宋史

本紀第十六 神宗三

神宗三

元豊三年

三年春正月乙丑の朔、大行太皇太后の殯中にあるを以て、朝を視せず。癸酉、許州を潁昌府に昇格す。丙子、潁昌の囚人の罪一等を降し、徒罪以下はこれを釈す。戊寅、太皇太后の諡を上りて慈聖光獻と曰す。戊子、審刑院・刑部の断議官に失入ある者は、歳ごとに数を具してこれを罰すと詔す。己丑、高麗国使いを遣わして来貢す。白虹日を貫く。辛卯、于闐国の大首領阿令顛顙温等来貢す。癸巳、白虹日を貫く。

二月丙午、翰林学士章惇を以て参知政事とす。丙辰、始めて崇政殿に御し朝を視す。丁巳、輔臣に命じて雨を祷らしむ。

三月乙丑、工部侍郎・同平章事呉充を罷めて観文殿大学士・西太一宮使とす。癸酉、慈聖光獻皇后を永昭陵に葬る。丙子、南丹州入貢し、刺史の印を以てこれを賜う。乙酉、慈聖光獻皇后の神主を太廟に祔す。戊子、両京・河陽の囚人の罪一等を降し、民山陵の役に縁る者はその賦を蠲す。己丑、慈聖光獻皇后の弟昭徳軍節度使曹佾を以て司徒しと兼中書令とし、護国軍節度使に改め、余の親属は恩を加うるに差あり。

夏四月乙未、観文殿大学士呉充薨ず。丁酉、宗暉を濮陽郡王に封ず、濮安懿王の子孫皆官一等を進む。己亥、遼使い耶律永芳等を遣わして同天節を賀す。乙巳、瀘州夷の乞弟侵擾するを以て、辺将にこれを討たしむと詔す。戊申、乞弟戎州を寇し、兵官王宣等戦歿す。甲寅、群牧行司を罷め、復た提挙買馬監牧司を置く。乙卯、御史に令して諸路の監司を分案せしむ。庚申、御史台六察に糾劾の多寡を以て殿最と為し、任満に旨を取りて升黜すと詔す。辛酉、国子監の歳賜銭六千緡を増す。

五月乙丑、今より三伏の内、五日ごとに一たび前殿に御すと詔す。辛巳、潁昌の進士劉堂の『制盗十策』を上るを以て、徐州蕭県尉に授く。甲申、復た韓存寶に命じて瀘夷を経制せしむ。都大提挙導洛通汴司を都提挙汴河堤岸司に改むと詔す。是月、青州臨朐・益都石面に化す。

六月甲午、日に五色雲あり。戊戌、宗室教授を省き、十三員を存すと詔す。丙午、中書に官制を詳定せしむと詔す。兵部勾当公事官を罷む。河北・河東・陝西路各文武官一員を選び義勇保甲を提挙せしむと詔す。壬子、中書門下省主判官を罷め、その事を中書に帰すと詔す。是月、安州・臨江軍芝及び連理麦を産す。

秋七月庚午、河澶州に決す。甲戌、今より大礼に遇うときは尊号を上るを罷むと詔す。癸未、彗星太微垣に出づ。丙戌、殿を避け膳を減じ、直言を求むと詔す。丁亥、群神の明堂に従祀するを罷む。戊子、太白昼に見ゆ。

八月乙巳、省・寺・監の官に空名を領する者を罷む。癸丑、王存等を遣わして遼主の生辰・正旦を賀す。戊午、彗星見えず。

九月壬戌、宣祖の定州東安墳地二十頃及び守園戸を増す。丙寅、殿に御し膳を復す。乙亥、官名を正す。開府儀同三司を以て中書令・侍中・同平章事に易え、特進を以て左・右僕射に易え、是より以下承務郎に至るまで秘書省校書郎・正字・将作監主簿に易うるに差あり、検校僕射以下及び階散憲銜並びに罷む、詳しくは『職官志』に在り。辛巳、明堂を大饗し、英宗を以て配し、天下を赦す。癸未、薛向・孫固並びに枢密副使と為す。乙酉、即ち景霊宮に十一殿を作り、時王の礼を以て祖宗を祠ると詔す。王安石を以て特進とし、改めて荊国公に封ず。丙戌、岐王顥を進めて雍王とし、嘉王頵を曹王とし、並びに司空しくうと為す。文彦博を太尉とす。曹佾を済陽郡王に封じ、宗旦を華陰郡王に封ず。馮京を枢密使とす。薛向を罷めて潁州を知らしむ。丁亥、呂公著を以て枢密副使とす。

