宋史

本紀第四十  寧宗四

寧宗四

嘉定十年

十年春正月癸巳、土雨が降る。乙未、大風。庚子、銭撫を派遣して金主の生辰を賀す。

二月庚申、地震。

夏四月丁未朔、金人が光州中渡鎮を侵犯し、榷場官盛允升を捕らえて殺し、兵を分けて樊城を侵犯す。戊申、鄂州・江陵府副都統王守中、兵を率いてこれを防ぐ。金人は兵を分けて棗陽・光化軍を包囲す。丙辰、詔して江淮制置使李玨・京湖制置使趙方に措置調遣せしめ、なお便宜行事を聴す。丁巳、四川制置使董居誼に命じ、緩急を酌量して便宜行事せしむ。辛酉、廬州鈐轄王辛、光山県の安昌砦において金人を破り、その統軍完顔掩を殺す。壬戌、金兵遁去す。随州・光化、皆捷を以て聞こゆ。丁卯、詔して出戍の官兵に金を出し、その家に給す。

五月辛巳、久雨を以て、大理・三衙・臨安府の杖以下の囚を釈放し、茶塩の賞銭を蠲免す。甲申、礼部進士呉潜以下五百二十三人に及第・出身を賜う。癸卯、趙方、詔を下して金を伐つことを請い、遂に檄を伝えて中原の官吏軍民を招諭す。

六月庚戌、太白昼見す。戊午、詔して将士を励まし、京西の忠義人を募り進討せしむ。辛未、東川大水。癸酉、太白天を経る。

秋七月丙子朔、日食あり。戊寅、旱を以て、諸路の杖以下の囚を釈放す。甲申、雅州蛮辺境を寇し、碉門砦を焼く。兵を遣わしてこれを討つ。丁亥、嗣濮王不儔薨ず。庚子、詔して諸軍の将佐に罪ある者は屯駐州に送ってこれを鞫し、軍士の淫刑を罷む。

八月乙丑、詔して監司・郡守に各々威勇才略将帥たるべき者二人を挙げしむ。

冬十月乙巳朔、久雨を以て、大理・三衙・臨安府及び両浙諸州の杖以下の囚を釈放す。癸酉、三衙・江上諸軍の公私の逋負銭を蠲免す。

十一月丁丑、大風。庚辰、太白昼見す。甲申、詔して浙東提挙司に米十万石を発し、貧民を振給せしむ。戊戌、太白天を経る。

十二月戊申、軍興を以て、民に粟を納めさせ官を補わしむ。乙卯、詔して武挙人は再び文挙に応じざらしむ。癸亥、金の鳳翔副統軍完顔贇、歩騎一万人を以て四川を侵犯す。戊辰、湫池堡に迫る。己巳、天水軍を破り、守臣黄炎孫遁走す。金人白環堡を攻め、これを破る。庚午、黄牛堡に迫る。統制劉雄、大散関を棄てて遁走す。金人これを占拠す。

嘉定十一年

十一年春正月壬午、京東路の忠義李全が衆を率いて来帰す。詔して全を以て京東路総管と為す。戊子、金人、皂郊堡を囲む。壬辰、利州の将麻仲、忠義人を率いて秦州の永寧砦を焚く。乙未、僧牒千を以て四川の軍費に給す。丁酉、詔して四川の忠義人の功を立てたるは、賞は官軍に視よ。金人、隔芽関を犯す。興元都統李貴遁走し、官軍大いに潰ゆ。

二月甲辰、金人、大散関を焚きて去る。乙巳、沔州都統王大才、馬蹶ち、河池にて死す。丙午、金人、皂郊を破り、死者五万人。丁未、金人、湫池堡を破る。戊申、金人、随州・棗陽軍を囲み、遊騎漢上に至る。均州守臣応謙之、城を棄てて走る。丙辰、白虹日を貫く。楚州鈐轄梁昭祖、金人の糧舟を大清河にて焚く。京東忠義副都統沈鐸、兵を遣わしてこれを助く。

