宋史

列傳第二百三十六 叛臣下 李全下

列傳第二百三十六 叛臣下 李全下

◎叛臣下 李全下

原文◎叛臣下○李全下

宝慶三年二月、楊氏は人を遣わして夏全に和睦を申し入れ言うには、「将軍は山東より帰順した者ではなかったか。狐が死ねば兎も泣くという。李氏が滅べば、夏氏のみが独り存続できようか。願わくは将軍のご配慮を賜りたい」と。全は承諾した。楊氏は盛装して出迎え、共に営壘を巡視し、言うには、「人々は三哥(李全)の死を伝えるが、我れ一婦人の身でどうして自立できようか。直ちに太尉(夏全)を夫として仕え、子女玉帛・干戈倉廩は全て太尉のものとします。どうかこれをご領有ください。誠に多くを語る必要はありません」と。夏全は心動かされ、酒宴を設けて大いに歓び、酒が酣になると、帰宅するが如くに就寝し、仇敵を友と為し、更に劉福と謀って時卓を追い払おうとした。

原文寶慶三年二月,楊氏使人行成於夏全曰:“將軍非山東歸附耶?狐死兔泣,李氏滅,夏氏寧獨存?願將軍垂盼。”全諾。楊氏盛飾出迎,與按行營壘,曰:“人傳三哥死,吾一婦人安能自立?便當事太尉為夫,子女玉帛、幹戈倉廩,皆太尉有,望即領此,誠無多言也。”夏全心動,乃置酒歡甚,飲酣,就寢如歸,轉仇為好,更與福謀逐卓矣。

辛卯の日、夏全は賊党に命じて州庁を包囲させ、官民の家屋を焼き、蔵吏を殺し、貨物を奪わせた。当時、時卓の精兵はなお万余りいたが、窮迫して一つの命令も発することができず、ただ嘆息するのみであった。夜半に城を縋り下り、辛うじて身一つで逃れた。鎮江軍は賊と戦って死者が大半に及び、将校も多く死に、器甲・銭粟は悉く賊の所有となった。時卓は歩いて揚州に至り、州兵を借りて自衛し、なお揚州に札を下して旗幟を造らせた。林拱が朝廷に上奏したが、聞く者は大笑した。夏全は時卓を追い払った後、帰宅しようとしたが、楊氏に拒絶され、楊氏が自分を害そうとしていると思い、翌日大掠奪を行い、盱眙へ向かって乱を起こそうとした。張惠・範成進は城門を閉ざし、入れさせず、夏全は淮上を彷徨った。張惠・範成進は兵を出してこれを討伐しようとしたため、夏全は狼狽して金に帰り、金人は彼を受け入れた。この事件において、張正忠は乱に従わず、妻子を庭に刺し殺し、自らも焼死した。報告が届くと、朝廷内外は大いに恐れ、劉卓は自らを弾劾したが、間もなく死んだ。

原文辛卯,夏全令賊黨圍州治。焚官民舍,殺守藏吏,取貨物。時卓精兵尚萬餘,窘束不能發一令,太息而已,夜半縋城,僅以身免。鎮江軍與賊戰死者太半,將校多死,器甲錢粟悉為賊有。卓步至揚州,借州兵自衛,猶劄揚州造旗幟。林拱繳奏於朝,聞者大笑。夏全既逐卓,幕歸,楊氏拒之,意楊氏反目圖己,明日大掠,趨盱眙欲為亂,張惠、範成進閉門,不得入,翱翔淮上。惠、成進出兵欲剿之,夏全狼狽歸金,金人納之。是舉也,張正忠不從亂,經妻女於庭,並己自焚。報至,中外大恐,劉卓自劾,未幾,死。

初め、姚翀は賈涉に召し出されて楚州推官となり、李全は彼が自分に附くことを喜び、権力者に推挙して官位を改めさせ、全は彼を通判青州とするよう請うた。李福が死ぬと、全は姚翀を借りて民衆を欺いて鎮撫させ、功績によって朝廷に入った。三月、姚翀を軍器少監・楚州知州兼製置使とした。翀は鄭子恭・杜耒らを幕客に辟召し、母と子を京師に留め、二人の妾を買って赴任した。城東に至り、舟を繋いで政務を執った。時折城に入って楊氏に会い、徐晞稷の先例を用いてそれ以上の礼遇をした。楊氏は翀の入城を許したので、ようやく入城し、僧寺に仮の政庁を置き、極力彼女を楽しませた。

原文初,姚翀從賈涉辟楚州推官,全喜其附己,為引重當路,得改秩,全請以通判青州。國之死,全借翀撫定以誑眾,以功入朝。三月,以翀為軍器少監、知楚州兼製置。翀辟鄭子恭、杜耒等為幕客,留母及其子於京,買二妾以行。至城東,艤舟以治事。間入城見楊氏,用晞稷故事而禮過之。楊許翀入城,乃入,寄治僧寺,極意娛之。

当時、李全は包囲されて一年、牛馬及び人を食い尽くし、ついに自軍を食おうとしていた。初め軍民数十万いたが、この時には数千を残すのみであった。四月辛亥、李全は大元に帰順しようとしたが、配下の異論を恐れ、香を焚いて南に向かって再拝し、自縊しようとした。鄭衍徳・田四がこれを救い、言うには、「譬えば衣を作るに、身頃があれば、袖がないと憂えるか。今、北に帰って蒙古に従うのも、必ずしも福ではないとは限らない」と。全はこれに従い、大元に降伏することを約した。大元兵が青州に入り、承制により全を山東行省に任命した。

原文時全在圍一年,食牛馬及人且盡,將自食其軍。初軍民數十萬,至是餘數千矣。四月辛亥,全欲歸於大元,懼眾異議,乃焚香南向再拜,欲自經,而使鄭衍德、田四救之,曰:“譬如為衣,有身,愁無袖耶?今北歸蒙古,未必非福。”全從之,乃約降大元。大元兵入青州,承製授全山東行省。

劉慶福は山陽におり、自らが禍の根源であることを知り、不安を抱き、劉福を除いて自らの罪を贖おうとした。劉福もこれを知り、慶福を除こうと謀った。二人は互いに猜疑し、会おうとしなかった。劉福は十余日病気と偽り、諸将が見舞いに来たが、慶福は行かなかった。張甫は元来慶福と親しく、劉福に疑われるのを恐れ、慶福に行くよう勧めた。後に慶福は張甫と同行を約し、就寝した。遠くから劉福が衣を脱がずに臥しているのを見て、心に恐れ、やむを得ず床前に行き、枕元の鞘刀を見る。慶福は口では病状を尋ねながら、手は鞘を押さえ、劉福に先手を打たれるのを恐れた。劉福は慶福が刀で自分を害しようとしていると疑い、躍り起きて刀を抜き慶福を傷つけた。慶福は徒手で支えきれず、張甫がこれを救った。左右の者が群がり起こり、慶福及び張甫を殺した。

原文慶福在山陽,自知己為厲階,懷不自安,欲圖福以自贖。福知之,亦謀去慶福。二人互相猜貳,不相見。福偽病旬餘,諸將問疾,慶福不往。張甫者,素厚慶福,懼福疑己,乃勸慶福往。後慶福約甫同往,乃寢,遙見福臥不解衣,心恐,不得已至床前,見床頭鞘刀,慶福口問疾而手按鞘,懼福先發。福疑慶福就刀見害,乃躍起拔刀傷慶福,慶福徒手不支,甫救之。左右群起殺慶福及甫。

張甫は元来金の元帥で、高陽公に封ぜられ、最も衆を統御するのに長けていた。金が河北を失うと、張甫は雄・覇・清・莫・河間・信安を拠点として降らなかった。信安は白溝に面し、燕京から二百里の距離にあり、大きな湖沼に阻まれ、大元兵は渡ることができず、張甫はしばしば密かに軍を率いて様子を窺った。大元の将俚砦奴はしばしば張甫を滅ぼして雄・覇を取ろうとした。驍ぎょう将の窩羅虎が張甫に帰順し、張甫は彼を受け入れた。その後、窩羅虎は逃げ去り、かつ張甫の千里馬を盗んで俚砦奴に献上した。俚砦奴は喜び、待遇を厚くした。かつて燕京の大悲閣で酒宴を開いた時、窩羅虎は俚砦奴を酔わせて閣から突き落とし、ほとんど死に至らしめた。窩羅虎は酔ったふりをして階を下り、再び献上した馬に乗って張甫のもとに帰り、追手は及ばず、人々は初めて張甫の間諜の使い方を敬服した。その後、李全に帰順した。

原文甫本金元帥,封高陽公,最善馭眾。金亡河北,甫據雄、霸、清、莫、河間、信安不下。信安出白溝,距燕二百里而阻巨濼,大元兵不能涉,甫每潛師窺伺。大元將俚砦奴屢欲滅甫以取雄、霸。驍將窩羅虎者,歸甫,甫納之。其後窩羅虎遁去,且竊甫千里馬以獻俚砦奴。俚砦奴喜,待遇益厚。嚐會飲燕京之大悲閣,窩羅虎醉俚砦奴而推使投閣,幾斃焉。窩羅虎乃佯醉下樓,復乘所獻馬以歸甫,追者莫及,人始服甫之用間焉。其後歸全。