閏九月乙卯、文彦博に河東・永興軍節度使を加え、富弼を以て司徒とす。

十一月己丑の朔、日当に食すべし、雲陰見えず。

十二月甲辰(の日)、遼が蕭偉らを派遣して正旦(正月元日)を賀しに来た。

元豊四年

四年春正月乙未(の日)、歩軍都虞候林広に命じて韓存宝に代わって瀘夷を経制(征討)させた。庚子(の日)、詔して進士の試験に律義を加えることを命じた。辛亥(の日)、于闐が来貢した。馮京が罷免されて河陽知事となった。孫固が枢密院知事となり、龍図閣直学士韓縝が同知枢密院事となった。

二月辛未(の日)、秦州に鋳銭監を設置した。己卯(の日)、東南の団結諸軍を分けて十三将とした。

三月乙未(の日)、詔して在京の官は執政の服親(喪服を着るべき親族)を挙辟(推薦任用)してはならないとした。癸卯(の日)、章惇が罷免されて蔡州知事となった。甲辰(の日)、翰林学士張璪を参知政事に任じた。乙巳(の日)、命官して九軍の営陣法を京城の南で閲した。戊申(の日)、大閲(大規模な閲兵)を行った。丙辰(の日)、董氈が使者を派遣して来貢した。

夏四月癸亥(の日)、遼が耶律祐らを派遣して同天節を賀しに来た。延和殿に御して保甲の閲試を行った。己巳(の日)、詔して南郊での天地合祭を廃止し、今後は親しく北郊を祀る際は南郊の儀礼と同様とし、事情があって行えない時は上公に摂行させるとした。壬申(の日)、囚徒を慮(審理)した。山陰県主簿餘行之が謀反を企て、誅殺された。乙酉(の日)、黄河が澶州小呉埽で決壊した。

五月丁酉(の日)、詔して河東路提点刑獄劉定に水害を受けた民衆の救済を専管させた。戊申(の日)、晋の程嬰を成信侯に、公孫杵臼を忠智侯に封じ、絳州に廟を建立した。

六月戊午(の日)、河北の諸郡で蝗が発生した。癸未(の日)、提点開封府界諸県公事楊景略と提挙開封府界常平等事王得臣に命じて諸県に蝗の捕獲を督させた。

秋七月己丑(の日)、太白星が昼間に現れた。庚寅(の日)、西辺の守臣が夏人がその主君秉常を囚禁したと上言したため、詔して陝西・河東路にこれを討伐させた。甲午(の日)、鄜延・涇原・環慶・熙河・麟府路にそれぞれ金銀帯・錦襖・銀器・鞍轡・象笏を賜った。甲辰(の日)、韓存宝が逗留して功績がなかった罪で誅殺された。丁未(の日)、大軍が進撃して米脂砦を攻めた。己酉(の日)、詔して曾鞏を史館修撰に充て、史事を専ら掌らせた。詔して内外官司の挙官を全て廃止した。大理卿崔台符に命じて尚書吏部、審官東西院、三班院とともに選格を議定させた。

八月乙卯朔(の日)、中書堂選を廃止し、全て主管官庁に帰属させた。丙辰(の日)、詔して河北東路の災害を受けた州軍の今年の夏料役銭を免除した。辛酉(の日)、夏人が臨川堡を侵犯したため、詔して董氈に兵を合わせてこれを討伐させた。金州刺史燕達を武康軍節度使に任じた。己巳(の日)、滑州を再設置した。丁丑(の日)、熙河経制李憲が西市新城で夏人を破り、酋長三人、首領二十余人を捕らえた。庚辰(の日)、また女遮谷で襲撃して破り、斬首・捕獲は甚だ多かった。辛巳(の日)、司馬光と趙彥若が編纂した『百官公卿年表』十巻、『宗室世表』三巻を献上した。

