宋史

本紀第二十九 高宗六

高宗六

紹興八年

八年春正月戊子朔、帝は建康に在り。丙申、臨安府の夏税折輸銭を減ず。戊戌、張守罷む。辛丑、偽斉の知寿州宋超、兵民を率いて来帰す。蔡州提轄白安時、金将兀魯を殺し、其の守劉永寿を執へて来降す。詔して、方に和好を議するを以て、沿海州郡に人を遣はし淮を過ぎて招納するを禁ず。丁未、張俊の軍を大閲す。戊申、兵部侍郎胡世将を以て四川安撫制置使と為す。

二月戊午、劉錡入見す。建康府の夏税折輸銭を減じ、民戸の逋租・和市科調をゆるす。庚申、日中に黒子有り。呂頤浩を以て江東安撫制置大使兼行宮留守と為す。壬戌、岳飛兵を増すを乞ふ、許さず。癸亥、帝建康を発つ。丙寅、胡安国の『春秋伝』成書を以て、宝文閣直学士に進む。戊寅、帝臨安に至る。己卯、戸部尚書章誼を以て江東安撫制置大使兼行宮留守と為し、呂頤浩を醴泉観使と為す。甲申、紹興府の和市絹万匹を減ず。

三月己丑、知南外宗正事仲儡を以て濮王をがしむ。庚寅、礼部尚書劉大中を参知政事と為し、兵部尚書王庶を枢密副使と為す。壬辰、復た秦檜を尚書右僕射・同中書門下平章事兼枢密使と為す。甲午、陳与義罷む。戊戌、夔州路の路分都監一員を増し、関隘を修治し、義兵を練る。己亥、農器及び牛税を蠲す。李天祚を以て静海軍節度使・交趾郡王と為す。壬寅、故相韓忠彦を以て徽宗廟廷に配享するを定む。丁未、過ぐる所の州県民の積欠税賦を蠲す。戊申、江西・湖南諸州の月椿銭各万緡を蠲す。己酉、川・陝宣撫司の便宜に授けたる官を考核し、冒濫尤甚しき者は悉く裁減するを命ず。

夏四月庚申、初めて戸部和糴場を臨安に置く。壬戌、王庶を遣はし江・淮の辺防を巡視せしむ。丁丑、復た六路発運司を置く。癸未、詔して三衙管軍をして禁中に輪宿せしむ。

五月庚戌、詔して鎮江府に横江軍千人を募らしむ。内侍羅亶を海島にす。庚子、貧民の子を挙げざるを禁じ、其の育つ能はざる者に銭を給ひて之を養はしむ。壬寅、劉子羽を貶して単州団練副使・漳州安置と為す。丁未、金国使烏陵思謀・石慶充、王倫等と偕に来る。戊申、資政殿学士葉夢得を以て江東安撫制置大使と為す。己酉、王庶淮南に至り、張宗顔に檄して兵七千を将ひ廬州に屯せしめ、巨師古に三千を将ひ太平州に屯せしめ、韓世忠の軍を分かち泗州及び天長県に屯せしむ。

六月壬戌、衍聖公孔玠に衢州田五頃を賜ひ、先聖の祠事を奉ぜしむ。癸亥、趙鼎『重修哲宗実録』を上る。壬申、礼部進士黄公度以下三百九十五人に及第・出身を賜ふ。王庶淮南より還り入見す。乙亥、中護軍統制張宗顔を以て廬州を知らしめ、劉錡に命じて兵を率ひ移り鎮江府に屯せしむ。丁丑、烏陵思謀・石慶充入見す。

秋七月乙酉朔、復た王倫及び藍公佐に命じて梓宮を奉迎せしむ。司馬光の曾孫伋を録し承務郎に補す。辛亥、彗星東方に出づ。

八月戊午、詔して曰く、「日にこのごろ使を遣はし隣国に報聘し、期して梓宮を還さむとす。尚ほ辺臣の未ださとらざるを慮り、遂に戎備を弛め、以て衆心を疑はしむ。其れ各厳に属城をととのへ、明らかに部曲に告げ、事に臨みて必ず戒め、捍禦を忘るる無からしめよ。」甲子、江東路の月椿銭万三千緡有奇を蠲す。丁丑、彗星滅す。監察御史李寀を遣はし江西に宣諭し、盗賊を措置せしむ。

冬十月丁巳、劉大中罷む。甲戌、趙鼎罷む。乙亥、日中に黒子有り。丁丑、金国使張通古・蕭哲、王倫と皆来る。韓世忠、行在に奏事を乞ふ、許さず。戊寅、枢密副使王庶、和議の文字に簽書するを免ぜむことを乞ひ、累疏して去らむことを求む、許さず。

