◎楽十七○詩楽・琴律・燕楽・教坊・雲韶部・鈞容直・四夷楽
『小雅』歌、凡そ六篇。
朱熹曰く、「『伝』に曰く、『大学始教、宵雅肄三』と。謂う、『小雅』の『鹿鳴』・『四牡』・『皇皇者華』の三詩を習うなり。此れ皆君臣宴労の詩、始めて学ぶ者之を習う、上下相和厚なるを取る所以なり。古の郷飲酒及び燕礼は皆此の三詩を歌う。及び笙入り、六笙、間歌に『魚麗』・『南有嘉魚』・『南山有台』を歌う。六笙詩は本辞無く、其の遺声も亦復伝わらず。『小雅』は諸侯の楽、『大雅』・『頌』は天子の楽なり」と。
二南『国風』歌、凡そ六篇。
朱熹曰く、「『周南』・『召南』は正始の道、王化の基なり。故に之を郷人に用い、之を邦国に用う。『郷飲酒』及び『郷射礼』に、『楽を合わす、『周南』:『関雎』・『葛覃』・『巻耳』;『召南』:『鵲巣』・『采蘩』・『采蘋』』と。『燕礼』に云う、『遂に郷楽を歌う』と。即ち此の六篇なり。楽を合わすとは、歌舞と衆声と皆作るを謂う。『周南』・『召南』は古の房中の楽歌なり。『関雎』は后妃の志を言い、『鵲巣』は国君夫人の徳を言い、『采蘩』は夫人の職を失わざるを言い、『采蘋』は卿大夫の妻の法度に能く循うを言う。夫婦の道は生民の本、王化の端なり。此の六篇は其の教えの原なり。故に国君と其の臣下及び四方の賓と燕し、之を用いて楽を合わすなり」と。
『小雅』詩譜:『鹿鳴』・『四牡』・『皇皇者華』・『魚麗』・『南有嘉魚』・『南山有台』は皆黄鐘清宮を用う。(俗に正宮調と称す。)
二南『国風』詩譜:『関雎』・『葛覃』・『巻耳』・『鵲巣』・『采蘩』・『采蘋』は皆無射清商を用う。(俗に越調と称す。)
朱熹曰く、「『大戴礼』に言う、『雅』二十六篇、其の八は歌う可く、其の八は廃れて歌う可からず、本文頗る闕誤有り。漢末、杜夔は旧雅楽四曲を伝う:一に曰く『鹿鳴』、二に曰く『騶虞』、三に曰く『伐檀』、又た『文王』詩を加う、皆古声辞なり。其の後、新辞作りて旧曲遂に廃す。唐の開元郷飲酒礼に、乃ち此の十二篇の目有り、而して其の声も亦得て聞く莫し。此の譜は、相伝う即ち開元の遺声なり。古声亡滅すること久しく、当時の工師何を考として此れを為すかを知らず。窃かに疑う、古楽に唱う有り、歎く有り。唱うとは、歌句を発するなり;和するとは、其の声を継ぐなり。詩詞の外、応に更に疊字・散声有りて、以て其の趣を歎発す。故に漢・晋間の旧曲既に其の伝を失えば、則ち其の詞存すと雖も、世補う能わず。此の譜の如く直に一声を以て一字に協せば、則ち古詩篇篇歌う可し。又た其の清声を以て調と為すは、似た亦古法に非ざるも、然れども古声既に考うる可からず、姑く此れを存して声歌の彷彿たるを見しめ、楽を知る者を俟って考せしめん」と。
琴律。天地の和を賾くは楽に如くは莫く、楽の趣を暢ぶるは琴に如くは莫し。八音は絲を以て君と為し、絲は琴を以て君と為す。衆器の中、琴の徳最も優る。『白虎通』に曰く、「琴は邪を禁止し、以て人心を正すなり」と。宜しく衆楽皆琴の臣妾と為るべし。然れども八音の中、金・石・竹・匏・土・木の六者は、皆一定の声有り:革は燥湿に薄せられ、絲は弦柱緩急斉しからず、故に二者は其の声定め難し。鼓は五声に当たること無し、此れ復た論ぜず。惟だ絲声は五声を備え、而して其の変窮まり無し。五弦は虞舜に作り、七弦は周の文王・武王に作る、此れ琴製の古き者なり。厥の後増損一ならず。宋に至り始めて二弦の琴を製し、以て天地に象り、之を両儀琴と謂い、毎弦各六柱有り。又た十二弦を為して十二律に象り、其の倍応の声靡く畢く備わらず。太宗は大楽雅琴に因り加えて九弦と為し、曲に按じて大楽十二律に転入し、清濁互いに相合応せしむ。大晟楽府は嘗て一・三・七・九を罷む。惟だ五弦を存し、其の五音の正を得るを謂い、諸琴に最も優るなり。今復た俱に用う。太常琴製、其の長三尺六寸、三百六十分、周天の度に象るなり。