三月丁丑、金人、湫池堡を焚きて去る。戊子、利州統制王逸等、忠義人を率いて皂郊を復す。金副統軍完顔贇・包長寿遁走す。沔州軍士郭雄、追いて贇の首を斬る。長寿、僅かに身を以て免る。己丑、沔州都統劉昌祖、皂郊に至る。辛卯、忠義人十余万出でて秦州を攻む。官軍継いで進み、赤谷口に至る。王逸、昌祖の命を伝えて師を退かしめ、且つ忠義人を放散せしむ。軍大いに潰ゆ。癸巳、包長寿、長安ちょうあん・鳳翔の衆を合わせ、復た皂郊を攻め、遂に西和州に趨る。是の日、鎮江忠義統制彭惟誠等、泗州にて敗る。丙申、劉昌祖、西和州を焚きて遁走す。守臣楊克家、城を棄てて去る。戊戌、金人、西和州を破る。

夏四月甲辰、劉昌祖、成州を焚きて遁走す。守臣羅仲甲、城を棄てて去る。是の日、金人、西和州を去る。戊申、命じて四川に銭引五百万を増印して軍費に給せしむ。階州守臣侯頤、城を棄てて去る。是の日、金人、成州を去る。戊午、金人、復た大散関を犯す。守将王立遁走す。己未、金人、黄牛堡を犯す。興元都統呉政、拒みてこれを退く。癸亥、政、大散関に至り、王立を執りて斬る。

五月乙亥、命じて四川制置司に忠義人を招進せしむ。癸未、蚩尤旗見ゆ。其の長さ天に竟く。丁亥、詔して侍従・台諫・両省の官に平戎・禦戎・和戎の三策を集議せしむ。壬辰、試法官七等の制を申厳す。

六月辛酉、詔して湖州に被水貧民を振恤せしむ。

秋七月癸酉、知天水軍黄炎孫の三官を奪い、辰州に居住せしむ。乙酉、『孝宗宝訓』を修す。辛卯、四川関外諸州の税役を蠲免す。甲午、光州の民兵戦死の家の税役を蠲免す。

九月己卯、景霊宮に朝献す。庚辰、太廟に朝饗す。辛巳、明堂にて天地を合祭し、大赦す。辛卯、安定郡王伯渾薨ず。丙申、興元都統呉政・利州副都統張威、各々三官を進む。劉昌祖の五官を奪い、韶州に安置す。

冬十月丙午、羅仲甲・楊克家・侯頤、並びに三官を奪う。仲甲は常徳府、克家は道州、頤は撫州に居住せしむ。戊午、大風。壬戌、盱眙軍城を修す。

十一月壬申、金人、安豊軍の黄口灘を攻む。是の月、陝西の人張羽来帰す。

嘉定十二年

十二年春正月戊辰朔、董居誼を行在に召す。新たな利州路安撫使聶子述を以て四川制置使と為す。庚辰、金人、湫池堡を犯す。守将石宣、拒みてこれを退く。甲申、金人、白環堡を攻む。守将董炤、拒みてこれを退く。戊子、金人、成州を犯す。沔州都統張威、西和州より退きて仙人原を守る。庚寅、金人、随州・棗陽軍を犯し、又た信陽軍の二砦を破る。京西諸将、兵を引いてこれを拒ぐ。辛卯、金人、西和州を犯す。守臣趙彦呐、伏兵を設けてこれを待ち、其の衆を殲滅して乃ち還る。金人、安豊軍を犯す。建康都統許俊、将を遣わしてこれを退く。金人、成州を焚き、河池を犯す。守将張斌遁走して去る。癸巳、金人、安豊軍及び光州を囲み、光化軍を攻め、鄖山県を破り、均州に進む。甲午、鳳州を破る。守臣雷雲、城を棄てて去る。金人、其の城を夷す。乙未、興元都統呉政、金人と黄牛堡に戦い、之に死す。金人、勝に乗じて武休関を攻む。