九月乙酉(の日)、董氈が使者を派遣して来貢し、かつ首領洛施軍篤喬阿公らに兵三万を率いさせて夏国を会撃するよう既に派遣したと上言した。李憲が蘭州古城を回復した。戊子(の日)、蘭州新順の首領巴令謁ら三族が率いる部族兵が夏人の撒逋宗城を攻撃し、これを破った。己亥(の日)、王珪が『国朝会要』を献上した。壬寅(の日)、崇政殿で河北保甲を閲し、優れた者三十六人に官職を与えた。甲辰(の日)、郊廟奉祀の礼儀を祥定(審議制定)した。丙午(の日)、詔して夏主の側近および嵬名部族の諸部首領に諭し、ともに自ら帰順することを許した。戊申(の日)、太白星が斗宿を犯した。庚戌(の日)、夏兵が米脂砦を救援したが、鄜延経略副使种諤が衆を率いてこれを撃破した。辛亥(の日)、种諤がまた無定川で夏人を破った。

十月丁巳(の日)、米脂砦が降伏した。己未(の日)、拂菻国が来貢した。庚申(の日)、熙河兵が女遮谷に至り、夏人と遭遇し、戦ってこれを破った。乙丑(の日)、涇原兵が磨哆隘に至り、夏人と遭遇し、その統軍梁大王と戦い、これを破り、二十里追撃し、大首領没囉臥沙・監軍使梁格鬼ら十五級を斬首し、首領統軍の甥の訖多埋ら二十二人を捕らえた。己巳(の日)、銀州に入った。庚午(の日)、環慶行営経略使高遵裕が清遠軍を回復した。种諤が曲珍らに命じて兵を率い黒水安定堡に通路を開かせたが、途中で夏人と遭遇し、戦ってこれを破り、斬首・捕獲は甚だ多かった。癸酉(の日)、韋州を回復した。乙亥(の日)、李憲が屈呉山で夏人を破った。丁丑(の日)、曲珍が蒲桃山で夏人と戦い、これを破った。戊寅(の日)、种諤が夏州に入った。詔して諸将に降伏者を慰撫するよう命じた。辛巳(の日)、史館修撰曾鞏が名臣高士の事蹟遺文を収集採録することを請い、詔してこれに従った。涇原節制王中正が宥州に入った。

十一月癸未朔(の日)、日食があった。丁亥(の日)、諸軍が合流して霊州を攻撃し、种諤が黒水で夏人を破った。己丑(の日)、李憲が囉逋川で夏人を破った。辛卯(の日)、种諤が横河平の人戸を降伏させ、石堡城を陥落させ、斬首・捕獲は甚だ多かった。辛丑(の日)、軍が帰還した。癸卯(の日)、种諤が夏州索家平に至ったが、兵衆三万人が食糧が無いために潰走した。丙午(の日)、高遵裕が軍を率いて帰還したが、夏人が追撃してきたため、ついに潰走した。

十二月辛未(の日)、林広が納江で乞弟を破った。乙亥(の日)、慈聖光献皇后の禫祭(喪明けの祭)があり、宰臣王珪らが上表して音楽を聴くことを請うたが、許さず、ここから五度上表して、ようやく従った。戊寅(の日)、遼が蕭福全らを派遣して正旦を賀しに来た。

元豊五年

五年春正月癸未朔、朝賀を受けず。丙申、宣徳門に臨み燈火を観る。己亥、白虹日を貫く。庚子、高遵裕を責授して郢州団練副使とし、本州に安置す。乙巳、新たに渾儀・浮漏を作る。辛亥、詔して西討を再議し、熙河経制李憲を以て涇原・熙河蘭会安撫制置使とし、李浩を権安撫副使とす。

二月癸丑朔、三省・枢密・六曹の条制を頒布す。詔して鄜延の軍士で病み帰れざる者には、其の家に絹十匹を賜う。丙辰、乞弟平ぐを以て、師を班す。辛酉、詔す:董氈の首領結鄰死す、其の朝辞物は其の子董訥支藺氈に給し、絹百匹を増賜す。癸亥、華陰郡王宗旦薨ず。丁卯、武昌軍節度観察留後宗惠を封じて江夏郡王とす。癸酉、出師を以て、梓州路を赦し、囚罪一等を減じ、軍事の役に縁る民は其の賦を蠲す。董氈を封じて武威郡王とす。丙子、渤泥来貢す。

