宋史

志第十四 五行一上

【序】

天は陰陽五行をもって万物を化生し、天地の間に満ちるものは、ことごとく五行の妙用に非ざるはない。人は陰陽五行の気を得て形となり、形が生じて神知が生じ、五性が動き、五性が動いて万事が出で、万事が出て休咎が生ずる。和気は祥を致し、乖気は異を致し、ことごとく五行に見えざるはない。『中庸』に曰く、「至誠の道は以て前もって知るべし。国家将に興らんとすれば、必ず禎祥あり。国家将に亡びんとすれば、必ず妖孽あり。蓍亀に現れ、四体に動く。禍福将に至らんとすれば、善は必ず先ず之を知り、不善は必ず先ず之を知る」と。人の一身においてすら、動作威儀に休咎が見える。人君は天地万物を体とする。禎祥妖孽の致すところ、豈に本なきことがあろうか。故に漢より以来、史を作る者は皆五行を志し、以て人君の戒めを示すこと深し。宋の儒者周惇頤の『太極図説』が世に行われてより、儒者の五行を言うものは、理に原を発し誠に究まる。その『洪範』五行五事の学に対するは、取るところとせざる所なりといえども、然れども班固・范曄の五行志は既にその本を推し、及び欧陽修の『唐志』も亦その説を採り、且つ庶征においては災眚のみを述べて、休祥を闕く。これ亦豈に所見なきにあらんや。

旧史は太祖より嘉禾・瑞麦・甘露・醴泉・芝草の類、書に絶えず。意うに諸福畢く至るは、治世において宜しきなり。祥符・宣和の代、人君方に符瑞を以て一時を文飾するを務め、而して丁謂・蔡京の奸、相与に傅会して欺きを為す。その応果たして安くにか在る。高宗南に渡り、心にその非を知る。故に『宋史』は建炎より後、郡県絶えて符瑞を以て聞くもの無く、而して水旱・札瘥一切の咎征、前史の稀に見る所なるもの、皆屡書して隠さず。ここに於いて六主百五十年、兢兢として自ら保ち、以て存を図るに足る。

『易』震の彖に曰く、「震来りて虩虩たり、恐れて福を致すなり」と。人君の福を致す道、恐懼修省より大なるもの有らんや。昔、禹は群臣を会稽に致し、黄龍舟に負いて、玉帛を執る者万国。孔甲は鬼神を好み、二龍天より降りて、諸侯相継いで夏に畔く。桑穀朝に共生し、雉鼎の耳に升りて雊き、而して大戊・武丁復た成湯の政を修む。穆王は白狼・白鹿を得て、文・武の業衰えたり。徐偃は朱弓矢を得、宋湣は雀の鸇を生ずる有り。二国以て覇たり、亦以て之を亡ぼす。大概征の休咎は、猶お卦の吉凶の如し。占う者徳を以て之に勝てば則ち凶も吉と為すべく、徳無くして之に当たれば則ち吉も乃ち凶と為す。故に徳妖に勝つに足れば、則ち妖慮るるに足らず。徳に非ざるに由りて瑞を致せば、則ち物の反常なる者は皆妖と為すに足る。妖自ら作らず、人実に之を興す哉。今、先後の史氏の紀す所の休咎の征に因り、匯して之を輯め、『五行志』を作る。

潤下は、水の性なり。水その性を失えば、則ち災沴と為る。旧説に恒寒・鼓妖・魚孽・豕禍・雷電・霜雪・雨雹・黒眚・黒祥を皆水に属すとす。今之に従う。醴泉・河清は瑞応と為るといえども、苟もその時に非ざれば、必ずしも異と為らざるに非ず。故に雑に編に附す。他の甘露・嘉禾・芝草一切の祥瑞の物、後に見ゆるものは、その事に因りてその時を考うれば、則ち休咎自ずから見ゆ。故に亦各類を以て相従うと云う。

建隆元年十月、棣州の河決し、厭次・商河二県の居民廬舎・田畑を壊す。二年、宋州の汴河溢る。孟州堤を壊す。襄州の漢水漲き溢れて数丈。四年八月、斉州の河決す。九月、徐州水田を損ず。

乾徳二年四月、広陵・揚子等県の潮水民田を害す。七月、泰山の水、民廬舎数百区を壊し、牛畜の死する者甚だ衆し。三年二月、全州大雨水。七月、蘄州大雨水、民廬舎を壊す。開封府の河決し、陽武に溢る。河中府・孟州並びに河水漲ぎ、孟州は中潬軍営・民舎数百区を壊す。河堤岸の石を壊し、又鄆州に溢れて民田を壊す。泰州の潮水塩城県の民田を損ず。淄州・済州並びに河溢れ、鄒平・高苑県の民田を害す。四年、東阿県の河溢れ、民田を損ず。観城県の河決し、居民廬舎を壊し、大名に注ぐ。又霊河県の堤壊れ、水東に衛南県の境及び南華県城に注ぐ。七月、滎沢県の河南北堤壊る。八月、宿州の汴水溢れ、堤を壊す。淄州の清河水溢れ、高苑県城を壊し、数百家及び鄒平県の田舎を溺れしむ。泗州の淮溢る。衡州大雨水月余。五年、衛州の河溢れ、州城を毀ち、没溺する者甚だ衆し。

開宝元年六月、州府二十三、大雨水、江河泛溢し、民田・廬舎を壊す。七月、泰州の潮水稼を害す。八月、集州霖雨河漲ぎ、民廬舎及び城壁・公署を壊す。二年七月、下邑県の河決す。是の歳、青・蔡・宿・淄・宋諸州水、真定・澶・滑・博・洺・斉・潁・蔡・陳・亳・宿・許州水、秋苗を害す。三年、鄭・澶・鄆・淄・済・虢・蔡・解・徐・岳州水災、民田を害す。四年六月、汴水宋州穀熟県済陽鎮に決す。又鄆州の河及び汶・清河皆溢れ、東阿県及び陳空鎮に注ぎ、倉庫・民舎を壊す。鄭州の河原武県に決す。蔡州の淮及び白露・舒・汝・廬・潁五水並びに漲ぎ、廬舎・民田を壊す。七月、青・斉州水田を傷つく。五年、河澶州濮陽に決し、絳・和・廬・寿諸州大水。六月、河又開封府陽武県の小劉村に決す。宋州・鄭州並びに汴水決す。忠州の江水二百尺漲ぐ。六年、鄆州の河楊劉口に決す。懐州の河獲嘉県に決す。潁州の淮・渒水溢れ、民舎・田畑を渰むること甚だ衆し。七月、歴亭県の御河決す。単州・濮州並びに大雨水、州廨・倉庫・軍営・民舎を壊す。是の秋、大名府・宋・亳・淄・青・汝・澶・滑諸州並びに水田を傷つく。七年四月、衛・亳州水。泗州の淮水暴漲して城に入り、民舎五百家を壊す。安陽県の河漲ぎ、居民廬舎百区を壊す。八年五月、京師大雨水。濮州の河郭龍村に決す。六月、澶州の河頓丘県に決す。沂州大雨、城に入り、居舎・田苗を壊す。九年三月、京師大雨水。淄州水田を害す。