姜夔の『楽議』は琴を分けて三準と為す:一暉より四暉に至るを上準と謂い、四寸半、以て黄鐘の半律に象る;四暉より七暉に至るを中準と謂い、中準九寸、以て黄鐘の正律に象る;七暉より龍齦に至るを下準と謂い、下準一尺八寸、以て黄鐘の倍律に象る。三準各十二律声を具え、弦を按じ木に附して取り。然れども須らく弦を転じて本律の用いる所の字に合わすべし、若し弦を転ぜずんば、則ち誤って散声に触れ、別律に落つ。毎一弦各三十六声を具え、皆自然なり。五・七・九弦琴を分ち、各転弦合調図を述ぶ。
『五弦琴図説』に曰く、「琴は古楽、用いる所は皆宮・商・角・徴・羽の正音、故に五弦の散声を以て之に配す。其の二変の声は、惟だ古清商を用い、之を側弄と謂い、雅楽に入れず」と。
『九弦琴圖説』に曰く、「弦は七弦、九弦ありと雖も、実は即ち五弦なり。七弦は其の二を倍し、九弦は其の四を倍す。用いる所は五音なり、亦た二変を以て散声と為さず。或いは七弦を以て五音二変に配し、余る二弦を倍と為さんと欲する者あり。若し七弦を分配して七音と為さば、則ち是れ今の十四弦なり。『声律訣』に云う、『琴瑟齪四なる者は、律法上下相生なり』と。若し二変を加うれば、則ち律法に於いて諧わず。或いは曰く、『然らば則ち琴に二変の声無きか』と。曰く、『木に附して之を取れば、二変の声固より在り』と。五弦、七弦、九弦の琴を合わせ、総じて応声を取る法を述べ、十二律十二均に分ち、毎声弦暉の応を取るは、皆以て次に列して按ず。」
古えは大琴有れば則ち大瑟有り、中琴有れば則ち中瑟有り、雅琴、頌琴有れば則ち雅瑟、頌瑟有り、実に之を合せたり。夔乃ち瑟の製を定む:桐を以て背と為し、梓を以て腹と為し、長さ九尺九寸、首尾各九寸、隠間八尺一寸、広さ尺八寸、嶽の崇さ一寸八分。中に九梁を施し、皆黄鍾の数を象る。梁下相連なり、其の声を衝融ならしむ。首尾の下に両穴を為し、其の声を条達ならしむ。是れ『伝』の所謂「大瑟は越を達す」なり。四隅に雲を刻みて以て其の武を縁どり、其の雲和より出づるを象る。其の壁と首・尾・腹とを漆し、椅・桐・梓漆を取る。全く二十五弦を設け、弦に一柱、崇さ二寸七分。別に五色を以てし、五五相次ぎ、蒼を上と為し、朱之に次ぎ、黄之に次ぎ、素と黔又之に次ぎ、肄習する者をして弦を択ぶに便ならしむ。弦八十一絲にして之を朱す、是れを朱弦と謂う。其の尺は則ち漢尺を用う。凡そ瑟の弦は五声を具え、五声を以て均と為し、凡そ五均、其の二変の声は、則ち柱後に角・羽を抑えて之を取り、五均凡そ三十五声。十二律、六十均、四百二十声、瑟の能事畢れり。夔の琴・瑟に関する議、其の詳しきこと此の如し。
朱熹嘗て学者と共に琴法を講じ、其の律を定むる法:十二律並びに太史公の九分寸法を用いて準と為し、損益相生し、十二律及び五声に分ち、位置各定まる。古人の管を吹く声を琴上に伝うるに按ずるに、管を吹いて黄鍾を起すが如くは、則ち琴の黄鍾声を以て之に合わす。声合して差無く、然る後に以て次に諸声に遍く合わす。則ち五声皆正し。唐人琴を紀すに、先ず管色合字を以て宮弦を定め、乃ち宮弦を以て下生して徴と為し、徴上生して商と為し、上下相生し、少商に終わる。下生する者は二弦を隔て、上生する者は一弦を隔てて之を取る。凡そ絲声は皆当に此くの如くすべし。今人は苟簡にして、復た管を以て声を定めず、其の高下は臨時に出づ、古法に非ざるなり。
旋宮諸調の法:旋宮古えに「月に随いて律を用う」の説有り。今乃ち謂う、必ずしも軫を転じ弦を促すに及ばず、但だ旋宮の法に依りて之を抑按すれば足ると。恐らくは此くの如く泛然に論ずるは難からん。当に毎宮指定し、各以て何声を以て何弦を取りて唱と為し、各以て何弦を以て何律を取りて均と為すを以てすべく、乃ち詳実を見るべし。又た『礼運正義』を以て之を推すに、則ち毎律各々一宮を為し、毎宮各々五調有り、而して其の毎調律を用い声を取るも、亦た各々法有り。此れ琴の綱領にして、而して説く者罕に及ぶ、乃ち闕典なり。当に一図を為し、宮を以て調を統べ、調を以て声を統べ、其の次第・賓主各々条理有らしむべし。仍て先ず三図を作すべし:一、各々琴の形体・暉弦・尺寸・散声の位を具う。二、按声声律の位を附す。三、泛声声律の位を附す。宮調図の前に列すれば、則ち覧る者暁然たり、万世の法と為すべし。
