高宗八
二月癸亥、玉津園に幸し、遂に延祥観に幸す。庚午、虔州の軍賊黄明等八人を都市にて臠(切り刻む)す。辛未、虔州を贛州と改む。壬申、冒貫して挙を請う法を厳しく申し聞かす。癸未、贛の盗賊平定の功を賞し、李耕を金州観察使とし、将士は進秩・給賞有差。
三月丙午、斉安郡王趙士㒟、建州にて薨ず。循王を追封す。詔して、凡そ民軍荘営田を認復する者は、開耕の銭を償わしむ。丁未、州県の都監・巡尉の擅に刑獄を置くことを禁ず。戊申、前太府丞範彦輝の謗訕により、除名し、荊門軍に編管す。是の春、金主亮、都を燕京に徙す。
夏四月辛巳、詔して諸州の編管・羈管の人、旧法に遵い、長吏月に一度検視し、囚禁を許さず。乙酉、利州の歳に銭を鋳るを九万緡に減ず。
五月庚寅、州県の私意を以て罪人の資産を籍することを禁ず。乙巳、再び蕭振を四川制置使とする。辛亥、金、紇石烈大雅等を遣わして来たり天申節を賀す。乙卯、淮南諸州の挙人解額を立てる。
六月乙卯、潼川大水す。
秋七月壬辰、平江府・湖・秀二州の水害を受けし民の夏税を寛理す。戊戌、秦檜の請う所に従い、台州に命じ綦崇礼の草した檜の罷相制に受けた墨勅を取らしむ。庚戌、諸軍の太湖に瀕して擅に壩田を作ることを禁ず。
九月甲午、潼川の水害を受けし州県を振恤し、仍て其の賦を蠲す。庚子、鹿胎を采ることを禁ず。
冬十月丁巳、詔して郡守年七十なる者は自ら陳ずるを聴き、宮観を主とせしむ。戊午、呉㮚を遣わし金に使いし正旦を賀し、施鉅を遣わし金主の生辰を賀す。戊辰、宋樸罷む。壬申、右諫議大夫史才を以て枢密院事を簽書し兼ねて参知政事を権す。丁丑、戸部郎官鐘世明を遣わし宣州・太平州の圩田を修築せしむ。是の月、大理に命じ妖人孫士道の獄を鞫わしむ。
十一月壬寅、詔して張叔夜の廟を信州に立てしむ。甲辰、『大宗正司条令』を班す。乙丑、経筵終帙に因り、宰執・講読等の官に秘書省にて宴を賜い、故事と為す。
十二月丁巳、詔して州県の税額少なき者は、其の監官を罷む。癸亥、韋淵薨ず。癸未、民の車服の制を踰えることを禁ず。
閏月丙申、検正都司の官に命じて郡守の上奏した利害を詳しく定めて奏聞させた。辛丑、諸軍に命じて統制官の在職十年にして過失なき者を保任させ、官秩を進めた。庚戌、金が蔡松年らを遣わして来年正旦を賀した。
この年、池州青陽県の田租一万七千石を減免した。
紹興二十四年
二十四年春正月辛未、延祥観に幸した。癸酉、初めて郡国に詔して同じく八月十五日に挙人の試験を行わせた。丙子、婉容劉氏を貴妃に封じた。戊寅、地震があった。
二月丁亥、前左従政郎楊炬はその弟楊煒がかつて上書して誹謗した罪に連座し、邕州に送られ編管された。丙午、呉益に太尉を加えた。
三月壬申、楊再興が再び辺境を寇し、前軍統制李道がこれを討って平定し、再興とその子の正修・正拱を生け捕りにし、檻車に乗せて行在所に送った。乙亥、礼部進士張孝祥以下三百五十六人に及第・出身を賜った。庚辰、秦檜が私怨により建康府知事王循友を捃摭し、詔して大理寺にこれを鞫かせた。この春、初めて夔州路の茶を専売とした。
五月癸丑朔、日食があった。衢州の民俞八が乱を起こし、州城を包囲したが、通判州事汪召錫がこれを防ぎ退けた。ついに厳州寿昌県を掠め、殿前司正将辛立を遣わしてこれを討ち平定した。辛未、金が耶律安礼らを遣わして天申節を賀した。
