理宗二
二月甲子朔、日は虧くべしと當るも虧かず。癸酉、歳星氐を守る。壬午、太白・填星胃において合す。
三月乙未、詔して太學生陳均に『宋長編綱目』を編纂せしめ、進士陳文蔚に『尚書解』を著わさしめ、並びに迪功郎に補す。丁酉、楊谷・楊石並びに太師に昇る、尋いで辞免す。乙巳、曾從龍同知樞密院事を兼ね、真德秀参知政事と為り、給事中・侍読を兼ねる陳卓同簽書樞密院事と為る。
夏四月甲子、詔す「前四川制置鄭損、城池を失守し、且つ陝西五路の府庫の財巨萬を盗む、官二秩を削り、温州に謫居し、その家を簿録すべし」。丁卯、都城火災あり。丁亥、太白昼に見ゆ。戊子、大閲を行ふ。流星あり太白の如く大なり。
五月乙未、雹ふる。軍民交哄す、御前諸軍都統制趙勝三秩を削り罷免し、韓昱をして代わらしむ。丙申、大雨・雹あり。甲辰、真德秀薨ず、銀青光禄大夫を贈り、諡して文忠と曰ふ。庚戌、喬行簡をもって参知政事を兼ねしむ。
六月壬申、太陰氐に入る。戊寅、鄭清之をもって特進・左丞相兼枢密使と為し、喬行簡を金紫光禄大夫・右丞相兼枢密使と為す。己卯、葛洪資政殿大学士と為し、祠禄を予ふ。庚辰、流星昼に隕つ。雨を祈る。壬午、曾從龍をもって知枢密院事兼参知政事と為し、崔與之を参知政事と為し、鄭性之を同知枢密院事と為し、陳卓を簽書枢密院事と為す。進士呉叔告以下四百五十四人に及第・出身を賜ふ差等あり。己丑、熒惑太微垣に入る。庚寅、詔して鄭損に更に両秩を削り、南剣州に竄す。
秋七月丁酉、流星あり太白の如く大なり。戊戌、太白天を経る。辛丑、流星昼に隕つ。丙午、太白東井に入る。庚申、礼部尚書魏了翁十事を上る、報いず。
閏七月戊寅、詔して開禧蜀難に死事したる臣を録し、大安知軍楊震仲の孫忠孫を下州文学に補す。利州路常平幹官劉當可の母王氏、義にて曦に降らず、江に投じて死す、和義郡夫人を追贈し、當可に官を昇格させ差除を与ふ。乙酉、少師・特進・銀青光禄大夫趙方に諡して忠肅を賜ふ。丙戌、故保寧軍節度使・魯國公安丙に諡して忠定と曰ふ。丁亥、全子才・劉子澄唐州の役に坐し兵を棄てて宵遁す、子才二秩を削り衡州に謫居し、子澄二秩を削り瑞州に謫居す。
八月癸巳、歳星氐に入る。乙卯、太師趙汝愚をもって寧宗廟庭に配享し、仍いで昭勳崇德の閣に圖像す。丁巳、太白太微垣右執法を犯す。
九月癸未、崇國公主薨ず。
冬十月辛卯、流星あり太白の如く大なり。己未、填星畢を犯し、歳星・太白心において合す。
十一月乙丑、曾従龍を枢密使・督視江淮軍馬とし、魏了翁を同簽書枢密院事・督視京湖軍馬とし、鄭性之を兼権参知政事とする。戊辰、詔して両督府に各々金千両・銀五万両・度牒千・緡銭五百万を給し、随軍の資とす。台臣李鳴復、曾従龍・魏了翁の督府事を論ず、允さず。戊子、安南国方物を貢す。
十二月庚寅、曾従龍六度上疏して枢密使の命を止め、旧に依り知枢密院事・督視江淮軍馬たらんことを乞う。詔して枢密使を辞するを許す。魏了翁を以て兼督視江淮軍馬とす。癸巳、四川制置司、将を遣わし叛軍の首賊蒲世興を万州にて斬る。己亥、填星天街星を守る。庚子、詔して官告院に修武郎以下の告身を制せしめ督視府に給す。太陰井に入る。壬寅、魏了翁陛辞し、詔して機速に幹る事は便宜に行うを許す。呉潜を枢密都承旨・督府参謀官とし、趙善瀚・馬光祖を督府参議官とす。甲辰、曾従龍薨じ、少師を贈る。餘嶸を同簽書枢密院事とす。庚戌、故参知政事李壁に文懿の諡を贈る。辛亥、雷す。
