宋史

志第六十四 禮十四

◎礼十四(嘉礼二)

○冊立皇后儀・冊命皇太子儀・冊皇太子妃儀・公主受封儀・冊命親王大臣儀

冊立皇后。建隆元年、琅邪郡夫人王氏を立てて皇后とし、所司に命じて日を選び礼を備えて冊命せしむ。その後、凡そ制書に「冊命」と云うものは、多く冊礼を行わず。后妃は皆冊命告身を書き、金花龍鳳羅紙・金塗褾袋を用い、有司が進み、学士院が制を草し、正殿にて宣する。近臣・牧守・宗室は皆貢礼を修め、群臣は表を奉り賀し、また内東門に詣でて箋を奉り皇后を賀す。

真宗、徳妃劉氏を冊して皇后とす。藩臣に貢賀せしむるを欲せず、外廷に制を降さず、ただ学士に命じて詞を草し中書に付す。

仁宗、皇后曹氏を冊す。その冊制は皇太子の如く、玉は瑉玉五十簡を用い、匣は冊の長短に依る。宝は金を用い、方一寸五分、高一寸、その文は「皇后之宝」とし、盤螭鈕、綬並びに縁冊宝法物は旧制に約してこれを作り、匣・盝は並びに朱漆金塗銀装とす。その礼は『通礼』と異なり、仗を立てず、県を設けず。

前一日、守宮、次を朝堂に設け、冊宝使・副の次を東門外に設け、命婦の次を受冊宝殿門外に設け、皇后受冊宝の位を殿庭階下北向に設く。奉礼、冊宝使の位を内東門外に設け、副使・内侍の位をその南に設け、差退き、東向北上、冊宝案の位を使の前南向に設け、また内給事の位を北廂南向に設く。

その日、百官常服にて早く次に入り、礼直官・通事舎人、先ず中書令・侍中・門下侍郎・中書侍郎及び奉冊宝官、執事人絳衣介幘を引き、垂拱殿門に詣で次に就き、以て冊の降るを俟つ。礼直官・通事舎人、分かれて宰臣・枢密・冊宝使副・百官を引き文徳殿に詣で班を立てしむ、東西相向。内侍二員、内より承旨し皇后冊宝を降し垂拱殿を出づ。奉冊宝官俱に笏を搢げ執事人を率い、礼直官、中書侍郎を導き冊を押し、中書令後に従い、門下侍郎宝を押し、侍中後に従い、東上閤門より出で、文徳殿庭に至り権に置く。

礼直官・通事舎人、使・副を引き位に就かしめ、次に侍中を引き使の前に至らしめ、西向して「制有り」と称す。典儀「再拝」と曰い、賛者承伝し、使・副・在位官皆再拝す。宣して曰く、「尚書令しょうしょれい・冀王曹彬の孫女を贈り冊して皇后と為し、公等に命じて節を持ち礼を展せしむ」と。使・副再拝し、侍中位に還る。門下侍郎、主節者を帥い使の東北に詣で、主節、節を以て門下侍郎に授け、門下侍郎、節を執り冊使に授く。冊使跪いて受け、興り、主節に付す。幡、節に随い立ちて使の左に立つ。次に中書令・侍中を引き冊宝の東北に詣でしめ、西向して立たしむ。中書侍郎、冊案を引き中書令の右に立ち、中書令、冊を取り冊宝使に授く。使跪いて受け、興り、案に置く。中書令・中書侍郎退き復た班に就く。門下侍郎、宝案を侍中の右に引き、宝を取り冊宝使に授くること上儀の如し。退き復た位に就く。典儀拝を賛し訖り、礼直官・通事舎人、使・副を引き冊宝を押し、節を持つ者前導し、奉冊宝官奉舁し、援衛式の如く、以て次第に朝堂門を出で、内東門に詣で内臣に附し入進す。