六月癸巳、史才罷免された。甲午、御史中丞魏師遜を以て簽書樞密院事兼権参知政事とした。辛丑、王循友は死罪を赦され、藤州に安置された。癸卯、詔して「かつて四川の州県に命じて財物を減免し、民力を寛げたが、なお慮りが周到でないことを恐れる。制置司・総領所に命じて共に措置させ、必ず軍食を妨げず、民を裕かにすることを期せ」とした。まもなく鐘世明を四川に遣わして同議させた。主管侍衛馬軍司成閔を以て慶遠軍節度使とした。
秋七月癸丑、張俊薨去した。勒停人王趯は李光と交通した罪に坐し、大理寺の獄に下された。乙卯、徭人の楊正修・正拱を市で臠にした。乙未、邛・雅二州に博易場三所を復置した。壬戌、詔して四川茶馬司の羨余銭を軍費に供し、民力を寛げた。甲子、再び蕭振の職を落とし、池州居住とした。乙丑、総領財賦符行中を以て四川制置使とした。乙亥、南丹州の莫公晟及び宜州界外の諸蛮が土地を納めて内附した。戊寅、張俊の邸に幸して臨奠した。
八月壬辰、百官が輪対を回避することを禁じた。甲午、温州の黄柑・福州の荔枝の貢進を罷めた。丙午、張俊を追封して循王とした。湘潭県丞鄭杞・主簿賈子展が朝政を嘲毀した罪により、除名し、鄭杞は容州、賈子展は徳慶府に編管した。
九月辛亥朔、李道を衡州に遣わして盗賊の措置を行わせた。丁巳、衢州の賊を平定した功を賞し、辛立を昇進させて忠州団練使を領させ、将士は職を遷し、銭を給すること差等があった。
冬十月壬午、旱害を受けた州県の租賦を蠲免した。戊子、沈虚中を金に遣わして正旦を賀し、張士襄を金主の生辰を賀すために遣わした。
十一月乙丑、魏師遜罷免された。丁卯、権吏部侍郎施钜を参知政事とし、鄭仲熊を簽書樞密院事とした。戊辰、秦熺を少傅に進め、嘉国公に封じた。この月、武岡軍通判方疇が胡銓に通書した罪及び他の罪により、除名し、永州に編管した。
十二月丙戌、故龍図閣学士程瑀に『論語講解』があり、秦檜がこれを疑って己を譏ったとし、饒州知事洪興祖がかつて序を為し、京西転運副使魏安行が版を鏤ったが、この時に至り命じてこれを毀たせた。洪興祖は昭州、魏安行は欽州に編管し、程瑀の子孫もまた罪に論じられた。丁亥、王趯を除名し、辰州に編管した。丁酉、鄞県知事程緯がその県丞王肇に告発され、上を慢にして人臣の礼無き罪により、除名し、貴州に編管し、その資産を没収した。壬寅、諸路の編管人を刺して廂軍に充てた。乙巳、金が白彦恭らを遣わして来年正旦を賀した。
紹興二十五年
二十五年春正月辛未、楊再興討伐の功を賞し、保寧軍承宣使李道は階官を落とし、龍神衛四廂都指揮使を加えられ、将士は官を進め、銭を賜ること差等あり。
二月乙酉、鎮江都統制劉寶を以て安慶軍節度使と為し、建康都統制王権を以て清遠軍節度使と為す。壬寅、通判常州沈長卿・仁和県尉芮燁が詩を作り譏訕したことを以て、除名し、長卿は化州、燁は武岡軍に編管す。
三月己酉、右司郎中張士襄、金国より使を為して還る。使を奉じて粛ならざるに坐し、官を罷む。壬申、地震す。
夏四月乙酉、施鉅罷む。鄭仲熊を以て兼権参知政事と為す。戊子、四川制置司に命じ、類省試院校に就きて刑法を校試するを許す。己亥、広西路折米銭を減ず。
五月丁未朔、日食あり。太廟仁宗室の柱に芝九莖生ず。戊申、諸路の免行銭、歳百八万緡を罷む。癸丑、以前知泉州宗室令衿が秦檜を譏訕したことを以て、遂に罪人と交結するに坐し、汀州に居住す。乙丑、金、李通等を遣わして来たり天申節を賀す。壬申、劉錡に湖南の田百頃を賜う。
