◎礼十七(嘉礼五)
○巡幸・養老・視学・賜進士宴・幸秘書省・進書儀・大射儀・郷飲酒礼
巡幸の制は、唐の『開元礼』に告至・肆覲・考制度の儀があり、『開宝通礼』はこれに因った。
太祖が西京に幸した際、経過した地には夏・秋の田租の半額を賜った。真宗の朝、諸陵及び大礼を挙行する時、途中では皆折上巾・窄袍を着用し、京を出て京城を過ぎる時は靴袍を着用し、鸞駕を整えた。群臣は公服に鞋を結び、供奉班及び内朝官が前導した。凡そ従官は皆日毎に行宮に赴き、合班して起居し、晩朝して政事を視、群臣は赴かず。中頓で侍食し、百官は宿頓に就いて迎駕を終えると先発し、或いは道途が隘遠なれば迎駕を免じた。将に進発せんとする時、近臣・諸軍に装銭を賜う。京を出る時、留司の馬・歩諸軍を左右に夾道させ、新城門外に至って奉辞し、留守は門内で辞し、百官・父老は苑前で辞し、留守等を召して苑中で飲を賜う。州県の長吏・留司官は境で待つ。経過した地には巡警兵・守津梁行郵治道の卒に時服・銭・履を賜い、父老に綾袍・茶帛を賜い、途中で衛士に緡銭を賜う。幸した寺・観には、道・釈に茶帛を賜い、或いは紫衣・師号を加えた。吏民で饔餼・酒果・方物を献ずる者あれば、その価を計って答えた。命官に所過の係囚・逋負者を籍させ、日毎に引対し、多くは原赦した。仍おおむね民間の疾苦を採訪し、鰥・寡・孤・独を振恤した。車服・度量・権衡に法に如かざるものあれば、則ち儀制を挙げてこれを禁じた。奇材・異徳及び政事尤も異なる者、孝子・順孫・義夫・節婦で郷里に称せられる者、其れ廉隅を守らず正理に暗い者を並びに条析して奏聞させた。官吏で民間の疾苦を知る者も、亦た録奏を許した。経過した州・府には、彩を結んで楼と為し、音楽百戯を陳べた。道・釈で威儀を以て奉迎する者には、悉く賜う有り。東京留守は官を遣わし表を奉って還京を請い、優詔を以てこれに答えた。駕が還京する時は、大いに兵衛を陳べて入った。
凡そ行幸は、太祖・太宗はその数を常とせず。咸平年中より、車駕の出づる毎に、金吾将軍が士二百人を帥い、楇を執って周囲を繞らし、これを禁囲と謂い、春・夏は緋衣、秋・冬は紫衣を着た。郊祀・省方には並びに二百を増し、錦襖を着て、京師を出れば則ち剣を執うことを加えた。親王・中書・樞密・宣徽は囲内を行き、余の官は囲外を行く。大礼で儀衛を備える時は、則ち有司先ず土を布いて黄道と為し、宮より祀所に至り、左右に香台・画甕・青繩闌干を設けた。(巡省して途上にある時は設けず。)凡そ巡省には、翰林が号伝詩を進めて樞密院に付し、毎夕字を摘ましめ、衛士に相応じて識と為さしめた。東京旧城の城門・西京皇城司は並びに契勘し、内外城・宮廟門は並びに箭を勘べ、出入り皆然り。藩鎮の外城・子城門に入る時も亦た箭を勘べた。朝陵には扈従官の人数を定め、柏城に入る者は、僕射以上三人、丞・郎以上二人、余は各一人。東封には、仗内の導駕官の従人数を定め、親王・中書・樞密・宣徽・三司使は四人、学士・尚書丞郎・節度使は三人、大両省・大卿監・三司副使・樞密承旨・客省閣門使副・金吾大将軍押仗鳴珂・内殿崇班以上は二人、余は各一人。諸司に巡察せしめた。以後大礼を挙行する時は、皆この制に循った。
