宋史

志第一百十六 職官三

吏部

吏部は文武官吏の選試・擬注・資任・遷敘・蔭補・考課の政令、封爵・策勳・賞罰殿最の法を掌る。凡そ文階官の等三十、武選官の等五十有六、幕職州縣官の等七、散官の等九、皆左右高下を以て四選に分属す。曰く尚書左選、文臣京朝官以上及び職任が中書省の首除授に非ざる者を悉く掌る。曰く尚書右選、武臣升朝官以上及び職任が樞密院の除授に非ざる者を悉く掌る。初任より幕職州縣官に至るまで、侍郎左選之を掌る。副尉以上より從義郎に至るまで、侍郎右選之を掌る。若し文武官左右選に隷せずと雖も、職任が中書省・樞密院の除授に係る者は、其の制命誥敕、皆本部に奉行す。凡そ注擬・升移・敘復・蔭補及び酬賞・封贈に応ずる者は、所隷が格法を審験して尚書省に上る。法例の可否決せず裁を取るべき者も亦之の如し。若し中散大夫・左右武大夫以上命詞を合する者は、其の遷敘資級・歳月・功過を列して中書省・樞密院に上り、旨を画して告を給し、本部の長・貳及び所隷の郎官に通書す。其の属に曰く司封、曰く司勳、曰く考功有り。凡そ官十有三:尚書一人;侍郎一人;郎中・員外郎、尚書選二人、侍郎選各一人、司封・司勳・考功各一人。

旧制に三司有り、尚書は其の一を主り、侍郎二員は各其の一を主り、銓注擬事を分つ。其の後、但だ尚書銓を存し、余の東西銓は印存して事廃す。淳化中、又た考課院を置き、幕府州縣の功過を磨勘し、引対黜陟す。至道二年、其の事を流内銓に帰す。判流内銓事二人、御史知雑以上を以て充つ。節度判官以下州府判司・諸縣令佐の擬注対揚・磨勘功過の事を掌る。判部事二人、帯職の京朝官或は職事無き朝官を以て充つ。凡そ文吏の班秩品命令は一に中書より出で、而して小選院は即ち復た置かず、本曹は但だ京朝官の敘服章・申請摂官・訃弔祠祭、及び幕府州縣官の格式闕簿・辞謝、抜萃挙人兼南曹甲庫の事を掌る。流外銓は、附奉諸司の人吏を試験するのみを掌る。南曹は選人の殿最成状を考験し、而して流内銓に関試・勾黄・給暦の事を送る。甲庫は制敕黄を受け、関給簽符優牒、選人の改名廃置の事を掌る。初め、淳化三年、磨勘京朝官院を置く。四年、改む。太平興國中、差遣院を置き、是に至りて審官院に併入す。知院二人を置き、御史知雑以上を以て充つ(旧は朝官を以て充つ)。京朝官の殿最を考校し、其の爵秩を敘して朝に詔し、内外の任使を分擬して之を奏するを掌る。

元豊官制行はれ、六曹尚書・侍郎を長貳と為し、郎官郡守以上の資任を理むる者を郎中と為し、通判以下の資序を理むる者を員外郎と為す。除授は皆寄祿官を視、高き一品以上は「行」と為し、下一品は「守」と為し、下二品以下は「試」と為し、品同じき者は行・守・試を用いず、余の職は此に準ず。元祐初、権尚書を置き、奉賜は守侍郎に依る。

班序は試尚書の下に在り、雑圧は左・右常侍の下に在る。又た権侍郎を置き、もし未だ給事中・中書舎人及び待制以上を歴せざる者は、並びに「権」の字を帯び、祿賜は諫議大夫に比す。郎官は知州資序を理むと雖も、未だ実に知州及び監司・開封府推官を歴せざる者は、止だ員外郎を除す。又た詔す、職事官は「行」の字を除き去り一等と為す。又た六曹の職事閑劇等しからずと以て、員数を減定し、事簡なる者は他司に兼領せしめ、司封・司勳は各郎官一員を減ず。紹聖初、元豊の法を行・守・試の制祿三等と為すを詔す。元符元年、吏部言う:「元祐の法、小使臣は只だ宣劄を降す、但だ務めて簡に従う、理に於いて未だ安からず、請う借職より上は元豊の法に依り告を給せんことを。」之に従う。崇寧元年、詔す:「大宗正丞、大理正、諸寺監丞、太学・武学・律学博士、太学正・録、諸宮院・諸州教授、堂除の外は、其の吏部の闕は已に授かり未だ赴かず及び初めて到任する人の占差を許さず。」二年、詔す:「十年部に到らざる者は、長定格に依り一官を降す。二十年以上は、則ち其の籍を除く。」靖康元年七月、吏部四選逐曹の条例を編集し板行するを詔す。八月、臣僚言う:「祖宗の時、宗室の部に参ずるの法有らず、神宗の時、始めて選択差注一二す。崇寧初、立法大いに優なり、宗室参選の日は本部の名次の上に在り、既に年月深遠にして労効顕著なる人を圧し、復た名州大郡の優便豊厚なる処を著す。

議者頗る懲革を欲し、郡守県令を注せず、部に在る人と名次を通理せしむ。」之に従う。

吏部尚書

尚書は、文武二選の法を掌りて其の制命を奉行す。凡そ序位に品有り、祿を寓するに階有り、爵を列するに等有り、勳を賜するに給有り、任を分つに職有り、官を選ぶに格有り、其の功過を考へ、其の歳月を計り、其の位秩を辨じ、而して序を以て之を進む。凡そ文臣は京朝官より、武臣は大使臣以上(旧は内殿崇班以上)より、選授・封爵・功賞・課最の事、所隷の官分ちて其の事を掌る。

尚書に兼ねて総括し、実情を検証して後に判成する。天下の職事官の員闕を籍に具注し、毎月その応選者を取り上げてこれを掲示し、官を集めて注擬し、閥閲を考課してその可否を定める。もし疑わしくして決断できないことがあれば、小事は申請し、大事は尚書省に稟議し、論奏すべきものは郎官とともに請対する。大祭祀の時は玉幣を奉じて左僕射に授け、爵を執って左丞に授ける。旧制では、尚書は遷官の官名とされ、班位は左丞の上にあった。百司を釐正して以来、吏部は金紫光禄大夫、戸部・礼部・兵部・刑部・工部は銀青光禄大夫に換授し、六曹尚書を任ずる者が始めて実務を管掌するようになった。左選は八案に分かれ、吏を三十人置く。右選は六案に分かれ、吏を十六人置く。主事・令史、書令史、守当官という。二十四司もこれに同じ。南渡の初め、諸曹の長官・次官は互いに置かれたが、吏部のみが官を備えた。紹興八年、元祐の制に依り、六曹に皆権尚書を置き、未だ資格に応じない者を処遇した。その属官に侍郎二人があり、左選・右選に分かれる。尚書左選・尚書右選に各郎中一人を置き、侍郎左選・侍郎右選に各郎中一人を置き、司封・司勲・考功に各一人を置く。郎官はそれぞれの事務を分掌し、尚書に兼ねて総括される。左選は、京朝官以上の考課の殿最を掌り、その爵秩を叙し、内外の任使を擬して奏授することを掌る。十二案に分かれる。六品、七品、八品、九品、注擬、名籍、掌闕、催駆、甲庫、検法、知雑、奏薦賞功司という。吏額は、主事一人、令史二人、書令史九人、守当官十一人、正貼司十六人、私名十二人、楷書二人、法司一人。官告院と六部監門はこれに隷属する。右選は、大使臣以上の差注を掌り、材武人の格は二十一あり、及び破格の出闕、功過の較量、諸軍の賞功の奏薦を掌る。十案に分かれる。大夫、副使、修武、注擬掌闕、奏薦賞功、開拆、名籍、甲庫、法司、知雑という。吏額は、主事一人、令史二人、書令史九人、守当官十二人、正貼司八人、私名十人、法司一人。紹熙三年、左司諫謝源明が言うには、「乾道九年の詔旨に、『六部が三省・枢密院の批送勘当の文字を承応する際は、皆本部の郎官・長貳に法に按じて裁決の可否を行わせ、朝廷に申上して施行せよ』とあり、即ち両端を持することはできない。もし事に疑難があり、及び新規で条例のないものは、長貳に見解に拠って申明し、将上して旨を取るよう命じている。六曹に遵守させるよう明詔を乞う。」従う。

吏部侍郎

侍郎は左右選に分かれる。左選は、未だ改官していない文臣を掌る。凡そ初めて命を受けて未だ参部に応じない者は、皆試して後に選ぶ。もし格に応ずれば、歳月・歴任・功罪及び挙げた官員の数を具えて、郎官とともに便殿で引見し、改官を稟奏する。右選は、未だ升朝していない武臣を掌る(旧制は供奉官以上)。その職任は親民官から部隊将・監当官まで、皆その選授注擬の法を掌る。

