宋史

本紀第三十四 孝宗二

孝宗二

乾道三年

三年春正月甲辰、詔して廷尉・大理の官に獄情を以て宰執に白し、旨意を探刺して軽重を為すこと無からしむ。庚戌、三省戸房国用司を置く。初め、国用の匱乏を以て江州に屯駐する軍馬を罷む。是に至り復た之を留む。癸亥、銅銭の江を過ぐるの禁を罷む。利州西路諸軍の額を裁定す。

二月壬申、詔して国用司に月上の宮禁及び百司の官吏・三衙の将士の請給の数を上せしむ。癸酉、龍大淵を出して江東総管と為し、曾覿を淮西総管と為す。甲戌、大淵浙東に改め、覿福建に改む。乙亥、成都・潼川路転運司の輪年銓試を罷め、其の事を制置司に付す。辛巳、端明殿学士虞允文を以て枢密院事を知らしむ。癸未、雹を雨らす。甲申、知陳州陳亨祖の為に廟を光州に立て、名を湣忠と賜う。丙戌、『武経亀鑑』・『孫子』を以て鎮江都統戚方・建康都統劉源に賜う。癸巳、淮東の山水砦を措置す。丙申、太上皇・太上皇后に従い玉津園に幸す。戊戌、直秘閣・前広東提刑石敦義臓を犯し、面を刺して柳州に配し、其の家を籍す。

三月甲辰、太上皇・太上皇后に従い聚景園に幸す。辛亥、徳寿宮に詣で、恭しく医官の員額を裁定せんことを請う。丁巳、詔して四川宣撫司に千人を創め招き、司を置く所在に屯駐せしむ。壬戌、伯母秀王夫人張氏薨ず。

夏四月辛未、諸路州軍の逋負を蠲す。癸酉、秀王王夫人の為に後苑に成服し、百官名を進めて奉慰す。丁丑、利州東・西路を合して一と為す。戊寅、呉璘を以て興元府を知らしめ、利州路安撫使・四川宣撫使を充てしむ。

五月癸卯、葉顒等『三祖下仙源積慶図』及び『太宗真宗玉牒』・『哲宗宝訓』を上る。甲寅、呉璘薨ず。庚申、命じて四川制置使汪応辰に宣撫司の事を主管せしめ、司を利州に移す。揚州城を修す。壬戌、三衙の官属を大いに減ず。

六月己巳、汪応辰に命じて権に利州路屯駐御前軍馬を節制せしむ。辛未、復た利州東・西路を分ちて二と為す。甲戌、虞允文を資政殿大学士・四川宣撫使と為す。乙亥、金使いを遣わし来たり俘虜の人を取る。詔して実に俘虜民間に在る者は之を還し、軍中の人及び叛亡する者は預からず。戊寅、復た虞允文を以て枢密院事を知らしめ、宣撫使を充てしむ。帝親しく九事を書して之を戒む。淮西・江東総領所の営田を罷め、人を募り耕佃せしめ、壮丁は各本屯に還り、癃老は存留し、半減して請給す。甲申、詔して鎮江都統制戚方・武鋒軍都統制陳敏に各清河口の戦守の策を上らしむ。呉璘を追封して信王と為す。丁亥、詔して後省に理検院の典故を参考せしむ。辛卯、皇后夏氏崩ず。泉州の水災を振恤す。

秋七月己亥、薦挙改官の額を立つ。壬寅、皇太子の疾を以て、雑犯死罪の囚を減じ、流以下を釈す。乙巳、皇太子薨ず。諡して曰く莊文。己酉、東宮医官杜揖名を除き、昭州に編管す。尋いで瓊州に改む。

閏月辛未、詔して諸軍に復た副都統制を置き、文字は都統制と連書し、軍馬の調発は都統制に従う。違ふ者は奏劾す。戚方罷む。癸酉、安恭皇后を臨安修吉寺に権欑す。丁亥、戚方節鉞を落とし、信州に居住す。

八月丁酉、内侍陳瑜・李宗回坐し戚方に交結し賂を受け、瑜は名を除き、杖を決し、面をげいして循州に配し、宗回は名を除き、筠州に編管す。方に責めて果州団練副使を授け、潭州に安置し、盗む所の庫金を籍して以て軍を犒う。甲寅、久雨を以て、命じて臨安府に繫囚を決せしむ。丁巳、葉顒等罷まんことを請う。許さず。光・濠・廬三州・寿春府の賦を一年蠲す。戊午、官を遣わし分ち滞獄を決す。壬戌、知建康府史正志を以て沿江水軍制置使を兼ねしむ。塩官より鄂州に至る沿江の南北及び沿海十五州の水軍悉く之に隷す。癸亥、詔して給・舎に考課の旧法を討論せしむ。四川旱す。制置司に度牒四百を賜い、振済に備う。

九月戊子、太白昼に見ゆ。冬十月乙未朔、占城貢を入る。丁酉、唐瑑等を遣わし金に使いし賀正旦す。戊戌、真州城を修す。嗣濮王士輵を以て開府儀同三司と為す。庚子、内外の薦挙改官人の歳額を定む。癸卯、詔して帰正借補官資の人に枢密院の効士を充て、指定の州軍に於いて官庫の酒息を以て之を贍ふ者は、其の給を罷むること無からしむ。乙卯、金蒲察莎魯窩等を遣わし来たり賀会慶節す。

十一月丙寅、天地を圜丘に合祀し、大赦す。戊辰、雷す。己巳、詔して武臣及び百官を戒飭す。癸酉、郊祀の雷を以て、葉顒・魏杞並びに罷む。命じて陳俊卿を参知政事と為し、翰林学士劉珙を同知枢密院事と為す。甲戌、蔣芾・陳俊卿罷まんことを請う。許さず。丁丑、雷の発する時ならざるを以て、詔して台諫・侍従・両省の官に闕失を指陳せしむ。辛巳、詔して侍従・両省・台諫・卿監・郎官に郎官・寺監丞・監司・郡守に堪ふる者を挙げしむ。癸巳、川路の馬船を罷む。

十二月丙申、六合城を増築す。己亥、王瀹を遣わして金主の生辰を賀す。乙巳、豐儲倉を置く。會子を増印す。辛亥、吳益を以て太傅と爲す。庚申、金、徒單忠衛等を遣わして来朝し明年の正旦を賀す。

是歲、兩浙水、四川旱、江東西・湖南北路蝗有り、之を振恤す。

乾道四年

四年春正月戊辰、荊南の義勇民兵を籍し、衣甲を増給し、農隙の日に遇ひ番教す。壬午、秦塤・秦堪の郊恩蔭補を奪ふ。癸未、雨雹す。甲申、天竺寺に幸し、遂に玉津園に幸す。辛卯、吳益の郊恩蔭補を罷む。壬辰、葉顒薨ず。