十一月甲申、翰林学士承旨孫近を参知政事と為す。丙戌、大理寺丞薛倞・朱斐を遣はし広南路に詣り滞獄を決せしむ。戊戌、王倫入見す。己亥、復た王倫を国信計議使と為し、中書舎人蘇符を其の副と為す、符疾を以て辞す。庚子、孫近を以て兼権同知枢密院事と為す。辛丑、詔して曰く、「金国使を遣はし境に入り、朕が己を屈して就和せむと欲す。侍従・台諫に命じ詳しく思ひ条奏せしむ。」従官張燾・晏敦復・魏矼・曾開・李弥遜・尹焞・梁汝嘉・楼炤・蘇符・薛徽言、御史方廷実皆不可と言ふ。甲辰、王庶罷む。辛亥、枢密院編修官胡銓の上書直諫し、和議を斥くるを以て、名を除き、昭州に編管す。壬子、改めて広州都塩倉を監せしむ。

十二月甲寅、趙鼎を以て醴泉観使と為す。乙卯、宗正少卿馮楫を以て国信計議副使と為す。己未、吏部尚書李光を参知政事と為す。戊辰、王倫言ふ、金使「江南を詔諭す」と称す、其の名正しからず。秦檜、未だ国書を見ざるを以て、封冊なるを疑ふ。帝曰く、「朕祖宗の基業を嗣ぎ守る、豈に金人の封冊を受くべけんや。」癸酉、館職胡珵・朱松・張拡・凌景夏・常明・范如圭上書し、極めて和すべからざるを論ず。甲戌、端明殿学士韓肖胄を以て簽書枢密院事と為す。乙亥、肖胄等を命じて金国奉表報謝使と為す。丙子、張通古・蕭哲行在に至り、先づ河南の地を帰し、おもむろに余事を議すと言ふ。監察御史施廷臣を以て侍御史と為す。権吏部尚書張燾・侍郎晏敦復、廷臣が和議を主とし而して升用せらるるを以て、執奏して行はれず。御史中丞勾龍如淵・右諫議大夫李誼・殿中侍御史鄭剛中、凡そ再び都堂に至り、及び宰執と議して国書を取る。丁丑、詔して曰く、「金国使来たり、尽く河南・陝西の故地を割き、我に通好し、梓宮及び母兄親族を還すを許す。余は需索無し。尚書省に令し榜諭せしむ。」庚辰、帝殿に御せず。方に諒陰に居るを以て、吉礼を行ひ難しとし、秦檜に命じて塚宰をり、書を受けて進ましむ。是の月、虚恨蛮嘉州忠鎮砦を犯す。

この年、初めて都を杭州に定む。

紹興九年

九年春正月壬午朔、帝は臨安に在り。丙戌、金国と通和するを以て、大赦す。河南新たに復したる州軍の官吏は並びに易置せず、其の民の租税を三年、徭役を五年蠲免す。王倫を以て同簽書樞密院事と為し、奉護梓宮・迎請皇太后・交割地界使を充てる。戊子、判大宗正事士㒟・兵部侍郎張燾を遣わし河南に詣りて陵寢を修奉せしむ。庚寅、劉光世に和衆輔國功臣の号を賜い、張俊に少傅を加え安民靖難功臣と為し、韓世忠を少師と為し、張浚を左宣奉大夫に復す。辛卯、尹焞を徽猷閣待制・提挙萬壽観兼侍読と為す。焞力辞して拝せず。壬辰、岳飛・呉玠に並びに開府儀同三司を加え、楊沂中を太尉と為す。癸巳、皇太后宮を建つ。甲午、金の宿州守臣趙栄来帰す。丙申、金主詔を発し河南諸州に諭し、地を割きて我に帰するの意を告ぐ。発運経制司を改めて経制司と為し、戸部の長貳一人を命じて使を領せしめ、仍て副或いは判官を置く。戊戌、王倫を東京留守と為し、郭仲荀を副と為し、戸部侍郎梁汝嘉に江・淮・荊・浙・閩・広路経制使を兼ねしめ、司農卿霍蠡を判官と為す。己亥、呉玠を四川宣撫使と為す。

二月癸丑、徽猷閣待制周聿を以て陝西宣諭使と為し、監察御史方廷実に三京・淮北を宣諭せしむ。丁巳、郭仲荀を太尉・東京同留守と為す。慕洧、環州を寇す。戊午、金州知事郭浩を以て陝西宣撫判官と為す。壬戌、李綱を湖南路安撫大使と為し、張浚を福州知事と為し、尋いで資政殿大学士に復し、福建路安撫大使と為す。周聿・方廷実に命じて隠士を蒐訪せしむ。甲子、諸州県の月樁銭を均定す。己巳、郭浩を陝西宣諭使と為す。壬申、命じて『徽宗実録』を修せしむ。癸酉、詔して盗賊既に招安を受けながら復た嘯聚する者は、兵を発して誅し赦すこと無からしむ。是の月、日中に黒子有り、月余にして乃ち没す。江西統制官李貴、其の軍を以て楊沂中に帰す。

