宋史

志第九十五 樂十七

志第九十五 樂十七

◎楽十七○詩楽・琴律・燕楽・教坊・雲韶部・鈞容直・四夷楽

原文◎樂十七○詩樂琴律燕樂教坊雲韶部鈞容直四夷樂

詩楽。虞の庭に楽を言うに、詩を以て本と為す。孔門の礼楽の教えは、自ら『詩』より興ることを始む。『記』に曰く、「十有三年、楽を学び、詩を誦す」と。詠歌して以て其の性情を養い、舞蹈して以て其の血脈を養う。此れ古の成材の為に易き所以なり。宋朝湖学の興り、老師宿儒は正音の寂寥なるを痛み、嘗て『二南』・『小雅』数十篇を択び取り、之を塤籥に寓し、学者をして朝夕詠歌せしむ。爾来声詩の学、儒者の為に稍く尚ぶ所を知る。張載は嘗て慨然として講明し、之を朝廷に作り、諸の郊廟に被らんと欲するを思えり。朱熹は述べて詩篇と為し、学礼に彙し、将に後の学者をして学ばしめんとす。

原文詩樂虞庭言樂,以詩為本。孔門禮樂之教,自興於《詩》始。《記》曰:“十有三年學樂、誦詩。”詠歌以養其性情,舞蹈以養其血脈,此古之成材所以為易也。宋朝湖學之興,老師宿儒痛正音之寂寥,嚐擇取《二南》、《小雅》數十篇,寓之塤籥,使學者朝夕詠歌。自爾聲詩之學,為儒者稍知所尚。張載嚐慨然思欲講明,作之朝廷,被諸郊廟矣。朱熹述為詩篇,彙於學禮,將使後之學者學焉。

『小雅』歌、凡そ六篇。

原文《小雅》歌凡六篇:

朱熹曰く、「『伝』に曰く、『大学始教、宵雅肄三』と。謂う、『小雅』の『鹿鳴』・『四牡』・『皇皇者華』の三詩を習うなり。此れ皆君臣宴労の詩、始めて学ぶ者之を習う、上下相和厚なるを取る所以なり。古の郷飲酒及び燕礼は皆此の三詩を歌う。及び笙入り、六笙、間歌に『魚麗』・『南有嘉魚』・『南山有台』を歌う。六笙詩は本辞無く、其の遺声も亦復伝わらず。『小雅』は諸侯の楽、『大雅』・『頌』は天子の楽なり」と。

原文朱熹曰:“《傳》曰:‘大學始教,宵雅肄三。’謂習《小雅·鹿鳴》、《四牡》、《皇皇者華》之三詩也。此皆君臣宴勞之詩,始學者習之,所以取其上下相和厚也。古鄉飲酒及燕禮皆歌此三詩。及笙入,六笙間歌《魚麗》、《南有嘉魚》、《南山有台》。六笙詩本無辭,其遺聲亦不復傳矣。《小雅》為諸侯之樂,《大雅》、《頌》為天子之樂。”

二南『国風』歌、凡そ六篇。

原文二南《國風》歌凡六篇:

朱熹曰く、「『周南』・『召南』は正始の道、王化の基なり。故に之を郷人に用い、之を邦国に用う。『郷飲酒』及び『郷射礼』に、『楽を合わす、『周南』:『関雎』・『葛覃』・『巻耳』;『召南』:『鵲巣』・『采蘩』・『采蘋』』と。『燕礼』に云う、『遂に郷楽を歌う』と。即ち此の六篇なり。楽を合わすとは、歌舞と衆声と皆作るを謂う。『周南』・『召南』は古の房中の楽歌なり。『関雎』は后妃の志を言い、『鵲巣』は国君夫人の徳を言い、『采蘩』は夫人の職を失わざるを言い、『采蘋』は卿大夫の妻の法度に能く循うを言う。夫婦の道は生民の本、王化の端なり。此の六篇は其の教えの原なり。故に国君と其の臣下及び四方の賓と燕し、之を用いて楽を合わすなり」と。

原文朱熹曰:“‘《周南》、《召南》,正始之道,王化之基。’‘故用之鄉人焉,用之邦國焉。’《鄉飲酒》及《鄉射禮》:‘合樂,《周南》:《關雎》、《葛覃》、《卷耳》;《召南》:《鵲巢》、《采蘩》、《采蘋》。’《燕禮》云:‘遂歌鄉樂。’即此六篇也。合樂,謂歌舞與眾聲皆作。《周南》、《召南》,古房中之樂歌也。《關雎》言後妃之誌,《鵲巢》言國君夫人之德,《采蘩》言夫人之不失職,《采蘋》言卿大夫妻能循法度。夫婦之道,生民之本,王化之端,此六篇者,其教之原也。故國君與其臣下及四方之賓燕,用之合樂也。”

『小雅』詩譜:『鹿鳴』・『四牡』・『皇皇者華』・『魚麗』・『南有嘉魚』・『南山有台』は皆黄鐘清宮を用う。(俗に正宮調と称す。)

原文《小雅》詩譜:《鹿鳴》、《四牡》、《皇皇者華》、《魚麗》、《南有嘉魚》、《南山有台》皆用黃鍾清宮。(俗呼為正宮調。)

二南『国風』詩譜:『関雎』・『葛覃』・『巻耳』・『鵲巣』・『采蘩』・『采蘋』は皆無射清商を用う。(俗に越調と称す。)

原文二南《國風》詩譜:《關雎》、《葛覃》、《卷耳》、《鵲巢》、《采蘩》、《采蘋》皆用無射清商。(俗呼為越調。)

朱熹曰く、「『大戴礼』に言う、『雅』二十六篇、其の八は歌う可く、其の八は廃れて歌う可からず、本文頗る闕誤有り。漢末、杜夔は旧雅楽四曲を伝う:一に曰く『鹿鳴』、二に曰く『騶虞』、三に曰く『伐檀』、又た『文王』詩を加う、皆古声辞なり。其の後、新辞作りて旧曲遂に廃す。唐の開元郷飲酒礼に、乃ち此の十二篇の目有り、而して其の声も亦得て聞く莫し。此の譜は、相伝う即ち開元の遺声なり。古声亡滅すること久しく、当時の工師何を考として此れを為すかを知らず。窃かに疑う、古楽に唱う有り、歎く有り。唱うとは、歌句を発するなり;和するとは、其の声を継ぐなり。詩詞の外、応に更に疊字・散声有りて、以て其の趣を歎発す。故に漢・晋間の旧曲既に其の伝を失えば、則ち其の詞存すと雖も、世補う能わず。此の譜の如く直に一声を以て一字に協せば、則ち古詩篇篇歌う可し。又た其の清声を以て調と為すは、似た亦古法に非ざるも、然れども古声既に考うる可からず、姑く此れを存して声歌の彷彿たるを見しめ、楽を知る者を俟って考せしめん」と。

原文朱熹曰:“《大戴禮》言:《雅》二十六篇,其八可歌,其八廢不可歌,本文頗有闕誤。漢末杜夔傳舊雅樂四曲:一曰《鹿鳴》,二曰《騶虞》,三曰《伐檀》,又加《文王》詩,皆古聲辭。其後,新辭作而舊曲遂廢。唐開元鄉飲酒禮,乃有此十二篇之目,而其聲亦莫得聞。此譜,相傳即開元遺聲也。古聲亡滅已久,不知當時工師何所考而為此。竊疑古樂有唱、有歎。唱者,發歌句也;和者,繼其聲也。詩詞之外,應更有疊字、散聲,以歎發其趣。故漢、晉間舊曲既失其傳,則其詞雖存,而世莫能補。如此譜直以一聲協一字,則古詩篇篇可歌。又其以清聲為調,似亦非古法,然古聲既不可考,姑存此以見聲歌之仿佛,俟知樂者考焉。”

琴律。天地の和を賾くは楽に如くは莫く、楽の趣を暢ぶるは琴に如くは莫し。八音は絲を以て君と為し、絲は琴を以て君と為す。衆器の中、琴の徳最も優る。『白虎通』に曰く、「琴は邪を禁止し、以て人心を正すなり」と。宜しく衆楽皆琴の臣妾と為るべし。然れども八音の中、金・石・竹・匏・土・木の六者は、皆一定の声有り:革は燥湿に薄せられ、絲は弦柱緩急斉しからず、故に二者は其の声定め難し。鼓は五声に当たること無し、此れ復た論ぜず。惟だ絲声は五声を備え、而して其の変窮まり無し。五弦は虞舜に作り、七弦は周の文王・武王に作る、此れ琴製の古き者なり。厥の後増損一ならず。宋に至り始めて二弦の琴を製し、以て天地に象り、之を両儀琴と謂い、毎弦各六柱有り。又た十二弦を為して十二律に象り、其の倍応の声靡く畢く備わらず。太宗は大楽雅琴に因り加えて九弦と為し、曲に按じて大楽十二律に転入し、清濁互いに相合応せしむ。大晟楽府は嘗て一・三・七・九を罷む。惟だ五弦を存し、其の五音の正を得るを謂い、諸琴に最も優るなり。今復た俱に用う。太常琴製、其の長三尺六寸、三百六十分、周天の度に象るなり。

原文琴律賾天地之和者莫如樂,暢樂之趣者莫如琴。八音以絲為君,絲以琴為君。眾器之中,琴德最優。《白虎通》曰:“琴者,禁止於邪,以正人心也。”宜眾樂皆為琴之臣妾。然八音之中,金、石、竹、匏、土、木六者,皆有一定之聲:革為燥濕所薄,絲有弦柱緩急不齊,故二者其聲難定。鼓無當於五聲,此不復論。惟絲聲備五聲,而其變無窮。五弦作於虞舜,七弦作於周文、武,此琴製之古者也。厥後增損不一。至宋始製二弦之琴,以象天地,謂之兩儀琴,每弦各六柱。又為十二弦以象十二律,其倍應之聲靡不畢備。太宗因大樂雅琴加為九弦,按曲轉入大樂十二律,清濁互相合應。大晟樂府嚐罷一、三、七、九。惟存五弦,謂其得五音之正,最優於諸琴也。今復俱用。太常琴製,其長三尺六寸,三百六十分,象周天之度也。

姜夔の『楽議』は琴を分けて三準と為す:一暉より四暉に至るを上準と謂い、四寸半、以て黄鐘の半律に象る;四暉より七暉に至るを中準と謂い、中準九寸、以て黄鐘の正律に象る;七暉より龍齦に至るを下準と謂い、下準一尺八寸、以て黄鐘の倍律に象る。三準各十二律声を具え、弦を按じ木に附して取り。然れども須らく弦を転じて本律の用いる所の字に合わすべし、若し弦を転ぜずんば、則ち誤って散声に触れ、別律に落つ。毎一弦各三十六声を具え、皆自然なり。五・七・九弦琴を分ち、各転弦合調図を述ぶ。

原文薑夔《樂議》分琴為三準:自一暉至四暉謂之上準,四寸半,以象黃鍾之半律;自四暉至七暉謂之中準,中準九寸,以象黃鍾之正律;自七暉至龍齦謂之下準,下準一尺八寸,以象黃鍾之倍律。三準各具十二律聲,按弦附木而取。然須轉弦合本律所用之字,若不轉弦,則誤觸散聲,落別律矣。每一弦各具三十六聲,皆自然也。分五、七、九弦琴,各述轉弦合調圖:

『五弦琴図説』に曰く、「琴は古楽、用いる所は皆宮・商・角・徴・羽の正音、故に五弦の散声を以て之に配す。其の二変の声は、惟だ古清商を用い、之を側弄と謂い、雅楽に入れず」と。

原文《五弦琴圖說》曰:“琴為古樂,所用者皆宮、商、角、徵、羽正音,故以五弦散聲配之。其二變之聲,惟用古清商,謂之側弄,不入雅樂。”

『七弦琴図説』に曰く、七弦散じて之を扣けば、則ち一弦を間へ第十暉に応声を取る。仮に宮調とす、五弦十暉は七弦散声に応じ、四弦十暉は六弦散声に応じ、二弦十暉は四弦散声に応じ、大弦十暉は三弦散声に応ず。惟だ三弦独り一暉を退き、十一暉に於て五弦散声に応ず、古今之を知る者無し。窃かに謂う、黄鐘・大呂は並びに慢角調を用い、故に大弦十一暉は三弦散声に応じ;太簇・夾鍾は並びに清商調を用い、故に二弦方十二暉は四弦散声に応じ;姑洗・仲呂・蕤賓は並びに宮調を用い、故に三弦十一暉は五弦散声に応じ;林鐘・夷則は並びに慢宮調を用い、故に四弦十一暉は六弦散声に応じ;南呂・無射・応鐘は並びに蕤賓調を用い、故に五弦十一暉は七弦散声に応ず。律の長短を以て弦の大小に配し、各其の序有り。

原文《七弦琴圖說》曰:七弦散而扣之,則間一弦於第十暉取應聲。假如宮調,五弦十暉應七弦散聲,四弦十暉應六弦散聲,二弦十暉應四弦散聲,大弦十暉應三弦散聲,惟三弦獨退一暉,於十一暉應五弦散聲,古今無知之者。竊謂黃鍾、大呂並用慢角調,故於大弦十一暉應三弦散聲;太簇、夾鍾並用清商調,故於二弦方十二暉應四弦散聲;姑洗、仲呂、蕤賓並用宮調,故於三弦十一暉應五弦散聲;林鍾、夷則並用慢宮調,故於四弦十一暉應六弦散聲;南呂、無射、應鍾並用蕤賓調,故於五弦十一暉應七弦散聲。以律長短配弦大小,各有其序。”

『九弦琴圖説』に曰く、「弦は七弦、九弦ありと雖も、実は即ち五弦なり。七弦は其の二を倍し、九弦は其の四を倍す。用いる所は五音なり、亦た二変を以て散声と為さず。或いは七弦を以て五音二変に配し、余る二弦を倍と為さんと欲する者あり。若し七弦を分配して七音と為さば、則ち是れ今の十四弦なり。『声律訣』に云う、『琴瑟齪四なる者は、律法上下相生なり』と。若し二変を加うれば、則ち律法に於いて諧わず。或いは曰く、『然らば則ち琴に二変の声無きか』と。曰く、『木に附して之を取れば、二変の声固より在り』と。五弦、七弦、九弦の琴を合わせ、総じて応声を取る法を述べ、十二律十二均に分ち、毎声弦暉の応を取るは、皆以て次に列して按ず。」

原文《九弦琴圖說》曰:“弦有七、有九,實即五弦。七弦倍其二,九弦倍其四,所用者五音,亦不以二變為散聲也。或欲以七弦配五音二變,以餘兩弦為倍,若七弦分配七音,則是今之十四弦也。《聲律訣》云:‘琴瑟齪四者,律法上下相生也。’若加二變,則於律法不諧矣。或曰:‘如此則琴無二變之聲乎?’曰:‘附木取之,二變之聲固在也。’合五、七、九弦琴,總述取應聲法,分十二律十二均,每聲取弦暉之應,皆以次列按。

古えは大琴有れば則ち大瑟有り、中琴有れば則ち中瑟有り、雅琴、頌琴有れば則ち雅瑟、頌瑟有り、実に之を合せたり。夔乃ち瑟の製を定む:桐を以て背と為し、梓を以て腹と為し、長さ九尺九寸、首尾各九寸、隠間八尺一寸、広さ尺八寸、嶽の崇さ一寸八分。中に九梁を施し、皆黄鍾の数を象る。梁下相連なり、其の声を衝融ならしむ。首尾の下に両穴を為し、其の声を条達ならしむ。是れ『伝』の所謂「大瑟は越を達す」なり。四隅に雲を刻みて以て其の武を縁どり、其の雲和より出づるを象る。其の壁と首・尾・腹とを漆し、椅・桐・梓漆を取る。全く二十五弦を設け、弦に一柱、崇さ二寸七分。別に五色を以てし、五五相次ぎ、蒼を上と為し、朱之に次ぎ、黄之に次ぎ、素と黔又之に次ぎ、肄習する者をして弦を択ぶに便ならしむ。弦八十一絲にして之を朱す、是れを朱弦と謂う。其の尺は則ち漢尺を用う。凡そ瑟の弦は五声を具え、五声を以て均と為し、凡そ五均、其の二変の声は、則ち柱後に角・羽を抑えて之を取り、五均凡そ三十五声。十二律、六十均、四百二十声、瑟の能事畢れり。夔の琴・瑟に関する議、其の詳しきこと此の如し。

原文古者大琴則有大瑟,中琴則有中瑟,有雅琴、頌琴,則雅瑟、頌瑟,實為之合。夔乃定瑟之製:桐為背,梓為腹,長九尺九寸,首尾各九寸,隱間八尺一寸,廣尺有八寸,嶽崇寸有八分。中施九梁,皆象黃鍾之數。梁下相連,使其聲衝融;首尾之下為兩穴,使其聲條達,是《傳》所謂“大瑟達越”也。四隅刻雲以緣其武,象其出於雲和。漆其壁與首、尾、腹,取椅、桐、梓漆之。全設二十五弦,弦一柱,崇二寸七分。別以五色,五五相次,蒼為上,朱次之,黃次之,素與黔又次之,使肄習者便於擇弦。弦八十一絲而朱之,是謂朱弦。其尺則用漢尺。凡瑟弦具五聲,五聲為均,凡五均,其二變之聲,則柱後抑角、羽而取之,五均凡三十五聲。十二律、六十均、四百二十聲,瑟之能事畢矣。夔於琴、瑟之議,其詳如此。

朱熹嘗て学者と共に琴法を講じ、其の律を定むる法:十二律並びに太史公の九分寸法を用いて準と為し、損益相生し、十二律及び五声に分ち、位置各定まる。古人の管を吹く声を琴上に伝うるに按ずるに、管を吹いて黄鍾を起すが如くは、則ち琴の黄鍾声を以て之に合わす。声合して差無く、然る後に以て次に諸声に遍く合わす。則ち五声皆正し。唐人琴を紀すに、先ず管色合字を以て宮弦を定め、乃ち宮弦を以て下生して徴と為し、徴上生して商と為し、上下相生し、少商に終わる。下生する者は二弦を隔て、上生する者は一弦を隔てて之を取る。凡そ絲声は皆当に此くの如くすべし。今人は苟簡にして、復た管を以て声を定めず、其の高下は臨時に出づ、古法に非ざるなり。

原文朱熹嚐與學者共講琴法,其定律之法:十二律並用太史公九分寸法為準,損益相生,分十二律及五聲,位置各定。按古人以吹管聲傳於琴上,如吹管起黃鍾,則以琴之黃鍾聲合之;聲合無差,然後以次遍合諸聲,則五聲皆正。唐人紀琴,先以管色合字定宮弦,乃以宮弦下生徵,徵上生商,上下相生,終於少商。下生者隔二弦、上生者隔一弦取之。凡絲聲皆當如此。今人苟簡,不復以管定聲,其高下出於臨時,非古法也。

弦を調うるの法:散声は四を隔てて二声を得、中暉も亦た之の如くして四声を得、八暉は三を隔てて六声を得、九暉は上を按ずる者は二を隔てて四声を得、下を按ずる者は一を隔てて五声を得、十暉は上を按ずる者は一を隔てて五声を得、下を按ずる者は二を隔てて四声を得。毎に疑う、七弦を一を隔てて調うるに、六弦は皆第十暉に応じ、而して第三弦独り第十一暉に於いて調うるに乃ち応ず。思いて之を得るに及んで、七弦の散声は五声の正にして、而して大弦十二律の位は、又た衆弦散声の取って正と為す所なり。故に逐弦の五声は皆東より西に自り、相為に次第を為す。其の六弦十暉に会するは、則ち一と三者は、角と散角応ずるなり。二と四者は、徴と散徴応ずるなり。四と六者は、宮と散少宮応ずるなり。五と七者は、商と散少商応ずるなり。其の第三、第五弦十一暉に会するは、則ち羽と散羽応ずるなり。義各当る所有り、初め相須いず、故に同じく一暉に会せざるなり。

原文調弦之法:散聲隔四而得二聲;中暉亦如之而得四聲;八暉隔三而得六聲;九暉按上者隔二而得四聲,按下者隔一而得五聲;十暉按上者隔一而得五聲,按下者隔二而得四聲。每疑七弦隔一調之,六弦皆應於第十暉,而第三弦獨於第十一暉調之乃應。及思而得之,七弦散聲為五聲之正,而大弦十二律之位,又眾弦散聲之所取正也。故逐弦之五聲皆自東而西,相為次第。其六弦會於十暉,則一與三者,角與散角應也;二與四者,徵與散徵應也;四與六者,宮與散少宮應也;五與七者,商與散少商應也;其第三、第五弦會於十一暉,則羽與散羽應也。義各有當,初不相須,故不同會於一暉也。

旋宮諸調の法:旋宮古えに「月に随いて律を用う」の説有り。今乃ち謂う、必ずしも軫を転じ弦を促すに及ばず、但だ旋宮の法に依りて之を抑按すれば足ると。恐らくは此くの如く泛然に論ずるは難からん。当に毎宮指定し、各以て何声を以て何弦を取りて唱と為し、各以て何弦を以て何律を取りて均と為すを以てすべく、乃ち詳実を見るべし。又た『礼運正義』を以て之を推すに、則ち毎律各々一宮を為し、毎宮各々五調有り、而して其の毎調律を用い声を取るも、亦た各々法有り。此れ琴の綱領にして、而して説く者罕に及ぶ、乃ち闕典なり。当に一図を為し、宮を以て調を統べ、調を以て声を統べ、其の次第・賓主各々条理有らしむべし。仍て先ず三図を作すべし:一、各々琴の形体・暉弦・尺寸・散声の位を具う。二、按声声律の位を附す。三、泛声声律の位を附す。宮調図の前に列すれば、則ち覧る者暁然たり、万世の法と為すべし。

原文旋宮諸調之法:旋宮古有“隨月用律”之說,今乃謂不必轉軫促弦,但依旋宮之法而抑按之,恐難如此泛論。當每宮指定,各以何聲取何弦為唱,各以何弦取何律為均,乃見詳實。又以《禮運正義》推之,則每律各為一宮,每宮各有五調,而其每調用律取聲,亦各有法。此為琴之綱領,而說者罕及,乃闕典也。當為一圖,以宮統調,以調統聲,令其次第、賓主各有條理。仍先作三圖:一、各具琴之形體、暉弦、尺寸、散聲之位;二、附按聲聲律之位;三、附泛聲聲律之位,列於宮調圖前,則覽者曉然,可為萬世法矣。

熹の言を観るに、其の琴法に於いて本は融け末は粲たり、至って疏達にして至って縝密なり、蓋し所謂其の大なる者を識るなるか。

原文觀熹之言,其於琴法本融末粲,至疏達而至縝密,蓋所謂識其大者歟!

