宋史

本紀第二十五 高宗二

高宗二

建炎二年

二年春正月丙戌朔、帝は揚州に在り。丁亥、両河の流亡した官吏・兵士を登録す。河沿いに流民に官田・牛・種子を与う。戊子、金人鄧州を陥とし、安撫使劉汲之に死す。辛卯、行在に榷貨務を置く。壬辰、金人東京を犯し、宗澤将を遣わして之を撃ち卻く。癸巳、明法新科を復す。甲午、寿寧寺に詣で、祖宗の神主を謁す。乙未、金人永興軍を破り、前河東経制副使傅亮兵を以て降り、経略使唐重・副総管楊宗閔・提挙軍馬陳迪・転運副使桑景詢・判官曾謂・提点刑獄郭忠孝・経略司主管機宜文字王尚及び其の子建中俱に之に死す。東平府兵馬鈐轄孔彦舟叛き、淮を渡り黄州を犯し、守臣趙令峸之を拒ぐ。丙申、詔す「今より枉法自盗の贓を犯す者は、中書に其の姓名を籍し、徒罪に至る者は、永く録用せず」。金人均州を陥とし、守臣楊彦明遁去す。丁酉、金人房州を陥とす。己亥、張遇真州を焚く。秘閣修撰孫昭遠乱兵の為に害せらる。庚子、主客員外郎謝亮を遣わし陝西撫諭使兼宣諭使と為し、詔を奉じて夏国に賜う。張遇鎮江府を陥とし、守臣錢伯言城を棄て走る。辛丑、内侍邵成章輒に人臣を言うに坐し除名、南雄州に編管す。金人鄭州を陥とし、通判趙伯振之に死す。癸卯、金帥窩裏嗢濰州を陥とし、又青州を陥とし、尋いで去るを棄つ。丁未、流民・潰兵にして盗賊と為る者に詔諭し、其の罪を釈す。己酉、諸将の潰兵を引いてしょくに入るを禁じ、大散関使を置き以て之を審験す。庚戌、考功員外郎傅雱を遣わし淮東京東西撫諭使と為す。辛亥、王淵張遇を招降し、以て所部万人を韓世忠に隷す。顕謨閣直学士孟忠厚を改授し常徳軍承宣使と為す。詔す凡そ后族は侍従官に任ずること毋れ、令と為すを著す。金人鄧州を焚く。是月、中奉大夫劉を以て済南府を知らしむ。金人潁昌府を陥とし、守臣孫默為に殺さる。経制司僚属王擇仁永興軍を復す。金人秦州を陥とし、経略使李復降る。又熙河を犯し、経略使張深兵馬都監劉惟輔を遣わし与に戦う新店に於いて、之を敗り、其の帥黒鋒を斬る。

二月丙辰、金人再び東京を犯し、宗澤統制閻中立等を遣わし之を拒がしむ、中立戦死す。戊午、耿南仲を臨江軍に移す。金人唐州を陥とす。壬戌、安化軍節度副使宇文虚中詔に応じ絶域に使し、中大夫を復し、行在に赴くを召す。癸亥、市易務を罷む。甲子、金人滑州を犯し、宗澤張捴を遣わし之を救わしむ、戦死す。乙丑、澤判官范世延等を遣わし表を上り帝の還闕を請う。河北の賊楊進等澤に詣で降る。丁卯、延康・述古殿直学士を復し端明・枢密直学士と為す。辛未、詔す今より枉法自盗の贓罪死に至る者、其の資を籍す。壬申、福州の叛卒張員等を赦す。癸酉、金人蔡州を陥とし、守臣閻孝忠を執る。丙子、金人淮寧府を陥とし、守臣向子韶之に死す。丁丑、王貺等を遣わし金国軍前通問使を充てしむ。戊寅、知鎮江府趙子崧を責降し単州団練副使・南雄州安置と為す。己卯、秘書正字胡珵の官を奪い、梧州に送り編管す。朝奉大夫劉正彦詔に応じ絶域に使し、武徳大夫・威州刺史を授け、尋いで御営右軍副統制と為す。庚申、王淵を向徳軍節度使と為す。辛巳、武功大夫・和州防禦使馬拡真定五馬山砦に奔り兵を聚め、皇弟信王榛を民間に得、之を奉り諸砦を総制す。壬午、詔す京畿・京東西・河北・淮南路に振華軍八万人を置く。是月、成都守臣盧法原城を修し成る。

三月辛卯、金人中山府を陥とす。壬辰、詔す諸路安撫使に便宜に官吏を節制するを許す。丁酉、初めに《大小使臣呈試弓馬出官格》を立て、先ず閲試し、然る後に奏補す。粘罕西京を焚き去る。庚子、河南統制官翟進西京を復し、宗澤進を奏し京西北路安撫制置使と為す。丙午、遙授尚書右僕射何㮚を観文殿大学士と為し、中書侍郎陳過庭を資政殿大学士と為し、同知枢密院事聶昌を資政殿大学士と為し、並びに宮観を主管す。時に㮚已に金に卒し、昌人の為に殺され、朝廷未だ之を知らず。過庭亦金軍中に在り。丁未、内外の権局官にして法に応ぜざる者を罷む。楊応誠を遣わし大金・高麗国信使と為す。己酉、張員等復た乱を作し、衆を擁し城を突き出ず、命す本路提点刑獄李芘之を討捕せしむ。辛亥、范瓊を権同主管侍衛歩軍司公事と為し、真州に屯す。是月、金人鳳翔府を陥とし、守臣劉清臣城を棄て去る。又涇原を犯し、経略使統制官曲端将を遣わし拒戦せしむ、之を敗り、金兵同・華に走る。石壕尉李彦仙兵を挙げ陝州を復す。

