後漢書

『志』第一

律暦 上 律準と候気

 

古代の人々が数について論じた際に、「物が生まれて後に象があり、象があって後に増殖し、増殖して後に数がある」と言った。それならば、天地が初めて形を成し、人物が既に顕著になると、算術の事柄が生じたのである。記録には大橈が甲子を作ったと称している。

隸首が数を創った。

両者が確立された後、日表と比較した。

万物を統べるものである。一、十、百、千、万は、共通して用いるものであり、律、度、量、衡、暦は、それぞれ別の用途に用いるものである。ゆえに物体には長短があり、度をもってこれを測る。

物の量には多少があり、それに応じて量器を用いて受け取る。

物には軽重があり、秤を用いて公平に量る。

音声には清濁があり、律呂によって調和される。日月星の運行は、暦数によって記される。そうして初めて、幽隠な情実や精微な変化を総合的に把握することができるのである。

第六日律、八寸八分小分七大強。準は、八尺八寸一万五千五百一十六。

丙盛、十七万二千四百一十。下生して安度を生ず。丙盛を宮とし、屈齊を商とし、安度を徵とする。

第六日律、八寸七分小分六微弱。準は、八尺七寸一万一千六百七十九。

分動、十七万八十九。下生して歸嘉を生ず。分動を宮とし、隨期を商とし、歸嘉を徵とする。

第六日律、八寸六分小分四強。準は、八尺六寸八千一百五十二。

質末、十六万七千八百。下生して否與を生ず。質末を宮とし、形晉を商とし、否與を徵とする。

第六日律、八寸五分小分二強。準は、八尺五寸四千九百四十五。

大呂、十六万五千八百八十八。下生して夷則を生ず。大呂を宮とし、夾鐘を商とし、夷則を徵とする。

第八日律、八寸四分小分三弱。準は、八尺四寸五千五百八。

分否、十六万三千六百五十四。下生して解形を生ず。分否を宮とし、開時を商とし、解形を徵とする。

第八日律、八寸三分小分一強。準は、八尺三寸二千八百五十一。

凌陰、十六万一千四百五十二。下生して去南を生ず。凌陰を宮とし、族嘉を商とし、去南を徵とする。

第八日律、八寸二分小分一弱。準は、八尺二寸五百一十四。

少出、十五万九千二百八十。下生して分積を生ず。少出を宮とし、爭南を商とし、分積を徵とする。

第六日律、八寸小分九強。準は、八尺一万八千一百六十。

太蔟は、十五万七千四百六十四。下生して南呂となる。太蔟を宮とし、姑洗を商とし、南呂を徴とする。

一日の律は、八寸。準は、八尺。

未知は、十五万七千百三十四。下生して白呂となる。未知を宮とし、南授を商とし、白呂を徴とする。

六日の律は、七寸九分小分八強。準は、七尺九寸万六千三百八十三。

時息は、十五万五千三百四十四。下生して結躬となる。時息を宮とし、変虞を商とし、結躬を徴とする。

六日の律は、七寸八分小分九少強。準は、七尺八寸万八千百六十六。

屈斉は、十五万三千二百五十三。下生して帰期となる。屈斉を宮とし、路時を商とし、帰期を徴とする。

六日の律は、七寸七分小分九弱。準は、七尺七寸万六千九百三十九。

随期は、十五万千百九十。下生して未卯となる。随期を宮とし、形始を商とし、未卯を徴とする。

六日の律は、七寸六分小分八強。準は、七尺六寸万五千九百九十二。

形晋は、十四万九千百五十五。下生して夷汗となる。形晋を宮とし、依行を商とし、夷汗を徴とする。

六日の律は、七寸五分小分八弱。準は、七尺五寸万五千三百二十五。

夾鐘は、十四万七千四百五十六。下生して無射となる。夾鐘を宮とし、中呂を商とし、無射を徴とする。

六日の律は、七寸四分小分九強。準は、七尺四寸万八千十八。

開時は、十四万五千四百七十。下生して閉掩となる。開時を宮とし、南中を商とし、閉掩を徴とする。

第八の律、七寸三分小分九微強。準は、七尺三寸一万七千八百四十一。

族嘉、十四万三千五百一十三。下生して鄰齊を生ず。族嘉を宮とし、内負を商とし、鄰齊を徵とする。

第八の律、七寸二分小分九微強。準は、七尺二寸一万七千九百五十四。