二月戊戌朔、金人、光山県を破る。太白昼に見ゆ。壬寅、金人、棗陽軍を囲む。京湖制置使趙方、統制扈再興を遣わしてこれを救わしむ。進み克たずして還る。癸卯、金人、武休関を破る。興元都統李貴遁走して還る。利州路提刑・権興元府事趙希昔、城を棄てて去る。丁未、金人、興元府を破る。戊申、金人、棗陽軍を攻む。己酉、殿前司の軍八千人を遣わして江面を防捍せしむ。庚戌、曾従龍を以て同知枢密院事兼江・淮宣撫使と為し、権吏部尚書任希夷を簽書枢密院事と為す。辛亥、金人、大安軍を破る。守臣李文子、城を棄てて去る。金人、洋州を犯す。守臣蔡晋卿、兵を遣わしてこれを拒ぐも、克たず。洋州破る。壬子、四川制置使董居誼、利州より遁走す。沔州都統張威、統制石宣等を遣わして金人を大安軍に邀撃し、大いにこれを破る。其の将巴土魯安を獲る。金人、遂に興元府を去る。丙辰、金人、洋州を去る。丁巳、京湖制置使趙方、統制扈再興等を遣わし、兵三万余を引いて出でて唐・鄧二州を攻めしむ。随州忠義統領劉世興等、兵を引いて唐州を攻む。甲子、金人、棗陽軍を去る。乙丑、夏人、復た書を以て四川に来たり、金人を夾攻するを議す。利州路安撫丁焴、これを許す。

三月己巳、鄭昭先を以て知枢密院事と為し、曾従龍を参知政事と為す。癸酉、金人、復た洋州に入り、其の城を焚きて去る。乙亥、興元の軍士権興等、乱を為し、巴州を犯す。守臣秦季槱、城を棄てて去る。鄂州統制劉世栄、兵を会して唐州を攻む。丁亥、太白昼に見ゆ。権興等降る。癸巳、土を雨ふ。甲午、金人、盱眙より退師す。

閏月己未、雷雲の三官を追奪し、梅州に安置す。辛酉、呉政を贈りて右武大夫・忠州刺史と為す。壬戌、詔して四川の官軍・忠義人を撫諭す。癸亥、興元の軍士張福・莫簡等、乱を為す。紅巾を以て号と為す。是の春、金人、安豊軍・滁・濠・光の三州を囲む。江・淮制置使李玨、池州都統武師道・忠義軍統制陳孝忠に命じてこれを救わしむも、皆進み克たず。金人、遂に兵を分ち、光州より黄州の麻城を犯し、濠州より和州の石磧を犯し、盱眙軍より滁州の全椒・来安及び揚州の天長・真州の六合を犯す。淮南の流民、江を渡り乱を避く。諸城悉く閉ず。金人の遊騎数百、東採石・楊林渡に至り、建康大いに震う。京東総管李全、楚州より、忠義総轄季先、漣水軍より各々兵を引いて来援す。金人、乃ち解きて去る。全、追撃し、之を曹家荘に破る。其の貴将を獲る。

夏四月庚午、張福が利州に入り、四川制置使聶子述は逃げ、総領財賦楊九鼎を殺した。丁丑、張福は閬州を掠め、丁亥、果州を掠めた。癸巳、曾従龍を罷免す。鄭昭先を以て参知政事を兼ねさせ、崇信軍節度使・開府儀同三司・万寿観使安丙を四川宣撫使と為す。董居誼は職を落とし、三官を奪わる。

五月乙未朔、聶子述を行在に召し寄せる。張福は遂寧府に迫り、潼川府路転運判官・権府事程遇孫は城を棄てて逃げた。丁酉、両淮・荊襄・湖北・利州路の沿辺諸州の雑犯死罪囚を減じ、流罪以下を釈放し、なお今年の租税を免除す。己亥、太学生何処恬らが闕に伏して上書し、工部尚書胡榘が金人と和しようとしたことを以て、これを誅して天下に謝すことを請う。張福は遂寧府に入り、その城を焼いた。甲寅、四川宣撫司は沔州都統張威に命じて兵を引き、福を捕えしむ。戊午、福は普州に入り、守臣張已之は城を棄てて逃げた。癸亥、詔して侍従・両省・台諫に各々文武の用いるべき才二三人を挙げしむ。

