後漢書

《志》第三

律暦下 暦法

 

後漢書志第三 律暦下 暦法

天の運行は、一晝一夜で一周を過ぎ、星は天に従って西に動き、太陽は天に逆らって東に進む。太陽の運行と天の周回は、天にあっては度を成し、暦にあっては日を成す。列宿の位置に居り、四七(二十八宿)で終わり、甲乙(十干)を受け、六旬(六十干支)で終わる。日月が互いに推移し、太陽はゆるやかで月は速く、両者が同じ位置にある時を合朔という。ゆるやかなものが先、速いものが後となり、近い時は一日、遠い時は三日で、これを弦という。互いに対峙して天の中分に至る時を望という。速いものがゆるやかなものに追いつき、光が尽きて姿を隠す時を晦という。晦と朔が離合し、斗建が辰を移すのを月という。日月の運行には冬と夏があり、冬夏の間には春と秋がある。それ故、太陽が北陸を運行するのを冬といい、西陸を運行するのを春といい、南陸を運行するのを夏といい、東陸を運行するのを秋という。太陽の道が南に発し、北極からますます遠ざかると、その影はますます長くなり、遠く長くなる極みに至って、冬が至る。太陽の道が北に収斂し、北極にますます近づくと、その影はますます短くなり、近く短くなる極みに至って、夏が至る。二至(冬至・夏至)の中間で、道が平らになり影が正しくなる時、春秋の分となる。

太陽が天を一周し、一寒一暑し、四時が備わり、万物がすべて改まり、摂提星が次を遷し、青龍が辰を移すのを歳という。

歳の始めは至(冬至)であり、月の始めは朔である。至と朔が同日になるのを章といい、同じ日首にあるのを蔀といい、蔀が六旬で終わるのを紀といい、歳と朔が再び元に戻るのを元という。それ故、日によって実をなさせ、月によって閏を入れさせ、時によって分けさせ、歳によって周回させ、章によって明らかにさせ、蔀によって区分させ、紀によって記録させ、元によって根源に遡らせる。そうしてこそ、たとえ変化が万種千様で、盈縮が一定でなくとも、すべてこれに結びつき規正されるのである。

北極を中央に建て、黄道を外に営み、璿璣玉衡で太陽を追い、発散と収斂を観察して、光の道が生じる。孔壺を漏刻とし、浮き矢を刻とし、漏刻の水が滴り刻数を数え、中星を考査して、昼夜の明暗が生じる。太陽には光道があり、月には九道があり、九道が出入りして交点が生じる。朔が望と衡(対峙)し、交点に近づくと、欠けや薄明が生じる。月には晦朔があり、星には合と見えがあり、月には弦望があり、星には留と逆があり、その帰する所は一つであり、歩術(暦算の術)が生じる。金星と水星は陽気を受け、太陽の前後に位置し、速ければ太陽に先立ち、遅ければ後に留まり、留まった後は逆行し、逆行して太陽と離れ、離れた後は速行し、速行して太陽と競い、競って再び太陽に先立つ。この速行と順行・逆行によって、晨夕の現象が生じる。

およそ術を助け業を開き、天の光を厚く輝かせた者では、重と黎がその上位にある。

聖帝の命を受けて昊天の如く、三辰(日月星)の象を司り、民の事を授け、閏を立て時を定め、歳の功を成した者では、羲と和がその隆盛である。

金(革新的な金属)と火(革命の火)の象を取り、革命して制度を創始し、暦を治めて時を明らかにし、天に応じ民に順った者では、湯王と武王がその盛んな例である。

そして王徳が衰えると、無道の君が上で乱し、頑愚の史官が下で失う。夏后氏の時代、羲和が酒に溺れ、時を廃し日を乱したので、胤侯がこれを征伐した。紂王が淫虐を行い、その甲子(暦の秩序)を失ったので、武王がこれを誅した。正しく明らかにできる者は、その興りは勃然としており、曲げて敗る者は、その滅亡は忽ちである。天地の綱紀、帝王の大事業として巍巍たるもの、それゆえ聖人はこれを宝とし、君子はこれを勤しむのである。

歴には聖人の徳が六つある。気を根本とする者はその体を尊び、数を総合する者はその文を尊び、類を考察する者はその象を尊び、事をなす者はその時を尊び、過去を占う者はその源を尊び、未来を知る者はその流れを尊ぶ。大業がこれに載り、吉凶がここから生じる。それゆえ君子は事を起こそうとするとき、これを諮問して事に従い、天命を受けてこれに背かない。天を用い地に因り、時を測り教えを施し、明堂に頒布して民の極みとするものは、月令に勝るものはない。帝王の大いなる司はこれで備わり、天下の為しうる事はこれで尽きる。

これより先へ進むと、群れの禁忌や苟且の禁令があり、君子はまだ知らないこともある。

斗宿の二十一度は、北極から最も遠く、太陽がここに至ると冬至となり、万物はここから生じる。それゆえ律は黄鐘を首とし、暦は冬至を始めとし、月はまず建子の月を先とし、時は夜半を平とする。漢の高皇帝が天命を受けて四十五年、陽は上章にあり、陰は執徐にあり、冬十一月甲子の夜半、朔旦冬至となり、日月閏積の数は皆ここから始まる。元を立て正朔を定め、これを漢暦と呼ぶ。さらに上に二つの元を置き、月食と五星の元も、ともにここから端を発する。

