宋史

本紀第十九 徽宗一

徽宗体神合道駿烈遜功聖文仁德憲慈顕孝皇帝、諱は佶、神宗の第十一子なり、母は欽慈皇后陳氏と曰う。元豊五年十月丁巳に宮中に生まる。明年正月に名を賜い、十月に鎮寧軍節度使を授けられ、寧国公に封ぜらる。哲宗即位し、遂寧郡王に封ぜらる。紹聖三年、平江・鎮江軍節度使を以て端王に封ぜられ、傅に就きて出づ。五年、司空しくうを加えられ、昭徳・彰信軍節度に改む。

元符三年

元符三年正月己卯、哲宗崩御す。皇太后簾を垂れ、宰臣に哭して謂いて曰く、「国家不幸にして、大行皇帝子無し、天下の事須らく早く定むべし」と。章惇また曰く、「礼律に在りては母弟簡王を立つべし」と。皇太后曰く、「神宗諸子、申王長なれども目疾有り、次には則ち端王立つべし」と。惇声を厲して対えて曰く、「年を以てすれば則ち申王長く、礼律を以てすれば則ち同母の弟簡王立つべし」と。皇太后曰く、「皆神宗の子なり、かくの如く分別するは難し、次に於いて端王立つべし」と。知枢密院曾布曰く、「章惇未だ臣等と商議せず、皇太后の聖諭の極めて当たるが如し」と。尚書左丞蔡卞・中書門下侍郎許将相継いで曰く、「聖旨に依るべし」と。皇太后また曰く、「先帝嘗て言う、端王に福寿有り、且つ仁孝、諸王に同じからずと」と。ここに於いて惇之が為に黙然たり。乃ち端王を召し入れて、即ち皇帝の位に即かしめ、皇太后権に軍国事を処分するに同じからしむ。庚辰、天下に赦し、常赦の原ゆるさざる所の者を赦し、百官秩一等を進め、諸軍を賞す。宋淵を遣わして遼に哀を告げしむ。辛巳、先帝后を尊びて元符皇后と為す。癸未、母貴儀陳氏を追尊して皇太妃と為す。甲申、章惇を命じて山陵使と為す。乙酉、先帝の遺留物を出だして近臣に賜う。丙戌、申王佖を以て太傅と為し、陳王に進封し、拝を讃えて名を称えざるを賜う。丁亥、仁宗淑妃周氏・神宗淑妃邢氏を並びに貴妃に進め、賢妃宋氏を徳妃と為す。戊子、章惇を以て特進と為し、申国公に封ず。己丑、莘王俁を進封して衛王と為し、太保を守らしめ、簡王似を蔡王と為し、睦王偲を定王と為し、並びに司徒しとを守らしむ。増設の八廂邏卒を罷む。

二月己亥、始めて政を聴く。先帝妃朱氏を尊びて聖瑞皇太妃と為す。壬寅、南平王李乾徳を以て検校太師と為す。丁未、順国夫人王氏を立てて皇后と為す。庚戌、向宗回・宗良を節度使に遷し、太后の弟侄未だ仕えざる者俱に官を授く。癸丑、初めて紫宸殿に御す。庚申、吏部尚書韓忠彦を以て門下侍郎と為し、資政殿大学士黄履を尚書右丞と為す。辛酉、懿親宅潜邸を名づけて龍徳宮と曰う。甲子、承極殿を毀つ。丙寅、呉安憲・朱孝孫を遣わして遺留物を以て遼国主に遺わしむ。

三月戊辰朔、詔して宰臣・執政・侍従官に各々台諫に任ずべき者を挙げしむ。庚午、韓治・曹譜を遣わして即位を遼に告げしむ。辛未、詔して祖宗諸子光済等三十三人を追封して王と為し、女四十八人を公主と為す。甲申、西蕃王隴拶を以て河西軍節度使と為し、尋いで姓名を賜いて趙懐徳と曰い、邈川首領瞎征を懐遠軍節度使と為す。己丑、日食に当たるを以て、徳音を四京に降す。囚罪一等を減じ、流以下之を釈す。庚寅、趙普の後を録す。辛卯、詔して直言を求む。癸巳、寧遠軍節度観察留後世雄を以て崇信軍節度使と為し、安定郡王に封ず。乙未、永興の民王懷の進むる所の玉器を却く。

