孝宗三
淳熙五年
五年春正月辛丑、侍御史謝廓然が有司に対し、程頤・王安石の学説によって士人を登用せぬよう戒めることを請う。これを聴く。癸卯、特旨により臣僚及び寺観の科徭を免除することを罷む。庚戌、大風。己未、詔して侍従・台諫・両省の官に考課法を集議せしむ。
二月己巳、州県丁税司を置く。辛未、武臣の呈試法を厳しく申し行う。詔して二広に摂官人をもって獄を治めしめざるべし。丁丑、解塩の京西界への入るを禁ず。甲申、雨土。庚寅、威州の蛮が辺境を寇し、これを討ち降す。
三月丁未、李彦穎罷む。辰・沅・澧・靖の四州の刀弩手に田を給す。壬子、史浩を以て右丞相と為す。丁巳、玉津園に幸す。己未、王淮を以て枢密院事を知らしめ、趙雄を参知政事と為す。この春、黎州の蛮出でて降る。
夏四月乙丑朔、詔して葉衡に便地に居住することを任す。丙寅、礼部尚書范成大を以て参知政事と為す。辛未、紹興府知府張津が羨余四十万緡を進む。詔して以て民の和買・身丁の半額を代わって輸納するに充つ。礼部進士姚穎以下四百十七人に及第・出身を賜う。丁丑、雨土。己卯、趙思が使節として礼に叶わざるを以て、起居舎人を罷め、なお二官を降す。丁亥、後省に命じ、中外の言うところの利病にして成法に悖らざるものを択びて聞かしむ。
五月庚子、武学国子員を置く。丁未、臨安府城を修す。諸路州軍が属県に責めて羨余を進めしむることを禁ず。
六月庚午、百官及び諸監司に請托せざるよう飭す。乙亥、范成大罷む。癸未、詔して京西・湖北の商人、牛馬をもって茶を負い境外に出づる者は死罪に処す。甲申、詔して翰林学士・諫議大夫・給事中・中書舎人・侍御史各々御史に堪えうる者二人を挙げしむ。給事中銭良臣を以て枢密院事を簽書せしむ。己丑、諸州の私置税場を罷む。四川の茶課十五万余緡を減ず。庚寅、大理寺の贓銭三万九千余緡を蠲除す。
閏月丙申、強霓・強震に官を贈り、廟を西和州に立て、旌忠と名づけて賜う。丁酉、四川総領の会子額を限る。戊戌、興州都統司の営田官兵を罷め、民を募りて耕佃せしむ。己亥、再び利州を東路・西路の二つに分つ。壬寅、鎮江・建康府に転般倉を置く。龔茂良、英州にて卒す。乙巳、魏王愷を以て永興・成徳軍節度使・雍州牧・判明州と為し、前の如し。庚戌、秀州の民の折帛銭を蠲除す。
秋七月甲子、太尉・提挙万寿観李顕忠薨ず。癸未、砂毛銭を禁ず。丁亥、歳豊かなるを以て、命じて沿江に米百六十万石を糴き、もって辺儲を広む。
八月甲午、詔して諸路監司にその部を戒め、民税を重価を以て強いて折銭して輸納せしめざるべし。制科の旧法を復す。丁酉、詔して関外四州に民兵を増募して忠勇軍と為す。戊午、銓試を五場に増し、呈試を四場と為す。
九月甲子、広西の売塩の賞罰を定む。壬申、秘書省に幸す。戊寅、岳飛に武穆と諡す。
十一月丙寅、詔して軍民喧噪する者は、並びに軍法に従うとす。史浩言う、民は軍法を以て律すべからずと。聴かず。王友直再び降って宜州観察使・信州居住と為す。浩政を罷めんことを請う。甲戌、浩罷めて少傅と為し、旧節に還り、醴泉観使兼侍読を充てる。乙亥、錢良臣を以て参知政事と為す。丁丑、趙雄を以て右丞相と為し、王淮を以て枢密使と為す。戊寅、両川の禁卒千人を以て成都府雄辺軍と為す。庚辰、監司互察法を復す。
十二月庚寅朔、新定の薦挙式を班す。辛卯、錢沖之等を遣わして金主の生辰を賀す。丁酉、興元都統司の営田官兵を罷め、民を募りて耕佃せしむ。辛丑、同安・蘄春監を復す。丙午、両淮の銅銭を禁じ、鉄銭を行ふことを復す。丙辰、金烏延察等を遣わして来たり明年の正旦を賀す。
是歳、階・福建興化軍水、通・泰・楚州・高郵軍田鼠禾を傷つく。三仏斉国貢を入る。
淳熙六年
六年春正月戊辰、淮東の饑民を振恤す。庚午、内侍省合同憑由司を復置す。壬申、夔州路上供の金銀を蠲免す。丁丑、雹を雨らす。辛巳、光州中渡の榷場を復置す。
二月己丑朔、佑聖観に幸し、史浩・曾覿を召して酒を賜ふ。壬辰、錢良臣贓吏を挙ぐるを失ひしを以て、三官を奪ふ。丙申、詔して前の宰執・侍従に己見利便あるは、時に聞こゆるを聴す。辛丑、武臣関升蔭補法を立つ。丙申、詔して逃軍強盗を犯す者は貸すを擬するなかれ。癸丑、州県に命じて義役を撓さしむるなからしむ。乙卯、詔して今より帰正官親しく部に赴き官を授け、冒濫を革む。丁巳、特奏名試法を裁す。