凡そ初任で試みに中等せず、及び既に官に入りながら未だ選に応じない者は、皆正闕を注擬しない。官制が行われると、尚書・侍郎は曹事を通治し、奏事は同班するが、吏部のみ四選を分領する。大祭祀の時は玉幣を挙げて諸案に置き、饌を薦める時は搏黍を進め、熟を進める時は匏爵を執って右丞に授け、福を飲む時は爵を奉じ、朝を視る時は文武の班簿を執って対立し、顧問を待つ。左選は十五案に分かれ、吏を四十三人置く。右選は八案に分かれ、吏を四十七人置く。紹興四年、吏部侍郎葉祖洽が言うには、「侍郎左選は、元豊の朝旨に準じて、姓を類して簿を置く。左右選は理宜一体であるから、右選も簿を置いて功過を拘轄することを乞う。」従う。建炎四年五月、六曹に権侍郎を復置するよう詔し、元祐の故事の如く、満二年で真とする。補外する者は待制を除し、未満の者は修撰を除す。左選は、承直郎以下の州府判司・諸県令佐・監当への擬注及び磨勘功過の事を掌り、十三案に分かれる。乾道に吏額を裁減し、合わせて三十五人を置く。右選は、校副尉以上の較試・擬官・行賞・換官を掌り、その殿最を考課し、十五案に分かれる。乾道に吏額を裁減し、合わせて四十八人を置く。旧制では、吏部は侍郎二員を除し、左選・右選を分典し、総称して吏部侍郎といった。時に官を命じて兼摂させたが、ただ左選侍郎または右選と称するのみであった。紹熙三年、謝深甫・張叔椿が兼摂し、始めて侍左侍郎・侍右侍郎の称があった。既にして林大中・沈揆が尚書の次官に擢てられると、「侍左」「侍右」が逕に除目に入った。相承して改めなかった。

吏部郎中 員外郎 尚左右 侍左右

郎中・員外郎・尚左・尚右・侍左・侍右は、旧制では主判二人を朝官をもって充てた。元豊の官制が行われると、吏部郎中を置き、尚書左選・尚書右選及び侍郎左選・侍郎右選を主管した。

各一員、選事に参掌して分治する。凡そ郎官は、皆知府の資序以上の者をもって充て、未だ及ばない者は員外郎とする。建炎四年、権摂・添差の郎官は皆罷めるよう詔した。初め進擬する時は、ただ吏部郎官と云うのみであった。及んで告身の細御を擬するに至り、始めて直書して尚書吏部郎中または員外郎、主管尚書某選、主管侍郎某選とした。紹興八年、呂希常が監六部門を兼ねて権侍右郎官とした。紹興三十一年、李端明が正しく尚右郎官を除され、既にして何輔・楊倓・費行之が吏部郎官を除され、皆侍左・侍右・尚左・尚右の称があった。これより相承して改めなかった。淳熙十六年、光宗が即位し、四選を通差するよう詔し、尚書顔師魯の請によるものであった。先に、乾道元年に詔して、「今後監司・守臣を曾任した者でなければ、郎官を除さず、令として定めよ。」とした。これより館学・寺監の臣は、資格に拘礙され、遷除が行われなかった。郎曹に闕員があれば、ただ兼摂を得るのみで、直ちに外補した。間に不次に擢用される者があれば、則ち二著から二史に躐升し、以て従列に至った。外から召されて郎となる者は、則ち資級既に高く、曾て数ヶ月も経たず、必ず卿・少に序進し、而して郎に正員ある者は益々少なくなった。

司封司

司封郎中・員外郎は、官爵の封授・叙贈・承襲の事務を掌る。凡そ三師・三公以下より升朝官に至るまで、その祖・父・母・妻を褒贈し、親王・郡王・内外の命婦以下、宗族を保任し、封爵を諸親に授けること、皆その位階に因って叙し、それに等を定める。凡そ宗室で名訓を賜るべき者は、抄擬官に具する。凡そ庶姓で孔氏・柴氏・折氏の後裔で承襲すべき者は、その嫡庶を弁別する。爵位を九等に列す:王・郡王・国公・郡公・県公・侯・伯・子・男。封国を三等に分つ:大国二十七、次国二十、小国二百二十。内命婦の品階は五:貴妃・淑妃・徳妃・賢妃を第一とし、大儀・貴儀・淑儀・淑容・順儀・順容・婉儀・婉容・昭儀・昭容・昭媛・修儀・修容・修媛・充儀・充容・充媛を第二とし、婕妤を第三とし、美人を第四とし、才人・貴人を第五とする。外内命婦の称号は十四:大長公主・長公主・公主・郡主・県主・国夫人・郡夫人・淑人・碩人・令人・恭人・宜人・安人・孺人。叙贈の制:三公・宰臣・執政・節度使は三代、金紫光禄大夫・銀青光禄大夫は二代、その他の官は一代、皆その位序を弁じて進める。食邑・実封を加えるには、その品階の高下を視て、戸数の多寡の節とする。凡そ事の可否は、司勲と共に長官・次官に通じて決する。分案三を置き、吏六を設く。元祐元年、中書後省が言う:「臣僚が父母を封贈するには、旧制に従って詞命を下し、太中大夫・観察使以上は専用の詞を用い、その余は汎用の詞を用いる。」二年、詔す:「父及び嫡母が存命の場合は、生母の封贈を請うことを得ず。生母が未封の場合は、また先にその妻に及ぶことを許さず。」紹聖元年、詔す:「宗室で文官に換授され、身死した者は、通直郎以上は三官を贈る。」(元符元年、元祐年間の封贈が前制を乱したため、詔して並びに元豊法に依る。)二年、詔す:「寺監の官で雑圧が通直郎の上にある者は、宣教郎であっても、大礼に遇えば封贈する。」政和二年、詔す:「母を封ずるには、封ずる五等に随う(例えば南陽県開国男に封ずれば、その爵に随って南陽県男令人と称し、魏国公に封ずれば魏国公夫人と称する類)。婦人が夫・子によらず封号を得る場合(命官で升朝でなくとも母が九十歳以上、或いは士庶人の婦女が百歳で、並びに特旨若しくは回授によるもの)、或いは子孫によって封贈を得て、その夫が升朝に至るか、或いは升朝でなくとも封贈に応ずる者は、並びに孺人とする。」宣和二年、臣僚が言う:「近年、京官で校書郎・正字を任ずる者が封贈を得たが、今では監丞で升朝でない者も例に依ることを乞う。監丞の雑圧が校書郎の上にある故に、これを引きいて請うのであるが、甚だ謂れ無し。これに止まらず、また小使臣が偶々薄労によって、或いは磨勘によって転官し、遂に回授を乞うて父母を封贈するは、実に太濫である。望むらくは旨を降し、今後封贈は並びに旧法に依り、敢えて擅に更に陳乞して典章を紊乱する者は、典刑に置き、庶幾く僥倖する者止みて名分正しからんことを。」詔に従う。建炎以後は並びに同じ。

司勲司

司勲郎中・員外郎は、勲賞の事務を参掌する。凡そ勲級は十二:上柱国(正二品)、柱国(従二品)、上護軍(正三品)、護軍(従三品)、上軽車都尉(正四品)、軽車都尉(従四品)、上騎都尉(正五品)、騎都尉(従五品)、ぎょう騎尉(正六品)、飛騎尉(従六品)、雲騎尉(正七品)、武騎尉(従七品)。率ね三歳に一遷し、必ずその除授に因ってこれを加える。凡そ賞には格有り。若し事賞に応ずれば、その隷する司に従って考実して報じ、則ち必ずその状を審覈し、格を以ってこれを覆し、これを「有法酬賞」と謂う。格に載せざるは、軽重を参酌して擬定し、尚書省に上る。これを「無法酬賞」と謂う。若し功賞未だ酬われずして賞格改易するは、軽きは旧格に従い、重きは新格に従う。前代の帝系及び勲臣の後裔を録用するには、その族系を考へてその制命を奉行する。分案四を置き、吏十九を置く。

元祐元年、吏部が言う:「諸色の人が援引して微求し、入流甚だ冗なり。工匠伎芸の属で法により官に入ること無き者は、労績有りと雖も、並びに比類して支賜するに止め、未だ酬奨せられざる者もまた之の如し。」紹聖二年、戸部が言う:「元豊官制では、司勲は法式有る酬賞を覆し、法式無き者を定む。元祐中、法式有る者は止めて所属に勘驗せしめ、その後、銭穀に干する応のものは、本部指定して司勲に関す。是れ戸部が司勲の職を兼ねるなり。旧制に依らんことを請う。」詔に従う。四年、川峡の人が本路の差遣に任ずる者は、酬奨を半減す。政和四年、詔す:「司勲は所属に行下し、一司一路の条制を将ち、酬奨格法を参照し、類集して参用せしめよ。」又詔して、国朝の勲徳臣僚の職位姓名を詳定し、吏部に送る。工部尚書鄭允中の編する伝に因る。隆興元年に省併し、司封郎官を以って兼領せしむ。淳熙元年、復た司農寺丞范仲芭を以って司勲を兼ねしむ。未幾改除し、復た省す。吏額を裁減し、主事一人、令史一人、書令史四人、守当官三人、正貼司四人、私名三人。

考功司

考功郎中・員外郎は、文武官の選叙・磨勘・資任・考課の政令を掌る。凡そ命官は、その隷する所に随って遷転し、その職事を暦に具注して、その属する州若しくは司に給し、歳ごとにその功過を書す。陞遷授に応ずる者は、暦を験し法に按じて叙進す。負殿有れば、則ちその罪罰を正す。七事を以って監司を考う:一に挙官の当否、二に農桑を勧課し田疇を増墾すること、三に戸口の増損、四に利を興し害を除くこと、五に事失を案察すること、六に刑獄を較正すること、七に盗賊の多寡。四善・三最を以って守令を考う:徳義聞こゆ・清謹明らかに著わる・公平称す可し・恪勤懈ますを四善とす。獄訟冤無く・催科擾さずを治事の最とし、農桑墾殖し水利興修するを勧課の最とし、姦盗を屛除し人安処を得・困窮を振恤し流移せしめざるを撫養の最とす。善・最を通じて三等に分つ:五事を上とし、二事を中とし、その余を下とす。若し能否尤も著しければ、則ち別に優劣を為し、以って黜陟を詔す。凡そ内外の官は、在官の日を計り、満一歳を一考とし、三考を一任とす。

