高宗五
紹興五年
五年春正月乙巳の朔、日食あり。帝は平江府に在り。金人は濠州を去る。丁未、諸軍に戒めて戦陣において中原の民籍で金兵に充てられたる者を殺すことなからしむ。官田宅を売りて得たる銭を輸送し、専ら軍費に充つることを命ず。戊申、廬・泰二州の守禦官属の各一官を進む。己酉、前宰執の呂頤浩ら十九人及び行在の職事官に詔して、各々攻戦・備禦・措置・綏懐の策を条上せしむ。淮南の官吏の去職の罪を免じ、なお任に還らしむ。承州水砦統領の仲諒、復た楚州に入る。庚戌、張俊、統領の楊忠閔・王進を遣わして金人を淮南岸にて夾撃し、之を破り、其の将程師回・張延寿を降す。辛亥、淮東統制の崔德明、盱眙にて金兵を襲い破る。張浚を行在に赴かしむ。乙卯、浚入見す。沿江の監司・帥臣の供億の労を賞し、各々官一等を進む。戊午、建康行宮の修建を促す。己未、淮南諸州の雑犯死罪を減じ、流罪以下の囚を釈すと詔す。庚申、諸州軍に教場を置き、兵を選びて専ら弓弩を習わしめ、格を立てて按試す。辛酉、殿中侍御史の馬伸を左諫議大夫に贈る。韓世忠・劉光世・張俊入見す。壬戌、世忠を以て少保・淮東宣撫使と為し、鎮江に駐す;光世を少保・淮西宣撫使と為し、太平に駐す;俊を開府儀同三司・江東宣撫使と為し、建康に駐す。甲子、酈瓊、光州を復し、其の守の許約を降す。乙丑、淮南茶塩提刑司を罷め、提点両路公事官一員を置き、刑獄・茶塩・漕運・市易の事を兼ね領せしむ。淮西の要会たる州軍に並びに市易務を置く。戊辰、川・陝宣撫司に詔して、賊に陥りし官民を招諭せしむ。庚午、王進に命じ、江西・広東の諸将の兵を合わせて周十隆を討たしむ。海賊の朱聡、広州を犯し、又泉州を犯す。壬申、劉光世・韓世忠・張俊入辞し、殿に昇ることを命ず。光世・世忠に隙あるを以て、酒を賜いて諭し釈せしむ。皆感激して詔を奉ず。癸酉、偽斉の亳州知事馬秦、光州を犯す。権州事の王萃、兵を率いて之を拒ぐ。是の月、金主の晟殂ゆ。旻の孫の亶立つ。岳飛、池州より朝に入る。
三月甲戌の朔、王𤫉の貪縦にして武なく、師を敗り国を誤れるを以て、責めて濠州団練使に授く。丙子、枢密計議官の呂用中らを遣わし、分かれて両浙・江東・西路に使いし、経・総制司の財用を検察せしむ。丁丑、侍従より監察御史・館職已上、内にあっては館職、外にあっては侍従官・監司・帥守に詔し、各々知る所を挙げて監司・守令に充てしむ。尋いで館職に命じて専ら県令を挙げしむ。己卯、韓世忠を以て鎮江府宣撫使を兼ねしめ、劉光世を太平州宣撫使を兼ねしむ。壬午、都督府参議軍事の邵溥を以て権川・陝宣撫副使を兼ぬ。御前軍器所の提挙官を罷め、並びに工部に隷す。壬辰、広東・福建路に命じて朱聡を招捕せしむ。乙未、初めて鉛・錫を専売す。張浚、親しく湖賊を討つ。丁酉、復た浙西安撫司を臨安府に移す。庚子、饒州の牧馬監を罷む。