二月甲午、詔して大元の兵江陵を攻むるに、統制李復明奮勇して戦没す、其れ三秩を贈り、仍て其の二子を官す。死傷の士卒は、趣に姓名を具して上らしむ。壬寅、詔して侍従・台諫・給舎に辺防の事宜を条具せしむ。甲辰、起居郎呉泳上疏して淮・蜀・京・襄の捍禦十事を論ず、報いず。詔して魏了翁を旧に依り端明殿学士・簽書枢密院事とし、其れ速やかに闕に赴かしむ。詔して史嵩之を淮西制置使兼副使とす。辛亥、日暈周匝す。甲寅、左曹郎官趙以夫、備辺十策を上る。
三月乙亥、呉潜闕に赴く。是の月、襄陽北軍の主将王旻・李伯淵城郭倉庫を焚き、相継いで北に降る。時に城中の官民兵四万七千有奇、其の財粟三十万・軍器二十四庫皆亡び、金銀塩鈔は与せず。南軍の主将李虎、火に乗じて掠奪を恣にし、襄陽空し。制置使趙範、撫禦を失い、南北軍の交争して乱を造るを致したるに坐し、詔して官を三秩削り、龍図閣学士を落とし、姑く仍て制置の職任に在らしむ。階・岷・疊・宕の十八族降る。諜者ありて檄を以て曹友聞の軍を招き降らんとす、友聞之を斬りて以て聞す。
夏四月丙申、太陰太微垣に入る。己酉、魏了翁田里に帰らんことを乞う、詔して允さず、資政殿学士を以て潭州を知らしむ。癸丑、詔して辺を開きたるを悔い、己を責め、京湖・興・沔州の軍県鎮に在りて囚を係うる者情理軽き者は之を釈す。
五月戊寅、提挙万寿観洪咨夔を旧に依り兼侍読とす。己卯、流星心より出で、太白の如く大なり。辛巳、太陰畢に入る。甲申、趙葵を華文閣直学士・淮東安撫制置使兼知揚州とす。
六月丁亥、流星夕に隕つ。己亥、洪咨夔卒す、詔して執政の恩例を与え、二秩を贈り、忠文と諡す。癸卯、熒惑・填星畢に合す。丙午、熒惑填星を犯す。庚戌、大雨・雹。
秋七月丁巳、晴を祈る。詔して権徐州国安用、力戦して役に歿す、已に順昌軍節度使を贈る、仍て其の子国興を承節郎に官す。庚申、趙範の襄城を失いしを以て、罪重く罰軽し、詔して職を罷め祠を奉ぜしむ。辛酉、太陰氐に入る。丁卯、鄭性之を参知政事とし、李鳴復を簽書枢密院事とす。戊辰、監察御史杜范・呉昌裔、言事報いざるを以て、上疏して官を罷めんことを乞う、詔して范を改めて太常少卿に授け、昌裔を太常卿に授く。庚午、熒惑井に入る。戊寅、太陰東井に入る。甲申、血を雨ふる。
八月丙戌、詔して趙範を更に両秩を削り建寧府に謫居せしめ、李虎を三秩を削り刺史を落とし、御器械を罷め、各々任責して捍禦し自ら効わしむ。癸卯、詔して前龍図閣学士・光禄大夫・贈開府儀同三司傅伯成に忠簡の諡を贈る。
九月庚申、太白・歳星尾に合す。庚午、雷す。辛未、明堂を祀り、大赦す。雷雨。乙亥、左丞相兼枢密使鄭清之を罷めて観文殿大学士・醴泉観使兼侍読とし、右丞相兼枢密使喬行簡を罷めて観文殿大学士・醴泉観使兼侍読とす。崔與之を以て右丞相兼枢密使とす。壬午、驍衛大将軍・利州駐紮御前諸軍統制曹友聞、大元の兵と大安軍陽平関に於いて大戦し、兵敗れ、之に死す。詔して龍図閣学士・大中大夫を贈り、毅節と諡し、廟を立てて褒忠と曰い、其の二子を承務郎に官す。