内臣、内外命婦を引き入り位に就かしむ。内侍、閤に詣で皇后に禕衣を服せしむるを請う。冊宝至り、使・副俱に東向して内給事の前に至り、北に向かい跪き称して「冊宝使李迪・副使王随、制を奉り皇后に冊宝を授く」と。俯伏し、興り、退き復た位に就く。内給事入り受冊宝殿門の皇后の前に詣で跪き奏し訖る。内侍進み使の前に詣で、西面して跪き冊宝を受け、以て内謁者監に授く。使退き復た位に就く。内謁者監・主当内臣、冊宝を持ち内東門に入り、内侍これに従い、以て次第に殿庭に詣で入る。内侍賛引し皇后を降し庭中北向の位に立たしむ。内侍跪き冊を取り、次いで内侍跪き宝を取り、興り、皇后の右少前に立ち、西向す。内侍二員進み皇后の左少前に立ち東向す。内侍「制有り」と称す。内侍皇后の再拝を賛し、内侍冊を奉り進み皇后に授く。皇后受け以て内侍に授く。次いで内侍宝を奉るも亦然り。復た再拝を賛し訖り、皇后を導き升坐せしむ。内臣内外命婦を引き称賀すること常儀の如し。礼畢り、内侍皇后を導き坐を降り閣に還らしむ。内外命婦班退く。皇后常服に易え、皇帝・皇太后に謝すること常礼を用う。百官東上閤門に詣で表賀す。

元祐五年八月、太皇太后詔す。皇帝の后を納るるに、翰林学士・御史中丞・両省と太常礼官に令し、古今の六礼沿革を検詳し、『通礼』典故を参考し、具に成式と為さしむ。群臣また昏を勘するを議し、御史中丞鄭雍等、陰陽の説を用いざるを請い、呂大防も亦た不可と言う。太后これを納る。

六年八月、三省・枢密院言う。「六礼、命使納采・問名・納吉・納成・告期は、執政官を差し太尉を摂め使と充て、侍従官或いは判宗正官を以て宗正卿を摂め副使と充つ。旧尚書省を以て権に皇后行第と為す。納采・問名は同日、次日に納吉・納成・告期とす。納成には穀圭を以て贄とし、雁を用いず。『請期』は『開宝礼』に依り『告期』と改め、『親迎』は『命使奉迎』と為す。納采の前、日を選び天地・宗廟に告ぐ。皇帝臨軒して冊を発し、同日、先ず冊礼使・副を遣わし、次いで奉迎使を遣わし、文武百官を行第に詣で班迎せしむ」と。また言う。「『開元礼』に拠れば、納采・問名は一使を用うるに合し、納吉・納成は各別日に使を遣わす。今未だ委ねず、三礼共に一使を遣わすか、或いは各使を遣わすか。又た発冊の例に依り仗を立つるに合すか」と。詔す。「各使を遣わす。文徳殿にて制を発することは発冊の仗を立つるに依る」と。

七年正月、詔して尚書左丞蘇頌に冊文を撰し並びに書かしむ。学士院六礼の辞語を上る。其の納采の制文は略して曰く、「太皇太后曰く、『諮る某官封姓名、渾元資始し、肇に人倫を経め、爰に夫婦に及び、以て天地・宗廟・社稷を奉ず。公卿に謀るに、咸も宜しと為す。旧典に率由し、今使を持節太尉某・宗正卿某を遣わし、礼を以て納采す。』」其の答文は曰く、「太皇太后の嘉命、婚を陋族に訪う、数を備えて采択す。臣が女は未だ教訓に閑かず、衣履若し人。旧章を欽承し、典制を粛奉す。某官封糞土臣姓某稽首再拜して制詔を承る。」問名の制は曰く、「両儀徳を合し、万物の統、以て内治を聴くは、必ず令族に諮る。旧典を重ねて宣べ、今使を持節某官を遣わし、礼を以て名を問う。」答へて曰く、「使者重ねて中制を宣べ、臣が名族を問う。臣が女は、夫婦の生む所、先臣故某官の遺れる微孫、先臣故某官の遺れる曾孫、先臣故某官の遺れる孫、先臣故某官の外孫女、年若干。旧章を欽承し、典制を粛奉す。」納吉の制は曰く、「人謀と龜筮、元吉に符を同じくし、典礼に恭順す。今某官を使し、礼を以て吉を納る。」答へて曰く、「使者重ねて中制を宣べ、臣が陋族卑鄙、憂懼堪へず。旧章を欽承し、典制を粛奉す。」納成の制は曰く、「諮る某官某の女、孝友恭儉、実に母儀を維れり、宗廟に奉ずるに宜しく、永く天祚を承くべし。黝纁・穀圭・六馬を以て典礼を章す。今某官を使し、礼を以て成を納る。」答へて曰く、「使者重ねて中制を宣べ、婚を卑陋に降し、上公を以て崇め、豊礼を以て寵し、物を備え策を典す。旧章を欽承し、典制を粛奉す。」告期の制は曰く、「公卿に謀り、大筮元龜、臧からざる無く、吉日惟れ某月某甲子迎ふべし。典礼に率ひ遵ふ。今某官を遣わし、礼を以て期を告ぐ。」答へて曰く、「使者重ねて中制を宣べ、某月某甲子の吉日を以て期を告ぐ。臣旧章を欽承し、典制を粛奉す。」奉迎の制は曰く、「礼の大体、欽順重正、其の期維れ吉、典図是れ若し。今某官を遣わし、礼を以て奉迎す。」答へて曰く、「使者重ねて中制を宣べ、今日吉辰、礼を備へて以て迎ふ。螻蟻の族、猥りに大礼を承け、憂懼戦悸す。旧章を欽率し、典制を粛奉す。」余は式の如し。

