宋史

志第一百三十  食貨上五

志第一百三十  食貨上五

◎食貨上五(役法上)

原文◎食貨上五(役法上)

役法は民より出で、州県には皆定数あり。宋は前代の制を因り、衙前を以て官物を主とし、里正・戸長・郷書手を以て賦税を課督し、耆長・弓手・壮丁を以て盗賊を逐捕し、承符・人力・手力・散従官を以て使令に給す。県の曹司より押司・録事に至り、州の曹司より孔目官に至り、下は雑職・虞候・揀・掏等人に至るまで、各々郷戸の等第を以て差役を定む。京の百司が吏を補するには、役に差し支えなきを須い、乃ち聴す。

原文役法役出於民,州縣皆有常數。宋因前代之制,以衙前主官物,以里正、戶長、鄉書手課督賦稅,以耆長、弓手、壯丁逐捕盜賊,以承符、人力、手力、散從官給使令;縣曹司至押、錄,州曹司至孔目官,下至雜職、虞候、揀、掏等人,各以鄉戶等第定差。京百司補吏,須不礙役乃聽。

建隆年中、詔して文武官・内諸司・台省・寺監・諸軍・諸使は、州県の課役戸を占めてはならず、州県は道路の居民を役して遞夫と為してはならずとす。後に又詔して諸州の職官は私に役戸を占めて課役に供してはならずとす。京西転運使程能は請うて諸州の戸を九等に定め、籍に著し、上四等は軽重を量りて役を給し、余の五等は之を免ず、後に貧富有らば、時に随ひて升降すと。詔して加へて裁定せしむ。淳化五年、始めて諸県に令し、第一等戸を以て里正と為し、第二等戸を以て戸長と為し、名を冒して以て役を給することを許さず。自余の諸役は、多く廂軍を調ふ。大中祥符五年、提点刑獄府界段惟幾は中牟県の夫二百を発して馬監倉を修む。群牧製置使は廄卒を以て之に代へ、因りて詔を下して之を禁ず。惟だ詔令に大なる興作有りて後に丁夫を調ふるのみ。然れども役には軽重労佚の斉しからざる有り、人には貧富強弱の一しからざる有り、承平既に久しく、奸偽生じ滋す。命官・形勢は田を占むるに限り無く、皆復役を得、衙前将吏は里正・戸長を免ぜらる。而して応役の戸は、繁数に困しめられ、券を偽りて田を形勢の家に售ぎ、佃戸の名を仮り、以て徭役を避く。乾興初め、始めて限田法を立て、形勢が他戸の田を挟むを敢へる者は人の告ぐるを聴し、挟む所の田の三分の一を子に与ふ。

原文建隆中,詔文武官、內諸司、台省、寺監、諸軍、諸使,不得占州縣課役戶,州縣不得役道路居民為遞夫。後又詔諸州職官不得私占役戶供課。京西轉運使程能請定諸州戶為九等,著於籍,上四等量輕重給役,餘五等免之,後有貧富,隨時升降。詔加裁定。淳化五年,始令諸縣以第一等戶為里正,第二等戶為戶長,勿冒名以給役。自餘眾役,多調廂軍。大中祥符五年,提點刑獄府界段惟幾發中牟縣夫二百修馬監倉。群牧製置使代以廄卒,因下詔禁之。惟詔令有大興作而後調丁夫。然役有輕重勞佚之不齊,人有貧富強弱之不一,承平既久,奸偽滋生。命官、形勢占田無限,皆得復役,衙前將吏得免里正、戶長;而應役之戶,困於繁數,偽為券售田於形勢之家,假佃戶之名,以避徭役。乾興初,始立限田法,形勢敢挾他戶田者聽人告,子所挾田三之一。

時に州県既に広く、徭役益々衆し。太常博士範諷は広済軍を知り、因りて言ふ「軍の地方四十里、戸口一県に及ばず、而るに徭差は諸郡と等し。願くは復た県と為らん」と。転運司は執へて不可とし、因りて詔して役人を裁損せしむ。是より数たび詔書を下し、州県の長吏と転運使に督ひて冗役を蠲め、以て民力を寛むるを議せしむ。又た州県に令し、丁産及び産する所の役使を録し、前期に揭示し、実ならざる者は民自ら言ふことを得しむ。役の重き者は、里正・郷戸より衙前と為り、府庫を主典し或は官物を輦運するを主とし、往々にして破産す。景祐年中、稍々其の法を寛めんと欲し、乃ち人を募りて役に充てしむ。初め、官八品以下の死者は、子孫の役は編戸と同し。是に至り、詔して特ち之を蠲む。民役を避くる者は、或は名を浮図の籍に竄め、出家と号す。趙州は千余人に至る。詔して出家する者は須らく落髪して僧と為り、乃ち免役を聴す。諸県に禁じ、盗を捕ふるに非ざれば壮丁を擅に役する毋れ。慶曆年中、京東西・河北・陝西・河東に令し、役人を裁損し、即ち給使足らざれば、廂兵を以て益す。既にして詔して諸路の転運司に、州県の差徭賦斂の数を条析せしめ、二府の大臣に委ねて裁減せしむ。科役均しからずれば、郷村・坊郭の戸を以て均差す。時に范仲淹執政たり、天下の県多きを謂ひ、故に役蕃にして民瘠しとし、首として河南の諸県を廃し、以て次第に他州に及ぼさんと欲す。当時以て非と為す。未幾にして悉く復す。王逵は荊湖転運使と為り、率ひて民に輸銭免役せしめ、緡銭三十万を得、進めて羨余と為し、詔を蒙りて奨す。繇りて他路競ひて掊克を為し以て恩を市ふ。皇祐年中、詔して州県の里正・押司・録事既に代りて銭を輸し免役せしむるを令する者は、違制の律に論ず如し。又た郷戸を役して長名衙前と為すことを禁ず。

原文時州縣既廣,徭役益眾,太常博士範諷知廣濟軍,因言:「軍地方四十里,戶口不及一縣,而徭差與諸郡等,願復為縣。」轉運司執不可,因詔裁損役人。自是數下詔書,督州縣長吏與轉運使議蠲冗役,以寬民力。又令州縣錄丁產及所產役使,前期揭示,不實者民得自言。役之重者,自里正、鄉戶為衙前,主典府庫或輦運官物,往往破產。景祐中,稍欲寬其法,乃命募人充役。初,官八品以下死者,子孫役同編戶;至是,詔特蠲之。民避役者,或竄名浮圖籍,號為出家,趙州至千餘人,詔出家者須落發為僧,乃聽免役。禁諸縣非捕盜毋擅役壯丁。慶曆中,令京東西、河北、陝西、河東裁損役人,即給使不足,益以廂兵。既而詔諸路轉運司條析州縣差徭賦斂之數,委二府大臣裁減,科役不均,以鄉村、坊郭戶均差。時范仲淹執政,謂天下縣多,故役蕃而民瘠,首廢河南諸縣,欲以次及他州。當時以為非,未幾悉復。王逵為荊湖轉運使,率民輸錢免役,得緡錢三十萬,進為羨餘,蒙詔獎。繇是他路競為掊克以市恩。皇祐中,詔州縣里正、押司、錄事既代而令輸錢免役者,論如違制律。又禁役鄉戶為長名衙前。

初め、并へい州を知る韓琦上疏して曰く「州県の生民の苦しみ、里正衙前より重きは無し。孀母改嫁し、親族分居し、或は田を棄て人に与へ、以て上等を免れ、或は非命を求めて死し、以て単丁に就かんとす。百端を規図し、苟ももって溝壑の患を免れんとす。毎郷差される疏密と、資力の高下均しからず。仮りに一県に甲乙二郷有り、甲郷第一等戸十五戸、資を計れば銭三百万、乙郷第一等戸五戸、貲を計れば銭五十万とす。番休して役を遞ふれば、即ち甲郷は十五年一巡し、乙郷は五年一巡す。富者は休息して余り有り、貧者は敗亡相継ぐ。豈に朝廷の民の父母たるの意ならんや。請ふらくは里正衙前を罷め、転運司に命じ、州軍の見役人数を以て額と為し、令・佐は五等簿を視、一県を通じて之を計り、籍皆第一等に在る者、資最高き者一戸を選びて郷戸衙前と為し、後差人は此に放て。即ち甲県戸少なくして役蕃なれば、乙県戸多きにして役簡なる者を差すを聴せ。簿書未だ尽く実ならざれば、他戸に換取するを聴せ。里正は租賦を主督す、請ふらくは戸長を以て之に代へ、二年一易せしめん」と。其の議を京畿・河北・河東・陝西・京東西の転運司に下し、利害を度らしむ。皆以て便と為す。而して知制誥韓絳・蔡襄は極めて江南・福建の里正衙前の弊を論じ、絳は郷戸五則の法を行ふことを請ひ、襄は産銭の多少を以て役の重軽を定むることを請ふ。至和中、絳・襄と三司に命じ司を置き参定せしめ、継ひて尚書都官員外郎呉幾復を遣はし江東に趨らしめ、殿中丞蔡稟を遣はし江西に趨らしめ、長吏・転運使と議して可否を決せしむ。因りて五則法を行ふことを請ふ。凡そ郷戸衙前を差すには、資産の多寡を視て籍を置き、五則に分ち、又其の役の軽重に第し此に放つ。仮りに第一等重役十有り、役すべき十人、第一等戸百を列ね、第二等重役五有り、役すべき五人、第二等戸五十を列ね、以て十番の役使に備ふ。其の籍を通判の治所に蔵し、人を差すに遇ひては、長吏以下同しく按視し、転運使・提点刑獄は其の違慢を察す。遂に更めて淮南・江南・両浙・荊湖・福建の法を著し、三司に下して頒たしむ。

原文初,知并州韓琦上疏曰:「州縣生民之苦,無重於里正衙前。有孀母改嫁,親族分居;或棄田與人,以免上等;或非命求死,以就單丁。規圖百端,苟免溝壑之患。每鄉被差疏密,與資力高下不均。假有一縣甲乙二鄉,甲鄉第一等戶十五戶,計資為錢三百萬,乙鄉第一等戶五戶,計貲為錢五十萬;番休遞役,即甲鄉十五年一周,乙鄉五年一周。富者休息有餘,貧者敗亡相繼,豈朝廷為民父母意乎?請罷里正衙前,命轉運司以州軍見役人數為額,令、佐視五等簿,通一縣計之,籍皆在第一等,選資最高者一戶為鄉戶衙前,後差人放此。即甲縣戶少而役蕃,聽差乙縣戶多而役簡者。簿書未盡實,聽換取他戶。里正主督租賦,請以戶長代之,二年一易。」下其議京畿、河北、河東、陝西、京東西轉運司度利害,皆以為便。而知制誥韓絳、蔡襄極論江南、福建里正衙前之弊,絳請行鄉戶五則之法,襄請以產錢多少定役重輕。至和中,命絳、襄與三司置司參定,繼遣尚書都官員外郎吳幾復趨江東,殿中丞蔡稟趨江西,與長吏、轉運使議可否。因請行五則法,凡差鄉戶衙前,視資產多寡置籍,分為五則,又第其役輕重放此。假有第一等重役十,當役十人,列第一等戶百;第二等重役五,當役五人,列第二等戶五十,以備十番役使。藏其籍通判治所,遇差人,長吏以下同按視之,轉運使、提點刑獄察其違慢。遂更著淮南、江南、兩浙、荊湖、福建之法,下三司頒焉。