冬十月乙酉、詔す:「殿前司の将胡斌、曩に邵武の寇に死す、武節大夫を贈り、有司其の為に後を立て官を授け、旧廟に因り額を賜う。宗室の師礻賈、尤溪の戦に死す、武節郎を贈り、其の一子を進義校尉に官し、廟を林嶺に立つ。」甲午、詔す:「沿江制置使陳韡は淮東に応援し、淮西制置使兼沿江制置副使史嵩之は江陵・峽州江面上流に応援す。」壬寅、大元の兵固始県を破り、淮西の将呂文信・杜林、潰兵数万を率いて叛き、六安・霍丘皆群盗に拠らる。丙午、安南国方物を貢す、詔して金紫光禄大夫・静海軍節度・観察等使を授け、襲衣・金銀帯を賜う。大元太子闊端の兵成都を離れ、大元の兵文州を破り、守臣劉鋭・通判趙汝曏之に死す。
十一月戊午、詔して嗣秀王師弥に少師を授く。丙寅、喬行簡を特進・左丞相兼枢密使とし、粛国公に封ず。大元の兵光州を囲む、詔して史嵩之は光を援け、趙葵は合肥を援け、陳韡は和州を遏ち、淮西の声援と為す。戊辰、魏了翁を旧に依り資政殿学士・知紹興府・浙東安撫使とし、呉潜・袁甫・徐清叟を闕に赴かしむ。壬申、詔して侍従・両省・台諫・卿監・宰掾・枢属・郎官・鈐轄に、各々防辺の方略を陳べしむ。甲戌、太陰太微垣に入る。戊寅、成都府を復す。
二月癸未朔、鄭性之を以て知樞密院事兼参知政事と為し、鄒應龍を端明殿学士・簽書樞密院事と為し、李宗勉を同簽書樞密院事と為す。李鳴復罷免せられ、資政殿学士を以て紹興府知事と為す。乙酉、葛洪薨ず。壬寅、雹降る。丙申、詔して忠義選鋒の張順・屈伸等、舟師を以て公安県の巴芒に戦いて功有り、各官一転を授け、其の余は推恩差等有り。癸卯、詔して朱熹の『通鑒綱目』を以て国子監に下し、併せて経筵に進む。己酉、太白昼に見え、日暈周匝す。
三月癸亥、日に背気生ず。己巳、詔して陣韡・史嵩之・趙葵に各官二転を授く。乙亥、魏了翁薨ず。少師を贈り、諡して文靖を賜う。孟珙を忠州団練使・江陵府知事・京西湖北安撫副使と為し、別之傑を宝章閣待制・太平州知事と為す。
夏四月壬午朔、李𡌴を以て同知樞密院事・四川宣撫使・成都府知事と為す。壬辰、弟貴謙に保康軍節度使を授け、仍て朝請を奉じ、進めて天水郡開国侯に封じ、食邑を加う。与芮に武康軍節度使・万寿観提挙を授け、仍て朝請を奉じ、進めて開国子に封ず。丙申、詔す「両淮策応軍宣化に戦い、両軍殺傷相応じ、陣没の将校李仙・王海・李雄・廖雷は各武翼大夫を贈り、其の余は贈官差等有り」。庚子、熒惑権星を犯す。丙午、詔す「沔州諸鎮の将帥、先に大元兵境に圧するに及び、皆官を棄て遁走す。夔路鈐轄・恩州知事田興隆は、独り大安德勝堡より潼川に至り、逆に数合戦い、兵寡にして敵せざるも、忠節尚ぶべし。特に関一転を授く」。
五月丙辰、袁韶薨ず。太陰熒惑を犯す。壬申、京城大火有り。丙子、熒惑将星を犯す。
六月壬辰、詔して蘄州都統制万文勝・知州徐㮚の城守の功を賞し、行間に在る将士は、功に論じて官を補し差等有り。癸巳、鄒應龍を資政殿学士・慶元府知事・沿海制置使と為す。乙未、太白・填星井に合す。甲辰、雨を祈る。丙午、呉潜を工部侍郎・慶元府知事兼沿海制置使と為す。黄州知事兼淮西安撫使・本路提刑李寿朋は、一たび命を受けて三月、直ちに便途にて官に赴かず、遂に私舎に還る。詔して三秩を削り、建昌軍に送り居住せしむ。詔して内小学を建て、宗子十歳以下資質美なる者二三人を択び、師を置きて之を教う。