三月庚申、聚景園に幸す。丙寅、趙鼎・岳飛の子孫を録し、京秩を以て賜ふ。己巳、郴州の賊陳峴等連・道州・桂陽軍諸県を破り、湖南帥臣に命じて之を討捕せしむ。広西義倉を置く。辛未、再び淮東の饑民を振恤す。壬申、雹を雨らす。丁丑、詔して諸道転運使を戒励す。庚辰、玉津園に幸す。
夏五月壬戌、宗室換官法を裁す。庚午、四川塩課十万緡を蠲免す。乙亥、郴の寇平ぐ。癸未、襄陽帰正忠義人に田を給す。
六月甲午、豊儲倉を建つ。丙申、詔して特奏名知県・県令を授くるなかれ。戊戌、郴州運糧丁夫今年の役銭の半を蠲免す。辛亥、広西の妖賊李接郁林州を破り、守臣李端卿城を棄てて遁れ、遂に化州を囲む。経略司に命じて之を討捕せしむ。端卿名を除き勒停し、梅州に編管す。
秋七月癸亥、郴州降寇を籍し、荊・鄂軍に隷す。戊辰、『隆興以来寛恤詔令』を諸路に班す。趙雄等『会要』を上る。乙亥、詔して諸軍五口以上に緡銭を増給す。癸未、太白昼見し、天を経る。
八月庚寅、諸路監司・帥守の便宜行事を罷む。壬寅、楚州知州翟畋淮を過ぎて事を生ずるを以て、五官を奪ひ、筠州居住と為す。
九月辛未、明堂に於いて天地を合祭し、大赦す。癸未、詔して福建・二広塩を売るに旧額を擅に増すなかれ。
十一月乙卯朔、帝論を著し数百言、深く用人之弊を原し、因りて誅賞の法に及び、宰執に命じて従臣に都堂に於いて示す。辛酉、宗子試法を裁す。戊寅、金州管内安撫司を罷む。壬午、詔して宗室出身の人考試に得て及び教授官を注す。癸未、傅淇等を遣わして金主の生辰を賀す。
十二月丙戌、『重修淳熙勅令格式』を班す。丙申、百司省記法を修す。己亥、詔して今より贓吏を鞫う、後に雖も原貸するも、失入を以て獄官に坐するなかれ。庚戌、金耶律慥等を遣わして来たり明年の正旦を賀す。辛亥、臨安府の徴税を一年蠲免す。
この年、温州・台州に水害あり、和州に旱魃あり。
淳熙七年
七年春正月甲子、広西諸州の歳売塩数を減ず。乙丑、劉焞、李接を平らげた功により、集英殿修撰に擢げられ、将佐幕属吏士は官を進め、磨勘年を減ずること等差あり。己卯、詔して京西州軍は並びに鉄銭及び会子を用い、民戸の銅銭は鉄銭或いは会子を以て償う。満二月官に輸さざるは、告げ賞を許す。庚辰、淮東の民の貸常平銭米を蠲免す。
二月癸未朔、初めて広南煙瘴諸州の医官を置く。丙戌、皇太子宮小学教授を復置す。辛卯、魏王愷薨ず。乙未、詔して広西の兵校五百人を撥ち提刑司に隷せしむ。戊戌、瓜洲の孳生馬監を罷む。己亥、湖南の樁積米十万石を出し、永・邵・郴三州を振糶す。甲辰、利州路の守・貮・県令に命じ、兼ねて営田を領せしむ。乙巳、改官の員数を歳に八十人を過ぎざるに限る。子楝を封じて宜州観察使・安定郡王とす。
五月戊辰、吏部尚書周必大を以て参知政事とし、刑部尚書謝廓然を以て簽書枢密院事とす。袁州分宜県に大水あり、其の税を捐つ。戊寅、詔して舒・蘄二州の銭鋳造は歳に四十五万貫を以て額とす。己卯、書坊の擅に書籍を刻するの禁を申飭す。庚辰、詔して特奏名年六十人は県尉に注せしむる毋れ。
六月丙戌、特進・観文殿大学士・建康府判の陳俊卿を以て少保とす。壬辰、五部落再び黎州を犯す。制置司鈐轄成光延戦いに敗れ、官軍の死者甚だ衆し。提点刑獄・権州事折知常、城を棄てて遁る。甲午、制置司兵を益し、都大提挙茶馬呉総を遣わし往きて之を平らげしむ。壬寅、詔して刑法官の試験に経義の試験を増す。
秋七月癸丑、詔して二広の帥臣・監司に其の部の守臣の臧否を察して以て聞かしむ。丁卯、旱魃に因り、繫囚を決し、群臣を分命して山川に雨を祷らしむ。壬申、広西提刑司を郁林州に移す。
八月癸未、黎州官吏の蕃商の物を市するを禁ず。甲申、雨を祷りて未だ応ぜざるに因り、輔臣に諭し職事官以上に各実封に言事せしめんと欲す。是の夕、雨降る。丁酉、湖南に飛虎軍を置く。戊戌、雨降る。甲辰、五部落黎州の塞を犯す。興州左軍統領王去悪拒ぎて之を卻け、折知常重く蛮に賂し、之をして款を納れしむ。