三月、礼部・太常寺納後の儀注を上る。

六礼の制書を発す。太皇太后崇慶殿に御し、内外の命婦班を立て礼を行ひ畢り、内給事殿門を出で、六礼制書を案上に置き、内東門を出づ。礼直官・通事舎人引きて宣祐門より文徳殿後門に入り、案を東上閣門に権に置く。

使を命じて納采・問名す。文徳殿にて、宰臣・親王・執政官・宗室・百僚・大小の使臣朝服に易へ、楽備はるも作さず。班定まり、内給事制書案を奉じて横街の北稍東に置き、西に向ひ北上す。礼直官・通事舎人門下・中書侍郎を引き、次に使・副を引きて横街の南承制の位に就かしめ、北に向ひ東上す。内給事使者の東に詣り、北面して「太皇太后制有り」と称す。典儀「再拝」と曰ひ、在位の官皆再拝す。制を宣べて曰く、「皇帝后を納れ、公等を命じて節を持ち礼を行はしむ。」典儀「再拝」と曰ひ、使・副皆再拝す。制書を授け畢り、典儀「再拝」と曰ひ、在位の官皆再拝す。礼直官・通事舎人・太常博士使・副を引きて制案に従ひ出で、油絡網犢車に載せ、宣徳門を出づ。鼓吹備はるも作さず。皇后行第の大門外に至り、令史二人対ひて制案を奉じて立ち、主人は大門内に立ち、儐者は主人の左に立ち、北面し、進みて命を受け、出でて曰く、「敢へて事を請ふ。」使者曰く、「某制を奉じて納采す。」儐者入り告ぐ。主人曰く、「臣某が女若し人、既に制訪を蒙り、臣某敢へて辞せず。」儐者出で告げ、入り主人を引き出だし大門外にて再拝す。使者先づ入り、使者曰く、「太皇太后の制。」主人再拝す。制書を宣べ畢り、主人再拝して受け畢り、主人表を進め畢り、再拝し、使者出づ。問名は上儀に同じ。使者曰く、「将に卜筮を加へんとし、制を奉じて名を問ふ。」主人曰く、「臣某が女若し人、既に制命を蒙り、臣某敢へて辞せず。」

使を命じて納吉・納成・告期す。並びに使を命じて納采・問名の儀に同じ。納吉にては、使者曰く、「請ふらくは卜筮を加へ、占ひて曰く制に従ふと。使某吉を納る。」主人曰く、「臣某が女若し人、龜筮雲ふ吉、臣預かりて有り。臣某謹んで典制を奉ず。」告期にては、使者曰く、「某制を奉じて期を告ぐ。」主人曰く、「臣某謹んで典制を奉ず。」以上納吉・納成・告期。請見・授制・接表は並びに納采の儀の如し。

臨軒して使を命じ后を冊し及び奉迎を文徳殿にてす。百官朝服、皇帝常服にて輦に乗り殿後閣に至り、侍中中厳外辦を奏し、乃ち通天冠・絳紗袍を服し、輦に乗り西房より出で、輦を降り即ち御坐に即く。両省官及び待制・権侍郎・観察使以上、東西に分かれて殿門に入り、各々位に就き、東西相向ひて立つ。宝を奉じて御坐の前に置き、宣後の冊を奉じて東上閣門より出で、文徳殿庭の横行に至り、典儀「拝」と曰ひ、在位の官皆再拝す。使・副冊を受け、制を宣べて曰く、「某氏を冊して皇后と為し、公等を命じて節を持ち礼を展せしむ。」典儀「拝」と曰ひ、使・副再拝して冊宝を受け畢り、典儀百官の再拝を讃す。制を宣べて曰く、「太皇太后の制:公等を命じて節を持ち皇后を奉迎せしむ。」典儀使・副の再拝して節を受くるを讃し、又百官の再拝を讃す。侍中礼畢解厳を奏し、百官再拝して出で、皇帝常服にて内に還る。冊宝皇后行第に至り、納采の儀の如し。使者曰く、「某制を奉じて皇后に備物典冊を授く。」皇后冊宝を受け、内外の命婦序立てて儀の如く立ち、主人書を以て使者に奉ず。