夏四月丙午、貴池県丞の黄大本、枉法贓に坐し、脊を杖ち、南雄州に刺配す。丁未、司農丞の蓋諒を遣わし、詔を奉じて川・陝を撫諭せしむ。解潜を行在に赴かしめ、王彦を荊南府知府と為す。諸鎮撫使、是に至り尽く罷む。戊申、太廟の神主、温州より至る。己酉、濫賞を審量するに及び、左銀青光禄大夫の王序の八官及び職名を追い、なお出身を改正す。庚戌、内侍の特恩に遇い宮を転ずるは、武功郎に止むと詔す。壬子、周の後裔たる柴叔夏を訪い得て、崇義公を襲封せしむ。戊午、太廟の神主を奉安す。己未、免役保正長の法を改む。甲子、太上皇帝、五国城に崩ず。丙寅、帝、即ち射殿にて朝献景霊宮の礼を行い、始めて恵恭皇后を祔祭す。民を募りて営田を耕さしめ、官に牛・種を与う。庚午、四川の添差官を省く。辛未、諸路の税賦畸零增收銭を以て、専ら上供に充つ。是の月、龍図閣直学士致仕の楊時卒す。
五月乙亥、初めて太廟を拝謁す。庚辰、邵溥・呉玠に命じて四川の冗官浮費を裁減せしむ。辛巳、行宮に新たに作れる書院を資善堂と名づく。何蘚等を遣わし金国に奉使し、二帝に通問す。中書舎人胡寅言う、国家と金は世仇なり、通使の義なしと。張浚奏す、「使事は兵家の機権なり、後将に地を辟き土を復し、終に和に帰すべし、未だ遽に絶つべからず」と。乃ち遣わして行かしむ。丁亥、残破州県の守令に民を勧めて田を墾き及び拋荒の殿最格を立てしむ。己丑、孟庾を以て知樞密院事と為す。壬辰、張浚を行在に召し還す。丁酉、詔して浚に一司の敕令を詳定せしむ。戊戌、貴州防禦使瑗を以て保慶軍節度使と為し、建国公に封ず。徽猷閣待制范冲に資善堂の翊善を兼ねしめ、起居郎朱震に賛読を兼ねしむ。盛暑を以て、監司に行部せしめ囚を慮う。己亥、岳飛の軍、鼎州に次ぐ。庚子、周十隆降る。辛丑、川・陝に命じて元祐党人の子孫を訪求せしむ。
八月壬寅朔、荊南の営田司を罷め、安撫司に命じて官兵を措置し耕種せしむ。甲辰、館職の額を十八員と定む。壬子、詔して淮南の山水砦都巡検は各守令の節制を聴かしむ。癸丑、福建州軍の供撥常平銭米を蠲す。己未、詔を下して章惇・蔡卞の宣仁聖烈皇后を詆誣せる罪を示し、惇を追貶して昭化軍節度副使と為し、卞を単州団練副使と為し、子孫をして朝に在るを許さず。宮学を広むるを命じ、内外の宗子を教う。辛酉、詔して淮南・襄陽府等路に民社を団結せしむ。丙寅、諸盗平らぐを以て、湖・広・江西二十二州の雑犯死罪を減じ、徒・杖以下の囚を釈す。海賊朱聰降り、命じて水軍統領に補す。是月、偽斉、光州を陥す。
九月辛未朔、総制司の収めし頭子等の諸色銭を罷む。乙亥、礼部進士汪洋以下二百二十人に及第・出身を賜う。唱名始めて故典に遵い、館職に命じて殿上に侍立せしむ。壬午、岳飛に検校少保を加う。偽斉の兵、固始県を寇し、統領華旺拒戦し、之を卻す。尋いで光州を復す。甲申、沿海州軍に命じて海舶を籍し、要害を分守せしむ。乙酉、趙鼎《重修神宗実録》を上す。壬辰、詔して元符上書邪等の範柔中等二十七人各一子を官す。解潜の部兵三千を以て馬軍司に隷せしむ。甲午、周十隆復た叛き、汀州を犯す。戊戌、統領王進・李貴を遣わして之を討たしむ。
