に行幸し、雍州長安県を赦免し、延康里の当年の租賦を免除した。

二月丁丑(の日)、国学で釈奠を観覧し、大理県と万年県を赦免し、学官と成績優秀な学生に絹帛を賜った。壬午(の日)、温湯に行幸した。辛卯(の日)、温湯より帰還した。乙未(の日)、梁の皇偘・褚仲都、周の熊安生・沈重、陳の沈文阿・周弘正・張譏、隋の何妥・劉焯・劉炫の子孫を求めた。

三月、羅州・竇州の獠が反し、広州総管党仁弘これを破る。

五月壬寅、霊夔を徙封して魯王となす。

六月、滁州に野蠶繭を成す。乙酉、大風木を抜く。

八月庚午、襄城宮を作る。癸酉、侯君集高昌を克つ。

九月癸卯、高昌の部及び士卒の父子の死罪を犯す者、期服の流罪を犯す者、大功服の徒刑を犯す者、小功・緦麻服の杖刑を犯す者を赦し、皆これを原ゆ。

閏十月乙未、同州に如く。甲辰、堯山に獵す。庚戌、同州より至る。

十一月甲子、南郊に事有り。

十二月丁酉、侯君集高昌王を俘え以て献ず、酺を賜うこと三日。癸卯、樊川に獵す。乙巳、樊川より至る。

十五年正月辛巳、洛陽宮に如き、温湯に次る。衛士崔卿・刁文懿謀反し、誅に伏す。

三月戊辰、襄城宮に如く。

四月辛卯、来歳二月泰山に事有らんことを詔す。乙未、洛州の今歳の租を免じ、遷戸にして故に復を給せられし者には加えて一年給し、民八十以上に物を賜い、惸独・鰥寡・疾病自ら存すること能わざる者には米二斛を賜う。囚を慮す。

六月己酉、星太微に孛す。丙辰、泰山を封ずることを停め、正殿を避け、膳を減ず。

七月丙寅、周・隋の名臣及び忠烈の子孫にして貞観以後に流配せられたる者を宥す。

十月辛卯、伊闕に獵す。壬辰、洛陽宮に如く。

十一月癸酉、薛延陀辺を寇す。兵部尚書李世勣を朔州道行軍総管と為し、右衛大将軍李大亮を霊州道行軍総管と為し、涼州都督李襲譽を涼州道行軍総管と為し、以てこれを伐つ。

十二月戊子、洛陽宮より至る。庚子、三品以上の嫡子に命じて東宮に事えしむ。辛丑、囚を慮う。甲辰、李世勣、薛延陀と諾真水に戦い、これを破る。乙巳、戦死した将士の官に三転を贈る。

十六年正月乙丑、使者を遣わして西州を安撫す。戊辰、西州を戍る者を募る。前に流罪に犯し死亡し匿る者は、自首して応募することを聴す。辛未、天下の死罪囚を移して西州を実す。中書舍人岑文本、中書侍郎となり、専ら機密を典す。

六月戊戌、太白昼に見ゆ。

七月戊午、長孫无忌、司徒となる。房玄齡、司空となる。

十一月丙辰、武功に狩す。壬戌、岐山の陽に狩す。甲子、過ぐる所の六県の高年孤疾に氈衾粟帛を賜い、ここに慶善宮に幸す。庚午、慶善宮より至る。

十二月癸卯、温湯に幸す。甲辰、驪山に狩す。乙巳、温湯より至る。

十七年正月戊辰、魏徵薨ず。代州都督劉蘭、謀反し、誅せらる。

二月己亥、囚を慮う。戊申、功臣を凌煙閣に図す。

三月壬子、送終の令式に違う者を禁ず。丙辰、齊王祐、反す。李世勣、これを討つ。甲子、旱のため使者を遣わして囚を覆し獄を決せしむ。乙丑、齊王祐誅せらる。齊州の租調を一年間復除す。

四月乙酉、皇太子を廃して庶人とし、漢王元昌・侯君集ら誅せらる。丙戌、晉王治を立てて皇太子とし、大赦し、文武の官及び五品以上の子で父の後を継ぐ者に爵一級を賜い、民八十以上に粟帛を賜い、酺三日を賜う。丁亥、楊師道罷む。己丑、特進蕭瑀、太子太保となり、李世勣、太子詹事となり、同中書門下三品となる。庚寅、太廟にて承乾の過ちを謝す。癸巳、魏王泰を降封して東萊郡王となす。