暦数が生じると、儀と表を立てて、日影を較べる。影が長ければ太陽は遠く、天度の端である。太陽がその端を発し、一周して歳となるが、その影は元に戻らない。四周千四百六十一日で影が初めに戻る。これが太陽の運行の終わりである。周で日数を割ると、三百六十五と四分の一度を得て、これが一歳の日数である。日は一日に一度行き、これも天度となる。太陽と月がともに度の端を発するのを観察する。

太陽が十九周し、月が二百五十四周して、再び端で会う。これが月の運行の終わりである。太陽の周数で月の周数を割ると、一歳の周天の数が得られる。

太陽の一周を減じると、余りは十二と十九分の七となり、これは月が周天を過ぎて太陽の運行する数であり、一歳の月数となる。

これで一歳の日数を割ると、一月の数が得られる。月の余分がその法を満たせば一月となり、月が成ればその歳は大となる。

月が大となり四時が推移するので、十二の中気を置いて月の位を定める。朔はあるが中気がない月を閏月とする。中気の始まりを節といい、節と中気を合わせて二十四気となる。これで一歳の日数を割ると、一気の日数が得られる。その分が積もって日となるのを没といい、歳気の分と合わせ、法に従って一歳の没とする。没分は終中に分けられ、中気は冬至で終わる。冬至の分が法のように積もって一日となり、四年で終わる。月分が閏となり、閏が七回で尽き、その歳は十九年、これを章と呼ぶ。章の首で分が尽き、四つがともに終わるのを蔀と呼ぶ。一歳の日数を掛けると、蔀の日数となる。甲子で命名し、二十回で初めに戻る。それゆえ二十蔀を紀とする。紀歳で青龍が終わらず、三終歳の後に再び青龍となり元となる。

元の法は四千五百六十

紀の法は千五百二十

紀月は一万八千八百。

蔀の法は七十六

蔀月は九百四十。

章法は十九。

章月は二百三十五。

周天は千四百六十一。

日法は四。

蔀日は二万七千七百五十九。

没数は二十一、これを章閏とする。

通法は四百八十七。

没法は七、これによって章閏とする。

日余は百六十八。

中法は三十二。

大周は三十四万三千三百三十五。

月周は千十六。

月食の数の発生は、月食が既(既に終わった状態)であることを記録したものである。率は二十三回の食で再び既となる。その月食は百三十五回、率を互いに割ると、五月二十三の二十で一食となる。これで一年の月数を割ると、一年に再び食があるのは五百十三分の五十五となる。分でその法を終え、これによって蔀と互いに約分すると、四と二十七を得、互いに乗じると、二千五十二で会し、二十で元と会する。

元会は、四万一千四十。

蔀会は、二千五十二。

歳数は、五百一十三。

食数は、千八十一。

月数は、百三十五。

食法は、二十三。

入蔀を推算する術は次の通り。元法で上元を除去し、その余りを紀法で除する。得られた数は天紀から数え、算外が入る紀である。紀法に満たないものは、入紀の年数である。これを蔀法で除し、得られた数は甲子蔀から起算し、算外が入る紀の歳名を命じ、算上、これが求める年の太歳の所在である。

月食の入る蔀会の年を推算するには、元会で上元を除去し、その余りを蔀会で除する。得られた数に二十七を乗じ、六十で満たした分を除去する。余りを二十で除した得られた数は、天紀から起算し、算外が入る紀である。二十に満たないものは、数は甲子蔀から起算し、算外が入る蔀会である。初めに蔀会に満たないものは、蔀会に入る年数であり、それぞれ入る紀の歳名を命じ、算上、これが求める年の太歳の所在である。

天紀の歳名、地紀の歳名、人紀の歳名、蔀首。庚辰、庚子、庚申、甲子(一)。丙申、丙辰、丙子、癸卯(二)。壬子、壬申、壬辰、壬午(三)。戊辰、戊子、戊申、辛酉(四)。甲申、甲辰、甲子、庚子(五)。庚子、庚申、庚辰、己卯(六)。丙辰、丙子、丙申、戊午(七)。壬申、壬辰、壬子、丁酉(八)。戊子、戊申、戊辰、丙子(九)。甲辰、甲子、甲申、乙卯(十)。庚申、庚辰、庚子、甲午(十一)。丙子、丙申、丙辰、癸酉(十二)。壬辰、壬子、壬申、壬子(十三)。戊申、戊辰、戊子、辛卯(十四)。甲子、甲申、甲辰、庚午(十五)。庚辰、庚子、庚申、己酉(十六)。丙申、丙辰、丙子、戊子(十七)。壬子、壬申、壬辰、丁卯(十八)。戊辰、戊子、戊申、丙午(十九)。甲申、甲辰、甲子、乙酉(二十)。天正を推算する術は、入蔀年から一を減じ、章月を乗じ、章法で満たして一を得る。これを積月と名付け、満たないものを閏余とする。十二以上であれば、その年は閏がある。

天正の朔日を推算するには、入蔀の積月を置き、蔀日を乗じ、蔀月で満たして一を得る。これを積日と名付け、満たないものを小余とする。積日を六十で除去し、その余りを大余とする。入る蔀の名を以て命じ、算尽の外は、前年の天正十一月の朔日である。小余が四百四十一以上であれば、その月は大である。後の月の朔を求めるには、大余に二十九を加え、小余に四百九十九を加える。小余が蔀月で満たして一を得れば、上に大余を加え、前と同様に命ずる。