里正衙前を罷むるより、民稍々休息す。又た詔して諸路の転運司・開封府界に、衙前の役に重くして害を為す者有らば条奏せしむ。能く件悉し便利、大いに労弊を去る者は賞を議す。寛恤民力司を置き、使を遣はし四出せしむ。是より州県の力役多く裁損する所有り、凡そ二万三千六百二十二人。

原文自罷里正衙前,民稍休息。又詔諸路轉運司、開封府界訪衙前之役有重為害者條奏之;能件悉便利、大去勞弊者議賞。置寬恤民力司,遣使四出。自是州縣力役多所裁損,凡二萬三千六百二十二人。

治平四年、詔して曰く「農は天下の大本なり。間水旱に因り、頗る流離を致す。殆ど州郡の差役の法甚だ煩はし。其れ中外の臣庶に詔し、利害を条陳して以て聞かしめよ」と。先づ是れ、三司使韓絳言ふ「聞く京東の民に父子二丁将に衙前役と為らんとする者有り。其の父其の子に告げて曰く『吾当に死を求め、汝曹を以て凍餒を免れしめん』と、遂に自縊して死す。又聞く江南に其の祖母を嫁し、及び母と析居して以て役を避くる者有り。又田を鬻ぎ其の戸等を減ずる者有り。田は官戸不役の家に帰し、而して役は同等見存の戸に並ぶ。望むらくは博く利害を訪ひ、集議して裁定し、力役偏重の寄する無からしめん」と。役法更に議するは此より始まる。

原文治平四年,詔曰:「農,天下之大本也。間因水旱,頗致流離,殆州郡差役之法甚煩,其詔中外臣庶條陳利害以聞。」先是,三司使韓絳言:「聞京東民有父子二丁將為衙前役者,其父告其子曰『吾當求死,使汝曹免於凍餒』,遂自縊而死。又聞江南有嫁其祖母及與母析居以避役者,又有鬻田減其戶等者。田歸官戶不役之家,而役並於同等見存之戶。望博訪利害,集議裁定,使力役無偏重之寄。」役法更議始此。

熙寧元年、知諫院の吳充が言うには、「今、郷役の中で、衙前が最も重い。民間では重役を避けようと、土地を多く耕すことを敢えず、戸等を避け、肉親を敢えて義聚せず、人丁を憚る。故に近年、上戸は次第に少なく、中下戸は次第に多く、役使が頻繁で、生計の資が供給されず、則ち工商に転じ、已むを得ずして盗賊となる。宜しく早く郷役の利害を定め、時に応じて施行すべきである」。後に帝が内蔵庫の奏を閲覧したところ、衙前が千里を越えて金七銭を輸送し、庫吏が邀え乞い、一年を過ぎても還ることができない者があった。帝はこれを深く傷み、乃ち詔して製置條例司に命じ、役法を講じて立てさせた。二年、劉彝・謝卿材・侯叔獻・程顥・盧秉・王汝翼・曾伉・王廣廉の八人を諸路に行かせ、農田水利・税賦科率・徭役の利害を相度させた。

原文熙寧元年,知諫院吳充言:「今鄉役之中,衙前為重。民間規避重役,土地不敢多耕,而避戶等;骨肉不敢義聚,而憚人丁。故近年上戶浸少,中下戶浸多,役使頻仍,生資不給,則轉為工商,不得已而為盜賊。宜早定鄉役利害,以時施行。」後帝閱內藏庫奏,有衙前越千里輸金七錢,庫吏邀乞,逾年不得還者。帝重傷之,乃詔製置條例司講立役法。二年,遣劉彝、謝卿材、侯叔獻、程顥、盧秉、王汝翼、曾伉、王廣廉八人行諸路,相度農田水利、稅賦科率、徭役利害。

條例司の檢詳文字蘇轍が言うには、「役人に郷戸を用いざるを得ないのは、官吏に士人を用いざるを得ないのと同じである。今、遂に両税の外に別に一科を立て、これを庸銭と謂い、官雇に備えようとし、戸の高低を問わず、例えて出銭させようとするのは、上戸には則ち便利であるが、下戸には実に難しい」。轍は議が合わずして罷免された。

原文條例司檢詳文字蘇轍言:「役人之不可不用鄉戶,猶官吏之不可不用士人也。今遂欲兩稅之外別立一科,謂之庸錢,以備官雇,不問戶之高低,例使出錢,上戶則便,下戶實難。」轍以議不合罷。

條例司が言うには、「民に泉(銭)を出させて役を雇わせるのは、即ち先王が民財を致して官に在る庶人に禄を与えるの意に当たる。願わくは條目を以て官を遣わし天下に分行させ、広く衆議を尽くさせたい」。ここにおいて諸路に條諭して曰く、「衙前は既に重難分數を用いる。凡そ買撲酒税坊場で、旧に衙前を酬うのに用いたものは、官自ら売るに従い、その銭を役銭と同様に分數に随って給付する。その廂鎮場務の類で、旧に衙前を酬奨し、民に買占めさせることができないものは、即ち旧定の分數を用いて投名衙前の酬奨とする。部水陸運及び倉驛・場務・公使庫などを領するものの、旧に煩擾かつ陪備させたものは、今、省使して費やさないようにすべきである。承符・散従官など旧に重役と償欠に苦しんだものは、今、法を改めて弊を除き、庶幾く無困ならしめる。凡そ産業物力有りて旧に役無きものは、今、泉を出して役を助くべきである」。久しくして、司農寺が言うには、「今、役條を立てるに当たり、寬優する所は、皆、村郷の朴蠢にして自ら達すること能わざる窮氓であり、裁取する所は、乃ち仕宦兼併にして人言を致す能き豪右である。若し経制一定すれば、則ち衙司県吏は誅求巧舞の奸を施すこと無く、故に新法の行は特に不便とする所である。願わくは先ず一両州より始め、その成就を俟ち、即ち諸州軍に令して仿視施行せしめ、若し実に百姓に便ならば、当に特これを奨すべし」。詔して可とした。

原文條例司言:「使民出泉雇役,即先王致民財以祿庶人在官者之意,願以條目遣官分行天下,博盡眾議。」於是條諭諸路曰:「衙前既用重難分數,凡買撲酒稅坊場,舊以酬衙前者,從官自賣,以其錢同役錢隨分數給之。其廂鎮場務之類,舊酬獎衙前、不可令民買占者,即用舊定分數為投名衙前酬獎。如部水陸運及領倉驛、場務、公使庫之類,其舊煩擾且使陪備者,今當省使毋費。承符、散從官等舊苦重役償欠者,今當改法除弊,庶使無困。凡有產業物力而舊無役者,今當出泉以助役。」久之,司農寺言:「今立役條,所寬優者,皆村鄉樸蠢不能自達之窮氓;所裁取者,乃仕宦兼並能致人言之豪右。若經制一定,則衙司縣吏無以施誅求巧舞之奸,故新法之行尤所不便。欲先自一兩州為始,候其成就,即令諸州軍仿視施行,若實便百姓,當特獎之。」詔可。

ここにおいて提点府界公事趙子幾が府界所在の條目を奏上し、これを司農に下し、詔して判寺鄧綰・曾布に更にこれを議させた。綰・布が言うには、「畿内の郷戸は、産業若しくは家資の貧富を計り、上下五等に分つ。歳毎に夏秋、等に随って銭を輸納し、郷戸は四等より、坊郭は六等以下は輸納せず。両県に産業有る者は、上等は各県に随い、中等は一県に併せて輸納する。析居する者は析く所に随って定め、その等を降す。若し官戸・女戸・寺観・未成丁は、半減して輸納する。皆その銭を用いて三等以上の税戸を募り役を代行させ、役の重軽に随って禄を制す。開封県の戸二万二千六百余り、歳毎に銭一万二千九百緡を輸納す。一万二百を禄とし、その二千七百を贏ち、以て凶荒欠閣に備え、他の県もこれに倣う」。然るに銭を輸納するには等の高下を計るが、戸等は籍に著すに、昔、巧避に縁り実を失う。乃ち詔して郡県を責め、坊郭は三年、郷村は五年毎に、農隙に衆を集め、その物産を稽え、その貧富を考へ、その詐偽を察し、為に升降す。若し故に高下を為す者は、違制を以て論ず。

原文於是提點府界公事趙子幾奏上府界所在條目,下之司農,詔判寺鄧綰、曾布更議之。綰、布言:「畿內鄉戶,計產業若家資之貧富,上下分為五等。歲以夏秋隨等輸錢,鄉戶自四等、坊郭自六等以下勿輸。兩縣有產業者,上等各隨縣,中等並一縣輸。析居者隨所析而定、降其等。若官戶、女戶、寺觀、未成丁,減半輸。皆用其錢募三等以上稅戶代役,隨役重輕制祿。開封縣戶二萬二千六百有奇,歲輸錢萬二千九百緡。以萬二百為祿,贏其二千七百,以備凶荒欠閣,他縣仿此。」然輸錢計等高下,而戶等著籍,昔緣巧避失實。乃詔責郡縣,坊郭三年,鄉村五年,農隙集眾,稽其物產,考其貧富,察其詐偽,為之升降;若故為高下者,以違制論。

募法は、三人相任し、衙前は仍なお物産を供えて抵と為す。弓手は武藝を試み、典吏は書計を試みる。三年或いは二年を以て乃ち更える。法既に具わり、一月間揭示し、民に異辞無く、令として著す。令下り、募る者は役に執り、差された者は散去することを得た。開封一府にて衙前八百三十人を罷め、畿県の郷役数千、遂にその法を天下に頒った。

原文募法:三人相任,衙前仍供物產為抵;弓手試武藝,典吏試書計;以三年或二年乃更。為法既具,揭示一月,民無異辭,著為令。令下,募者執役,被差者得散去。開封一府罷衙前八百三十人,畿縣鄉役數千,遂頒其法於天下。

天下の土俗同じからず、役の重軽一ならず、民の貧富等しからず、便に従って法を為す。凡そ当役人戸は、等第に随って出銭し、名づけて免役銭と曰う。その坊郭等第戸及び未成丁・単丁・女戸・寺観・品官の家で、旧に色役無くして出銭するものは、名づけて助役銭と曰う。凡そ銭を敷くには、先ず州若しくは県の用うる雇直の多少を視、戸等に随って均しく取る。雇直既に用いて足り、又その数に率いて二分を増取し、以て水旱欠閣に備う。増すと雖も二分を過ぐることを得ず、これを免役寬剩銭と謂う。

原文天下土俗不同,役重輕不一,民貧富不等,從所便為法。凡當役人戶,以等第出錢,名免役錢。其坊郭等第戶及未成丁、單丁、女戶、寺觀、品官之家,舊無色役而出錢者,名助役錢。凡敷錢,先視州若縣應用雇直多少,隨戶等均取;雇直既已用足,又率其數增取二分,以備水旱欠閣,雖增毋得過二分,謂之免役寬剩錢。

三年、集賢校理呂惠卿を命じて同判司農寺と為し、已にして林旦・曾布相継いで其事を典主した。四年、許州の衙前が幹する公使庫を罷め、軍校を以てこれを主たせ、月に食銭三千を給す。後に諸路に行われ、人皆これを便とした。