燕楽古えより、燕楽は周以来用う。唐の貞観、隋の九部を増して十部と為し、張文收の製する所の歌を以て燕楽と名付け、而して之を管弦に被す。厥の後坐部伎琵琶曲に至り、時に盛んに流る。直に漢氏の上林楽府・縵楽の経法に応ぜざるのみに非ず。宋初教坊を置き、江南楽を得て、已に其の坐部を汰りて用いず。爾後旧曲に因り新声を創し、転た流麗を加う。政和の間、詔して大晟雅楽を以て燕饗に施し、御殿に按試し、徴・角の二調を補い、之を教坊に播し、之を天下に頒つ。然れども当時楽府奏言す:楽の諸宮調多く正しからず、皆俚俗の伝うる所なり。劉昺を命じて『燕楽新書』を輯ましむるに及んでも、惟だ八十四調を以て宗と為すのみ、復た雅音に非ず。而して曲燕昵狎、至って「君臣相説の楽」を援りて以て藉口と為す者有り。末俗漸靡の弊、愈々言うに容れざるなり。紹興の中、始めて教坊楽を蠲省し、凡そ燕礼、坐伎を屏う。乾道志を継ぎ事を述べ、間雑攢を用いて以て教坊の号を充し、臨時に具わるを取り、而して廷紳祝頌、務めて厳恭に在り。亦た明らかに以て更に女楽を用いず、旨を頒ち子孫之を守り、以て家法と為す。是に於いて中興の燕楽、前代に比して猶簡にして、而して君徳に関わる者良多し。

原文燕樂古者,燕樂自周以來用之。唐貞觀增隋九部為十部,以張文收所製歌名燕樂,而被之管弦。厥後至坐部伎琵琶曲,盛流於時,匪直漢氏上林樂府、縵樂不應經法而已。宋初置教坊,得江南樂,已汰其坐部不用。自後因舊曲創新聲,轉加流麗。政和間,詔以大晟雅樂施於燕饗,禦殿按試,補徵、角二調,播之教坊,頒之天下。然當時樂府奏言:樂之諸宮調多不正,皆俚俗所傳。及命劉昺輯《燕樂新書》,亦惟以八十四調為宗,非復雅音,而曲燕昵狎,至有援“君臣相說之樂”以藉口者。末俗漸靡之弊,愈不容言矣。紹興中,始蠲省教坊樂,凡燕禮,屏坐伎。乾道繼誌述事,間用雜攢以充教坊之號,取具臨時,而廷紳祝頌,務在嚴恭,亦明以更不用女樂,頒旨子孫守之,以為家法。於是中興燕樂,比前代猶簡,而有關乎君德者良多。

蔡元定嘗て『燕楽』一書を為し、俗失を証して古義を存す。今其の略を采りて下に附す。

原文蔡元定嚐為《燕樂》一書,證俗失以存古義,今采其略附於下:

黄鍾は「合」字を用い、大呂・太簇は「四」字を用い、夾鍾・姑洗は「一」字を用い、夷則・南呂は「工」字を用い、無射・応鍾は「凡」字を用い、各々上・下を以て清濁を分つ。其中呂・蕤賓・林鍾は上・下を以て分つべからず、中呂は「上」字を用い、蕤賓は「勾」字を用い、林鍾は「尺」字を用う。其の黄鍾清は「六」字を用い、大呂・太簇・夾鍾清は各々「五」字を用い、而して下・上・緊を以て之を別つ。緊「五」なる者は、夾鍾清声、俗楽以て宮と為す。此れ其の律寸・律数・用字声を紀するの略なり。

原文黃鍾用“合”字,大呂、太簇用“四”字,夾鍾、姑洗用“一”字,夷則、南呂用“工”字,無射、應鍾用“凡”字,各以上、下分為清濁。其中呂、蕤賓、林鍾不可以上、下分,中呂用“上”字,蕤賓用“勾”字,林鍾用“尺”字。其黃鍾清用“ 六”字,大呂、太簇、夾鍾清各用“五”字,而以下、上、緊別之。緊“五”者,夾鍾清聲,俗樂以為宮。此其取律寸、律數、用字紀聲之略也。

一宮、二商、三角、四変宮と為り、五徴、六羽、七閏角と為る。五声の号は雅楽と同し、惟だ変徴は十二律中に於いて陰陽位を易うるを以て、故に之を変と謂う。変宮は七声の及ばざる所、閏余の義を取るを以て、故に之を閏と謂う。四変は宮声の対に居るを以て、故に宮と為る。俗楽は閏を以て正声と為し、閏を以て変に加うるを以て、故に閏は角と為りて実は正角に非ず。此れ其の七声高下の略なり。

原文一宮、二商、三角、四變為宮,五徵、六羽、七閏為角。五聲之號與雅樂同,惟變徵以於十二律中陰陽易位,故謂之變。變宮以七聲所不及,取閏餘之義,故謂之閏。四變居宮聲之對,故為宮。俗樂以閏為正聲,以閏加變,故閏為角而實非正角。此其七聲高下之略也。

声は陽より来たり、陽は子に生じ、午に終わる。燕楽は夾鐘を以て四声を収む:宮と曰い、商と曰い、羽と曰い、閏と曰う。閏は角たり、その正角声・変声・徴声は皆収めず、而して独り夾鐘を律本と為す。これが夾鐘の四声を収むる略なり。

原文聲由陽來,陽生於子、終於午。燕樂以夾鍾收四聲:曰宮、曰商、曰羽、曰閏。閏為角,其正角聲、變聲、徵聲皆不收,而獨用夾鍾為律本。此其夾鍾收四聲之略也。

宮声七調:正宮・高宮・中呂宮・道宮・南呂宮・仙呂宮・黄鐘宮と曰い、皆黄鐘より生ず。商声七調:大食調・高大食調・双調・小食調・歇指調・商調・越調と曰い、皆太簇より生ず。羽声七調:般渉調・高般渉調・中呂調・正平調・南呂調・仙呂調・黄鐘調と曰い、皆南呂より生ず。角声七調:大食角・高大食角・双角・小食角・歇指角・商角・越角と曰い、皆応鐘より生ず。これが四声二十八調の略なり。

原文宮聲七調:曰正宮、曰高宮、曰中呂宮、曰道宮、曰南呂宮、曰仙呂宮、曰黃鍾宮,皆生於黃鍾。商聲七調:曰大食調、曰高大食調、曰雙調、曰小食調、曰歇指調、曰商調、曰越調,皆生於太簇。羽聲七調:曰般涉調、曰高般涉調、曰中呂調、曰正平調、曰南呂調、曰仙呂調、曰黃鍾調,皆生於南呂。角聲七調:曰大食角、曰高大食角、曰雙角、曰小食角、曰歇指角、曰商角、曰越角、皆生於應鍾。此其四聲二十八調之略也。

窃かに元定の燕楽大要を考うるに、その律本は夾鐘より出で、十二律に四清を兼ねて十六声と為し、而して夾鐘は最も清し、これ所謂靡靡の声なり。その律本を観れば、その楽知るべし。変宮・変徴は既に正声に非ず、而して変徴を以て宮と為し、変宮を以て角と為せば、反って正声を紊乱す。もしこの夾鐘宮を中呂宮と謂い、林鐘宮を南呂宮と謂うは、燕楽声高く、実に夾鐘を黄鐘と為すなり。収むる所の二十八調は、本来万宝常の所謂治世の音に非ず、俗また七角調の各々に一声を加え、流蕩して反るを忘れ、而して祖調も亦復た存せず。声の人を感ずるは、風の草を偃すが如く、宜しく風俗の日衰なるべし。夫れ奸声乱色は、聰明に留めず、淫楽慝礼は、心術に接せず。心知百体をして、皆順正に由りて以てその義を行わしむ、これ正に古の君子の以て天下を治むるの本と為す所以なり。紹興・乾道の教坊は遂に弛みて復た置かずと云う。

原文竊考元定言燕樂大要,其律本出夾鍾,以十二律兼四清為十六聲,而夾鍾為最清,此所謂靡靡之聲也。觀其律本,則其樂可知。變宮、變徵既非正聲,而以變徵為宮,以變宮為角,反紊亂正聲。若此夾鍾宮謂之中呂宮、林鍾宮謂之南呂宮者,燕樂聲高,實以夾鍾為黃鍾也。所收二十八調,本萬寶常所謂非治世之音,俗又於七角調各加一聲,流蕩忘反,而祖調亦不復存矣。聲之感人,如風偃草,宜風俗之日衰也!夫奸聲亂色,不留聰明;淫樂慝禮,不接心術。使心知百體,皆由順正以行其義,此正古君子所以為治天下之本也。紹興、乾道教坊迄弛不復置雲。

教坊は唐の武徳以来、署を禁門内に置く。開元の後、その人漸く多く、凡そ祭祀・大朝会には則ち太常雅楽を用い、歳時の宴饗には則ち教坊諸部楽を用う。前代に宴楽・清楽・散楽有り、本来太常に隷し、後稍々教坊に帰し、立・坐の二部有り。宋初旧制に循い、教坊を置き、凡そ四部。その後荊南を平らげ、楽工三十二人を得、西川を平らげ、一百三十九人を得、江南を平らげ、十六人を得、太原を平らげ、十九人を得、余は藩臣の貢ぐ所の者八十三人、又太宗の藩邸に七十一人有り。ここに由り、四方の芸を執るの精なる者は皆籍中に在り。

原文教坊自唐武德以來,置署在禁門內。開元後,其人浸多,凡祭祀、大朝會則用太常雅樂,歲時宴享則用教坊諸部樂。前代有宴樂、清樂、散樂,本隸太常,後稍歸教坊,有立、坐二部。宋初循舊制,置教坊,凡四部。其後平荊南,得樂工三十二人;平西川,得一百三十九人;平江南,得十六人;平太原,得十九人;餘藩臣所貢者八十三人;又太宗藩邸有七十一人。由是,四方執藝之精者皆在籍中。

毎たび春秋の聖節三大宴:その第一、皇帝坐に升り、宰相酒を進め、庭中に觱栗を吹き、衆楽を以てこれに和す。群臣に酒を賜い、皆坐に就き、宰相飲み、《傾杯楽》を作す。百官飲み、《三台》を作す。第二、皇帝再び酒を挙げ、群臣席後に立ち、楽歌を以て起つ。第三、皇帝酒を挙げ、第二の制の如く、次第に食を進む。第四、百戲皆作す。第五、皇帝酒を挙げ、第二の制の如し。第六、楽工辞を致し、継いて詩一章を以てし、之を「口號」と謂い、皆徳美及び中外の蹈詠の情を述ぶ。初め辞を致すに、群臣皆起ち、辞を聴き畢りて再拝す。第七、大曲を合奏す。第八、皇帝酒を挙げ、殿上独り琵琶を弾ず。第九、小児隊舞し、亦た辞を致して徳美を述ぶ。第十、雑劇。罷みて、皇帝起ちて更衣す。第十一、皇帝再び坐し、酒を挙げ、殿上独り笙を吹く。第十二、蹴踘。第十三、皇帝酒を挙げ、殿上独り箏を弾ず。第十四、女弟子隊舞し、亦た小児隊の如く辞を致す。第十五、雑劇。第十六、皇帝酒を挙げ、第二の制の如し。第十七、鼓吹曲を奏し、或いは法曲を用い、或いは《亀茲》を用う。第十八、皇帝酒を挙げ、第二の制の如く、食罷みて。第十九、角〓を用い、宴畢る。