六月庚辰、鄭仲熊罷む。辛巳、礼部侍郎湯思退を以て簽書枢密院事兼権参知政事と為す。癸卯、言者の追って岳飛を譖るに因り、岳州を改めて純州と為し、岳陽軍を華容軍と為す。是の月、安南貢を入る。
秋七月丙辰、四川の絹估・税斛・塩酒等の銭、歳百六十余万緡を減じ、州県の積欠二百九十余万緡を蠲免す。詔して四川の営田に民田を占むるあるは、常平司に按験して給還せしむ。甲戌、李天祚を封じて南平王と為す。
八月丁丑、誣告加等の法を厳に申す。辛巳、大理に命じ趙汾及び令衿の交通の獄を鞫わしむ。丙戌、吏部侍郎董徳元を以て参知政事と為す。諸路の身丁・免丁銭を一年蠲免す。壬辰、執政府を建つ。
九月丁巳、秦檜『紹興寛恤詔令』を上る。
冬十月庚辰、鴻臚寺を復置す。壬午、王岷を遣わし金に使し正旦を賀し、鄭柟を遣わし金主の生辰を賀す。乙酉、大理に命じ張祁の胡寅に附麗する獄を鞫わしむ。乙未、秦檜の第に幸して疾を問う。夜、檜、右司員外郎林一飛・台諫徐嚞・張扶等に諷して熺を相に拝するを請わしむ。丙申、檜を進めて建康郡王に封じ、熺を少師と為し、並びに致仕す。湯思退に命じ兼権参知政事と為す。是の夕、檜薨ず。丁酉、檜の姻党戸部侍郎兼知臨安府曹泳、官を停め、新州に安置す。朱敦儒・薛仲邕・王彦傅・杜思旦皆罷む。有司に命じ執政・侍従官にして外任に居り及び宮観を主りと謫籍に在る者の職位・姓名を具上せしむ。辛丑、殿中侍御史徐嚞・右正言張扶を徙めて皆他官に出だす。
十一月乙巳朔、檜を追封して申王と為し、諡して忠献と曰い、神道碑を賜い、額を「決策元功、精忠全徳」と為す。戊申、趙汾の二官を奪う。壬子、敷文閣直学士魏良臣を以て参知政事と為す。癸亥、天地を圜丘に合祀し、大赦す。甲子、秦檜の第に幸して臨奠す。乙丑、洪皓の官を復し、張祁の獄を釈す。丁卯、大理寺官の旬白を罷む。庚午、詔して監司・郡守、事の巨細無く、皆須く奏聞して裁決すべく、止めて尚書省に上ることを得ざれとす。臣僚の人才を薦挙するは、必ず三人以上同薦すべし。叔和州防禦使・右監門衛大将軍士俴を封じて崇慶軍節度使・嗣濮王と為し、福建路提刑令詪を利州観察使・安定郡王と為す。辛未、知建康府王会及び列郡の守臣王昤・王鑄・鄭僑年・鄭震・方滋、俱に諂附貪冒を以て罷む。真臘・羅斛国、馴象を貢ぐ。
十二月甲戌朔、詔して曰く「台諫は風憲の地、比来其人に非ざるを用い、大臣に党し、其の喜怒を済し、殊に耳目の寄に非ず。朕今親しく公正の士を除き、以て前弊を革む。此に継ぐ者は宜しく其の職に心を尽くし、党を合し交を締め、成法を敗乱する毋れ。当に此の戒を謹み、自ら咎を貽す毋れ」と。詔して張浚・折彦質・万俟禼・段拂に自便に聴す。李光を量移して郴州に安置す。乙亥、復た禼を以て資政殿学士、万寿観を提挙し兼侍読と為す。戊寅、鄭億年を責めて建武軍節度副使・南安軍安置と為す。壬午、詔して監司・守臣に羨余を禁め、権摂を罷め、苞苴を戢め、宴飲を節せしむ。詔して前後告訐の者莫汲・汪召錫・陸升之等九人を除名し、広南諸州に編管す。甲申、孟忠厚を召して朝請を奉ぜしむ。胡寅・張九成等二十八人に命じ並びに自便を令し、仍って其の官を復す。乙酉、董徳元罷む。丙戌、劉錡を以て潭州を知らしむ。辛卯、三省・六部に命じ続降の敕旨を条具して来上し、審詳して施行せしむ。甲午、敷文閣待制沈該を以て参知政事と為す。乙未、王会が権を恃み貪横なるを以て、官を停め、循州に編管す。丙申、復た蕭振を以て四川制置使と為す。張浚・折彦質・趙汾・葉三省・王趯・劉岑の官を復す。胡銓を衡州に移す。丁酉、閩・浙・川・広に真珠・文犀を貢ぐことを禁ず。州県に耗糧を加収するを戒む。己亥、金、耶律帰一等を遣わして来たり明年の正旦を賀す。