奉迎の儀。百官は常服を着て宣徳門外に列を整え、儐者が請うと、使者は言う、「某、制を奉じて礼を以て奉迎す」と。儐者が入って告げると、主人は言う、「臣某謹んで典制を奉ず」と。儐者が出て告げ、入って主人を導き出し大門外で再拝する。使者が先に入り、「制あり」と言うと、主人は再拝し、使者が制を宣し終えると、主人は再拝して制を受け、答表してまた再拝する。姆が皇后を導き、尚宅が前導し、堂に昇り出て房の外に立ち、典儀が使・副の再拝を唱える。使者は言う、「今月吉日、某等、制を承けて礼を以て奉迎す」と。内侍がこれを受けて入り、使・副は退く。主人は書を使者に授け、司言に奉じさせ、受けて奏聞させる。皇后は降りて堂下に立ち再拝し終え、堂に昇る。主人は東階より昇り、西に向かって言う、「これを戒めよ、これを戒めよ、夙夜命に違うことなかれ」と。主人は退き、母は進み西階の上で東に向かい、衿を施し、帨を結んで言う、「これを勉めよ、これを戒めよ、夙夜命に違うことなかれ」と。皇后は輿に昇り中門に至り、車に昇って大門を出る。使・副及び群臣が前導する。宣徳門に将に至らんとする時、百官・宗室が列を整えて迎え、再拝し終えて、分班する。皇后が門に入ると、鐘鼓を鳴らし、班迎の官は退き、乃ち車を降りて入り、次いで輿に昇り端礼門・文徳殿・東上閤門に入り、文徳殿後門を出て、内東門内に入り輿を降りる。司輿が前導し、福寧殿門の大次に詣でて待つ。晡後、皇后の車が宣徳門に入ると、侍中が版を奏して中厳を請い、内侍が転奏する。皇帝は通天冠・絳紗袍を着け、福寧殿に御し、尚宮が皇后を導き出し次を出て、殿庭の東に詣で、西に向かって立つ。尚儀が跪いて外辦を奏し、皇帝が座を降りて礼迎することを請う。尚宮が前導し、庭中の西に詣で、東面して皇后を揖して入り、導き西階を昇って室に入り、各々榻前に立つ。尚食が跪いて具わるを奏し、皇帝が皇后を揖して皆坐す。尚食が饌を進め、三飯を食す。尚食が酒を進め、爵を受けて飲み、尚食が饌を従える。再び飲むこと初めの如く、三飲は巹を用いること再飲の如し。尚儀が跪いて礼畢を奏し、俱に興つ。尚宮が皇帝に常服を御することを請い、尚寝が皇后に礼服を釈して幄に入ることを請う。次日、礼を以て太皇太后・皇太后に朝見し、皇太妃に参ずること、宮中の儀の如し。

詔してこれに従う。

四月、太皇太后の手書に曰く、「皇帝年長し、中宮未だ建たず。歴に諸臣の家を選び、故侍衛親軍馬軍都虞候・贈太尉孟元の孫女を以て皇后と為す」と。制詔す、「六礼は、尚書左僕射兼門下侍郎呂大防をして太尉を摂せしめ、奉迎使を充て、同知枢密院事韓忠彦をして司徒しとを摂せしめ副とす。尚書左丞蘇頌をして太尉を摂せしめ、発冊使を充て、簽書枢密院事王岩叟をして司徒を摂せしめ副とす。尚書左丞蘇轍をして太尉を摂せしめ、告期使を充て、皇叔祖・同知大宗正事宗景をして大宗正卿を摂せしめ副とす。皇伯祖・判大宗正事・高密郡王宗晟をして太尉を摂せしめ、納成使を充て、翰林学士範百禄をして宗正卿を摂せしめ副とす。吏部尚書王存をして太尉を摂せしめ、納吉使を充て、権戸部尚書劉奉世をして宗正卿を摂せしめ副とす。翰林学士梁燾をして太尉を摂せしめ、納采・問名使を充て、御史中丞鄭雍をして宗正卿を摂せしめ副とす」と。

五月甲午、納采・問名の礼を行う。丁酉、納吉・納成・告期の礼を行う。戊戌、帝文徳殿に御し冊を発し及び命使して皇后を奉迎せしむ。己亥、百官表を上して東上閤門に賀し、次いで内東門に詣でて太皇太后を賀し、又箋を上して皇后を賀し、箋を上して皇太妃を賀す。皇后日を択びて景霊宮に詣で廟見の礼を行う。