太平興國二年六月、孟州の河が溢れ、溫縣の堤防七十余歩を破壊し、鄭州は滎澤縣甯王村の堤防三十余歩を破壊し、また澶州で漲水し、英公村の堤防三十歩を破壊した。開封府の汴水が溢れ、大寧堤を破壊し、民田を浸水させて害した。忠州の江水が二十五丈漲った。興州の江水が漲り、棧道四百餘間を毀損した。管城縣の焦肇水が暴漲し、京水を越えた。濮州は大水で、害された民田は凡そ五千七百四十三頃に及んだ。潁州の潁水が漲り、城門・軍営・民舍を破壊した。七月、復州のしょく・漢江が漲り、城及び民田・廬舍を破壊した。集州の江水が漲り、嘉川縣に氾濫した。三年五月、懷州の河が獲嘉縣北で決壊して注いだ。また汴水が宋州寧陵縣の境で決壊した。六月、泗州で淮水が漲って南城に入り、汴水はまた一丈漲り、州の北門を塞いだ。十月、滑州の靈河は既に塞がれていたが再び決壊した。四年三月、河南府の洛水が七尺漲り、民舍を破壊した。泰州は雨水で農作物に害があった。宋州の河が宋城縣で決壊した。衛州の河が汲縣で決壊し、新場堤を破壊した。八月、梓州の江水が漲り、閣道・營舍を破壊した。九月、澶州の河が漲った。鄆州の清・汶二水が漲り、東阿縣の民田を破壊した。復州沔陽縣の湖皛が漲り、民舍・田稼を破壊した。五年五月、潁州の潁水が溢れ、堤防及び民舍を破壊した。徐州の白溝河が溢れて州城に入った。七月、復州の江水が漲り、民舍を毀損し、堤塘は皆破壊された。六年、河中府の河が漲り、連堤を陥没させ、城に溢れ入り、軍営七所・民舍百余區を破壊した。鄜・延・寧州は三河の水が共に漲り、州城に溢れ入った。鄜州は軍営を破壊し、建武指揮使李海及び老幼六十三人が溺死した。延州は倉庫・軍民廬舍千六百區を破壊した。寧州は州城五百余歩を破壊し、諸軍営・軍民舍五百二十區を破壊した。七年三月、京兆府の渭水が漲り、浮梁を破壊し、五十四人が溺死した。四月、耀・密・博・衛・常・潤諸州で水害により農作物に害があった。六月、均州の溳水・均水・漢江が共に漲り、民舍を破壊し、人畜の死者が甚だ多かった。また河が臨邑縣で決壊し、漢陽軍の江水が五丈漲った。七月、大名府の御河が漲り、範濟口を破壊した。南劍州の江水が漲り、居民舍一百四十余區を破壊した。京兆府咸陽の渭水が漲り、浮梁を破壊し、工人五十四人が溺死した。九月、梧州の江水が三丈漲り、城に入り、倉庫及び民舍を破壊した。十月、河が懷州武陟縣で決壊し、民田を害した。八年五月、河が滑州房村で大決壊し、徑ち澶・濮・曹・濟諸州を経て、民田を浸し、居民廬舍を破壊し、東南に流れて淮に入った。六月、陝州の河が漲り、浮梁を破壊した。また永定澗の水が漲り、民舍・軍營千余區を破壊した。河南府に澍雨があり、洛水が五丈余漲り、鞏縣の官署・軍営・民舍を殆ど尽く破壊した。谷・洛・伊・瀍の四水が暴漲し、京城の官署・軍営・寺観・祠廟・民舍萬余區を破壊し、溺死者は万を以て数えた。また河清縣豐饒務の倉庫・軍営・民舍百余區を破壊した。雄州の易水が漲り、民廬舍を破壊した。鄜州の河水が漲り、城に溢れ入り、官寺・民舍四百余區を破壊した。荊門軍長林縣の山水が暴漲し、民舍五十一區を破壊し、五十六人が溺死した。八月、徐州の清河が丈七尺漲り、溢れ出て、州の三面の門を塞いでこれを防いだ。九月、宿州の睢水が漲り、民舍六十里に氾濫した。この夏から秋にかけて、開封・浚儀・酸棗・陽武・封丘・長垣・中牟・尉氏・襄邑・雍丘等縣で河水が民田を害した。九年七月、嘉州の江水が暴漲し、官署・民舍を破壊し、溺れた者は千餘人に及んだ。八月、延州の南北両河が漲り、東西両城に溢れ入り、官寺・民舍を破壊した。淄州は霖雨で、孝婦河が漲溢し、官寺・民田を破壊した。孟州の河が漲り、浮梁を破壊し、民田を損なった。雅州の江水が九丈漲り、民廬舍を破壊した。新州の江水が漲り、南砦に入り、軍営を破壊した。