原文三年,命集賢校理呂惠卿同判司農寺,已而林旦、曾布相繼典主其事。四年,罷許州衙前幹公使庫,以軍校主之,月給食錢三千。後行於諸路,人皆便之。

両浙提点刑獄王庭光・提挙常平張靚が民の助役銭を率いて七十万に至る。薛向が帝に言上し、帝が王安石に問うと、安石は曰く、「提挙官は数に据って取り、朝廷は恩恵を以て科減するは、体として順である」。御史中丞楊繪もまた言うには、「靚らが民に科配して銭を輸させ、多きは一戸三百千に至る。乞う、少しく裁損し、以て民心を安んぜよ」。五月、東明県の民数百人が開封府に詣でて超升等第を訴え、受けられず、遂に王安石の私第に突入した。安石は相府の知らざることを諭した。御史臺に訴えるも、臺は訴えを受けず、諭して散去させた。楊繪また言うには、「司農寺は旧則を用いず、自ら戸数に据って助役銭の等第を創立し、県令に下してこれを籍に著させた。酸棗県の戸等を升するは皆実を失う」。帝は乃ち提点司に命じて升降の従う所を究め、仍升降の法を厳にし、畿民で銭を輸して免役するを願わざる者は、県は当に供役すべき歳月を按じ、期に如期に役し、銭を輸するを免ずる。先に、帝は既に東明の事を知り、及び繪の言を聞き、両たび手敕を降して王安石に問うて曰く、「酸棗に既に下戸より上戸に升入する者有れば、則ち四等には免輸役銭の名有りて、その実無し」。安石は力説して嘗て諸県の新旧の籍を取って対覆升降したとし、外間で役法を扇動する者は、輸多ければ必ず贏余有り、若し群訴すれば必ず免ぜられんと謂い、彼らは既に衆を聚めて僥幸し、苟もその訴えを受け、輸銭を免ずれば、当に仍役すべきであると。帝は乃ち尽くその言を用いた。

原文兩浙提點刑獄王庭光、提舉常平張靚率民助役錢至七十萬。薛向為帝言,帝問王安石,安石曰:「提舉官據數取之,朝廷以恩惠科減,於體為順。」御史中丞楊繪亦言:「靚等科配民輸錢,多者一戶至三百千,乞少裁損,以安民心。」五月,東明縣民數百詣開封府訴超升等第,不受,遂突入王安石私第,安石諭以相府不知;訴之御史臺,台不受訴,諭令散去。楊繪又言:「司農寺不用舊則,自據戶數創立助役錢等第,下縣令著之籍,如酸棗縣升戶等皆失實。」帝乃命提點司究所從升降,仍嚴升降之法,畿民不願輸錢免役,縣按所當供役歲月,如期役之,與免輸錢。先是,帝既知東明事,及聞繪言,兩降手敕問王安石曰:「酸棗既有自下戶升入上戶,則四等有免輸役錢之名,而無其實。」安石力言嘗取諸縣新舊籍對覆升降,聞外間扇搖役法者,謂輸多必有贏餘,若群訴必可免,彼既聚眾僥幸,苟受其訴,與免輸錢,當仍役之。帝乃盡用其言。

中書の孫迪・張景溫は、出銭を望まぬ民を体量し、重い役で困窮させようとし、楊繪がまたこれを論じた。監察御史の劉摯は言う、「先だって保甲を団結させた際、民はまさに驚擾していたところ、また法を作って人々に均しく緡銭を出させ、時期を選ばず戸等を升降し、期会が急迫して、人情は惶駭している」と。そこで新法の十害を陳べ、その要旨は、「上戸は常に少なく、中下戸は常に多い。故に旧法では上戸の役は概ね数多く重く、下戸の役は大抵簡略で軽かった。今は上下戸を問わず、一概に物力を見て差等に銭を出させるので、上戸は幸いとし、下戸はこれを苦しむ。歳には豊凶があるが、役人は定数があり、助銭は歳ごとに欠くことができない。すなわち賦税には時に減免・猶予があるが、助銭にはさらに蠲損がない。役人は必ず郷戸を用いるのは、その常産があれば自ら自重するからである。今は既に招雇するので、恐らく浮浪の奸偽の人を得るに止まり、そうなれば帑庾・場務・綱運は典幹できないばかりか、窃かにその盗用に耐えず法を冒す者が多いことを恐れる。弓手・耆長・壮丁・承符・散従・手力・胥史の類に至っては、寇に遇えば縦逸し、事に因って辄に搔擾を為すことを恐れる。司農寺の新法では、衙前は郷戸を差役せず、旧に長名として願った者は、そのまま旧に従うことを聴し、代わりに官自ら酒税坊場を召売し、併せて州県の坊郭人戸の助役銭数で、その重難を酬いる。ただこの一法のみ、あたかも行いうるが如し。然れども坊郭の十等戸は、緩急の科率に、郡県はこれに頼っており、更にこれに均しく助銭を出させることは難しい。乞う、有司に詔して、坊場銭をもって衙前の雇直を足しうるならば、条目を詳究し、徐行してこれを観察せしめよ」と。帝は安石が役銭の文字を進呈するに因り、これに謂いて曰く、「民は税斂を供する已に重し。坊郭及び官戸等は減ずるを須いず。税戸の升等の事は更に少しくこれを裁せよ」と。安石曰く、「朝廷が法を製するは、義を以て断ずべきであり、豈に規規として浅近の人の議論を恤れんや」と。

原文中書孫迪、張景溫體量不願出錢之民,欲困以重役,楊繪復論之。而監察御史劉摯謂:「昨者團結保甲,民方驚擾,又作法使人均出緡錢,非時升降戶等,期會急迫,人情惶駭。」因陳新法十害,其要曰:「上戶常少,中下戶常多,故舊法上戶之役類皆數而重,下戶之役率常簡而輕;今不問上下戶,概視物力以差出錢,故上戶以為幸,而下戶苦之。歲有豐凶,而役人有定數,助錢歲不可闕,則是賦稅有時減閣,而助錢更無蠲損也。役人必用鄉戶,為其有常產則自重,今既招雇,恐止得浮浪奸偽之人,則帑庾、場務、綱運不惟不能典幹,竊恐不勝其盜用而冒法者眾;至於弓手、耆、壯、承符、散從、手力、胥史之類,恐遇寇則有縱逸,因事輒為搔擾也。司農新法,衙前不差鄉戶,其舊嘗願為長名者,聽仍其舊,卻用官自召賣酒稅坊場并州縣坊郭人戶助役錢數,酬其重難,惟此一法,有若可行;然坊郭十等戶,緩急科率,郡縣賴之,難更使之均出助錢。乞詔有司,若坊場錢可足衙前雇直,則詳究條目,徐行而觀之。」帝因安石進呈役錢文字,謂之曰:「民供稅斂已重,坊郭及官戶等不須減,稅戶升等事更與少裁之。」安石曰:「朝廷製法,當斷以義,豈須規規恤淺近之人議論耶?」

ここにおいて提点の趙子幾は、東明県知事の賈蕃が県民の訴訟を禁遏できなかったことを怒り、雑多に他の事を摭って賈蕃を法に致した。また子幾をして自らこれを鞫かしめた。楊繪は、これが安石の意旨に希い、県令を罪に致したのだと謂う。即ち疏を上ってこれを弁じた曰く、「子幾がもし賈蕃の五月十日以前の事を劾するならば、臣は固より言うところなし。もし劾する所がこの日より後ならば、これは脅迫をもって令佐をして民を赴訴させず、これを便と為すを得んや」と。また言う、「助役の利は一つ、而して難行は五つあり。先ずその利を言わんことを請う。仮に民田に一家で百頃を持つ者もあり、また戸で僅か三頃の者もあり、その等は乃ち俱に第一に在り。百頃を以て三頃と較べれば、則ち已に三十倍なり。而して受役の月日は均斉にして異なること無し。況んや官戸の如きは、耆長を除く外皆応に役無きべきに、今例に均しく雇銭を出させしむれば、則ち百頃の輸ずる所は必ずや三頃の者の三十倍に当たり、而して又永に決射の訟無からん。これ其の利なり。然れども難行の説も亦五つあり。民は唯だ種田するのみにして、其の銭を輸するを責む。銭は田の出ずる所に非ず、一なり。近辺の州軍に就募する者は土着に非ず、奸細防ぎ難し、二なり。各処の田税、多少同じからず、三なり。耆長が人を雇えば、則ち盗賊止め難し、四なり。衙前が人を雇えば、則ち官物を失陥す、五なり。乞う、先ず此の五害を防ぐことを議し、然る後に定制として著わし、仍って先ず農寺に戒めて速やかに就きて恩賞を祈る無からしめ、提挙司に戒めて多く民より取って自ら功と為す無からしめよ。此くの如くすれば、則ち誰か復た妄りに議せん」と。

原文於是提點趙子幾怒知東明縣賈蕃不能禁遏縣民來訟,雜摭他事致蕃於理。又使子幾自鞫之。楊繪謂是希安石意指,而致縣令於罪也。即疏辨之曰:「子幾若劾蕃五月十日前事,臣固無言;若所劾後乎此日,是以威脅令佐使民不得赴訴,得為便乎?」又言:「助役之利一,而難行有五。請先言其利:假如民田有一家而百頃者,亦有戶才三頃者,其等乃俱在第一,以百頃而較三頃,則已三十倍矣,而受役月日,均齊無異;況如官戶,則除耆長外皆應無役,今例使均出雇錢,則百頃所輸必三十倍於三頃者,而又永無決射之訟,此其利也。然難行之說亦有五:民惟種田,而責其輸錢,錢非田之所出,一也。近邊州軍,就募者非土著,奸細難防,二也。逐處田稅,多少不同,三也。耆長雇人,則盜賊難止,四也。衙前雇人,則失陷官物,五也。乞先議防此五害,然後著為定制,仍先戒農寺無欲速就以祈恩賞,提舉司無得多取於民以自為功,如此則誰復妄議。」

劉摯も亦言う、「趙子幾が他事を以て賈蕃を捃摭するは過ちなり。且つ役法を変更するは、意は民を便ならしめんと欲するに在り。民苟も利害と為す有らば、安んぞ其の言わんと欲する所を禁ぜんや。今畿民の訴うる有るに因り、而して刻薄の人、反って県官の禁遏できざるを怒る。臣恐らくは四遠の人情、必ず朝廷の天下の口を鉗せんと欲するを疑い、而して職主民に在る者は、必ず皆賈蕃を戒めと為すを見ん。則ち天下の休戚、陛下何に由りて之を知らん。子幾の情を挟むの罪、伏して請う吏部に付して施行せしめん」と。

原文劉摯亦言:「趙子幾以他事捃摭賈蕃為過,且變更役法,意欲便民,民苟以為有利害也,安可禁其所欲言!今因畿民有訴,而刻薄之人,反怒縣官不能禁遏。臣恐四遠人情,必疑朝廷欲鉗天下之口,而職在主民者,必皆視蕃為戒,則天下休戚,陛下何由知之?子幾挾情之罪,伏請付吏部施行。」

ここにおいて同判司農寺の曾布は、楊繪・劉摯の言う所を摭い、条を分けて奏上しこれを弁詰した。その略は曰く、

原文於是同判司農寺曾布摭繪、摯所言而條奏辨詰之,其略曰:

畿内の上等戸は尽く昔日の衙前の役を罷め、故に今輸する所の銭は旧に役を受けた時に比べ、その費十に四五を減ず。中等の人戸は旧に弓手・手力・承符・戸長の類に充て、今は上等及び坊郭・寺観・単丁・官戸をして皆銭を出してこれを助けしむ。故にその費十に六七を減ず。下等の人戸は尽く前日の冗役を除き、而して専ら壮丁に充て、且つ一銭も輸せず。故にその費十に八九を減ず。大抵上戸の減ずる所の費は少なく、下戸の減ずる所の費は多し。言者は上戸を優にして下戸を虐にし、聚斂の謗を得たりと謂う。臣の未だ諭せざる所なり。

原文畿內上等戶盡罷昔日衙前之役,故今所輸錢比舊受役時,其費十減四五;中等人戶舊充弓手、手力、承符、戶長之類,今使上等及坊郭、寺觀、單丁、官戶皆出錢以助之,故其費十減六七;下等人戶盡除前日冗役,而專充壯丁,且不輸一錢,故其費十減八九。大抵上戶所減之費少,下戶所減之費多。言者謂優上戶而虐下戶,得聚斂之謗,臣所未諭也。

提挙司は諸県の等第実ならざるを以て、故に首に品量升降の法を立てた。開封府・司農寺が方に奏議する時、蓋し已に旧数を増減したことを知らざりしなり。然れども旧勅は毎三年に一たび簿書を造り、等第は嘗て升降有り。則ち今品量して増減するも亦未だ非と為さず。又況んや方に民戸に曉諭し、苟も未便あれば、皆と共に厘正する。則ち凡そ増減する所は、実に未だ嘗て行わざるなり。言者は則ち謂う、品量して等を立つるは、蓋し多く雇銭を斂め、上等に升補して配銭の数を足さんと欲するなりと。祥符等県に至っては、上等の人戸数多くして下等に減充するを、乃ち独り掩いて言わず。此れ臣の未だ諭せざる所なり。

原文提舉司以諸縣等第不實,故首立品量升降之法,開封府、司農寺方奏議時,蓋不知已嘗增減舊數。然舊敕每三年一造簿書,等第嘗有升降,則今品量增減亦未為非;又況方曉諭民戶,苟有未便,皆與厘正,則凡所增減,實未嘗行。言者則以謂品量立等者,蓋欲多斂雇錢,升補上等以足配錢之數。至於祥符等縣,以上等人戶數多減充下等,乃獨掩而不言,此臣所未諭也。

凡そ州県の役は、募人すべからざる理無し。今投名の衙前は半天下に在り、未だ嘗て倉庫・場務・綱運を典主せざること無し。而して承符・手力の類は、旧法皆雇人を許し、行わるること久し。惟だ耆長・壮丁は、今の措置する所最も軽役なるを以て、故に但だ郷戸を輪差し、復た人を募らず。言者は則ち謂う、衙前が人を雇えば則ち官物を失陥す。耆長が人を雇えば則ち盗賊止め難し。又謂う、近辺の奸細の人応募すれば、則ち倉庫を焚焼し、或いは城門を守把すれば、則ち恐らくは外境に潜通せんと。此れ臣の未だ諭せざる所なり。

原文凡州縣之役,無不可募人之理。今投名衙前半天下,未嘗不典主倉庫、場務、綱運;而承符、手力之類,舊法皆許雇人,行之久矣;惟耆長、壯丁,以今所措置最為輕役,故但輪差鄉戶,不復募人。言者則以謂衙前雇人,則失陷官物;耆長雇人,則盜賊難止;又以謂近邊奸細之人應募,則焚燒倉庫,或守把城門,則恐潛通外境,此臣所未諭也。

免役は或いは見銭を輸し、或いは斛斗を納む。皆民の便に従う。法の此に至るも、亦已に周し。言者は則ち謂う、直に銭を輸せしむれば、則ち絲帛粟麥必ず賤し。若し他物を以て直を銭に準ずれば、則ち又退揀乞索し、且つ民害と為さんと。此くの如くすれば則ち当に如何にして可ならん。此れ臣の未だ諭せざる所なり。

原文免役或輸見錢,或納斛斗,皆從民便,為法至此,亦已周矣。言者則謂直使輸錢,則絲帛粟麥必賤;若用他物準直為錢,則又退揀乞索,且為民害。如此則當如何而可?此臣所未諭也。

昔の徭役は皆百姓の為す所なり。凶荒饑饉と雖も、未だ嘗て役を罷めず。今役銭は必ず稍々余羨有らんことを欲するは、乃ち凶年に蠲減の備とする所以なり。其の余は又専ら田利を興し、吏祿を増すに以てす。言者は則ち謂う、助銭は税賦の如く倚閣減放の期有るに非ずと。臣は知らず、昔の衙前・弓手・承符・手力の類も、嘗て倚閣減放したるや否やを。此れ臣の未だ諭せざる所なり。

原文昔之徭役皆百姓所為,雖凶荒饑饉,未嘗罷役;今役錢必欲稍有餘羨,乃所以為凶年蠲減之備,其餘又專以興田利、增吏祿。言者則以謂助錢非如稅賦有倚閣減放之期,臣不知昔之衙前、弓手、承符、手力之類,亦嘗倚閣減放否?此臣所未諭也。

両浙一路、戸一百四十余万、輸する所の緡銭七十万のみ。而して畿内戸十六万、率いて緡銭も亦十六万。是れ両浙の輸する所、才に畿内の半ばなり。然れども畿内は以て役を募るに用い、余る所も亦自ら幾ばくも無し。言者は則ち謂う、吏法意に縁り、広く大計を収め、両浙の如きは羨銭を以て徼幸せんと欲し、司農は出剩を以て功と為さんと欲すと。此れ臣の未だ諭せざる所なり。

原文兩浙一路,戶一百四十餘萬,所輸緡錢七十萬爾;而畿內戶十六萬,率緡錢亦十六萬。是兩浙所輸才半畿內,然畿內用以募役,所餘亦自無幾。言者則以謂吏緣法意,廣收大計,如兩浙欲以羨錢徼幸,司農欲以出剩為功,此臣所未諭也。

賈蕃は令たりて、民訴を受けず、京師に趨りて喧嘩せしむ。其の意必ず謂う所有らん。誠に其の用心他無きと令すとも、亦謂うべし職に不たると。賈蕃の不職不法、其の状甚だ衆し。皆趙子幾の問わざるを得ざる所なり。御史の言は、賈蕃を捨てて子幾を治めんと欲す。是れ陛下の法・陛下の民を顧みず。宜しく賈蕃と御史の如きは莫かるべし。

原文賈蕃為令,不受民訴,使趨京師喧嘩,其意必有謂也。誠令用心無他,亦可謂不職矣。蕃之不職不法,其狀甚眾,皆趙子幾所不得不問;御史之言,欲舍蕃而治子幾,是不顧陛下之法、陛下之民,宜莫如蕃與御史也。

ここにおいてその上疏を劉繪、劉摯に下し、各々に状況を言わせた。

原文於是下其疏於繪、摯,使各言狀。

劉繪は前後四度の上奏を記録して自らを弁明した。劉摯は言う、「助役の銭を徴収する法は、大臣及び御史が内でこれを主とし、大臣の親族や与党が監司・提挙官となって諸路でこれを実行するので、その勢いは順調で容易である。しかしながら長い年月を費やしても、終に定論がなく、民心に順わないからに過ぎない。陛下が司農寺を正しいとされるならば、事柄は前の上奏に尽きており、覆って見ることができる。臣の言を誤りとされるならば、貶黜するのみである。たとえ再び臣に言わせたとしても、いわゆる十害を超えるものではなく、風憲の官がどうして有司と是非勝負を較べるべきであろうか」と。詔して劉繪を鄭州知州とし、劉摯は館閣校勘・監察御史裏行を落とされ、衡州塩倉を監とした。

原文繪錄前後四奏以自辨。摯言:「助役斂錢之法,有大臣及御史主之於內,有大臣親黨為監司、提舉官而行之於諸路,其勢順易矣;然曠日彌年,終未有定論,為不順乎民心而已。陛下以司農為是耶,則事盡前奏,可以覆視;以臣言為非耶,則貶黜而已。雖復使臣言之,亦不過所謂十害者,而風憲之官,豈當與有司較是非勝負耶?」詔繪知鄭州;摯落館閣校勘、監察御史裏行,監衡州鹽倉。

察訪使を遣わして諸路を遍く行き巡らせ、役法の書類の完成を促し、助役を免役と改め、募りに応じることを望まない者を強制した者は律に照らして論じた。初め、詔して監司に各々その管轄する助役銭の額を定めさせたが、利州路転運使李瑜は四十万と定めようとし、判官鮮于侁は言った、「利州路の民は貧しく、二十万で足りる」と。議論が合わず、遂に各々別個に上奏した。帝は鮮于侁の議論を是とした。侍御史鄧綰は、利州路の役は毎年緡銭九万余を要するのに、李瑜は率いて三十三万有余を徴取し、提点刑獄周約もまた名を連ねて異議を唱えなかったと上言した。詔して李瑜と周約を責め、鮮于侁を副使に抜擢した。

原文遣察訪使遍行諸路,促成役書,改助役為免役,不願就募而強之者論如律。初,詔監司各定所部助役錢數,利路轉運使李瑜欲定四十萬,判官鮮于侁曰:「利路民貧,二十萬足矣。」議不合,遂各為奏。帝是侁議。侍御史鄧綰言利路役歲須緡錢九萬餘,而李瑜率取至三十三萬有奇,提點刑獄周約亦占名無異辭。詔責瑜、約,而擢侁為副使。

諸路の役法書類が司農寺に上られた後、天下に募役法を頒布し、免役銭を用いて内外の胥吏に禄を支給し、禄を受けながら贓罪を犯した者には倉法を用いてその罪を重くした。初め、京師で吏に禄を賦与したのは、年間わずか四千緡であった。八年に至って、緡銭三十八万有余を計上し、京師の吏の旧来の禄及び外路の吏禄はまたこれに含まれていなかった。時に長葛県知県楽京は助役の法は長く行うことができないと称し、常平司がその理由を尋ねても答えず、遂に罷免された。京西使者が湖陽県知県劉蒙を召して会議したが、劉蒙は議することを肯まず、退いて利害を条上し、即ち弾劾の文を投じて去った。一方、権江西提刑提挙金君卿は先ず交代する官に銭帛の綱運を京へ送ることを募り、郷戸衙前を差発せず、費用は十五六分減じた。詔を賜って褒め諭し、仍って権の字を落として正官とした。

原文諸路役書既上之司農,乃頒募役法於天下,用免役錢祿內外胥吏,有祿而贓者,用倉法重其坐。初,京師賦吏祿,歲僅四千緡。至八年,計緡錢三十八萬有奇,京師吏舊有祿及外路吏祿又不在是焉。時知長葛縣樂京稱助役之法不可久行,常平司詢其故,不答,遂罷。京西使者召知湖陽縣劉蒙會議,蒙不肯議,退而條上利害,即投劾去。而權江西提刑提舉金君卿首募受代官部錢帛綱趨京,不差鄉戶衙前,而費減十五六。賜詔獎諭,仍落權為真。

免役の剰余銭について、詔して州県に常平法を用いて給散し民を休ませ、吏人の餐銭を添給することを命じ、仍って法として立てた。京東路の免役銭は秋の税徴収期に起催することとし、雇直の多少や役使の軽重に未だ究められていないものがあれば、監司に詳しく具して上奏することを命じ、仍って熙寧七年から施行することとした。永興軍路・秦鳳路は他の路に比べて民が貧しく役が重いので、詔して提挙司に冗役を併省し、順次に蠲減させ、二分の寛剩を留保して水旱の際の閣放の備えとすべきことを命じた。