紹興二十六年
二十六年春正月壬子、諸州の税場を省き、以て商賈を寛む。甲子、趙鼎・孫近・鄭剛中・汪藻の旧職を追復す。乙丑、詔して監司を選択するに、須く七品以上の清望官、或いは朝擢を経て及び郡を治めて績を著くす者たるべし。丙寅、曹泳を吉陽軍に編管す。伯令衿を封じて明州観察使・安定郡王と為す。其の従弟令詪の譲るを以てなり。戊辰、民事律を除く。諸路の積負及び黄河竹索銭を蠲免す。
二月乙亥、四川の州県に対し、民の賦税を前借りしたものは期限を分けて整理するよう命ず。己卯、諸州の流寓士人の解額を定む。庚辰、進奏院の定本朝報を廃す。乙酉、進士林東が秦檜を追諂し、上書が狂妄であるとして、英州に編管す。右朝奉郎林一飛は林東を指使した罪に坐し、高州塩税を監する責めを受く。庚寅、三仏斉国、貢を入る。辛卯、魏良臣罷免さる。庚子、左朝散大夫王曮を秦檜の親党とし、直徽猷閣呂願中は貪虐にして檜に附すとして、曮は建昌軍に居住し、願中は果州団練副使に責められ、封州に安置さる。
三月甲寅、辺事既に定まるを以て、宰相の枢密使を兼領することを罷む。丁巳、両淮の辺民で未だ復業せざる者は、その租を十年間免除すと詔す。己未、万俟禼を参知政事とす。癸亥、呉璘に開府儀同三司を加う。乙丑、東平府の進士梁勳が闕に伏して上書し北事を言うを以て、千里外の州軍に送り編管す。丙寅、詔して曰く「講和の策は、朕の志より断ず。秦檜はただ朕を賛ずるのみ。豈にその存亡を以て定議を渝えんや。近ごろ無知の輩、浮言を鼓倡し、以て衆聴を惑わし、偽りて詔命を撰び、旧臣を用い召し、公車に抗章し、妄りに辺事を議するに至る。朕甚だ之を駭く。今より以後此れあるは、当に典憲を重ねて置くべし」。丁卯、閩・浙諸州の歳供軍器所物料を三分の一免除し、諸州の工匠千人を減ず。己巳、四川の民を募り淮南・京西の閑田を佃わしめ、並びに辺では租税を十年、次辺では五年免除す。
五月壬寅、沈該を尚書左僕射とし、万俟禼を右僕射とし、並びに同中書門下平章事とす。湯思退、枢密院事を知る。丁未、州軍の教授は他職を兼ぬべからずと詔す。丙辰、楚州・盱眙軍の民租を十年免除す。己未、金、敬嗣暉等を遣わし来り天申節を賀す。
六月辛未朔、諸路の戸絶田を鬻ぐことを罷む。丁丑、端明殿学士程克俊を参知政事とす。戊寅、権要の親族の中第覆試法を復す。乙酉、士を取るに程頤・王安石一家の説に拘らざるべしと詔す。丁亥、流星昼に隕る。辛卯、秦檜既に死すを以て、史館に対し日暦を重修せしむ。
秋七月辛丑、三衙の主帥に対し武臣で州を知るに堪うる者を挙げしむと詔す。壬寅、諸路の丁絹一年分二十四万匹を免除す。丙午、右奉議郎薛仲邕、連州に編管さる。丁未、彗星井宿に出ず。殿を避け膳を減ず。辛亥、諸州の守貳に対し各県の丁籍を考へ、年格に依り収除すべしと詔す。民間の市物は、官戸・勢家と編氓と均しく科す。丙辰、彗星滅す。進士で事に因り諸州軍に送られ聴読せしめられたる者を、特ちに逐便を放ち、仍お取応を許すと詔す。辛酉、水銀雨ふる。