三月丁亥、和州防禦使璩を以て保大軍節度使と為し、崇国公に封ず。丙申、王倫、金より地を受け、東西南三京・寿春・宿・亳・曹・単州及び陝西・京西の地を得。兀朮、祁州に還る。己亥、河南を三路に分ち、拱州を廃す。辛丑、翰林学士楼炤を以て簽書樞密院事と為す。甲辰、偽斉の開封府知事鄭億年、表を上りて罪に待つ。行在に赴くを召す。丁未、偽斉の改めし州県の名を正す。是の春、夏人、府州を陥す。

夏四月庚戌朔、呂頤浩薨ず。辛亥、楼炤に命じて陝西諸路を宣諭せしむ。壬午、金の鄜延路経略使関師古、表を上りて罪に待つ。延安府知事を命ず。癸丑、趙鼎の奉国軍節度使を落として特進と為し、仍て泉州知事と為す。金の陝西諸路節制使張中孚、表を上りて罪に待つ。検校少保・甯国軍節度使・永興軍知事・陝西諸路軍馬節制使を命ず。甲子、観文殿学士孟庾を以て西京留守と為し、資政殿学士路允迪を南京留守と為す。丙寅、金の秦鳳経略使張中彦、表を上りて罪に待つ。渭州知事を命ず。孫近に兼権同知樞密院事を命ず。壬申、寿春府の治を淮北の旧城に移す。癸酉、詔して新たに復したる諸路の監司・帥臣に、官吏の民を残害する者を按劾せしむ。韓世忠・張俊、入見す。

五月庚寅、東京の欽先・孝思殿の累朝の御容を奉迎し臨安に赴かしむ。辛卯、復た江・淮の守臣を二年を以て任と為すことを命ず。乙未、復た淮東提挙茶塩司を置く。癸卯、復た耆長法を召募す。丙午、鄜延副将李世輔、部兵三千を率いて鳳翔より来帰す。名を顕忠と賜う。

六月庚戌、皇后邢氏、五国城にて崩ず。辛亥、夏国主乾順卒す。壬子、楼炤、東京の見卒四千四百人を以て忠鋭三将と為す。庚申、盗、邵武軍に入る。壬戌、新たに復したる州県の官吏、自ら安からざるを懐くを以て、詔を降して開諭す。己巳、呉玠薨ず。壬申、楼炤、制を承けて李顕忠を護国軍承宣使・樞密行府前軍都統制と為し、部兵及び夏国招撫使王枢を率いて行在に赴かしむ。癸酉、澧州軍事推官韓紃、上書して講和は計に非ずと論ずるに坐し、循州に送り編管す。乙亥、孟庾に東京留守を兼ねしむ。王倫、東京より金国に赴き議事す。楼炤、制を承けて楊政を熙河経略使と為し、呉璘を秦鳳経略使と為し、仍て並びに四川宣撫司の節制を聴かしむ。郭浩を鄜延経略使・同節制陝西軍馬と為す。丙子、宣撫司の兵四万人を分ち出でて熙・秦に屯し、六千人を郭浩に隷し、呉玠の精兵二万人を留めて興元府・興・洋二州に屯せしむ。戊寅、銭引務を永興軍に置く。是の月、撫州鈐轄伍俊、桃源を拠らんと謀り復た叛く。湖北安撫薛弼、召して之を誅す。

秋七月甲申、文臣を以て新たに復したる諸県の令と為す。丙戌、東京の耆老李茂松・寇璋等二百人、表を奉りて賀を称す。皆引見し、官を補い遣還す。復た都水南・北丞各一員を置く。丁亥、金人、王倫を中山に拘す。丙申、劉の偽官を詳験し、告身を換給することを命ず。乙巳、偽斉の没収せし民間資産を給還す。胡世将に兼権主管四川宣撫司を命ず。

八月己酉、淮南諸州の学官を復す。庚戌、陝西諸軍に冬衣を賜い、絹十五万匹。前川・陝宣撫司の便宜に補したる官に命じ、一年を限り自陳し、告身を換給せしむ。丙辰、金国、撻懶が主和割地するを以て、其の二心を疑い、之を殺す。壬戌、成都・潼川路の歳輸対糴等米五十四万石・水運銭七十九万緡を蠲免す。乙丑、新法度牒・紫衣師号銭二百万緡を給し、陝西に付して軍儲を市わしむ。己巳、命じて陝西に復た鉄銭を行わしむ。庚午、蘇符等を遣わし金に使し正旦を賀せしむ。乙亥、前宿州知事趙栄・寿州知事王威を遣わし倶に金国に還らしむ。関師古を行営中護軍前軍統制と為す。

九月己卯、命じて鄜延・秦鳳・熙河路に蕃部熟戸及び夏国に陥没せる軍民を招納せしむ。丙戌、叔士㒟を斉安郡王に封ず。庚寅、経制司を罷め、提刑に命じて常平事を兼領せしむ。甲午、皇太后殿の名を慈寧と曰う。丙申、威州防禦使温済、韓世忠の陰事を告ぐるを以て勒停・南剣州編管と為す。世忠又た奏して之を殺さんと欲す。詔して万安軍に移す。己亥、郭仲荀、東京の兵五千を率いて鎮江に至る。