原文免役剩錢,詔州縣用常平法給散休息,添給吏人餐錢,仍立為法。京東免役錢以秋料起催,若雇直多少、役使重輕有未究者,命監司詳具來上,仍須熙寧七年乃行。永興、秦鳳比之他路,民貧役重,詔提舉司並省冗役,次第蠲減,當留二分寬剩,以為水旱閣放之備。

七年、詔した、「役銭一千ごとに別に頭子銭五銭を納め、官舎を修繕し、什器を作り、人夫や運搬などの費用は、皆これを取って供給することを許す。不足する場合は、情状の軽い贖銅銭でこれを補う。諸路の公人は弓箭手の法の如く、田を与えて人を募ってこれに当たらせる。凡そ逃田・絶戸田・監牧の田で転運司に籍があるものは、射買や請佃を許さない。提刑司はその田を応募者に給し、その価値を査定し、一年分の雇役の費用がいくらに相当するかを基準として、その価値を転運司に帰属させる」と。衢州西安県は緡銭十二万を用いて田を買い、始めて一県の役を募るのに足りた。司農寺が言うには、両浙路のみならず、他の路もまた同様であると。費用が多く賄い難いので、法を改めようとした。遂に詔して、今後は寛剩銭を用いて募役田を買うに当たり、必ず先ず余剰銭を勘案して災害に支えることができることを確認してから、初めて給買を許すこととした。もし田価が高騰している地であれば、これを止めることとした。

原文七年,詔:「役錢千別納頭子五錢,凡修官舍,作什器,夫力輦運之類,皆許取以供費;不給,以情輕贖銅錢足之。諸路公人如弓箭手法,給田募人為之。凡逃、絕、監牧之田籍於轉運司者,不許射買請佃。提刑司以其田給應募者,而核其所直,準一年雇役為錢幾何,而歸其直於轉運司。」衢州西安縣用緡錢十二萬買田,始足募一縣之役。司農寺言,不獨兩浙如此,他路宜亦如之。費多難贍,乃欲改法。遂詔自今用寬剩錢買募役田,須先參會餘錢可以枝梧災傷,方許給買。若田價翔貴之地,則已之。

時に免役の出銭が均しくなかったため、参知政事呂惠卿とその弟の曲陽県尉呂和卿が共に手実法の施行を請うた。その法は、官が田産の中価を定め、民に各々田畝の多少高下に従い、価格に応じて自ら申告させる。併せて屋宅について蕃息の有無で等級を立て、居住用の銭五に対して蕃息の銭一とする。用器や田穀でないものを隠し落とした者は告発を許し、事実があればその三分の一を賞に充てる。帳簿を作成するに当たり、予め様式を示して民に与え、様式に従って申告書を作成させ、県はこれを受け取って籍に記す。その価格を並べて高下を定め、五等に分ける。一県の民の物産銭数を見渡した後、通県の役銭の本来の額と合わせて当該納付額を定め、その数を明記し、二ヶ月間公示して民に悉く知らしめる。詔してその請いを従えた。

原文時免役出錢或未均,參知政事呂惠卿及其弟曲陽縣尉和卿皆請行手實法。其法:官為定立田產中價,使民各以田畝多少高下,隨價自占;仍並屋宅分有無蕃息立等,凡居錢五當蕃息之錢一。非用器田穀而輒隱落者許告,有實,以三分之一充賞。將造簿,預具式示民,令依式為狀,縣受而籍之。以其價列定高下,分為五等。既該見一縣之民物產錢數,乃參會通縣役錢本額而定所當輸,明書其數,示眾兩月,使悉知之。詔從其請。

司農寺が戸長・坊正を廃止し、州県の坊郭において隣接する戸三二十家を選び、順番に並べて甲とし、交替で甲頭とし、税賦や苗役の徴収を監督させ、一税ごとに交替することを請うた。その後、諸路が皆甲頭による税の催促は不便であると上言したため、詔して耆長・戸長・壮丁は旧来通り募って充てることとし、保正・甲頭・承帖の法は併せて廃止した。

原文司農寺乞廢戶長、坊正,令州縣坊郭擇相鄰戶三二十家,排比成甲,迭為甲頭,督輸稅賦苗役,一稅一替。其後,諸路皆言甲頭催稅未便,遂詔耆戶長、壯丁仍舊募充,其保正、甲頭、承帖法並罷。

王安石は田を与えて役を募ることは、害が十余りあると上言した。八年、田を与えて役を募る法を廃止し、既に募りに応じた者は旧来通りとし、欠員は補充しないこととした。官戸が役銭を納める場合はその半額を免じ、免じる額が多い場合でも、各々二十千を超えないこととした。二県以上に物産がある者は通計し、二州二県以上に物産がある者は所在に随って銭を納め、等級に及ばない者は一つの多い所に併せて納めることとした。

原文王安石言給田募役,有害十餘。八年,罷給田募役法,已就募人如舊,闕者弗補。官戶輸役錢免其半,所免雖多,各無過二十千。兩縣以上有物產者通計之,兩州兩縣以上有物產者隨所在輸錢,等第不及者從一多處並之。

初め、手実法が施行されると、上言者の多くがその長所は告発を助長し、煩擾を増すと論じた。この時、呂惠卿が政務を罷めると、御史中丞鄧綰がその法は不便であると上言し、これを廃止し、司農寺に委ねて再び詳定して上奏させた。

原文初,手實法行,言者多論其長告訐,增煩擾。至是,惠卿罷政,御史中丞鄧綰言其法不便,罷之,委司農寺再詳定以聞。

九年、荊湖南北路の敷いた役銭が重すぎ、一年の収支を較べると寛剩銭の数が多いため、詔して権宜的に二年間減額することとした。間もなく詔して、今後は寛剩役銭及び買撲坊場銭を、再び役人に給与せず、毎年余剰数を司農寺に上申し、その他の物で常平司に籍があるものは、常に半分を留保することとした。侍御史周尹が上言した、「募役銭の数外に寛剩一分を留保しているが、州県が提挙司の意向を窺って、広く民銭を敷き、役の定員を減らし、雇直を削減し、民間の納付額は一切旧来通りであるため、寛剩の数が多い。募直は軽いが倉法は重く、役人は多くが募りに応じようとしない。天下皆、朝廷が法を設けて聚斂していると言い、疑怨がないわけではない。耆長・戸長及び役人で過度に減らすことができない者は悉く旧額に復し、募銭が足りるように約し、その寛剩は二分のみ留保することを乞う」と。

原文九年,以荊湖兩路敷役錢太重,較一歲入出,寬剩錢數多,詔權減二年。尋詔自今寬剩役錢及買撲坊場錢,更不以給役人,歲具羨數上之司農,餘物凡籍之常平司者,常留一半。侍御史周尹言:「募役錢數外留寬剩一分,聞州縣希提舉司風旨,廣敷民錢,省役額,損雇直,而民間輸數一切如舊,寬剩數多。募直輕而倉法重,役人多不願就募。天下皆謂朝廷設法聚斂,不無疑怨。乞募耆長、戶長及役人不可過減者悉復舊額,約募錢足用,其寬剩止留二分。」

この年、諸路から司農寺に上った歳収の免役銭は一千四十一万四千五百五十三貫・石・匹・両であった。内訳は、金銀銭斛匹帛が一千四十一万四千三百五十二貫・石・匹・両、絲綿が二百一両。支出は金銀銭斛六百四十八万七千六百八十八両・貫・石・匹。応在(簿記上の残高)は銀銭斛匹帛二百六十九万三千二十貫・匹・石・両、現存は八十七万九千二百六十七貫・石・匹・両。

原文是歲,諸路上司農寺歲收免役錢一千四十一萬四千五百五十三貫、石、匹、兩:金銀錢斛匹帛一千四十一萬四千三百五十二貫、石、匹、兩,絲綿二百一兩;支金銀錢斛六百四十八萬七千六百八十八兩、貫、石、匹;應在銀錢斛匹帛二百六十九萬三千二十貫、匹、石、兩,見在八十七萬九千二百六十七貫、石、匹、兩。

十年、彭州知州呂陶が上奏した、「朝廷は力役を緩和しようとし、法を立てて召募したのであり、初めから民財を過度に徴収する意図はなかった。しかし有司が奉行するに当たり過当であり、科出を增添し、これを寛剩と称している。熙寧六年に役法を施行して以来、今に至るまで四年、臣の管轄する州の四県において、既に寛剩銭四万八千七百余貫があり、今年また一万余貫を科納しなければならない。成都府路一路で計算すれば、おおよそ五六十万、天下に推し量れば、現在約六七百萬貫の寛剩が官にある。歳歳このようであれば、泉幣は絶えて乏しく、貨法は通じず、商旅や農夫が最もその弊害を受ける。臣は朝廷が免役銭の外にこのような寛剩の数目があることを知らないのではないかと恐れる。乞う、現在の支出を勘案して何年か不足しないかを検討し、広大なる徳音を発し、特にもう数年これを免じられたい。あるいは毎年限定して、十分の一を超えないようにされたい。これによって民が重ねて困窮しないことが貴ばれる」と。返答はなかった。

原文十年,知彭州呂陶奏:「朝廷欲寬力役,立法召募,初無過斂民財之意,有司奉行過當,增添科出,謂之寬剩。自熙寧六年施行役法,至今四年,臣本州四縣,已有寬剩錢四萬八千七百餘貫,今歲又須科納一萬餘貫。以成都一路計之,無慮五六十萬,推之天下,見今約有六七百萬貫寬剩在官。歲歲如此,泉幣絕乏,貨法不通,商旅農夫,最受其弊。臣恐朝廷不知免役錢外有此寬剩數目,乞契勘見今約支幾歲不至闕乏,霈發德音,特免數年;或逐年限定,不得過十分之一。所貴民不重困。」不報。

王安石が去位し、呉充が相となると、沈括は建議して、役法を少し変え、差役と徭役を交えて用いるのが便利であるとした。御史知雑事の蔡確が沈括が反覆であると上言し、沈括を宣州知州に貶した。

原文王安石去位,吳充為相,沈括獻議莫若稍變役法,雜以差徭為便。御史知雜蔡確言括反覆,貶括知宣州。

役銭の定額は、浙東では多くは田税銭の数を基準とし、浙西では多くは物力を用いた。この時、詔して物力と税銭を通算して互いに組み合わせて数を定め、便宜に従って納入させることを命じた。淮東路では物産を評価して定め、その実際の価値の通りに、均等に賦課して取り立てた。初め、両浙の坊郭戸で家産が二百千に満たない者、郷村戸で五十千に満たない者は、役銭を納めなくてもよいとしていたが、後に郷戸で五十千に満たない者も免れず納めることとなった。元豊二年、提挙司が坊郭戸の免納法が過分に優遇されていると上言したため、詔して郷戸の法の通りに裁定して賦課する銭数を定めた。提挙広西常平の劉誼が上言した、「広西一路の戸口は二十万であるが、民が納める役銭は十九万緡に至り、まず税銭から賦課して出し、税数が不足すれば、また田米から賦課し、田米が不足すれば、さらに身丁に算定する。広西の民は、身に丁があれば、既に銭で税を納め、また米で算定されるので、これは一身で二税を納めることになり、前代の弊法に近い。今既にこれを免除することはできないが、さらに役銭を加えるのは、甚だ憐れむべきである。広東西の監司・提挙司の吏の一月の給与は、上は令録と同じで、下は摂官の倍であり、その数を削減するよう乞う。そうすれば両路の身丁田米も少し緩和されよう。」そこで詔して吏輩の月給銭を二千ずつ逓減させ、年間で役銭一千二百余緡を減ずることとなった。三年、司農寺丞の呉雍が上言した、「淮・浙の役書を議定し、冗占一千三百余人を減じ、緡銭二十九万近くを削減し、歳用を合わせて定めると、寛剩銭一百四万余緡となり、諸路の役書も多くはこの類である。まず近京の三両路から修定し、諸路に下すことを乞う。」従った。