劉福は慶福の首を姚翀に納めた。翀は大いに喜び、杜耒は言うには、「慶福は禍の首魁、一世の奸雄なり。今その首が凡庸な者の手に落ちたか!」と。早馬で朝廷に捷報を伝え、鄭子恭を遣わして続けて勝利を奏上させた。時卓の敗北後、蓄積は跡形もなく、物資の輸送も続かず、賊党は囂々として、劉福の所為であると言った。劉福はたびたび姚翀及び幕僚に催促したが、皆朝廷からの支給が下りていないと謝った。劉福は言うには、「朝廷が忠義(彼らを指す)を養わないなら、そもそも制置司を建て幕府を開く必要はない。今、制置司・幕府は従前通りあるのに、ただ忠義への銭糧を支給しないのは、制置司を立てて忠義を困窮させようとするものである」と。六月、劉福は衆の怒りに乗じ、楊氏と謀り、姚翀を招いて酒宴を開いた。翀が到着したが楊氏は出ず、客席に着くと、左右の者は散り散りになった。劉福と姚翀は命じて諸幕客を召し、楊氏の命として姚翀の二人の妾を召した。諸幕客は変事があると知り、やむを得ず行った。杜耒は朝服で八字橋に至ると、劉福の兵が腰に刀を帯びて彼を殺し、耒は南を望んで再拝し、殺された。二人の妾が入ると、翀はそれを見た。劉福の兵は翀を害そうとしたが、鄭衍徳が救って難を免れ、鬚髯を剃り落とし、城西から夜に縋り下りて逃れ、徒歩で明州に帰った。間もなく死んだ。

原文福以慶福頭納翀,翀大喜,耒曰:“慶福首禍,一世奸雄,今頭落措大手耶!”飛報於朝,遣子恭繼奏捷。卓之敗,儲積掃地,綱運不續,賊黨籍籍,謂福所致。福數見翀及僉幕促之,皆謝以朝廷撥降未下,福曰:“朝廷若不養忠義,則不必建閫開幕,今建閫開幕如故,獨不支忠義錢糧,是欲立製閫以困忠義也。”六月,福乘眾怒,與楊氏謀,召翀飲。翀至而楊氏不出,就坐賓次,左右散去。福與翀命召諸幕客,以楊氏命召翀二妾。諸幕客知有變,不得已往。耒朝服至八字橋,福兵腰戮之,耒南望再拜就斃。二妾之入,翀及見之。福兵欲害翀,鄭衍德救之得免,去須鬢,縋城西夜走,徒步歸明州,未幾。死。

朝廷は淮地の乱が相次ぎ、派遣した帥は必ず斃れるため、誰も行きたがらなかった。初め淮を軽んじて江を重んじようとし、楚州には再び制置司を建てず、帥の楊紹雲に兼ねて製置使を命じ、楚州の名を淮安軍と改め、通判張国明に権知軍を命じ、羈縻州のように扱った。賊徒は南門を塞ぎ、北門を開き、属県の民田を皆安値で強制的に買い取り、自ら賦税を徴収して軍を養ったが、銭糧の不継は従前の通りであった。賊将の国安用・閻通は嘆いて言うには、「我らは米の外に日々銅銭二百を受け取り、楚州は物価が安く生活しやすいのに、劉慶福が不善を行った。怨仇が相尋ね、我らに衣食の道を無くさせた」と。張林・邢徳も言うには、「かつて宋の恩を受けた。中頃に李全の離間に遭ったが、今ここに帰順した以上、どうして朝廷のために事を立てないことがあろうか」と。王義深もかつて李全に屈辱を受け、かつ言うには、「我れは本来賈帥(賈渉)の帳前人であり、彭安撫(彭義斌)と挙義したが成らずに帰った」と。五人は互いに言った、「朝廷が銭糧を下さないのは、反逆者が未だ除かれていないからだ」と。そこで共に謀り、劉福及び楊氏を殺して献上することにした。そこで衆は兵を率いて楊氏の家に向かった。劉福が出てくると、邢徳が手ずからこれを斬り、互いに屠り合う者数百人に及んだ。郭統制という者が、李全の次子を殺した。閻通が一人の婦人を殺し、それを楊氏と思い、その首と劉福の首を函に入れて楊紹雲に馳せて献上した。紹雲は駅伝で京師に送り、朝廷は大いに喜んだ。彭𢖲・張恵・範成進・時青に檄を飛ばし、兵を合わせて楚州に向かい、適宜に残党を皆殺しにするよう命じた。間もなく、楊氏は実は無事で、婦人の首は李全の次妻劉氏であったと伝わった。

原文朝廷以淮亂相仍,遣帥必斃,莫肯往來。始欲輕淮而重江,楚州不復建閫,就以帥楊紹雲兼製置,改楚州名淮安軍,命通判張國明權守,視之若羈縻州然。賊徒黨塞南門,開北門,支邑民田皆以少價抑買之,自收賦以贍軍,錢糧不繼如故。賊將國安用、閻通歎曰:“我曹米外日受銅錢二百,楚州物賤可以樂生,而劉慶福為不善。怨仇相尋,使我曹無所衣食。”張林、邢德亦謂:“嚐受宋恩,中遭全間隙,今歸於此,豈可不與朝廷立事?”王義深亦嚐遭全屈辱,且謂:“我本賈帥帳前人,與彭安撫舉義不成而歸。”五人相謂曰:“朝廷不降錢糧,為有反者未除耳!”乃共議殺福及楊氏以獻,於是眾帥兵趨楊氏家。福出,德手刃之,相屠者數百人。有郭統製者,殺全次子。通殺一婦人,以為楊氏,函其首並福首馳獻於紹雲。紹雲驛送京師,傾朝甚喜。檄彭𢖲、張惠、範成進、時青並兵往楚州,便宜盡戮餘黨。未幾,傳楊氏故無恙,婦人頭乃全次妻劉氏也。

劉琸は軽佻浮薄であり、毎回四総管に弄ばれ、檄文を得ても自ら決断せず、力を譲った。夏全・王義深の二人は直ちに兵を率いて楚州城に入り、張林ら五人と歓宴し、北軍を五つに分け、五人に分掌させ、各軍は千人を超えず、一軍は南渡門に屯し、一軍は平河橋に屯し、一軍は北神鎮に屯し、城中と城西に各一軍を置くこと、山東出身の者で老幼は皆銭糧を絶ち、淮陰の戦艦を出し、淮岸に陣を布いて全軍の帰路を断ち、製置使司及び朝廷の処置を請うことを議した。朝廷の評議は、時青の声望が重いとして、ただ時青の処置に従うべきとした。尚書省の檄文が下っても、夏全・王義深には及ばなかった。時青もまた禍が及ぶことを恐れ、密かに人を遣わして青州の李全に報せ、遷延して決断しなかった。夏全らは盱眙に帰り、賊党は再び勢いを振るった。劉琸は枢密院に赴いて議を稟じ、淮東総領の岳珂が製置使司の事務を代行した。

原文𢖲輕儇,每供四總管弄戲,得檄不敢自決,力遜。惠、成進二人即提兵入楚城,與林等五人歡宴,議分北軍為五,使五人分掌之,每軍無過千人,一屯南渡門,一屯平河橋,一屯北神鎮,城中城西各一;在山東人老幼並絕錢糧,出淮陰戰艦,陳淮岸以斷全歸路,請製府及朝廷處之。廟議謂青望重,惟聽青區畫。省檄之下,不及惠、成進。青亦恐禍及,密遣人報全於青州,遷延不決。惠等歸盱眙,賊黨復振。紹雲赴樞密稟議,淮東總領岳珂攝製府事。

夏全・王義深は既に帰還したが、銭糧が欠乏し、密かに金に降ることを約し、盧鼓槌(完顔訛可)がこれを許した。当時、鎮江軍及び滁州の虎児軍で盱眙にいる者はなお多く、二人は劉琸を欺いて言った、「南北の軍は容易に激変を招きやすいので、軍人の出入りに刃物を帯びることを許すべきではありません。」また、早く虎児軍を解散させて洗い直すよう勧め、劉琸はこれに従った。二人は劉琸を宴に招くたびに、必ず皂隸(下役)にまで及ぼし、劉琸は皆悟らず、かえって彼らが夏全を退けた功績を感じ、両軍の官資を転任させた。二人は同じく麾下の者と共に口を揃えて言った、「官を得ることを願わず、銭糧を得たい。」八月辛酉の日、夏全・王義深が劉琸を饗応し、劉琸の左右の者は謀略があることを知り、多くは行かず、劉琸は平時のように赴いた。酒宴の半ばで、劉琸を縛り、劉琸の従者は寸鉄も持たず、かつ酔っていたので、皆縛られた。即日に淮を渡して款を通じ、盱眙を以て泗州の盧鼓槌に附した。金兵が到ると、門を開いて迎え入れ、諸軍は戦わずして皆降った。ここにおいて南門を塞ぎ、北門を開き、淮水を導いて泗州の東西域を通じさせた。盧鼓槌は夏全と遺恨を解き婚姻を結び、金は夏全に官を加えて、河南を専制させ、大元(モンゴル)に抗せしめた。ここより金人は淮東を窺うこと益々急となり、朝廷は京湖製置司の兵一万人を調発して青平山に屯させ、李全に備えた。

原文惠、成進既歸,錢糧缺乏,密約降金,盧鼓槌許之。時鎮江軍及滁州虎兒軍在盱眙者尚眾,二人紿𢖲曰:“南北軍易致激變,宜令軍人出入無得帶刃。”又勸早發虎兒軍折洗,𢖲從之。二人每宴𢖲,必遍迨皂隸,𢖲皆不悟,方感其拒夏全之功,轉兩軍官資。二人同戲下合辭曰:“不願得官,欲得錢糧。”八月辛酉,惠、成進燕𢖲,𢖲左右知有謀,多不往,𢖲往如平時。酒半,縛𢖲,𢖲從者無寸鐵,且醉,皆就縛。即日渡淮輸款,以盱眙附盧鼓槌於泗州。金兵至,開門接之,諸軍不戰皆降。於是塞南門,開北門,導淮水以通泗之東西域焉。盧鼓槌與惠釋憾連姻,金官惠有加,俾專製河南,以拒大元。自是金人窺淮東益急,朝廷調京湖製置司兵萬人屯青平山以備全。

