宋史

本紀第二十二 徽宗四

徽宗四

宣和元年

宣和元年春正月戊申朔、日の下に五色の雲あり。壬子、建安郡王趙樞を進めて肅王と為し、文安郡王趙杞を進めて景王と為し、並びに太保に任ず。乙卯、詔す「仏の号を大覚金仙と改め、余は仙人・大士と為す。僧は徳士と為し、服飾を改め、姓氏を称す。寺は宮と為し、院は観と為す」と。女冠を女道と改め、尼を女徳と改む。丁巳、金人の使い李善慶来朝す。趙有開を遣わして報聘せしむ。登州に至りて還る。戊午、余深を以て太宰兼門下侍郎と為し、王黼を以て特進・少宰兼中書侍郎と為す。乙丑、湟州を楽州と改む。癸酉、子の趙棟を封じて温国公と為し、甥の趙有恭を封じて永寧郡王と為す。乙亥、籍田に躬耕す。裕民局を罷む。

二月庚辰、元を改む。宣和殿を保和殿に易ふ。戊戌、鄧洵武を以て少保と為す。

三月庚戌、蔡京等安州に得たる商の六鼎を進む。己未、馮熙載を以て中書侍郎と為し、范致虛を尚書左丞と為し、翰林学士張邦昌を尚書右丞と為す。天下に詔し、宮観を知る道士は監司・郡県官と客礼を以て相見ゆべしとす。童貫、熙州知事劉法を遣わして師を出し統安城を攻めしむ。夏人伏兵して之を撃ち、法敗死す。震武軍囲まれる。甲子、登州知事宗澤、神霄宮を建つるに虔ならざるに坐し、名を除き編管に処せらる。辛未、上舎生五十四人に及第を賜ふ。甲戌、皇后親蠶す。

夏四月丙子朔、日食あり。庚寅、童貫、鄜延・環慶の兵を以て夏人を大破し、其の三城を平らぐ。己亥、陝西・河東路を曲赦す。辛丑、輔臣の官一等を進む。

五月丙午朔、物龍の形の如きものあり、京師の民家に見ゆ。丁未、詔し徳士は並びに道学に入るを許し、道士の法に依るべしとす。丙辰、震武に於て夏人を破る。壬申、御製『九星二十八宿朝元冠服図』を班す。甲戌、囚を慮ふ。是の月、大水都城を犯し、西北に赤気天に亙る。

六月壬午、詔し西辺の武臣経略使たる者は文臣に改用すべし。甲申、詔し莊周を封じて微妙元通真君と為し、列禦寇を封じて致虚観妙真君と為し、仍て冊命を行ひ、混元皇帝に配享す。己亥、夏国使いを遣わして款を納る。詔し六路兵を罷む。

秋七月甲寅、童貫を以て太傅と為す。

八月戊寅、諸路未だ方田せざる処は並びに方量を令し、租課を均定すべしと詔す。丁酉、神霄宮成るを以て、天下に徳音を降す。范致虚、母憂の為め位を去る。

九月甲辰朔、蔡京を保和新殿にて燕す。辛酉、明堂を大饗す。癸亥、道德院に幸し金芝を観、遂に蔡京の第に幸す。丁卯、淮康軍節度使蔡攸を以て開府儀同三司と為す。

冬十月甲戌朔、『紹述熙豊政事書』を以て天下に布告す。

十一月癸丑、景霊宮に朝献す。甲寅、太廟を饗す。乙卯、昊天上帝を圜丘に祀り、天下を赦す。甲子、東南諸路水災あるを詔し、監司・郡守に悉心振救せしむ。戊辰、淮甸旱魃し、飢民失業するを以て、監察御史を遣わして察訪せしむ。張邦昌を尚書左丞と為し、翰林学士王安中を尚書右丞と為す。時に朱勔花石綱を以て上に媚び、東南騒動す。太学生鄧肅詩を進めて諷諫す。詔して帰田裏に放つ。

十二月甲戌、詔して京東東路の盗賊窃発するを以て、東・西路提刑に督捕せしむ。辛卯、大雨雹。丙申、帝数たび微行す、正字曹輔上書して極論す、郴州に編管す。

是歳、京西饑え、淮東大旱、官を遣わして振済す。嵐州の黄河清まる。邢州を信徳と為し、陳州を淮寧と為し、襄州を襄陽と為し、慶州を慶陽と為し、安州を徳安と為し、鄆州を東平と為し、趙州を慶源府と為すことを升す。瀘州を瀘川と為し、睦州を建徳と為し、岳州を岳陽と為し、寧州を興寧と為し、宜州を慶遠と為し、光州を光山と為し、均州を武当軍と為す。