十一月庚午朔、初めて節度使以下の金字牙符を置き、都督府に命じて之を掌らしめ、将帥の戦功を立てし者に給す。州県に命じて戸帖を売り軍費を助けしむ。癸酉、詔して守臣の死節昭著なる者は、品秩を限らず、並びに諡を賜う。乙亥、和靖処士尹焞を涪州に征し、命じて崇政殿説書と為す。戊寅、郊す。辛巳、復た淮南提挙塩事官を置く。壬午、宮女三十人を出す。甲申、宰執及び行在の官吏の奉を権減す。乙酉、趙開を以て四川都転運使と為す。丙戌、張浚に命じて師を視し荊・襄・川・陝せしむ。戊子、知衡州裴廩、夫を調発し城を築き凍死二千余人の坐により、名を除き、嶺南高州に編管す。乙未、内帑の綿絹を出して宗室に賜う。丁酉、催税戸長を罷む。
十二月己亥朔、岳飛を以て荊湖南北・襄陽府路・蘄黄州招討使と為す。楊沂中に権主管殿前司を以てし、並びに神武中軍を統せしむ。庚子、神武四軍及び巡衛軍の号を行営五護軍と改む。辛丑、都督府の兵を三衙に隷せしむ。左右司・枢密院の検詳官に命じて中興已行の条例を参考し、修めて定法と為さしむ。乙巳、服用の翠羽を禁ず。己酉、侍従官の輪対を免ず。庚戌、横江水軍の三の一を汰す。癸丑、両淮・川陝・荊襄・荊南の諸帥府の参謀官各一員に命じて屯田を提点せしむ。癸亥、川陝の州県官悉く川陝の人を用いるを禁ず。丙寅、都督府、参議軍事劉子羽・主管機宜文字熊彦詩を遣わし川陝を撫諭し、且つ辺備の虚実を察せしむ。戊辰、夜、雨雹す。
紹興六年
二月庚子、諸路の宣撫制置大使を以て並びに営田大使を兼ね、宣撫副使・招討安撫使を以て並びに営田使を兼ねしむ。壬寅、雨雪。江・淮の屯田を改めて営田と為す。甲辰、行在に交子務を置き、交子銭引を印して諸路に給し、公私に同見銭の行用をなさしむ。戊申、岳飛入見す。復た襄陽府路を以て京西南路と為す。辛亥、詔して張浚に暫く行在に赴きて奏事せしむ。甲寅、兵部尚書・都督府参謀折彦質を以て簽書枢密院事と為す。乙卯、韓世忠兵を引きて宿遷県を攻め、統制呼延通金兵と戦い、これを敗り、其の将孛堇牙合を禽す。澧州の賊徒伍俊、雷徳進を殺し、其の首を持して鼎州に詣り降る。丙辰、韓世忠淮陽軍を囲む。復た諸路の市易務を置く。戊午、楊沂中に命じて兵万人を以て都督行府の調遣を聴かしむ。己未、戸部侍郎劉寧止を遣わして鎮江府に如らしめ、三宣撫司の銭糧を総領せしむ。辛酉、兀朮淮陽を救い、韓世忠兵を引きて楚州に帰る。壬戌、折彦質を以て兼権参知政事と為す。癸亥、沈与求罷む。李綱入見す。是の月、張浚江上に至り諸将と会して事を議し、張俊に命じて進みて盱眙に屯せしむ。
三月戊辰朔、初めて官告綾紙銭を収む。金・均・房州の民兵を名づけて保勝と曰い、又三千人を招刺することを命じ、名を必勝軍と賜う。己巳、韓世忠を以て京東・淮東路宣撫処置使と為し、岳飛を以て京西・湖北路宣撫副使と為す。辛未、旱傷州県の民の積欠せる銭帛租税を免除す。己卯、岳飛を趣して鄂州に如らしめ軍事を措置せしむ。辛巳、枢密副都承旨馬拡を以て沿海制置副使と為す。壬午、金・斉の兵漣水軍を犯し、韓世忠これを撃ち破る。壬辰、四川の災傷州県の戸帖銭の半額を寛免す。