李全は時青の報せを得て慟哭し、大元の大将に力を尽くして告げ、南帰を求め、許されず;一指を断ち切り、南に帰れば必ず背くと示し、許された。承制により山東・淮南行省を授けられ、山東を専制することを得、而して歳に金幣を献ずることとなった。十月丙辰の日、李全は大元の張宣差及び通事数人と共に楚州に至り、大元の衣冠を着用し、文移は甲子を紀すも年号は無かった。王義深は金に走り、国安用は張林・邢徳を殺して自ら贖罪した。丁巳の日、李全は時青及び張国明を淮陰に招き、張国明は病と称して辞し、時青父子は共に至った。李全はその子を殺した者郭統制を推して斬らせ、また田成瑤・田之昂・李英ら八人を収監し、言った、「朝廷が我が妻子を殺したのではない、我はただ汝らに問う。」李英は李全の腹心で、狡猾で秘密に長け、李平と共に山東の胥吏であった。李全の乍逆乍順は、二人の教えによるものであった。李平はまたしばしば李全の書を朝廷に送り、以て朝廷を窺った。時青は授かった檄文を李全に返上して言った、「私は平素より相公を推尊しており、どうしてこのようなことを肯んじましょうか!」李全もまた時青の反覆を憎んだ。辛酉の日、城南の楼に登って飲み、時青を殺し、騎を馳せて時青の妻を欺き、時青が病んだと言い、自分が祈祷していると見せかけた。時青の妻が至ると、皆殺した。遂に時青の軍を併せ、小校の胡義を将に抜擢し、その半を漣水・海州に移した。

原文全得青報慟哭,力告大元大將,求南歸,不許;斷一指示歸南必畔,許之。承製授山東、淮南行省,得專製山東,而歲獻金幣。十月丙辰,全與大元張宣差並通事數人至楚州,服大元衣冠,文移紀甲子而無號。義深走金,安用殺林、德自贖。丁巳,全邀青及張國明於淮陰,國明辭疾,青父子同至。全推殺其子者郭統製斬之,又收田成瑤、田之昂、李英等八人下獄,云:“非朝廷殺我妻子,吾惟問汝。”李英,全腹心,狡而密,與李平皆山東胥吏。全之乍逆乍順,二人所教也。平又數致全書至廟堂,以覘朝廷。青繳所授檄於全曰:“我素推尊相公,豈肯為此!”全亦惡青反覆。辛酉,與登城南樓飲,殺青,馳騎往紿青妻,言青病,見與禱禳。青妻至,盡殺之。遂並青軍,擢小校胡義為將,徙其半於漣、海。

紹定元年春、李全は厚く募って兵とし、南北を限らず、宋軍の多くが逃亡して応じた。天長の民は保聚して十六砦を為し、連年失業し、官が救済したが、継続できず、壮者は皆募りに就いた。射陽湖に浮かんで住む数万家は、家ごとに兵仗を持ち、侵掠して制することができず、その豪族の周安民・穀汝礪・王十五がこれを統率し、また蜂の如く水砦を結び、以て成敗を観望した。翟朝宗が揚州知事となり、製置使を代行した。李全は厚く賞して趙邦永を捕らえようとし、趙邦永は乃ち名を変えて必勝とした。李全は東南が舟師に利あることを知り、水戦を習わんと謀り、米商が至ると、皆舟を併せて買い占めた。その舵工を留め、一人を以て十人を教えさせた。また人を遣わして江湖を遍歴させて桐油・煔筏(松脂の筏)を買わせ、厚く南匠を募り、大いに舭達船(大型船)を建造し、淮から海に至るまで相望んだ。ここにおいて趙善湘は桐油・煔筏が江を下ることを禁じ、厳重であった。翟朝宗が煔木を揚州に買いに行かせると、趙善湘もまた朝廷に聞こえ、松木と交換して留めるよう請うた。李全は已むなく、榆板で代用し、舟は完成しても多くは重くて動きが鈍かった。六月、射陽湖で舟を試すと、趙善湘は彼らが便乗して通州・泰州を衝くことを恐れ、急ぎ池州に牒を送り、通州・泰州から湖に入る路を求めた。七月壬辰の日、李全は衍徳に兵三万を率いさせて海州へ向かわせた。乙未の日、李全及び楊氏は海洋で戦艦を大閲した。八月、李全は青州へ急ぎ、厳実及び石小哥の邀撃を受け、敗走した。石小哥は石珪の子であり、遂に青崖崮を奪い、これを占拠した。九月、李全は海州に帰り、舟の建造を益々急がせ、諸崮の人を駆り立てて水戦を習わせた。十一月、李全は楚州に至った。李全は山東の経営が未だ定まらず、而して大元への歳貢は欠かさなかったので、外見は宋に恭順して銭糧を得んとし、しばしば貿易して大元に輸送した。宋は北顧の憂いを少し緩めることができ、餉を送るのを絶やさなかった。李全は朝廷に遊説を放ち、山陽製置司を復活させる方が良いとしなかった。李全はまた金と合縦し、盱眙を金に与えることを約し、金もまた靳経歴なる者を遣わして李全に聘したが、皆遂げられなかった。

原文紹定元年春,全厚募人為兵,不限南北,宋軍多亡應之。天長民保聚為十六砦,比歲失業,官振之,不能繼,壯者皆就募。射陽湖浮居數萬家,家有兵仗,侵掠不可製,其豪周安民、穀汝礪、王十五長之,亦蜂結水砦,以觀成敗。翟朝宗知揚州,權製置。全厚賞捕趙邦永,邦永乃變名必勝。全知東南利舟師,謀習水戰,米商至,悉並舟糴之。留其柁工,一以教十。又遣人泛江湖市桐油煔筏,厚募南匠,大治舭達船,自淮及海相望。於是善湘禁桐油煔筏下江,嚴甚。朝宗市煔木往揚州,善湘亦聞於朝,請以鬆木易留之。全不得已,代以榆板,舟成多重滯。六月,試舟射陽湖,善湘恐其乘便搗通、泰,亟牒池州求通、泰入湖之路。七月壬辰,全使衍德提兵三萬如海州。乙未,全及楊氏大閱戰艦於海洋。八月,全趨青州,為嚴實及石小哥邀擊,敗走。小哥,珪子也,遂奪青厓崮,據之,九月,全歸海州,治舟益急,驅諸崮人習水。十一月,全至楚州。全山東經理未定,而歲貢於大元者不缺,故外恭順於宋以就錢糧,往往貿貸輸大元。宋得少寬北顧之憂,遣餉不輟。全縱遊說於朝,不若復建山陽製置司。全又與金合縱,約以盱眙與之,金亦遣靳經曆者聘全,皆不遂。

二年四月、李全は糧少を口実に、海舟を蘇州洋から平江・嘉興に入らせて告糴し、実は海道を習い、畿甸を窺わんとした。六月、李全は淮安の牛馬を資し、趙五を嘯合して亡命者を集め、北軍と雑えて盱眙に分遣して牛馬を略奪させた。九月、李全は漣水・海州に行って戦艦を視察し、陽に東平に帰って方士の許先生を葬ると言った。間もなく、還った。嘗て張国明らを饗応した時、忽然と言った、「我は乃ち不忠不孝の人なり。」衆は言った、「節度使は何故このようなことを言われるのですか。」李全は言った、「朝廷の銭糧を縻費すること甚だ多いのに、許製置(許国)を殺したのは不忠である;我が兄が人に殺され、報復できないのは不孝である。二月二十五日の事は、吾が罪なり。十一月十三日の事は、誰が罪か。」蓋し卓(趙范・趙葵)と夏全を指したのである。李全は密かに軍を遣わして高郵・宝応・天長の間を掠め、高郵軍知事の葉秀発は宗雄武に民兵を率いさせて防禦させたが、賊に敗れた。

原文二年四月,全以糧少為詞,遣海舟自蘇州洋入平江、嘉興告糴,實欲習海道,覘畿甸也。六月,全資淮安牛馬〓會趙五嘯合亡命,雜北軍分往盱眙略牛馬。九月,全往漣、海視戰艦,陽言歸東平葬方士許先生。未幾,還。嚐燕張國明等,忽曰:“我乃不忠不孝之人。”眾曰:“節使何為有是言也?”全曰:“縻費朝廷錢糧至多,乃殺許製置,不忠;我兄被人殺,不能報復,不孝。二月二十五日事,吾之罪也。十一月十三日事,誰之罪耶?”蓋指卓與夏全也。全密遣軍掠高郵、寶應、天長之間,知高郵軍葉秀發遣宗雄武領民兵捍禦,為賊所敗。

三年二月壬寅の日、御前軍器庫が火災となった。放火者を得たが、楚州軍の穆椿であった。李全は宋の兵備を消そうと欲し、故に穆椿を行わせ、且つ外に奸を伏せ、乱を為さんと謀ったが、入ることができずに止んだ。ここにおいて先朝以来の兵甲は尽く喪失した。穆椿は刑に臨んで笑い言った、「事は成った。」李全は先ず揚州を占拠して江を渡り、兵を分けて通州・泰州を巡り海へ向かわんとした。諸将は皆言った、「通州・泰州には塩場があります。先ずこれを取って家計とし、且つ朝廷に塩利を失わせる方が良いでしょう。」李全は朝廷に備えさせず、且つ反しても銭糧を急に絶たれ難からしめんと欲し、乃ち大元の李・宋の二宣差を挟んで恫疑虚喝し、而して張国明に朝廷に伝えさせた。然るに大元は実は未だ李全に兵を資したことはなかった。李宣差を知る者がおり、言った、「これは青州の薬売りである。」七月、張国明を召して議を稟ぜしめ、李全は宝玉を以てその行を資し、賓従の過ぐる所で、揚言した、「李相公(李全)は英略絶倫、その射ること五百歩、朝廷は地を裂いて王とし、銭糧を増し、辺境を担当させるに如くはない。」要津に遍く饋賂し、その説を主とるよう求めた。廟堂に謁見すると、百口を以て李全が叛かないことを保証した。