一つの術として、大周を年数に乗じ、周天を閏余に乗じて減じ、余りが蔀月で満たせば、天正の朔日である。

二十四気を推算する術は次の通り。入蔀年から一を減じ、日余を乗じ、中法で満たして一を得る。これを大余と名付け、満たないものを小余とする。大余が六十で満たせば除去し、その余りを蔀名を以て命じ、算尽の外は、前年の冬至の日である。

次の気を求めるには、大余に十五を加え、小余に七を加え、前と同様に除して命ずれば、小寒の日である。

閏月の所在を推算するには、閏余を章法から減じ、余りを十二乗し、章閏数で満たして一を得る。四以上でも一算の数とし、前年十一月から起算し、算尽の外が閏月である。あるいは進退させ、中気を以て定める。

弦・望の日を推算するには、その月の朔の大小余の数に因り、皆大余に七を加え、小余に三百五十九と四分の三を加える。小余が蔀月で満たして一を得れば、大余を加え、大余を法の如く命ずれば、上弦を得る。また加えれば望を得、次に下弦を得、さらに後月の朔を得る。

その弦、望の小余が二百六十以下の場合、毎回百刻を乗じ、蔀月で満たして一刻を得る。満たさないその数は近い節気の夜漏の半分であり、算上を以て日とする。

没滅の術を推すには、入蔀年を置き一を減じ、没数を乗じ、日法で満たして一を得、これを積没と名付け、余りは没余とする。

通法を以て積没を乗じ、没法で満たして一を得、これを大余と名付け、余りは小余とする。大余は六十で満たして除去し、その余りを蔀名で命じ、算尽の外は前年の冬至前の没日である。後の没を求めるには、大余に六十九を加え、小余に四を加え、小余が没法で満たされれば大余に従い、前と同様に命じ、分がなければ滅とする。

一つの術として、十五を以て冬至の小余を乗じ、通法から減じ、余りが没法で一を得れば、天正後の没である。

合朔の所在度を推すには、入蔀積日を置き蔀月を乗じ、大周で満たして除去し、その余りが蔀月で一を得れば、これを積度と名付け、余りは余分とする。積度に斗二十一度を加え、二百三十五分を加え、宿次で除し、宿を満たさなければ、日月合朔の所在星度である。後の合朔を求めるには、度に二十九を加え、分に四百九十九を加え、分が蔀月で一度を得、経斗して二百三十五分を除す。

一つの術として、閏余を以て周天を乗じ、大周余から減じ、蔀月で一を得、斗二十一度四分一を合せば、天正合朔日月の所在度である。

日の所在度を推すには、入蔀積日の数を置き、蔀法を乗じ、蔀日で満たして除去し、その余りが蔀法で一を得れば、積度とし、余りは余分とする。積度に斗二十一度を加え、十九分を加え、宿次で除去すれば、夜半の日の所在宿度である。

次の日を求めるには、一度を加える。次の月を求めるには、大の月は三十度を加え、小の月は二十九度を加え、経斗して十九分を除す。

一つの術として、朔の小余を以て合朔の度分を減じ、即ち日夜半の所在である。その分を二百三十五で約し、十九を乗ずる。

月の所在度を推すには、入蔀積日の数を置き、月周を乗じ、蔀日で満たして除去し、その余りが蔀法で一を得れば、積度とし、余りは余分とする。積度に斗二十一度十九分を加え、上記の法の如く除せば、求めるところの日夜半の月の所在宿度である。

次の日を求めるには、十三度二十八分を加える。次の月を求めるには、大の月は三十五度六十一分を加え、月小は二十二度三十三分を加え、分が法で一度を得、経斗して十九分を除す。その冬の下旬の月は張宿、心宿に在ることを署し、これを昼漏分後尽漏尽と謂う。

一つの術として、蔀法を以て朔の小余を除し、得たる所を以て日の半度を減ずる。余りを以て分を減じ、即ち月夜半の所在度である。

日明の入る度分を推す術は曰く、その月の節気の夜漏の数を置き、蔀法を乗じ、二百で除し、一分を得、即ち夜半から明けまでに運行する分である。夜半の日の所在度分に増し、明けの所在度分とする。

□日の入る度を求めるには、夜半から明日までに運行する分を以て蔀法を減じ、その余り即ち夜半から□までに運行する分である。

夜半の所在度分に加え、□日の所在度とする。

月の明るい部分が入る度分を推算する術。その節気の夜半の漏刻の数を置き、月周を乗じ、二百で除すると、積分となる。積分が蔀法に満てば一を得、夜半の度に増加させると、月の明るい部分の所在する度となる。

月の暗い部分が入る度を求める。明積分を月周から減じ、その余りが蔀法に満てば一度を得、夜半に加えると、月の暗い部分の所在する度となる。

弦(上弦)・望(満月)の日に星宿のどの度に入るかを推算する術。合朔の度分の数を置き、七度三百五十九分四分の三を加え、宿次で除すると、上弦の日に入る宿の度分が得られる。

望(満月)・下弦を求めるには、前述の法のように加算・除算を行う。小分が四に満てば大分に加え、大分が蔀月に満てば度に加える。

弦(上弦)・望(満月)の月が星宿のどの度に入るかを推算する術。月の合朔の度分の数を置き、度九十八、分六百五十三半を加え、宿次で除すると、上弦の月が入る宿の度分が得られる。