二月甲午朔、福建路の鈔鹽を賣るを罷め、轉運司の歲發する鈔鹽錢十五萬緡を蠲免す。詔して四川宣撫使虞允文に四路の漕臣を集めて財賦の入る所を會計せしめ、兵額を對立せしむ。丁酉、湖北安撫司に命じ田を給して辰・沅・靖三州の刀弩手を募る。戊戌、和州に鑄錢鹽を置く。己亥、蔣芾を以て尚書右僕射・同中書門下平章事兼樞密使兼制國用使と爲し、觀文殿大學士史浩を四川制置使と爲す。浩辭して行かず。庚子、詔して蔣芾の常朝に贊拜して名を稱へざらしむ。芾辭し、之を許す。乙巳、王炎に出身を賜ひ、簽書樞密院事とす。癸丑、五星皆見ゆ。乙卯、雪降り、雨雹す。

三月庚午、敷文閣待制晁公武を以て四川安撫制置使と爲す。戊寅、詔して果州團練使韓崇嶽に贈り廟を立て、名を忠勇と賜ひ、宣州觀察使朱勇に廟を立て、名を忠節と賜ふ。己丑、四方霧下りて塵の若し。庚寅、楚州の壯丁・社民の稅役を蠲免す。陳亨伯に諡して湣節と曰ふ。

夏四月乙未、漢陽軍に收發馬監を置く。詔して公吏、公罪を犯さざる者は、併せて案問の法を引用計ふること毋からしむ。巳亥、郢州に轉般倉を置く。癸卯、使を遣わして邛・しょく二州の饑民にして亂を爲す者を撫す。己酉、韓世忠を追封して蘄王と爲す。甲寅、蔣芾等欽宗の『帝紀』・『實錄』を上る。丙辰、禮部員外郎李燾其の著す所の『續通鑒長編』建隆より治平に至る一百八卷を上る。丁巳、詔して太史局に新舊の曆を參用せしむ。戊午、詔して牛を販り淮を過ぐる者は、軍須を興販するの罪に論ずるが如くせよ。是月、綿・漢等州の饑を振恤す。

五月癸亥、度牒千道を出し、四川の科調を續けて減ず。乙丑、太白晝見ゆ。邛州安仁縣の荒旱に因り、蠲放を失ひ、饑民の擾亂を致せるを以て、守・貳・縣令を降罷追停すること差有り。甲申、趙鼎に諡して忠簡と曰ふ。丙戌、乾道新曆を行ふ。丁亥、饒・信二州・建甯府の饑民嘯聚するを以て、官を遣わして措置し振濟す。是月、西夏任敬德使を遣わして四川宣撫司に至り、兵を發して西番を攻むるを約す。

六月辛卯朔、太白晝見え、天を經る。甲午、詔して廣西の鈔鹽を罷め、官般官賣の法に復し、歲に轉運司の鈔錢十九萬緡を減じ、其の秋苗科折することを得ざらしむ。戊戌、諸路の逋負する乾道元年二月の和市・折帛・雜色錢を蠲免す。辛丑、龍大淵卒す。詔して以て甯武軍節度使致仕と爲す。五星皆見ゆ。癸卯、詔して四川宣撫司に錢引一百萬を増印し、民間の預借錢に對償せしむ。邛・蜀二州の夏稅を蠲免す。丁巳、興化軍の布衣林彖を行在に赴かしむるを召す。戊午、蔣芾母喪を以て位を去る。

秋七月壬戌、劉珙を以て參知政事を兼ねしむ。建甯府の布衣魏掞之を行在に赴かしむるを召す。異服異樂を禁ずることを申す。癸亥、徽州大水。己巳、沿江水軍制置司を罷む。辛未、衢州大水。戊寅、衢州を知る王悅盛暑に雨を禱り、蔬食減膳し、尤も勤めて疾を致して死す。直龍圖閣を贈る。丁亥、經・總制の餘剩錢二十一萬緡を以て邛・蜀州に樁留し、以て振濟に備ふ。己丑、久雨を以て、延和殿に御し囚を慮し、臨安府・三衙の死罪以下の囚を減じ、杖以下の者を釋す。是月、西夏間使を遣わして来る。

八月乙未、雨雪を祈るの法を諸路に班す。己亥、五星皆見ゆ。丁未、殿前司公事を主管する王琪旨を傳ふるに實せず、擅に工役を興す。三官を降し罷め放つ。庚戌、劉珙罷む。辛亥、陳俊卿政を罷めんことを請ふ。許さず。

九月庚申、内外の將佐升差審察の法を立つ。庚午、太上皇に從ひ天竺寺に幸す。品官の子孫の名田を限る。是秋、關外四州の營田官兵を罷め、民を募りて耕佃せしむ。

冬十月壬辰、鄭聞等を遣わし金に使して正旦を賀す。甲午、歸正人にして金人を藏匿する者を禁ず。乙未、臣僚言す、「天下の事は、必ず歴して後に知り、試して後に見る。縣令と爲る者は必ず丞簿を爲り、郡守と爲る者は必ず通判を爲り、監司と爲る者は必ず郡守を爲り、皆等差有り。今より職事官及び局務官は、必ず任滿して方ち外を求むるを許すべし。未だ親民の任使を歴せざれば、即ち未だ州郡を擬するを得ず、且つ通判を授くべし。」詔して之に從ふ。庚子、蔣芾起復して尚書左僕射と爲り、陳俊卿右僕射と爲り、並びに同中書門下平章事兼樞密使兼制國用使とす。甲辰、大閲す。己酉、金、移刺神獨斡等を遣わして来朝し會慶節を賀す。庚戌、大風。

十一月壬戌、無爲軍を知る徐子寅を遣わし楚州の官田を措置し、歸正忠義人を招集して以て耕さしむ。甲戌、盜賊の法を嚴にす。乙亥、詔して峽州の布衣郭雍を行在に赴かしむ。壬申、兩淮の歸正忠義にして田産有る者は、役を五年蠲免す。癸未、岳陽軍節度使居廣を封じて永陽郡王と爲す。

十二月丙申、胡元質等を遣わし金主の生辰を賀す。甲辰、魏掞之に同進士出身を賜ひ、太學録と爲す。蔣芾起復を辭す。之を許す。兩浙・江東西路の明年の夏稅・和市の半を減ず。甲寅、金、完顏仲仁等を遣わして来朝し明年の正旦を賀す。