磨勘の法は、文選官の等級四つあり:銀青光禄大夫より朝議大夫に至るまで、進士は八年を理め、非進士は十年を理む;通直郎より太中大夫に至るまで諫議大夫・待制以上の職任を充つる者は、三年を理む;朝散大夫より承務郎に至るまで、四年を理む。武選官の等級六つあり:遙郡団練使・刺史・閤門舎人は左武郎・右武郎に転じ、十年を理む;武功大夫以下は、七年を理む;横行武徳大夫以下より校尉こういに至るまで、五年を理む;閤門祗候初補の従義郎以下より承節郎・承信郎に至り随行指使を充つる者は、四年を理む;承信郎功により補授せられ及び宗室観察使以下の祗応校尉は、三年を理む;宗室承宣使以下の祗応校尉は、二年を理む。幕職州県官の等級三つあり:進士第一・第二・第三名及第の者は、一任回して京官に改む;留守・府判官より県令に至るまで、六考を理む;軍巡判官より県尉に至るまで、七考を理む。率ね法を以て其の歴任の歳月・功過を計りて序遷す。凡そ服色を改むる者は年労を以て之を計る。執政官・節度使・銀青光禄大夫以上縊に応ずる者は、太常の定むる所の行状を覆し、尚書省官に報じて集議して以て聞す。紹聖四年、河東提刑司徐君平奏す:「乞う凡そ将に集議せんとするに、前期三日、考功の状を持ちて当に議すべき官に遍示し、先ず紬繹せしめて後に都堂に集まりて以て之を詢ね、庶幾有所見の者自ら申すを得て、以て朝廷の博謀尽下の意に称せん。」之に従う。凡そ碑碣の名額を立つるの事は、之を掌る。旧制、考課院其の殿最を定むるには皆考辞あり。元豊官制行はれ、悉く罷む。案を十有七に分ち、吏六十有八を置く。

元祐三年、詔す:「知州考課の法、吏部其の事を尚書省に上り、中書省に送り旨を取って賞罰す。劣等罰に応ずるべきにして已に沖降する者は、仍って沖降の法に従う。県令以下は、本部専に行う。」六年、枢密院言う:「元豊末、堂除の知州軍は三年を任とし、武任此に依る。元祐初、成資を以て任とし、武臣未だ立法せず。」詔して武臣六等差遣に任ずるは、川広は成資、余は並びに三十箇月を任とす。建炎以後並びに同じ。応に文武臣の磨勘・関升・資任・較考は、其の殿最を定め、其の優劣を別ち、以て黜陟予奪を詔す;没すれば則ち諡し、審覆して参定す。凡そ特恩に諡を賜うは、詞を命じて告を与え、余は敕を与う。案を十一に分つ:曰く六品、曰く七品、曰く八品、曰く曹掾、曰く令丞、曰く従義、曰く成忠、曰く資任、曰く検法、曰く知雑、曰く開拆。吏額を裁減し、主事二人、令史四人、書令史八人、守当官十三人、正貼司三人、私名十人(淳熙十三年、再び共に三人を減ず)。

官告院

官告院、主管官一員、京朝官を以て充つ。旧制、提挙一人、知制誥を以て充つ;判院一人、帯職の京朝官を以て充つ。吏・兵・勲・封の官告を掌り、以て妃嬪・王公・文武品官・内外命婦及び封贈する者に給し、各本司の告身印を以て之に印す。文臣は吏部を用い、武臣は兵部を用い、王公及び命婦は司封を用い、勲を加うるは司勲を用う。官制行はれ、四選皆吏部印を用い、惟だ蕃官のみは則ち兵部の印記を用う。凡そ綾紙の幅数・褾軸の名色は、皆其の品の高下に視り、応に奏鈔画聞する者は之を与う。令史十五人。

元豊五年、官制所復た制授・敕授・奏授の告身の式を位し、之に従う。紹聖元年、吏部言う:「元豊の法、凡そ品に入る者は告身を与え、品なき者は黄牒を与う。元祐中、内外の差遣並びに職事官本等内改易或いは再任する者は、並びに黄牒を与え、乃ち品なき人等とす。」詔す:「今後帥臣監司待制以上の知州は、並びに告を与え、余は旧に依れ。」三年、詔す:「職事官監察御史以上事に因り罷むるは、並びに告を与えよ。」元符元年、吏部言う:「元祐の法、小使臣は只だ宣札を降す、承信郎より上は旧に依り告を与えんことを乞う。」宣和元年、詔す:「官告院条を立て、凡そ告身の法物を製造するに、応用の綾錦を、私に輒ち放効織造し及び貿販服用する者は、賞を立てて告げしむるを許す。」

大抵官告の制は、乾徳四年より、告身の綾紙褾軸を定むるを詔し、其の制闕略なり。咸平・景德中、両たび潤沢を加え、皇祐に至り始めて備わる。神宗即位し、皇祐の旧格を用い循り、元豊改制に逮び、名号異なるも、品秩は則ち同じ、故また別に定むるに遑あらず。徽宗大観初、乃ち新格と為し著し、凡そ褾帯綱軸等の飾り、始めて詳かに加う。

凡そ文武官の綾紙五種、十二等に分つ:

色背銷金花綾紙二等。一等は一十八張、滴粉縷金花の大犀軸、八荅暈錦の褾韜、色帯。三公・三少・侍中・中書令之を用う。一等は一十七張、滴粉縷金花の中犀軸、天下楽錦の褾犀軸、色帯。左右僕射・使相・王之を用う。

白背五色綾紙二等。一等は一十七張、滴粉縷金花、翠毛獅子錦の褾韜、玳瑁軸、色帯。知枢密院、両省侍郎、尚書左右丞、同知・簽書枢密院事、嗣王、郡王、特進、観文殿大学士、太尉、東宮三少、冀・袞・青・徐・揚・荊・・梁・雍州牧、御史大夫、宗室節度使より率府副率に至るまで皇字を帯ぶる者之を用う。一等は一十七張、暈錦の褾韜、玳瑁軸、色帯。観文殿学士、資政殿大学士、六尚書、金紫光禄・銀青光禄・光禄大夫、左・右金吾衛、左・右衛上將軍、節度・承宣・観察、並びに之を用う。

大綾紙は四等あり。一等は十五張、暈錦の褾、両面に撥花の穗草を施し大牙軸、色帯を用いる。宣奉大夫、正奉大夫、翰林學士、資政殿學士、端明殿學士、龍圖閣學士、天章閣學士、寶文閣學士、顯謨閣學士、徽猷閣學士、左散騎常侍さんきじょうじ、右散騎常侍、御史中丞、開封尹、六曹侍郎、樞密直學士、龍圖閣直學士、天章閣直學士、寶文閣直學士、顯謨閣直學士、徽猷閣直學士、正議大夫、通奉大夫、諸えい上將軍、太子賓客、太子詹事、侯爵に用いる。一等は十二張、法錦の褾、両面に撥花を施し細牙軸、色帯を用いる。給事中、中書舍人、通議大夫、國子監司成、左諫議大夫、右諫議大夫、龍圖閣待制、天章閣待制、寶文閣待制、顯謨閣待制、徽猷閣待制、太中大夫、秘書監、殿中監、伯爵に用いる。一等は十張、法錦の褾、撥花を施した常使の大牙軸、色帯を用いる。中大夫、七寺卿、京畿轉運使、三路轉運使、發運使、中奉大夫、中散大夫、通侍大夫、樞密都承旨、國子監祭酒、太常少卿、宗正少卿、秘書少監、殿中少監、正侍大夫、中侍大夫、入内内侍省都知、内侍省都知、諸州刺史、中亮大夫、中衞大夫、防禦使、團練使、太子左庶子、太子右庶子、諸衞大將軍、駙馬都尉、大晟府典樂、子爵に用いる。一等は八張、盤毬錦の褾、大牙軸、色帯を用いる。七寺少卿、朝議大夫、奉直大夫、左司郎中、右司郎中、國子監司業、開封少尹、少府監、將作監、軍器監、都水使者、拱衞大夫、太子詹事、左諭德、右諭德、左武大夫、右武大夫、入内内侍省副都知、内侍省副都知、樞密承旨、樞密副都承旨、諸房副承旨、起居郎、起居舍人、侍御史、左司員外郎、右司員外郎、六曹郎中、朝請大夫、朝散大夫、朝奉大夫、京畿轉運副使、三路轉運副使、諸路轉運使、諸路轉運副使、上州の知州、提舉三路保甲、入内内侍省押班、内侍省押班、武功大夫より武翼大夫まで、開封府左司録事、開封府右司録事、蕃官使臣、殿中侍御史、左司諫、右司諫、左正言、右正言、監察御史、和安大夫より翰林良醫まで、男爵に用いる。ただし殿中侍御史と監察御史には九張を用い、蕃官使臣には大錦の褾と背帯を用いる。これらは小異なる所である。