秋七月壬子、湖北提挙董槐朝辞し、楮幣物価重軽の弊を奏す。己未、枢密院言す「大元兵光州・信陽より合肥に抵る。制司参議官李曾伯・廬州守臣趙勝・都統王福戦守し、倶に労効有り」。詔して曾伯等十一人に各官一転を授く。辛酉、太陰歳星を犯す。填星井に入る。庚午、歳星建星を守る。壬申、日に背気生ず。癸酉、太陰井に入る。
八月甲申、太師・秦国公汝愚を追封して福王と為す。乙酉、填星井を犯す。癸巳、李鳴復を参知政事と為し、李宗勉を簽書樞密院事と為す。甲辰、詔す「蜀の鶏冠隘都統王宣戦没し、其の総管呉桂は守る所を棄て走り、又部伍をして剽劫せしむ。三官を削りて停職に勒す」。
九月壬子、填星井に留まる。癸丑、流星有り七公西星より出で、濁に至りて没す。丁巳、雷鳴る。
冬十月戊戌、流星有り桃の如く大なり。
十一月戊辰、詔して陳韡・史嵩之・趙葵に沿江・淮・漢の州軍に於て、舟師戦具を備え、沖要の堡隘を防遏せしむ。辛未、太史言す十二月朔日食将に既ならんとし、日と金・木・水・火の四星倶に斗に纏ると。詔して膳を損じ朝を避け、庶くは消弭を図り、其れ有司に令して故実を検会し以て聞かしむ。
十二月戊寅朔、日食有り。
二月甲申、大理少卿朱揚祖を押伴使に充て、章服・金魚を借りしむ。庚寅、詔して吏嵩之を以て参知政事と為し京西荊湖南北路・江西軍馬を督視せしめ、司を鄂州に置く。癸巳、大宗正丞賈似道奏言す「北使将に至らんとす、地界・名称・歳例、宜しく成説有るべし」と。又奏す「裕財の道は、贓吏を去るより急なるは莫し、藝祖贓吏を治むるに、朝堂に杖殺し、孝宗真決して面を刺す、今日之を行えば、則ち財自ずから裕かなるべし」と。戊戌、詔す「近く李𡌴の奏を覧るに、蜀漸次に収復するを知る、然れども創残の余、綏撫を急務と為す、宜しく蕩宥の沢を施すべし。淮西兵を被るも、恩沢亦之の如し。其れ徳音を降し、朕の軫恤の意を諭せよ」と。大元再び王楫を遣わし来る。辛丑、楫還る、朱揚祖を以て送伴使に充つ。癸卯、孟珙を以て京湖安撫制置副使と為し、司を松滋県に置く。
三月己丑、将作監周次説を命じて大元通好使と為す。壬子、李心伝を以て秘書少監・史館修撰と為し、高宗・孝宗・光宗・寧宗四朝の国史実録を修せしむ。癸丑、高定子を以て中書舎人・京湖江西督視参賛軍事と為す。庚申、詔して史嵩之に光・蘄・黄・夔・施州の軍馬を兼ねて督視せしむ。戊辰、行在の会子二百万並びに湖広九百万を発し、都督参政行府に下して師を犒う。乙亥、詔す四川兵を被る州・軍・府・県・鎮並びに転輸労役の所、禁囚の情理軽き者を見て之を釈せよと。詔す四川帥臣流民を招集し復業せしめ、種と牛を与え、優に振贍を与えよと。
夏四月癸未、李𡌴を以て同簽書枢密院事と為し、江淮・京湖の軍馬を督視せしむ。己酉、土雨ふる。太陰太微垣に入る。
閏月丁未、太陰井に入る。甲子、流星有り太白の如く大なり。壬申、礼部進士周坦以下四百二十二人に及第・出身を賜うこと差有り。