爭南、十四万一千五百八十二。下生して期保を生ず。爭南を宮とし、物應を商とし、期保を徵とする。

第八の律、七寸一分小分九強。準は、七尺一寸一万八千三百二十七。

姑洗、十三万九千九百六十八。下生して應鐘を生ず。姑洗を宮とし、蕤賓を商とし、應鐘を徵とする。

第一の律、七寸一分小分一微強。準は、七尺一寸二千一百八十七。

南授、十三万九千六百七十。下生して分烏を生ず。南授を宮とし、南事を商とし、分烏を徵とする。

第六の律、七寸小分九大強。準は、七尺一万八千九百三十。

變虞、十三万八千八十四。下生して遲內を生ず。變虞を宮とし、盛變を商とし、遲內を徵とする。

第六の律、七寸小分一半強。準は、七尺三千三十。

路時、十三万六千二百二十五。下生して未育を生ず。路時を宮とし、離宮を商とし、未育を徵とする。

第六の律、六寸九分小分二微強。準は、六尺九寸四千一百二十三。

形始、十三万四千三百九十二。下生して遲時を生ず。形始を宮とし、制時を商とし、遲時を徵とする。

第五の律、六寸八分小分三弱。準は、六尺八寸五千四百七十六。

依行、十三万一千五百八十二。上は色育を生ず。依行を宮とし、謙待を商とし、色育を徴とする。

七日律、六寸七分小分三大強。準、六尺七寸七千五十九。

中呂、十三万一千七十二。上は執始を生ず。中呂を宮とし、去滅を商とし、執始を徴とする。

八日律、六寸六分小分六弱。準、六尺六寸一万一千六百四十二。

南中、十二万九千三百八。上は丙盛を生ず。南中を宮とし、安度を商とし、丙盛を徴とする。

七日律、六寸五分小分七微弱。準、六尺五寸一万三千六百八十五。

内負、十二万七千五百六十七。上は分動を生ず。内負を宮とし、帰嘉を商とし、分動を徴とする。

八日律、六寸四分小分八強。準、六尺四寸一万五千九百五十八。

物応、十二万五千八百五十。上は質末を生ず。物応を宮とし、否与を商とし、質末を徴とする。

七日律、六寸三分小分九強。準、六尺三寸一万八千四百七十一。

蕤賓、十二万四千四百一十六。上は大呂を生ず。蕤賓を宮とし、夷則を商とし、大呂を徴とする。

一日律、六寸三分小分二微強。準、六尺三寸四千一百三十一。

南事、十二万四千一百五十四。下生する。南事は窮まり、商・徴なく、宮とはならず。

七日律、六寸三分小分一弱。準、六尺三寸一千五百三十一。

盛変、十二万二千七百四十一。上は分否を生ず。盛変を宮とし、解形を商とし、分否を徴とする。

第七日の律管、長さ六寸二分と小分三より少し強。準器の長さ、六尺二寸七千六十四分。

離宮、十二万一千八百一十九。上生して凌陰を生ず。離宮を宮とし、南商を去り、凌陰を徴とする。

第七日の律管、長さ六寸一分と小分五微強。準器の長さ、六尺一寸一万二百二十七分。

制時、十一万九千四百六十。上生して少出を生ず。制時を宮とし、分積を商とし、少出を徴とする。

第八日の律管、長さ六寸と小分七弱。準器の長さ、六尺一万三千六百二十分。

林鐘、十一万八千九十八。上生して太蔟を生ず。林鐘を宮とし、南呂を商とし、太蔟を徴とする。

第一日の律管、長さ六寸。準器の長さ、六尺。

謙待、十一万七千八百五十一。上生して未知を生ず。謙待を宮とし、白呂を商とし、未知を徴とする。

第五日の律管、長さ五寸九分と小分九弱。準器の長さ、五尺九寸一万七千二百一十三分。

去滅、十一万六千五百八。上生して時息を生ず。去滅を宮とし、結躬を商とし、時息を徴とする。

第七日の律管、長さ五寸九分と小分二弱。準器の長さ、五尺九寸三千七百八十三分。

安度、十一万四千九百四十。上生して屈齊を生ず。安度を宮とし、帰期を商とし、屈齊を徴とする。

第六日の律管、長さ五寸八分と小分四弱。準器の長さ、五尺八寸七千七百八十六分。

帰嘉、十一万三千三百九十三。上生して随期を生ず。帰嘉を宮とし、未卯を商とし、随期を徴とする。

第六日の律管、長さ五寸七分と小分六微強。準器の長さ、五尺七寸一万一千九百九十九分。

否与、十一万一千八百六十七。上生して形晋となる。否与を宮とし、夷汗を商とし、形晋を徴とする。

