後漢書

巻九十三・律曆下 曆法

巻九十三・律曆下 曆法

 

 

 

昔、聖人が暦を作ったとき、北斗の運行、三光(日・月・星)の動き、太陽の道の伸縮、影の長短、斗綱の指す方位、青龍(歳星)の巡る位置を観察し、それらを組み合わせて変化を求め、その数を錯綜させ、暦術を制定した。

原文昔者聖人之作歷也,觀琁璣之運,三光之行,道之發斂,景之長短,斗綱(之)[所]建,青龍所躔,參伍以變,錯綜其數,而制術焉。

 

天の運行は、一晝一夜で一周する。星は天に従って西に動き、日は天に逆らって東に進む。太陽の運行と天の運行が一周するとき、天では度となり、暦では日となる。列宿を住まいとし、四七(二十八宿)で終わり、甲乙(十干)を受け、六旬(六十干支)で終わる。日月は互いに押し合い、日はゆるやかに、月は速く進み、両者が同じ位置に来るときを合朔という。ゆるやかな日が先、速い月が後で、近いときは一度、遠いときは三度離れるのを弦という。互いに相対して天の中分線上に位置するのを望という。速い月がゆるやかな日に追いつき、光が尽きて姿を隠すのを晦という。晦と朔が離合し、斗建が辰を移すのを月という。日月の運行には冬と夏があり、冬夏の間には春と秋がある。それゆえ、太陽が北陸(北方の星宿)を運行するのを冬といい、西陸を春といい、南陸を夏といい、東陸を秋という。太陽の道が南に伸び、北極からますます遠ざかると、その影はますます長くなり、遠く長くなって極まると、冬至が来る。太陽の道が北に縮み、北極にますます近づくと、その影はますます短くなり、近く短くなって極まると、夏至が来る。二至(冬至・夏至)の中間で、太陽の道が平らになり影が正しくなるのが、春分・秋分である。

原文天之動也,一晝一夜而運過周,星從天而西,日違天而東。日之所行與運周,在天成度,在歷成日。居以列宿,終於四七,受以甲乙,終於六旬。日月相推,日舒月速,當其同[所],謂之合朔。舒先速後,近一遠三,謂之弦。相與為衡,分天之中,謂之望。以速及舒,光盡體伏,謂之晦。晦朔合離,斗建移辰,謂之[月]。日月之(術)[行],則有冬有夏;冬夏之閒,則有春有秋。是故日行北陸謂之冬,西陸謂之春,南陸謂之夏,東陸謂之秋。日道發南,去極彌遠,其景彌長,遠長乃極,冬乃至焉。日道斂北,去極彌近,其景彌短,近短乃極,夏乃至焉。二至之中,道齊景正,春秋分焉。

 

太陽が天を一周する間に、一寒一暑があり、四時が整い、万物がすべて変化し、摂提星が次を移り、青龍(歳星)が辰を移すのを歳という。

原文日周於天,一寒一暑,四時備成,萬物畢改,攝提遷次,青龍移辰,謂之歲。

 

歳の始まりは至(冬至)であり、月の始まりは朔である。至と朔が同じ日になるのを章といい、同じ日首(甲子の日)になるのを蔀といい、蔀が六十干支で終わるのを紀といい、歳と朔がまた元に戻るのを元という。それゆえ、日によって実を満たし、月によって閏を入れ、時によって分け、歳によって周り、章によって明らかにし、蔀によって区分し、紀によって記録し、元によって根源に遡る。そうすれば、たとえ変化が万種千様で、満ち欠けに一定の法則がなくとも、すべてこれに結びつけて正しくすることができる。

原文歲首至也,月首朔也。至朔同日謂之章,同在日首謂之蔀,蔀終六旬謂之紀,歲朔又復謂之元。是故日以實之,月以閏之,時以分之,歲以周之,章以明之,蔀以部之,紀以記之,元以原之。然後雖有變化萬殊,贏朒無方,莫不結繫於此而業正焉。

 

北極を中央に立て、黄道を外に巡らせ、渾天儀で太陽を追い、その伸縮を観察して、光の道(黄道)が生まれる。孔壺を漏刻とし、浮き矢を刻とし、漏刻の水が滴り刻数を数え、中星を考証して、□明(時刻)が生まれる。日には光の道(黄道)があり、月には九道(九つの運行経路)があり、九道が出入りして交点が生まれる。朔が望と衡(相対)し、交点に近づくと、欠けや薄明が生まれる。月には晦朔があり、星には合と見えがあり、月には弦望があり、星には留と逆があり、その帰するところは一つで、歩術(推算術)が生まれる。金星・水星は陽気を受け、太陽の前後に位置し、速ければ太陽より先に進み、□て後に留まり、留まった後に逆行し、逆行して太陽と離れ、離れた後に速くなり、速くなって太陽と競い、競ってまた太陽より先に進み、□速順逆によって、晨(明け方)と夕(夕方)が生まれる。

原文極建其中,道營於外,琁衡追日,以察[發]斂,光道生焉。孔壺為漏,浮箭為刻,下漏數刻,以考中星,□明生焉。日有光道,月有九行,九行出入而交生焉。朔會望衡,鄰於所交,虧薄生焉。月有晦朔,星有合見,月有弦望,星有留逆,其歸一也,步術生焉。金、水承陽,先後日下,速則先日,□而後留,留而後逆,逆與日違,違而後速,速與日競,競又先日,□速順逆,晨夕生焉。

 

日・月・五緯(惑星)にはそれぞれ終わりと始まりがあり、それによって七元が生まれる。出現と潜伏には日数があり、留と運行には度数があり、それによって率数が生まれる。参差を揃え、多少を均して、会終(周期の終わり)が生まれる。引き伸ばし、触れて長くし、奥深いものを探り、隠れたものを求め、深いものを釣り上げ、遠いものを招き寄せ、幽暗で潜み伏すものでも、その精妙なところを捉えないものはない。それゆえ陰陽には分かれがあり、寒暑には節度があり、天地は正しく観られ、日月は正しく明るい。

原文日、月、五緯各有終原,而七元生焉。見伏有日,留行有度,而率數生焉。參差齊之,多少均之,會終生焉。引而伸之,觸而長之,探賾索隱,鉤深致遠,無幽辟潛伏,而不以其精者然。故陰陽有分,寒暑有節,天地貞觀,日月貞明。

 

もしも暦術を助け事業を開き、天の光を厚く輝かせた者といえば、重黎がその上首である。聖帝の命を受けて昊天のように、天象と三辰(日・月・星)の法則を司り、民事を授け、閏月を立て時を定め、歳の功を成し遂げた者といえば、羲和がその隆盛である。金(革新的な金属)と火(革命の火)の象を取って、革命し制度を創始し、暦を治めて時を明らかにし、天に応じ民に順った者といえば、湯王・武王がその盛んなる者である。そして王徳が衰えると、無道の君が上で乱し、頑愚の史官が下で失う。夏后氏の時代、羲和が酒に溺れ、時を廃し日を乱したので、胤侯がこれを征伐した。紂王が淫虐を行い、甲子の日を失ったので、武王がこれを誅した。正しく明らかにできる者は、その興りが勃然としており、曲げて失敗させる者は、その滅びが忽ちである。天地の綱紀、帝王の大事業として、その偉大さはまるで道のようであり、それゆえ聖人はこれを宝とし、君子はこれを努めるのである。

原文若夫佑術開業,淳耀天光,重黎其上也〈顓頊曰重黎。〉。承聖帝之命若昊天,典歷像三辰,以授民事,立閏定時,以成歲功,羲和其隆也〈唐﹑虞﹑夏﹑商曰羲和。〉。取象金火,革命創製,治歷明時,應天順民,湯、武其盛也〈月令章句曰:「帝舜叶時月正日,湯、武革命,治歷明時。言承平者叶之,承亂者革之。」〉。及王德之衰也,無道之君亂之於上,頑愚之史失之於下。夏後之時,羲和淫湎,廢時亂日,胤乃征之。紂作淫虐,喪其甲子,武王誅之。夫能貞而明之者,其興也勃焉;回而敗之者,其亡也忽焉。巍巍乎若道天地之綱紀,帝王之壯事,是以聖人寶焉,君子勤之。

 

暦には聖人の徳が六つある。気を根本とする者はその本体を尊び、数を総合する者はその文飾を尊び、類を考察する者はその象徴を尊び、事を行う者はその時機を尊び、過去を占う者はその源を尊び、未来を知る者はその流れを尊ぶ。大業がこれに載り、吉凶がここから生じる。それゆえ君子は事業を起こそうとするとき、これを諮問して事に従い、天命を受けてこれに背かない。天を用い地に因り、時を測り教えを施し、明堂に頒布して民の規範とするものは、月令に勝るものはない。帝王の大いなる司祭はこれで備わり、天下の為しうる事はこれで尽きる。

原文夫歷有聖人之德六焉:以本氣者尚其體,以綜數者尚其文,以考類者尚其象,以作事者尚其時,以占往者尚其源,以知來者尚其流。大業載之,吉凶生焉,是以君子將有興焉,咨焉而以從事,受命而莫之違也。若夫用天因地,揆時施教,頒諸明堂,以為民極者,莫大乎月令。帝王之大司備矣,天下之能事畢矣。

 

これを過ぎて先へ進む、群れの禁忌や苟かりそめの禁制については、君子はまだ知らないこともある。

原文過此而往,腢忌苟禁,君子未之或知也。

 

斗宿の二十一度は、北極から最も遠く、太陽がここに来ると冬至となり、万物はここから生じる。それゆえ律は黄鐘を首とし、暦は冬至を始めとし、月はまず建子の月(十一月)を先とし、時は夜半を平とする。漢の高皇帝が天命を受けて四十五年目、陽は上章(庚)、陰は執徐(辰)にあり、冬十一月甲子の夜半、朔旦冬至であった。日月閏積の数はすべてここから始まり、元を立て朔を正し、これを漢暦という。さらに上二つの元(紀元)を遡り、月食と五星の元も、ともにここを発端とする。

原文斗之二十一度,去極至遠也,日在焉而冬至,腢物於是乎生。故律首黃鐘,歷始冬至,月先建子,時平夜半。當漢高皇帝受命四十有五歲,陽在上章,陰在執徐,冬十有一月甲子夜半朔旦冬至,日月閏積之數皆自此始,立元正朔,謂之漢歷。又上兩元,而月食五星之元,並發端焉。

 

暦数が生まれると、儀器と表(日時計)を立てて、日影を較べた。影が長ければ太陽は遠く、これが天度の端緒である。太陽がその端緒から発し、一周して歳となるが、その影は元に戻らない。四周千四百六十一日で影が初めに戻る。これが太陽の運行の一周期である。これを周数で日数を割ると、三百六十五と四分の一度が得られ、これが一歳の日数である。日は一日に一度行くので、これがまた天度でもある。日月がともに度の端緒から発するのを観察すると、日が十九周し、月が二百五十四周して、再び端緒で会う。これが月の運行の一周期である。日周で月周を割ると、一歳の周天の数が得られる。

原文歷數之生也,乃立儀、表,以校日景。景長則日遠,天度之端也。日發其端,周而為歲,然其景不復,四周千四百六十一日,而景復初,是則日行之終。以周除日,得三百六十五四分度之一,為歲之日數。日日行一度,亦為天度。察日月俱發度端〈即是起捨合朔。〉,日行十九周,月行二百五十四周,復會於端,是則月行之終也。以日周除月周,得一歲周天之數。

 

日一周をこれから減じると、余りは十二と十九分の七である。これは月が周天を過ぎて日が運行する数であり、一歳の月数となる。

原文以日一週減之,余十二十九分之七,則月行過周及日行之數也,為一歲之月。

 

これで一歳の日数を割ると、一月の日数が得られる。月の余分がその法(分母)に満ちると一月となり、月が成立するとその歳は大となる。

原文以除一歲日,為一月之數。月之餘分積滿其法,得一月,月成則其歲[大]。

 