原文每春秋聖節三大宴:其第一、皇帝升坐,宰相進酒,庭中吹觱栗,以眾樂和之;賜群臣酒,皆就坐,宰相飲,作《傾杯樂》;百官飲,作《三台》。第二、皇帝再舉酒,群臣立於席後,樂以歌起。第三、皇帝舉酒,如第二之製,以次進食。第四、百戲皆作。第五、皇帝舉酒,如第二之製。第六、樂工致辭,繼以詩一章,謂之“口號”,皆述德美及中外蹈詠之情。初致辭,群臣皆起,聽辭畢,再拜。第七、合奏大曲。第八、皇帝舉酒,殿上獨彈琵琶。第九、小兒隊舞,亦致辭以述德美。第十、雜劇。罷,皇帝起更衣。第十一、皇帝再坐,舉酒,殿上獨吹笙。第十二、蹴踘。第十三、皇帝舉酒,殿上獨彈箏。第十四、女弟子隊舞,亦致辭如小兒隊。第十五、雜劇。第十六、皇帝舉酒,如第二之製。第十七、奏鼓吹曲,或用法曲,或用《龜茲》。第十八、皇帝舉酒,如第二之製,食罷。第十九、用角〓,宴畢。

その御楼にて賜酺は大宴に同じ。崇徳殿にて契丹使を宴するは、惟だ後場の雑劇及び女弟子舞隊無きのみ。毎たび上元に灯を観るに、楼前に露台を設け、台上に教坊楽を奏し、小児隊を舞わしむ。台南に灯山を設け、灯山前に百戲を陳べ、山棚上に散楽・女弟子舞を用う。余の曲宴会・賞花・習射・観稼、凡そ遊幸には但だ楽を奏し酒を行い、惟だ慶節上寿及び将相入辞に酒を賜うには、則ち楽を奏するに止まる。(都知・色長二人太官令を摂し、殿に升り対立し、逡巡周り、大宴には則ち酒・唱遍し、曲宴には宰相各々酒を挙ぐるも、慢曲を通用して《三台》を舞う。)

原文其禦樓賜酺同大宴。崇德殿宴契丹使,惟無後場雜劇及女弟子舞隊。每上元觀燈,樓前設露台,台上奏教坊樂、舞小兒隊。台南設燈山,燈山前陳百戲,山棚上用散樂、女弟子舞。餘曲宴會、賞花、習射、觀稼,凡遊幸但奏樂行酒,惟慶節上壽及將相入辭賜酒,則止奏樂。(都知、色長二人攝太官令,升殿對立,逡巡周,大宴則酒、唱遍,曲宴宰相雖各舉酒,通用慢曲而舞《三台》。)

奏する所凡そ十八調・四十大曲:一に曰く正宮調、その曲三、《梁州》・《瀛府》・《斉天楽》と曰う。二に曰く中呂宮、その曲二、《万年歓》・《剣器》と曰う。三に曰く道調宮、その曲三、《梁州》・《薄媚》・《大聖楽》と曰う。四に曰く南呂宮、その曲二、《瀛府》・《薄媚》と曰う。五に曰く仙呂宮、その曲三、《梁州》・《保金枝》・《延寿楽》と曰う。六に曰く黄鐘宮、その曲三、《梁州》・《中和楽》・《剣器》と曰う。七に曰く越調、その曲二、《伊州》・《石州》と曰う。八に曰く大石調、その曲二、《清平楽》・《大明楽》と曰う。九に曰く双調、その曲三、《降聖楽》・《新水調》・《采蓮》と曰う。十に曰く小石調、その曲二、《胡渭州》・《嘉慶楽》と曰う。十一に曰く歇指調、その曲三、《伊州》・《君臣相遇楽》・《慶雲楽》と曰う。十二に曰く林鐘商、その曲三、《賀皇恩》・《泛清波》・《胡渭州》と曰う。十三に曰く中呂調、その曲二、《緑腰》・《道人歓》と曰う。十四に曰く南呂調、その曲二、《緑腰》・《罷金鉦》と曰う。十五に曰く仙呂調、その曲二、《緑腰》・《采雲帰》と曰う。十六に曰く黄鐘羽、その曲一、《千春楽》と曰う。十七に曰く般渉調、その曲二、《長寿仙》・《満宮春》と曰う。十八に曰く正平調、大曲無く、小曲定数無し。用いざる者十調有り:一に曰く高宮、二に曰く高大石、三に曰く高般渉、四に曰く越角、五に曰く大石角、六に曰く高大石角、七に曰く双角、八に曰く小石角、九に曰く歇指角、十に曰く林鐘角。楽に琵琶・箜篌・五弦琴・箏・笙・觱栗・笛・方響・羯鼓・杖鼓・拍板を用う。

原文所奏凡十八調、四十大曲:一曰正宮調,其曲三,曰《梁州》、《瀛府》、《齊天樂》;二曰中呂宮,其曲二,曰《萬年歡》、《劍器》;三曰道調宮,其曲三,曰《梁州》、《薄媚》、《大聖樂》;四曰南呂宮,其曲二,曰《瀛府》、《薄媚》;五曰仙呂宮,其曲三,曰《梁州》、《保金枝》、《延壽樂》;六曰黃鍾宮,其曲三,曰《梁州》、《中和樂》、《劍器》;七曰越調,其曲二,曰《伊州》、《石州》;八曰大石調,其曲二,曰《清平樂》、《大明樂》;九曰雙調,其曲三,曰《降聖樂》、《新水調》、《采蓮》;十曰小石調,其曲二,曰《胡渭州》、《嘉慶樂》;十一曰歇指調,其曲三,曰《伊州》、《君臣相遇樂》、《慶雲樂》;十二曰林鍾商,其曲三,曰《賀皇恩》、《泛清波》、《胡渭州》;十三曰中呂調,其曲二,曰《綠腰》、《道人歡》;十四曰南呂調,其曲二,曰《綠腰》《罷金鉦》;十五曰仙呂調,其曲二,曰《綠腰》、《采雲歸》;十六曰黃鍾羽,其曲一,曰《千春樂》;十七曰般涉調,其曲二,曰《長壽仙》、《滿宮春》;十八曰正平調,無大曲,小曲無定數。不用者有十調:一曰高宮,二曰高大石,三曰高般涉,四曰越角,五曰大石角,六曰高大石角,七曰雙角,八曰小石角,九曰歇指角,十曰林鍾角。樂用琵琶、箜篌、五弦琴、箏、笙、觱栗、笛、方響、羯鼓、杖鼓、拍板。

法曲部、その曲二、一に曰く道調宮《望瀛》、二に曰く小石調《献仙音》。楽に琵琶・箜篌・五弦・箏・笙・觱栗・方響・拍板を用う。亀茲部、その曲二、皆双調、一に曰く《宇宙清》、二に曰く《感皇恩》。楽に觱栗・笛・羯鼓・腰鼓・揩鼓・鶏楼鼓・鞀鼓・拍板を用う。鼓笛部、楽に三色笛・杖鼓・拍板を用う。

原文法曲部,其曲二,一曰道調宮《望瀛》,二曰小石調《獻仙音》。樂用琵琶、箜篌、五弦、箏、笙、觱栗、方響、拍板。龜茲部,其曲二,皆雙調,一曰《宇宙清》,二曰《感皇恩》。樂用觱栗、笛、羯鼓、腰鼓、揩鼓、雞樓鼓、鞀鼓、拍板。鼓笛部,樂用三色笛、杖鼓、拍板。

隊舞の制、その名各十。小児隊は凡そ七十二人:一に曰く柘枝隊、五色の繡羅の寛袍を衣、胡帽を戴き、銀帯を繫ぐ;二に曰く剣器隊、五色の繡羅の襦を衣、交脚襆頭を裹み、紅羅の繡抹額を付け、器仗を帯びる;三に曰く婆羅門隊、紫羅の僧衣、緋の掛子を着け、錫鐶の拄杖を執る;四に曰く酔胡騰隊、紅錦の襦を衣、銀〓舌鞢を繫ぎ、氈帽を戴く;五に曰く諢臣万歳楽隊、紫緑緋の羅の寛衫を衣、諢裹の簇花襆頭を付け;六に曰く児童感聖楽隊、青羅の生色衫を衣、勒帛を繫ぎ、総て両角を結ぶ;七に曰く玉兔渾脱隊、四色の繡羅の襦を衣、銀帯を繫ぎ、玉兔冠を冠る;八に曰く異域朝天隊、錦の襖を衣、銀束帯を繫ぎ、夷冠を冠り、宝盤を執る;九に曰く児童解紅隊、紫緋の繡襦を衣、銀帯を繫ぎ、花砌の鳳冠を冠り、綬帯を垂らす;十に曰く射鵰回鶻隊、盤鵰の錦襦を衣、銀〓舌鞢を繫ぎ、鵰盤を射る。

原文隊舞之製,其名各十。小兒隊凡七十二人:一曰柘枝隊,衣五色繡羅寬袍,戴胡帽,係銀帶;二曰劍器隊,衣五色繡羅襦,裹交腳襆頭,紅羅繡抹額,帶器仗;三曰婆羅門隊,紫羅僧衣,緋掛子,執錫鐶拄杖;四曰醉胡騰隊,衣紅錦襦,係銀〓舌鞢,戴氈帽;五曰諢臣萬歲樂隊,衣紫緋綠羅寬衫,諢裹簇花襆頭;六曰兒童感聖樂隊,衣青羅生色衫,係勒帛,總兩角;七曰玉兔渾脫隊,四色繡羅襦,係銀帶,冠玉兔冠;八曰異域朝天隊,衣錦襖,係銀束帶,冠夷冠,執寶盤;九曰兒童解紅隊,衣紫緋繡襦,係銀帶,冠花砌鳳冠,綬帶;十曰射雕回鶻隊,衣盤雕錦襦,係銀〓舌鞢,射雕盤。

女弟子隊は凡そ百五十三人:一に曰く菩薩蛮隊、緋の生色の窄砌衣を衣、巻雲冠を冠る;二に曰く感化楽隊、青羅の生色の通衣を衣、背に髻を梳き、綬帯を繫ぐ;三に曰く拋球楽隊、四色の繡羅の寛衫を衣、銀帯を繫ぎ、繡球を奉ずる;四に曰く佳人剪牡丹隊、紅の生色の砌衣を衣、金冠を戴き、牡丹花を剪る;五に曰く拂霓裳隊、紅の仙砌衣を衣、碧霞帔を掛け、仙冠を戴き、紅繡の抹額を付ける;六に曰く采蓮隊、紅羅の生色の綽子を衣、暈裙を繫ぎ、雲鬟髻を戴き、彩船に乗り、蓮花を執る;七に曰く鳳迎楽隊、紅の仙砌衣を衣、雲鬟鳳髻を戴く;八に曰く菩薩献香花隊、生色の窄砌衣を衣、宝冠を戴き、香花盤を執る;九に曰く彩雲仙隊、黄の生色の道衣を衣、紫霞帔を掛け、仙冠を冠り、旌節・鶴扇を執る;十に曰く打球楽隊、四色の窄繡羅の襦を衣、銀帯を繫ぎ、順風脚の簇花襆頭を裹み、球杖を執る。大略かくの如くして、また宜しきに従って変易す。