三月壬辰、親しく進士を策す。甲午、武挙を策す。己亥、日当に食らうを以て、殿を避け膳を減じ、天下を赦し、死罪一等を降し、流以下は之を原す。詔して杭州に歳ごと呉越王の墳廟を修めしむ。壬寅、鄜延路副総管曲珍、夏人を金湯に破る。乙巳、進士・諸科の出身千四百二十八人に賜う。丙午、土を雨ふる。

夏四月壬子朔、日食見えず。甲寅、殿に御し復た膳す。丁巳、遼、耶律永端等を遣わして来たり同天節を賀す。己未、沈括奏して曲珍に兵を将いて綏徳城に至り、葭蘆寨左右に見聚する羌落を討つに応援せしむ、詔して之に従う。乙丑、直龍図閣徐禧を以て知制誥・権御史中丞とす。癸酉、官制成る。王珪を以て尚書左僕射兼門下侍郎とし、蔡確を尚書右僕射兼中書侍郎とす。甲戌、太中大夫章惇を門下侍郎とし、張璪を中書侍郎とし、翰林学士薄宗孟を尚書左丞とし、翰林学士王安礼を尚書右丞とす。唐の段秀実の後を録し、其の家を復す。丁丑、同知枢密院呂公著罷めて定州を知る。

五月辛已朔、官制を行ふ。丁亥、蛮を討ちし将士を差等ありて賞す。癸巳、豊州の卒張世矩等乱を作し、誅に伏す。其の党王安は母老いたるを以て、詔して特ら之を原す。尚書省を作る。戊戌、詔して両省の官人に御史に任ずべき者各二人を挙げしむ。甲辰、給事中徐禧を遣わして鄜延の辺事を治めしむ。

六月辛亥朔、環慶経略司将を遣わして夏人と戦ひ、之を破り、其の統軍嵬名妹精嵬・副統軍訛勃遇を斬る。甲寅、王珪『両朝史』を上す。戊午、詔して『両朝宝訓』を修めしむ。詔して成都路の瀘州辺事を供給するを以て、曲赦し、二税を免ず。甲子、翰林医官院を改めて医官局とす。壬申、交阯馴犀二を献ず。癸酉、章郡王宗諤薨ず。戊寅、曲珍等夏人を明堂川に破る。天源河を作る。

秋七月辛巳、広西経略司言ふ、宜州を知る王奇賊と戦ひ、敗績す。壬午、詔して大理寺官の中書省に赴き案を讞するを罷む。戊子、詔して御史中丞舒亶に言事或は察官十人を挙げしむ。辛卯、詔して尚書考功員外郎蔡京に手詔を編ましむ。庚子、蔡京を以て起居郎とし、仍ら官制を詳定するに同ず。丁未、垂拱殿にて修史官を宴す。己酉、始めて雩壇を建て、上帝を祀り、乙太宗を配す。

八月庚戌朔、御侍武氏を封じて才人とす。壬子、均国公傭を進封して延安郡王とす。昭容朱氏を以て賢妃とす。庚申、帝疾有り。詔して歳ごと四孟月に景霊宮に朝献す。辛未、韓忠彦等を遣わして遼主の生辰・正旦を賀す。鳳州団練使种諤、行軍迂道を以て、降授して文州刺史とす。壬申、詔して幕職・州県官の奉を増減するを罷む。甲戌、永楽に城す。戊寅、河原武に決す。

九月丁亥、夏人三十万衆永楽に寇す、曲珍戦ひ利あらず、裨将寇偉等之に死す、夏人遂に城を囲む。己丑、帝疾癒ゆるを以て、京畿の囚罪一等を降し、徒以下は之を釈す。壬辰、使を遣わし畿県の民水患を被る者を行視せしむ。乙未、詔して張世矩等に兵を将いて永楽砦を救わしむ。戊戌、永楽陥る、給事中徐禧・内侍李舜挙・陝西転運判官李稷之に死す。己亥、詔して客省・引進・四方館・東西上閣門各使・副等の職を置かしむ。庚子、安化蛮宜州に寇し、知州王奇之に死す、詔して忠州防禦使を贈る。辛丑、董氈の将士を差等ありて賞す。癸卯、滑州河水溢る。