乾道五年

五年春正月甲戌、両淮の屯田を措置す。

二月己丑、太廟の季点法を厳しく申し行う。乙未、楚州兵馬鈐轄羊滋に命じ、専ら淮河沿岸・海賊を措置せしむ。先に、海州の時旺、数千の衆を集めて命を請う。旺はやがて金人に捕らえられ、その徒で淮を渡り南に来る者甚だ衆し。故に滋に命じてこれを弾圧せしむ。戊戌、張浚に太師を贈り、諡して忠献とす。壬寅、給事中梁克家を以て簽書樞密院事とす。癸卯、大風。甲辰、王炎を以て参知政事兼同知樞密院事とす。丙午、雹降る。辛亥、詔して今後詔令、未だ両省の書読を経ざる者は輒ち行うことなかれ、給・舍の駁正は連銜同奏することなかれとす。

三月丁巳朔、詔して廬・和二州の城の修築を促す。己巳、成都府路の民戸が歳ごとに輸す対糴米脚銭三十五万緡を免ず。乙亥、王炎を以て四川宣撫使とし、なお参知政事とす。虞允文を行在に赴かしむ。丙子、礼部進士鄭僑以下三百九十二人に及第・出身を賜う。壬午、郭雍に号して沖晦処士とす。癸未、利州路諸州の営田官兵を罷め、民を募り耕佃せしむ。詔して侍従・監司・帥臣・管軍に、武挙出身の人で将佐に堪うる者を挙げしむ。

夏四月己丑、将作・軍器少監を復置す。壬辰、梁克家を以て参知政事を兼ねしむ。辛丑、詔して福建路の貧民、子を生めば、官に銭米を給す。庚戌、襄陽府城を修す。辛亥、衢・婺・饒・信四州の流民を振恤す。

五月己巳、帝、弩を射るに弦断ちて目を傷つけ、朝を視せず。金牒して俘獲人を取る。王抃、時旺の余党を尽く遣わすを議す。陳俊卿、不可を堅持す。帝、之を然りとす。

六月庚寅、太白昼に見ゆ。戊戌、始めて朝を視す。己酉、虞允文を以て樞密使とす。

秋七月乙丑、曾覿を召し入見せしむ。陳俊卿及び虞允文、これを罷むるを請う。許さず。行在に至り、俊卿・允文、復たその留むべからざるを言う。詔して覿を以て浙東総管とす。

八月甲申朔、日食あり。己丑、陳俊卿を以て尚書左僕射とし、虞允文を尚書右僕射とし、並びに同中書門下平章事兼樞密使兼制国用使とす。辛亥、淮西路に命じ小鉄銭を鋳造せしむ。

九月己未、淮東屯田官兵を罷め、民を募り耕佃せしむ。辛酉、詔して淮東諸州、農隙に民丁を教閲せしむ。甲子、詔して侍従・台諫に集議して欽宗配饗の功臣を定めしむ。壬申、大風。淮西安撫司参議官許子中に命じ、淮西の山水砦を措置し、帰正忠義人を招集して官田を耕墾せしむ。

冬十月乙酉、汪大猷等を遣わし金に使いし、正旦を賀せしむ。戊子、温・台二州の水害に遭いし貧民を振恤す。守臣・監司の失職を以て、降責等差あり。戊戌、大風。己亥、饒・信二州に命じ、歳ごとに各々上供米三万石を留め、振糶に備えしむ。癸卯、金、高徳基等を遣わし来たり、会慶節を賀す。

十一月癸丑朔、淮東万弩手を復置し、名づけて神勁軍とす。庚申、広東水軍を増置す。乙丑、孫拡を以て右千牛衛大將軍とす。明州定海県の水軍を以て御前水軍とす。丙寅、鄂州に岳飛の廟を立てる。己巳、太白昼に見ゆ。辛未、詔して侍従・台諫・両省官に、各々京朝官以上、監司・郡守に堪うる才ある者三人を挙げしむ。壬申、成閔を復して慶遠軍節度使・鎮江諸軍都統制とす。

十二月己丑、司馬伋等を遣わし、金主の生辰を賀せしむ。辛卯、大風。丁酉、応城県馬監を置く。李顕忠を復して威武軍節度使とす。乙巳、成都府広恵倉を復置す。戊申、金、完顔毅等を遣わし来たり、明年の正旦を賀す。

乾道六年

六年春正月癸丑、雅州沙平蛮、辺を寇し、碉緬砦を焚く。四川制置使晁公武、兵を調べてこれを討つも、利あらず。乙卯、楚州城を修す。丁巳、強盗の旧法を復し、その四年十一月の指揮を行わず。癸亥、初めて金字牌を降し四川宣撫司に下し、辺備を奏せしむ。乙丑、豊儲倉を増築す。庚午、奉国軍承宣使・知廬州郭振を以て武泰軍節度使とす。

二月乙酉、詔して戸部侍郎二人に諸路の財賦を分領せしむ。丁亥、舒州同安監を復置し、鉄銭を鋳造す。辛卯、王炎、人を遣わして沙平蛮を約し部に帰らしめ、稍々辺税を損じて之に与ふ。丙申、広西路、復た鈔塩法を行ひ、仍て通貨銭四十万緡を增收し、以て漕計に備ふ。壬寅、詔して大臣に諭す:役法を均しくし、限田を厳しくし、游手を抑へ、農桑に務めしむ。己酉、応城県孳生監を置く。庚戌、曾覿を以て福州観察使と為す。司農寺丞許子中を淮西に詣らしめ、鉄銭を措置せしむ。

三月癸丑、三省の言を用ゐ、両淮の守帥は宜しく其の任を久しくすべく、二年後に其の能否を察し、以て賞罰を行ふ。乙卯、枢密院の吏額百十四人を裁減す。丁巳、詔す:歩軍司は権に三万五千人を以て額と為す。王抃を起復して僉知閣門事と為し、専一に三衙の官兵を揀選するを措置せしむ。彰国軍節度使大周仁を贈りて太尉と為す。庚申、太上皇・太上皇后に従ひ聚景園に幸す。乙丑、晁公武・王炎協せざるを以て、四川制置司を罷め宣撫司に帰す。辛未、太上皇・太上皇后に従ひ聚景園に幸す。甲戌、三省の吏額七十人を裁減す。戊寅、知紹興府史浩を以て検校少傅・保寧軍節度使と為す。己卯、詔す:両淮の州県官は繁簡を以て其の任を易ふべし。江・浙・京湖・両広・福建等路都大発運使を復置し、新知成都府史正志を以て之と為す。

夏四月辛巳朔、鋳銭司を罷め発運司に帰す。並びに淮東総領所を淮西総領所に帰す。敷文閣直学士張震を以て成都府を知り、本路安撫使を充てしむ。乙未、発運使史正志に緡銭二百万を賜ひ、均輸・和糴の用と為す。吏部尚書汪応辰三たび上疏して発運司を論ず。戊戌、応辰を以て平江府を知らしむ。