太学において養老の礼を行う。皇帝は通天冠・絳紗袍を着用し、金輅に乗り、太学に至り文宣王に酌献する。三たび祭酒し、再拝し、御幄に帰る。車駕の初出の時刻に合わせ、使者を遣わして三老・五更をその邸より迎える。三老・五更はともに朝服を着て安車に乗り、導従して太学の次に至る。国老・庶老は、有司が予め戒め、各々朝服を着て、その次に集まる。大楽正が工人・二舞を率いて入り、庭に立つ。東上閣門・御史台・太常寺・客省・四方館が下より分かれて百官・宗室・客使・学生等を引き入れ、順次に入り位に就く。視学の班の如し。太常博士が三老・五更がともに次より出ることを唱え、国老・庶老を引き立て後ろに立たせ、重行異位とする。
礼直官・通事舎人が左輔を引き、中厳を奏請し、少頃、また外辦を奏し、皇帝は大次より出て、侍衛は常儀の如し。大楽正が黄鐘の鐘を撞くよう命じ、右五鐘皆応じ、協律郎は跪き、俯伏し、麾を挙げて興き、宮架《乾安の楽》が奏され、皇帝は御坐に即き、楽止む。典儀が「再拝」と唱え、在位の官皆再拝す。三老・五更は杖をついて入り、各左右二人が挟み扶け、太常博士が前導し、史臣は筆を執りて従う。三老・五更が門に入ると、宮架《和安の楽》が奏され、宮架の北に至り、北向きに立ち、東を上とする。奉礼郎が群老を引き従い入り、その後に位し、楽止む。博士が揖して進み、三老は前、五更は後、なお杖をつき挟み扶け、宮架《和安の楽》が奏され、西階の下に至り、楽止む。博士が揖し、三老・五更を西階より堂上に昇らせ、国老・庶老は堂下に立つ。三老・五更は御坐に向かって揖し、群老もまた揖し、皇帝はこれに興く。次いで奉礼郎が国老を揖して堂上に昇らせ、博士は三老・五更を引き、奉礼郎は国老以下を引き、各々席の後に立つ。典儀が各々座に就くことを唱え、賛者が承伝し、宮架《尊安の楽》が奏され、三老・五更は座に就く。三公が几を授け、九卿が履を正し終わり、殿中監・尚食奉御が珍羞及び黍稷等を進め、先ず御坐の前に進み呈し、遂に三老の前に設け、楽止む。尚食奉御が三老の座前に行き、醤を執りて饋し終わる。尚醞奉御が酒尊の所に行き、爵を取り酒を酌み、奉御が爵を執り、三老に奉る。次いで太官・良醞令が順次に珍羞酒食を五更・群老の前に進め、皆食す。大楽正が工人を引き昇らせ、登歌して《恵安の楽》を奏し、三終わる。史臣が三老の論じた善言・善行を録し終えると、宮架が《申安の楽》を奏す。《憲言成福の舞》終わり、文舞退き、《受成告功の舞》を奏し、終わり、三老以下筵より降り、博士が三老・五更を堂下に引き、御坐の前に当たり、奉礼郎が群老を元の位に引き戻し、ともに揖し、皇帝はこれに興く。三老・五更が階を降りて堂下に至り、宮架《和安の楽》が奏され、門を出て、楽止む。礼直官・通事舎人が左輔を引き前に出て礼畢を奏し、退き、元の位に戻る。典儀が拝畢を唱え、皇帝は座より降り、太常卿が導いて大次に還り、百僚は順次に退き、車駕は宮に還る。三老・五更は安車に乗り、導従して還り、翌日闕に詣でて表を奉り謝す。
視学。哲宗が初めて視学し、遂に国子監に幸し、至聖文宣王殿に詣でて釈奠の礼を行い、一献再拝す。敦化堂に御し、従官を召して坐を賜い、礼部・太常寺・本監の官で承事郎以上は侍立し、承務郎以下・三学生は東西廡に坐し、侍講呉安詩が経を執り、祭酒豊稷が《尚書》《無逸》の終篇まで講じ、再び宰臣以下より三学生に至るまで坐を命じ、茶を賜い、豊稷に三品服を賜い、本監官・学官等に帛を差等ありて賜う。遂に昭烈武成王廟に幸し、酌献し肅揖す。