原文女弟子隊凡一百五十三人:一曰菩薩蠻隊,衣緋生色窄砌衣,冠卷雲冠;二曰感化樂隊,衣青羅生色通衣,背梳髻,係綬帶;三曰拋球樂隊,衣四色繡羅寬衫,係銀帶,奉繡球;四曰佳人剪牲丹隊,衣紅生色砌衣,戴金冠,剪牲丹花;五曰拂霓裳隊,衣紅仙砌衣,碧霞帔,戴仙冠,紅繡抹額;六曰采蓮隊,衣紅羅生色綽子,係暈裙,戴雲鬟髻,乘彩船,執蓮花;七曰鳳迎樂隊,衣紅仙砌衣,戴雲鬟鳳髻;八曰菩薩獻香花隊,衣生色窄砌衣,戴寶冠,執香花盤;九曰彩雲仙隊,衣黃生色道衣,紫霞帔,冠仙冠,執旌節、鶴扇;十曰打球樂隊,衣四色窄繡羅襦,係銀帶,裹順風腳簇花襆頭,執球杖。大抵若此,而復從宜變易。

百戯には蹴球・踏蹻・藏擫・雑旋・獅子・弄槍・鈴瓶・茶碗・氈齪・碎剣・踏索・上竿・筋斗・擎戴・拗腰・透剣門・打弾丸の類あり。(錫慶院の宴会、諸王に食を賜う及び宰相の筵設の時に楽を賜うは、第四部これを充てる。)

原文百戲有蹴球、踏蹻、藏擫、雜旋、獅子、弄槍、鈴瓶、茶碗、氈齪、碎劍、踏索、上竿、筋鬥、擎戴、拗腰、透劍門、打彈丸之類。(錫慶院宴會,諸王賜食及宰相筵設時賜樂者,第四部充。)

建隆年中、教坊都知李徳升が『長春楽曲』を作る;乾徳元年、また『万歳昇平楽曲』を作る。明年、教坊高班都知郭延美がまた『紫雲長寿楽』鼓吹曲を作り、以て御前に奏す。太宗は音律に洞曉し、前後親しく大小曲を製し及び旧曲に因り新声を創るもの、総て三百九十。凡そ大曲を製すること十八:

原文建隆中,教坊都知李德升作《長春樂曲》;乾德元年,又作《萬歲升平樂曲》。明年,教坊高班都知郭延美又作《紫雲長壽樂》鼓吹曲,以奏禦焉。太宗洞曉音律,前後親製大小曲及因舊曲創新聲者,總三百九十。凡製大曲十八:

正宮『平戎破陣楽』、南呂宮『平晋普天楽』、中呂宮『大宋朝歓楽』、黄鍾宮『宇宙荷皇恩』、道調宮『垂衣定八方』、仙呂宮『甘露降龍庭』、小石調『金枝玉葉春』、林鍾商『大恵帝恩寛』、歇指調『大定寰中楽』、双調『恵化楽堯風』、越調『万国朝天楽』、大石調『嘉禾生九穂』、南呂調『文興礼楽歓』、仙呂調『斉天長寿楽』、般渉調『君臣宴会楽』、中呂調『一斛夜明珠』、黄鍾羽『降聖万年春』、平調『金觴祝寿春』。

原文正宮《平戎破陣樂》,南呂宮《平晉普天樂》,中呂宮《大宋朝歡樂》,黃鍾宮《宇宙荷皇恩》,道調宮《垂衣定八方》,仙呂宮《甘露降龍庭》,小石調《金枝玉葉春》,林鍾商《大惠帝恩寬》,歇指調《大定寰中樂》,雙調《惠化樂堯風》,越調《萬國朝天樂》,大石調《嘉禾生九穗》,南呂調《文興禮樂歡》,仙呂調《齊天長壽樂》,般涉調《君臣宴會樂》,中呂調《一斛夜明珠》,黃鍾羽《降聖萬年春》,平調《金觴祝壽春》。

曲破二十九:

原文曲破二十九:

正宮『宴鈞台』、南呂宮『七盤楽』、仙呂宮『王母桃』、高宮『静三辺』、黄鍾宮『采蓮回』、中呂宮『杏園春』・『献玉杯』、道調宮『折枝花』、林鍾商『宴朝簪』、歇指調『九穂禾』、高大石調『囀春鶯』、小石調『舞霓裳』、越調『九霞觴』、双調『朝八蛮』、大石調『清夜遊』、林鍾角『慶雲見』、越角『露如珠』、小石角『龍池柳』、高角『陽台雲』、歇指角『金歩揺』、大石角『念辺功』、双角『宴新春』、南呂調『鳳城春』、仙呂調『夢鈞天』、中呂調『采明珠』、平調『万年枝』、黄鍾羽『賀回鸞』、般渉調『鬱金香』、高般渉調『会天仙』。

原文正宮《宴鈞台》,南呂宮《七盤樂》,仙呂宮《王母桃》,高宮《靜三邊》,黃鍾宮《采蓮回》,中呂宮《杏園春》、《獻玉杯》,道調宮《折枝花》,林鍾商《宴朝簪》,歇指調《九穗禾》,高大石調《囀春鶯》,小石調《舞霓裳》,越調《九霞觴》,雙調《朝八蠻》,大石調《清夜遊》,林鍾角《慶雲見》,越角《露如珠》,小石角《龍池柳》,高角《陽台雲》,歇指角《金步搖》,大石角《念邊功》,雙角《宴新春》,南呂調《鳳城春》,仙呂調《夢鈞天》,中呂調《采明珠》,平調《萬年枝》,黃鍾羽《賀回鸞》,般涉調《鬱金香》,高般涉調《會天仙》。

琵琶独弾曲破十五:

原文琵琶獨彈曲破十五:

鳳鸞商『慶成功』、応鍾調『九曲清』、金石角『鳳来儀』、芙蓉調『蕊宮春』、蕤賓調『連理枝』、正仙呂調『朝天楽』、蘭陵角『奉宸歓』、孤雁調『賀昌時』、大石調『寰海清』、玉仙商『玉芙蓉』、林鍾角『泛仙槎』、無射宮調『帝台春』、龍仙羽『宴蓬莱』、聖徳商『美時清』、仙呂調『寿星見』。

原文鳳鸞商《慶成功》,應鍾調《九曲清》,金石角《鳳來儀》,芙蓉調《蕊宮春》,蕤賓調《連理枝》,正仙呂調《朝天樂》,蘭陵角《奉宸歡》,孤雁調《賀昌時》,大石調《寰海清》,玉仙商《玉芙蓉》,林鍾角《泛仙槎》,無射宮調《帝台春》,龍仙羽《宴蓬萊》,聖德商《美時清》,仙呂調《壽星見》。

小曲二百七十:

原文小曲二百七十:

正宮十:『一陽生』・『玉窓寒』・『念辺戍』・『玉如意』・『瓊樹枝』・『鷫鸘裘』・『塞鴻飛』・『漏丁丁』・『息鼙鼓』・『勧流霞』。

原文正宮十:《一陽生》、《玉窗寒》、《念邊戍》、《玉如意》、《瓊樹枝》、《鷫鸘裘》、《塞鴻飛》、《漏丁丁》、《息鼙鼓》、《勸流霞》。

南呂宮十一:『仙盤露』・『氷盤果』・『芙蓉園』・『林下風』・『風雨調』・『開月幌』・『鳳来賓』・『落梁塵』・『望陽台』・『慶年豊』・『青驄馬』。

原文南呂宮十一:《仙盤露》、《冰盤果》、《芙蓉園》、《林下風》、《風雨調》、《開月幌》、《鳳來賓》、《落梁塵》、《望陽台》、《慶年豐》、《青驄馬》。

中呂宮十三:『上林春』・『春波緑』・『百樹花』・『寿無疆』・『万年春』・『撃珊瑚』・『柳垂絲』・『酔紅楼』・『折紅杏』・『一園花』・『花下酔』・『遊春帰』・『千樹柳』。

原文中呂宮十三:《上林春》、《春波綠》、《百樹花》、《壽無疆》、《萬年春》、《擊珊瑚》、《柳垂絲》、《醉紅樓》、《折紅杏》、《一園花》、《花下醉》、《遊春歸》、《千樹柳》。

仙呂宮九:『折紅蕖』・『鵲度河』・『紫蘭香』・『喜堯時』・『猗蘭殿』・『歩瑤階』・『千秋楽』・『百和香』・『佩珊珊』。

原文仙呂宮九:《折紅蕖》、《鵲度河》、《紫蘭香》、《喜堯時》、《猗蘭殿》、《步瑤階》、《千秋樂》、《百和香》、《佩珊珊》。

黄鍾宮十二:『菊花杯』・『翠幕新』・『四塞清』・『満簾霜』・『画屏風』・『折茱萸』・『望春雲』・『苑中鶴』・『賜征袍』・『望回戈』・『稻稼成』・『泛金英』。

原文黃鍾宮十二:《菊花杯》、《翠幕新》、《四塞清》、《滿簾霜》、《畫屏風》、《折茱萸》、《望春雲》、《苑中鶴》、《賜征袍》、《望回戈》、《稻稼成》、《泛金英》。

高宮九曲:『嘉順成』、『安邊塞』、『獵騎還』、『遊兔園』、『錦步帳』、『博山爐』、『暖寒杯』、『雲紛紜』、『待春來』。

原文高宮九:《嘉順成》、《安邊塞》、《獵騎還》、《遊兔園》、《錦步帳》、《博山爐》、《暖寒杯》、《雲紛紜》、《待春來》。

道調宮九曲:『會夔龍』、『泛仙杯』、『披風襟』、『孔雀扇』、『百尺樓』、『金尊滿』、『奏明庭』、『拾落花』、『聲聲好』。

原文道調宮九:《會夔龍》、《泛仙杯》、《披風襟》、《孔雀扇》、《百尺樓》、《金尊滿》、《奏明庭》、《拾落花》、《聲聲好》。

越調八曲:『翡翠帷』、『玉照台』、『香旖旎』、『紅樓夜』、『珠頂鶴』、『得賢臣』、『蘭堂燭』、『金鏑流』。

原文越調八:《翡翠帷》、《玉照台》、《香旖旎》、《紅樓夜》、《珠頂鶴》、《得賢臣》、《蘭堂燭》、《金鏑流》。

雙調十六曲:『宴瓊林』、『泛龍舟』、『汀洲綠』、『登高樓』、『麥隴雉』、『柳如煙』、『楊花飛』、『玉澤新』、『玳瑁簪』、『玉階曉』、『喜清和』、『人歡樂』、『征戍回』、『一院香』、『一片雲』、『千萬年』。