夏四月戊戌朔、湖南の賊黄旺桂陽監を犯す。甲辰、偽斉の兵唐州を陥とし、団練判官扈挙臣・推官張従之等皆死す。岳飛母の喪を以て官を去る。丙午、詔して飛を起復せしむ。己酉、詔して文武臣僚の能く強敵に決勝し境土を恢復する者に、功臣の号を賜う。庚戌、始めて諸宗子の名を訓ず。甲寅、淮陽の功を賞し、呼延通等進官差等有り、余の賞を受くる者凡そ一万七千人。劉光世副統制王師晟・酈瓊を遣わして偽斉の兵を劉龍城に襲い、これを破り、其の統制華知剛を禽す。己未、福建安撫司に命じて水軍を発して海賊鄭慶を討たしむ。辛酉、四川に辺境に並ぶ山林を伐つことを禁ず。甲子、韓世忠を以て横海・武寧・安化軍節度使と為し、号して揚武翊運功臣とす。商旅の緡銭税を除く。丙寅、行在の官吏の俸を復す。東京の民の淮南に渡り商販する税を免除す。
五月戊辰朔、鹿胎を以て冠と為すことを禁ず。癸酉、詔して未だ上殿せざる臣僚は、先ず三省に審察せしめ、然る後に引対せしむ。戊寅、四川の監司は地遠くして法を玩ぶを以て、応に違戾有るは、制置大使に按劾せしむ。壬午、詔して大理寺の獄を議するに合わざれば、即ち刑部に詣りて関決し、刑部定むること能わざれば、共に都堂に赴きて稟議す。呉玠に四川の戸帖銭十万緡を賜い軍を犒う。癸未、淮南州県の額外の雑色租を収むることを禁ず。乙酉、交子を改めて関子と為し、交子務を罷む。庚寅、劉光世を以て保静・寧武・寧国軍節度使と為す。壬辰、張俊の進みて盱眙に屯するを以て、崇信・奉寧軍節度使と改む。甲午、銭を銷し及び私に銅器を鑄ることを禁ず。丙申、詔して監司の囚を慮するに遍く及ばざる者は、官を遣わすことを聴き、令と為す。
秋七月壬申、司農少卿樊賓を以て営田公事を提領せしむ。癸未、詔して張浚に暫く行在に赴かしむ。癸巳、川陝の便宜差遣監司・守貳を罷む。金州を以て川陝路に隷し、均・房二州を京西南路に隷す。郭浩を永興軍路経略安撫使兼知金州と為し、閣門宣賛舎人邵隆を商州知州と為し、浩の節制を聴き、商・虢を經理せしむ。是の月、劉光世寿春府を復す。
八月己亥、范宗尹薨ず。庚子、左司諫陳公輔に三品服を賜う。癸卯、徽猷閣直学士李迨を以て四川都転運使と為す。甲辰、詔して将士に諭し将に親征せんとす。岳飛統制牛皋を遣わして偽斉の鎮汝軍を破り、其の守薛亨を禽す。乙巳、権殿前司解潜等に命じて精兵を帥い扈従せしめ、主管歩軍司辺順に兵を留めて臨安を守らしめ、知臨安府梁汝嘉を巡幸随軍都転運使と為す。丁未、秦檜を以て醴泉観使兼侍読・行宮留守と為し、孟庾を万寿観提挙兼侍読・同留守と為す。戊申、岳飛将楊再興を遣わして西京長水県を復す。己酉、秦檜・孟庾に命じて権りて尚書省・枢密院の事を参決せしむ。庚戌、虔州の残破諸県の逋負及び梅州の夏秋両税を免除し、広東経略安撫司に便宜に盗賊を措置することを聴かしむ。辛亥、神主を奉じて臨安を発つ。丁巳、権りて経筵の進講を罷む。己未、江・浙の民の来年の夏税絁帛を預借し、米に折して官に輸せしむ。庚申、職事官の月米を三斛増給す。是の月、張俊盱眙に城し、進みて泗州に屯す。岳飛及び偽斉の李成・孔彦舟と連戦して蔡州に至り、これを克ち、偽守劉永寿城を挙げて降る。