宣和二年

二年春正月癸亥、蔡確を追封して汝南郡王と為す。甲子、道学を罷む。

二月乙亥、趙良嗣を遣わして金国に使わす。唐恪罷む。庚辰、甯遠軍節度使梁子美を以て開府儀同三司と為す。戊子、所在に令して淮南流民を贍給し、還るを諭す。甲午、詔して別に『哲宗史』を修す。

三月壬寅、上舎生二十一人に及第を賜う。乙卯、熙河蘭湟路を改めて熙河蘭廓路と為す。

夏四月丙子、詔す、江西・広東両界の群盗嘯聚す、武臣提刑を添置し、路分都監各一員を置く。

五月庚子朔、淑妃劉氏を以て貴妃と為す。己酉、日中に黒子有り。丁巳、方沢にて地を祭り、徳音を諸路に降す。布衣朱夢説上書して宦寺の権太重なるを論ず、池州に編管す。戊辰、詔す、宗室に文行才術有る者は、大宗正司に令して以て聞かしむ。

六月癸酉、詔して開封府に饑民を振済せしむ。丁丑、太白昼見す。戊寅、蔡京致仕す、仍て朔望に朝す。辛巳、詔す、自今より元豊の法制を動改するは、以て大不恭と論ず。丙戌、詔す、三省・枢密院の額外吏職は、並びに裁汰に従う。及び妄言して衆を惑わし、詔令に稽違する者は、重く之を論ず。詔す、諸司の総轄・提点の類、元豊の法に非ざる者は並びに罷む。丁亥、寺院の額を復す。甲午、礼制局並びに修書五十八所を罷む。

秋七月壬子、文臣の起復を罷む。己未、医・算学を罷む。丙寅、子楒を封じて英国公と為す。

八月庚辰、詔して医官の額を減定す。乙未、詔す、監司の挙ぐる守令其の人に非ざる、或いは法を廃して挙げざるは、廉訪使者に令して之を劾せしむ。

九月壬寅、金人勃堇等を遣わして来る。乙巳、徳士を復して僧と為す。辛亥、明堂を大饗す。丙辰、馬政を遣わして金国に使わす。癸亥、余深に少傅を加う。童貫の第に宴す。

冬十月戊辰朔、日食有り。河東節度使梁師成を以て太尉と為す。建徳軍青溪の妖賊方臘反す、譚稹に命じて之を討たしむ。

十一月己亥、余深罷む、仍て少傅、鎮西軍節度使・知福州を授く。庚戌、王黼を以て少保・太宰兼門下侍郎と為す。己未、両浙都監蔡遵・顔坦方臘を撃ち、之に死す。

十二月丁亥、譚稹を改めて両浙制置使と為し、童貫を以て江・淮・荊・浙宣撫使と為し、方臘を討たしむ。己丑、少傅鄭居中を以て枢密院を権領せしむ。庚寅、詔して両浙の民疾苦を訪う。是月、方臘建徳を陥とし、又歙州を陥とす、東南将郭師中戦死す。杭州を陥とし、知州趙霆遁れ、廉訪使者趙約賊に詬いて死す。

この年、淮南は旱魃に見舞われた。夏国・真臘が朝貢した。

宣和三年

三年春正月壬寅、鄧洵武が卒去した。戊午、安康郡王趙栩を太保とし、済王に進封した。鎮国公趙模を開府儀同三司とし、楽安郡王に進封した。己未、淮南・江東・福建の各路にそれぞれ臨時に武臣の提刑官を一員ずつ増置することを詔した。辛酉、蘇州・杭州の造作局および御前綱運を廃止した。乙丑、西北の兵士の交代戍守を廃止した。木石彩色などの場務を廃止した。この月、方臘が婺州を陥落させ、また衢州を陥落させ、守臣の彭汝方がこれに死した。

二月庚午、趙霆は杭州を放棄した罪に坐し、吉陽軍に貶謫された。方田法を廃止した。甲戌、詔を降して方臘を招撫した。乙酉、天下の三舎法および宗学・辟雍・諸路の提挙学事官を廃止した。癸巳、天下に赦を下した。この月、方臘が処州を陥落させた。淮南の盗賊宋江らが淮陽軍を侵犯し、将を派遣して討捕させた。また京東・河北を侵犯し、楚州・海州の境界に入ったので、知州の張叔夜に命じてこれを招降させた。