五日律、五寸六分小分八強。準、五尺六寸一万六千四百二十二。

夷則、十一万五百九十二。上生して夾鐘となる。夷則を宮とし、無射を商とし、夾鐘を徴とする。

八日律、五寸六分小分二弱。準、五尺六寸三千六百七十二。

解形、十一万九千百三。上生して開時となる。解形を宮とし、閉掩を商とし、開時を徴とする。

八日律、五寸五分小分四強。準、五尺五寸八千四百六十五。

去南、十万七千六百三十五。上生して族嘉となる。去南を宮とし、鄰齊を商とし、族嘉を徴とする。

八日律、五寸四分小分六大強。準、五尺四寸一万三千四百六十八。

分積、十万六千百八十八。上生して爭南となる。分積を宮とし、期保を商とし、爭南を徴とする。

七日律、五寸三分小分九半強。準、五尺三寸一万八千六百八十一。

南呂、十万四千九百七十六。上生して姑洗となる。南呂を宮とし、応鐘を商とし、姑洗を徴とする。

一日律、五寸三分小分三強。準、五尺三寸六千五百六十一。

白呂、十万四千七百五十六。上生して南授となる。白呂を宮とし、分烏を商とし、南授を徴とする。

五日律、五寸三分小分二強。準、五尺三寸四千三百七十一。

結躬、十万三千五百六十三。上生して変虞となる。結躬を宮とし、遅内を商とし、変虞を徴とする。

六日律は、五寸二分小分六少強。準は、五尺二寸一万二千百十四。

帰期は、十万二千百六十九。上生して路時となる。帰期を宮とし、未育を商とし、路時を徴とする。

六日律は、五寸一分小分九微強。準は、五尺一寸一万七千八百五十七。

未卯は、十万七百九十四。上生して形始となる。未卯を宮とし、遅時を商とし、形始を徴とする。

六日律は、五寸一分小分二微強。準は、五尺一寸四千八十七。

夷汗は、九万九千四百三十七。上生して依行となる。夷汗を宮とし、色育を商とし、依行を徴とする。

七日律は、五寸小分五強。準は、五尺一万二百二十。

無射は、九万八千三百四。上生して中呂となる。無射を宮とし、執始を商とし、中呂を徴とする。

八日律は、四寸九分小分九強。準は、四尺九寸一万八千五百七十三。

閉掩は、九万六千九百八十。上生して南中となる。閉掩を宮とし、丙盛を商とし、南中を徴とする。

八日律は、四寸九分小分三弱。準は、四尺九寸五千三百三十三。

鄰斉は、九万五千六百七十五。上生して内負となる。鄰斉を宮とし、分動を商とし、内負を徴とする。

七日律は、四寸八分小分六微強。準は、四尺八寸一万一千九百六十六。

期保は、九万四千三百八十八。上生して物応となる。期保を宮とし、質末を商とし、物応を徴とする。

八日律は、四寸七分小分九微強。準は、四尺七寸一万八千七百七十九。

応鐘は、九万三千三百十二である。上生して蕤賓を生ず。応鐘を宮とし、大呂を商とし、蕤賓を徴とする。

一日の律は、四寸七分小分四微強である。準は、四尺七寸八千十九である。

分烏は、九万三千百十七である。上生して南事を生ず。分烏は次を窮め、徴がなく、宮とはならない。

七日の律は、四寸七分小分三微強である。準は、四尺七寸六千五十九である。

遅内は、九万二千五十六である。上生して盛変を生ず。遅内を宮とし、分否を商とし、盛変を徴とする。

八日の律は、四寸六分小分八弱である。準は、四尺六寸一万五千百四十二である。

未育は、九万八百十七である。上生して離宮を生ず。未育を宮とし、凌陰を商とし、離宮を徴とする。

八日の律は、四寸六分小分一少強である。準は、四尺六寸二千七百五十二である。

遅時は、八万九千五百九十五である。上生して制時を生ず。遅時を宮とし、少出を商とし、制時を徴とする。

六日の律は、四寸五分小分五強である。準は、四尺五寸一万二百十五である。

管を截って律とし、吹いて声を考へ、物気に列べて、道の本なり。

術家はその声が微かで体が知り難く、その分数が明らかでないため、準を作ってこれに代える。準の声は、明暢で達し易く、分寸もまた粗い。しかし弦は緩急清濁があり、管なくしては正すことができない。その中弦を均らせ、黄鐘と相得するようにし、画に案じて諸律を求めれば、数に従って応じないものはない。