九月丙寅朔、帝は臨安を発つ。岳飛は統制の王貴・郝晸・董先を遣わして虢州盧氏県を奪回す。癸酉、帝は平江に駐蹕す。戊寅、職事官に命じ、一日に一員ずつ順番に対面せしむ。壬午、岳飛は孤軍にして援なく、再び鄂州に還る。癸未、神主を平江能仁寺に仮奉安す。戊子、戸部郎官の霍蠡を以て岳飛軍の錢糧を総領せしむ。庚寅、張浚入朝して奏上し、再び鎮江に赴く。辛卯、賊徒が互いに招いて首を出し罪を自首する場合の賞格を定む。鎮淮軍の功を賞し、統制の王德等の官を進む。是の月、劉豫は親征を聞き、金主の亶に告急して援を求めしも、亶は許さず、豫自ら兵三十万を起こし、子の麟に合肥に向かわしめ、甥の猊に渦口より出でしめ、兵を分けて道を異にして侵入せしむ。
冬十月丙申、西北より流寓する人を招き、闕額の禁軍を補う。丁酉、淮南路の租額を裁定す。劉麟、淮西を寇す。張俊は楊沂中・張宗顔等を遣わし、兵を分けて之を防がしむ。戊戌、沂中は濠州に至る。劉光世は既に廬州を棄てて南に走りしも、浚は人を遣わして督して還らしめ、光世やむを得ず兵を駐めて沂中に応じ、統制の王德・酈瓊を遣わして賊将の崔皋・賈澤・王遇と戦わしめ、皆之を破る。賊兵、寿春府の芍陂砦を攻む。守臣の孫暉拒戦し、又之を破る。辛丑、四川の監酒官百余員を罷む。壬寅、梁汝嘉を以て浙西・淮東沿海制置使を兼ねしめ、前護副軍都統制の王彦を其の副とす。癸卯、趙鼎、勅を降して張浚に諭し、光世・沂中及び張俊に全軍を引いて還らしめ、江を防ぐの計と為さんことを請う。甲辰、又詔して浚に将士を督して力を僇し賊を破らしむ。皆未だ達せず。劉猊、定遠県を犯す。沂中進みて戦い、藕塘に於いて大いに之を破る。猊は身を挺して遁ぐ。麟は順昌に在りて之を聞き、砦を抜き去る。劉光世は王德及び沂中を遣わして麟を追わしめ、南寿春に至りて還る。孔彥舟も亦た光州の囲みを解きて去る。戊申、解潛に命じ、兵千人を遣わして青龍港口を守らしむ。癸丑、張俊・楊沂中、兵を引いて寿春府を攻むるも、克たずして還る。乙卯、詔して諸軍の俘虜にした人民に錢米を給して帰遣す。丁巳、惠州の軍賊曾袞乱を作す。庚申、摧鋒軍統制の韓京、敢死の士を募り、夜襲して之を破る。袞、尋いで出でて降る。壬戌、日中に黒子有りて没す。
十二月申午朔、詔して廬・光・濠等州の死罪を降し、流罪以下の囚を釈す。秦檜を行在に召し赴かしむ。張浚入見し、建康に幸するを請う。趙鼎は臨安に還るを請う。戊戌、韓世忠、淮陽軍を攻め、金人と戦い、之を破る。辛丑、寿春府の南城を築く。壬寅、趙鼎罷む。右司員外郎の范直方を遣わし川・陝を宣諭し、呉玠の将士を撫問す。甲辰、都督府参議軍事の呂祉を建康に遣わし、移蹕の措置を行わしむ。丙午、折彥質罷む。丁未、淮西の功を賞し、張俊に少保を加え、鎮洮・崇信・奉甯軍節度使に改め、楊沂中を保成軍節度使・殿前都虞候とす。