雍熙二年七月、朗江が溢れ、農作物を害した。八月、瀛・莫州は大水で、民田を損なった。三年六月、壽州は大水であった。

端拱元年二月、博州で水害により民田を害した。五月、英州の江水が五丈漲り、民田及び廬舍数百區を破壊した。七月、磁州の漳・滏二水が漲った。

淳化元年六月、吉州は大雨で、江水が漲り、民田・廬舍を漂い破壊した。黃梅縣堀口の湖水が漲り、民田・廬舍を皆尽く破壊し、江水は二丈八尺漲った。洪州は漲って州城三十堵・民廬舍二千余區を破壊し、二千餘戶を漂わせた。孟州の河が漲った。二年四月、京兆府の河が漲り、陝州の河が漲り、大堤及び五龍祠を破壊した。六月乙酉、汴水が浚儀縣で溢れ、連堤を破壊し、民田を浸した。上(皇帝)が親臨して視察し、衛士を督してこれを塞がせた。辛卯、また宋城縣で決壊した。博州は大霖雨で、河が漲り、民廬舍八百七十區を破壊した。亳州の河が溢れ、東流して民田・廬舍に氾濫した。七月、齊州の明水が漲り、黎濟砦城百余堵を破壊した。許州の沙河が溢れた。雄州の塘水が溢れ、民田を殆ど尽く害した。嘉州の江水が漲り、州城に溢れ入り、民舍を毀損した。復州の蜀・漢二江水が漲り、民田・廬舍を破壊した。泗州招信縣は大雨で、山河が漲り、民田・廬舍を漂い浸し、死者二十一人を出した。八月、藤州の江水が十餘丈漲り、州城に入り、官署・民田を破壊した。九月、邛州蒲江等縣の山水が暴漲し、民舍七十區を破壊し、死者七十九人を出した。この秋、荊湖北路の江水が注ぎ溢れ、田畝を甚だ多く浸した。三年七月、河南府の洛水が漲り、七里・鎮國の二橋を破壊した。また山水が暴漲し、豐饒務の官舍・民廬を破壊し、死者二百四十人を出した。十月、上津縣は大雨で、河水が溢れ、民舍を破壊し、溺れた者三十七人を出した。四年六月、隴城縣は大雨で、牛頭河が二十丈漲り、居人・廬舍を没溺させた。九月、澶州の河が漲り、北城を沖き陥没させ、居人廬舍・官署・倉庫を殆ど尽く破壊し、民の溺死者が甚だ多かった。梓州玄武縣の涪河が二丈五尺漲り、下流を塞いで州城に入り、官私廬舍萬余區を破壊し、溺死者が甚だ多かった。十月、澶州の河が決壊し、水は西北に流れて御河に入り、大名府城を浸し、知府趙昌言が城門を塞いでこれを防いだ。

至道元年四月甲辰、京師は大雨・雷電で、道上の水は数尺に及んだ。五月、虔州の江水が二丈九尺漲り、城を破壊して深さ八尺流れ込み、城門を毀損した。二年六月、河南の瀍・澗・洛の三水が漲り、鎮國橋を破壊した。七月、建州の溪水が漲り、州城に溢れ入り、倉庫・民舍萬余區を破壊した。鄆州の河が漲り、連堤四箇所を破壊した。宋州の汴河が穀熟縣で決壊した。閏七月、陝州の河が漲った。この月、廣南諸州は皆大雨水であった。

咸平元年(998年)七月、侍禁・閣門祗候の王壽永が彭州より使いを終えて帰還する途中、鳳翔府の境界に至り、山水が暴漲し、家屬八人が溺死した。齊州の清・黃河が氾濫し、田畑と家屋を損壊した。二年(999年)十月、漳州で山水が氾濫し、民家千余區を損壊し、民の黃拏ら十家が溺死した。三年(1000年)三月、梓州で江水が漲り、民田を損壊した。五月、黄河が鄆州の王陵埽で決壊した。七月、洋州で漢水が溢れ、民に溺死者があった。四年(1001年)七月、同州の洿谷水が夏陽縣に溢れ、溺死者数十人。五年(1002年)二月、雄・・瀛・莫・深・滄の諸州及び乾甯軍で水害があり、民田を損壊した。六月、京師で大雨があり、家屋を漂流損壊し、民に圧死者があった。積水が道路に浸入し、朱雀門の東から宣化門に至る区間が特に甚だしく、皆惠民河に注ぎ、河は再び漲り、軍営を溢れた。

景德元年(1004年)九月、宋州で汴水が決壊し、民田に浸入し、家屋を損壊した。黄河が澶州の橫隴埽で決壊した。二年(1005年)六月、寧州で山水が氾濫し、民家・軍営を損壊し、溺死者が多かった。三年(1006年)七月、應天府で汴水が決壊し、南に流れて亳州に注ぎ、浪宕渠と合流して東に淮河に入った。八月、青州で山水が石橋を損壊した。四年(1007年)六月、鄭州の索水が漲り、高さ約四丈に及び、滎陽けいよう縣の居民四十二戸を漂流させ、溺死者があった。鄧州で江水が暴漲した。南劍州で山水が氾濫し、居民を漂流溺死させた。七月、黄河が澶州で溢れ、王八埽を損壊した。八月、橫州で江水が漲り、營舍を損壊した。

大中祥符元年(1008年)六月、開封府尉氏縣の惠民河が決壊した。二年(1009年)七月、徐・濟・青・淄州で大水があった。八月、鳳州で大水があり、民家を漂流溺死させた。十月、京畿の惠民河が決壊し、民田を損壊した。三年(1010年)六月、吉州・臨江軍で共に江水が氾濫し、民田を害した。九月、黄河が河中府白浮梁村で決壊した。四年(1011年)七月、洪・江・筠・袁州で江水が漲り、民田を害し、州城を損壊した。八月、黄河が通利軍で決壊し、大名府の御河が溢れ、合流して府城を損壊し、田畑を害し、人々の溺死者が多かった。九月、黄河が孟州溫縣で溢れた。蘇州吳江が氾濫し、家屋を損壊した。十一月、楚・泰州で潮水が田畑を害し、溺死者が多かった。五年(1012年)正月、黄河が棣州聶家口で決壊した。七月、慶州淮安鎮で山水が暴漲し、居民を漂流溺死させた。六年(1013年)六月、保安軍で長雨により河が溢れ、城壘に浸入し、家屋を損壊し、判官趙震が溺死し、また兵民の溺死者は合わせて六百五十人。七年(1014年)六月、泗州で水害が民田を害した。河南府で洛水が漲った。秦州定西砦に溺死者があった。八月、黄河が澶州で決壊した。十月、濱州で黄河が安定鎮で溢れた。八年(1015年)七月、坊州で大雨により河が溢れ、民に溺死者があった。九年(1016年)六月、秦州獨孤谷の水が長道縣鹽官鎮の城橋及び官舎・民家二百九十五區を損壊し、溺死者六十七人。七月、延州及び定平・安遠・塞門・栲栳の四砦で山水が氾濫し、堤防・城壁を損壊した。九月、雄・霸州の界河が氾濫した。利州で水が棧閣一万二千八百間を漂流させた。

天禧三年(1019年)六月、黄河が滑州城の西南で決壊し、公私の家屋を漂流没させ、死者が甚だ多く、澶州・濮・鄆・濟・單州を経て徐州に至り、清河と合流し、城壁に浸入し、水没しなかったのは四板のみであった。翌年、塞がれた。六月、再び西北隅で決壊した。