五月甲寅、六部の吏額百五十人を裁減し、其の余の百司・三衙は是を以て差と為す。己未、陳俊卿・虞允文等、神宗・哲宗・徽宗・欽宗四朝の『会要』及び太上皇玉牒を上る。已巳、陳俊卿、使を遣はすの議合はざるを以て、罷めて観文殿大学士・知福州と為す。行在より鎮江に至る徴税所の比近なる者十有三を罷む。甲戌、詔して百官を戒飭す。丁丑、知潮州曾造贓を犯し、命を貸し、南雄州に編管し、其の家を籍す。戊寅、詔す:給舎・台諫に事を言はしむ。

閏月壬午、詔す:監司・帥臣守令の臧否を挙ぐるに失実すれば、清要官を挙ぐるの法に依りて罪を定む。甲申、諸州の上供綱目を印給し、季に申し歳に之を校し、以て殿最と為す。戊子、范成大等を遣はし金に使して陵寝の地を求め、且つ受書の礼を更定せんことを請はしむ。辛卯、吏部侍郎陳良祐、祈請使を遣はすは当たらずと論じ、辺釁を生ずるを恐る。詔して良祐妄りに異論を興し、不忠不孝なるを以て、放罷し、筠州に居住を送る。癸巳、環衛官の奉を増す。梁克家を以て参知政事兼同知枢密院事と為す。壬寅、江東漕臣黄石水災の州郡に行きて親しく按行せざるを以て、二官を降す。甲辰、辛次膺薨ず。戊申、武臣提刑を復置す。

六月壬子、卿監・郎官の更迭補外の制を申厳す。壬申、武学生を増して百人と為す。癸酉、蘄州蘄春監・黄州斉安監を置き、鉄銭を鋳造す。是の月、栄国公挺、東宮より出でて外第に居る。

秋七月癸未、詔す:沙田・蘆場の歳に収むる租税六十余万緡を左蔵南庫に入る。丙戌、詔す:川広の監司・郡守任満して奏事畢りて方に調す。己丑、興国軍興国監を置く。甲午、詔す:郎官を除くは並びに引対畢りて職に供す。辛丑、復た御前弓馬子弟所を置き、呉挺に兼ねて提挙せしむ。岳飛の廟に賜ひて忠烈と曰ふ。

八月庚戌、虞允文、早く太子を建つることを請ふ。癸丑、復た詳定一司勅令所を置く。丙寅、閣門舎人十員を置く。是の月、虞允文『乾道勅令格式』を上る。

九月壬辰、蘇軾に諡して文忠と曰ふことを賜ふ。辛丑、沅州の徭人相仇殺し、守臣孫叔傑兵を出して之を撃つも、利あらず。徭人進みて州城に迫る、安撫司諭して之を解く、叔傑尋いで罪に抵る。是の月、范成大金より至る、金遷奉及び欽廟の梓宮を帰するを許すも、受書の礼を易へず。

冬十月己酉、孫攄を以て左千牛衛大将軍と為す。丙辰、詔す:発運使は行在に司を置く。司馬樸に諡して忠潔と曰ふ。辛酉、呂正己等を遣はし金に使して正旦を賀せしむ。丁卯、金、耶律子敬等を遣はし来たり会慶節を賀す。甲戌、起居舎人趙雄、局を置きて恢復を議することを請ふ、詔して雄を以て中書舎人と為す。

十一月丁丑朔、軍器監一員を復置す。壬午、圜丘に於いて天地を合祀し、大赦す。乙未、神武中軍を復置し、呉挺を以て都統制と為す。曾覿を召して佑神観を提挙せしむ。丁酉、光堯寿聖太上皇帝の尊号に加へて光堯寿聖憲天体道太上皇帝と曰ひ、寿聖太上皇后の尊号に加へて寿聖明慈太上皇后と曰ふ。是の月、趙雄等を遣はし金主の生辰を賀せしめ、別に函書を以て受書の礼を更めんことを請ふ。左蔵南上庫を置く。

十二月戊申、大閲す。甲子、江州広寧監・臨江軍豊余監・撫州裕国監を置き鉄銭を鋳造す。壬申、金、蒲察願等を遣はし来たり明年の正旦を賀す。癸酉、発運司を罷む。史正志の奏課実ならざるを以て、責めて楚州団練副使・永州安置と為す。

是歳、両浙・江東西・福建水旱有り。

乾道七年

七年春正月丙子、群臣を率ゐて太上皇・太上皇后の冊宝を徳寿宮に奉上す。庚辰、虞允文復た太子を建つることを請ふ、帝、允文に命じて詔を擬して進めしむ。壬寅、三省に命じて旬に宣諭の聖語及び時政記を録して同く進めしむ。是の月、鋳銭司を復す。

二月癸丑の日、詔して子の惇を立てて皇太子とし、大赦を行ふ。慶王愷を以て雄武・保寧軍節度使・判寧國府と爲し、魏王に進封す。丁巳の日、皇太子宮の講讀官を増置す。庚申の日、會子庫を罷め、仍て戶部に内藏南庫の緡錢二百萬・銀九十萬兩を賜ひ、以て官兵の俸を増給す。甲子の日、詔して寺觀に稅役を免れしむること毋れ。丁卯の日、太傅・大寧郡王吳益薨ず。壬申の日、大風ふく。

三月乙亥朔、趙雄金國に至るも、金其の請を拒む。詔して水軍を訓習せしむ。丙子の日、恭王夫人李氏を立てて皇太子妃と爲す。戊寅の日、侍衛馬軍司を徙して建康に戍らしむ。己卯の日、劉珙を起復して同知樞密院事と爲す。明州觀察使・知閣門事兼樞密都承旨張說を以て簽書樞密院事と爲す。左司員外郎兼侍講張栻、說の執政に宜しからざるを言ふ。乙酉の日、沿海州軍の私に銅錢を齎して海船に下るの法を立つ。丙戌の日、將作監を復置す。殿中侍御史李處全、張說を遣はして邊戍を按行せしめ、以て衆論を息まんことを乞ふ。中書舍人范成大、詞を草せざることを乞ふ。戊子の日、說罷められて安慶軍節度使・提舉萬壽觀と爲る。庚寅の日、使を遣はして兩淮の麥を種づくるを核せしむ。丙申の日、大慶殿に御して皇太子を冊す。禮部侍郎鄭聞・工部侍郎胡銓・樞密院檢詳文字李衡・秘書丞潘慈明並びに罷む。虞允文、銓を留めんことを乞ふ。乃ち以て寶文閣待制兼侍講と爲す。己亥の日、皇太子紫宸殿に謝す。宰相百官を率ひて東宮に赴き賀す。