月が大きくなり四時が推移するので、十二の中気を置いて月の位置を定める。朔はあるが中気がない月を閏月とする。中気の始まりを節といい、節と中気を合わせて二十四気となる。これで一歳の日数を割ると、一気の日数が得られる。その分が積もって日となるのを没といい、歳気の分を合わせ、法で割ると一歳の没となる。没分は終中(中気の終わり)に分けられ、中気は冬至で終わる。冬至の分が法のように積もって一日となり、四歳で終わる。月の分が積もって閏となり、閏が七回で尽き、その歳は十九年、これを章という。章の首で分が尽き、四つがともに終わるのを蔀という。一歳の日数を掛けると、蔀の日数が得られる。甲子で命名すると、二十回で初めに戻る。それゆえ二十蔀を紀という。紀の歳で青龍(歳星)が終わらず、三終歳の後に再び青龍となるのを元という。

原文月(大)四時推移,故置十二中以定月位。有朔而無中者為閏月。中之始(日)[曰]節,與中為二十四氣。以除一歲日,為一氣之日數也。其分積而成日為沒,並歲氣之分,如法為一歲沒。沒分於終中,中終於冬至,冬至之分積如其法得一日,四歲而終。月分成閏,閏七而盡,其歲十九,名之曰章。章首分盡,四之俱終,名之曰蔀。以一歲日乘之,為蔀之日數也。以甲子命之,二十而復其初,是以二十蔀為紀。紀歲青龍未終,三終歲後復青龍為元。

 

閏法は七、これは章閏のためである。

原文沒法,七,因為章閏。

 

日の余りは百六十八。

原文日餘,百六十八。

 

中法は三十二。

原文中法,(四)[三]十二。

大周は三十四万三千三百三十五。

原文大周,三十四萬三千三百三十五。

 

月周は千一十六。

原文月周千一十六。

 

月食数の発生は、月食が既(既に起こったもの)を記録したものである。率は二十三回の食で再び既となる。その月食は百三十五回であり、率で割ると、五百月に二十三の二十で一食となる。これで一年の月数を割ると、一年に再び食が五百一十三分の五十五回あることが得られる。分で法を終え、これにより蔀と互いに約分すると、四と二十七が得られ、互いに乗じると二千五十二となり、二十で元と会する。

原文月食數之生也,乃記月食之既者。率二十三食而復既,其月(食)百三十五,率之相除,得五(百)[月]二十三之二十而一食。以除一歲之月,得歲有再食五百一十三分之五十[五]也。分終其法,因以與蔀相約,得四與二十七,互之,會二千五十二,二十而與元會。

 

元会は四万一千四十。

原文元會,四萬一千四十。

 

蔀会は二千五十二。

原文蔀會,(三)[二]千五十(三)[二]。

 

歳数は五百一十三。

原文歲數,五百一十三。

 

食数は千八十一。

原文食數,千八十一。

 

月数は百三十五。

原文月數,百(二)[三]十五。

 

食法は二十三。

原文食法,二十(二)[三]。

 

入蔀術を推すには、元法で上元を除去し、その余りを紀法で除する。得られた数は天紀から数え、算外が入る紀である。紀法に満たないものは、入紀の年数である。蔀法で除し、得られた数は甲子蔀から起算し、算外が入る紀の歳名を命じ、算上すれば、求める年の太歳の所在である。

原文推入蔀術曰:以元法除去上元,其餘以紀法除之,所得數從天紀,筭外則所入紀也。不滿紀法者,入紀年數也。以蔀法除之,所得數從甲子蔀起,筭外,所入紀歲名命之,筭上,即所求年太歲所在。

 

月食の入る蔀会の年を推すには、元会で上元を除去し、その余りを蔀会で除する。得られたものに二十七を乗じ、六十で満たして除去し、余りを二十で除した得られた数は、天紀から数え、算外が入る紀である。二十に満たないものは、数は甲子蔀から起算し、算外が入る蔀会である。初めに蔀会に満たないものは、入蔀会の年数であり、それぞれ入る紀の歳名を命じ、算上すれば、求める年の太歳の所在である。

原文推月食所入蔀會年,以元會除去上元,其餘以蔀會除之,所得以(七)[二]十(二)[七]乘之,滿六十除去之,余以二十除所得數,從天紀,筭(之起)外,所(以)入紀,不滿二十者,數從甲子蔀起,筭外,所入蔀會也。其初不滿蔀會者,入蔀會年數也,各以(不)[所]入紀歲名命之,筭上,即所求年(蔀)[太歲所在]。

 

天紀歳名、地紀歳名、人紀歳名、蔀首。庚辰、庚子、庚申、甲子一。丙申、丙辰、丙子、癸卯二。壬子、壬申、壬辰、壬午三。戊辰、戊子、戊申、辛酉四。甲申、甲辰、甲子、庚子五。庚子、庚申、庚辰、己卯六。丙辰、丙子、丙申、戊午七。壬申、壬辰、壬子、丁酉八。戊子、戊申、戊辰、丙子九。甲辰、甲子、甲申、乙卯十。庚申、庚辰、庚子、甲午十一。丙子、丙申、丙辰、癸酉十二。壬辰、壬子、壬申、壬子十三。戊申、戊辰、戊子、辛卯十四。甲子、甲申、甲辰、庚午十五。庚辰、庚子、庚申、己酉十六。丙申、丙辰、丙子、戊子十七。壬子、壬申、壬辰、丁卯十八。戊辰、戊子、戊申、丙午十九。甲申、甲辰、甲子、乙酉二十。天正術を推すには、入蔀年から一を減じ、章月を乗じ、章法で満たして一を得る。これを積月と名付け、満たないものを閏余とする。十二以上であれば、その年には閏がある。

原文天紀歲名地紀歲名人紀歲名蔀首庚辰庚子庚申甲子一丙申丙辰丙子癸卯二壬子壬申壬辰壬午三戊辰戊子戊申辛酉四甲申甲辰甲子庚子五庚子庚申庚辰己卯六丙辰丙子丙申戊午七壬申壬辰壬子丁酉八戊子戊申戊辰丙子九甲辰甲子甲申乙卯十庚申庚辰庚子甲午十一丙子丙申丙辰癸酉十二壬辰壬(午)[子]壬申壬子十三戊申戊辰戊子辛卯十四甲子甲申甲辰庚午十五庚辰庚子庚申(乙)[己]酉十六丙申丙辰丙子戊子十七壬子壬申壬辰丁卯十八戊辰戊子戊申丙午十九甲申甲辰甲子乙酉二十推天正術,置入蔀年減一,以章月乘之,滿章法得一,名為積月,不滿為閏余,十二以上,其歲有閏。

 

天正朔日を推算するには、入蔀年を置き、積月を乗じ、蔀日を以ってこれを乗じ、蔀月で満たして一を得、これを積日と名付け、満たさないものを小余とする。積日を六十で除して去り、その余りを大余とする。入った蔀の名を以ってこれを命じ、算を尽くした外は、則ち前年の天正十一月朔日である。小余が四百四十一以上ならば、その月は大である。後の月の朔を求めるには、大余に二十九を加え、小余に四百九十九を加える。小余が蔀月で満たされれば一を得、上に大余を加え、前と同じように命ずる。

原文推天正朔日,置入蔀積月,以蔀日乘之,滿蔀月得一,名為積日,不滿為小余,積日以六十除去之,其餘為大余,以所入蔀名命之,筭盡之外,則前年天正十一月朔日也。小余四百四十一以上,其月大。求後月朔,加大余二十九,小余四百九十[九],小余滿蔀月得一,上加大余,命之如前。

 

一つの術として、大周を年数に乗じ、周天を閏余に乗じてこれを減じ、余りが蔀月で満たされれば、天正朔日である。

原文一術,以大周乘年,周天乘[閏余]減之,余滿蔀(日)[月],則天正朔日也。

 

二十四気を推算する術は言う。入蔀年を置き一を減じ、日余を以ってこれを乗じ、中法で満たして一を得、これを大余と名付け、満たさないものを小余とする。大余が六十で満たされれば除して去り、その余りを蔀名を以ってこれを命じ、算を尽くした外は、則ち前年の冬至の日である。

原文推二十四氣術曰:置入蔀年減一,以(月)[日]余乘之,滿中法得一,名曰大余,不滿為小余,大余滿六十除去之,其餘以蔀名命之,筭盡之外,則前年冬至之日也。

 

次の気を求めるには、大余に十五を加え、小余に七を加え、除して命ずることは前と同じで、小寒の日である。

原文求次氣,加大余十五,小余七,除命之如前,小寒日也。

 

閏月の所在を推算するには、閏余を以って章法を減じ、余りを十二乗じ、章閏数で満たして一を得、四以上で満たされても一算の数とし、前年の十一月から起算し、算を尽くした外が閏月である。あるいは進退させ、中気を以ってこれを定める。

原文推閏月所在,以閏余減章法,余以十二乘之,滿章閏數得一,滿四以上亦得一筭之數,從前年十一月起,筭盡之外,閏月也。或進退,以中氣定之。

 

弦・望の日を推算するには、その月の朔の大小余の数に因り、皆大余に七を加え、小余に三百五十九と四分の三を加える。小余が蔀月で満たされれば一を得、大余を加え、大余を法の如く命ずれば、上弦を得る。また加えれば望を得、次に下弦を得、また後の月の朔となる。

原文推弦、望日,因其月朔大小余之數,皆加大余七,小余三百五十九四分三,小余滿蔀月得一,加大余,大余命如法,得上弦。又加得望,次下弦,又後月朔。

 

その弦・望の小余が二百六十以下の場合、毎度百刻を以ってこれを乗じ、蔀月で満たして一刻を得、満たさない数は近い節気の夜漏の半分にし、算上を以って日とする。

原文其弦、望小余二百六十以下,每以百刻乘之,滿蔀月得一刻,不滿其(數)[所]近節氣夜漏之半者,以筭上為日。

 

没滅を推算する術は、入蔀年を置き一を減じ、没数を以ってこれを乗じ、日法で満たして一を得、これを積没と名付け、尽きないものを没余とする。

原文推沒滅術,置入蔀年減一,以沒數乘之,滿日法得一,名為積沒,不盡為沒余。

 

通法を以って積没を乗じ、没法で満たして一を得、これを大余と名付け、尽きないものを小余とする。大余が六十で満たされれば除して去り、その余りを蔀名を以ってこれを命じ、算を尽くした外は、前年の冬至前の没日である。後の没を求めるには、大余に六十九を加え、小余に四を加える。小余が没法で満たされれば、大余に従い、前と同じように命ずる。分が無ければ滅である。

原文以通法乘積沒,滿沒法得一,名為大余,不盡為小余。大余滿六十除去之,其餘以蔀名命之,筭盡之外,前年冬至前沒日也。求後沒,加大余六十九,小余四,小余滿沒法,從大余,命之如前,無分為滅。

 

一つの術として、十五を以って冬至の小余を乗じ、通法からこれを減じ、余りが没法で満たされれば一を得、則ち天正後の没である。

原文一術,以(為)[十]五乘冬至小余,以減通法,余滿沒法得一,則天正後沒也。

 

合朔の所在する度を推算するには、入蔀積日を置き、蔀月を以ってこれを乗じ、大周で満たして除し去り、その余りが蔀月で満たされれば一を得、これを積度と名付け、尽きないものを余分とする。積度に斗二十一度を加え、二百三十五分を加え、宿次を以ってこれを除し、宿で満たさなければ、則ち日月が合朔する所在の星度である。後の合朔を求めるには、度に二十九を加え、分に四百九十九を加える。分が蔀月で満たされれば一度を得、経斗して二百三十五分を除く。

原文推合朔所在度,置入蔀積(月)[日]以(日)[蔀月]乘之,滿大周除去之,其余滿蔀月得一,名為積度,不盡為余分。積度加斗二十一度,加二百三十五分,以宿次除之,不滿宿,則日月合朔所在星度也。求後合朔,加度二十九,加分四百九十九,分滿蔀月得一度,經斗除二百三十五分。

 

一つの術として、閏余を以って周天を乗じ、大周余からこれを減じ、余りが蔀月で満たされれば一を得、合せて斗二十一度四分の一とすれば、則ち天正合朔の日月の所在する度である。

原文一術,以閏余乘周天,以減大周余,滿蔀月得一,合以斗二十一度四分一,則天正合朔日月所在度。

 

日の所在する度を推算するには、入蔀積日の数を置き、蔀法を以ってこれを乗じ、蔀日で満たして除し去り、その余りが蔀法で満たされれば一を得、これを積度とし、尽きないものを余分とする。積度に斗二十一度を加え、十九分を加え、宿次を以ってこれを除し去れば、則ち夜半の日の所在する宿度である。