六月己卯朔、日食あり。壬辰、隋恭帝を葬る。甲午、旱のため正殿を避け、膳を減じ、詔して京官五品以上に事を言わしむ。丁酉、高士廉、同中書門下三品、平章政事となる。

閏月丁巳、詔して皇太子に左右屯営の兵を典せしむ。丙子、泰を徙封して順陽郡王となす。

七月丁酉、房玄齡罷む。

八月庚戌、工部尚書張亮、刑部尚書となり、朝政に参豫す。

十月丁未、諸州の邸を京城に建つ。丁巳、房玄齡起復す。

十一月己卯、南郊にて祭祀を行う。壬午、酺を賜うこと三日、涼州に瑞石を獲たるを以て、涼州を赦す。

十二月庚申、温湯に行幸す。庚午、温湯より至る。

十八年正月乙未、鍾官城に如く。庚子、鄠に如く。壬寅、温湯に行幸す。

二月己酉、零口に如く。乙卯、零口より至る。丁巳、突厥・高昌の部人にして諸州に隷する者に復を給すること二年。

四月辛亥、九成宮に如く。

七月甲午、営州都督張儉、幽・営の兵及び契丹・奚を率いて高麗を伐つ。

八月壬子、安西都護郭孝恪を西州道行軍総管と為し、焉耆を伐たしむ。甲子、九成宮より至る。丁卯、劉洎を侍中と為し、岑文本を中書令と為し、中書侍郎馬周は中書令を守る。

九月、黄門侍郎褚遂良、朝政に参豫す。辛卯、郭孝恪、焉耆と戦い、之を敗る。

十月辛丑朔、日食有り。癸卯、雍州の父老を上林苑に宴し、粟帛を賜う。甲寅、洛陽宮に如く。己巳、天池に狩す。

十一月戊寅、囚を慮す。庚辰、使を遣わし鄭・汝・懷・澤の四州の高年を巡問し、宴し賜う。甲午、張亮を平壤道行軍大総管と為し、李世勣・馬周を遼東道行軍大総管と為し、十六総管の兵を率いて高麗を伐たしむ。

十二月壬寅、庶人承乾卒す。戊午、李思摩の部落叛く。

十九年二月庚戌、洛陽宮に如く、高麗を伐たんとす。癸丑、武徳北山にて虎を射る。乙卯、皇太子、定州にて国を監す。丁巳、過ぐる所の高年・鰥寡に粟帛を賜い、比干に太師を贈り、謚して忠烈と曰う。

三月壬辰、長孫无忌、侍中を摂り、吏部尚書楊師道、中書令を摂る。

四月癸卯、幽州にて師を誓い、軍を大饗す。丁未、岑文本薨ず。癸亥、李世勣、蓋牟城を克つ。

五月己巳、平壤道行軍総管程名振、沙卑城を克つ。庚午、遼沢に次り、隋人の戦いて亡びし者を瘞る。乙亥、遼東道行軍総管張君乂罪有り、誅に伏す。丁丑、軍を馬首山にす。甲申、遼東城を克つ。

六月丁酉、白巖城を陥とす。己未、高麗を安市城の東南山に大いに破る。左武衞将軍王君愕、これに死す。辛酉、酺を賜うこと三日。

七月壬申、死事の官を葬り、爵四級を加え、一子をして襲はしむ。

九月癸未、師を班す。

十月丙午、営州に次る。太牢を以て死事者を祭る。丙辰、皇太子、臨渝関に迎謁す。戊午、漢武臺に次り、石に刻して功を紀す。

十一月癸酉、大いに軍を饗す于幽州。庚辰、易州に次る。癸未、平壤道行軍総管張文幹、罪有り、誅に伏す。丙戌、定州に次る。丁亥、楊師道を貶して工部尚書と為す。

十二月戊申、幷州に次る。己未、薛延陀、夏州を寇す。左領軍大将軍執失思力、これを破る。庚申、劉洎を殺す。

二十年正月辛未、夏州都督喬師望、薛延陀と戦ひ、これを破る。丁丑、使者二十二人を遣はし、六条を以て天下に黜陟せしむ。庚辰、幷州を赦し、起義の時の編戸には復を給すること三年、後に附したる者は一年。

二月甲午、高麗を伐ちて功なき者に従ひ、皆勳一転を賜ふ。庚申、過ぐる所の高年・鰥寡に粟を賜ふ。

三月己巳、高麗より至る。庚午、豫せず。皇太子、政を聴く。己丑、張亮、反を謀り、誅に伏す。

閏月癸巳朔、日食有り。

六月乙亥、江夏郡王道宗・李世勣、薛延陀を伐つ。

七月辛亥、疾愈ゆ。李世勣、薛延陀と戦ひ、これを破る。

八月甲子、孫忠を封じて陳王と為す。己巳、霊州に如く。庚辰、涇州に次り、高年・鰥寡に粟帛を賜ふ。丙戌、隴山関を踰え、瓦亭に次り、馬牧を観る。丁亥、陪陵する者の子孫の従葬を許す。