原文三年二月壬寅,御前軍器庫火。得縱火者,楚州軍穆椿也。全欲銷宋兵備,故使椿行,且伏奸於外,謀入為亂,以不得入而止。於是先朝兵甲盡喪。椿臨刑笑曰:“事濟矣。”全欲先據揚州以渡江,分兵徇通、泰以趨海。諸將皆曰:“通、泰,鹽場在焉,莫若先取為家計,且使朝廷失鹽利。”全欲朝廷不為備,且雖反而難遽絕錢糧,乃挾大元李、宋二宣差恫疑虛喝,而使國明達諸朝。而大元實未嘗資全兵。有識李宣差者,曰:“此青州賣藥人也。”七月,召國明稟議,全以寶玉資其行,賓從所過,揚言:“ 李相公英略絕倫,其射五百步,朝廷莫若裂地王之,與增錢糧,使當邊境。”遍饋要津,求主其說。既見廟堂,以百口保全不叛。

八月、李全は舟師を閲兵せんとし、風が順ならず、香を焚きて祷りて曰く、「使全に天命あらば、当に風を反すべし」と。語畢りて風反す。数日にわたり大閲す。時に李全の麦を糴る舟が塩城県を過ぎるに当たり、許朝宗が尉兵を嗾してこれを奪わしむ。李全怒り、盗を捕ふるを名として、庚午の日、水陸数万を率いて直ちに塩城を搗き、戍将陳益・楼強は皆遁走し、李全は城に入りてこれを占拠す。知県陳遇は城を逾えて走り、公私の塩貨は皆李全に没せらる。許朝宗は倉皇として幹官王節を遣わして塩城に入り、李全に師を退くを懇請す。また吏曾玠・李易を遣わして山陽に入り、楊氏の裏言の助けを求めしも、皆答えず。許朝宗は乃ち卞整に兵を領して境を扼せしむ。李全は鄭祥・董友を留めて塩城を守らしめ、兵を提げて楚州に向かう。卞整と陳遇は軍を道左に麾き、柝を撃ち声諾す。李全は朝廷に言上し、兵を遣わして盗を捕ふるに塩城を過ぎ、令自ら城を棄てて遁去し、軍民の驚擾を慮り、已むを得ず城に入りて衆を安んずと称す。朝廷は乃ち李全に両鎮の節を加え、兵を釈せしめ、製置司幹官耶律均を命じて往きてこれを諭せしむ。李全曰く、「朝廷我を小児の如く待つ、啼けば則ち果を与ふ」と。受けず。朝廷は為に許朝宗を罷め、再び徐晞稷を用いんと謀るも、徐晞稷は官卑くして制す能はざるを以て辞す。鄭損を命ずるも、鄭損辞す。通判揚州趙敬夫が暫く事を摂る。

原文八月,全將閱舟師,風不順,焚香禱曰:“使全有天命,當反風。”語畢風反。大閱數日。會全糴麥舟過鹽城縣,朝宗嗾尉兵奪之。全怒,以捕盜為名,庚午,水陸數萬徑搗鹽城,戍將陳益、樓強皆遁,全入城據之。知縣陳遇逾城走,公私鹽貨皆沒於全。朝宗倉皇遣幹官王節入鹽城,懇全退師;又遣吏曾玠、李易入山陽,求楊氏裏言之助,皆不答。朝宗乃遣卞整領兵扼境。全留鄭祥、董友守鹽城,提兵往楚。整與遇麾軍道左,擊柝聲諾。全言於朝,稱遣兵捕盜過鹽城,令自棄城遁去,慮軍民驚擾,未免入城安眾。乃加全兩鎮節,令釋兵,命製置司幹官耶律均往諭之。全曰:“朝廷待我如小兒,啼則與果。”不受。朝廷為罷朝宗,謀再用紹雲,紹雲辭以官卑不能製;命鄭損,損辭。通判揚州趙敬夫暫攝事。

李全は舟を造ることを益々急ぎ、遂には塚を発して煔板を取り、鉄銭を煉りて釘鞠と為し、人脂を熬りて油灰を搗き、炬を列ねて晷きを継ぎ、沿海の亡命を招きて水手と為す。また趙敬夫を紿かして大元を詞とし、五千人の錢糧の増加を邀え、誓書鉄券を求む。朝廷は猶餉を遣わして絶えず。李全は米を得れば、即ち自ら転輸して淮海より塩城に入り、以て其の衆を贍ふ。他の軍士の見る者曰く、「朝廷は惟だ賊飽かざるを恐る、我曹何ぞ力あらんや賊を殺すに」と。射陽湖の民に至っては「北賊を養ひて淮民を戕く」の語あり、聞く者太息す。

原文全造舟益急,至發塚取煔板,煉鐵錢為釘鞠,熬人脂搗油灰,列炬繼晷,招沿海亡命為水手。又紿敬夫以大元為詞,邀增五千人錢糧,求誓書鐵券。朝廷猶遣餉不絕。全得米,即自轉輸淮海入鹽城以贍其眾。他軍士見者曰:“朝廷惟恐賊不飽,我曹何力殺賊!”射陽湖人至有“養北賊戕淮民”之語,聞者太息。

王十五は李全に附き、李全はまた人を遣わして金牌を以て周安民等を誘脅し、諭口に浮梁を造り、以て塩城の来往を便にす。また馬攞港・寿河を開き、淮船を湖に引き入れ、水砦を攻撓せん計略と為す。また製置司に言上して云く、「全復帰すること三年、淮甸寧息す。大丞相の力もて安靖の説を主たるに荷ひ、深く覆護の恩有りと雖も、奈何ぞ趙製置・岳総管・二趙兄弟は人自ら政を為し、全をして処に難くせしむ。全は去就を決定せんと欲し、親しく塩城に往きて存劄せん。若し全を疾む者、全を疑ふ者有らば、趙知府の輩の如きは、便ち兵を提げて決戦すべし。若し能く全を滅ぼさば、高官重禄任せて彼に取らしめ、倘し能く滅ぼさずんば、方に全の心を表はさん」と。趙善湘之を見て甚だ憤り、趙範もまた兵を調ふるを請ふ。

原文王十五附全,全又遣人以金牌誘脅周安民等,造浮梁於諭口,以便鹽城來往;又開馬攞港、壽河,引淮船入湖,為攻撓水砦計。復言於製置司云:“全復歸三年,淮甸寧息,雖荷大丞相力主安靖之說,深有覆護之恩,奈何趙製置、嶽總管、二趙兄弟人自為政,使全難處!全欲決定去就,親往鹽城存劄。若有疾全者、疑全者,如趙知府之輩,便可提兵決戰。如能滅全,高官重祿任彼取之,倘不能滅,方表全心。”善湘見之甚憤,範亦請調兵。

時に史弥遠は多く告に在り、執政は可否無く、挙朝率ね謂く、「大丞相は経綸に老ゆ、豈に善く処せざらんや」と。独り参知政事鄭清之深く之を憂ひ、密かに枢密袁韶・尚書範楷と議す。二人の見る所合ふ。鄭清之は乃ち袁韶と約して帝に見え、袁韶は歴りて李全の状を言ふ。帝に憂色有り。鄭清之は即ち力めて李全を討つを讃し、帝の意決す。鄭清之退き、帝の意を以て史弥遠に告ぐ。史弥遠の意も亦決す。乙巳の日、金字牌を以て趙善湘を煥章閣学士・江淮製置大使に進め、趙範を直徽猷閣・知揚州・淮東安撫副使と為し、趙葵を直宝章閣・淮東提点刑獄兼知滁州と為し、俱に軍馬を節制せしむ。趙全子を軍器監簿・製置司参議官と為す。詔を下して曰く、

原文時彌遠多在告,執政無可否,舉朝率謂:“大丞相老於經綸,豈不善處?”獨參知政事鄭清之深憂之,密與樞密袁韶、尚書範楷議,二人所見合。清之乃約韶見帝,韶曆言全狀,帝有憂色。清之即力讚討全,帝意決。清之退,以帝意告彌遠,彌遠意亦決。乙巳,金字牌進善湘煥章閣學士、江淮製置大使,範直徽猷閣、知揚州、淮東安撫副使,葵直寶章閣、淮東提點刑獄兼知滁州,俱節製軍馬,全子才軍器監簿、製置司參議官。下詔曰:

