後漢書

志第三十 輿服下

玉輅、乗輿、金根、安車、立車、耕車、戎車、獵車、畊車、青蓋車、緑車、皁蓋車、夫人安車、大駕、法駕、小駕、軽車、大使車、小使車、載車、導従卒、車馬飾

 

『書経』に言う。「功績を明らかに試み、車と服で功に報いる。」これは、昔の聖人が天下の大きな利益を興し、天下の大きな害を取り除くために、自らその事に携わり、自ら勤労を実践し、それを憂い労して、寒暑を避けず、天下の民と万物をして、それぞれその性命を安んじ、夭折や混乱、暴虐な侵害の災いがないようにしたからである。それゆえ天下の民は、敬愛して、親なる父母のようにし、手本として養い、仰ぎ見る日月のようにした。愛する者はその長久を願い、労役を厭わず、共に宮室を建て、上に棟梁、下に軒宇を設け、覆い包んで、その長久を願った。敬する者はその尊厳を願い、煩わしさを厭わず、共に車輪や旌旗、章表を作り上げて、それを尊厳ならしめた。これが愛の極致、敬の極致である。もし心から愛敬するならば、たとえ最高の報いをもってしても、その情はまだ尽きない。あるいは身を殺してそれに尽くすことが、その情を尽くすことであり、代々祀り続けることが、その功績を明らかにすることである。それゆえその光は天地と並んで長く流れる。後世の聖人は、民を憂い思うことが深く大きい者は必ずその楽しみを享受し、仁を勤めて万物を育て夭折させない者は必ずその福を受けることを知った。それゆえ礼を制定して節度を与え、上仁の者が天の統治を継いで万物を治め、その功を誇らず、民と万物が安楽であるようにし、あたかも道が自然であるかのようにして、誰も感謝の言葉を知らないようにした。『老子』に言う。「聖人は仁ならず、百姓を芻狗とする」。これがその謂いである。

天子の玉路は、玉で飾り、錫樊纓が十二組、太常の旗を立て、十二の旒があり、九仞で地を引きずり、日月と昇る龍を描き、天の明るさを象っている。夷王以下、周室が衰弱すると、諸侯が大路を用いた。秦が天下を併合し、三代の礼を検討し、あるいは殷の瑞祥である山車、金根の色と言われた。漢は秦の制度を継承し、御するものを乗輿とし、いわゆる孔子が殷の路に乗ったというものである。

乗輿、金根、安車、立車は、車輪はいずれも朱色のまだら紋で重ねた牙、二つのこしきと両側の轄、金薄で龍を交錯させて飾り、車輿に倚較を設け、文様の虎が軾に伏せ、龍の頭が軛を銜え、左右に吉陽筩があり、鸞雀がくびきに立ち、𣝛文で輈を画き、羽蓋に華蚤を飾り、大旂を立て、十二の旒があり、日月と昇る龍を画き、六頭の馬を駕し、象牙のはみに鏤刻した鍚、金鍐で鋄いた方釳、翟の尾を挿し、朱色の兼ねた樊纓、赤い罽の易茸、金の就が十二あり、左纛は氂牛の尾で作り、左の騑馬の軛の上にあり、大きさは斗のようで、これが徳車である。五時車は、安車、立車もすべてこれと同じである。それぞれ方角の色に従い、馬もそれに従う。白馬は、その髦尾を朱色にして朱鬣とする。天子の御するものは六頭駕し、その他はすべて四頭駕し、後ろに従うものを副車とする。

耕車は、その装飾はすべてこれと同じである。三つの蓋がある。一つを芝車と言い、𨏟に耒耜の箙を置き、天子が自ら耕作する時に乗る車である。

戎車は、その装飾はすべてこれと同じである。蕃には矛、麾、金鼓、羽析、幢翳を置き、𨏟には冑、甲、弩の箙を置く。

獵車は、その装飾はすべてこれと同じである。重ねた輞に縵輪を施し、交錯した龍がそれを巡る。一つを闟豬車と言い、天子が自ら校獵する時に乗る。

太皇太后、皇太后の法駕は、いずれも金根車に御し、交絡帳裳を加える。法駕でない時は、紫の罽の軿車に乗る。雲𣝛文で輈を画き、黄金で五末を塗り、蓋に蚤を飾る。左右に騑馬があり、三頭の馬を駕する。長公主は赤い罽の軿車。大貴人、貴人、公主、王妃、封君は油畫の軿車。大貴人はさらに節畫の輈を加える。いずれも右にのみ騑馬がある。