六月戊辰、張福は普州の茗山に屯す。庚午、張威が兵を引いて至る。丙子、太白昼に見ゆ。辛巳、西川地震す。太白昼に見ゆ。癸未、張福は降伏を請う。乙酉、張威これを捕らえ、宣撫司に帰す。丁亥、嗣濮王不嫖薨ず。金国李全らを招諭すも、聴かず。辛卯、太白天を経る。癸巳、丁焴また書を以て夏国と約し、金人を攻めしむ。

秋七月丙申、張福誅せらる。また董居誼の二官を奪い、永州居住とす。庚子、張威は賊衆一千三百余人を捕らえてこれを誅し、莫簡は自殺し、紅巾賊悉く平らぐ。癸亥、李全は兵を引いて斉州に至り、知州王贇は城を以て降る。

八月戊辰、また利州東・西路を合わせて一つと為す。

九月丙午、江・淮制置司を罷め、沿江・淮東西制置司を置く。宝文閣待制李大東を以て沿江制置使と為し、淮南転運判官趙善湘を主管淮西制置司公事と為し、淮東提刑賈涉を主管淮東制置司公事兼節制京東・河北路軍馬と為す。

十一月辛亥、楊次山を進封して会稽郡王と為す。

十二月壬申、京東節制司、京東・河北の二府九州四十県を復したと言上す。乙亥、興元府城を築く。丁丑、雅州蛮が盧山県に入る。己卯、四川宣撫司は兵を遣わして洮州を取り、諸将を召して出師を議し、中原の豪傑を招諭す。辛巳、蛮は碉門砦を焼き、辺丁大いに敗る。乙酉、金人が鳳州の長橋を犯す。丁亥、四川宣撫司は命じて洮州の師を罷めしむ。己丑、京湖置司は統制扈再興らを遣わし兵六万人を引き、二道に分かれて境を出づ。庚寅、茗山の賊捕りの功を賞す。

嘉定十三年

十三年春正月丁酉、扈再興は兵を引いて鄧州を攻め、鄂州都統許国は唐州を攻むるも、克たずして還る。金人はこれを追い、すなわち樊城を攻む。趙方は諸将を督してこれを拒ぎ退く。己亥、雅州蛮また盧山県を掠め、兵を遣わしてこれを討つ。己酉、不淩を命じて嗣濮王と為す。戊午、夏人また書を以て四川に来たり、金人を夾攻することを議す。

三月辛卯朔、土雨ふる。丁巳、黎州の土丁叛き、兵を遣わしてこれを討つ。

夏四月庚申朔、淮東制置賈涉は山東・両河の豪傑を招諭す。

五月庚寅朔、雅州蛮降る。戊戌、史弥遠ら『玉牒』及び『三祖下第七世宗藩慶系録』を上る。

六月癸酉、礼部進士劉渭以下四百七十五人に及第・出身を賜う。安丙に少保を加う。丙子、李全を以て左武衛大将軍と為す。壬午、季先を以て果州団練使・漣水軍忠義副都統と為し、枢密院に赴き事を議せしむ。未だ至らざるに、これを殺す。

秋七月戊戌、京東・河北諸州の守臣の空名官告を以て京東・河北節制司に付し、以て来帰する豪傑を待つ。丙午、任希夷を以て参知政事を兼ねしむ。丙辰、四川宣撫司は黎人の土丁を招き、これを降す。

八月癸亥、皇太子のじゅんが薨去し、諡して景獻と曰う。壬申、安丙が夏人に書を遣わし、金人を夾攻することを議定す。癸未、四川宣撫司は利州統制の王仕信に命じて兵を率いて熙州・鞏州に赴き夏人と会せしめ、檄を伝えて陝西五路の官吏軍民を招諭せしむ。甲申、海州を復し、将作監丞の徐晞稷を以て州事を知らしむ。盱眙の将たる石珪、叛いて漣水軍に入る。詔して珪を以て漣水忠義軍統轄と為す。