三月丁未、集英殿に臨んで進士を策試した。庚申、礼部の奏名進士に及第・出身六百三十人を賜った。

夏四月丙寅、貴妃劉氏が薨去した。甲戌、青溪県令陳光は盗賊が県内に発生したのに城を棄てた罪により、誅殺された。庚寅、忠州防禦使辛興宗が青溪において方臘を擒らえた。二浙・江東の賊に侵された州県に三年間の租税免除を給することを詔した。癸巳、汝州で牛が麒麟を生んだ。

五月戊戌、鄭居中に枢密院を領させた。己亥、杭州・越州・江寧の守臣にいずれも安撫使を兼帯させることを詔した。甲辰、貴妃劉氏を追冊して皇后とし、諡して明節といった。睦州・建徳軍を厳州・遂安軍に改め、歙州を徽州に改めた。丙午、金人が再び曷魯らを派遣して来朝した。戊申、興寧軍節度使劉宗元を開府儀同三司とした。癸亥、三省に台諫の上を欺き公に背く者を監察させ、旨を取って譴責することを詔した。陳過庭・張汝霖は御前使喚および歳進の花果を廃止するよう求めたことを王黼に弾劾され、ともに流罪・貶謫に処された。

閏月丙寅、諸州の曹掾官を減員した。辛未、医官の定員を定めた。甲戌、応奉司を復置し、王黼および内侍の梁師成にこれを領させた。戊寅、囚徒を慮囚した。

六月、黄河が恩州清河埽で決壊した。

秋七月丁卯、温州・処州など八州を賑恤した。丁亥、純州・滋州など十二州を廃止した。戊子、童貫らが方臘を捕虜として献上した。この月、洛陽らくよう・京畿に黒眚(くろい怪異)が人の如く、あるいは犬の如く現れ、夜に出て小児を掠って食らうとの風説が流れ、二年後にようやく止んだ。

八月甲辰、両浙・江東・福建・淮南路に対して曲赦を行った。乙巳、童貫を太師とし、譚稹に節度使を加えた。丁未、明節皇后の神主を別廟に合祀した。丙辰、方臘が誅殺された。

九月丙寅、王黼を少傅とし、鄭居中を少師とした。庚午、執政官の官階を一等進めた。辛未、明堂で大饗の礼を行った。

冬十月甲寅、今後は贓吏の獄案が決したならば、判決を下して赦免しないことを詔した。童貫が再び陝西・両河宣撫を領した。

十一月丁丑、馮熙載が罷免された。張邦昌を中書侍郎とし、王安中を尚書左丞とし、翰林学士承旨李邦彦を尚書右丞とした。辛巳、子の趙桐を儀国公に封じた。壬午、張商英が卒去した。

十二月辛卯朔、日中に黒子が現れた。壬子、広平郡王趙構を康王に、楽安郡王趙模を祁王に進封し、いずれも太保とした。

この年、諸路に蝗害あり。

宣和四年

四年春正月丁卯、蔡攸を少保と為し、梁師成を開府儀同三司と為す。癸酉、金人遼の中京を破り、遼主北走す。

二月丙申、旱魃のため廣聖宮に祈り、即日雨降る。癸卯、雹降る。丙午、呉国公植を開府儀同三司と為し、進めて信都郡王に封ず。

三月辛酉、秘書省に幸し、遂に太學に幸し、秘書少監翁彥深・王時雍・國子祭酒韋壽隆・司業權邦彥に章服を賜い、館職・學官・諸生に恩錫差等あり。丙子、遼人燕王淳を立てて帝と為す。金人來たりて夾攻を約し、童貫を命じて河北・河東路宣撫使と為し、兵を邊に屯して以て之に應ぜしめ、且つ幽・燕を招諭せしむ。