原文推日所在度,置入蔀積日之數,以蔀法乘之,滿蔀日除去之,其餘滿蔀法得一,為積度,不盡為余分。積度加斗二十一度,加十九分,以宿次除去之,則夜半日所在宿度也。

 

次の日を求めるには、一度を加える。次の月を求めるには、大なら三十度を加え、小なら二十九度を加え、経斗して十九分を除く。

原文求次日,加一度。求次月,大加三十度,小加二十九度,經斗除十[九]分。

 

一つの術として、朔の小余を以って合朔の度分から減じれば、即ち日夜半の所在である。その分を二百三十五で約し、十九を乗ずる。

原文一術,以朔小余減合[朔]度分,即日夜半所在。其分(三)[二]百(二)[三]十五約之,十九乘之。

 

月の位置する度数を求めるには、蔀積日の数を置き、月周を乗じ、蔀日で満たして除去し、残りを蔀法で割って一を得たものを積度とし、割り切れないものを余分とする。積度に斗二十一十[九]分を加え、前述の方法で除去すれば、求める日の夜半における月の位置する宿度となる。

原文推月所在度,置入蔀積日之數,以月周乘之,滿蔀日除去之,其餘滿蔀法得一,為積度,不盡為余分。積度加斗二十一十[九]分,除如上法,則所求之日夜半月所在宿度也。

 

翌日を求めるには、十三度二十八分を加える。翌月を求めるには、大の月には三十五度六十一分を加え、小の月には二十二度三十三分を加え、分が法を満たせば一度とし、斗を経る際に十九分を除去する。冬の下旬に月が張宿・心宿にある場合は、これを記し、(尽)[昼]漏分の後から漏尽までを指す。

原文求次日,加十三度二十八分。求次月,大加三十五度六十一分,月小二十二度三十三分,分滿法得一度,經斗除十九分。其冬下旬月在張、心署之,謂(盡)[晝]漏分後盡漏盡也。

 

一つの方法として、蔀法で朔小余を割り、得た数で日半度を減ずる。余りで分を減じれば、月の夜半の位置する度数となる。

原文一術,以蔀法除朔小余,所得以減日半度也。余以減分,即月夜半所在度也。

 

日の明け方に入る度分を求める術は次の通り。その月の節気の夜漏の数を置き、蔀法を乗じ、二百で割れば一分を得、これが夜半から明け方までに運行する分である。これを夜半の日の位置する度分に加えれば、明け方の位置する度分となる。

原文推日明所入度分術曰:置其月節氣夜漏之數,以蔀法乘之,二百除之,得一分,即夜半到明所行分也。以增夜半日所在度分,為明所在度分也。

 

□日に入る度を求めるには、夜半から明日までに運行する分で蔀法を減じ、残りが夜半から□までに運行する分となる。

原文求□日所入度,以夜半到明日所行分(分)減蔀法,其餘即夜半到□所行分也。

 

これを夜半の位置する度分に加えれば、□日の位置する度数となる。

原文以加夜半所在度分,為□日所在度也。

 

月の明け方に入る度分を求める術は次の通り。その節気の夜(半)[漏]の数を置き、月周を乗じ、二百で割れば積分となる。積分が蔀法を満たせば一を得、これを夜半の度数に加えれば、(明)月[明]の位置する度数となる。

原文推月明所入度分術曰:置其節氣夜(半)[漏]之數,以月周乘之,以二百除之,為積分。積分滿蔀法得一,以增夜半度,即(明)月[明]所在度也。

 

□月に入る度を求めるには、明け方の積分を月周から減じ、残りが蔀法を満たせば一度を得、夜半に加えれば、□月の位置する度数となる。

原文求□月所入度:以明積分減月周,其餘滿蔀法得一度,加夜半,則□月所在度也。

 

弦・望の日に入る星度を求める術は次の通り。合朔の度分の数を置き、七度三百五十九分四分(之)三を加え、[以]宿次で除去すれば、上弦の日に入る宿度分を得る。

原文推弦、望日所入星度術曰:置合朔度分之數,加七度三百五十九分四分(之)三,[以]宿次除之,即得上弦日所入宿度分也。

 

望・下弦を求めるには、前述の方法で加除し、小分[が]四を満たせば大分に加え、[大分]が蔀月を満たせば度に加える。

原文求望、下弦,加除如前法,小分[滿]四從大分,[大分]滿蔀月從度。

 

弦・望の月に入る星度を求める術は次の通り。月の合朔の度分の数を置き、度九十八、加分六百五十三半を加え、宿次で除去すれば、上弦の月に入る宿度分を得る。

原文推弦、望月所入星度術曰:置月合朔度分之數,加度九十八,加分六百五十三半,以宿次除之,即上弦月所入宿度分也。

 

望・下弦を求めるには、前述の分を加除し、蔀月を満たせば度に加える。

原文求望、下弦,加除如前分,滿蔀月從度。

 

月食を求める術は次の通り。入蔀会年数を置き、一を減じ、食数を乗じ、歳数で満たして一を得たものを積食と名付け、満たさないものを食余とする。月数で積[食]を乗じ、食法で満たして一を得たものを積月と名付け、満たさないものを月余分とする。積月から章月を除去し、残りを入章月数とする。先に入章閏を除去すべきであり、次に十二で除去し、満たさないものを十一月と定め、算尽の外は、前年の十一月以前の食月となる。入章閏を求めるには、入章月を置き、章閏を乗じ、章月で満たして一を得れば、入章閏数となる。余分が二百二十四以上二百三十一以下であれば、食は閏月にある。閏は進退することがあり、朔日で定める。後の食を求めるには、五(百)[月]二十分を加え、法を満たせば一月の数とし、前述の方法で定め、その分が食算の上で尽きる。

原文推月食術曰:置入蔀會年數,減一,以食數乘之,滿歲數得一,名曰積食,不滿為食余。以月數乘積[食],滿食法得一,名為積月,不滿為月餘分。積月以章月除去之,其餘為入章月數。當先除入章閏,乃以十二除去之,不滿者命以十一月,筭盡之外,則前年十一月前食月也。求入章閏者,置入章月,以章閏乘之,滿章月得一,則入章閏數也。余分滿二百二十四以上至二百三十一,為食在閏月。閏或進退,以朔日定之。求後食,加五(百)[月]二十分,滿法得一月數,命之如法,其分盡食筭上。

 

月食の朔日を求める術は次の通り。食積月の数を置き、二十九を乗じて積日とする。また四百九十[九]で積月を乗じ、蔀月で満たして一を得、これを積日に加え、六十で除去し、残りを会する蔀の名で定め、算尽の外は、前年の天正以前の食月の朔日となる。

原文推月食朔日術曰:置食積月之數,以二十九乘之,為積日。又以四百九十[九]乘積月,滿蔀月得一,以並積日,以六十除之,其餘以所會蔀名命之,筭盡之外,則前年天正前食月朔日也。

 

食日を求めるには、大余十四、小余七百一十九半を加え、小余が蔀月を満たせば大余とし、大余を前述の方法で定めれば、食日となる。

原文求食日,加大余十四,小余七百一十九半,小余滿蔀月為大余,大余命如前,則食日也。

 

食の朔日と日を求める後には、いずれも大余に二十七を加え、小余に六百一十五を加える。その月余分が二十に満たない場合は、さらに大余に二十九を加え、小余に四百九十九を加える。その食の小余については、漏刻を用いて課し、夜漏がまだ尽きていない場合、算上をもって日とする。

原文求後食朔及日,皆加大余二十七,小余六百一十五。其月餘分不滿二十者,又加大余二十九,小余四百九十九。其食小餘者,當以漏刻課之,夜漏未盡,以筭上為日。

 

一つの術として、歳数で上元を去り、余りを積月とし、百一十二を乗じ、月数で満たして去り、余りが食法で一を得れば、天正後の食となる。

原文一術,以歲數去上元,余以為積月,以百一十二乘之,滿月數去之,余滿食法得一,則天正後食。

 

諸加時を推すには、十二を小余に乗じ、先に法の半分の如く減じ、一時を得、その余りは法で除し、得た算の数を夜半の子から起算し、算が尽きる外が、加える時となる。

原文推諸加時,以十二乘小余,先減如法之半,得一時,其餘乃以法除之,所得筭之數從夜半子起,筭盡之外,則所加時也。

 

諸上水漏刻を推すには、百をその小余に乗じ、その法で満たして一刻を得る。法に満たない場合は法を十倍し、法で満たして一分を得る。積刻は先に入る節気の夜漏の半分を減じ、その余りが昼上水の数となる。昼漏を過ぎれば去り、余りが夜上水の数となる。その刻が夜漏の半分に満たない場合は、これを減じ、余りが昨夜未だ尽きざる分となり、その弦望はその日となる。

原文推諸上水漏刻:以百乘其小余,滿其法得一刻;不滿法(法)什之,滿法得一分。積刻先減所入節氣夜漏之半,其餘為晝上水之數。過晝漏去之,余為夜上水數。其刻不滿夜漏半者,乃減之,余為昨夜未(晝)[盡],其弦望其日。

 

五星の数の生ずるは、各々日に記し、周天度と相約して率とする。章法を周率に乗じて月法とし、章月を日率に乗じ、月法の如くして積月月余とする。月の日を積月に乗じて、朔の大小余とする。乗じて入月日余とする。日法を周率に乗じて日度法とし、周率で日率を去り、余りを周天に乗じ、日度法の如くして積度度余とする。日率を相約して取り、二千九百九十萬一千六百二十一億五十八萬二千三百を得て、五星が終わる。蔀の数の如く、元と通ず。

原文五星數之生也,各記於日,與周天度相約而為率。以章法乘周率為(用)[月]法,章月乘日率,如月法,為積月月餘。以月之(月)[日]乘積[月],為朔大小余。乘為入月日餘。以日法乘周率為日度法,以[周]率去日率,余以乘周天,如日度法,為[積]度(之)[度]余也。日率相約取之,得二千九百九十萬一千六百二十一億五十八萬二千三百,而五星終,如蔀之數,與元通。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五星の術を推すには、上元以来を置き、求める年まで尽くし、周率を乗じ、日率で満たして一を得、これを積合と名付ける。尽きざるを合余と名付ける。合余を周率で除し、得ざれば歳を退く。得る所無ければ、星はその年に合し、一を得れば前年に合し、二を得れば前二年に合す。金星・水星は積合が奇数の場合は晨、偶数の場合は夕となる。周率に満たざる者はこれを反減し、余りを度分とする。

原文推五星術,置上元以來,盡所求年,以周率乘之,滿日率得一,名為積合;不盡名[為]合余。[合]余以周率除之,不得焉退歲;無所得,星合其年,得一合前年,二合前二年。金、水積合奇為晨,偶為夕。其不滿周率者反減之,余為度分。

 

星の合する月を推すには、合積月を積合に乗じて小積とし、また月余を積合に乗じ、その月法で満たして一を得、小積より積月とし、尽きざるを月余とする。積月が紀月で満たせば去り、余りを入紀月とする。毎に章閏を乗じ、章月で満たして一を得れば閏とし、尽きざるを閏余とする。閏で入紀月を減じ、その余りを十二で去り、余りを入歳月数とし、天正十一月より起算し、算外、星の合する所在の月となる。その閏余が二百二十四以上二百三十一に満たせば星は閏月に合す。閏は或いは進退し、朔をもってこれを制す。

原文推星合月,以合積月乘積合為小積,又以月餘乘積合,滿其月法得一,從小積[為積月,不盡]為月餘。積月滿紀月去之,余為入紀月。每以章閏乘之,滿章月得一為閏;不盡為閏余。以閏減入紀月,其餘以十二去之,余為入歲月數,從天正十一月起,筭外,星合所在之月也。其閏[余]滿二百二十四以上至二百三十一星合閏月。閏或進退,以朔制之。

 

朔日を推算するには、蔀日を紀月に乗じ、蔀月で満たして一を得れば積日とし、余りは小余とする。積日が六十に満てばこれを除き、余りを大余とし、甲子から起算し、算外で、星が月朔日に合する。