望(満月)・下弦を求めるには、前述の分のように加算・除算を行う。分が蔀月に満てば度に加える。

月食を推算する術。入蔀会年数を置き、一を減じ、食数を乗じ、歳数で除して一を得たものを積食と名付け、満たないものを食余とする。月数に積食を乗じ、食法で除して一を得たものを積月と名付け、満たないものを月余分とする。積月から章月を除き、その余りを入章月数とする。先に入章閏を除くべきであり、次に十二で除き、満たないものを十一月と定め、算を尽くした外は、前年の十一月以前の食月となる。入章閏を求めるには、入章月を置き、章閏を乗じ、章月で除して一を得れば、入章閏数となる。余分が二百二十四以上二百三十一以下であれば、食は閏月にある。閏は進退することがあり、朔日によって定める。後の食を求めるには、五月二十分を加え、法に満てば一月の数とし、法の通りに定め、その分が食算の上で尽きる。

月食の朔日を推算する術。食積月の数を置き、二十九を乗じて積日とする。また四百九十九に積月を乗じ、蔀月で除して一を得、積日に加え合わせ、六十で除する。その余りに会した蔀の名を付け、算を尽くした外は、前年の天正(正月)以前の食月の朔日となる。

食の日を求める。大余に十四を加え、小余に七百一十九半を加える。小余が蔀月に満てば大余とし、大余は前述のように定めると、食の日となる。

後の食の朔及び日を求める。いずれも大余に二十七を、小余に六百一十五を加える。その月余分が二十に満たない場合は、さらに大余に二十九を、小余に四百九十九を加える。食の小余については、漏刻で課すべきであり、夜漏が尽きていない場合は、算の上を日とする。

一つの術。歳数で上元を除き、余りを積月とし、百一十二を乗じ、月数で除する。余りが食法に満てば一を得、天正以後の食となる。

諸々の加時(時刻)を推算する。十二に小余を乗じ、先に法の半分のように減じ、一時を得る。その余りを法で除し、得た算の数を夜半の子の刻から起算し、算を尽くした外が、加える時となる。

諸々の上水漏刻を推算する。百にその小余を乗じ、その法に満てば一刻を得る。法に満たなければ法を十倍し、法に満てば一分を得る。積刻から先に入る節気の夜漏の半分を減じ、その余りが昼の上水の数となる。昼漏を超えればそれを去り、余りが夜の上水数となる。その刻が夜漏の半分に満たない場合は、それを減じ、余りを昨夜の未だ尽きざる分とし、その弦望はその日とする。

五星の数は生じるに当たり、それぞれ日に記され、周天の度と約して率となる。章法に周率を乗じて月法とし、章月に日率を乗じ、月法で除して積月と月余を得る。月の日に積月を乗じて、朔の大小余を得る。乗じて入月日余を得る。日法に周率を乗じて日度法とし、周率で日率を除き、余りに周天を乗じ、日度法で除して積度と度余を得る。日率を約して取ると、二千九百九十萬一千六百二十一億五十八萬二千三百を得、ここに五星は終わり、蔀の数の如く、元と通ずる。

木星。周率、四千三百二十七。日率、四千七百二十五。合積月、十三。月余、四萬一千六百六。月法、八萬二千二百一十三。大余、二十三。小余、八百四十七。虚分、九十三。入月日、十五。日余、一萬四千六百四十一。

太陽の運行度数法は、一万七千三百八である。積度は、三十三。度余は、一万三百一十四。

火星の周率は、八百七十九。日率は、千八百七十六。合積月は、二十六。月余は、六千六百三十四。月法は、一万六千七百一。大余は、四十七。小余は、七百五十四。虚分は、一百八十六。入月日は、十二。日余は、千八百七十二。日度法は、三千五百一十六。積度は、四十九。度余は、一百一十四。

土星の周率は、九千九十六。日率は、九千四百一十五。合積月は、十二。月余は、十三万八千六百三十七。月法は、十七万二千八百二十四。大余は、五十四。小余は、三百四十八。虚分は、五百九十二。入月日は、二十四。日余は、二千一百六十三。日度法は、三万六千三百八十四。積度は、十二。度余は、二万九千四百五十一。

金星の周率は、五千八百三十。日率は、四千六百六十一。合積月は、九。月余は、九万八千四百五。月法は、十一万七百七十。大余は、二十五。小余は、七百三十一。

虚分は、二百九。入月日は、二十六。日余は、二百八十一。日度法は、二万三千三百二十。積度は、二百九十二。度余は、二百八十一。

水星の周率は、一万一千九百八。日率は、千八百八十九。合積月は、一。月余は、二十一万七千六百六十三。月法は、二十二万六千二百五十二。大余は、二十九。小余は、四百九十九。虚分は、四百四十一。入月日は、二十八。

日余は、四万四千八百五。日度法は、四万七千六百三十二。積度は、五十七。度余は四万四千八百五。

五星の運行を推算する方法は、上元以来から求めようとする年までを置き、周率を乗じ、日率で割って得たものを積合という。割り切れないものを合余という。合余を周率で除し、得られなければ一年遡る。何も得られなければ、その年に星が合する。一を得れば合は前年、二を得れば合は前々年となる。金星・水星の積合が奇数なら晨(明け方)、偶数なら夕(夕方)である。周率に満たないものは逆に減じ、余りを度分とする。