冬十月辛亥、詔して侍従官各々知る所の者二人を挙げしむ。王倫、御林子にて金主に見え、河間に拘せられ、其の副藍公佐を先ず帰らしむ。甲寅、王枢入見す。並びに其の俘百九十人を皆放ち遣わし夏国に還らしむ。己未、階・成・岷・鳳四州の民税の半を蠲免す。戊辰、慈寧宮成る。甲戌、日中に黒子有り。丙子、李顕忠の軍に銭十万緡を賜う。是の月、岳飛入見す。

十一月戊寅朔(一日)、呉玠の家に銭三万緡を賜い、その弟の璘を龍神衛四廂都指揮使とした。刑部・大理寺の官に命じて刑名断例を編纂させた。癸未(六日)、嗣濮王の仲儡が薨去した。己丑(十二日)、詔して三省の官属に在京通用令を詳しく覆審させた。張所を直龍図閣に追復した。

十二月甲寅(八日)、命じて『紹興因革禮』の続編を行わせた。甲子(十八日)、李光が罷免された。戊辰(二十二日)、命じて『元豊会要』の続修を行わせた。兀朮が蘇符らを東京に留め、河南を再び奪取することを謀った。

紹興十年

十年春正月丙戌(十一日)、莫将らを派遣して梓宮を迎え護り、両宮を奉迎する使節とした。辛卯(十六日)、李綱が薨去した。甲辰(二十九日)、顕謨閣直学士・提挙醴泉観の鄭億年を資政殿学士に復職させ、朝請に奉じさせた。

二月戊申(四日)、陝西に命じて再び蕃漢の弓箭手を募集させた。詔して贓吏で死罪に相当する罪の者で、情状・犯行が甚だしい者は、上奏して裁可を請うこととした。辛亥(七日)、雹が降った。劉錡を東京副留守とし、李顕忠を南京副留守とした。壬子(八日)、両宗正官に命じて各々知る宗室二人を推挙させた。癸丑(九日)、省試の期日を一年延期した。壬戌(十八日)、詔して新たに回復した州軍に隠逸を捜索推挙させ、諸路に屯田を経営管理させた。丁卯(二十三日)、史館を廃止し、日暦を秘書省に帰属させ、監修国史官を置いた。孟庾を開封府知事とし、東京留守とした。仇悆を河南府知事・西京留守とした。癸酉(二十九日)、吏部の審量による宣和年間の濫賞を廃止した。

三月甲申(十日)、閼伯を商丘宣明王に封じた。戊子(十四日)、銭引五百万緡を増刷し、宣撫司に交付して軍需物資を購入させた。川・陝宣撫副使の胡世将が金人が必ず盟約を破るであろうと繰り返し言上し、備えをなすべきと主張した。己丑(十五日)、諸路に増設した税場を廃止した。韓世忠・張俊が入朝した。内教を初めて廃止した。建康行宮の営建を再開した。丙申(二十二日)、蘇符が東京から帰還した。丁酉(二十三日)、川・陝宣撫司に、軍事で上奏を待てない事案については、適宜措置することを許した。己亥(二十五日)、郭浩を永興軍知事兼陝西諸路軍馬節制とし、楊政を転じて興元府知事とした。今月、胡世将に命じて夏人と入貢の件を協議させたが、夏人は返答しなかった。

夏四月丙午(三日)、亡逸した暦書及び星暦に精通する者を訪求した。辛酉(十八日)、張中孚を醴泉観使とし、中彦を提挙祐聖観とし、趙彬を兵部侍郎とした。癸亥(二十日)、部使者に命じて毎年廉吏一人を推挙させた。庚午(二十七日)、四川諸州の学官を復活させた。壬申(二十九日)、韓肖冑が罷免された。

五月己卯(六日)、金人が盟約に背き、兀朮らが四道に分かれて攻めて来た。甲申(十一日)、徽宗の御製閣を敷文と名付けた。乙酉(十二日)、兀朮が東京に入り、留守の孟庾が城を降した。興仁府知事の李師雄・淮寧府知事の李正民及び河南諸州が相次いで降伏した。丙戌(十三日)、金人が拱州を陥落させ、守臣の王慥がこれに殉死した。撒離曷が河中から永興軍へ向かい、陝西の州県官は皆降伏した。丁亥(十四日)、金人が南京を陥落させ、留守の路允迪が降伏した。劉錡が兵を率いて順昌府に至った。己丑(十六日)、金人が西京を陥落させ、留守の李利用・副総管の孫暉は共に城を棄てて逃走し、鈐轄の李興が兵を率いて抗戦したが、勝てなかった。辛卯(十八日)、胡世将が河池から涇原経略使の田晟に兵三千人を率いさせて金人を迎え撃たせた。京・湖宣撫司の忠義統領の李宝が興仁府の境上で金人を破った。癸巳(二十日)、亳州知事の王彦先が叛いて金に降った。金人が永興軍を陥落させ、鳳翔へ向かった。丁酉(二十四日)、胡世将に命じて陝西の右護軍を移してしょく口に還らせて駐屯させた。福建・広東で賊が起こったため、両路の監司に命じて境界を越えて共に討伐させた。己亥(二十六日)、劉光世を三京招撫処置使とし、劉錡を支援させた。庚子(二十七日)、呉璘を陝西諸路軍馬同節制とし、胡世将に便宜に任免・軍事処置を行うことを許した。辛丑(二十八日)、金人が鳳翔府の石壁砦を侵犯し、呉璘が統制の姚仲らを派遣してこれを撃退した。金人が耀州を包囲したが、郭浩が兵を派遣してこれを救援し、金兵は解囲して去った。壬寅(二十九日)、金人が順昌府を包囲し、三路都統の葛王褒が大軍を率いて続いて到着したが、劉錡が力戦してこれを破った。