五月辛巳、太白昼に見ゆ。癸未、李鳴復を以て知枢密院事と為し、李宗勉を参知政事と為し、余天錫を簽書枢密院事と為す。甲申、喬行簡請う「兵事を李鳴復に委ね、財用を李宗勉に委ね、楮幣を余天錫に委ね、会議に当たる者は、臣則ち参酌して之を行わん」と。詔して其の請を允す。詔す厳州布衣の錢時・成忠郎の呉如愚、隠居して書を著すを以て、並びに選びて秘閣校勘と為す。丙戌、詔す崔與之に洞霄宮を提挙せしめ、便に住居を任せ、李鳴復復た参知政事と為す。壬寅、歳星壁壘陣を犯す。
六月甲辰朔、流星昼に隕つ。戊申、呉淵太平州を知り、採石の江防を措置す。呉潜を以て淮東総領財賦・知鎮江府と為す。丙寅、李𡌴薨ず、特ち資政殿大学士を贈る。
秋七月壬午、霖雨止まず、烈風大いに作るを以て、詔して殿を避け、膳を減じ、楽を徹し、中外の臣に闕失を極言せしむ。辛卯、流星有り太白の如く大なり。壬寅、熒惑鬼を犯し、積屍気に及ぶ。
八月辛酉、太白昼に見え、天を経る。癸亥、流星昼に隕つ。
九月壬午、熒惑権星を犯す。子の維生まる。甲申、宮人謝氏を封じて永寧郡夫人と為す。乙未、流星有り太白の如く大なり。
冬十月庚戌、雷鳴る。丁卯、呉潜言う「宗子の趙時𣆳、真・滁・豊・濠の四郡の流民十余万を集め、十七砦を団結す。其の強壮なる二万は兵として籍すべく、近く五百を調発して合肥を援けしむ、宜しく時𣆳に官を補すべし。又沙上の蘆場田は二十余万畝を得べく、之を売りて以て流民を贍い、以て砦兵を佐くべし」と。之に従う。熒惑太微垣に入る。戊辰、太白氐に入る。己巳、日に黒子生ず。辛未、光州を復す。
十一月甲申、子の維薨ず、追封して祁王と為し、諡して沖昭と曰う。
二月丙午、詔して史嵩之に旧に依り江西・湖南の軍馬を兼ねて都督せしむ。丁卯、又た嵩之に命じて江淮・京湖・四川の軍馬を都督せしむ。己巳、趙邦永を竄す、滁を救いて兵を進めざるに坐す。
三月辛未朔、呉潜を敷文閣直学士・沿海制置使兼慶元府知事に任ず。甲戌、別之傑を権兵部尚書とし、従前の如く沿江制置安撫使兼都督行府参賛軍事を兼ねさせ、李曾伯を都督行府参議官を兼ねさせ、孟珙を都督行府参謀官を兼ねさせしむ。流星昼に隕る。辛卯、土雨ふる。
夏四月壬寅、雨を祈る。癸卯、呉淵を権工部尚書・沿江制置副使・江州知事に任ず。
五月辛未、熒惑(火星)太微垣の執法星を犯す。戊寅、呉潜を兵部尚書・浙西制置使・鎮江府知事に任ず。辛卯、喬行簡五度上疏して機政を罷めんことを乞う、詔して允さず。
秋七月庚午、董槐を江州知事兼都督行府参議官に任ず。甲申、呉淵に都督行府参賛軍事を兼ねさせしむ。
八月戊戌朔、浙江の潮害により、天地・宗廟・社稷に告ぐ。遊似を参知政事とし、許応龍を簽書枢密院事とし、林略を同簽書枢密院事とす。己亥、熒惑氐宿に入る。辛丑、太陰(月)氐宿に入る。流星あり太白星の如く大なり。丁亥、熒惑房宿を犯す。
九月辛巳、明堂に祀り、大赦を行ふ。壬午、淮西敢勇将官陸旺・李威に特に官三転を賜ひ、同じく出戦せし二百人に官二転を賜ひ、以て廬州磨店北の功を賞す、其の陣没せし者には優に撫恤を与ふ。
冬十月丁未、故太師魯王謝深甫に諡して恵正を賜ふ。己未、祠牒百を出して処州を救済す。秉義郎李良鄂州長寿県を守り、戦陣に没す、詔して官三転を贈る。癸亥、熒惑・太白斗宿に合す。乙丑、虹見ゆ。
十一月丙子、范鐘を簽書枢密院事に任ず。
十二月己未、観文殿大学士崔與之薨ず、少師を贈り、諡して清献とす。辛酉、太白昼に見ゆ。甲子、夔州を復す、荊鄂都統張順・孟璋等の将士の戦功を録す。