星が合する月を推算するには、合積月に積合を乗じて小積とし、さらに月余に積合を乗じ、その月法で割って得たものを小積に加えて積月とし、割り切れないものを月余とする。積月が紀月を満たせば除き、余りを入紀月とする。毎回章閏を乗じ、章月で割って得たものを閏とし、割り切れないものを閏余とする。閏を入紀月から減じ、その余りを十二で除し、余りを入歳月数とし、天正十一月から起算し、算外として、星が合する所在の月とする。閏余が二百二十四以上二百三十一以下であれば、星は閏月に合する。閏は進退することがあり、朔によって制する。

朔日を推算するには、蔀日に入紀月を乗じ、蔀月で割って得たものを積日とし、割り切れないものを小余とする。積日が六十を満たせば除き、余りを大余とし、甲子から起算し、算外として、星が合する月の朔日とする。

入月日を推算するには、蔀日に月余を乗じ、その月法に朔小余を乗じたものを加え、四千四百六十五で約し、得たものを日度法で割って得たものを入月日とし、割り切れないものを日余とする。朔から入月日を起算し、算外として、星が合する日とする。

合する度を推算するには、周天に度分を乗じ、日度法で割って得たものを積度とし、割り切れないものを度余とする。斗宿二十一と四分之一から度を起算し、算外として、星が合する所在の度とする。

一つの方法として、退歳一を加え、上元から減じ、八十で割って除き、余りに没数を乗じ、日法で割って得たものを大余とし、割り切れないものを小余とする。甲子から大余を起算すれば、星が合する年の天正冬至日となる。周率に小余を乗じ、度余を加え、余りが日度法を満たせば度に加え、これが冬至後の星が合する日数であり、冬至から起算する。後の合する月を求めるには、入歳月に合積月を加え、月余に月余を加え、その月法を満たせば一を得て入歳月に加える。入歳月が十二を満たせば除き、閏があれば計算に入れ、余りは前述のように起算し、算外として、後の合する月とする。金星・水星は晨に加えれば夕を得、夕に加えれば晨を得る。

朔日を求めるには、大小余を今得たものに加え、その月余が一月を得れば、さらに大余二十九、小余四百九十九を加え、小余が蔀月を満たせば一を得て大余に加え、大余は前述のように起算する。

入月日を求めるには、入月日・日余を今得たものに加え、余りが日度法を満たせば一を得て日に加える。前の合する月の朔小余がその虚分を満たさない場合は、一日を空加する。日が月を満たせば先に二十九を除き、後の合する月の朔小余が四百九十九を満たさない場合は、さらに一日を減じ、その余りは前述のように起算する。

合度を求め、積度の度余に今得たるを加え、余が日度法に満てば一を度に従い、命ずるは前の如し。経斗除は周率の如し。

木星は、晨に伏し、十六日七千三百二十分半、二度一万三千八百十一分を行き、日の後十三度余りに在りて、東方に見ゆ。見ゆれば順行し、日行五十八分度の十一、五十八日で十一度を行き、微遅し、日行九分、五十八日で九度を行く。留まりて行かず、二十五日。旋回して逆行し、日行七分度の一、八十四日で十二度退く。再び留まり、二十五日。再び順行し、五十八日で九度を行き、また五十八日で十一度を行き、日の前十三度余りに在りて、夕に西方に伏す。伏・逆を除き、一見三百六十六日、二十八度を行く。伏復十六日七千三百二十分半、二度一万三千八百十一分を行き、日と合す。凡そ一終、三百九十八日と一万四千六百四十一分、行星三十三度と一万三百十四分、通率日行四千七百二十五分の三百九十八。

火星は、晨に伏し、七十一日二千六百九十四分、五十五度二千二百五十四分半を行き、日の後十六度余りに在りて、東方に見ゆ。見ゆれば順行し、日行二十三分度の十四、百八十四日で百十二度を行く。微遅し、日行十二分、九十二日で四十八度を行く。留まりて行かず、十一日。旋回して逆行し、日行六十二分度の十七、六十二日で十七度退く。再び留まり、十一日。再び順行し、九十二日で四十八度を行き、また百八十四日で百十二度を行き、日の前十六度余りに在りて、夕に西方に伏す。

伏・逆を除き、一見六百三十六日、三百三度を行く。伏復、七十一日二千六百九十四分、五十五度二千二百五十四分半を行き、日と合す。凡そ一終、七百七十九日と千八百七十二分、行星四百十四度と九百九十三分。通率日行千八百七十六分の九百九十七。

土星は、晨に伏し、十九日千八十一分半、三度一万四千七百二十五分半を行き、日の後十五度余りに在りて、東方に見ゆ。見ゆれば順行し、日行四十三分度の三、八十六日で六度を行く。留まりて行かず、三十三日。旋回して逆行し、日行十七分度の百二、百二日で六度退く。再び留まり、三十三日。再び順行し、八十六日で六度を行き、日の前十五度余りに在りて、夕に西方に伏す。伏・逆を除き、一見三百四十日、六度を行く。伏復、十九日千八十一分半、三度一万四千七百二十五分半を行き、日と合す。凡そ一終、三百七十八日と二千百六十三分、行星十二度と二万九千四百五十一分。通率日行九千四百十五分の三百十九。

金星は、晨に伏し、五日、四度退き、日の後九度に在りて、東方に見ゆ。見ゆれば逆行し、日行五分度の三、十日で六度退く。留まりて行かず、八日。旋回して順行し、日行四十六分度の三十三、四十六日で三十三度を行く。而して疾行し、日行一度九十一分度の十五、九十一日で百六度を行く。益々疾く、日行一度二十二分、九十一日で百十三度を行き、日の後九度に在りて、晨に東方に伏す。伏・逆を除き、一見二百四十六日、二百四十六度を行く。伏四十一日二百八十一分、五十度二百八十一分を行き、日と合す。一合二百九十二日二百八十一分、行星もまた之の如し。