夏四月戊申の日、曾覿を以て安德軍承宣使と爲す。庚申の日、詔して諸路の增收無額錢物は、並びに南上庫に輸せしむ。壬戌の日、太上皇・太上皇后に從ひて聚景園に幸す。甲子の日、詔して皇太子に臨安府を判せしむ。己巳の日、詔して侍從・臺諫・兩省官に刑獄・錢穀に任じ、及び智略吏能ある者各二人を舉げしむ。辛未の日、詔して皇太子に臨安尹を領せしむ。

五月戊寅の日、淮東總領所を復置す。丁亥の日、劉珙起復して同知樞密院事と爲り、荊・襄宣撫使と爲る。珙辭して拜さず。庚寅の日、金人欽宗を鞏原に葬る。丁酉の日、詔して廣西帥臣に南丹州市馬を措置せしむ。是の月、知閣門事王抃を遣はして荊・襄の軍馬を點閱せしむ。

六月丙午の日、主管馬軍司公事李顯忠を復して太尉と爲す。己巳の日、吳璘に諡して武順と曰ふ。壬申の日、詔して兩淮の墾田に稅賦を創増する毋れ。

秋七月庚子の日、王炎を以て樞密使・四川宣撫使と爲す。

八月丙辰の日、詔して兩淮の民丁民兵に充つる者は、本名丁錢を輸する勿れ。辛酉の日、襄陽城を復修す。

九月壬申朔、江西・湖南旱あるを以て、命じて民を募りて兵と爲す。甲申の日、太上皇・太上皇后に從ひて東園に幸す。戊子の日、安定郡王令德薨ず。

冬十月丁未の日、紹興宗正行司を罷め、恩平郡王璩を改めて判西外宗正と爲す。己酉の日、莫濛等を遣はして金に使し正旦を賀せしむ。壬戌の日、金烏林答天錫等を遣はして來り會慶節を賀す。天錫帝に要して榻を降り金主の起居を問はしむ。虞允文帝に請ひて内に還らしめ、知閣門事王抃を命じて天錫に明日見ることを諭す。天錫沮み退く。癸亥の日、會慶節、金使班に隨ひ入見す。

十一月甲戌の日、集英殿に御して應賢良方正能直言極諫科李垕を策試す。戊寅の日、垕に制科出身を錫ふ。

十二月丁未の日、翟紱等を遣はして金主の生辰を賀せしむ。庚申の日、詔して閣門舍人、文臣館閣に依り以て次に輪對せしむ。癸亥の日、太醫局を罷む。丙寅の日、金完顏宗寧等を遣はして來り明年の正旦を賀す。

是歲、湖南・江東西路旱あり、之を振恤す。

乾道八年

八年春正月庚午朔、『乾道敕令格式』を班す。丁酉の日、景靈宮に朝獻し、遂に天竺寺・玉津園に幸す。

二月乙巳の日、詔して尚書左右僕射・同中書門下平章事を左・右丞相と改む。丙午の日、詔して六察分隸し、事違戾あるは、監察御史に隨事具實狀を以て糾劾し聞せしむるを許す。戊申の日、姚憲等を遣はして金に使し上尊號を賀し、受書の事を附請す。辛亥の日、虞允文を以て左丞相と爲し、梁克家を以て右丞相と爲し、並びに樞密使を兼ぬ。癸丑の日、安慶軍節度使張說・吏部侍郎王之奇を以て並びに簽書樞密院事と爲す。侍御史李衡・右正言王希呂、章を交へて說の執政たる可からざるを論ず。報へず。禮部侍郎兼直學士院周必大、答詔を草せず。權給事中莫濟、錄黃を封じて還す。詔して並びに在外宮觀と爲す。丙辰の日、詔して王希呂を罷め遠小監當と爲す。尋で詔して宮觀と爲す。丁巳の日、李衡罷められて起居郎と爲る。丙寅の日、戶部尚書曾懷に出身を賜ひ、參知政事と爲す。

三月戊子の日、詔して侍中・中書令・尚書令しょうしょれいの員数を省き、左丞・右丞をもってその位を充てさせた。

夏四月庚子の日、礼部進士の黄定以下三百八十九人に及第・出身を賜う。己酉の日、殿中侍御史の蕭之敏が虞允文の権を擅にして不公であると弾劾し、允文は政務を罷めることを請うた。これを許す。翌日、再び留任させ、之敏を出して提点江東刑獄とした。甲子の日、両淮官田を措置する徐子寅らが帰正人に授けた田地の逃亡の罪に坐し、官を奪うこと差等あり。乙丑の日、詔して再び両淮の二税を一年間免除す。

五月戊子の日、福建の塩に鈔法を行わしむ。丙申の日、宗室の銓試法を立てる。

六月庚子の日、武徳郎の令撎を以て金州観察使とし、安定郡王に封ず。壬寅の日、両淮の帰正人の撮収課子を免除す。淮東の巡尉で帰正戸口が淮を渡って逃亡するのを縦逸した者は、官を奪うこと差等あり。壬子の日、監司の薦挙員を省く。

秋七月辛巳の日、淮西の屯田官兵を罷め、帰正人を募って耕佃せしむ。姚憲・曾覿が金より至る。金人はその請いを拒む。癸未の日、覿を以て武泰軍節度使となす。壬辰の日、雹が降る。

九月戊辰の日、江西四監の鉄銭額を定む。乙亥の日、詔して王炎を都堂に赴かせて事を治めしむ。戊寅の日、虞允文を以て少保・武安軍節度使・四川宣撫使とし、雍国公に封ず。己丑の日、允文に家廟の祭器を賜う。壬辰の日、允文が入朝して辞す。帝、決策して親征する旨を諭し、允文に兵を治めて報を待たしむ。

冬十月丁未の日、馮撙らを遣わして金に使いせしめ、正旦を賀わしむ。丙辰の日、金が夾穀清臣らを遣わして来たり、会慶節を賀う。諸路の職田を借りることを罷む。

十一月辛未の日、官を遣わして江・浙・福建・二広・湖南の八路の官田を売らしむ。辛巳の日、四川諸州の教授員を復す。庚寅の日、検校少傅・知福州の史浩を進めて開府儀同三司となす。

十二月戊戌の日、両淮の来年の租賦を免除す。甲辰の日、詔して京西において帰正人を招集し、両淮の如く田を授けしむ。甲寅の日、命じて四川において武挙を試みしむ。丙辰の日、劉光世を追封して安成郡王となす。丁巳の日、韓元吉らを遣わして金主の生辰を賀わしむ。庚申の日、再び鑄錢司提点官二員を置く。辛酉の日、金が曹望之らを遣わして来たり、明年の正旦を賀う。