夏四月丁酉朔、日食有り。己亥、監司に令して部を分ちて獄を決せしむ。甲辰、韓忠彦を以て尚書右僕射兼中書侍郎と為し、礼部尚書李清臣を門下侍郎と為し、翰林学士蒋之奇を同知枢密院事と為す。乙巳、曹佾の後を録す。丁未、帝の生日を以て天寧節と為す。己酉、長子亶生まる。辛亥、天下に大赦し、応に元符二年以前に係る官の逋負悉く之を蠲す。癸丑、鹿敏求等詔に応じて上書するを以て秩を遷す。乙卯、大行皇帝の諡を南郊に請う。丁巳、詔して範純仁等の官・宮観を復し、蘇軾等を内郡に徙して居住せしむ。癸亥、編類臣僚章疏局を罷む。乙丑、礼部奏名進士及第・出身五百十八人に賜う。

五月丁卯朔、理官の失出の罰を罷む。丙子、詔して廃后孟氏を復して元祐皇后と為す。乙酉、蔡卞罷む。己丑、詔して文彦博・王珪・司馬光・呂公著・呂大防・劉摯等三十三人の官を追復す。辛卯、司馬光等の致仕遺表の恩を還す。癸巳、河北・河東・陝西饑え、詔して帥臣に計度して振恤せしむ。

六月丙申朔、遼主蕭進忠・蕭安世等を遣わして来たり弔祭す。

秋七月丙寅朔、皇太后の詔を奉じ、同聴政を罷む。丁卯、哲宗欽文睿武昭孝皇帝の諡を天地・宗廟・社稷に告ぐ。戊辰、宝冊を福寧殿に上る。癸酉、皇太后の政に還るを以て、天下の囚罪一等を減じ、流以下之を釈す。癸未、陸佃・李嗣徽を遣わして遼に報謝す。管勾陝西・京・川路坑冶及び江西・広東・湖北・夔・梓・成都路管勾措置塩事官を罷む。辛卯、子亶を封じて韓国公と為す。

八月戊戌、詔して諸路民に疾有るに遇えば、官を委して医を監し往きて疾を視し薬を与えしむ。庚子、景霊西宮を作り、神宗の神禦を奉安し、哲宗神禦殿を其の西に建つ。辛丑、内庫の金帛二百万を出だして陝西の軍儲を糴う。壬寅、哲宗皇帝を永泰陵に葬る。丙午、董敦逸を遣わして遼主の生辰を賀し、呂仲甫を遣わして正旦を賀す。戊申、高麗王王熙使いを遣わして表を奉り来たり慰む。庚戌、詔して仁宗・神宗の廟を以て永世に祧らざらしむ。戊午、蔡王似を以て太保と為す。癸亥、哲宗の神主を太廟に祔し、廟楽を《大成之舞》と曰う。

九月甲子、詔して《哲宗実録》を修せしむ。丙寅、遼蕭穆を遣わして来たり即位を賀す。丁卯、両京・河陽・鄭州の囚罪一等を減じ、民山陵の役に縁る者は其の賦を蠲す。己巳、龍徳宮に幸す。辛未、章惇罷む。丙子、陳王佖を以て太尉と為す。丁丑、詔して《神宗史》を修せしむ。己丑、均給職田を復す。

十月乙未、夏国貢に入る。丙申、蔡京出でて永興軍を知り、章惇を貶して武昌軍節度副使と為す。丁酉、韓忠彦を以て尚書左僕射兼門下侍郎と為す。壬寅、曾布を以て尚書右僕射兼中書侍郎と為す。乙卯、端州を興慶軍に升む。己未、詔して曲学偏見・妄意に改作して以て国事を害する者を禁ず。辛酉、平准務を罷む。

十一月丁卯、詔して『六朝宝訓』を修せしむ。端州に徳音を降す。囚罪一等を減じ、徒以下はこれを釈す。庚午、詔して来年の元号を改む。戊寅、観文殿学士安燾を以て枢密院事を知らしむ。庚辰、黄履罷む。己丑、『春秋』博士を置く。辛卯、陝西に銅銭・鉄銭の併用を命ず。礼部尚書范純礼を以て尚書右丞となす。