中綾紙は二等あり。一等は七張、中錦の褾、中牙軸、靑帯を用いる。諸司員外郎、朝請郎、朝散郎、朝奉郎、少府少監、將作少監、軍器少監、諸衞將軍、太子侍讀、太子侍講、中亮郎、中衞郎、左武郎、右武郎、下州の知州、諸路提點刑獄、發運判官、提點鑄錢、承議郎、武功郎より武翼郎まで、太子中允、太子舍人、親王府翊善、親王府贊讀、親王府侍讀、符寶郎、太常丞、宗正丞、秘書丞、殿中丞、六尚奉御、大理正、著作郎、通事舍人、太子諸率府率、直龍圖閣、開封府諸曹事、大晟府樂令、直秘閣、崇政殿説書、和安郎より翰林醫正までに用いる。一等は六張、中錦の褾、中牙軸、靑帯を用いる。奉議郎、七寺丞、秘書郎、太常博士、著作佐郎、國子監丞、少府監丞、將作監丞、軍器監丞、都水監丞、國子博士、大理司直、大理評事、修武郎、敦武郎、通直郎、内常侍、轉運判官、提舉學事、諸州通判、御史臺檢法官、御史臺主簿、九寺主簿、親王記室、閤門祗候、樞密院逐房副承旨、從義郎、秉義郎、太學博士、武學博士、開封府諸曹掾、陵臺令、両赤縣令、忠訓郎、忠翊郎、節度副使、防禦副使、團練副使、行軍司馬、太醫正、太史局令、太史局正、太史局丞、五官正、翰林醫官、辟應博士、太子諸率府副率に用いる。

小綾紙は二等あり。一等は五張、黃花錦の褾、角軸、靑帯を用いる。校書郎、正字、宣教郎、太常寺協律郎、太常寺奉禮郎、太祝、郊社令、太官令、律學博士、國子監主簿、少府監主簿、將作監主簿、軍器監主簿、都水監主簿、宣幾郎、保義郎、成忠郎、太學正、太學録、律學、承事郎、承奉郎、承務郎、承信郎、承節郎、門下省録事、中書省録事、尚書省都事、三省主事、樞密院主事、辟應正、辟応録に用いる。一等は五張、黃花錦の褾、次等の角軸、靑帯を用いる。幕職官、州縣官、三省及び樞密院の令史、書史、流外官、諸州別駕、長史、司馬、文學、司士、助教、技術官に用いる。

宮掖より外命婦に至るまで、羅紙七種あり、十等に分かつ。

遍地銷金龍五色羅紙は二等あり。一等は十八張、韜帯、両面銷金の雲鳳褾、紅絲の綱子、金様鈒花塗帉錔、滴粉縷金の花鳳大犀軸を用いる。大長公主、長公主、公主に用いる。一等は十七張、韜帯、両面銷金の雲鳳褾、紅絲の網子、金様鈒花塗帉錔、滴粉縷金の花鳳子中犀軸を用いる。貴儀、淑儀、淑容、順儀、順容、婉儀、婉容、内宰に用いる。

遍地銷金鳳子五色羅紙は二等あり。一等は十五張、韜帯、銷金鳳子の褾、紅絲の綱子、金塗銀の帉錔、滴粉縷金の雲鳳玳瑁軸を用いる。昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛、副宰に用いる。一等は十二張、韜帯、銷金盤鳳の標、紅絲の網子、金塗銀の帉錔、滴粉金の雲鳳玳瑁軸を用いる。婕妤、才人、貴人、美人に用いる。

銷金團窠花五色羅紙は二等あり。一等は十張、八荅暈錦の逯韜、色帯、紫絲の網子、銀帉錔、滴粉縷金の葵花玳瑁褾軸を用いる。尚儀、尚服、尚食、尚寢、尚功、宮正、内史、宰相の曾祖母、祖母、母、妻、親王の妻に用いる。一等は八張、翠色獅子錦の標韜、色帯、紫絲の網子、銀帉錔、滴粉縷金の梔子花玳瑁軸を用いる。郡主、縣主、國夫人、内命婦、郡夫人、執政官の祖母、母、妻に用いる。

銷金大花五色羅紙は一等あり。七張、雲鴈錦の褾韜、色帯、紫絲の網子、銀帉錔、滴粉縷金の玳瑁軸を用いる。寶林、御女、采女、二十四司の典掌、尚書省の掌籍、掌樂、主管仙韶に用いる。

金花五色羅紙一等。七張、法錦の褾と韜、色帯、紫絲の網子、銀帉錔、縷金玳瑁の軸。郡夫人、郡君、宗室の妻、朝奉大夫・遙郡刺史以上の母と妻、升朝官の母、諸班直都虞候・指揮使・禁軍都虞候・軍都虞候・御前忠佐の母、蕃官の母と妻、諸神廟の夫人、これを用いる。

五色素羅紙一等。七張、錦の褾と韜、色帯、紫絲の綱子、銀帉錔、大牙軸。宗室の女、升朝官の妻、諸班直都虞候・指揮使・禁軍都虞候・軍都指揮使・忠佐の妻、これを用いる。

内外の軍校に対する封贈の綾紙は三種、四等に分かれる。

大綾紙二等。一等は七張、法錦の褾、大牙軸、青帯。遙郡刺史以上が用いる。一等は七張、大錦の褾、大牙軸、青帯。藩方指揮使、御前忠佐馬歩軍都副都軍頭・馬歩軍都軍頭、藩方馬歩軍都指揮使が用いる。内に遙郡を帯びる者は、法錦の褾、色帯。

中陵紙一等。五張、中錦の褾、中牙軸、青帯。都虞候以上の諸班指揮使、御前忠佐馬歩軍副都軍頭、藩方馬歩軍副都指揮使・都虞候が用いる。内に爵邑を加えられた者は、大綾紙、大牙軸、大錦の褾を用いる。

小綾紙一等。五張、黄華錦の褾、次等の角軸、青帯。諸軍指揮使以下が用いる。爵邑を加えられた者は、同上。

蛮夷の酋長及び蕃長に対する封贈の綾紙は二種、各一等。

五色銷金花綾紙一等。一十八張、翠色獅子錦の褾、法錦の韜、紫絲の網子、銀帉錔、滴粉縷金牡丹花玳瑁軸、色帯。南平・占城・真臘・闍婆の国王が用いる。

中綾紙一等。七張、法錦の褾、中牙軸、青帯。藩蛮官の承襲・転官に用いる。

大観年間に併せて尚書省に帰属し、政和年間に仍って吏部に帰し、主管官を差す。建炎元年、詔す:「文臣太中大夫・武臣正任観察使及び宗室南班官以上は告身を与え、以下は並びに勅牒を与える。」三年、詔して各等は旧に依って告身を与える。紹興二年、詔す:「四品以下の官及び職事官監察御史以上は、官告は並びに錦の褾を用いる外、その余の官並びに封贈は権(仮)に纈羅を以って代用して充てる。」十四年、始めて尽く錦を用いる。その後、又詔して内外の命婦・郡夫人以上にして、乃ち網袋及び銷金を用いることを得、その余は則ち然らず。二十六年に至り、詔して内外の文武臣僚の告身・勅牒は並びに大観の格式に依って製造す。吏員の定数を裁減し、合わせて二十九人を置く。淳熙十三年、又五人を減ず。

戸部

戸部。国初、天下の財計を三司に帰属せしめ、本部は職掌無く、只判部事一人を置き、両制以上を以って充て、天下の上貢を受けて、元会に庭に陳列す。元豊に官名を正し、始めて併せて戸部に帰属す。天下の人戸・土地・銭穀の政令、貢賦・征役の事を掌る。版籍を以って戸口の増減を考へ、税賦を以って軍国の歳計を支へ、土貢を以って郡県の物産の宜しきを辨じ、徴榷を以って兼併を抑へて調度を佐け、孝義・婚姻・継嗣の道を以って人心を和し、田務・券責の理を以って民訟を直す。凡て此れは左曹に帰す。常平の法を以って豊凶を平らかにし、時に斂散し、免役の法を以って貧富を通じ、財力を均しくし、伍保の法を以って比閭を聯ね、盗賊を察し、義倉振済の法を以って饑饉を救ひ、艱扼を恤み、農田水利の政を以って荒廃を治め、稼穡に務め、坊場河渡の課を以って勤労を酬ひ、科率を省く。凡て此れは右曹に帰す。尚書は都拘轄司を置き、内外の財賦の数を総領し、凡そ銭穀の帳籍は、長官・次官が吏を選びて鉤考す。その属は三:度支と曰ひ、金部と曰ひ、倉部と曰ふ。

熙寧中、知樞密院陳升之・参知政事王安石を以って条例を製置し、官を建て属を設け、三司条例を看詳し取り、行う所の事を具して之に付す。三年、中書に帰して罷め、常平・免役・農田・水利の新法を司農に帰し、胄案を軍器監に帰し、修造を将作監に帰し、推勘公事を大理寺に帰し、帳司・理欠司を比部に帰し、衙司を都官に帰し、坑冶を虞部に帰し、而して三司の権は始めて分かる。元豊官制行はれ、三司を罷めて戸部左・右曹に帰し、而して三司の名は始めて泯む。凡そ官十有三:尚書一人、侍郎二人、郎中・員外郎、左右曹各二人、度支・金部・倉部各二人。