乾興元年(1022年)正月、秀州で水災があり、民多く食糧に苦しんだ。十月己酉の夜、滄州鹽山・無棣の二縣で海潮が溢れ、公私の家屋を損壊し、溺死者が甚だ多かった。この年、京東・淮南路で水災があった。

天聖初年、徐州は連年水災に見舞われた。三年(1025年)十一月辛卯、襄州で漢水が民田を損壊した。四年(1026年)六月丁亥、劍州・邵武軍で大水があり、官私の家屋七千九百余區を損壊し、溺死者百五十餘人。この月、河南府・鄭州で大水があった。十月乙酉、京山縣で山水が暴漲し、漂流死者が多く、縣令唐用之が溺死した。この年、汴水が溢れ、陳留の堤防が決壊し、また京城西の賈陂が護龍河に決壊して流入し、その勢いを弱めた。五年(1027年)三月、襄・潁・許・汝等州で水害があった。七月辛丑、泰州鹽官鎮で大水があり、民多く溺死した。六年(1028年)七月壬子、江寧府・揚・真・潤の三州で江水が溢れ、官私の家屋を損壊した。この月、雄・霸州で大水があった。八月甲戌、臨潼縣で山水が暴漲し、民の溺死者が甚だ多かった。この月、黄河が楚王埽で決壊した。七年(1029年)六月、河北で大水があり、澶州の浮橋を損壊した。

明道元年(1032年)四月壬子、大名府冠氏等八縣で水が民田に浸入した。

景祐元年(1034年)閏六月甲子、泗州で淮河・汴河が溢れた。七月、澶州で黄河が橫隴埽で決壊した。八月庚午、洪州分寧縣で山水が暴発し、居民二百余家を漂流溺死させ、死者三百七十餘口。三年(1036年)六月、虔・吉諸州で長雨が続き、江水が溢れ、城郭と家屋を損壊し、人多く溺死した。四年(1037年)六月乙亥、杭州で大風雨があり、江潮が岸を溢れ、高さ六尺、堤防千餘丈を損壊した。八月甲戌、越州で大水があり、居民を漂流溺死させた。

寶元元年(1038年)、建州は正月より雨が降り、四月まで止まず、溪水が大漲し、州城に入り、民家を損壊し、溺死者が甚だ多かった。

康定元年(1040年)九月甲寅、滑州で大河が氾濫し、民家を損壊した。

慶曆元年(1041年)三月、汴水の流れが通じなかった。八年(1048年)六月乙亥、黄河が澶州商胡埽で決壊した。この月、長雨が続いた。七月癸丑、衛州で大雨水があり、諸軍が避難し、数日間食糧が絶えた。この年、河北で大水があった。

皇祐元年(1049年)二月甲戌、河北の黃河・禦河の二河が決壊し、共に乾寧軍に注いだ。河朔は頻年にわたり水災に見舞われた。二年(1050年)、鎮定で再び大水があり、辺境は特にその害を受けた。三年(1051年)七月辛酉、黄河が館陶縣郭固口で決壊した。八月、汴河の流れが絶えた。四年(1052年)八月、鄜州で大水があり、軍民の家屋を損壊した。

嘉祐二年(1057年)六月、開封府界及び京東西・河北で水害が民田を害した。五月より大雨が止まず、水が安上門を冒し、門の関が折れ、官私の家屋数萬區を損壊し、城中では筏を繫いで人を渡した。七月、京東西・荊湖北路で水災があった。淮水は夏秋より暴漲し、泗州城を環状に浸した。この年、諸路で江河が溢れ決壊し、河北が特に甚だしく、民多く流亡した。三年(1058年)七月、京・索・廣済河が溢れ、民田に浸入した。五年(1060年)七月、蘇・湖二州で水災があった。六年(1061年)七月乙酉、泗州で淮水が溢れた。七年(1062年)六月、代州で大雨があり、山水が暴れて城内に入った。七月、竇州で山水が城を損壊した。黄河が北京の第五埽で決壊した。

治平元年、慶州・許州・蔡州・潁州・唐州・泗州・濠州・楚州・廬州・壽州・杭州・宣州・鄂州・洪州・施州・渝州、光化軍に水害。九月、陳州に水災。二年八月庚寅、京師に大雨、地上より水湧き出で、官私の廬舎を壊し、人民畜産を漂溺すること勝えず数うべからず。この日、崇政殿に御し、宰相以下朝参する者十数人に過ぎず。詔して西華門を開き以て宮中の積水を泄らす、水奔激し、殿侍班屋皆摧没し、人畜多く溺死す、官にて葬祭を為す其の主なき者千五百八十人。

熙寧元年秋、霸州に山水漲溢し、保定軍に大水、稼を害し、官私の廬舎・城壁を壊し、居民を漂溺す。河、恩州・冀州に決し、居民を漂溺す。二年八月、河、滄州饒安に決し、居民を漂溺し、県治を張為村に移す。泉州に大風雨、水と潮相い沖ぎて泛溢す。田稼を損じ、官私の廬舎を漂う。四年八月、金州に大水、城を毀ち、官私の廬舎を壊す。七年六月、熙州に大雨、洮河泛溢す。八年四月、潭州・衡州・邵州・道州諸州の江水溢れ、官私の廬舎を壊す。九年七月、太原府汾河に夏秋霖雨、水大いに漲る。十月、海陽・潮陽二県に海潮溢れ、廬舎を壊し、居民を溺らす。十年七月、河、曹村下埽に決し、澶淵流れ絶え、河南に徙り、又東に梁山・張澤濼に匯し、凡そ郡県四十五を壊し、官亭・民舎数万、田三十万頃。洺州漳河決し、城に注ぐ。大雨水、二丈河・陽河水湍漲し、南倉を壊し、居民を溺らす。滄州・衛州霖雨止まず、河濼暴漲し、廬舎を敗り、田苗を損ず。

元豊元年、章丘に河水溢れ、公私の廬舎・城壁を壊し、民居を漂溺す。舒州に山水暴漲し、官私の廬舎を浸し、田稼を損じ、居民を溺らす。四年四月、澶州臨河県小呉河溢れて北流し、居民を漂溺す。五月、淮水泛漲す。五年秋。陽武・原武二県に河決し、田廬を壊す。七年六月、青田県に大水、田稼を損ず。七月、河北東路・西路に水。北京館陶に水、河溢れて府城に入り、官私の廬舎を壊す。八月、趙州・邢州・洺州・磁州・相州諸州の河水泛溢し、城郭・軍営を壊す。是の年、相州漳河決し、臨漳県の居民を溺らす。懐州に黄・沁河泛溢し、大雨水、稼を損じ、廬舎・城壁を壊す。磁州諸県鎮、夏秋に漳・滏河水泛溢す。臨漳県斛律口決し、官私の廬舎を壊し、田稼を傷つけ、居民を損ず。