原文役錢立額,浙東多以田稅錢數為則,浙西多用物力。至是,詔令通物力、稅錢互紐為數,從便輸納。淮東路估定物產,如其實直,以均敷取。初,許兩浙坊郭戶家產不及二百千,鄉村戶不及五十千,毋輸役錢,已而鄉戶不及五十千亦不免輸。元豐二年,提舉司言坊郭戶免輸法太優,乃詔如鄉戶法裁定所敷錢數。提舉廣西常平劉誼言:「廣西一路戶口二十萬,而民出役錢至十九萬緡,先用稅錢敷出;稅數不足,又敷之田米;田米不足,復算於身丁。夫廣西之民,身之有丁,既稅以錢,又算以米,是一身而輸二稅,殆前世弊法。今既未能蠲除,而又益以役錢,甚可憫也。至於廣東西監司、提舉司吏一月之給,上同令錄,下倍攝官,乞裁損其數,則兩路身丁田米亦可少寬。」遂詔吏輩月給錢遞減二千,歲遂減役錢一千二百餘緡。三年,司農寺丞吳雍言:「議定淮、浙役書,減冗占千三百餘人,裁省緡錢近二十九萬,會定歲用,寬剩錢一百四萬餘緡,諸路役書多若此類。乞先自近京三兩路修定,下之諸路。」從之。

七年、天下の免役緡銭の歳計は一千八百七十二万九千三百、場務銭は五百五万九千、穀帛石匹は九十七万六千六百五十七であり、役銭は熙寧年間の収入より三分の一多かった。

原文七年,天下免役緡錢歲計一千八百七十二萬九千三百,場務錢五百五萬九千,穀帛石匹九十七萬六千六百五十七,役錢較熙寧所入多三之一。

帝が免役を力主したのは、民間が差役に苦しみ、特に衙前の役で任務が重く遠方に行く者が甚だしいことを知り、特に免役を創設したのである。均等に雇直を賦課するとはいえ、民から取らないわけにはいかない。しかし民が一意に田畑に専念できるようになり、実際に以前の困弊を解消した。故に群議が雑然と起こったが、帝はその意志を変えようとしなかった。ただその間、王安石の策を採用し、雇直を正額として用いず、二分を加算して賦課して吏禄や水旱の用に備えた。群臣はしばしばこれを言上し、たびたび疑い詰問したが、王安石はますます固執した。この法は終始弊害を防ぐことを究めず、聚斂の小人がまたこれに乗じて増取したので、帝はたびたび詔して禁戒したが、完全には止められなかった。この時、雇役はそれほど増えていないのに、歳入が以前より増加したのは、王安石が帝の徳意に順応できず、その流弊が既に現れたのである。

原文帝之力主免役也,知民間通苦差役,而衙役之任重行遠者尤甚,特創免役。雖均敷雇直,不能不取之民;然民得一意田畝,實解前日困弊。故群議雜起,意不為變。顧其間采王安石策,不正用雇直為額,而展敷二分以備吏祿、水旱之用。群臣每以為言,屢疑屢詰,而安石持之益堅。此其為法既不究終防弊,而聚斂小人又乘此增取,帝雖數詔禁戒,而不能盡止。至是,雇役不加多,而歲入比前增廣,則安石不能將順德意,其流弊已見矣。

哲宗が即位し、宣仁太后が垂簾してともに政務を聴くと、門下侍郎の司馬光が言上した。

原文哲宗立,宣仁後垂簾同聽政,門下侍郎司馬光言:

「調べると、差役のために破産する者は、郷戸衙前だけである。山野の愚かで頑なな者は、事を処理できず、あるいは水火のために官物を損傷・破損させ、あるいは上下から侵欺・乞取され、それによって欠損が生じ、償いが足りず、破産する者がいるのである。長名衙前に至っては、公務に精通しており、重難な任務を経るごとに、別に優軽な場務を酬奨として得て、しばしば富を成すので、どうして破産することがあろうか。また以前は役人は皆上等戸が担当し、その下等戸・単丁・女戸及び品官・僧道は本来役がなかった。今これらを一律に銭を納めさせれば、賦斂がますます重くなる。免役法を行って以来、富室はかろうじて自ら寛かになり、貧者は困窮が日増しに甚だしくなった。監司・守令の不仁な者は、雇役人以外に多く羨余を取り、ある県では数万貫に至り、恩賞を期待している。また青苗法・免役法では、賦斂を多く現銭で納めさせる。銭は私家で鋳造するものではなく、必ず貿易しなければならない。豊作の年でも期限を迫られれば、なお半価を失い、凶年に当たれば、穀物を売るものがなく、田を売っても買い手がつかず、遂に牛を殺して肉を売り、桑を伐って薪を売り、来年の生計を顧みる暇もなく、これが農民が重く困窮する所以である。

原文「按因差役破產者,惟鄉戶衙前。蓋山野愚戇之人,不能幹事,或因水火損敗官物,或為上下侵欺乞取,是致欠折,備償不足,有破產者。至於長名衙前,在公精熟,每經重難,別得優輕場務酬獎,往往致富,何破產之有?又向者役人皆上等戶為之,其下等、單丁、女戶及品官、僧道,本來無役,今使之一概輸錢,則是賦斂愈重。自行免役法以來,富室差得自寬,貧者困窮日甚,監司、守令之不仁者,於雇役人之外多取羨餘,或一縣至數萬貫,以冀恩賞。又青苗、免役,賦斂多責見錢。錢非私家所鑄,要須貿易,豐歲追限,尚失半價,若值凶年,無穀可糶,賣田不售,遂致殺牛賣肉,伐桑鬻薪,來年生計,不暇復顧,此農民所以重困也。

臣の愚見では、宜しく免役銭を悉く廃止し、諸色の役人は、並びに旧制の通りに差定し、現在雇われている役人は皆罷免して帰らせるべきである。衙前はまず人を募って長名に投充させ、募りが足りなければ、その後で郷村の人戸を差し、重難な差遣を経るごとに、旧来の通り優軽な場務をもって酬奨とする。所有する現在の役銭は、州県の常平本銭に充当し、戸口を率として、三年分の蓄えを置き、余りは転運司に帰属させる。凡そ免役の法は、富強で役に応ずべき人を免れさせ、貧弱で役のない戸から徴収し、富者に利あり貧者に利なしである。今耳目が接しているうちに、なお旧名に復することができるが、もしさらに年月が深まれば、富者はこれに安んじ、民を再び差役にすることはできなくなるであろう。」

原文臣愚以為宜悉罷免役錢,諸色役人,並如舊制定差,見雇役人皆罷遣之。衙前先募人投充長名,召募不足,然後差鄉村人戶,每經歷重難差遣,依舊以優輕場務充酬獎。所有見在役錢,撥充州縣常平本錢,以戶口為率,存三年之蓄,有餘則歸轉運司。凡免役之法,縱富強應役之人,征貧弱不役之戶,利於富不利於貧。及今耳目相接,猶可復舊名,若更年深,富者安之,民不可復差役矣。」

そこで初めて詔して役書を修定させ、凡そ役銭は、元の定額及び額外の寛剩二分以下のもののみを準拠として定めることを許し、その他は全て除いた。もし寛剩が元々二分に及ばない者は、旧則の通りとする。まもなく詔して耆戸長・壮丁は皆旧来の通り人を募って役に供させ、保正・甲頭・承帖人は並びに罷めた。

原文於是始詔修定役書,凡役錢,惟元定額及額外寬剩二分已下許著為準,餘並除之。若寬剩元不及二分者,自如舊則。尋詔耆戶長、壯丁皆仍舊募人供役,保正、甲頭、承帖人並罷。

元祐元年、侍御史の劉摯が言上した、「戸を率いて銭を賦課することには、従来差役に関わらずに一律に徴収される者があり、一戸で数百から千緡を納める者がある。昔は衙前一役だけに、破産に至る者がいたのみである。今天下の坊場は、官が収めて官が売り、歳計の緡銭は数百万に及ぶから、自ら衙前の雇募支酬の代価を足すことができ、役の重いものは既に農民に関わる必要がなくなる。外には散従・承符・弓手・手力・耆戸長・壮丁の類は、大した労費がなく、宜しく並びに祖宗の差法を用い、第一等以下から通じて担当させるべきである。」監察御史の王岩叟は衙前の大役について本等相助の法を立て、変通の利を尽くすよう請うた。仮に一邑の中で大役に応ずべき者が百家いて、年に十人を取るならば、九十家が力を出して助け、明年十戸を替え、また同様にすれば、大役に偏重の弊がなくなる。その他百色の無名の差占、一切の理に合わない資陪は、悉く熙寧の新法で禁じ、相助しなくてもなお可能であるとした。

原文元祐元年,侍御史劉摯言:「率戶賦錢,有從來不預差役而概被斂取者,有一戶而輸數百以至千緡者。昔惟衙前一役,有至破產者爾。今天下坊場,官收而官賣之,歲計緡錢無慮數百萬,自可足衙前雇募支酬之直,則役之重者已無所事於農民矣。外惟散從、承符、弓手、手力、耆戶長、壯丁之類,無大勞費,宜並用祖宗差法,自第一等而下通任之。」監察御史王岩叟請於衙前大役立本等相助法,以盡變通之利。借如一邑之中當應大役者百家,而歲取十人,則九十家出力為助,明年易十戶,復如之,則大役無偏重之弊;其於百色無名之差占,一切非理之資陪,悉用熙寧新法禁之,雖不助猶可為也。

殿中侍御史の劉次莊が言上した、「近時の制で耆戸長を雇うには三等以上の戸でなければならないと許しているが、三等以上の戸が雇われることを望まないと知らない。既に志願者がいなければ、郡県は必ず表面上は雇の名を循り、陰では差法を用いるであろう。法を立てて明らかに差役とする方が便利である。」戸部が言上した、「詔で凡そ耆戸長・壮丁は並びに人を募って役に供させるとあるが、窃かに耆戸長の雇銭の数が少なく、応募する者がいないことを憂慮する。兼ねて四等以下の戸は旧来役銭を賦課されず、ただ壮丁を輪差していたが、今悉く雇募すれば、用いる銭額が広がり、提挙司は必ず人戸から増賦するであろう。旧法では役を全て雇わず、また輪差・輪募の処もあったので、欲するに且つ本法の通りにしたい。」

原文殿中侍御史劉次莊言:「近製許雇耆戶長須三等已上戶。不知三等已上戶不願受雇,既無願者,則郡縣必陽循雇名,陰用差法,不若立法明差之為便。」戶部言:「詔凡耆戶長、壯丁並募人供役,竊慮耆戶長雇錢數少,無應募者。兼四等以下戶舊不敷役錢,惟輪差壯丁,今悉雇募,用錢額廣,提舉司必從人戶增敷。蓋舊法役不盡雇,亦有輪差輪募之處,欲且如本法。」