戊申、秦檜に命じ講筵に赴き職を供せしめ、孟庾を行宮留守とす。辛亥、資政殿学士の張守を参知政事とし、兼ねて枢密院事を権む。丙辰、呂頤浩を浙撫西安制置大使・判臨安府とす。丁巳、劉光世を護国・鎮安・保静軍節度使とす。戊午、詔す、凡そ民事に因りて罪せられたる者は、親民を許さず。己未、辰・沅・靖・澧の四州に命じ、閒田を以て刀弩手を募り、三千五百人を額とす。右司諫の陳公輔、程氏の学を禁ずるを乞う。詔して曰く「士大夫の学は宜しく孔・孟を師とすべし、庶幾くは言行相称し、時に用いるを済すべし」。庚申、安化郡王の王稟が太原にて節を死すに因り、其の家に田十頃を賜う。辛酉、山陰・諸暨等四十県を大邑と為し、並びに堂除を命ず。
紹興七年
七年春正月癸亥朔、帝は平江に在り、詔を下して建康に移蹕す。無為軍の税役を一年蠲免す。建康御前軍器局を置く。丁卯、張俊に敵を破るの功を賞し、特進に遷す。己巳、米一万石を発して京東・陝西より来帰する民を済す。張浚入見す。甲戌、都督府の諸州市易官を罷む。丁丑、解潛罷む。劉錡を以て馬軍司を権主管せしめ、並びに殿前歩軍司の公事を掌らしむ。庚辰、採石・宣化渡の二城を築く。癸未、翰林学士の陳与義を参知政事とし、資政殿学士の沈与求を同知枢密院事とす。詔して広西の帥臣に土丁・保丁を訓練せしむ。乙酉、枢密使・副を復置し、知院以下は仍旧とす。張浚は改めて枢密使を兼ぬ。丙戌、諸軍の互いに亡卒を納るるを禁ず。西蕃三十八族の首領趙継忠等来帰す。丁亥、秦檜を枢密使とす。何蘚・范寧之、金国より至り、始めて上皇及び甯徳皇后の崩ずるを聞く。己丑、帝、喪服を成し、詔を下して徒囚を降し、杖以下の者を釈す。辛卯の夜、東北に赤気有りて火の如し。
三月癸亥朔、丹陽に駐蹕し、韓世忠が入見す。世忠に扈従を命じ、岳飛をこれに次がしむ。甲子、鎮江に駐蹕し、楊沂中が入見す。沂中に総領弾圧巡幸事務を命ず。乙丑、駐蹕及び経由州県の積年逋賦を蠲免す。丁卯、吏部侍郎呂祉を以て兵部尚書・都督府参謀軍事と為す。辛未、帝建康に至る。壬申、詔して尚書省の常程事は参知政事に従い分治せしむ。癸酉、建康の流罪以下の囚を減刑し、建康府・太平・宣州の逋賦及び下戸の今年の身丁銭を蠲免す。岳飛、淮西の兵を併せ統べ以て京畿・陝右を復さんことを請う。これを許し、飛に王德等諸将軍を尽く護らしむ。既にして秦檜等、合兵を疑わしむるを以て、事遂に寝す。戊寅、手詔を以て将士を撫労す。沈与求を進めて枢密院事を知らしむ。己卯、宣和皇后を尊びて皇太后と為す。庚辰、王彦の兵を以て侍衛馬軍司に隷せしむ。呂頤浩を少保兼行宮留守と為す。孟庾罷免す。甲申、劉光世を以て少師・万寿観使と為し、その兵を都督府に隷せしむ。張浚、因って六軍に分かち、呂祉に節制を命ず。乙酉、光世に第宅を建康府に賜う。丁亥、虔・吉・南安軍諸県に命じ各々土兵百人を募り、知県に訓練を責め、盗賊を防禦せしむ。是の春、広西大饑し、李実桃に変ず。