原文推朔日,以蔀日乘(之)入紀月,滿蔀月得一為積日,不盡為小余。積日滿六十去之,余為大余,命以甲子,筭外,星合月朔日。

 

入月日を推算するには、蔀日を月余に乗じ、その月法を朔小余に乗じ、これに加え、四千四百六十五で約し、得た数が日度法で満たして一を得れば、入月日とし、余りは日余とする。朔から入月日を起算し、算外で、星が合する日である。

原文推入月日,以蔀日乘月餘,以其月法乘朔小余,從之,以四千四百六十五約之,所得(得)滿日度法得一,為入月日,不盡為日餘。以朔命入月日,筭外,星合日也。

 

合度を推算するには、周天を度分に乗じ、日度法で満たして一を得れば積度とし、余りは度余とする。斗宿二十一と四分の一から度を起算し、算外で、星が合する所在の度である。

原文推合度,以周天乘度分,滿日度法得一為積度,不盡為度余。以斗二十一四分之一命度,筭外,星合所在度也。

 

一つの方法として、退歳一を加え、これで上元を減じ、八十で満たして除き、余りを没数に乗じ、日法で満たして一を得れば大余とし、余りは小余とする。甲子から大余を起算すれば、星が合する歳の天正冬至の日である。周率を小余に乗じ、度余を併せ、余りが日度法で満てば度に加え、これが冬至後の星が合する日数であり、冬至から起算する。後の合月を求めるには、合積月を入歳月に加え、月余を月余に加え、その月法で満たして一を得れば、入歳月に加える。入歳月が十二に満てばこれを除き、閏があれば計算に入れ、余りは前のように起算し、算外で、後の合月である。金星・水星は、晨に加えれば夕を得、夕に加えれば晨を得る。

原文一術,加退歲一,以減上元,滿八十除去之,余以沒數乘之,滿日法得一,為大余,不盡為小余。以甲子命大余,則星合歲天正冬至日也。以周率[乘]小余,並度余,余滿日度法從度,即(正)[至]後星合日數也,命以冬至。求後合月,加合積月於入歲月,加月餘於月餘,滿其月法得一,從入歲月。入歲月滿十二去之,有閏計焉,余命如前,筭外,後合月也。(余一)[金、水]加晨得夕,加夕得晨。

 

朔日を求めるには、大小余を今得たものに加え、その月余が一月を得れば、また大余二十九、小余四百九十九を加え、小余が蔀月で満たして一を得れば、大余に加え、大余は前のように起算する。

原文求朔日,以大小余加今所得,其月餘得一月者,又[加大]余二十九,[小余四百九十九,]小飾滿蔀月得一,(如)[加]大余,大余命如前。

 

入月日を求めるには、入月日と日余を今得たものに加え、余りが日度法で満たして一を得れば、日に加える。その前の合月の朔小余がその虚分に満たない場合は、空しく一日を加える。日が月に満てば先ず二十九を除き、その後ろの合月の朔小余が四百九十九に満たない場合は、また一日を減じ、その余りは前のように起算する。

原文求入月日,以入月日[日]余加今所得,余滿日度法得一,從日。其前合月朔小余(不)滿其虛分者,空加一日。日滿月先去二十九,其後合月朔小余不滿四百九十九,又減一日,其餘命如前。

 

合度を求めるには、積度と度余を今得たものに加え、余りが日度法で満たして一を得れば度に加え、前のように起算し、斗宿を経る時は周率の如く除く。

原文求合度,以積度度余加今所得,余滿日度法得一從度,命如前,經斗除如周率矣。

 

木星は、晨に伏し、十六日七千三百二十分半、二度一万三千八百十一分を行き、日の後十三度あまりで、東方に現れる。現れて順行し、日に十一分の五十八度を行き、五十八日で十一度を行く。微かに遅く、日に九分を行き、五十八日で九度を行く。留まって行かず、二十五日。旋回して逆行し、日に七分の一度を行き、八十四日で十二度退く。再び留まり、二十五日。再び順行し、五十八日で九度を行き、また五十八日で十一度を行き、日の前十三度あまりで、夕に西方に伏する。伏と逆を除き、一現三百六十六日、二十八度を行う。再び伏すること十六日七千三百二十分半、二度一万三千八百十一分を行き、日と合する。凡そ一終は、三百九十八日と一万四千六百四十一分、三十三度と一万三百十四分を行き、通率は日に四千七百二十五分の三百九十八を行う。

原文木,晨伏,十六日七千(二)[三]百二十分半,行二度萬三千八百一十一分,在日後十三度有奇,而見東方。見順,日行五十八分度之十一,五十八日行十一度,微□,日行九分,五十八日行九度。留不行,二十五日。旋逆,日行七分度之一,八十四日(進)[退]十二度。復留,二十五日。復順,五十八日行九度,又五十八日行十一度,在日前十三度有奇,而夕伏西方。除伏逆,一見三百六十六日,行二十八度。伏復十六日七千(二)[三]百二十分半,行二度萬三千八百一十一分,而與日合。凡一終,三百九十八日有萬四千六百四十一分,行星三十(二)[三]度與萬三百一十四分,通率日行四千七百二十五分之三百九十八。

 

火星は、晨に伏し、七十一日二千六百九十四分、五十五度二千二百五十四分半を行き、日の後十六度あまりで、東方に現れる。現れて順行し、日に十四分の二十三度を行き、百八十四日で百十二度を行く。微かに遅く、日に十二分を行き、九十二日で四十八度を行く。留まって行かず、十一日。旋回して逆行し、日に十七分の六十二度を行き、六十二日で十七度退く。再び留まり、十一日。再び順行し、九十二日で四十八度を行き、また百八十四日で百十二度を行き、日の前十六度あまりで、夕に西方に伏する。

原文火,晨伏,七十一日二千六百九十四分,行五十五度二千二百五十四分半,在日後十六度有奇,而見東方。見順,日行二十三分度之十四,[百]八十四日行[百]一十二度。微□,日行十二分,九十二日行四十八度。留不行,十一日。旋逆,日行六十二分度之十七,六十二日退十七度。復留,十一日。復順,九十二日,行四十八度,又百八十四日行百一十二度,在日前十六度有奇,而夕伏西方。

 

伏と逆を除き、一現六百三十六日、三百三度を行う。再び伏すること七十一日二千六百九十四分、五十五度二千二百五十四分半を行き、日と合する。凡そ一終は、七百七十九日と千八百七十二分、四百十四度と九百九十三分を行き、通率は日に千八百七十六分の九百九十七を行う。

原文除伏逆,一見六百三十六日,行[三]百三度。伏復,七十一日二千六百九十四分,行五十五度二千二百五十四分半,而與日合。凡一終,七百七十九日有千八百七十二分,行星四百一十四度與九百九十三分。通率日行千八百七十六分之九百九十七。

 

土星は、晨に伏し、十九日千八十一分半、三度一万四千七百二十五分半を行き、日の後十五度あまりで、東方に現れる。現れて順行し、日に三分の四十三度を行き、八十六日で六度を行く。留まって行かず、三十三日。旋回して逆行し、日に百二分の十七度を行き、百二日で六度退く。再び留まり、三十三日。再び順行し、八十六日で六度を行き、日の前十五度あまりで、夕に西方に伏する。伏と逆を除き、一現三百四十日、六度を行う。再び伏すること十九日千八十一分半、三度一万四千七百二十五分半を行き、日と合する。凡そ一終は、三百七十八日と二千百六十三分、十二度と二万九千四百五十一分を行き、通率は日に九千四百十五分の三百十九を行う。

原文土,晨伏,十九日千八十一分半,行三度萬四千七百二十五分半,在日後十五度有奇,而見東方。見順,日行四十三分度之三,八十六日行六度。留不行,三十三日。旋逆,日行十七分度之一百二,日退六度。復留,三十三日。復順,八十六日,行六度,在日前十五度有奇,而夕伏西方。除伏逆,[一]見三百四十日,行六度。伏復,十九日千八十一分半,行三度萬四千七百二十五分半,與日合。凡一終,三百七十八日有二千一百六十三分,行星十二度與二萬九千四百五十一分。通率日行九千四百一十五分之三百一十九。

 

金星は、晨に伏し、五日、四度退き、日の後九度で、東方に現れる。現れて逆行し、日に三分の五度を行き、十日で六度退く。留まって行かず、八日。旋回して順行し、日に三十三分の四十六度を行き、四十六日で三十三度を行く。そして疾行し、日に十五分の九十一度を行き、九十一日で百六度を行く。益々疾く、日に一度二十二分を行き、九十一日で百十三度を行き、日の後九度で、晨に東方に伏する。伏と逆を除き、一現二百四十六日、二百四十六度を行う。伏すること四十一日二百八十一分、五十度二百八十一分を行き、日と合する。一合は二百九十二日二百八十一分、行く度もこれと同じ。

原文金,晨伏,五日,退四度,在日後九度,而見東方。見逆,日行五分度之三,十日,退六度。留不行,八日。[旋]順,日行(行)四十六分度之三十三,四十六日行三十三度。而[疾],日行一度九十[一]分度之十五,九十一日行百六度。益疾,日行一度二十二分,九十一日行百一十三度,在日後九度,而晨伏東方。除伏逆,一見二百四十六日,行二百四十六度。伏四十一日二百八十一分,行五十度二百八十一分,而與日合。一合二百九十二日[二]百八十一分,行星如之。

 

金星は、夕に伏し、四十一日二百八十一分、五十度二百八十一分を行き、日の前九度で、西方に現れる。現れて順行し、疾く、日に二十二分の九十一度を行き、九十一日で百十三度を行く。

原文金,夕伏,四十一日二百八十一分,行五十度二百八十一分,在日前九度,而見西方。見順,疾,日行一度九十一分度之二十二,九十一日行百一十三度。

 

微かに遅く、日に一度十五分を行き、九十一日で百六度を行く。そして遅く、日に三十三分の四十六度を行き、四十六日で三十三度を行く。留まって行かず、八日。旋回して逆行し、日に三分の五度を行き、十日で六度退き、日の前九度で、夕に西方に伏する。伏と逆を除き、一現二百四十六日、二百四十六度を行い、伏すること五日、四度退いて再び合する。凡そ再合一終は、五百八十四日と五百六十二分、行く度もこれと同じ。通率は日に一度を行う。

原文微□,日行一度十五分,九十一日行百六度。而(進)[□],日行四十六分度之三十三,四十六日行三十三度。留不行,八日。旋逆,日行五分度之三,十日退六度,在日前九度,而夕伏西方。除伏逆,一見二百四十六日,行二百四十六度,伏五日,退四度而(後)[復]合。凡(三)[再]合一終,五百八十四日有五百六十二分,行星如之。通率日行一度。

 

水星は、朝方に隠伏し、九日間で七度退き、太陽の後方十六度の位置で、東方に現れる。現れた後は逆行し、一日に一度退く。留まることができず、二日間。やがて順行に転じ、一日に九分度の八(8/9度)進み、九日間で八度進む。そして疾行し、一日に一度四分度の一(1 1/4度)進み、二十日間で二十五度進み、太陽の後方十六度の位置で、朝方に東方に隠伏する。隠伏と逆行を除くと、一見の期間は三十二日で、三十二度進み、十六日四万四千八百五分間隠伏し、三十二度四万四千八百五分進み、太陽と合する。一合の周期は五十七日四万四千八百五分で、星の運行もこれと同じである。

原文水,晨伏,九日,退七度,在日後十六度,而見東方。見逆,一日退一度。留不得,二日。旋順,日行九分度之八,九日行八度。而疾,日行一度四分度之一,二十日行二十五度,在日後十六度,而晨伏東方。除伏逆,一見,三十二日,行三十二度,伏十六日四萬四千八百五分,行三十二度四萬四千八百五分,而與日合。一合五十七日有四萬四千八百五分,行星如之。

 

水星は、夕方に隠伏し、十六日四万四千八百五分間で三十二度四万四千八百五分進み、太陽の前方十六度の位置で、西方に現れる。現れた後は順行で疾行し、一日に一度四分度の一(1 1/4度)進み、二十日間で二十五度進む。そして徐行し、一日に九分度の八(8/9度)進み、九日間で八度進む。留まって進まず、二日間。やがて逆行し、一日に一度退き、太陽の前方十六度の位置で、夕方に西方に隠伏する。隠伏と逆行を除くと、一見の期間は三十二日で、三十二度進み、九日間隠伏し、七度退いて再び合する。凡そ二度の合で一終となり、百一十五日四万一千九百七十八分で、星の運行もこれと同じである。通率では一日に一度進む。