夏四月丙午、詔して補完校正文籍局を置き、三館の書を錄して宣和樓及び太清樓・秘閣に置く。又郡縣に令して遺書を訪わしむ。

五月壬戌、高俅を開府儀同三司と為す。丁卯、子柄を昌国公に封ず。甲戌、嗣濮王仲禦薨ず。乙亥、蔡攸を河北・河東宣撫副使と為す。庚辰、常徳軍節度使譚稹を太尉と為す。童貫雄州に至り、都統制種師道等に令して分道進兵せしむ。癸未、遼人前軍統制楊可世を蘭溝甸に撃ち破る。乙酉、開府儀同三司・江夏郡王仲爰を嗣濮王に封ず。丙戌、囚を慮う。楊可世遼の将蕭幹と白溝に戦い、敗績す。丁亥、辛興宗範村に敗る。

六月己丑、種師道退きて雄州を保つ。遼人追撃して城下に至る。帝兵敗を聞き、懼ること甚だしく、遂に詔して班師せしむ。壬寅、王黼を少師と為す。是の月、遼の燕王淳死に、蕭幹等其の妻蕭氏を立てる。

秋七月己未、貴妃崔氏を廃して庶人と為す。壬午、王黼、耶律淳の死を以て、復た童貫・蔡攸に命じて兵を治めしめ、河陽三城節度使劉延慶を都統制と為す。甲申、種師道を責授して右衛將軍致仕と為し、和詵を散官安置す。

九月戊午、朝散郎宋昭上書して北伐を諫む。王黼大いに之を悪み、詔して除名勒停・廣南編管と為す。己未、金人徒孤且烏歇等を遣わして師期を議せしむ。辛酉、明堂を大饗す。己巳、高麗國王王俁薨ず。路允迪を遣わして弔祭せしむ。甲戌、趙良嗣を遣わして金国に報聘せしむ。己卯、遼の将郭薬師涿・易二州を以て來降す。

冬十月庚寅、燕京を改めて燕山府と為し、涿・易八州並びに名を賜う。癸巳、劉延慶郭薬師等と兵を統べて雄州より出づ。戊戌、曲赦して復たる州縣を赦す。己亥、耶律淳の妻蕭氏表を上りて臣と稱し款を納る。甲辰、師涿州に次ぐ。己酉、郭薬師高世宣・楊可世等と燕を襲う。蕭幹兵を以て入り援い、城中に戦う。薬師等屢敗れ、皆馬を棄て城を縋りて出で、死傷過半す。癸丑、蔡攸を少傅・判燕山府と為す。甲寅、劉延慶盧溝河より営を焼き夜遁す。眾軍遂に潰え、蕭幹追いて涿水の上に至りて乃ち還る。

十一月丙辰朔、新璽を行ふ。戊辰、景靈宮に朝獻す。己巳、太廟を饗す。庚午、昊天上帝を園丘に祀り、天下を赦す。東南の官吏昨寇盜に縁り貶責せし者は、並びに次第に移放し、上書邪上等人は特と磨勘を与う。戊寅、金人李靖等を遣わして來たり山前六州を許す。彰徳軍節度使鄭詳を太尉と為す。

十二月丁亥、郭薬師蕭幹を永清縣に破る。戊子、趙良嗣を遣わして金国に報聘せしむ。庚寅、郭薬師を武泰軍節度使と為す。辛卯、金人燕に入り、蕭氏出奔す。壬辰、使來たりて捷を獻ず。乙未、詔して監司未だ陛對せざるは、之任する毋れ。丙申、劉延慶を貶して率府率・筠州安置と為す。壬寅、植を進めて莘王に封ず。

宣和五年

五年春正月戊午、金人李靖を遣わして來たり、許す所の六州の代租錢を議す。己未、趙良嗣を遣わして報聘し、西京等州を求む。辛酉、王安中を慶遠軍節度使・河北河東燕山府路宣撫使・知燕山府と為す。甲申、富弼の後を錄す。

三月乙卯、金人が再び寧朮割らを派遣して来る。己未、盧益を派遣して返礼の使節とし、すべてその約定の通りとする。

夏四月癸巳、金人が楊璞を派遣し、誓書および燕京・涿・易・檀・順・景・薊州を以て帰属させる。庚子、童貫・蔡攸が燕に入る。時に燕の職官・富民・金帛・子女は先に金人によってことごとく掠奪されて去っていた。乙巳、童貫が表を奉り燕城の撫定を奏上する。庚戌、河北・河東・燕雲路を曲赦する。この日、軍を返す。