中書舍人蘇軾が言うには、「先帝が初めて免役法を行ったとき、寛剩銭の徴収は二分を超えてはならず、災害に備えるものとした。役所が行き過ぎて奉行し、施行すること十六、七年、蓄積して用いず、三千余万貫石に至った。熙寧年間、給田募役法を行い、大略は辺境の郡の弓箭手のようであった。臣が密州を知ったとき、先に弓手を募ったが、民は甚だ便利とし、まだ半年にもならず、この法はまた罷められた」と。そこでその五利を列挙した。王岩叟が言うには、「蘇軾が田を買って役を募ることを乞うのは、その五利は信じ難く、十の弊害がある」と。大意は、「官が民田を買うのは、価格が適当でないことを慮る;民が田を受けて募に就くのは、永業でないから、耕作を粗略にし、また他に転じようとする」というものであった。そしてその六弊は特に詳しく、「弓箭手は名目上は応募とはいえ、実は家に居る農民と異ならず、たとえ番上や緊急時に点集を免れぬことがあっても、実際には田業を廃さず、州県の色役が長く官寺に在るのとは同じでないから、弓箭手の煩擾は推して知ることができる。しかしなお欠員が常に補招し難く、既に招かれた者も時々逃げ去ると聞く。これを引き合いに出して比べるのは、事情に切実でない」と言う。その七弊は、「戸が三等以上に及ぶ者は、皆自ら足り、必ずや田を佃って役に供することを肯んじない。今、法を立てて二等以上の戸でなければ弓手に充てず、三等以上で初めて散従官以下の色役に供することができるとすれば、これは給田募役の名を用いて、掲簿定差の実を行おうとするものである。既に百姓が応募を喜ぶと言うなら、なぜ戸が四等に降るには必ず上二等の戸が保任しなければならないのか?任じて逃げれば、任じた者を勒して田役に就かせる、これどうして喜んで応じるなどと言えようか?」上官均もまた五つの不可行を陳べ、蘇軾の議は遂に止められた。

原文中書舍人蘇軾言:「先帝初行役法,取寬剩錢不得過二分,以備災傷。有司奉行過當,行之幾十六七年,積而不用,至三千餘萬貫石。熙寧中,行給田募役法,大略如邊郡弓箭手。臣知密州,先募弓手,民甚便之,曾未半年,此法復罷。」因列其五利。王岩叟言:「蘇軾乞買田募役,其五利難信,而有十弊。」大指謂:「官市民田,慮不當價;民受田就募,既非永業,則鹵莽其耕,又將轉而他之。」而其六弊特詳,曰:「弓箭手雖名應募,實與家居農民無異,雖或番上及緩急不免點集,實不廢田業,非如州縣色役長在官寺,則弓箭手之擾可知矣。然猶聞闕額常難補招,已就招者又時時竄去,引以為比,不切事情。」其七弊曰:「戶及三等以上,皆能自足,必不肯佃田供役。今立法須二等以上戶方充弓手,三等以上方得供散從官以下色役,乃是用給田募役之名,行揭簿定差之實。既雲百姓樂於應募,何以戶降四等必須上二等戶保任?任之而逃,則勒任者就供田役,此豈得雲樂應也耶?」上官均亦陳五不可行,軾議遂格。

司馬光がまた上奏して言う。

原文司馬光復奏:

「今の免役法には、害が五つある。上戸は旧来役に充てられ、もとより陪備があったが、番休を得た。今は銭を出して旧費より特に多く、年年休息がない。下戸は元来役に充てられず、今は例として銭を出させる。旧日差された者は皆土着の良民であったが、今は皆浮浪の人が応募し、顧藉がなく、賄賂を受け、官物を侵し陥れる。また農民は力を出すより銭を出す方が難しく、もし凶年に遇えば、荘田・牛具・桑柘を売って、銭を官に納める。提挙常平倉司はただ役銭を多く斂め、寛剩を広く積むことに務める。これが五害である。

原文「今免役之法,其害有五:上戶舊充役,固有陪備,而得番休,今出錢比舊費特多,年年無休息。下戶元不充役,今例使出錢。舊日所差皆土著良民,今皆浮浪之人應募,無顧藉,受賕,侵陷官物。又農民出錢難於出力,若遇凶年,則賣莊田、牛具、桑柘,以錢納官。提舉常平倉司惟務多斂役錢,廣積寬剩。此五害也。

今は直ちに勅命を降して、天下の免役銭を尽く罷め、諸色の役人は、皆熙寧元年以前の旧法の人数に依り、本県の令佐に委せて簿を掲げて差定するのが良い。その人が自ら供役することを願わなければ、雇って代わらせることを許し、逋逃や失陷があれば、雇った者がこれを任じる。ただ衙前一役は、最も重難と号し、もとよりこれによって破産する者があり、このために始めて助役法を作った。その後、色々と優遇し、陪備を禁じ、別に命官・将校を募って遠方への綱運を部押させたので、遂にまた破産の人が聞かれなくなった。もし今衙前が仍って差法を行い、陪備が既に少なければ、当に家を破るに至らないであろう。もし猶その力が独りで任せるのが難しいことを矜れむならば、即ち旧法のように、官戸・寺観・単丁・女戸で屋産の月収の僦直が十五千に及び、荘田の中熟の収穫が百石以上に及ぶ者に、貧富に随って差等を以て助役銭を出させ、その余の物産も、これを基準として約することを乞う。毎州に樁収し、重難の役使があるのを待って、即ち以て支給する。

原文今莫若直降敕命,盡罷天下免役錢,其諸色役人,並依熙寧元年以前舊法人數,委本縣令佐揭簿定差。其人不願身自供役,許擇可任者雇代,有逋逃失陷,雇者任之。惟衙前一役,最號重難,固有因而破產者,為此始作助役法。自後色色優假,禁止陪備,別募命官將校部押遠綱,遂不聞更有破產之人;若今衙前仍行差法,陪備既少,當不至破家。若猶矜其力難獨任,即乞如舊法,於官戶、寺觀、單丁、女戶有屋產月收僦直可及十五千、莊田中熟所收及百石以上者,並隨貧富以差出助役錢,自餘物產,約此為準。每州樁收,候有重難役使,即以支給。

尚、役人の利害は、四方で斉一に同じくすることができないことを慮る。監司・守令にその可否を審らかにすることを許し、可ならば亟に行い、もし未だ尽く究められなければ、県は五日を許して措画を州に上し、州は一月で転運司に上し、転運司は季ごとに聞上することを乞う。朝廷は執政に委せて審定し、一路一州ごとにそれぞれ勅を為し、曲尽することを務める。しかし免役法は施行すること近く二十年、富戸は優利に習い、一旦変更すれば、異同を懐かざるを得ない。また差役が復行されれば、州県は小擾を免れず、提挙官は専ら役銭を多く斂めることを功とし、必ず競って免役銭は罷められないと言うであろう。この際に当たり、人言を以て軽々しく良法を壊さないことを願う。」

原文尚慮役人利害,四方不能齊同。乞許監司、守令審其可否,可則亟行,如未究盡,縣許五日具措畫上之州,州一月上轉運司,轉運司季以聞。朝廷委執政審定,隨一路一州各為之敕,務要曲盡。然免役行之近二十年,富戶習於優利,一旦變更,不能不懷異同。又差役復行,州縣不能不有小擾,提舉官專以多斂役錢為功,必競言免役錢不可罷。當此之際,願勿以人言輕壞良法。」

知樞密院章惇が光の上奏した疏で略して尽くさなかったものを取り上げて駁奏した。尚書左丞呂公著が、惇は専ら勝ちを求め、命令の大體を顧みないと言い、近臣を選差して詳定することを望んだ。右正言王覿が上奏して、「光の議が初めて上ったとき、惇は嘗て同奏し、既に施行されるのを待って、方に光の短を列ねる。その資性は小人であり、腹心の地に置くべきでない」と言った。ここにおいて詔して資政殿大學士韓維・給事中範純仁等に専ら詳定して聞上せしめた。

原文知樞密院章惇取光所奏疏略未盡者駁奏之。尚書左丞呂公著言惇專欲求勝,不顧命令大體,望選差近臣詳定。右正言王覿奏:「光議初上,惇嘗同奏,待既施行,方列光短,其資小人,不當寘腹心地。」於是詔以資政殿大學士韓維、給事中範純仁等專切詳定以聞。

王覿がまた言うには、「近時の制で募を改めて差とし、旧法の人数を則とするが、熙寧元年以後、募数は屡々裁減を経ており、則ち旧数は復用すべからず、悉く現額を準じて差定することを請う」と。先に、差法が既に復され、知開封府蔡京は勅の如く五日以内に開封・祥符両県の旧役人数を尽く用い、一千余人を差して旧額を足した。右司諫蘇轍が言うには、「開封府が急いで旧額を用いて尽く差し、壇子の類のように、近例は率ね剩員を用いるのに、今悉く民戸に改めて差し、故に煩擾を為して成法を揺るがす。その罪を正すことを乞う」と。

原文王覿又言:「近製改募為差,用舊法人數為則,而熙寧元年以後,募數屢經裁減,則舊數不可復用,請悉準見額定差。」先是,差法既復,知開封府蔡京如敕五日內盡用開封、祥符兩縣舊役人數,差一千餘人以足舊額。右司諫蘇轍言:「開封府亟用舊額盡差,如壇子之類,近例率用剩員,今悉改差民戶,故為煩擾以搖成法,乞正其罪。」

司馬光が初めて差役を議したとき、中書舍人範百祿が光に言った。「熙寧の免役法が行われたとき、百祿は咸平県にあり、開封は衙前数百人を罷め遣わし、民は皆欣幸した。その後、役所が羨余を求め、刻剝に務めたので、法を病とした。今は第に助免銭額を減じて民力を寛ぐことができよう」と。光は従わなかったが、州県の吏が差役によって賄賂を受けた場合、重法に従って等を加えて配流することを議したとき、百祿は刑房を押し、固執して不可と言った。「郷民は徭役によって吏となり、今日は執事して賄賂を受け、明日は役を罷め、また財を人に遺す。もし尽く重法を以てこれを縄すれば、黥げい麵赭衣が道路に充塞するのを見るであろう」と。光は言った。「公の言がなければ、幾らか民害と為すところであった」と。遂にこれを止めた。

原文司馬光之始議差役,中書舍人範百祿言於光曰:「熙寧免役法行,百祿為咸平縣,開封罷遣衙前數百人,民皆欣幸。其後有司求羨餘,務刻剝,乃以法為病。今第減助免錢額以寬民力可也。」光雖不從,及議州縣吏因差役受賕從重法加等配流,百祿押刑房,固執不可曰:「鄉民因徭為吏,今日執事而受賕,明日罷役,復以財遺人,若盡以重法繩之,將見黥麵赭衣充塞道路矣。」光曰:「微公言,幾為民害。」遂已之。

蘇轍がまた言う。

原文蘇轍又言:

「差役が復行されるに当たり、議すべきことが五つある。その一は、旧来郷戸を差して衙前とし、人家を破敗させ、兵火の如く甚だしかった。新法が行われる以来、天下は復た衙前の患いを知らず;しかし天下が反って苦しむとするのは、農家が歳ごとに役銭を出すことが難しく、及び人に現売の坊場を添剗することを許したので、遂に輸納が給しない者があったからである。向使、官が坊場を売って得た課入を以て衙前を雇うのみに止め、自ら足りて弁じ、他の色役人は旧法の如くに止めれば、利は較然としていたであろう。初めは衙前は多く浮浪の投雇であり、郷差の税戸が託すに足るのに如かぬかと疑った。しかし十有余年行って、投雇者も大敗闕がなく、郷差衙前の害を易えるに足らなかった。今、天下の坊場銭を略計すれば、一歳に四百二十余万貫を得ることができ、もし中価を定め、添剗を許さず、三分の一を減じても、尚二百八十余万貫ある。そして衙前の支費及び非泛の綱運を召募するのに、一歳共に一百五十余万緡を超えない。則ち坊場の直は、自ら衙前の百費を了辨することができ、何ぞ更に郷戸を差する用があろう?今の制は尽く差役を復し、衙前に陪備がなければ、故に郷戸を以てこれを行う;坊場に至っては、元より明らかに降した処分がなく、官自ら売り出すのか、それとも仍って以て衙前を酬奨するのか知らない。もし仍って以て酬奨するならば、即ち部綱を召募するのに何の銭を応用するのか?もしこれに銭を与えなければ、即ち旧来の名は重難であり、郷戸衙前は仍って前に自ら備え、害小さからず。

原文「差役復行,應議者有五:其一曰舊差鄉戶為衙前,破敗人家,甚如兵火。自新法行,天下不復知有衙前之患;然而天下反以為苦者,農家歲出役錢為難,及許人添剗見賣坊場,遂有輸納不給者爾。向使止用官賣坊場課入以雇衙前,自可足辦,而他色役人止如舊法,則為利較然矣。初疑衙前多是浮浪投雇,不如鄉差稅戶可托。然行之十餘年,投雇者亦無大敗闕,不足以易鄉差衙前之害。今略計天下坊場錢,一歲可得四百二十餘萬貫,若立定中價,不許添剗,三分減一,尚有二百八十餘萬貫。而衙前支費及召募非泛綱運,一歲共不過一百五十餘萬緡,則是坊場之直,自可了辨衙前百費,何用更差鄉戶?今制盡復差役,知衙前若無陪備,故以鄉戶為之;至於坊場,元無明降處分,不知官自出賣耶,抑仍用以酬獎衙前也?若仍用以酬獎,即召募部綱以何錢應用?若不與之錢,即舊名重難,鄉戶衙前仍前自備,為害不小。

第二に、都市住民は従来科配に苦しんでいたが、新法では郷戸と共に役銭を出して科配を免れることとなり、その法は甚だ便利である。但し賦課する銭額が余りに重く、長久の法とは成り難い。都市住民・官戸・寺観・単丁・女戸に対し、現在の役銭を斟酌して中数を減定し、坊場銭と共に雇って衙前を支弁し、及び非泛の綱運を召募する以外は、却って諸色の役人を募雇する用に備蓄させよ、と乞う。

原文其二,坊郭人戶舊苦科配,新法令與鄉戶並出役錢,而免科配,其法甚便。但敷錢大重,未為經久之法。乞取坊郭、官戶、寺觀、單丁、女戶,酌今役錢減定中數,與坊場錢用以支雇衙前及召募非泛綱運外,卻令樁備募雇諸色役人之用。

第三に、現在の在役人数を以て差役を定めることを乞う。熙寧年間に減定する前の数は実に冗多であり、そのまま用いるべきではない。

原文其三,乞用見今在役人數定差,熙寧未減定前,其數實冗,不可遵用。

第四に、熙寧以前は、散従・弓手・手力等の諸役人は常に逆送に苦しんでいたが、新法以来、官吏は皆雇銭を請け、役人も便利となり、官も事に欠けることが無くなった。雇法を仍用することを乞う。

原文其四,熙寧以前,散從、弓手、手力諸役人常苦逆送,自新法以來,官吏皆請雇錢,役人既便,官亦不至闕事,乞仍用雇法。

第五に、州県の胥吏は皆量を支えて雇銭を以て募充し、仍って重法を罷め、また坊場・坊郭銭を以て用いることを許す。不足する時は、初めて郷戸を差し、郷戸の出す雇銭は、官雇の本数を超過してはならない。」詔して看詳役法所に送り詳定せしめ、その要なるものを択び先ず奏して行わしむ。

原文其五,州縣胥吏並量支雇錢募充,仍罷重法,亦許以坊場、坊郭錢為用;不足用,方差鄉戶,鄉戶所出雇錢,不得過官雇本數。」詔送看詳役法所詳定,擇其要者先奏以行。

ここにおいて役人は悉く現数を以て額と為し、惟だ衙前は坊場・河渡銭を以て雇募し、不足すれば、初めて簿を掲げて差定することを許す。その余の役人は、惟だ該募するものは募ることが出来、余は悉く差定する。遂に官戸・寺観・単丁・女戸の助役法を出することを罷め、その今夏の役銭は即ち輸納を免ず。間もなく衙前が皆雇直を持つ訳ではないので、遂に雇募を招募に改む。凡そ熙寧・元豊年間に嘗て立法して禁じた、衙前及び役人を非理に役使し、及び陪備円融等を令める類は、悉く申し行い、耆壮は保正長法に依る。坊場河渡銭・量添酒銭等の類は、名色一ならず、惟だ法に於いて用いることを許すものは支用する外、並びに衙前を招募し、重難を支酬し、及び役事に応縁する用に備蓄す。一州の銭が供用に足らざれば、別州の銭を用いることを許し、一路不足すれば、戸部より他路に通じて移用することを許す。其れ或いは余有れば、妄りに用いること無く、其れ或いは不足すれば、募を減らし置を増すこと無し。衙前は最も重役なり、若し已に招募して足額に満たば、上一等戸に虚閑にして差されざる者有れば、次等の色役に供せしむ。郷差の役人に在りて、職官若し敢えて抑えて別に雇い承符・散従に承代せしむる者は、転運司劾奏して重く責む。時に提挙常平司は已に罷置し、凡そ役事は提刑司に改隷す。

原文於是役人悉用見數為額,惟衙前用坊場、河渡錢雇募,不足,方許揭簿定差。其餘役人,惟該募者得募,餘悉定差。遂罷官戶、寺觀、單丁、女戶出助役法,其今夏役錢即免輸。尋以衙前不皆有雇直,遂改雇募為招募。凡熙、豐嘗立法禁以衙前及役人非理役使及令陪備圓融之類,悉申行之,耆壯依保正長法。坊場河渡錢、量添酒錢之類,名色不一,惟於法許用者支用外,並樁備招募衙前、支酬重難及應緣役事之用。如一州錢不供用,許移別州錢用之,一路不足,許從戶部通他路移用;其或有餘,毋得妄用,其或不足,毋得減募增置。衙前最為重役,若已招募足額,上一等戶有虛閑不差者,令供次等色役。鄉差役人,在職官如敢抑令別雇承符、散從承代其役者,轉運司劾奏重責。時提舉常平司已罷置,凡役事改隸提刑司。

殿中侍御史呂陶言う、「天下の版籍斉しからず、或いは税銭貫百を以てし、或いは田地の頃畝を以てし、或いは家の積財を以てし、或いは田の受種を以てす。皆別に五等と為すと雖も、然れども税銭一貫・占田一頃・積財千緡・受種十石にして之を一等に入るる者有り。一等の上は、等を加うる無く、遂に税緡・田頃・積財・受種十倍これに於けるも、亦た同じく一等に在るに過ぎず。此を憑りて差役すれば、必ず均平ならず。今日の納銭の労無きと雖も、却って昔時の偏頗陪費の害有り。新旧を裁量し、条約を著すに若かず。例へば税銭一貫を第一等と為し、本等の中に於いて一役を差すに合し、税銭一役の両倍なる者は並びに二役を差し、又倍すれば即ち三役を差す。税銭更に多しと雖も、三役を過ぎず、並びに人を雇うことを聴す。或いは本県戸多きに役少なきは、則ち上戸の役は並びに差すを須いず、但だ次叙して休役の年月遠近を均しくして其の労逸を均うすべし。仮令甲役に充てたる後五年を閑かにす可く、乙税銭甲の両倍なれば三年を閑かにす可く、丙又乙に倍すれば一年を閑かにす可し。其の田土の頃畝の類を等と為し、並びに其の余同等にして多少倶わざる者は、並びに此に倣え。又成・梓両路の差役は、旧専ら戸税を以て差等と為し、熙寧初め、別に坊郭戸の営運銭を定めて以て免役を助けしむ。乃ち税産の外に在り、州県抑えて額を認め、今に至るも減ぜず、停閑居業して郷村に移避する有るも、猶免れ得ず。今方に法を議するに、坊郭の等第固より偏廃す可からず、然れども須らく虚実を参究し、別に行い排定して、以て民力を寛うすべし。」並びに詳定所に送る。

原文殿中侍御史呂陶言:「天下版籍不齊,或以稅錢貫百,或以田地頃畝,或以家之積財,或以田之受種。雖皆別為五等,然有稅錢一貫、占田一頃、積財千緡、受種十石而入之一等。一等之上,無等可加,遂至稅緡、田頃、積財、受種十倍於此,亦不過同在一等。憑此差役,必不均平。雖無今日納錢之勞,反有昔時偏頗陪費之害。莫若裁量新舊,著為條約:如稅錢一貫為第一等,合於本等中差一役,稅錢兩倍於一役者並差二役,又倍即差三役;雖稅錢更多,不過三役,並聽雇人。或本縣戶多役少,則上戶之役不須並差,但可次敘休役年月遠近而均其勞逸。假令甲充役後可閑五年,乙稅錢兩倍於甲,可閑三年,丙又倍於乙,可閑一年。以其田土頃畝之類為等並其餘同等多少不侔者,並仿此。又成、梓兩路差役,舊專以戶稅為差等,熙寧初,別定坊郭戶營運錢以助免役。乃在稅產之外,州縣抑認成額,至今不減,至有停閑居業移避鄉村,猶不得免。今方議法,坊郭等第固不可偏廢,然須參究虛實,別行排定,以寬民力。」並送詳定所。

蘇轍又言う、「雇募衙前を招募に改むるは、既に明らかに銭を以て雇うに非ざれば、必ず肯て招に就く者無く、勢い差撥を須いん。歳に収むる坊場・河渡の緡銭四百二十余万を、何れの地に於いて之を用いんとするかを知らず。熙寧以前、諸路の衙前は多く長名を雇いて役に当たらしめ、例へば西川は全く長名にて、淮南・両浙は長名大半以上、余路も半を減ぜず。今坊場官既に自ら売る、必ず長名に充たんと願う者無く、則ち衙前並びに郷戸なり。招募と号すと雖も、上戸免役に利有りて、方肯て名を占め、差と異ならず。上戸既に衙前の重役を免るれば、則ち凡そ役は皆当に均しく以て次第の人戸に及ぶべく、此くの如くすれば則ち下戸役に充つること、多く熙寧前の如くなるべし。」

原文蘇轍又言:「雇募衙前改為招募,既非明以錢雇,必無肯就招者,勢須差撥,不知歲收坊場、河渡緡錢四百二十餘萬,欲於何地用之?熙寧以前,諸路衙前多雇長名當役,如西川全是長名,淮南、兩浙長名太半以上,餘路亦不減半。今坊場官既自賣,必無願充長名,則衙前並是鄉戶。雖號招募,而上戶利於免役,方肯占名,與差無異。上戶既免衙前重役,則凡役皆當均及以次人戶,如此則下戶充役,多如熙寧前矣。」