元祐初、門下侍郎司馬光言す:「天下の銭穀の数、五曹各々支用を得、戸部は出納の現存を知らず、以って入を量りて出と為すこと無し。尚書に左・右曹を兼領せしめ、銭穀財用の事に五曹・寺監に散在する者有れば、並びに戸部に帰し、尚書をして其の数を周知せしめば、則ち利権は一に帰すべし。若し選用に人を得ば、則ち天下の財は庶幾く可理ならん。」詔して尚書省に法を立たしむ。三年、三省言す:「大理寺右治獄並びに罷め、三司の旧例に依り、戸部に推勘検法官を置き、在京官司の凡そ銭穀の事を治め、幹当公事二員を増置す。」紹聖元年、戸部幹当公事を罷め、提挙・管幹官を置き、免役・義倉を行ひ復し、左・右曹の職を釐正し、元定の官制に依る。三年、右曹は侍郎に専領せしめ、尚書はあづからず。建中靖国元年、幹当公事官二員を復す。政和二年五月、詔して神宗の官制に依り、右曹侍郎に委ねて専ら常平を行はしめ、自今より許す本部直達して奏裁す。又詔して熙寧・元豊の旧制に依り、本部に都拘轄司を置き、戸・度・金・倉四部の財賦を総領す。宣和六年、詔して戸部の官辟は元豊の法に依る。

戸部尚書・侍郎

尚書及び侍郎は、軍国用度を掌り、その出入盈虚の数を周知する。凡そ州県の廃置、戸口の登耗は、その版籍を稽え、貢賦徴税、斂散移用は、その数を会して政令を頒つ。凡そ四司の治むる事は、侍郎これを貳とし、郎中・員外郎これを参領す。独り右曹の事は専ら所掌の侍郎に隷す。若し事本曹に属し、郡県監司直す能はざるは、その訟を受く。大饗祀薦饌は、尚書俎を奉じ、飲福はこれを徹す。朝会は貢物を奏す。左曹は案五を分ち、吏四十を置く。右曹は案五を分ち、吏五十有六を置く。建炎兵興の際、嘗て知樞密院張愨を以て戸部財用の措置を提領せしめ、後に中書侍郎に遷り、仍ってこれを兼ぬ。五年、復た参知政事孟庾を以て提領措置せしむ。後に罷め、専ら戸部長貳に委ぬ。左曹は案三を分つ。曰く戸口、凡そ諸路州県の戸口升降、民間の立戸分財、科差人丁、典売屋業、戸絶を陳告し、妻男を索取する訟を掌る。曰く農田、農田及び田訟務限を掌り、豊稔を奏し、水旱蟲蝗を験し、農桑を勧課し、地土を請佃し、令佐の任満賞罰を令し、諸州の雨雪を繳奏し、災傷逃絶人戸を検按す。曰く検法、凡そ本部の検法の事を掌る。科を設くること三あり。曰く二税、受納・驅磨・隠匿・支移・折変を掌る。曰く房地、諸州の楼店務房廊課利、僧道の免丁銭及び土貢献物を掌る。曰く課利、諸軍の酒課、比較増虧、知・通等の職位姓名、人戸の買撲塩塲酒務租額酒息、売田投納牙契を掌る。外に開拆・知雑司あり。右曹は案六を分つ。曰く常平、常平・農田水利及び義倉振済、戸絶田産、鰥寡孤独を居養する事を掌る。曰く免役、曰く坊塲、曰く平準、各その名に随ひてその事を任ず。曰く検法、曰く知雑。吏額を裁減し、左曹四十人、右曹三十人。淳熙十

年、詔して左蔵南庫を戸部に撥隷す。旧制、戸部侍郎二人、中興の初め、長貳各一員を除くに止まり、或は尚書若しくは侍郎一員を除くに止まる。紹興四年七月、詔して戸部侍郎二員、左・右曹を通治せしめ、此より相承して改めず。

戸部郎中、左右曹、員外郎

郎中 左曹 右曹 員外郎は、曹を分ちて事を治むるを掌る。建炎三年、詔して郎曹を省併す。惟だ戸部五司は職事煩劇なるを以て併せず、仍って各一員を置く。紹興中、専ら提挙帳司を置き、天下の帳状を総べ、戸部左曹郎官を以てこれを兼ぬ。右曹は歳に常平銭物の総数を具し、毎秋季冊を具して以て聞す。初め左・右曹を主管するを置き、総称して戸部郎官と曰ふ。紹興七年、閻彦昭太府寺丞を以て左曹郎官を兼ぬ。紹興三十二年、徐康正左曹郎官を除く。是より相承して改めず。是年、又詔す「戸部の事に疑難裁決すべき有るは、長貳と衆郎官の聚議を許し、文字皆連書せしめ、定議有りて然る後に本曹に付して行遣せしむ」と。

度支司

度支郎中・員外郎は、軍国用の計度に参掌し、貢賦税租の入を量りて以て出と為す。凡そ軍須辺備は、その盈虚を会してその有無を通ず。若し中外の祿賜及び大禮の賞給は、皆前期を以て辨ず。歳終は、則ち諸路の財用出入の数を会して上に奏し、その副を以て尚書省に申す。凡そ小事は則ち擬畫し、大事はその長貳に諮る。申請更改舉行勘審すべきは、則ち先づ檢詳供具す。案六を分ち、吏五十有一を置く。凡そ上供に額有り、封樁に数有り、科買に期有るは、皆これを掌る。漕運有る所は、則ち程を計りてその直を給す。凡そ内外の支供及び奉給驛券、賞賜の衣物銭帛は、先期に擬度し、時に之を予ふ。案五を分つ。曰く度支、曰く発運、曰く支供、曰く賞賜、曰く知雑。乾道四年、会稽都籍を置き、度支これを掌る。吏額を裁減し、五十人を置く。淳熙十三年、又四人を減ず。

金部司

金部郎中・員外郎は、天下の給納の泉幣に参掌し、その歳の輸する所を計りて受蔵の府に帰し、邦国の用に待つ。平準・市舶・榷易・商税・香・茶・塩・礬の数を勾考し、以てその登耗を周知し、歳額の増虧を視て以てその賞罰を為す。凡そ綱運濡滯せず及び負折する者は、程帳を計りて催理す。凡そ度・量・権・衡を造るは、則ちその法式を頒つ。合同取索及び奉給・時賜は、審覆して供給す。案六を分つ。曰く左蔵、曰く右蔵、曰く銭帛、曰く榷易、曰く請給、曰く知雑。吏額を裁減し、共に六十人を置く。淳熙十三年、又四人を減ず。

倉部司

倉部郎中・員外郎は、国の倉庾儲積及びその給受の事に参掌す。凡そ諸路の収糴折納は、時に従ひて舉行し、漕運上供封樁は、時に従ひて催理す。応に中都に供輸して登耗有るは、則ち比較して以て聞す。歳に応用芻粟を以て前期に度支に報じ、支移・折変の数を均定す。その河北・陝西・河東路に在る者は、その支ふる歳月を書き、季に一たびこれを会す。若し内外倉塲の帳籍供申愆期するは、則ち法を以て究治す。案六を分ち、吏二十有四を置く。元祐元年四月、郎官一員を省く。十月復た置く。案六を分つ。曰く倉塲、曰く上供、曰く糶糴、曰く給納、曰く知雑、曰く開拆。建炎三年、司農寺を罷めて倉部に帰す。紹興四年旧に復す。吏額を裁減し、共に二十五人を置き、続いて又二人を減ず。

禮部

禮部は国の禮楽・祭祀・朝会・宴饗・学校・貢挙の政令を掌る。祭の名に三あり。天神を祀と曰ひ、地祇を祭と曰ひ、宗廟を饗と曰ふ。又大祀・中祀・小祀の別有り。幣玉・牲牢・器服、各その等に従ふ。凡そ雅楽は、六律・六同を以て陰陽の声を合して楽律と為し、金・石・絲・竹・匏・土・革・木を以て楽器と為し、宮架八佾、特架六佾、武文先後の序を分ちて楽舞と為し、その歌ふ所を楽章と為す。若し南北郊・明堂に事有り、籍田・禘祫太廟、景霊宮に薦享し、陵園に酌献し、及び朝貢・慶賀・宴楽の禮を行ふは、前期に有司を飭して具へ辨ぜしめ、定むる所の儀注を閲し、旧章を以てその当否を参考し、尚書省に上る。冊宝及び封冊命禮も亦た之の如し。凡そ禮楽制度に損益有るは、小事は則ち太常寺と同じ、大事は則ち侍従官・秘書省長貳或は百官を集め、議定して以て聞す。凡そ天下の選士は、籍に注し、三歳貢挙し、及び学校の試補三舎生を掌る。后妃・親王以下の推恩、公主の下嫁、宗室の冠・婚・喪・葬の制、及び旌節・章服・冠帔・門戟を賜ひ、孝行を旌表する法を掌る。若し印記・図書・表疎の事は皆これを掌る。大祥瑞有れば、則ち朝参官以上閤門に詣でて表賀し、余は歳終に条奏す。

旧来は礼儀院に属し、判院一人を置き、枢密院使・参知政事をもって充てた。知院は諸司の三品以上の者をもって充てた。主吏は定数なく、三司・京朝官・百司の胥史を選抜して充てた。礼部はただ判部一人を設け、科挙を掌り、太廟・郊社の斎郎・室長・掌坐の補奏、都省の集議、百官の謝賀章表、諸州の祥瑞申告、内外の牌印の出入り等の事を管掌した。兼ねて貢院を領し、諸州より解発された進士・諸科の名籍及びその家の保状・文巻を受け、戸籍・挙数・年齢を考験してこれを蔵した。もし朝廷が官を遣わして挙事を知らしめる時は、主判官は罷め、事が終われば、知挙官の卑なる者一員を以て主判とした。元豊の官制施行により、悉く礼部に帰属した。その属司は三つあり、祠部・主客・膳部という。官を十員設け、尚書・侍郎各一人、郎中・員外郎は四司各一人ずつである。元祐初年、祠部の郎官一員を省き、主客が膳部を兼ねた。紹聖の改元により、主客・膳部は互いに郎官を置いて兼領した。建炎以後はすべて同じである。