熹の言を観るに、其の琴法に於いて本は融け末は粲たり、至って疏達にして至って縝密なり、蓋し所謂其の大なる者を識るなるか。
燕楽古えより、燕楽は周以来用う。唐の貞観、隋の九部を増して十部と為し、張文收の製する所の歌を以て燕楽と名付け、而して之を管弦に被す。厥の後坐部伎琵琶曲に至り、時に盛んに流る。直に漢氏の上林楽府・縵楽の経法に応ぜざるのみに非ず。宋初教坊を置き、江南楽を得て、已に其の坐部を汰りて用いず。爾後旧曲に因り新声を創し、転た流麗を加う。政和の間、詔して大晟雅楽を以て燕饗に施し、御殿に按試し、徴・角の二調を補い、之を教坊に播し、之を天下に頒つ。然れども当時楽府奏言す:楽の諸宮調多く正しからず、皆俚俗の伝うる所なり。劉昺を命じて『燕楽新書』を輯ましむるに及んでも、惟だ八十四調を以て宗と為すのみ、復た雅音に非ず。而して曲燕昵狎、至って「君臣相説の楽」を援りて以て藉口と為す者有り。末俗漸靡の弊、愈々言うに容れざるなり。紹興の中、始めて教坊楽を蠲省し、凡そ燕礼、坐伎を屏う。乾道志を継ぎ事を述べ、間雑攢を用いて以て教坊の号を充し、臨時に具わるを取り、而して廷紳祝頌、務めて厳恭に在り。亦た明らかに以て更に女楽を用いず、旨を頒ち子孫之を守り、以て家法と為す。是に於いて中興の燕楽、前代に比して猶簡にして、而して君徳に関わる者良多し。
蔡元定嘗て『燕楽』一書を為し、俗失を証して古義を存す。今其の略を采りて下に附す。
黄鍾は「合」字を用い、大呂・太簇は「四」字を用い、夾鍾・姑洗は「一」字を用い、夷則・南呂は「工」字を用い、無射・応鍾は「凡」字を用い、各々上・下を以て清濁を分つ。其中呂・蕤賓・林鍾は上・下を以て分つべからず、中呂は「上」字を用い、蕤賓は「勾」字を用い、林鍾は「尺」字を用う。其の黄鍾清は「六」字を用い、大呂・太簇・夾鍾清は各々「五」字を用い、而して下・上・緊を以て之を別つ。緊「五」なる者は、夾鍾清声、俗楽以て宮と為す。此れ其の律寸・律数・用字声を紀するの略なり。
一宮、二商、三角、四変宮と為り、五徴、六羽、七閏角と為る。五声の号は雅楽と同し、惟だ変徴は十二律中に於いて陰陽位を易うるを以て、故に之を変と謂う。変宮は七声の及ばざる所、閏余の義を取るを以て、故に之を閏と謂う。四変は宮声の対に居るを以て、故に宮と為る。俗楽は閏を以て正声と為し、閏を以て変に加うるを以て、故に閏は角と為りて実は正角に非ず。此れ其の七声高下の略なり。
声は陽より来たり、陽は子に生じ、午に終わる。燕楽は夾鐘を以て四声を収む:宮と曰い、商と曰い、羽と曰い、閏と曰う。閏は角たり、その正角声・変声・徴声は皆収めず、而して独り夾鐘を律本と為す。これが夾鐘の四声を収むる略なり。
宮声七調:正宮・高宮・中呂宮・道宮・南呂宮・仙呂宮・黄鐘宮と曰い、皆黄鐘より生ず。商声七調:大食調・高大食調・双調・小食調・歇指調・商調・越調と曰い、皆太簇より生ず。羽声七調:般渉調・高般渉調・中呂調・正平調・南呂調・仙呂調・黄鐘調と曰い、皆南呂より生ず。角声七調:大食角・高大食角・双角・小食角・歇指角・商角・越角と曰い、皆応鐘より生ず。これが四声二十八調の略なり。
窃かに元定の燕楽大要を考うるに、その律本は夾鐘より出で、十二律に四清を兼ねて十六声と為し、而して夾鐘は最も清し、これ所謂靡靡の声なり。その律本を観れば、その楽知るべし。変宮・変徴は既に正声に非ず、而して変徴を以て宮と為し、変宮を以て角と為せば、反って正声を紊乱す。もしこの夾鐘宮を中呂宮と謂い、林鐘宮を南呂宮と謂うは、燕楽声高く、実に夾鐘を黄鐘と為すなり。収むる所の二十八調は、本来万宝常の所謂治世の音に非ず、俗また七角調の各々に一声を加え、流蕩して反るを忘れ、而して祖調も亦復た存せず。声の人を感ずるは、風の草を偃すが如く、宜しく風俗の日衰なるべし。夫れ奸声乱色は、聰明に留めず、淫楽慝礼は、心術に接せず。心知百体をして、皆順正に由りて以てその義を行わしむ、これ正に古の君子の以て天下を治むるの本と為す所以なり。紹興・乾道の教坊は遂に弛みて復た置かずと云う。