徽宗が太学に幸し、遂に辟雍に幸し、奠献は上儀の如し。詔して司業呉絪等は官を転じ秩を改め、資に循って章服を賜い、文武学生は官を授け、省試・文解を免じ、帛を差等ありて賜う。所司は予め次を敦化堂の後に設け、また堂上の稍北、当たる中二間に次を設け、南向きに御坐を設く。また従官及び講筵の講書・執経官並びに太学官の坐を御坐の南に設け、東西重行異位とする。太学生の坐を両廡に設け、相向かい並び北上とする。宰臣以下の従官の次を、中門外に設く。
皇帝が文宣王に酌献し終え、太学に幸し、輦を降りて次に入り、簾を垂れて更衣す。礼直官・通事舎人が講官と侍立官を引き堂下に入り就かせ、皆鞋をはく。講書・執経官・学生は各々堂下に立ち、東西相向う。班斉の報を待ち、皇帝が坐に昇り、班首が万福を奏し、在位者皆応諾し終え、閣門使が旨を承けて階に臨み堂昇を宣し、通事舎人が拝を喝し、応ずる在位者再拝し終え、左右に分かれて堂に昇り、各々位に就き少しく立つ。起居郎・舎人は左右に分かれて侍立す。礼直官・通事舎人が講書及び執経官を引き北向きの位に就かせ、班首が万福を奏し、閣門使が堂昇を宣し、舎人が再拝を喝し終え、東西に分かれて堂に昇り、御坐の左右に立つ。講書官は西に在りて東向き、執経官は東に在りて西向き、学生は北向きの位に就く。舎人が拝を喝し、在位者皆再拝し、東西両廡に立つ。内侍が書案を進め、経を執経官に授け、稍前し、案上に進む。舎人が就坐を喝し、宰臣以下並びに堂上の者は坐し、閣門の進めた坐位図の如し。講書終わり、通事舎人が「起つべし」と言うと、群臣皆起ち、階を降りて立つ。執経官降り、講書官は御坐の前で辞を致し終え、また降りる。舎人が拝を喝し、もし宣答あれば、即ち再び拝を喝す。閣門が坐を宣し茶を賜い、舎人が拝を喝し終え、宰臣以下堂に昇り、各々位の後に立ち、学生は各々北向きの位に就く。舎人が拝を喝し、在位者俱に拝し終え、各々東西廡に分かれ、北を以て上下とする。舎人が就坐を喝し、上下皆坐に就く。茶を賜い終わり、礼直官・通事舎人が堂上の官を引き階を降りて位に就かせ、舎人が拝を喝し、在位者俱に拝し終え、礼直官がこれを引き順次に出す。学生は位に就き、舎人が拝を喝し、学生俱に再拝し、退く。
上は既に奠拝し、貌象を注視して翼翼として欽慕し、唐の明皇及び太祖・真宗・徽宗の製した讃文を覧て、有司に命じて従祀の諸讃を悉く取り、皆録して進上させた。帝は遂に先聖及び七十二子の讃を作り、序文を冠し、親しく翰墨を灑いで方載に載せ、五月丙辰、これを彩殿に掲げ、儀衛を備え楽を奏し、監学の臣に命じ、行宮の北門よりこれを迎えて学宮に置き、大成殿上及び二廡に掲げしめた。序文に曰く、「朕睦鄰息兵よりして、首に学校を開く。多士を教養し、以て忠良を遂げしむ。継いで太学に幸し、諸生を延見す。済々として庭に在り、意甚だこれを嘉す。因りて『文宣王讃』を作る。機政の余閑に、歴りて顔回より以下七十二人を取るも、亦た為に讃を製す。用て列聖の儒を崇め文を右するの声を広め、復た『師弟子の間纓弁森森、覃精繹思』の訓を知らしむ。其れ世道人心に於いて庶幾からんか」と。二十六年十二月、言者謂う、「陛下儒を崇め道を重んじ、讃辞を製し、宸翰を琬琰に刻し、往古を光昭す。寰宇の儒紳、孰れか『雲漢』の章を顧瞻せざらんや。請う、石刻を国子監に奉じ、以て碑本を郡学に遍賜せん」と。これに従った。