五月己未、燕・雲を収復したことを以て、王黼に玉帯を賜う。庚申、王黼を太傅とし、鄭居中を太保とし、宰執官を二等進める。辛酉、王黼が三省事を総治する。癸亥、童貫の節鉞を落とし、徐・国公に進封する。蔡攸を少師とする。乙丑、詔して、正位の三公は本班に立ち、節鉞を帯び若しくは他の職を領する者は旧班のままとすることを令として定める。癸酉、方沢にて地を祭る。この月、金人が朔・武・蔚の三州を許す。金主阿骨打殂ほろび、弟の呉乞買立つ。

六月乙酉、郭薬師に検校少傅を加える。丙戌、遼人の張覚が平州を以て来附する。己丑、仲爰薨ず。乙未、詔して今後内外の宗室はともに姓を称さず。丁酉、安国軍節度使仲理を開府儀同三司とし、嗣濮王に進封する。己亥、囚をしらべる。戊申、鄭居中卒す。辛亥、蔡攸に枢密院を領せしむ。

秋七月戊午、梁師成を少保とする。己未、童貫致仕す。譚稹を起復して河北・河東・燕山府路宣撫使とする。庚午、太傅・楚国公王黼ら尊号を上りて継天興道敷文成武睿明皇帝と曰う。許さず。元祐の学術を禁ず。

八月辛巳朔、日食すべしと見えず。辛丑、王安中に命じて『復燕雲碑』を作らしむ。壬寅、太白昼に見ゆ。この月、蕭幹が景州・薊州を破り、燕山を寇掠す。郭薬師これを敗る。幹まもなくその下の者に殺され、首を京師に伝う。

九月辛酉、明堂を大饗す。

冬十月乙酉、木氷もくひょう降る。壬寅、諸路の提挙常平の職にふさわしからざる者を罷む。

十一月乙卯、鄭紳を太師とする。丙寅、王黼の邸に幸して芝を観る。諸路の漕臣、上供の銭物不足を坐し、秩を貶せられる者二十二人。丁卯、王安中・譚稹ともに検校少傅を加え、郭薬師を太尉とする。華原郡王朴薨ず。壬申、王黼の子弟親属に推恩有差。この月、金人が平州を取る。張覚は燕山に走る。金人がこれを索むること甚だ急なり。王安中に命じて縊殺し、その首をはこに収めて送らしむ。

十二月乙巳、金人が高居慶らを派遣して来朝し正旦を賀す。戊申、高平郡王棣を太保とし、徐王に進封する。

この歳、秦鳳旱魃かんばつし、河北・京東・淮南飢饉す。官を派遣して振済す。

宣和六年

六年春正月乙卯、金主のために朝をむ。戊午、書芸所を置く。癸亥、蕭幹の首を太社に蔵む。戊寅、連南夫を派遣して金国を弔祭す。

二月丁亥、冀国公㮙を開府儀同三司とし、河間郡王に進封す。韶州防禦使令蕩を婺州観察使とし、安定郡王に封ず。己亥、藉田に躬耕す。丙午、詔して、今後台閣・寺監・監司・郡守・開封府曹官を歴任した者でなければ、郎官・卿・監となることを得ずとし、令として定める。李邦彦、父の憂いにより去位す。

三月己酉朔(一日)、錢景臻を少師となす。金人が糧食を求め来たり、与えず。

閏月辛巳、皇后親しく蠶を養う。庚子、集英殿に臨み進士を策試す。

夏四月癸丑、禮部奏名の進士に及第・出身八百五人を賜う。丁巳、李邦彥、起復す。

五月壬寅、囚を慮う。癸卯、金人、使いを遣わし来たりて嗣位を告ぐ。

六月壬子、詔す。燕・雲を収復して以来、京東・両河の民、調度に困しむ。京西・淮・浙・江・湖・四川・閩・廣に令し、並びに免夫錢を納めしめ、期を両月とし納足せしむ。違う者は軍法に従う、と。

秋七月戊子、許亢宗を遣わし金國の嗣位を賀す。丁酉、詔す。応に御筆断罪に係る者は、尚書省に詣り陳訴改正することを許さず、と。壬寅、詔す。宗室・後妃戚裏・宰執の家は、一概に免夫錢を敷く、と。甲辰、璣衡所を置く。

八月乙卯、譚稹、太尉を落とし宣撫使を罷む。童貫、致仕を落とし、樞密院を領してこれに代わる。丁巳、溢機堡を以て安羌城となす。壬戌、燕・雲を復したるにより、天下に赦す。