夏四月丙辰、詔す文臣従官牧守に至り、武臣管軍遙郡に至る、各々知る所二人を挙げしむ。戊午、州県の責むるに隣保を以て逃戸の税役を代輸せしむるを禁ず。宗澤将趙世興を遣わし滑州を復す。乙丑、翟進兵を以て金帥兀室を河南に襲う、兵敗れ、其の子亮之に死す。進又御営統制韓世忠・京城都巡検使丁進等の兵を率い文家寺に於いて戦う、又敗れ、世忠余兵を収め南に帰す。兀室復た西京に入り、尋いで去るを棄つ。隴右都護張嚴金人と五里坡に於いて戦う、敗績し、之に死す。丁卯、金人洺州に入る。壬辰、軍賊孫琦随州を焚く。癸未、唐州に入る。信王榛馬拡を遣わし来たり事を奏す。是月、榛を河外兵馬都元帥と為し、拡を元帥府馬歩軍都総管と為す。

五月乙酉、許景衡罷む。孫琦徳安府を犯す。丙戌、命す元祐の科挙条制を参酌し、詩賦・経義分試の法を立てしむ。戊子、翰林学士朱勝非を尚書右丞と為す。辛卯、金兵の河を渡るを以て、韓世忠・宗澤等を遣わし逆戦せしむ。甲午、曲赦河北・陝西・京東路。福建転運判官謝如意張員等六人を執り、之を誅す。丙申、復た宇文虚中を命じ資政殿大学士と為し、金国祈請使を充てしむ。賊靳賽光山県を寇す。戊戌、河北制置使王彦部兵河を渡り、滑州の沙店に屯す。癸卯、張愨薨ず。甲辰、金帥婁宿絳州を陥とす。丁未、復た両浙・福建の提挙市舶司を置く。己酉、秀州の卒徐明等乱を作し、守臣朱芾を執り、前守趙叔近を迎え復た州事を領せしむ。命す御営中軍統制張俊之を討たしむ。癸丑、諸路の職田を借るを罷む。

六月乙卯、邛州の銭鋳造を権宜的に停止し、銭引の印刷を増やす。癸亥、建州の兵卒葉濃らが乱を起こし、福州を寇す。甲子、親しく囚徒を慮る。乙丑、張俊が秀州に至り、趙叔近を殺し、徐明を捕らえて斬る。甲戌、葉濃が福州を陥れる。丁丑、江・浙の沿流州軍に水軍を訓練させ、戦艦を造らせる詔を下す。京畿・淮甸に蝗害あり。この月、延安府知事王庶を以て陝西六路軍馬を節制させ、涇原経略使統制官曲端を節制司都統制とする。永興軍経略使郭琰が王擇仁を追い払い、擇仁は興元に奔る。

秋七月甲申、葉濃が寧徳県に入り、再び建州に戻る。張俊に両浙提点刑獄趙哲と共に兵を率いてこれを討たせる。丙戌、吏部に京官を審査させ、政和以後に書頌を進上しあるいは直に殿試に赴いた者でなければ、参選を聴すべしとの詔を下す。宗澤薨ず。丁亥、蔡京・王黼の擬授により坐して廃された百官は、自新して復用を許すとの詔を下す。戊子、軍中における抉目刳心の刑を禁ず。壬辰、江・浙州軍の正兵・土兵の六分の一を選び行在に赴かせる。乙未、郭仲荀を以て京城副留守とする。戊戌、内外諸軍の将士の功績を記録する。辛丑、春の霖雨・夏の旱魃蝗害により、監司・郡守に闕政を条上させ、州郡の被害甚だしきものは田賦を免除する詔を下す。甲辰、降授北京留守杜充を復して枢密直学士とし、開封尹・東京留守とする。

八月甲寅、初めて御宝三顆を鋳造す。甲戌、集英殿に御して礼部進士を策試す。殿中侍御史馬伸を罷免し、尋いて濮州に責む。河北・京東捉殺使李成叛く。辛巳、宿州を犯す。この月、二帝韓州に徙居す。

九月甲申、丁進叛き、再び淮西を寇す。庚寅、礼部進士李易以下四百五十一人に及第・出身を賜い、特奏名進士は皆調官を許す。壬辰、侍従の挙げた褚宗諤ら二十一人を駅伝で行在に赴かせるよう召す。癸巳、金人冀州を陥れ、将官李政これに死す。甲午、金人再び永興軍を犯し、経略使郭琰城を棄て、義穀に退き保つ。辛丑、陝西節制司兵官賀師範、金人と八公原に戦い、敗績し、これに死す。丙午、減じた京官の俸を復す。丁未、東京留守統制官薛広、金人と相州に戦い、敗死す。己酉、郭三益薨ず。この秋、窩裏嗢・撻懶、五馬山砦を破り、信王榛は行方知れず。馬拡の軍、北京の清平に敗る。

冬十月甲寅、揚州に命じて隍を浚い城を修めさせる。江・淮州郡の水軍を閲す。楊応誠、高麗より還る。戊午、劉光世を遣わして李成を討たしむ。壬戌、江・浙における糴の閉鎖を禁ず。癸亥、粘罕、濮州を囲み、韓世忠・範瓊を遣わして兵を率い東平・開徳府に至らしめ、分道して拒戦せしめ、また馬拡にこれを援護せしむ。甲子、孟忠厚に命じて隆祐太后を奉じて杭州に幸せしむ。楊進再び叛き、汝・洛を攻む。翟進に命じて鳴皋山にこれを撃たしむ。翟進戦死す。丙子、吏部に崇寧・大観以来の濫賞を審量することを罷め、ただ自陳せしむるに止む。この月、劉正彦、丁進を撃ち、これを降す。