十二月甲午、皇太后の不により、宮観・祠廟・嶽瀆に祷る。戊戌、廩粟を出し価を減じて民を済う。辛丑、囚を慮う。甲辰、詔して『国朝会要』を修せしむ。戊申、諸路に徳音を降す。囚罪一等を減じ、流以下はこれを釈す。戊午、遼人、正旦を賀し来る。

是歳、宮女六十九人を出す。

建中靖国元年

建中靖国元年春正月壬戌朔、赤気東北より起こり、西南に亘り、中に白気を含む。将に散ぜんとするに、復た黒昆旁に在り。癸亥、星西南より尾に入り、其の光地を燭す。癸酉、范純仁薨ず。甲戌、皇太后崩ず。遺詔して皇太妃陳氏を追尊して皇太后となす。丁丑、大行皇太后の園陵を山陵に易え、曾布を山陵使と命ず。己卯、河・陝に人を募り粟を入れしめ、試みを免じて官に注す。

二月丙申、雹を降す。己亥、秦鳳路の土兵を汰う。甲辰、始めて政を聴く。乙巳、内庫及び諸路常平銭各百万を出し、河北辺儲に備う。丁巳、章惇を貶して雷州司戸参軍となす。

三月甲子、始めて紫宸殿に御す。乙丑、遼使蕭恭来たり其の主洪基の殂を告ぐ。謝瓘・上官均等を遣わして弔祭し、黄寔をして其の孫延禧の立つを賀せしむ。丁丑、詔して河西軍節度使趙懐徳を以て湟州を知らしむ。壬午、日当に食らんとするを以て、殿を避け膳を減じ、天下の囚罪一等を降し、流以下はこれを釈す。

夏四月辛卯朔、日食見えず。甲午、大行皇太后に諡して欽聖憲肅と曰う。乙未、追尊皇太后に諡して欽慈と曰う。丁酉、殿に御し膳を復す。壬寅、詔す。諸路の疑獄、奏すべきにして奏せざる者は罪を科し、奏すべからざるにして輒ち奏する者は坐せず。令と為す。

五月辛酉朔、大雨雹。詔して三省に吏員を減じ、冗費を節せしむ。丙寅、欽聖憲肅皇后・欽慈皇后を永裕陵に葬る。庚辰、蘇頌薨ず。丙戌、欽聖憲肅皇后・欽慈皇后の神主を太廟に祔す。戊子、両京・河陽・鄭州の囚罪一等を減じ、民山陵の役に縁る者は其の賦を蠲す。

六月庚寅朔、韓国公亶を以て開府儀同三司とし、京兆郡王に封ず。戊申、向宗回を永陽郡王に、向宗良を永嘉郡王に封ず。甲寅、呉王顥の子孝騫を広陵郡王に、頵の子孝参を信都郡王に封ず。戊午、范純礼罷む。己未、詔して『闘殺情理軽重格』を班す。

秋七月辛巳、内郡に添差宗室の闕を置く。丙戌、安燾罷む。丁亥、蒋之奇を以て枢密院事を知らしめ、吏部尚書陸佃を尚書右丞とし、端明殿学士章楶を同知枢密院事となす。

九月己巳、詔す。諸路転運・提挙司及び諸州軍、遺利講求すべき及び冗員浮費裁損すべきある者は、詳議して以て聞かしむ。丙戌、子檉薨ず。

冬十月乙未、李清臣罷む。丁酉、天寧節、群臣及び遼使初めて垂拱殿に上寿す。

十一月庚申、陸佃を以て尚書左丞とし、吏部尚書温益を尚書右丞となす。壬戌、西蕃賒羅撒を以て西平軍節度使・邈川首領となす。辛未、御製南郊親祀楽章を出す。戊寅、景霊宮に朝献す。己卯、太廟を饗す。庚辰、天地を圜丘に祀り、天下を赦す。彰信軍を改めて興仁軍と為し、昭徳軍を改めて隆徳軍と為す。来年の元号を改む。

十二月壬辰、陳王佖に詔書を賜い名を称せず。癸卯、神宗昭儀武氏を進めて賢妃となす。丙午、神宗の神禦を景霊西宮大明殿に奉安す。丁未、宮に詣で礼を行ふ。己酉、四京に徳音を降す。囚罪一等を減じ、徒以下はこれを釈す。