九月辛卯、夏人、兵を引いて鞏州を囲み、且つ師を来たりてうながす。甲午、太白昼に見ゆ。王仕信、兵を引いて宕昌より発つ。乙未、四川宣撫司統制の質俊・李寔、兵を引いて下城より発つ。戊戌、四川宣撫司は諸将に命じて分道進兵せしむ。沔州都統の張威は天水より出で、利州副都統の程信は長道より出で、興元副都統の陳立は大散関より出で、興元統制の田冑は宣撫司帳前都統として子午谷より出で、金州副都統の陳昱は上津より出づ。己亥、張威、部下の諸将に令してみだりに進兵することを得ざらしむ。庚子、質俊等、来遠鎮を克つ。辛丑、王仕信、鹽川鎮を克つ。壬寅、質俊等、来遠鎮より自ら進みて定辺城を攻む。金人来たりて救う。俊等之を撃ち破る。乙巳、程信・王仕信、兵を引いて夏人と鞏州城下に会す。丁未、城を攻めて克たず。庚戌、金人、皂郊堡を犯す。沔州統制の董炤等と戦い、大いに敗る。壬子、程信及び夏人、鞏州を攻めて克たず。信、兵を引いて秦州に趨る。丙辰、夏人、安遠砦より師を退く。

冬十月丁巳朔、程信、夏人をむかえて共に秦州を攻めんとす。夏人従わず。信遂に伏羌城より自ら軍を引いて還る。諸将皆兵を罷む。戊寅、程信、四川宣撫司の命を以て、王仕信を西和州に於いて斬る。四川宣撫司、張威の進兵せざるを以て、其の軍職を罷む。

十一月庚戌、大風。壬子、臨安府火災。

十二月戊午、大風。壬申、漣水忠義軍統轄の石珪叛く。癸未、鎮江副都統の翟朝宗、「皇帝恭膺天命之宝」を以て来たりて献ず。

嘉定十四年

十四年春正月丙戌朔、雪寒を以て、大理・三衙・臨安・両浙諸州の杖以下の囚を釈す。乙未、地震。李全の山東より還るを以て、緡銭六万を賜う。庚子、四川運米の賞格を立てる。

二月戊辰、金人、光州を囲む。己巳、金人、五関を犯す。壬申、金人、舟を団風にととのうも、克くわたることを得ず。遂に黄州を囲み、兵を分かちて諸県を破り、又別将を遣わして漢陽軍を犯す。丁丑、李全、泗州を棄てて遁れ、還る。甲申、詔して淮東・京湖諸路に淮西を応援せしめ、沿江制置司に江面を防守せしめ、権殿前司職事の馮榯に兵を将いて鄂州に駐せしめ、京東忠義都統の李全に兵を将いて蘄・黄を救わしむ。榯果たして行かず。

三月丙戌朔、鄂州副都統の扈再興、兵を引いて唐州を攻む。丁亥、金人、黄州を破る。淮西提刑・知州事の何大節、城を棄てて遁れ死す。庚寅、長星見ゆ。李全、楚州より兵を引いて淮西を援く。癸巳、扈再興、部を引いて蘄州に趨る。甲午、太白昼に見ゆ。乙未、詔して京湖制置司に蘄・黄を援くことを趣す。己亥、金人、蘄州を陥す。知州事の李誠之及び其の家人・官属皆之に死す。癸丑、金人、師を退く。扈再興、邀撃し、之を天長鎮に於いて敗る。甲寅晦、又之を敗る。

夏四月乙卯、諸王宮大・小学教授を復置す。乙丑、任子に命じて御史台に於いて簾試せしむ。戊辰、金人、淮を渡りて北す。李全、兵を遣わして追撃し、之を敗る。

五月甲申朔、日食有り。壬辰、史彌遠等、『孝宗宝訓』・『皇帝会要』を上る。丙申、西川地震。乙巳、『慶元寛恤詔令』を頒つ。

六月甲寅朔、初めて沿江制置副使司を鄂州に置く。丙寅、詔して姪たる福州観察使の貴和を以て皇子と為し、名を竑と更め、祁国公に進封す。丁卯、皇子を立てしことを以て天地・宗廟・社稷に告ぐ。乙亥、太祖十世孫の与莒を以て秉義郎に補す。丙子、京畿の囚罪一等を減じ、杖以下を釈す。辛巳、大風。