音声は精微であり、これを綜べる者は解する。元和元年、待詔候鐘律の殷肜が上言した。「官には六十律を暁り準で音を調える者がいない。故に待詔の厳崇が準法をことごとく子の男の宣に教え、宣は通習した。願わくは宣を召し補って学官とし、楽器の調べを主とさせたい。」

詔して曰く、「崇の子が学び律を審らかに暁り、その族を別ち、その声を協するならば、審らかに試せ。父の学に依托し、聾を以て聡と為すことは許されない。

声は微妙であり、独り非とする者は知らず、独り是とする者は暁らない。律を錯って吹き、十二律を命ずることを失わずに知ることができて、初めて崇の学を伝えることができる者と言えよう。」太史丞の弘が十二律を試したところ、その二つは中り、その四つは中らず、その六つは何の律か知らず、宣は遂に罷免された。これより律家は準を施して弦を為すことができず、候部は再び見ることが知られなくなった。

三〇〇〇頁一二行の「故各終一日」について、集解が引用する恵棟の説によれば、「終」は礼記正義の引用では「統」と作っており、北史牛宏伝も同じである。また盧文弨の説を引用すると、算術でも「統」と作ると言う。今これに拠って改める。

三〇〇〇頁一五行の「苟非草木之聲」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、「草」は算術に依って「革」と作るべきである。今これに拠って改める。王先謙は、晋志が「草」と作ると言う。

三〇〇一頁六行の「以制長短為制」を汲本に拠って「以律長短為制」と改める。

三〇〇一頁一四行の「上生不得過黃鐘之清濁下生不得及黃鐘之數實」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、「清」のあざなは衍字である。「之數實」は「之清」と作るべきで、算術に依って改正する。今これに拠って改める。盧はまた「及」の上に「不」の字が脱落していると言う。今考えるに、上生不得過黃鐘之濁とは、生じた音が黄鐘の本律より低くなってはならないという意味であり、下生不得及黃鐘之清とは、生じた音が黄鐘の半律より高く、あるいは等しくなってはならないという意味である。「過」と「及」は字は異なるが意味は同じであり、脱落した字はない。今は改めない。

三〇〇一頁一六行の「是故十二律之得十七萬七千一百四十七」について、「十二律之」は語意が明らかでなく、脱落があると疑われる。文に依れば「十一三之」と作るべきであり、三を十一次自乗した数が十七万七千百四十七となる。

三〇〇二頁二行の「數萬九千六百八十三為法」を集解が引用する盧文弨の説に拠って「得萬九千六百八十三為法」と改める。

三〇〇二頁二行の「律為寸」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、「律」の上に「於」の字が脱落しており、算術にはある。今これに拠って補う。

三〇〇二頁四行の「以為黃鐘之管」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、前志では「管」を「宮」と作る。

三〇〇二頁五行の「比黃鐘之音」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、前志では「音」を「宮」と作る。

三〇〇二頁一一行の「故滋萌於子」について、王先謙は前志では「滋」を「孳」と作ると言う。

三〇〇二頁一一行の「振羨於辰」について、前志では「羨」を「美」と作る。王念孫は「美」は「羨」と作るべきであり、字の誤りであると言う。

三〇〇二頁一一行の「昧曖於未」について、王先謙は前志では「曖」を「薆」と作ると言う。

三〇〇二頁一二行の「大成於丁」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、前志では「成」を「盛」と作る。

三〇〇二頁一二行の「豐茂於戊」について、王先謙は前志では「茂」を「楙」と作ると言う。

三〇〇二頁一三行の「而變化之情則可見矣」について、王先謙は前志には「則」の字がないと言う。

三〇〇三頁一行の色育について、集解が盧文弨の説を引いており、「色」は隋志および律呂新書ではいずれも「包」と作るとし、これが正しいとしている。算術と礼記正義はともに「色」と作る。