嘉熙四年
二月丙申朔、日に背気生ず。戊戌、大赦を行ふ。辛丑、流星昼に隕る。白虹日を貫く。丁未、太白昼に見ゆ。癸丑、孟珙を四川宣撫使兼夔州知事とし、帰・峡・鼎・澧州の軍馬を節制せしむ。丙辰、白気天に亙る。
三月辛未、詔して四川安撫制置副使彭大雅の官三秩を削る。彗星消伏す。乙酉、流星昼に隕る。
夏四月壬寅、前潼川運判呉申進み対し、蜀の事を論ずるに因り、上に言ふ、「鄭損は辺郡を棄てて守らず、桂如淵は潰卒を啓きて乱を為し、趙彦呐は忠勇を忌みて救はず、彭大雅は険譎変詐にして、殊に関防を費やす。宜しく孟珙を夔門に進むべし。夔の事力固より乏し、東南能く之を助くれば、則ち夔は自立するに足れり」と。又言ふ、「張祥は趙彦呐・楊恢両制置を保全せし功あり、敵人は其の果毅を憚る、宜しく録用を見るべし」と。上嘉納す。乙巳、詔して史嵩之の官三秩を進め、前の如く右丞相兼枢密使とし、即日都督局を徹す。
五月庚午、太陰太微垣に入る、歳星(木星)・太白婁宿に合す。甲戌、太陰氐宿に入る。乙亥、子寿国公薨ず。戊子、呉潜に侍読を兼ねさせ、李性伝に侍講を兼ねさせしむ。
六月甲午朔(一日)、江・浙・福建で大旱魃があり、蝗害が発生した。乙未(二日)、雨乞いを行った。己亥(六日)、太白星が畢宿を犯した。辛丑(八日)、閬州簽廳の陳承己の妻彭氏を追封して恭人とし、閬州に廟を賜った。強賊が奉國縣の市に侵入し、承己は賊に傷つけられ、彭氏は賊を罵って殺されたためである。辛亥(十八日)、儒林郎王鞏を追贈して通直郎とし、その一子を文学に任官した。丙申の年に蜀が破られ、鞏は一家全員が兵乱で死んだためである。癸丑(二十日)、太白星が天関星を犯した。戊午(二十五日)、流星が太白星のように大きかった。
秋七月乙丑(三日)、詔を下した。「今夏六月に日照りが続き、飛蝗が災いとなった。朕の徳が修まらず、民の苦しみが特に甚だしい。内外の臣僚は直言して欠失を隠さぬように。」また、有司に命じて災害を救済し、刑罰を憐れむよう詔した。太白星が井宿に入った。甲戌(十二日)、太白星と熒惑星が井宿で合した。己丑(二十七日)、熒惑星と太白星が鬼宿で合した。
八月己酉(十七日)、熒惑星と填星が柳宿で合し、太白星が権星の大星を犯した。癸丑(二十一日)、熒惑星が填星を犯した。
九月乙丑(四日)、詔して餘玠の官位を三階進め、直華文閣・淮東提刑・招信軍屯戍軍馬を節制させた。玠が先に舟師を率いて淮河を渡り黄河に入って汴に至り、向かうところ功があり、全軍を率いて帰還したからである。ここに至り、功を論じて賞を定め、この役の将士は、速やかに名を有司に上らせて恩典を推すことを議させた。
十一月甲子(四日)、熒惑星が太微垣に入った。己巳(九日)、熒惑星が太微垣の左執法星を犯した。癸酉(十三日)、詔して武功大夫・荊鄂都統制張順は私財をもって襄・漢の潰卒を招き、忠義・虎翼の両軍を創設し、また安慶・池州を救援して功があったので、特に官を二転させる。丙子(十六日)、與芮の妻錢氏を安康郡夫人に封じた。辛巳(二十一日)、熒惑星が太微上相垣を犯した。
十二月甲辰(十四日)、奉國軍節度使・提挙萬壽観の多謨が薨去した。丙辰(二十六日)、地震があった。己未(二十九日)、詔して直言を求めた。