六月甲辰朔(一日)、韓世忠を太保、張俊を少師、岳飛を少保とし、皆河南・北諸路招討使を兼ねさせた。乙巳(二日)、劉錡が将の閻充を派遣し、順昌の李村で金人を破った。丙午(三日)、両浙・江東・福建諸州に命じて弓弩手を団結させた。仇悆を沿海制置使とした。詔して将佐士卒で奇功を立てる者があれば、使相・節鉞の官告をもって賞し、軍中で授受させることとした。丁未(四日)、建康府行宮の営繕を中止した。戊申(五日)、劉錡を沿淮制置使とした。己酉(六日)、呉璘が統制の李師顔らを派遣し、扶風で金人を破り、これを奪回した。壬子(九日)、兀朮及び宋の叛将の孔彦舟・酈瓊・趙栄らが十余万の兵を率いて順昌府を攻め、劉錡が将士を率いて死力を尽くして戦い、これを大破した。初め、秦檜が奏上して劉錡に命じて有利な時に班師するよう選択させたが、劉錡は詔に奉じず、ますます奮戦し、遂に寡をもって衆に勝つことができた。乙卯(十二日)、順昌の包囲が解け、兀朮は帰還した。平江府知事の梁汝嘉を兼ねて浙西沿海制置使とした。丙辰(十三日)、岳飛の将の牛皋が京西で金人と戦い、これを破った。己未(十六日)、劉光世が進軍して和州に至った。郭浩が統制の鄭建充を派遣し、醴州で金人を撃破し、その城を回復した。壬戌(十九日)、詔して諸司の銭物は経費を若干留保するほかは、全て発出して軍費に充てることとした。楼炤が父の喪のため官を去った。甲子(二十一日)、撒離曷が青溪嶺を攻めたが、鄜延経略使の王彦が兵を率いて戦いこれを破り、撒離曷は還って鳳翔に駐屯した。士㒟に命じて濮王祠の祭祀を主奉させた。張俊が左護軍都統制の王徳を派遣して劉錡を救援させたが、王徳が暫くして順昌に到着した時には、包囲は既に解けており、再び廬州に還った。司農少卿の李若虚を岳飛の軍に派遣して班師の意を諭したが、岳飛は聞き入れなかった。丙寅(二十三日)、詔を下して順昌府の官吏・兵・民を慰撫諭示した。庚午(二十七日)、劉錡を武泰軍節度使・侍衛馬軍都虞候とした。韓世忠が統制の王勝・背嵬将の成閔を派遣して兵を率いて淮陽軍の南に至り、金人と遭遇してこれを撃破した。今月、金人が慶陽府を包囲したが、権守臣の宋万年が固守したため、金人は陥落させることができなかった。岳飛が兵を率いて劉錡を救援し、蔡州で金人と戦ってこれを破り、蔡州を回復した。

閏月癸酉朔(閏月の癸酉の日、朔日)、張俊が統制の宋超を遣わして金人を永城県朱家村にて破る。甲戌、孟庾・路允迪の官を追奪し、家屬を遠郡に移す。丙子、詔して三衙管軍及び觀察使以上の者に、各々智略勇猛・材能將帥に堪える者二人を挙げしむ。金人涇州を犯す、守臣の曲汲城を棄てて去り、經略使の田晟兵を率いて来援す、金人敗走す。甲申、晟金人と再び涇州にて戦い、之を破り、金人引きて鳳翔に帰る。乙酉、陝西の雑犯死罪を降し、流罪以下の囚を釈す。丙戌、胡世將を以て端明殿學士と為し、吳璘を鎮西節度使と為し、楊政を武當節度使と為し、郭浩を奉國節度使と為す。王德宿州にて金人を攻め、夜之を破り、其の守の馬秦を降す。丁亥、詔して順昌府の流罪以下の囚を釈し、再び租稅二年を復し、守禦の官吏進官一等す。己丑、永興軍鈐轄の傅忠信等金人と華陰縣にて戦い、之を破る。壬辰、岳飛統制の張憲を遣わして金將の韓常を潁昌府にて撃ち、之を破り、潁昌を復す。丙申、張憲淮寧府を復す。丁酉、趙鼎分司・興化軍居住と為す。岳飛統制の郝晸等を遣わして金人と鄭州の北にて戦い、鄭州を復す。李興汝州を復し、金人と河清縣にて戦い、之を破り、伊陽等八縣を復し、李成遁去す。韓世忠統制の王勝・王權を遣わして海州を攻め、之を克ち、其の守の王山を執る。戊戌、張俊統制の宋超等及び王德の兵を率いて城父縣にて会し、酈瓊及び葛王の褒遁去し、遂に亳州を復す。己亥、金人海州を救わんとし、王權等逆襲して戦い、之を破り、懷仁縣を復す。庚子、張俊亳州を棄て、軍を引きて壽春に還る。再び趙鼎を貶して漳州居住と為し、又た清遠軍節度副使・潮州安置と為す。