礼部尚書

尚書は、礼楽・祭祀・朝会・宴享・学校・貢挙の政令を掌り、侍郎はその次官となり、郎中・員外郎は参領する。およそ制度を講議し、儀物を損益する時は、有司の定めた式を審覆し、順次諮決して尚書省に質す。大祭祀の時は牲を省み、鼎鑊の滌濯を視、薦腥の時は籩豆・簠簋を奉じ、及び飲福して徹する時、稞の時は瓚を奉じて鬯に臨む。凡そ天地・宗廟・陵園の祀、后妃・親王・将相の封冊の命、皇子の加封、公主の降嫁は、その彝章を稽えて上下に詔し、これを挙行する。朝廷の慶会宴楽、宗室の冠・婚・喪・祭、蕃使の去来宴賜、及び経筵・史館・賜書・修書の礼は、例として皆奉常とともに講求参酌し、その儀節を定める。三年ごとの貢挙、学校の試補諸生は、皆その政を総べる。旌節章服の頒布、祥瑞表奏の進上、凡そ礼楽に関することは、皆これを掌る。建炎三年、鴻臚寺・光禄寺を礼部に併せて帰属させることを詔し、太常寺・国子監もまたこれに隷属させた。分案は五つあり、礼楽・貢挙・宗正奉使帳・封冊表奏・検法という。各々その名に随って其事を治める。吏額を裁減し、四十五人とした。続いてまた四人を減じた。

礼部侍郎

侍郎は、中厳外辦を奏し、牲を省み及び饌の腥熟の節を視ることを同じくする。祼の時は、瓚を受け盤を奉ず。歳祀の昊天上帝、皇地祇の祭には、尚書と迭りに亜献となる。太社・太稷・神州地祇の祭には、則ち迭りに初献となる。九宮貴神・五帝・感生帝・朝日・夕月・蠟祭の東西方もまたこれに同じ。大朝会には、尚書が藩国の貢物を奏する。凡そ慶賀若しくは謝する時は、郎中・員外郎が分かれて表文を撰す。祠事には、太常少卿・祠部官と迭りに終献または亜献となる。親郊の時は、景霊宮の朝献・太廟の朝享より望燎の礼が終わり、乗輿が内に還るまで、皆解厳を奏する。分案は十、吏を三十五人置く。南渡後、諸曹の長官・次官は互いに置かれた。紹興七年、礼部に侍郎二員を置く。隆興元年、「尚書を常置せずとするほか、礼部侍郎は一員を置く」と詔した。

礼部郎中、員外郎

郎中・員外郎は、元豊において、郎官・員外郎は礼楽・祭祀・朝会・宴享・学校・貢挙の事を参領する。損益すべきことがあれば、審訂して順次諮決する。凡そ慶会若しくは謝する時は、表文を撰することを掌る。祠部・主客・膳部と並んで四つと為す。建炎三年、郎曹を併省し、礼部は主客を領し、祠部は膳部を領した。隆興元年、また礼部・祠部一員に兼領させることを詔し、これより四司の事を併せて行うこととなった。通じて吏五十四人を置く。

祠部司

祠部郎中・員外郎は、天下の祀典・道釈・祠廟・医薬の政令を掌る。毎月、祠祭・国忌・休暇の日を奏する。毎年の大祀の忌日、大忌の前一日は、皆坐しない。元日・冬至・寒食の休暇は各七日。天慶・先天・降聖節は各五日。誕聖節・正月・七月の望・夏至・臘は各三日。天祺・天貺節・人日・中和・二社・上巳・端午・三伏・七夕・授衣・重九・四立・春秋分及び毎旬の休暇は各一日。もし神祠の封爵進号があれば、太常の定めたものを覆して尚書省に上る。凡そ宮観・寺院の道釈は、その名額を籍に記し、度牒を与えるべき時は、空名のものは常数を越えないようにする。初めて医師を補する時は、有司に命じて芸業を試させ、歳終に全失を校して賞罰する。分案五、吏二十一人を置く。

主客司

主客郎中・員外郎は、賓礼をもって四夷の朝貢を待遇することを掌る。凡そ郊労・授館・宴設・賜予は、その等を辨別して式によりこれを頒つ。来朝すればその衣冠を図し、その山川風俗を書す。封爵礼命があれば、詔を承って頒付する。嵩陵・慶陵・懿陵の祭享、崇義公の承襲の事を掌る。分案四、吏七人を置く。元祐六年七月、兵部が言うには、「兵部格は、蕃夷の官の授官を掌る。主客令は、蕃国の進奉人が転授官職を陳乞する者は裁を取る。即ち旧来より転官を除すべき者は、所属に報じて看詳させる。旧来に例なく、新たに陳乞するものは、曹部の職掌が統一されておらず、久遠には互いに参驗を失う。今後は曾て貢したか否か及び例の有無にかかわらず、進奉人に縁る陳乞により、官を授け恩を加える時は、主客に命じて兵部に関報させる。」これを従う。

膳部司

膳部郎中・員外郎は、牲牢・酒醴・膳羞の事を掌る。凡そ用いる物は、前期に計度して度支に関報する。もし祭祀・朝会・宴享の時は、光禄寺官とともにその善否を視、酒が成れば嘗めて後に進める。季冬に命じて氷を蔵し、春分にこれを啓き、供賜に備える。分案七、吏九人を置く。

兵部

兵部は兵衞・儀仗・鹵簿・武挙・民兵・廂軍・土軍・蕃軍、四夷の官封承襲の事、輿馬・器械の政、天下の地土の図を掌る。凡そ儀衞は、大朝会には黄麾大仗を用い、文徳殿での視朝及び王公大臣の冊命には黄麾半仗を用い、紫宸殿で外国使の朝を受けるには黄麾角仗を用い、文徳殿で冊を発するには黄麾細仗を用いる。鹵簿には大駕・法駕・小駕があり、皆その数及び行列の先後の儀を掌り、図を作して有司に授ける。凡そ武選の制は、貢挙の法に倣う。凡そその什伍を聯ねて戦を教えるを民兵と為し、材が禁衞に中らずして役を執るに足るを廂軍と為し、その郷井に就いて募りて盗を御するを土軍と為し、老疾を以てその功力の半を裁するを剩員と為す。団結して戎を御するを洞丁と為し、義軍・弩手と為す。属羌は辺将に分隷して蕃兵と為す。その名数を籍し、その禁令を頒つ。大将出征し、奏捷すれば則ち廟に告げ、賊を破れば則ち露布を以て聞かしむ。凡そ廂・禁軍を招置し、及び州郡の屯営、三衙の遷補、守戍の軍吏の転補、文武官の白直・宣借は、皆これを掌る。その属三つあり、職方・駕部・庫部と曰う。旧、判部事一人、両制を以て充つ。三駕の儀仗・鹵簿図、春秋の武成王廟への釈奠及び武挙を掌り、歳終に義軍・弓箭手の戸数を以て朝に上る。国初、千牛備身、殿中省の進馬籍を掌る。元豊に官十を設け、尚書・侍郎各一、四司の郎中・員外郎各一。元祐初、駕部郎中一員を省き、職方を以て庫部を兼ねしむ。紹興改元、詔して職方・庫部互いに郎官一員を置きて兼ねしむ。

兵部尚書

尚書は、兵衞・武選・車輦・甲械・廄牧の政令を掌る。天下の郡県の図を以てその地域を周知す。凡そ鹵簿を陳べ、仗衞を設け、官吏を飭して整肅せしめ、蕃夷の除授、その制命を奉行す。凡そ軍兵、名籍を以て統隷する者は、閲習按試し、選募遷捕し、及び武挙・校試の事、皆これを総べる。侍郎はその貳と為り、郎中・員外郎は参掌す。大礼には則ち尚書

鹵簿使を充てる。大祀には、魚牲及び俎を奉る。視朝には則ち侍郎、班簿を執りて対立す。小祀には則ち郎中・員外郎、俎を薦め併せて徹す。案を九つに分ち、吏四十七を置く。凡そ蕃夷属戸の授官・封襲の事は皆これを掌る。建炎三年、衛尉寺を併せてこれに隷す。案を十に分つ、賞功・民兵衞・廂兵・人従看詳・帳籍告身・武挙・蕃官・開拆・知雑・検法と曰う。乾道、吏額を裁減し、共に三十人を置く。続いて詔す、「下班祗応並びに進義校尉・守闕進義副尉・進武校尉・守闕進武副尉を兵部に隷せしめ、殿前司において下班祗応、文字人吏六名を抽差し、部に赴かせて行遣することを許す。」