君臣は天地の常経、刑賞は軍国の大枋なり。順なれば斯くは柔撫し、逆なれば則ち誅夷す。惟れ我が朝廷は南北を兼愛し、山東の帰附を念ひて、即ち淮甸を以て綏来す。爾が遺黎を視るに、本吾が赤子なれば、故に資糧を与へて之を餓殍より脱し、爵秩を賜ひて寵栄を示し、坐して食ふ者十年を逾え、恵みて之を養ふこと一日の如し。此れ更生の恩なり、何ぞ汝に負きて反せんや。蠢く此の李全、儕は異類に於いて、蜂屯蟻聚し、初め横草の功無し。人面獣心、曷ぞ擢発の罪に勝へん。繆りて恭順を為し、公に陸梁を肆はす。饋餉の富を因りて、以て儔徒を嘯集し、品位の崇を挟みて、以て官吏を脅制す。帥閫を凌蔑し、辺臣を殺逐し、我が民を虔劉し、其の衆を輸掠す。狐は威を仮りて以て己を畏るるが如く為し、犬は主に吠えて傍若無人。姑く包含を務むるも、愈々猖獗を滋し、遽に塩邑に奪攘し、継いで海陵を掩襲し、怨を以て恩に酬ひ、悪を稔へて暴を恣にす。封豕と為りて以て洊食し、貪婪厭く無く、螳螂に怒りて以て車に当り、滅亡待つ可し。故に神人の共憤する所、豈に覆載の容るる所ならんや。是を舍てて図らざれば、孰か忍ぶ可からん。李全は官爵を削奪し、錢糧を停給すべし。江・淮の製臣を敕し、諸軍を整へて討伐せしめ、朝野の僉議に因り、一意を堅くして剿除せしむ。朕が心より蔽ひ、天罰を行はん。

原文君臣,天地之常經;刑賞,軍國之大枋。順斯柔撫,逆則誅夷。惟我朝廷兼愛南北,念山東之歸附,即淮甸以綏來。視爾遺黎,本吾赤子,故給資糧而脫之餓殍,賜爵秩而示以寵榮,坐而食者逾十年,惠而養之如一日,此更生之恩也,何負汝而反耶?蠢茲李全,儕於異類,蜂屯蟻聚,初無橫草之功;人麵獸心,曷勝擢發之罪!繆為恭順,公肆陸梁。因饋餉之富,以嘯集儔徒;挾品位之崇,以脅製官吏。淩蔑帥閫,殺逐邊臣,虔劉我民,輸掠其眾。狐假威以為畏己,犬吠主旁若無人。姑務包含,愈滋猖獗,遽奪攘於鹽邑,繼掩襲於海陵,用怨酬恩,稔惡恣暴。為封豕以洊食,貪婪無厭;怒螳螂而當車,滅亡可待。故神人之共憤,豈覆載之所容!舍是弗圖,孰不可忍!李全可削奪官爵,停給錢糧。敕江、淮製臣,整諸軍而討伐;因朝野僉議,堅一意以剿除。蔽自朕心,誕行天罰。

顧みるに予が衆士は久しく激憤の懐を銜み、爾が辺氓に暨ぎては期して沈冤の痛を洗はんとす。益々奮厲に思ひを勉め、以て功名に共に赴かんことを。凡そ脅従と曰ふ者は挙げて官に效順し、情を察して過を宥し、庸に恵を加へて忠を褒むべし。爰に邦条を飭し、式に群聴を孚かさん。応に全を擒斬するに到る者は、節度使を賞し、錢二十万、銀絹二万匹を与ふ。同謀人は次第に擢賞す。見占する城壁を奪取する能ふ者は、州に在りては防御使を除し、県に在りては団練使を除し、将佐官民は次を以て推賞す。逆全の頭目兵卒は皆我が遺黎なり、豈に叛に従ふを甘んぜんや。諒は劫製に由るべく、必ずしも本心に非ず。宜しく逆を去り来降すべく、並びに原罪す。若し能く功を立て效す者有らば、更加へて異賞す。鄭衍德・国安用は逆全と兵を管すと雖も、然れども屡忠款を效し、乃心本朝に在り。馮垍・于世珍は逆全に信用せらると雖も、然れども俱に古今に通じ、宜しく逆順を曉るべし。若し衆を率ひ来降せば、当に擢用を加へん。四方の士人流落して淮甸に在り、一時賊に陷るは、実に本心に非ず。若し能く相率ひ来帰せば、当に赦罪すべし。海州・漣水軍・東海県等の処に逆全の為に城壁を守る者有らば、城を挙げて来降せば、当に各推恩すべし。時青は忠を以て境を守り、屡駿功を立て、彭義斌は忠を以て境を拓き、大いに皇略を展く。亦た逆全の謀害に遭ひ、俱に贈典を加へ、追封立廟す。

原文顧予眾士,久銜激憤之懷;暨爾邊氓,期洗沈冤之痛。益勉思於奮厲,以共赴於功名。凡曰脅從,舉官效順,當察情而宥過,庸加惠以褒忠。爰飭邦條,式孚群聽:應擒斬到全者,賞節度使,錢二十萬,銀絹二萬匹;同謀人次第擢賞。能取奪見占城壁者,州,除防禦使;縣,除團練使;將佐官民以次推賞。逆全頭目兵卒皆我遺黎,豈甘從叛?諒由劫製,必非本心。所宜去逆來降,並與原罪;若能立功效者,更加異賞。鄭衍德、國安用雖與逆全管兵,然屢效忠款,乃心本朝,馮垍、於世珍雖為逆全信用,然俱通古今,宜曉逆順,如率眾來降,當加擢用。四方士人流落淮甸,一時陷賊,實非本心,如能相率來歸,當與赦罪。海州、漣水軍、東海縣等處有為逆全守城壁者,舉城來降,當各推恩。時青以忠守境,屢立駿功;彭義斌以忠拓境,大展皇略,亦為逆全謀害,俱加贈典,追封立廟。

噫、威を以て虐に報ふるは、既に苗民に辞有り。惟だ断有りて乃ち成るは、斯く淮・蔡を平げん。中外に布告し、咸に聞知せしむ。詔の詞は鄭清之の代作なり。荊襄・淮西の諸軍を促して赴援せしむ。

原文噫,以威報虐,既有辭於苗民,惟斷乃成,斯克平於淮、蔡。布告中外,鹹使聞知。詔詞,清之所代也。促荊襄、淮西諸軍赴援。

壬子の日、李全の兵突如として湾頭に至る。趙敬夫恐れ、走らんと欲す。副都統丁勝が閽者を劫して之を止む。李全は城南門を攻む。都統趙勝は堡砦より勁弩を提げて大城に赴き注射す。李全稍々退く。李全は劉全を遣わして奄に堡砦西城下に至らしめ、之を奪ひて以て大城を瞰はんと欲す。先に、趙勝は西城に屯し、濠の浅きを見て、毎に曰く、「設ひ寇至りて、大城を囲まずして、先づ堡砦を襲はば、何ぞ備へざる可けんや」と。盛暑の中に軍を督して濠を浚ひ、人皆之を苦しむ。翟朝宗も亦た笑と為す。浚ひ畢りて、趙勝は新塘の水を決して之に注ぐ。是に及びて、劉全進む能はず。趙勝は又市河を浚ふ。人尤も不急と謂ふ。李全至りて、趙勝は水門を開きて賈舟千余艘を納れ、活くる者数千人、糧貨は与にせず。

原文壬子,全兵突至灣頭,敬夫恐,欲走,副都統丁勝劫閽者止之。全攻城南門,都統趙勝自堡砦提勁弩赴大城注射,全稍退。全遣劉全奄至堡砦西城下,欲奪之以瞰大城。先是,趙勝屯西城,見濠淺,每曰:“設有寇至,未圍大城,先襲堡砦,何可不備?”盛暑中督軍浚濠,人皆苦之,翟朝宗亦以為笑。既浚,勝決新塘水注焉。及是,劉全不能進,勝又浚市河,人尤謂不急。全至,勝開水門納賈舟千餘艘,活者數千人,糧貨不與焉。

時に朝廷は詔を下して全を討つと雖も、猶内には戦守を図り、外には調停を用いんとする説有り。是の日、敬夫は弥遠の書を得て、万五千人の糧を増すことを許し、全を勧めて楚州に帰らしむ。敬夫は急ぎ劉易を遣わして即ち全の塁に至り全に授く。全笑ひて曰く、「丞相我を勧めて帰らしめ、丁都統我と戦ふ、相紿かざるや」と。書を擲げて受けず、惟だ省劄を留む。敬夫始めて全の己を紿くを知り、急ぎ牌印を発して範を迓う。癸丑、全泰州城の濠を塞ぐ。於邦傑・宗雄武全に通じ、守る者に戒めて矢を発するを得ざらしめ、城に薄きを俟ちて之を蹙めしむ。全距堙を得たり。宋済恐れ、県尉某をして全の塁に如かしむ。全増糧の省檄を以て之を示す。尉復た出で、銭二百万を献じて降らんとす。乙卯、邦傑・雄武門を開きて全を導く。済僚吏を帥ひ出で迎ふ。全入りて郡治に坐す。済帑を発して献ずる所の銭を出す。全曰く、「献ずる者は、汝の私蔵を献ずるか。若し泰州の府庫は、則ち我固より有り、何ぞ汝の献ずるを仮らんや」と。乃ち済を僉判庁に舎し、郡堂に入り、子女貨幣を尽く収む。

原文時朝廷雖下詔討全,而猶有內圖戰守、外用調停之說。是日,敬夫得彌遠書,許增萬五千人糧,勸全歸楚州。敬夫亟遣劉易即全壘授全。全笑曰:“丞相勸我歸,丁都統與我戰,非相紿耶?”擲書不受,惟留省劄。敬夫始知全紿己,亟發牌印迓範。癸丑,全塞泰州城濠。於邦傑、宗雄武通全,戒守者無得發矢,俟薄城而蹙之,全得距堙。宋濟恐,令縣尉某如全壘,全以增糧省檄示之,尉復出,獻錢二百萬以降。乙卯,邦傑、雄武開門導全,濟帥僚吏出迎。全入坐郡治,濟發帑出所獻錢,全曰:“獻者,獻汝私藏耶?若泰州府庫,則我固有,何假汝獻為!”乃舍濟僉判廳,入郡堂,盡收子女貨幣。