大観四年、貴妃鄭氏を冊して皇后と為す。議礼局儀注を重ねて定む。臨軒冊使は、皇帝文徳殿に御し、通天冠・絳紗袍を服し、百官朝服し、黄麾細仗を陳べ、古に依り宮架を用う。冊使殿門を出づるに、近儀に依り輅に乗らず。権に穆清殿を受冊殿と為す。その日、皇后褘衣を服し、その冊宝を奉じて皇后に授くるは、皆内侍を用う。受冊訖り、皇后表を上して皇帝に謝し、内外命婦班を立てて賀し、群臣殿に入りて皇帝を賀し、内東門に於いて箋を上して皇后を賀す。その上礼の儀注は、進馬条令に依り施行することを乞う。その群臣を会する、及び皇后外命婦を会する儀注は、並びに『開元』・『開宝礼』に依る。受冊の殿に宮架を陳べ、女工を用い、升降行止並びに楽を以て節し、而して別に楽名・楽章を定む。

皇后表を上して冊を受くるに黄麾仗を排し及び重翟車に乗り・小駕鹵簿を陳ぶる等を免ぜんことを乞い、而して延福宮に於いて冊を受く。その景霊宮に朝謁するも、亦た近例に依るに止むと云う。

紹興十三年閏四月十七日、貴妃呉氏を冊して皇后と為す。前期、文徳殿内に東西房・東西閣を設け、凡そ香案・宮架・冊宝幄次・挙麾位・押案位・権置冊宝褥位・受制承制宣制位・奉節位・讚者位・奉冊宝位・挙冊挙宝官位及び文武百僚・応行事官・執事官の位は、皆儀鸞司・太常典儀分ちてこれを設け、以て臨軒発冊を俟つ。

その日質明、皇帝通天冠・絳紗袍を服し西閣より出づ。協律郎麾を挙げて『乾安の楽』を奏す。皇帝輦を降りて即ち御坐に就き、楽止む。冊使・副以下応に在位の官皆再拝す。侍中制を宣して曰く、「貴妃呉氏を冊して皇后と為し、公等に命じて節を持ち礼を展せしむ」と。冊使・副再拝す。参知政事節を以て冊使に授く。冊使跪いて受け、以て掌節者に授く。中書令冊を以て冊使に授け、侍中宝を以て副使に授く。並びに権に案に置く。冊使・副以下応に在位の官皆再拝す。冊使冊を押し、副使宝を押し、持節者前導す。『正安の楽』作る。文徳殿門を出づ。楽止む。穆清殿門外の幄次に至り、権に置き以て俟つ。

皇后首飾・褘衣を着け閣を出づ。協律郎麾を挙げ、『坤安の楽』作る。皇后殿上の中間南向に立ち定まり、楽止む。冊使・副内給事の前に就き東向に跪きて称す、「冊使副姓某、制を奉じて皇后に備礼典冊を授く」と。内給事入りて皇后の前に詣り、北向に奏し訖る。冊使冊を挙げて内侍に授け、内侍転じて内謁者監に授く。副使宝を挙げて内侍に授け、内侍転じて内謁者監に授く。掌節者節を以て掌節内侍に授け、内侍節を持ち前導す。冊宝並びに案を進行し入りて殿庭に詣る。冊宝初めて門に入るに、『宜安の楽』作る。位に至り、楽止む。皇后東階より降り、庭中の北向の位に至る。初めて行くに、『承安の楽』作る。位に至り、楽止む。皇后再拝す。挙冊官笏を搢げ跪きて冊を挙ぐ。読冊官笏を搢げ跪きて冊を宣す。内謁者監冊を奉じて進み皇后に授く。皇后受け以て司言に授く。又宝を奉じて進み皇后に授く。皇后受け以て司宝に授く。司言・司宝冊宝を案に置く。挙冊宝官並びに挙案官俱に笏を搢げ冊宝並びに案を挙げ興つ。東階の東に詣り、西向の位置に定まる。皇后初めて冊宝を受くるに、『成安の楽』作る。受け訖り、楽止む。皇后再拝し、礼畢る。

皇太子冊立の儀。至道元年八月壬辰、詔して皇太子を立て、有司に命じてその冊礼の儀を起草せしめ、翰林学士宋白を冊皇太子礼儀使とす。有司言う、「前代の太子に圭を執するの文なし、王公の制の如く桓圭を執するを請う、余は旧制の如し」と。