兵部侍郎

侍郎は、尚書の事を貳するを掌る。南渡、長貳互いに置く。続いて侍郎二員を置き、紹興常に一員を置く。

兵部郎中、員外郎

郎中・員外郎は、本部の長貳の事を参掌す。建炎三年、詔して兵部に職方を兼ねしめ、駕部に庫部を兼ねしむ。隆興元年、詔して駕部・兵部

の郎官、共に一員を以て兼領せしむ。是より四司合して一と為る。厥の後間或並置す。若し軍に従い或いは外に命を将するは、則ちこれを以て寵と為す。

焉。

職方司

職方郎中・員外郎は、天下の図籍を掌り、以て方域の広袤及び郡邑・鎮砦道里の遠近を周知す。凡そ土地の産する所、風俗の尚ぶ所、古今の興廃の因を具え、州之が籍を為す。閏歳に遇えば図を造りて進む。四夷帰附すれば則ち諸州に分隷し、田屋錢糧の数を度りて之に給す。案を三つに分ち、吏五を置く。旧、判司事一人、無職事の朝官を以て充つ。閏年図経を受くるを掌る。国初、天下に令して毎閏年図を造り儀鸞司に納めしむ。淳化四年、令して再閏一造せしむ。咸平四年、令して職方に上らしむ。転運は本路諸州の図を画き、十年に一たび上る。紹熙三年、職方・駕部の吏額を通じて兵部・庫部に入れ、併せて四十二人と作す。

駕部司

駕部郎中・員外郎は、輿輦・車馬・驛置・廄牧の事を掌る。大礼には、有司を戒めて五輅を具えしむ。凡そ奉使の官闕に赴くは、その職を視て格に如く馬を給す。官文書は則ちその遅速を量りて歩馬急遞に附す。内外の監牧を総べ、その租入の多寡・孳産の登耗を籍す。凡そ四夷に馬を市するは、歳額を溢れば則ち之を賞す。案を六つに分ち、吏十三を置く。建炎三年、太僕寺を併せてこれに隷す。

庫部司

庫部郎中及び員外郎は、鹵簿・儀仗・戎器・供帳の事を掌り、国の武庫はこれに隷属す。凡そ内外の甲仗器械、造作繕修は、皆法式有り。若し大慶殿・文德殿に御すれば、応用すべき鹵簿の名数は、前期に以て有司を戒む。祭祀・喪葬には、則ち等差を以て給す。衛尉寺・金吾仗司の兵匠の数を総べ、其の功罪・歳月を考へて法を以て之を升降す。案四を分ち、吏九を置く。

刑部

刑法・獄訟・奏讞・赦宥・敘復の事を掌る。凡そ獄を断ずるは律を本とし、律の該らざる所は、敕・令・格式を以てこれを定む。凡そ律の名は十有二あり。曰く名例、曰く禁衞、曰く職制、曰く戸婚、曰く廄庫、曰く擅興、曰く盜賊、曰く鬥訟、曰く詐偽、曰く雑律、曰く捕亡、曰く断獄なり。未然に禁ずるを令と謂い、已然に施すを敕と謂い、此れに設けて彼をして之に至らしむるを格と謂い、此れに設けて彼をして之に效わしむるを式と謂う。其一司一路海行の該らざる所は、折して専法と為す。若し情矜憫むべくして法情に中らざる者はこれを讞し、皆その案状を閲し、例を伝えて擬進す。詔獄に応じ及び命官を案劾し、姦盗を追命するは、程を以てこれを督す。京都の辟囚を審覆し、在外に已に論決したる者は、案を摘まえて検察す。凡そ大理・開封・殿前馬歩司の獄は、その当否を糾正し、辯訴有るは、情法を以て与奪・赦宥・降放・敘雪す。若し命官牽復せしむるは、則ち期数を以てこれを定む。その属三。曰く都官、曰く比部、曰く司門。官を設くること十有三。尚書一人、侍郎二人。郎中・員外郎、刑部各二人、都官・比部・司門各一人。

国初は、刑部にて大辟の案を覆審せしむ。淳化二年、審刑院を増置し、知院事一人を以て、郎官以上より両省に至るを充て、詳議官は京朝官を以て充て、大理の断じたる案牘を詳讞して之を奏するを掌る。凡そ獄具上するは、先ず大理を経、断讞既定まりて後、審刑に報じ、然る後に知院と詳議官と文草を定成し、奏記して中書に上せしめ、中書は以て天子に奏し論決せしむ。大中祥符二年、糾察刑獄司を置き、糾察官二人を以て、両制以上を充てる。凡そ在京の刑禁、徒以上は即時に以て報じ、若し理未だ尽きず或いは淹恤を置かば、其の案を追覆し、詳正して之を駁奏す。凡そ大辟は、皆録問す。熙寧三年、詔す:「詳議・詳断・詳覆の官、初入は三年を以て任と為し、次は三十月を以て任と為し、出でんと欲する者は前任満半年を聴し闕を指して官を注し、満三任の者は堂除す。」八年、詳議・詳断の官の親書節案を罷め、止だ節略を令して吏に付し、仍て議官一・断官二を減ず。元豊二年、知院安燾言う:「天下の奏案、往時に益多くする。熙寧八年議官・断官を減じてより、力既に足らず、故事多く疎謬なり。」詳議官一を増し、刑部は詳断官一を増す。三年八月、詔す:「審刑院を省みて刑部に帰す。知院官を以て刑部を判し、詳議・詳覆司の事を掌らしむ。刑部の主判官を同判刑部と為し、詳断司の事を掌らしめ、審刑の議官を刑部の詳議官と為す。」官制行はれ、悉く罷めて刑部に帰す。

元祐元年、比部郎官一員を省き、都官をもって司門を兼ねしむ。五月、三省言う、「旧制、在京刑獄を糾察して違慢を察す。罷めて刑部に帰してより、復た申明糾挙の制無し。請う、御史台刑察をもって兼領せしむ。其の御史台の刑獄は、尚書省右司に糾察せしむるを令す」と。之に従う。刑部旧に詳覆案有り、官制行はれてより、諸路提刑司に帰す。是に至りて復た置く。四年、制勘・体量を併せて一案と為す。紹聖元年、都官・司門互いに郎官一員を置くを詔す。崇寧二年十二月、詔す、「刑部尚書は左右曹を通治し、侍郎は一は左曹を治め、一は右曹を治む。もし独員なれば、即ち通治す。余は並びに官制格令に依る」と。

刑部尚書

尚書は、天下の刑獄に関する政令を掌る。凡そ法に係る者は、その軽重を審らかにし、その枉直を平らかにし、而して侍郎はその副となる。応に定奪・審覆・除雪・敘復・移放すべきは、則ち尚書専ら之を領す。制勘・體量・奏讞・糾察・録問は、則ち長貳之を治む。而して郎中・員外郎は其事を分掌す。有司条法を更定すれば、則ち其の当否を覆議す。凡そ訟獄を聴くに或いは軽重中を失う者あれば、能く駁正する有るを、詔して其の賞罰をす。若し赦宥を頒つは、則ち官吏の稽違する者を糾す。大祀は、則ち尚書誓に蒞り、薦熟は則ち牲を奉ず。大礼肆赦は、則ち侍郎赦書を授けて有司に付し宣読せしめ、旨を承けて囚を釈す。案を十二に分ち、吏五十二を置く。紹興の後、案を十三に分つ。曰く制勘、凡そ諸路の公事を根勘するを掌る。曰く體量、凡そ体究の事を掌る。曰く定奪、訴雪除落過名を掌る。曰く舉敘、命官の敘復を掌る。曰く糾察、大辟を審問するを掌る。曰く檢法、条法を供檢するを掌る。曰く頒降、条法を頒ち赦を降すを掌る。曰く追毀、断罰追毀宣敕を掌る。曰く會問、批會過犯を掌る。曰く詳覆、諸路の大辟帳状を掌る。曰く捕盜。曰く帳籍、行在の庫務・理欠帳籍を行ふを掌る。曰く進擬、断案刑名文書を進むるを掌る。吏額を裁減し、三十五人を置く。

刑部侍郎

侍郎は、旧制において、定奪・審覆・除雪・敘復・移放の事は尚書が専らこれを領し、若し制勘・體量・奏讞・糾察・録問の事は長貳が通じてこれを治む。南渡してより、長貳は互いに置く。隆興の時、常に一員を置く。淳熙十六年、崇寧の専法に依り、獄を奏し及び法令の事は、大理寺の官を請ひて部に赴かせ、共にこれを議す。是れ侍郎呉博古の説を用ひたるなり。

刑部郎中、員外郎

郎中・員外郎各二人、左右の廳に分かれ、詳覆・敘雪の事を掌る。建炎三年、刑部郎官は二員を定員とし、職事を關掌し、初め分異無し。紹興二十六年、詔して元豐の舊法に依り、廳を分けて事を治む。是に先立ち、右司汪應辰言う、「刑部郎官を左右に分つ、左は詳覆を以てし、右は敘雪を以てす、同僚にして事を異にす、祖宗深意有り。倘し初め分異無くんば、則ち不當なる

都官司

都官郎中・員外郎は、徒刑・流刑・配流・隷属を掌る。天下の役人と在京の百司の吏職は全て籍簿があり、その役務の免除及び増減・廃置の数を考課する。副尉の差定(旧称は軍大将)は、その経歴を勘案し、役務の軽重によって労逸を均しくし、印紙を与えて功過を記し、磨勘の年月を延減する。元祐八年、綱運の差遣を吏部に帰属させ、副尉の員数を三百減らした。紹聖年間、その員数を回復し、元豊の押綱法を都官に帰属させた。崇寧二年二月、配隸案を復活させた。先に、元豊年間、都官に吏籍案・配隸案があったが、元祐年間に廃止された。刑部の請願により、旧制通りとする詔が出された。六月、侍郎劉賡が上奏した:「副尉の差遣には定められた優重の等級があり、都官の条規では特旨であっても執奏することが許されている。その禁令を厳しく徹底するよう申し渡されたい。」詔はこれに従った。四つの案に分け、吏員を十八人置いた。建炎三年、比部が司門を兼ねるよう詔があった。隆興元年、都官・比部が共に一員を置くよう詔があった。これ以降、都官が比部・司門の事務を兼ねる。五つの案に分ける:差次案・磨勘案・吏籍案・配隸案・知雑案といい、それぞれその名に因って事務を処理する。吏員の定数を削減し、十二人を置いた(淳熙十三年、三人減らした)。