庚申、全範・葵既に入るを聞き、衍徳を鞭ちて曰く、「我が計は先づ揚州を取って江を渡らんとす。爾曹先づ通・泰を取るを勧む。今二趙揚州に入れり。江其れ渡るべけんや」と。敢へて対ふる者莫し。既にして曰く、「今惟だ径に揚州を搗く有るのみ」と。甲子、全兵を配して泰州を守らしめ、衆を悉く出して宜陵に至る。丙寅、湾頭に至り砦を立て、運河の衝に拠る。胡義をして先鋒騎を将ひて平山堂に駐ましめ、三城の機便を伺はしむ。丁卯、全城東門を攻めて利あらず。賊将張友城東に呼びて葵に見えんことを請ふ。全濠を隔てて馬を立て相労苦す。葵切に之を責む。全弓を彎げ矢を抽きて葵に向ひて去る。戊辰、張璡・戴友龍・王銓・張青天長の製勇三軍を以て至るも、全に阻まれて前へ得ず、人を遣はして援を請ふ。範・葵親しく出でて堡塞の西門に至り、陳を列ねて之を待つ。全敢へて動かず。璡等乃ち城に入る。庚午、全晨に歩騎五千余を率ひて堡塞の西門を攻む。趙勝兵を出だして戦ひ利あらず。範・葵兵を以て之を益す。全の兵も亦増す。葵之を撃ちて却く。辛未、賊兵三万を引き州城の東に沿ひて西門に向かふ。李虎・趙必勝・張璡・崔福力を戦ひ、巳より申に至り、全乃ち東門に沿ひて以て帰る。丁勝・王鑒おうかん・於俊之を撃ち走らす。襄兵万人真州の上壩に至る。統製張達・監軍張大連備へを設けず、魚貫として行く。全の哨馬帥田四之を撃ちて数截と為し、殲する者五千。達・大連之に死す。淮西の援兵至るも、亦全の統領桑青に遇ひて力戦す。城中俱に知らず。襄兵敗れ、全の凶焰益振ひ、毎に曰く、「我淮上の州県を要せず、江を渡り海に浮かび、径に蘇・杭に至らば、孰か我に当たらんや」と。甲戌、復た軽騎を引き州城の南門を犯し、且つ堰を破りて濠水を泄さんと欲す。統製陳達勁弩を率ひて之を射る。範・葵軍を出だして迎撃す。乃ち去る。是の日、金玠等淮安を距ること十里、全の砦柵を焚く。全将劉全出でて戦ふ。玠の軍利あらず、退きて宝応に屯す。

原文庚申,全聞範、葵既入,鞭衍德曰:“我計先取揚州渡江,爾曹勸我先取通、泰,今二趙入揚州矣,江其可渡耶?”莫敢對。既而曰:“今惟有徑搗揚州耳。”甲子,全配兵守泰州,悉出眾宜陵。丙寅,至灣頭立砦,據運河之衝。使胡義將先鋒騎駐平山堂,伺三城機便。丁卯,全攻城東門不利,賊將張友呼城東請見葵,全隔濠立馬相勞苦,葵切責之,全彎弓抽矢向葵而去。戊辰,張璡、戴友龍、王銓、張青以天長製勇三軍至,阻全不得前,遣人請援。範、葵親出堡塞西門,列陳待之,全不敢動,璡等乃入城。庚午,全晨率步騎五千餘攻堡塞西門,趙勝出兵,戰不利,範、葵以兵益之。全兵亦增,葵擊卻之。辛未,賊引兵三萬沿州城東向西門,李虎、趙必勝、張璡、崔福力戰,自巳至申,全乃沿東門以歸,丁勝、王鑒、於俊擊走之。襄兵萬人至真州上壩,統製張達、監軍張大連不設備,魚貫而行。全哨馬帥田四擊之為數截,殲者五千,達、大連死之;淮西援兵至,亦遇全統領桑青力戰,城中俱不知也。襄兵敗,全凶焰益振,每曰:“我不要淮上州縣,渡江浮海,徑至蘇、杭,孰能當我!”甲戌,復引輕騎犯州城南門,且欲破堰泄濠水,統製陳達率勁弩射之,範、葵出軍迎擊,乃去。是日,金玠等距淮安十里,焚全砦柵,全將劉全出戰,玠軍不利,退屯寶應。

全三城を吞まんと志すも、兵毎に城下に傅ふるを得ず。宗雄武全に計を献じて曰く、「城中素より薪無く、且つ儲蓄総所の支借に殆んど尽きたり。若し長囲を築かば、三城自ら困せん」と。乙亥、全衆を悉くし及び郷農を駆りて合すること数十万、砦を列ねて三城を囲む。製司総所の糧援俱に絶ゆ。範・葵三城の諸門に命じ各兵を出だして砦を劫かしめ、火を挙げて期と為し、夜半兵を縦ちて衝撃せしめ、賊を殲すること甚だ衆し。是より賊一意長囲を以てし、持久を以て官軍を困し、復た城に薄かず。戊寅、全蓋を張り楽を奏して平山堂に在り、築囲を布置し、指揮閑暇なり。範・葵諸門に命じて軽兵を以て牽製せしめ、親しく将士を帥ひて堡砦の西に出づ。全路を分ちて鏖戦す。辰より未に至り、殺傷相半ばす。庚辰、範師を出だして大戦す。玠等全の将張友を都倉に破り、糧船数十艘を獲る。甲申、葵出でて戦ひ、賊大いに敗る。

原文全誌吞三城,而兵每不得傅城下,宗雄武獻全計曰:“城中素無薪,且儲蓄為總所支借殆盡,若築長圍,三城自困。”乙亥,全悉眾及驅鄉農合數十萬列砦圍三城,製司總所糧援俱絕。範、葵命三城諸門各出兵劫砦,舉火為期,夜半縱兵衝擊,殲賊甚眾。自是賊一意長圍,以持久困官軍,不復薄城。戊寅,全張蓋奏樂平山堂,布置築圍,指揮閑暇。範、葵令諸門以輕兵牽製,親帥將士出堡砦西,全分路鏖戰,自辰至未,殺傷相當。庚辰,範出師大戰,玠等破全將張友於都倉,獲糧船數十艘。甲申,葵出戰,賊大敗。

四年正月辛卯、全の兵囲城の塹を浚ふ。範・葵諸将を遣はし城東門を出でて掩撃せしむ。全土城に走る。官軍之に躡き、蹂躪溺るること甚だ衆し。是の日、玠全の将鄭祥を破り、糧百艘を獲る。甲午、全の兵千余州城の東門を犯す。城中兵を出だして之に応ず。全即ち引き去る。乙未、李虎南門を出づ。楊義東門を出づ。王鑒西門を出づ。崔福北門を出づ。各径に賊の囲を扼し、土城数処を開く。範・葵兵を提げて策応す。全の歩騎数千出でて戦ふ。諸軍奮撃し、俘馘甚だ衆し。夜、賊復た開く所の城を合す。丁酉、趙勝統製陸昌・孫挙を遣はし橋堡砦を北門に立つ。賊の歩騎分道して来たり戦ふ。勝之を撃ち退く。範西門に陳す。賊壘を閉ぢて出でず。葵曰く、「賊我が兵を収めて出づるを俟つ爾」と。乃ち騎を伏せて垣門を破り、歩卒を収めて之を誘ふ。賊兵数千果たして濠側に趨る。虎力戦す。城上の矢石雨の如く注ぐ。賊退く。有りて頃、賊の別隊東北より馳せ至る。範・葵歩騎を揮ひて浮橋・吊橋に夾り並び出で、三迭の陳を為して之を待つ。巳より未に至り、賊と大戦す。別に虎・顕広・必勝・義を遣はして馬歩五百を以て賊の背に出ださしむ。而して葵軽兵を帥ひて之を横衝す。三道夾撃し、範の製する所の長槍を用ふ。果たして大利し、賊敗走す。翼日、全歩卒三百余を遣はして城の西門に向かはしめ、乍ち進み乍ち退き、以て揚州の兵を誘ひ、復た壮丁を駆りて濠麵を増し、鹿角を培ふ。範・葵騎将を遣はし出でて、城の東西に夾りて之を牽製せしめ、親しく州城の西門を出で、三道を分ちて以て進む。賊風望んで潰ゆ。乃ち勇力を募りて薪炮を齎し、其の楼櫓十余を焚く。賊平山堂より麾騎を下して救はんとす。道に於俊の軍に遇ひて帰る。

原文四年正月辛卯,全兵浚圍城塹,範、葵遣諸將出城東門掩擊,全走土城,官軍躡之,蹂溺甚眾。是日,玠破全將鄭祥,獲糧百艘。甲午,全兵千餘犯州城東門,城中出兵應之,全即引去。乙未,李虎出南門,楊義出東門,王鑒出西門,崔福出北門,各徑扼賊圍,開土城數處,範、葵提兵策應,全步騎數千出戰,諸軍奮擊,俘馘甚眾。夜,賊復合所開城。丁酉,趙勝遣統製陸昌、孫舉立橋堡砦於北門,賊步騎分道來戰,勝擊退之。範陳於西門,賊閉壘不出。葵曰:“賊俟我收兵而出爾。 ”乃伏騎破垣門,收步卒誘之。賊兵數千果趨濠側,虎力戰,城上矢石雨注,賊退。有頃,賊別隊自東北馳至,範、葵揮步騎夾浮橋、吊橋並出,為三迭陳以待之,自巳至未,賊與大戰;別遣虎、顯廣、必勝、義以馬步五百出賊背,而葵帥輕兵橫衝之,三道夾擊,用範所製長槍,果大利,賊敗走。翼日,全遣步卒三百餘向城西門,乍進乍退,以誘揚州兵,復驅壯丁增濠麵,培鹿角。範、葵遣騎將出,夾城東西牽製之,親出州城西門,分三道以進,賊望風潰,乃募勇力齎薪炮,焚其樓櫓十餘。賊自平山堂麾騎下救,道遇於俊軍而歸。