九月辛卯、使者を遣はして嶺南を巡察せしむ。甲辰、鉄勒諸部、上に号を請うて「可汗」と為す。辛亥、霊州地震す。

十月、蕭瑀を貶して商州刺史と為す。丙戌、霊州より至る。

十一月己丑、詔して曰く、「祭祀・表疏、藩客・兵馬・宿衞の行魚契・駅給、五品以上の官を授け及び除解し、死罪を決することは、皆聞すべし。余は皇太子に委す」と。

二十一年正月壬辰、高士廉薨ず。丁酉、詔して来る歳二月に泰山に事有らんとす。甲寅、鉄勒諸部を以て州県となし、京師に酺三日を賜う。囚を慮し、死罪以下を降す。

二月丁丑、皇太子太学にて釈菜す。

三月戊子、左武衞大将軍牛進達を青丘道行軍大総管と為し、李世勣を遼東道行軍大総管と為し、三総管の兵を率いて高麗を伐つ。

四月乙丑、翠微宮を作る。

五月戊子、翠微宮に幸す。壬辰、百司に命じて皇太子に於いて事を決せしむ。庚戌、李世勣南蘇・木底城を克つ。

六月丁丑、鉄勒諸部に使いを遣わし、中国に陷沒せる者を購う。

七月乙未、牛進達石城を克つ。丙申、玉華宮を作る。庚戌、翠微宮より至る。

八月、泉州海溢す。壬戌、泰山の封を停む。

九月丁酉、子明を封じて曹王と為す。

十月癸丑、褚遂良罷む。

十一月癸卯、泰を進封して濮王と為す。

十二月戊寅、左驍衞大将軍契苾何力を崑丘道行軍大総管と為し、三総管の兵を率いて亀茲を伐つ。

二十二年正月庚寅、馬周薨ず。戊戌、温湯に幸す。己亥、中書舎人崔仁師を中書侍郎と為し、機務に参ず。丙午、左武衞大将軍薛万徹を青丘道行軍大総管と為し、以て高麗を伐つ。長孫无忌中書令を検校し、尚書・門下省の事を知る。戊申、温湯より至る。

二月、褚遂良起復す。乙卯、京城の父老を見、之を労し、今歳の半租を蠲め、畿県は三の一を免ず。丁卯、詔して遼水を度り功有りて未だ勳に酬いられずして罪を犯す者は成官と同じくせしむ。乙亥、玉華宮に幸す。己卯、華原にて狩す。崔仁師を連州に流す。

三月丁亥、宜君を赦し、玉華宮苑中より遷徙した県人の復業を三年間給する。

四月丁巳、松州の蠻叛く。右武候將軍梁建方これを敗る。

六月丙寅、張行成河北の従軍者の家を存問し、州縣に命じて農を営ましむ。丙子、薛萬徹高麗と泊灼城に戦い、これを敗る。

七月甲申、太白昼に見ゆ。壬辰、華州刺史李君羨を殺す。癸卯、房玄齢薨ず。

八月己酉朔、日食あり。辛未、執失思力金山にて薛延陀の余部を伐つ。

九月庚辰、崑丘道行軍総管阿史那社爾薛延陀の余部処月・処蜜と戦い、これを敗る。己亥、褚遂良を中書令と為す。壬寅、眉・卭・雅三州の獠反す。茂州都督張士貴これを討つ。

十月癸丑、玉華宮より至る。己巳、阿史那社爾龜茲と戦い、これを敗る。

十二月辛未、長安・萬年の徒罪以下を降す。

閏月癸巳、囚を慮う。

二十三年正月辛亥、阿史那社爾龜茲王を俘え以て献ず。

三月己未、冬より旱り、是に至りて雨ふる。辛酉、大赦す。丁卯、豫せず、皇太子に命じて金液門にて政を聴かしむ。

四月己亥、翠微宮に幸す。

五月戊午、李世勣を貶して疊州都督と為す。己巳、皇帝含風殿に崩ず。年五十三。庚午、大行の御馬輿を奉じて京師に還る。礼部尚書于志寧を侍中と為し、太子少詹事張行成侍中を兼ね、高季輔中書令を兼ぬ。壬申、喪を発し、謚して文と曰う。上元元年、謚を改めて文武聖皇帝とす。天宝八載、謚して文武大聖皇帝とす。十三載、謚を増して文武大聖大広孝皇帝とす。

贊して曰く、甚だしいかな、至治の君は世に出でざるなり。禹天下を有ち、十有六王を伝え、而して少康に中興の業あり。湯天下を有ち、二十八王を伝え、而して其の甚だ盛んなる者は、三宗と称す。武王天下を有ち、三十六王を伝え、而して成・康の治と宣の功、其の余は称する所なし。詩・書の載する所と雖も、時に闕略有りと雖も、然れども三代千七百余年にして、七十余君を伝え、其の卓然として後世に著見する者は、此の六七君のみ。嗚呼、得難しと謂うべし。唐天下を有ち、世を伝うること二十、其の称すべき者三君、玄宗・憲宗皆其の終を克たず。盛んなるかな、太宗の烈なり。其の隋の乱を除くは、湯・武に比迹し、治を致すの美は、成・康に庶幾し。古より功德兼ねて隆んなるは、漢以来未だ之れ有らざるなり。其の多愛に牽かれ、復た浮図を立て、大を好み功を喜び、兵を遠くに勤むるに至りては、此れ中材の庸主の常に為す所なり。然れども春秋の法、常に賢者に責備す。是を以て後世の君子の人の美を成さんと欲する者は、斯れに於いて歎息せざる莫し。