比部司

比部郎中・員外郎は、中外の帳籍を勾覆(照合・審査)することを掌る。全ての場務・倉庫の官物の出納は、月計・季考・歳会し、所属する監司が検査して比部に上申し、到着すればその多寡・増耗の数を審査覆勘し、欠損があれば賠納させる。百司の経費を鉤考し、隠蔽・不明があれば、関係者に会問して一致するか否かを確認し、その侵食・負債を処理する。旧来の帳案は三司に属していたが、治平年間から熙寧初年にかけて、凡そ四年間、未鉤考の帳簿は既に十二万を超え、銭帛・芻粟の累積欠損は数え切れなかった。五年十一月、曾布が上奏し、四方の財賦には簿書文籍を以てその給納・増耗・多寡を鉤考すべきであるとした。そこで提挙帳司を設置し、人吏二百人を選抜して天下の帳籍を駆磨(精査)させ、併せて官吏を選んで審査覆勘させた。七年二月、帳司が毎年天下の財用の日々の出入数を報告するよう詔があった。元豊初年、詔があった:「諸路の財賦の出入は、今後三年ごとに報告せよ。これを令とする。」官制施行に伴い、その事務を比部に整理・帰属させた。元祐元年七月、司馬光の上奏により、全て戸部が総括することになった。三年、倉部を整理し、勾覆案・理欠案・憑由案及び印発鈔引の事務を比部に帰属させた。政和六年、詔があった:「寺監は事前に検査し、庫務監官の作成した文帳に未備が全くないことを確認して初めて批書を許す。違反者は御史臺が奏劾せよ。」これは郎官梅執礼の請願によるものである。五つの案に分け、吏員を百一人置いた。建炎以後、都官が比部・司門の事務を兼ねることもあった。

司門司

司門郎中・員外郎は、門関・津梁・道路の禁令及びその廃置・移転・復旧の事務を掌る。官吏・軍民・輦道の商販について、偽り・違反・縦放を譏察する。諸門の啓閉の節度及び関梁のその他の禁令を、時宜に応じて施行する。二つの案に分け、吏員を五人置いた。

工部

工部は天下の城郭・宮室・舟車・器械・符印・銭幣、山沢・苑囿・河渠の政務を掌る。全ての営繕について、毎年使用する財物を計算し、度支に通牒して和買する。その工料については、少府監・将作監に命じて使用する多寡の数を検査計算させる。全ての百工について、その役務には程限があり、善し悪しによって賞罰がある。兵匠が不足すれば、緩急に応じて募集する。坑冶の歳入数を記録し、もし銭貨を改鋳する場合は、先に模型を具えて進上し、書体を請う。度・量・衡を造る場合は金部に通牒する。印記については礼部に通牒する。全ての道路・津梁は、時宜に応じて修繕する。旧制では、判部事一人を置き、両制以上の者が充てた。元豊年間に全て工部に帰属させた。その属司は三つ:屯田司・虞部司・水部司という。設ける官は十。尚書・侍郎各一人、工部・屯田・虞部・水部の郎中・員外郎各一人。元祐元年、水部の郎官を一人削減した。紹聖元年、屯田・虞部が互いに郎官一人を置いて兼領するよう詔があった。

工部尚書

尚書は、百工・水土の政令を掌り、その功績を稽考して賞罰を詔する。四司の事務を総括し、侍郎がその次官となる。製作・営繕・計置・採伐に用いる財物については、その規定に照らして有司に授け、郎中・員外郎がこれを参掌する。官吏・兵民が本曹の事に関して功賞・罪罰を受ける場合は、事実を審査して尚書省に上申する。大祭祀では、尚書が俎を薦め、また徹する。諸監が銭貨を鼓鋳する場合は、年額に照らしてその数を課し、その増耗によって賞罰を詔する。車輦・装飾器・印記の製造については、少府監・文思院がこれに属する。甲兵・器械の規格については、軍器所がこれに属する。支給すべき物料・工価がある場合は、朝廷に申し出て、戸部に属させる。建炎年間、将作監・少府監・軍器監を全て工部に併合した。この時は営繕に余裕がなく、ただ戎器が急務であった。紹興二年、行在に別に作院を設けて器甲を造らせ、工部の長官・次官に提点させ、郎官に逐旬点検させよとの詔があった。少府監が工部に帰属した後、文思院上下界の監官は全て本部が辟差するようになった。また、御前軍器所を工部に属させる詔があり、これ以降、営造は次第に広がった。宰臣が議した:「戸部は財を給することを務めとし、工部は事を弁ずることを能とする。誠に一体ではない。」戸部・工部にその事務を兼領させようとしたが、結局合意には至らなかった。隆興以後、宮室・器甲の造作は次第に稀になり、かつ各々職掌を分担したため、部の事務は益々簡素となり、ただその綱要を提げるに過ぎない。六つの案に分ける:工作案・営造案・材料案・兵匠案・検法案・知雑案という。また専ら一案を立て、御前軍器案と名付けた。吏員の定数を削減し、合わせて四十二人を置いた。

工部侍郎

侍郎は、尚書の事務を補佐することを掌る。南渡の初め、長官・次官は互いに置いたが、隆興年間に各々一員を置くよう詔があった。

工部郎中、員外郎

工部郎中・員外郎。旧制では、全ての製作・営繕・計置・材物の採伐について、規定に照らして有司に授けることを参掌した。建炎三年、詔があった:「工部郎官は虞部を兼ね、屯田郎官は水部を兼ねよ。」隆興元年、工部・屯田が共に一員を兼領するよう詔があり、これ以降、四司は一つに合わさった。淳熙九年、趙公暠を屯田員外郎としたが、これ以降、再び削減されることはなかった。

屯田司

屯田郎中・員外郎は、屯田・営田・職田・学田・官荘の政令及びその租入・種刈・興修・給納の事務を掌る。全ての塘泊は時宜に応じて増減し、堤堰は時宜に応じて修葺する。併せて有司の修葺・種植の事務について、賞罰を詔してその長官・次官に施行させる。三つの案に分け、吏員を八人置いた。

虞部司

虞部郎中・員外郎は、山林・沼沢・苑囿・鉱山・製錬の事務を掌り、その地の産物を辨別して禁令を設ける。凡そ金・銀・銅・鉄・鉛・錫・塩・礬は、その収入の増減を計算して賞罰を詔する。四つの案を分かち、吏を七人置く。

水部司

水部郎中・員外郎は、溝渠・橋梁・舟船・漕運の事務を掌る。凡そ堤防の決壊・氾濫、水路の閉塞・沈澱については、時宜に応じて規制し、その歳用の物資を計算する。修治が法にかなわない者はこれを罰し、計画・措置が民の利となる者はこれを賞する。六つの案を分かち、吏を十三人置く。紹興年間に累次吏員を減らし、四司合わせて三十三人を置く。

軍器所

軍器所は工部に隷属し、提点官二員(紹興三十二年、詔して辺境の臣内より差し出す)、提轄・監造官各二員、幹辦・受給・監門官各一員を置く。工匠を集め材料を調達し、兵器を製造する政令を掌る。旧来は軍器監に置き、別に提挙官を差し、内侍がこれを管轄した。紹興年中、工部に改めて隷属させ、提挙官を廃し、日ごとに工部郎官・軍器監官を輪番で

本所に赴かせ点検監視させた。後に再び宦官に管轄させた。工部侍郎黄中がこれを諫言し、再び隷属させることを請うた。これに従う。孝宗が即位し、提点官を増置する旨があり、内省都知李綽をこれに任じ、提挙と改称し、工部への隷属を免じた。後に御史張震が力爭し、再び工部に隷属させた。後に歩軍司に改めて隷属させ、まもなく旧に復した。紹熙元年、員額を減省し、上記の制の如くとする。

文思院

文思院は工部に隷属し、提轄官一員、監官三員(内一員は文臣、京朝官を充てる)、監門官一員を置く。金銀・犀角・玉の細工および彩色・装飾の飾りを掌る。凡そ儀式の器物・器仗・度量衡・車輿・服飾で、上方に供し、諸官庁に給するものは、ここより出る。沿革は榷貨務都茶場提轄官の条に附載する。

六部監門

六部監門官一員は、門の鍵を掌る。紹興二年に置く。昇朝文臣で才力ある者を選んで充て、なお六部に探らせ奏上して差す。序位・俸給は寺・監の丞に準じ、郎官に欠員があればこれを兼ねることができる。初めは吏部尚書沈與求の請いに従ったものである。

主管架閤庫

主管架閤庫は、帳簿・文書を貯蔵し備えることを掌る。選人で時望ある者を選んでこれに任ずる。旧来に管幹架閤庫官あり、宣和年間にこれを廃し、紹興十五年に復置した。吏部・戸部は各々一員を差し、礼部・兵部は共に一員を差し、刑部・工部は共に一員を差し、主管尚書某部架閤庫を名乗る。大理寺丞周楙の請いに従ったものである。嘉定八年、また三省・枢密院架閤官を置く。