原文雙調十六:《宴瓊林》、《泛龍舟》、《汀洲綠》、《登高樓》、《麥隴雉》、《柳如煙》、《楊花飛》、《玉澤新》、《玳瑁簪》、《玉階曉》、《喜清和》、《人歡樂》、《征戍回》、《一院香》、《一片雲》、《千萬年》。

小石調七曲:『滿庭香』、『七寶冠』、『玉唾盂』、『辟塵犀』、『喜新晴』、『慶雲飛』、『太平時』。

原文小石調七:《滿庭香》、《七寶冠》、《玉唾盂》、《辟塵犀》、《喜新晴》、《慶雲飛》、《太平時》。

林鍾商十曲:『采秋蘭』、『紫絲囊』、『留征騎』、『塞鴻度』、『回鶻朝』、『汀洲雁』、『風入鬆』、『蓼花紅』、『曳珠佩』、『遵渚鴻』。

原文林鍾商十:《采秋蘭》、《紫絲囊》、《留征騎》、《塞鴻度》、《回鶻朝》、《汀洲雁》、《風入鬆》、《蓼花紅》、《曳珠佩》、《遵渚鴻》。

歇指調九曲:『榆塞清』、『聽秋風』、『紫玉簫』、『碧池魚』、『鶴盤旋』、『湛恩新』、『聽秋蟬』、『月中歸』、『千家月』。

原文歇指調九:《榆塞清》、《聽秋風》、《紫玉簫》、《碧池魚》、《鶴盤旋》、《湛恩新》、《聽秋蟬》、《月中歸》、《千家月》。

高大石調九曲:『花下宴』、『甘雨足』、『畫秋千』、『夾竹桃』、『攀露桃』、『燕初來』、『踏青回』、『拋繡球』、『潑火雨』。

原文高大石調九:《花下宴》、《甘雨足》、《畫秋千》、《夾竹桃》、《攀露桃》、《燕初來》、《踏青回》、《拋繡球》、《潑火雨》。

大石調八曲:『賀元正』、『待花開』、『采紅蓮』、『出穀鶯』、『遊月宮』、『望回車』、『塞雲平』、『秉燭遊』。

原文大石調八:《賀元正》、《待花開》、《采紅蓮》、《出穀鶯》、《遊月宮》、《望回車》、《塞雲平》、《秉燭遊》。

小石角九曲:『月宮春』、『折仙枝』、『春日遲』、『綺筵春』、『登春台』、『紫桃花』、『一林紅』、『喜春雨』、『泛春池』。

原文小石角九:《月宮春》、《折仙枝》、《春日遲》、《綺筵春》、《登春台》、《紫桃花》、《一林紅》、《喜春雨》、《泛春池》。

雙角九曲:『鳳樓燈』、『九門開』、『落梅香』、『春冰拆』、『萬年安』、『催花發』、『降真香』、『迎新春』、『望蓬島』。

原文雙角九:《鳳樓燈》、《九門開》、《落梅香》、《春冰拆》、《萬年安》、《催花發》、《降真香》、《迎新春》、《望蓬島》。

高角九曲:『日南至』、『帝道昌』、『文風盛』、『琥珀杯』、『雪花飛』、『皂貂裘』、『征馬嘶』、『射飛雁』、『雪飄颻』。

原文高角九:《日南至》、《帝道昌》、《文風盛》、《琥珀杯》、《雪花飛》、《皂貂裘》、《征馬嘶》、《射飛雁》、《雪飄颻》。

大石角九曲:『紅爐火』、『翠雲裘』、『慶成功』、『冬夜長』、『金鸚鵡』、『玉樓寒』、『鳳戲雛』、『一爐香』、『雲中雁』。

原文大石角九:《紅爐火》、《翠雲裘》、《慶成功》、《冬夜長》、《金鸚鵡》、《玉樓寒》、《鳳戲雛》、《一爐香》、《雲中雁》。

歇指角九曲:『玉壺冰』、『卷珠箔』、『隨風簾』、『樹青蔥』、『紫桂叢』、『五色雲』、『玉樓宴』、『蘭堂宴』、『千千歲』。

原文歇指角九:《玉壺冰》、《卷珠箔》、《隨風簾》、《樹青蔥》、《紫桂叢》、《五色雲》、《玉樓宴》、《蘭堂宴》、《千千歲》。

越角九曲:『望明堂』、『華池露』、『貯香囊』、『秋氣清』、『照秋池』、『曉風度』、『靖邊塵』、『聞新雁』、『吟風蟬』。

原文越角九:《望明堂》、《華池露》、《貯香囊》、《秋氣清》、《照秋池》、《曉風度》、《靖邊塵》、《聞新雁》、《吟風蟬》。

林鍾角九曲:『慶時康』、『上林果』、『畫簾垂』、『水精簾』、『夏木繁』、『暑氣清』、『風中琴』、『轉輕車』、『清風來』。

原文林鍾角九:《慶時康》、《上林果》、《畫簾垂》、《水精簟》、《夏木繁》、《暑氣清》、《風中琴》、《轉輕車》、《清風來》。

仙呂調十五曲:『喜清和』、『芰荷新』、『清世歡』、『玉鉤欄』、『金步搖』、『金錯落』、『燕引雛』、『草芊芊』、『步玉砌』、『整華裾』、『海山青』、『旋絮綿』、『風中帆』、『青絲騎』、『喜聞聲』。

原文仙呂調十五:《喜清和》、《芰荷新》、《清世歡》、《玉鉤欄》、《金步搖》、《金錯落》、《燕引雛》、《草芊芊》、《步玉砌》、《整華裾》、《海山青》、《旋絮綿》、《風中帆》、《青絲騎》、《喜聞聲》。

南呂調七曲:『春景麗』、『牡丹開』、『展芳茵』、『紅桃露』、『囀林鶯』、『滿林花』、『風飛花』。

原文南呂調七:《春景麗》、《牡丹開》、《展芳茵》、《紅桃露》、《囀林鶯》、《滿林花》、《風飛花》。

中呂調九曲:『宴嘉賓』、『會群仙』、『集百祥』、『憑朱欄』、『香煙細』、『仙洞開』、『上馬杯』、『拂長袂』、『羽觴飛』。

原文中呂調九:《宴嘉賓》、《會群仙》、《集百祥》、《憑朱欄》、《香煙細》、《仙洞開》、《上馬杯》、《拂長袂》、《羽觴飛》。

高般涉調九曲:『喜秋成』、『戲馬台』、『泛秋菊』、『芝殿樂』、『鸂鶒杯』、『玉芙蓉』、『偃幹戈』、『聽秋砧』、『秋雲飛』。

原文高般涉調九:《喜秋成》、《戲馬台》、《泛秋菊》、《芝殿樂》、《鸂鶒杯》、《玉芙蓉》、《偃幹戈》、《聽秋砧》、《秋雲飛》。

般涉調十曲:『玉樹花』、『望星鬥』、『金錢花』、『玉窗深』、『萬民康』、『瑤林風』、『隨陽雁』、『倒金罍』、『雁來賓』、『看秋月』。

原文般涉調十:《玉樹花》、《望星鬥》、《金錢花》、《玉窗深》、《萬民康》、《瑤林風》、《隨陽雁》、《倒金罍》、《雁來賓》、《看秋月》。

黃鍾羽七曲:『宴鄒枚』、『雲中樹』、『燎金爐』、『澗底鬆』、『嶺頭梅』、『玉爐香』、『瑞雪飛』。

原文黃鍾羽七:《宴鄒枚》、《雲中樹》、《燎金爐》、《澗底鬆》、《嶺頭梅》、《玉爐香》、《瑞雪飛》。

平調十曲:『萬國朝』、『獻春盤』、『魚上冰』、『紅梅花』、『洞中春』、『春雪飛』、『翻羅袖』、『落梅花』、『夜遊樂』、『鬥春雞』。旧曲に因りて新聲を造る者五十八曲:

原文平調十:《萬國朝》、《獻春盤》、《魚上冰》、《紅梅花》、《洞中春》、《春雪飛》、《翻羅袖》、《落梅花》、《夜遊樂》、《鬥春雞》。因舊曲造新聲者五十八:

正宮、南呂宮、道調宮、越調、南呂調は、いずれも『傾杯樂』、『三台』。仙呂宮、高宮、小石調、大石調、高大石調、小石角、雙角、高角、大石角、歇指角、林鍾角、越角、高般涉調、黃鍾羽、平調は、いずれも『傾杯樂』。中呂宮は『傾杯樂』、『劍器』、『感皇化』、『三台』。黃鍾宮は『傾杯樂』、『朝中措』、『三台』。雙調は『傾杯樂』、『攤破拋球樂』、『醉花間』、『小重山』、『三台』。林鍾商は『傾杯樂』、『洞中仙』、『望行宮』、『三台』。歇指調は『傾杯楽』、『洞仙歌』、『三台』。仙呂調は『傾杯樂』、『月宮仙』、『戴仙花』、『三台』。中呂調は『傾杯樂』、『菩薩蠻』、『瑞鷓鴣』、『三台』。般涉調は『傾杯樂』、『望征人』、『嘉宴樂』、『引駕回』、『拜新月』、『三台』。

原文正宮、南呂宮、道調宮、越調、南呂調,並《傾杯樂》、《三台》;仙呂宮、高宮、小石調、大石調、高大石調、小石角、雙角、高角、大石角、歇指角、林鍾角、越角、高般涉調、黃鍾羽、平調,並《傾杯樂》、中呂宮《傾杯樂》、《劍器》、《感皇化》、《三台》;黃鍾宮《傾杯樂》、《朝中措》、《三台》;雙調《傾杯樂》、《攤破拋球樂》、《醉花間》、《小重山》、《三台》;林鍾商《傾杯樂》、《洞中仙》、《望行宮》、《三台》;歇指調《傾杯樂》、《洞仙歌》、《三台》;仙呂調《傾杯樂》、《月宮仙》、《戴仙花》、《三台》;中呂調《傾杯樂》、《菩薩蠻》、《瑞鷓鴣》、《三台》;般涉調《傾杯樂》、《望征人》、《嘉宴樂》、《引駕回》、《拜新月》、《三台》。

『宇宙賀皇恩』、『降聖萬年春』の類は、皆藩邸の作にして、太祖の美德を述べたもの、諸曲多く秘す。而して『平晉普天樂』は、河東を平らげて回った時に製し、『萬國朝天樂』は、また明年に製したもの、毎たび宴享に常用す。然れども帝は治道を勤めて求め、未だ嘗て自ら逸せず、故に楽を挙ぐるに度あり。雍熙初め、教坊使郭守中外任を求めしに、止めて束帛を賜うのみ。

原文若《宇宙賀皇恩》、《降聖萬年春》之類,皆藩邸作,以述太祖美德,諸曲多秘。而《平晉普天樂》者,平河東回所製,《萬國朝天樂》者,又明年所製,每宴享常用之。然帝勤求治道,未嘗自逸,故舉樂有度。雍熙初,教坊使郭守中求外任,止賜束帛。