この年、遼人が遺留物を献上してきた。河東で地震があり、京畿で蝗害が発生し、江・淮・兩浙・湖南・福建で旱魃があった。

崇寧元年

崇寧元年春正月丁丑、太原など十一郡で地震があり、詔を下して死者の家に差等を設けて銭を賜う。

二月丙戌朔、聖瑞皇太妃の病を以て、囚徒を慮う。甲午、子の亶の名を烜と改める。蔡確を哲宗廟庭に配饗す。戊戌、詔す:「士に道徳を懐き抱き、久しく下僚に沈む者及び学行兼備し、風俗を励ますべき者あれば、待制以上の者は各々知る所の者二人を挙げよ。」奉議郎趙諗が謀反し、誅せらる。庚子、子の煥を魏国公に封ず。辛丑、聖瑞皇太妃薨じ、皇太后に追尊す。庚戌、孔鯉を泗水侯に、孔伋を沂水侯に追封す。

三月丁巳、哲宗の神禦を景霊西宮宝慶殿に奉安す。戊午、宮に詣でて礼を行ふ。壬戌、定王偲を太保となす。壬申、定王の第に幸す。

夏四月己亥、皇太后の諡を欽成と上る。

五月丁巳、熒惑が斗宿に入る。庚申、韓忠彥罷免さる。己巳、瞎征卒す。庚午、太子太保司馬光を正議大夫に降復し、太師文彦博を太子太保とし、その余は各々差等に従って官を奪う。辛未、詔して待制以上に能吏各二人を挙げしむ。乙亥、後苑の内侍で箔金をもって宮殿を飾らんと請うた者を黜す。丙子、詔す:元祐の諸臣は各々既に秩を削がれたり、今後は再び問う所なく、言者もまた軽々に言うなかれ。戊寅、欽成皇后を永裕陵に葬る。己卯、陸佃罷免さる。庚辰、許将を門下侍郎とし、温益を中書侍郎とし、翰林学士承旨蔡京を尚書左丞とし、吏部尚書趙挺之を尚書右丞となす。

六月己丑、欽成皇后の神主を太廟に祔す。壬辰、西京・河陽・鄭州の囚徒の罪一等を減じ、山陵の役に縁る民はその賦を蠲免す。癸卯、詔す:六曹尚書に事奏陳すべきあれば、独員の上殿を許す。己酉、太白昼に見ゆ。壬子、渝州を恭州と改む。癸丑、詔して『唐六典』に倣い神宗の定めたる官制を修めしむ。伯夷を清恵侯に、叔斉を仁恵侯に封ず。

閏月甲寅朔、哲宗の神禦殿の名を重光と改む。辛酉、囚徒を慮う。壬戌、曾布罷免さる。甲子、詔す:諸路州県の官に治績最も著しい者あれば、監司・帥臣に各々一人を挙げしむことを許す。壬午、李清臣を武安軍節度副使に追貶す。癸未、詔す:監司・帥臣は本路の小使臣以上及び親民官の内に、智謀勇果にして将帥に備うべき者あれば、各々一人を挙げよ。

秋七月甲申朔、長生宮を建てて熒惑を祠る。丙戌、詔す:省・台・寺・監及び監司・郡守は、並びに三年を以て任を成すべし。戊子、蔡京を尚書右僕射兼中書侍郎となす。己丑、元祐の法を焚く。甲午、詔して都省に講議司を置く。詔して杭州・明州に市舶司を置く。庚子、章楶罷免さる。甲辰、雨水により民の廬舎が壊れたるを以て、詔して開封府に圧溺したる者を振恤せしむ。辛亥、『春秋』博士を罷む。

八月乙卯、子の烜の名を桓と改め、煥の名を楷と改む。乙丑、権侍郎官を罷む。辛未、安済坊を置き、貧しく病める民を養い、なお諸郡県に並びに置かしむ。甲戌、詔して天下に学を興し士を貢し、国南に外学を建つ。丙子、詔す:司馬光等二十一人の子弟は京師に官することを得ず。己卯、趙挺之を尚書左丞とし、翰林学士張商英を尚書右丞となす。