この年、隆興府・江州・筠州・臨江軍・興国軍に大旱あり。四川に水害あり。

乾道九年

九年春正月辛未の日、王之奇を罷めて淮南安撫使とし、王炎を罷めて観文殿大学士・提挙洞霄宮となす。乙亥の日、張説を以て同知枢密院事とし、戸部侍郎の沈夏を簽書枢密院事となす。戊寅の日、官を遣わして両浙の営田及び没官田を売らしめ、次いで江東・江西・四川もこれに倣わしむ。刑部尚書の鄭聞を以て簽書枢密院事となす。乙酉の日、福建の塩に官売法を復す。この月、両淮・荊襄の十六事を措置することを以て安撫司・転運司に勅し、諸州の守臣に督わせ、月ごとに行った事を奏せしめ、なお臧否を審択して以て黜陟を議わしむ。

閏月戊申の日、久雨により、命じて大理寺・三衙・臨安府及び両浙州県に繫囚を決せしめ、雑犯死罪以下一等を減じ、杖以下を釈放す。乙卯の日、廬州城を修す。辛酉の日、大風。天竺寺・玉津園に幸す。

二月壬申の日、江西旱害五州の逋負米を免除す。乙亥の日、青羌の奴児結が安静砦を寇し、黎州推官の黎商老戦死す。乙酉の日、孫の栄国公の趙挺薨じ、追封して国公となす。丁亥の日、特に蘇軾を贈って太師となす。

三月甲午の日、北界における銀絹の博易を禁ず。戊申の日、太上皇・太上皇后に従い聚景園に幸す。癸丑の日、再び進奏院を門下後省に隷属せしむ。丙辰の日、再び淮南安撫司を東路・西路に分つ。

夏四月丁丑、武鋒軍の軍額を裁定す。己丑、皇太子、臨安尹の事を解く。

五月壬辰朔、日食あり。己未、迪功郎朱熹、詔を屢下すも起たず、特ちに宣教郎に改め、台州崇道観を主管せしむ。

六月甲戌、両淮・荊襄・四川諸州の民戸の馬を籍するを禁ず。己丑、監司・守令を戒飭し農を勧めしむ。

秋七月壬寅、青羌の奴児結降る。辛亥、吐蕃の弥羌畜列、安静砦を陥とし、兵を引きて深く入る。黎州守臣、邛部川蛮を誘いてこれを撃ち却く。

八月丙子、詔して水利の興修を命ず。癸未、荊・鄂二軍を合して一と為し、呉挺を以て都統制に充つ。

九月丙申、梁克家等『中興会要』及び太上皇並びに皇帝の玉牒を上る。庚子、盱眙軍に命じ、受書の礼を以て牒を泗州に移し、金の生辰使に示す。金使従わず。

冬十月甲子、留正等を遣わし金に使いし正旦を賀す。右丞相梁克家、同知枢密院張説と使事を議するに合わず、乃ち去らんことを求む。辛未、克家罷められ観文殿大学士・建寧府知事と為る。壬申、矞雲見ゆ。甲戌、曾懐を以て右丞相と為し、張説枢密院事を知り、鄭聞参知政事と為り、沈夏同知枢密院事と為る。庚辰、金、完顔襄等を遣わし来たり会慶節を賀す。丁亥、襄等入朝して辞し、別函を以て受書の礼を議し申し、仍て虞允文に辺備を速かに為すべしと示す。

十一月辛卯、詔して枢密院の除授及び財賦、事中書・門下省に関するは、其の辺機軍政は更に録送せざるべし。戊戌、天地を圜丘に合祀し、大赦し、明年を改めて淳熙元年と為す。

十二月未朔、沿辺諸軍を戒敕し、間探を輒ち遣わし、叛亡を招納する毋からしむ。甲子、沈夏罷む。乙丑、御史中丞姚憲を以て枢密院事に簽書す。韓彦直等を遣わし金主の生辰を賀す。辛未、交阯貢を入る。癸酉、広西の客鈔塩を罷め、官般官売法に復す。甲戌、使を遣わし宜州市馬を措置す。乙亥、嗣濮王士輵・永陽郡王居広を並びに少保と為す。乙酉、金、完顔璋等を遣わし来たり明年の正旦を賀す。受書の礼を議するに合わざるを以て、詔して改日を俟つべし。太上皇の旨有るを以て、姑く仍旧に聴す。丁亥、璋等入見す。

是歳、浙東・江東西・湖北旱す。

淳熙元年

淳熙元年春正月乙未、淮西諸関の林木を採伐するを禁ず。戊戌、坐倉糴米の賞を罷む。庚子、両淮の将帥権摂官を罷む。丙午、両淮の耕牛の出境を禁ず。交阯の貢を入るるを以て、詔して国名を安南と賜い、南平王李天祚を封じて安南国王と為す。

二月癸酉、虞允文薨ず。辛巳、郭浩のために廟を金州に立つ。

三月戊子朔、詔して寄禄官及び選人並びに左右の字を去らしむ。丙申、鄭聞を以て資政殿大学士・四川宣撫使と為す。戊申、玉津園に幸す。癸丑、金、梁粛等を遣わし来たり事を計る。

夏四月戊辰、太上皇に従い聚景園に幸す。壬申、桂陽軍溪洞の子弟の州学に入り聴読するを許す。乙亥、詔して四川宣撫司に諸州の将兵を教閲せしむ。戊寅、張子顔等を遣わし金に使いし報聘す。己卯、姚憲を以て参知政事と為し、戸部尚書葉衡を以て枢密院事に簽書す。

五月壬寅、鄭興裔の創始した『検驗格目』を頒布す。

六月丙辰朔、礼官に命じて別に四祖廟を建て、太祖の東向の位を正すことを討論せしむ。戊午、興州都統制の吳挺を以て定江軍節度使と為す。癸酉、江陵府を改めて荊南府と為す。戊寅、曾懷罷免さる。癸未、姚憲罷免さる。甲申、憲の端明殿学士を落とし、宮観を罷む。葉衡を以て参知政事と為す。

秋七月丁亥、鄭聞を以て参知政事と為す。四川宣撫司を罷む。成都府路安撫使の薛良朋を以て四川安撫制置使と為す。戊子、廉吏を挙げることを詔す。壬辰、曾懷を以て右丞相と為す。己酉、姚憲を南康軍に居住せしむ。