冬十月丙戌、詔す、「限田太だ寛にして、民役煩重なり。其れ台諫・給舍に戸部長貮と詳議して以て聞かしむべし」。戊子、葉宏等を遣わし金に使いし正旦を賀す。乙未、黎州五部落馬を進めて降を乞う。詔して献馬を卻け、其の互市を許す。庚子、金、李佾等を遣わし来たり会慶節を賀す。
十一月癸丑、詔して辺吏に江西より淮を過ぐる饑民を存恤せしむ。丁巳、淮南諸司・州郡の民酒を抑配するを禁ず。辛酉、両淮州軍の二税を一年間蠲免す。癸亥、黎州戍軍の伍進等乱を為し、折知常遁去す。王去悪進等を誘いて之を誅す。壬申、南康軍旱魃あり。詔して検放所の余苗米万石を出し軍糧に充つ。癸酉、蓋経等を遣わし金主の生辰を賀す。
十二月庚寅、趙雄等、神宗・哲宗・徽宗・欽宗四朝の『国史志』を上る。壬辰、四川制置使胡元質、蕃部に備えずして其の猖獗を致したるを以て、両官を奪い之を罷む。丙申、嗣濮王士輵薨ず。戊戌、新除の成都府路提点刑獄祿東之を以て権四川制置司とし、応に黎州の辺事に随宜措置せしむ。癸卯、詔して臨安府に宣旨を承り審奏すること故事の如くせしむ。甲辰、金、徒単守素等を遣わし来たり明年の正旦を賀す。是の月、詔して太上皇の明年七十有五なるを以て、慶寿の礼を行わんことを議す。太上皇允さず。帝黄金二千両を進めて寿と為す。
この年、江・浙・淮西・湖北に旱魃あり。租を蠲免し、廩を発し貸給し、州県に獄を決するを趣け、富民に募り振済し官を補す。故に歳凶なりと雖も、民流殍無し。安南貢を入る。
淳熙八年
八年春正月甲寅の日、折知常の官を停め、汀州居住に処す。丙辰の日、詔して、内侍で兵官を帯びる者は皆在京の宮観に任じ、令と定む。乙亥の日、詔して福建は毎年塩を邵武軍に撥し、軍糧を市わしむ。
二月壬午の日、詔して去歳旱損の郡県は、義倉の米を以て日々貧民に給し、閏三月の半ばに至るまで止む。黎州の土丁張百祥等、科役に堪えずして乱を為す、統領官劉大年兵を引きて之を逆撃し、土丁潰きて去る、大年誅せらる。戊子の日、浙西の民に旱に因りて囲田を置くを禁ず。童子試法を裁く。己丑の日、広西諸州の亭戸に食塩を科売するを禁ず。庚寅の日、詔して三省・枢密・六部に籍を置き、興利除害等の事を稽考せしむ。戊戌の日、保康軍節度使士歆を以て嗣濮王と為す。
三月丁未朔、佑聖観に幸す。戊午の日、潮州の賊沈師乱を為すを以て、帥・憲を趣して之を捕えしむ。辛未の日、聚景園に幸す。閏月辛巳の日、諸路の帥臣・監司に命じ、州郡の臧否を分かち三等と為し、歳終に来上せしむ。戊子の日、礼部進士黄由以下三百七十九人に及第・出身を賜う。庚寅の日、揚州城を修す。甲午の日、玉津園に幸す。壬寅の日、在京及び諸路の房廊銭を什の三減ず、徳寿宮の減ずる所は、月に南庫の銭を以て貼進す。潭・道等州の官に塩を売るを禁ず。甲辰の日、宗室命継法を立つ。
夏四月癸丑の日、湖南諸州の城を修す。丙辰の日、臨安の疫を以て、医官を分命して軍民を診視せしむ。庚申の日、復た強盗を諸軍の重役に配隷す。丁卯の日、安定郡王子棟薨ず。癸酉の日、郴州宜章・桂陽軍臨武県の学を立て、以て峒民の子弟を教養す。
五月戊寅の日、詔して監司・守令に農桑を勧課せしめ、奉行の勤怠を以て賞罰と為す。壬午の日、詔して諸路転運司に民間に経界簿籍を補葺せしむるを趣す。辛卯の日、久雨を以て、京畿及び両浙の囚罪一等を減じ、杖以下を釈し、貧民に稲種銭を貸す。壬寅の日、史浩を以て少師と為す。
六月己酉の日、詔して殿前司平江府牧馬草場二万畝を放ち、民の漁採を聴す。戊午の日、淳熙七年諸路旱損の検放米一百三十七万石・銭二千六万緡を除く。辛酉の日、諸路の坊場監官を罷め、民の承買を聴す。戊辰の日、史浩薛叔似・楊簡・陸九淵・陳謙・葉適・袁燮・趙善譽等十六人を薦む、詔して並びに都堂に赴き審察せしむ。
七月癸未の日、復た許浦水軍を殿前司に隷す。永陽郡王居広薨ず、永王を追封す。辛未の日、荒政を修挙する監司・守臣十六人を賞す。雨降らざるを以て、繫囚を決す。壬辰の日、紹興大水、秀・婺州・平江府の米を出して振糶す。丁酉の日、厳州水、詔して被災の家は其の和買を蠲し、三等以上の戸は半減す。辛丑の日、範質の後を録す。