九月戊子、京師に居養院を置き、以て鰥寡孤独を処し、なお戸絶の財産を以て給養す。乙未、詔す:中書に元符三年の臣僚章疏の姓名を正上・正中・正下の三等、邪上・邪中・邪下の三等として籍すべし。丁酉、臣僚の元祐皇后を復せんと議し及び元符皇后を廃せんと謀りし者の罪を治め、韓忠彦・曾布の官を降し、李清臣を雷州司戸参軍に追貶し、黄履を祁州団練副使とし、曾肇以下十七人を竄す。己亥、元祐及び元符末の宰相文彦博等、侍従蘇軾等、余官秦観等、内臣張士良等、武臣王献可等凡そ百二十人を籍し、御書を以て端礼門に刻石す。庚子、元符末の上書人鐘世美以下四十一人を正等とし、悉く旌擢を加ふ。范柔中以下五百余人を邪等とし、降責に差等あり。時に世美は既に卒せり、詔して官を贈り、なおその子一人に官す。壬寅、曾布を武泰軍節度副使に貶す。甲辰、詔す:「元符三年・建中靖国元年に責降せられたる臣僚で既に牽復されたる者は、その元の責告命を並びに尚書省に繳納せよ。」

冬十月癸亥、蔣之奇罷免さる。戊辰、詔す:責降の宮観人は同一州に居住することを得ず。甲戌、御史銭遹・石豫・左膚及び輔臣蔡京・許将・温益・趙挺之・張商英等の言を以て、元祐皇后の号を罷め、瑤華宮に復して居らしむ。丙子、劉奉世等二十七人が元符末に党与して法を変えたるに坐し、並びに祠祿を罷む。戊寅、資政殿学士蔡卞を枢密院事に知らしむ。

十一月乙酉、邵州言ふ:溪洞徽州を知る楊光銜が内附す。戊子、婉儀鄭氏を賢妃となす。辛卯、河北に安済坊を置く。癸巳、西・南の両京に宗正司及び敦宗院を置く。戊戌、顕謨閣学士・待制官を置く。戊申、子の楷を開府儀同三司とし、高密郡王に封ず。己酉、卿・監・郎官の三歳黜陟法を立てる。

十二月癸丑、湟州を棄てたる罪を論じ、韓忠彦を崇信軍節度副使に貶し、曾布を賀州別駕に貶し、安燾を寧国軍節度副使に貶し、范純礼を分司南京となす。庚申、当五銭を鋳る。辛酉、哲宗の子の鄧王茂を皇太子に贈り、諡して献湣とす。丁丑、詔す:「諸の邪説詖行にして先聖賢の書に非ざるもの、及び元祐の学術政事は、並びに施用するなかれ。」

この年、京畿・京東・河北・淮南に蝗害あり。江・浙・熙河・漳・泉・潭・衡・郴州・興化軍は旱魃に見舞われた。辰州・沅州の徭(ヤオ族)が侵入し寇掠す。宮女七十六人を放出す。

崇寧二年

二年春正月辛巳朔ついたち。乙酉、任伯雨・陳瓘・龔𡙇・鄒浩を嶺南に流し、馬涓ら九人を諸州に分けて貶す。荊南知事舒亶、辰州・沅州の徭賊を平定し、誠州・徽州を回復す。誠州を靖州と改め、徽州を蒔竹県と改む。壬辰、温益卒す。乙巳、荊湖の疆土を回復したことを以て、両路に曲赦を施す。丙午、寒気厳しきを以て、監司に命じて分かれて部内の獄を決せしむ。丁未、蔡京を尚書左僕射兼門下侍郎と為す。

二月辛亥、安化蛮(安化の蛮族)が侵入し寇掠す。広西経略使程節これを破る。壬子、官を遣わして湖南・湖北の徭地を相度(調査)せしめ、その材木を採取して在京の営造に供せしむ。甲寅、元符皇后を進めて太后と為し、宮名を崇恩と曰う。辛酉、殿中監を置く。癸亥、哲宗の御容を西京会聖宮及び応天院に奉安す。丙子、諸路に茶場を置く。

三月壬午、仁宗の充儀張氏を進めて賢妃と為す。乙酉、西京の囚人の罪一等を減ず。詔して党人の子弟、闕下にみだり到ることを得ざらしむ。其の党人に趨附すうふしたるに縁り、罷任して外に在り、指射差遣ししゃさけんを求め及び罪を得て停替ていたいせられたる臣僚もまた之の如くせしむ。丁亥、集英殿に御し進士を策試す。癸卯、礼部奏名の進士に及第・出身五百三十八人を賜う。其の嘗て上書して正等に在りし者は甲をのぼし、邪等に在りし者はこれをちゅうす。