金星は、夕に伏し、四十一日二百八十一分、五十度二百八十一分を行き、日の前九度に在りて、西方に見ゆ。見ゆれば順行し、疾く、日行一度九十一分度の二十二、九十一日で百十三度を行く。

微遅し、日行一度十五分、九十一日で百六度を行く。而して遅く、日行四十六分度の三十三、四十六日で三十三度を行く。留まりて行かず、八日。旋回して逆行し、日行五分度の三、十日で六度退き、日の前九度に在りて、夕に西方に伏す。伏・逆を除き、一見二百四十六日、二百四十六度を行く。伏五日、四度退きて而る後に復た合す。凡そ再合一終、五百八十四日と五百六十二分、行星もまた之の如し。通率日行一度。

水星は、晨に伏し、九日、七度退き、日の後十六度に在りて、東方に見ゆ。見ゆれば逆行し、一日で一度退く。留まるを得ず、二日。旋回して順行し、日行九分度の八、九日で八度を行く。而して疾行し、日行一度四分度の一、二十日で二十五度を行き、日の後十六度に在りて、晨に東方に伏す。伏・逆を除き、一見、三十二日、三十二度を行く。伏十六日四万四千八百五分、三十二度四万四千八百五分を行き、日と合す。一合五十七日と四万四千八百五分、行星もまた之の如し。

水星は、夕に伏し、十六日四万四千八百五分、三十二度四万四千八百五分を行き、日の前十六度に在りて、西方に見ゆ。見ゆれば順行し、疾く、日行一度四分度の一、二十日で二十五度を行く。而して遅く、日行九分度の八、九日で八度を行く。留まりて行かず、二日。旋回して逆行し、一日で一度退き、日の前十六度に在りて、夕に西方に伏す。伏・逆を除き、一見三十二日、三十二度を行く。伏九日、七度退きて復た合す。凡そ再合一終、百十五日と四万一千九百七十八分、行星もまた之の如し。通率日行一度。

歩術、歩法の伏日度分を以て、星合の日度余に加え、之を前に命ずるが如く、星見の日度を得るなり。

行分母を以て之を乗じ、分を日度法にて一と為し、分尽きざるも半法以上なれば、亦一を得、而して日に所行の分を加え、其の母に満てば一度を得。逆順の母同じからず、当に行く母を以て故の分を乗じ、故の母の如く、一と為す。留まる者は前を承け、逆なれば則ち之を減じ、伏は度を書かず。経斗除は行母の如く、四分具一。其の分に損益有り、前後相放つ。其の赤道を以て度を命ずるは、進めば加え退けば減ず。其の歩は黄道を以てす。

月名、天正十一月、十二月、正月、二月、三月、四月、五月、六月、冬至、大寒、雨水、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、七月、八月、九月、十月、処暑、秋分、霜降、小雪。

斗二十六度。

牛八度、女十二度。

虚宿十度

危宿十六度

室宿十六度

壁宿十度

黄道の極からの距離と日影の発生は、観測機器と圭表に基づく。漏刻の発生は、極からの遠近の差に節気の差を乗じる。遠近によって一刻の差があり、それによって加減する。□明の発生は、天の度数に昼の漏刻を乗じ、夜の漏刻を減じ(三)[之、二]百で割り、定度とする。天の度数からこれを減じた余りが明である。定度に一を加えたものが□である。その余りを四倍し、法で割って少とする。[二で半、三で太、]割り切れない場合は三倍し、法で割って強とし、余りが法の半分以上なら強を成す。強三つで少一つ、少四つで一度、強二つで少弱となる。また、日の度数余りを少強とし、それぞれに加える。

二十四節気

冬至

太陽の位置する黄道の極からの距離、日影の長さ、昼の漏刻、夜の漏刻、□中星[一]、旦中星。二十四節気、太陽の位置する黄道の極からの距離、日影の長さ、昼の漏刻、夜の漏刻、□中星[一]、旦中星。冬至[二]、斗宿二十一度八分、退行、二百一十五度、一丈いちじょう三尺、四十五刻、五十五刻、奎宿六度弱、亢宿二度少強、退行一。