夏四月癸巳、建康に太廟を築き、臨安府の太廟を以て聖祖殿と為す。戊戌、建康の城池を修浚す。丁未、岳飛、官を解き余服を持さんことを請う。遂に軍を棄て去る。詔して許さず。戊申、日中に黒子有り。庚戌、張浚の累次陳ずる岳飛の積慮専ら兵を併せんことに在り、奏牘を以て去らんことを求むるは、君を要せんとする意に在りと為すに因り、遂に兵部侍郎兼都督府参議軍事張宗元に権湖北・京西宣撫判官を命じ、実に其の軍を監せしむ。壬子、張浚、太平州・淮西に如きて師を視る。庚申、信陽軍を以て京西路に隷せしむ。淮南提点司を罷め、東西両路各々転運兼提点刑獄・提挙茶塩常平事を置く。
五月丁卯、詔して李綱に虔・吉諸盗を趣いて捕えしむ。壬申、礼官に命じ文宣王・武成王・熒惑・寿星・岳鎮・海・瀆・農・蚕・風・雷・雨師の祀を挙げしむ。甲戌、胡安国を以て万寿観提挙兼侍読と為し、行在に趣いて赴かしむ。未だ至らざるに而して罷む。癸未、酈瓊を行営左護軍副都統制と為す。甲申、初めて枢密院都督府の効士を試す。乙酉、侍従官に命じ材能知県に堪うる者二十人を通挙せしむ。丙戌、偽斉随州を陥す。己丑、四川の銭引増印を禁ず。
六月辛卯朔、恵恭皇后の諡を改上して顕恭皇后と曰す。岳飛入見す。壬辰、歳辰戌月に大火を祀り、閼伯を以て配すことを命ず。乙未、江・淮の営田司を罷め、諸路の安撫・転運司に命じ其の事を兼領せしむ。丙申、『重修神宗実録』の去取未だ当たらずと為し、史館に命じ復た加うるに考訂を以てす。丁酉、岳飛、過ちを引きて自ら劾す。詔して罪を放ち、之を慰諭す。戊戌、劉錡に都督府諮議軍事を兼ねしめ、兵を率いて廬州を戍らしむ。乙巳、沈与求薨ず。王徳を召し以て所部の兵を行在に赴かしむ。呂祉を遣わし淮西に如きて諸軍を撫諭せしむ。丙辰、詔して呉玠・李迨に四川の経費を共に議し、軍を贍し民を恤わしむ。岳飛復職す。
秋七月戊辰、詔して侍従各々監司・郡守に任ず可き者一二人を挙げしむ。癸酉、旱魃の為に、天地・宗廟・社稷に祷る。甲戌、嗣濮王仲湜薨ず。癸未、久旱の為に、中外の臣庶に命じ実封を以て事を言わしむ。甲申、諸路の民の積年逋租を蠲免す。建康の疫癘盛んなるを以て、医を遣わし行視せしめ、貧民に銭を給し、其の死者を葬らしむ。滞獄の疏決を命ず。乙酉、詔して即ち建康に権らくに社稷の位を正す。戊子、詔して戸部の長貳に迭り出で諸路を巡按し、財賦の利病を考究せしめ、違う者は之を劾せしむ。己丑、詔して諸路の帰業民の墾田は、八年に及びて始めて全税を輸す。
八月乙未、張俊を以て淮西宣撫使と為し、盱眙に駐す。楊沂中を淮西制置使と為し、主管侍衛馬軍司劉錡を之に副えしめ、並びに廬州に駐す。酈瓊に命じ兵を行在に赴かしむ。戊戌、瓊叛き、中軍統制張景等を殺し、呂祉及び趙康直・趙不群を執し、兵四万人を以て劉豫に奔る。辛丑、手詔を以て廬州屯駐行営左護軍を赦す。壬寅、酈瓊兵を引きて淮に至り、祉及び康直を殺し、不群を釈し、還らしむ。劉錡・呉錫廬州に至り、兵を以て之を追うも及ばず。張宗元に往きて之を招かしむ。張浚、位を去らんことを乞う。甲辰、趙鼎を以て万寿観使兼侍読と為す。甲寅、詔して命官贓を犯すは、刑部擅に黥配すべからず、朝廷の裁断を聴く。乙卯、岳飛の軍に銭十万緡を賜う。帰正復業人を招き湖北・京西の閑田を耕さしむ。