夏四月甲寅、詔して侍従官各々知る所の者二人を挙げしむ。乙卯、于闐(コータン)貢を入る。丁卯、詔して呂公著・司馬光・呂大防・範純仁・劉摯・範百祿・梁燾・王岩叟の景霊西宮における繪像をこぼつ。己巳、初めて景霊宮に謁するを以て、天下に赦す。乙亥、詔して刊行の『唐鑑』並びに三蘇(蘇洵・軾・轍)・秦觀・黄庭堅等の文集を毀つ。戊寅、趙挺之を中書侍郎と為し、張商英を尚書左丞と為し、戸部尚書呉居厚を尚書右丞と為し、兵部尚書安惇を同知枢密院事と為す。王珪の贈諡を奪い、程頤の出身文字を追毀し、其の著する書は監司に令して覚察せしむ。

五月辛巳、賢妃鄭氏を淑妃と為す。癸未、陳王佖を太師と為す。丙戌、曾布を貶して廉州司戸参軍と為す。己亥、子の楫を封じて楚国公と為す。丙午、元符皇后劉氏を冊して太后と為す。

六月壬子、王氏を冊して皇后と為す。庚申、詔す「元符末に上書したる進士、おお詆訛ていさん多し。州郡に令して新学に入れ、大学の自訟斎の法に依り、一年に及び、能く心を革め自新する者を許して将来応挙せしむ。其の変ぜざる者は当に之を遠方にへいすべし」。壬戌、囚をりょす(慮囚)。是の月、中太一宮火災あり。湟州を回復す。

秋七月己卯、学士院火災あり。辛巳、湟州を回復したるを以て、蔡京の官三等を進め、蔡卞以下二等を進む。壬午、白虹日を貫く。甲申、徳音を熙河蘭会路に降す。囚の罪一等を減じ、流罪以下は之を釈す。庚寅、曾肇を責授して濮州団練副使と為す。辛卯、詔して上書進士にしてげんに三舎生に充つる者は罷めて帰らしむ。丁酉、詔して今より戚裏宗属復た執政官と為すこと勿れ。令として著す。乙巳、詔して責降人の子弟、在京及び府界の差遣に任ずることを得ざらしむ。

九月辛巳、詔して宗室、元祐奸党の子孫と婚姻を為すことを得ざらしむ。庚寅、子の枢を封じて呉国公と為す。詔す「上書邪等人、知県以上の資序は並びに外祠げいしに与え、選人は改官及び県令と為ることを得ず」。壬辰、医学を置く。癸巳、天下の郡に皆崇寧寺を建てしむ。辛丑、吏部選人の自ら承直郎より将仕郎に至る七階を改む。天下の監司長吏の廳に各々『元祐奸党碑』を立てしむ。甲辰、詔して郡県に社稷を謹み祀らしむ。

冬十一月庚辰、元祐の学術政事を以て聚徒伝授する者、監司に委ねて挙察せしめ、必ず罰して赦さず。

十二月癸亥、宣祖皇帝・昭憲皇后をちょうす(廟より遷す)。丙寅、詔して六曹の長貳ちょうじ、歳ごとに郎官の治状を考へ、三等に分ちて以て聞かしむ。

この年、諸路に蝗害あり。纂府蛮の楊晟銅・融州の楊晟天・邵州の黄聰、内附す。

崇寧三年

三年春正月己卯、安化の蠻が降る。辛巳、詔して上書邪等の人を京師に至るを得ざらしむ。戊子、當十大錢を鑄る。壬辰、縣學の弟子員を増す。甲午、蔡京の子攸に進士出身を賜ふ。癸卯、太白晝に見ゆ。甲辰、九鼎を鑄る。

二月丙午、淑妃鄭氏を貴妃と為す。元豐役法を刊定するの不當を以て、錢遹以下九人を黜く。丁未、漏澤園を置く。己酉、詔して王珪・章惇を別に一籍と為し、元祐黨の如くせしむ。詔して自今より後殿に御するに、起居郎・舍人の侍立を許す。壬子、楚國公楫を開府儀同三司と為し、南陽郡王に封ず。庚申、天下の坑冶の金銀を復た盡く内藏に輸せしむ。辛未、雹を雨らす。