真宗は鄭聲を喜ばず、而して或いは雑詞を作れども、未だ嘗て外に宣布せず。太平興國年中、伶官蔚茂多大宴に侍し、鶏の唱うるを聞く、殿前都虞候崔翰之を問いて曰く、「此れ管弦に被すべきか」と。茂多即ち其の聲を法し、曲を製して『雞叫子』と曰う。又民間に新聲を作る者甚だ衆し、而れども教坊は用いず。太宗の製したる曲は、乾興以来之を用う、凡そ新たに奏する十七調、総て四十八曲:黄鐘、道調、仙呂、中呂、南呂、正宮、小石、歇指、高平、般涉、大石、中呂、仙呂、雙越調、黄鐘羽。其の急慢諸曲幾千数。又法曲、『龜茲』、鼓笛三部、凡そ二十有四曲。

原文真宗不喜鄭聲,而或為雜詞,未嘗宣布於外。太平興國中,伶官蔚茂多侍大宴,聞雞唱,殿前都虞候崔翰問之曰:“此可被管弦乎?” 茂多即法其聲,製曲曰《雞叫子》。又民間作新聲者甚眾,而教坊不用也。太宗所製曲,乾興以來通用之,凡新奏十七調,總四十八曲:黃鍾、道調、仙呂、中呂、南呂、正宮、小石、歇指、高平、般涉、大石、中呂、仙呂、雙越調,黃鍾羽。其急慢諸曲幾千數。又法曲、《龜茲》、鼓笛三部,凡二十有四曲。

仁宗は音律を洞曉し、毎たび禁中にて曲を度し、以て教坊に賜い、或いは教坊使に撰進せしむ、凡そ五十四曲、朝廷多く之を用う。天聖年中、帝嘗て輔臣に古今の楽の異同を問う、王曾対えて曰く、「古楽は天地・宗廟・社稷・山川・鬼神を祀り、而して聴く者和悅せざる莫し。今楽は則ち然らず、徒らに人の耳目を虞れども人の心誌を蕩す。昔より人君流連荒亡する者は、此れに由らざる莫し」と。帝曰く、「朕は聲技に固より未だ嘗て留意せず、内外の宴遊皆強いて耳」と。張知白曰く、「陛下の盛德、外人豈に之を知らんや、願わくは時政記に備え書かん」と。

原文仁宗洞曉音律,每禁中度曲,以賜教坊,或命教坊使撰進,凡五十四曲,朝廷多用之,天聖中,帝嚐問輔臣以古今樂之異同,王曾對曰:“古樂祀天地、宗廟、社稷、山川、鬼神,而聽者莫不和悅。今樂則不然,徒虞人耳目而蕩人心誌。自昔人君流連荒亡者,莫不由此。”帝曰:“朕於聲技固未嘗留意,內外宴遊皆勉強耳。”張知白曰:“陛下盛德,外人豈知之,願備書時政記。”

世間は太常を雅楽と称するが、未だ宴享に施したことがない。正声が美しく聞こえないからであろうか。そもそも楽とは楽しむものであり、その道は微妙で知り難いが、奏して人を悦豫よ和平にさせるに至っては、知音を待たずして能くするのである。今、太常楽の懸ける鐘・磬・塤・篪・搏拊の器、及び舞綴の羽・籥・幹・戚の制は、類皆古を模倣しているが、振作するに及べば、聴く者は楽たるを知らず、観る者は厭う。古楽は真にこの如きものであろうか。孔子が「鄭声を悪む」と言ったのは、雅を乱すことを恐れたのである。乱すというのは、似て非なるものをいう。孟子もまた「今の楽は猶古の楽の如し」と言ったが、太常は教坊と全く異なる。何故であろうか。昔、李照・胡瑗・阮逸が鐘磬を改めて鋳造した時、処士徐復は笑って言った、「聖人は器に声を寓す。先ずその声を求めずしてその器を改めるのは、用いることができようか」と。照・瑗・逸は製作すること久しく、遂に成すところ無し。蜀しょく人の房庶もまた深くその非を訂正し、因って著書して古楽と今楽の本末は遠からずと論じた。その大略は、「上古は世質にして、器と声は朴なり。後世稍々変ず。金石は鐘磬なり、後世は之を易えて方響と為す。絲竹は琴簫なり、後世は之を変えて箏笛と為す。匏は笙なり、之を攢じて鬥と為す。塤は土なり、変じて甌と為す。革は麻料なり、撃ちて鼓と為す。木は敔なり、之を貫いて板と為す。この八音は、世に甚だ便なり。而るに達せざる者は、廟楽の鎛鐘・鎛磬・宮軒を正声と指し、概ね夷部・鹵部を淫声と謂う。大いに知らず、大輅は椎輪より起こり、龍艘は落葉より生ず。その変ずるは則ち然り。古者は食に俎豆を用い、後世は杯盂に易え、簟席を以て安と為し、後世は榻桉に更む。聖人復た生まれても、杯盂・榻桉を捨てて、復た俎豆・簟席の質に帰すること能わざるなり。八音の器、豈に此れと異ならんや。孔子が『鄭声淫』と言ったのは、豈にその器が古に若かざるを以てか。亦たその声の変ずるを疾むのみ。試みに楽を知る者に、今の器に由り、古の声を寄せ、惉懘靡曼を去りて中和雅正に帰せしめよ。則ち人心を感し、和気を導き、治世の音と曰わざらんや。然らば則ち世の所謂雅楽は、未だ必ずしも古の如くならず、而して教坊の奏する所は、豈に尽く淫声たるべきや」と。数子の紛紛として鋭意改製したる後、庶の論の指意独り此の如し。故にその語を存し、以て知る者を俟つ。

原文世號太常為雅樂,而未嘗施於宴享,豈以正聲為不美聽哉!夫樂者,樂也,其道雖微妙難知,至於奏之而使人悅豫和平,則不待知音而後能也。今太常樂縣鍾、磬、塤、篪、搏拊之器,與夫舞綴羽、籥、幹、戚之製,類皆仿古,逮振作之,則聽者不知為樂而觀者厭焉,古樂豈真若此哉!孔子曰“惡鄭聲”,恐其亂雅。亂之雲者,似是而非也。孟子亦曰“今樂猶古樂”,而太常乃與教坊殊絕,何哉?昔李照、胡瑗、阮逸改鑄鍾磬,處士徐復笑之曰:“聖人寓器以聲,不先求其聲而更其器,其可用乎!”照、瑗、逸製作久之,卒無所成。蜀人房庶亦深訂其非是,因著書論古樂與今樂本末不遠,其大略以謂:“上古世質,器與聲樸,後世稍變焉。金石,鍾磬也,後世易之為方響;絲竹,琴簫也,後世變之為箏笛。匏,笙也,攢之以鬥;塤,土也,變而為甌;革,麻料也,擊而為鼓;木,敔也,貫之為板。此八音者,於世甚便,而不達者指廟樂鎛鍾、鎛磬、宮軒為正聲,而概謂夷部、鹵部為淫聲。殊不知大輅起於椎輪,龍艘生於落葉,其變則然也。古者食以俎豆,後世易以杯盂;簟席以為安,後世更以榻桉。使聖人復生,不能舍杯盂、榻桉,而復俎豆、簟席之質也。八音之器,豈異此哉!孔子曰‘鄭聲淫’者,豈以其器不若古哉!亦疾其聲之變爾。試使知樂者,由今之器,寄古之聲,去惉懘靡曼而歸之中和雅正,則感人心、導和氣,不曰治世之音乎!然則世所謂雅樂者,未必如古,而教坊所奏,豈盡為淫聲哉!”當數子紛紛銳意改製之後,庶之論指意獨如此,故存其語,以俟知者。

教坊は本来宣徽院に隷属し、使・副使・判官・都色長・色長・高班・大小都知を置いた。天聖五年、内侍二人を以て鈐轄とした。嘉祐年中、詔して楽工は毎色の定員を二人に止め、教頭は三人に止め、欠員あれば即ち補充すべしとした。異時に或いは詔を伝えて増置する時は、有司の論奏を許した。使・副は毎年雑劇を検閲し、把色人を三等に分け、三殿の応奉人に欠員あれば、即ち次第に補充した。諸部の応奉二十年及び年五十以上の者は、廟令或いは鎮将に補することを許した。官制施行後は、太常寺に隷属させた。同天節、宝慈・慶寿宮の生辰、皇子・公主の誕生など、凡そ国の慶事には、皆歌楽詞を進めた。

原文教坊本隸宣徽院,有使、副使、判官、都色長、色長、高班、大小都知。天聖五年,以內侍二人為鈐轄。嘉祐中,詔樂工每色額止二人,教頭止三人,有闕即填。異時或傳詔增置,許有司論奏。使、副歲閱雜劇,把色人分三等,遇三殿應奉人闕,即以次補。諸部應奉及二十年、年五十已上,許補廟令或鎮將,官制行,以隸太常寺。同天節,寶慈、慶壽宮生辰,皇子、公主生,凡國之慶事,皆進歌樂詞。

熙寧九年、教坊副使花日新が言上した、「楽声高くして、歌者継ぎ難し。方響部の器は中度に合わず、絲竹これに従う。噍殺の急を去り、嘽緩の易に帰すべし。一律を下げ、方響を改造して楽の準と為すことを請う。絲竹悉くその声に従わば、則ち音律諧協し、以て中和の気を導かん」。詔してこれに従った。十一月、化成殿に新楽を奏し、帝は近臣に諭して言った、「楽声ただ一律を降すのみで、既に寛和の節を得たり」。方響の架を三十増賜し、太常に命じて法駕・鹵部楽を一律下げさせ、教坊の如くとした。初め、熙寧二年五月、宗室の正任以上が教坊楽人を借りることを罷めたが、八年に至り、これを復し、楽を教えることを許した。

原文熙寧九年,教坊副使花日新言:“樂聲高,歌者難繼。方響部器不中度,絲竹從之。宜去噍殺之急,歸嘽緩之易,請下一律,改造方向,以為樂準。絲竹悉從其聲,則音律諧協,以導中和之氣。”詔從之。十一月,奏新樂於化成殿,帝諭近臣曰:“樂聲第降一律,已得寬和之節矣。”增賜方響為架三十,命太常下法駕、鹵部樂一律,如教坊雲。初,熙寧二年五月,罷宗室正任以上借教坊樂人,至八年,復之,許教樂。

政和三年五月、詔した、「比来『大晟楽』を教坊に播せしむ。天下と共に嘉するに、以て進めたる楽を天下に頒つべし」。八月、尚書省が言上した、「大晟府の宴楽は既に教坊に撥帰せり。所有の諸府の從來習学の人は、元降の指揮に大晟府に就きて教習せしむと令せしが、今当に並びに教坊に就きて習学すべし」。詔してこれに従った。四年正月、礼部が奏上した、「教坊楽は、春に或いは商声を用い、孟に或いは季律を用う。甚だ四時の序を失う。大晟府の十二月に定めたる声律を以て、教坊に閲習せしめ、仍って秘書省に詞を撰せしむることを乞う」。

原文政和三年五月,詔:“比以《大晟樂》播之教坊,嘉與天下共之,可以所進樂頒之天下。”八月,尚書省言:“大晟府宴樂已撥歸教坊,所有諸府從來習學之人,元降指揮令就大晟府教習,今當並就教坊習學。”從之。四年正月,禮部奏:“教坊樂,春或用商聲,孟或用季律,甚失四時之序。乞以大晟府十二月所定聲律,令教坊閱習,仍令秘書省撰詞。”