九月乙亥、白時中を特進・太宰兼門下侍郎とし、李邦彥を少宰兼中書侍郎となす。蔡攸、節鉞を落とす。辛巳、明堂を大饗す。丁亥、趙野を尚書左丞とし、翰林學士承旨宇文粹中を尚書右丞とし、開封尹蔡懋を同知樞密院となす。庚寅、金芝が艮岳の萬壽峰に産するにより、名を改めて壽嶽とす。庚子、金人、富謨弼等を遣わし遺留物を以て来たりて献ず。

冬十月庚午、詔す。慣用の蘇・黃の文を收藏する者有らば、並びに焚毀せしめ、犯す者は大不恭を以て論ず、と。癸酉、詔す。内外の官並びに三年を以て任とし、治績著聞なる者は再任せしめ、永く式と為す、と。

十一月丙子、王黼致仕す。太白、晝に見ゆ。乙酉、應奉司を罷む。丙戌、尚書省に令し講議局を置かしむ。壬辰、詔す。監司、縣令に治績ある者を択び保奏せしめ、都堂に召し赴かしめ審察録用せしむ。三人を過ぐるなかれ、と。

十二月甲辰朔、蔡京、講議司を領す。詔す。百官、元豐の法制を行うを遵うべし、と。丁未、詔す。内外侍從以上、各々知る所の者二人を挙ぐべし、と。癸亥、蔡京、致仕を落とし、三省事を領す。

是歳、河北・山東に盗起こる。内侍梁方平に命じてこれを討たしむ。京師・河東・陝西に地大いに震う。両河・京東西・浙西に水害あり。環慶・邠甯・涇原に流徙す。所在に令し振恤せしむ。夏國・高麗・于闐・羅殿、貢を入る。

宣和七年

七年春正月癸酉朔、詔す。両河・京西の流民にして盗を為す者を赦し、仍て復を一年給す、と。癸巳、詔す。諸路の提挙常平官属を罷め、罪有りて当に黜くべき者は名を以て聞かしめ、仍て三省に令し已に廃せし法を修めしむ、と。

二月甲辰、鑄錢監を復置す。詔す。御史、贓吏を察せしむ、と。己酉、木冰を雨らす。庚戌、詔す。京師の米五十萬斛を燕山に運ばしめ、工部侍郎孟揆に令し親しく往き措置せしむ、と。己巳、廣國公栻を進封し南康郡王とし、福國公榛を平陽郡王となし、並びに開府儀同三司を開く。壬申、京東轉運副使李孝昌言う、群盗張萬仙等五萬餘人を招安す、と。詔し官を補し犒賜すること差等有り、と。

三月癸酉朔、雹が降る。甲申、海州知州の錢伯言が山東の賊賈進ら十萬人を招降したと奏上し、詔して官に補するに差等あり。丙戌、惠國公楧を以て開府儀同三司と為し、進めて建安郡王に封ず。

夏四月丙辰、德音を京東・河北路に降す。庚申、蔡京復た致仕す。州縣の免行錢を復す。戊辰、詔して元豐の官制を行ふ。尚書令しょうしょれいの名を復し、虚しくして授けず。三公は但だ階官と為し、三省の事を領すること毋れ。

五月壬午、子の樅を封じて潤國公と為す。丁亥、詔す、諸路の帥臣は将校にして才略ある者を挙げ、監司は守令にして政績ある者を挙ぐるに、歳各三人とせよ。

六月辛丑朔、詔して宗室に復た姓を著けしむ。丙午、童貫を封じて廣陽郡王と為す。戊申、詔す、臣僚輒く内侍と來往する者は罪を論ず。辛亥、囚を慮う。己未、蔡攸を以て太保と為す。癸亥、詔す、吏職雜流の出身の人は、改換を陳請することを得ず。乙丑、六尚の歳貢物を減罷す。

秋七月庚午朔、詔す、士庶は「天」「王」「君」「聖」を以て名字と為すこと毋れ、及び壬戌の日に輔臣の焚香することを以てす。甲戌、河間郡王㮙を以て太保と為し、進めて沂王に封ず。是の月、河東の義勝軍叛く。熙河・河東路地震す。

九月辛巳、明堂を大饗す。壬辰、金人、遼主を擒えたるを以て、李孝和等を遣わして慶を告げ來る。是の月、河東、粘罕の雲中に至れりと言ふ。詔して童貫に復た宣撫せしむ。狐有りて御榻に升り坐す。