十一月辛巳朔、嵩山崇福宮提挙李綱を責めて単州団練副使に授け、万安軍に安置す。劉光世、李成と新息県に戦い、成敗走す。高麗国王王楷、その臣尹彦頤を遣わして入見せしむ。金人陝州を囲み、守臣李彦仙拒戦し、これを退ける。壬辰、金人延安府を陥れ、権知府劉選・総管馬忠皆遁走し、通判府事魏彦明これに死す。癸巳、趙哲、建州城下において葉濃を大破し、濃遁走して降るも、復た変を謀る。張俊これを禽斬す。乙未、金人濮州を陥れ、守臣楊粹中を執る。また開徳府を陥れ、守臣王棣これに死す。魏行可を以て金国軍前通問使に充つ。庚子、寿寧寺に詣で祖宗の神主を朝饗す。壬寅、冬至、圜丘において昊天上帝を祀り、太祖を配し、大赦す。金人相州を陥れ、守臣趙不試これに死す。甲辰、德州を陥れ、兵馬都監趙叔皎これに死す。庚戌、士庶の子弟が射を習い官に補する法を立てる。この月、陝西軍馬を節制する王庶、都統制曲端に拘束され、その印を奪わる。四川茶馬趙開、官による茶の買売を罷め、政和法の如く引を給して通商せしむ。金人晋寧軍を犯し、守臣徐徽言拒みこれを退く。知府州折可求、城を以て降る。金人淄州を陥る。涇原兵馬都監呉玠、史斌を襲い斬る。浜州の賊蓋進、棣州を陥れ、守臣薑剛之これに死す。京東の賊李民、行在に詣で降伏を請う。王淵その衆を殲滅し、民を留めて将とす。

十二月乙卯、太后杭州に至る。扈従統制苗傅、その軍八千人を以て奉国寺に駐屯す。庚申、金人東平府を犯し、京東西路制置使権邦彦城を棄て去る。また済南府を犯し、守臣劉豫城を以て降る。甲子、金人大名府を陥れ、提点刑獄郭永敵を罵り屈せず、これに死す。転運判官裴億降る。また襲慶府を陥る。乙丑、虢州を陥る。丙寅、初めて国史を修めることを命ず。己巳、黄潜善を以て尚書左僕射兼門下侍郎とし、汪伯彦を右僕射兼中書侍郎とし、顔岐を門下侍郎とし、朱勝非を中書侍郎とし、兵部尚書盧益を同知枢密院事とする。辛未、金人青州を犯す。丁丑、特進致仕余深・金紫光禄大夫致仕薛昂、並びに分司とし、進昌軍・徽州に居住せしむ。耿南仲を再び単州別駕に責め、唐恪を追って観文殿大学士を落とす。戊寅、礼部侍郎張浚を以て御営参賛軍事を兼ねさせ、長兵を教習せしむ。この冬、杜充黄河を決し、泗より淮に入り、以て金兵を阻む。

建炎三年

三年春正月庚辰朔、帝揚州に在り。京西北路兵馬鈐轄翟興を以て河南尹・京西北路安撫制置兼招討使とする。京西の賊貴仲正、岳州を陥る。甲申、資政殿学士路允迪を以て簽書枢密院事とする。丁亥、金人再び青州を陥れ、また濰州を陥れ、城を焼き去る。京東安撫劉洪道、青州に入りこれを守る。己丑、西京会聖宮の累朝の御容を寿寧寺に奉安す。占城国貢を入れる。大金通問使李鄴・周望・宋彦通・呉徳休らを軍前に往かしむることを促す。辛卯、陝州都統邵興、金人と潼関に戦い、これを破る。虢州を復す。乙未、杜充、岳飛・桑仲を遣わしてその叛将張用を城南に討たしむ。その徒王善これを救い、官軍敗績す。庚子、張用・王善、淮寧府を寇し、守臣馮長寧これを退ける。「百官、警報を聞き家属を遣わして兵を避け、物情を動揺せしむる者は流す」との詔を下す。丙午、粘罕徐州を陥れ、守臣王復及び子の倚これに死す。軍校趙立、郷兵を結び興復の計をなす。御営平寇左将軍韓世忠の軍、沭陽に潰え、その将張遇死し、世忠塩城に奔る。金兵、淮陽守臣李寛を執り、転運副使李跋を殺し、騎兵三千を以て彭城を取り、間道より淮甸に向かう。戊申、泗州に至る。