初め、全の反計成るも、然れども顧忌多く、且つ其の党皆逆に従はざるを懼る。辺陲の好進喜事の者、賊を挟みて重しと為さんと欲し、或は陰に之を讚し、激作愈甚しければ朝廷愈畏れ、則ち銭糧愈増すと謂ひ、又身を許して調停の責に任ぜんとす。故に全の兵将に挙げんとして張国明先づ召され、全の陳遇の城を棄つるに托詞し、及び帰りて三趙の己を図るに過ぐるは、蓋し成謀なり。及んで三趙用ひられ、宋の師集まり、諸閫易はり、国明沮まれ、全の官爵を削り、支銭糧を罷め、城を攻めて得ず、戦はんと欲して利あらず、全始めて自ら悔い、忽忽として楽しまず。或は左右に令して其の臂を抱かしめて曰く、「是れ我が手か否や」と。人皆之を怪しむ。

原文始,全反計雖成,然多顧忌,且懼其黨不皆從逆。邊陲好進喜事者,欲挾賊為重,或陰讚之,謂激作愈甚,朝廷愈畏,則錢糧愈增,又許身任調停之責。故全兵將舉而張國明先召,全之托詞陳遇棄城,及歸過三趙圖己,蓋成謀也。及三趙用,宋師集,諸閫易,國明沮,削全官爵,罷支錢糧,攻城不得,欲戰不利,全始自悔,忽忽不樂。或令左右抱其臂曰:“是我手否?”人皆怪之。

時に正月の望(十五日)、城中に燈を放ち樂を張り、姑く整暇を示す。全之を見る。亦た海陵に往きて妓女を載せ、平山堂に燈を張り、情を矯めて自ら肆ほしいままにす。是の晚、大元の宣差を燕す、宣差全を激して曰く、「相公の服飾器用多く南方の物なり、乃ち心終に南に在るのみ。」全乃ち誥敕を取リ、朝服して南に向ひ、歴に平生の梗概を述べ、再拝して服を褫ぬぎ、之を焚き、歎じて曰く、「國明我を誤る。」淚下ること雨の如く、淚を抆ぬぐひて就坐し強ひて歓ぶ。朐山の於道士と號する者有り、老いたり、全之を迎へ致す、初めて全を見て即ち歎じて曰く、「我が業債此に在りて償ふに合すや。」占事多く驗あり、尊んで軍師と為す。全の誥命を焚くを見るに及び、人に謂ひて曰く、「相公は明日に死し、我は今日に死せん。」人之を問ふに、曰く、「朝廷安撫・提刑を以て逆を討つ、然れども逆を為す者は、節度使なり。豈に安撫・提刑の能く節度使を擒ふるあらんや。誥敕既に焚けば、則ち一賊爾。盜固より安撫・提刑の得て捕ふる所、死せずして何を為さん。」入りて全に見えて曰く、「相公明日帳門を出づれば必ず死せん。」全怒りて以て己を厭ふと為し、之を斬る。

原文時正月望,城中放燈張樂,姑示整暇。全見之。亦往海陵載妓女,張燈平山堂,矯情自肆。是晚,燕大元宣差,宣差激全曰:“相公服飾器用多南方物,乃心終在南耳!”全乃取誥敕,朝服南向,曆述平生梗概,再拜褫服,焚之,歎曰:“國明誤我。”淚下如雨,抆淚就坐強歡。有朐山於道士者,老矣,全迎致之,初見全即歎曰:“我業債合在此償耶?”占事多驗,尊為軍師。及見全焚誥命,謂人曰:“相公死明日,我死今日矣!”人問之,曰:“朝廷以安撫、提刑討逆,然為逆者,節度使也。豈有安撫、提刑能擒節度使哉?誥敕既焚,則一賊爾。盜固安撫、提刑所得捕,不死何為!”入見全曰:“相公明日出帳門必死。”全怒以為厭己,斬之。

範・葵夜に議す誥朝の向かふ所を、葵曰く、「東に向かふは利あり、東門を出づるに如かず。」範曰く、「西に出づるは嚐て利あらず、賊必ず見易す、其の易とする所に因りて之を圖らば、必ず勝つ。堡塞の西門を出づるに如かず。」壬寅、全酒を置きて平山堂に高會す、堡塞の候卒其の槍の雙拂を垂るるを識りて號と為し、以て報ず。範喜び葵に謂ひて曰く、「此の賊勇にして輕し、若し果たして出づれば、必ず擒と成らん。」乃ち悉く精鋭数千をして西に向かはしめ、官軍の素より賊の易とする所なる者を取り、其の旗幟を張りて以て之に易ふ。全望み見て、喜びて宣差に謂ひて曰く、「我が南軍を掃ふを見よ。」官軍賊の突鬥して前進するを見るも、亦其の全なるを知らず。範軍を麾して並び進み、葵親しく搏戰し、諸軍奮ひ爭ふ。賊始めて前日の軍に非ざるを疑ひ、土城に走り入らんと欲すれども、李虎の軍已に其の甕門を塞ぐ。全窘み、数十騎を従へて北に走る、葵諸将を率ひて製勇・寧淮の軍を以て之を蹙め、賊新塘に趨る。新塘水を決して後より、淖深さ数尺、會ふに久しく晴れて、戰塵を浮かべて燥壤の如し、全の騎淖に陷りて拔くこと能はず。製勇軍長槍三十餘を奮ひて亂れ刺す、全曰く、「我を殺す無かれ、我れ乃ち頭目なり。」先づ是より、諸陣の上に令し、衆頭目を獲るも爭ひて以て獻ずるを得ざらしむ、故に群卒其の屍を碎き、而して其の鞍馬器甲を分ち、並びに三十餘人を殺す、類ひ卒伍に非ざるも、俱に暇あらずして問はず。

原文範、葵夜議誥朝所向,葵曰:“東向利,不如出東門。”範曰:“西出嚐不利,賊必見易,因其所易而圖之,必勝。不如出堡塞西門。”壬寅,全置酒高會平山堂,有堡塞候卒識其槍垂雙拂為號,以報。範喜謂葵曰:“此賊勇而輕,若果出,必成擒矣。”乃悉精銳數千而西,取官軍素為賊所易者,張其旗幟以易之。全望見,喜謂宣差曰:“看我掃南軍。”官軍見賊突鬥而前,亦不知其為全也。範麾軍並進,葵親搏戰,諸軍爭奮。賊始疑非前日軍,欲走入土城,李虎軍已塞其甕門。全窘,從數十騎北走,葵率諸將以製勇、寧淮軍蹙之,賊趨新塘。新塘自決水後,淖深數尺,會久晴,浮戰塵如燥壤,全騎陷淖不能拔。製勇軍奮長槍三十餘亂刺之,全曰:“無殺我,我乃頭目。”先是,令諸陣上,眾獲頭目無得爭以為獻,故群卒碎其屍,而分其鞍馬器甲,並殺三十餘人,類非卒伍,俱不暇問。

甲辰、賊軍の全椒人周海降を請ひ、全已に殺されたるを報ず、餘黨潰れて去らんと議す。未だ幾もなく、安用の歎恨して泣くを聞く、初め一人を推して首と為し、以て其の逆を竟へんと議すれども、肯て相下る莫く、還りて淮安に奉じ楊氏をして之を主たしめんと欲す。範夜に捷書を製置司に上り、明日賊を追はんと議す。乙巳の早朝、安用五百騎を引きて徑に南門より灣頭に趨る、範弩を伏せて之を射る、賊呼びて曰く、「爾が襄陽の援兵已に敗走せり、汝之を知るか。」城中應へて曰く、「汝が李全已に戮せられたり、汝何ぞ降らざる。」賊應へず、諸将賊を追はんと欲すれども、範伏兵有るを懼れ、先づ兵を分ちて圍城の樓櫓を燒き、夜半火光天を燭す、東南の諸門に皆兵を出すを命じ、範・葵繼ひて精兵を提げて進む。四鼓、賊大いに潰る。丙午黎明、葵賊に追ひ及びて灣頭に於て一戰し、又之を破り、俘斬及び奪回せる糧畜野を蔽ふ。別将大儀に追ひ至るも、及ばず。葵人をして新塘の骸骨を瘞めしむるに、左掌一指無きを得、蓋し全の支解せられたるなり。先づ是より、全茅司徒しと廟に靈を乞ふも應無く、全怒りて神像の左臂を斷つ。或る者神の告げて曰く、「全我を傷つく、全死するも亦た我が如くならん。」と夢む、是に至りて然り。

原文甲辰,賊軍全椒人周海請降,報全已殺,餘黨議潰去。未幾,聞安用歎恨飲泣,初議推一人為首,以竟其逆,莫肯相下,欲還淮安奉楊氏主之。範夜上捷書製置司,議翼日追賊。乙巳早,安用引五百騎徑南門趨灣頭,範伏弩射之,賊呼曰:“爾襄陽援兵已敗走,汝知之乎?”城中應曰:“汝李全已為戮,汝何不降?”賊不應,諸將欲追賊,範懼有伏兵,先分兵燒圍城樓櫓,夜半火光燭天,命東南諸門皆出兵,範、葵繼提精兵進。四鼓,賊大潰。丙午黎明,葵追及賊於灣頭,一戰又破之,俘斬及奪回糧畜蔽野。別將追至大儀,不及。葵使人瘞新塘骸骨,得左掌無一指,蓋全支解也。先是,全乞靈茅司徒廟無應,全怒,斷神像左臂。或夢神告曰:“全傷我,全死亦當如我。”至是果然。