小寒

女宿二度七分、進行、一百一十三強、一丈二尺三寸、四十五刻八分、五十四刻二分、婁宿六度半強、退行一、氐宿七度少弱、退行二。

大寒

虚宿五度十四分、進行、二百一十大弱、一丈一尺、四十六刻八分、五十三刻八分、胃宿十一度半強、退行一、心宿半度、退行三。

立春

危宿十度二十一分、進行、二百六少強、九尺六寸、四十八刻六分、五十一刻四分、畢宿五度少弱、退行三、尾宿七度半弱、退行三。

雨水

啓蟄

壁宿八度三分、進一、九十五強、六尺五寸、五十三分の三、四十六分の七、井宿十七少弱、退三、斗宿少、退二

春分

奎宿十四度十分、八十九強、五尺二寸五分、五十五分の八、四十四分の二、鬼宿四斗十一弱、退二

清明

胃宿一度十七分、退一、八十三少弱、四尺一寸五分、五十八分の三、四十一分の七、星宿四大、進一、斗宿二十一半、退二

穀雨

昴宿二度二十四分、退二、七十七大強、三尺二寸、六十五分、三十九分の五、張宿十七、進一、牛宿六半

立夏

畢宿六度三十一分、退三、七十三少弱、二尺五寸二分、六十二分の四、三十七分の六、翼宿十七大、進二、女宿十少、進一

小満

芒種

井宿十度十三分、退三、六十七少弱、一尺六寸八分、六十四分の九、三十五分の一、亢宿五大、退一、危宿十四強、進二

夏至

井宿二十五度二十分、退行三度、六十七強、尺五寸六十五分、三十五度、氐宿十二度少弱、退行二度、室宿十二度少弱、進行三度。

小暑

柳宿三度二十七分、六十七大強、尺七寸六十四分、三十五度三分、尾宿一度大強、退行三度、奎宿二度大強。

大暑

星宿四度二分、進行一度、七十二度、尺六十三寸八分、三十六度二分、尾宿十五度半弱、退行三度、婁宿三度大、退行一度。

立秋

張宿十二度九分、進行一度、七十三度半強、二尺五寸五分、六十二度三分、三十七度七分、箕宿九度大強、退行三度、胃宿九度弱、退行一度。

処暑

翼宿九度十六分、進行二度、七十八度半強、三尺三寸三分、六十二度二分、三十九度八分、斗宿十度少、退行二度、畢宿三度大、退行三度。

白露

秋分

角宿四度三十分、九十度半強、五尺五寸、五十五度二分、四十四度八分、牛宿五度少、井宿十六度少強、退行三度。

寒露

亢宿八度五分、退行一度、九十六度大強、六尺八寸五分、五十二度六分、四十七度四分、女宿七度大、進行一度、鬼宿三度少強。

霜降

氐宿十四度十二分、退行二百二度少強、八尺四寸、五十三分四十九秒、七分虚宿六度大進、二星三大強進一

立冬

尾宿四度十九分、退行三百七度少強、一丈四尺八寸、二分五十一秒、八分危宿八度強進二、張宿十五度大強進一

小雪

箕宿一度二十六分、退行三百一十一度弱、一丈一尺四寸、四十六分七秒、五十三分三秒、室宿三度半強進三、翼宿十五度大強進二

大雪

斗宿六度一分、退行二百一十三度大強、一丈二尺五寸、六分四十五秒、五十四分五秒、壁宿半度強進一、軫宿十五度弱進一

注[一]『月令章句』に言う。「中星がちょうど中天にあるべき時に中天にないのは、太陽の運行が遅いためである。まだ中天にあるべきでない時に中天にあるのは、太陽の運行が速いためである。」

あるべき時に至らないと、凶事が言われ、国に狂った法令がある。あるべきでない時に至ると、多くは厥眩(気逆による眩暈)や頭痛の病にかかる。夏至、日影の長さは一尺四寸八分。あるべき時に至らないと、国に大いなる災いがあり、旱魃が起こり、陰陽ともに傷つき、草木は夏に落葉し、大寒がある。あるべきでない時に至ると、眉腫(まぶたの腫れ)の病にかかる。小暑、日影の長さは二尺四寸四分。あるべき時に至らないと、前には小規模な水害、後には小規模な旱魃があり、兵乱があり、多くは洩注(下痢)や腹痛の病にかかる。あるべきでない時に至ると、臚腫(腹の腫れ)の病にかかる。大暑、日影の長さは三尺四寸。あるべき時に至らないと、外からの兵乱が起こり、来年は飢饉となり、多くは筋痺(筋肉の麻痺)や匣痛(胸痛)の病にかかる。あるべきでない時に至ると、多くは脛痛や悪気(邪気)の病にかかる。立秋、日影の長さは四尺三寸六分。あるべき時に至らないと、暴風が災いとなり、来年の黍は実らない。あるべきでない時に至ると、多くは咳や上気(気逆)、咽腫(のどの腫れ)の病にかかる。処暑、日影の長さは五尺三寸二分。あるべき時に至らないと、国に多くの浮いた法令があり、兵乱が起こり、来年の麦は実らない。

あるべきでない時に至ると、脹(腹部膨満)の病にかかり、耳が熱く外出できない。白露、日影の長さは六尺二寸八分。あるべき時に至らないと、多くはにきびできもの、洩(下痢)の病にかかる。あるべきでない時に至ると、多くは水病、腹閉(腹部の閉塞)、疝瘕(腹部のしこり)の病にかかる。秋分、日影の長さは七尺二寸四分。あるべき時に至らないと、草木が再び茂り、多くは温病にかかり、悲しみ心痛する。あるべきでない時に至ると、多くは匣鬲痛(胸や横隔膜の痛み)の病にかかる。寒露、日影の長さは八尺二寸。あるべき時に至らないと、来年の穀物は実らず、六畜や鳥獣が災いを受け、多くは疝瘕や□痛の病にかかる。あるべきでない時に至ると、多くは疢熱中(体内の熱病)の病にかかる。霜降、日影の長さは九尺一寸六分。あるべき時に至らないと、万物が大きく消耗し、年によっては大風が吹き、人は□痛の病にかかる。あるべきでない時に至ると、多くは匣駿支満(胸や脇腹の脹満)の病にかかる。立冬、日影の長さは一丈一寸二分。あるべき時に至らないと、地気が蔵されず、来年の立夏に逆に寒くなり、早くは旱魃、遅くは水害があり、万物は実らない。あるべきでない時に至ると、多くは臂掌痛(腕や手のひらの痛み)の病にかかる。小雪、日影の長さは一丈一尺八分。あるべき時に至らないと、来年の蚕や麦が実らず、多くは恭腕痛(手首の痛み)の病にかかる。あるべきでない時に至ると、また多くは肘腋痛(肘や脇の下の痛み)の病にかかる。大雪、日影の長さは一丈二尺四分。あるべき時に至らないと、温気が漏れ出し、夏に蝗虫が発生し、大水害があり、多くは少気(気力不足)、五疸(各種の黄疸)、水腫の病にかかる。あるべきでない時に至ると、多くは漢疽痛(大きなできものの痛み)の病にかかり、その応は芒種に現れる。