教坊は唐の武徳以来、署を禁門内に置く。開元の後、その人漸く多く、凡そ祭祀・大朝会には則ち太常雅楽を用い、歳時の宴饗には則ち教坊諸部楽を用う。前代に宴楽・清楽・散楽有り、本来太常に隷し、後稍々教坊に帰し、立・坐の二部有り。宋初旧制に循い、教坊を置き、凡そ四部。その後荊南を平らげ、楽工三十二人を得、西川を平らげ、一百三十九人を得、江南を平らげ、十六人を得、太原を平らげ、十九人を得、余は藩臣の貢ぐ所の者八十三人、又太宗の藩邸に七十一人有り。ここに由り、四方の芸を執るの精なる者は皆籍中に在り。
その御楼にて賜酺は大宴に同じ。崇徳殿にて契丹使を宴するは、惟だ後場の雑劇及び女弟子舞隊無きのみ。毎たび上元に灯を観るに、楼前に露台を設け、台上に教坊楽を奏し、小児隊を舞わしむ。台南に灯山を設け、灯山前に百戲を陳べ、山棚上に散楽・女弟子舞を用う。余の曲宴会・賞花・習射・観稼、凡そ遊幸には但だ楽を奏し酒を行い、惟だ慶節上寿及び将相入辞に酒を賜うには、則ち楽を奏するに止まる。(都知・色長二人太官令を摂し、殿に升り対立し、逡巡周り、大宴には則ち酒・唱遍し、曲宴には宰相各々酒を挙ぐるも、慢曲を通用して《三台》を舞う。)
奏する所凡そ十八調・四十大曲:一に曰く正宮調、その曲三、《梁州》・《瀛府》・《斉天楽》と曰う。二に曰く中呂宮、その曲二、《万年歓》・《剣器》と曰う。三に曰く道調宮、その曲三、《梁州》・《薄媚》・《大聖楽》と曰う。四に曰く南呂宮、その曲二、《瀛府》・《薄媚》と曰う。五に曰く仙呂宮、その曲三、《梁州》・《保金枝》・《延寿楽》と曰う。六に曰く黄鐘宮、その曲三、《梁州》・《中和楽》・《剣器》と曰う。七に曰く越調、その曲二、《伊州》・《石州》と曰う。八に曰く大石調、その曲二、《清平楽》・《大明楽》と曰う。九に曰く双調、その曲三、《降聖楽》・《新水調》・《采蓮》と曰う。十に曰く小石調、その曲二、《胡渭州》・《嘉慶楽》と曰う。十一に曰く歇指調、その曲三、《伊州》・《君臣相遇楽》・《慶雲楽》と曰う。十二に曰く林鐘商、その曲三、《賀皇恩》・《泛清波》・《胡渭州》と曰う。十三に曰く中呂調、その曲二、《緑腰》・《道人歓》と曰う。十四に曰く南呂調、その曲二、《緑腰》・《罷金鉦》と曰う。十五に曰く仙呂調、その曲二、《緑腰》・《采雲帰》と曰う。十六に曰く黄鐘羽、その曲一、《千春楽》と曰う。十七に曰く般渉調、その曲二、《長寿仙》・《満宮春》と曰う。十八に曰く正平調、大曲無く、小曲定数無し。用いざる者十調有り:一に曰く高宮、二に曰く高大石、三に曰く高般渉、四に曰く越角、五に曰く大石角、六に曰く高大石角、七に曰く双角、八に曰く小石角、九に曰く歇指角、十に曰く林鐘角。楽に琵琶・箜篌・五弦琴・箏・笙・觱栗・笛・方響・羯鼓・杖鼓・拍板を用う。
法曲部、その曲二、一に曰く道調宮《望瀛》、二に曰く小石調《献仙音》。楽に琵琶・箜篌・五弦・箏・笙・觱栗・方響・拍板を用う。亀茲部、その曲二、皆双調、一に曰く《宇宙清》、二に曰く《感皇恩》。楽に觱栗・笛・羯鼓・腰鼓・揩鼓・鶏楼鼓・鞀鼓・拍板を用う。鼓笛部、楽に三色笛・杖鼓・拍板を用う。