八月丙午の日、旱を以て、招軍を罷む。庚戌の日、趙雄罷む。壬子の日、詔して紹興府諸県の夏税・和市・折帛・身丁銭絹の類は、名色を問わず、截日並びに催すを住ましむ。癸丑の日、王淮を以て右丞相兼枢密使と為す。甲寅の日、謝廓然を以て同知枢密院事と為す。丙辰の日、後殿の幄次を改めて延和殿と為す。己未の日、観文殿大学士・新四川制置使趙雄を以て瀘州を知らしむ。戊辰の日、言者請う、今より歉歳蠲減し、経費虧くるときは、戸部に実を据えて以て聞かしめ、已に蠲閣したる数の督趣するを得ざらしむ。之に従う。諸路の経界簿籍を補葺するを罷む。
九月庚辰の日、諸路の提挙司に命じ、民に麦種を貸さしむ。辛巳の日、銭良臣罷む。庚寅の日、謝廓然を以て兼権参知政事と為す。
冬十月己酉の日、施師点等を遣わし金に使して正旦を賀せしむ。辛酉の日、黎州戦歿の将士四百三人を録す。甲子の日、金完顔寔等を遣わし来たり会慶節を賀す。詔して災傷の州県に民に諭して振糶せしむ。
十二月癸卯朔、徽・饒二州の民流るる者衆しを以て、守臣を罷め、官南庫の銭三十万緡を出し、新浙東提挙常平朱熹に付して振糶せしむ。丁未の日、諸州の営造を禁ず。戊申の日、劉安世に諡して忠定と曰す。辛亥の日、諸路旱傷の州軍の明年の身丁銭物を蠲す。甲寅の日、雹降る。度僧牒を以て閩・広の民を募り米に入らしむ。丙辰の日、詔して県令に荒政を挙ぐる能ある者は、監司・郡守名を以て聞かしむ。甲子の日、朱熹の社倉法を諸路に下す。戊辰の日、金魏貞吉等を遣わし来たり明年の正旦を賀す。進書儀を争執するに因り、帝内に還り、王抃を遣わし往きて旨を諭す。己巳の日、貞吉書を奉じて入見す。是の月、広東安撫鞏湘潮賊沈師を誘いて出降し、之を誅す。
是歳、江・浙・両淮・京西・湖北・潼川・夔州等路水旱相継ぎ、廩を発し租を蠲し、使を遣わし按視し、民江北に流入する者有れば、所在に命じて之を振業せしむ。
淳熙九年
九年春正月甲戌、詔して四孟の朝献を分ちて三日を用い、在京の故事の如くせしむ。丁丑、両淮の戍兵を命じて歳一更とす。癸未、枢密都承旨王抃を罷めて在外宮観とし、因りて諸軍の承受を罷め、密院文書の両省に関録する旧法を復し、文臣を以て都承旨とす。戊子、広南の米を糴して行在に赴かしむ。庚寅、詔して江・浙・両淮の旱傷州県は民に稲種を貸し、計度して足らざる者は樁積の銭を以て貸せ。
二月庚戌、使を遣わして二広の塩法の利害を訪問せしむ。戊辰、四川制置司、言上す、叙州の賊大波浪を獲たりと。
夏四月甲辰、詔して自今盗発の所在は、親臨の帥守・監司を論罰し、平定して労有る者は賞を議すべし。乙卯、詔して諸路の提刑は、文武臣を通じて一員を置く。癸亥、帝陸贄の『奏議』を覧て、講読官に諭して曰く、「今日の政、恐らくは徳宗の弊の如き者有らん、卿等条陳して来上せよ、隠す所無かれ」と。
五月癸酉、孫扌丙を以て右千牛衛大将軍とす。丙子、詔して輔臣に監司・郡守を択ばしむるに、必ず先ず才行を以てすべし。
六月壬寅、詔して侍従・台諫各々操修端亮・風力強明にして監司に充つべき者一二人を挙げしむ。甲寅、犒賞庫の酒課二十二万余緡を蠲す。汀・漳二州の民沈師に蹂躙せられたる者は、其の賦を除く。丁巳、臨安府の貧民に棺瘞の銭を給す。戊午、謝廓然薨ず。庚申、太白昼見す。臨安府蝗あり、詔して守臣に亟に焚瘞を加えしむ。甲子、太白昼見し、天を経る。
秋七月甲戌、江西の常平・義倉及び樁管米四十万石を以て諸司に付し、預め振糶を備ふ。辛己、南庫の銭三十万緡を出して浙東提挙朱熹に付し、以て振糶を備ふ。壬辰、資政殿学士李彦穎を以て参知政事とす。詔して儲ふる所の和糴米百四十万石を発し、淳熙八年振済の数を補ひ、沿江屯駐諸州に於て樁管せしむ。
八月己亥朔、詔して紹興の民戸去年已に納める夏税応減の者三十万緡は、理めて今年の数と為す。庚子、皇后内命婦の蔭補数を減じ、文武臣の郊に遇ひ奏薦する員を立て、致仕・遣表の恩沢を限り、旧法に視て三の一を捐つ。淮東・浙西蝗あり。壬子、諸州の官の蝗を捕ふる罰を定む。乙卯、荒政を修挙する監司・守臣の賞を復す。