貢士に宴を賜い、名付けて「聞喜宴」という。『政和新儀』によれば、押宴官以下及び釈褐貢士の班首が初めに入門すると、『正安の楽』が奏され、庭中の望闕位に立ち至ると楽が止む。預宴官は位に就き、再拝し終わる。押宴官は西向きに立ち、中使が宣して「勅有り」と言うと、在位者は皆再拝し終わる。中使が宣して「卿等に聞喜宴を賜う」と言うと、在位者は皆再拝し、笏を搢え、舞蹈し、また再拝する。次いで押宴官をやや前に引き出し、坐を謝して再拝させ、在位者は皆再拝する。若し勅書を賜う場合は、即ち貢士の班首を引き出しやや前に進ませ、中使が宣して「勅有り」と言うと、貢士は再拝する。中使が宣して「卿等に勅書を賜う」と言うと、班首はやや前に進み、笏を搢え、跪き、中使が勅書を授け終わると、少し退き、班首は勅書を笏の上に載せ、俯伏し、興き、帰位して再拝し、在位者は皆再拝する。凡そ預宴官は東西に分かれて階を昇り坐に就き、貢士は年齢順とする。酒が初めに行われる時は、『賓興賢能の楽』が奏され、飲み終わり食し終わると楽が止む。酒が再び行われる時は、『於楽辟廱の楽』が奏される。酒が三たび行われる時は、『楽育人材の楽』が奏される。酒が四たび行われる時は、『楽且有儀の楽』が奏される。酒が五たび行われる時は、『正安』の楽が奏される。再坐し、酒が行われ楽が奏される節次は上記の儀の如し。皆飲み終わり食し終わると楽が止む。押宴官以下は俱に興き、次に就き、花を賜うこと差等あり。少頃、戴花し終わると、次いで押宴官以下並びに釈褐貢士を引き出し庭中の望闕位に立たせ、花を謝して再拝させ、復た昇り坐に就かせ、酒が行われ楽が奏され、飲み終わり食し終わると楽が止む。酒が四たび行われ終わると、退く。翌日、預宴官及び釈褐貢士は入謝すること常儀の如し。
寧宗慶元五年五月、新及第進士曾従龍以下に聞喜宴を礼部貢院にて賜い、上は七言四韻の詩を賜い、秘書監楊王休以下が継いで和し進上した。以後、毎回の科挙挙士も並びにこれに倣った。
秘書省に行幸した。紹興十四年七月、新たに秘書省が完成し、秘書少監の遊操らが宣和年間の故事を援用し、車駕の臨幸を請うた。詔してこれに従う。二十七日、秘書省に行幸し、右文殿に至り輦を降り、手詔を頒して曰く、「聞く、周は外史を建て、三皇五帝の書を掌り、漢は諸儒を選び、九流・七略の奏を定む。文徳の盛んなるは、後世これを推す。仰ぎ惟うに祖宗、冊府を建て開き、凡そ累朝の名世の士、これより以て興り、而して一代の治を致すの原、蓋しここより出づ。朕嘉び興こりて学士大夫とともに斯の道を宏めんとし、乃ち一新に史観し、新たに御榜を題し、肆に望幸の忱に従い、以て右文の意を示す。嗚呼、士習、空言を為して、而して有用の学を為さず久し。爾ら其れ勉めて術業を修め、益々猷為を励まし、一徳一心、以て共に亨嘉の会に赴き、用て我が祖宗の大訓を丕承せば、顧みて善からずや」と。遂に累朝の御書・御製・晋唐の書画・三代の古器を陳べ、次いで皇太子・宰臣以下に宣して観覧せしめ、退く。遂に右文殿に宴を賜い、酒五行、群臣再拝して退く。車駕内に還り、少監遊操に三品服・御書扇を賜い、余の官には筆墨を賜い、館閣の官は各々一官を転ず。淳熙五年九月十三日、孝宗秘書省に行幸し、紹興十四年の儀の如く、帝詩を賦し、群臣皆和す。