二月庚戌朔(一日)、初めて士民に便宜に従って兵乱を避けることを許す。劉正彥に命じて兵を率い皇子と六宮を護衛して杭州へ赴かせる。江・淮制置使劉光世は淮河を阻んで金人を防ごうとしたが、敵が未だ至らぬうちに自ら潰走した。金人が楚州を犯すと、守臣の朱琳は降伏した。辛亥(二日)、金人が天長軍を陥落させる。壬子(三日)、内侍の鄺詢が金兵の到来を報じると、帝は甲冑を着けて馳せて鎮江府へ行幸した。この日、金兵は楊子橋を過ぎた。癸丑(四日)、遊騎が瓜洲に至り、太常少卿の季陵が太廟の神主を奉じて行くと、金兵がこれを追撃し、太祖の神主を失った。王淵が杭州へ行幸するよう請う。朱勝非を留めて鎮江を守らせ、吏部尚書の呂頤浩を資政殿大学士・江淮制置使とし、都巡検使の劉光世を殿前都指揮使とし、行在五軍制置使を充てて鎮江府に駐屯させ、江口を扼守させた。主管馬軍司の楊惟忠に江東軍馬を節制させ、江寧府に駐屯させる。この夕方、鎮江を発ち、呂城鎮に宿営する。金人が真州に入る。甲寅(五日)、常州に宿営する。御営統制の王亦が江寧を占拠しようと謀るも、成らずして遁走した。御営平寇前将軍の范瓊が東平より兵を率いて寿春に至り、その部兵が守臣の鄧紹密を殺害した。丙辰(七日)、平江府に宿営する。丁巳(八日)、金人が泰州を犯すと、守臣の曾班は城を以て降伏した。丁進が兵を放って掠奪を働いたため、王淵が誘い出してこれを誅殺した。戊午(九日)、呉江県に宿営し、朱勝非に平江府・秀州の控扼軍馬を節制させ、礼部侍郎の張浚をその副とす。また勝非に御営副使を兼ねさせる。王淵を留めて平江を守らせる。忠訓郎の劉俊民を閣門祗候とし、書を齎して金軍に使わす。詔して張邦昌の親族を録用し、なお俊民に邦昌が金人に与えた約和の書稿を持たせて行かせる。金人が滄州を陥落させると、守臣の劉錫は城を棄てて逃走した。己未(十日)、秀州に宿営する。呂頤浩に命じて往来して長江を経制させ、龍図閣待制・知江州の陳彥文を沿江措置使とする。庚申(十一日)、崇徳県に宿営する。呂頤浩が従駕し、直ちに同簽書枢密院事・江淮両浙制置使に任じ、兵二千を以て還って京口に屯させる。また御営中軍統制の張俊に命じて兵八千を以て呉江を守らせ、吏部員外郎の鄭資之を沿江防托とし、監察御史の林之平を沿海防托とし、海舟を募って隘を守らせる。壬戌(十三日)、杭州に駐蹕する。金人が晋寧軍を陥落させると、守臣の徐徽言はこれに死す。癸亥(十四日)、詔を下して己を罪し、直言を求む。有司に命じて舟を常・潤に備え、衣冠・軍民の家族を迎え済渡させる。儀物・膳羞を省き、職掌なき宮人を出す。乙丑(十六日)、徳音を降す。雑犯死罪以下の囚人を赦し、竄斥された士大夫を放還する。ただ李綱の罪は赦免されず、更に放還しない。蓋し黄潜善の計を用い、綱を罪して以て金人に謝せんとするなり。江寧府に榷貨務都茶場を置く。丁卯(十八日)、百官入見す。迪功郎以上の者は皆朝参に赴くべし。戊辰(十九日)、米十万斛を出し、即ち杭・秀・常・湖州・平江府において価を損じて以て糶き、東北より流寓する人を救済す。金人が揚州を焼く。己巳(二十日)、御史中丞張澂の言を用い、黄潜善・汪伯彦を罷免し、戸部尚書の葉夢得を尚書左丞とし、澂を右丞とする。庚午(二十一日)、詔して平江・鎮江府・常・湖・杭・越州に、寓居する京朝官以上の姓名を具して以て簡抜に備えしむ。浙西監司等の官に分命し、土豪を募って千秋・垂腳・襄陽諸嶺を守らせ、以て宣・常諸州の険要を扼せしむ。金人が揚州を去る。辛未(二十二日)、詔して御営使司は唯だ行在五軍を掌るのみとし、凡そ辺防経制は並びに三省・枢密に帰す。金人が高郵軍を過ぎると、守臣の趙士瑗は城を棄てて逃走した。潰兵の宋進が泰州を犯すと、守臣の曾班は遁走した。壬申(二十三日)、軍期司の民財を掊斂する者を罷む。呂頤浩が将の陳彦を遣わし江を渡って金の余兵を襲撃させ、揚州を回復す。癸酉(二十四日)、靳賽が通州を犯す。韓世忠の小校李在が叛き高郵を占拠す。甲

戌の日、黄潛善・汪伯彥はともに官職を落とす。乙亥、朱勝非を行在に召し、張浚を平江に駐留せしむ。陳東・歐陽澈に承事郎を追贈し、喪服を着けるべき親族一人に官職を与え、その家を恤う。馬伸を行在に召す、卒す、直龍圖閣を追贈す。丙子、詔して士民に時政の得失を直言せしむ。是の月、王庶を以て陝西節制使・京兆府知事と為し、節制司都統制の曲端を鄜延経略使・延安府知事と為す。張用、確山に拠り、「張莽蕩」と号す。