元祐四年、夏秋霖雨、河流泛漲す。八年、四月より、雨八月に至るまで、昼夜息まず、畿内・京東西路・淮南路・河北諸路に大水。詔して京師の宮観を五日間開き、所在の州に長吏をして祈禱せしめ、宰臣呂大防等に待罪せしむ。

紹聖元年七月、京畿に久雨、曹州・濮州・陳州・蔡州諸州に水、稼を害す。

元符元年、河北路・京東路等に大水。二年六月、久雨、陝西・京西路・河北に大水、河溢れ、人民を漂い、廬舎を壊す。是の歳、両浙路蘇州・湖州・秀州等の州特に水患に罹る。

大観元年夏、京畿に大水。詔して工部都水監に疏導せしめ、八角鎮に至る。河北・京西路に河溢れ、民戸を漂溺す。十月、蘇州・湖州に水災。二年秋、黄河決し、邢州鉅鹿県を陥没す。三年七月、階州に久雨、江溢る。四年夏、鄧州に大水、順陽県を漂没す。

政和五年六月、江寧府・太平州・宣州に水災。八月、蘇州・湖州・常州・秀州諸郡に水災。七年、瀛州・滄州に河決し、滄州城没せざる者三版、民死者百余万。

重和元年夏、江・淮・荊・浙諸路に大水、民流移・溺する者衆し、使者を分遣して振済す。発運使任諒、泗州の官私廬舎等の壊れたるを奏せざるに坐し、勒停に処せらる。

宣和元年五月、大雨、水驟かに十余丈高く、都城を犯し、西北の牟駝岡より万勝門外の馬監に連なり、居民尽く没す。前数日、城中の井皆渾じ、宣和殿后の井水溢る、蓋し水の信なり。ここに至り、詔して都水使者に西城の索河堤を決して其の勢を殺がしめ、城南の居民の塚墓俱に浸され、遂に藉田親耕の稼を壊す。水至って溢れ猛く、直ちに安上・南薰門を冒し、城守凡そ半月。已にして汴に入り、汴渠将に溢れんとす、ここに於て人を募り下流を決し、城北より五丈河に入り、下り梁山濼に通じ、乃ち平ぐ。十一月、東南州県に水災。四年十二月戊戌、詔す:「訪聞するに德州に京東・西路より来たる流民少なからず、本州振済方有り、保奏して推恩せしむ。余路流移に遇いて、即時に存恤せざるは、按劾して以て聞かしむ。」六年秋、京畿に恒雨。河北・京東・両浙に水災、民多く流移す。

建炎二年春、東南郡国に水。

紹興二年閏月、徽州・厳州に水、稼を害す。三年七月丙子、泉州に水三日、城郭・廬舎を壊す。五年秋、西川郡国に水。六年冬、饒州に雨水城を壊すこと四百余丈。十四年五月丙寅、婺州に水。乙丑、蘭渓県に水県市を侵し、丙寅中夜、水暴かに至り、死者万余人。十六年、潼川府東・南江溢れ、水城に入り、民廬を浸す。十八年八月、紹興府・明州・婺州に水。二十二年、淮甸に水。二十三年、金堂県に大水。潼川府江溢れ、城内の外の民廬を浸す。宣州に大水、其の流れ泛溢して太平州に至る。七月、光沢県に大雨、渓流暴かに湧き、平地十余丈高く、人避けて及ばざる者は皆溺れ、半時にして即ち平ぐ。二十七年、鎮江・建康・紹興府・真州・太平州・池州・江州・洪州・鄂州・漢陽軍に大水。二十八年六月丙申、興州・利州二州及び大安軍に大雨水、民廬を流し、橋棧を壊し、死者甚だ衆し。九月、江東・淮南数郡に水。浙東・西路沿江海郡県に大風・水、平江・紹興府・湖州・常州・秀州・潤州甚だし。二十九年七月戊戌、福州に水城に入り、閩県・候官県・懐安県三県田廬を壊し、官吏以て聞かず、憲臣樊光遠坐して黜せらる。三十年五月辛卯夜、於潜・臨安・安吉三県に山水暴かに出で、民廬・田桑を壊し、溺死者甚だ衆し。三十一年八月、建始県に大水、民廬を流し、死者甚だ衆し。三十二年四月、淮溢れて数百里、民田廬を漂い、死者尤も衆し。六月、浙西郡県に山湧き暴水、民舎を漂い、田を壊し舟を覆す。

隆興元年(1163年)八月、浙東・浙西の州県に大風・洪水あり、紹興府・平江府・湖州及び崇徳県が最も甚だしかりき。二年七月、平江・鎮江・建康・寧国府、湖・常・秀・池・太平・廬・和・光州、江陰・広徳・寿春・無為軍、淮東の諸郡皆大水、城郭を浸し、廬舎・圩田・軍営を壊す。舟を操り市を行くこと数日に及び、溺死者甚だ衆し。一月を過ぎ、陰雨続きて苦しみ、水害益々甚だしく、淮東に流民あり。