十月戊戌朔、王藺等を遣わして金に使し正旦を賀す。丙午、軍器所の軍を招くことを罷む。辛亥、四川沿辺の支径を塞ぐ。戊午。金、完顔宗回等を遣わして来たり会慶節を賀す。甲子、諸路の旱傷州軍の淳熙七年八年の逋賦を蠲し、県官の緡銭を出して以て戸部に償はしむ。
十一月戊辰朔、臣庶の家の婦飾の僭擬を禁ず。庚午、夔路の饑を振す。乙酉、進奏院火災。丙戌、賈選等を遣わして金主の生辰を賀す。戊子、大風。
十二月己亥、二広の官売塩法を改め、復た客鈔を行ひ、仍く緡銭四十万を出して以て漕計の闕を備ふ。癸亥、金、孛術魯正等を遣わして来たり明年の正旦を賀す。
淳熙十年
二月癸卯、提挙徳寿宮陳源罪有り、建寧府に竄す、尋で郴州に移し、仍く其の家資を籍して徳寿宮に進納す。
五月丙寅、皇太子宮の小学教授を一員増員した。甲戌、潭州の飛虎軍を江陵都統司に隷属させた。戊寅、聚景園に行幸した。辛卯、詔して襄陽の水渠を疏濬し、渠傍の地を屯田とし、まもなく詔して民間で侵耕した者にはその地を与えるとした。舒州の宿松監を廃した。
六月戊戌、監察御史陳賈が偽学の禁止を請うた。乙巳、昭州の歳貢金を罷めた。己未、詔して諸路の監司・帥臣に廉吏を毎年挙薦させた。庚申、贓吏の禁令を厳しくした。
秋七月乙丑、雨が降らないため、繫囚を決した。丙寅、明慶寺に行幸して雨を祈った。甲戌、夏秋の旱魃のため、殿を避け膳を減じ、侍従・台諫・両省・卿監・郎官・館職に命じて各々朝政の欠失を陳べさせ、群臣を分命して天地・宗廟・社稷・山川に雨を祈らせた。左丞相王淮らが旱魃を理由に罷免を乞うたが、許さなかった。丁丑、詔して災傷を受けた州県の淳熙八年分の欠税を免除した。甲申、雨が降った。己丑、殿に御し膳を復した。
八月戊申、施師點を参知政事兼同知枢密院事とした。御史中丞黄洽を参知政事とした。庚戌、史浩を太保・魏国公として致仕させた。庚申、左蔵南庫を戸部に隷属させた。
九月乙丑、長溪県・寧徳県で大水があった。丙寅、解塩を盗販する法を厳しくした。丁丑、佑聖観に行幸した。壬午、諸州の内蔵庫銭六十万緡の逋負を免除した。乙酉、余端礼らを派遣して金に正旦を賀させた。丁亥、内郡での鉄銭の使用を禁じた。
冬十月乙未、詔して両浙の義役は民の便に従うとした。壬子、金が完顔方らを派遣して会慶節を賀した。
十一月壬戌朔、日食があった。乙丑、会子を発行し、両淮の銅銭を収めた。甲戌、龍山に行幸して大閲し、ついで玉津園に行幸した。
閏月壬寅、詔して安南の献上する象を退けた。丁巳、陳居仁らを派遣して金主の生辰を賀させた。
十二月丙子、徳寿宮に朝し、太上皇后の慶寿礼を行い、太上皇の故事に倣って恩赦を行った。丁亥、金が完顔婆盧火らを派遣して明年の正旦を賀した。
この年、福州・漳州・台州・信州・吉州で水害があり、京西路・金州・澧州・南平軍・荊門軍・興国軍・広徳軍・江陵府・建康府・鎮江府・紹興府・寧国府で旱魃があった。
淳熙十一年
十一年春正月辛卯朔、土雨が降った。辛丑、安化蛮の蒙光漸らが宜州思立砦を犯し、広西兵馬鈐轄沙世堅が出兵してこれを討ち、光漸を捕らえた。丙午、詔して江東路・西路の諸監司に、義役・差役は民の便に従うとした。甲寅、土雨が降った。
二月甲申、詔して両淮・京西・湖北の万弩手には在宅で閲習させ、各州毎年材武者一二人を上申することを許し、試験して官を授け、四川義士の制の如くにせよとした。
三月辛卯の日、詔して刑部・御史台に命じ、毎季仲月に囚徒を録することを定む。癸巳の日、利路三都統の呉挺・郭鈞・彭杲に命じ、出師進取の利害を密かに陳べしめ、以て金人に備う。金州管内安撫司を復す。甲午の日、上津・潮陽の旱に因り、其の税を蠲す。辛丑の日、秀州御馬院莊を罷め、其の侵した地を民に帰す。丁未の日、淮民の温・処州戸口を招くことを禁ず。職田・官田の八年逋租を除く。庚戌の日、詔して御試策に軍民の利害に及ぶものあれば、考官これを裒類して以て聞すべしとす。辛亥の日、史浩入朝して謝し、内殿に於て宴を賜う。