閏十二月丙寅(六日)、李宗勉が薨去し、少師を追贈し、諡を文清と賜った。遊似を以て知樞密院事兼参知政事とし、范鐘を参知政事とし、徐榮叟を簽書樞密院事とした。庚午(十日)、詔して囚人のうち情理が軽い者は釈放した。乙亥(十五日)、詔して民間の賦輸は依然として銭と会子を半々とし、その会子の半分は十八界を直納とし、半分は十七界を紐納とする。戊寅(十八日)、呉潛を福建安撫使とし、史宅之を浙東安撫使とした。
二月戊寅(十九日)、日に暈が生じた。壬午(二十三日)、喬行簡が薨去し、諡を文恵とした。
夏四月丁丑(十九日)、詔して與芮を開府儀同三司・萬壽観使・嗣栄王とし、貴謙を開府儀同三司・嗣沂王とした。辛巳(二十三日)、賈似道を太府少卿・湖広総領財賦とした。
五月庚寅(三日)、少師・保寧軍節度使・判大宗正事・嗣秀王師彌を太子少保とし、奉國軍節度使充萬壽観使の師貢を少師とした。己亥(十二日)、詔して沿江淮西制置使別之傑に辺防の責任を負わせた。戊申(二十一日)、礼部進士徐儼夫以下三百六十七人に及第・出身を差等を以て賜った。
六月庚申(四日)、太白星が昼間に現れた。螟害があった。癸酉(十七日)、流星が太白星のように大きかった。己卯(二十三日)、流星が昼間に隕落した。丙戌(三十日)、熒惑星が氐宿に入った。
秋七月壬辰(六日)、雨乞いを行った。
八月辛巳の日、楊石薨去す。太師を追贈す。
冬十月庚辰の日、太白星、氐宿に入る。
十一月戊戌の日、太白星、昼間に見ゆ。己亥の日、淮東提刑餘玠、舟師を以て安豊の囲みを解く。己巳の日、太白星、天を経て、昼間に見ゆ。
十二月丁卯の日、餘天錫薨去す。太師を追贈し、諡して忠恵と賜う。丁丑の日、侍御史金淵言上す:彭大雅、貪黷残忍にして、蜀人怨みを銜む。罪重くして罰軽し。更に竄責を加うるを乞う。詔して名を除き、贛州に居住せしむ。
二月甲戌の日、遊似を以て紹興府知事・浙東安撫使と為す。祠祿を請う。詔して洞霄宮を提挙せしむ。范鐘、枢密院事を知り参知政事を兼ね、徐栄叟、参知政事と為り、趙葵、進士出身を賜わり同知枢密院事と為り、別之傑、枢密院事に簽書す。
三月戊子の日、詔す:和州・無為軍・安慶府は、並びに沿江制置司の節制を聴く。詔す:今後州県官に罪有らば、諸帥司、輒ち杖責を加うること毋かれ。
夏四月甲寅の日、白気天に亙る。壬申の日、雹を雨らす。
五月己亥の日、淮東制置副使餘玠、進み対す。戊申の日、台臣言上す:建寧府知事呉潜に三罪有り。詔して職を奪い、新任を罷む。己酉の日、趙葵を以て湖南安撫使・潭州知事と為す。
六月壬子朔、徐栄叟、田里に帰るを乞う。之に従う。丁巳の日、詔して餘玠を四川宣諭使と為す。事機速に幹るを以て、制臣と共に措置を議し、先に行い後に奏するを許す。仍て金字元・黄榜各十を給し、以て招撫に備う。丙寅の日、別之傑を以て同知枢密院事兼権参知政事と為し、高定子を枢密院事に簽書せしめ、杜範を同簽書枢密院事と為す。是の月、盛夏に積雨し、浙右大水す。丁丑の日、歳星、井宿を犯す。
秋七月辛巳朔、常・潤・建康大水す。両淮尤も甚だし。
八月丁卯の日、詔す:淮東先鋒馬軍鄧淳・李海等の揚州撻扒店の戦い、宣労多く、各官二転を賜い、余は推恩差有り。