秋七月癸卯、岳飛將の張應・韓清を遣わして西京に入らしめ、李興と会して永安軍を復す。丙午、御史中丞の王次翁を以て參知政事と為す。己酉、岳飛兀朮と郾城縣にて戦い、之を破る。庚戌、海州を曲赦す。永興軍統領の辛鎮金人と長安ちょうあん城下にて戦い、之を破る。癸丑、楊沂中を以て淮北宣撫副使と為し、劉錡を判官と為す。甲寅、岳飛統制の楊再興・王蘭等を遣わして金人を小商橋にて撃ち、皆戦死す。乙卯、金人潁昌を攻む、岳飛將の王貴・姚政を遣わして合力して戦い、之を破る。壬戌、飛累ね詔を奉じて班師す、遂に郾城より還り、軍皆潰え、金人之を追うも及ばず。潁昌・蔡・鄭諸州皆復た金の有と為る。甲子、釋奠文宣王を以て大祀と為す。乙丑、州縣の頭子錢を增收して激賞費と為す。金人淮甯府を圍む、趙秉淵城を棄てて南に帰る。辛未、金人盭厔縣を犯す、王俊東洛穀にて逆襲して戦い、之を退く。

八月壬申朔、張九成・喻樗・陳剛中・淩景夏・樊光遠・毛叔度・元盥等七人嘗て和議を主とせざるを以て、皆降黜す。乙亥、韓世忠淮陽軍を圍むも、克たず。庚辰、金人及び酈瓊兵を合して千秋湖陵に駐る、韓世忠統制の劉寶等を遣わして夜襲して之を破る。壬午、李成西京を犯す、李興撃ちて之を退く。楊沂中宿州に軍す。丙戌、郭浩を以て夔州を知らしむ。丁亥、楊沂中宿州より夜襲して柳子鎮を攻むるも、軍潰え、遂に壽春府より淮を渡りて帰り、金人宿州を屠る。甲午、川・陝宣撫司統領の王喜等金人と汧陽縣にて遇い、之を破る。

九月壬寅朔、起居舍人の李易を遣わして韓世忠に兵を罷むるを諭す。時に秦檜専ら和議を主とし、諸大帥皆鎮に還る。丁未、楊政統制の楊從儀を遣わして夜襲して金人を鳳翔府にて破る。戊申、金人復た西京に入る、李興城を棄てて去る。庚戌、明堂にて天地を合祀し、大赦す。辛酉、臨安火災あり。戊辰、郭浩を以て金州を知らしめ、陝西・河東軍馬を節制し、兼ねて河東忠義軍を措置せしむ。是の秋、代州知事の王忠植兵を挙げて石・代等十一州を復す。

冬十月癸酉、張浚の觀文殿大學士を復す。甲戌、王忠植を以て建甯軍承宣使・河東路經略安撫使と為す。戊寅、秦檜『重修紹興在京通用敕令格式』を上る。庚辰、金人慶陽府を犯す、守臣の宋萬年城を以て降る。辛卯、金人陝州を犯す、吳琦兵を率いて迎撃し、之を破る。庚子、金人洮州を襲い、鐵城堡を攻む、統制の孔文清・惠逢撃ちて之を破る。是の月、劉錡入見す。胡世將王忠植に命じて慶陽を救わしむ、叛將の趙惟清之を執りて金に降る、忠植屈せずして死す。

十一月丁未、金將の合喜復た陝州を犯す、吳琦撃ちて之を退く。又た寶溪縣を犯す、統制の楊從儀之を破る。壬子、令を以て保甯軍節度使と為す。是の月、宜章洞の民の駱科叛き、桂陽・郴・道・連・賀諸州を犯す、命して大兵を発して之を討たしむ。

十二月壬午、慈寧殿にて上皇太后の冊寶を上る。丁亥、王忠植に奉國軍節度使を贈り、諡して義節と曰う。辛卯、諸路の耆長役錢を起して總制司に隷し、専ら軍用に給す。是の月、楊沂中兵を引きて行在に還る。