夏四月甲子の日、興元義勝軍を以て襄陽に移戍せしむ。戊辰の日、礼部進士衛涇以下三百九十四人に及第・出身を賜う。癸未の日、『紹興申明刑統』を重ねて班す。
五月戊子朔、崇德等十六県の小民の淳熙十年欠税十四万緡を蠲す。癸卯の日、刑部・大理寺に命じ刺配法を減ずることを議せしむ。甲寅の日、緡銭三十万を出し、四川久戍の将士を犒給す。乙卯の日、太白昼に見ゆ。
六月戊午朔、詔して諸道の総領に命じ、偏裨にして将帥たるべき者を挙げしむ。庚申の日、周必大を以て枢密使と為す。壬戌の日、詔して内に在る尚書・侍郎・両省諫議大夫以上・御史中丞・学士・待制、外に在る守臣・監司に、科挙の年分を限らず、各賢良方正能直言極諫一人を挙げしむ。己卯の日、詔して諸州に命じ、歳ごとに稲種を買い、農民の闕を備えしむ。
秋七月癸卯の日、浙東敗闕坊場の酒課を蠲減す。癸丑の日、浙西・江東の水に因り、諸州の糴を遏ぐることを禁ず。甲寅の日、黎州要衝城を築く。
八月庚申の日、章森を遣わし金に使わしめ、正旦を賀せしむ。
九月丁亥の日、詔して諸路の添差官は自今より創置することなからしむ。乙巳の日、詔して殿前軍の子弟は一度権めて収刺することを許す。甲寅の日、再び四川の酒課六十八万余緡を減ず。
冬十月甲子の日、初めて挙改官人にして贓を犯す者の挙主を降二官することを命ず。乙丑の日、王信等を遣わし金主の生辰を賀せしむ。庚午の日、諸州の税銭を增收することを禁ず。丙子の日、金、張大節等を遣わし来たり会慶節を賀す。盱眙軍言す、金人の牒を得たり、上京地寒を以て、来歳の正旦・生辰の人使を権めて一年止むと。壬午の日、詔して諸に忠義を以て廟を立つる者は、両淮の漕臣これを繕治せしむ。
十一月壬寅の日、福建の民の兵器を私有することを禁ず。癸卯の日、広西諸州の歳計十万緡を助く。甲寅の日、峡州に命じ、歳時に処士郭雍を存問せしむ。
十二月丁巳の日、湖南府城を修す。己卯の日、詔して監司・州県を戒め、常賦の外に民より追取することを得ざらしむ。
是歳、江東・浙西諸州水有り、福建・広東・吉・贛州・建昌軍・興元府・金・洋・西和州旱有り。
二月辛酉の日、雹降る。乙亥の日、諸軍の額外の制領将佐を罷む。庚辰の日、黎州防辺義勇を置く。
三月乙酉の日、孫擴を進めて安慶軍節度使と為し、平陽郡王に封ず。辛卯の日、渤海楽を習うことを禁ず。辛亥の日、侍従・台諫・両省・総領・管軍官に命じ、各都・副統制に堪うる者一二人を挙げしむ。癸丑の日、税場高等累賞法を除く。
夏四月甲子、聚景園に幸す。戊辰、『淳熙寛恤詔令』を頒布す。丙子、諜言に故遼の大石林牙が夏人を仮道して金を伐たんとすとあり、密詔を以て吳挺に留正とこれを議ぜしむ。己卯、玉津園に幸す。
五月庚寅、地震す。辛卯、福州地震す。詔して帥臣趙汝愚に守令を察し、兵官を択び、盗賊を防がしむ。
六月乙卯、淮東強勇軍效用效士の法を立てる。壬戌、諸軍の逋欠営運銭を除く。丁丑、詔して浙東帥臣・監司、時に諸州の臧否を上せざる者は一官を奪う。戊寅、太白昼に見ゆ。
秋七月丁酉、太白昼に見え、天を経る。壬寅、詔して二広の摂官を試むるは銓試の例の如くし、その半を取る。甲辰、淮西屯田鹵莽なるを以て、総領・軍帥・漕臣・守臣、官を奪うこと差あり。
八月癸亥、詔す、太上皇寿八十、有司に慶寿の礼を議せしむ。乙丑、詔して戸部・給舎・台諫に官民戸役法を詳らかにして聞せしむ。
九月甲申、二広監司以下の到罷酬賞法を復す。丙戌、詔して潮州・台州の水害を受けたる家を恤う。庚寅、王信等を遣わし金に使いし正旦を賀す。丁丑、詔して諸路総領・軍帥・漕臣・守臣、歳に屯田の収むる所の数を上せしむ。
冬十月辛亥、太上皇の尊号に光堯寿聖憲天体道性仁誠徳経武緯文紹業興統明謨盛烈太上皇帝、太上皇后に聖寿斉明広慈備徳太上皇后を加う。甲寅、施州・黔州の経制無額銭を蠲免す。侍従に命じ各宗室二三人を挙げしむ。癸亥、詔す、諸路の臧否は三月終、四川・二広は五月終を以て来上せしむ。
十一月丁亥、鄂州大火す。戊子、雷す。壬辰、章森等を遣わし金主の生辰を賀す。辛丑、圜丘にて天地を合祀し、大赦す。
二月甲寅、詔す、強盗二回以上は、従たる者と雖も、死を論ず。庚申、詔して帰正・添差・任満の人才芸、軍に従ふに堪ふる者を挙げしむ。