三月辛巳、文繡院を置く。丁亥、圜土を作り、以て強盜の死を貸す者を居らしむ。甲午、欽成皇后の神主を欽慈皇后の上に躋む。辛丑、大内災有り。

夏四月乙巳、火災を以て德音を四京に降す:囚罪一等を減じ、流以下は之を原す。乙卯、鄯州を復し、隴右都護府と為して建つ。辛酉、楫を徙封して樂安郡王と為す。廓州を復す。乙丑、講議司を罷む。己巳、陝西に曲赦す。壬申、楫薨ず。

五月戊寅、開封權知府を罷め、牧・尹・少尹を置く。六曹を改定し、吏・戶・儀・兵・刑・工を以て序と為し、其の員数を増し、『唐六典』に倣ひ胥吏の稱を易ふ。己卯、鄯・廓を復せるを以て、蔡京を守司空と為し、嘉國公に封ず。庚辰、許將・趙挺之・吳居厚・安惇・蔡卞各三官を轉ず。甲申、鄯州を西寧州と改め、仍て隴右節度と為す。辛丑、詔して守臣の金を進めて宮庭の修を助くる者を黜く。

六月壬寅朔、熙甯・元豐の功臣を顯謨閣に圖す。癸酉、王安石を以て孔子廟に配饗す。丙午、諸州の學未だ立たざる者を増す。壬子、書・畫・算學を置く。占城貢を入る。戊午、詔して元祐・元符の黨人及び上書邪等の者を重ねて定め、合はせて一籍と為し、通じて三百九人、朝堂に石を刻み、餘は並びに籍を出だし、自今より復た彈奏するを得ざらしむ。辛酉、太醫局を復て置く。癸亥、囚を慮ふ。乙丑、詔して内外の官職を越えて事を論じ、僥倖奔競するを得ざらしめ、違ふ者は御史台彈奏せしむ。

秋七月癸酉、婉儀王氏を德妃と為す。庚辰、詔して自今より大禮尊號を受けず、群臣表を上る毋からしむ。辛卯、方田法を行ふ。

八月庚子、詔して諸路の知州・通判に「主管學事」の四字を増入せしむ。壬寅、大雨、民の廬舍を壞し、死者を収瘞せしむ。甲辰、蔡京『神宗史』を上る。丙午、許將罷む。

九月乙亥、趙挺之を門下侍郎と為し、吳居厚を中書侍郎と為し、翰林學士承旨張康國を尚書左丞と為し、刑部尚書鄧洵武を尚書右丞と為す。壬辰、詔して諸路州學に別に齋舍を置き、以て材武の士を養はしむ。

冬十月辛居朔、大雨雹。丁未、賢妃張氏薨ず。丙辰、官を命じて六朝の勳臣を編類せしむ。戊午、夏人涇原に入り、平夏城を圍み、鎮戎軍を寇す。庚申、熙河蘭會路經略安撫使王厚言ふ、河西軍節度使趙懷德等出でて降る。己巳、九廟を立て、翼祖・宣祖を復す。庚午、貴妃邢氏薨ず。

十一月甲戌、太學に幸し、論定の士十六人を官し、遂に辟雍に幸し、國子司業吳絪・蔣靜に四品服を賜ひ、學官推恩差有り。丙戌、子杞を冀國公に封ず。丁亥、詔して士を取る並びに學校に繇り、發解及び省試法を罷め、科場故事の如くす。癸巳、更に神宗の諡を上りて體元顯道帝德王功英文烈武欽仁聖孝皇帝と曰ひ、哲宗の諡を加へて憲元繼道顯德定功欽文睿武齊聖昭孝皇帝と曰ふ。甲午、景靈宮に朝獻す。乙未、太廟を饗す。丙申、昊天上帝を圜丘に祀り、天下を赦す。興仁・隆德軍を府に升め、彰信・昭德の舊節を還す。

十二月乙巳、通遠軍を鞏州に升む。戊午、陳王佖に朝に趨らざるを賜ふ。

是歲、諸路蝗有り。宮女六十二人を出す。廣西黎洞の楊晟免等内附す。