紹興十一年

十一年春正月癸卯、鳳翔統制の楊從儀金人を渭南にて破る。庚戌、張俊入見す。乙卯、金人壽春府を犯す、守臣の孫暉・統制の雷仲合力して之を拒ぐ。丁巳、壽春陥ち、暉・仲城を棄てて去る。己未、劉錡太平州より兵二萬を率いて淮西を援う。庚申、金人淮を渡る。辛酉、雨雹あり。乙丑、劉錡廬州に至りて還る。丙寅、兀朮廬州を陥す。戊辰、金人商州を陥し、守臣の邵隆城を棄てて去る。己巳、楊沂中に命じて兵を引きて淮西に赴かしめ、岳飛に命じて兵を進めて江州に至らしむ。

二月癸酉、張俊は王徳を遣わして江を渡らせ、和州に駐屯せしむ。金人は昭関に退きて駐屯す。邵隆は洪門において金人を破り、商州を復す。乙亥、金人また来たりて和州を争う。張俊これを敗る。韓世忠に命じて兵を以て淮西を援けしむ。丙子、岳飛を促して兵を蘄・黄に会せしむ。王徳らは含山県の東において金人を敗る。己卯、統制関師古・李横は巣県において金人を撃ち破り、これを復す。庚辰、岳飛は鄂州より発つ。辛巳、泰州知州王㬇を通・泰二州制置使を兼ぬ。癸未、王徳・田師中らは金人を撃ち破り、含山県を復し、昭関を奪う。劉錡は東関より青谿において金人を撃ち破る。甲申、金人また昭関を犯す。王徳らまたこれを敗る。李顕忠は統領崔皋を遣わして舒城県において金人を撃ち破らしむ。丁亥、楊沂中・劉錡らは柘皋において兀朮の軍を大いに破る。己丑、兀朮は親しく兵を率いて店歩において逆戦す。沂中らまたこれを破り、勝に乗じて北を逐い、遂に廬州を復す。是の月、虔・吉州の盗賊悉く平ぐ。

三月庚子朔、張浚は田を鬻ぎ及び度牒を売る銭六十三万緡を進めて軍用を助く。壬寅、韓世忠は兵を引きて寿春に趨る。癸卯、張浚の特進を復す。金人は濠州を囲む。岳飛は舒州より発つ。甲辰、張俊・楊沂中・劉錡は班師を議す。乙巳、沂中・錡は先に行く。俊は軽兵を以て留まって後を守る。丙午、詔して淮西の雑犯死罪以下の囚を釈す。丁未、金人は濠州を陥とし、守臣王進を執え、其の城を夷し、鈐轄邵青これに死す。戊申、張俊は楊沂中・王徳を遣わして濠州に入らしむ。金の伏兵に遇い、敗れて還る。己酉、韓世忠は濠州に至り、利あらずして退く。辛亥、岳飛は定遠県にやどる。金兵の退くを聞き、還りて舒州に屯す。楊沂中は行在に帰る。壬子、金人は淮を渡りて北に帰る。癸丑、張俊は建康府に帰る。丁巳、劉錡は太平州に帰る。甲子、行営統制張彦は金人と汧陽の劉坊砦において遇う。第八将張宏戦没す。

夏四月丙子、復た免行銭を収む。己卯、孫近罷む。辛巳、王次翁を以て兼権同知枢密院事とす。韓世忠・張俊・岳飛相継いで入覲す。壬辰、世忠・俊を以て並びに枢密使と為し、飛を枢密副使と為し、三省・枢密院の官に命じて復た分班して事を奏せしむ。乙未、張俊は請うて以て所部の兵を御前に隷せしむ。三宣撫司を罷め、統制官を御前統制官と改め、各々旧き所に屯駐せしむ。丙申、広西経略使胡舜陟を以て広東・湖南の兵を節制し、駱科を討たんことをうながす。慕容洧は新泉砦を破り、又た会州を攻む。将官朱勇これを破る。

五月辛丑、両淮・江東西・湖広京西の三道総領軍馬銭糧官を置き、なお御前軍馬の文字を報発することを掌らしむ。癸卯、戦没の将士を賻恤す。丁未、張俊・岳飛を楚州に遣わして辺防を巡視せしむ。劉光世を行在に赴かしむるを召す。甲寅、枢密行府に命じて司を鎮江に置き、遍く巡歴し措置するを行わしむ。庚申、楊沂中に検校少保・開府儀同三司を加う。

六月乙亥、克敵弓を造る。秦檜に特進を加え、尚書左僕射・同中書門下平章事兼枢密使に進む。癸未、張俊・岳飛は楚州に至る。俊は海州城守るべからずとし、これを毀ち、其の民を遷す。韓世忠の軍を統べて鎮江に還り、惟だ背嵬一軍のみ行在に赴く。甲申、河南府知事李興の部兵は鄂州に至る。興を以て左軍統制と為す。乙丑、明州の僧王法恩ら謀反す。誅に伏す。壬辰、劉光世罷めて万寿観使と為る。