乾道元年(1165年)六月、常州・湖州に水害あり圩田を壊す。二年八月丁亥、温州に大風、海溢し、民家・塩場・龍朔寺を漂流させ、舟を覆し、溺死者二万余人、江辺に遺骸尚七千余あり。三年六月、廬州・舒州・蘄州に水害あり、苗稼を壊し、人畜を漂流す。七月己酉、臨安府天目山より暴水湧き出で、臨安県五郷の民家二百八十余家を決壊し、人多く溺死す。八月、湖州・秀州・上虞県に水害あり、民田・家屋を壊す。時に積水九月に及び、禾稼皆腐る。江東に山水溢れ、江西諸郡に水害あり、隆興府の四県が最も甚だし。四年七月壬戌、衢州に大水、城壁三百余丈を破壊し、民家を漂流させ、家畜を失い、禾稼を壊す。諸暨県に大水ありて稼穡を害す。江寧府・建康府に水害あり。是の歳、饒州・信州もまた水害あり。五年七月丁巳、建寧府瑞応場の大漈・山棗等の山より暴水湧き出で、民家を漂流させ、溺死者甚だ衆し。是の歳夏秋、温州・台州に凡そ三度の大風、水害にて民家を漂流させ、田畑を壊し、人畜の溺死者甚だ衆く、黄岩県が最も甚だしく、郡守の王之望・陳岩肖これを上聞せず、皆罷免・降格せらる。六年五月、平江・建康・寧国府、温州・湖州・秀州・太平州、広徳軍及び江西諸郡に大水、江東の城市には深さ一丈余に及ぶ所あり、民家を漂流させ、田畑を埋没させ、圩堤を決壊し、人多く流離す。八年五月、贛州・南安軍に山水暴発し、及び隆興府・吉州・筠州・臨江軍皆大雨水、民家を漂流させ、城郭を壊し、田畑を決壊して稼穡を害す。六月壬寅、四川の郡県に大雨水、嘉州・眉州・邛州・蜀州、永康軍及び金堂県が特に甚だしく、民家を漂流させ、田畝を決壊す。九年五月戊午、建康府・隆興府、厳州・吉州・饒州・信州・池州・太平州、広徳軍に水害あり、民家を漂流させ、圩田を壊し田畑を埋没せしめ、分水県にて四百余畝の砂塞が生じ、採石の流民多く江を渡る。六月、湖北の郡県に水害あり。

淳熙元年(1174年)七月壬寅・癸卯、銭塘に大風濤あり、臨安府の江堤一千六百六十余丈を決壊し、居民六百三十余家を漂流させ、仁和県の江辺二郷の田畑を壊す。三年八月辛巳、台州に大風雨あり、壬午に及び、海濤・溪流合して激し大水となり、江岸を決壊し、民家を壊し、溺死者甚だ衆し。癸未、行都(臨安)に大雨水あり、徳勝・江漲・北新の三橋及び銭塘・余杭・仁和県の田畑を壊し、湖州・秀州に流入して稼穡を害す。浙東・浙西・江東の郡県多く水害あり、婺州、会稽嵊県・広徳軍建平県の三県が特に甚だし。四年五月庚子、建寧府、福州・南剣州に大雨水あり、壬寅に及び、民家数千家を漂流す。己亥の夜、銭塘江の濤大いに溢れ、臨安府の堤防八十余丈を破壊す。庚子、また堤防百余丈を破壊す。明州の海辺に大風あり、海濤定海県の堤防二千五百余丈・鄞県の堤防五千一百余丈を破壊し、民田を漂流・埋没せしむ。九月丁酉・戊戌、大風雨海濤を駕し、銭塘県の堤防三百余丈を破壊す。余姚県に溺死者四十余人、堤防二千五百六十余丈を破壊す。上虞県の堤防及び梁湖堰並びに運河岸を破壊す。定海県にて堤防二千五百余丈を破壊す。鄞県にて堤防五千一百余丈を破壊す。五年六月戊辰、古田県に大水あり、民家を漂流させ、県庁舎・市橋を倒壊す。閏月己亥、階州に水害あり、城郭を壊す。乙巳、興化軍及び福清県並びに海口鎮に大水あり、民家・官舎・倉庫を漂流させ、溺死者甚だ衆し。六年夏、衢州に水害あり。秋、寧国府、温州・台州・湖州・秀州・太平州に水害あり、圩田を壊し、楽清県に溺死者百余人。七年五月戊戌、分宜県に大水あり、田畑を決壊して稼穡を害す。八年五月壬辰、厳州に大水あり、民家一万九千五百四十余家・兵舎六百八十余区を漂流・浸水せしむ。紹興府に大水あり、五県にて民家八万三千余家を漂流・浸水せしめ、田畑の作物尽く腐る。漁浦にて堤防五百余丈を破壊し、新林にて堤防を破壊して運河に通ず。是の歳、徽州・江州もまた水害あり。十年五月辛巳、信州に大水ありて城内に入り、家屋・市街を沈没せしむ。襄陽府に大水あり、民家を漂流させ、貯蔵物を空しくす。江東・浙東の数郡もまた水害あり。八月辛酉、雷州に大風海濤を激し、海辺の民家を没し、死者甚だ衆し。九月乙丑、福州・漳州に大風雨あり、水暴至り、長渓県・寧徳県の海辺の集落・家屋・人舟皆海に漂流し、漳州城は半ば没し、八百九十余家を浸水せしむ。丁卯、吉州竜泉県に大水あり、民家を漂流させ、田畝を壊し、溺死者衆し。十一年四月、和州に水害あり、民家を埋没させ、圩田を壊す。五月丙申、階州白江の水溢れ、堤防を決壊し城を倒し、民家・兵舎・祠廟・寺観を多く浸水せしむ。建康府・太平州に水害あり。六月甲申、処州竜泉県に大雨あり、水民家を浸し、橋梁を壊し、田畑に水が集まり稼穡を害す。七月壬辰、明州に大風雨あり、山水暴発し、民市を浸し、民家を倒壊させ、舟を覆して人を殺す。十二年六月、婺州及び富陽県皆水害あり、民家を浸し、田畑の作物を害す。八月戊寅、安吉県に暴水棗園村より発し、家屋・寺観を漂流させ、田畑の作物殆ど尽く壊し、溺死者千余人、郡守劉藻これを上聞せず、罷免の罪に坐す。是の歳、鄂州夏より冬に至るまで、水民家を浸す。九月、台州に水害あり。十四年三月辛未、汀州に水害あり、百余家・軍営六十余区を漂流せしむ。十五年五月、淮甸に大雨水あり、淮水溢れ、廬州・濠州・楚州、無為・安豊・高郵・盱眙軍皆家屋・田畑の作物を漂流させ、廬州城は倒壊す。荊江溢れ、鄂州に大水あり、軍民を漂流せしむ。