三月己卯朔、日の中に黒子あり。庚辰、朱勝非を尚書右僕射兼中書侍郎と為す。辛巳、葉夢得罷免せられ、盧益を尚書左丞と為すも、拝せず、復た罷めて資政殿學士と為す。禦營都統制王淵同簽書樞密院事、呂頤浩を江南東路安撫制置使・知江寧府と為す。壬午、詔して王淵に本院の文字を進呈書押することを免ず。扈従統制苗傅、王淵の驟に君を得たるを忿り、劉正彥は劇盗を招降して賞薄きを怨む。帝揚州に在り、閹宦用事して恣横、諸将多く之を疾む。癸未、傅・正彥等叛き、兵を勒して闕に向かい、王淵及び内侍康履以下百余人を殺す。帝楼に登り、傅を慶遠軍承宣使・禦營使司増統制と為し、正彥を渭州觀察使・副都統制と為す。傅等、帝を迫りて皇子魏國公に位を遜らしめ、隆祐太后の垂簾同聴政を請う。是の夕、帝移りて顯寧寺に御す。甲申、帝を尊びて睿聖仁孝皇帝と為し、顯寧寺を睿聖宮と為し、大赦す。張澂を兼中書侍郎と為し、韓世忠を禦營使司提挙一行事務と為し、前軍統制張俊を秦鳳副総管と為し、其の衆を分ちて諸軍に隷す。丁亥、東京留守杜充を資政殿大學士・京東西路節制と為す。殿前副都指揮使・東京副留守郭仲荀、昭化軍節度使に進む。内侍藍珪・高邈・張去為・張旦・曾擇・陳永錫を分ちて嶺南諸州に竄す。擇已に行くも、傅追い還し、之を殺す。呂頤浩、江寧に至る。戊子、端明殿學士王孝迪を中書侍郎・盧益を尚書左丞と為す。張俊部衆八千平江に至り、張浚之に諭して決策起兵問罪を以てし、呂頤浩・劉光世と約し韓世忠を招き来会せしむ。己丑、元を改めて明受と為す。張浚奏して睿聖皇帝の親しく要務を総べることを乞う。庚寅、百官始めて睿聖宮に朝し、苗傅を武當軍節度使と為し、劉正彥を武成軍節度使と為し、劉光世を太尉・淮南制置使と為し、范瓊を慶遠軍節度・湖北制置使と為し、楊惟忠に少保を加え、張浚を禮部尚書と為し、及び呂頤浩並びに行在に赴かしむ。傅等、禦營中軍統制吳湛を以て歩軍司を主管せしむ。黄潛善・汪伯彥並びに分司と為し、衡・永州に居住せしむ。王孝迪・盧益を大金國信使と為す。進士黄大本・吳時敏を先期告請使と為す。行在都茶場を置く。呂頤浩奏して睿聖皇帝の復た大位に即くことを請う。金人鄜州を陥す。癸巳、張浚、節制司参議官辛道宗に命じ海舶を措置せしめ、布衣馮晳番を遣わし書を持して傅・正彥を説かしむ。甲午、有司請うて太后を尊びて太皇太后と為すも、許さず。呂頤浩、勤王兵万人を率いて江寧より発つ。乙未、再び黄潛善を貶して鎮東軍節度副使・英州安置と為す。劉光世部兵、呂頤浩と丹陽に会す。丙申、韓世忠、塩城より散卒を収めて平江に至り、張俊二千の兵を仮す。戊戌、行在に赴く。辛丑、傅等、世忠を定國軍節度使と為し、張俊を武甯軍節度使・知鳳翔府と為し、張浚を責めて黄州團練副使・郴州安置と為す。俊等皆受けず。傅等、軍を遣わし臨平に駐し、勤王兵を拒ぐ。壬寅、日中黒子没す。盧益罷免せらる。呂頤浩、平江に至る。水賊邵青、泗州に入る。癸卯、太后詔す:睿聖皇帝は宜しく皇太弟・天下兵馬大元帥・康王と称すべく、皇帝は皇太侄・監国と称すべし。傅・正彥に鉄券を賜う。呂頤浩・張浚、檄を伝えて中外に傅・正彦を討ち、黄大本を執りて獄に下す。乙巳、太后旨を降し睿聖皇帝に兵馬重事を処分せしむ。張俊、兵を率いて平江より発ち、劉光世之に継ぐ。丙午

、張浚同知樞密院事、翰林學士李邴・御史中丞鄭鐧並びに同簽書樞密院事と為す。呂頤浩・張浚、平江より発つ。丁未、呉江に次ぎ、奏して建炎皇帝の還りて即ち尊位に即くことを乞う。朱勝非、傅・正彥を召して都堂に至らしめ復辟を議し、傅等遂に睿聖宮に朝す。金人京東諸郡を陥し、劉洪道青州を棄て去る。撻懶、劉豫を以て東平府を知らしめ、河南州郡を節制せしむ。趙立、徐州を復す。

夏四月戊申朔、太后詔を下して政を還し、皇帝復た大位に即く。帝宮に還り、太后と前殿に御し垂簾し、詔して太后を尊びて隆祐皇太后と為す。己酉、詔して太祖の神主を訪求す。苗傅を淮西制置使と為し、劉正彦之を副とす。庚戌、紀年を復して建炎と為す。張浚に命じ知樞密院事と為し、苗傅・劉正彦並びに検校少保と為す。呂頤浩・張浚軍、臨平に次ぐ。苗翊・馬柔吉拒戦して勝たず、傅・正彦兵二千を引きて夜遁す。辛亥、皇太后簾を撤す。呂頤浩等入見す。傅、富陽・新城二県を犯し、統制王德・喬仲福を遣わし之を追撃せしむ。癸未、朱勝非・顔岐・王孝迪・張澂・路允迪俱に罷免せらる。呂頤浩を尚書右僕射兼中書侍郎と為し、李邴を尚書右丞と為し、鄭鐧を簽書樞密院事と為す。甲寅、劉光世を太尉・禦營副使と為し、韓世忠を武勝軍節度使・御前左軍都統制と為し、張俊を鎮西軍節度使・御前右軍都統制と為し、勤王の所僚属将佐進官差等あり。主管殿前司王元・左言並びに官を責められ、英・賀州に安置せらる。樞密都承旨馬瑗官を停められ、永州に居住す。吏部員外郎范仲熊・浙西安撫司主管機宜文字時希孟並びに除名せられ、柳州・吉陽軍に編管せらる。中軍統制呉湛・工部侍郎王世修を市に斬る。王淵に開府儀同三司を贈る。乙卯、大赦す。仁宗の法度を行い、応に嘉祐の条制と今と異なるものは、官制役法の外、賞格は重きに従い、条約は寛きに従う。上供の不急の物を罷む。元祐石刻の党人の官職・恩数追復未だ尽きざる者は、其の家に自陳せしむ。中外の直言を許す。丁巳、内侍の主兵官に交通し及び饋遺假貸し、禁兵を借役し、朝政に干預するを禁ず。庚申、詔して尚書左右僕射並びに同中書門下平章事を帯び、門下・中書侍郎を参知政事と改め、尚書左・右丞を省く。李邴を参知政事と為す。詔して行在の職事官各々知る所を挙げ、並びに館学・寺監等の官を省く。苗傅、衢州を犯す。癸亥、給事中周望を江・浙制置使と為す。丁卯、帝杭州を発ち、鄭鐧を留めて皇太后を衛らしめ、韓世忠を江・浙制置使と為し、及び劉光世と傅・正彦を追討せしむ。己巳、詔す:傅・正彦・苗瑀・苗翊・張逵は赦さず、余党並びに原ゆ。壬申、子魏國公旉を立てて皇太子と為す。傅の党王鈞甫・馬柔吉の罪を赦し、其の自ら帰るを許す。丙子、範瓊、光・蘄より兵を引きて洪州に屯す。是の月、劉文舜、濠州を寇す。西北の賊薛慶、高郵軍を襲い据う。