冬十月辛亥、洛口・広武の大河溢る。甲寅、延州を知る沈括、措置乖方を以て、責授して均州団練副使とし、随州に安置す;鄜延路副都総管曲珍、城陥ち敗走を以て、降授して皇城使とす。丙辰、景霊宮の儀を修定す。乙丑、詔して永楽の死事の臣徐禧に金紫光禄大夫・吏部尚書を贈り、李舜挙に昭化軍節度使を贈り、並びに諡して忠湣を賜ひ、李稷に朝奉大夫・工部侍郎を賜ひ、入内高品張禹勤に皇城使を賜ひ、各推恩賜贈差等あり。癸酉、太原府を知り資政殿大学士呂恵卿を貶して単州を知らしむ。

十一月戊寅朔、御史の諸路を察するを罷む。壬午、景霊宮成る、祖宗の神御を遷すを告ぐ。癸未、初めて酌献の礼を行ふ。乙酉、神御を奉安するを以て天下を赦し、享に与る大臣の子若くは孫一人に官す。庚寅、紫宸殿にて侍祠の官を宴す。

十二月丁巳、新楽成る。賢妃周氏を以て徳妃とす。辛酉、原武の決河を塞ぐ。丙寅、休日に延和殿に御し、対官十人を引進す。辛未、西南の龍蕃来貢す。壬申、遼、耶律儀等を遣わして来たり正旦を賀す。丙子、永楽の死事の将皇城使寇偉等十三人及び東上閣門副使景思誼等九十人を録し、贈賜差等あり。

元豊六年

六年春正月丁丑朔、大慶殿に御し朝を受け、始めて新楽を用ふ。儀鸞司幕屋を徹するに壞れ、玉輅を毀つ。甲申、白虹日を貫く。丁亥、景霊宮に朝献す。己丑、層檀入貢す。庚寅、宣徳門に臨み燈火を観る。癸巳、詔して御史六察の上下半年更易の法を罷む。乙未、詔して周・漢以来の陵廟を修めしむ。乙巳、崇政殿に御し武士を閲す。丙午、楚の三閭大夫屈平を封じて忠潔侯とす。

二月丁未、夏人数十万衆蘭州を攻む、鈐轄王文鬱死士七百余人を率ひて之を撃ち走らす。丙辰、夏人の蘭州を犯すを以て、熙河経略使李憲を貶して経略安撫都総管とし、王文鬱を以て西上閣門使・蘭州知事とし、副使李浩を四方館使とす。甲子、詔して供備庫使高遵治・西京左蔵庫副使張寿各一官を降す。

三月辛卯の日、夏人が蘭州を寇す。副総管李浩は城を守って功あり、隴州団練使を復す。乙未の日、休日に延和殿に御し、引進対官八人を引見す。丙申の日、河東の将薛義、夏人を葭蘆西嶺にて破る。戊戌の日、検校太尉・上柱国・太原郡開国公王拱辰を武安軍節度使と為す。麟・府州の将郭忠詔ら、夏人を乜離抑部にて破る。詔して賞を行うこと差等有り。己亥の日、河東の将高永翼、夏人を真卿流部にて破る。

夏四月己酉の日、景霊宮に朝献す。辛亥の日、遼、蕭固らを遣わして同天節を賀す。甲子の日、礼部郎中林希、『両朝宝訓』を上る。李浩、夏人を巴義溪にて破る。辛未の日、土雨降る。壬申の日、邇英閣に御し、蔡卞、『周礼』を進講す。

五月丙子朔、于闐、貢を入る。甲申の日、時暑を以て、開封・大理の獄を決するを促す。庚寅の日、旱を以て、囚を慮う。甲午の日、夏人、蘭州を寇す。右侍禁韋定、之に死す。癸卯の日、詔して資州の孝子支漸に粟帛を賜う。是の月、夏人、麟州を寇す。知州訾虎、之を破る。