塁舎三千余を浸す。江陵府、常徳府、徳安府、復州、岳州、澧州、漢陽軍に水害あり。戊午、祁門県にて群山の水暴かに匯りて大水となり、田禾・廬舎・塚墓・桑麻・人畜の什六七を漂没し、浮胔甚だ衆く、及び害浮梁県に及ぶ。六月、建寧府、隆興府、袁州、撫州、臨江軍に水害ありて民廬を壊す。七月、黄岩県に水害ありて田を敗り瀦す。番昜湖溢れて番昜県に及び、民舎・田稼を漂没し、流徙する者あり。十六年四月甲戌、紹興府新昌県に山水暴かに作し、稼を害し田を湮み、民廬を漂没す。五月丙辰、沅州・靖州の山水暴かに溢れて辰州に至り、常徳府城一丈五尺を没し、民廬舎を漂没す。汀州に大水あり、民廬千五百余家を浸し、溺死者三千人。分宜県に水害あり。丁巳、階州白江水溢れ、城市民廬を浸す。六月庚寅、鎮江府に大雨水五日あり、軍民塁舎三千余を浸す。辛卯、潼川府東南二江溢れ、堤を決し、橋を毀ち、民廬を浸し、涪城・中江・射洪・通泉・郪県に田廬を没す。

紹熙二年三月、寧化県に連水ありて廬舎・田畝を漂没し、溺死者二十余人。五月戊申、建寧州に水害あり。己酉、福州に水害あり、附郭の民廬を浸し、懐安・候官県にて千三百余家を漂没し、古田・閩清県もまた田廬を壊す。庚午、利州東江溢れ、堤・田・廬舎を壊す。辛未、潼川府東・南江溢る。六月戊寅、また溢れ、再び堤橋を壊し、水城に入り、廬舎七百四十余家を没し、郪・涪・射洪・通泉県にて田を匯めて江と為す者千余畝。七月癸亥、嘉陵江暴かに溢れ、興州にて城門・郡獄・官舍凡そ十七所を壊し、民居三千四百九十余を漂没し、潼川崇慶府、綿州、果州、合州、金州、龍州、漢州、懐安軍、石泉軍、大安軍魚関皆水害あり。時に上流西蕃界古松州にて江水暴かに溢れ、龍州にて橋閣五百余区を壊し、江油県に溺死者衆し。三年五月壬辰、常徳府に大雨水あり、民田廬を浸す。乙未、潼川府東・南江溢れ、後六日また溢れ、城外の民廬を浸し、人山に徙る。己亥、池州に大雨水連夕あり、青陽県に山水暴かに湧き、田廬を漂没し人を殺し、蓋蔵遺る無し。貴池県もまた水害あり。庚子、涇県に大雨水あり、堤を敗り、県治・廬舎を壊す。六月辛丑、建平県に水害あり、堤を敗りて城に入り、民廬を漂浸す。甲戌、祁門県に水害あり。七月壬申、天臺・仙居県に大水連夕あり、民居五百六十余を漂浸し、田を壊し稼を傷つく。襄陽・江陵府に大雨水あり、漢江溢れ、堤防を敗り、民廬を壊し田稼を没する者旬を逾え、復州・荊門軍の水害もまた之の如し。鎮江府三県に水害あり、下地の稼を損ず。四年四月、上高県に水害あり、二百余家を浸す。五月壬申・癸酉、奉新県に大雷雨・水害あり、八百二十余家を漂浸す。五月辛未・丙子、鎮江府に大雨水あり、営塁六千余区を浸す。戊寅、安豊軍に大水あり、平地三丈余、田廬を漂没し、絲麦皆空し。是の月、諸曁・蕭山・宣城・寧国県に大水あり、田稼を壊す。広徳軍属県に水害ありて稼を害す。筠州に水害ありて民廬を浸す。戊寅、進賢県に水害あり、百二十余家を壊す。六月丙申、興国軍に水害あり、池口鎮及び大冶県に民廬を漂没し、溺死者あり。戊戌、靖安県に水害あり、三百二十余家を漂没す。是の夏、江州、贛州、江陵府もまた水害あり。七月乙酉、豊城県に水害あり、壬午、臨江軍に水害あり、皆民廬を壊す。丁亥、新淦県に二千三百余家を漂浸す。八月辛丑、隆興府に水害あり、千二百七十余家を壊す。吉州に水害あり、民廬及び泰和県官舎を漂浸す。夏より秋に至るまで、江西九州三十七県皆水害あり。是歳、興化軍に大風海濤を激し、田廬を漂没すること尤だ多し。五年五月辛未、石埭・貴池・涇県皆水害あり、民廬を壊し、溺死者衆し。是の月、泰州に大水あり。七月壬申、慈渓県に水害あり、民廬を漂没し、田を決して稼を害し、人多く溺死す。乙亥、会稽・山陰・蕭山・余姚・上虞県に大風海濤を駕し、堤を壊し、田稼を傷つく。八月辛丑、銭塘・臨安・新城・富陽・於潜県に大雨水あり、余杭県は尤だ甚だしく、田廬を漂没し、死者算無し。安吉県に水害あり、平地丈余。平江・鎮江・寧国府、明州、台州、温州、厳州、常州、江陰軍皆水害あり。是の秋、武陵県に江溢れ、田廬を壊すこと甚だ衆し。

慶元元年六月壬申、台州及び属県に大風雨あり、山洪・海濤並びに作し、田廬を漂没すること算無く、死者川を蔽い、漂沈すること旬日に及ぶ。七月甲寅に至り、黄岩県の水害は尤だ甚だし。常平使者莫漳は振恤に緩やかなりしを以て、免ぜらる。七月、臨安府に水害あり。二年秋、浙東郡国に大水あり。三年九月、紹興府属県二、婺州属県二に水害ありて稼を害す。五年秋、台州、温州、衢州、婺州に水害あり、民廬を漂没し、人多く溺死す。衢州守張経は災を匿し振恤を吝しむを以て黜せらる。六年五月、建寧府、厳州、衢州、婺州、饒州、信州、徽州、南剣州及び江西郡県皆大水あり、庚午より甲戌に至るまで、民廬を漂没し、稼を害す。

嘉泰二年七月丙午、上杭県に水害あり、田廬を壊し、稼を壊し、民多く溺死す。建安県に軍民廬舎百二十余を漂没し、山摧けて、民廬七十七家を覆し、溺圧死者六十余。丁未、長渓県に民廬二百八十余家を漂没す。古田県に官舎・民廬を漂没すること甚だ衆く、溺死者二百七十。剣浦県に二百五十余家を壊し、死者もまた衆し。三年四月、江南郡邑に水害ありて稼を害す。

開禧元年九月丙戌、漢水・淮水溢れ、荊襄・淮東郡国に水害あり、楚州・盱眙軍は尤だ甚だしく、民廬を壊し、稼を害す。二年五月庚寅、東陽県に大水あり、山千七百三十余所同夕に崩洪し、聚落五百四十余所を漂没し、田二万余畝を湮み、溺死者甚だ衆し。三年、江・浙・淮郡邑に水害あり、鄂州・漢陽軍は尤だ甚だし。