八月戊寅、元豊・崇寧の学制を諸路に班す。前挙の登第者秦塤・曹冠等九人の出身を革正し、淮南提挙常平朱冠卿の言うところ、秦檜が私を挟み法を廃し、塤等は皆その子孫・親戚・門下の憸人なるを以て、ここに官有る応試者は授けられたる階官を左より右に易え、白身の者は駁放す。省額を占用したるは、復た後科に還す。庚辰、州県の吏額を裁す。己丑、建康府の積欠内帑銭帛を免除す。庚寅、安南国、使を遣わし貢を入る。辛卯、程克俊罷免さる。甲子、吏部侍郎張綱を参知政事とす。
九月乙巳、翰林学士陳誠之を同知枢密院事とす。丙午、互易薦挙坐罪法を立つ。壬子、成都・潼川両路の漕臣に対し、制置・総領・茶馬司とともに四川の財賦利害を審度し、その実恵民に及び、調度久しきに経るべきものを条具して聞かしむと詔す。甲寅、天聖・紹興の真決贓吏指揮を諸路に班示す。丙寅、大理寺の吏祿を増す。戊辰、吏・刑二部に対し条例を修め成法とせしむ。
冬十月己巳朔、秦檜の在位の日、辜なくして罪せられたる者自ら陳じて厘正するを許すと詔す。浙東常平司平准務を罷む。乙亥、四川の監司・帥臣・制置・総領・茶馬司に対し、各々郡を守るに可き者を挙げしむと詔す。甲午、郴・道・永三州及び桂陽軍の民身丁米を免除す。乙未、王会、瓊州に移され編管さる。宋貺が秦檜に党附せしを以て、梅州に責められ安置さる。丁酉、張浚が上書して用兵を論ずるを以て、旧に依り永州に居住す。辛丑、李琳を遣わし金に使いし正旦を賀し、葛立方を遣わし金主の生辰を賀す。
閏月丙午、廉州の珠貢を罷め、蛋丁をして自便ならしむ。己酉、離軍人で農に帰らんと願う者に対し、人ごとに江・淮・湖・広の荒田百畝を与え、その租税を十年免除すと命ず。乙卯、初めて臨安府左・右廂官を置き、訟牒を分掌せしむ。
十一月甲戌、吏部侍郎陳康伯・戸部侍郎王俁に対し国用の歳中出納の数を稽考せしむ。丙戌、六曹・寺監百司の吏額を裁定す。
十二月辛丑、三省に対し台諫の言うところの事を録し枢密院に報ぜしむ。癸丑、万俟禼、『重修貢挙敕令格式』を上る。甲寅、諸路の鋳銭司を罷む。庚申、詔に応じ事を論じて切当なる者を賞す。壬戌、三仏斉国、貢を入る。甲子、金、梁𥆿等を遣わし来り明年の正旦を賀す。
紹興二十七年
二十七年春正月乙酉、延祥観に幸す。戊子、侍従に対し各々宗室の京朝官で才識・治行ある者二人を薦めしむ。
二月丁酉朔、経義・詩賦を兼習する法を復す。庚子、楊政卒す。壬寅、太廟仁宗・英宗両室の柱に芝草生ず。戊午、御史中丞湯鵬挙を参知政事とす。庚申、福建路塩法を更定す。癸亥、劉錡に太尉を加う。
紹興二十八年
五月、金、蕭恭等を遣はして天申節を賀せしむ。
六月壬辰、太白(金星)が昼間に現れた。癸巳、流星が昼間に墜ちた。甲寅、浙西・江東・淮東の沙田・蘆場の租課を増額し、提領官田所を設置してこれを管掌させた。
秋七月庚申、江西上供米綱の賞格を定めた。戊辰、詔して曰く「監司が官吏を按発したときは、置司する州軍に送って推鞫させてはならない。所犯が重きに渉る場合は、直ちに奏聞し、隣路の監司に命じて官を選び就いて鞫問させよ」。己卯、公私の銅器をことごとく取り上げて鑄錢司に付すことを命じ、民間で輸納しない者はこれを罪した。庚辰、親しく郊廟の楽章を制作した。乙酉、没官田の売却を再開した。
八月戊子朔、国史院を設置し、神宗・哲宗・徽宗の三朝正史を修撰した。己丑、風水災害を受けた州県の苗税を検放し、なお飢民を振貸した。乙未、四川十七州の挙人解額を増加した。戊戌、湯思退らが『徽宗実録』を上進した。壬寅、戸部侍郎令詪に命じて諸路の鑄錢を提領させた。甲寅、地震があった。