八月己未、張説を罷めて太尉と為し、隆興府玉隆観を提挙せしむ。徽猷閣学士の楊倓を以て昭慶軍節度使・簽書枢密院事と為す。

九月乙酉朔、曾覿を以て開府儀同三司と為す。壬寅、玉津園に幸して宴射す。乙巳、宜州市馬を罷む。

冬十月辛酉、金銀出界の罪賞を立てる。壬戌、蔡洸を使金に遣わし、正旦を賀せしむ。癸亥、積雨を以て、中外に命じて繫囚を決す。丙寅、鄭聞薨ず。乙亥、金、完顏譲等を遣わして来たり会慶節を賀す。戊寅、占城、貢を入る。辛巳、再び臨安府民の身丁銭を三年間蠲免す。壬午、魏王愷を以て明州を判せしむ。郴州・桂陽軍の借貸常平米を蠲免す。

十一月甲申朔、日食あり。戊戌、礼部侍郎の龔茂良を以て参知政事と為す。楊倓罷免さる。葉衡を以て権知枢密院事を兼ねしむ。丙午、曾懷罷免さる。戊申、葉衡を以て右丞相兼枢密使と為す。

十二月丁巳、吏部尚書の李彥穎を以て簽書枢密院事と為す。壬戌、呉琚等を使金に遣わし、金主の生辰を賀せしむ。丙寅、鉄銭を罷め、銅銭に改めて鋳造す。庚午、礼官に詔して魏悼王の襲封を復することを論ぜしむ。壬申、葉衡等、『真宗玉牒』を上る。金、劉仲誨等を遣わして来たり明年の正旦を賀す。資政殿学士・知江陵府の沈夏を大学士に昇らせ、四川宣撫使と為し、仍って升差を主帥に従わせ、場務を軍中に還すことを命ず。新四川制置使の范成大を管内制置使に改む。

淳熙二年

二年春正月癸巳、前宰相の梁克家・曾懷、堂除を擅に改むるに坐し、克家は観文殿学士を落とし、懷は降って観文殿学士と為る。甲午、同安・蘄春の監を廃す。丁未、両淮諸荘の帰正人の安業を以て、徐子寅等に賞を行い差等あり。庚戌、諸軍の子弟を籍して背嵬軍と為すことを詔す。

三月丙申、太上皇の寿七十を以て、礼官に慶寿の典禮を討論することを詔す。乙巳、武挙の第一人を補して秉義郎と為し、堂除して諸軍の計議官と為すことを詔す。

夏四月乙卯、礼部進士の詹騤以下四百二十六人に及第・出身を賜う。己巳、玉津園に幸す。是の月、茶寇の頼文政、湖北に起こり、湖南・江西に転入し、官軍数たび其れに敗れ、江州都統の皇甫倜に命じて之を招撫せしむ。

五月辛卯、朝政の闕失を以て宰相に諭し、士民皆言を献ずるを得しむ。庚子、鄂州都統の李川に命じて兵を調発し茶寇を捕えしむ。乙巳、知県を三年を以て任と為すことを詔す。

六月庚戌朔、詔して自今宰執・侍従以下、外任に除するは、功績ある者に非ざれば職名を除せず、外任の人、労効あるに非ざれば亦た職を除さずとす。沈夏を以て同知枢密院事と為す。辛酉、四川宣撫司を罷む。倉部郎中の辛棄疾を以て江西提刑と為し、諸軍を節制し、茶寇を討捕せしむ。丁卯、左司諫の湯邦彥の言を用い、蔣芾・王炎の観文殿大学士を落とし、張説の節度使を落とし、芾は建昌軍、炎は袁州、説は撫州に居住せしむ。戊辰、湖南・江西の寇に被れたる州県を振済す。是の月、茶寇、湖南より広東を犯す。

秋七月辛丑、星、西方に孛す。

八月丙辰、江西総管賈和仲は茶寇を捕らえるに当たり軍律を失したことを以て、除名し賀州に編管す。甲子、安南国王に印を賜う。丁卯、湖南・江西の寇に遭った州県の租税を蠲免す。丁丑、左司諫湯邦彦等を遣わして金に使いせしめ議を申さしむ。

九月乙卯朔、湯邦彦は揚州・廬州・荊南・襄陽府・金州・興元府・興州を七路に分かち、各路に文臣一人を安撫使として民を治めさせ、武臣一人を都総管として兵を治めさせ、三年その成果を視て誅賞を議すべしと請う。これを従う。乙酉、淮南の水旱に遭った州県を振恤す。乙未、葉衡罷免さる。丁未、沈夏罷免さる。趙鼎に太傅を贈り、その爵邑を還し、豊国公を追封す。

閏月丁巳、李彦穎を参知政事とし、翰林学士王淮を簽書枢密院事とす。甲子、詔して武臣が軍に従う者は内職を帯びることを禁ず。是の月、辛棄疾、頼文政を誘いてこれを殺し、茶寇平ず。

冬十月戊寅朔、茶寇平定の功を賞し、湖南・江西・広東の監司・帥臣に黜陟差等あり。庚辰、大風。壬午、徳寿宮に詣で、光堯寿聖憲天體道太上皇帝の尊号に「光堯寿聖憲天體道性仁誠徳経武緯文太上皇帝」と加え、寿聖明慈太上皇后の尊号に「寿聖斉明広慈太上皇后」と加う。乙酉、謝廓然等を遣わして金に使いせしめ正旦を賀さしむ。戊戌、金、完顔禧等を遣わして来たり会慶節を賀す。

十一月戊申朔、太上皇・太上皇后の冊宝を奉じて徳寿宮に上る。庚戌、麗正門内に火災あり。癸丑、大風。戊午、提点坑冶王揖、羨余十万緡を進むるも、詔してこれを却けしむ。

十二月辛巳、『淳熙吏部七司法』を頒布す。張宗元等を遣わして金主の生辰を賀さしむ。甲午、徳寿宮に朝し、慶寿の礼を行ふ。大赦す。文武の官は父母を封じ、諸軍を賞す。天下の苗税を三分の一放免せんと議すも、大臣国用足らざるを言うにより、乃ち止む。丙申、強盗贓法を更めて定む。甲辰、金、完顔迨等を遣わして来たり明年の正旦を賀す。

淳熙三年

三年春正月甲寅、常州旱魃のため、その逋負の半を寛免す。犯贓蔭補法を刪定す。淮東の饑饉を振恤し、仍て貧民に種を貸すことを命ず。乙丑、帰正人を振恤す。

二月壬午、両淮の教閲民兵の夏税を蠲免す。癸未、伯圭を安德軍節度使とす。甲申、詔して四川の監司・帥守は、命を聞きて官に赴くに告敕を俟たざらしむ。韓世忠に諡して忠武と曰うことを賜う。是の月、諸路の没官田を鬻ぐことを罷む。