九月丁卯、太宗朝元殿に御し、陳列は元会の儀の如く、帝は袞冕し、黄麾仗及び宮懸の楽を庭に設け、百官位に就く。太子は常服にて馬に乗り、朝元門外の幄次に就き、遠遊冠・朱明衣に易え、所司三師・三少を讚引して導従し殿庭の位に至り、再拝起居畢り、分班して立つ。

太常博士、摂中書令を引いて西階に就き剣・履を解き、殿に升り御坐前に詣り、俯伏し、興り、制を宣するを奏し、降りて剣・履の位に就き、東階より太子の位の東に至り、南向して「制あり」と称す、太子再拝す。中書侍郎、冊案を引いて太子の東に就き、中書令北面して跪き冊を読み畢り、太子再拝して冊を受け、右庶子に授く。門下侍郎、宝を進めて中書令に授け、中書令太子に授け、太子左庶子に授け、各案に置く。黄道より出で、太子案に随い南行し、楽は『正安之曲』を奏し、殿門に至りて楽止む。太尉殿に升り賀を称し、侍中制を宣し、答は儀の如し。

皇太子は服を易え馬に乗り宮に還り、百官は朝堂にて食を賜わる。中書・門下・枢密院・師・保以下、太子に詣り参賀し、皆宮門の外に序立す。庶子、版を以て外備を奏し、内臣簾を褰ぎ、太子常服にて次より出で坐し、中書・門下・文武百官・枢密・師・保・賓客以下再拝し、並びに答拝す。四品以下の官参賀し、升坐して之を受く。三日を越え、鹵簿を具え、太廟を謁し、常服にて馬に乗り、東華門を出で輅に升る。儀仗内行事の官車に乗ずる者は、並びに礼衣を服し、余は皆袴褶にて馬に乗り導従す。

有司言う、「唐の礼、宮臣の参賀は皆舞蹈す、開元に始めて之を罷む。故事、百官及び東宮の接見には祗に皇太子と呼び、上箋啓には皇太子殿下と称し、百官は名を称し、宮官は臣と称す。常行には左春坊の印を用い、宮中には行令す。又唐制を按ずるに、凡そ東宮処分論事の書は、太子並びに令を画し、左・右庶子以下姓名を署し、宣奉行書は日に按画す。其れ親友・師傅と為すは、此の制を用いず。今は開元の制の如く、宮臣は止め臣と称し、舞蹈の礼を行わざるを請う。今皇太子は開封府を兼判す、其の上る表状は即ち太子の位を署し、其の中書・枢密院に申すべき状は、祗に判官等署し、余の断案及び公事を処分するは並びに諾を画す」と。詔して惟だ『諾』を『準』に改むるのみとし、余は並びに之に従う。其の皇后に朝する儀は、止め宮中の常礼を用う。時に真宗は寿王を以て皇太子と為し、開封を兼判し、僚属に見えんことを請い、名を称して臣を称するを免ず。

神宗は冊礼を受くるに及ばずして即位す、乃ち冊宝を以て天章閣に送り、遂に故事と為す。

紹興三十二年五月、詔して曰く、「朕は不徳を以て、躬ら艱難を履むること三十六年、万機を憂労し、宵旰怠る無し。時に属して多故、未だ能く雍容として負を釈し、退き寿康を養うこと有らず。今辺鄙粗寧、遂に志の如くすべし。皇子は徳を毓し允に成り、神器託する有り、朕心庶幾す。皇太子に立つべく、仍て名を改め、所司日に択び礼を備え冊命すべし」と。礼を行るに及ばず、六月十一日内禅す。

乾道元年八月十日、制して皇子鄧王愭を立てて皇太子と為す。十月、詔して知枢密院洪適を以て礼儀使と為し、冊文を撰せしめ、簽書枢密院事葉顒に冊を書かしめ、工部侍郎王弗に宝を篆せしむ。

十六日、皇帝大慶殿に御し冊礼を行い、皇太子は遠遊冠・朱明衣を服し、桓圭を執す。前期、儀を習う礼官及び有司は並びに先一日入り宿衛し、宮架の楽を展べ、太子の次・冊宝の幄次・百官の次を設け、又皇太子の冊を受くる位・典宝の褥位を設け、応に行礼等は皆位有り、黄麾半仗を殿門内外に列す。質明、百官次に就き、皇太子は常服にて幕次に詣り、符宝郎は八宝を御位の左右に陳し、有司は冊宝を奉じて幄次に至り、百官は朝服にて殿庭に入班す。