九月辛未、銅錢の出界に関する罪と賞を定めた。甲戌、詔して吏部七司の旧制と続降の規定を参酌して異同を定め、定法として立てさせた。丁丑、殿前司に虎翼水軍千人を置いた。庚辰、中書舎人王剛中を四川安撫制置使とした。辛巳、叔父の建州観察使士輵を昭化軍節度使・嗣濮王に封じた。癸未、平江・紹興・湖州で水害を受けた民の逋賦を免除した。
冬十月丁亥朔、沈介を派遣して金に使いさせ正旦を賀し、黃中を派遣して金主の生辰を賀した。辛丑、監司・帥・守が私的に軍匠を役使することを禁じた。
十一月己卯、圜丘において天地を合祀し、大赦を行った。壬午、再び命じて諸人の赦により移放された者を検挙させ、告訐により罪を得た者はこれに預からせなかった。
十二月庚寅、安定郡王令衿が薨去した。辛丑、睦親宅を修築し、宮学を建立した。丁未、李光の官を復し、自便に放免した。戊申、楚州の帰附民の賦役を五年間免除した。壬子、金が蘇保衡らを派遣して来年正旦を賀した。
この年、興元都統制姚仲が再び興元府など五州の義士を籍定し、二万余人を得た。
紹興二十九年
二十九年春正月丙辰朔、皇太后が八十歳であることを以て、慈寧殿に詣でて慶寿の礼を行った。庚申、平江の三十六浦を浚渫して水を泄らした。庚午、湖州・秀州などの飢民を救済した。癸酉、延祥観に幸し、ついで玉津園に幸した。庚辰、諸州の倉塩を科売することを禁じた。癸未、沙田・蘆場で風水に侵された者の租の半額を免除した。今月、金国が沿辺の榷場を廃止し、ただ泗州のみ旧のままとした。
二月丙戌朔、我が国もまた沿辺の榷場を廃止し、盱眙にあるもののみ存置した。呉璘に少保を加えた。己丑、海商が風潮を仮託して私かに北界に往くことを禁じた。壬辰、臨安府の歳供修内司銭三万六千緡を免除した。丁酉、四川の折估糴本積欠銭三百四十万緡を免除した。戊戌、大雪が降り、雹が降った。己亥、広南羈縻州の物貨を貿易することを禁じた。広西に命じて峒丁を教閲させた。庚戌、諸路の斥候遞卒を廃止した。甲寅、貶死した臣僚の姓名を具えて取り上げ、恩典を加えることを議した。
三月丙子、州県の積欠銭三百九十七万緡余、及び中下戸の入宮銭物に欠けたものを免除した。丁丑、詔して侍従・台諫・帥臣・監司に毎年将帥に任ずべき者二人を挙薦させた。命官の子孫の制田を父祖の半分に減じ、その詭名寄産の者を併せ、格外の田畝を編戸と同じく科役することを限った。己卯、湖州・平江・紹興の流民の公私の逋負を免除した。
夏四月壬辰、国子司業黃中が金国より使いして還り、金人が汴京に徙居して我が国を逼迫せんとしていると述べ、早く辺備を整うることを望んだ。宰相は怒り、聞き入れなかった。己亥、三省の法を修めた。庚子、帯御器械四員を増置した。丙午、内外の将佐が営造・回易を行い、軍士を掊斂することを禁じた。辛亥、政績ある県令を諸司が共同で推薦し、次を待たずに昇擢し、以て風厲することを命じた。
五月甲寅朔、福建の閃生沙田の売却を廃止した。丁巳、詔して殿前司に統制官を選び兵千人を部して江州に戍守させ、盗賊を弾圧し、毎年交替させた。己未、江・浙四路の折帛銭を三総領所及び浙西提刑司に樁頓し、以て軍用に備えた。辛酉、権要・豪民が軍中に銭を挙げて利息を取ることを禁じた。丁卯、三総領所の見銭公據・関子を印給することを命じ、商人の入納を許した。己巳、監司・守臣の挙劾八条を立てた。金が王可道らを派遣して天申節を賀した。