五月戊寅朔、帝は常州に駐蹕し、張浚を宣撫処置使とし、川・陝・京西・湖南北路をその管轄下に置き、便宜に任じて官吏の罷免・昇進を行わせた。庚辰、苗傅の統領官張翼が王鈞甫・馬柔吉を斬って降伏した。辛巳、鎮江府に駐蹕し、使者を遣わして張愨・陳東の墓を祭らせ、詔を下してその家族を撫恤した。癸未、翰林学士滕康を同簽書枢密院事とした。乙酉、江寧府に至り、神霄宮に駐蹕し、府の名を建康と改めた。起復した朝散郎洪皓を大金通問使とした。丁亥、徽猷閣直学士陳彦文に水軍を提領させ、江・浙の防衛を措置させた。藍珪らを召して速やかに朝廷に還らせた。己丑、韓世忠が浦城県において傅・正彦を追討し、正彦を捕らえ、傅は逃走した。張浚が高郵において薛慶を撫諭したが、慶に留め置かれた。乙未、張浚は罷免された。禦営前軍統制王曁燮を淮南招撫使とした。己亥、中書門下省検正官を復置し、左・右司郎中二員を省いた。苗傅の裨将江池が苗翊を殺し、周望に降った。傅は建陽県に逃れ、土豪詹標がこれを捕らえて献上した。辛丑、張浚が高郵より還った。再び知枢密院事に命じた。今月、翟興が楊進の余党を撃ち殺し、その徒劉可を推して官軍に抵抗させた。

六月戊申朔、東京留守杜充に兵を率いて行在に赴かせ、兼ねて宣撫処置副使とし、淮南・京東西路を節制させた。己酉、長雨のため、郎官以上を召して政事の欠点を言わせ、呂頤浩は実封して上奏させるよう請うた。そこで司勲員外郎趙鼎の言を用い、王安石の神宗廟庭への配享を罷め、司馬光を配享した。王善が淮寧府を攻めて落とせず、転じて宿州を寇し、統領王冠がこれを撃破した。甲寅、賞功司を廃止した。乙卯、国事に殉じた者の家族を撫恤し、かつその子孫を登用するよう命じた。浙西安撫使康允之を制置使に昇進させた。丙辰、劉光世が苗傅の将韓雋を招安した。戊午、江・浙・淮南に命じて塘濼を引き、畎澮を開き、以て金兵を阻ませた。庚申、皇太后が建康府に至った。辛酉、長く陰雨が続いたため、詔を下して四つの過失を以て己を責めた。一には経邦の大略に暗いこと、二には戡難の遠図に暗いこと、三には民を安んずる徳なきこと、四には臣を統御する柄を失うこと。なお朝堂に掲示し、遍く天下に諭し、朕の悔過の意を知らしめた。帯禦器械李質に権同主管殿前司をさせた。乙丑、建康府路安撫使連南夫に建康府・宣州・徽州・太平州等の制置使を兼ねさせた。丁卯、右司諫袁植が黄潜善及び守備を失った権邦彦ら九人を誅するよう請うた。詔して「朕まさに咎を念い己を責めんとす、豈に尽く過失を臣下に帰せんや」と。ここに袁植を罷めて池州知州とし、趙鼎を右司諫とした。癸酉、枢密院検詳官を置いた。右司郎中劉寧止を沿江措置副使とした。甲戌、行宮に移り駐蹕した。乙亥、内外に詔諭して「防秋に迫るを以て、太后に宗室を率い神主を迎え奉じて江表に如らせ、百司庶府の軍旅の事に非ざるものは、並びに行に従わしむ。朕は輔臣宿将とともに寇敵を備禦し、中原に応接す。官吏民士の家屬南去する者は、有司禁ずるなかれ」と。金人が磁州を陥とした。この夏、賊貴仲正が降った。