九月庚辰朔、日食有り。己丑の日、雷す。辛卯の日、明堂を祀り、大赦す。癸巳の日、詔す:「淮東忠勇軍統領王温等二十四人、天長県東に戦い、衆寡敵せず、皆陣に没す。温に武翼大夫・吉州刺史を追贈し、其の子興国に保義郎を補し、更に其の一子に承信郎を官し、厚く其の家に賜う。余人の恤典差有り。」
冬十月甲寅の日、史嵩之、永国公に進封さる。乙丑の日、大元の兵大いに通州に入る。
十一月辛卯、詔して両淮節制の李曾伯に諭し、通州が兵に侵されたことを以て、その職を安んぜざるなからしめ、諸将を督励して後功を勉めしむ。己亥、日南至す、雷電交作す、詔して殿を避け膳を減じ、直言を求む。癸卯、詔して中外の繫囚を決す。
十二月己未、詔す、「通州守臣の杜霆、兵至りて城を棄て守らず、その私帑を載せて江を渡りて遁れ、遂に民をして屠戮せらるるに至る。既に三秩を奪うと雖も、その罰猶お軽し。その出身以来の文字を追毀し、南雄州に竄すべし」。壬戌、太白昼に見ゆ。癸亥、大元の兵連ねて叙州を攻む。帳前都統の楊大全等水陸並び進み、卯より午に至り、戦うこと十数合、行伍に於いて歿す。詔して武節大夫・眉州防禦使を贈り、その二子を承節郎に官す。丙寅、孟珙を以て検校少保と為し、旧に依り寧武軍節度使・京湖安撫制置大使・夔路策応大使とす。余玠を権資政殿学士・湖南安撫大使兼知潭州とし、趙葵を資政殿大学士・福建安撫使・知福州とす。
二月乙丑、呂文徳を以て福州観察使・侍衛馬軍副都指揮使と為し、両淮の出戦軍馬を総統し、辺陲を捍禦せしむ。庚午、郢州推官の黄従龍の死節を以て、詔して通直郎を贈り、一子を下州文学に補す。
三月丁丑朔、日食あり。
夏四月癸丑、左武衛中郎将・濠州措置捍禦の王烈、閣門宣贊・淮西路鈐の王傑、閣門祗候・江東路鈐の李季実、馬帥王鑑の軍前に往きて事を議し、大元の兵に遇い戦死す。官を贈り、仍お各その二子に官す。乙卯、嘉定守臣の程立之の固守を以て、詔して一転を官す。丙辰、安豊軍統領の陳友直、王家堈の戦功を以て、官二転を与う。壬申、布衣の王之与、進むる所著の『周礼訂議』を以て、下州文学に補す。
六月甲戌、流星あり、太白の如く大にして、氐より出づ。
秋七月丁亥、詔す、海州に屯駐する借補保義郎の申政、密州の役に先登して陣を陷り、後に戦歿す。特保義郎を贈り、その子を進勇副尉に官す。太白井に入る。壬辰、四川制司言う、大元の兵大安軍を破る。忠義副総管の楊世威、魚孔隘を堅守し、孤壘降らず、特立の操あり、辺防に責を任ずべし。詔して世威を以て大安軍を知らしむ。甲午、日に格気生ず。己亥、太白天を経て、昼に見ゆ。
八月乙卯、流星昼に隕る。癸亥、詔す、福州の延祥・荻蘆両砦並びに武済水軍を置き、本州の廂禁の水に習う者を摘して充て、千五百人を額とす。
閏月丁丑、四川総領の余玠言う、巴州知事の向佺・鈐轄の譚淵の白土坪等の戦い功あり。詔して佺等十八人各官三転、余は転官差あり。その中創ある人各緡銭百を与え、陣没の者は姓名を上するを趣せ、その家を贈恤す。太白権星を犯す。壬寅、太白・填星翼に合す。
九月壬申、詔して高郵の民の荒田を耕す租を蠲す。
冬十月丙戌、太白氐に入る。
十二月己丑、史嵩之五たび祠を請う、允さず。