高宗建炎初年、教坊を省廃した。紹興十四年に復置し、凡そ楽工四百六十人、内侍を以て鈐轄を充てた。紹興末年に再び省廃した。孝宗隆興二年の天申節、楽を用いて上寿せんとし、上は言った、「一年の間、ただ両宮の誕日以外は、余り用いるところ無し。何の名色と為すかを知らず」。大臣皆言う、「臨時に点集し、必ずしも教坊を置かず」。上曰く「善し」。乾道以後、北使が毎年両度来朝する時も楽を用いたが、ただ市人を呼んでこれを使い、教坊を置かず、ただ修内司に先んじて両旬教習せしめた。旧例は楽人三百人、百戯軍百人、百禽鳴二人、小児隊七十一人、女童隊百三十七人、築球軍三十二人、起立門行人三十二人、旗鼓四十人(以上並びに臨安府が差出す)、相撲等子二十一人(御前忠佐司が差出す)を用いた。小児及び女童隊を罷めることを命じ、余りを用いた。

原文高宗建炎初,省教坊。紹興十四年復置,凡樂工四百六十人,以內侍充鈐轄。紹興末復省。孝宗隆興二年天申節,將用樂上壽,上曰:“一歲之間,隻兩宮誕日外,餘無所用,不知作何名色。”大臣皆言:“臨時點集,不必置教坊。”上曰:“善。”乾道後,北使每歲兩至,亦用樂,但呼市人使之,不置教坊,止令修內司先兩旬教習。舊例用樂人三百人,百戲軍百人,百禽鳴二人,小兒隊七十一人,女童隊百三十七人,築球軍三十二人,起立門行人三十二人,旗鼓四十人,(以上並臨安府差。)相撲等子二十一人。(御前忠佐司差。)命罷小兒及女童隊,餘用之。

雲韶部とは、黄門楽である。開宝年中に嶺表を平定し、広州の内臣の聰警なる者八十人を選び、教坊に於いて楽芸を習わしめ、簫韶部と賜名した。雍熙初年、雲韶と改称した。毎年の上元観灯、上巳・端午の水嬉観覧には、皆宮中に於いて作楽を命じた。南至・元正・清明・春秋分社の節に遇い、親王の内中宴射する時も、またこれを用いた。大曲十三を奏した。一は中呂宮『万年歓』、二は黄鍾宮『中和楽』、三は南呂宮『普天献寿』(この曲も太宗の製)、四は正宮『梁州』、五は林鍾商『泛清波』、六は双調『大定楽』、七は小石調『喜新春』、八は越調『胡渭州』、九は大石調『清平楽』、十は般渉調『長寿仙』、十一は高平調『罷金鉦』、十二は中呂調『緑腰』、十三は仙呂調『采雲帰』。楽器は琵琶・箏・笙・觱栗・笛・方響・杖鼓・羯鼓・大鼓・拍板を用いた。雑劇には傀儡を用いたが、後には補わなかった。

原文雲韶部者,黃門樂也。開寶中平嶺表,擇廣州內臣之聰警者,得八十人,令於教坊習樂藝,賜名簫韶部。雍熙初,改曰雲韶。每上元觀燈,上巳、端午觀水嬉,皆命作樂於宮中。遇南至、元正、清明、春秋分社之節,親王內中宴射,則亦用之。奏大曲十三:一曰中呂宮《萬年歡》;二曰黃鍾宮《中和樂》;三曰南呂宮《普天獻壽》,此曲亦太宗所製;四曰正宮《梁州》;五曰林鍾商《泛清波》;六曰雙調《大定樂》;七曰小石調《喜新春》;八曰越調《胡渭州》;九曰大石調《清平樂》;十曰般涉調《長壽仙》;十一曰高平調《罷金鉦》;十二曰中呂調《綠腰》;十三曰仙呂調《采雲歸》。樂用琵琶、箏、笙、觱栗、笛、方響、杖鼓、羯鼓、大鼓、拍板。雜劇用傀儡,後不復補。

鈞容直もまた軍楽である。太平興国三年、軍中にて音楽に巧みなる者を登録せしめ、引龍直と命ずる詔を下す。巡幸や遊幸のたびごとに、騎馬にて車駕を先導し音楽を奏す。楼閣に登り灯りを観賞し、賜酺を行うときは、第一山車に乗せて奏す。端拱二年、また捧日・天武・拱聖の諸軍より音律に通暁する者を選び、その数を増やし、中使をして監視せしめ、藩臣が楽工を貢上する者もまたこれに隷属せしむ。淳化四年、鈞容直と改称し、鈞天の義を取る。初めは楽工を用い、雲韶部と同じくす。大中祥符五年、鼓工温用の請いに因り、『亀茲』部を増設し、教坊の如くす。天書を奉じ、及び四宮観に用いること皆これを用う。指揮使一人、都知二人、副都知二人、押班三人、応奉文字一人、監領内侍二人あり。嘉祐元年、籍に係る者三百八十三人。六年、四百三十四人を増置し、詔してこれを以て定員と為し、欠員あれば即ち補う。七年、詔して班に隷すること二十四年に及び、年齢五十以上の者は、軍職に補うことを聴し、軍頭司に隷属せしむ。その楽は旧来十六調を奏し、凡そ三十六大曲、鼓笛二十一曲、並びに他の曲甚だ衆し。嘉祐二年、監領内侍言う、鈞容直と教坊楽と並び奏すれば、音声諧わず。詔して鈞容の旧十六調を罷め、教坊の十七調を取りてこれを習わしむ。間々損益あるも、然れどもその大曲・曲破並びに急・慢の諸曲は、教坊と頗る同じ。

原文鈞容直,亦軍樂也。太平興國三年,詔籍軍中之善樂者,命曰引龍直。每巡省遊幸,則騎導車駕而奏樂;若禦樓觀燈、賜酺,則載第一山車。端拱二年,又選捧日、天武、拱聖軍曉暢音律者,增多其數,以中使監視,藩臣以樂工上貢者亦隸之。淳化四年,改名鈞容直,取鈞天之義。初用樂工,同雲韶部。大中祥符五年,因鼓工溫用之請,增《龜茲》部,如教坊。其奉天書及四宮觀皆用之。有指揮使一人、都知二人、副都知二人、押班三人、應奉文字一人、監領內侍二人。嘉祐元年,係籍三百八十三人。六年,增置四百三十四人,詔以為額,闕即補之。七年,詔隸班及二十四年、年五十以上者,聽補軍職,隸軍頭司。其樂舊奏十六調,凡三十六大曲,鼓笛二十一曲,並他曲甚眾。嘉祐二年,監領內侍言,鈞容直與教坊樂並奏,聲不諧。詔罷鈞容舊十六調,取教坊十七調肄習之,雖間有損益,然其大曲、曲破並急、慢諸曲,與教坊頗同矣。

紹興年中、鈞容直は旧管四百人、楊存中は復た収補を請う。旧管の半ばを以て暫定的に定員と為す。尋いでその召募騒擾を聞き、詔を降してこれを止む。及びその応奉に功労あるを以て、進呈し推賞せんとするに及び、また申し諭して支賜一回に止むべしとす。以てその日後の希望を杜がんと庶幾す。紹興三十年、復た詔す、鈞容班は蠲省すべし。殿司に令して一等班直に比擬し収頓せしめ、内に老弱癃疾の者は放停す。教坊は嘗て祖宗の旧典に援引し、点選して教に入らしめんとす。暫くその請いに従うも、紹興三十一年詔あり、教坊は即日蠲罷し、各々自便を令す。

原文紹興中,鈞容直舊管四百人,楊存中請復收補,權以舊管之半為額,尋聞其召募騷擾,降詔止之。及其以應奉有勞,進呈推賞,又申諭止於支賜一次,庶杜其日後希望。紹興三十年,復詔鈞容班可蠲省,令殿司比擬一等班直收頓,內老弱癃疾者放停。教坊所嚐援祖宗舊典,點選入教,雖暫從其請,紹興三十一年有詔,教坊即日蠲罷,各令自便。

東西班楽もまた、太平興国年中に東西班より音楽を習う者を選び、楽器は銀字觱栗・小笛・小笙を独り用う。車駕に騎従するごとに音楽を奏し、或いは四方を巡幸するときは、行宮の殿庭にて夜奏す。

原文東西班樂,亦太平興國中選東西班習樂者,樂器獨用銀字觱栗、小笛、小笙。每騎從車駕而奏樂,或巡方則夜奏於行宮殿庭。

諸軍には皆音楽に巧みなる者あり。車駕親しく祭祀より回るごとに、則ち緋緑の衣を衣て、青城より朱雀門に至るまで、御道の左右に列し、音楽を奏して迎え奉る。その声相属し、十数里に聞こゆ。或いは軍宴を設くるにもまたこれを奏す。棹刀・槍牌・翻歌などは、常に置かず。

原文諸軍皆有善樂者,每車駕親祀回,則衣緋綠衣,自青城至朱雀門,列於禦道之左右,奏樂迎奉,其聲相屬,聞十數里。或軍宴設亦奏之。棹刀槍牌翻歌等,不常置。

清衛軍に音楽を習わしむる者は、鈞容直に令してこれを教えしめ、内侍これを主どる。園苑にて賜会し、及び契丹使人を館待するに用う。

原文清衛軍習樂者,令鈞容直教之,內侍主其事,園苑賜會及館待契丹使人。

また親従・親事楽及び開封府衙前楽あり。園苑にはまた諸軍楽を分ち用い、諸州には皆衙前楽あり。

原文又有親從親事樂及開封府衙前樂,園苑又分用諸軍樂,諸州皆有衙前樂。

四夷楽とは、元豊六年五月、米脂砦に降りし戎楽四十二人を召見し、崇政殿にて音楽を奏せしめ、三班借職王恩等六人を以て在京閑慢庫務門及び旧城門の監守に差し、敢勇三十六人を以て茶酒新任殿侍と為す。『大晟楽書』に曰く、「これ以前、宮架の外に熊羆案を列ね、奏する所は皆夷楽なり。豈に大楽に淆雑するを容れんや。乃ち奏してこれを罷む。然れども古くは鞮鞻氏四夷楽を掌り、靺師・旄人各々掌る所あり。以て祭祀を承け、宴享に供す。蓋し天下の中に立ち、四海の歓心を得、鼓舞せしむるは、先王の廃せざる所なり。『漢律』に曰く、『大朝会ごとに宜しく殿門の外に設くべし』と。天子楼閣に御するときは、宮架の外に道側に列す。豈に広庭に旋し、大楽と並び奏するを得んや」と。

原文四夷樂者,元豐六年五月,召見米脂砦所降戎樂四十二人,奏樂於崇政殿,以三班借職王恩等六人差監在京閑慢庫務門及舊城門敢勇三十六人,與茶酒新任殿侍。《大晟樂書》曰:“前此宮架之外,列熊羆案,所奏皆夷樂也,豈容淆雜大樂!乃奏罷之。然古鞮鞻氏掌四夷樂,靺師、旄人各有所掌,以承祭祀,以供宴享。蓋中天下而立,得四海之歡心,使鼓舞焉,先王之所不廢也。《漢律》曰:‘每大朝會宜設於殿門之外。’天子禦樓,則宮架之外列於道側,豈可旋於廣庭,與大樂並奏哉!”