六月乙巳朔、詔して御史台六察各々御史一員を置く。癸丑の日、詔して御史中丞・両省官各々言事或いは監察御史に任ずべき者五人を挙げしむ。

閏月乙亥朔、夏主秉常、貢を修めるを請う。之を許す。戊寅の日、詔して陝西・河東、みだりに兵を出だすことからしむ。丙戌の日、詔して内外文武各々武挙に応ずる者一人を挙げしむ。汴水溢る。丙申の日、太師・守司徒・韓国公富弼薨ず。諡して文忠と曰う。

秋七月乙卯の日、孝惠・孝章・淑徳・章懐皇后を廟にあわせまつる。丙辰の日、四后廟に祔するを以て、京畿の囚の罪一等を降し、流以下は之をゆるす。孫固罷められ河陽を知る。同知枢密院韓縝を以て枢密院を知らしめ、戸部尚書安燾を同知枢密院と為す。戊午の日、景霊宮に朝献す。

八月丙子の日、升祔陪祠の官に尚書省にて宴を賜う。己卯の日、太白昼に見ゆ。乙酉の日、蔡京らを遣わして遼主の生辰・正旦を賀す。辛卯の日、蒲宗孟罷む。王安礼を尚書左丞と為し、吏部尚書李清臣を尚書右丞と為す。

九月癸卯朔、日食有り。

冬十月癸酉朔、秉常、使を遣わし表を上り、職貢を復修するを請い、旧疆を還すを乞う。戊子の日、孟軻を鄒国公に封ず。癸巳の日、会稽郡王世清薨ず。庚子の日、尚書省成る。辛丑の日、馬援を忠顕王に封ず。

十二月癸卯の日、仁宗の諡を加えて体天法道極功全徳神文聖武叡哲明孝皇帝と曰い、英宗を体乾応暦隆功盛徳憲文粛武叡神宣孝皇帝と曰う。甲辰の日、景霊宮に朝献す。乙巳の日、太廟に朝享す。丙午の日、昊天上帝を圜丘に祀り、天下に赦す。甲寅の日、文彦博、太師を以て致仕す。乙卯の日、観文殿大学士韓絳を建雄軍節度使と為す。庚申の日、尚書省に幸す。執政の五服内に未仕の者一人を官し、尚書以下の官一等を進む。

元豊七年

七年春正月丙午の日、洺州防禦使世准を安定郡王に封ず。癸丑の日、夏人、蘭州を寇す。李憲ら撃ちて之を走らす。甲寅の日、賢妃朱氏を徳妃と為す。

二月甲戌の日、太師文彦博入覲す。酒を垂拱殿に置く。癸未の日、濮陽郡王宗暉を進めて嗣濮王と為し、宗晟を高密郡王に封じ、宗綽を建安郡王に封じ、宗隠を安康郡王に封じ、宗瑗を漢東郡王に封じ、宗愈を華原郡王に封ず。

三月辛丑の日、文彦博に瓊林苑にて宴を賜い、帝詩を制して之に賜う。庚申の日、崇政殿に御し大閲す。壬戌の日、詔して鬼章に写経の紙を賜い、其の献ずる所の馬を還す。癸亥の日、白虹日を貫く。

夏四月辛未の日、大食国来貢す。乙亥の日、遼、蕭浹らを遣わして同天節を賀す。丁丑の日、饒州の童子朱天錫に五経出身を賜う。丙戌の日、景霊宮天元殿の門に芝草六本生ず。壬辰の日、景霊宮に朝献す。癸巳の日、夏人、延州安塞堡を寇す。将官呂真、之を破る。

五月壬子、囚人を慮り、死罪一等を降し、杖刑以下はこれを釈す。辛酉、白虹日を貫く。壬戌、孟軻を以て文宣王に配食せしめ、荀況・楊雄・韓愈を伯に封じ、並びに従祀す。諸路の帥臣・監司等に詔し、大使臣を挙げて将領と為さしむ。