皇太子、皇子はいずれも安車で、朱色の斑紋の車輪、青い蓋、金の華蚤、黒い𣝛文、画いた轓文の輈、金で塗った五末。皇子が王となると、これを賜って乗るので、王青蓋車と言う。皇孫は緑車で従う。いずれも左右に騑馬があり、三頭を駕する。公、列侯の安車は、朱色の斑紋の車輪、倚鹿の較、伏熊の軾、皁色の繒の蓋、黒い轓、右に輫がある。

中二千石、二千石はいずれも皁色の蓋、朱色の両轓。その千石、六百石は、朱色の左轓。轓の長さは六尺、下は屈して幅八寸、上は業となって幅一尺二寸、九つの文様、十二の初め、後ろは一寸謙って、まるで月が初めて生まれるようで、自ら満足しないことを示す。景帝中元五年、初めて詔して六百石以上に車轓を施すことを許し、銅の五末を持つことを得、軛に吉陽筩を持つ。中二千石以上は右に騑馬、三百石以上は皁色の布の蓋、千石以上は皁色の繒で覆った蓋、二百石以下は白い布の蓋、いずれも四維の槓衣がある。商人は馬車に乗ってはならない。官吏に任命されると赤く画いた槓、その他はすべて青雲である。

公、列侯、中二千石、二千石の夫人は、朝会や養蚕の時には、それぞれその夫の安車に乗り、右に騑馬を置き、交絡のとばり裳を加え、いずれも皁色である。公の会合でない時は、朝車に乗ることはできず、漆を塗った布の輜軿車に乗ることができ、銅の五末を持つ。

古代の諸侯は副車を九乗持っていた。秦が九国を滅ぼし、その車と服飾を併せたため、大駕の属車は八十一乗となり、法駕はその半分である。属車はすべて黒い蓋に赤い裏地、朱色の轓(車の装飾板)を付け、戈・矛・弩・箙(矢筒)を備え、尚書や御史が乗る。最後の一車には豹の尾を懸け、豹の尾より前は省中(宮中)に準ずる。

郊外で天を祀る行幸には法駕を用い、地や明堂を祀る時は十の三を省き、宗廟を祀る時は特に省略し、これを小駕と呼ぶ。出るたびに、太僕が鹵簿(儀仗隊)を奉じて先導し、中常侍と小黄門が副う。尚書の主管者には郎令史が副い、侍御史には蘭台令史が副う。皆、注(記録用の筆記具)を執り、車騎を監督・整頓する。これを護駕という。春秋の陵参拝は、小駕よりもさらに省略され、当直の尚書一人だけが従い、その他の令以下は皆、先に行き後に罷める。

軽車は、古代の戦車である。朱色に塗った車輪と車体、覆いも蓋もなく、矛・戟・幢・麾(旗印)を立て、車箱に弩と服(矢筒)を載せる。武庫に収蔵する。大駕・法駕が出る時、射声校尉と司馬・吏士が乗り、順に属車に連なり、鹵簿の中に加わる。諸車には矛戟があり、その飾りの幡・斿・旗幟はすべて五色で、制度は『周礼』に従う。呉子と孫子の『兵法』に言う。「覆いと蓋があるものを武剛車という。」武剛車は、先駆けとなる。また属車の軽車は、後衛となる。

大使車は、立って乗り、四頭立てで、赤い帷を張る。節を持つ者は、導従(先導と従者)を重ねる。賊曹車・斧車・督車・功曹車はいずれも二台ずつ。大車には、伍伯(護衛兵)と璅弩(軽弩兵)十二人。闢車(先払いの車)四人。従車四乗。節がない場合は、単独の導従で、半分に減らす。

小使車は、立って乗らず、副馬(騑)があり、赤い屏泥(泥除け)と油引き、濃い深紅色の帷を張る。先導に斧車はない。

近小使車は、蘭輿(軽車)に赤い轂、白い蓋に赤い帷。従う騶騎(護衛騎兵)四十人。これは追捕や考案(取り調べ)を行い、何かを取り調べる者が乗るものである。

諸使車はすべて朱色の斑模様の車輪、四本の輻、赤い衡と軛(くびきの横木)。葬送の時は、白堊はくあ以下の車を用い、水を撒いてから還る。公・卿・中二千石・二千石は、郊廟・明堂・陵廟への祭祀で法駕が出る時は、皆、大車に立ち乗り、四頭立て。その他の外出では、安車(座って乗る車)に乗る。