嘉定二年(1209年)五月己亥、連州に大水あり、城郭百余丈を破壊し、官舎・郡庠・民家を没し、田畝・集落を損壊すること甚だ多し。六月辛酉、西和州に水害あり、長道県の役所・倉庫を没す。丙子、昭化県に水害あり、県役所を没し、民家を流す。成州に水害あり、城に入り、兵舎を倒す。同谷県及び遂寧府・閬州皆水害あり。七月壬辰、台州に大風雨あり海濤を激し、二千二百八十余家を流し倒し、溺死者特に衆し。三年四月甲子、新城県に大水あり。五月、厳州・衢州・婺州・徽州・富陽・余杭・塩官・新城・諸曁・淳安に大雨水あり、溺死者衆く、田畝・家屋・市街を倒し、初めに植えた種子は皆腐る。行都(臨安)に大水あり、家屋五千三百を浸し、城外にある禁軍の兵舎の半分は没し、西湖は溢れる。四年七月辛酉、慈渓県に大水あり、田畝・家屋を倒し、人多く溺れる者あり。八月、山陰県に海が堤防を破り、民田数十里を流し、塩鹹地十萬畝となる。五年五月庚戌、厳州に水害あり。六月丁丑、台州及び建徳・諸曁・会稽県に水害あり、田畝・家屋を損壊す。六年六月丁丑、淳安県に山が湧き暴水あり、清泉寺を陥没させ、五郷の田畝・家屋百八十里を流し、溺死者数え切れず、巨木も皆抜ける。丁亥、于潜県に大水あり。戊子、諸曁県に風雷大雨あり、山が湧き暴水起こり、十郷の田畝・家屋を流し、溺死者特に多し。銭塘県・臨安・余杭・于潜・安吉県皆水害あり。九年五月、行都及び紹興府・厳州・衢州・婺州・台州・処州・信州・饒州・福州・漳州・泉州・興化軍に大水あり、田畝・家屋を流し、農作物を害す。十年冬、浙江の潮が溢れ、家屋を倒し、舟を覆し、溺死者甚だ衆し。蜀州・漢州の二州の江が城郭を没す。十一年六月戊申、武康・吉安県に大水あり、官舎・民家を流し、田畝・農作物を損壊し、人畜の死者甚だ衆し。十二年、塩官県の海が旧道を失い、潮汐が平野三十余里を沖し、ここに至って県役所を侵し、廬州港瀆及び上下管・黄湾岡等の塩場は皆倒壊す。蜀山海中に陥没し、集落・田地その半ばを失い、四郡の田を損壊す。後六年にして始めて平らぐ。十四年、建康府に大水あり。十五年七月、蕭山県に大水あり。時に長雨続き、衢州・婺州・徽州・厳州の暴流と江濤が合し、田畝・家屋を倒し、農作物を害す。十六年五月、江・浙・淮・荊・蜀の郡県に水害あり、平江府・湖州・常州・秀州・池州・鄂州・楚州・太平州・広徳軍が甚だしく、民家を流し、農作物を害し、城郭・堤防を倒し、溺死者衆し。鄂州に江湖合流して漲り、城市沈没し、数ヶ月泄れず。この秋、江が溢れ、民家を倒す。余杭・銭塘・仁和県に大水あり。福州・漳州・泉州・興化軍に水害あり農作物の十の五・六を損壊す。十七年五月、福建に大水あり、水口鎮の民家を流し皆尽き、候官県甘蔗砦は数百家を流し、人多く溺死す。建寧府は平政橋を没し、城に入る。南剣州は郡役所・城楼・郡獄・官舎を倒し、城は損壊し、民水を避けて楼上にいた者は皆死す。乙卯、建昌軍に大水あり、城は三板(六尺)以上没さざる所なく、民家を流し、官舎・城郭・橋梁を倒し、農作物を害す。

紹定二年(1229年)、天台・仙居県に大水あり。四年、沿江に水災あり。

端平三年(1236年)三月辛酉、蘄州に大雨水あり、民家を流す。この年、英徳府・昭州及び襄州・漢江皆大水あり。

嘉熙元年(1237年)、饒州・信州に水害あり。二年、浙江溢る。

淳祐二年(1242年)、紹興府・処州・婺州に水害あり。七年、福建に水害あり。十年、厳州に水害あり。十一年八月甲辰、汀州に山水暴かに至り、人民を流す。九月、江陵に水害あり。この年、江・浙に水害多く、饒州も水害あり。十二年六月、建寧府・厳州・衢州・婺州・信州・台州・処州・南剣州・邵武軍に大水あり、城郭を冒し、家屋を流し、死者万を以て数う。

宝祐元年(1253年)七月、温州・台州・処州・信州・饒州に大水あり。

開慶元年(1259年)五月己未、婺州に水害あり、民家を流す。この歳、滁州・厳州に水害あり。

景定二年(1261年)、浙東に水害あり。

咸淳六年(1270年)五月、大雨水あり。七年五月甲申、諸曁県に大水あり、家屋を流す。この月、重慶府の江水三たび泛溢し、城壁を流し、楼櫓を損壊す。十年三月、廬州に水害あり。四月、紹興府に大雨水あり。八月、臨安府に水害あり、安吉・武康県に水害あり。

太平興国四年(979年)八月、滑州黎陽県に黄河清む。

端拱元年(988年)二月、澶州・濮州の二州に黄河二百余里清む。

大中祥符三年(1010年)十一月丁酉、陝西の黄河清む。十二月乙巳、河再び清み、汾水の合流する処に当たり汾水の如く清し。

元豊四年(1081年)十月、環州の河水甘くなる。

大観元年(1107年)八月、乾寧軍に黄河清む。二年十二月、陝州に黄河清み、同州韓城県・郃陽県に至り清くして百里に及び、春を経ても変わらず。ここより政和・宣和に至るまで、諸路数たび河清を奏し、輒ち郎官を遣わして祭りを致し、宰臣等百官を率いて表を奉り賀し、歳を以て常と為す。

大中祥符元年(1008年)二月、醴泉蔡州汝陽鳳原郷に出ず、疾ある者これを飲み皆癒ゆ。八年十一月、通州軍言う、醴泉汶山の下に出ず、疾ある者これを飲み皆癒ゆと。

熙寧元年五月、京師開化坊に醴泉湧く。

政和五年正月、河陽の臺観に醴泉湧く。