九月甲子、太上皇帝の諡を上りて聖文仁徳顕孝皇帝と曰し、廟号を徽宗とす。皇后を顕粛皇后と曰す。丁卯、韓世忠・張俊入見す。乃ち俊に命じ盱眙より移りて廬州に屯せしむ。壬申、張浚罷免す。癸酉、参知政事に命じ日を輪じて当筆し、権らくに三省の事を当たらしめ、更に常程を分治せず。都督府を罷む。甲戌、台諫の累疏を以て、張浚の観文殿大学士を落とし、仍って宮祠を領せしむ。丙子、復た趙鼎を尚書左僕射・同中書門下平章事兼枢密使と為す。戊寅、廬州・寿春府の民の酈瓊に虜掠せられしに遭うを以て、租税一年を蠲免す。己卯、常朝殿に於いて聖祖に朝献す。庚辰、太廟に朝饗す。辛巳、明堂に於いて天地を合祭し、大赦す。劉光世を行在に赴かしむるを召す。戊子、諸路の羨余を進むるを禁ず。劉錡を以て廬州を知らしめ兼ねて淮西制置副使と為す。
冬十月庚寅朔、詔して仍って旧の如く経筵を開く。辛卯、後省の官に命じ上書に采る可き有る者を看詳し、条上して之を行わしむ。丁酉夜、張浚を敕して嶺表に安置す。戊戌、趙鼎累りて浚の母老ゆるを請う。永州居住に改む。偽斉泗州を犯す。守臣劉綱之を撃ち走らす。丙午、戸部郎官薛弼・霍蠡に命じ同総領として江西・湖・広五路の財賦を総領せしむ。壬子、統制呼延通・王権等、金人を淮陽軍に於いて襲撃し、之を敗る。丁巳、詔して六参の日、行在の百官一員を輪じて転対せしむ。
閏月癸亥、趙康直に徽猷閣待制を贈る。乙丑、江東路の月樁銭万緡を蠲免す。米二万石を発し京西・湖北の饑民を振恤す。丙寅、尹焞入見す。秘書郎兼崇政殿説書を命ず。甲戌、始めて徽宗皇帝・顕粛皇后の神主を作る。庚辰、韓世忠兵を引きて淮を渡り、金人を劉冷荘に於いて逆撃し、之を敗る。辛巳、李綱罷免す。癸未、漢陽軍を復す。是の月、張俊盱眙を棄て、兵を引きて建康に還る。
十一月丙申、呉玠に犒軍の銭百五十万緡を賜う。丁酉、温州知事李光を以て江西安撫制置大使と為す。丁未、金帥撻懶・兀朮汴京に入り、偽斉の劉豫を執し、廃して蜀王と為す。癸丑、詔して来春復た浙西に幸せん。是の月、偽斉の臨汝軍知事崔虎、岳飛に詣りて降る。
十二月庚辰の日、都大提挙四川茶馬監牧官を復置す。丁卯の日、徽宗皇帝・顕粛皇后の神主を太廟に祔す。庚午の日、解潛を以て権主管馬歩軍司と為し、韓世忠に命じて楚州に留屯し、江・淮を遮罩せしむ。己卯の日、内外の大将及び侍従官に詔し、武臣の智略器局、帥守謀議官に堪ふる者を挙げしむ。癸未の日、王倫等使いより還り、入見し、金国梓宮及び皇太后を還すことを許し、又河南諸州を還すことを許すと言ふ。甲申の日、泗州に城す。丁亥の日、復た王倫等を遣はし、梓宮を奉迎せしむ。是の冬、呉玠裨将馬希仲を遣はして熙州を攻めしむ、鄭宗・李進鞏州を攻むるも克たず、宗城下に死し、希仲遁走して還る、玠之を斬りて徇す。