三月丁酉、詔す、職事官改官は、歳額八十員の外に在るを許す。提挙広南東・西塩事司を合して一と為す。甲辰、玉津園に幸す。
五月癸未、日中に黒子あり。甲申、詔す、非泛補官及び七色補官人、かつて朝に在り侍従を任ぜざる者は、品秩高しと雖も、役を免るるを得ず。丙申、沖晦処士郭雍に号を賜ひて頤正先生と曰ひ、仍って官を遣わし就きて雍の欲して言はんとする所を問ひ、備へ録して来上せしむ。
秋七月壬辰、内外の諸軍の主帥に詔して、各々統制に堪える者二三人を挙げしむ。壬寅、胡銓に諡して忠簡と曰す。
閏月丙午朔、雹降る。戊申、敷文閣学士留正を以て枢密院事を簽書せしむ。己酉、施師點、兼同知枢密院事を免ぜんことを乞い、之を許す。己未、五星皆伏す。
八月乙亥朔、日・月・五星軫に聚まる。丙子、故相曾懷の奏補恩を鬻ぎしを以て、観文殿大学士を追落す。壬午、新たに築きたる江陵城成る。
九月乙巳、詔して会子を偽造し凡そ行用を経たる者は、並びに死を処す。是の月、李献等を遣わし金に使いし、正旦を賀す。
冬十月甲戌朔、福州火災あり。甲午、金、完顏老等を遣わし来たり会慶節を賀す。
十一月戊午、詔して四川制置司に馬政を通知せしめ、水渠の民の包占する荒田の租を量り収む。庚申、張叔椿等を遣わし金主の生辰を賀す。甲子、王淮等、仁宗・英宗の玉牒、神宗・哲宗・徽宗・欽宗の四朝『国史列伝』・『皇帝会要』を上る。丙寅、梁克家罷めて観文殿大学士・醴泉観使兼侍読と為す。辛未、百司の吏額を裁定す。
十二月丙子、思州田氏、買い納むる所の黔州民の省地を献じ、詔して其の直を償う。辛己、汀州の塩価を減じ歳万緡。甲午、陳俊卿薨ず。乙未、臨安府城内の外の貧乏老疾の民を振恤す。戊戌、大理寺の獄空し。己亥、金、耶律子元等を遣わし来たり明年の正旦を賀す。辛丑、再び軍士に雪寒銭を賜う。
是の歳、利州路饑え、江西諸州旱す。
淳熙十四年
十四年春正月癸亥、四川の樁積米を出し、金州・洋州及び関外四州の饑民に貸し済す。
二月丁亥、周必大を以て右丞相と為す。戊子、施師點を以て枢密院事を知らしむ。
三月甲子、玉津園に幸す。
夏四月己卯、籍を置き諸路の上供の殿最を考へ、以て賞罰と為す。戊子、礼部進士王容以下四百三十五人に及第・出身を賜う。
五月乙巳、成都火災あり。己酉、官を遣わし汀州の経界を措置せしむ。
六月戊寅、久しく旱するを以て、画龍祈雨法を班す。甲申、太一宮・明慶寺に幸し雨を祷る。丁亥、梁克家薨ず。庚寅、臨安府火災あり。辛卯、太白昼に見ゆ。癸巳、王淮等、旱を以て罷めんことを求め、許さず。詔して衡州に炎帝陵廟を葺かしむ。己亥、両浙路の囚の罪一等を減じ、杖以下を釈く。
秋七月辛丑、戸部の上供殿最を罷む。丙午、詔して群臣に時政の闕失及び当今の急務を陳ぜしむ。丁未、旱のため、汀州の経界を罷む。己酉、詔して監司に州県の弊事、民間の疾苦を条上せしむ。辛亥、殿を避け膳を減じ楽を徹す。癸丑、命じて検正都司に群臣の封事を看詳せしめ、施行すべきものあれば以て聞かしむ。詔して省部、漕臣に已に蠲免したる逋欠を催理せしむるを、台諫に覚察せしむ。秀州の経、総制糴本銭を半年間権減す。丙辰、命じて臨安府に蝗を捕え、民に米を輸して振済を募る。紹興新科下戸の今年の和市布帛二万八千匹を除く。辛酉、江西、湖南饑饉、度僧牒を給し、売りて米を糴し振糶に備ふ。戊辰、雨。命じて給、舍に監司の条上する弊事を看詳せしむ。
八月辛未、度牒一百道、米四万五千石を賜ひ、紹興府の饑饉を振ずるに備ふ。甲戌、殿に御し膳を復す。癸未、留正を以て参知政事と為し、同知枢密院事を兼ぬ。丙戌、夔路の酬賞法を復す。
九月癸卯、太上皇豫せず。乙巳、徳寿宮に詣で疾を問ふ。丙午、万鐘等を遣はし金に使して正旦を賀せしむ。己未、徳寿宮に詣で疾を問ふ。乙丑、增收したる木渠の民田租を罷む。丙寅、官軍の私負を除く。