六月丙子、夏人徳順軍を寇し、巡検王友之に死す。辛卯、江夏郡王宗惠薨ず。

秋七月甲辰、伊・洛溢れ、河元城に決す。丙午、使を遣わし振恤し、溺死者の家に銭を賜う。壬子、景霊宮に朝献す。甲寅、王安礼罷む。

八月庚午、王光祖に詔し、人を遣わし乞弟を招諭せしめ、降り出づるを許し罪を免じ官を補す。是歳、乞弟死す。辛巳、陳睦等を遣わし遼主の生辰・正旦を賀す。

九月壬寅、西南の龍蕃来貢す。乙巳、三仏斉来貢す。乙丑、夏人定西城を囲み、熙河の将秦貴之を敗る。

冬十月乙亥、夏人熙河を寇す。庚辰、饒州の童子朱天申睿思殿に対し、五経出身を賜う。辛巳、景霊宮に朝献す。戊子、交阯の界を分画し、六県二峒を以て之に賜わんことを詔す。乙未、夏人静辺砦を寇し、涇原の将彭孫之を敗る。

十一月丁酉朔、清辺砦を寇し、隊将白玉・李貴之に死す。甲辰、夏国主秉常使いを遣わし来貢す。乙卯、太白昼に見ゆ。

十二月戊辰、端明殿学士司馬光『資治通鑑』を上る。光を以て資政殿学士と為し、詔を降して諭を奨す。庚寅、門下・中書外省の官に詔し、同しく言事御史を挙げしむ。辛卯、遼耶律襄等を遣わし来たり正旦を賀す。

是歳、河東饑う。河北水あり、洺州の廬舎を壊し、其の税を蠲す。

元豊八年

八年春正月戊戌、帝豫せず。甲辰、天下を赦す。乙巳、輔臣をして代わりて景霊宮に祷らしむ。乙卯、群臣を分遣し天地・宗廟・社稷に祷らしむ。

二月辛巳、開宝寺貢院火す。丁亥、礼部に命じ別所に鎖試せしむ。癸巳、上疾甚だしく、御を福寧殿に遷す。三省・枢密院入見し、皇太子を立て及び皇太后の権同聴政を請う。之を許す。

三月甲午朔、延安郡王傭を立て皇太子と為し、名を煦と賜い、皇太后権同軍国事を処分す。乙未、天下を赦し、官を遣わし天地・宗廟・社稷・諸陵に告ぐ。丁酉、皇太后吏部尚書曾孝寛を命じ冊立皇太子礼儀使と為す。戊戌、上福寧殿に崩ず。年三十八。皇太子即ち皇帝位に即き、皇太后を尊びて太皇太后と為し、皇后を皇太后と為し、徳妃朱氏を皇太妃と為す。太皇太后権同軍国事を処分す。

九月己亥、大行皇帝の諡を上りて英文烈武聖孝皇帝と曰し、廟号を神宗とす。十月乙酉、永裕陵に葬る。

紀讚

贊に曰く、帝は天性孝友にして、其の兩宮に事へ入るや、必ず終日侍立し、寒暑と雖も變はらず。嘗て岐・嘉二王と東宮に書を讀み、侍講王陶經史を講諭すれば、輒ち相率ひて之を拜し、是より中外翕然として賢と稱す。其の即位するや、小心謙抑し、輔相を敬畏し、直言を求め、民隱を察し、孤獨を恤ひ、耆老を養ひ、匱乏を振ふ。宮室を治めず、遊幸を事とせず、曆精圖治し、將に大いに爲さんとす。未だ幾ならずして、王安石相に入る。安石の爲人、悻悻として自信し、祖宗の幽薊・靈武を吞まんと志し、而して數たび兵に敗るるを知り、帝奮然として數世の恥を雪がんと將ひ、當る所未だ有らざるに、遂に偏見曲學を以て起りて之に乘ず。青苗・保甲・均輸・市易・水利の法既に立ちて、天下洶洶騷動し、慟哭流涕する者踵を接して至る。帝終に覺悟せず、方に斷然として元老を廢逐し、諫士を擯斥し、之を行ふに疑はず。卒に祖宗の良法美意を致して、變壞幾くんと盡きんとす。是より邪佞日進み、人心日離れ、禍亂日起る。惜しいかな。