原文水,夕伏,十六日四萬四千八百五分,行三十二度四萬四千八百五分,在日前十六度,而見西方。見順,疾,日行一度四分度之一,二十日行二十五度。而□,日行九分度之八,九日行八度。留不行,二日。[旋]逆,一日退一度,在日前十六度,而夕伏西方。除伏逆,一見三十二日,行三十[二]度,伏九日,退七度而復合。凡再合一終,百一十五日有四萬一千九百七十八分,行星如之。通率日行一度。

 

歩術(推算方法)は、歩法(計算方法)によって隠伏の日数と度数分を求め、星の合の日数と度数余に加え、前述のように起算すると、星が現れる日数と度数が得られる。

原文步術,以步法伏日度分,(如)[加]星合日度余,命之如前,得星見日度也。

 

術の分母を乗じ、分を日度法で割り、割り切れない分が半法以上であれば、一を加え、日に進む分を加え、その分母に満てば一度を得る。逆行と順行では分母が異なるので、当行の分母を乗じ、旧分母で割り、一とする。留は前の状態を継承し、逆行なら減じ、隠伏は度数を記さない。経斗(斗宿を通過する際)は行母(運行の分母)に従って除算し、四分の一を備える。その分には増減があり、前後に倣う。赤道を基準に度数を定め、進めば加え、退けば減ずる。その推算は黄道に基づく。

原文*(術)[行]分母乘之,分(日)如[日]度法而一,分不盡如(法)半[法]以上,亦得一,而日加所行分,滿其母得一度。逆順母不同,以當行之母乘故分,如故母,如一也。留者承前,逆則減之,伏不書度。經斗除如行母,四分具一。其分有損益,前後相放。其以赤道命度,進加退減之。其步以黃道。

 

月名は、天正十一月、十二月、正月、二月、三月、四月、五月、六月、冬至、大寒、雨水、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、七月、八月、九月、十月、処暑、秋分、霜降、小雪である。

原文(段落全体)*(日)[月]名(日)[月]名天正十一月十二月正月二月三月四月五月六月冬至大寒雨水春分穀雨小滿夏至大暑七月八月九月十月處暑秋分霜降小雪〈月令章句:「孟春以立春為節,驚蟄為中。中必在其月,節不必在其月。

 

月令章句によると、「孟春は立春を節とし、驚蟄を中とする。中は必ずその月にあるが、節は必ずしもその月にあるとは限らない。

原文(段落全体)*(日)[月]名(日)[月]名天正十一月十二月正月二月三月四月五月六月冬至大寒雨水春分穀雨小滿夏至大暑七月八月九月十月處暑秋分霜降小雪〈月令章句:「孟春以立春為節,驚蟄為中。中必在其月,節不必在其月。

 

孟春の驚蟄が十六日以後にある場合、立春は正月にある。驚蟄が十五日以前にある場合、立春は前年の十二月にある。」

原文據孟春之驚蟄在十六日以後,立春在正月;驚蟄在十五日以前,立春在往年十二月。」

 

斗宿二十六度、牛宿八度、女宿十二度、虚宿十度、危宿十六度、室宿十六度、壁宿十度。北方九十八度四分の一。奎宿十六度、婁宿十二度、胃宿十四度、昴宿十一度、畢宿十六度、觜宿二度、参宿九度。西方八十度。井宿三十三度、鬼宿四度、柳宿十五度、星宿七度、張宿十八度、翼宿十八度、軫宿十七度。南方百十二度。角宿十二度、亢宿九度、氐宿十五度、房宿五度、心宿五度、尾宿十八度、箕宿十一度。東方七十五度。以上が赤道の度数で、周天三百六十五度四分の一である。斗宿二十四度、牛宿七度、女宿十一度、虚宿十度、危宿十六度、室宿十八度、壁宿十度。北方九十六度四分の一。奎宿十七度、婁宿十二度、胃宿十五度、昴宿十二度、畢宿十六度、觜宿三度、参宿八度。西方八十三度。井宿三十度、鬼宿四度、柳宿十四度、星宿七度、張宿十七度、翼宿十九度、軫宿十八度。南方百九度。角宿十三度、亢宿十度、氐宿十六度、房宿五度、心宿五度、尾宿十八度、箕宿十度。東方七十七度。以上が黄道の度数で、三百六十五度四分の一である。

原文斗二十六〈四分退二〉牛八女十二〈進二〉虛十〈進三〉危十六〈進二〉室十六〈進二〉壁十〈進二〉[一]北方九十八度四分一奎十六婁十二(進)[退]一胃十四(進二)[退一]昴十一(進)[退]二畢十六(進)[退]三觜二退三參九退四西方八十度井三十三退三鬼四柳十五星七進一張十八進一翼十八進(一)[二]軫十七進一南方百一十二度角十二亢九退一氐十五退二房五退三心五退三尾十八(進)[退]三箕十一退三東方七十五度右赤道度周天三百六十五度四分一斗二十四(進一)[四分一]牛七女十一虛十危十六室十八壁十北方九十六度四分一奎十七婁十二胃十五昴十二畢十六觜三參八西方八十三度井三十鬼四柳十四星七張十七翼十九軫十八南方百九度角十三亢十氐十六房五心五尾十八箕十東方七十七度右黃道度三百六十五四分一

 

黄道の北極からの距離は、日影の発生は、儀器と表(日時計)に基づく。漏刻(時刻)の発生は、北極からの遠近の差に節気の差を乗じる。遠近によって一刻の差があり、それによって増減する。□明(?)の発生は、天の度数に昼の漏刻を乗じ、夜の漏刻を減じ、二百で割り、定度とする。天の度数からこれを減じた余りが明である。定度に一を加えたものが□である。その余りを四倍し、法で割って少とする。二で半、三で太とする。割り切れなければ、三倍し、法で割って強とし、余りが半法以上なら強を成す。強三つで少とし、少四つで一度とし、強二つで少弱とする。また、日の度数余を少強とし、それぞれに加える。

原文黃道去極,日景之生,據儀、表也。漏刻之生,以去極遠近差乘節氣之差。如遠近而差一刻,以相增損。□明之生,以天度乘晝漏,夜漏減(三)[之,二]百而一,為定度。以減天度,余為明;加定度一為□。其餘四之,如法為少。[二為半,三為太,]不盡,三之,如法為強,余半法以上以成強。強三為少,少四為度,其強二為少弱也。又以日度余為少強,而各加焉〈張衡渾儀曰:「赤道橫帶渾天之腹,去極九十一度十[六]分之五。黃道斜帶其腹,出赤道表裡各二十四度。故夏至去極六十七度而強,冬至去極百一十五度亦強也。然則黃道斜截赤道者,則春分、秋分之去極也。今此春分去極九十少,秋分去極九十一少者,就夏歷景去極之法以為率也。上頭橫行第一行者,黃道進退之數也。本當以銅儀日月度之,則可知也。以儀一歲乃竟,而中閒又有陰雨,難卒成也。是以作小渾,盡赤道黃道,乃各調賦三百六十五度四分之一,從冬至所在始起,令之相當值也。取北極及衡各(誠)[針]□之為軸,取薄竹篾,穿其兩端,令兩穿中閒與渾半等,以貫之,令察之與渾相切摩也。乃從減半起,以為[百]八十二度八分之五,盡衡減之半焉。又中分其篾,拗去其半,令其半之際正直,與兩端減半相直,令篾半之際從冬至起,一度一移之,視篾之半際(夕)多[少]黃赤道幾也。其所多少,則進退之數也。從(此)[北]極數之,則(無)[去]極之度也。各分赤道黃道為二十四氣,一氣相去十五度十六分之七,每一氣者,黃道進退一度焉。所以然者,黃道直時,去南北極近,其處地小,而橫行與赤道且等,故以篾度之,於赤道多也。

 

一気を十六日と定める場合、いずれも通常は四日に約半分の差がある。一気を十五日とすると半分に満たないため、中道の三日のうちに約半分の差が生じる。三気で一節となるので、四十六日で現在三度の差となる。差が三度に達する時、五日が同じ割合となることが一つあるが、実際には節の間は四十六日に満たない。現在残りの日数がその策に含まれるため、五日が同じ割合となる。その割合は同じでも、先のものは皆強く、後のものは皆弱く、数えきれない。三度に達して再び進退があるのは、黄道がやや斜めで、横行では度を得られないからである。春分・秋分で後退するのは、黄道が始まってさらに斜めになり、横行では度を得られないからである。また、一気ごとに一度ずつあり、三気で一節となり、やはり三度の差がある。三気の後は、やや遠くて直線的になるため、横行で度を得てやや前進する。立春・立秋では横行がやや後退するが、度はまだ前進していると言われるのは、その後退分を前進分から差し引いても、まだ余りがあり、尽きていないからである。立夏・立冬では横行がやや前進するが、度はまだ後退していると言われるのは、その前進分に後退分を加えても、まだ不足しており、完了していないからである。これによって論じると、太陽の運行に進退があるのではなく、赤道で黄道を測量したためにそうなっているのである。本来、二十八宿の間の度数の距離は、赤道を基準としているため、黄道にも進退がある。冬至は斗宿二十一度少半にあり、最も遠い時であるが、この暦では斗宿二十度で、ともに百一十五度強であるから、冬至はこれと同じ割合であるべきである。夏至は井宿二十一度半強にあり、最も近い時であるが、この暦では井宿二十三度で、ともに六十七度強であるから、夏至はこれと同じ割合であるべきである。」

原文設一氣令十六日者,皆常率四日差少半也。令一氣十五日不能半耳,故使中道三日之中(若)[差]少半也。三氣一節,故四十六日而差今三度也。至於差三之時,而五日同率者一,其實節之閒不能四十六日也。今殘日居其策,故五日同率也。其率雖同,先之皆強,後之皆弱,不可勝計。取至於三而復有進退者,黃道稍斜,於橫行不得度故也。春分、秋分所以退者,黃道始起更斜矣,於橫行不得度故也。亦每一氣一度焉,三氣一節,亦差三度也。至三氣之後,稍遠而直,故橫行得度而稍進也。立春、立秋橫行稍退矣,而度猶雲進者,以其所退減其所進,猶有盈餘,未盡故也。立夏、立冬橫行稍進矣,而度猶[雲]退者,以其所進,增其所退,猶有不足,未畢故也。以此論之,日行非有進退,而以赤道(重廣)[量度]黃道使之然也。本二十八宿相去度數,以赤道為(強)[距]耳,故於黃道亦[有]進退也。冬至在斗二十一度少半,最遠時也,而此歷斗二十度,俱百一十五,強矣,冬至宜與之同率焉。夏至在井二十一度半強,最近時也,而此歷井二十三度,俱六十七度,強矣,夏至宜與之同率焉。」

 

。

原文(段落全体)二十四氣

 

二十四気

原文(段落全体)二十四氣

 

冬至(『月令章句』に「冬至が極となるには三つの意味がある。昼漏が極めて短く、去極が極めて遠く、晷景が極めて長い。極とは、至って還ることをいう語である」とある。)

原文冬至〈月令章句曰:「冬至之為極有三意焉:晝漏極短,去極極遠,晷景極長。極者,至而還之辭也。」〉

 

日が位置する黄道の去極、日影、昼の漏刻、夜の漏刻、昏中星、旦中星。二十四気、日が位置する黄道、去極、日影、昼の漏刻、夜の漏刻、昏中星、旦中星。冬至、斗宿二十一度八分、退二、百一十五度、一丈いちじょう三尺、四十五、五十五、奎宿六弱、亢宿二少強、退一。

原文日所在黃道去極晷景晝漏刻夜漏刻□中星[一]旦中星二十四氣日所在黃道去極晷景晝漏刻夜漏刻□中星[一]旦中星冬至[二]斗二十一度八分退二百一十五度丈三尺四十五五十五奎六弱亢二少強退一

 

小寒

原文小寒

 

 

 

大寒

原文大寒

 

 

 

立春

原文立春

 

 

 

雨水

原文雨水

 

 

驚蟄

原文驚蟄

 

 