三〇〇三頁二行の下生謙待について、隋志では「謙待」を「謙侍」と作る。以下同じ。

三〇〇三頁六行の律八寸八分小分七大強について、集解が惠棟の説を引いており、「七大強」は一説に「八弱」と作るとする。なお、礼記正義では「小分八弱」と作る。また、集解が盧文弨の説を引いており、「大」は「太」と作るべきであるとする。

三〇〇三頁一〇行の分動について、集解が惠棟の説を引いており、「動」は一説に「勳」と作るとする。なお、隋志では「動」と作る。以下同じ。

三〇〇三頁一三行の質末について、集解が盧文弨の説を引いており、隋志と礼運正義では「末」を「未」と作るとする。なお、殿本では「未」と作る。以下同じ。

三〇〇三頁一四行の形晉について、隋志では「形」を「刑」と作る。以下同じ。

三〇〇三頁一五行の小分二強について、集解が盧文弨の説を引いており、算術では「強」の上に「半」の字があるとし、これが正しい。ここにそれに従って補う。

三〇〇四頁五行の下生解形について、隋志では「解形」を「解刑」と作る。以下同じ。

三〇〇四頁七行の凌陰について、集解が盧文弨の説を引いており、隋志と正義ではいずれも「凌」を「陵」と作る。

三〇〇四頁八行の族嘉について、隋志では「佚喜」と作る。以下同じ。

三〇〇五頁一一行の下生未卯について、隋志では「未卯」を「未卬」と作る。

三〇〇五頁一三行の十四萬九千一百五十五について、集解が盧文弨の説を引いており、「五十五」は算術では「五十六」と作るとし、これが正しい。ここにそれに従って改める。

三〇〇五頁一四行の下生夷汗について、隋志では「夷汗」を「夷污」と作る。以下同じ。また、「夷」は原斗では「無」と作っていたが、直接に改正する。

三〇〇五頁一五行の七尺五寸萬五千三百二十五について、各本はいずれも「二十五」と作るが、ここに算理に従って改める。

三〇〇六頁五行の下生閉掩について、隋志では「閉掩」を「閉奄」と作る。以下同じ。

三〇〇六頁六行の「小分九微弱」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、算術では「微強」と作るとし、これが正しい。今これに従って改める。

三〇〇六頁八行の「内負」について、隋志では「負」を「貞」と作る。以下同じ。

三〇〇七頁一行の「十三萬九千六百七十」について、集解が引用する錢大昕の説によれば、「七十四」とすべきであり、「四」の字が脱落している。また盧文弨の説を引けば、算術には「四」の字がある。今これに従って補う。

三〇〇七頁二行の「下生分烏」について、隋志では「分烏」を「分焉」と作る。以下同じ。

三〇〇七頁一〇行の「形始」について、隋志では「形」を「刑」と作る。

三〇〇七頁一五行の「小分三大強」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、算術では「半強」と作るとし、これが正しい。今これに従って改める。

三〇〇八頁九行の「小分八強」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、算術では「微強」と作るとし、これが正しい。今これに従って補う。

三〇〇九頁二行の「下生」について、集解が引用する錢大昕の説によれば、十二律の変化は南事で尽きるので、どうして下生と言えようか。「下」は「不」の字の誤りであろうと疑う。また盧文弨の説を引けば、「下生」は「不生」とすべきである。今これに従って改める。

三〇〇九頁三行の「六尺三寸一千五百三十一」について、各本は「三十一」と作るが、今算理に従って改める。

三〇〇九頁六行の「小分三大強」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、算術では「半強」と作るとし、これが正しい。今これに従って改める。

三〇〇九頁七行の「十二萬一千八百一十九」について、集解が引用する錢大昕の説によれば、「一千八十九」とすべきである。また盧文弨の説を引けば、「百一」の二字は誤って衍字しており、算術にはない。今これに従って削除する。

三〇一〇頁九行の「小分四弱」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、算術では「微弱」と作るとし、これが正しい。今これに従って補う。

三〇一一頁四行の「十一萬九千一百三」について、集解が引用する錢大昕の説によれば、「十萬」とすべきである。また盧文弨の説を引けば、「十」の下の「一」の字は衍字であり、算術にはない。今これに従って削除する。