隊舞の制、その名各十。小児隊は凡そ七十二人:一に曰く柘枝隊、五色の繡羅の寛袍を衣、胡帽を戴き、銀帯を繫ぐ;二に曰く剣器隊、五色の繡羅の襦を衣、交脚襆頭を裹み、紅羅の繡抹額を付け、器仗を帯びる;三に曰く婆羅門隊、紫羅の僧衣、緋の掛子を着け、錫鐶の拄杖を執る;四に曰く酔胡騰隊、紅錦の襦を衣、銀〓舌鞢を繫ぎ、氈帽を戴く;五に曰く諢臣万歳楽隊、紫緑緋の羅の寛衫を衣、諢裹の簇花襆頭を付け;六に曰く児童感聖楽隊、青羅の生色衫を衣、勒帛を繫ぎ、総て両角を結ぶ;七に曰く玉兔渾脱隊、四色の繡羅の襦を衣、銀帯を繫ぎ、玉兔冠を冠る;八に曰く異域朝天隊、錦の襖を衣、銀束帯を繫ぎ、夷冠を冠り、宝盤を執る;九に曰く児童解紅隊、紫緋の繡襦を衣、銀帯を繫ぎ、花砌の鳳冠を冠り、綬帯を垂らす;十に曰く射鵰回鶻隊、盤鵰の錦襦を衣、銀〓舌鞢を繫ぎ、鵰盤を射る。
女弟子隊は凡そ百五十三人:一に曰く菩薩蛮隊、緋の生色の窄砌衣を衣、巻雲冠を冠る;二に曰く感化楽隊、青羅の生色の通衣を衣、背に髻を梳き、綬帯を繫ぐ;三に曰く拋球楽隊、四色の繡羅の寛衫を衣、銀帯を繫ぎ、繡球を奉ずる;四に曰く佳人剪牡丹隊、紅の生色の砌衣を衣、金冠を戴き、牡丹花を剪る;五に曰く拂霓裳隊、紅の仙砌衣を衣、碧霞帔を掛け、仙冠を戴き、紅繡の抹額を付ける;六に曰く采蓮隊、紅羅の生色の綽子を衣、暈裙を繫ぎ、雲鬟髻を戴き、彩船に乗り、蓮花を執る;七に曰く鳳迎楽隊、紅の仙砌衣を衣、雲鬟鳳髻を戴く;八に曰く菩薩献香花隊、生色の窄砌衣を衣、宝冠を戴き、香花盤を執る;九に曰く彩雲仙隊、黄の生色の道衣を衣、紫霞帔を掛け、仙冠を冠り、旌節・鶴扇を執る;十に曰く打球楽隊、四色の窄繡羅の襦を衣、銀帯を繫ぎ、順風脚の簇花襆頭を裹み、球杖を執る。大略かくの如くして、また宜しきに従って変易す。
正宮『平戎破陣楽』、南呂宮『平晋普天楽』、中呂宮『大宋朝歓楽』、黄鍾宮『宇宙荷皇恩』、道調宮『垂衣定八方』、仙呂宮『甘露降龍庭』、小石調『金枝玉葉春』、林鍾商『大恵帝恩寛』、歇指調『大定寰中楽』、双調『恵化楽堯風』、越調『万国朝天楽』、大石調『嘉禾生九穂』、南呂調『文興礼楽歓』、仙呂調『斉天長寿楽』、般渉調『君臣宴会楽』、中呂調『一斛夜明珠』、黄鍾羽『降聖万年春』、平調『金觴祝寿春』。
曲破二十九:
正宮『宴鈞台』、南呂宮『七盤楽』、仙呂宮『王母桃』、高宮『静三辺』、黄鍾宮『采蓮回』、中呂宮『杏園春』・『献玉杯』、道調宮『折枝花』、林鍾商『宴朝簪』、歇指調『九穂禾』、高大石調『囀春鶯』、小石調『舞霓裳』、越調『九霞觴』、双調『朝八蛮』、大石調『清夜遊』、林鍾角『慶雲見』、越角『露如珠』、小石角『龍池柳』、高角『陽台雲』、歇指角『金歩揺』、大石角『念辺功』、双角『宴新春』、南呂調『鳳城春』、仙呂調『夢鈞天』、中呂調『采明珠』、平調『万年枝』、黄鍾羽『賀回鸞』、般渉調『鬱金香』、高般渉調『会天仙』。
琵琶独弾曲破十五:
鳳鸞商『慶成功』、応鍾調『九曲清』、金石角『鳳来儀』、芙蓉調『蕊宮春』、蕤賓調『連理枝』、正仙呂調『朝天楽』、蘭陵角『奉宸歓』、孤雁調『賀昌時』、大石調『寰海清』、玉仙商『玉芙蓉』、林鍾角『泛仙槎』、無射宮調『帝台春』、龍仙羽『宴蓬莱』、聖徳商『美時清』、仙呂調『寿星見』。
小曲二百七十:
正宮十:『一陽生』・『玉窓寒』・『念辺戍』・『玉如意』・『瓊樹枝』・『鷫鸘裘』・『塞鴻飛』・『漏丁丁』・『息鼙鼓』・『勧流霞』。
南呂宮十一:『仙盤露』・『氷盤果』・『芙蓉園』・『林下風』・『風雨調』・『開月幌』・『鳳来賓』・『落梁塵』・『望陽台』・『慶年豊』・『青驄馬』。
中呂宮十三:『上林春』・『春波緑』・『百樹花』・『寿無疆』・『万年春』・『撃珊瑚』・『柳垂絲』・『酔紅楼』・『折紅杏』・『一園花』・『花下酔』・『遊春帰』・『千樹柳』。
仙呂宮九:『折紅蕖』・『鵲度河』・『紫蘭香』・『喜堯時』・『猗蘭殿』・『歩瑤階』・『千秋楽』・『百和香』・『佩珊珊』。
黄鍾宮十二:『菊花杯』・『翠幕新』・『四塞清』・『満簾霜』・『画屏風』・『折茱萸』・『望春雲』・『苑中鶴』・『賜征袍』・『望回戈』・『稻稼成』・『泛金英』。
高宮九曲:『嘉順成』、『安邊塞』、『獵騎還』、『遊兔園』、『錦步帳』、『博山爐』、『暖寒杯』、『雲紛紜』、『待春來』。