三月丙午朔、日食あり、霧雲のため見えず。辛亥、『太上皇日暦』を徳寿宮に上る。己未、六部編勅司を置く。癸亥、報恩寺に幸し、遂に聚景園に幸す。己巳、左蔵四庫を併せて二となす。辛未、詔して四川制置司は歳ごとに梁・洋の義士の材武なる者二人を択び、枢密院に遣わして赴かしむ。壬申、任子参選覆試法を立てる。

夏四月戊寅、詔して侍従・台諫・両省官は歳ごとに監司・郡守各五人を挙げしむ。辛巳、靖州の徭人辺境を寇し、兵を遣わしてこれを討捕す。丁亥、雹降る。己丑、葉衡を責授して徳軍節度副使・郴州安置とす。丁酉、湯邦彦・陳雷、使を奉じて状無きにより、除名し、邦彦は新州に、雷は永州に編管す。己亥、詔して諸路提刑は歳五月に囚を理すべし。

五月癸丑、利州東路・西路を合して一となす。安南国王李天祚卒す。戊午、使いを遣わして弔祭す。壬申、太白昼に見ゆ。

六月乙酉、四川の酒課四十七万余緡を減ず。甲午、朱熹が屡詔に起たざるを以て、特命して秘書郎と為すも、熹就かず。

秋七月乙丑、浙西の囲田を禁ず。

八月乙亥、王淮を同知枢密院事とし、礼部尚書趙雄を簽書枢密院事とす。詔して六察官は庶務を糾察し、台綱益々振るい、各二官を進む。庚辰、太上皇詔して貴妃謝氏を立てて皇后と為す。壬午、久雨のため、中外に命じて繫囚を決す。戊戌、靖州の徭寇平ず。

九月癸亥、詔して自今公罪を犯して死に至る者は、その蔭補を具して所犯を奏裁せしめ、令と為すことを著すと。

冬十月甲戌、久雨を以て、命じて中外に繫囚を決せしむ。丙子、文徳殿に御し、皇后を冊す。丁丑、命じて臨安守臣に逾侈を厳禁せしむ。庚辰、詔して自今凶歳に非ざれば爵を鬻ぐことを許さずと。癸未、閻蒼舒等を遣わして金に使し、正旦を賀せしむ。壬辰、金蒲察通等を遣わして来たり、会慶節を賀す。

十一月癸丑、天地を圜丘に合祀し、大赦す。庚午、張子正等を遣わして金主の生辰を賀せしむ。

十二月己丑、黎州蛮辺を寇し、官軍利あらず、蛮も亦遁去す。甲午、詔して職事官外に補せらるる者は、復た職を除くこと故事の如くせよと。呉玠を追封して涪王と為す。丁酉、鑄錢司の歳鑄額を十五萬緡と定む。戊戌、金劉珫等を遣わして来たり、明年の正旦を賀す。

是歳、京西湖北諸州・興元府・金・洋州旱し、紹興府・台・婺州水あり、並びに之を振る。

淳熙四年

四年春正月戊申、詔して自今内外諸軍歳に一たび閲試せしむと。庚申、詔して江に沿う諸軍歳に再び水戦を習わしむと。丙寅、雨雹す。丁卯、『淳熙暦』を班す。

二月乙亥、太学に幸し、先聖を祗謁し、退いて敦化堂に御し、国子祭酒林光朝に命じて『中庸』を講ぜしむ。詔を下し、遂に武学に幸し、武成王廟を謁す。監・学官進秩一等、諸生推恩・帛を賜うこと差あり。己卯、詔して諸軍未だ官を補せざる人を以て軍職に任ずること毋れと。戊子、辺人の溪洞に逃入する及び告捕の法を立つ。癸巳、武臣の環衛官を授くる法を立つ。戊戌、新知荊南府胡元質を以て四川安撫制置使兼知成都府と為す。

三月乙巳、史浩を以て少保・観文殿大学士・醴泉観使兼侍読と為し、永国公に進封す。己酉、龔茂良等『仁宗玉牒』・『徽宗実録』・『皇帝玉牒』を上る。庚戌、玉津園に幸し宴射す。壬子、随・郢二州の饑民に米を貸す。詔して李龍𣉙に襲封して安南国王と為さしむ。甲寅、韶州城を修す。丙寅、聚景園に幸す。

夏四月甲戌、魏王愷を以て荊南・集慶軍節度使・行江陵尹・判明州と為し、故の如し。乙亥、参知政事龔茂良、曾覿の従騎道を避けざるを以て、之を杖す。戊寅、上奏して政を罷めんことを乞う、許さず。甲午、帰正官の子孫に田屋を給す。

五月庚子朔、佑聖観に幸す。四川の和糴を罷む。

六月丁丑、龔茂良罷む。己卯、王淮を以て参知政事と為す。辛巳、『幸学詔』を班す。癸未、蜀州を升めて崇慶府と為す。甲申、詔して自今宰執朝殿に旨を得て、事須らく覆奏して乃ち行うべしと。

秋七月辛丑、江上の諸軍に戦馬を盗易するを禁ず。襄陽の饑民を振る。壬寅、待補太学の試法を立つ。戊申、御史臺の弾奏格を班す。乙酉、臨川伯王雱の従祀を罷む。癸丑、龔茂良を責授して寧遠軍節度副使・英州安置と為す。甲寅、四川の蕃に入る茶禁を申厳す。甲子、『淳熙重修敕令格式』を班す。

八月辛巳、耕牛の淮を過ぐるを禁ず。

九月丁酉朔、日食あり。己亥、命じて海潮の壊す所の塘岸を修築せしむ。辛丑、宰執以下の会慶節進奉を免ず。庚戌、礼官に命じて開宝・政和の祀礼を定めしむ。戊午、選徳殿に於いて蹴踘を閲す。

冬十月丙子、長く陰天が続いたため、内外の囚人を裁決するよう命じた。銭良臣らを金に派遣し、正旦を賀した。丁丑、監司・守臣に毎年武臣で知県に堪える者を各二人ずつ推挙するよう詔した。己卯、将士で智勇傑出の者は、等級を越えて昇進させるよう詔した。丁亥、金が完顔忠らを派遣し、会慶節を賀した。

十一月丁酉、両淮の帰正人を強勇軍とするよう詔した。庚子、趙雄を同知枢密院事に任じた。壬戌、太白星が昼間に現れた。癸亥、趙思らを派遣し、金主の生辰を賀した。

十二月丁卯、四川が上申した義士二人を試し、官を与えて帰した。己巳、薦挙の事実を格法に従って行うよう詔した。乙亥、大閲を行った。辛巳、太平州の民が貸した常平銭米を免除した。壬辰、金が完顔炳らを派遣し、明年の正旦を賀した。

この年、福州・建寧府・南剣州で水害があり、いずれも救済した。