 

春分

原文春分

 

 

清明

原文清明

 

 

 

穀雨

原文穀雨

 

 

 

立夏

原文立夏

 

 

 

小滿

原文小滿

 

 

 

芒種

原文芒種

 

 

 

夏至(『月令章句』に「夏至が極となるには三つの意味がある。昼漏が極めて長く、去極が極めて近く、晷景が極めて短い」とある。)

原文夏至〈月令章句曰:「夏至之為極有三意焉:晝漏極長,去極極近,晷景極短。」〉

 

 

 

小暑

原文小暑

 

 

 

大暑

原文大暑

 

 

 

立秋

原文立秋

 

 

 

処暑

原文處暑

 

 

 

白露

原文白露

 

 

 

秋分

原文秋分

 

 

 

寒露

原文寒露

 

 

 

霜降

原文霜降

 

 

 

立冬

原文立冬

 

尾宿四度十九分、退行三百七度少強、日影長さ一丈四尺八寸二分、太陽黄経五十一度八分、危宿八度強、進み二度、張宿十五度大強、進み一度

原文尾四度十九分退三百七少強丈四十八二分五十一八分危八強進二張十五大強進一

 

小雪

原文小雪

 

箕宿一度二十六分、退行三百一十一度弱、日影長さ一丈一尺四寸四分、太陽黄経四十六度七分、五十三度三分、室宿三度半強、進み三度、翼宿十五度大強、進み二度

原文箕一度二十六分退三百一十一弱丈一尺四寸四十六七分五十三三分室三半強進三翼十五大強進二

 

大雪

原文大雪

 

斗宿六度一分、退行二百一十三度大強、日影長さ一丈二尺五寸六分、太陽黄経四十五度五分、五十四度五分、壁宿半度強、進み一度、軫宿十五度弱、進み一度

原文斗六度一分退二百一十三大強丈二尺五寸六[四]分四十五五分五十四五分壁半強進一軫十五弱進一

 

注[一]『月令章句』に言う。「中星が当たるべき時に当たらないのは、太陽の運行が遅いからである。当たるべき時でないのに当たるのは、太陽の運行が速いからである。」

原文注[一]月令章句曰:「中星當中而不中,日行□也。未當中而中,日行疾也。」

 

注[四]『易緯』に称えられる日影の長短は、実際と相応しない。ここに後ろに列挙し、至るべき時に至るものと至らないものとをそれぞれの兆候に合わせて掲載し、異同を広く参照する。冬至、日影長さ一丈三尺。至るべき時に至らないと、旱魃となり、多くは温病にかかる。至るべき時でないのに至ると、多くは突然の心痛を病み、その応報は夏至に現れる。小寒、日影長さ一丈二尺四分。至るべき時に至らないと、まず小旱、後に小水、男子は多く喉痺を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは身熱を病み、来年の麻は実らない。大寒、日影長さ一丈一尺八分。至るべき時に至らないと、まず大旱、後に大水、麦は実らず、厥逆を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは上気、嗌腫を病む。立春、日影長さ一丈一寸六分。至るべき時に至らないと、兵乱が起こり、麦は実らず、民は疲弊し病む。至るべき時でないのに至ると、多くは熛、疾疫を病む。雨水、日影長さ九尺一寸六分。至るべき時に至らないと、早麦が実らず、多くは心痛を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは□を病む。驚蟄、日影長さ八尺二寸。至るべき時に至らないと、霧が立ち、稚禾は実らず、老人は多く嚏を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは漢疽、脛腫を病む。春分、日影長さ七尺二寸四分。至るべき時に至らないと、まず旱魃、後に水害、凶作、米は実らず、多くは耳癢を病む。清明、日影長さ六尺二寸八分。至るべき時に至らないと、菽豆が熟さず、多くは嚏、振寒、洞洩を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは温病、突然死を病む。穀雨、日影長さ五尺三寸六分。至るべき時に至らないと、水物や雑穀などが実らず、多くは疾瘧、振寒、霍乱を病む。至るべき時でないのに至ると、老人は多く気腫を病む。立夏、日影長さ四尺三寸六分。至るべき時に至らないと、旱魃、五穀が損傷し、牛畜が病む。至るべき時でないのに至ると、多くは頭痛、腫嗌、喉痺を病む。小満、日影長さ三尺四寸。至るべき時に至らないと、凶言あり、国に大喪あり、まず水害、後に旱魃、多くは筋急、痺痛を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは熛、嗌腫を病む。芒種、日影長さ二尺四寸四分。

原文注[四]易緯所稱晷景長短,不與相應,今列之於後,並至與不至各有所候,以參廣異同。冬至,晷長一丈三尺。當至不至,則旱,多溫病。未當至而至,則多病暴逆心痛,應在夏至。小寒,晷長一丈二尺四分。當至不至,先小旱,後小水,丈夫多病喉痺。未當至而至,多病身熱,來年麻不為耳。大寒,晷長一丈一尺八分。當至不至,則先大旱,後大水,麥不成,病厥逆。未當至而至,多病上氣、嗌腫。立春,晷長一丈一寸六分。當至不至,兵起,麥不成,民疲瘵。未當至而至,多病熛、疾疫。雨水,晷長九尺一寸六分。當至不至,早麥不成,多病心痛。未當至而至,多病□。驚蟄,晷長八尺二寸。當至不至,則霧,稚禾不成,老人多病嚏。未當至而至,多病漢疽、脛腫。春分,晷長七尺二寸四分。當至不至,先旱後水,歲惡,米不成,多病耳癢。清明,晷長六尺二寸八分。當至不至,菽豆不熟,多病嚏、振寒(溫)、[洞]洩。未當至而至,多溫病、暴死。穀雨,晷長五尺三寸六分。當至不至,水物雜稻等不為,多病疾瘧、振寒、霍亂。未當至而至,老人多病氣腫。立夏,晷長四尺三寸六分。當至不至,旱,五穀傷,牛畜疾。未當至而至,多病頭痛、腫嗌、喉痺。小滿,晷長三尺四寸。當至不至,凶言,[國]有大喪,先水後旱,多病筋急、痺痛。未當至而至,多熛、嗌腫。芒種,晷長二尺四寸四分。

 

至るべき時に至らないと、凶言あり、国に狂った法令あり。至るべき時でないのに至ると、多くは厥眩、頭痛を病む。夏至、日影長さ一尺四寸八分。至るべき時に至らないと、国に大いなる災いあり、旱魃、陰陽ともに傷つき、草木は夏に落葉し、大寒あり。至るべき時でないのに至ると、眉腫を病む。小暑、日影長さ二尺四寸四分。至るべき時に至らないと、まず小水、後に小旱、兵乱あり、多くは洩注、腹痛を病む。至るべき時でないのに至ると、臚腫を病む。大暑、日影長さ三尺四寸。至るべき時に至らないと、外兵が起こり、来年飢饉、多くは筋痺、匣痛を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは脛痛、悪気を病む。立秋、日影長さ四尺三寸六分。至るべき時に至らないと、暴風が災いとなり、来年の黍は実らない。至るべき時でないのに至ると、多くは咳上気、咽腫を病む。処暑、日影長さ五尺三寸二分。至るべき時に至らないと、国に浮いた法令多く、兵乱起こり、来年の麦は実らない。

原文當至不至,凶言,國有狂令。未當至而至,多病厥眩、頭痛。夏至,晷長一尺四寸八分。當至不至,國有大殃,旱,陰陽並傷,草木夏落,有大寒。未當至而至,病眉腫。小暑,晷長二尺四寸四分。當至不至,前小水,後小旱,有兵,多病洩注、腹痛。未當至而至,病臚腫。大暑,晷長三尺四寸。當至不至,外兵作,來年饑,多病筋痺、匣痛。未當至而至,多病脛痛、惡氣。立秋,晷長四尺三寸六分。當至不至,暴風為災,來年黍不為。未當至而至,多病咳上氣、咽腫。處暑,晷長五尺三寸二分。當至不至,國多浮令,兵起,來年麥不為。

 

至るべき時でないのに至ると、脹を病み、耳熱が出て外出しない。白露、日影長さ六尺二寸八分。至るべき時に至らないと、多くは痤、疽、洩を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは水、腹閉疝瘕を病む。秋分、日影長さ七尺二寸四分。至るべき時に至らないと、草木が再び茂り、多くは温、悲心痛を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは匣鬲痛を病む。寒露、日影長さ八尺二寸。至るべき時に至らないと、来年の穀物が実らず、六畜鳥獣が災いを受け、多くは疝瘕、□痛を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは疢熱中を病む。霜降、日影長さ九尺一寸六分。至るべき時に至らないと、万物が大きく消耗し、年々大風多く、人は□痛を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは匣駿支満を病む。立冬、日影長さ一丈一寸二分。至るべき時に至らないと、地気が蔵されず、来年の立夏に逆に寒く、早く旱魃、遅く水害、万物実らず。至るべき時でないのに至ると、多くは臂掌痛を病む。小雪、日影長さ一丈一尺八分。至るべき時に至らないと、来年の蚕と麦が実らず、多くは恭腕痛を病む。至るべき時でないのに至ると、また多くは肘腋痛を病む。大雪、日影長さ一丈二尺四分。至るべき時に至らないと、温気が洩れ、夏に蝗虫が生じ、大水、多くは少気、五疸、水腫を病む。至るべき時でないのに至ると、多くは漢疽痛を病み、その応報は芒種に現れる。

原文未當至而至,病脹,耳熱不出行。白靈,晷長六尺二寸八分。當至不至,多病痤、疽、洩。未當至而至,多病水、腹閉疝瘕。秋分,晷長七尺二寸四分。當至不至,草木復榮,多病溫,悲心痛。未當至而至,多病匣鬲痛。寒露,晷長八尺二寸。當至不至,來年谷不成,六畜鳥獸被殃,多病疝瘕、□痛。未當至而至,多病疢熱中。霜降,晷長九尺一寸六分。當至不至,萬物大耗,年多大風,人病□痛。未當至而至,多病匣駿支滿。立冬,晷長丈一寸二分。當至不至,地氣不藏,來年立夏反寒,早旱,晚水,萬物不成。未當至而至,多病臂掌痛。小雪,晷長一丈一尺八分。當至不至,來年蠶麥不成,多病恭腕痛。未當至而至,亦為多肘腋痛。大雪,晷長一丈二尺四分。當至不至,溫氣洩,夏蝗蟲生,大水,多病少氣、五疸、水腫。未當至而至,多病漢疽痛,應在芒種。

 

『月令章句』に言う。「周天三百六十五度四分の一を、十二次に分け、日月の運行する軌道である。地には十二分あり、王侯の封国である。毎次は三十二度三十二分の十四、太陽がその初めに至れば節気、その中に至れば中気となる。危宿十度から壁宿九度までを豕韋の次といい、立春、驚蟄がこれに当たり、衛の分野である。壁宿九度から胃宿一度までを降婁の次といい、雨水、春分がこれに当たり、魯の分野である。胃宿一度から畢宿六度までを大梁の次といい、清明、穀雨がこれに当たり、趙の分野である。畢宿六度から井宿十度までを実沈の次といい、立夏、小満がこれに当たり、晉の分野である。井宿十度から柳宿三度までを鶉首の次といい、芒種、夏至がこれに当たり、秦の分野である。柳宿三度から張宿十二度までを鶉火の次といい、小暑、大暑がこれに当たり、周の分野である。張宿十二度から軫宿六度までを鶉尾の次といい、立秋、処暑がこれに当たり、楚の分野である。軫宿六度から亢宿八度までを壽星の次といい、白露、秋分がこれに当たり、鄭の分野である。亢宿八度から尾宿四度までを大火の次といい、寒露、霜降がこれに当たり、宋の分野である。尾宿四度から斗宿六度までを析木の次といい、立冬、小雪がこれに当たり、燕の分野である。斗宿六度から須女宿二度までを星紀の次といい、大雪、冬至がこれに当たり、越の分野である。須女宿二度から危宿十度までを玄枵の次といい、小寒、大寒がこれに当たり、齊の分野である。」