前期、儀鸞司・臨安府、玉牒殿上南向に、玉牒・類譜並びに『中興聖統』を権安奉する幄次を設く。又、玉牒所の外に至り、騎従官及び文武百官等の侍班幕次を設く。又、景霊宮内外に、騎従官の幕次を設く。進呈の前一日、朝退を俟ち、玉牒所提領官・都大提挙・諸司官・承受官・玉牒所官等、本所の幕次に赴き宿衛す。儀仗楽人等の排立を俟ち、御史台・閣門・太常寺分ちて玉牒所官を引き玉牒殿下に詣らしめ、北向に立たしむ。礼直官、提領官を引き玉牒殿下に詣らしめ、北向に立たしむ。礼直官揖・躬・拝し、提領官拝し、在位の官皆再拝す。次いで提領官を香案前に引き詣らしめ、笏を搢ぎ、三たび香を上げ、笏を執り退き、復位し、皆再拝して退く。儀仗楽人楽を作し、昼夜更互に排立す。
その日五更、御史台・閣門・太常寺分ちて提領官・宰執・使相・侍従・台諫・両省官・知閣・礼官・南班宗室を引き玉牒殿に詣らしめ、北向に立たしむ。礼直官揖・躬・拝し、提領官拝し、在位の官皆再拝す。次いで提領官を玉牒・類譜の香案前に引き詣らしめ、笏を搢ぎ、三たび香を上げ、笏を執り、退き復位す。礼直官、提領官を引き幄前に詣らしめ、西向に立たしむ。次いで騎従官左右に分かれて馬に乗り、玉牒所の率いる輦官の玉牒・類譜を奉擎し、腰輿にて進行するを俟ち、楽人楽を作し、儀衛・儀仗迎引す。次いで提領官・宰執・使相・侍従・台諫・両省官・知閣・礼官・南班宗室を引き騎従せしめ、和寧門に至り下馬し、笏を執り歩従して玉牒・類譜に従い垂拱殿門外の幄次に至る。歩従の官は暫く幕次に帰り、楽止む。儀衛・楽人等並びに幄次前に排立し、玉牒・類譜の進呈を俟ち、並びに閣門の儀の如くす。
玉牒・類譜の殿門を出づるを俟ち、御史台・閣門・太常寺分ちて提領官・宰執・使相・侍従・台諫・両省官・知閣・礼官・南班宗室を引き左右に分かれて笏を執り歩従せしめ、儀衛楽人前引し、迎奉して皇城北宮門を出づ。歩従等の官は馬に上り騎従し、和寧門外に至る。前引将に玉牒所に至らんとするに及び、御史台・閣門・太常寺分ちて文武百官を引き玉牒所門内殿門外に立班せしめ、内文臣は厘務通直郎以上及び承務郎見任の寺監主簿執事官以上、武臣は修武郎以上、迎拝す。雨に値い、地下沾湿すれば、迎拝の官吏は迎拝せず。騎従官、玉牒所に至り、並びに下馬し笏を執り歩従し、玉牒殿下に詣り、東西相向に分かれて立つ。礼直官、提領官を引き玉牒・類譜の幄前に詣らしめ、西向に立たしむ。
玉牒所の率いる輦官の玉牒・類譜を奉擎し幄に入るるを俟ち、儀仗・儀衛・輦官・楽人更互に排立す。提領官・宰執・使相・侍従・台諫・両省官・知閣・礼官・南班宗室及び玉牒所官・分官、景霊宮に赴き、『皇帝中興聖統』を迎奉し玉牒殿に赴き、同時に安奉す。
安奉の時将に至らんとするを俟ち、香案を設け畢り、次いで御史台・閣門・太常寺分ちて文武百官を引き玉牒殿下に詣らしめ、並びに北向に立班定む。礼直官、提領官を引き幄前西に詣らしめ、日官の時を報ずるを及びを俟つ。次いで玉牒所、玉牒・類譜を安奉し畢る。次いで提領官を引き復位し、北向に立たしむ。礼直官揖・躬・拝し、提領官拝し、在位の官皆再拝す。礼直官、提領官を引き香案前に詣らしめ、笏を搢ぎ、三たび香を上げ、笏を執り退き、復位に立ち定まり、在位皆再拝して退く。儀衛・楽人等は以て次第に退く。是より、凡そ進書は並びに此れに倣う。惟だ太上皇聖政を進むるには、則ち徳寿宮に詣づるの儀有り。
淳祐五年二月十二日、孝宗・光宗両朝の御集・『寧宗実録』及び『理宗玉牒日暦』を進む。その日、皇帝垂拱殿に御し、提挙官・礼儀使・宗室・使相・宰執以下、実録院・右文殿・玉牒所・経武閣に赴き並びに焼香の礼を畢え、諸書を奉迎して和寧門に至り、歩導して垂拱殿に至り、以て班斉を俟ち、各々腰輿に随い殿下に入り、東西向に立つ。