閏月甲寅の日、荊南の戍卒を千人増員し、守臣の劉錡もまた効用三千人を募る。丁巳の日、江・湖・浙西の五つの漕司に命じて、価格を増して米二百二十万石を糴し、沿江の十郡、荊州から常州に至るまで輸送させ、振貸に備えさせる。戊午の日、成都府路の隔槽酒務監官七十一員を廃止し、民に承買させる。己未の日、江・浙・淮東の沙田蘆場で増加させた租課を廃止する。甲子の日、沈該の観文殿大学士を落とし、致仕させる。福建安撫司の官売塩を廃止する。戊辰の日、淮西の冗官を大いに省く。辛未の日、江・淮・荊・浙・福建・広南路の提点坑冶鋳銭官を再び設置する。
秋七月丁亥の日、権吏部尚書の賀允中を参知政事とする。癸巳の日、権戸部侍郎の令詪を安定郡王に封ずる。戊戌の日、福州に大水あり。己酉の日、諸路に官田を抑買することを禁ずる。庚戌の日、四川の経・総制及び田晟の銭糧銭合わせて百三十四万緡を、増招した軍校の費用に充てる。
八月甲子の日、商人に米を行在の諸倉に輸納するよう募り、茶・塩・礬鈔等で代価の償還を希望する者は聴許する。丁卯の日、南雄・英・連の三州の経界を除き、丁米の旧額に復する。甲戌の日、史館を秘書省に併合し、玉牒所を宗正寺に併合する。
九月甲申の日、詔して、建炎以来、使節として未だ帰還せず、かつ後嗣に禄のない者には、一子に官を与える。乙酉の日、王綸が使節より帰還し入見し、金国との和好に他事なきを言上する。丙戌の日、湯思退らがこれを称賀する。甲午の日、湯思退を尚書左僕射とし、陳康伯を右僕射とし、ともに同中書門下平章事とする。乙未の日、皇太后の不豫により、大赦を行い、朝政を視さず。丙申の日、太后のために福を祈る。中下戸の未納税賦及び江・浙の蝗害・水害を受けた州県の租を免除する。丁酉の日、僧道の免丁銭を減ずる。己亥の日、現に監禁中の贓罰賞銭を免除する。庚子の日、皇太后韋氏崩ず。癸卯の日、周麟之らを金国奉表哀謝使として派遣する。
冬十月甲寅の日、群臣が五度上表したため、初めて政務を聴く。保康軍節度使の呉益を欑宮総護使に命ずる。乙亥の日、諸路の和糴において民に妄りに米を運搬させる賞格を定める。戊寅の日、皇太后に冊諡して顕仁と曰う。
十一月丁亥の日、賀允中らを金国遺留国信使として派遣する。丙午の日、顕仁皇后を永祐陵に仮欑する。
十二月甲寅の日、諜報により北界が民に起兵の伝播を禁じていると聞き、帝は大臣に常に自らを治め、辺境を安んじ民を休ませる計略を為すよう諭す。甲子の日、顕仁皇后の神主を太廟に祔する。辛未の日、王綸を枢密院事知らしむ。壬申の日、三省・枢密院の激賞庫及び諸書局の歳用銭二十万緡、鼎州の程昌寓が増加させた蔡州官兵の衣糧銭の四分の一、西和州の官売塩価の半額、蒋州の上供経・総制司の無額銭を減ずる。丙子の日、金が施宜生らを派遣して来年正旦を賀す。
紹興三十年
三十年春正月戊子の日、劉錡の軍費に銭六十万緡を給す。丙申の日、吏部侍郎の葉義問を同知枢密院事とする。御書院を廃す。丁酉の日、鈞容班の楽工及び甲庫酒局を廃止する。壬寅の日、人を募り淮南の荒田を開墾させる。甲辰の日、御輦院の三営の兵額を九百人と定める。
二月甲寅の日、夔州路の茶の専売を廃止する。乙卯の日、金が大懐忠らを派遣して来り弔祭す。戊午の日、葉義問を金国報謝使として派遣する。癸酉の日、詔して普安郡王の瑗を皇子に立て、名を瑋と改めしむ。丙子の日、建王に進封する。