有司は幄次より冊宝を奉じて褥位に至り、参知政事・中書令は導従し、退き各々位に就く。侍中は殿に升り制の宣するを俟つ。皇太子は服を易え圭を執し殿門外に俟つ。楽正は黄鍾の鍾を撞き、『乾安之楽』作る。皇帝即ち御坐に即き、殿上の侍臣起居し、楽止む。行礼官は皇太子を讚引して殿庭に入り就かしめ、東宮官従う。初め殿門に入るや、『明安之楽』作り、楽止み、皇太子起居し、次に百官起居し、各々儀の如く拝舞す。

皇太子は冊を受くる位に詣る。侍中は前に進み旨を受け、階を降りて制を宣して曰く、「鄧王愭を冊して皇太子と為す」と。皇太子は儀の如く拝舞し、侍中は殿に升り位に復す。中書令は冊を読む位に詣る。冊を捧ぐる官は冊を奉じて至り、中書令は跪きて冊を読み畢り、興る。皇太子は再拝す。有司は冊を奉じて皇太子の位に至り、中書令は跪きて冊を以て皇太子に授け、皇太子は跪きて受け、右庶子に授け、案に置く。次に侍中は宝を以て皇太子に授け、皇太子は跪きて受け、左庶子に授け、上の儀の如し。皇太子は再拝す。中書舍人は冊を押し、中允は宝を押して出づ。次に皇太子出づ、来たる儀の如し。初め行くや楽作し、殿門を出づるや楽止む。次に百官賀を称し、楽正は蕤賓の鍾を撞き、『乾安之楽』作る。皇帝は坐を降り、楽止み、仗を放ち、在位の官は再拝して出づ。

礼畢り、百官は常服に易え、内東門司に赴き箋を拜して皇后を賀し、次に徳寿宮に赴き表箋を拜して賀す。諸路の監司・守臣等は並びに表を奉じて賀を称す。明日、車駕は徳寿宮に詣り謝す。又明日、上は紫宸殿に御し、皇太子を引いて謝を称せしめ、東宮に還り、百官は東宮に赴き参賀す。

皇太子は日を択び先ず景霊宮に朝謁し、次日に太廟・別廟に朝謁し、又日を択び徳寿宮に詣り謝を称す。先に、礼官言う、「皇太子の景霊宮に朝謁するに服する所の典故無し、乞うらくは止めて常服を用いん。次に太廟・別廟に朝謁するは、当に袞冕し、金輅に乗じ、仗を設くべし」と。之に従う。皇太子言う、「輅に乗じ仗を設くるは、至道・天禧の故事有りと雖も、臣子の安んずる所に非ず」と。詔して免ず。

皇太子妃冊立の儀。政和五年三月、詔して皇太子妃を選ぶ。六年六月、詔して少傅・恩平郡王朱伯材の女を選びて皇太子妃と為し、所司に命じて礼を備え冊命せしむ。庚辰、帝は通天冠・絳紗袍を服し、文徳殿に御して冊を発す。先に、議礼局は『五礼新儀』を上す、「皇太子妃を納るるに、金輅に乗じて親迎す」と。皇太子は三たび輅に乗ずる及び臨軒冊命を辞するを奏し、詔して輅に乗ずるを免じ、而して冊を発することは礼の如し。

公主の封を受くるは、制を降すに冊命の文有りと雖も、多く礼を行わず、惟だ綸告を以て内に進むるのみ。嘉祐二年に至り、福康公主を封じて兗国公主と為し、始めて礼を備え冊命す。

前日、百官は文徳殿に列し、内より冊印を降し、制を宣し、冊案・援衛はことごとく冊立皇后の儀に同じ。有司は先に冊使等の幕次を内東門外に設け、命婦の次を公主の本位門の外に設け、公主の冊印を受ける位を本位の庭階下に北向きにし、冊使の位を内東門に、副使及び内給事をその南に差し退けて並びに東向きにし、冊印案の位を冊使の前に南向きに設け、内給事の位を冊使の北に南向きに設ける。

文徳殿より冊印を奉じて将に内東門に至らんとするに、内給事は本位に詣で、公主に首飾・褕翟を服するを請う。冊印が内東門外の褥位に置き終わり、内臣は内命婦を引き入れ就位せしめ、礼直官は冊使・副使等を引き具に東向きの位に就かせ、内給事は南向きの位に就く。