皇帝は靴袍を着て宮殿を出御し、殿下で鞭の音が鳴り、禁衛・諸班直・親従等は内省に入り骨朵を執る使臣となり、国史実録院・日暦所・編修経武要略所・玉牒所の点検文字以下および腰輿を下す者らは、皆駕を迎え、自ら唱えて常起居を行ふ。(内で腰輿を捧げる者は拝せず、ただ応諾するのみ。)皇帝即ち御座に着く。先づ知閣門官以下、各班常の儀に従ひ起居す。
次に入内官が下殿し、各々進呈すべき書匣を取りて升殿し、殿上の東壁に各々案上に置く。南を上とす。知閣門官二員、御座前より皇帝を導き起ちて三朝の諸書香案前の褥位に詣らしめ、東向きに立たしむ。閣門提点、上香を奏請し、三たび上香し訖り、又た皇帝の再拝を奏請し訖る。知閣門官、皇帝を導きて復た御座に帰らしむ。知閣門官は東朵殿に帰りて侍立し、儀鑾司は香案・拜褥を撤し、束朵殿に降る。
唐の貞観に頒布された礼は、明州のみに独り存し、淳化中に例に会して之を行ふ。政和礼局は飲酒祭降の節及び挙酒作楽器用の属を定め、並びに辟廱宴貢士の儀を参用し、古楽ある処は、古楽を用ゐしむ。既にして又た河北転運判官張孝純の言に依り、『周官』は六芸を以て士を教ふるに、必ず射して後に行ふ。古者は諸侯士を貢し、天子之を射宮に試す。諸路州郡に詔し、毎歳学に於いて貢士を宴し、因りて射礼を講ぜしむるを請ふ。ここに於いて礼官射儀を参定す。郷飲酒の前一日、本州は射亭の東西序に、地の宜しきに量り、提挙学事諸監司・知州・通判・州学教授・応に郷飲酒に赴くべき官貢士の幕次を設け、本州兵馬教諭は弓矢応用の物を備へ、楽を設く。其の日初筵、提挙学事・知州軍・通判は応に郷飲酒に赴くべき官貢士を帥ひ射亭に詣り、弓矢を執り、揖して射に入らしむ。乗矢若し中たば、則ち守帖者獲を挙げて獲と唱へ、執算者は算を以て壷に投ず。畢りて、多算は少算に勝つ。射畢り、讚者は揖を讚し、酬酢儀の如く畢り、揖して退き飲む、郷飲酒の如し。
慶元中、朱熹は『儀礼』に依り改定し、学を知る者は皆之を尊用す。主賓・僎介の位、始めて定説有り。其の主は、則ち州は守を以てし、県は令を以てし、東南に位す。賓は、里居年高及び致仕者を以てし、西北に位す。僎は、則ち州は倅を以てし、県は丞或は簿を以てし、東北に位す。介は、次長を以てし、西南に位す。三賓は、賓の次なる者を以てす。司正は、衆の推服する者を以てす。相及び讚は、礼儀に熟する士を以てす。其の日質明、主人は賓以下を率ひ、先づ先聖先師に釈菜し、退き各々次に就き、以て賓を粛するを俟つ。介と衆賓既に入る。主人は賓に序し祭酒し、再拝し、罍洗に詣り觶を洗ひ、酒尊所に至り觶に酌み実し、執事者に授け、賓席前に至り跪きて以て賓に献ず。賓は主人に酢し、主人は介に酬ひ、介は衆賓に酬ふ。賓主以下各々席に就き坐し訖る。酒再行し、次に沃洗す。讚者は司正に請ひ觶を揚げて辞を致さしむ。司正復位し、主人以下復た坐す。主人興り、復た阼階に至る。僎は賓介に従ひ復た西階下に立ち、三賓は西階に至り立ち、並びに南向す。主人拝し、賓介以下再拝す。賓介と衆賓は先づ西より趨り出で、主人少しく立ち、東より出づ。賓以下は庠門外の右に立ち、東に向く。主人は門外の左に立ち、西に向く。僎は主人に従ひ再拝し、賓介以下皆再拝し、退く。