秋七月辛丑、趙方を京湖制置大使と為し、賈渉を淮東制置使兼京東・河北路節制使と為す。丁未、『光宗宝訓』を修す。

八月乙卯、史彌遠に家廟を賜う。任希夷罷免。壬戌、兵部尚書の宣繒を以て同知枢密院事と為し、給事中の俞応符を以て簽書枢密院事と為す。甲子、秉義郎の与莒を以て右監門衛大將軍と為し、名を貴誠と賜う。乙丑、史浩を追封して越王と為し、諡を改めて忠定とし、孝宗廟庭に配享す。戊寅、姪たる右監門衛大將軍の貴誠を以て果州団練使と為す。

九月癸未、貴誠を立てて沂靖恵王の後と為す。己丑、景霊宮に朝献す。庚寅、太廟に朝饗す。辛卯、明堂に於いて天地を合祭し、大赦す。

冬十月癸丑、京東・河北節制司が滄州を回復したと上言し、詔して趙澤を河北東路鈐轄・知州事に任ず。甲寅、斉州を再び済南府とし、兗州を襲慶府とする。丙寅、夏人が再び書を以て四川に来たり、会兵を促す。庚午、雷鳴る。

十一月己亥、安丙薨ず。是の月、京東安撫張林叛す。

十二月庚申、鄭昭先罷免さる。

閏月辛巳朔、宣繒を以て参知政事を兼ねしめ、俞応符を以て権参知政事を兼ねしむ。戊申、殿前司同正将華嶽等が変を謀るを以て、之を誅す。

是歳、浙東・江西・福建諸路旱魃し、沔・成・階・利四州水害あり、之を振恤す。

嘉定十五年

十五年春正月庚戌朔、大慶殿に御し、恭膺天命之宝を受く。癸丑、李誠之の廟を蘄州に立てる。甲寅、蘄州の死事官吏を褒贈し、其の子孫を録するに差あり。丁巳、詔して山東・河北の軍民・将帥・官吏を撫諭す。己未、宝璽を受けたるを以て、大赦を行い、文武官各々秩一級を進め、諸軍を大いに犒う。

二月庚子、御史台の簾試任子法を廃止す。

三月丁巳、詔して江西提挙司に旱害を受けたる州県を振恤せしむ。

夏四月壬午、詔して蘄州の今年の租賦を蠲免す。

五月庚戌、太白昼に見ゆ。甲寅、詔して監司に囚を慮せしめ、州県の囚を匿する者を察して之を劾せしむ。丁巳、子の祁国公竑を進封して済国公とす。己未、姪の果州団練使貴誠を以て邵州防禦使とす。壬戌、済南府知事種斌等、青州に於いて張林を攻め、林遁走す。己巳、『孝宗経武要略』を修す。

六月辛卯、俞応符薨ず。

秋七月甲子、詔して江淮・荊襄・四川の制置監司に営田の条画を上らしむ。

八月己卯、戸部に命じて義役を詳議せしむ。辛卯、詔して文武官は帰宗することを得ざるを令と為す。甲午、彗星氐宿より出づ。

九月辛亥、宣繒を参知政事とし、給事中程卓を同知枢密院事とし、吏部尚書薛極に出身を賜い、枢密院事を簽書せしむ。癸丑、雷鳴り、大雨雹ふる。丁巳、再び随州の三関を徳安府に隷属せしめ、関使を置く。壬戌、彗星没す。辛未、太白昼に見ゆ。

冬十月丙子、京東州軍を収復したことを以て、忠義の者に差等を設けて犒賞す。

十一月戊午、京東・河北路を赦す。

十二月乙亥朔、米を発して臨安府の貧民に振給す。丙子、雪寒を以て、京畿及び両浙諸州の杖以下囚を釈放す。丁亥、李全を保寧軍節度使・右金吾衛上將軍・京東路鎮撫副使と為す。