大行(皇帝の葬儀)の載車(霊柩車)は、その装飾は金根車のようで、組紐で連ねた璧を四角に交絡させ、金の龍の頭が璧を銜え、五色の飾りを垂らし、前後に析羽(飾り羽)と流蘇(房飾り)を付け、雲気模様の帷裳(車の垂れ幕)を描き、𣝛文(連続文様)を曲がった轓に描き、長く車の上に懸ける。太僕が御し、六頭の布施馬を駕す。布施馬とは、純白の駱馬で、黒い薬で体に虎の文様を焼き付けたものである。葬儀が終わると、馬は払い下げられ、車は城北の秘宮に収蔵され、いずれも城門には入れない。用いる時は、太僕の考工(工官)が内部を飾り整え、礼において吉事と凶事は干渉しないからである。

公卿以下から県の三百石の長(長官)までの導従は、門下五吏を置く。賊曹・督盗賊・功曹は、皆、剣を帯び、三台の車で先導。主簿・主記は、二台の車で従う。県令以上は、先導に斧車を加える。公が安車に乗る時は、前後に並んで馬に立ち乗りする。長安・雒陽の令および王国の都県は前後に兵車を加え、亭長は右側に副馬(騑)を設け、二頭立てとする。弩車の前の伍伯は、公は八人、中二千石・二千石・六百石は皆四人、四百石以下から二百石までは皆二人。黄綬(黄色の印綬)を持つ武官には伍伯を、文官には闢車を付ける。鈴下・侍閣・門蘭・部署・街里の走卒(使い走り)には、すべて等級があり、その数は担当する職務に応じて決まる。駅馬は三十里ごとに置き、兵卒は皆、赤いさく(頭巾)と深紅色の韝(腕貫き)を着けるという。

古代は軍が出ると、師や旅(部隊単位)が皆従った。秦はその兵卒を省き、その師や旅の名称だけを取った。公以下から二千石まで、騎吏四人。千石以下から三百石、県長二人。皆、剣を帯び、戟を持って前列をなし、弓韣(弓袋)と九つの鞬(矢筒)を背負う。諸侯王の法駕では、官属の傅・相以下がすべて鹵簿を整え、京都の官騎のようで、弓を張り鞬を帯び、出入りを遮り警護して「せき」と称する。列侯には、家丞・庶子が導従する。もし耕籍や祠祀の会合があれば、主管する県が仮に闢車と鮮明な兵卒を貸し与え、その威儀を整える。導従の事が終われば、皆、貸し与えられたものを返す。

諸車の文様:乗輿(皇帝の車)は、倚龍(寄りかかる龍)と伏虎(伏した虎)、車轅に文様を描き、龍の頭と鸞(鳳凰)の衡、重ねた牙と斑模様の車輪、昇龍と飛軨(車の装飾)。皇太子・諸侯王は、倚虎と伏鹿、車轅と轓に文様を描き、吉陽(吉祥文様)、朱色の斑模様の車輪、鹿の文様の飛軨、旂旗に九匹の降りる龍。公・列侯は、倚鹿と伏熊、黒い轓、朱色の斑模様の車輪、鹿の文様の飛軨、九匹の降りる龍。卿は、朱色の両側の轓、五匹の降りる龍。二千石以下はそれぞれ科品(規定の等級)に従い、轓車以上は、軛にすべて吉陽がある。

諸馬の文様:乗輿(皇帝の馬)について言えば、金の方形の釳(額飾り)、翟(雄の尾羽)を挿した象牙の鑣、龍を描いた𦁕(くつわの飾り)、たてがみに昇龍、赤い扇汗(汗取り)、青い両翅(翼飾り)、燕尾(燕の尾の飾り)。駙馬(副馬)は、左右に赤い耳飾りと流蘇、飛鳥の節(飾り)、赤い胸当てを兼ねる。皇太子もまた同様の場合がある。王・公・列侯は、鏤鍚(彫金の額飾り)と文髦(飾り毛)、朱色の鑣と朱色の鹿(飾り)、朱色の文様、深紅色の扇汗、青い翅と燕尾。卿以下で副馬(騑)を持つ者は、緹色(黄赤色)の扇汗、青い翅と尾、当盧(額当て)に文髦、上下とも通じる。中二千石以上および使者になって初めて、副馬を駕すという。