揚州平ぐ、善湘露布を以て上る、帝驚喜し、太后手を舉げて額に加ふ。國明の輩禍の己に及ぶを懼れ、唱へ論じて全未だ死せずと雲ひ、至りて遊士吳大理等を資して助け煽る者有り。泰州の凱奏繼いで上るに及び、浮言始めて定まる。朝中皆表に隨ひ入賀せんと擬すれども、彌遠小寇の就きて平ぐるを以て、謝して之を止む。甲寅、善湘來りて師を犒ふ。二月、胡穎に命じ獲たる賊酋二十人を部し朝に獻俘せしめ、且つ奇功二十有九人及其の餘を定め、賞を行ふを促し、又た趙楷を遣はして廟算に稟かしむ。

原文揚州平,善湘以露布上,帝驚喜,太后舉手加額。國明輩懼禍及己,唱論雲全未死,至有資遊士吳大理等助煽之。及泰州凱奏繼上,浮言始定。朝中皆擬隨表入賀,彌遠以小寇就平,謝止之。甲寅,善湘來犒師。二月,命胡穎部所獲賊酋二十人獻俘於朝,且定奇功二十有九人及其餘,促行賞;又遣趙楷往稟廟算。

三月庚寅、祃祭有り、梟牙に鳴く、之を占ふに吉、別に全子才を遣はし王旻等を率ひて萬五千人を将ひ、於玠と掎角して鹽城を取らしむ。癸巳、步騎十萬揚州を發し、勝を留めて權りに守らしむ。庚子、鹽城の賊董友・王海兵を以て卞整の砦を圍む、玠之を撃ち卻く。癸卯、總轄韓亮・戚永升を遣はし多槳船及び民船四百を率ひて射陽湖に入り、賊を諭口に於て撃たしむ。丁未、亮賊を崔溝に於て破る。己酉、範・葵兵を分けて進み平河橋に至り、賊を剿ること甚だ多し。壬子、玠・整賊将王國興を岡門に於て敗り、首級千を斬る。四月丁巳、賊を十里亭に於て敗り、賊兵門を爭ひ、濠に墜つること蟻の如し。庚申、別将範勝・趙興賊の砦を壽河に於て破り、農民の脅從せしむる者萬家を拔く。

原文三月庚寅,祃祭,有梟鳴於牙,占之吉,別遣全子才率王旻等將萬五千人,與於玠掎角取鹽城。癸巳,步騎十萬發揚州,留勝權守。庚子,鹽城賊董友、王海以兵圍卞整砦,玠擊卻之。癸卯,遣總轄韓亮、戚永升率多槳船及民船四百入射陽湖,擊賊於諭口。丁未,亮破賊於崔溝。己酉,範、葵分兵進至平河橋,剿賊甚多。壬子,玠、整敗賊將王國興於岡門,斬首千級。四月丁巳,敗賊於十里亭,賊兵爭門,墜濠如蟻。庚申,別將範勝、趙興破賊砦於壽河,拔農民脅從者萬家。

壬戌、範・葵諸軍を遣はし淮安城下に薄しむ、賊大いに敗れ、死者萬餘、二千家を焚き、城中の哭聲天を振はす。甲子、子才他道より進攻し、賊将董友之を拒ぐ、港口に於て大戰し、之を敗る。庚辰、舟師漣水を過ぎ、戰ひ勝ち、淮安に達す。五月丙戌朔、天大霧す、官兵上城を攻む、賊の守る者尚ほ臥し、倉皇として起ち鬥ふ。官軍互ひに肩を踏みて梯と為し、前者或ひは墜つれども、後者繼ぎ至り、丑より未に至るまで、五城俱に破れ、首級数千を斬り、生擒数百人を得。兵士に故に楚州左右軍に隷せし者あり、家屬數たび賊に虐げられ、是に至りて憤を泄らし、老幼無く皆之を殺し、砦柵萬餘家を燒き、腥焰天を蔽ふ。餘寇橋を爭ひて大城に入り、重濠皆滿つ。淮北の賊歸り赴きて援けんとすれども、舟師又た剿撃し、其の水柵を焚き、五城の餘址を夷し、賊始めて懼る。己亥、子才趙必勝・王旻の軍を率ひて砦を西門に移す、道賊に遇ひて大戰し、夜に至りて解けず。子才銳陣を為し左右救ひ、乃ち勝つ。

原文壬戌,範、葵遣諸軍薄淮安城下,賊大敗,死者萬餘,焚二千家,城中哭聲振天。甲子,子才自他道進攻,賊將董友拒之,大戰於港口,敗之。庚辰,舟師過漣水,戰勝,達淮安。五月丙戌朔,天大霧,官兵攻上城,賊守者尚臥,倉皇起鬥。官軍互踏肩為梯,前者或墜,後者繼至,自醜至未,五城俱破,斬首數千級,生擒數百人。兵士有故隸楚州左右軍者,家屬數為賊虐,至是泄憤,無老幼皆殺之,燒砦柵萬餘家,腥焰蔽天。餘寇爭橋入大城,重濠皆滿。淮北賊歸赴援,舟師又剿擊,焚其水柵,夷五城餘址,賊始懼。己亥,子才率趙必勝、王旻軍移砦西門,道遇賊大戰,至夜不解。子才為銳陣左右救,乃勝。

楊氏は鄭衍徳らに諭して曰く、「二十年の梨花槍、天下に敵手無し、今や事勢已に去り、支え拠って行かず。汝ら未だ降らざる者は、我在るが故なり。我を殺して降らば、汝必ず忍びず。若し我を図らずんば、人誰か降を納れん。今我漣水に帰老せんと欲す、汝ら宜しく朝廷に告げよ、本より我を図りて来降せんと欲すれども、我に覚られ、已に之を駆りて淮を過ぎしむ、と。此を以て降を請う可きか」と。衆曰く、「諾」と。翌日、楊氏は淮を絶ちて去る。賊党は即ち偽計議の馮垍・潘於を遣わして軍門に款し、範ら密かに朝廷に聞く。朝論は不可とす。範曰く、「若し明らかに朝旨を諭さば、是れ賊の志を堅くするなり、陽に許して以て之を誤るに如かず、我自ら必討の計を為さん」と。乃ち範用吉を遣わして城に入り賊に諭して曰く、「朝廷已に降を納るるを許す、但だ安撫に令して北軍に交過せしむ」と。衍徳らは潘於を遣わし用吉に随いて謝を報じ、玉帯を献じ、軍を犒うる黄金四千両を許す。範曰く、「我は賊を款せんと欲す、賊更に来たりて我を款す」と。於の帰るや、鄭衍徳らは自ら降るも亦免れざるを知り、始めて金に款を送る。是に至り、金は其の副統軍の許奕・萬戸の兀林答を遣わし、其の京東元帥の牒を以て来たりて言うに曰く、「此の賊降らずんば、能く両国の患と為る、請う大國と夾攻し之を攻め、各降を受くる勿れ」と。範は其の来るや故無きを怪しみ、而して陰に絶つを難しとし、王貴を遣わして之に報じ、其の請に従わず。

原文楊氏諭鄭衍德等曰:“二十年梨花槍,天下無敵手,今事勢已去,撐拄不行。汝等未降者,以我在故爾。殺我而降,汝必不忍。若不圖我,人誰納降?今我欲歸老漣水,汝等宜告朝廷,本欲圖我來降,為我所覺,已驅之過淮矣。以此請降可乎?”眾曰:“諾。”翼日,楊氏絕淮而去。賊黨即遣偽計議馮垍、潘於款於軍門,範等密聞於朝,朝論不可,範曰:“若明諭朝旨,是堅賊誌,不如陽許以誤之,我自為必討之計。”乃遣範用吉入城諭賊曰:“朝廷已許納降,但令安撫交過北軍。”衍德等遣潘於隨用吉報謝,許獻玉帶、犒軍黃金四千兩。範曰:“我欲款賊,賊更來款我。”於歸,鄭衍德等自知降亦不免,始送款於金。至是,金遣其副統軍許奕、萬戶兀林答以其京東元帥牒來言曰:“此賊不降,能為兩國患,請與大國夾攻之,各勿受降。”範怪其來無故,而難於陰絕,遣王貴報之,不從其請。

六月己未、河西の三砦に於いて大戦し、賊大いに敗れ、楊氏は漣水に帰る。壬戌、賊は先ず妻子を遣わして淮を過ぎしむ。軍は争いて往かんと欲し、之を斬るも禁ずる能わず、反って頭目を殺し起つ者有り。甲子、復た大戦し、淮安遂に平ぐ。議して乗勝して淮陰を復せんとす。兵未だ行かざるに、淮陰は金に降る。継いて探報を得て云う、宋師一宿遅れて城を攻めば、淮安も亦金の有と為らんと。是に於いて全の拠る所の州悉く平ぐ。楊氏は山東に竄帰し、又数年にして而して後斃る。

原文六月己未,大戰於河西三砦,賊大敗,楊氏歸漣水。壬戌,賊先遣妻孥過淮,軍爭欲往,斬之不能禁,反有起殺頭目者。甲子,復大戰,淮安遂平。議乘勝復淮陰,兵未行,淮陰降金。繼得探報云:宋師遲一宿攻城,淮安亦為金有矣。於是全所據州悉平。楊氏竄歸山東,又數年而後斃。

全の泰州を寇すや、官属十有九人皆迎えて降るも、独り教授の高夢月汚れず。詔して三官を贈る。

原文全之寇泰州,官屬十有九人皆迎降,獨教授高夢月不汙,詔贈三官。

全の子、璮。

原文全子璮。