秋七月戊寅、王復を資政殿学士に追贈した。己卯、自ら囚徒を慮した。辛巳、苗傅・劉正彦が誅された。癸未、韓世忠を検校少保・武勝昭慶軍節度使・禦営使司都統制に進めた。範瓊が洪州より朝廷に入り、瓊を禦営使司提挙一行事務とし、後軍統制辛企宗を都統制とした。学士院に命じて夏国書・大金国表本を草させ、張浚に付した。甲申、詔して苗・劉の変に当たり、当軸大臣身をもって社稷を衛う能わざるを以て、朱勝非・顔岐・路允迪を並びに落職させ、張澂は衡州居住とした。廬州知州胡舜陟を淮西制置使とし、江州知州権邦彦に本路制置使を兼ねさせた。金人が山東を犯し、安撫使劉洪道は濰州を棄てて遁れ、萊州守将張成は城を挙げて降った。丁亥、範瓊が跋扈して形跡なきを以て、収めて大理獄に下し、その兵を分けて神武五軍に隷させた。皇太子薨じ、諡して元懿とした。戊子、鄭鐧薨じた。己丑、資政殿大学士王綯を参知政事とし、兵部尚書周望を同簽書枢密院事とした。庚寅、仙井監の郷貢進士李時雨が上書し、宗子を選んで立て人心を繋ぐことを乞うたが、帝怒り、斥けて郷里に還した。辛卯、杭州を臨安府に昇格させた。壬辰、言者がまた範瓊が徽宗を逼遷し及び張邦昌を迎え立てたことを論じ、瓊は罪を伏し、死を賜い、子弟は皆嶺南に流された。劉洪道が青州を回復し、金の守将向大猷を捕らえた。乙未、謝亮を遣わして夏国に使わした。丁酉、崔縦を遣わして金軍前に使わした。庚子、張浚が行在を発った。辛丑、王曁燮が靳賽と遭遇し、合戦して敗れた。壬寅、李邴・滕康に権知三省・枢密院事をさせ、太后に扈従して洪州に如らせ、楊惟忠に兵一万を将いて以て衛護させた。杜充を同知枢密院事兼宣撫処置副使とした。乙巳、江西・閩・広・荊湖諸路に詔して峒丁・槍杖手を団教させた。山東の賊郭仲威が淮陽軍を陥とした。翟興が兵を率いて汝州に入り、賊王俊と戦い、これを破った。

八月己酉、浙西安撫司を鎮江府に移した。庚戌、李邴を罷免した。壬子、吏部尚書劉玨を端明殿学士・権同知三省枢密院事とした。甲寅、王庶を罷免した。徽猷閣直学士・慶陽府知府王似を陝西節制使とした。劉文舜が舒州に入った。己未、太后が建康を発った。丁卯、杜時亮を遣わして金軍前に使わした。

閏八月丁丑朔、胡舜陟を沿江都制置使とし、集英殿修撰王羲叔をその副使とした。丁亥、輔逵が漣水軍を掠め、軍使郝璘を殺し、衆を率いて王曁燮に降った。己丑、呂頤浩を守尚書左僕射とし、杜充を守右僕射とし、並びに同中書門下平章事とした。庚寅、起居郎胡寅が二十事を上書して言ったが、呂頤浩悦ばず、これを罷免した。辛卯、杜充に江・淮宣撫使を兼ねさせ建康を守らせ、前軍統制王曁燮をその隷下とし、韓世忠を浙西置使として鎮江を守らせ、劉光世を江東宣撫使として太平・池州を守らせ、並びに杜充の節制を受けることとした。丁酉、太后が洪州に至った。己亥、福建・広南の歳上供銀を三分の一減じた。詔して制置使は唯用兵において便宜を聴くも、余事は悉く禁ずるとした。壬寅、帝は建康を発ち、再び浙西に還り、張俊・辛企宗はその軍を率いて従った。甲辰、鎮江府に駐蹕した。陳東の家に金を賜った。張浚は襄陽に駐屯し、官軍・義兵を招き分かち襄・郢・唐・鄧に屯させ、程千秋・李允文に節制させた。今月、済南府知府宮儀が金人と数たび密州において戦い、兵は潰え、儀及び劉洪道は共に淮南に奔り、守将李逵は密州を以て金に降った。靳賽は劉光世のもとに詣でて降った。

九月丙午朔、日に食あり。諜報に金人が舟師を治め、海道より江・浙を窺わんとすとあり、韓世忠を遣わして圌山・福山を控守せしむ。辛亥、平江府に次ぐ。壬子、金人が単州・興仁府を陥とし、遂に南京を陥とし、守臣の凌唐佐を執いてこれを降す。癸丑、周望を以て両浙・荊湖等路宣撫使と為し、兵を総べて平江を守らしむ。翰林学士の張守、同簽書枢密院事に同ず。劉光世に命じて江州に移屯せしむ。丙辰、張邵等を遣わして金国軍前通問使に充てしむ。金人が沂州を陥とす。高麗の入貢使を却く。張浚、制を承けて潭州知事の辛炳を罷め、直龍図閣の向子諲を起復してこれに代えしむ。丁巳、諸路の青苗積欠銭を蠲免す。辛酉、鼎州知事の邢倞、耶律余睹と結ぶに坐し、再び汝州団練副使に責められ、英州に安置さる。癸亥、宿・泗州都大提挙使の李成の軍に絹二万匹を賜う、成、尋いで復た叛く。己巳、胡舜陟を以て両浙宣撫司参謀官と為し、鎮江府知事の陳邦光を沿江都制置使と為す。庚午、工部侍郎の湯東野を以て平江府知事兼浙西制置使と為す。辛未、鄒浩を追復して龍図閣待制と為す。壬申夜、潭州の禁卒乱を為し、竄らんと謀るも果たさず、向子諲随ってこれを招安す。甲戌、金帥の婁宿、長安ちょうあんを犯し、経略使の郭琰城を棄てて遁ぐ、河北の賊の酈瓊、光州を囲む。

冬十月丙子朔、詔して按察官に歳ごとに発擿したる贓吏の姓名を上らしめて以て殿最と為さしむ。庚辰、諸軍の擅に川・陝に入るを禁ず。癸未、帝、杭州に至り、復た浙東に如く。庚寅、浙江を渡る。郭仲威、周望に詣りて降る、望、仲威を以て本司統制と為す。辛卯、李成、滁州を陥とし、守臣の向子伋を殺す。壬辰、帝、越州に至る。癸巳、提挙広西峒丁の李棫に命じて馬を市わしめ、邕州に牧養務を置く。戊戌、初めて東南八路に命じ、歳ごとに経制五項銭を収めて行在に輸送せしむ。張浚、興元府に於いて兵を治む。金人、寿春府を陥とす。庚子、黄州を陥とし、守臣の趙令峸これに死す。辛丑、張浚、同主管川・陝茶馬の趙開を以て随軍転運使と為し、専ら四川の財賦を総べしむ。金人、黄州より江を済す、劉光世軍を引いて遁ぐ、江州知事の韓梠城を棄てて去る。金人、大冶県より洪州に趨る。是の月、京西の賊の劉満、信陽軍を陥とし、守臣の趙士負を殺す。盗、宿州に入り、通判の盛修已を殺す。