原文月令章句曰:「周天三百六十五度四分度之一,分為十二次,日月之所躔也。地有十二分,王侯之所國也。每次三十(二)度三十(三)[二]分之十四,日至其初為節,至其中為中氣。自危十度至壁(八)[九]度謂之豕韋之次,立春、驚蟄居之,衛之分野。自壁(八)[九]度至胃一度,謂之降婁之次,雨水、春分居之,魯之分野。自胃一度至畢六度,謂之大梁之次,清明、穀雨居之,趙之分野。自畢六度至井十度,謂之實沉之次,立夏、小滿居之,晉之分野。自井十度至柳三度,謂之鶉首之次,芒種、夏至居之,秦之分野。自柳三度至張十二度,謂之鶉火之次,小暑、大暑居之,周之分野。自張十二度至軫六度,謂之鶉尾之次,立秋、處暑居之,楚之分野。自軫六度至亢八度,謂之壽星之次,白露、秋分居之,鄭之分野。自亢八度至尾四度,謂之大火之次,寒露、霜降居之,宋之分野。自尾四度至斗六度,謂之析木之次,立冬、小雪居之,燕之分野。自斗六度至須女二度,謂之星紀之次,大雪、冬至居之,越之分野。自須女二度至危十度,謂之玄枵之次,小寒、大寒居之,齊之分野。」

 

蔡邕が分けた星次と度数は皇甫謐のものと異なり、気節の所在も併せて明らかにしているので、ここに記載する。謐の列挙したものは郡国志にある。

原文蔡邕分星次度數與皇甫謐不同,兼明氣節所在,故載焉。謐所列在郡國志。

 

中星は太陽の位置を基準とする。太陽の運行は四年で一周する。求めたい年の二十四気の小余を四倍し、法によって少・大とし、余りが尽きなければ三倍し、法によって強・弱とし、節気の□明中星から減じて、それぞれ定める。強は正である。

原文中星以日所在為正,日行四歲乃終,置所求年二十四氣小余四之,如法為少、大,余不盡,三之,如法為強、弱,以減節氣□明中星,而各定矣。強,正;

 

弱とは、不足していることである。その強弱を相減じ、同名のものは取り去り、異名のものはそれに従う。強い方から少し進めば弱となり、弱い方から少し退けば強となる。上元の太歳が庚辰にあった年から、熹平三年、甲寅の年に至るまで、合わせて九千四百五十五年である。

原文(段落全体)弱,(直)[負]也。其強弱相減,同名相去,異名從之。從強進少為弱,從弱退少而強。從上元太歲在庚辰以來,盡熹平三年,歲在甲寅,積九千四百五十五歲也〈宋世治歷何承天曰:「歷數之術,若心所不達,雖復通人前識,無救其弊。

 

宋の時代に暦法を研究した何承天は言った。「暦数の術は、もし心で理解できないならば、たとえ博識な先達の知恵があっても、その弊害を救うことはできない。

原文(段落全体)弱,(直)[負]也。其強弱相減,同名相去,異名從之。從強進少為弱,從弱退少而強。從上元太歲在庚辰以來,盡熹平三年,歲在甲寅,積九千四百五十五歲也〈宋世治歷何承天曰:「歷數之術,若心所不達,雖復通人前識,無救其弊。

 

そのため長年を経ても、まだ定めることができなかった。四分暦は天象に対して、三百年で一日のずれが生じるが、代々の人が悟らず、ただ暦を建てる根本は必ずまず元(暦の起点)を立てるべきだと唱え、讖緯の説に仮託して、遂に治乱の議論を開いた。この弊害は、また甚だしいものであった。劉歆の三統法はさらに粗雑で、四分暦と比べて、六千余年でまた一日を加える。楊雄はその説に心を惑わされ、『太玄経』に採用した。班固はこれを最も精密であると称え、『漢書』の志に著した。司馬彪は言う。『太初元年から三統暦の使用を始め、百有余年施行された。』かつて劉歆の生年が太初に及ばないことを思い出さなかったのか。二、三の君子が暦を作るのに、ほとんど知らないで妄言したと言えるのではないか!

原文是以多歷年歲,猶未能有定。四分於天,出三百年而盈一日,積世不悟,徒雲建歷之本必先立元,假托讖緯,遂開治亂。此之為弊,亦以甚矣。劉歆三統法尤復疏闊,方於四分,六千餘年又益一日。楊雄心惑其說,采為太玄,班固謂之最密,著於漢志。司馬彪曰:『自太初元年始用三統歷,施行百有餘年。』曾不憶劉歆之生不逮太初,二三君子為歷,幾乎不知而妄言者歟!

 

元和年間、谷城門候の劉洪が初めて、四分暦が天象に対して粗雑であることを悟り、さらに五百八十九を紀法とし、百四十五を斗分として、干象法を作り、また□疾歴を制定して月の運行を推算した。太初暦、四分暦と比べて、より精密になった。」

原文元和中谷城門候劉洪始悟四分於天疏闊,更以五百八十九為紀法,百四十五為斗分,而造干象法,又制□疾歷以步月行,方於太初、四分,轉精密矣。」

 

史論

原文史論

 

論じて言う。易に太極があり、これが両儀を生じる。両儀の分かれは古く、ここに伏羲が現れた。伏羲が天下を有した時は、まだ文字あざなや計算がなかった。歳月が長く経ち、黄帝に至って、文章を明示し、重黎が記録し注釈を加え、天象に応じて名称を定め、始めと終わりを互いに検証し、基準を定めて元を遡り、ここに暦数が立てられた。天は信じ難いものであるため、五帝・三王から今に至るまで、それぞれに改作があり、通用しない。

原文論曰:易有太極,是生兩儀。兩儀之分尚矣,乃有皇犧。皇犧之有天下也,未有書計。歷載彌久,暨於黃帝,班示文章,重黎記注,像應著名,始終相驗,准度追元,乃立歷數。天難諶斯,是以五、三迄於來今,各有改作,不通用。

 

ゆえに黄帝が暦を作り、元を辛卯に起した。そして顓頊は乙卯を用い、虞は戊午を用い、夏は丙寅を用い、殷は甲寅を用い、周は丁巳を用い、魯は庚子を用いた。漢が興って秦を継ぎ、初めは乙卯を用いたが、武帝の元封年間に至り、天象と合わなくなった。そこで術士を集めて太初暦を作り、元を丁丑とした。王莽の時代、劉歆が三統暦を作り、太初暦以前の一元を遡り、五星が庚戌の年に会合するのを得て、上元とした。太初暦は章帝の元和年間に至り、また粗雑になった。術に優れた者を徴用して諸暦を校合させ、朔を定め元を考証し、漢の四十五年庚辰の年を遡り、一日を遡及させて、天象と合致するようにし、これを四分暦の元とした。六百五元一紀を加えると、上は庚申を得る。緯書に近いが、歳星が摂提に当たらないため、暦を弁じる者がその説を開くことができ、その元は緯書と同じである。同じであれば、あるいは天象に合わないこともある。しかし暦の興廃は、粗密によって評価されるのであり、本来は元に主眼を置かない。光和元年、議郎の蔡邕と郎中の劉洪が律暦志を補完し続けた。蔡邕は文章を著すことができ、音律の清濁に通じ、劉洪は計算ができ、三光の運行を述べた。今その業績を考察論評すると、その意義は広く通じており、術数は大略を挙げている。そこでこれを集めて録し、上下篇とし、前の志を継ぐものとして、一家を成すものとした。

原文(段落全体)故黃帝造歷,元起辛卯,而顓頊用乙卯,虞用戊午,夏用丙寅,殷用甲寅,周用丁巳,魯用庚子。漢興承秦,初用乙卯,至武帝元封,不與天合,乃會術士作太初歷,元以丁丑。王莽之際,劉歆作三統,追太初前(世)[卅]一元,得五星會庚戌之歲,以為上元。太初歷到章帝元和,旋復疏闊,征能術者課校諸歷,定朔稽元,追漢(三)[四]十五年庚辰之歲,追溯一日,乃與天合,以為四分歷元。加六百五元一紀,上得庚申。有近於緯,而歲不攝提,以辨歷者得開其說,而其元□與緯同,同則或不得於天。然歷之興廢,以疏密課,固不主於元。光和元年中,議郎蔡邕、郎中劉洪補續律歷志,邕能著文,清濁鐘律,洪能為筭,述□三光。今考論其業,義指博通,術數略舉,是以集錄為上下篇,放續前志,以備一家〈蔡邕戍邊上章曰:「朔方髡鉗徒臣邕稽首再拜上書皇帝陛下:臣邕被受陛下尤異大恩,初由宰府備數典城,以叔父故□尉質時為尚書,召拜郎中,受詔詣東觀著作,遂與腢儒並拜議郎。沐浴恩澤,承荅聖問,前後六年。質奉機密,趨走目下,遂竟端右,出相好藩,還尹輦轂,旬日之中,登躡上列。父子一門兼受恩寵,不能輸寫心力,以效絲發之功,一旦(披)[被]章,陷沒辜戮。陛下天地之德,不忍刀鋸截臣首領,得就平罪,父子家屬徙充邊方,完全軀命,喘息相隨。非臣無狀所敢[復]望,非臣罪惡所當復蒙,非臣辭筆所能復陳。臣初決罪雒陽詔獄,生出牢戶,顧念元初中故尚書郎張俊,坐漏洩事,當伏重刑,已出谷門,復聽讀鞠,詔書馳救,[減罪]一等,輸作左校。俊上書謝恩,遂以轉徙。[邕為]郡縣促遣,□於吏手,不得頃息,含辭抱悲,無由上達。既到徙所,乘塞守烽,職在候望,憂怖焦灼,無心復能操筆成草,致章闕庭。誠知聖朝不責臣謝,但[懷]愚心,有所不竟。臣自在布衣,常以為漢書十志,下盡王莽,而世祖以來,唯有紀傳,無續志者。臣所師事故太傅胡廣,知臣頗識其門戶,略以所有舊事[與臣],雖未備悉,粗見首尾,積累思惟,二十餘年。不在其位,非外吏庶人所得擅述。

 

蔡邕が辺境に配流された際に上奏した文書に言う。「朔方の髡鉗の徒である臣、邕は、頓首再拝して皇帝陛下に上書いたします。臣邕は陛下の格別の大恩を受け、初めは宰相府に属して典城の任に備え、叔父の故衛尉の蔡質が当時尚書であったため、召されて郎中に任じられ、詔を受けて東観に赴き著作に従事し、ついに多くの儒者と共に議郎に任じられました。恩沢を浴し、聖なるお尋ねにお答えし、前後六年に及びました。蔡質は機密を奉じ、陛下の目下に奔走し、ついに尚書令の地位に至り、良き藩国に出て宰相となり、都に戻って尹となり、十日ほどの間に高位に登りました。父子一門ともに恩寵を受けながら、心力を尽くしてわずかでも功績を挙げることができず、一旦罪状を暴かれ、罪に陥れられて誅戮されようとしました。陛下は天地のような御仁徳により、刀鋸で臣の首を断つに忍びず、平罪に就くことを許し、父子家属を辺境に移住させ、身体を全うさせ、息をつなぐことを許されました。これは臣の無様な者が再び望むべきことではなく、臣の罪悪が再び蒙るべきことではなく、臣の言葉や筆で再び陳述できることではありません。臣は初め洛陽の詔獄で罪を決せられ、牢獄の戸から生まれ出て、元初年間の故尚書郎張俊のことを顧みました。彼は機密漏洩の罪に坐し、重刑に処せられるはずでしたが、すでに谷門を出た後、再び判決文の読み上げを聴き、詔書が馳せて救い、罪一等を減じて左校での労役に服することになりました。張俊は上書して恩に謝し、ついに流刑に転じました。臣は郡県から急かされて追い立てられ、役人の手に委ねられ、一息つく暇もなく、言葉を胸に抱き悲しみを抱いて、上達する手段がありませんでした。既に配流の地に到着し、要塞に乗り烽火を守り、斥候の任務に就いて以来、憂い怖れ焦がれ灼かれ、再び筆を執って草稿を完成させ、朝廷に奏章を届ける心もありません。聖朝が臣の謝罪を責めないことは誠に承知しておりますが、ただ愚かな心に、成し遂げられなかったことがあるのです。臣は布衣の身であった時から、常に『漢書』の十志は王莽の時代までで終わり、世祖(光武帝)以来は紀伝しかなく、志を継ぐ者がいないことを残念に思っておりました。臣が師事した故太傅の胡広は、臣がその学問の門戸を少しは識っていることを知り、おおよそ所有していた旧事を臣に与えてくださいました。まだ完全ではありませんでしたが、大略その首尾を見ることができ、考えを積み重ねること二十余年でした。その地位にいない者、外吏や庶人が勝手に述べるべきことではありません。