十一月戊戌朔、徳寿宮に詣づ、是より朔望皆之の如し。己亥、大行太上皇帝大祥、是より帝は白布巾袍を以て延和殿に御す。徳寿宮に詣づ、衰絰して杖つくこと初めの如し。詔して皇太子惇に庶務を参決せしむ。庚子、皇太子三たび庶務の参決を辞す、許さず。辛丑、徳寿宮に詣で禫祭し、百官服を釈く。甲辰、群臣三たび表を上りて殿に御し政を聴かんことを請ふ、詔して祔廟を過ぐるを俟つ。戊申、胡晋臣等を遣はし金主の生辰を賀せしむ。辛亥、冬至、徳寿宮に詣づ。甲寅、西南方に赤気有り日に随ひて入る。乙卯、雷す。戊午、詔して皇太子に議事堂に於て庶務を参決せしむ、内の寺監、外の守臣以下は、宰執と同除授を訖へて乃ち奏す。己未、詔して三日に一朝徳寿宮す。
十二月庚午、大理寺獄空。壬午、東北方に赤気有り日に随ひて出づ。癸巳、金完顔崇安等を遣はし来たり明年正旦を賀す、垂拱殿の東楹素幄に見ゆ、詔して礼物は殿に入るる毋く、之を有司に付す。
是歳、両浙、江西、淮西、福建旱、之を振す。
淳熙十五年
二月丁亥、金蒲察克忠等を遣はし来たり弔祭し、徳寿殿に於て礼を行ひ、次いで帝に東楹の素幄に見ゆ。癸巳、京鏜等を遣はし金に使して報謝せしむ。
三月庚子、王淮等大行太上皇の諡を上りて聖神武文憲孝皇帝と曰ひ、廟号高宗とす。乙巳、高宗の諡冊宝を徳寿殿に上り、又懿節皇后の改諡憲節冊宝を別廟の本室に上る。丁未、右丞相周必大太傅を摂し、節を持ちて梓宮を導く。癸丑、洪邁の議を用ゐ、呂頤浩、趙鼎、韓世忠、張俊を以て高宗廟庭に配饗す、吏部侍郎章森張浚、岳飛を用ゐんことを乞ひ、秘書少監楊万里浚を用ゐんことを乞ふ、皆報せず。丙寅、高宗を永思陵に権欑す。
五月己亥、王淮罷む。乙巳、帝既に薛叔似の言を用ゐて王淮を罷む、詔して叔似等に諭して曰く「卿等の官は拾遺、補闕を以て名と為す、糾劾を任ぜず。今奏する所は乃ち弾撃に類す、甚だ官を設け名を命ずるの意に非ず、宜しく自ら警むるを思へ」。丁巳、詔して『高宗実録』を修す。己未、祁門県大水。壬戌、始めて後殿に御す。詔して歳に銭五万六千余緡を出だし、広東十二州の折納米価銭を減ず。
六月丁卯、雨雹。戊辰、敕令所を罷む。己巳、伯圭を以て少傅と為し、帯御器械夏執中を奉国軍節度使と為す。癸酉、新江西提点刑獄朱熹を以て兵部郎官と為す、熹疾を以て未だ職に就かず。侍郎林栗熹の命に慢なるを劾す、熹祠を奉ぜんことを乞ふ。太常博士葉適栗の王淮、鄭丙、陳賈の説を襲ひ、「道学」の目を為し、妄りに正人を廃するを論ず。詔して熹仍ほ江西に赴かしむ、熹力辞して赴かず。庚寅、熒惑太微を犯す。
秋七月戊戌、高宗廟の楽を上りて『大勲』と曰ひ、舞を『大徳』と曰ふ。己未、兵部侍郎林栗を出づ。壬戌、恩平郡王璩薨じ、信王を追封す。
八月甲子朔、日に食あり。
九月庚子の夜、南方に赤黄の気ありて大内を覆う。辛丑、明堂に大饗し、太祖・太宗を以て配し、大赦す。癸卯、医官の試補法を改む。己酉、鄭僑等を遣わし金に使いせしめ正旦を賀す。甲寅、皇太后の宮名を慈福とす。
十一月庚子、煥章閣を建て、高宗の御集を蔵す。何澹を遣わし金主の生辰を賀す。甲辰、詔して百官に輪対せしめ、三奏を過ぐることなからしむ。
十二月丙寅、龔茂良を追復して資政殿學士とす。壬午、朱熹に命じ西太一宮を主管せしめ兼ねて崇政殿説書とす、辞して至らず。戊子、金田彥皋等を遣わし来たり明年の正旦を賀す。
是歳、江西・湖北・両淮・建寧府・徽州水害あり。
淳熙十六年
十六年春正月癸巳、金主雍殂し、孫璟立つ。甲午、孫抦を封じて嘉国公とす。丙申、黄洽罷む。己亥、周必大を以て左丞相とし、留正を右丞相とし、蕭燧をして兼ねて権知樞密院事とせしめ、禮部尚書王藺を參知政事とし、刑部尚書葛邲を同知樞密院事とす。乙巳、蕭燧罷む。丙午、皇太后慈福宮に移御す。戊申、昭慶軍承宣使郭師禹を以て保大軍節度使とす。辛亥、淮西の屯田を罷む。是の日、帝始めて二府に諭し、旬日を以て内禅すべしとし、周必大に命じ留身して詔草を呈せしむ。丙辰、拘催錢所を罷む。二広の官般官売塩法を復す。己未、徳寿宮を改めて重華宮とす。李綱に諡して忠定と曰う。
二月辛酉朔、日に食あり。壬戌、詔を下し皇太子に位を伝う。是の日、皇太子即皇帝位。帝素服を以て重華宮に駕す。辛未、尊号を上りて至尊壽皇聖帝と曰い、皇后を壽成皇后と曰う。
紹熙五年
紀讚