『月令章句』に言う。「周天は三百六十五度四分の一であり、十二次に分けられ、日月の運行する軌道である。地は十二分され、王侯の封国である。毎次は三十二度三十二分の十四であり、太陽がその初めに至る時を節気とし、その中に至る時を中気とする。危宿十度から壁宿九度までを豕韋の次といい、立春、驚蟄がこれに当たり、衛の分野である。壁宿九度から胃宿一度までを降婁の次といい、雨水、春分がこれに当たり、魯の分野である。胃宿一度から畢宿六度までを大梁の次といい、清明、穀雨がこれに当たり、趙の分野である。畢宿六度から井宿十度までを実沈の次といい、立夏、小満がこれに当たり、晋の分野である。井宿十度から柳宿三度までを鶉首の次といい、芒種、夏至がこれに当たり、秦の分野である。柳宿三度から張宿十二度までを鶉火の次といい、小暑、大暑がこれに当たり、周の分野である。張宿十二度から軫宿六度までを鶉尾の次といい、立秋、処暑がこれに当たり、楚の分野である。軫宿六度から亢宿八度までを壽星の次といい、白露、秋分がこれに当たり、鄭の分野である。亢宿八度から尾宿四度までを大火の次といい、寒露、霜降がこれに当たり、宋の分野である。尾宿四度から斗宿六度までを析木の次といい、立冬、小雪がこれに当たり、燕の分野である。斗宿六度から須女宿二度までを星紀の次といい、大雪、冬至がこれに当たり、越の分野である。須女宿二度から危宿十度までを玄枵の次といい、小寒、大寒がこれに当たり、齊の分野である。」

蔡邕が分けた星次と度数は皇甫謐のものと異なり、さらに気節の所在を明らかにしているので、ここに載せる。謐の列挙したものは郡国志にある。

中星は太陽の所在を基準とする。太陽の運行は四年で一周する。求めようとする年の二十四気の小余を四倍し、法によって少・大とし、余りが尽きなければ、それを三倍し、法によって強・弱とし、それをもって節気□明中星から減じ、それぞれ定める。強は正、

弱は負である。その強弱を互いに減じ、同名なら引き去り、異名なら従う。強から少を進めて弱とし、弱から少を退けて強とする。上元の太歳が庚辰にあった時以来、熹平三年、歳が甲寅であるまで、積算九千四百五十五年である

史論

論が言う。『易経』には太極があり、そこから両儀が生じる。両儀の区分は古くからあり、そこに伏羲が現れた。伏羲が天下を治めたときには、まだ文あざなや計算はなかった。長い歳月を経て黄帝の時代に至り、文章を整えて示し、重黎が記録し注釈を加え、天象に応じて名称を定め、始めと終わりを互いに検証し、基準を定めて元を遡り、暦法を立てた。天の道理は測り難いものであるため、五帝・三王から現代に至るまで、それぞれに改作があり、通用するものは一つではなかった。

ゆえに黄帝が暦を作り、元を辛卯に起算したが、顓頊は乙卯を用い、虞は戊午を用い、夏は丙寅を用い、殷は甲寅を用い、周は丁巳を用い、魯は庚子を用いた。漢が興って秦を継ぎ、初めは乙卯を用いたが、武帝の元封年間に至り天象と合わなくなったので、術士を集めて太初暦を作り、元を丁丑に定めた。王莽の時代に、劉歆が三統暦を作り、太初暦以前の一元を遡り、五星が庚戌の年に会合するのを得て、これを上元とした。太初暦は章帝の元和年間に至ると、再び誤差が大きくなったので、能力ある術者を徴用して諸暦を校合させ、朔を定め元を考証し、漢の四十五年庚辰の歳を遡り一日を加えると、天象と合致したので、これを四分暦の元とした。六百五元一紀を加えると、上は庚申を得る。これは緯書に近いが、歳星が摂提の位置にないため、暦を弁じる者がその説を開くことができ、その元は緯書と同一である。同一であるならば、あるいは天象に合わないこともある。しかし暦の興廃は、粗密によって評価されるのであり、本来は元に主たる根拠を置くものではない。光和元年、議郎蔡邕と郎中劉洪が律暦志を補完し続けた。蔡邕は文章を著すことができ、音律の清濁を明らかにし、劉洪は算術を行うことができ、日月星の運行を述べた。今その業績を考察論評すると、その意義は広く通じており、術数は大略を挙げている。よってこれを集録して上下篇とし、前志に倣って継ぎ足し、一家の説を備える。

賛して言う。象は物によって生じ、数は末のほつに本づく。律は均しく前に起こり、準は調べて後に発する。衡と琁を該核し、日月を検会す。