十一月乙巳朔、金人、廬州を犯し、守臣の李会城を以て降る。王善叛きて金に降る、金人これを執る。丁未、詔して雑犯死罪を降し、流以下の囚を釈し、李綱の自便を聴き、宋斉愈の官を追復す。貴仲正、荊南を犯し、兵馬鈐轄の渠成これと戦い、これを斬る。戊申、金帥の兀朮、和州を犯し、守臣の李儔城を以て降り、通判の唐璟これに死す。己酉、張浚、関・陝を行き巡る。兀朮、無為軍を陥とし、守臣の李知幾城を棄てて走る。壬子、太后、虔州に退保す。江西制置使の王子献、洪州を棄てて走る。丁巳、金人、臨江軍を陥とし、守臣の呉将之遁ぐ。戊午、孫悟等を遣わして金国軍前致書使に充てしむ。金人、洪州を陥とし、権知州の李積中城を以て降る。撫・袁二州の守臣の王仲山・王仲嶷皆降る。淮の賊の劉忠、蘄州を犯し、韓世清逆戦してこれを破る。忠、舒州に入り、通判の孫知微を殺す。庚申、金人、真州を陥とし、守臣の向子忞城を棄てて去る。辛酉、太后、吉州に至る。壬戌、金人、建康府を犯し、溧水を陥とし、県尉の潘振これに死す。癸亥、金人、太平州を陥とす。主管歩軍司の閭勍、西京より累朝の御容を奉じて行在に至る、詔して天慶観に奉安し、尋いで勍に命じて淮西軍馬を節制せしめ、以て金人に拒がしむ。甲子、杜充、都統制の陳淬・岳飛等を遣わし、金人と馬家渡に於いて戦わしむ、王曁燮軍を以て先んじて遁ぐ、淬敗績し、これに死す。乙丑、検正諸房公事の傅崧卿を以て浙東防遏使と為す。太后、吉州を発ち、太和県に次ぐ。護衛統制の杜彦及び後軍の楊世雄、衆を率いて叛き、永豊県を犯し、知県事の趙訓之これに死す。金人、太和県に至る、太后、万安より陸行して虔州に如く。丁卯、十詔して浙西に回り敵を迎えしむ。金人、吉州を犯し、守臣の楊淵城を棄てて走り、又六安軍を陥とす。己巳、帝、越州を発ち、銭清鎮に次ぐ。庚午、復た越州に還る。周望を以て同知枢密院事と為し、仍て両浙宣撫使を兼ねて平江を守らしめ、殿前都指揮使の郭仲荀を副使と為して越州を守らしめ、右軍都統制の張俊を浙東制置使と為して従行せしむ。御史中丞の范宗尹、参知政事に参ず。辛未、兀朮、建康府に入り、守臣の陳邦光・戸部尚書の李棁迎え拝し、通判の楊邦乂これを拒ぐ。癸酉、帝、明州に如く。金人、建昌軍を犯し、兵馬監押の蔡延世これを撃ちて却く。甲戌、兀朮、楊邦乂を殺す。韓世忠、鎮江より兵を引いて江陰軍に之く。江・淮宣撫司の潰卒の李選、鎮江を攻め陥とす。淮丁兵馬都監の王宗望、濠州を以て金に降る。是の月、張浚、秦州に至る。桑仲、唐州より襄陽を犯し、京西制置使の程千秋敗走し、仲遂に襄陽を拠す。

十二月乙亥朔、張浚、制を承けて積石軍を廃す。丙子、帝、明州に至る。丁丑、江・淮西撫司準備将の戚方、衆を擁して叛き、鎮江府を犯し、守臣の胡唐老を殺す。辛巳、金人、常州を陥とし、守臣の周杞、赤心隊官の劉晏を遣わしてこれを撃ち走らしむ。金人、広徳軍を陥とす。守臣の周烈を殺す。劉光世、兵を引いて南康軍に趨る。壬午、航海して兵を避くることを議定し、禁卒の張宝等行くを憚り、乱を謀る、呂頤浩等に命じて伏兵し、宝等十七人を執いて斬る。甲申、張浚、制を承けて涇原経略使の曲端を拝して威武大将軍・宣撫処置使司都統制と為す。乙酉、兀朮、臨安府を犯し、守臣の康允之城を棄てて走り、銭塘県令の朱蹕これに死す。己丑、帝、楼船に乗りて定海県に次ぎ、行在の諸軍に雪寒銭を給す。辛卯、范宗尹・趙鼎を明州に留めて以て金使を候わしむ。癸巳、帝、昌国県に次ぐ。乙未、杜彦、潭州を犯し、通判の孟彦卿・趙民彦を殺す。金人、洪州を屠る。戊戌、金人、越州を犯し、安撫使の李鄴城ぎょうじょうを以て降る、衛士の唐琦、袖に巨石を蔵して金帥の琶八を要撃するも克たず、これに死す。郭仲荀、軍を棄てて温州に奔る。庚子、幸を温・台に移す。癸卯、黄潜善、英州に卒す。李成、滁州より兵を引いて淮西に之く。