道調宮九曲:『會夔龍』、『泛仙杯』、『披風襟』、『孔雀扇』、『百尺樓』、『金尊滿』、『奏明庭』、『拾落花』、『聲聲好』。
越調八曲:『翡翠帷』、『玉照台』、『香旖旎』、『紅樓夜』、『珠頂鶴』、『得賢臣』、『蘭堂燭』、『金鏑流』。
雙調十六曲:『宴瓊林』、『泛龍舟』、『汀洲綠』、『登高樓』、『麥隴雉』、『柳如煙』、『楊花飛』、『玉澤新』、『玳瑁簪』、『玉階曉』、『喜清和』、『人歡樂』、『征戍回』、『一院香』、『一片雲』、『千萬年』。
小石調七曲:『滿庭香』、『七寶冠』、『玉唾盂』、『辟塵犀』、『喜新晴』、『慶雲飛』、『太平時』。
林鍾商十曲:『采秋蘭』、『紫絲囊』、『留征騎』、『塞鴻度』、『回鶻朝』、『汀洲雁』、『風入鬆』、『蓼花紅』、『曳珠佩』、『遵渚鴻』。
歇指調九曲:『榆塞清』、『聽秋風』、『紫玉簫』、『碧池魚』、『鶴盤旋』、『湛恩新』、『聽秋蟬』、『月中歸』、『千家月』。
高大石調九曲:『花下宴』、『甘雨足』、『畫秋千』、『夾竹桃』、『攀露桃』、『燕初來』、『踏青回』、『拋繡球』、『潑火雨』。
大石調八曲:『賀元正』、『待花開』、『采紅蓮』、『出穀鶯』、『遊月宮』、『望回車』、『塞雲平』、『秉燭遊』。
小石角九曲:『月宮春』、『折仙枝』、『春日遲』、『綺筵春』、『登春台』、『紫桃花』、『一林紅』、『喜春雨』、『泛春池』。
雙角九曲:『鳳樓燈』、『九門開』、『落梅香』、『春冰拆』、『萬年安』、『催花發』、『降真香』、『迎新春』、『望蓬島』。
高角九曲:『日南至』、『帝道昌』、『文風盛』、『琥珀杯』、『雪花飛』、『皂貂裘』、『征馬嘶』、『射飛雁』、『雪飄颻』。
大石角九曲:『紅爐火』、『翠雲裘』、『慶成功』、『冬夜長』、『金鸚鵡』、『玉樓寒』、『鳳戲雛』、『一爐香』、『雲中雁』。
歇指角九曲:『玉壺冰』、『卷珠箔』、『隨風簾』、『樹青蔥』、『紫桂叢』、『五色雲』、『玉樓宴』、『蘭堂宴』、『千千歲』。
越角九曲:『望明堂』、『華池露』、『貯香囊』、『秋氣清』、『照秋池』、『曉風度』、『靖邊塵』、『聞新雁』、『吟風蟬』。
林鍾角九曲:『慶時康』、『上林果』、『畫簾垂』、『水精簾』、『夏木繁』、『暑氣清』、『風中琴』、『轉輕車』、『清風來』。
仙呂調十五曲:『喜清和』、『芰荷新』、『清世歡』、『玉鉤欄』、『金步搖』、『金錯落』、『燕引雛』、『草芊芊』、『步玉砌』、『整華裾』、『海山青』、『旋絮綿』、『風中帆』、『青絲騎』、『喜聞聲』。
南呂調七曲:『春景麗』、『牡丹開』、『展芳茵』、『紅桃露』、『囀林鶯』、『滿林花』、『風飛花』。
中呂調九曲:『宴嘉賓』、『會群仙』、『集百祥』、『憑朱欄』、『香煙細』、『仙洞開』、『上馬杯』、『拂長袂』、『羽觴飛』。
高般涉調九曲:『喜秋成』、『戲馬台』、『泛秋菊』、『芝殿樂』、『鸂鶒杯』、『玉芙蓉』、『偃幹戈』、『聽秋砧』、『秋雲飛』。
般涉調十曲:『玉樹花』、『望星鬥』、『金錢花』、『玉窗深』、『萬民康』、『瑤林風』、『隨陽雁』、『倒金罍』、『雁來賓』、『看秋月』。
黃鍾羽七曲:『宴鄒枚』、『雲中樹』、『燎金爐』、『澗底鬆』、『嶺頭梅』、『玉爐香』、『瑞雪飛』。
平調十曲:『萬國朝』、『獻春盤』、『魚上冰』、『紅梅花』、『洞中春』、『春雪飛』、『翻羅袖』、『落梅花』、『夜遊樂』、『鬥春雞』。旧曲に因りて新聲を造る者五十八曲:
正宮、南呂宮、道調宮、越調、南呂調は、いずれも『傾杯樂』、『三台』。仙呂宮、高宮、小石調、大石調、高大石調、小石角、雙角、高角、大石角、歇指角、林鍾角、越角、高般涉調、黃鍾羽、平調は、いずれも『傾杯樂』。中呂宮は『傾杯樂』、『劍器』、『感皇化』、『三台』。黃鍾宮は『傾杯樂』、『朝中措』、『三台』。雙調は『傾杯樂』、『攤破拋球樂』、『醉花間』、『小重山』、『三台』。林鍾商は『傾杯樂』、『洞中仙』、『望行宮』、『三台』。歇指調は『傾杯楽』、『洞仙歌』、『三台』。仙呂調は『傾杯樂』、『月宮仙』、『戴仙花』、『三台』。中呂調は『傾杯樂』、『菩薩蠻』、『瑞鷓鴣』、『三台』。般涉調は『傾杯樂』、『望征人』、『嘉宴樂』、『引駕回』、『拜新月』、『三台』。