秋七月戊戌、秦檜『徽宗実録』を上る。修撰以下各一官を進む。庚子、翰林学士范同を以て参知政事とす。ひでりを以て、膳を減じ祈祷し、官を遣わして滞獄を決し、囚を出だす。丁未、秦檜に少保を加う。甲寅、劉錡の兵を罷め、知荊南府を命ず。乙卯、詔して永興・鳳翔・秦隴等の州県官を優奨し、到任半年にして磨勘を減じ、任満にして一官を遷す。己未、張俊に太傅を加う。癸亥、大雨。是の月、張俊に命じて復た鎮江の如くにして軍務を措置せしめ、岳飛を行在に留む。

八月戊辰、祚徳廟を臨安に立て、韓厥を祀る。甲戌、岳飛を罷む。乙亥、諸王の後に命じて各々年長なる者一人を推してかりに祀事をつかさどらしむ。癸巳、胡世将起復す。

九月癸卯、軍器少監鮑琚を命じて鄂州に赴かせ、宣撫司の錢穀を根拠させる。鄂州前軍副統制王俊が副都統制張憲の襄陽を拠点として変を謀るを告げ、張俊は憲を収めて属吏に付し、以て聞かしむ。丁未、監司の贓吏を按ぜざるの罪に坐す。辛亥、吳璘秦州を抜き、州将武誼降る。壬子、璘姚仲を率いて金人と丁劉圈に戦い、之を敗る。楊政隴州を克ち、岐下の諸屯を破る。郭浩華州を復し、陝州に入る。甲寅、建康大火。丙申、劉光遠等を遣わして金国通問使と為す。吳璘金人と剡家灣に戦い、大いに之を敗り、遂に臘家城を囲む。癸亥、璘臘家城より詔を受けて班師し、楊政・郭浩皆軍を引いて還る。乙丑、邵隆虢州を復し、郝晸駱科を討ちて禽え、之を斬る。

冬十月丙寅朔、金人泗州を陥とし、遂に楚州を陥つ。丁卯、樞密都承旨鄭剛中を命じて川・陝を宣諭せしむ。戊辰、楊政金人と寶雞縣に戦い、之を敗り、通檢孛堇を禽う。乙亥、兀朮劉光遠等を遣わして還らしむ。戊寅、詔して玉牒を修めしむ。岳飛・張憲を大理獄に下し、御史中丞何鑄・大理卿週三畏を命じて之を鞫わしむ。壬午、魏良臣・王公亮を遣わして金国稟議使と為す。乙酉、虛恨蠻主曆階嘉州に詣りて降る。癸巳、韓世忠罷めて醴泉觀使と為し、福國公に封ず。是の月、金人濠州を陥とし、邵隆陝州を復す。

十一月己亥、範同罷む。李光を責降して建寧軍節度副使・藤州安置と為す。辛丑、兀朮審議使蕭毅・邢具瞻を遣わし、魏良臣等と偕に来らしむ。丁未、范同分司・筠州居住。判大宗正事士㒟・同知宗正事士撙を罷め、戚裏宗室の謁禁を申厳す。己酉、雷す。壬子、蕭毅等入見し、始めて和議の盟誓を定む。乙卯、何鑄を以て簽書樞密院事と為し、金国報謝進誓表使を充てしむ。庚申、宰執及び議誓撰文官を命じて天地・宗廟・社稷に告祭せしむ。辛酉、張浚を以て檢校少傅・崇信軍節度使・萬壽觀使と為す。是の月、金国と和議成り、盟書を立て、約して淮水中流を以て疆を畫き、唐・鄧二州を割きて之に界し、歳に銀二十五萬兩・絹二十五萬匹を奉り、兵を休め民を息し、各境土を守らしむ。詔して川・陝宣撫司に出兵して事を生ぜず、叛亡を招納せざらしむ。駱科の餘黨歐幻四等復た桂陽藍山に叛き、平陽縣を犯す、江西兵馬都監程師回を遣わして討ち平げしむ。

十二月丁卯、徽猷閣待制劉洪道を責降して濠州團練副使・柳州安置と為す。癸酉、尚書省を命じて籍を置き、諸路の滯獄を勾考せしむ。甲戌、川・陝宣撫司の便宜行事を罷む。乙亥、兀朮何鑄等を遣わして會甯に如きしめ、金主に見えしめ、且つ陝西の餘地の割を趣す。遂に周聿・莫將・鄭剛中を命じて京西唐鄧・陝西の地界を分畫せしむ。壬午、州縣を命じて三歳に一度産業簿を置き、民の貲財田宅を籍して以て賦役を定め、賕を受け舊額を虧隱するを禁ず。丁亥、譏察海舶條法を立つ。癸巳、岳飛に賜いて大理寺に死せしめ、其の子雲及び張憲を市に斬り、家屬廣南に徙し、官屬于鵬等罪を論じて差有り。