冬十月辛亥、曾布に諡して文肅と曰うを賜ふ。戊午、京畿の和糴を罷む。

十一月庚午、詔す、出身無き待制以上、年三十に及び通歷任滿十歳なるを、乃ち子を任ずるを許す。乙亥、使を遣わして金國に回慶す。甲申、景靈宮に朝獻す。乙酉、太廟を饗す。丙戌、昊天上帝を圜丘に祀り、天下を赦す。庚寅、保靜軍節度使種師道を以て河東・河北路制置使と為す。

十二月乙巳、童貫、太原より遁れて京師に歸る。己酉、中山、奏す、金人の斡離不・粘罕、兩道を分ち入り攻む。郭藥師、燕山を以て叛き、北邊諸郡皆陷つ。又た忻・代等州を陷とし、太原府を圍む。太常少卿傅察、使を奉じて屈せず、之に死す。丙辰、浙江諸路の花石綱・延福宮・西城の租課及び内外の製造局を罷む。金兵、中山府を犯し、詹度之を禦ぐ。戊午、皇太子桓を開封牧と為す。蕃衍北宅の修造を罷め、諸皇子をして十位に分居せしむ。己未、詔を下して己を罪す。中外に直言極諫を令し、郡邑に師を率いて王を勤めしめ、草澤の異才にして奇計を出だし及び疆外に使する能ある者を募る。道官を罷め、大晟府・行幸局を罷む。西城及び諸局の管する緡錢は、盡く有司に付す。保和殿大學士宇文虛中を以て河北・河東路宣諭使と為す。庚申、詔して内禪し、皇太子即皇帝位。帝を尊びて教主道君太上皇帝と為し、龍德宮に居る。皇后を尊びて太上皇后と為す。

靖康元年

靖康元年正月己巳、亳州太清宮に詣で、恭謝の禮を行ひ、遂に鎮江府に幸す。四月己亥、京師に還る。

靖康二年

明年二月丁卯、金人、帝を脅して北行せしむ。

紹興五年

紹興五年四月甲子、五國城に崩ず。年五十有四。

紹興七年

七年九月甲子、凶報が江南に至り、遙かに尊諡を上って聖文仁徳顕孝皇帝と曰い、廟号を徽宗とす。

紹興十二年

十二年八月乙酉、梓宮臨安に還る。十月丙寅、永祐陵に権欑す。十二月丁卯、太廟第十一室に祔す。

紹興十三年

十三年正月己亥、尊諡を加えて体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝と曰う。

紀讚

贊に曰く、宋中葉の禍は、章・蔡首悪にして、趙良嗣厲階なり。然れども哲宗の崩ずるに、徽宗未だ立たず、惇其の軽佻なるを謂ひて以て下に君たるべからずとす。遼天祚の亡ぶるに、張覚平州を挙げて来帰す、良嗣以て之を納るは金に信を失ひ、必ず外侮を啓かんとす。二人の計を行はしめば、宋徽宗を立たず、張覚を納れずんば、金強しと雖も、何の釁を以てか宋を伐たん。是を以て事変の来るを知る、小人と雖も亦能く之を知り、而して君子に制する能はざる所有るなり。徽宗の国を失ふの由を跡づくるに、晋恵の愚、孫皓の暴の若くに非ず、亦た曹・馬の篡奪有るに非ず、特だ其の私智小慧を恃み、心を用ふる一偏にして、正士を疏斥し、奸諛を狎近す。ここに於て蔡京獧薄巧佞の資を以て、其の驕奢淫佚の志を済す。虚無に溺信し、遊観を崇飾し、民力を困竭す。君臣逸豫し、相為に誕謾し、国政を怠棄し、日に行ふ所稽る無し。童貫の用事するに及び、又兵を佳し遠きを勤め、禍を稔らせ乱を速にす。他日国破れ身辱しめられ、遂に石晋の重貴と同科に与す、豈に諸数を諉するを得んや。昔西周新造の邦、召公猶ほ武王に告げて無益を作して有益を害せず、異物を貴び用物を賤しまずとす、況んや宣・政の宋たる、熙・豊・紹聖椓喪の余を承け、而して徽宗又躬から二事の弊を蹈むをや。古より人君物を玩して志を喪ひ、欲を縦にして度を敗るは、亡びざるは鮮し、徽宗は甚だし、故に特だ著して以て戒めと為す。