『宇宙賀皇恩』、『降聖萬年春』の類は、皆藩邸の作にして、太祖の美德を述べたもの、諸曲多く秘す。而して『平晉普天樂』は、河東を平らげて回った時に製し、『萬國朝天樂』は、また明年に製したもの、毎たび宴享に常用す。然れども帝は治道を勤めて求め、未だ嘗て自ら逸せず、故に楽を挙ぐるに度あり。雍熙初め、教坊使郭守中外任を求めしに、止めて束帛を賜うのみ。
真宗は鄭聲を喜ばず、而して或いは雑詞を作れども、未だ嘗て外に宣布せず。太平興國年中、伶官蔚茂多大宴に侍し、鶏の唱うるを聞く、殿前都虞候崔翰之を問いて曰く、「此れ管弦に被すべきか」と。茂多即ち其の聲を法し、曲を製して『雞叫子』と曰う。又民間に新聲を作る者甚だ衆し、而れども教坊は用いず。太宗の製したる曲は、乾興以来之を用う、凡そ新たに奏する十七調、総て四十八曲:黄鐘、道調、仙呂、中呂、南呂、正宮、小石、歇指、高平、般涉、大石、中呂、仙呂、雙越調、黄鐘羽。其の急慢諸曲幾千数。又法曲、『龜茲』、鼓笛三部、凡そ二十有四曲。
仁宗は音律を洞曉し、毎たび禁中にて曲を度し、以て教坊に賜い、或いは教坊使に撰進せしむ、凡そ五十四曲、朝廷多く之を用う。天聖年中、帝嘗て輔臣に古今の楽の異同を問う、王曾対えて曰く、「古楽は天地・宗廟・社稷・山川・鬼神を祀り、而して聴く者和悅せざる莫し。今楽は則ち然らず、徒らに人の耳目を虞れども人の心誌を蕩す。昔より人君流連荒亡する者は、此れに由らざる莫し」と。帝曰く、「朕は聲技に固より未だ嘗て留意せず、内外の宴遊皆強いて耳」と。張知白曰く、「陛下の盛德、外人豈に之を知らんや、願わくは時政記に備え書かん」と。
世間は太常を雅楽と称するが、未だ宴享に施したことがない。正声が美しく聞こえないからであろうか。そもそも楽とは楽しむものであり、その道は微妙で知り難いが、奏して人を悦豫和平にさせるに至っては、知音を待たずして能くするのである。今、太常楽の懸ける鐘・磬・塤・篪・搏拊の器、及び舞綴の羽・籥・幹・戚の制は、類皆古を模倣しているが、振作するに及べば、聴く者は楽たるを知らず、観る者は厭う。古楽は真にこの如きものであろうか。孔子が「鄭声を悪む」と言ったのは、雅を乱すことを恐れたのである。乱すというのは、似て非なるものをいう。孟子もまた「今の楽は猶古の楽の如し」と言ったが、太常は教坊と全く異なる。何故であろうか。昔、李照・胡瑗・阮逸が鐘磬を改めて鋳造した時、処士徐復は笑って言った、「聖人は器に声を寓す。先ずその声を求めずしてその器を改めるのは、用いることができようか」と。照・瑗・逸は製作すること久しく、遂に成すところ無し。蜀人の房庶もまた深くその非を訂正し、因って著書して古楽と今楽の本末は遠からずと論じた。その大略は、「上古は世質にして、器と声は朴なり。後世稍々変ず。金石は鐘磬なり、後世は之を易えて方響と為す。絲竹は琴簫なり、後世は之を変えて箏笛と為す。匏は笙なり、之を攢じて鬥と為す。塤は土なり、変じて甌と為す。革は麻料なり、撃ちて鼓と為す。木は敔なり、之を貫いて板と為す。この八音は、世に甚だ便なり。而るに達せざる者は、廟楽の鎛鐘・鎛磬・宮軒を正声と指し、概ね夷部・鹵部を淫声と謂う。大いに知らず、大輅は椎輪より起こり、龍艘は落葉より生ず。その変ずるは則ち然り。古者は食に俎豆を用い、後世は杯盂に易え、簟席を以て安と為し、後世は榻桉に更む。聖人復た生まれても、杯盂・榻桉を捨てて、復た俎豆・簟席の質に帰すること能わざるなり。八音の器、豈に此れと異ならんや。孔子が『鄭声淫』と言ったのは、豈にその器が古に若かざるを以てか。亦たその声の変ずるを疾むのみ。試みに楽を知る者に、今の器に由り、古の声を寄せ、惉懘靡曼を去りて中和雅正に帰せしめよ。則ち人心を感し、和気を導き、治世の音と曰わざらんや。然らば則ち世の所謂雅楽は、未だ必ずしも古の如くならず、而して教坊の奏する所は、豈に尽く淫声たるべきや」と。数子の紛紛として鋭意改製したる後、庶の論の指意独り此の如し。故にその語を存し、以て知る者を俟つ。