三〇一一頁一〇行の「十萬六千一百八十八」について、集解が引用する錢大昕の説によれば、「八十七」とすべきである。また盧文弨の説を引けば、「八」は誤りで、算術では「七」である。今これに従って改める。

三〇一一頁一二行の「小分九半強」について、集解が引用する盧文弨の説によれば、算術には「半」の字がなく、「少強」とすべきである。今考えるに、算理に従えば「半弱」とすべきである。

三〇一一頁一二行:五尺三寸、一万八千六百七十一。注:各版本は「八十一」と作るが、今、算理に拠って改める。

三〇一二頁三行:五尺三寸、四千三百六十一。注:各版本は「七十一」と作るが、今、算理に拠って改める。

三〇一二頁六行:小分六強。集解は盧文弨の説を引き、算術は「微強」と作るとし、案ずるに止めて「強」と作るべきである。今、これに拠って削る。

三〇一二頁一二行:五尺一寸、四千一百七。注:各版本は「四千八十七」と作るが、今、算理に拠って改める。

三〇一三頁一二行:小分九半強。集解は盧文弨の説を引き、算術は「半強」と作るが、これは正しい。今、これに拠って改める。

三〇一四頁一行:九万三千一百一十六。集解は錢大昕の説を引き、これは「一十六」と作るべきであるとする。また盧文弨の説を引き、算術は「六」と作るとする。今、これに拠って改める。

三〇一四頁一三行:列を以て物気とす。集解は惠棟の説を引き、晉志は「物」を「效」と作るとする。今、按ずるに、「效」と作るのは合っているようである。

三〇一四頁一四行:然れども弦は緩急清濁を以てす。集解は張文虎の説を引き、「弦以」の「以」は「之」と作るべきか、あるいは「緩急」の下に「為」の字が脱けているのではないかと疑う。

三〇一五頁一行:泠道県。注:「泠」は原字が「冷」であったが、直ちに改正する。

三〇一五頁三行:故に待詔の嚴崇。注:晉志・宋志は「崇」を共に「嵩」と作る。魏志もまた「嵩」と作る。集解は錢大昕の説を引き、古文では崇と嵩は通じ、漢武帝が嵩高山を「崇高」と改めたという。

三〇一五頁五行:方にて能く崇の学を伝えんとす。注:「方」は原字が「力」であったが、直ちに改正する。按ずるに、晉志・宋志は共に「乃」と作る。

三〇一五頁八行:音は書を以て人に曉らすべからず。王先謙は、晉志は「音は書を以て曉らすべからず」と作るとし、宋志は「音は書を以て曉らすべからず」と作るとする。蓋し「書以」は誤って倒置されており、「時」の字は誤りであることを明らかにする。按ずるに、王氏は「曉」の字を句とし、「人」の字を下に連ねて読む。今、晉志に依って「時」を「曉」と改め、而して「人」の字を上に属して読む。

三〇一五頁一二行:皆、月律に応ぜず。汲本・殿本に拠って改める。

三〇一五頁一二行:乃ち能く天地を順ず。注:汲本・殿本は「順」を「感」と作る。

三〇一五頁一五行:上天の明時に順ずべし。隋書音楽志下は「待」を「時」と引く。今、これに拠って改める。

三〇一六頁二行 皆はこれをもって闘気を記す。按ずるに、「斗」の字は誤りがあるか、あるいは「卦」とすべきであろう。

三〇一六頁四行 権土炭 集解は惠棟の説を引き、晋灼が蔡邕の律歴記を引いて「土炭」とし、漢書律歴志もまた「土炭を懸く」と云うと述べている。今これに拠って改める。以下同じ。

三〇一六頁四行 陰陽に效す 集解は惠棟の説を引き、「放」は一に「效」と作し、晋志は「效」と作すと述べている。今これに拠って改める。

三〇一六頁八行 気至る者は灰動く 集解は錢大昭の説を引き、閩本は「動」と作すと述べる。王先謙は殿本は「動」と作し、晋志は「去」と作すと述べる。今按ずるに、下に「其れ気の動かす所たる者は其の灰散ず」と云う。則ち「去」と作すは非なり。今これに拠って改める。

三〇一七頁一行 孔の径三分 御覧十六に拠って補う。

三〇一七頁一行 其の余は皆漸く短し 集解は惠棟の説を引き、李氏本は「補」を「漸」と作すと述べる。