三月辛巳の日、館職の召試を復活させ、その後除擢する。湖北・京西宣撫司の諸庫の未納銭八十九万緡を免除する。癸未の日、淮東茶塩司の銭十万緡を民を募り田を墾く費用に充てる。乙酉の日、呉益に少保を加え、趙密に開府儀同三司を加え、欑宮の労を賞す。丁酉の日、初めて金州御前諸軍都統制を置き、金州知事の王彦をこれに当たらしむ。癸卯の日、礼部進士の梁克家以下四百十二人に及第・出身を賜う。甲辰の日、潮・恵の二州に牧馬監を置く。丙午の日、恩平郡王の璩に開府儀同三司・判大宗正事を加え、初めて皇侄と称す。
夏四月己酉朔の日、孫愭を蘄州防禦使とし、愷を貴州団練使とし、惇を栄州刺史とする。丙辰の日、賀允中を兼ねて権同知枢密院事とす。
五月辛巳の日、海賊で死罪に至らざる者を刺して龍猛・龍騎軍とする。初めて荊南府御前諸軍都統制を置き、劉錡にこれを兼領させる。乙酉の日、初めて江州御前諸軍都統制を置き、歩軍司前軍都統制の戚方をこれに当たらしむ。詔して諸路に強盗で死を貸し免れた少壮者を刺して兵とすることを命ずる。丙戌の日、鋳銭司の歳鋳額を五十万緡と定める。辛卯の日、臨安・于潜・安吉の三県に大水あり。海賊の陳演添が乱を起こし、高・雷の二州の境を掠め、南恩州の民の林観がこれを捕らえ殺す。林観に官を与えるよう命ずる。丙申の日、金が蕭栄らを派遣して天申節を賀す。壬寅の日、沈該の致仕を落とし、観文殿大学士・明州知事に復す。丙午の日、呉益に太尉を加える。
六月庚戌の日、再び諸軍の現銭関子三百万緡を出し、商賈に銭銀で請買することを聴許する。庚午の日、王倫を罷免す。辛未の日、江西・広東・湖南の折帛・経総制銭合わせて六十万緡、江西の米六万石を江州の軍費に充てる。後に四川利路の経総制銭・江西の茶引合わせて二十万緡を増補する。
秋七月戊寅の日、明州の水軍三百を昆山の黄魚垛に戍らせ、盗賊となる槽船を巡捕させる。甲申の日、詔して諸路の帥司に、春秋に禁兵の弓弩手を教閲させる。戊戌の日、葉義問を枢密院知らしめ、翰林学士の周麟之を同知院事とし、御史中丞の朱倬を参知政事とする。
八月丙午朔、日に食あり。壬子、賀允中使より還り、金人の必ず盟に叛きんことを言い、宜しく之が備えを為すべし。癸丑、允中致仕す。甲寅、復た四川の経・総製銭五十万緡を以て総領所に給し、兵士を増招す。壬申、淮東総管許世安奏す、金主亮汴京に至り、重兵五十余万を起こし、宿・泗州に屯し、来たりて攻めんと謀る。
九月庚寅、帯御器械李宝を以て浙西副総管と為し、海船を提督せしめ、平江に駐す。丙申、劉宝に命じて制勝軍千人を招かしむ。丁酉、内侍省を罷む。
冬十月丙午、内侍官の諸軍奏報文字を承受するを罷む。丁未、虞允文を遣わし金に使して正旦を賀せしめ、徐度をして金主の生辰を賀せしむ。庚戌、雷す。辛酉、鎮江都統制劉宝、専悍貪横を以て罷む。壬戌、劉錡を以て鎮江都統制と為し、荊南右軍統制李道を都統制と為す。癸亥、日中雲無くして雷す。癸酉、舒・和・蘄・黄四州の民の附種田租を蠲す。
十一月庚辰、諸路の職田銭を折輸するを禁ず。癸巳夜、白気有りて危・昴の間に出没す。
十二月乙巳朔、湯思退罷む。初めて会子を東南に行う。戊申夜、白気天に亙る。海南の黎賊王文満平ぐ。己酉、三衙及び江上諸軍を招刺するを罷む。庚戌、生口を掠売して溪峒に入るを禁ず。癸丑、戸部に命じて経・総製銭の十年中の数を立てて定額と為す。丁卯、金、僕散権等を遣わし来たりて明年の正旦を賀す。