原文(段落全体)故黃帝造歷,元起辛卯,而顓頊用乙卯,虞用戊午,夏用丙寅,殷用甲寅,周用丁巳,魯用庚子。漢興承秦,初用乙卯,至武帝元封,不與天合,乃會術士作太初歷,元以丁丑。王莽之際,劉歆作三統,追太初前(世)[卅]一元,得五星會庚戌之歲,以為上元。太初歷到章帝元和,旋復疏闊,征能術者課校諸歷,定朔稽元,追漢(三)[四]十五年庚辰之歲,追溯一日,乃與天合,以為四分歷元。加六百五元一紀,上得庚申。有近於緯,而歲不攝提,以辨歷者得開其說,而其元□與緯同,同則或不得於天。然歷之興廢,以疏密課,固不主於元。光和元年中,議郎蔡邕、郎中劉洪補續律歷志,邕能著文,清濁鐘律,洪能為筭,述□三光。今考論其業,義指博通,術數略舉,是以集錄為上下篇,放續前志,以備一家〈蔡邕戍邊上章曰:「朔方髡鉗徒臣邕稽首再拜上書皇帝陛下:臣邕被受陛下尤異大恩,初由宰府備數典城,以叔父故□尉質時為尚書,召拜郎中,受詔詣東觀著作,遂與腢儒並拜議郎。沐浴恩澤,承荅聖問,前後六年。質奉機密,趨走目下,遂竟端右,出相好藩,還尹輦轂,旬日之中,登躡上列。父子一門兼受恩寵,不能輸寫心力,以效絲發之功,一旦(披)[被]章,陷沒辜戮。陛下天地之德,不忍刀鋸截臣首領,得就平罪,父子家屬徙充邊方,完全軀命,喘息相隨。非臣無狀所敢[復]望,非臣罪惡所當復蒙,非臣辭筆所能復陳。臣初決罪雒陽詔獄,生出牢戶,顧念元初中故尚書郎張俊,坐漏洩事,當伏重刑,已出谷門,復聽讀鞠,詔書馳救,[減罪]一等,輸作左校。俊上書謝恩,遂以轉徙。[邕為]郡縣促遣,□於吏手,不得頃息,含辭抱悲,無由上達。既到徙所,乘塞守烽,職在候望,憂怖焦灼,無心復能操筆成草,致章闕庭。誠知聖朝不責臣謝,但[懷]愚心,有所不竟。臣自在布衣,常以為漢書十志,下盡王莽,而世祖以來,唯有紀傳,無續志者。臣所師事故太傅胡廣,知臣頗識其門戶,略以所有舊事[與臣],雖未備悉,粗見首尾,積累思惟,二十餘年。不在其位,非外吏庶人所得擅述。

 

天がその心を導き、著作郎に備えることを得て、十志は皆撰録すべきであると建言し、ついに議郎の張華らと分けてこれを受け持ち、その難しい部分は皆臣に任されました。まず律暦を研究し、計算を根本とし、天文を検証とし、太史の旧注を請い、連年考証校合しましたが、往々にしてかなりの誤差があり、増減を加えて初めて施行し、永遠の法とすべきものでした。その道理は極めて深遠微妙であり、独りで議論することを敢えてしませんでした。郎中の劉洪は計算に精通していたため、臣は劉洪を上表して推挙し、共に図牒を参酌して考えました。

原文天誘其衷,得備著作郎,建言十志皆當撰錄,遂與議郎張華等分受之,(所使元順)[其]難者皆以付臣。先治律歷,以籌筭為本,天文為驗,請太(師)[史]舊注,考校連年,往往頗有差舛,當有增損,乃可施行,為無窮法。道至深微,不敢獨議。郎中劉洪,密於用筭,故臣表上洪,與共參思圖牒。

 

探求を続けてようやく端緒が見え始めたところで、臣が罪に問われ、ついに辺境の野に追放されました。臣はひそかに自ら痛み、一度の過ちによって、史籍に欠けている部分、胡広が校訂したもの、二十年の思索が中途で廃絶し、完遂できないことを残念に思います。誠実な思いは、なお心に結びつき、望みを捨てることができません。臣は初め刑期が終わるのを待ち、それから県の役所を通じて、詳しく状況を上聞しようと考えておりました。今年七月九日、匈奴が初めて郡の塩池県を攻撃し、その時鮮卑が連続して雲中、五原を侵犯し、一月のうちに烽火が絶えませんでした。西方の夷狄が互いに謀り合い、その企ては広く遠大で、恐らくは変事となり、どう対処してよいか分かりません。郡県は皆恐れ、明日の朝を保つことができません。臣の居る所は孤立して危険であり、命は鋒鏑に懸かり、土灰に埋もれ消え、次の息ができるか分かりません。誠に恐れるのは、胸に抱いた思いが身体と共に朽ち果て、黄泉に恨みを抱くことです。そこで準備を整えず、謹んでまず倒れ伏して申し上げます。諸志の条項について、臣が削除訂正したいもの一つ、継ぎ足すべきもの四つ、前志にないもので臣が著したいもの五つ、及び経典や多くの書物から採集すべきもの、本奏や詔書で根拠とすべきものを、それぞれ首目を分け、併せて奏章の左に記します。臣が初め取り調べを受けた時、妻子は逃げ散り、文書を失い、照会するものがありません。加えて惶れ怖れ愁え恐れ、思いは乱れ散り、十分の一も識ることができず、識ったものもまた誤りがあるのではないかと恐れます。死罪に触れることを冒して、愚かな心情を披瀝し、東観に下して諸々の奏文を推し求め、璽書と照合し、遺漏や欠落を補い綴り合わせ、国家の体制を明らかにしていただきたいと願います。この上奏が聞き届けられた後は、たとえ肝脳が流れ離れ、白骨が切り開かれても、再び恨むことはありません。どうか陛下ご覧ください。謹んで臨戎長の霍圉を通じて封をして上呈いたします。臣は頓首死罪、稽首再拝して以て上聞いたします。」彼が論じた志は、志家がまだ成書としてまとめておらず、もし異同があれば、今事に従って本志に注を加える。

原文尋繹適有頭角,會臣被罪,(遂)[逐]放邊野。臣竊自痛,一為不善,使史籍所闕,(故)[胡]廣所校,二十年之思,中道廢絕,不得究竟。慺慺之情,猶以結心,不能違望。臣初欲須刑竟,乃因縣道,具以狀聞。今年七月九日,匈奴始攻郡鹽池縣,其時鮮卑連犯雲中、五原,一月之中,烽火不絕。不(言四)[意西]夷相與合謀,所圖廣遠,恐遂為變,不知所濟。郡縣鹹懼,不守朝旦。臣所在孤危,懸命鋒鏑,湮滅土灰,呼吸無期。誠恐所懷隨軀腐朽,抱恨黃泉,遂不設施,謹先顛踣。科條諸志,臣欲(制)刪定者一,所當接續者四,前志所無,臣欲著者(三)[五],及經典腢書所宜捃摭,本奏詔書所當依據,分別首目,並書章左。臣初被考,妻子迸竄,亡失文書,無所案請。加以惶怖愁恐,思念荒散,十分不得識一,所識者又恐謬誤。觸冒死罪,披(散)[瀝]愚情,願下東觀,推求諸奏,參以璽書,以補綴遺闕,昭明國體。章聞之後,雖肝腦流離,白骨剖破,無所復恨。惟陛下省察。謹因臨戎長霍圉封上。臣頓首死罪稽首再拜以聞。」其所論志,志家未以成書,如有異同,今隨事注之於本志也。

 

賛に曰く、象は物によって生じ、数は杪曶びょうこつに本づく。律は均しく前に起こり、準は調べて後に発する。衡琁こうけんを該核し、日月を検会す。

原文贊曰:象因物生,數本杪曶。律均前起,准調後發。該核衡琁,檢會日月。

 

校勘記

原文校勘記

 

三〇五五頁四行 斗綱(之)〔所〕建 集解が盧文弨の説を引いて、「之」は御覧では「所」と作ると言う。按ずるに、下の「青龍所纏」と対句を成す文であるから、「所」と作るのが正しい。今これに拠って改める。また按ずるに、「綱」は原版では「剛」と作るが、直ちに改正する。

原文三0五五頁四行斗綱(之)[所]建集解引盧文弨說,謂「之」御覽作「所」。按:與下「青龍所纏」相對成文,作「所」是,今據改。又按:「綱」原斗「剛」,徑改正。

 

三〇五五頁七行 当其同〔所〕 集解が盧文弨の説を引いて、「同」の下に「所」の字が脱落していると言い、御覧にはある。今これに拠って補う。

原文三0五五頁七行當其同[所]集解引盧文弨說,謂「同」下脫「所」字,御覽有。今據補。

 

三〇五五頁九行 斗建移辰謂之〔月〕 集解が李鋭の説を引いて補う。

原文三0五五頁九行斗建移辰謂之[月]據集解引李銳說補。

 

三〇五五頁九行 日月之(術)〔行〕 集解が李鋭の説を引いて改める。按ずるに、殿本は「行」と作る。

原文贊曰:象因物生,數本杪曶。律均前起,准調後發。該核衡琁,檢會日月。

 

三〇五六頁五行 以察〔発〕斂 集解が銭大昕の説を引いて補う。

原文三0五六頁五行以察[發]斂據集解引錢大昕說補。

 

三〇五七頁一三行 乃立儀表 按ずるに、集解が李鋭の説を引いて、儀は渾儀を謂い、表は圭表を謂うと言う。今、儀表の間に頓号を加える。

原文三0五七頁一三行乃立儀表按:集解引李銳說,謂儀謂渾儀,表謂圭表。今於儀表之閒加頓號。

三〇五八頁二行 為一月之数 按ずるに、文義に依れば「為一月之日数」と云うべきであり、「日」の字が脱落している疑いがある。

原文三0五八頁二行為一月之數按:依文義當云「為一月之日數」,疑脫「日」字。

 

三〇五八頁三行 月成則其歳〔大〕月(大)四時推移 集解が張文虎の説を引いて、「月大」の二字は倒置されており、「大」の字で句を切り、「月」の字は下に属すべきであると言う。これは閏のある年を大歳とするものである。歳の余分が月法に満ちて閏を置くのを大歳と言い、月の余分が日法に満ちて日となるのを大月と言うのと正に同じである。しかし閏月は四時の推移によって進退があるので、中気を置いてこれを定める。今これに拠って改める。

原文三0五八頁三行月成則其歲[大]月(大)四時推移集解引張文虎說,謂「月大」二字斗倒,「大」字絕句,「月」字當屬下。此謂有閏之年為大歲也。歲之餘分滿月法而置閏謂之大歲,與月之餘分滿日法而成日謂之大月正同。然閏月四時推移或有進退,故置中氣以定之。今據改。

 

三〇五八頁四行 中之始(日)〔曰〕節 集解本に拠って改める。

原文三0五八頁四行中之始(日)[曰]節據集解本改。

 

三〇五八頁一三行 故一(共)〔元〕以四千五百六十為甲寅之終也 汲本に拠って改める。

原文三0五八頁一三行故一(共)[元]以四千五百六十為甲寅之終也據汲本改。

 

三〇五九頁一一行 没数二十一(為章閏) 集解が李鋭の説を引いて削除する。

原文三0五九頁一一行沒數二十一(為章閏)據集解引李銳說刪。

 

三〇五九頁一五行 中法(四)〔三〕十二 集解が銭大昕の説を引いて改める。

原文三0五九頁一五行中法(四)[三]十二據集解引錢大昕說改。

三〇六〇頁三行 其月(食)百三十五 集解が銭大昕の説を引いて削除する。

原文三0六0頁三行其月(食)百三十五據集解引錢大昕說刪。

 

三〇六〇頁四行、『得五(百)[月]二十三之二十而一食』は、集解に引用された銭大昕の説に基づいて改める。

原文三0六0頁四行得五(百)[月]二十三之二十而一食據集解引錢大昕說改。