嘉定十六年

十六年春正月戊申、詔して命官の贓を犯す者は法を約して免すること毋からしむ。己酉、子坻生まる。辛酉、淮東制置司に命じて山東の流民を振給せしむ。

二月戊子、土雨ふる。己丑、嗣秀王師禹薨ず、追封して和王と為す。戊戌、子坻薨ず、追封して邳王と為し、諡して沖美と曰う。

三月戊申、張林の部将邢德来帰す、詔して二官を進め、復た以て京東東路副総管と為す。丁卯、道州の民饑うるを以て、詔して米を発して之を振恤す。

夏五月甲辰、詔して右選の試注官は左選の制の如くせしむ。戊申、礼部進士蒋重珍以下五百四十九人に及第・出身を賜う。戊辰、詔して潭州の税酒法を復す。

六月丁酉、程卓薨ず。

秋八月辛巳、詔して州県の経界は紹興の税額を増さしむること毋からしむ。癸未、舶船の銅錢の禁を申厳す。

九月庚子朔、日食あり。乙巳、詔して江・淮諸司に被水貧民を振恤せしむ。乙卯、雷鳴る。

冬十一月辛亥、太平州大水を以て、詔して之を振恤す。

十二月辛巳、淮東・西総領及び沿江被水州に命じて江西・湖南の民に入米せしめ官を補わしむ。癸未、嗣濮王不淩薨ず。壬辰、雷鳴る。

嘉定十七年

十七年春正月戊戌朔、詔して先聖の裔孔元用を通直郎に補い、程頤の後を録す。癸亥、淮東西・湖北路転運司に命じて営屯田を提督せしむ。

二月癸巳、台州の未納租税十万余緡を免除す。甲午、臨安府に貧民への救済販売を命ず。

三月癸丑、雪降る。是の月、金人西和州に迫るも、尋いで兵を引きて還る。

夏四月辛卯、詔して廬州に飢民への救済販売を行わしむ。乙未、李全・彭義斌に銭三十万緡を賜い、戦士を犒賞する費用とす。

五月戊戌、詔して両淮・京湖・四川・江上の諸軍の兵数を実査せしむ。

六月丁卯朔、太白天を経て、昼に見ゆ。癸酉、西和州知州尚震午、金兵至るに坐して遁れんと謀り、三官を奪い、岳州居住を命ぜらる。壬辰、大名府の蘇椿等、城を挙げて来帰す。詔して悉く官に補し、即ち其の州を以て之に授く。

秋七月丁酉朔、福建路監司に被水貧民の救恤を命ず。辛亥、師嵓に秀王を嗣がしむ。

八月乙亥、通州天賜塩場を廃す。丙戌、帝御不。閏八月乙未朔、両浙諸州の苗米輸納に過取するを厳しく禁ず。丁酉、皇帝福寧殿に崩御す。年五十七。史弥遠遺詔を伝え、姪貴誠を立てて皇子と為し、名を昀と改め、即ち皇帝の位に即かしむ。皇后を尊びて皇太后と為し、簾を垂れて政を聴く。皇子竑を進封して済陽郡王と為し、出でて湖州に居らしむ。宝慶元年正月己丑、諡して仁文哲武恭孝皇帝と曰い、廟号を寧宗とす。三月癸酉、会稽の永茂陵に葬る。三年九月、諡を加えて法天備道純德茂功仁文哲武聖睿恭孝皇帝とす。

紀讚

贊に曰く、宋世内禅する者四、寧宗の禅は、独り事勢の難に当たりて、能く礼節を失わざりしは、斯れ善く処せりと謂うべし。初年旧学輔導の功を以て、宿儒を召用し、善類を引抜き、一時守文継体の政、燁然として観るべし。中更に侂冑用事し、内に群奸を蓄え、正人を指して邪と為し、正学を指して偽と為すに至り、外に強隣を挑み、毒を淮甸に流す。頻歳兵敗し、乃ち侂冑の首を函し、金に行成す。国体虧けたり。既にして弥遠権を擅にし、帝の耄荒を幸い、威福を窃み弄ぶ。皇儲国統に至りては、機に乗じ間を伺い、亦た其の廃立の私を遂ぐるを得たり。他知るべし。然りと雖も、宋東都仁宗に至るまで、四伝して国を享くること百年、邵雍前代に無しと称す。南渡寧宗に至るも、亦た四伝して国を享くること九十有八年、是れ亦た豈に偶然ならんや。惜しむべし、神器授受の際、寧・理の仁・英を視るに、其の跡は同じくと雖も、其の情相去ること遠し。