教坊は本来宣徽院に隷属し、使・副使・判官・都色長・色長・高班・大小都知を置いた。天聖五年、内侍二人を以て鈐轄とした。嘉祐年中、詔して楽工は毎色の定員を二人に止め、教頭は三人に止め、欠員あれば即ち補充すべしとした。異時に或いは詔を伝えて増置する時は、有司の論奏を許した。使・副は毎年雑劇を検閲し、把色人を三等に分け、三殿の応奉人に欠員あれば、即ち次第に補充した。諸部の応奉二十年及び年五十以上の者は、廟令或いは鎮将に補することを許した。官制施行後は、太常寺に隷属させた。同天節、宝慈・慶寿宮の生辰、皇子・公主の誕生など、凡そ国の慶事には、皆歌楽詞を進めた。
雲韶部とは、黄門楽である。開宝年中に嶺表を平定し、広州の内臣の聰警なる者八十人を選び、教坊に於いて楽芸を習わしめ、簫韶部と賜名した。雍熙初年、雲韶と改称した。毎年の上元観灯、上巳・端午の水嬉観覧には、皆宮中に於いて作楽を命じた。南至・元正・清明・春秋分社の節に遇い、親王の内中宴射する時も、またこれを用いた。大曲十三を奏した。一は中呂宮『万年歓』、二は黄鍾宮『中和楽』、三は南呂宮『普天献寿』(この曲も太宗の製)、四は正宮『梁州』、五は林鍾商『泛清波』、六は双調『大定楽』、七は小石調『喜新春』、八は越調『胡渭州』、九は大石調『清平楽』、十は般渉調『長寿仙』、十一は高平調『罷金鉦』、十二は中呂調『緑腰』、十三は仙呂調『采雲帰』。楽器は琵琶・箏・笙・觱栗・笛・方響・杖鼓・羯鼓・大鼓・拍板を用いた。雑劇には傀儡を用いたが、後には補わなかった。
紹興年中、鈞容直は旧管四百人、楊存中は復た収補を請う。旧管の半ばを以て暫定的に定員と為す。尋いでその召募騒擾を聞き、詔を降してこれを止む。及びその応奉に功労あるを以て、進呈し推賞せんとするに及び、また申し諭して支賜一回に止むべしとす。以てその日後の希望を杜がんと庶幾す。紹興三十年、復た詔す、鈞容班は蠲省すべし。殿司に令して一等班直に比擬し収頓せしめ、内に老弱癃疾の者は放停す。教坊は嘗て祖宗の旧典に援引し、点選して教に入らしめんとす。暫くその請いに従うも、紹興三十一年詔あり、教坊は即日蠲罷し、各々自便を令す。
東西班楽もまた、太平興国年中に東西班より音楽を習う者を選び、楽器は銀字觱栗・小笛・小笙を独り用う。車駕に騎従するごとに音楽を奏し、或いは四方を巡幸するときは、行宮の殿庭にて夜奏す。
諸軍には皆音楽に巧みなる者あり。車駕親しく祭祀より回るごとに、則ち緋緑の衣を衣て、青城より朱雀門に至るまで、御道の左右に列し、音楽を奏して迎え奉る。その声相属し、十数里に聞こゆ。或いは軍宴を設くるにもまたこれを奏す。棹刀・槍牌・翻歌などは、常に置かず。
清衛軍に音楽を習わしむる者は、鈞容直に令してこれを教えしめ、内侍これを主どる。園苑にて賜会し、及び契丹使人を館待するに用う。
また親従・親事楽及び開封府衙前楽あり。園苑にはまた諸軍楽を分ち用い、諸州には皆衙前楽あり。
四夷楽とは、元豊六年五月、米脂砦に降りし戎楽四十二人を召見し、崇政殿にて音楽を奏せしめ、三班借職王恩等六人を以て在京閑慢庫務門及び旧城門の監守に差し、敢勇三十六人を以て茶酒新任殿侍と為す。『大晟楽書』に曰く、「これ以前、宮架の外に熊羆案を列ね、奏する所は皆夷楽なり。豈に大楽に淆雑するを容れんや。乃ち奏してこれを罷む。然れども古くは鞮鞻氏四夷楽を掌り、靺師・旄人各々掌る所あり。以て祭祀を承け、宴享に供す。蓋し天下の中に立ち、四海の歓心を得、鼓舞せしむるは、先王の廃せざる所なり。『漢律』に曰く、『大朝会ごとに宜しく殿門の外に設くべし』と。天子楼閣に御するときは、宮架の外に道側に列す。豈に広庭に旋し、大楽と並び奏するを得んや」と。