通事舍人・博士は冊使を引き内給事の前に就かせ東向きにし、躬って「冊使某・副使某、制を奉じて公主に冊印を授く」と称し、退いて位に復す。内給事は入りて設けたる所の受冊印の位の公主の前に詣で、言い終わりて退く。内給事は進みて冊使の前に詣で西向きにし、冊使は跪いて冊印を内給事に授け、内給事は跪いて内謁者に授け、内謁者及び主当の内臣等は持ちて内東門に入り、内給事は従い入りて本位に詣で、公主を讃して降り庭中に詣で北向きに立たしめ、跪いて冊を取り、興り、公主の右少前に立ち西向きにする。また内給事は公主の左少前に立ち東向きにし、「制あり」と称し、讃者が「拝せよ」と言えば、公主は再拝し、右給事は冊を奉じて跪いてこれを授け、公主は受け左給事に授け、右給事はまた印を奉じて公主に授け、上の儀の如し。讃者が「拝せよ」と言えば、公主は再拝し終わり、公主を引いて位に昇らしむ。次いで内臣は内命婦の賀を行い終わり、遂に公主を引いて皇帝・皇后に謝せしめ、ことごとく内中の儀の如し。群臣は名を進めて賀す。その冊印は貴妃の如く、匣あり、文に「兗國公主之印」と曰う。遂に定制と為す。

神宗の時、邠國大長公主・魯國公主を進封するに皆冊礼を免ずることを請い、止めて告を進めて内に入れるのみと云う。

親王大臣を冊命するの制は、『開寶通禮』に具わる。制書に備礼冊命の文有りと雖も、多くは上表して辞免し、未だ嘗て行わず。親王・宰臣・使相・樞密使・西京留守・節度使を命ずる毎に、並びに翰林に制を草せしめ、夜中に進入せしめ、翌日自ら内に箱に置き、黄門二人これを舁ぎ、御坐の東に立つ。内朝退きて、乃ち箱を奉じて殿門外に出し、宣して閣門に付し、降して案に置き、文徳殿の立班を俟ち、閣門使は制案を引き庭に置き、宣して中書・門下に付し、宰相は跪いて受け、位に復し、以て通事舍人に授け、宣制の位に赴き唱名し終わり、宰相に奉じて詣で、宰相はこれを受け、所司に付す。

若し後妃を立て、親王・公主を封ずるには、即ち先ず「制あり」と称し、百官再拝し、制を宣し終わり、復た再拝し舞踏して賀を称す。若し宰相に恩を加える制書は、即ち宣して通事舍人に付し、宰相を引き宣制石の東に、北向きに再拝して立ち、聴き終わり、拝舞して位に復す。若し百官が制を受くるは、即ち班中より引き出されて麻を聴き、文班は宣制石の東に、武班は西にし、並びに宰相の儀の如く、聴き終わり、出でて朝堂に赴く。その罷相する者は、即ち引き出されて朝堂の金吾仗舎に赴く。

諸王・宰相の朝謝は、前日、内より官告を降し、内より出で東上閣門外に宣詞を以て賜い、節を授くる者は、仍た旌節を交わす。授くる者は俯伏し、旌節を執り頸上に交わすこと三たびす。参知政事・宣徽使・樞密使・大兩省・兩制・秘書監・上將軍・観察使以上で官告敕牒を授かる者は、皆敕を拝し舞踏す。若し止めて敕を授け或いは宣頭を授くる者は止めて再拝し、余の官は悉く敕を拝せず、舞踏せず。惟だ御史大夫・中丞は東上閣門使に拝授し、又引き至らしめて殿門外の中籠門で再拝す。

親王・節度使・使相の官告は、並びに彩輿に載せて第に迎え帰る。親王の輿中には、銀師子香合を設け、輦官十二人、並びに襆頭・緋繡の寬衣。旌節各二、馬四、暴槊官十六人、旌節を執り馬を攏えて対引し、乾元門西偏門より出で門外に至る。馬技の騎士五十人、槍牌の歩兵六十人、教坊の楽工六十五人、及び百戲・蹴鞠・闘雞・角抵を次第に迎引し、左右軍巡使は軍容を具えて前導し本宮に至る。使相の輿中は銀香炉を用い、輦官十二人、金鵝帽・錦絡縫の紫絁寬衣。旌節各一、馬二、暴槊官八人、馬技の騎士二十人、槍牌の歩兵二十四人、軍巡使は前導せず、余は親王の制の如し。事有れば則ち罷む。

凡そ諫官・舎人・刺史以上で在外任にあり恩を加えられる者は、悉くその親属に伝を乗じて詔を齎らせ、就以て告牒を賜う。

政和の礼局が親王・大臣を冊命する儀を上るも、遂に行われず。